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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-03-01-Monday 津波

Tsunamiという単語が英語の辞典に載っているそうだ。

それくらい地震国日本の津波は恐ろしいということだろう。

日本から遠く離れた南米チリで2月27日早朝に起こった地震の津波が昨日、日本列島を襲った。チリから日本までの太平洋上に大きな島や大陸など遮るものが無いから、チリで起こった津波がそのままのエネルギーを保ったまま日本に到達するという、しかもそのスピードは新幹線よりも速い時速700キロというスピードだというのだから驚きである。

50年前に同じくチリで起こった地震による津波が、日本を襲って142人もの犠牲者を出したことを考えると、警戒するのは当然のことである。

津波の第一波が日本に到達するのが13:30頃とのことで、テレビ各局が12:00頃からずっと日本列島の地図を映しては警戒を呼び掛けていた。

津波の高さは到達してみなければ判らないらしいし、地形によってもその高さが変わるとのこと、内陸の帯広に暮らしていると、まさかここまでは到達しないだろうからと全然気にもならないが、海岸沿いに暮らしている人にとっては大変心配なことだろうと思う。

去年までは息子が釧路の海岸近くに下宿していたから、もし、今回も同じ所にいたのなら、「早く避難しろよ!」と電話していたことだろう。

人間というものは自分に直接被害を及ぼさないものには、意外と無関心なものなのだなぁと自分でも感じた次第である。

結局、被害はそう大きくなかったようでまずは安心である。

だが、必要以上に警戒しろ!警戒しろ!というのも如何なものだろうか?朝から夜まで全てのテレビ番組で右端に日本列島の地図が出てしかも海岸線が点滅しているから、テレビが見ずらい事この上ない。

被害予想を小さく発表して、被害が大きくなれば気象庁の責任問題になるから、多少オーバーに予想しておいた方が無難なのだろう。しかし、それが何度も、何度も続くと「狼が来たぞ!の少年」と同じことが起きてしまう可能性だってあるだろう。やはり的確な情報を出すことが重要である。なかなか技術的にも難しいのだろうけどね!

それにしても、最近、各国で大きな地震が相次いで起きている。地球が、人間に対して、戦争や金儲け以外にも大切なことがあるのではないか?「俺が本当に怒ったらこんなものでは済まないんだぞ!早く健全な生活に改めなさい!」と言っているのではないだろうかと感じるようになってきた。


■2010-03-02-Tuesday お宝グッズ

マジックの師匠の未亡人から

突然にマジック関係の資料が段ボール一箱分送られてきた。

すぐにマコママ(奥さん)に電話したら「捨てようかと思ったけど、ひょっとしたら、こんなガラクタでも、坂モッちゃんなら喜んでくれるかなぁ〜と思って送ってみたのよ!」と言ってくれたので「と〜んでもない。これは私にとってはお宝ですよ!ありがとうございます」とお礼を述べた。

丸一日掛って整理したが、ワクワクしどうしだった。中身は「引田天功(初代)のリサイタルのプログラムや年賀状・暑中見舞いのハガキ、生写真、マジックショーの打ち合わせノート、引田天功師の記事が載っている週刊誌、ジミー忍師匠のアイデアブック、写真、台本、その他にも本や色紙や外人マジシャンのサインやパンフレットなどが入っていた。

今日ではなかなか手に入らない貴重な資料である。

マジックを趣味にしていない人にとってはただのゴミにしかならないのだろうが、私にとってはお宝中のお宝なのである。早速マコママ宛てに、お礼に帯広のお菓子を沢山送っておいた。

私が故ジミー忍師と生前に約束した「マジック博物館」を造るという夢が、現在は「マジック図書館(蔵書6600冊)」として進行中である。最近は映像関係も集まり出しているし、私が小学校6年生の時から買い集めたマジックの道具も、かなりの数が自宅の屋根裏部屋に置いてあるから、その内に全部引っ張り出して一緒に展示できないかと考えている。

しかし、マジック図書館だけで、会社の空いているスペースを使い切ってしまったから、博物館にして展示するとなると、この3倍ものスペースが必要になるだろうと思う。

妻からはただでさえ、邪魔だ!と怒られているというのに、これ以上の出費や場所使いはなかなかできそうにない。博物館への道は険しいのである。 


■2010-03-03-Wednesday 最近は

どうも最近は・・・

会社のPCは最新のウィンドウズ7に替えたから立ち上がりが早くて快適なのだが、我が家のPCは古いウィンドウズEXのままなので遅くて遅くてイライラすることが多い。

昨日もメールを打とうと思ってPCを立ち上げたのに、立ち上がりがあまりに遅いものだから、立ち上がった時には、誰にメールを打つんだったかを忘れてしまい、PCで他のアプリケーションを使って別な仕事をやっていた。その仕事をやり終えて、PCを消す「終了オプション」の「電源を切る」をクリックした途端に、そういえばメールを打つんだったコトを思い出してシマッタァ〜と思ったが後のまつり、PCは消えてしまった。そこで再度PCを立ち上げたのだが、これまた遅い。立ち上がった時には、またまた誰にメールを打つんだったかを思い出せなかったのだ。何ということだろう。私は若年性健忘症にでもなってしまったのだろうか?ガックリである。

妻が私がPCを打っていると目の前に「赤福」を出して、おヘラで2個をペロリと食べた。それを見た私も「美味しそうだなぁ〜」と言いながら2個をおヘラですくって食べたら、妻が「貴方は痩せる気がないんでしょうね!」と言う。確かに、今更痩せたところで女性にモテルわけでもなし、美味しいものを食べて肥るのは別段気にもならないと言ったら、妻が鏡に自分の身体を映してみたらという。

確かに無様な姿である。ダイエットなんぞくそ食らえだから、お腹の周りの脂肪も一向に減らない、だから、最近はズボンがズリ下がってきて裾を踏んずけて歩きにくいのだ。ベルトがお腹の頂点の途中でしか止められないから、ズボンが下に下にとズリ下がるのである。

妻が「もう貴方も○○さんみたいに、サスペンダーにするしかないわね!」と冷たく言い放つ。そうか!○○さんがサスペンダーをしているのは、そういう訳だったのか!

ウ〜ンそれにしても○○さんかぁ〜、カッコ悪いなぁ〜。立ったまま靴下を履きづらくなってきてもいるし、ここはやっぱり少しお腹は引っ込めなければならないと感じた次第である。


■2010-03-04-Thursday イオマンテ

アイヌの「熊の霊送りの儀式」のことである。

イオマンテを簡単に説明すると、アイヌは今頃の季節(春先)に、熊が冬眠している穴を見つけて、母熊を殺して、その肉、毛皮など余すところなく活用する。熊は天からの贈り物であるから全てを大切に頂くのだ。

熊は冬眠中に子ども生む。その小熊をコタン(村)に連れ帰って、人間の乳を与えたりしながらとても大切に育てる。熊が大きくなったら、熊の霊を天に帰す儀式を行ってその熊を殺し、またその肉や毛皮などを同じ様に余すところなく活用する。これをイオマンテという。

井沢元彦氏曰く、日本人は「穢れ(けがれ)」を嫌うから、血を直接見ない様にしている。血イコール穢れの象徴のようなものだからだ。だから昔は4本足の動物の肉は基本的に食べなかったし、動物の皮などを扱う様な職業の人間は血で穢れているとして差別してきたのが今日の部落問題なのである。

明治の文明開化以来、日本人も肉を食べるようになったが、狩猟民族が肉を食べるのとは、その傾向は自ずから異なる。いまだに屠殺の現場は見ないようにして肉だけを美味しく食べている。

しかし、果たしてそれで良いのか?

ものを食べるという行為は植物であれ動物であれ、結局は「生命を頂く」という行為であるはずだ。声を出さない植物を食べるか、生命を殺すところを見ないで肉になったものだけしか見ていないから、生命を頂いているという感覚が無いのである。

何も無理して屠殺現場を見なさいと言っている訳ではない。私も10代の頃に鶏肉の工場見学をしてから、しばらくは鶏肉を食べられなくなったことがある。直接に現場を見なくても、生命を頂いているのだと教えることは出来るはずであると思うのだ。

私たちが昔やっていた「十勝環境ラボラトリー」が2005年2月15日に出版したアイヌの絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」(文:寮美千子・画:小林敏也、発行パロル舎)という本は、まさにそんなことをベースにおいて作った絵本である。

先日、その英語版が送られてきた。

以前、このブログにも書いたが、函館ラサール高校の英語教師ピーター・ハウレット先生が、この「イオマンテ」を是非とも英訳して世界に広めたいと言ってくれたのである。とても嬉しいことである。

この絵本で、生命の尊さ、そして、その尊い生命を食事としていただくことのありがたさを、世界中に広めたいものである。


■2010-03-05-Friday 古書店

学生時代に良く通った古本屋の

親父さんと久し振りに電話で話す機会があった。

最近はもっぱら、インターネットのYAHOOオークションとアマゾンでマジック関係の書籍を購入しているのだが、「日本の古本屋」と「スーパー源氏」という古本屋のネットワークを使っても検索、購入しているのである。

たまたま、先日この「日本の古本屋」のネットで購入したのが、偶然にも学生時代に良く通っていた(卒業後も上京する度に顔を出していたが)古本屋さんだったので、懐かしくなって店に電話したのである。

店主は私のことを覚えていてくれて、「最近は、いろいろな事で古書店はとても困っている。」と愚痴を言うのだ。

「貴方のように蔵書をする人が減っていて、しかも、ブックオフのような新しいタイプの古書店が幅を利かせて古書の値段が下がってきている。昔ながらの古書店は店が狭くて店頭の在庫量ではとても太刀打ちできない。」など等である。

私が「でも、私はインターネットのお陰で、学生時代から30年掛けて集めた本の倍以上の数の本を、この2年間で見つけることが出来たよ。しかも安くね。」と言ったら、「実は、それが一番困っている。」と言うのである。

「かつては、500部限定とか1000部限定とかの希少本は5〜10万円くらいで販売出来たから、無理して安く売る必要はなかった。持っているだけで価値が上がったものだった。それが、インターネットが普及して一般の人たちがオークションなんかに価値も判らずに出品するものだから、そういう本が、結構な数、市場に出回っているんだということがバレてしまった。しかも、1万円なんて値段で出品された日にゃぁ、我々昔から在庫を抱えている古書店は、財産が目減りしているのと同じ状況になってしまう。早目に安く売らないと不良在庫になってしまうから値段を下げざるをえないのだ。」というのである。

買う方の私にしてみれば、インターネット・オークションには毎日毎日、お宝モノが安く出品されてくるから、覗くだけでも嬉しくて嬉しくてしょうがないのに・・・。

古書店も、もはや、インターネットが無ければ商売が成り立たないそうだ。しかし、その半面、インターネットの普及によって、店を畳む古書店が増えている現実があるそうである。

ウ〜ム難しい問題だなぁ、立場が違えば見方も大きく変わるものである。


■2010-03-06-Saturday 姉の帰郷

東京で暮らしている姉が、

娘を連れて久し振りに帰郷した。

母がこの3月の誕生日に喜寿を迎えるので4人の兄弟が揃って祝おうということになったのだ。しかし、母の誕生日の日には休みが取れないとのことなので、5日から来ることになったのである。

天気の長期予想では、5日から北海道は大荒れで、大雪が降るとのことだった。でも4日の夜には雪は降っていなかったし、5日の早朝5時ころにも降っていなかったので、予報が外れたのかと思ったら、7時には12〜3センチほどの雪がしっかりと積もっていた。

テレビのニュースをつけたら、千歳や釧路は飛行機が飛ばないという。帯広も結構雪が降っているから、姉と姪っ子が乗ってくる飛行機も降りられないのではないかと心配しながら、まずは自宅前の除雪をおこなった。空港に迎えに行く為に早起きしたから、雪がまだサラサラしている状態で除雪も楽だった、いつも通りの時間に除雪していたら、溶けて重たくなってシャベルにも雪がくっつくから除雪がしずらかったろうと思う。思わぬところで得をした。

昨日までは、道路上の車道側には雪が全く無い状態で、明日の啓蟄もうなずける春間近の様相であったが、今日(5日)の雪ですっかり冬に逆戻りしてしまったかのようである。

空港まで迎えに行くのは私の仕事である。姉からはメールで30分遅れとの情報が入っている。まだ雪が降りしきる中を、除雪したばかりの車庫から車を出して運転して行った。

途中、農村地帯を走っていると、時々、錯覚を起こして、道と畑の区別が付かなくなる。通い慣れている道だから、まだスムーズに走れたが、知らない道なら畑に脱輪しているかもしれない。それほど、冬の吹雪の道は恐ろしい。

空港に到着した頃には雪も小降りになってきた。ニュースでは帯広の積雪は16センチとのこと。東京暮らしで雪を知らない姪っ子を雪で歓迎したかのようである。23歳になる姪っ子も雪だ!雪だ!とはしゃいでいた。途中の雪一面の畑を見て「この雪の中を走り回りたい」と言い出したが、止めておけとそのまま自宅まで連れてきた。

姉は、中学校のクラス会もあるとのこと、結構スケジュールが埋まっているようである。

まぁ、久し振りに兄弟姉妹4人で楽しく話でもすることにしよう。


■2010-03-07-Sunday 正義感?!

5日に積もった雪の塊が、

我が家の車庫の前に積み上げられている。

今日(この文章は6日土曜日に書いている)の昼間は気温が高いので雪もかなり解けてはいるが、新しく積もった雪は太陽光線を反射してなかなか解けないから、一旦崩してバラバラにしてから歩道横の積雪の上に積み上げることにした。普段なら最初の除雪作業で全部一度にそうした作業までするのだが、前日は姉の空港への出迎えで時間がなくそこまで一度にやってしまうことが出来なかったのだ。

我が家の前の歩道は傾斜がきつくて重たい雪を一度に真横にずらせないので一旦、平らな車道に出して雪の塊を細かく崩してから押していくしかないのだが、その作業をやっている最中に、自動車を運転した若者が私の前で車を止めて、窓を開けて「こらっお前!何てことをやっているんだ!道路に雪を蒔くなんて迷惑だろう」と怒るのである。

今時、珍しい正義感の強い青年である。

私には、雪を車道に撒き散らしているつもりは全くなかったから、「これから、(この雪を)まとめるんだ」と言ったら、その青年は舌打ちをして走り去った。

2〜3分後にその青年が再び、私の前に車を止めて「だから、やめろって言ってるだろう!」と言うので、私も途中経過でギャーギャー言われるのが癪に障ったので「うるさいなぁ〜、だから今(車道の)雪をまとめている最中だろう」と言ったら、私の言葉が理解できなかったのか、「だから、止めろと言っているだろう」と再び言って、立ち去らないので、私も頭に来て、いささか逆切れ風に「うるさいぞ!今、作業中だ!お前こそ邪魔だ!どけろ!5分後にもう一度見に来い!」と怒鳴ってしまった。

この青年も正義感が強いのは良いのだが、作業の経過も知らずに、単なる思い込みで判断して、しつこく叱責するのは、いかがなものだろうか?変な正義感が思わぬ方向にいくこともありそうだ。

私も、他人のやることを注意する時には、それこそ注意が必要だなぁと悟った次第である。


■2010-03-08-Monday 家族

姉が帰郷している。

(先日のブログで「母の喜寿のお祝い」と書いたが、傘寿の間違いであった。)一緒に暮らしている母親の年も判らないとは・・・。

母の傘寿のお祝いに娘を連れて久し振りに帰郷したので、4人の兄弟姉妹が久し振りに揃ったので、皆の家族が集まってホテルで会食をした。

昔は全然似ていないと思っていた姉と妹が並んで坐るとソックリになっている。DNAというのは恐ろしいものである。

昔話に花が咲いたが、映画館の話になってかみ合わないところが出てきた。私は映画大好き人間だった父に良く連れられて映画を見たものだが、他の兄弟はそうでもなかったようである。映画館の細かい構造を他の兄弟があまり覚えていなかったのだ。

私は映画館の横には「滑り台」があったと言うのに、他の兄弟たちは知らないと言うのである。滑り台というのは比喩で、実は火災の際の脱出口なのだが、昔の二階席のある大きな映画館は二階からの脱出口は木製の急な滑り台状になっていたのである。だが、そこから中に入れない様に急な傾斜になっていたし、また良く滑るのである。しかも地上部分は簡単には昇れない様に少し高くなっているのだ。上から飛び降りることは容易でも、下から昇るのは大人でも困難にしている訳だ。

とにかく幼少の頃は悪戯っ子だったから、その昇りにくい脱出口で遊ぶのが面白かったのだ。学校帰りに映画館の横でその滑り台に昇って滑って遊んでは映画館の人に怒られるということを繰り返していたから良く覚えているのである。

また、映画好きな父は良く一人で映画見に行っていた。そんな時にお客さんが訪ねてくると、映画館を回って父を探して連れて来るのが私の役目だったのだ。

映画の上映中に館内放送なんてかけられないし、映画館の人が、いちいち父を探し出してくれることもないから、私が中に入って連れ出すしかないのである。

当時の映画館は立ち見客で溢れんばかりの混雑であったし、しかも皆、タバコを吸いながら見るから、映画館の中はとても煙たかったのである。

入り口で切符もぎりの小母さんに、父が入館しているかを聞くと大抵の人は判っていて、「居るよ〜、中に入って連れておいで」と言って中に入れてくれるのである。満員の中を一番前まで行って観客の顔を見ながら父を探し出すのである。

あの当時(昭和40年頃)は、我が家の近所には2階席のある大きな映画館が7館ほどもあって、どの映画館も流行っていたのだ。

私の映画好きは父の影響を受けているのだろうと思う。

小学校4年生の時に父に東京に連れて行ってもらったことがあったが、その時も有楽町の日劇や新宿の寄席などに連れて行かれたのである。

家族というのは、もちろんDNAというのもあるだろうが、親の嗜好が子供に影響することもある。

父は社交ダンス好きが高じて、ダンス教師の免状を取って、「ダンスホール坂本会館」を造ってしまったが、趣味と実益を一致させた稀有な例だろう。渡辺淳一の小説「冬の花火」の中に登場するのが自慢であった。だが、4人の兄弟姉妹の誰も社交ダンスはやる者がいなくて、とても残念がっていたが・・・。

私も、最近ようやくマジック教室で多少の収入を得られるようになってきたから、少しは趣味が実益を兼ねるようになってきたかな?と思っているが、残念ながら私のマジックも、子供たちは誰も継いでくれていない。この年になって父の無念さが少しは理解できるようになってきた。


■2010-03-09-Tuesday 馬鹿もんの・・・

「馬鹿もん(うまかもん)」の話が聞きたいと、

帯広の法人会青年部の面々12名が8日に我が社を訪ねて来た。3月の講師例会の講師として「馬鹿もん」の話を聞いて、更に試食もしてみたいというのである。

「馬鹿もん」とは現在進行させている北海道の新しいご当地グルメの企画で、馬肉とエゾ鹿肉を使った料理の総称をいう。四月一日のエイプリルフールを「四月馬鹿」とも言うから、来る4月1日から正式にスタートさせるように準備中の事業なのである。

「馬鹿もん」は帯広での試食会は既に終えており、24日に札幌で試食会を行うのみのスケジュールであったが、頼まれたら「ダメだ」とは言えない。この時点で関心があるということは、皆、大事な贔屓客になってくれる可能性が高いのであるから、喜んで引き受けた。

昼の12時に我が社の会議室で45分間ほど講話をしてから、場所を「タベルナ・センナリ(帯広市西1条南9丁目)」に移して試食会を行ったのである。今回のメニューは「馬鹿オムレツ」と「馬鹿ミートソーススパゲッティ」と「馬鹿ニョッキ」の3品である。

味の方は、センナリの東シェフもだいぶ慣れてきたようで、とても美味しかった。青年部の人たちにも好評であったから、味は全く問題は無いだろうと思う。後は値段設定がいくらになるかだけである。

24日に札幌で行う試食会は、センナリと同じ「北の屋台」の出身者で現在、札幌市中央区北1条西2丁目1番地の時計台ビル地階で中国北方家庭料理の店「順香(しゅんしゃん)」を営業している商(しゃん)さんにお願いした。

先日、商さんから送られてきたメニューには、「馬鹿チャーシュー」「馬鹿ホイコーロー」「馬鹿と野菜の黒胡椒炒め」「馬鹿と野菜のあっさり炒め」「馬鹿肉まん」「馬鹿水餃子」「馬鹿焼き餃子」の7品を作ってくれるとのことなので、今からとても楽しみにしている。

「馬鹿もん」の面白いところは、大きなシバリは、北海道産の馬肉とエゾ鹿肉を使うことなので、料理人のセンスで色々な料理を創意工夫出来るところなのである。

今後は、誰かが「ソーセージ」や「ハンバーガー」などを開発してくれるとお土産にも出来るし、ファストフード感覚の料理にもなる。

今後は加盟店になりたい店を公募していくので、どしどし応募してもらい。北海道中に「馬鹿もん」ののぼりを並べたいものである。

ちなみに、のぼりとTシャツはデザインが完成したので24日に間に合うように制作に入るし、今月20日〆切りの「ゆるキャラ」も多数の応募作品が集まっているので24日に審査して、4月1日には発表するところまでもっていきたいと計画中である。乞うご期待!


■2010-03-10-Wednesday まったくもう!

最近、髪の毛が元気になってきた!

今朝も(「は」ではない)、近年では珍しく寝癖が付いて髪の毛が立ってしまい、洗面台で直すのに時間が掛ってしまった。

朝の忙しい時間帯に私が洗面台を独占するかたちになったものだから、妻が「邪魔よ、さっさとどけてよ!」とせかすので、「せっかく、髪の毛に元気が戻って来て何年か振りに寝癖が付くのだから、君にとっても嬉しいことじゃないのか?」と聞いたら、「何が嬉しいものですか、やれ薬だ、シャンプーだ、スプレーだと、やたらにお金が掛ることばかりやって、今更、髪の毛が増えたところで一体何になると言うの?」「いっそのこと全部禿げてしまった方が床屋に行かなくてもいいからお金は掛らないし、朝、寝癖を直す時間もいらないし、第一エコだわよ!」と言うのである。

まったくもう何て酷いことを言うのだろう。

北の屋台の専務理事をやっていた頃は、毎晩、お酒を大量に飲んで、不規則な時間に沢山食べて、という暮らしぶりであったから、不摂生このうえない日々の連続であった。そのせいなのか髪の毛が段々と薄くなって頭頂部が寂しくなってきたのである。

それが、2007年3月末日で北の屋台を辞めてから、外食は10分の1、お酒の量は4分の1以下に減ったし、毎日の様に温泉に入っては汗を流す健康的な生活だから、髪の毛にも元気が戻って来たのだろうと思う。

4年前に高校の同窓会を開いた時に、つるりとハゲてしまった同級生の頭を見て、てっきり先生だと間違えて以来、髪の毛の重要さを認識した私は、何とか髪の毛を増やそう、ハゲるのはまだ早いと懸命の努力をしてきたのだ。それが最近、その成果がようやく現れてきているのである。

妻に「髪の毛がフサフサしてきて昔に戻ったら、お前が嫉妬するくらいまた女性にモテるようになってやる」と言ったら、「そのお腹じゃ無理ね!」と軽く鼻で笑われてしまった。

よ〜し、今度は少しダイエットして妻の鼻を明かしてやるぞ!


■2010-03-11-Thursday 姉が・・・

姉が9日に東京に帰った。

仕事のある娘を一人だけ7日の日曜日に先に帰して、自分は8日に中学校のクラス会に出席したのである。

クラス会といっても姉の帰郷に合わせて急遽連絡を取り合ったそうだから、スケジュールの都合がつかないと欠席の人も多かったようで、7人ほどの出席だけだったようである。

今時、中学校のクラス会とは珍しい。私の中学校のクラス会は28年前に一回やったきりである。その時のクラス会は私が幹事役(本当の幹事は別にいたが)をやったのだが、姉のクラスの同級生で姉と仲が良くて、我が家にも良く遊びに来ていた人が、ある事情で一年遅れて私のクラスに途中編入して来たのである。奇しくも、その人の結婚式に合わせて開催したきりなのである。

以来、中学のクラス会は名簿すら作られたことがないからクラスメートの消息は皆目見当もつかない状態である。幹事役がキチンとしていないとクラス会というのは開催出来ないものなのだ。しかも最近は個人情報保護云々がうるさくてなかなか名簿を作ることも出来づらくなっている。

姉のクラスメートとは一緒に良く遊んだから、良く知っている人が多い。いまだに私のことは「カズアキちゃん」なのである。

帰郷した際にクラス会を開いてくれるとは、姉は幸せな人である。

9日の早朝5時に私の携帯電話がなって起こされた。寝ぼけながら電話を持った途端に切れた。誰から来たのか見るのも面倒でそのまま机に置いて再び寝たら、10分後に今度はメールの着信音が鳴ってまた起こされた。誰が悪戯しているのだろう。それとも嫌がらせか?とも思ったが、起きて確かめることもせずにまた眠りについた、が、二度寝はスッキリしない。

朝起きて、携帯を確認したら姉からだった。東京の息子に「起きなさい」の電話を掛けるつもりが、間違って私の電話に掛けてしまい、すぐ気が付いたから電話を切って、今度は謝りのメールを入れたというのである。

それなら、私が電話に出てから、「間違った、ゴメン」と言えば一度で済んだものを、すぐに電話を切るからまたメールでと面倒なことになる。まったく困った姉である。

姉が東京に戻った9日には東京は雪が積もったとのこと、雪を持って帰ったと思っていたら、今日は、帯広が大雪になりそうな気配である。

例年、彼岸の頃に50〜60センチの大雪が降るのが十勝である。覚悟はしているが、毎年、毎年、嫌になる。

この時期の雪は湿っていて重たいから腰に負担が掛るのである。明日はまたつらい雪かきである。


■2010-03-12-Friday へぇ〜!

ドンドン進化するアマゾンに驚いた。

いやぁ〜1ヶ月振りくらいに、中古本を調べようとアマゾンを開いてみてビックリした。

YaHooのインターネット・オークションで「奇術」・「手品」・「マジック」等などのキーワードで中古本の検索をして、まだ所持していない本が見つかると入札することを、ここ3年くらいずっと続けている。

その他にも、「日本の古本屋」や「スーパー源氏」などもたまに検索するのだが、こちらの方は書籍名や著者名などの文字情報しか掲載されていないから探すのが慣れないと少し困難なのである。

「アマゾン」にも古書の部門があって、キーワードで検索するとズラッ〜とその類の本がほとんど写真付きで表示されるし、新品〜古書まで一覧で表示されるから、とても便利なのである。中にはオークションよりもはるかに安い出モノがあるから嬉しいのだ。

YaHooオークションがこのところ出モノが少ないので、先日、久し振りに「アマゾン」を開いてみたのだが、2ヶ月程前とは画面が随分と良い方向に変わっていたのでウ〜ン、アマゾンもなかなかやるなぁ〜と感心したのだ。

アマゾンで「奇術」をキーワードに検索したら、以前ならズラ〜ッと写真付きで「奇術・マジック」などのやり方を載せたいわゆるハウツウ本や教則本の類ばかりが表示されたものだったが、今回は・・・。

判り易く例をあげると、「東京下町 新富育ち(田島ふみ子)草思社1994年」(江戸情緒の残る新富町に歯科医の娘として育った著者が自らの思い出を軸に綴る下町歳時記。昭和初期の東京の庶民の日常生活を活写した貴重な記録。挿画=穂積和夫 )という本が「奇術」のキーワードの本欄に紹介されている。

この本が何で「奇術」に関係があるのだろうと思ったら、「101ページの引用」として「奇術の松旭斎天洋と看板がかかった家もあり・・・」と載っている。私はこの後がどうしても読んでみたくなってしまったのだ。

定価が1800円の本だが、古書では1円〜で売っている。1円ならまぁ良いかと購入してみたら、232ページのハードカバーの本の中にたった一文字、先述した「奇術の松旭斎・・・」が載っているだけなのである。後にも先にも「奇術」の文字は出てこない。つまり、232ページの本文中に「奇術」という文字がたった一文字出てくる本を「奇術」の本欄で紹介しているのである。

これには正直驚いた。

誰が、一体どうやってこのキーワードを探しているのだろうか?

どう考えてもこの本一冊丸々全てを調べて、たった一文字でも「奇術」と出ていたら、「奇術」というキーワードの本の中に紹介されるということなのだろう。これはすごいことである。おそらく、他のキーワードの例えば、この本に出てくる「芸者」で検索しても、この本は「芸者」の本欄に紹介されるのであろう。

よっぽど吟味して購入しなければ、騙された〜と感じる人も出てくるだろうが、下手な古本屋の親父に尋ねるよりも、よっぽど確かな検索方法である。

面白くなって「松旭斎」「天勝」などをキーワードにアマゾンで検索してみたら、有るは、有るは、結構面白そうな本に、紹介されていることが判明した。これでまた、購入したくなる本が増えてしまうが、見過ごしがちな本まで調べられるのはとても便利である。

これなら、古本屋はとても勝負にならないだろう。アマゾンの進化に驚いた次第である。


■2010-03-13-Saturday 講演スタイル

私の机の上は本や書類が平積みになっている。

会社の机も、自宅の机も同様の状態で今にも崩れそうだ。妻に言わせれば、「少しは整理したら?」となるところだが、これでも一応は何処等辺に、どのような書類が置いてあるのかは把握している(つもりなの)である。

それでも、不必要な書類(2年間以上開いて見ることがなかった書類)は、この3月末の年度末に向けて少しは整理しておかないと、新年度の書類を置くスペースが全く無くなってしまうから、少しずつ整理を始めたのである。

書類も、必要か、不必要かは、一応内容をサッと見て判断しなければならないから、結構時間が掛ってしまうのだ。あんまり溜まり過ぎてニッチもサッチもいかなくなったら、見かねた従業員が、分類してくれてから、エイ、ヤァーとばかりにマトメテ捨ててくれるのである。

私はというと、その分類してくれた書類を見て、これはまだいる、これはもういらないと判断するので、会社の机はこれまた書類で一杯になるから、「社長、早く捨てましょうよ」とせかされることになるのだ。

そんな整理をしている中で、面白い冊子が出て来た。

何年か前に学校の校長先生をやっている友人から、平成15年の10月17・18日に幕別町で開催された「第46回北海道中学校校長会研究大会十勝(幕別)大会」の記念誌が送られてきたのである。

「北の屋台のK専務理事の講演を聞いたのだが、聞いていて非常に不愉快な思いをした。講演を聞いて嫌〜な気分になったのは初めてだ。その講演録が掲載されているから読んでみろ!」と送られてきたものだ、今回、捨てるのもどうかなと思って読み返してみたところ、まぁ酷いことが書かれていた。

一読して、そういえば以前にも何となく読んだような気がするが、内容が若干違うようにも感じる。よくよく思い出してみたら、この講演録の校正前のモノが「北の屋台事務局」にメールで送られてきたものを見せられたことがあったのだ。

あまりに内容が事実と異なることや、仲間たちの悪口ばかり言っているから、事務局員の女性達が「随分デタラメばかりしゃべっていますね〜。一緒に活動している医者の先生や自分の生活を支えてくれているはずの北の屋台の店主に対してもこんな悪口を言うなんて随分と失礼な言い方ですよね。」と呆れていたことを思い出した。

Kもその校正前の原稿をそのまま載せるのはさすがにマズイと思ったのか、この記念誌の講演録は随分と修正が施されているようだが、それでも・・・。平成15年10月といえば、まだ私が辞める3年半も前のことであるのに・・・。

一読して、私の講演スタイルとはスタンスが随分違うなぁというのが感想である。

聴講して下さる方々に夢や希望や元気にするような話をするのが私の役目だと思っているし、これから街づくりをする人たちにヒントになるようなマジック的発想法だとか、運営のノウハウだとかを的確に伝えることが重要なのだと考えている。

Kのように自分が所属している組織のことを悪しざまに言って何になるるのだろうか?ましてや屋台店主から頂いている家賃から給料をもらっている人間が言うことではないように感じた。

もう少しマトモな事が言えないのだろうかと思う。

ここから書くことは、北の屋台の関係者以外にはどうでもよい話だろうが、何がどうデタラメなのか、書かなければ読者には判らないと思うので書く事にした。これでも修正後の文章なのである。

K曰くは「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の設立時の箇所では、TKLはKが関わっていた青年会議所(JC)の「エイズキャンペーン事業(十勝管内の高校を回ってエイズへの認識を高める活動)」から出来たんだそうだ。

正しくはTKLは「国際環境大学構想プロジェクト(1995年)」から出来たものだ。

Kは「国際環境大学構想」には一切関わっていないし、第一、当時KはすでにJCを卒業(1994年卒:JCは40歳で卒業)していたから、この国際環境大学構想プロジェクトにはまったく無関係なのである。さすがに無関係な自分がTKLを作ったことには出来ないと思ったからか、事実を捻じ曲げて「エイズキャンペーン」からTKLが出来たことにしたかったのだろう。

しかし、誰がどう考えても「エイズ」から「環境ラボラトリー」が出来たというのはちょっと(方向的にも)無理があるんじゃないだろうか?

「北の屋台」のきっかけになった帯広市と商工会議所の「TMO タウン・マネジメント・オーガナイゼーション事業」も、商工会議所の議員だった私が依頼されて参加したのであって、K曰くの自分が「忙しかったから別な人間(ここで坂本のサの字も言わずに別な人間と言うのは何故なのかな?)を代わりに送った」と言うのは???、海外視察にはKは一度も行ってもいないのに「東南アジア・アメリカ・ヨーロッパに遊びに行って1000枚の写真を撮ってきた」のだそうである。

一番許せないのは、北の屋台を辞めた店主を実名を挙げてこきおろしていることだ。彼等の払ってくれる家賃で生活させてもらっている人間が何をエラソ〜に言うのだろうか!

私は、いまだに北の屋台の講演をする時には、「北の屋台は素晴らしいところですよ!ぜひ来て下さい」と宣伝している。なぜなら、北の屋台が我が子の様に可愛いからだ。

私は常に人を元気にするような講演を心掛けているが、Kの講演のスタイルは他人をこきおろすことで、相対的に自分を上位に立たせようとするものだ、聞いた人を嫌〜な気分にさせる話である。これでは「北の屋台」の為にもならないだろう。

一体、K専務理事はどういうつもりで講演していたのだろうか?

7年経った、最近の彼の講演を聞いてみたいものである。


■2010-03-14-Sunday 朝青龍

アホな奴だなぁ〜!

朝青龍のことである。テレビのワイドショーでモンゴルでの記者会見の模様を放送していたが、懲りない奴というのは、どこまでいっても懲りないのだなぁ〜。

まさか、モンゴル語で話したから、日本人には理解できないだろうとでも思ったのかしら?

何でこの時期に、わざわざ物議を醸すようなことを言うのだろうか?彼だってお金が欲しいのだろうから、引退試合や断髪式をやりたくないわけではないと思うのだが・・・。

相撲協会に後ろ足で砂を掛けるのはまだまだ早過ぎるだろうに。

日本人をナメテいるのか、はたまた相撲協会をナメテいるのか、それとも唯の思慮の浅い子どもの頭脳しか持っていない奴なのか。

少しは殊勝なところを見せて、大人しくしていれば良いものを、モンゴルでの自分の立場を良くしようとして墓穴を掘っているだけのように見える。何もこの時期に、この事態に、ハワイにゴルフに行ったり、モンゴルに帰ったりする必要はあるまいに。

常人には理解不能のことをするから懲りない奴なのだろうけど。その場しのぎの嘘を言う奴ってのは、後の事を考えない奴が多いんだよなぁ〜。とにかく、その場さえシノゲレば、とりあえずはOKだと思うのだろうなぁ。モンゴルでモンゴル語で話したから日本人には届かないとでも考えたのだろうけど、テレビカメラが入っているのだし、通訳というのがいるのだから、そんなことは言ったことはないなんて言い逃れは出来ないだろうに。

もしも、モンゴルの人たちが、朝青龍の言うことをまともに信じて、日本人に悪感情を持つような事態にでもなったら国家間の大問題になる。きっとそんな重大な発言をしているとは朝青龍は微塵も考えていないだろうが・・・。

こうやって、自分に都合の良い嘘ばかり言っていても、自分の立場が強いから口ごたえ出来ないだろうと勘違いしていても、やがて良識ある人たちが立ちあがって崩れてくるものなのだ。これで単なる朝青龍と相撲協会のこじれという問題から、国レベルの大問題に自身の発言でわざわざ引き上げてしまったのだから、暴行問題もキチンとした説明を迫られることになるだろう。アホは死んでも治らない。

信頼とか信用というものは、一朝一夕には築くことは出来ないが、壊すのは不誠実な事をしたら一瞬で足りるものだ。横綱だからただ強ければ良いというものではないと思う。

高い地位に立つ人間ならば、やはり、不断の覚悟と生活態度が大切なのである。だからこそ、それに見合う尊敬と金銭が付いて来るのだと思う。ただで人が金を恵んでくれる訳ではないのだ。勘違いしてはいけない。


■2010-03-15-Monday ブログのネタ!

ブログのネタが尽きることがない。

去年は365日、毎日ブログを更新し、今年もこれまで一日も欠かすことなく書いているが、毎日、毎日、面白いことが起きてブログのネタに困ることがない。退屈しない人生である。

このブログも先行して13日(土)に自宅で書いているのだが、書きたいものが多過ぎて日にちがドンドンと前倒しに進んでしまうのだ。

これから書くことは昨日12日(金)起こったことである。

前の晩の夕食時に母から「先日、温泉に行った時(姉が帰郷した際に母・姉・姪っ子・妹の女4人で十勝川温泉に一泊した)に見たのだけれど、幕別の私の土地にまだ看板が立っているように見えたから、貴方が行って確かめて来てちょうだい!」と言うのである。

帯広の隣町の幕別町札内地区の国道沿いに母名義の土地があって、そこに近くの温泉ホテルの大きな看板が立ててあるのだが、去年の今頃、札幌の看板の管理をしている業者から「今年(2009)の5月31日の契約切れをもって借地契約を解除したい。もっと手前の帯広寄りの位置に看板を新しく作ったのでお宅の土地に立ててある看板は不必要になりましたから・・・、看板の撤去、現状回復は期日の5月末日までにやっておきます。」という電話が入ったのでその旨を母に伝えておいたのであるが・・・。

だが、その後、その札幌の業者から撤去したという報告は受けていなかったので、私も現地を見に行ってはいなかったのだ。

それが、先日、姉が帰郷した際に、母が現地近くを通ったらまだ看板が立っていたようだがどうなっているのか?とのことだったのでわざわざ12日に見に行ったら、大きな看板がまだシッカリと立っているではないか!

会社に戻って、早速に札幌の看板を管理している会社に電話したら、担当者が不在だったので、別な人間に一通り状況を説明した。15:00過ぎに担当者が帰社の予定だから、折り返し電話させます。とのことなので、我が社の電話番号を教えて就業時間まで待っていたが電話が来なかったので帰宅したのである。

夕食時に母にその旨を報告したら「あらっ、それなら今日、家に電話が来たけど、息子に任せてあるからと言っておいたわよ。何でも、去年の5月末までに看板を撤去して原状回復も行っている。その現場写真も、工事を依頼した会社から送られて来ているから間違いない。」と言っていたと言うのである。

ハハァ〜ン、そうか、去年、近くに同じ温泉ホテルの看板を立てたと言っていたから、撤去を依頼された業者が誤って我が方の看板をそのままにして、新しく作った看板の方を、間違って撤去してしまったのだろうと思ったのである。若しくは、誤った住所を撤去業者に伝えたかであるが、このケースは少ないだろうと思う。

いずれにしろ、札幌の看板管理業者は、撤去を依頼した工事業者から送られてきた写真だけでしか判断していないのに、どうしてあんなに強気に言い切れるのだろうか?こちらは私自身が自分の土地を実際に現地まで見に行っているのだから、場所を間違えるわけはないのに・・・。

これは面白いことになってきたぞ!

私が指定した箇所に電話を掛けてこないで、母の所に電話しただけでも腹立たしいのに。第一、母の所に電話しても、まだ問題が何一つ解決したわけではないのに、指定した電話番号に掛けて来ないという神経が理解出来ない。

13日の朝に、この札幌の看板管理会社に電話したら、留守電になっていて、どうやら土・日は休みのようである。

これは来週の月曜日に果たしてどんな展開になるのだろうか?

面白いケースである。


■2010-03-16-Tuesday 看板の顛末

15日付けのブログに書いた看板の件で、

15日月曜日の午前の朝一番に札幌の看板管理会社にTELした。

まずは、12日にこちらが伝言した会社の電話番号に掛けて来ずに、母の家に電話したことを注意した。

やたらと強気な担当の○○氏は、母に言ったのと同じ様に「書類上も間違いがないし、業者から現状回復した写真も受け取って確認しているから間違いない!」と強く言い切るのである。しかも、どうやら母に電話した時点で問題が解決したと思っているようだ。

「貴方は札幌に居て、書類上で確認しているかもしれないが、私は、私の土地を自分の足で見に行って、看板が立っているのを確認しているのだから、間違うはずがないだろう?」と言っても聞き入れないのである。

「お宅が看板が立っているとおっしゃている住所は幕別町○○○の△△番地ですか?」と(こちら側が住所を間違っているんだろうみたいに)あまりにも自信たっぷりに言うから、ひょっとすると何だかこちらが間違っているのかもしれないと、急に不安になってきて「今、登記簿を調べるから一寸待て!」と言って住所を調べ直したのであるが、もちろん私が間違っているはずがなかった。

この担当者の強気の根拠が一体どこから来ているものなのか、私にはどうしても理解が出来なかった。

少々カチンときた私は、「第一、貴方は、去年の今頃、私の会社に電話して来て、5月31日で契約を終了したい。期日までに現状回復すると言ったきりで、現状回復しましたという報告は受けていないよ!だから地主との確認作業を終了していないだろう?」と言ったのだが、相手は「業者から写真が届いたので、地主さんに連絡しなくても良いと思った。その点は申し訳ないと思うが、この看板の件は書類上は間違いはない」と言い張るのである。

埒が明かないから「君はふざけているのか?お宅の書類上がどうかなんてことは私は知らないが、現実に看板は家の土地に立っているんだぞ!」とこちらも少し強い口調で言ったら、しぶしぶ、では調査をするから時間をくれというので「サッサと調べなさいよ!」と言って電話を切ったのである。

1時間後に会社に電話が来たので「時間をくれと言った割には随分と早いじゃないか」と嫌味を言ったら、今度はやたらと低姿勢なのだ。

どうやら予想した通りに、別な看板を撤去したようなのである。

撤去作業をした業者のミスなのか、この担当者のミスなのかは、当方には関係の無い話だから、あえて詮索もしなかったが、

「契約を継続してもらえませんか?」と言うのである。

「去年の分の賃貸料はすぐに振り込みます。今年の契約書もすぐに送りますので契約を継続してくれませんか?」と言う。さっきまでのこの担当者のデカイ態度に頭にカチンと来ていた私は「いや〜それは困るなぁ〜、あそこは使おうかなぁ〜と考えているから、撤去してもらって綺麗に現状回復してもらわないとねぇ〜」とちょっと悪戯をしたのだ。

すると「あの大きな看板を撤去するとなると、とても大きな工事になりますし、看板の依頼主とも相談しなければ・・・」と言い出すから「それは、こちらには無関係の話でしょう?看板をどうするかはお宅と依頼主とで話し合えば良いことではないのかね!」と畳みかけたら、さすがに困った様子なので、あんまりイジメテも可哀想だから「あの土地の持主は母だから、母と相談しなければならない。今晩、母と相談しておくから、明日の今頃にまた電話を寄こしなさい」と言って切ったのであった。

だいたい、事の顛末は予想していた通りであったが、それにしても、いくら帯広から離れた札幌の会社だからって、担当者が現場を見もしないで、書類と写真だけで処理して、しかも地主にも現状回復の連絡をいれない看板管理会社って、一体どういう会社なのだろう?

この交渉相手が、心優しい私でなく、妻だったら、一体どんな結末になっていたのだろうか?

それにしても、あの強気の根拠って一体なんだったのだろうか?


■2010-03-17-Wednesday 坂本龍馬?

アホな政治家が坂本龍馬を気取っているようだ。

鳩山の弟の方の邦夫氏である。

昨日(15日)のニュースで、自民党に離党届を提出して来たと得意気にぶら下がり取材を受けていたが、この人の頭の中は一体どうなっているのだろうか?

先週読んだ週刊誌によると、何でも邦夫氏は東大を首席で卒業したんだそうな。この記事を読んで、その時点でさえ、えりも灯台の間違いではない、な〜んて云う昔懐かしいギャグを思い出してしまったのに、昨日の邦夫氏の行動は???

私の脳みそにはまるで理解不能な行動である。

ぶら下がり取材では、「政界一頭の良い与謝野氏」と「国民的人気が高い桝添氏」などと聞いているこちらが笑っちゃうほど、やたらにヨイショしていたが、彼等を薩長に、自らを坂本龍馬に例えるなんて、今人気のNHKの龍馬伝に乗っかったつもりなのだろうが、日本国民の誰一人として鳩山邦夫が坂本龍馬だとは思いもしないだろうに・・・。

自分の立ち位置も判らずに、国民の意識も判らずに、たった一人で先行して離党してどうするつもりなのだろう。まさか、坂本龍馬本を読み過ぎて、本当に自分が坂本龍馬になったつもりになってしまって、脱藩ならぬ離党をしたのだろうか?

これまでにも政党を渡り歩いてきた人だが、渡り鳥ならぬ伝書鳩に終わりそうである。

もうこうなると道化師(ピエロ)である。もし、こんな状況で鳩山邦夫と行動を共にしたら、その時点で、その人物の政治生命は終わりだろうと思う。

政局を読めない奴が、政治など出来る訳がなかろう!

兄の由紀夫も、この邦夫も、鳩山家というのは、一体どういう子供の育て方をしたのだろうか?

ところで、桝添が国民的人気があると云うのだが、本当なのだろうか?私にはどうしても信じられないのだが・・・。たしか麻生の時も同じ事を言っていなかっただろうか?

日本の政治家の質の低下は、あまりに酷い。小学校の生徒会長だってもう少しまともなのではないか?

このままでは、政治に対する無関心な人達がますます増えるだろうなぁ。何とかせいよ!早く本物の坂本龍馬が出現して日本を洗濯してくれることを望む!


■2010-03-18-Thursday まちづくり

まちづくりというのは、

全国各地で行われているが・・・。

十勝毎日新聞社の「論壇」欄に16日に掲載される予定で新聞社に提出していた私の原稿が、高校の合格者発表の日と重なったことで、1週間後にずれ込んで掲載されることになった。

今回の原稿は「広小路」についてのことを書いたのであるが、ちょうど、2,3日前の新聞に、広小路の改装案が載っていたので、今日の掲載であればタイミング的にはピッタリだったのだが、一週間ズレたことでややインパクトが薄くなるかもしれない。

私が言いたかったことを一言で言えば、まちづくりには「根本治癒」と「対処療法」の2種類があるということである。

これから書くことはあくまでも私見であることを断っておく。捉え方によっては傲岸不遜な物言いに聞こえるかもしれないが、ここであえて書いておきたいと思う。

「まちづくり」と称して活動する中には、実体は「まちづくり」ではなく「ゆるやかな自殺」とでも言うべき活動があると考えている。

「まち」が衰退した根本原因を探ることもなく、危機感から、闇雲に動き出してしまうことを、私はそう呼んでいる。

全国各地で失敗してきた事業のほとんどが、そういう経過を歩んできているのだ。

戦略や目的を持たない行動は、やがて「体力」も「気力」も萎えさせていくだけなのだ。本当に直さなければならない根本原因をそのままにしておいて、表面上の客足だけを、イベントを繰り返すことで維持しようという動きがまさにそれなのである。これをやる人達というのは危機感と正義感を持っているだけに、よけいに始末に終えないというのも全国共通なのである。

危機感を持っているだけに、その活動に参加する人達は皆熱心なのだ。

だが、根本原因を治癒せずにカンフル剤を打ち続けても、商店街が復活することなどありえないから、活動はやがてジリ貧になっていき、その熱心な人達から疲れ果ててしまって、根本を直そうという時には、もう体力も気力も無くなっているというのが、衰退する商店街が歩む失敗のパターンなのである。

帯広の商店街も、根本原因を探ることなく、危機感から行動を起こしている。

初期の段階では、活動しないよりは、活動した方が客足の減少は多少は食い止められるかもしれない。しかし、活動に掛かる経費や人員の割には効果がないものだし、たとえ最初は効果があったとしてもやがて薄れてくるのも共通している。

時間がないから、活動しながら、考えるという意見は、一見すると正論のように聞こえるのだろう。

動かずに、座って考えるというのが苦手なのだろうとも思う。

資金が潤沢ならば良い。人員が豊富ならば良い。もう一つ言えば時間があるのなら良い。

だが、考えずに行動して失敗したら、もう後がないのだ。

結局は、すぐに動き出すというのは返って遠回りの道なのだということを知ってほしいのだが、なんとかしようと燃えている人たちに冷や水を掛けるようなことは・・・。

それよりも、しっかりと考えてから、皆が共通認識を持ってから、行動を起こすことこそが早道なのだと考えている。

広小路の場合は、根本原因は道路幅にあると私は考えている。アーケードの色を変えても、屋根を変えても、掛けた経費の割には効果が薄いだろうと思う。

何億円というお金を掛ける事業なのに、調査や研究が少ないままで着手してしまうのは、やはり補助金が入るからであろう、自分の懐の痛み具合が少なくて済むから。(でも、失敗したら結局は自分たちが一番ダメージを受けるんだけどなぁ〜)

私は広過ぎて殺風景な商店街が流行っているのを、これまでに、まだ見たことがない。この根本原因を直さずして復活することはまずないだろう。


■2010-03-19-Friday 民主党の

民主党の政策に?

民主党がマニュフェストで掲げた「子ども手当」と「高校無償化」法案が3月内に成立する見通しである。

私はこれと「外国人参政権」の3つは止めた方が良いと考えているのだが・・・。

中学卒業までの子ども一人に月1万3千円(年額15万6千円)を支給するという。

子どもの養育費にお金が掛かるというが、同居している内はそんなに掛かるというほどではないと、私は経験上思うのである。

高校から地方の学校に行く場合は、一人分の家計(家賃・食費などの生活費)が余計に掛かるのであるから親の家計を圧迫するだろうが、同居している場合は高校生(公立高校)でも、さほどでもないだろうと思うのだ。

むしろ、大学生の時にお金が掛かるというのが実感である。我が家は3人同時に東京の大学に出して、しかも3人ともバラバラの場所に住んでいるから、親のスネは折れそうに細くなっている。

一律にバラ撒くのではなく。学業の優秀な生徒や、経済的に困窮している家庭に厚く補助してあげるべきだろう。

しかも、昨日の新聞の解説では、外国人に支給され、日本人には支給されないというケースがあることを指摘していた。「外国人牧師が50人の子どもと養子縁組して本国に子ども置いてきた」場合は支給されるのだという。新聞には詳しく書いていなかったが、この場合は13,000円×12ヶ月×50人分=780万円が払われるということなのだろうか。

逆に「親が海外に赴任していて子どもが日本の学校の寮などに入っている」場合は支給されないというのだ。これは極めてレアなケースであるが、有りえないことではない。正義感を持って世の貧困を正そうと考えた聖職者が確信犯になって、貧困国の子どもを多数、養子縁組して日本に来たら民主党はどう対応するのだろうか?

まだまだ、中身を検討することが必要だろう。

「高校の無償化」も朝鮮学校の件でまだもめているし・・・。

東京と北海道では公立高校と私立高校のポジションは全く逆なのだそうだから、好きで私立の高校に入学するのならお金が掛かるのは想定済みのことではないのか?とも思うのだが・・・。

そもそも、塾に通わなければ、まともな学力がつかないということがオカシイだろう。どうして学校の授業だけで学力がつかないのか?

学校や教師というものが、機能していないということではないのか?無償化するよりも、学校の在り方や教師の在り方を直す方にお金を使った方が良いように思うのだが。

「外国人参政権」も日本のある地域(対馬や隠岐などを想定しているようだが)にある目的を持った外国人が多数移住してきたら・・・。という議論も起きている。

いずれの問題も何故こんなに性急に成立させなければならないのだろうか?

どうやら、夏の参議院選挙が目的のようだ。

だが、先の2つはバラマキだから、お金を貰った人の中には、票を入れてくれる人も中にはいるだろう。しかし、外国人参政権は票につながるのだろうか?

意味不明の政策である。

こんな馬鹿なことをやっていないで、早くまともな経済政策でもやって欲しいものだ。

しかし、まだ、政権交代してから半年しか経っていない。ここで民主党はダメだというのも早過ぎると感じる。60年の自民党政治がこんな日本にしたのだから、それを、わずか半年で何とかしろ!というのは性急過ぎるだろう。それに、自民党の方もバラバラで、さっぱり受け皿になっていないしね。

せめて、後3年半は待ってもいいから、もう少しまともな政策をやって欲しいものだ。マニュフェストこそ、変にこだわらずにゼロベースで見直した方が良いのではないだろうか。


■2010-03-20-Saturday 福島県郡山

郡山市で講演してきた。

福島県郡山市で19日(金)10:00〜12:00までの時間帯で講演して欲しいとの依頼を受けた。

この時間帯だと前日に郡山市に入っていなければならない。帯広という遠隔地に暮らしているとこういうところにハンディを感じる。

最初は帯広空港→羽田空港→東京駅(東北新幹線)→郡山駅というルートを考えたが、千歳空港から福島空港まで飛行機が飛んでいることが判ったのでそちらで行くことにした。以前に福島市で講演したことがあったが、その時には、2日前が栃木県宇都宮市で、翌日が岩手県盛岡市というスケジュールだったので、迷わずに東北新幹線で移動したのだが、日本中を異なるルートで移動したいと日頃から考えているし、今回は郡山市単独の日程である。それに福島空港はまだ使ったことがないから、飛行機でいくことにした。

新千歳空港から福島空港にはAIRDOが飛んでいる。AIRDOに乗るのも初めてなのである。

帯広駅12:54発のスパーおおぞら8号で、(南千歳駅乗換)新千歳空港駅15:01着。新千歳空港16:00発→福島空港17:20着。福島空港からはリムジンバスで郡山駅前まで40分という旅程である。実に自宅を出てから郡山市のホテルの部屋に着くまでに要した時間は7時間である。これだけの時間を移動に使うのだからもったいないといえばもったいない話である。

もともと旅行するのは大好きであるし、講演で全国各地から呼ばれるので、日本の全ての都道府県を制覇したいとも思っているから、まだ行ったことがない場所から呼ばれたら、何をさておいても出掛けるのである。ちなみにまだ行ったことがないのは長崎県と佐賀県の2県だけになった。

一人で旅行するのは気楽で良い反面、少し寂しい。特に一人で夕食を食べるのはわびしいものである。

18日の夜も、一人で夕食を食べにホテルを出た。ホテルのフロントで郡山名物を聞いたのだが、名物料理と言えるほどのものが無いと寂しいことを言うのだ。「強いてあげれば会津若松の馬刺しでしょうか!」と言う。ホテルの目の前にその料理屋があるが、辺りを散策したかったのでグルリとホテル近辺を歩き回った。小雨が降っていたので、近くの看板に「福島ブランド!伊達鶏料理」という文字を発見、更に近づくと「郡山グルメ○○○」のポスターが貼ってあるし、会津若松の馬刺しの文字も見えるから、この店に飛び込んだ。

木曜日とは言え夜の8時なのに、客が一人も居ない!「アッ、これはマズッタかな」と思ったが帰る訳にもいかずにカウンターに坐って、店の人に「北海道から来たんだ」と話しかけたが、乗ってこない。「何か福島名物を食べさせてよ!」と言ったのだが、郡山には名物料理は無いと言うのだ。しかたないから、無難な伊達鶏の焼き鳥と地酒を飲んだ。焼き鳥も地酒も美味しかったのだが、たった一人の客で、しかも会話が弾まないのは空気が重いので30分でその店を出た。

まだお腹が空いているので、そうだ!喜多方ラーメンが福島名物ではなかったかと思い出したので、ラーメン屋を探したら、「中華ソバ」という暖簾が掛かった小さな店があったのでそこに入った。ラーメンはこういう小さな店がウマイ(はず)である。作っているところを見たら、スープと醤油が最初からズンドウに一緒に入っている。それをすくってドンブリに入れるだけなのだ、「ウワ〜、またマズッタかな」と思ったが、これがなんとも妙に美味しくてスープを全部飲み干してしまった。感は正解だった。

一人でお酒を飲みに行ってもつまらないから、コンビニで日本酒を買ってホテルに戻り、飲んでサッサと寝てしまった。

世の出張族も一人だけの出張だと、なかなか外に飲みにも行きにくいだろうなぁと思う。こんなことが日本中で重なって夜の街の景気も悪くなる。やはり出張は複数人で行くべきだ。

午前中はいつも通りに講演を行った。聴講してくれた方々が終了後に演台に来てくれて「元気が出る話で、しかも面白かった」と言ってくださった。何よりの褒め言葉である。

帰りの飛行機の時間は17:50発である。郡山駅前のバスの発着場で時間を調べたら、16:15発のバスが丁度良い時間なのである。バスの発車時間までは、まだ4時間近くもあるから、まだ行ったことがない会津若松まで行ってみようかと思い立ち、駅の観光案内に行ったら、会津若松までは電車で片道1時間10分ほど掛かるしそこからまた乗換えがあるから時間的に難しいと言うのだ。では、郡山市内でどこか観光するところはないかと尋ねたら、今の時期は何もないと言う。

確かNHKの龍馬伝でやっていた岩崎弥太郎や吉田松陰が江戸で師事する安積昆斎(あさかごんさい)はこの地の出身ではなかったかと思ったのだが、安積という地名はあるが、昆斎は知らないという。

そんなもんなのかなぁ〜と思いながら、貰った地図を頼りに合計3時間半も歩き回った。郡山は公園が多いし、そのどれもが水を使っている。これらを上手く使えば、良い散歩道になるのになぁと思いながら歩いた。

旅行した時に楽しみなのが、古本屋を訪ねることだ。二軒しかないと言うので探し訪ねた。駅からはかなり距離が離れていたが、とても風情がある古本屋だ。店の親父さんに帯広から来たと言ったら春陽堂さんを知っているかと聞かれたので、良く通っていたが昨年店舗を閉めてしまったという話をした。ヒョンなことから話が弾んで40分ぐらいその古本屋さんで話し込んだ。

やはり旅先では地元の人と話をするのが楽しいものだ。旅とはこうでなければつまらない。


■2010-03-21-Sunday 強風

ものすごい強風が吹き荒れている。

この強風で北海道も飛行機や列車が運休している。こんな日が旅行の移動日でなくてほんとうに良かった。

羽田空港や新千歳空港などの大きな空港で飛行機の運行が乱れたりした時なら、まだ時間をつぶすこともできるが、地方の小さな空港でなら手持ち無沙汰になってイライラしてしまう。

ましてや、列車の中に居る時に運行が停止したりしたら、ただ座席に坐っているしかないから暇をもてあます。以前に石勝線のトマム近くの鉄橋で、今日の様に強風の時に脱線の危険があるからと列車が止まってしまったことがあって2時間近くも列車内で待たされたことがあった。買っていた雑誌も読みつくしてしまうし、昼間から酒を飲むわけにもいかないし、寝ることも出来ないしで、イライラしたのを覚えている。こういう時の疲労感というのは倍増されて感じるものなのだ。

昨日の土曜日は、15時から歴史の勉強会があったので参加してきた。日本史におけるアイヌと思しき蝦夷(まったく一緒というわけではない)という記述が出てくる文献を元にして、安倍比羅夫(アベノヒラフ)などの征夷大将軍の遠征から、江戸末期の津軽藩や南部藩や松前藩までの動きを検証するのだが、これがなかなか面白く興味深い講演であった。

松前藩のことなんて日本史の教科書には出てこなかったから藩主の名前すら知らなかったが、その歴史を研究することは北海道を知る上でも重要であると感じた。

高校時代も日本史の授業が大好きで、個人的にもいろいろな文献を読んで勉強していたが、蝦夷の話だけを抜き出して勉強するのは初めてのことである。

蝦夷とアイヌが同一の人たちなのかは今日まだ学会でも意見が分かれるところだが、意外と昔からヤリトリというか関わりというか色々な交流があったことが判る。

おそらく、北海道は今の気象条件よりも温暖だった時代があったのではなかろうか?と思うのである。また、北海道から樺太を抜けて大陸に渡るルートというのもかなり昔からあって、義経がジンギスカンになったという説が盛んに喧伝されたことがあったが、その話はともかくとしても、戦に破れた武将が北海道に渡ってきて大陸まで行ったという話が残っていたり、大陸まで行って略奪行為をしていたというのは興味深い話である。

北海道の函館方面の地域を現在は渡島(おしま)地方というが、北海道を「わたりとう」と呼んでいた時期があり、この「わたり」という言葉の意味を考えたときに、かなり盛んな行き来があったのだということが伺える。津軽地方にもアイヌの人たちが住んでいた「てき村」というのがあったというから結構、混血もすすんでいたのかもしれない。

征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が捕らえてきたアテルイという蝦夷の首領の名前もどこかアイヌを想起させる名前だ。

もともと日本全土にいた蝦夷という名前をつけられた原住民を、朝鮮半島から渡ってきた人たちが、真ん中の島根県あたりから入ってきて(出雲大社の大国主命「オオクニヌシノミコト」の国譲りの物語がそうではないかと言われている)北と南に原住民を追いやって日本を征服した。だから北海道のアイヌと沖縄の人達が似ていると言われてもいるが・・・。それから、七福神の中に恵比寿(夷)と大黒天という2人の神様がいるが、これも何等かの関係があって神として奉っているのではなかろうかと思われる。日本人は酷い目にあわせた人間を祟らないように神として祭る風習があるようだからだ。恵比寿は「夷」とも書くが、この「夷」という字は「(蔑んだ)異国の・・・」という意味に使われるからだ。大黒天の大黒も「大国主命」の大国を大黒と読み替えているのだろう。七福神の由来はよく判らないが、他の5人はヒンズー教の神様などらしいから、それと日本土着の2人の神が合わさって七福神になった意味を探ると、きっと面白いことが判るのではなかろうか?

真偽のほどはまふだこれからの研究によるのだろうが、古代の物語を研究するというのは、なかなかロマンがあって面白いものである。


■2010-03-22-Monday 連休が

最近、連休が多過ぎて、

暇をもて余している。

そんな状態なのに、観光庁は連休を地域によってブロック分けにして休みの日にちをズラす法案を検討中だというのだ。

ゴールデンウィークなどの連休に、ホテルなどの観光施設に一挙に人が殺到することで、サービスが低下したりするのを防いだり、観光施設側も連休に合わせて臨時雇用しなければならない人間を、連休をまばらにすることで正規雇用にすることができるかもしれないというのである。

でも、果たして目論み通りになるだろうか?

テレビでやっていたが、北海道から沖縄まで支店や工場などがある全国規模の会社では、おおいなる不都合が生じるという。

また地域によって休みが異なれば、単身赴任した父親が連休に自宅に戻りたいと思ったときに、赴任先と自宅のある地域の休みの日がズレていたら・・・。

こんなに狭い日本なのに、地域によって休みの日を分けるというのも何だか観光商業ベースでしか考えていないように思えて、しっくりこない。

それよりも、有給休暇を完全に消化させる法律を作った方が良くはないのか?有給休暇という制度は、会社に遠慮したり、同僚に遠慮したりして、なかなか消化されていないのが現状だろう。

そんな状況で休みの日を地域でズラしたりしたら、ますます休みたくても休めない人たちが増えるだけのような気がする。どうやら、メリットよりもデメリットの方が多いようだ。

民主党も、こんなどうでも良いことに手間隙掛けないで、もっと政府らしいことをやってもらいたい。国民の人気取りを考えての法案作りなのだろうが、逆に作用しているというのは皮肉なものだ。こんなバカなことばかりをやっているから支持率が下がるのだ。

そもそも、祝日というのは昔は祝祭日と言っていた。「祭」は宗教的な意味合いがあるからとGHQが使用させなくしたらしい。

何百年と続いてきた日本人の生活につながる行事を祝祭日として祝っていたものを、単なる休日にしてしまうから、こういう発想になるのだろうなぁ。昔は1月15日と決まっていた成人の日を1月の第二月曜日にして、日曜日にくっつけるように2000年からのハッピーマンデーだとかいう法律で変えてしまったから、本当の意味合い(小正月の元服)が忘れられてしまうのだ。

我が家は、子どもたちも大きくなってしまったし、レジャーをするには体力も金力も無くなってきているから、家でゴロゴロしているだけだけどね。これ以上連休が増えたらますます肥ってしまうから困るなぁ。


■2010-03-23-Tuesday 温故知新 広小路・考

十勝毎日新聞2010年3月22日(月)「かちまい論壇」掲載記事

「北の屋台」を始める時に屋台の歴史を研究したが、その中の「広小路」の箇所を抜粋した。歴史を学べば面白いアイデアが出てくるかもしれない。

1920年(大正9年)に旧裁判所用地(西3条南9丁目・旧ヨーカドー跡)の解放にともない、大通りから西2条を結ぶ8丁目線(夜店通)に露店が集まり、露天商組合が組織され、道路中央に背中合わせのテント張り仮設店舗を建て、その中央の露店を両側から挟むように向かい合わせに香具師(やし)が店を出した。

30年(昭和5年)12月、西2条南8丁目に「藤丸百貨店」が開業、同年5月の8丁目線(夜店通)の営業内容は洋品7、金物9、果実13、玩具9、氷2、瀬戸物3、焼物8、饅頭1、生魚3、花4、青物3、餅2、印刷1、菓子4、履物5、小間物11、植木3、するめ1、眼鏡1、本2、靴修繕1の合計93店、翌年6月の調査では106戸に増えた。

45年(昭和20年)、終戦間近の7月14日、帯広駅がアメリカ軍に空襲を受けた。これにより7月20日から月末にかけて防空法に基づき、重要公共建築物を守り、家屋密集地帯に住民の避難所を作る目的で、第1次強制建物疎開が実施され、広小路の防火上好ましくない施設と見られていた露店が撤去され中央広場ができた。空襲を受けた直後でもあり異議の申し立ては少なく疎開作業は順調に進んだが、半月後に終戦を迎えるとこの措置を恨む声が起った。

8月15日に終戦を迎えたが、直前につくられた疎開跡地は最適の露天市場となり、わずか半月の間に露店が立ち並び始め、46年(昭和21年)には「新興マーケット」ができた。初期は広い広小路の両側に戸板やムシロを敷き、旧軍放出品などを売っていたが、後に道路中央で背中合わせとなって屋根を付けて固定し、50年(昭和25年)には137戸が営業。53年(昭和28年)7月に118軒が半強制撤去されて新興マーケットは終焉を迎えた。

広小路は露店街であったのだ。現在の広小路の道幅は20mで路面店の営業軒数は32店舗。一説によると商店街の最適道幅は6mと言われている。自然発生的に背中合わせで出来た露店は道幅を狭くする効果を持っていたことが分かる。

現在の全蓋式アーケードにする際に自動車にも人間にも両方に都合の良い道路にしようとしたが、逆に両者にとって使いにくい道になり現在に至る。

広過ぎる道は殺風景だ。狭く感じさせて賑わい感を創出する方法を歴史が教えているのではないだろうか?


■2010-03-24-Wednesday 広小路

22日付け「かちまい論壇」に載った

「温故知新・広小路・考」の感想を何人かから頂いた。

新聞という公器であるから、あまり過激なことは書けないと思って、極力、柔らかく柔らかく書いたつもりであったが、受け取り方というのは人様々なものである。

この文章は私のこのブログの3月18日付けに書いた「まちづくり」と合わせて読んでいただいた方がより過激さが増すと思うので、まだそちらを読まれていない方は、ぜひ読んでみて欲しい。

私が言いたいことは、根本原因を直さずして、治癒(活性化)はありえないということにつきる。

私たちが「十勝場所環境ラボラトリー」で研究してきたのは「場所の意志に合った・・・」ということである。この場所の意志とは、場所には適、不適な事柄が存在するということでもある。

広小路の歴史的な経過をみれば、広小路は大正9年(1920年)から露店が多くあった場所で、露店が強制撤去された昭和28年(1953年)までの33年近くが露店街として賑わっていたのである。

業種も初期の昭和5年の段階で21種類93店舗もあったのだ。つまり広小路だけでほとんどの買い物を済ませることが出来たわけである。

ところが、その後の広小路は、露店とはもっともかけ離れた高級な職種ともいえる呉服店街になり、極端に業種の幅が狭まるのである。

業種の幅とは対照的に道幅は広がった。もともと20㍍あったが、広過ぎて商店街としては相応しくないから、真ん中に背中合わせに露店が並んで道幅を狭くしていたのにだ。

それを広小路に変える時に20㍍に戻してしまったのである。

私が考える最大の失敗は、ロクに調査研究もしない内に、今の全蓋式アーケードに改修した時だ。

車にも人にも良い道路にするというコンセプトで、昼間は車をシャットアウトし、夜間は車の通行を認めるように作られたが、それは逆に言えば、車に取っても人に取っても使い難い道路にしてしまったということになる。何時からは通行出来て、何時からは通行出来ないなんて面倒な事を、客や通行者はいちいちやりたくないからだ。

結局、両者から嫌がられる存在にしてしまい。現在の形にしたのである。

でも、向かい側の店に行くのに、わざわざ横断歩道を渡らなければ行けない商店街が流行るだろうか?

商店街の最適な道幅は6㍍という説もあるくらいだから、3倍以上の20㍍は、なんとしても広過ぎる。

この根本問題を解決しないで、ウワベだけ直しても客は戻ってこないだろう。

だが、今回の修繕費はいくら補助金が出るといったところで、広小路の商店主にだって負担はある。現在、路面店が32店舗しかなくて、空き地だらけの商店街が負担できるのだろうか?


■2010-03-25-Thursday 馬鹿もん!in札幌

札幌で馬鹿(うまか)もんの試食会をおこなった。

24日に札幌市中央区北1条西2丁目 札幌時計台ビル地階の中国北方家庭料理の店「順香(しゅんしゃん)」で馬鹿もんの試食会を開催した。

これまで帯広のイタリアンレストラン「タベルナ・センナリ」でしか試食会を開催していなかったが、札幌方面の方々からも「馬鹿(うまか)もん」を食べてみたいというリクエストが多かったので、北の屋台出身の「順香」さんにお願いして中華料理で試作品を作ってもらったのだ。

「順香」のご主人の商(しゃん)さんは、なにせ初めてのことなので戸惑いもあったと言っていたが、チャーシューやホイコーローや餃子・肉まん等7品を出してくれた。

味は濃い目に作ったと言っていたが、中華の香辛料が強いのと、少し塩辛かったが、馬肉も鹿肉も中華料理にはピッタリの食材だと感じた。

今回の試食会には、道庁、国交省、観光協会、札幌の商店街関係者、JCメンバーなど30名と北海道テレビ・読売新聞・北海道新聞・十勝毎日新聞・日本農業新聞などのメディア関係者11名が取材に来てくれたので、22席しかない店内は人であふれかえっていた。

料理の味は好評「普通に美味しい!」とか「肉の臭みを感じない」とかの感想が多かった。本来、血抜き処理がキチンとされている肉は臭みはほとんど感じないものなのだ。ここでも、やはり「鹿肉は臭い」というイメージが先行しているのだろうと思う。

馬肉は馬刺しでしか食べたことがないという人が多かったので、馬肉料理は新鮮に感じると思う。いろいろな調理法があった方が美味しいものを食べられるだろう。

馬肉の値段がかなり高いので、今後は消費量が増えることで値段も下がれば、もっと多くの人が食べるようになると思う。

募集していた「ゆるキャラ」も全国各地から約180件もの応募があったので驚いている。試食会の後に会議をして、選考した。180点から一点に絞るのは難しい作業である。選考されたものはなかなか可愛いデザインであると思うので、今後はキャラクターグッズなどの展開も考えられるだろう。

後は、4月1日の正式スタートから、参加店の募集をはじめるので多くのお店が参加してくれるようになるともっと面白くなると思う。


■2010-03-26-Friday イオマンテ2

「生命を頂くありがたさ」

2010年3月26日付、読売新聞朝刊北海道版「風向計」掲載

函館ラ・サール高校の英語講師ピーター・ハウレットさんから「The Ainu and the Bear」と題する絵本が送られてきた。これは私たちのグループ「十勝場所と環境ラボラトリー」が2005年2月15日に出版した「イオマンテ めぐるいのちの贈り物(文:寮美千子・画:小林敏也・パロル社刊)」の英語版である。

イオマンテとはアイヌの「熊の霊送りの儀式」のことで、ちょうど今頃の季節に、熊が冬眠している穴を見つけて猟を行う。冬眠中に生まれた小熊がいたら、母熊だけを殺して小熊はコタン(村)に連れ帰る。母熊の肉、毛皮などは余すところなく活用する。熊は天からの贈り物だから、すべてを大切に頂くのだ。

連れ帰った小熊は、人間の赤ちゃんと同じ様に母乳を与えたりして家の中で大切に育て、大きくなったら丸太の檻に移すが、上等の食事を与え続ける。1〜2年育てた後に、熊の霊を天に帰す盛大な儀式を行って殺し、また余すところなく頂く。肉や毛皮などは、もてなしに対する置き土産であるから、村人皆がありがたく頂戴するわけである。

農耕民族の日本人は血を「穢れ(けがれ)」として嫌い、昔は4本足の動物の肉は基本的に食べなかった。明治以来、肉を食べるようになったが、狩猟民族の食べ方とは異なり、いまだに殺される現場は見ずに解体処理された肉だけを食べている。しかし、果たしてそれで良いのだろうか?

ものを食べるという行為は植物であれ動物であれ、結局は「生命を頂く」という行為で、それが「いただきます」の本当の意味だろう。声を出さない植物か、肉の塊になったものしか見ていないから、生命を頂いているという感覚が乏しくなる。

何も食肉処理の現場を見ろと言っているわけではない。私も鶏肉の工場見学をしてから、しばらく鶏肉を食べられなくなった経験がある。直接に殺す現場を見なくても、生命を頂いているのだと教えることは出来るはずである。

私たちが出版した「イオマンテ」という本は、まさにそんなことをベースにおいて作った絵本である。ちなみに、道が野蛮な儀式として禁止通達を出していたイオマンテだが、この本が出版された2年後、この通達は撤回された。

この「イオマンテ」を是非とも英訳して世界に広めたいと言ってくれたのが、ピーターさんを代表とするアイヌ民話を英語圏に紹介する活動をしている「プロジェクト・ウエペケレ」の方々だ。この絵本で、生命の尊さ、そして、その尊い生命を食事としていただくことのありがたさを、世界中に広めたいものである。


■2010-03-27-Saturday インタヴュー

26日金曜日に2件のメディアから、

インタヴューを受けた。雑誌社と新聞社である。

最初はいずれも「馬鹿(うまか)もん」のインタヴューであったが、途中から話題が変わっていった。

一件目は札幌ー帯広間の高速道路が繋がることに対する感想であった。

十勝でも札幌方面と繋がることで、札幌方面からの観光客が十勝を訪れることのメリットや可能性の大きさを宣伝しているが・・・。

確かに来勝する可能性は0%ではないが・・・、かといって流出する人数よりも流入する人数が多くなるとは、私には到底思えない。

これまで、全国各地を見て回ったが、高速道路で大都市と繋がることで活性化した小規模市町村を、私は知らないからだ。

しかし、商業や観光関係のリーダーという立場の人間は口が裂けてもそんなことは口に出来ないだろうと思う。フーテンの寅さんじゃぁないが「それを言っちゃ〜お終いよ!」になってしまうからだ。リーダーが諦めたら、それこそ十勝全体の士気が萎えてしまうからだ。

リーダーという立場に立ったことのない人は、遠慮会釈なくガンガンと言えるだろうが・・・。昔と違って、情報過多な時代だから、リーダーの人は大変にやりにくい時代なのだと思う。

しかし、現実的にはファッション関係などは完全に、大都会側に持っていかれるだろう。唯一、勝ち目(呼び込める)があるとすれば、十勝に来なければ食べられない種類の「食べ物」ぐらいだろう。

十勝はお菓子が美味しい地域と言われているが、六花亭や柳月は全道各地に出店しているから、わざわざ十勝に来てまで食べてもらうには、十勝の店でだけしか食べられないメニューを作ることが必要だろうと思う。十勝には、地方にも小さな美味しいお菓子屋さんが沢山点在しているが、それだけで道央方面から客を呼ぶにはいまいちパワー不足が否めない。

昨今のダイエットブームがあるから、お菓子の食べ歩きツアーというのも、厳しそうに感じるからだ。

旬の野菜や魚介類を宣伝する必要もあるが、単なる食材だけならあちらでも買うことが出来るから、独自の料理法などを開発する必要があるだろう。

でも、北海道の業者は、売れ始めるとすぐに全道や全国に展開して、そしてすぐにダメにしてしまう傾向にある。儲けを短期間で取ってしまおうという商法なのだ。もっとじっくりロングセラーを育てる意識改革も必要だ。

道央方面には無い「モール温泉」「ばんえい競馬」などを上手く生かして複合させる方法が必要だろう。いずれにしろ、日帰りで帰してしまうのはもったいない。一泊してもらえる魅力作りがいる。

二件目は中心街活性化である。広小路の件で質問された。この新聞社がおこなったアンケートでは、4月の市長選挙の関心事項の第2位に「中心街活性化」が入ったので驚いているとのことだった。

60歳代以上の人にとっては十勝という雪国での自動車の無い老後の暮らしが、ようやく切実な問題に感じられるようになったのだろうと思う。この件は以前に書いたこのブログの内容を話したのでここでは割愛するが。

いずれにしろ10年以上も前から警鐘を鳴らしてきたことばかりなのだが、人は切羽詰らなければ動こうとしないものなのだなぁ。でも余裕が無い時期に動いても上手くいかないんだよなぁ〜。


■2010-03-28-Sunday テレビ

27日にテレビ局の取材を受けた。

先の24日に札幌でおこなった「馬鹿(うまか)もん」の試食会で取材に来てくれたHTBの「イチオシ!」という番組のプロデューサーが再度取材をしたいと、わざわざ帯広まで取材に来てくれたのである。

札幌での試食会の模様は、翌25日のイチオシで放送してくれたのだが、更に別な角度から取材してくれるらしい。今回は「馬鹿(うまか)もん」の「ゆるキャラ」を中心にした取材である。

先日のブログで約180点の応募作品が集まったと書いたが、昨日の取材時に全作品を並べて数えたら、正確には187点であった。全国各地からこんなにたくさん応募していただいたので、とても嬉しい。

放送日は29日(月)の15:45〜19:00の「イチオシ!」の中とのこと長い番組だから、何時頃に放送されるのかは不明だが、道内で見ることが可能な方は是非見て欲しい。

春休みで東京の大学から帰郷している次女と、家族で回転寿司屋に行った。私は寿司は大好きなのだが、回転寿司屋だとあまり量を食べられない。せいぜい6皿が限度である。回っている寿司を見るだけでお腹が脹れてしまうような錯覚を覚えるのであろうか。どうも沢山たべられないのである。

そのいつも混む店に、携帯電話から予約できるサービスを始めるというラミネート加工されたチラシが立て掛けてあった。いつも待たされているから、携帯電話に取り込んでおいた方が良いのではないかと、妻が自分の携帯電話を取り出して「写メ」で撮影していたら、次女が「写メじゃダメなんだよ!バーコードリーダーというのにしなければ・・・」と言うのだ。私の携帯電話にはカメラ機能すら付いていないから何のことかサッパリ判らなかったが、どうやらカメラで写すだけでは用を成さないらしい。若者がよく携帯電話で四角い黒い点々のあるものを写しているなぁぐらいにしか思っていなかったが・・・。

素朴な疑問であるが、あの四角い点々にハナクソでも付いたらどうなるのだろう?

食後に3人で温泉に行った。いつも行く近所の温泉ではなく、ちょっと離れた場所の大きな温泉である。

行く前に自宅のテレビで、妻たちはフィギュアスケート、私はボクシングを見たいと意見が分かれた。2対1だから、私は一人で寝室の小さなテレビで見ることになったのだが、テレビを点けたら、選手同士が足で蹴り合っている。アレッ、これはキックボクシング(他の新しい呼び方が沢山あって判らない)じゃないか!ボクシングの試合の前にキックボクシング???

ボクシングを見ようとテレビを点けたのにキックボクシングをやっているのでは、何だかとても違和感を感じた。

とても気分がシラケテしまい、妻たちにも「もう結果が判っているのだから、早く温泉に行こう!」と誘ったのである。

温泉のサウナの中のテレビで、亀田興毅対ポンサクレック戦を飛び飛びで見た。キックボクシングを見た後でボクシングを見るのは、やっぱりどこか変だ!ずっと違和感が取れないままであった。結局、判定で亀田が負けたが、何ともつまらない試合であった。

最近、テレビ局のTBSが不振だと言われているが、こんなところのセンスにそれが現れているのではないだろうかと感じた次第である。


■2010-03-29-Monday マジックの祭典

日曜日にマジックの祭典という催しを見て来た。

帯広のマジック愛好家達が集まって「第3回マジックの祭典」が開催された。私のマジック教室に通っている生徒さんも2人出演するので、その生徒さんから是非見に来て欲しいと言われていたので、見に行ったのである。

13:30〜15:00までとの案内であったので13:30丁度に会場に行ったのだが、会場の駐車場が満車で止める場所がなく、近所の公園の駐車場まで行って停めてきたので、開演時間から20分ほど遅れて入場した。プログラムはすでに4番目まで終わっていたが私の生徒さんの出番は12番目と15番目(トリ)なので間に合った。

演技は5番目の方から見たのだが、「マジックの楽しみ方」にはこういうのも大いにアリだなぁ〜と感じた。

演技者は皆、高齢者ばかりの方々である。観客はそのファミリー(子供や孫たち)や近所の人達という和やかな雰囲気であった。

演技者の方は失敗すると、もう一度初めからやり直してしまうので、時間が押して押して真ん中の9番目の人の時には既に終了時間の15時になってしまっていた。

この後一体どうするのかと思って見ていたら、道具の検め(何も仕掛けがないですよ!と客に納得させる動作)を省略して、いきなり箱から色々なモノを出し始めてしまった。道具の検め(アラタメ)をやらなければ、箱の中からモノを出しているだけだから、不思議でも何でもなくなってしまうのだが、それがご愛嬌になっていた。

演技をしている方も、観ている方も、何がどうして不思議なのかを理解していないマジックショーというのを初めて見たが、ほのぼのとした雰囲気がそれを感じさせないのである。

おそらく、この会の出演者の皆さんは、マジックを練習するよりも、他人に見せるのが楽しみな部類の人たちなのだろう。

私のように、研究するのは好きだが、他人にはあまり見せたくないという部類の人間とはだいぶ事情が異なるようだ。

でも、このマジック愛好会の高齢者メンバーが、マジックで老人ホームなどを慰問して歩いているというから、老老介護ならぬ、老老慰問である。

マジックは指先や頭を使うから、ボケ防止には効果があると思う。もっと、マジックの別な楽しみ方を考えなければならないと痛感した。

何もテクニックを身に着けようと考えているわけではなさそうだからだ。派手な衣装を着て、舞台に立つ、それが楽しみなのだろう。

でも、舞台上の所作の基本くらいは、教えてあげる必要がありそうだ。なにせ、舞台上でお客さんにお尻を見せて、後ろ向きにゴソゴソと何かをやってしまうのは、笑えるけれども、マジックとはほど遠いからだ。


■2010-03-30-Tuesday 赤レンガ

北海道庁の会議が、

赤レンガ庁舎で行われた。「平成21年度北海道総合開発委員会」の今年度最後の会議である。

「北海道総合開発委員会」というのは平成20年度からの北海道の10年間の計画を作る委員会である。これまで平成18〜20年まで札幌で会議を開催して計画を練ってきた。平成20年に計画が始まった後も進捗状況を点検・評価する為に年に2回の会議をしているのだ。

赤レンガ庁舎で会議を行ったのは初めての事で、これまでは、道庁近くのホテルや庁舎内での開催であった。

赤レンガ庁舎は中学校の修学旅行で訪れて、その前で写真を撮ったかどうかもうろ覚えで、確か、サラッとだけ中を見学しただけではなかったかと思う。

その赤レンガ庁舎の2階の会議室での会議であるから何だか妙に嬉しかった。昔の建物は天井がとても高くて、内部の窓枠は彫刻まで施されている。明治の人達がこの建物にかけた北海道開発の意気を感じる建物である。

会議の冒頭には高橋はるみ北海道知事も挨拶したので、いつもの会議とは雰囲気が異なった感じがした。

再度4月1日からの新しいメンバーにも再任されたので、今後も北海道の計画の推進に尽力したいと心を新たにした。


■2010-03-31-Wednesday 河童伝説

札幌からの帰りの列車の中で読んだ本のタイトルが

「QED河童伝説」高田崇史著(講談社文庫)である。

札幌駅近くの本屋で文庫本の新刊が平積みされていて、たまたま目に留まったのだ。

私は、趣味のマジック研究が高じて、世の中の「不思議」なもの全般にとても興味がある。しかも歴史もミステリーも大好きときているから、こういう類の本は是非とも読んでおきたい本なのだ。

この本の作者の高田崇史氏の本を読むのは初めてであるが、夢中になって400ページを読み切った。昔から本好きが高じて本を読むスピードが速いのである。いわゆる速読法というものだ。丁寧に一字一字を拾ってじっくり読む箇所と、ページを開いた瞬間にほぼ内容がスッと入ってくる読み方を使い分けて読んでいる。

世の中の「不思議」を研究していると、「龍」「鬼」「河童」「伝説」などがとても気になる存在なのである。

この「河童伝説」は多少、こじつけっぽいなぁと感じるところもあるが、総じてとても面白い本であった。

私は、一作読んで気に入ると、その作者の同じ傾向の作品を全部読みたくなる癖がある。

学生時代には、半村良のSF伝奇小説作品が気に入ってしまって、ほとんど読破したものだ。10年ほど前には高橋克彦の伝奇小説が気に入っていた。このところその伝奇小説の分野では、私をワクワクさせてくれる作品にお目にかからなかったのだが、この「河童伝説」を読んで高田崇史がすっかり気に入ってしまった。

巻末をみると「QED]シリーズで数冊、面白そうな本を書いているようだから、早速買って来て読破することにしよう。