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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-09-01-Monday 金融機関

今、金融機関がとても不便である。

先ず郵便局に前日の交通違反の反則金の支払いがてら子供の貯金の払い戻しに行った。「本人ですか?」と訊くので「子供のだ。」と答えると、「20歳以上の人間名義の口座からの本人以外の人間による50万円以上の払い戻しをするには委任状が必要だ。」と言うので、「本人は東京に居るから委任状は無い。」と言ったら「50万円以下なら委任状は必要無い。」と言うのである。「それなら2回に分けて下ろせば良いのだろう?」と言ったら困惑した表情を浮かべてニガ笑いをした。

何のことはない2回に分ければ49万円ずつも下ろせるではないか?50万円以上の委任状なんてまったく無意味である。硬いこと言わずに柔軟に対応してくれれば良いものを杓子定規な対応である。スピード違反の反則金を支払うだけでも腹立たしいのに、余計な時間が掛かって客に不快な思いと不便な思いをさせるだけである。しかも、その窓口で、そのまま下ろしたお金で娘の大学の学費を振り込んでくれと頼んだら、この大学の振込用紙は郵便局では対応出来ないものだと言うのである。

仕方がないので今度は大学の後期の学費を払い込む為だけに銀行に行った。自動支払機(というのかしらん?)で払おうとしたら、10万円以上の振込みは窓口でなければ出来ないと表示されたので、イライラしながら窓口に行って、娘の通う女子大学から郵送されて来た振り込み用紙と現金を提出したら、今度は50万円以上の振込みには本人確認が必要だという。窓口の女性行員が「ご本人様ですか?」と訊くのである。マニュアルで皆にそう尋ねる様になっているのだろうが、中年男性の私が女子大学の学生本人であるはずがないではないか。少しイラッとしたが美人の窓口嬢だったので、おとなしく「本人ではありません。親です。娘の学費を親である私が払うのです。」と丁寧に説明したら「確認の為に免許証をコピーさせてください。」と言うのである。窓口嬢が美人で良かった。ブスだったらキレていたかも・・・。大学から送られて来た所定の振込用紙で振り込むのに何と面倒くさいことだろう。振り込め詐欺防止の為なのだろうが、もう少し柔軟に対応出来ないものだろうか?こんなに便利な世の中なのに金融機関だけが益々不便になっていっているようだ。きっと、金融機関のトップ達は、私の持論である「不便さが生み出すコミュニケーション」を実践して顧客の獲得に力を入れようとしているのであろう(そんな訳ャないか)。

それにしても50年の人生の中で今が一番お金に不自由していると感じる。さすがに子供3人も家の外に出していると学費やら生活費やらにお金が掛かること掛かること。

我が家は2歳ずつ年の離れた4人兄弟であったから我が両親はもう1人分余計に学費の工面をしていたのだなぁと思うと、3人の子供を育ててみて、子育ての大変さが良く分かる。

我が子たちも親になって苦労しなければ分からないのだろうなぁ。私も両親に感謝せねば。


■2008-09-02-Tuesday 福田首相辞任

福田首相が突然辞任した。

安倍前首相の時も唐突であったが、福田首相も同様に無責任極まりないといえる。

念願だった(洞爺湖)サミットの議長という親子二代の夢を実現させたからもう思い残すことはないとモチベーションが切れたのだろう。

会見ではこのタイミングが良いと判断したと言っていたが、民主党の党首選挙が行われないことを見越して、自民党総裁選を臨時国会前に行ってそのまま臨時国会になだれ込み、自民党に国民の関心を惹きつけようという魂胆なのだろう。現時点での与党としての作戦としてはまさにこれしかないだろうとも考えるが、あまりにも国民を無視した作戦だ。

安倍、福田と一年ずつの短命内閣で、どちらも途中で投げ出した印象は免れまい。大多数を握っている衆議院をなるべく任期一杯まで維持して、解散は避けたいのだろうが、この状態では誰がやっても同じである。さっさと解散して国民の審判を受けろと言いたい。

民主党も好きではないが、この辺で政権の交代をしてもらいたいと思う国民は多いのではないだろうか。

政治家がだらしないから官僚がのさばるのだ。政治家が官僚を上手く使えられるだけの度量と実力があれば政治は上手く運ぶのではなかろうかと思う。

それにしても政治家には二世が多過ぎる。福田も安倍も、次の自民党総裁候補の麻生も親が政治家だ。子供に是非とも継がせたい利権や旨みがかなりあるのだろうなぁ。そうでなければ馬鹿馬鹿しくて選挙の時に頭など下げられまい。たいして苦労もしていない奴が政治家になるから国民の実態が判らないのだ。そんな奴を選ぶ国民も悪い。果たしてこれからの日本は一体どうなるのだろうか?


■2008-09-03-Wednesday 訪問団

今日、三重県議団の方々が視察に訪れた。

豪雨で大変な地域の議員1名が欠席の中、8人の方が来訪された。私が今年の5月に三重県庁の職員を前に講演した話が面白いということでわざわざ十勝まで視察に訪れてくれたのである。こういう形の来訪客も十勝にとってはお金を落としてくれる貴重なお客様である。ありがたいことである。

それにしてもここ最近この種の来訪が多い。どこの地域も困っているのだろう。日本政府の長たる総理大臣が二代続けて、途中で政権を放り出すのだから、政治に期待はできない。北の屋台は自分たちの暮らす地域は自分たちの力で何とかしなくてはならないという時の絶好のモデルになっているようである。

最近、講演していて思うのだが、私たちの活動は10年早過ぎたのかもしれない。時代の先端を行き、それを成就させるのは並みの忍耐力では出来ないものだ。行政から補助金を貰う活動には縛りが多く、またやる気も起きにくい。自主的な活動で尚且つ面白そうなものに集中して応援することが必要だと痛感している。今日の質疑応答の中でも言ったが、会議をし過ぎると、意見が平準化されてしまい、どこの町にもあるような、ありふれた内容の事業になりがちである。なにか煌めくようなアイデアがあったら、それを掘り下げて実行に移す方が面白いものができる。しかし、これは通常の会議では難しいことだ。リーダーが信念と責任を持って事業に当たらなければ上手くいかない。しかし、強烈なリーダーというのは疎まれやすいものだ。上手くいっている町には、強力で愛すべきリーダーがいる。帯広にも早くそうした若いリーダーが出現して欲しいものだ。


■2008-09-04-Thursday 大道芸反省会

昨日、大道芸フェスティバルの反省会があった。

今年は暑過ぎず、寒過ぎず、大道芸の時間帯には雨も降らず、で天候には恵まれた。不況のせいなのか夏休みのレジャーが「安・近・短(安い・近い・短い)」の傾向にあり、例年よりも観客の数は多かったように感じた。主催者の発表でも前年比4万人増の17万人超が来場したというから「観客数が増えたなぁ」という実感は当たっていたことになる。

芸人さんから寄せられた感想も、大音響の音楽系イベントの近くだとちょっとキツイという以外は皆、ボランティアスタッフの働きや対応など十勝ならではの良さを述べてくれていた。当初懸念していた7丁目での集客もエッ(7丁目にしては)というくらいに集まった。逆に11丁目のパイプイスを並べてある場所では大道芸の雰囲気作りがやりにくかったようである。予算的には不況のせいかスポンサー探しが難しくお金が思うようには集まらなくて事務局は苦労している。

もはや、大道芸は平原まつりに欠かせないものになっているだけに、演技場所やスケジュールや予算の面でももう少し優遇してもらいたいものだ。各街区毎に演目が固定(10丁目の消防・9丁目の踊りなど)してしまってマンネリ化しているから街区の責任者が話し合って、平原まつり全体の演目を再構成する必要を感じる。

大道芸も7年続けたことで帯広市民にもかなり浸透してきたように感じる。特に今年は観客の反応にはっきりと手応えを感じた。来年に向けて更に充実した大道芸フェスティバルにしていこうと思う。


■2008-09-05-Friday ガダラの豚

中島らもの小説「ガダラの豚」が面白い。

以前にもこの小説の事はブログで触れたことがあるが、改めて紹介したいと思う。

中島らもは2004年7月に亡くなっている。この小説は1993年に出版された古いものだが、「奇術」というキーワードで古書を検索していて見つけたものだ。三巻からなる長編であるが長さを感じさせない面白さである。まだ読んでいない方には一読をお勧めする。

私はこの世の中には現代科学だけでは説明出来ない「何か」が存在すると思っている。しかし、テレビ番組などで面白可笑しく紹介されているスピリチュアルものには疑問を感じている。特に怪しげな占い師を見ていると気分が悪くなってくる。私が趣味にしているマジックには、どうとでも取れる様なあいまいな質問をして観客を巧みに誘導し、あたかも予言していたかのように見せる技法が存在するのだ。

この技法を占い師やスピリチュアルを商売にしている人間や果ては詐欺師等が活用しているのである。エンターテインメントであるマジックを犯罪に使われたのではマジシャンの一人としては気分が悪い。

例をあげると占い師が「貴方のお父さんは死んでいませんね?」と客に問いかけるのである。この質問は「死んでいない(生きている)」という意味と「死んで(この世に)居ない」という逆の意味の両方に取れるのである。当たると評判の占い師にはたいてい威厳がある(そう見える様に演出するのだが)。その威厳のある態度で前記の問い掛けをされたら、客は勝手に自分の境遇に当てはめてみて、当たっている方に取ってしまうのである。ところが威厳の無い占い師だとテレビのCMに出て来る様な、まるで当たらない占い師ということになるのだ。いずれの場合も客の心の持ちようひとつなのである。

客の気持ちを信じる方向に誘導するには、威厳を演出する舞台装置が必要だ。大げさな建物や派手な衣装などがこれに当たる。演者(占い師等)がカジュアルな服装で普通の家で同じ事をやったら、引っ掛かる人間の数がグンと減ってしまうのである。

よく「催眠術はバカにはかからない」とか「マジックは集中力の無い人に見破られ易い」と言うが、これも真実である。人間の本能は衆目の一致する方向を注視する傾向があり、それを巧みに逆のことをして不思議に見せるのがマジックなのである。つまり、例えばタネを持っている右手とは逆の左手方向に客の視線を集めるようにしているのである。集中力の無い人は皆が見ている左手には視線を移さずに、ボ〜ッとして右手を見ることがある。その時にタネが判ってしまうのである。

だから騙すには集中力のある頭が良い人の方が騙しやすいのである。しかも頭の良い人というのはプライドが高いから、自分が騙されたとは思いたくないのである。マジックなら腹を立てるだけだが、スピリチュアル的なものなら証明の仕様がないからドンドンのめりこんでいくのである。かのオウム真理教の信者にも大学を優秀な成績で卒業した知的エリートであるインテリ達が多かったではないか。自分は頭が良いと自負しているインテリというのは理解不能な不思議現象に出会うと、それを認めたくないという心理が働き、これは「科学の範疇を超えた存在なのだ」と自分に言い聞かせることで心の平静を保とうとする。

最初は半信半疑であっても、人間というのは一旦信じ込んでしまうと、今度はドンドンと深入りしてしまうものだ。信じた自分という存在を否定したくないからだ。こうなると厄介なことになるのである。もっとマジックの基本原理を社会に広める必要があるのかもしれない。


■2008-09-06-Saturday 自民党総裁選挙

総裁選挙に7人もが立候補を表明した。

ここで選ばれた自民党総裁がほぼ自動的に総理大臣になる訳だ。

民主党は代表選挙をやらないし、自民党は7人もの候補が連日テレビをはじめとするマスコミに出ずっぱりになるので、国民の関心が自民党に集まり易くなる。その余勢をかって自民党総裁選挙で選出された新しい総理大臣の下で臨時国会を召集しすぐに衆議院を解散して総選挙に入るという魂胆が見え見えだ。

小泉郵政選挙で大勝した衆議院をそのままに維持したまま総選挙を経ずして、自民党の総裁選挙によって誕生した安倍・福田の二代の総理大臣は、両者ともに1年程度で政権を無責任に投げ出してしまった。

今回やろうとしている自民党の総裁選挙も構図は前二回の安倍・福田の総裁選挙とまったく同じ構図である。いかに鈍い日本国民であっても三回連続では騙せまい。

結局のところいくらマスコミが騒いでも自民党総裁選挙は所詮自民党という内輪だけの盛り上がりでしかない。それをさも日本国中が自民党に関心があるかのように錯覚して総選挙に突入しても日本国民の多くは「民主党が良いとは思わないが、自民党に続けさせるのはNO!」という人が多いのではないかと思う。

恐らく今度の衆議院選挙では民主党が勝つだろう。そうなると政界再編が起きるであろう。

自民党の左派と民主党の右派がくっついて新しい政党が誕生するのではないだろうか。

さっさと政治の揉め事は終えて、新しい次元のバラマキではない経済対策を実施して欲しいものだ。そうでないとこのままでは日本は滅びてしまうぞ!。


■2008-09-07-Sunday 姪の結婚

姪の結婚式に出席した。

6日(土)東京の品川パシフィックホテルで姪の結婚式があった。84と81歳になる妻の両親が可愛い初孫の結婚式だから出席したいと言う。しかし二人とも少々足元不如意なので付き添い役が妻だけでは心配だから私も出席したのである。

姪の名は坂本○子というのだが、私との親戚関係ではなく、妻の姉の子供である。妻は女二人だけの姉妹であるが、その姉が偶然にも私と同じ「坂本」姓の家に嫁いだのである。しかも旦那の名前が「和○」といい、私の「和昭」とは一字違いなので知らない人は男の方が兄弟だと勘違いするのだ。

結婚式の親族紹介の席で、新婦の父である義兄の坂本和○が「新婦の叔父の坂本和昭夫婦です。私と同じ坂本ですが血縁関係はありません。二人しかいない姉妹が偶然にも同じ坂本姓の家に嫁いだので、私の妻と坂本和昭の妻が姉妹なのです。」と紹介すると新郎側の親族から驚きのどよめきが起こった。この紹介は何度されても自分でも面白いと思う。

チャペルでの結婚式というのは初めての経験であったが、日本の神前式とはまた違った明るい趣があってとても良かった。若い人たちには神前式よりも教会での方が現代のライフスタイルにも合っているのだろうと思う。

披露宴も北海道流の大人数のそれとは違い、70〜80名くらいのこじんまりとした会で温かみが感じられてとても良かった。

北海道の披露宴は会費制で200〜300名も呼ぶから、披露宴がさしずめ名刺交換の場になってしまう。だから会場が常にどよめいていて友人代表の挨拶などは聞き取れないくらいであるが、これくらいの人数だと皆、知り合いしかいないから雰囲気がとても温かい。東京の大学に通っている娘達二人もいとことして出席したが、二次会は若い人たちだけでホテルの上階でビンゴ大会などをして楽しんだようであるし、同じホテルに宿泊する出席者たちは近くの居酒屋で三次会までやったようだ。若いというのは羨ましいことだ。

じつに久し振りの結婚式への出席であったが、甥や姪や自分の子供たちもそろそろ結婚適齢期になるから、これからは結婚式がどんどん増えるのだろうなぁ。つまりそれだけ自分が年を取ったということなのだ。


■2008-09-08-Monday 東京は変?!

姪の結婚式に出席する為に上京した。

式の前日に東京に入り、結婚式がおこなわれるホテルに宿泊した。

式は午後からであるが、女性陣は着付けや美容室など準備に時間がかかるので午前中から忙しい。しかし準備が簡単な男性陣は午前中はすることがないのである。暇だしホテルにいても仕様がないので有楽町のビックカメラに出向いた。ここはかつての有楽町そごうデパートがビックカメラに代わった店である。店に入ると土曜日の午前中だというのに客の数が少ないように感じられた。今年3月初旬に来た時には黒山の人だかりであった大型テレビ売り場は人が閑散としているのである。北京オリンピックが終了して、大型テレビの需要が一段落してしまったのだろうか。

今年3月にここの3階にあるゴルフショップでドライバーを買ってからゴルフの調子が良くなった。ここのピン・ゴルフショップはカスターマー・フィッティング・サービスというものをやってくれる。このサービスは実際にクラブでボールを試打してコンピュータで計測し、自分の体形やスイングにピッタリと適合したクラブを選んでくれるのだ。このとき買ったドライバーが最近右に曲がるようになってきた。ドライバーを買った3月はまだゴルフシーズン前だったし、今年は回数も多くプレーしているのでヘッドスピードが上がってきているから合わなくなってきたドライバーを新しく買い換えようと思ったのである。

何本か試し打ちをしてみたがどうもシックリこない。おまけに店員が10月に新モデルが発売されるからと言うのでスッカリ購買意欲が萎えてしまい買うのを止めてしまった。私は午前中に適度な運動が出来たからスッキリはしたのだが・・・。

結婚式終了後に妻と二人で新宿に出向いた。新宿駅に着いた途端に雷が光り、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨に遭遇してしまった。キオスクで傘を買おうと思ったのだが既に閉店している。地下街を歩き回ってようやく傘を売っている店を見つけて購入し地上に出た。地下街の出口から目指す店までは100mほどの距離しかないが、傘を差しているのに、雨が地面から膝のあたりにまで跳ね返ってズボンの裾がビシャビシャになってしまった。

一時間半ほどでその店を出たのだが雨はすっかり止んでいた。土曜の夜の新宿歌舞伎町の雑踏をくぐり抜け、品川に戻って三次会に参加している娘達を迎えに行ったら、品川では雨は降らなかったというのである。昼間の蒸し暑さといい、夜のスコールの様な豪雨といい東京の天気は何か変だ!

日本では東京だけが景気が良いと言われているが、どうやらそうではなさそうな感じがするのである。人の数はやたらと多いが、一人ずつの単位ではお金を使う金額が少なくなっているようなのである。明日への希望が持てない社会では、刹那的にお金を使う人以外は皆、貯蓄にまわしてしまうのだろうか?それとも貯蓄にまわす余裕も無くなってしまっているのかもしれない。スタグフレーションが近いことを敏感に肌に感じているのかもしれないなぁ〜。


■2008-09-09-Tuesday 相撲協会

北の湖理事長がようやく辞任した。

遅すぎる辞任であった。本来ならば、力士暴行殴打死亡事件の時に責任を取って辞任するべき人であったはずだが、部屋のことは部屋にまかせてあるからという理由で時津風親方だけを解雇して自分は居座った。その後の朝青龍の一連の問題の時も所属部屋の親方だけに責任を取らせてトップである北の湖理事長は全く責任を取らなかった。今回の一連のロシア出身力士の大麻事件でも最初の大麻汚染力士が間垣部屋の若ノ鵬であった時は、若ノ鵬は間髪入れずに即刻解雇し、所属の間垣親方の辞任だけで済ませようとしたが、北の湖部屋の力士白露山から大麻の痕跡が出たのでは言い逃れる事はできまい。

恥の上塗りで、醜いことに、自分の弟子を信じている。何度でも検査をすればよいというセリフは弟子可愛さというよりも自分可愛さから出たセリフだろう。北の湖は他人に厳しく自分に甘い奴の典型のような男に見える。現役時代は強過ぎて人気がない力士だったが、親方になってもこれではリーダーは務まらない。相撲界という狭い世界の中で権力争いをしているからこういうことが起こるのだ。

先日、風呂屋の休憩所に置いてあった何年か前におこなわれた帯広巡業のパンフレットを見て驚いた。十両以上の力士の半数くらいが外国人なのだ。風習の違う国から来た人と日本で生まれ育った人との教育が皆一緒というところに無理があるのだろう。外国人には力士の学校に入れる前の予備校が必要かもしれない。

今回の理事長辞任を機会に相撲界は制度を一新すべきだろうと思う。ちょっと危なっかしい気もするが貴乃花親方にやらせてみるのも一手かも。


■2008-09-10-Wednesday おかしいぞ!

日本が何かおかしいぞ!

相変わらず食品の偽装が止まらないし、年金の改ざんは社会保険庁が共謀していたというではないか。一体この国はどこに向かって行くのだろうか?

根底にあるのは、安さばかりを求める国民にある。この国民の需要に合わせる為に、三笠フーズのような汚染米を食用として販売し利益を上げようとする会社が現れるのだ。こんな不正が発覚したら利益どころか会社の存続が即危うくなるということは、ミートホープや船場吉兆などの例を見て分かっているはずなのに・・・。

それでも、目の前の利益を不正行為で上げなければ会社の存続が出来ないほどに、収益性が落ちて追い込まれている証拠であろう。

物には適正な価格というものが存在するのだ。これは安さを追求しなければ売れない、買ってくれないという世の風潮が引き起こした事態である。

安さを追求する為には効率化だと、機械化をして人員を減らし、非正規雇用のパートやアルバイトを増やして人件費を削減する。確かに機械は文句も言わずにただ黙々と動く。しかし、リストラされた人員も購買者の一人である。購買者の収入が減ったり、無くなったりすれば景気は後退する。ニートなどの働かない(働けない)人が増え、生活保護や社会保障費が嵩めば結局は税金で賄わなければならないのだ。

運良く会社に残った人もこれまでの倍の仕事を押し付けられる。心身ともに疲れ果てて、結局は退社につながる。企業にとっては買手市場だから働き手は大勢いるということか。

いまや日本の各企業は景気を悪くする為に人員を減らしている様なもので、まさに負のスパイラルに突入してしまったかの様相である。働きたくても働くことの出来ない人が増え、景気が悪くなれば犯罪も増える。警察官がイカツイ顔で国民を皆犯罪者として見るような社会は不愉快な社会である。

企業は機械化や効率化よりも、むしろ、ワーキングシェアの方向に進むべきではないのか?一部の成功者が一生かかっても使い切れない金額のお金を所有して一体何になるというのだろう。

人間としての尊厳を重視する政策を取るしか方法がない。現在の資本主義では幸せな社会は作れないだろう。

昨日は変な夢をみた。政策にいきずまった韓国政府がウォンの通貨切り下げを突然発表する夢だ。これに乗じて世界中の経済的に困っている国々が一斉に通貨の単位を切り替えるのである。日本も円の単位を変えて国民からの借金を全てチャラにしてしまう「平成の徳政令」を実施するのである。何でこんな夢をみたのだろう?

私の深層で何か大きな変革を求めているからかもしれない。


■2008-09-11-Thursday 疑問?

日本は人口減少社会になっている。

少子化で生まれてくる子供の数が減り、人数の多い団塊の世代が大量に老人になる。この団塊の世代の人たちは昔の老人に比べれば心身共に若いが、それでもやがては年を取っていく。地球上の生物はいずれ死ぬというのは逃れられない事実なのである。

少ない若年層が、数の多い老年層を支えなければならない構図は今後数十年間は変わりようがないだろう。今の日本の政策(社会保障や年金など)は右肩上がりに人口が増え続けていた時代に作ったモデルであるから人口が減少する社会には対応できないことは誰が考えても分かることだ。この辺で根本から発想を切り替える必要があるのに小手先の対応でその場を凌ごうとするから、未来にドンドン問題を先送りしているに過ぎない。

先日のニュースで、老人の犯罪が増え、刑務所が満杯になっているという報道をしていた。老人ホームに入居するお金が無いから、生きる為に仕方なく犯罪を犯して刑務所に入れば、とりあえずの生活は出来るという老人が増えているというのだ。

なんということだろう。これまで日本を支えてくれてきた人たちの老後を、国が面倒見切れないというのだ。国家に金が無いというが、これまでの政治家や役人のデタラメな無駄遣いや、自分たちの保身の為の天下りをそのままに温存しておいて、税金を上げるなんていうことに同意できるはずがない。国民は政治家にも役人にも完全になめられている。

日本は今後、人口が減っていくのだから、皆で仕事を分け合い、皆が贅沢させしなければ、慎ましく暮らせるのではないだろうかと思うのだが、一旦覚えた贅沢から、清貧な暮らしに戻る事は難しいのだろうなぁ。

しかし、日本はこのままいけば、極少数の大金持ちと大多数の貧乏人の国になってしまうだろう。そうなると治安も悪化する。金持ちは犯罪に会わないように多額の費用を掛けて自己防衛しなければならなくなるだろう。そんなことにお金を使うくらいなら、国民が尊厳を持って慎ましく暮らせる方法を取った方がよっぽど快適で安心して暮らせるのではないか。

尊厳の源は「働く」ことだと思う。生活保護では尊厳は保てないからだ。企業のリストラという人件費の削減策は誤った政策であると思う。この風潮を変えることが早急の課題である。今度の選挙でそういう認識を持った人が総理大臣になってくれることを願いたい。


■2008-09-12-Friday 年なのかなぁ?

最近食べ物をのどに詰まらせることが増えた。

昨日もゴルフ場でざるそばをすすっていたら、急にむせてしまった。このまま咳き込んでしまっては食べている途中のそばが口から飛び出し、向かい側の席に坐って食事している同伴者の顔にかかってしまうからと手で口を覆い、下を向いてむせるのを何とか堪えようとしたのだが、結局我慢できずにむせ返ってしまった。口を無理に閉じてむせるのを我慢したものだから、その瞬間に鼻の中に、わさびをたっぷりと利かせたタレとそばとねぎが同時に入ってしまった。

わさびが直接鼻の中に入ったのでモーレツに痛くなり、激しく涙が出て来た。すぐにティッシュで鼻をかんで中に入ったものを出そうとしたのだが上手く出てこない。諦めて、食事を続けていたら、鼻の穴から一本のそばがピョコンと垂れ下がって出て来た。それを見た同席の人達がゲラゲラと大声を出して笑い出したのでとても恥ずかしい思いをしてしまったのである。

だが、まだ鼻の中に何かが残っているような違和感がある。鼻はまだムズムズするし、鼻の痛みも一向に良くならない。再度ティッシュで思い切り鼻をかんだら、今度は刻んだねぎが出てきた。痛いはずである。それでようやく鼻の痛みも治まった。

どうも最近は麺類をすする時にむせ返ることが多くなったように感じる。どうやら食道と気管の開け閉めが上手く出来なくなっているようである。私も年なのかなぁ〜。なんだか先が思いやられるようだ。


■2008-09-15-Monday 20世紀少年

最近、邦画が面白い!

三連休で自宅に戻って来た息子が「20世紀少年」という映画を見たいと言うので妻と三人で見に行ってきた。漫画が原作の映画で全三部作になる予定の第一作目だという。

事前にインターネットで評判を調べてみたら「原作を読んでいない人には内容が分かりにくいかも」という論評である。最初はあまり気乗りしなかったが息子が見たいと言うので、共通の話題を持つことも家族団欒には必要だなぁと思い直し、行く事にした。

館内に入場する前にフロントでパンフレットを眺めていたら第二作目の上映が来年1月31日だと書いてあった。きっとこの映画は話題になるとふんで、一作目の上映からあまり間を空けずに上映する為に「ロード・オブ・ザ・リング」のように一気に撮り終える手法を使うのだろう。監督が「トリック」の堤幸彦なのでひょっとすると面白いかもとチョットだけ期待して上映を待った。

映画が始まると案に相違してドンドン引き込まれていった。主人公たちの年代設定が私の年齢とピッタリ一致するのである。アポロ11号の月面着陸や大阪万博や秘密基地遊びなど私が小学生の時にワクワクしたものと劇中の主人公達がワクワクしたものとが完全に重なったのである。

きっと漫画原作者の浦沢直樹は私と同い年くらいの人間なのだろう。

オウム真理教と創価学会と幸福の科学を足したような新興宗教の教祖「ともだち」が世界征服を企てる。その教祖が主人公の小学校時代のかつての仲間かもしれないというのである。2時間30分の長い映画であったが全然長さを感じなかった。むしろこのまますぐにでも第2部、第3部を続けて観たいと思ったのである。例によって映画の内容はまだ観ていない人の為に詳しくは書かないが・・・。

新興宗教による世界征服なんていう荒唐無稽な原作(漫画)ではあるのだが、最近の私の周りの情勢をみていると何だか妙なリアリティが感じられたのだ。主人公の年齢が同年代ということで余計に感情移入が起きてしまったようなのである。

原作の漫画は始めの方をパラパラとしか見たことがない。しかも映画の第二部の上映は来年1月末だという、が、とてもそれまで待つ事ができなくなってしまった。どうしてもすぐに結末が知りたくなってしまったのである。

早速、翌日に古本屋を回って全24巻(20世紀少年1〜22巻・21世紀少年上・下)を大人買いしてきて一気に読み終えた。ところどころ「あれっ?」と思うような箇所もあるが、展開の仕方が推理小説を読んでいるかの様に面白かった。

この映画は一部ずつの上映ではあまり流行らないかもしれないが、第3部まで完成した時に一度に三部を通して上映した方が受けるかもしれないなぁと感じた。

怪しげな予言者が現れては社会の混迷を深めるのだ。自分というものをしっかりと持っていない人は怪しげな新興宗教に取り込まれてしまいやすい。取り込まれる人は、現実から目を逸らしてその場から逃避したいのだろう。

現実の社会はこの映画の原作のようにはなってほしくない。


■2008-09-16-Tuesday リーマン破綻

米国のリーマン・ブラザーズが破綻した。

負債額が6130億ドルというから日本円に換算すると64兆円になるという。ちょっとした国の国家予算にも匹敵するような金額であり、米国でも過去最大の倒産である。原因はサブ・プライム・ローンの影響だという。

米国政府が救済に消極的だったのは11月の大統領選挙に悪影響を与えることを恐れた為だという。だが、これをきっかけにして世界恐慌が起きたらどうするのだろう。米国の政治家も自分の政党のことばかり考えて大局が見えていないのだろうか。

プライムというのは「優良顧客向け」という意味だというが、それに「サブ」が付くと普通の感覚なら「次」という意味に感じるが、実態は信用度の低い「不良債権のごまかし」であった。本来ならとても融資などしないような低信用の借主に対して融資をジャブジャブ行った結果だ。

その仕掛けは、錬金術的な金融工学といわれている手法でわざと複雑化し、実態をつかみ難くした仕組みで証券化し、さもリスクが分散されたかのように見せかけ、デリバティブ(金融派生商品)に仕立て上げたものだ。これだけ巨額の倒産をさせてもまだ実態は完全に把握できていないというから、複雑化したごまかしの仕組みは罪作りである。

これだけ複雑化したら素人には到底理解できないだろう。と思っていたら、玄人でも理解出来ないのだという。「まぐれ(N.N.タレブ著)ダイヤモンド社」という本に書いてあったが、トレーダーも実は金融工学の仕組みを理解している者など誰もいない。儲けた奴はたまたままぐれが当たっただけだというのである。実際、デリバティブの基礎理論をつくり1997年にノーベル経済学賞を受賞した学者が参画した米国のヘッジファンドが1998年に破綻したことがあるのだから本当かもしれない。

複雑化すればするほど、人間の手では対処が難しくなる。仕組みが暴走してしまうからだ。

いつ破綻するかやっている本人達にも判らないから、役員たちは儲けた時には何億円という桁外れに多額のボーナスを獲得しておくのである。

なんだかとても刹那的なギャンブル経済のようである。ギャンブルだから占いや神頼みなったりジンクスに頼ったりする様になるのだ。売りか買いの二者択一なのだから仕組みなど理解していなくても適当に言っていれば儲かる事もあるし、損する事もある。ただその額が巨額過ぎるだけなのだ。

株の世界で100%当たる予言者を作り出す方法というのがあるそうだ。まず株に興味のありそうな人を全国から2万人抽出する。その2万人の半数の1万人には○日にある銘柄が上がると書き、もう半分の1万人には下がると書いた葉書を郵送するのである。当然、見ず知らずの人からそんな不審な葉書が届いてもそれを信じる人はいないだろう。次に上がるか下がるかは二者択一なのだから、外れた方は無視して、当たった方の1万人に対してだけ、またその半数の5000人に上がる、もう半数の5000人には下がるの葉書を出すのだ。これを繰り返していくのである。次は2500人、その次は1250人、その次は625人・・・これを10回繰り返すと全国には36人の10回連続で当てた人を作ることできるのである。外れた人はそんな葉書が来た事は気にも留めないだろう。これで半信半疑だった人から36人の熱狂的な信者をつくれるというのである。これに掛かる費用は200万円程度の葉書代とインク代と手間だけなのである。

保険会社のAIGも危険水域に達しているという。以前にも書いたが、我が家は保険会社に恵まれていないようだ。加入した保険会社が軒並み破綻している。もう死んだ時のことなんか考えるもんか!事前に準備していたって加入している保険会社が破綻したらパーである。何かますます世界情勢がおかしくなってきている。この先、世界は一体どうなってしまうのだろうか?


■2008-09-17-Wednesday 天候不順

9月も半分過ぎたというのにまだ半袖で暮らしている。

こんなことはこれまで経験したことがない。十勝は例年お盆が過ぎたら急に寒くなって秋になるはずなのに一体どうしたというのだろうか。これも地球温暖化のせいなのか?

ただでさえ景気が悪いのに、季節がズレてしまうとファッション関係のものが売れなくなってしまう。ちゃんと暑い時には暑く、寒い時には寒くなってくれないと困る人が大勢出てくるのだ。

季節感がズレるような天候不順の年は何だか不気味な感じがする。地球規模の災害でも起こらなければ良いのだが・・・。

先日のリーマン・ブラザーズの破綻の時にも感じた事だが、どうやら人間は社会を複雑化し過ぎたのかもしれない。作った張本人がコントロール出来ないような複雑な仕組みが暴走を始めたら止める手立てが見つからないではないか。

かつては家電製品でも自分で修理することが出来たが、最近の電子機器はあまりにも小さく、複雑で、人間の手では直しようがなくなっている。壊れたら捨てるだけだ。単純な構造で頑丈な方が良いものだって沢山あるはずである。効率化や便利さのみの追求には限度があると思う。そもそも人間を幸せにするという目的達成の為に始めた手段であるはずの効率化や便利さの追求が、その目的を逸脱して、効率化のみ、便利さのみを求めるようになってしまった。

人間を幸せにしない効率化や便利さというのは目的と手段との履き違えである。コンセプトからズレた手段は暴走するのである。コンセプトを守れるのは信念をしっかりと持った人間しかいないのである。

どこもかしこも、どの組織もそんなリーダーが不在なように見える。

天候と同じ様に不順な人間が増えてきたようである。


■2008-09-18-Thursday おくりびと

母が映画を観たいと言い出した。

珍しいことである。映画好きだった父とは良く映画館に通ったが、母と一緒に映画館に行った記憶は、小学生の時分に保護者同伴が義務であった「東映マンガまつり」に保護者としてついてきてもらっただけである。父はマンガ映画が嫌いであったからだ。

我が家で母と一緒に夕食を食べている時にテレビに映った「おくりびと」のCMを見て、「この映画を観たい」と言い出したのである。では2日遅ればせながらの敬老の日を祝おうということになって昨日(17日)は食事券をいただいたホテルでディナーをとってから映画館に行ったのだ。65歳以上の客は一人1000円で鑑賞できるし、私達夫婦は夫婦50歳割引というやつでこれまた一人1000円で鑑賞できる。3人で2時間を3000円で楽しめる映画はかなり安上がりな娯楽なのである。

「おくりびと」という映画は、お葬式の時に湯灌して納棺する人を描いた作品である。人間、年を取って死期が近づくと、自分はどんな葬送られ方をするのか見ておきたいと思うのかしらん。

日本人には古来から「死」に関係する職業に従事する人を差別する、いわゆる「穢れ」の思想がある。しかし、生命あるものはいつかは必ず死ぬのである。しかも人間は生きていく以上は食べなければ生きてはいけない。食べるということは「他のものの生命をいただく」ということである。それを動物の屠殺など死に関わる部分に携わる人を穢れといい、関わらない自分は穢れていないというのは誤った驕った思想であると以前から思ってきた。だから「十勝場所と環境ラボラトリー」では「食べるという行為は、自分が生きる為に、他の生命をいただくという行為なのだ。そのことを直視して生命を提供してくれたものたちに感謝する気持ちを子供たちに伝えたい。」と考え、「環境童話制作プロジェクト」で「イオマンテ」というアイヌの熊の霊送りという儀式を題材にした童話を作家の寮美千子さんと画家の小林敏也さんと協働で作成し2005年2月に出版したのである。

この映画で取り上げている「納棺士」という職業も、死に関わる職業であるので、周りの人たちからは白い目で見られるが、自分の仕事に誇りを持つことで周囲の人の意識が変わっていく様を描いている。

劇中で驚いたのは主人公が勤める納棺の仕事をする「NKエンタープライズ社」の余貴美子演じる女性事務員の出身地が「帯広」だというセリフであった。最初は一瞬聞き間違いかと思ったのだが、後半でもハッキリと帯広に子供を残して駆け落ちしてきたというセリフが出て来たのだ。映画終了後に三人で「なんで、帯広なんだ?」と不思議に思って笑ったのだった。この映画の関係者に帯広出身者でもいるのかしらん。

それにしても最近の邦画は面白い作品が増えてきたように思う。テレビで放映する「映画番組」はテレビ用にかなりカットされてしまうし、間にもCMが入ってしまう。CMの後には、CM前の部分をもう一度映したりしてせっかくの「流れ」という連続性が著しく削がれてしまう。もちろんテレビ画面は小さいから迫力も段違いだ。

映画館内の環境も座席も以前に較べて数段良くなった。映画とは映画館で観るものなのである。


■2008-09-22-Monday 青森

青森に行ってきた。

19日(金)の13:30から青森市駅前のアウガという再開発ビルの5階での講演を頼まれた。青森でまちづくりにまさに命を懸けている加藤博さんからの紹介である。

去年の3月に同じ青森県の三沢JC(青年会議所)からの依頼で講演をした時のことである。帰りの飛行機が三沢空港から飛ばなくなり、急遽、青森空港まで車で送ってもらったらあまりにも早く着き過ぎてしまったので暇つぶしに青森市内を見学しましょうということになった。駅前のパサージュ広場にさしかかった時にふと加藤さんのことを思い出し、「今、青森市に来ている」と電話してみたら、忙しい人なのに偶然にもパサージュ広場にある事務所に居られた。すぐに出て来られて30分ほど喫茶店で話し込んだのであった。その時に今度は青森に呼ぶから講演して欲しいと頼まれたのである。加藤さんも全国各地で講演されているが、帯広にも何度か来られている。「お互いの町で講演しあうのも何だか可笑しな話だねぇ」「やっぱりまちづくりにはよそ者(新鮮な考え方をする人の意)が必要なのかねぇ」と笑ったのだった。

青森市へのアクセスはいろいろと考えたのだが結局、新千歳空港から飛行機で青森空港に飛ぶのが良いだろうということになった。2004年の12月に青森県の十和田市に講演に行った時には前日に大雪で飛行機が欠航したので、担当事務局の方が「万全を期して列車で十和田市まで来てください」と言われて、始発列車で向かい、何度も乗り換えて10時間ほど掛けて着いたのだがさすがに体力的に辛かった記憶があったのだ。冬の東北への飛行機便は予定通りに飛ばない事がままあるのだ。だが今回は夏だからよっぽどのことがない限り大丈夫だろうと飛行機にした。

今回の講演は県庁の職員と商店街の方々を対象にしたものである。金曜日の昼という集まりにくい時間帯であったが大勢の方が聞きに来てくれた。

最近は90分の講演時間でも100%の内容を話すことができない。エピソードがあり過ぎて、どれを省略するかいつも悩んでしまう。聴衆の職業などで省略する箇所を替えるのであるが、講演に熱が入るとついついサービス精神が働いて余計な話をしては肝心のことを言い忘れたりするのである。

話している自分が90分では時間が足りないくらいの内容なので、恐らく聞いている方々にも退屈はさせていない講演だと自負している。

今回の聴衆の中に、「青森屋台村さんふり横丁」の人達が数人おられた。帯広の北の屋台をモデルにした全国各地に出来た屋台村の一つである。講演終了後に、その屋台村を訪れた。

私は講演の中で「北の屋台を真似した屋台村はどこもあまり上手くいっていない」といつも言っている。つまり上っ面の形だけ真似して、根本のコンセプトをなおざりにしているところが多いからだ。一度訪れただけでは断定出来ないが、ここもたぶんそれに近いのだろう。屋台の建物が立てっ放しなのである。立地にも問題がある。おそらく北の屋台を改悪して始めた近くの町の屋台村を参考にして作ったからだろうか、屋台村のコンセプトが全く感じられない。小さな飲食店の集合体が屋台ではないのだ。屋台ならではのコミュニケーションが希薄な飲食店の集まりだけでは「まちづくり」にはつながらない。オープンする前に本家本元を訪ねて勉強してから始めて欲しかった。

企画部分の初期投資をケチる事業は上手くいかないのである。自分で屋台の事を一から研究するわけではないのだから費用的にも時間的にも余裕は十分にあるはずである。その分、先達が研究したことをしっかりと聞けば良いのである。それを省略したり、誤った人に習うと、後から問題が生じるのだ。このさんふり横丁で聞いた話だが、2、3日前に近くの弘前市にも屋台村がオープンしたという。しかもビルの中に作ったのだという。何だか屋台村のコンセプトがドンドンと壊されていくような気がしてとても残念な気持ちだ。


■2008-09-23-Tuesday あきんど隊

青森市の加藤博さんが隊長を務めるあきんど隊

の早朝会議に出席してきた。あきんど隊は民間のまちづくりの組織である。

19日(金)の午前8:00〜10:30までの3時間半におよんだ月に一回開催される会議であった。

7:30頃からホテルの会議室に集まってまず朝食を済ませてから会議が始まるのである。似たような会議を、私たちのグループでもやっていたことがあったが、3時間半というのはかなりの長時間な会議である。いろいろな報告や議題があったが、情報の共有というのはまちづくりにおいては重要な課題である。忙しい人達が月に一度早朝に集まって会議をするというのはとても合理的なやり方なのである。

この会議でも議題に上がっていたが、「まちづくり」のグループにとっての共通の悩みは何といっても「専用の事務所と専従の事務局員」の確保である。NPO的な活動の中から場所代と人件費をひねり出すのは容易なことではない。ほとんどのNPOは、メンバーの誰かの犠牲によって事務局員を兼務している場合が多い。専用の事務所は当然ながら持てずにこれまたメンバーの誰かの会社に置かれている場合が多い。そうなると、会議の場所の確保も面倒であるし、会議の日程の連絡をするだけでも大変な作業になってしまうのである。良い事業を継続的にやっていく為には、事務所と事務局員は不可欠なのである。

私たちの組織である「十勝場所と環境ラボラトリー」はその点は恵まれていた。最初から事務所は私のビル内に置けたし、事務局員も専任を一人と、わが社から1名の事務局員を派遣していた。私も午前中に自分の会社の仕事を済ませて午後からはラボラトリーの事務所に入っていたから3人で切り盛りすることが出来たからだ。

後に「北の屋台」の事務所も併設して4人体制で運営できたことが大きかったと思う。私は、北の屋台が利益を出せるようになる開業から6年半後に、その利益を使って事務所を拡張し、もう一人事務局員を雇って、その人に他のまちづくり団体の事務局員をやってもらうことで、事務所に常にいろいろな人達が顔を出すシステムを作り、各種団体の合従連衡や、その中から人材を発掘して後継者を育てることを計画していたのだが、北の屋台を卒業した今はそれをやる資金が無い。

まちづくりによって得た利益は、まちづくりに還元しようという考えが否決されてしまったからだ。まちづくり活動が盛んな青森市でさえ、事務所と事務局員で苦労しているのだから、帯広でも北の屋台から出る利益を私の提案通りに使わせてくれたら、もっと面白い展開や社会実験が出来たことと思う。後継者の作れないまちづくり組織の寿命は概ね10年と言われている。今考えても残念なことである。


■2008-09-24-Wednesday パコと魔法の絵本

またまた妻と映画を観て来た。

昨日(23日)も邦画で「パコと魔法の絵本」という作品である。先週「20世紀少年」「おくりびと」と続けて観た時に、予告編で「パコと魔法の絵本」を紹介していたがあまり観たいとは感じなかった。私はこのての映画はあまり好みではないのである。しかし、妻が観たいというので付き合って行く事にした。妻も「夫婦50割引」のお陰ですっかり映画好きになってしまったようである。

監督の中島哲也は「下妻物語」や「嫌われ松子の一生」の監督である。両作品とも映画館では観ておらず、テレビで見たのであるが、「下妻物語」は冒頭の「ジャスコにはなんでも揃っている!」のセリフに笑った記憶がある。「嫌われ松子の一生」はCATVの日本映画専門チャンネルで見たのだが、CGを多用した独特の画面と、悲惨な話をユーモアでコーティングした手法が面白いなとは思っていた。

「パコと魔法の絵本」は同じ様にCGを多用した中島監督独特の画面で綺麗であった。ところどころホロッとさせる場面もあるし、笑わせてくれる場面もあるが、画面がゴチャゴチャし過ぎで、登場人物や場面もあまりにもウソクサイ。映画なのだからと言ってしまえばそれまでだが、私には遊び過ぎ(悪ふざけ)の感が否めない作品であった。


■2008-09-25-Thursday 麻生内閣誕生

麻生太郎が総理大臣に就任した。

4度目の挑戦で念願かなってようやく第92代の総理大臣の椅子に坐ったのだ。昨日、異例の総理大臣自らによる閣僚の発表があったが、事前に噂になっていたまんまの人事であったのでサプライズは全くなかった閣僚名簿の発表であった。テレビのニュース番組の扱いも、なんだか従前の組閣の扱いと較べると軽めだったように感じた。

日本の国家がおかれている状況も予断を許さない切迫した事態だが、自民党がおかれている状況も、次の解散総選挙で民主党に負けたら超短命内閣になってしまうというのに、大臣に選ばれた人たちは皆、嬉しそうにニコニコしている。やはり、大臣になるというのは政治家にとっては嬉しいことなのだろう。おめでたい人たちだ。

今回のサプライズがない中で、噂通りではあったが唯一、中川昭一が財務大臣と金融大臣を兼務するという人事が実行されたことは少々驚きであった。中川昭一はわが地元十勝の選出議員(北海道11区)であることも注目した理由だが、かつての大蔵省をわざわざ分離して作った財務省と金融省の大臣を同一人物が務めるということである。これは大蔵大臣としての職務を一人で担って欲しいということなのだろう。

現在の世界の金融情勢はサブプライム問題からのリーマン・ブラザーズの破綻などかつてないほど緊迫した情勢にある中で、果たしてこの考え方で良いのだろうか?

これだけ景気が悪くなっているところに今、選挙をやられたのでは、秋冬商戦は壊滅的打撃を受けるであろうことは想像に難くない。それだけでも国民生活と政治が遊離していることの証左であろう。

それにしても今度の内閣は、二世、三世議員のなんと多いことよ!安倍、福田と続いた世襲議員のメンタル面の弱さが今度の内閣には顕れないように頑張って欲しいものである。


■2008-09-26-Friday 便利は不便なのだ!

便利さは時には不便に変わるものである。

息子と11月初旬の連休に東京に行くことになった。マイレージが貯まっているので、これを使おうとコンピュータでJALのマイレージバンクを検索したら、上京する日の便はマイレージで購入できるチケットの残りが一人分という表示が出て、帰りの便も同様であった。三連休だから混んでいるのだろう。他の人に押さえられては大変とすぐに私の名前で往復で申し込み、一人分は取得することができた。息子の分は、いつも使っている旅行代理店に電話して、先得割引チケットで同じ便のチケットを購入することが出来た。

ホッとした途端に「シマッタ!マイレージで買う方の名前を息子にし、先得割引チケットの方の名前を私にすれば、更に私のマイレージが貯まるのに」ということに気が付いたのである。珍しく抜かった事をしてしまったものだ。

気が付いた時には旅行会社はすでに閉店しており留守番電話にしか繋がらない。仕方なくFAXを入れて明朝電話をすることにした。明日になっても昨日の今日だから簡単に両方の名前の入れ替え位できるだろうと思ったのである。

午前中に旅行代理店の女性社員から電話が入ったので、状況を説明した。更に「ただ単に先得チケットの分のマイレージが加算されないのがもったいないなぁということだけだから手数料が掛かるくらいなら変更しなくても良い。」とも伝えた。すると数分後に同社の男性社員から電話が入り「先得チケットの名前の変更はできます。」と言うので、「つい先ほど御社の女性から電話をもらったけど、社内的にダブっていないかい?」と聞いたら「いいえ、ダブっていません」と断言するので状況の説明はせずに「じゃぁ名前を入れ替えして下さい」とお願いした。

午後4時半過ぎになって再び旅行会社の男性社員から電話が入り「先得チケットの名前は息子さんから和昭さんに変更が出来ました。マイレージで取得した分はコンピュータでご自身で変更して下さい。」と言うので「同時に入れ替えしなくても大丈夫なのかなぁ?」と疑問に感じたのだが、そのまま自宅に戻ってからコンピュータで名前の変更を試みたのである。

だが上手く出来ないのだ。仕方なくJALの係員に電話したら「名前の変更は一旦キャンセルして再度申し込んで下さい。その場合キャンセル料として3000ポイントが減点されます。」と言うではないか。しかも「全国のコンピュータとつながっているから、席数が満席なので他の方が取得してしまう可能性もあります。」と言うのである。「どうしても、この日には上京したいのでこの便が取れなくなってしまっては困る。」と言い。更に、ことの経緯を細かく説明して「何とかして欲しい」と頼んだのだが、「コンピュータによる受付だからどうすることもできない」と言うのである。そうなると同じ便に坂本和昭という乗客が二人いることになってしまう。「親子だから、それでも良いか?」と訪ねると「それは出来ません。不正搭乗になってしまいます。どちらかのチケットの名前を息子さんに変更して下さい。」と言うのである。まったくもってコンピュータというのは融通が利かないものだ。昔の手作業なら簡単に横線を引いて訂正すれば済む事なのにである。

旅行会社も昨日と同じですでに閉店しているから、大至急、私の携帯電話にTELして欲しいとFAXを入れたら、すぐに電話が入った。

事の状況を説明したら、その男性社員は「既に先得チケットも発券してしまったので名前の変更にはキャンセル料がかかる。私は先得チケットの名前の変更が出来ないか?とFAXに書かれていたので変更しただけで、その事情は聞いていない。」と言うので、いささか頭に来たから「だから、最初に女性社員と社内的にダブっていないかい?と聞いただろう。手数料が掛かるくらいなら必要ないと言っておいたのに」と言ったのだが、あくまでも「私は聞いていない」というのである。「何とか対処してくれ」と怒気を含んだ声で言って電話を切った。

今朝方、くだんの男性社員から「無料で先得チケットの名前を息子さんに戻しました。社内の連絡が不十分でした。申し訳ありません。」との電話が入った。

ただ余計な作業をして、手数料が発生しそうになって、結局は最初の状態になっただけなのである。精神的にもくたびれただけだ。

思い込みというのは恐ろしいものだし、便利だと思っているコンピュータ社会というものも、時にはとてつもなく不便な代物になってしまうのだという貴重な(?)教訓であった。


■2008-09-27-Saturday 日本の政治

麻生新首相の支持率が出た。

新聞各社の調査で軒並み50%を下回っている低支持率である。福田内閣発足時よりも低いという。ご祝儀相場なのにこの程度の支持率なら、怖くて衆院解散が出来なくなるのではなかろうか?

やはり安倍、福田と1年ずつ二代続いた、無責任放り出し内閣の影響が大だろう。さすがに大人しい日本国民も1年程度で、しかも自分の我儘で政権を放り出したひ弱な世襲政治家の首相には嫌気が差したということかもしれない。麻生も世襲政治家だから表紙だけ替えても中身が変わらなければ同じ事の繰り返しだと判断したのではなかろうか。

麻生内閣が成立した途端に小泉元首相が引退声明を発表した。自分のやってきた改革(本当に改革かどうかは別として)を否定するような麻生内閣に対する小泉流の強烈な嫌がらせだろう。今回の自民党総裁選挙で自分が応援した小池百合子がまったく支持されず。影響力の低下が身に染みたのだろう。

しかし、なぜ小泉のような政治家に人気があったのだろうか?私にはいまだに理解できない。郵政民営化などという愚の骨頂のような政策であれだけ国民の支持を獲得したのだから、詐欺師的カリスマの素養があるのかもしれない。

私は郵政事業こそ国がやらなければならない事業の最たるものだと思うのである。後何年後かして、見捨てられた地域の人たちの怨嗟の声が出始める前に、さっさと辞めておこうとでもいうのだろう。彼のやった政策はどれもこれも好きになれない。

その小泉が後継者に次男を出すという。小泉のいう改革の正体見たりというところだ。所詮は改革、改革と言ったところで自分の家だけは、世襲の甘い蜜を吸って生きようとしているだけだ。次男が政治家に向いているというなら、自分の選挙区とは別の場所から立候補させるべきである。その方が小泉らしい(?)ではないか。

最近の政治家たちを見ていると、日本もいよいよおしまいかと感じてしまう。もう少し骨のある奴はいないのかねぇ。


■2008-09-28-Sunday 旭川フォレストカントリー

27日にJCのLOM対抗戦ゴルフ大会が開催された。

JCとは青年会議所のことで、LOMとは各地域のJCのある場所のことである。つまり、北海道の各地域の青年会議所によるゴルフの対抗戦で、今年が5回目、開催場所は旭川のフォレストカントリークラブである。帯広からは15名が参加した。

私は来年度の帯広青年会議所のゴルフの親睦会「じゃがいもクラブ」の会長を務めることになったので、今年も参加しておくほうが良かろうと思い参加することにしたので、この大会には初参加なのである。

前日の夕方に帯広を出発し21:30頃に旭川に到着した。旭川はものすごく寒くて気温は3度くらい、雨も降っていて11月並みの寒さである。石北峠を越えて来たメンバーは峠は雪が降っていたと言っていた。前日に旭川入りしたメンバー全員で市内の焼肉店で安着祝い(安全に到着した祝い)をおこなった。JCはなんだかんだと理由を見つけてはよく酒を飲む団体である。さんざん飲み食いして店を出たら40歳前の元気が良い現役メンバーはまだもう一軒飲みに行くという。私も現役の頃は良く飲み歩いた方だが、50歳を過ぎるとさすがに0時以降の酒は身体にキツイ。しかも明日は5時起きであるし疲れたので明日に備えてホテルに帰って寝ることにした。

旭川フォレストカントリークラブはなかなか面白いコースであった。私はあまり十勝以外の場所ではゴルフをしない方なので、このコースも初めてプレーするコースである。

この大会は地域のグロス(グロスは打ったスコアそのまま、ネットはハンディ分を引いたスコア)の上位4名の成績で決まるルールになっている。ハンディ上位者は貢献しなくてはならないのだ。

当日の気温は最高気温が12度で最低気温は3度、時々小雨がパラつき、風も時々吹くという天気であった。初めてプレーするコースで、しかも試合というのは緊張感があって面白い。普段の仲間内でプレーするのとは違った面白さだ。

この日の私は自分でもビックリするくらいにアイアンショットが切れていた。ビタビタとバーディ圏内にパーオンするのである。しかもバックスピンが掛かって戻るショットで。

しかし、初めてのコースはグリーンの芝目が判らない、最初は距離だけ合わせてパーを重ねて行った。インコースからのスタートで17番までは2オーバー、18番もナイスショットでバーディ圏内に2オンした。これを入れたらスコアは37、この時は欲をかいてバーディを狙いにいったパットが外れて3パットのボギーを叩いてしまいスコアは39であった。これがアウトコースに入ってからも尾をひいてしまった。1番も2メートルにパーオンした。先程の失敗を取り返そうとバーディを狙っていったらまたまた3パットのボギー。その後は、それの繰り返しで、ことごとくパットが決まらない。

普段なら、ティーショットが曲がってリカバリーショットとパットでスコアをまとめるゴルフなのに、この日の私のショットはプロゴルファー並みの正確なショットの連続であったのだ。やりなれない事はやはりダメである。後半は結局45も叩き通算では84になってしまった。

それでも、帯広の15名の中では一番良いグロススコアで、帯広は団体戦で3位になった。一応貢献はできたので大満足であった。

旭川フォレストカントリーは、カートが5人乗りで全自動走行、誰も運転しなくても勝手にボタンひとつでカート道を走って行き、所定の場所で停車する。カーナビが付いていてグリーンまでの距離がテレビ画面に表示される仕組みになっているのでキャディさんも仕事が楽になるわけだ。コースも池と池の間に落とさなければならないコースが2箇所もあって戦略が必要なコースであった。温かい日にもう一度プレーしてみたいコースである。

最後に表彰式で来年の開催地が帯広になってしまった。帯広はどこのコースで開催したら面白いだろうか?皆に満足してもらえる運営をしたいものだ。


■2008-09-29-Monday アイアンマン

またまた映画を観に行った。

今度は洋画の「アイアンマン」である。妻はこの種の映画があまり好きではないと思っていたのに妻が観たいという、私に依存があるはずはない。妻はすっかり映画ファンになったようである。

日曜夜の19:10のスタートで会場が一番大きな一番シアターなのに観客数が10名ほどしかいない。こんなに少ない入りでは映画館の存続が危うくなってしまう、もしそうなったら、せっかく見つけた夫婦二人の娯楽も無くなってしまうではないか。皆もっと映画を観ようよ!

「アイアンマン」はアメリカンコミックの原作を映画にしたものだ。最近のCG技術なら作れない映画などないのだろうが、なんとなく安易に感じる。しかも、エンドロール後に出てきた予告編的な場面を見ると、どうやらシリーズ化するようである。スパイダーマン的な線で二匹目のドジョウを狙っているのかもしれない。アメリカのドンパチだらけの映画よりも邦画の方が面白く感じるのは年を取ったからだろうか?

アイアンマンの心理描写で、私には良く理解できなかった場面があって、妻と鑑賞後に話し合うことで、ようやく理解することが出来た場面があった。

その場面とは、父親の代から一緒に会社を運営していた男が裏切って社長を殺させようとする場面である。なぜ、この時点で優秀な社長を殺さなければならないのだろうか?まだ会社を発展させる為には社長の天才的な才能を活かせば良いのに・・・と考えたのである。

妻曰くは、「とことん悪い奴なんていうのは会社の発展なんか考えないものよ。自分の保身しか頭の中にないから、会社にとっての利益より、自分の保身の方が大事なの。自分の保身が何よりもの優先課題なんだから、その会社にとって社長を失うという損失よりも、自分が会社を作る才能が無いから、ある程度のところで乗っ取るチャンスだけを考えるものなのよ。」と言うので、私もようやく納得することが出来た。夫婦二人で映画を観るメリットはこんなところにもあるのだなぁ。


■2008-09-30-Tuesday 所信表明演説

昨日、麻生首相の所信表明演説があった。

全部を聞いたわけではないが、従前の首相のものとは違って、民主党に質問する形が多かった異例の所信表明演説であった。

異例ではあるらしいが、面白かった。来るべき選挙対策として、国民に野党の非協力さを印象付ける作戦だろう。何でも反対の野党に対する強烈な先制パンチである。

ただ内容で気になったのは、補正予算の件である。補正予算とは本来、地震や災害などの不測の事態に対応する為のものであろう。小泉以前の首相の下では選挙対策用のバラマキに使われていたように聞いている。それを小泉首相が変えてから本来の補正予算の形になったという。小泉首相の少ない功績の一つだと評価している。それをまたまたバラマクというのだろうか?

もはや、公共工事でバラマイて土建屋を一時的に救済しても経済は元には戻らない。いい加減に日本の経済体質を変える政策をやってほしいものだ。

米国のサブプライム問題から発生した金融危機は、アメリカの経済が、アメリカ国内でバンバンお金を使って経常赤字を増やしていることにある。アメリカは世界中から金を集めなければやっていけない体質になっているからサブプライムローンのような極めてリスクの高い金融商品を次から次へと発明(?)しなければならないのだ。

アメリカの貿易相手国には黒字が発生するから、増えたお金をどこかに投資しなければならない。そこで景気の良い(見せかけ)アメリカに投資をしているというお金が回る構図なのだが、今度のサブプライム問題でアメリカ経済には投資ができなくなれば、また石油や穀物などの相場にこのお金が回ることになるだろう。

そうなると世界中の資源価格はさらに上昇することになるから、日本の企業もコストがアップしてしまう。輸入資源のコストアップを吸収するには円高にするしかないのだろうが、トヨタなど海外での販売に力を入れている輸出主体の企業は、円高になったら企業収益が下がってしまうから、円安の政策を取らせるように自民党に働きかけるに違いないと思う。

日本国民は結局は大企業優先の政策で貧困を免れまい。

これから未曾有の世界大恐慌がやってくるかもしれないというのに、政治家はのんきに政争を繰り返しているし、出して来る政策はバラマキだけだ。

もういいかげんにしろと言いたい。