■2010-11-01-Monday マイヒストリー34
2001年12月20〜25日まで
上智大学の石澤良昭教授の招きでカンボジアに行って来た。帯広のNHKテレビ局からハンディのハイビジョンビデオカメラを貸すから取材をして来てくれないかとの依頼を受けた。同じアングルで遠景→アップまで3段階で撮るように等、カメラマンから撮り方の指導を受け、カンボジアでは一生懸命にビデオカメラを回して取材をしてきたが・・・。
渡された30分テープ8本を全て撮ったから240分の量が撮ってある。年が明けた1月9日にNHKの帯広局に行って職員の人と一緒に編集作業を行ったが、使ってくれたのは僅か30秒程度でしかなかった。自分では上手く撮れていると自信を持っていたのに・・・。
この時の模様は18日に放送された。
2002年も相変わらず、テレビ・新聞・雑誌などの取材や講演の依頼が多い。いやむしろその数は増えていく傾向にあり、殺人的なスケジュールで進んでいった。ここにその時のスケジュールの様子を書いてみよう。
京都の環境市民という地球環境問題に取り組んでいるNPOから十勝環境ラボラトリー(TKL)に、全国環境首都コンテストの審査をするように依頼を受けた。
2002年からスタートさせる事業である。この審査の打合わせの為に1月から何度も京都に足を運ぶことになった(1月13〜15日、2月15〜18日)。たたでさえ北の屋台で忙しいのに、新しい仕事が入ってくる。TKLで実質上動ける人間は女子職員2人と私ぐらいしかいないのだ。後のメンバーは皆仕事を持っているから、この種の仕事は全て私に集まってくる。
「忙中閑あり」で忙しい時には意外と時間が見つけられるものである。移動の飛行機の中や列車の中は、書き物をするには絶好の時間となった。
この環境首都コンテストの私の審査担当場所は岩手県花巻市の近くの東和町というところである。2月24・25日に行ってヒヤリングをして来た。26日は帯広市の第4回まちづくり検討委員会に出席、27日には環境首都コンテストの帯広市へのヒヤリング。28日はとかちプラザで北の屋台の講演。環境首都コンテストの結果を持って3月1〜3日まで京都で採点作業である。
4日は新聞社で環境首都コンテストの取材を受け、5日は江別からの視察対応とラジオ出演、6日は美唄からの視察と財政局の取材、7日は日経新聞の取材と函館からの視察対応、8〜9日はTKLの公開講座で、親しくさせてもらっている斎藤聖美さんが来るのでその対応、10日の日曜日だけ久し振りの休みで、11日は商工会議所のTMOの会議に出席、12・13日には親しい大学教授の訪問を受けて対応、14日は釧路市で講演して一泊、15日早朝の列車で戻って帯広市内のホテルで講演、16日は根室市から視察、18日は仙台市からの視察対応と・・・。正直この時はハードであった。
その後もこの種のスケジュールが続いた。このままこれをやり続けたのでは死んでしまうと思ったので、少し視察の対応を減らそうとしたのだが、他にやってくれる人間が居ないのだ。
理事長に私の講演を文字に起こしたものを渡して、今後の講演を少し手伝って欲しいと依頼した。ところが、これが後に問題になるのである。(つづく)
■2010-11-02-Tuesday ニュース雑感
最近のニュースへの感想、
まずは尖閣諸島沖の中国漁船衝突のビデオを7分間に編集して一部の国会議員に見せたこと。
政府のやることなすこと皆、後手後手に回っているようだ。この公開にはいくつかの問題点を感じる。
①何故に昨日11月1日だったのか?
②何故に7分間に編集したのか?
③何故に一部の国会議員だけに公開したのか?
①に関しては遅すぎる!何故にすぐに公開しなかったのか、そして何故にこの時期に公開するのか、まるでその意図が理解できない
②に関しては編集してはイケナイだろう!公開するならまず全編を公開するべきで、全編を公開した後に見易く編集するべきだ。でなければ中国側が言うように改竄している可能性を怪しまれてしまうからだ。
③に関しては世界に向けて発信するべきだ。
こんな馬鹿なことばかりやっているから、世界中からナメラレル。
ロシアのメドベージェフ大統領がロシア首脳として初めて北方領土を視察した行為も、日本をナメキッテいるからやった行為だろう。
前原誠司外相も最初だけは威勢が良い発言を簡単にするが、外交は正論だけでは出来ないだろうに・・・。
もう少し考えてから発言しなければ日本の国益は台無しになってしまう。
TPPへの参加表明を閣議決定で行おうとしている姿勢も疑問だ。
この国の将来の在るべき姿をシッカリ考えもしないで、場当たり的に対応しては禍根を残すことになる。
私見だが、黙っていても早晩日本の工業系の企業(いわゆるメーカー)は安い賃金を求めて海外に出ていくことになるだろう。今回TPPに参加して輸出企業の言うことをきいても多少の流出を抑える効果しか期待できないと思う。それよりも、これを機会に今までの農業を劇的に変えて、世界と渡り合えるような農業に変身させることを考えるべき時だろうと考える。
昨晩のテレビのWBSでは「蕎麦」の値段が高騰しているというニュースが流れた。ロシアが干ばつで蕎麦(ロシア人はソバをクレープみたいにして沢山食べるらしい)の出来が悪く、中国から大量に買い付けた為に日本への輸出量が減っているとのことらしい。これくらいのことで食料調達が難しくなるのだから、食料は戦略物資である。金だけで解決は出来ないだろう。
今回のような拙速な対応では、結局は二兎を追う者は一兎をも得ずになりかねない。
いよいよ民主党には政権を任せられないと感じるようになった。
裁判員裁判で初の死刑判決かと注目を集めた「耳かき店員殺害事件」の裁判であったが、結局、無期懲役刑になった。
この件に関してのテレビの番組のコメンテーターの発言は私には理解出来ない発言ばかりだ。
まずは、死刑は絶対に必要な刑だと思う。人権派を気取る連中は死刑は野蛮だとか、国家が人を殺して良いのかという意見を述べていたが・・・。
だが、そもそも、殺人を犯した人間は、殺した人間の人権を無視したから殺したのであろう。そんな人間の人権を尊重するという意見そのものがオカシイ。
それまで真面目に働いていたとか、反省しているとか、言うが、真面目であろうがなかろうが、反省していようが、なかろうが、死んだ人間は帰って来ないのだ。
自分勝手な理屈で他人の命を殺めたのなら、自分の命で償うのが当たり前である。
そして、この裁判員制度が問題だ!
私はこの制度が始まる前から苦言を呈してきたが、この制度は即刻廃止するべきだ。
ド素人の一般人が人を裁くことに問題があるし、そのド素人が死刑を求刑したら一生トラウマになってしまうだろう。
そもそも、自ら望んで裁判官になった人間とは違って、裁判員は一般市民から抽選で選ばれるシステムなのだから、望んでいない、いやむしろ嫌だという人間までが裁判員になるかもしれないのだ。そんな人が死刑判決など求刑できる訳がない。
真偽のほどがまだ不明とのことだが、警視庁のテロ組織情報提供者のリストがインターネット上に流れたというニュースもあった。
もし、これが本モノの情報だったら、大問題だ。情報提供者の氏名が判明してしまえば、命の危険があるのだから、今後誰も情報提供する人間は居なくなるだろう。なんというアホな情報管理体制なのだろうか。
まったく日本という国はどこに向かって行こうというのか、私にはサッパリ理解できないことばかりだ。
■2010-11-03-Wednesday コース下見2
マラソンコースの2回目の下見を行ってきた。
今回はマウンテンバイクにデジタル表示のメーターを取り付けて、正確な距離を測る為の走行である。
ハーフマラソンの正式な距離を調べてみたら「21.0975km」とあった。果たしてこのコースは何kmあるのだろうか?
前回10月31日(日)は11時09分のスタートであったが、今日は1時間早い10:10のスタートにした。本当は実際のマラソン大会と同じ9:00にスタートしたかったのだが、自転車の整備に手間取ってしまった為に1時間遅れでのスタートになってしまった。
天候は最低気温2℃、最高気温11℃、風は北西の風でやや強い。私の感覚では風速7〜8メートルといったところか。
風速1mで体感温度が1℃下がると言うから、2〜3℃くらいに感じる温度なのだろう。だが、走っている分には汗をかく温度だ。
耳や手が少し冷たく感じる程度である。前回走った31日の天気ならベストで、今日の天気なら風が多少気になる程度か。
「とかちプラザ」の正面玄関前のバス停を目印に10:10にスタートする。道銀の角まで0.62km、競馬場の正面前で2.1km、ファミリーマラソンの5kmのコースはこの競馬場往復辺りが良いのではなかろうか?
開西病院南東角のフロンティア通りまで7.02kmであるから、白樺通り(競馬場から)は約5kmの直線コースになる。
9:00に「とかちプラザ」をスタートすれば、最後尾のランナーが白樺通りを通過するのに1時間は掛からないだろうと思う。
フロンティア通りを右折して帯広の森に入る道までは8.28km、帯広の森への坂道を登り切ったところに小さな樹の並木があるが、そこまでが10.09kmで白樺学園の前に出る通りの交差点の「止まれ」の標識で10.8kmであるから、中間点はこの辺りか。
ここまでは公衆トイレがない。
白樺学園高校正面門(11.61km)、帯広の森西側入り口(11.85)、ここから明治十勝オーバルの周りを走って正面入り口で(12.6)、新銀橋(12.69)、アイスアリーナ入り口(12.97)ここに公衆トイレ①有り、広い栄通りに出る手前の「ようこそ帯広の森へ」の看板横で(13.4)、ここから北側に進むがパークゴルフ場の手前に公衆トイレ②有り(13.78)、パークゴルフ場北側の出口(14.08)、ここで右折して栄通りを横断して自由が丘に入る信号機の下(14.2)、自衛隊の手前の「サンハート㈱一級建築士事務所」の角(14.8)、ここの角を左折して下り坂、自転車を漕がずに時速38キロのスピードが出た。
中島通りで右折(15.43)、中島通りを通り、少し狭い常盤通りに入るランチョ・エルパソの西側のいちまるの角で(17.92)、緑ヶ丘大通りの南側角(18.23)、緑ヶ丘1条通6丁目の赤いインターロッキングの道を登って、緑ヶ丘公園の前の広い道を横断して公園内に入る。児童会館と美術館の間の道を少し登って「ひとやすみの径」(18.53)で左折、百年記念館と池の間の銅像前(18.78)、茶屋の右手側に公衆トイレ③有り(18.89)、パークゴルフ場とグリーンステージの間の道を抜けてグリーンパークとのT字路まで(19.11)、グリーンパークを左手側に見ながら公衆トイレ④有り(19.23)、メインエントランス前(19.37)。
公園大通りと西8条通りの角を左折(19.71)、西8条南15丁目線(20.14)、西8条南9丁目線(21.11)、西8条南7丁目線(21.35)、この厚生病院の北西角を右折して7丁目線を東進、
西3条通りの交番前に公衆トイレ⑤有り、西2条通り藤丸の北側を右折(22.17)、駅前11丁目線(22.82)、西3条通りを左折(22.95)、とかちプラザ駐車場入り口前(23.17)、とかちプラザの南側を回って元の正面入り口バス停前(23.48)(12時10分到着)。
西風が強く行きは向かい風であったが、時間は31日よりも掛かってしまった。
総距離は23.48kmであるからフルマラソンの正式距離「21.0975km」よりも2.382kmほど長いことになる。
途中の明治オーバルの周りを走った距離が約1.12kmあるからこれが余分かもしれない。これを引くと22.36kmで、まだ1.26km長い。とかちプラザの周りを走らせなけらば350m減らせるからそうなると約22km。
まぁ、だいたいこんなもんだろうなぁ〜。
■2010-11-04-Thursday マイヒストリー35
北の屋台は2001年7月29日にオープンしたが、
20軒分造った店舗の内、初めは16軒しか埋まらなく、4軒は組合直営の臨時貸しの屋台として使用していた。
オープン時からお客さんが多数詰め掛けて連日の大満員状態が続いたから、最初は腰が引けて様子見をしていた人達が、屋台に出店したいと申し出てくれて、その後、すぐに3店舗は埋まったのだが、1店舗だけは、なかなか決まらない場所があったのだ。
この最後まで埋まらなかった場所はトイレの前で広場の横である。実はこの場所は後に売り上げで全体の1,2位を争う好立地の場所になるのだが、出店希望者はトイレの近くの店舗を最初は敬遠していたのである。
2001年9月になって、「最後まで空いていた1店舗をそのまま閉めておいたのでは、北の屋台全体の雰囲気が悪くなるから」と、K理事長(当時)が、「自分が屋台の店主をやって、現店主達にお手本を示してみせる」と言い出し、その助手を勤めるスタッフを募集しはじめたのである。
自分の会社を潰してしまって収入の無くなったK理事長は、北の屋台の組合の専従になってそこから給料をもらう算段をしたのだろう。
案の定すぐに「自分の給料を自分で稼ぐから、組合専従にして欲しい」と言い出した。
私は、K理事長は飲食業をやった経験がないから、それは難しいよと難色を示したのだが・・・。
北の屋台は6年半しか土地を借りることが出来なかった。だからこの6年半の間に金融機関から借りた1500万円を返済し、屋台店主から集めた保証金(100万円×20軒)の2000万円(事業終了時に店主に返還しなければならない)を作らなければならないのだ。
だから、私も無給だし、事務所の家賃も無料にしている。2名の女子職員もボランティアに近い安月給で働いてもらっているというような状態で、何とか6年半後には完全に金融機関に返済する金額と保証金相当分のお金を貯めることが出来る計画を立てていたのである。
「自分で自分の給料分は稼ぐから」と言ったところで、飲食業の経験のないK理事長には難しいことだと思ったのである。
そのK理事長に支払う給料分が足りなくなることになりかねないからだ。
しかし、理事会では「Kは仲間だろ、会社がつぶれて大変なんだし、自分の分は自分で稼ぐと言うのだから助けてやれよ」ということになり、Kに女性職員の3倍以上の額の給料を払うことが決められてしまったのだ。
これが、そもそもの間違いの始まりであった。
同じ頃に全国各地をバイクで旅している、熊本県出身のS青年(当時29歳)が北の屋台を訪れ「ここで働いて帯広に定住したい」と組合に申し入れてきた。ボランティアスタッフ募集の広告を見て応募してきたのだ。
彼の両親は医者で、本人も医療系の大学でバイオテクノロジーを研究し、卒業しているから、全くの畑違いである屋台の店員というのは初めての経験になる訳だ。
本当にやる気があるのか確認したが、本人はいたって大真面目なのである。
料理もしたことがないと言うから、まずは老人下宿のエバーハウス菜の花さんで料理を教えてもらうことにした。
ここにK理事長が飛び付いた。
「俺がSを手取り足取り指導して、彼を一人前に育ててみせる」と言い出した。「アレッ貴方がやるんじゃぁなかったのか?Sは貴方の助手であって、店主は貴方なのでは・・・」と思ったが・・・。
結局、K理事長が屋台に立つことはただの一度もなかった。おそらく自分でも難しいと判断したのだろう。自分が上手くやれなければ、他の屋台店主達にお手本を示すどころか、馬鹿にされてしまうとでも考えたのではなかろうか。
しかし、K理事長はS君にも指導らしい指導はしなかった。自分に経験がないのだから指導なども出来るはずがないのだろう。見かねた私や女子職員らが指導を始めたが、時すでに遅しで、結局S君は辞めていった。
そんな時に、組合の金庫からお金が消失する事件が起きた。K理事長が「ちょっと借ります」という書き置きを残してお金を勝手に持ち出したのだった。
悩んでいた女子職員から相談受けた私は、十勝環境ラボラトリーの会長で北の屋台の相談役でもあったS氏に相談した。
すると、S氏は「こういうことはコソコソやってはいけない」といきなり理事会に掛けてしまったので、この事件が理事者全員の知るところとなってしまったのだ。
理事会では「早急にお金は返済すること」という話になったが、驚いたのはその後だ。S氏が「罰として理事長は降格させるが、こういう事をするのは給料が少ないからだ。もっと給料を上げてやれ」と言い出したのである。私は我が耳を疑った。
この世の中に悪いことをしたから給料が減額されるという話は聞いたことがあるが、悪いことをしたのに給料を上げてやれというのは未だかつて聞いたことがなかったからだ。
この理事者たちは一体何を考えているのだろうか?
仲間だからと、なぁなぁでこんな事をやっていたのでは組織はモタナイ。真面目に働いている人間の士気に多大なる悪影響を及ぼすからだ。
後に私が北の屋台を辞する遠因のひとつになった事件でもあった。(つづく)
■2010-11-05-Friday 変な人
4日の17時45分頃に
西2条南10丁目のインディアンカレーに入った。
毎週1回はインディアンカレーで夕食(昼食の間違いではない)を取る。
別にカレーが好きな訳ではない。
むしろカレーを食べると胸焼けするし、辛いモノを食べると汗が吹き出てきて止まらなくなってしまうから極力カレーは食べたくはないのだが・・・。
現在毎週、自分が主宰するマジックの教室を3つ持っている。坂本ビルの一室で2〜数人にマジックを指導しているのだ。
2007年3月末日に北の屋台を卒業してから、自分の時間が作れるようになったから、大好きなマジックに力を入れ始めたのである。
最初は時間がタップリとあったからマジックに使える時間も十分にあったのだ。
ここに来て、何だか急に忙しくなってきて、マジックにあてる時間が段々と少なくなってきている。
会社での仕事が溜まっているからユックリと夕食を取る時間が無くなっているので、会社が終わる時間を見計らって短時間で、しかも近場で食事が出来て、更に腹に持つ米の飯を食べられるのはインディアンカレーぐらいしかないのである。
今日も色々な仕事が詰まっていて、夕食をユックリと取る時間が無かったのでインディアンカレーに行ったのである。
インディアンカレーの入り口で、私に親しげに話し掛けて来る人が居る。一緒に店に入ったのだが、どこの誰なのかを思い出せない。
私は一人だからカウンターに坐ったが、何故だか私のすぐ横に坐るのだ。相手は私のことをかなり知っているみたいなのだが、私はまだどこの誰だか思い出せないでいる。
私が「インディアンカレー、辛さは普通でご飯は半分」といつもと同じ注文をした。私はもうインディアンカレーの常連さんになっている。
その注文を聞いたその人は「ヘェ〜、坂本さんはダイエットでもしてるんですか?ご飯半分だと値段は少しは安くなるんですか?」と質問してくる。
私は「ご飯は半分でも値段は同じですよ」と出来るだけニコヤカに答えた。
内心ではウザイ奴だなぁ〜と感じたのだがどこの誰かを思い出せないから下手な対応は出来ない。こういうケースというのは実に困ったものなのである。
私の頼んだメニューはすぐに出てきたのだが、彼が注文したのは時間が掛かるメニューだったので、出てくるまで隣で私が食べるのを見ているのだ。
私が出てきたカレーをグチャグチャと混ぜ始めた。
それを見て彼が「坂本さんて、随分と下品な食べ方をするんですね」と余計な事を言う。
私だってカレーは、ライスを盛った皿とルーを入れた容器が別々に出てきたら、少しずつルーをかけて食べる。
が、カレーとルーが同じ皿に盛られて出されたら、昔の生卵を割ってかける食べ方をする時などの癖で、カレールーとご飯と卵をゴチャゴチャに皿の上で混ぜ合わせて食べるのが、正しい食べ方だと信じている。
私は、いつものようにカレールーとご飯をその場で混ぜ合わせてから食べ始めたのだ。
それを見て、彼はキタナイ下品な食べ方だと言ったのだ。
どうでも良いことだが、指摘されると妙に気になるものだ。そんなにキタナイ食べ方なのだろうかと不安になってしまった。
急いで食べなければ生徒さんが来てしまう。
結局、その人の言うことは無視して、サッサと食べ終えてその場を後にした。
最後までその人がどこの誰だかは、未だに判らず仕舞いだ。
新聞やテレビで顔が売れてしまうとこういう事態が増えて来るのだろうなぁ〜。
もう少し、人の顔と名前を覚える努力をしなければ・・・。
何だか窮屈な感じがした。
■2010-11-06-Saturday 尖閣ビデオ流出
尖閣諸島での中国漁船衝突事件のビデオが
インターネットのYOUTUBE上に5日の夜中1時頃に流出した。(この文章は5日午前に書いている。)
しかも、先に一部の国会議員に見せた約7分間に編集されたビデオ以上の約44分間のビデオが6本に分かれて流されたとのこと。
朝のテレビ番組でその一部分を見たが・・・。
見たかった映像が見られたことには満足するが、この国の危機管理・情報管理はどうなっているのかとても心配である。
このビデオを管理していたのは、海上保安庁か沖縄の那覇地検だから、このどちらかの職員が、自分達の扱いに対する不満から意図的に流出させたのだろうが、結果は別問題としても情報管理としては大問題だ。
このビデオを見る限りでは中国側漁船が意図的に海保の巡視船にぶつけてきているのは明らかだ。
一応、これでも私は小型船舶1級免許を持っている。
海上で船を意図的にぶつけるのは、沈没の可能性があるのだから、命の危険を伴う重大な犯罪である。
それを2回もやっている映像が全世界に流れたのだから、中国政府も無茶な嘘は(たぶん)付けなくなっただろうと思う。
こんな中国側に非があるのが明らかな映像を、菅首相は見ていないと国会で発言した。だとしたら、証拠も確認しないで、見もしないで、中国人船長を中国に帰してしまったのは、改めて問題だ。
(本当に見ていないなら)その後の弱腰外交は見ていないことに由来するのではないのか?だとしたら首相としての職務怠慢である。
その後もこのビデオを公開することなく。先日一部の国会議員だけに見せていた。
この映像ならむしろサッサと公開してさえいれば、中国とこんなに揉めることはなかったのではないだろうか?
日本政府の対応には疑問符だらけである。
おそらく義憤にかられた職員の誰かが流出させたのだろうが、しかし、この行為は重大な情報漏えいである。許される行為ではない。
先の、警視庁のテロ関係の情報が漏れたばかりだというのに、すぐ翌日にこういうモノがネットに流出するとは、政府の情報管理・危機管理は穴だらけだ。だから中国やロシアになめられるのだ。
日本政府よ、もっとしっかりして欲しいゾ!
■2010-11-07-Sunday 講演を聴きに
プロゴルファー石川遼の父である
石川勝美氏の講演を聴きに5日釧路まで行った。
道東の4信金の共同開催の行事であるので真ん中の釧路が会場になったのだろうと思う。
帯広からは信金が大型バス2台をしたてて、50名くらいの人が行ったし、単独で自動車を運転して行っている人もかなりいた。
12:00に帯広駅前のとかちプラザをスタート、バスの中でお弁当とお茶が出される。バス代も弁当代も無料だ。
帯広信用金庫のゴルフの会「信友会」の最終例会の時に、この講演会の案内があった。信金の説明ではゴルフに関係する話なので、「信友会」のメンバーにはぜひとも多数参加して欲しいとのこと。
私も全国各地を「北の屋台」で講演して歩いている身であるから、他の人がどのような講演をしているかは興味がある。
普段から機会があれば、勉強の為に聴くように努めているし、ましてや、今回はあの素直で謙虚で精神的な強靭さを持った、石川遼を育てた父親である。週刊誌などにも何度か登場した有名な父親だから聴いてみようかなと思ったのだ。
釧路まで自分で自動車を運転してまで聴きたいというほどではないが、無料のバスで送迎してくれるならまぁ良いかと思い参加したのであった。
さすが、今をトキメク石川遼の父親である道東各市から集まった1000名ほどの観客がいたように思う。
講演は15:00〜16:30の90分間である。やはり、講演時間としては90分というのが相場なのだろう。1時間では短いし、2時間では話すことがなくなる可能性もある。
今回は奥さんのユキコ(漢字が判らない)さんと一緒に来道したと紹介し、最初に奥さんが舞台に登場して挨拶した。奥さんはだいぶ若そうな感じである。奥さんは3〜4分は話したろうか?いきなりの指名でこれだけ話せるのは大した度胸であるなぁと感心した。
奥さんを先にしゃべらせて、前座をさせてから旦那が話し始めた。声は低くソフトで聞き易い声である。道東に来るのは新婚旅行に自動車で来て以来だとのこと。
その辺の馴れ初めの話から入った。石川勝美さんは現在53歳とのことで結婚が20年前だから33歳で結婚したことになる。話では奥さんは同じ信金の新人行員らしいから18〜20ぐらいで結婚したのかなぁ〜、そうだとすると今40歳ぐらいなのかなぁ〜。旦那とは一回りくらい差があるのかなぁ〜、あぁ、だからまだこんなに若いんだなぁ〜と下世話なことに関心がいってしまった。
聞きたかった遼くんのゴルフの話が意外と少なくて、子育ての話も、本を読ませる話だけで終わってしまい、かなり物足りなかった。
講演の中で、遼くんのインタビューの受け答え方が頓知が利いていて、とても良いと思うと自慢していたが、私はそうかなぁ〜と疑問に感じた。遼くんのコメントはイマイチつまらないなぁといつも思っていたからだ。
勝美氏曰く、遼くんはファンが喜ぶような発言をするべく瞬間的に考えて発言している。プロはコメントでも客を喜ばせなければならない。と言っていた。
その頓知が利いたコメントは自分が、遼くんが学生時代にゴルフ場に送り迎えする時の自動車の中で、「謎かけ(〜とかけて、〜と解く、その心は〜)」をしょっちゅうやっていて醸成されたものだそうだ。
つまり、ウィットに富んだ会話は自分が教えたということを言いたいらしい。
でも、その割には、今回の講演は、観客が知りたいことは、全然出てこなくて、聴衆が、かなりガッカリしていたところをみると、勝美氏の自覚が少し足りなかったのではなかったろうか、観客が何を望んでいるのかをもう少し察知して、考えて話をして欲しかったなぁ。
確かに遼くんはこの両親から生まれたのだし、この両親の育て方も良かったのだろうが、半分以上は遼くんの生まれ持った資質が良かったのと本人の努力の賜物ではないかと思われた。
講演というのは、自分が何かを実際にやった人の経験の話は面白いが、他人の事例紹介の話は、あまり面白くないのと似ているなぁ〜と感じたのだった。
■2010-11-08-Monday 日本シリーズ第6戦
6日夜の会合が終了後に、
21時に自宅に戻ってテレビで日本シリーズの第6戦を観戦した。
今シリーズ2回目の延長戦に突入してから、長くて実に緊迫した、そしてつまらない野球であった。
両チームとも先頭打者が塁に出たら、セオリー通りに次打者に送りバントをさせるが、ことごとく失敗してはチャンスをつぶすことの繰り返しである。
これがプロの試合か?
定石を繰り返すなら、コンピュータでも出来る。
両チームの監督ともに、長期戦の定石通りにゲームを進めることに何だかこだわりを持っているかのようだ。
日本シリーズは短期戦なのだから異なる戦法で戦ってくれても面白いと思うのだが・・・。
野球はエンターテインメント性を失っている。特に落合ドラゴンズの試合は、川上ー広岡ー森に繋がる面白くない野球の流れのようだ。
だから優勝しても人気がないのだ。
確かに勝たなければ意味が無いだろう。しかし、プロである以上、高校野球みたいな勝ち方では、観客は喜ばない。
今回の第6戦のように同じゲームで執拗に同じ戦法を取り続けて、しかも失敗するのは、実に情けないし、つまらないことこの上ない。
見始めてしまったから、結局12時近くまでテレビを見る羽目になってしまった。とても腹立たしくて、イライラしながら酒を飲んで見ていたからかなり酔っ払ってしまったではないか。まずい酒の飲み方である。
それにしても、最近のプロ野球はさっぱり判らない。CSクライマックスシリーズって一体何なんだ!
リーグ戦で3位までに入ったら、今回のロッテみたいに日本シリーズに参加できる仕組みだというが、それなら、長期戦を戦ってきて優勝したチームはそれこそ、何の為に長期戦を戦ってきたのだろうかと疑問に思わないのだろうか。CSも短期戦なのだから、長期戦は適当に3位までに入って短期戦を制した方が得策だなんておかしいだろう。
CSでは上位チームに1ゲームのアドバンテージが与えられているが、1ゲームだけで良いのか?それまでのゲーム差は関係ないというのが変だろう。
せめて、リーグ戦で上位3チームでCSを戦うのなら、参加資格が首位とゲーム差がせいぜい3ゲーム差まで位だろう。そしてその差分のアドバンテージがなければリーグ戦の意味が薄くなる。
試合数を増やしての金儲けばかりを考えていると、結局、観客を失うことになるのではないだろうか?
■2010-11-09-Tuesday 対談
8日月曜日に十勝総合振興局の人が、
我が社を訪ねて来て、26日にふらのマルシェの社長の西本さんという方と対談をして欲しいとの依頼があった。
最近はやたらと対談が多い。
講演する機会も増えてきたが、対談というのも中々面白いものなのだ。
人と人に出会いというものは、その人物の後側にどれだけ色々な方々がいるのかが判らないだけに、新鮮なのである。
思わぬところから「アレッ○○さんとお知り合いだったんですか?」ということで、仲間意識が芽生えることもある。
まちづくりをやっていると、地方の色々な方々と知り合えるが、皆、何処かでここかで繋がっていることが多いのだ。
先日の、映画、降りていく生き方の関係者もそうであった。
だから、下手に他人に対して批判的なことは言えないし、また変な活動も出来ない。普段から真面目にやっていなければならないので、緊張感が常にある。
こうして人は己を高めていくのだ。だから人と人とのコミュニケーションというのは人生の中で重要な役割を持っているのである。
■2010-11-10-Wednesday 雷が
9日の昼食を藤丸で取った後、
の12:40頃に館内を歩いていたら、一瞬だけ照明が停電して暖房機の音が止まった。
外は雨が降っているし、暖房の音が消えて静かになったので、なにやらゴロゴロと雷の音が聞こえてくる。
おそらく、雷が落ちて、ブレーカーが落ちたのだろう。
そのまま近くの郵便局に行って、インターネットオークションの支払いをしようと出向いたら、CDの機械が使用中止になっている。
行員が復旧の目処が立たないからと、窓口での対応を勧めるが、手書きで4件も書いていたのでは時間が掛かり過ぎて面倒臭いので、止めて明日にすることにして会社に戻った。
我が社もブレーカーが落ちていて、復旧に手間取っていた。
たかがあれしきの雷で、こんなに混乱するなんて、文明社会とはもろいものだ。
話は変わって、両足の膝のすぐ上の太ももの筋肉が7日の夜から筋肉痛で痛くなっている。
何か運動した訳でもないし、と訝って風呂に入りながら思案していたら、思い当たる節が出てきた。そういえば3日に自転車でマラソンコースを走ったなと。
自転車で走っていた時にはかなりの、筋肉疲労があったことは自覚していたが、翌朝にも筋肉痛が来なかったし、別段何ともなかったので、筋肉が毎朝の犬の散歩で鍛えれていたと思い込んでいたのに・・・。
しかしだ、あれからすでに4日も経っている。いくら年を取って筋肉の反応が遅くなったとはいっても、4日も前の運動の筋肉痛が今頃出てくるものなのだろうか颪鬚垢襪海箸砲覆辰燭箸いΕ瓠璽襪辰燭里如燭㎠ⅷ蠹舛い垢襪海箸呂△蠅泙垢㎜④畔峪鬚靴燭蕁⊂㌱爾気鵑箸いκ㎠蕕渡辰鬚い燭世①唸④任両絮撚颪魎覯茲靴真皛脅損劼気鵑箸いκ鯔♢佑気擦泙垢箸里海函来られた菅原さんはとても元気の良い看護師さんで、この映画を夏に偶然観て、帯広でも上映したいと思い立ち、一人で活動を始められたという、すごいバイタリティと行動力のある女性である。
その気迫に気圧されたこともあるが、今回の上映会を支援しているグループが弟夫婦が入っている「スローウェーブすんく村」という縁もあって、協力することになった次第である。
当日は東京から森田さんも来られるというし、久し振りにお会いしてお話をしてみたかったのだ。森田さんは原案・脚本・製作にも関わっている。
この映画は初めて観た。
武田鉄矢・沢田雅美・渡辺裕之・苅谷俊介らが出演している。映画の内容は、まだ観ていない人の為に、例によってあえて書かないが、一言で言えば感動する映画である。
これまでの人間の生き方が「昇ってゆく生き方」だったとしたなら、これからの生き方として「降りてゆく生き方」というものがあるかもしれないという気付きを与えてくれる映画である。
さすが、全国各地の実際のまちづくりなどに関わる人々にしっかりとインタビューして歩いているから、登場人物のセリフの中に、その方々の含蓄のある深い言葉がちりばめられていて、ウ〜ムと考えさせられもする。
普段、私が講演で述べていることにもつながる映画であると感じた。
因みに、この映画HPのコンセプトページの「参考書籍紹介」欄に拙著「北の屋台繁盛記(メタブレーン社刊)」も載っています。
このブログの読者の方で、近くでこの映画の上映会が企画されていたら是非ともご覧になることをお勧めする。
観終わった後に、何かが心の中で動き出す。そんな映画だと推奨いたします。
■2010-11-11-Thursday 青年会議所
9日夜の、帯広青年会議所(JC)
現役の例会に講師として呼ばれた。
十勝総合振興局の竹林孝局長と私の対談形式での例会で、司会は火ノ川理事長である。
今年の委員会の活動報告の後に、2人が感想やら、JCへの期待などを話すのである。
最近の若者のコンピュータの使い方は実に上手い。
パワーポイントの使いこなし方が見事だ。プレゼン能力は我々が現役の頃とは比べようもないくらいに、コンテンツが発達しているから、映像を巧みに使っていて判り易い。その点では素晴らしいと思う。
我々が現役の頃と現在との大きな違いは人数の差である。
最大187名のメンバーがいたが、現在は84名。100名以上も減っている。
かつては、委員会数もたくさんあった。JCの活動は「地域開発系」と「指導力開発系」が両輪で、その他に「政策系」という将来構想を考える部門があった。
人数が減ってくると「運営系」の委員会に人が取られ、実際に活動する部門の委員会が作れなくなってくる。
そこがネックだ。
本を読んだり、人に会って話を聞いたり、自分たちで討論し合ったりという作業が本当の勉強になるのである。
「国際環境大学構想プロジェクト」はまさに政策系の委員会が発端であった。
会員数が劇的に増える要素も少ないから、組織を大胆に再構築する必要があるだろう。
私は青年会議所に入会したおかげで「まちづくり」に目覚めた部分が大であると思っている。事実、十勝環境ラボラトリー(TKL)もJC活動の延長から派生したものだし、更にそのTKLから派生した「北の屋台」もそうである。
もし、JCに入会していなければ「北の屋台」は存在しなかったかもしれない。
十勝・帯広で暮らしたことのないコンサルタントに高額な報酬を払って作ってもらったプランが現実化したことは、いまだかつてない。
十勝で生活する人間が、勉強して、そして作ったプランを実行するのが地域にとっても望ましいだろう。
それを担うにはJCという組織は必要だ。これからも高い志を持って活動を続けていって欲しいと思う。
例会終了後に、現役メンバーと一緒に酒を飲んだが、50歳を過ぎると身体がついていかない。11:30には帰宅した。もはや12時過ぎて酒を飲めなくなってしまった。
自分ではまだまだ若いつもりでいたが・・・。
■2010-11-12-Friday いろいろ
10日はいろいろなことがあった。
まずは、14:00〜帯広神社で「お宮の杜の勉強会」というのに誘われて参加してきた。第一部は「古事記のこころ」と題する講演である。
古事記が面白くて、最近現代訳の本を買ってきて読んでいたところだったので、どんな話が聞けるか楽しみにして行った。
講義自体は、面白みに欠けていて、真面目一辺倒で退屈であった。
第二部は明治天皇の玄孫に当たる竹田恒泰(35)慶応大学講師の「皇室と日本人の絆」と題した講演である。
こちらは、およそ旧皇族という感じがなく熱っぽい話し方の講演でとても面白かった。日本国憲法の第一条の解釈から始まって、他国の憲法第一条との比較論や古事記・日本書紀の解釈の仕方が新鮮で良かった。
こちらはもう少し聞いていたかったが、私が主宰するマジック教室の時間が来てしまったので17:30に退室した。
マジック教室を20時に終え、自宅に戻ると「尖閣諸島ビデオ」を流失させた人間が名乗り出たとのニュースでもちきりである。
神戸第五管区海上保安部所属の43歳の主任航海士だとのこと。
ニュースでは、街中の一般人のインタビューを流していたが、その多くが罪というよりも良くやったという意見のように聞こえた。そのように誘導しているのかも知れない。
確かに、国民に見せても何等問題のないビデオであると思うし、何故これを国家機密として隠すのか政府の意図がまったく見えない一件である。
むしろ政府の対応のまずさがこの流失事件を生み出したといっても過言ではあるまい。
仙谷官房長官のこの件に関するコメントはこじつけにしか聞こえない。なんとなく弁護士特有の詭弁に聞こえてくる。
だが、国家公務員が上司の命令に背いて勝手な行動をするのは、結果がどうであれヨロシクないのも事実だ。
ただし、今回の事件は、重大な犯罪を犯したと想定される中国人船長は不問にして国外退去にし、自国民の情報公開をした人間を厳罰に処すというのは、国民感情として納得しまい。
「大岡裁き」はその場その場で適当な、情に流される判決のようにも見えるが、ここは大岡裁きにするしかないだろう。
なにせ、一番罪作りなのは、政府自体なのだから、この主任航海士を厳罰に処すなら、まずは首相も官房長官も責任を取ってもらいたいものだ。自分の責任は回避しておいて部下や外交の部外者である検察に責任を押し付けるような今回の尖閣問題は、政府の責任である。
だが、なぜ、この主任航海士が公開しようと思ったのかはキチンと調査するべきだろう。裏に何か別のことが潜んでいるかもしれないからだ。
■2010-11-13-Saturday コーディネーター
久し振りににコーディネーター役をした。
11日(木)13:30〜15:00まで、帯広市百年記念館でおこなわれた「雇用おこし地域応援セミナーin帯広市」という催しがあり、コーディネーター役をお願いしたいとの依頼があって引き受けたのである。
帯広市の(株)ChipSという託児施設を起こした佐伯抄織社長さんと、足寄町で木質ペレットのストーブを製造販売しているマルショウ技研(株)の渋谷克彦取締役管理部長さんの2人から、話を引き出す役割である。
佐伯さんには「地域中小企業密着支援事業(平成21年度)」の補助を受けた事業の報告をしてもらい、渋谷さんには「ふるさと雇用再生特別対策推進事業(平成21年度)」の補助を受けた事業の報告をしてもらうのである。
聴衆は20名ほどであるが、十勝管内の町村の行政マンが多いとのこと。
12:30から昼食を取りながら簡単な打ち合わせをしたが、どういう話に展開していくのかは、コーディネーターの私に任せるというのだ。
なかなかに難しい注文である。
私も「北の屋台」を始める時に、補助金を受けて事業を展開した経験があるのだが、この補助金というのは、なかなか使い勝手がヨロシクないのである。これこれには使ってはいけないとかという規制がやたらと多いのである。
今回の2社が受けた補助金についてはまったく聞いたことがない補助金だったので内容を把握するまでが大変だった。
補助金を受けるには、会社側のアンテナが高いか、補助金に明るい親しい行政マンが居て教えてくれるとかしないと、なかなか一般の企業は知らずにいることが多いと思う。
もちろん、上手く使えば役に立つものだが、沢山ある補助金の中から自分の企業に合った補助金を選ぶのも大変な作業なのである。
今回は短い時間であったが、実際に経験した話は説得力があるし、お二人とも話し方が上手かったので、まぁまぁテンポ良く、話を進められたのではないかと思っている。
この種のセミナーやシンポジュームはコーディネーター役がその成否を分けることが多いのである。
他人の話を引き出すには、当然、相手のことを知っていた方が良いのだが、しかし、あんまり知り過ぎていると逆に質問をしづらくなってしまいがちだ。30分程度の打ち合わせでは充分な話の種は引き出せないが、打ち合わせで話をし過ぎてしまうと、本番の話がやりにくくなってしまうという経験も何度かしてきた。同じ話を繰り返すのは苦痛だし、一度話してしまうと、それで満足してしまい、本番ではしゃべることを忘れてしまう人もいる。
この種のものは、簡単に「こんな方向で行きます」程度の簡単な打ち合わせの方がスムーズにいく。コーディネーター役に慣れていないと綿密な打ち合わせをし過ぎてしまい、練習では上手くいったのに、本番ではイマイチ盛り上がらなかったということも起きてしまう。
今回はその点ではかなり上出来だったと思う。
■2010-11-14-Sunday 休日
13日土曜日は久し振りの休日であった。
この11月はやたらと忙しくて、体力的にも精神的にもかなり疲労感が貯まっている感じがした。
このまま放置すると、動けなくなってしまう。私は腰に爆弾を抱えているようなものなので、ここらで揉んでおく必要性を感じたのだ。
12日金曜日夜に帰宅してすぐに、マッサージの予約を入れた。結婚する前からお世話になっている森山治療院さんだ。
父が存命の頃から、帯広中の強く揉んでくれるマッサージ師さんを求めていろいろと通って見つけたマッサージ師さんだ。
この森山治療院も通い始めた頃は中学生だった息子さんが、現在の治療師をしている。お父さんは数年前に亡くなってしまっている。親子二代で治療してもらっているのだ。
とにかく、身体の具合が悪くなりかけて身体がドット重くなると、この森山治療院さんにお願いして揉んでもらえば、身体がスッと軽くなるのである。
10:30から90分間治療してもらって、腰も随分と楽になった。
帰り掛けに、これまた馴染みの床屋のセイノ理容所によって髪の毛を切ってもらった。
この床屋さんも、私が小学校3年生の時から通っている床屋さんである。
この店の現在の店主は私の高校時代の同級生のお兄さんだ。私の父と先代の店主さんとはライオンズクラブで一緒だったこともあって、小学生の時から通っているのである。
一番の思い出は、私が小学4年生の時に、この床屋さんで散髪してもらった後に、自宅に戻る時に交通事故に合って病院に運ばれた事件だ。
当時の大通り8丁目にはまだ信号機が付いていなかった。学校のプールで泳いで疲れていて、その後に散髪に行ったのだが、大通りを自転車で横断する時に、北側方面から来た自動車に跳ね飛ばされたのである。
私は小柄だったから、3〜4メートルほど跳ね飛ばされて、電柱にぶつかってそのままストンと下に落ちた。そこまでは覚えているが、その後の記憶は病院で目覚めた時まで覚えていない。
すぐ近くにあった高野外科病院という、これまた父の友人がやっている病院に運ばれた。
私は腕白小僧で生傷が絶えない子供だったから、自宅近くの高野外科のお世話になることが多かったのである。運び込まれた私を見て、すぐに坂本の息子だと判って高野先生が私の自宅に電話させたらしい。すぐに母が飛んで来たようだ。
レントゲンを撮っても異常が見られないということで、すぐに自宅に戻ったが母はかなり動転していた。私を跳ね飛ばした運転手もそうとう真っ青になったらしい。
が、翌日一日だけ学校を休んだだけで復帰した。身体が軽くてふっとばされたのが良かったのだろう。重かったら車の下敷きになっていたかもしれない。軽かったから飛ばされただけで済んだようだ。
それ位の長い間のお得意さんだ。大学の4年間には東京の床屋で何度か散髪したが、帯広に居る間はほとんど浮気をしていない。
今日の休日は、馴染みの店で指圧と散髪をして久し振りにくつろいだ。慣れ親しんだ店というのは安心して任せられるから気分が落ち着く。
さぁ明日からまた忙しい日が続く。
■2010-11-15-Monday 仙台
仙台に招かれた。
経済産業省が福岡・大阪・東京・仙台の4都市で開催する「平成22年度 中心市街地活性化シンポジューム 身近なところからはじまるまちづくり〜地域の強みの再発見〜」の仙台会場での講師としてである。
11:30に会場に集合して打ち合わせをしなければならない。この時間だと前日に仙台入りしておかなければ間に合わないのだ。
24時間前の14日の日曜日の11:35に帯広駅を出発し13:46に新千歳空港着、新千歳空港を14:45発の飛行機で15:55仙台空港着、仙台空港から空港アクセス線で仙台駅に17:04に到着した。この鉄路で空港と駅が繋がったことで仙台空港はとても便利になった。以前はバスで行くしかなかったからだ。
駅前の東欧をモチーフにした洒落たホテルモントレ仙台でチェックインした後、繁華街の国分町まで歩いていく。一人で旅行すると、夕食を取る店にはいつも困るのだ。
仙台は活気がある。駅前から国分町までの間に空き店舗など無いような感じだ。東北地方での一人勝ち状態だ。
高速道路や新幹線などの交通網が整備されると大きな都市に集中してしまう。私はいまだかつて、交通網が整備されて便利になって小都市が大都市から人を惹き付けて栄えた例を知らない。
帯広も高速道路が札幌と繋がったら、札幌に人が吸収されてしまうだろう。
日曜日ということもあって、目当ての店が休みである。仕方なく別な道を歩いて駅まで戻り、駅の地下で寿司屋に入ってカウンターで食べた。一人で食事するには駅などの店の方が入り易いのである。
お酒を飲みに行くのも先ほど行った国分町の店には一人では入りにくいから、コンビニで買ってホテルに戻った。
ホテルの最上階に大浴場があるというので、そこに行って1時間ほどユッタリと風呂に入り、風呂上りのビールを飲んでから、部屋に戻り、テレビを見ながら一人寂しくお酒を飲んで早目に寝た。
一人旅というのはつまらないものだ。
■2010-11-16-Tuesday 仙台2
仙台のシンポジュームの会場は
「仙台青葉カルチャーセンター」という建物だ。ホテルでもらった周辺地図には名前が載っていないのでフロントで確認すると、ホテルから徒歩5〜6分である。早目にホテルを出て会場を確認してから、近くの喫茶店に入って話す内容をまとめた。
いつもの講演は一人で90分間しゃべるのだが、この日は4人の講師が20分間ずつ説明してからパネルディスカッションをするのである。
パネリストは私の他は、大分県大分市の「㈱大分まちなか倶楽部タウンマネージャー」の牧昭市さん、福島県いわき市商工会議所副会頭の小野栄重さん、島根県「松江市中心街活性化協議会タウンマネージャー」の久保里砂子さんの4人、コーディネーターは「エリア・イノベーション・アライアンス代表理事」の木下斉さんである。この木下さんは早稲田大学の学生時代に北の屋台を視察しに来たことのある人物だ。
11:30からの打ち合わせのときに、青森市のまちづくりの教祖ともいえる加藤博さんが顔を出した。さすが、加藤さんは顔が広くて全員と顔馴染みのようである。
加藤さんは去年お会いした時に退院したばかりであったが、休む間も無く全国各地を飛び回っているようだ。まちづくりを熱心にやられている方で健康を害さない人をみたことがないほど、まちづくりというのは精神的にも体力的に重労働だと思う。加藤さんの活躍には頭が下がる思いである。
会場が狭い為、人数制限を100人にしたと言っていたが、応募者が多くて130名ほどになってしまい満杯状態だ。少ないよりは多いほうが気合が入ってやりやすい。
4人の講師は、皆それぞれに90〜150分くらいは優に話が出来るメンバーばかりだから、それを20分でまとめろというのはかなり無理な注文である。しかし、全員場慣れしているから、皆キッチリと20分で話を切り上げる。実に見事なものだ。
こんな時には、他の人の時間を無視して延々と話すご仁が一人はいるものだが、今回は皆がキッチリと制限時間に収めて話をした。
コーディネーターもこのメンバーなら、誰にどんな話を振っても詰まるような心配がないからやりやすいだろう。
結局、皆の話を聞いて、まちづくりというのは、たった一人では出来ないが、また熱心なリーダーが存在しなければできないものであるとも、つくづく思った。
シンポジューム終了後に、いわき市の小野さんは電車ですぐに戻られたが、後の4人で一緒に食事をしながら親交を深め、共通のまちづくりの話題で盛り上がったのだった。実際に経験した話は説得力が違うものである。
4人とも話が弾んで日本酒を結構飲んだので私もかなり酔ってしまった。
終了後には、この日もおとなしくホテルに戻って静かに寝た。
■2010-11-17-Wednesday 仙台3
仙台駅を午前中にブラブラして
駅から空港に仙台空港アクセス線に乗車して向かった。
たった2両編成のワンマン車両である。駅の構内にすでに車両が停まっていて中に人が座っているが、ドアが開いていない。
私の後から来た人が、私のことを、「何だ!このドンくさいオヤジは」と思ったのか、「チッ」と舌打ちして、ドアの前に呆然と立っている私の横をすり抜けてドアのボタンを押すとドアが開き、中に入ったら、またその若者がボタンを押してドアを閉めた。
そうか、この車両はエレベータのように自分でボタンを押してドアを開閉するのか!
ワンマン電車だからなのかなぁ〜。誰もドアを「閉める」のボタンを押さなかったら、どうなるのだろうか?と考えていたら、出発する時には「ドアが閉まりま〜す」とアナウンスがあって、開いていたドアが閉まり発車した。
そりゃ〜そうだよなぁ〜、ドアが開いたままなら走る訳にはいかないものなぁ〜と一人で納得した。
2両編成の一番前の席が空いていたのでそこに座ったら、運転席が丸見えである。電車の運転ってどうやるんだろう?と疑問に思ったので、じ〜っと見ることにした。
左手一本で操作するんだなぁ〜、足は使わないのだなぁ〜、右手はタッチパネルの画面を触って操作するのだなぁ〜と面白くてずっと見ていたのである。
若い運転手も私がず〜っと見ているから緊張した様子だった。
新千歳空港に着いてから食事をした。仙台空港では牛タンばっかりが目立って食欲が湧かなかったからである。
食事をしながら列車の時刻表を見たら、このまま食事をしなければ一本早い列車に乗れたことに気がついたが、焦ってもしょうがない。
次の列車まで1時間半ほども時間が出来たので、南千歳駅近くのアウトレットモール・レラを見て時間をつぶすことにした。
久し振りである。拡張した様で随分広くなったように感じる。出店している店もかなり入れ替ったようである。
別に何かを買おうという目的もなくブラブラと店の中を見て回っただけである。火曜日の夕方ということもあるがお客さんの数は少ない。
結局見ただけで買い物はしなかった。
18:15に帯広駅に到着し、久し振りに自宅で食事をする。やはり我が家が一番落ち着く。
■2010-11-18-Thursday 札幌
17日は札幌だ。
北海道総合開発委員会の会議である。
帯広から一人で列車に乗り資料を読んでいたら、新得駅から乗ってきた女性が、「アラッ、坂本さん!奇遇ですね!」と私の横の席に座った。
偶然とは不思議なものである。スローフード・フレンズ帯広の会長で、ファームイン界の教祖的な女性である湯浅優子さんであった。
湯浅さんとは旧知の間柄である。
札幌までの2時間近くず〜っと、いろいろなことを話し続けたのだった。
札幌に到着して、会議までは時間があったので、駅前の道を三越方面まで歩いて行った。途中、先日オープンしたばかりの北洋銀行の新しいビルを見学したが、これがまるで面白くない建物であった。
すごいお金を掛けたビルだというのは判るが、全然ワクワクしない。
まぁ、私の感性には合わないということか。
三越を曲がって丸井今井に行き、ジュンクドウ書店とすぐ隣にあるBook・Offに入ってみた。
超大型書店と古書店が隣合わせている。しかもBook・Offの方が客が多いのにはビックリした。たまたまなのかもしれないが、すごい変な感じがした。
会議の時間が迫ってきたので、再び歩いて道庁に向かう。今日の会議場はレンガ庁舎だ。ここで会議をするのは2度目だが、実にここの雰囲気は素晴らしい。ここで会議が出来るだけで気分が良くなる。
会議の内容は、平成20年から始まった開発計画のここ2年間の進捗状況の発表である。
4年前からこの委員会の参事に任命され、ずっと出席しているが、今日の説明を聞いていて、なんだか虚しくなってきた。
計画を作っている段階では予想もしていなかった。百年に一度と言われるリーマンショックに始まる世界的な恐慌、そして日本の政権交代である。これだけ大きな変化があったのに、10年間の長期計画だから多少の揺れはあっても、そのまま推進していくという考え方に前回は賛成したものの・・・。
年に2〜3回の2〜3時間の会議で10〜15名くらいのメンバーでこの先の計画を変更するのは難しいというよりも無理だと考えていたのである。
しかし、世の中の変化が、ドッグイヤー(1年間が7年間分に相当するといわれている)と言われる程の激しさに、早くも陳腐化というか、現実とのギャップというかが大きくなってきているように感じ始めたのである。
帯広と札幌の間は往復で5時間掛かるが、札幌在住のメンバーだけでは作って欲しくない。やはり地方都市の考え方が必要だと思うのである。
ここでも難しい問題が発生している。
■2010-11-19-Friday 会議所女性会で
帯広商工会議所の女性会で
19日夜に講演をした。
女性会には妻が入会しており、研修委員会の副委員長を務めている。その研修委員会で講演して欲しいというのである。
この講演会には妻も副委員長として同席しているが、これまで妻の居る前で講演などしたことがないから、妙に緊張してしまった。
持ち時間は1時間、聴衆は17名で全員女性である。
席の配置も会議用の丸テーブルである。私の席はその中央だったので、私の両サイドにも聴衆が居るから、その横に坐った人の顔が見えない。講演は聴衆の反応を見ながらやるので、半分の人数の顔が見えないというのは結構つらい配置である。
聴衆が全員女性、席の配置も通常とは異なる、しかも妻が聞いている。実に難しい設定の講演であった。
通常の90分間よりも短いので、どこを短くするかが問題だ。結局、北の屋台を開業する前の段階で時間が来てしまったので、第一部ということにして、ここで終わってしまった。
しゃべっている内に段々と熱が入ってきて、端折るつもりだったところも話してしまい時間が足りなくなってしまった。熱が入りすぎて最後は汗ばんでしまった程だった。
妻からは、「貴方の講演は初めて聞いたけど、眠くならなかったし、なかなか良かったよ」と褒めてもらった。
そりゃ〜そうだろう。全国各地で500回以上も同じ話をしているのだから・・・。
妻にしてみれば、初めから知っている話だし、今更という感じなのだろうが・・・。
地元で顔見知りのおばちゃん(失礼)たちを前に話をするというのは、意外と難しいものだった。しかし、これも勉強である。
講演終了後に皆さんから「まちづくりに情熱を持って活動されていたのが良く判った」と言われたが、情熱があったわけではなくて、ただ単に面白かっただけなんだけどなぁ〜。まぁいいか!
なんだか久し振りに初心に戻った気分でできた講演であった。
■2010-11-20-Saturday 睡眠
今日は久し振りの休日だ。
このところ出張や講演や会議など、移動する機会が多くて、正直身体がかなり悲鳴をあげていた。特に腰が重痛くなってきて疲れが溜まっているようである。
私のベッドはウォーターベッドで、腰が沈むから、ホテルのベッドは固過ぎてどうも熟睡ができないのだ。だから出張が続くと睡眠不足になりがちなのである。
昨晩、妻に「明日は昼まで寝ていたいんだけど・・・」と哀願しておいた。さもないと、犬の散歩の為に早起きをさせらされてしまうからだ。
昨晩は妻の顔を立てて、商工会議所女性会で講演をやったのだから、さすがの妻も「仕方がないね」と寝ていることを認めてくれた。
我が家の男性は、父も私も息子も起こされない限りはいつまででも寝ていられる特技がある。12時間以上寝るのは楽勝だ。
今日は、妻がタイヤ交換をしたいからと、昼食時に起こされてしまったが、そんな用事でもなければ夕方までは楽に寝ていられる。しかも、それだけ長時間寝ても、ちゃんと夜には普通に寝られるのだから素晴らしい。
長時間眠るというのも、これでけっこう難しいのだ。しかもベッドに横になって目を開けている訳ではなく、チャンと寝ているのである。
妻は「良くそんなに眠れるね」と呆れていた。
夕食を食べ終わってから、温泉に行き、ようやく疲れが取れたようだ。さて、今日は早目に寝ることにしよう。
■2010-11-21-Sunday 愛読者から
私のブログの愛読者さんから
「最近のブログには政治に関することが少なくなりましたね。論評に値しないということなのでしょうか?」とのメールを戴いた。
他にいろいろと書くことが多かったから、書かなかっただけで、意識して書かなかったわけではないのだが・・・。
だが、そう書かれてみれば、確かに論評に値するような政治状況ではないなぁ〜。でも、政治について書いて欲しいと言われたら書かずに済ますわけにもいかないだろう。
このところの日本政府に対する諸外国の態度は明らかに「ナメテイル」としかいいようがない態度だと思う。
これは毅然とした対応が出来ない日本政府に責任があると思っている。
またぞろ、尖閣諸島周辺に中国の船が来ているというニュースなどは、おそらく日本の出方を試しているのだろうと思う。
事業仕分けも、民主党の出した予算に民主党がケチをつけているという変な図式の為か、それとも飽きっぽい国民性のせいか、あまり話題にもならない。かつて密室で行われていたものを、国民の前に情報公開して官僚に緊張感を与えたところは評価するが、前回、仕分けされたものが名称を変えて復活させていると感じていたら、そのものずばりのゾンビという名称がついているというではないか。
そりゃ〜そうだろう。官僚は民主党政権が長持ちしないとみて、この場をごまかして乗り切れば大丈夫だと思っているのだろう。政府は官僚からも「ナメラレテ」いる。
すでに、菅政権はレームダック状態だ。
民主党代表選挙の時にも書いたが、菅直人なんて最低の政治家だと思っている。ただ単に、小沢一郎というヒール役相手だったから、勝てただけで、こんな人間しか総理大臣の候補者がいないなんて民主党も酷いものだ。
国会も、失言のオンパレードで、閣僚の程度が低いのが国民に知れ渡ってしまった。この柳田法相の発言は地元の後援会での大臣就任祝いの席上でポロッと出てしまったのだろうが、気を許したところでの発言だからきっと本音だったのだろうなぁ〜。それにしても言っていいことと悪いことの区別も出来んのか!
野党の自民党も自民党だ、こんな揚げ足取りばかりやっていないで、しっかり討論をしてもらいたいものだ。日本は問題山積しているのに、問責決議などやってる場合か!
国会議員は政治よりも政局をやっている方がきっと楽しいのだろうなぁ〜。それにしても国会議員の質が悪過ぎる。
書いているうちに、やっぱり論評に値しないということがわかってきたからこれでやめることにした。
■2010-11-22-Monday 馬鹿(うまか)もん
15日に仙台で出席したシンポジュームで
ご一緒した木下斉さんからメールが入った。
「昨日、熊本に行って、坂本さんから聞いた馬鹿(うまか)もんの話を関係者にしたところ、是非、連携したい」との話になったというのである。
「馬鹿(うまか)もん」とは、一言で言うと馬肉とエゾ鹿肉の消費を増やそうという活動である。
今年4月1日から対外的な活動を開始したばかりの「馬鹿(うまか)もん」であるが、これまでは馬肉の値段が高いのと、臭いとの誤ったイメージが定着しているのとが相まって、なかなか普及に拍車が掛からずにいた。
その辺の話を、仙台のシンポジューム終了後の居酒屋で木下さんにしたら、近い内に熊本に行くので現地で関係者に話してみます。と言うから楽しみにしていたのである。
私のこのブログの4月28日付けに「ばんえい競馬の振興策」と題して、熊本県との提携を書いているのだが、何だかその道が開けてきたような予感がする。
日本では馬肉を食べない県が多いから、北海道と九州から挟撃して、馬肉食文化を広げたいと考えているのだ。
エゾ鹿肉も相変わらず新聞紙上で、その害を訴えているが、やはり、殺すだけでは、それこそ可哀想だ。供養の為にも、人間が食するべきだと思うのである。
鹿肉はフランス料理ではジビエ(野生動物の肉)として最高級の食材なのに、北海道では、ハンターが解体を行った血抜き処理の悪い肉や、膀胱の袋をナイフで傷付けて小便が肉に掛かってしまい臭くなった肉(鹿はなわばりを表現する為に小便でマーキングするから小便は臭い)などで懲りてしまい。鹿肉は臭いから食べないという人が多いのだ。
そのイメージを脱却する為に、熊本と共同で面白い企画が出来たら、面白いことになりそうだ。楽しみである。
■2010-11-23-Tuesday 砲撃
23日夕方3時半頃のテレビで
韓国軍の統合参謀本部によると、23日午後2時半ごろ、韓国西方の黄海に浮かぶ延坪島に数十発の砲弾が着弾した。韓国軍は対岸にある北朝鮮黄海南道(ファンヘナムド)の海岸砲基地からの砲撃とみて、対応射撃をした。韓国軍全軍が非常事態体制に入っているというニュースが流れた。
延坪島では民家が燃えているというし、まだ、北朝鮮と韓国軍が砲撃しあっているというのだ。
北朝鮮が韓国軍の軍事演習を止めるようにと警告していたらしいというのだが、それにしても民家に向かって砲撃するとは何とも乱暴な行為だ。
北朝鮮は、金日成から金正日への前回の世襲が決まった頃の、1983年10月9日にビルマで、ラングーン爆弾テロ事件を起こしている(と言われている)。この時のアウンサン廟(殉難者廟)で起った爆弾テロ事件は、辛くも韓国の全斗煥大統領夫妻は難を逃れたが、韓国政府要人やビルマ閣僚も含む多数の死者をだす世界を揺るがす大事件となったテロ事件だ。
金正日に対する忠誠心を見せる為に、一部の狂信的な人間が犯行に及んだらしいと言われていたが・・・。
事実だとしたら、とんでもない国家だが、今回の事件もその時の状況に極めて似ているのではなかろうか。
また、1987年11月29日には、ソウルオリンピックの開催阻止を目的としたと言われている大韓航空機を爆破した事件があった。これも北朝鮮は認めていないが、金賢姫が北朝鮮の工作員で自白しているのだから北朝鮮がやったのであろうことはほぼ間違いないだろう。
アメリカに対するウランの濃縮装置を見せる「瀬戸際外交」といい、今回の砲撃といい、かなり追い詰められているのかもしれないし、軍部の上層部のコントロールが利かなくなっているのかもしれない。
金正日の息子のキム・ジョンウンへの忠誠心を見せようという輩が暴走している可能性がある。
そうなると日本の政府が弱腰だと見て、日本に向けてミサイルを撃って来る可能性だってある。
日本政府よ!今度はキチンと毅然たる対応をして、日本にミサイルを撃ってくるようなことはさせるなよ。
北朝鮮がヤケのやんぱちにならなければ良いのだが。
■2010-11-24-Wednesday 年なのかなぁ〜
今日、マラソン大会の第三回準備会会議があった。
まずは11:30から我が社の会議室で、10名ほどで13:30からの全体会議の為の打ち合わせ会議である。
昼食の時間もモッタイナイので、ランチは持ち帰り用のインディアンカレーである。食べながら会議を進めた。
ここ最近は、毎日の様に近くの温泉銭湯に通ってサウナや温泉で汗をタップリ流しているので、身体の新陳代謝が活発になっているのか、やたらと汗をかくのだ。
近頃はラーメンや蕎麦なども温かいものを食べると、頭のてっぺんから汗が噴き出てきて止まらなくなる。この日も、皆に、この程度の辛さのカレーで汗をかくのかと笑われながらも、タオルで汗をふきふき食べ終えた。
午後の会議も順調に終えて、さぁ、これから気合を入れて頑張ろうと思った矢先に、かなり頭に来る出来事が起こった。
瞬間湯沸かし器と言われて、所属する団体をことごとく喧嘩して辞めた若かった時代からは想像も出来ないほど、気持ちも身体も丸くなった。
少々のことでは立腹することもなくなったが、あまりなモノ言いにカチンと来たので、頭に来たのだが、私が怒る直前に、怒った人がいたので、それを見て少し冷静になれて、爆発するところまではいかなかったのだが・・・。
今は詳しく書かないが、「巨人の星」の星一徹なら卓袱台をひっくり返している場面である(星一徹は少しの事でも卓袱台をひっくり返していたが)。
その後も、電話やら、直接会っての対応やら、どれも気分の良くなるような話ではない。しかも丸一日、自分の会社の仕事も出来なくて、マラソン大会のことに掛かりきりだった。
なんだか妙に憔悴し切った感じである。
12年前に「北の屋台」の初期段階でも同様な事態の連続であった。しかし、その時には、目の前に生じた壁を「よ〜し、乗りきってやるぞ!」と壁が高ければ高いほど逆に燃えたものだが、50歳になって、活力が減ったのか、「よ〜し」という気持ちが湧いて来るまで時間がやたらと掛かるようになってしまった。やっぱり年なのかなぁ〜。
■2010-11-25-Thursday フォーラム
25日14時からフォーラムに参加した。
「食観光まちづくりフォーラム」と題する十勝振興局・十勝観光連盟・帯広商工会議所の主催事業である。
会場はとかち館、講師はふらのまちづくり会社代表取締役社長の西本伸顕さんだ。
パネルディスカッションは、西本さんに加えて、北海道ホテルの工藤一幸さん、Y・Sプランニング社長の関口好文さん、桐光クリエイティブ社長の吉田聡子さんの4人で、コーディネーター役は十勝観光連盟専務理事の松山豊さんだ。
私は、明日の26日に、西本さんと対談することになっているので、そのために事前調査の意味もあって参加することになった。
西本さんの話を聞いていて、まちづくりに一家言持っている人、つまり自身の身を持って活動をした人という方は、皆、考え方が似て来るなぁと感じた。私が普段、講演している内容とほとんど同じ内容であった。
全国各地で色々な会議や、シンポジュームなどで、まちづくりの達人というか、一生懸命やってこられた方々とお話しする機会を多く与えて頂いているが、やはり到達するところは、ほとんど一緒だと感じるのだ。
一種、共通した感慨があると思う。
西本さんにも同じ感じがした。明日の対談で同じことを言ってもしょうがないし、エンターテェィンメントとしては面白くないが、対立構造がないのだから困ったものだ。
このシンポジュームでは、紅一点の吉田さんの意見がなかなか面白かった。自身でも言っていたが、女性の観点というよりは、男性的な観点なのかもしれない。
シンポジューム終了後に、市内の飲食店での懇親会に私も招待された。
対談の前にあんまり話過ぎてしまうと、さっき話したじゃないという感じになってなかなか対談というのは、えてして上手く進まないものだ。
西本さんは、場慣れされているようだし、コーディネーター役の松山さんも、規格外の元公務員だから、そんな心配は無用なのかもしれないが・・・。
お酒の量を控え目(それでもビール1杯・芋焼酎の水割り6杯)で止めておいて、今このブログを書いている。
明日の対談が楽しみだ。
■2010-11-26-Friday 読売新聞風向計
2010年11月26日読売新聞北海道版「風向計」掲載
まちづくりの種 足元に
先日、帯広から札幌に向かう列車に一人で乗っていたら、新得駅から乗車して私の横の席に座った女性が、新得町でファームイン(農業体験などができる民宿)をされている湯浅優子さんだった。なんという偶然だろう。札幌までの車中ずっと話し続けたのは言うまでもない。
2004年1月、グリーンツーリズムの研究のために農村民泊の先進地として有名な大分県安心院(あじむ)町を訪れた時のことだ。宿泊先の民宿・中山家で「農村民泊を勉強したくて北海道の十勝から来ました」と言ったら、「エ〜ッ、私たちは十勝の新得町の湯浅さんや鹿追町の中野(健治)さんたちに指導を請いに十勝に行ったのですよ。十勝こそ私たちのお手本なのですよ」と言われて驚いた。
大分つながりの話題をもう一つ、1987年8月、帯広青年会議所が当時の平松守彦大分県知事、横路孝弘北海道知事、堤清二西武セゾングループ代表の3人を講師に、小浜維人NHK解説委員をコーディネーターに当地でシンポジウムを開催したときの話である。
青年会議所の新入会員だった私は、平松知事を送迎する車の運転手役であった。横路知事が提唱していた「一村一品運動」のお手本が大分県であったから招かれたという話を聞いた平松知事は、「一村一品運動のお手本は十勝の池田町の十勝ワイン。わざわざ私を呼ばなくても・・・」と漏らした。そんな話題を持ち出しながら、湯浅さんに「身近なことは意外に関心が低いものですね。遠くにあるものの方がすごいと感じやすいのかなぁ」と話を振った。
よく、まちづくりに必要なのは「若者・馬鹿者・余所者(よそもの)」の3種類の人間だと言われる。地元の良さを、地元の人間は毎日見ているだけに、当たり前になっていて実感しづらい。そこを余所者の新鮮な眼で、「ここはとても素晴らしい場所だ」と地元の人に伝えることが必要だし、また地元の人も、他所をたくさん見て歩くことも必要だ。ただ多く見れば良いというものでもない。漠然と見るのではなく関心を持ちながら観ることだ。
帯広駅近くの駐車場に「北の屋台」を始める前、世界中の屋台を視察した時もそうだった。屋台に関心が無い時には屋台なんてまったく眼に入らなかった。眼で見ただけで頭では観ていなかったのだろう。屋台に関心を持って観たら、世界中の至る所に屋台があり、それを観ることでとても役に立った。
「無いモノねだり」のまちづくりは終わった。これからは「在るモノ探し」のまちづくりだ。まずは身近にあるモノを、自らの関心を高めて、新鮮な眼で観ることが重要だと思うということで二人の意見が一致したのだった。
■2010-11-27-Saturday 研修会
26日10時からとかちプラザで、
十勝観光連盟主催の「十勝管内観光職員研修会」が開催され、ふらのまちづくり㈱代表取締役社長の西本伸顕さんと対談を行った。
前日の25日にとかち館で開催されたフォーラムの続きの様な感じである。
前日の懇親会で飲み過ぎた(?)のかお腹の具合がすぐれない。酒も弱くなったようだ。
対談と言っても、西本さんが言われていることと、私が言っていることには、ほとんど差異がないので対談にはなりにくい。
コーディネーター役の十勝観光連盟専務理事の松山豊さんから「北の屋台を作った時の苦労話を」と促されたが、そもそも、北の屋台事業は苦労だと思ったことがないのだから、出来ない相談なのである。
松山さんが導入部で、「坂本さんとは古い付き合い(1992年頃から)だが、彼が屋台でまちづくりをという話を聞いた時に、寒い十勝で何をバカなことをと思った。」と話始めたので、マジック的思考法の話から入ることにした。
いつもの90分間の講演とは、勝手も時間も違うので、発想法を中心テーマにして、エッセンスをギュ〜ッと凝縮して話したのだが、果たして伝わっただろうか?
対談というよりは、それぞれが勝手に自分のことを話して、コーディネーターがまとめたというものになったように思う。
対談終了後に、数人から講演の依頼があったところをみると、何か得るところがあったのだろうか?それともこれでは聞き足りないということなのかなぁ〜?
月曜日の29日には、とかち館で帯広地域雇用創出促進協議会主催の「十勝の魅力を伝えたいIT活用!情報発信スキルアップセミナー」で講演と対談をすることになっている。
北の屋台を卒業してからすでに3年半が経ったというのに、帯広でこんなに立て続けに講演が入るなんて何故なんだろうか?北の屋台を始めた当初でさえ帯広市内での講演は少なかったのに、不思議なことだ!
■2010-11-28-Sunday 悪人
映画「悪人」を観て来た。
26日の夜に帯広青年会議所OB会のサヨナラパーティが北海道ホテルであったので出席して、二晩続きで酒を飲み過ぎたので、昼まで寝ていたかったのだが・・・、
妻が観たいというのでお付き合いをしたのだ。たまには妻へのサービスもやっておかないと・・・。でも夫婦50歳割引だと2人で2000円だから、これで2時間以上楽しめるのは実に安いレジャーである。
なかなか良い映画であった。親切面して老人を騙すアクドイ商売をしている人、殺人を犯すが実は優しい心根の人、親の愛情、祖母の愛情、人との接点を持てない人、冷静に第三者的視点で仲間を見ている人など心理描写が実に巧みで、登場人物の心理状態がとても上手く描けていたし、出演俳優が皆、良い味を出していた。久石譲の音楽も実に良くマッチしていた。
今年度、これまでに観た映画の中では一番良かった。
誰が悪人で誰が善人なのか?被害者ってのはただの被害者なのか?法律上の犯罪と、法律上は罰せられない罪があるのじゃないのか?誰が本当の悪人なのかを考えさせられる映画である。
ただ、金持ちの家の息子と、貧しくて親の愛情に恵まれない家庭の息子との対比がステレオタイプなのが気になったが・・・。
現代の若者達のコミュニケーションの取り方って、皆こんな感じなのだろうなぁ〜。他人とコミュニケーションを取りたいのに、取る術が分らない。この映画でも象徴的に携帯電話がやたらと出てくるが、携帯電話は決してコミュニケーションツールなんかじゃぁない。コミュニケーションを破壊する道具だ。ここでも「便利さが殺すコミュニケーション」だなぁと感じた。
テレビや雑誌などのメディアの残酷さも表現されていたが、「知る権利」っていうのは暴力に近いのではないのか?
被害者家族の気持ち、犯罪者の家族の気持ち、これを踏みにじる「知る権利」って一体なんなのだろうか。
犯人の清水祐一が最後の最後に見せる、光代への愛情表現が素晴らしかった。実に余韻の残る良いラストであった。
■2010-11-29-Monday 積雪
28日日曜日の朝6時半にトイレに
起きたらやけに外が明るいのでカーテンを開けたら雪が5cmほども積もっていた。
今シーズン最初の積雪である。
この時期の早い雪は、すぐに解けると思ってホッタラカシテ寝ていたら、妻が雪かきをして戻ってきた。
我が家の隣人は皆さん、とにかくキレ〜イに雪かきをする方ばかりなので、我が家だけそのままにしておく訳にはいかないと言うのだ。
だから、他人の目に付く我が家の前の歩道部分だけはきれいに除雪してきたというのである。
雪が重くて疲れたから、除雪しているのが外からは見えない我が家の玄関前や庭先は私に除雪せよと言う。変なところに見栄っ張りなのだ。自分は甲斐甲斐しく除雪をして、その間亭主は寝かせているというアピールのつもりなのだろうか。
この時期の雪は放っておいても解けるからと言おうものなら、百倍になって戻ってくるから、何も言わずに除雪を始めた。
だが、除雪を始めると、中途半端で止めることが出来ない性分なのだ。結局、家の周り全てを除雪し終えたら汗だくになって疲れてしまった。
昼からは母が藤丸に買い物に行きたいからと言うので運転手と荷物持ちをやってきた。
人使いの荒い、我が家の女性陣である。
夕方になって、犬の散歩に出掛けたら、あちこち雪が解けずに残っていた。気温が低かったのかなぁ〜。早目に除雪しておいて良かった。やはり女性の言うことは聞くことである。
■2010-11-30-Tuesday 屋台って
イャ〜、私が卒業した後の北の屋台ってよっぽど儲かっているんだなぁ〜。
先日、酒の席で聞いた話だから真偽のほどは定かではないが、最近の北の屋台の店主の方々はかなり羽振りが良いらしいという噂なのだ。
何せ、組合にドンドンとお金を払ってくれるらしいからだ。私が組合に居た時には、組合の運営はカツカツで、私は無償で働いていたというのに・・・。
現在は組合が請求する金額に対して、店主の方々は何等の疑問も持たずにホイホイと高額なお金を払ってくれるというのだから、よっぽど儲かっているのだろう。このご時世に何ともうらやましい話である。
だが、北の屋台の組合は金儲けの為に始めた事業ではない。まちづくりの為の事業なのだから、そこのところはワキマエテ欲しいものである。
現在の北の屋台は9年目の第3期目だから、今年の11月に入れ替え時期が到来しているはずだ。
先日も十勝毎日新聞紙上で「えん」の春日さんが北の屋台を独立して12月から帯広市内に店を構えるという記事が載っていたからまず間違いはあるまい。
彼は一人で2つ分のブースを切り盛りしていたし、客あしらいも上手いから、きっと新しい店も流行ることだろうと思う。頑張って欲しいものだ。
もうすぐ12月になろうというのに、なかなか第4期目のメンバーが発表にならないので、気にはしていたのだが、どうやらようやく決まったらしいとのこと。詳細は知らないが近々発表されることだろう。楽しみである。
北の屋台での営業は3年間が基本だ。3年間で商売のノウハウを身に付け、固定客を獲得し、軍資金を貯めて、3年で屋台を卒業して、市内のシャッターの閉まった店に入る。空いた屋台にはまたやる気のある人が入って、これを繰り返すことで、まちづくりの一助にしようという志で始めた事業だから、きっと第4期も、新しいやる気のある人たちが大勢入って頑張ることだろう。
第3期で頑張った店主の方々もきっと次々と中心部の空いた店に出店してくれるだろうと思う。北の屋台での経験を活かして欲しいと思うし、帯広の中心街活性化にも貢献してもらいたい。古巣の北の屋台に大いに期待したいものである。