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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2009-06-01-Monday いろいろな事

先週はいろいろな事があった週だ。

まずは、30日のブログに札幌発20:50位の列車が欲しいと書いたら、札幌発20:58−帯広着23:44の「とかち9号」があるとのご指摘を頂いた。確かにありました。私の勘違いですが、言い訳すると、「とかち」ではなく「おおぞら」のつもりで書いたのですが・・・。

さて、先週は映画を2本観た。「天使と悪魔」と「ドロップ」の2本である。天使と悪魔は29日のレイトショーであったが、知り合いのご夫婦3組と偶然一緒になった。夫婦で映画鑑賞する人達が増えているのは喜ばしいことである。それでも観客の数は20名足らずである。2時間を一人1000円(夫婦50歳割引料金)で楽しめる娯楽は少ないのだから、もっと大勢の夫婦に映画を観て貰いたいものだと思っていたら、31日の昼にドロップを観に行ったら、映画館に人が大勢いた。毎週の様に通っているが、こんなことは初めてである。どうやら「ROOKIES」の封切り日と雨が重なった結果らしいが、まだこんなに大勢が観に来て満員になる映画があるとは驚いた!

例によって、映画の内容は書かないが、どちらの映画も1000円ならまだ許せるかという感じである。映画だから仕方がないが、天使と悪魔は展開が速すぎて原作のような謎解きの緊迫感が伝わってこなかった。

ドロップの方は、私はこういう意味のない暴力的な映画(特に邦画)は大嫌いなのだが、何故だか妻が観たがったので仕方なくお付き合いしたのである。配役には無理があり過ぎて、どこからどうみても中学生には見えないし、主要なストーリーには全く共感出来ないが、ストーリーとは無関係の末節部分には笑える箇所がいくつかあった程度の映画であった。

この天使と悪魔を観に行く時には歩いて行ったのだが、駅の南北で某新興宗教が新たに創設した政治団体のビラを熱心に配っている中年のおばさんがいた。駅北口では、演説をしている人が居たが、何やらオウム真理教の選挙を思い出して嫌な気分になった。確かこの日の読売新聞に一面を使って、この新しい政党の広告を出していたと思うが、金だけはフンダンにあるようだ。信者から集めた浄財だから税金は掛からないし、選挙運動も信者の無料奉仕だから金が掛からないということなのか?

あれ〜確か日本の憲法は「政教分離」を謳っていなかったっけ?

こんなに堂々と宗教団体が政党を作っちゃって良いのだろうかねぇ〜。まぁ、創価学会と公明党という前例があるから、今更どうしようもないということなんだろうけどね〜。何だか釈然としないなぁ〜。

土曜の夜に、義父が隣町の芽室町(車で30分)にある川北温泉に送って欲しいと言う。18時から総会があるので出席したいというのである。送っていって、1時間半ほどしてから又迎えに行くよりも、総会の開催されている時間の待っている間に温泉に入っていれば良いと思ってお風呂の準備をして出掛けた。1年ぶりの川北温泉である。温泉の隣に美味い蕎麦屋があるのでそこで夕食を取ろうと思ったら3時で終了したという。結局、義父を自宅に送り届けた後にコンビニに寄っておにぎりやおでんとお酒を買って帰り、精進落としと称してしたたかに飲んだ。

翌、日曜日は遅くまで寝ていたら、玄関のチャイムの音で起こされた。宅配便の人だったが、まだパジャマ姿だったので玄関に置いておいてもらった。届いたのは太いグリーンとホワイトの2種類のアスパラガスであった。北の屋台の「農屋(みのりや)」の4人のオーナーの一人からのプレゼントだ。雨だったから自宅に居ると思い、さっそくにお礼の電話をした。北の屋台を辞めて2年以上にもなるというのに未だにこうして農作物を送ってくれる。ありがたいことである。


■2009-06-02-Tuesday 補正予算

29日に補正予算が成立した。

過去最高額の約14兆円という巨額なものだ。だが、中身は「バラマキ」以外のなにものでもない。同じ金額を使うなら派手なバラマキよりも、将来に有効な政策に先手を打つ様な予算の使い方をしてもらいたいものだ。ただの無駄使いに終わって、益々若い世代にツケを回しただけではないのだろうか?

麻生総理は、厚生労働省の分割案などを唐突に出しては、いきなり引っ込めてしまう、まるで思い付きで政策をするお坊ちゃまの様にお見受けするが・・・。

テレビで「新型インフルエンザ」への対応の政府広報で、麻生首相が香具師のおっさんみたいなダミ声で「冷静な判断を願います」みたいなことを言っているが、一番浮き足立っていたのが内閣なのではないのか?

あの水際対策とやらに、一体いくらの金を使ったのか?

国会の開期を55日間延長するというが、これも一体いくらの経費が掛かるのか?もういい加減に無駄使いはやめて欲しいものである。

もうどうせ民主党に政権を取られるのは必至だからと踏んで、国の金を全て使い切ってしまうつもりなのではあるまいか?使い切るのならまだしも巨額の借金を背負わせるつもりなのでは・・・。

官僚達もこれ幸いと、バカな自民党を騙くらかして、自分たちの天下り先にお金をジャブジャブ回すような予算配分にしている。

日本の国会には討論することも出来ずに汚い野次を飛ばすことしかできない議員に、世間知らずの二世のお坊ちゃま議員に、政治の才能とは無縁なことで顔と名前が売れているタレント議員しかいないではないか!

この国は一体どうなってしまうのか!

景気は「気」だ!今日よりも明日が良いと思えばお金も使うが、明日がどうなるか判らなければ使いたくても使えない。

今年の大学4年生は就職先も少ないだろうし、就職した人間もいつ会社が倒産するか判らないような状況だ。このまま歳を取ったって、年金もまともにもらえるか不安だろう。明日への希望が持てない社会は悲惨である。だから、就職に失敗したのは教授のせいだと人殺しをしたり、見ず知らずの人間を巻き添えにして線路に飛び降りたりするのだ。

もう少しまともな政治家が現れないものだろうか。


■2009-06-03-Wednesday 聖職者は

生殖者の間違いではないか?

教師の卵である京都教育大学の学生6人が集団準強姦容疑で逮捕された。

今年の2月25日に居酒屋で開かれた合同コンパで酒を飲み、19歳の泥酔した女子学生を居酒屋の別室に連れ込んで集団で強姦した容疑らしい。

いくら酔っていても、他人の目の前で性行為ができるというのは変態の部類に属する人間であろう。しかも6人がかりで1人の未成年の女性に強姦するとは卑劣な行為である。

こういう輩が教師志望ということは、趣味と実益を兼ねた職業選択なのだろう?

大学側の対応も酷いものだ。クサナギ某と同じ「公然わいせつ」の罪だというのである。つまり人前で恥ずかしい行為をした罪だというのだ。どうみても「強制わいせつ罪」か「婦女暴行罪」だろうが。

さらに会見では「教育的配慮」という言葉をやたらと連発していたが、こういう人間を世間にさえバレなければ、不問に付して教師として世に送り出すということが「教育的配慮」だというのか?

だとすれば、こんなオオカミのような犯罪者を、女子高生のヒツジ(中にはヒツジの皮を被っている女子高生も混じっているが)の中に放つ様なものではないか?犯罪を誘発する行為にも等しい、あぁ恐ろしい。

この大学側の対応の仕方は、大学さえ何事もなく(なかったように)卒業してくれれば、後のことは知ったことではない、ということなのか?

何という無責任な教授たちだろう。こんなムチャクチャな考えの教授連中に教育されているのだから、バカな学生が事件を起こすのは当たり前押して知るべしである。

自制心の無い人間が聖職に付くべきではない。

アッ、そうか、もはや教師は聖職ではなかったか!


■2009-06-04-Thursday 変な決着

5月26日のブログに書いた

帯広市役所とソフトバンクテレコムと創価学会の3者で協議中だった埋設ケーブルの移転費用問題が、案の定、創価学会側が費用負担することで決着したようだ。

恐らく、一般市民の方も、税金(市の公費)負担が無くて良かったぐらいに思うのだろうが、これは大間違いであると思う。この解決方に至るには、たぶん市役所の役人は創価学会に頭を下げただろう。下げただけなら良いのだが・・・。

一見良いように見えるが、帯広市役所は公費負担以上の「借り」を新興宗教団体に負ったことになるだろう。

通常の取引なら、売主側に瑕疵担保責任が生じる筈だし、通常の取引なら買主側が泣き寝入りするような事態ではない筈だからだ。

役人の責任を、新興宗教団体が肩代わりしてやるようなものである。保障を免れた担当役人はホッとしていることだろうが、そのツケは将来に亘って帯広市民全体が持つことになるだろう。きっと公費負担よりも将来、問題になるかもしれない。

この大きな「借り」で禍根を残すようなことにならなければ良いのだが・・・。


■2009-06-05-Friday 報道とブログ

私のブログの内容にご心配をして下さる方がいる。

ご愛読下さるのはありがたいが、ご心配には及びませんのでご安心を。

私は、新聞や週刊誌などの公器(?)と私的なブログの役割は異なると思っているし、最近の報道姿勢には疑問を持ってもいる。

私は、他人を個人的に誹謗中傷するような文章を書くつもりは全くないし、そんなことはしていないと(自分では)思う。

そもそも、私のブログは読みたい人だけがアクセスして読めばよいのであって、読みたくない人はアクセスしなければ事は終わると思っているのだ。

新聞や週刊誌は、政治から芸能界からスポーツから、色々な分野に及んで書いてあるから、読みたくないものまで、偶然に目に入ってしまうという心配はあるだろうが・・・。

日本もアメリカの様に訴訟社会になってきて、やたらと何でもカンでも訴訟するという風潮になってきたように感じる。

だから書き手は訴訟を恐れていて、今回の新型インフルエンザの報道にしても、そうだが、書く方は「あまり大した事ないな!」と思っても「もし、悪性に変異して死亡する人が増えたら、後から何を言われるか判らないから、無難に、危険だ!危険だ!と言っておけば責任論も起こらずに良いだろう」程度の判断で自粛報道したのではないかと思われるような気がするのだ。しかも全ての報道機関が右倣えして。

これは、ある意味もっとも危険な事だと思うのである。

売る為にスキャンダラスな事や私生活を暴く事を書くのは卑劣な行為だと、私も思う。

しかし、自分の考えをハッキリ述べられない社会は危険である。まともな少数意見が抹殺されてはいけないと思う。

政治の世界も世論調査という目に見えない圧力に左右されている。この世論というのは、メディアが巧みに誘導している様に感じられるのだ。冷静になって考えればアレッと思うオカシナ事でも、時の勢いで変な方向に引っ張られているのではないかと思うのである。

為政者は大衆に迎合する必要は無い。大衆の心情や考えを理解してさえいれば良いのである。(6月3日11:00記)


■2009-06-06-Saturday 冤罪

足利事件の菅家さんが釈放された。

1990年に栃木県足利市で起きた4歳の女児が誘拐・殺害された足利事件で無期懲役刑が確定した菅家利和受刑者が約17年振りに釈放された。

当時のまだ不十分であったDNA鑑定の結果を重視した不当な判決であったという。警察や検察のムチャクチャな捜査方法や裁判の問題点などがこれから明らかにされていくだろうと思う。早く改善して欲しいものだ。

本来、裁判の大原則は「絶対に冤罪を出さない」ということだと以前にも書いた。99人の真犯人を取り逃がすよりも、1人の冤罪者を生まないことが重要なのだ。しかし、これだけの冤罪がいまだにあることを考えると、どうも実際は違うようである。

裁判に掛けられたら97%が有罪になるというのは明らかにオカシイ。裁判は被告人に対しては「推定無罪」の姿勢で臨まなければならない。

冤罪の大問題は、日本の狭い国土と狭量な国民性にある。家族若しくは親族から犯罪者や被疑者を出したら、それこそ被疑者以外の関係者全員にも被害が及んでしまうということだ。

ふだんは個人主義を唱えているくせに、こんな時には全体主義になるご都合主義だ。

今回の冤罪事件も(まだ再審が決まっただけで、無罪が確定したわけではないが)菅家さんの約17年間の人生は取り返しが利かないことは勿論だが、家族、親族の人達も大変な苦労をされたことだろう。就職が出来なかったり、嫌がらせを受けたり、引越しを余儀なくされたりなどのこともあったことだろうと思う。金銭で解決出来る問題ではない。

だからこそ、冤罪は決して起こしてはいけないのだ。

しかも、逆の観点からみれば、真犯人に取っては最高の逃走援助を警察や検察がしてくれたことになる。

菅家さんが犯人として刑務所に入っていれば、この間警察は犯人探しなどはやっていないだろうから楽々逃亡できたことになる。結局、この間に時効の15年が過ぎてしまっているから、例え真犯人が現れても罪には問えないのだ。警察は二重の意味でマズイ対応をしたことになる。

それにしても、すでに始まった裁判員制度で冤罪事件が減るのだろうか?もしも、冤罪事件の裁判員としてその裁判に関わってしまったとしたら、その裁判員になった人は一生悔いることになるだろう。私は裁判員には絶対になりたくない。(5日11:00記)


■2009-06-07-Sunday マジックコミュニケーション

大学の先輩からメールが入った。

5月の連休明けに東京新宿で大学のマジッククラブの同窓会が開催され、それに出席して来た。

その後に「クラブのメンバーがYAHOOの掲示板上でメールの交換をしているのに、何故、君は参加しないのだ?」とのこと。単に入り方が判らなかったので見ていなかっただけなのである。入り方を教えてもらいようやく先日から参加することが出来た次第である。

そんなやりとりをしながら、ふとマジックの事を考えてみた。

今回の同窓会の前日に東京入りした私は、かつてのマジックの師の故ジミー忍師の未亡人のマコさんを呼び出し、一緒に六本木でマジックシアターとマジックバーをはしごして楽しんだのである。

その時に若手のマジシャンの演技を見て、最近の若手は上手いなぁ〜と感心したのであるが、何故だか心のどこかに引っ掛かっているものがあったのだ。技術的には上手いのだが、何かが足りないのである。

私がプロマジシャンを目指していた1970年代後半にはビデオデッキはまだ普及していなかったから、マジックを教えるビデオソフトなんてものも当然無かった。

新しいマジックの知識は本で覚えるしか方法がなかったのだが、1人で本で覚えるのはかなり難しいことだったのである。なにせ、ビデオなら「こうやって持つのです」の一言で、ものの3秒で済んでしまうカード(トランプ)の持ち方を説明するのに、解説書では3ページも費やすぐらいなのだから・・・。

床に足を前に投げ出して座り、壁に鏡を立て掛けて、本のページを足で押さえながら、絵をみて、文字を読んで、手を鏡に写しながらマジックを勉強したものである。それか、師匠に付いて習うしか無かったのだ。

私は毎日の様にジミー師の家に通っていた。師が手を取って教えてくれる訳ではない。師が練習している姿を見ているか、ビデオを見せてもらうかだけなのだ。が、師はたまに気が向いたらマジックを演じて見せてくれる。それを見て覚えるのである。でも何故だかとても居心地が良かったのだ。そこにはコミュニケーションというものが存在していた。相手の考え方や性格が判って初めて教えられるものがある。

現在のマジックのDVDが氾濫(東急ハンズなどで販売している)している今の世の中なら全くの素人でもすごい技術を身に付けられるかもしれない。しかし、そこにはコミュニケーションというものが介在していないから一方通行の独り善がりのマジックに陥りがちだと感じるのだ。

DVDから一方的に得る知識は、私が師から教えてもらった技よりも遥かに高度な技であるが、コツというものを直に習っていない人にはその一番重要なものが伝わらない。

いわゆる芸事の伝承に一番大切なのは、人から人へと伝えられていくコツにあると思うのである。

DVDでマジックを習得した人たちは確かに上手いが、でもどこかが下手なのだ。それが直にしか伝えられない部分だと思うのである。

インターネット全盛で、益々、知識は得やすくなっているが、何かとても重要なものを置き去りにしているように感じる。

便利なだけでは伝わらないものがあることを理解するべきだろう。

これからは人と人とのコミュニケーションこそが大切な世の中になっていくと思っている。

インターネットは便利だが何かが足りない様に思う。(5日19:30記)


■2009-06-08-Monday 顧客戦略

見るとはなしにテレビをつけていたら・・・

土曜日の午前中にテレビをつけていたら、情報番組で銀座にフランスの宝石店「モーブッサン・ジャパン」がオープンして、開店記念に先着5000人に無料でダイヤモンドを配ったというのが流れていた。

フランス人の社長が流暢な日本語でインタビューに答えていたが、ハッキリ言ってこの社長はマーケットリサーチをまともにやっていないなぁと思った。

並んでいる日本人から怒声のクレームの嵐なのである。曰く「サッサと配れ!」と言っているのだ。

店側にしてみれば、1粒5000円相当のダイヤを無料で配るのであるから、街頭でポケットティッシュを配る様な訳にパッパッとはいかないだろう。無料で配ったダイヤをこの店で指輪やペンダントなどに加工(勿論有料)してもらいたいから、1個ずつ配りながら、客に加工の説明をするのに3〜5分程度は掛かるのである、だから一人一人に時間が掛かるので並んだ客は列が進まないからイライラしたのだろう。

並んだ若い女性客の暴言をテレビで放送していたが、ハッキリ言ってここに並んだ只でダイヤを貰った客は、貰っただけで加工等はしないだろうと思う。

それにも増して、高級な宝石を買おうという上客は、この店には買いに行かないだろうなぁと感じた。つまり、このオープン戦略でイメージを悪くし過ぎたのだ。この店は初日から、高級品を買う上客をも失ってしまったのではないだろうか?

これは、おおいなる戦略のミスである。

おそらく、5000円相当のダイヤモンドを無料で配れば話題になってテレビ局が取り上げてくれるとでも思ったのだろうが、逆に話題になったが為に完全に裏目に出ることになるだろう。

この戦略を考えたスタッフはそもそも日本人をバカにしているのではないだろうか?

只でダイヤを貰う為に恥ずかしさも感じずに並ぶ客層と、銀座で高級宝石を買う客層とを全部ゴッチャにしてしまっている。この超おバカな戦略でオープン初日にして両方の客層を同時に失ってしまったことだろう。

この店は早々に撤退するだろうなぁ〜。何ともアホらしいマーケット調査と戦略である。(6日10:50記)


■2009-06-09-Tuesday 運動会

8日に予定されていた学校の運動会が雨で流れてしまった。

いろいろな意味で可哀想なことである。

子供たち当人は勿論のことだが、親や爺さん婆さんたちも予定がたたなくて大変であったようだ。

結局、月曜日に延期した学校と、グランドの水はけの悪いところは火曜日に延ばしたということだ。 

私が子供の頃(昭和40年代)の運動会も6月に行われていたが、あの頃の北海道は6月といえば晴れの日が多かったように思う。北海道には本州の様に梅雨なんてものが無いから6月は快適な季節だった。過去形で書いたのはここ10年位は気候変動の為か、6月の北海道にもエゾ梅雨といわれる雨が続く日が増えたのだから、いっそのこと秋に開催した方が良いと思うのだが・・・。

小学校に入りたての一年生が6月に運動会というのは難しいものがあるとも思うのだが・・・。

楽しみの一つでもあるお弁当だって、最近のお母さんたちは、弁当屋や仕出屋で購入して自分で作らないそうである。そうなると雨で延期というのは親泣かせでもあり、業者泣かせでもある。

私の子供の頃の運動会といえばバナナ!

バナナが食べられる運動会は子供にとって一年に一度の贅沢な日でもあった。最近の子供たちならそんな一年に一度しか食べられないなんてぇものがなくなったから運動会の感動も薄れているかもしれないなぁ。

子供の時分の寿司やバナナという贅沢品を食べられる特別な日、いわゆるハレの日が無くなったのは日々の生活に感動が無くなったということに等しい。一年中ハレの日ばかりでケの日がないということは、ある意味つまらない生活、メリハリのない生活とも言えるだろう。


■2009-06-10-Wednesday 歳?

9日はゴルフであった。

「飲んべおやじの会」というゴルフと酒が好きなJC関係者の会である。気温は久し振りの25℃超の夏日で、久し振りに太陽を見たように思う。

アイアンクラブを買い替えてから2度目の本番で、まだ飛距離の把握が出来ておらずに苦労したラウンドであった。以前のものよりも1番手半飛距離が増している。これが1番手とか2番手違うのだと判りやすいのだがこの中途半端な「半」というのが曲者なのだ。だから毎回クラブ選択時に悩みながらのラウンドであったがスコアは43・41だったからまぁまぁというところかな。

プレーを終えて、19:00から懇親会が市内のスナックで開催された。酒好きが多いからゴルフには参加出来なくても、夜の飲み会には参加するというメンバーもいるのだ。

先月の検診でビールを止められているから、芋焼酎の水割りだけを飲んだ。本当はゴルフの後のビールは最高に美味いのだが・・・。でも痛風になってゴルフが出来なくなるのはもっと困る。

私は久し振りの夜の街だったので0時過ぎまで得意の手品を披露しながらカラオケを歌いまくって飲んで騒いだ。

しかし、最近、急激に歳を感じるようになってしまった。0時を過ぎると途端に眠たくなってしまうのだ。

朝起きると喉が枯れているし、お酒が残っている感じだ。なかなか若い頃の様にはいかないものである。


■2009-06-11-Thursday 数字のマジック

麻生首相がまた思い付きで、

可笑しなことを言い出したようである。

10日に首相官邸で記者会見して、2020年までの温室効果ガス削減の中期目標を「2005年比15%減」とすると発表したのである。

これは、アメリカの目標の「05年比14%減」やヨーロッパ連合の「05年比13%減(相当)」を上回る数字だと胸を張って言っているのである。

麻生首相という人は官僚のロボットか単なるスピーカーだなぁと思われる。それほどこの数字の検討を首相自身がしたようにはみえないからだ。これは完全に数字のマジックなのである。麻生首相は官僚にバカにされているのではないか?

97年に京都で開催された「京都会議」で「京都議定書」というものが採択された。その時の基準年は1990年である。日本は「90年比8%減」という削減目標であった。同じ90年比ではドイツは40%減、イギリスが34%減、フランスが20%減を目標にしていたから、一見すると数字の上では日本の削減%が少ないように感じてしまうだろう。しかし、この時すでに省エネに取り組んでいた日本と、まだ取り組んでいなかったヨーロッパ各国とでは、そもそもスタート地点が異なるから削減比率だけで較べるのは日本に取って不利な条約なのだ。

このことは京都会議の時から言われていたことだが、開催ホスト国という遠慮(?)もあったのか、それとも外交能力が欠如していたのかは判らないが、この数字で決着したのである。しかし、アメリカはこの条約を批准しなかったから効果の程が疑われたものであった。

しかも、日本は1990〜2005年の間に排出量は逆に7.8%も増えてしまったのである。

だから、基準年を90年から05年に替えるのは手品ばりのトリックで、数字の上では8%削減から15%削減へと倍増させたように感じさせる偽りにすぎない。

私は、この温室効果ガス削減にはとてもウサン臭いものを感じている。その第一は排出権の売買である。発展途上国の排出権を購入することで、買った国は温室効果ガスを排出しても良いという権利を得るのだというのである。どうも、環境をバーチャルな金融ビジネスにしようとしているだけの様に感じるのだ。排出権というのは「権利を金を出して買うことで、排出していないとみなそう」ということなのであるから、その国の環境は改善されるどころか、悪化させてしまう制度ではないだろうか?

なんら実体が改善されないのに、お約束事でそうみなそうというのは偽善以外のなにものでもない。

欧米人の考え方と日本人の考え方との間に大きな隔たりを持ったまま、欧米主導で地球環境問題を単なるビジネスにするのは許されない!

地球というかけがえのないものを、金儲け主義で生物が住めない星にしてはいけない。

官僚に騙されて、こんな事で胸を張る首相に、国際的な交渉が出来るのだろうか?はなはだ疑問である。


■2009-06-12-Friday コレクター

困り者のコレクターが居る、

それは私だ!

以前にもこのブログに書いたが「不思議」をキーワードにしてマジック関係(奇術・魔術・魔法・超能力・超常現象・催眠術・心理学・忍術・科学・数学・錯覚・錯視・小説・漫画など等)の書籍を収集しているのである。

39年前からコツコツと買い集めたり、師匠のジミー忍師から譲られたりしたものが約5000冊以上にもなるのだ。恐らく日本国内で5本の指には入るマジック本のコレクターだと自負している。

昔は神田の古本屋街を自分の足で一軒一軒探し歩いたものだが、近年は古本屋から送られてくる目録で調べて買うか、たまにインターネットの「日本の古本屋」で検索して購入していたのだが、今年になってインターネット・オークションにすっかりハマッてしまったのである。

何せ、毎日の様に魅力的なマジック関係の古書がオークションに掛けられているのである。値段は古書店から買うよりも10分の1程度からの値段設定で始まるからついつい入札に参加してしまうのである。入札に参加すると、負けたくないから高値になっても張り合ってしまうのだ。また、結構知らない貴重な本がまだまだ頻繁に出品されるから片時も見逃せないのである。本当に困ったものだ。

今年の1月からだけでもすでに380冊も購入している。

妻からは「バッカじゃないの!貴方が死んだら、こんな本どうするのよ!」と呆れられている。

そうなのだ。妻はマジックに興味が全く無いし、3人の子供達も興味が無いようなのだ。素人が読んでも何が書いてあるかチンプンカンプンのものも多いのである。家族の人間の内、私以外は誰一人としてマジックに興味が無ければ、この5000冊のコレクションは我が家のゴミと化してしまう運命なのだ。

妻は私が死んだらインターネットオークションに掛けて売り払うと言っているが、せっかく、これだけ集めたのだから散逸させたくはない。が、残す方法が思い付かないので困っているのだ。

綿密には計算したことは無いが、40年間の手間暇と支払った金額を換算したら、家が一軒建つほどの金額を投入しているかもしれない。

去年の3月に会社に作った本棚からもあふれ出している状態である。そろそろ新しい本棚を追加しなければならないが、妻が怖くて出来ないでいる。

どうしよう、誰か良い解決策を教えてくれ〜!


■2009-06-13-Saturday 寒〜い

急に葬式が入った。

(そもそも葬式というのは急に入るものだからあらかじめ予定を組んではおけないものだが・・・)

知人が2人亡くなって12日(金)が通夜、13日(土)が告別式と同じスケジュールになってしまった。妻が東京に行っているので2人で別々の式に出るわけにもいかない。義理を欠かすこともできないから、通夜と告別式を分けて出席することにした。

13日(土)にはゴルフのスケジュールが入っていたが、一緒に回ることになっていた友人に電話して、ゴルフをキャンセルしたのだ。

この日まわることになっていたコースは清水町にある「北海道クラシックゴルフコース」である。大好きなコースで楽しみにしていたのだが、やむを得ない。

しかし、朝起きて、ゴルフをキャンセルして良かった〜と思ったのである。雨が降っていたし、気温がムチャクチャ低いのだ。それもそのはずで、この日の最高気温は11.7℃しかなかった。北海道クラシックは山の中のコースだから、きっと気温はもっともっと寒かったろうと思う。この気温で雨の中でプレーしたら、おそらく風邪をひいてしまったろう。今年初めてゴルフに行かなくて良かったと思った。

告別式は午前中で終わってしまうから、午後からはすることがない。映画でも観に行こうかと思ったが一人ではつまらない。結局、本屋に行って時間をつぶし、買って来た本を読んで過ごした。

家の中に居ても寒いが、一人なのに暖房をつけてもモッタイナイと思い、省エネの為にベッドの中に入って本を読んでいた。ダラダラとベッドの中に半日居るのもたまには良いものである。


■2009-06-14-Sunday 鳩山総務相

鳩山邦夫総務相が辞任した。

いろいろと世間を騒がせてくれる御仁である。

「かんぽの宿」をオリックスに一括売却する件の時には良くやったと思ったが、その後の「工事差し止め」ではアレ〜ッ?と感じたし、草なぎ君の全裸事件の時のコメントは、こいつバカじゃないの?と感じた。

思ったことをすぐに口にしてしまうのは、麻生首相と同じでお坊ちゃまだからだろうが、どんどんとエスカレートしていくのは政治家の資質としてはどうなんだろう?

なんだか、今回の辞任も私には選挙用のパフォーマンスにしか感じられないのだが・・・。

それにしても、相手の西川社長という人もシブトイ人だね〜。ついこの間の「不正DM事件」だけでも十分に引責辞任に値すると思うけどね〜。

小泉元首相が郵政民営化の象徴として、絶対に西川社長を辞めさせたくないのだろうなぁ。自民党の郵政民営化に賛成した議員達に働きかけて、なんとしても西川社長続投をさせたのだろう。その結果、喧嘩両成敗を目論んでいた麻生首相は、盟友の鳩山邦夫の首だけを切らなくてはならなかったのだろうなぁ。こうなると、首相の指導力の低下は明らかだ。

低下というか、元々指導力というものが備わっていたのかも疑問に思う事態だ。

ただ首相という地位に就きたかっただけの人物が、思いつきだけで政治を行っているように感じる。若い世代に相当な借財を背負わせて、その頃には自分はもう死んでいるから関係ないというような無責任な政治に見える。その麻生首相実現に奔走したのが、当の鳩山邦夫なのだから何をか言わんやである。

民主党も頼りないが、自民党には怒りすら感じる今日この頃である。


■2009-06-15-Monday ゴルフの握り

悪天候で延期になっていたゴルフコンペ

が15日(月)に開催された。地元の帯広信用金庫のコンペである。

当初の予定は11日(木)であったが、私は急な札幌出張が入ってしまい急遽欠席したのだが、大雨と寒さで延期になったのだ。

何せ今年はゴルフに燃えているからラッキー!と思いなにをさておいても出席した。

場所は車で40分の隣町の芽室町にある嵐山カントリークラブである。十勝で一番最初に出来たゴルフコースで、名前の通りに山岳コース、土地の形状そのままに作ったコースなので、平坦な所が無いという感じでグリーンのメが強くて難しいコースだ。年に2回ほどしかプレーしないコースで、今年回るのは初めてである。

天気は曇り、6月に入ってからおテントウ様を何回見ただろうか?風はほとんど吹かなかったが気温は12℃位で寒い。

今回同じパーティで回ったTさんが「坂本君ピンポンパンで握ろう!」と言う。ピンポンパンという握りは、前半の9ホールと後半の9ホールと全体18ホールのそれぞれ3つのスコア毎に握るという意味である。Tさんのハンディキャップは14.3、私が8.7だから、私が「小数点は四捨五入してハンディは5つですね?」と言ったらTさんは「いやいや小数点は切り捨てさ!」と言い切る。先輩には逆らえないのでハンディを前半3、後半3の合計6で競う事になった。

新しいアイアンの飛距離がまだ判らずに苦戦した。飛びすぎるのだ。

前半のINコースは42VS45(−3)で「ピン」は引き分け、後半のOUTに入ってからが傑作だった。

1番で私がバーディ、Tさんがボギーでいきなり2つ縮めた。2番はTさんが難しい長いパットを入れてパー、私は1mのバーディパットを外して共にパー、次の3番ホールであるが、ここは私が最も苦手としているホールなのだ。

私はここでOBを2発も打って10打も叩いてしまった。Tさんはボギー、この3番ホールで私が6打のビハインドになった訳だ。すっかり負けを覚悟した私であったが、その後1打ずつ詰めて行って8番でイーブンに戻し、勝負は最終9番ホールということになった。

私が「イヤ〜、10打も叩いたのにひょっとしたら勝てるかもね〜」と挑発するように言ったら、最後のホールは私がパー、Tさんはダボ、結局44VS49(−3)で私が「ポン」(後半9ホール)と86VS94(−6)「パン」(全体スコア)の2つに勝ったのだ。非常にレベルの低い戦いであったが面白かった。


■2009-06-16-Tuesday イラナイ族

昼食時に蕎麦屋で女性週刊誌を読んでいたら、

最近の、物欲もなく、金銭欲もなく、出世欲もない若者たちを「イラナイ族」と呼ぶのだと書いてあった。

自動車もイラナイ、ブランド物もイラナイ、出世なんてシタクナイ世代だというのである。以前に書いた草食系男子とほとんど同義語か?

バブルが崩壊した後に生まれた子供たちは右肩上がりの経済を体験・体感したことがない事が一因として考えられるのだという。

今の世の中、一生懸命に働いても給料は上がらないし、何時クビになるか、それよりも会社そのものがいつ倒産するかわからない不安定な中で、多少給料が良くても責任がある幹部社員でいるよりは、平社員でいる方が責任がない分だけ楽だというのだそうだ。ホドホドに生きるのが良いということらしい。何と覇気の無いことだろう。

物欲の塊みたいな男で、何でもかんでもコレクションする癖のある私からすると、その感情がまるで理解不能なのである。

そういえば、我が家の子供たちにも思い当たるフシがある。新しいモノを買ってやるぞ!と言っても「イラナイ」としか返事しないのである。

買い物という行為自体が面倒臭いというのだ。何ということでしょう!(ビフォーアフターのナレーターの加藤みどり風に)

今の時代に合わせてエコロジーなのだといえばカッコ良く聞こえるかもしれないが、このままだと商売というものが成り立たなくなってしまう。

昔、パルコだったか西武だったか忘れたが「贅沢は素敵だ!」というキャッチコピーがあった。これは第二次世界大戦中の「贅沢は敵だ!」をもじったものだが、当時なかなか洒落たコピーだなと思ったものだ。

私は別に贅沢が良いと言っている訳ではない。しかし、今のままの風潮が続けば、古代の自給自足社会に逆戻りしてしまうのではないかと危惧しているのだ。

社会が発展して経済が大きくなったから自給自足から分業制ができて、そして人口が増えていったのである。日本は人口減少社会になってきたからこれは必然のことなのだろうか?

しかし、これは負のスパイラル(螺旋階段)である。このままいけば益々失業者が増えるだけだ。どこかで歯止めを掛けなければならないだろう。

贅沢というのはある意味「無駄」である。文化というものもある意味「無駄」なものである。世の中の無駄を省いて効率化し、質素な生活だけをしていけば、文化的なものは廃れてしまう。「無駄」は「余裕」でもあるのだから。余裕がなくなればギスギスした社会になってしまうだろう。

世の中には無駄な事、バカバカしい事もあるから面白いのであって、真面目一方では無味乾燥でツマラナイ。イラナイ族の連中は、仲間たちと一緒に酒も飲まないらしい。

他人と酒を酌み交わすのだってコミュニケーションの潤滑油なのだが・・・。

この先、日本は一体どうなってしまうのだろうか?


■2009-06-17-Wednesday 読売「風向計」

読売新聞2009年6月12日北海道版掲載「風向計」

「ペット葬儀 業者真心で」

日本のペット産業の市場規模は1兆円超と推定され急成長をしている分野だ。それもそのはずで約37%にあたる1800万世帯がペット(犬・猫)を飼っているという。

我が家もラブラドール・レトリバーという犬種の白いオスと黒いメスの2頭を飼っていたが、そのオスの方が5月20日に死んでしまった。

13年前に、金魚の餌を買いに子供たちを連れてペットショップに行ったのがことの始まりだった。「絶対に飼わないゾ!見るだけだゾ!」と言ったのだが、ダッコさせたらブリーダーの思うツボ、「かわいい〜、ネェ〜飼って、飼って〜」の大合唱が始まった。こんな時の守られることのない常套句が「私たちが世話をするからいいでしょう?」と、ブリーダーの「安くしますよ!」。結局3割引で購入し「サニー」と命名した。

一頭では寂しかろうと、ツガイにするべく同犬種のメス「バニー」を購入したが、こちらは血統が優秀だから1円も負けられないと言う。エッと言うことは・・・。サニーは「訳有り割引商品」で、とんでもないおバカな犬だった。

テーブル上のリモコンまで破壊してテレビを旧式にするし、椅子や床はボロボロ、やたらと誰にでもマウンティング(交尾時の馬乗り)するから去勢されてしまった。フリスビー&アジリティ(犬の障害物競走)に連れて行ってもバニーは何でも出来るのにサニーはまるでダメ、血統が値段に反映するのが理解できた。

病気がちで医療費が嵩むバニーと違い、サニーは健康そのもので予防注射にしか行ったことがない。それが、4月になって急に後足が変になったので獣医に見せたら、「年も年だから手術しても・・・」。結局それから1ヶ月で死んでしまった。

13年間同じ屋根の下で暮らせば家族同然。人間の様な葬式はあげられないが、準ずる形で送りたいと思うのが人情だろう。色々調べてペットの葬儀会社を選定し、真心が感じられる業者に依頼した。

最近はペットも高齢化が進み、介護施設や老犬ハウスまでできているというからペット産業は今後ますます大きくなることだろう。

「サービス」は金銭に等価交換できてマニュアル化もできるが、「ホスピタリティ(おもてなし)」は代償を求めないものでマニュアル化ができないものだと思う。ペットをモノ扱いされたのでは飼い主が怒るから「ペットのおくりびと」としてのホスピタリティが重要になるだろう。

ペットロス症候群というらしいが、問題児が居なくなると喪失感を感じるものだ。


■2009-06-18-Thursday ペットのおくりびと

12日の読売新聞「風向計」を読んで

サニーの葬儀を依頼した「ペットエンゼルおとふけ」の鈴木和弘さんがわざわざ会社を訪ねてくれた。

「読売新聞の風向計や坂本さんのブログを読んで感激した。20日でサニー君が死んでから1ヶ月なのでお花を飾って欲しい」と言ってお花を持って来てくれたのだ。これぞホスピタリティである。

ペット葬儀業者の中には死んだペットをまるでモノみたいに乱暴に扱う業者がいる。

以前にも書いたが、13年間も同じ屋根の下で暮らせばペットといえども家族同然になる。その家族も同然のペットが死んで焼骨するのに、しょせん畜生だからとモノみたいに扱われるのは飼い主としては我慢ができない。最後の最後に嫌〜な感じを残した葬儀というのは心の整理がつきにくいものだからだ。

人間と同じ様な葬儀は出来なくても、せめて、生き物としての扱いで丁寧に送ってあげたいと思うのが人情だ。それが13年間癒してくれたペットに対する礼儀であろう。

サニーの葬儀にホスピタリティ溢れる対応をしてくれた「ペットエンゼルおとふけ」さんを選んで本当に良かったと感じた。

鈴木さんが「虹の橋」という作者不詳(訳者:ノラのママ)の素敵な詩のコピーを花と一緒に届けてくれた。

サニーもきっと虹の橋の前で私が行くのを待っていてくれるのかもしれない。


■2009-06-19-Friday 謹呈本

2冊の謹呈本が届いた。

一冊は上智大学学長の石澤良昭教授からで講談社の「興亡の世界史11東南アジア多文明世界の発見」という本である。

2001年に石澤先生が指導し、団長を務められている「上智大学アンコール遺跡調査団」が274体の破壊された仏像を発見、この発見はこれまでのアンコール遺跡の通説を覆す大発見となった。今回頂戴した本はこの発見によって新たに判明した内容が豊富に盛り込まれていて、たんなる難しい学術書というよりも推理小説を読むかのようなワクワク感を感じる本である。

石澤先生は帯広市のご出身で、私が帯広市の大学設置委員会の委員を務めた時に副委員長をされていた関係で知己を得て、その後「十勝場所と環境ラボラトリー」でも一緒に活動をさせて頂いた。そのご縁でカンボジアのアンコールワットの修復事業にも関わりを持たせて頂き、カンボジアに3回もご同行する機会を頂いたのだ。

実は、今回送られてきた本は先週、書店で見つけ、これまでの石澤教授のアンコール遺跡研究の集大成の本だと感じ、すぐに購入したものだった。また、この「興亡の世界史シリーズ」の編集委員に名前を連ねておられる陣内秀信法政大学教授と福井憲彦学習院大学学長のお2人とは、これまた「十勝場所と環境ラボラトリー」で何度も一緒に活動をさせて頂いたというご縁もある。

今回、謹呈を受けたことはとてもありがたいことだ。

もう一冊は慶応大学教授の林美香子さんが書かれた寿郎社の「農村へ出かけよう(農都共生と食育のすすめ)」という本である。

林美香子さんは元札幌テレビのアナウンサーで、3年ほど前に「北の屋台」を題材にした論文で博士を取得されたというご縁である。

同じ「スローフード・フレンズ」という会でもご一緒させていただいている。

私のように都会育ち(?)の人間には、初めは農村の人達はとっつきにくい人達だったが、実際に付き合ってみると、こんな楽しい人達はいないと感じるようになる。親しくなれば、それまで隠していた(?)普段都会に暮らす人間が食べられない様な美味しい、珍しい食べ物ものがドンドンと出てくるのだ。

今回送って頂いた本は、楽しく気軽に農村に出かけて行けるガイドブック的な役割も果たしているからこの本を参考にして、皆さんも農村に出かけてみませんか?

是非、上記2冊の本のご一読をお薦めします。


■2009-06-20-Saturday ロト6

ロト6が好きで毎週買っている。

サマージャンボなどの宝くじは受動的過ぎて運だけに頼るようであまり好きではないが、ロト6は自分で数字を選べるから気に入っているのだ。

毎週、ピ〜ンと頭に閃いた数字で購入するのだが、これまでにピ〜ンと当たった例がない。それでも3つの数字が当たるのはショッチュウでその当たった1000円で次のロト6を買うことが多いのである。4つの数字が当たったことは去年はたった1回だけであった。

今週の土曜日は、サニーが死んで1ヶ月になるし、3日前に「ペットエンゼルおとふけ」の鈴木さんがサニーのお参りに来てくれたので今回はサニーがらみで数字を選んでみようとピ〜ンと閃いたのである。

語呂合わせで「32(サニー)は平成21年5月20日に13歳で42(死に)ました。」で『5・13・20・21・32・42』で買っておいたのだ。19日の朝刊で当たりを調べたら当選したのは『15・20・21・32・40・42』であった。実に惜しい〜。

ヤッパリ、サニーは抜けている。もうちょっとだったのに〜!

それでも、4つの数字が的中して15,300円が当たった。

サニーくんの恩返しかな!

サニーに花でも手向けて、余ったお金で日曜日に妻と夕食にでも行くとするか!

まかり間違って1等なんぞ当たったら、それこそ人生を狂わせるかもしれないしなぁ〜。これ位の金額がたまに当たるところが面白いのかもね!


■2009-06-21-Sunday 風邪ひいた〜

このところ異常とも言える程の低温の日が続いている。

そのせいなのか、久し振りに風邪をひいてしまった。熱が出る訳ではなく、ただ鼻水が出て、鼻が詰まるだけの症状なのだが・・・

20日(土)は今年、私が会長を務める帯広青年会議所のゴルフの会「じゃがいも」の第二回目の例会である。朝からいまいち体調が優れないが、この日は私達昭和33年生まれがスポンサーになっている「じゃがいも会長杯」なので、主催者として欠席する訳にはいかないのだ。

天気予報は「くもり」気温は12℃ほど、6月中旬過ぎだというのに長袖のシャツにセーターを着込んで出掛けた。

案の定、寒さのせいで参加者は30名と少なかった。

鼻が詰まっているので、口で呼吸するしかないのだが、歩くと酸素不足で息が苦しくて、ハァハァ言いながらプレーするので何だかドッシリとしたゴルフが出来なかった。口で息をすると喉が痛いので常に飴をしゃぶりながらゴルフをした。この日はパットが最悪で珍しく3パットを4回もやってしまい42・41で83のスコア。

この日のコースは隣町音更町の白樺カントリークラブというところで距離が短くて簡単なコース、最後の2ホールでは小雨までパラついてきて私としては納得のいかないゴルフであった。

表彰式では、やはりアンダーパー(ハンディ分を差し引いたスコアのネットで72以下のスコア)が続出した。優勝から10位までの12名がアンダーパーなのである。因みに優勝者のG君は43・45の88打、ハンディキャップ21.2でネット66.8であった。

この日42・46の88で上がってきた幼馴染の友人T君はハンディが23だからネット65という驚異的なスコアだったのだが、「じゃがいも」は6アンダー以上のスコアで上がるとハンディキャップがたとえ正式なものであっても、キャロウェイ方式で算出する決まりになっているから、ハンディキャップが13と算定されて結局ネット75の16位に終わってしまったが、30名の参加者の内、13名がアンダーパーのコンペなど今まで聞いたことがない。風が無かったからだろうが、なんともすごいコンペになったものだ。

帰宅してから近くの温泉に行って、ビタミンC入りのジュースを大量に飲んで、たっぷり1時間半汗をかいてきたので、鼻の具合もだいぶ良くなった。

来週には完全復帰できるだろう。


■2009-06-22-Monday 死ぬかと思った!

今日は父の日!

東京の大学に通っている3人の子供たちが共同で感謝の手紙を添えてゴルフバックのプレゼントを送ってくれた。3人の子供たちも親元を離れて暮らすようになって、ようやく親のありがたみが判ったのだろう!

日曜日もゴルフの予定が入っていたのだが、今朝も気温が低く、天気予報は雨、さすがに今朝は体調が優れず、2日続けてのゴルフはパスさせてもらった。

今日は、先週のサニーくんの恩返し(?)のロト6の賞金で妻と映画でも観て夕食でもしようかと思ったがそれも身体が辛くて中止にした。

風邪薬が無くなったので、薬局に買いに行くついでに、昼食に鍋焼きうどんでも食べて身体を温めようと妻と2人で出掛けた。

山賊うどんに行って、メニューの中から一番身体が温まりそうな「名古屋風味噌煮込みうどん」を選んで食べた。

グツグツと熱いうどんを、口の中に入れたら・・・。

口でハフハフしようと思ったのだが、鼻が詰まっているからうまく出来ない。鼻で呼吸が出来ない状態で、口の中に熱いうどんが入って息が出来なくなったのだ。吐き出す訳にもいかずに何とか水を飲んで飲み込んだが、一瞬気が遠のいて、死ぬかと思った。

まさか、うどんを食べてる最中に呼吸困難で死にましたなんて格好の悪い死に方はしたくない。

風邪薬を買って家でおとなしく寝て過ごすことにした。

久し振りに完全な休暇になった一日であった。


■2009-06-23-Tuesday エコポイント

何じゃこれは〜!

こんな枝葉末節のことをわざわざ政府がやらなければならないのか?

こんな程度のことは、我々下々の者に任せれば良いのに、政府には他にもっと大切な緊急にやらなければならない大きな事柄が沢山あるだろうに!

もはや、日本の政治家はアホばかりだ!

選挙が怖くて国民のご機嫌伺いばかりをやっているように見える。政治家は確かに選挙に落ちたら唯の人だから、ある程度は人気取り政策も必要なのだろうが、このエコポイント制度には呆れてしまうね。

新型インフルエンザ騒動の時の枡添厚労相と麻生首相がいい例だが、現職の大臣が競って会見をしたがったりテレビに出たがる。テレビに多く出れば国民の人気が出るとでも思っているのだろうか?それともただ単に自己顕示欲が強いだけなのか?

そんな暇があったら少しはまともな政策でも考えろよ!

もはや政治家という職業は、日本国民から完全に馬鹿にされている職業になってしまったようだ。


■2009-06-24-Wednesday 7-11

コンビニの7−11に、

公正取引委員会から『販売期限が近づいた弁当などを値引き販売する、いわゆる「見切り販売」を制限したのは独占禁止法で禁じられている優越的地位の乱用に当たる』としてセブンーイレブン・ジャパンの本部に対して同法違反で排除命令を出したというニュースが流れた。

これまで、7−11では弁当やおにぎりや惣菜などには、消費期限よりも前に独自の販売期限を設定し、売れ残りの商品は廃棄処分をして、その損失は全額、店側の負担とする仕組みをとっていた。

マスコミ各社は概ね、フランチャイズ店側の言い分を良しとして放送しているようだが・・・。

たしかに、まだ食べられる食品を廃棄処分し、その損失を全額、店舗側に押し付けるのは大いに問題だ。7−11残酷物語として、フランチャイズ店主を生かさず殺さずに使うという「都市伝説」すら生まれたほどだから、7−11のやり方には酷いものが多いのだろうと推察する。

しかし、私は7−11本部の言っていることにも一理あると思うのである。それは、価格の維持という点でだ!

低下価格競争には良い点は何もない。一見すると消費者が一時的に喜んでいる様にも見えるが、そのしっぺ返しはやがて消費者にも襲い掛かるのだ。

ダイエーの中内功氏がかつて唱えた「流通革命」「価格破壊」は結局破綻したではないか!高度経済成長下で人口が右肩上がりに増えていた時代のビジネスモデルと、安定成長で人口減少社会になった今日とでは適合するビジネスモデルは異なるはずである。

商品には適正な価格というものが必要なのだ!限度を超えた低価格競争は自滅するだけだ。

その仕組みは、低価格にする為に製造過程の無駄やムラを無くす努力は素晴らしい!しかし、それ以上に低価格にする為に「人件費」を削減するのはパラドックスなのだ。コスト削減の為に人手を減らす→クビにする→購買者が減る(従業員も購買者の1人である)→売上が減る→更にコストを下げる為にもっとクビを切る→・→・→その行き着く先は・・・。不況しかないのだ。一時的にはコストをカットして会社が生き残ったとしても、社会全体が不況になれば、売れなくなるのは必定だ!なぜ、こんな当たり前のことが判らないのだろう?

行き過ぎたコストカットは人を不幸にするだけなのだ!

だから、7−11の本部が価格を維持しようとするのは正しいと思う。

そもそも、客はコンビニに安さを求めていない!コンビニエンスという名前が示す通りに便利さを追求したビジネスモデルであり、それがウケタからこんなに流行ったのだ。

そこに、もったいないからという理由で価格を割り引いて販売する行為が罷り通ってしまえば、コンビニというビジネスモデルを根底から否定することに繋がりかねない。

勘違いしないで貰いたいのは、私は「コンビニの商法が良い」とか、「弁当を捨てても良い」とか言って居る訳ではないということだ。私はコンビには嫌いだし、まだ食べられる食品を捨てても良い訳がない!

値引き販売とは違う方法を考え出さなければコンビニがおかしくなってしまうと危惧するからだ。そうなるとエコブームに乗って「もったいない」と騒いでいる加盟店側も結局損をすることになる。ここはしっかりとした対応をしなければ、自分たちが現在寄って立っているコンビニ商法を自分達で破壊することになってしまいかねない。それでは現フランチャイジーの店主にとっても良いはずがない。

誤解しないで貰いたいが、私は、競争社会が悪いと言っているのではない。適度な競争がなければ停滞するのは共産主義社会が破綻したことで判ったはずだ。しかし、何事も行き過ぎた競争は自滅するだけだ。切磋琢磨しながらも共存することが必要なのだと思う。

どうやら人間と言うものは限度をワキマエナイ動物なのかもしれないが、ある程度はエ〜加減な方が長く続くと思うのである。要は利益を1人占めしない発想を持つことではないだろうか?(23日記)


■2009-06-25-Thursday 東国原知事

ウ〜ムなかなかの交渉上手とみた!

23日に自民党の古賀選挙対策委員長が宮崎県庁に東国原知事を訪ねて、次期衆院選に出馬を要請した。

知事は、選挙後に自民党の総裁就任などを条件に出し、古賀選挙対策委員長も「お聞きした」と返事したに留めたというニュースである。

東国原知事はなかなか交渉術に長けていると感じた。

古賀委員長の要請にホイホイと乗ったのでは、宮崎県民からは「まだ知事一期目の任期途中なのに」と言われるだろうし、自民党からも「国民的人気取りの為の客寄せパンダ」と軽くしかみられない。用が済んだらポイ捨てされるのがオチである。

また、変に固辞するのは色々な方面から妙に捻じ曲げられて勘ぐられる危険性があるし、下手な断り方をすれば自身の立場が危うくなりかねない。

今回の返事の仕方は、結果的に国政に出る、出ない、どちらに転んでもOKという見事な答え方だと感心した。しかもこう答えたらマスコミが取り上げるだろうと計算してのことだろう。自分を高く売る心得がある。

一見すると、自民党には無理難題を吹っかけている様にも見えるが、「何様だ!」と思うのは自民党の政治家だけであろう。後々の為の言い訳としても上手くできていて、いかようにも取れる内容の発言だから、解釈の仕方によっては逆にヒーローにもなれかもしれない。なかなかにしたたかな奴とみたゾ。

赤っ恥をかいたのは古賀委員長での方で、自民党の政治家内部から「自民党も軽くみられたものだ」という批判が噴出することだろう。

東国原知事は自民党内に敵は作ったが、国民的には受けたろうと思うし、後の対応の仕方によってはその自民党をも味方にすることが出来る可能性を残してもいる。

ただ、それにしても、タレント知事にここまで言われた麻生首相の本当の気持ちはどんなものなのだろうか?会見では「おちょくった発言とは思わない」と平静さを保ってはいたが、内心は煮えくり返っていたのではなかろうか?

日本の政治はますます軽くなる一方である。(24日記)


■2009-06-26-Friday 暑いゾー!

一昨日まで暖房を入れていたのに、

25日はいきなり31.2℃にまで気温が上がった。徐々に温かくなってくれれば良いのに、2日間の気温差が20℃近くもあったら大抵の人は具合が悪くなるだろう。

先週は雨と低温が続いてスッカリ風邪をひいてしまい。未だに鼻水が止まらずに苦しい思いをしているのに、今度は急に30℃超の温度である。身体の調整機能が追いつかないようで、身体がダルイことこのうえない。

ここ2年間ほどは、二日酔いで具合の悪いことは度々あるが、風邪などひいたことがなかったのに・・・。

これも年齢のせいなのだろうか?

家の近く(150m)のコンビニに強盗が入ったというニュースが朝刊に載っていたので心配になったが、夕刊には犯人が捕まったと載っていたからスピード逮捕だったので安心した。同じ朝刊では函館でダンプカーでATMの機械ごと奪う事件が起きたというニュースが載っていたから、犯罪がかなり乱暴になって来ている様である。不況になると犯罪が増える傾向があるので今後ますます怖い世の中になっていくことだろう。

かつて北海道の一般住宅には冷房なんぞ付いている家は無かった。暑い寝苦しい夜(1年に3,4日)は窓を網戸にして開け放したまま寝たものだが、こんな世の中ではそれも物騒で出来ない。

政府がエコ、エコと省エネを叫ぶなら、安心して窓を開け放てる世の中にした方が、クーラーの電気代も掛からないし、身体にだって良いはずだ。

しかし、いくら金に困ったからといって他人の生命を脅かしてまで金を奪おうという人間の心が理解出来ない。殺された方だって1,2万円程度の金額で殺されたのでは成仏も出来まい。

他人の生命を奪うという行為は殺す相手の人権を踏みにじったから殺せるのではないのだろうか?だとしたら、そんな殺人犯人に人権云々というのは理論的にもオカシクないだろうか?ね人権派弁護士さん!

不況でそれこそ食うに困ったら、とりあえずそこらに居る(誰でも良い)誰かを殺してすぐに自首して刑務所に入り、一生安泰に規則正しい生活をして健康に暮らそうと考えるバカが出てこないとも限らない。そんな理由で殺されるのもオカシナ話であろう。

裁判員制度が始まったが、不況だからこそ抑止力として、殺人犯人には自らも死をもって償ってもらうべきであると考える。


■2009-06-27-Saturday 座談会

読売新聞社の座談会が札幌で開催された。

識者座談会「観光ビッグバンにどう対応するかー〔大国〕北海道の挑戦(仮題)」という題で、石森秀三(北海道大学観光学高等研究センター長)・かとうけいこ(シーニックバイウェイ支援センター広報部長)・ロス・フィンドレー(NAC代表〔観光カリスマ〕)そして私の4人による座談会である。

これからの北海道経済を発展させる為には「観光」が重要なポジションを占めることに異論がある人は少ないと思うが、その方法論には多様なアプローチの仕方がある。

私の持論は「すぐに良く出来る即効性のある薬はないし、もし、あったとしてもそれは劇薬で、副作用の方が怖い。だから漢方薬のようにじっくり、コツコツと計画的にやっていくしかない。」ということである。

先の「新型インフルエンザ」でもそうだったが、観光は突発的な事件等で急激な影響を受けてしまう脆弱なものでもあるし、昨年のリーマンショック以来の不況で富裕層向けの観光も打撃を受けている状況だ。

特に北海道の場合は、夏のオンシーズンと冬のオフシーズンとの間に極端な差がある為に、通年での安定した営業が出来ないのが難点なのである。

ここ10年の間に観光は劇的な変化を遂げた。それはマイ・コンピュータの発達である。インターネットによって情報量が格段に増えたことと、また、隣近所の人間や会社での人間関係も希薄になって個人主義が主流になったことで、会社や町内会などの団体旅行がほとんど姿を消したのだ。

昔は旅行は一生の内に数度しか出来ないものだったから、旅行に行く人に「餞別」を与えて、お土産を買ってきてもらうという風習もあったが、旅行が日常茶飯事になったことによって、餞別という風習が無くなった。家も狭いから「熊の置物」のどの嵩張る土産物はもらっても迷惑になり、ほとんど売れなくなったのだ。

個人は自らインターネットの情報網を使って、旅先のあらゆる情報を得ることが可能になった。その結果、観光客用に作られた施設には段々行かなくなり、地元の人間が良く行く場所に行きたがるようになったのである。

北海道の温泉地などの大ホテルは、一旦自分のホテルに入館した客は一歩たりとも外には出させない政策を取ったから、温泉街は廃れてしまった。ホテルの中はいわゆる健全なものしか造れない。妖しげな秘宝館やストリップ小屋や射的場などの猥雑な非日常を求めて温泉に行く客のニーズを自ら破壊してしまったのだ。

北海道観光をもう一度榮えさせるには、「食」と「健康」と「環境」がキーワードになるだろうと思う。北海道イコール「カニ」で客にはカニさえ食べさせておけば良いというやり方はもう終わったのだ。

山の中のホテルも海沿いのホテルも同じメニューを出していたのでは客は満足しない。

それぞれの場所が特色を出す時代なのだ。お金を掛けた施設が必要な訳ではない。要はホスピタリティが重要なのだ。

後日もっと詳しく書くが、今日はこの辺にしておく。この座談会の模様は7月24日付けの読売新聞朝刊の北海道版に掲載予定である。


■2009-06-28-Sunday 演劇と

母校である柏葉高校の演劇部が、

7月末から三重県で開催される全国大会に出場する。

その記念に多くの帯広市民にも、見てもらいたいと27日(土)の14時から帯広市民文化大ホールで公演したのである。

私は柏葉高校同窓会の文化部長を務めている関係で、券を買わされたので、寸志を届ける為に妻と二人で鑑賞に行ったのだ。最初は高校生の演劇なんてと、まったく期待していなかったのだが・・・、

一言で言うと、脚本が実に素晴らしい。高校生が書いたものとは思えないほど良く出来た脚本である。

祖母の通夜が明けた早朝の場面である。高校生の孫(女の子)が、祖母から生前、一緒に棺桶に入れて欲しいと頼まれた品物を探すのだ。何だったかが思い出せない孫は、母親や兄や伯母や叔父やいとこ達との人間関係を巧みに描きながら進行していく。途中、笑いあり、泣かせる場面あり、ほのぼのとさせる場面ありで、まるで倉本聡作品の演劇を見ている様な感じになった(倉本さんほどの完成度はまだないが)。高校生の演劇で、自分たちで創作した脚本でここまでのものが見られるとは正直思っていなかったのでとても驚いた。

これなら、全国大会に行っても、かなり上の賞を取るのではないだろうか?と期待している。

帰宅してから、先週のロト6の賞金での夕食をしようということになった。久し振りに豪勢にステーキなんぞを食べたいと思い。六花亭本店の2階にある「ホーム」というレストランに行った。ここは元は、我が祖父の代に店子であった方の娘婿さんが営業しているレストランで、ここのデミグラスソースの味が大好きなのである。

美味しい食事を済ませた後に、18時30分から映画「スラムドッグ・ミリオネア」を観て来た。アカデミー賞8部門を受賞した作品なのに帯広の映画館には掛からなかったのだ。それを、帯広の映画好きな人達が自主運営している映画館で掛かることになったので観に行ったのである。ここの料金は残念ながら「夫婦50歳割引」というものがないので、当日券で一人1700円(2人で3400円)である。値段は高かったが、映画は非常に面白かった。インドの混沌とした現実と、子供たちのたくましい生き方や、国という設定を変えたら、まだこんな題材の映画が作れるのだなぁと感心した。

今日は文化的な一日であった。

20時過ぎに映画が終了し、外も温かかったので歩いて自宅まで戻ったのだが、夜の街は大盛況であった。特に北の屋台には通路まで人が溢れていた。このところ週末はいつも雨と低温で騒げなかったから、鬱屈した人達が湧くように街にでてきたのだろう。

やはり夏はこうでなくてはいけない。


■2009-06-29-Monday マジック本蒐集

マジック本の蒐集癖が止まらない!

2007年3月末日に北の屋台を卒業してからは自分の時間が出来たので、会社の一室に特注の本棚を造ってマジック資料館を開き、自宅に散乱していたマジック関係の本を運び込んで整理し出したのだが・・・。

昨年末あたりからハマッテしまったインターネット・オークションで安価なマジック関係の本を見つけるとついつい嬉しくなって手当たり次第に入札を繰り返し、かなりの数を落札してきた。

ついに、この大人買いというか、アホな買い方で、最初に造った本棚には収まらなくなってしまったのだ。

なにせ、この2年ほどの間(正確にはインターネットオークションにハマリだしたここ半年間)に購入した本が約800冊にもなるのだから自分でも呆れている。

本棚の僅かな隙間に横積みにしてあったのだが、もうかなり前に限界が来ていて、本棚に入れられない本は会社の私の部屋にダンボールに入れて置いてある状態になってしまった。

せっかく、ここまで蒐集したのだから、綺麗に並べてあげたい。

市販の安い本棚でも購入して並べようかとも思ったのだが、私の(美的)感性が許さないのだ。結局、前に特注で造ってもらった家具屋さんに、全く同じものを製作してもらうように先週頼んだのだ。

私以外の家族の人間は、マジックには全く興味が無いから、私が死んだらこのおよそ6000冊にもなるマジック関係の図書はゴミと化してしまうかもしれないのだ。妻に言わせたら「何たる無駄使い」かと言うだろうなぁ〜。

でも、小学生の時から約40年間もコツコツと蒐集して来たマジック関係の本にはとても愛着がある。何としてもこのコレクションを有効活用する方法を探さねばならない。


■2009-06-30-Tuesday 雨のゴルフ

今日30日は月末だがゴルフに行った。

昨日の午後に急にゴルフのお誘いがあったのだが、ゴルフは21日の日曜日以来なので行くことにしたのだ。とにかく今年はゴルフに熱中しているので1週間以上間を空けたくないのだが先週はなかなかお誘いが来なくて9日間も間が開いてしまったのである。

午前中に仕事を済ませて11時30分(11時45分スタート)に駆けつけた。今日のコースは会社から車で15分の国際カントリーだからこの点は楽である。ギリギリの到着だから練習する時間は無いが、十勝のゴルフはいつもこんなもんである。天気は昨日までの晴天は無くなって、今日は霧雨で気温も16度程度である。

ストレッチ体操だけでスタートしたから案の定、腰の切れが悪くて2ホール目(中コース)で左にOBを出してしまい、前半は43打に終わっってしまった。

お腹が空いたのでハーフで食事をしてから後半は西コース、これが調子が良くて1バーディ、1ボギー、7パーで36打のパープレイであった。詳細は1番が1mのパーパットを外してボギー、2番はピン側1mに付けてのバーディー、3番からは7連続パーだったが、いずれのパーもバーディ外しのOKパーばかりであった。

こんなにショットが良かったのは今年初めてである。ようやく新しいアイアンに慣れて来たのだろう。今年はこのままのペースで行きたいものだ。