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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-03-01-Tuesday マイヒストリー50

2005年4月29日に

札幌市で船舶免許更新の講習会があった。

この船舶免許は、1988年に4級を取得したものだが・・・。

前年の1987年に帯広青年会議所(JC)に入会した私は、同期入会した最年長のS井医師に呼び出されて「船舶の免許を取らないか?」と誘われたのである。私は船が好きな訳でもないし、釣りをする訳でもないが、要はS井医師は自分が所有する船で、家族で釣りをする時の為に、父親と兄にも船舶免許を取得させたいと考えたのだが、帯広で免許を取得する為の講習会を、小樽の業者に開催してもらうには、人数がある程度まとまらなければ開いてもらえないのだ。そこで、JCに同期で入会した私やHやTなどを誘って、帯広市内で講習会を開催したというわけだ。

6月12日(日)の9:00〜18:00まで帯広市内の東コミュニティセンターで講習を受けて、28日(火)には帯広市勤労者福祉センターで筆記試験、30日(木)には阿寒湖で実技の講習を受けて、翌7月1日に、同じ阿寒湖で実技試験を受けて、無事合格した。

だが、後にも先にも、船を操縦したのはこの時だけなのである。私は完全な「ペーパー船長」である。

この2005年の講習会は、当初、使わない免許の更新にお金を払うのもバカバカしいからと、帯広市で開催された更新の為の講習会に参加せずに放ったらかしておいたら、免許が失効してしまった。しばらくして小樽の海事業者から電話が入って、「法律が改正されて、今回の講習は受講しただけで2級の免許になる」のだと言う。だが、時すでに遅しで、船舶免許の取得者数が少ない帯広市は、年に1回程度しか講習会を開催していない。再交付してもらうには札幌や小樽などの他都市で開催される講習会に参加しなければならないし、しかも失効させた人の講習時間は更新のよりも長時間なのである。

4級のままなら、失効させても良いかと思ったのだが、講習を受けるだけで2級免許になるならば、それも案外格好良いかと思い直して、4月29日にわざわざ札幌まで日帰りで出掛けて再交付してもらい晴れて2級免許になったのだった。

その講習を受けている時に、この小樽の海事業者の人から「今回の改正で、2級免許取得者は、筆記試験だけで1級免許が貰えますよ」と言われたのである。

使うつもりのない免許である。まして、これまで一度も船を操縦したことすらない。全く不要の免許のはずなのに・・・。「筆記試験だけで1級免許? 格好良いジャン!」とバカな考えを抱いてしまったのだった。

筆記試験の予定日は7月10日(日)9:00〜12:00札幌である。その1級試験を受験する為の講習会が6月26日(日)の9:00〜17:00まで同じく札幌だ。

この講習会と試験を受ける為には、当日に帯広から向かったのでは間に合わないから、両日共に、札幌のホテルに前泊しなければならないのである。

札幌までの列車の料金とホテルの宿泊代は2回分、講習会の受講料、受験料を払って、7月19日に合格の発表があり、晴れて「小型船舶操縦免許証一級」を取得したのである。

小型船舶一級免許というのは航海士を同船させれば世界一周だって出来るという免許なのだ。

でも、実技を一度しかやったことがない一級船舶免許って、アリなのかねぇ〜?

恐ろしくてこんな船長の操縦する船なんかには、私だって命が惜しいから乗りたくはない。結局は、飲み屋に行ってホステスに見せて自慢するだけの、陸釣り専用の実に高額な、そして不要なアイテムでしかないのである。(つづく)


■2011-03-02-Wednesday マイヒストリー51

2005年6月3〜5日まで

日本IBMが静岡県伊豆の天城ホームステッドで開催している「第18回 富士会議」というものに招聘された。

この前年に、懇意にしている、この会議のOGでもある斎藤聖美(翻訳者・ジェイボンド証券代表取締役)さんから、ご紹介を頂いて既にメンバーにはなっていたのだが、2004年は時期的に忙しかったのと、全国各地から錚々たるメンバーが集まる会議なので気後れしたことと、この会議の参加資格が、概ね45歳までという年齢制限もあった(この年齢制限は50歳に変更になった)のが重なって欠席していたのである。

日本IBMの事務局の方から、この2005年は、北海道のメンバーは貴方一人だけだから、どうしても参加して欲しいとの強い要請があって、渋々ながら参加したのであった。

コンピュータの会社である日本IBMが、静岡県伊豆の天城に「天城ホームステッド」というホテルみたいな研修施設を持っている。ここに毎年6月の初旬に全国各地の、50歳までのオピニオンリーダーを50名程も集めて、講習会・勉強会・討論会を1泊2日で泊まり込みで開催するのである。

メンバーは現役バリバリの官僚や、これまた現役の若い知事や衆院議員などの政治家、大学教授、研究者、企業人、新聞記者、作家など、錚々たるメンバー構成なのである。そんな中に私なんぞが入っても、まともに皆と話せるかなぁと心配したのだが・・・。

まぁ、何事も経験である。参加せずに後悔するより、とにかく一度は参加してみようと考えた。参加してみたら、やっぱり皆すごい人たちばかりで、自分の意見をシッカリと持っているし、またドンドンと積極的に発言もするのだ。奥ゆかしい(?)性格の私は、最初は気後れしたものの、段々と場の雰囲気にも慣れてきて、意見を言える様になってきた。そうなると面白くなってきて、この後卒業(2008年)するまで、4年間毎年、参加し続けたのだった。

日本IBMは北海道でも「北海道会議」というのを開催していて、こちらにも招聘された。北海道会議は北海道在住のメンバーだけの会議であるし、年齢制限もないので、若手から老齢の方まで年齢の幅は大きい。この年は10月21・22日とキロロで開催されたのだった。

北の屋台は二期目に入って順調に進んできた。この辺でまた本を書かないか?という話が出てきた。前著の「北の屋台読本(メタブレーン社)2001年7月29日発刊」は北の屋台の成功を一人確信していた私が、「後付けの理屈」だと、他の連中に言わせない為に、あえて北の屋台のオープン日(2001年7月29日)に合わせて発刊した本であることは前述したのでここでは割愛するが、北の屋台はエピソードには事欠かないほど、毎日、毎日、面白いことが起きる。

「北の屋台通信」(A4版8ページ)をVOL 1〜5まで書いて5回発行したり、十勝毎日新聞の文化欄の「十勝の場所の意志に学ぶ」という1200字程のコーナーに書いたりしてはいたのだが、これではまるで紙面が足りないのだ。

書くことが面白くなってきていたこともあり、二冊目の本「北の屋台繁盛記(メタブレーン社刊)2005年7月29日発刊」を出版することにした。

前著の発行日とわざわざ日付を合わせて、前著に書けなかったオープン後のエピソードを盛り込むことにしたのだ。

私は、書くスピードもメチャメチャ速い。題材が決まったら、筆はドンドンと進むのである。5月の連休中には原稿をほぼ書き上げていた。

出版社からの校正原稿を確認する作業をしていたら、妻が「私に感謝する一文を加えろ!」と言うのである。確かに、北の屋台を始めてからは、会社の仕事も家も妻に任せっきりだったから、本の最後の「あとがき」のそのまた一番最後に妻に対する感謝の気持ちを書き加えたのだった。

製本されたものは7月25日に手元に届いた。前著「北の屋台読本」は143ページの薄い本であったが、二冊目の「北の屋台繁盛記」は207ページに増えて厚くなり、少しは本としての体裁も整った。

出来あがった本を、北の屋台の理事者たちにも配布したが、これが理事者たちには不評なのであった。「自分たちの名前が本の中に登場しない」「女房に感謝するより、まず我々に感謝しろ」と言って私に文句を言うのである。

実は、私は原稿を書いている時には、十勝環境ラボラトリー(TKL)時代からのメンバーを実名を挙げて登場させていたのだ。もちろん宣伝を兼ねての本であるから、書いてあることは良いエピソードばかりである。

2003年5月に横領問題を起こしたKに代わって、新しく北の屋台の理事長になったS医師が就任したのだが、このS医師が「北の屋台関係では、俺の名前は一切出すな!」と就任時に皆の前で宣言した。

S氏の気持ちを推測するに「Kの問題があったので、仕方なく、成功するかどうかも判らない北の屋台の理事長になったが、医師としての自分の地位が、屋台の理事長なんていうポジションに就いたことは世間に公表したくない」という様な感じだったのではなかろうか。まだ、2003年5月には北の屋台が今日の様な成功を収めるとは予想もしていなかったのだろう。

理事長の名前を出せなくて、その他の副理事長以下の名前を出せるはずがない。それこそそんな事をしたらオカシナ話になってしまう。だから、文中では「私たち」と複数形で表現したのである。

ところが、何故かこの「私たち」という表現を「私」という単数形の表現であるかのように思い込んでしまったのだろうと思う。「坂本は全て私が、私がと、書いている」と言うのだ。

この誤解は、拙著「北の屋台繁盛記」を実際に読んでもらえば、一目瞭然、すぐに判ることなのだが・・・(つづく)。


■2011-03-03-Thursday カンニング

京都大学などの

入学試験で、インターネットを使用したと思われる不正が見つかった事件で、東北地方在住の人物が特定されたとのニュースが流れた。

意外に早く見つかったなぁと感じた。

超が付くアナログ人間の私には、携帯電話を使ったカンニングなんて想像も着かないが・・・。

なにせ、携帯電話は電話としてしか使えない。メールはたまに受信することはあるが、自分では発信が出来ないから、メール機能はほとんど使わないのだ。

マジックが趣味だから、指先の器用さにかけては自信があるが、携帯のボタン操作は面倒で覚える気にならないのだ。

妻や子どもたちはピコピコとメールをやっているが、メールはコンピュータでやる方が、私には遥かにやり易い。

京都大学の入試で発覚した今回のカンニングは、その方法について各テレビ局が、あぁでもない、こうでもないと色々と専門家に考えさせてやらせていたが、果たして、どの様な方法でやったのか、興味深い。

恐らく複数でやったのだろう。今朝のニュースでは東北地方の40代の女性が契約した携帯電話だとのことだから、ひょっとすると、家族ぐるみの犯行だったりして。

それにしても、カンニングの方法がこうも変わったとは、時代は進んでいるのだなぁ〜。

我々が学生の頃は、一生懸命に小さな紙に書き込んでカンニングペーパーを作ったものだが、作っている内にシッカリ暗記できてしまうから、本番ではカンニングの必要がなくなるという笑い話になったのだが・・・。

カンニングもデジタルの時代になったということだろうが、他人に回答を求めたら、それこそ、全く自分の知識にならないではないか。あまりにも安易に他人に依存して、自ら考えることをしないというのはヨロシクない。

第一、今回のような、方法を考えて、機械を買い揃える時間と余裕があるなら、単語のひとつも暗記しろよ!

カンニングといえば、札幌市の建設関係の不正事件(入札の最低制限価格を教える見返りに金品を要求した)で札幌市役所の契約管理課係長と北海道の建設業界最大手の岩田地崎建設の部長らが逮捕された。

これも一種のカンニング行為であろう。

北海道の建設業界の最大手企業で、北海道建設業協会の会長を務める企業がこういう不正をはたらいたのは、大きな問題だ。

この種の不正は、入札参加停止2年というのが慣行だそうだから、この建設不況の時に痛いに違いない。

発覚すれば、それなりのペナルティーが科せられるのが分かっていながら防げないのは何故なんだろう。

会社の為と言いながら、実は、まるで会社の為になっていないだろう。逆に会社存立の危機にまでなるかもしれない不正だ。

こういう輩を会社に在籍させておくというのは、果たして会社の体質なのか、個人の問題なのか?

組織は放っておけば腐敗する。常にキチンと末端まで理念を浸透させていなければ維持できない。トップにその意志があるかどうかだ。

常に自浄作用を働かせていなければ、組織自体が崩壊する危機を招く。犯罪の芽は、早くに摘むべきである。


■2011-03-04-Friday マイヒストリー52

観光カリスマに

2005年3月18日に就任したことで、講演の依頼やら、テレビ、雑誌などの取材が急激に増えた。日本人は権威というかお墨付きというか、そういう類のものに弱い国民だ。「北の屋台繁盛記」を7月29日に出版したのも実にタイミングが良くて、講演に行った先々で、この本を宣伝、販売してくれるので、講演終了後にサイン会みたいな事になる。何だか自分が有名な作家にでもなったような気分になった。

3月16日(水)の夕方に帯広駅の構内を歩いていたら、俳優の津川雅彦さんとバッタリと出会った。

津川さんは1986年に帯広市の愛国—幸福駅のある広尾線が廃止される時に、この線路を残して「サンタランド」を十勝に造ろうという活動をしていた。丁度当時、私は父の経営する「サニーデパート」が寄り合いデパートとしては曲がり角に来ていたので、この状況を打破すべく坂本ビル全体を「子どものビル」に改装する計画を立てていた。津川さんは、当時、東京の自由が丘で子ども向けのビル「チルドレン・ミュージアム」を3人で運営していており、自身もそこで「グランパパ」という高級おもちゃ屋を経営していた。

縁あって、津川さんと知り合い、坂本ビルを東京・大阪に次ぐ、第三番目の「チルドレン・ミュージアム」にしようという計画になっていったこともあって、この「サンタランド」計画の十勝に於ける事務局長を私が務めていたのである。

また、坂本商事(北海道民芸品店)の下請けの木彫りの職人を津川さんに紹介して、オリジナルのサンタクロースの木彫りの彫刻品を数十点もグランパパに納めたりもしていた関係で、津川さんとは何度も一緒に仕事をした間柄であった。

その後、この計画はとん挫したのだが・・・。

列車の時間が迫っていたので、ほんの2分程度の挨拶だけで終わったが、津川さんは映画「雪に願うこと」(帯広のばんえい競馬を舞台にした映画)の撮影の為に帯広入りしたとのことだった。

「雪に願うこと」は翌2006年5月に公開される映画で、「第18回東京国際映画祭」でグランプリ他4冠を獲得した映画である。監督は根岸吉太郎、出演者は伊勢谷友介、佐藤浩市、小泉今日子、吹石一恵、香川照之、山崎努、津川雅彦など。

この「雪に願うこと」の撮影スタッフの人たちは「北の屋台」をとても気に入ってくれて、毎日の様に飲食に訪れてくれたのだった。津川さんが出演していることが、もっと早くに分かっていたら、北の屋台を案内したかった。きっと私が北の屋台を発案したことは知らなかった事と思う。津川さんが北の屋台に来てくれたかどうかも確かめる時間もなく別れたのだった。

全国各地に講演に出掛けると、飛行機のマイレージが貯まる。使ってしまわないと失効してしまうポイントが出てきたので、妻と二人でマイレージを使って旅行に行くことにした。

以前に沖縄で講演した際にお世話になった玉城美智子さんという沖縄のテレビ局のアナウンサーの方が、私の講演を聞いて、是非とも冬の十勝を訪れたいと言って2005年2月6〜9日まで、帯広に来られたので、然別湖などを案内して回ったのだが、そのお礼として、沖縄に夫婦で遊びに来たら案内すると言ってくれたのだ。

私は沖縄には何度も講演で呼ばれているが、妻はまだ行ったことがない。

私の講演スケジュールは結構詰まっていて、なかなか日程が取れなくて困っていた。ようやくスケジュールの合間に取れた日程が6月10〜15日であった。妻が、沖縄はその時期はまだ梅雨だから行きたくないと言う。しかし、この日程でしか空いていないので、私は「晴れ男」だから大丈夫だと言って強引に出掛けて行ったのだった。

確かに沖縄はまだ梅雨であったが、雨に身体が濡れることは一度もなかった。車に乗って移動している時には雨が降るのだが、降りると不思議なことに雨が上がるのである。

沖縄本島・石垣島・竹富島・西表島・由布島などを巡り、各地で講演で知り合った方々に連絡を入れて美味しい店や、面白い場所に案内してもらった。

1985年に結婚して以来、妻と二人切りで旅行するのはこれが初めてである。妻も久し振りに羽を伸ばすことができた。これ以降は毎年、妻と旅行をするようになったのであった。(つづく)


■2011-03-05-Saturday マイヒストリー53

2006年1月に

坂本ビル4階に入居していた「アイク」という消費者金融の会社が撤退することになった。一時期、消費者金融業界は隆盛を極め、日本中の中心街の空いたビルを埋め尽くしていた感があったが、法律が変わって高い金利が取れなくなったことなどから急激に勢力が弱まり、テレビでも消費者金融の女性が団体でダンスするCMやら可愛い犬やらを使ったCMばかりが目立っていたが、このコマーシャルも急に激減した。

この4階の空いた場所を使って妻が「介護」の店を開きたいと言い出した。妻の両親は健在なのだが、将来の介護することを想定して、その為の練習にと前年から介護二級ヘルパー等の資格を取得していた。その講習を受けた時に、介護の方法を正しく知れば、介護する側の人間の身体的、精神的負担を軽減できることを学び、それを広く世間に伝えたいと言うのだ。

ビルの4階に実物大の家の部屋(玄関・台所・寝室・リビング・風呂場・トイレ・廊下など)を造り、床材の種類を変えたり、台所の流し台の高さを変えられたり、壁が移動したりと、色々なアイデアを導入して、家を改築する際の目安にしたり、介護の研修をしたり出来る様な店にしたいのだという。

志は大変良いし、そういう類の介護の店も無いから、協力することにした。7月7日に「シニア・ケアー・ショップ・パーム」という名称でオープンしたのだった。

2月21・22日と東京赤坂のニューオータニホテルで国土交通省が主催する観光関係者の大きな会議が開催され、私に「観光カリスマ」として出席要請があった。23日は帯広で会社の重要な会議の予定が入っているし、24日からは山口県下関市で講演のスケジュールが入っている。帯広—東京—帯広—下関という強行スケジュールだが、帯広市役所の友人に相談したら、出た方が良いとのアドバイスに従って参加することにした。

22日に会議が終了後に、羽田空港から帯広空港への17:50発の最終便に乗って戻る予定だったのだが、帯広空港が濃霧の為に着陸出来なくて新千歳空港に着陸したのだ。千歳から列車に乗って帯広駅に着いたがヘトヘトに疲れてしまった。帯広空港の駐車場には車が置きっ放しだが、24日にはまた再度、帯広空港に行かなくてはならないから、取りに行くのを止めた。

23日は10:30に長崎県からの北の屋台の視察への対応、午後からは入居希望テナントの商談が2軒、夜には北の屋台のS理事長の父親のお通夜と休む暇がない。

翌、24日は帯広駅前からバスで帯広空港に向かって、帯広空港—羽田空港—宇部空港と乗り継いで宇部空港から下関市まではバスで移動して、体力的にもかなりしんどかった。

下関での講演は大好評で、魚の仲買人の社長さんが「アンタに天然物のトラフグをご馳走したい」と一尾8万円もする天然トラフグのてっさし、てっちりをたらふくご馳走になり、疲れも吹っ飛んだのだった。

3月10日に北の屋台が、ホクレン主催の「ホクレン夢大賞」の農業応援部門の大賞を受賞し、その表彰式に出席する為、札幌グランドホテルに行ったが、これも超ハードスケジュールであった。表彰式は午前中なので、札幌に前泊しなくてはならない。9日の夕方に到着する列車で札幌に行き、そのまま小樽まで足を伸ばして、小樽の屋台村「出抜き小路」を視察して来たのだ。かなり飲んでから電車で札幌に戻り、翌日の午前中の表彰式と懇親会に出席した。10日の18:30から帯広のとかちプラザで「卸売団地」の人たちへの講演が予定されている。当初は札幌発13:58−16:18帯広駅着の列車で戻るべく予定を立てていたのだが、懇親会が長引いて、その列車には間に合わずに、札幌駅15:50−18:18帯広駅着の列車にしか乗れなかったのである。

とかちプラザは駅前だから、ギリギリ間に合って講演を無事に済ませることが出来た。

3月17日の13:00〜15:00に北海道開発局の依頼で網走市で講演をした。雪道の運転は大嫌いなのだが、網走までJRで行くのはかえって辛いから仕方なく運転して行った。懇親会にも参加したので網走のホテルに泊って、18日に帯広に戻るのだが、18日は13時から帯広のとかちプラザで「移住」のシンポジュウムがあり、そこで基調講演をするスケジュールである。早朝に網走を発って11時に帯広に到着した。「移住」に関する講演ということで、いつもの北の屋台の講演とはちょっと異なる講演内容である。運転しながら話す内容を考えた。

翌19日は14:00から釧路で講演、これはJRで往復して日帰りし、今度は20・21日と道南のせたな町で講演した。

2月・3月は年度末を控えての予算消化の為なのか、講演の依頼が多い月で例年ハードなスケジュールになる。しかし、これも北の屋台の為、いや帯広の宣伝の為と思って、自分の会社の仕事も放ったらかしてこなしていた。

そんな私を見て、妻は「忙しそうだけど生き生きしているね。でも身体には気を付けてね」と妙に優しい言葉をかけてくれたのだった(恐〜)。(つづく)


■2011-03-06-Sunday フィギュア

27日に新横浜スケートセンターで

開催されたフィギュア・スケートの

「第17回 全日本ジャパン・シンクロナイズドスケーティング・オープン大会(兼2011年世界選手権大会最終選考会)」に出場して二連覇を成し遂げたチーム「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース」で長女の惠梨がキャプテンを務めている。

まだまだ、マイナーなスポーツで、その存在すら知らない人がほとんどだ。

それが、このところ、立て続けにテレビで紹介された。

まずは、翌朝、2月28日のフジテレビ系列で、小倉智昭が司会をしている「とくダネ!」の中で、アナウンサーの中野美奈子が密着取材をした特集が25分間ほども放送された。

その後、3月1日のTBS系列の薬丸裕英・岡江久美子が司会する「はなまるマーケット」が準優勝した「東京シンクロナイズドスケーティングクラブ」の密着取材をし、優勝した娘のチームも紹介されていた。

今朝は、同じTBS系列の関口宏が司会する「サンデー・モーニング」の中のスポーツで「喝」とか「あっぱれ」とかを付けるコーナーで「もう一つのフィギュア」と題して、先の大会の模様を放送していた。

16名の団体で滑る競技で、水泳のシンクロナイズド・スイミングとフィギュアスケートのアイスダンスの要素を組み合わせたような競技である。

観ていて楽しいし、美しい。

スケートだから、同じ姿勢のまま流れる様に滑っていくので、余韻を感じる芸術性のある競技なのだ。近年、日本のフィギュアスケート界はシングルで世界を席捲しているから選手層がかなり厚くなっている。もっともっと広く知られてくれば日本人には観る面でも、競技する面でも合っている競技ではなかろうか?

3年後に開催されるロシアでのソチ・オリンピックの正式種目に採用されるようにはたらき掛けているところだが・・・。

4月にフィンランドで開催される世界選手権で10位以内に入賞できれば、テレビ局も動くだろう。

フィンランドの大会はすごい人気があって、チケットが既に完売してしまったほどだという。日本でも人気が出てくれれば嬉しいものだ。


■2011-03-07-Monday カンニング2

京都大学の入試で

携帯電話を使ったカンンングをした、浪人生が逮捕された。

複数犯かと思ったら、これまでの供述では単独犯だという。まったく携帯メールが使えない身としては、ものすごいスピードで携帯メールを打てるのだと感心してしまった。新聞によると早く打つ練習をしていたと書いてあったが、そんな時間があったら勉強しろよ!

匿名性が高いと思っていた携帯やPCも、警察がその気になったら、簡単に割り出せるのだなぁということが分かった。

カンニングというのは、おそらくこの世の中に試験というものが出来た瞬間から存在したものだろう。

試験を出す側と、受ける側のばかし合いみたいなものかもしれない。

五十歩百歩というか、目くそ耳くそというか、そんな類の比較でしかないが、カンニングにも罪が深いものと可愛げなものとがある。

今回の入試の様に「合格定員」が決まっている様な試験でのカンニングは罪が深い方だ。何故なら、カンニングという不正をして合格した人の代わりに、真面目に受験して不合格になった人間が存在するかもしれないということだからだ。真面目に受験した人間が落ちて、不正を働いた人間が合格するというのは不条理極まりないことである。

一方、入学した後の進級や中間・期末などの試験は、合格定員というものがないから、カンニングという不正をして合格点を取っても、誰も困らない。まぁ真面目に試験を受けて低い点数しかとれなかった人間が不満に思う程度(?)だろう。

カンニングは見つかったら「零点」というのが不文律だろう。いくらバカでも試験を受けたら零点ということはあるまいに、それだけのリスクを犯してカンニングに挑むというのも、学生時代の悪戯的な要素としてまぁ理解出来なくはない。

だが、面白半分にやるカンニングと、韓国で起きた事件の様に組織的に行うのとでは、これまた意味が違う。

昔のカンニングは、カンニングペーパーを作成している内に覚えてしまうという効果もあったが、答えを携帯電話やコンピュータを使って、他人に依存するというのも今時の方法だよなぁ〜。

カンニングという行為そのものよりも、こちらへの変化の方を憂えてしまう。

可愛げがある犯罪というのは、そもそも無いのだろうけれど、笑って許せる程度というものがあるのも人間の人情というものだろう。

カンニングは確かに悪いことだが、今回の京都大学の対応を見ると、試験を出す側の度量も小さくなっているように感じる。


■2011-03-08-Tuesday マイヒストリー54

2006年も相変わらず講演、取材、

テレビ出演などで忙しい日々を過ごしていた。「観光カリスマ百選」に選ばれたことで、忙しさに拍車が掛ったのだ。称号一つでこんなにも忙しくなるのかと驚きの毎日であった。

2006年3月23日(木)14:00から北の屋台の大家である「H」のYさん夫妻と長男さんと、H理事長、K専務と私の6人で、北の屋台の土地の契約についての話し合いを「H」で行った。

前(2005)年11月の、北の屋台の理事会の席上で、「北の屋台の契約の年限が2007年11月末日までとなっているが、これだけ流行っていて、帯広市の名物にもなったのだから、契約を延ばしてもらうよう大家さんに話せないのか?」という意見が出てきたのだ。

こういう面倒で難しい案件は全て、私が担当しなければならない。その理事会の直後に、Yさんを訪ねて「契約の継続を考えて欲しい。ついては3月までに、年限や金額などの諸条件を提示してもらいたいのだが」という申し入れを行い、「3月までに回答する」との返事を貰っていたのだった。

3月中旬を過ぎても返答がなく、27日には理事会の予定が入っていたので3人でアポイントを取って訪ねたのである。すると「まだ、金額は決めていないが・・・・・・・・・・」と言われたので、「27日の昼に再度訪れるから、それまでに諸条件の提示をお願いしたい。」旨を伝えて退席したのだった。

そこからの、交渉は実に大変な仕事であった。北の屋台に関連した仕事の中で、私が一番、心身ともに疲れたのは、最初(2000年)の大家さんとの交渉と、この契約延長の交渉であった。

私の本業は不動産賃貸業であるから、本来ならオテノモノの交渉であるはずなのだが・・・。

結局、大家さんの主張と我々との主張に隔たりが有り過ぎて、両者の話し合いだけでは結論に至ることが叶わず、弁護士の仲裁で何とか双方の主張がまとまったのは11月11日のことであった。最初の申し入れから実に1ヶ年の月日を要したのであった。

この種の調停は、「互いの言い分を足して2で割る」傾向が強いから、無茶苦茶な言い分を主張する方に利が出て来るのは職業上も分かっていることだが、不動産賃貸業を営む身としては、常識的な申し入れをするしか出来ない。世間体などを考えずに無茶なことを主張すれば後々に不利益となって降り掛かって来るのが世の常であると思うのである(この詳しい内容は後年に書く)。

青森・八戸・宇都宮・小樽・函館・帯広の6つの屋台村で作った全国の屋台村連合の持ち回りの会議が5月29日に小樽で開催された。屋台村のメンバーはゴルフが好きな人が多いので、是非とも北海道の名門クラブ「小樽カントリー」で親睦ゴルフコンペを開くよう要請した。まだゴルフシーズンの早い時期だったので成績は振るわなかったが、小樽カントリーでプレイ出来たのは嬉しかった。

6月17日(土)にカンボジアのアンコールワット等の修復で有名な帯広市出身の上智大学の石澤良昭教授(当時)(現学長)が墓参りで十勝に来られるというので、その機会を活用して、十勝の住民有志で、石澤教授の活動のサポートをしようという催しを、帯広市内のふく井ホテルで開催した。石澤教授にカンボジアの活動の講演をしてもらい、その後、ホテルで懇親会を開催したのだ。帯広出身の方が世界的に活躍されている様子を、広く帯広市民に伝えることが出来て、しかも和気あいあいとした雰囲気の会になって、石澤教授にも喜んでもらえたのだった。

23日(金)に十勝カントリークラブで青年会議所(JC)の「日本JCじゃがいもクラブ東日本大会」が開催された。これは翌2007年9月下旬に帯広で開催される「日本JC全国大会」の時に、同時に全国各地からゴルフ好きのJCメンバーが集まって行うゴルフコンペの前哨戦のようなものであった。

私も駆り出されて、一緒に同組で回ったのがハンディ2と3と4の人である。私も一応ハンディは8だが、片手シングル3人と一緒では緊張する。迷惑を掛けないかと、真剣にプレイしたら43・41で回れて何とか面目がたったのだった。(つづく)


■2011-03-09-Wednesday マイヒストリー55

北の屋台を運営する

北の起業広場協同組合では、これまでに理事長が3人交代している。

初代がK(2000年1月〜2003年5月)、二代目がS(2003年5月〜2005年5月)、三代目がH(2005年5月〜現在)の3氏である。

二代目理事長のS氏と私は、帯広青年会議所(JC)に1987(昭和62)年に同期入会した時からの付き合いだ。同期入会の最年長がS氏で、最年少だった私は、共に父親がJCメンバーだったこともあって、同期入会メンバーで「無二の会」(昭和62年に入会したことから私が命名した)を作り、S氏は会長として、私は幹事として家族会などを毎年開催し、家族ぐるみで付き合ってきたのだった。

三代目のH氏もJCメンバーで、S氏とH氏は同年生まれで平成2年にJCを卒業した同期という仲である。

初代から二代目への交代と云うか降格の経緯は以前に書いたからここでは割愛するが、二代目から三代目への交代に関してもオカシナ事があった。

2005年は5月13日(金)理事会、24日(火)総会という日程で準備が進んでいた、4月下旬に北の屋台の事務所で総会に向けての資料作りを、私とK専務理事と女性スタッフ2名の4人で行っていたのだが、K専務理事が急に「理事長の交代をさせたい」と言い出したのである。

確かに今度の総会は、2年に一度の役員改選時期には当たるが、S理事長はまだ一期しか務めていないので、私が「Sさんが理事長では何か問題でもあるの?」と尋ねたら、K専務理事は「S理事長は、北の屋台で酔っ払って、同じ場所に帯広市役所の役人が居ると、お前らは何もやっていない!北の屋台は俺たち民間人が造ったんだ!と大きな声で言うので困っている」と言うのだ。

たったそれだけの理由で交代をしてもらうことなど出来る訳もないし、Sさんの性格は良く知っているつもりだったから、私は「Sさんは降りることはないと思うよ。それに次の理事長を誰にお願いするというの?」と聞いたら、K専務理事は「Hさんにお願いしようと思う」と答えた。

この時点ではKには伝えていなかったが、Kに理事長を依頼する前に、Hさんに依頼して断られた経緯があったので、Hさんは受けないのではないかと思ったから「理事会まで時間も無いことだし、私は無理して交代してもらう必要はないと思うよ」と言ったのだが、何故だかK専務理事は引き下がらない。

「SさんとHさんの説得は俺が全部やるから任せて欲しい」と執拗に言うので、女性事務員2人と「まず無理だと思うけど、そこまで言うなら・・・」となったのだった。

しばらくして、K専務理事はどこをどうやって説得したのか、両者共に受諾したというので、女性事務員らとビックリした経緯があった。

13日の理事会でS氏が「2006年にはJCOB会の会長をしなければならないので忙しいから、北の屋台の理事長を辞して相談役になる」と宣言したのだった。役員改選でH氏も「北の屋台の理事長を受ける」と宣言したのだった。

私には何故、K専務理事がS氏の理事長を嫌がったのか未だにその理由が分からずにいる。(つづく)


■2011-03-10-Thursday ビジョン

全国47都道府県の内、

これまでに長崎県と佐賀県の2県を除く45都道府県を訪れて講演をさせてもらった。

講演に呼ばれると、その場所の景勝地や名所にガイド付きで案内してくれるし、特産品や名物料理などをご馳走してくれる。

また、商店街や商工会などから呼ばれると、シャッター商店街(店舗が閉店してシャッターが降りたままの商店街のこと)や、郊外型のショッピングセンターなどにも案内して説明してくれる。

もちろん、たかだか数時間、その場所を訪れただけで、深部まで分かる訳がないが、観光で物見遊山で訪れるのとは違って、その地域の抱える問題点や長所、短所などが、観光よりは見え易いと思う。

だから、これまでに全国各地の「まちづくり」の成功事例やら失敗事例などを数多く見てきた。

失敗の原因は様々だが、成功の要因の第一は「リーダー」にあると感じている。

成功事例のほとんどが、熱烈な情熱を持ったリーダーに負うところが大きいと思うのだ。

それも、単なる強引で行動的なリーダーではなく、「ビジョン」を示すことが出来るリーダーが必須条件だと感じている。

ビジョンとは文字通り、全員に「映像」として将来図を見せられることを言う。何も映像と言っても、絵とビデオ映像とか具体的なことを言っているわけではない。それがあれば尚の事分かり易いだろうが、人々の頭の中に想像してもらうだけでも十分だと思っている。

「商店街」の再生は難しい。

世代間ギャップ(高齢者〜若者)(定年がないからかなりの年寄りが居る)が常に存在する組織であり、職種による考え方や顧客層の違いもある。皆が一国一城の主の集まりであるから意見がまとまり難いし、後継者の居る店と、居ない店の意識の差も大きい。

また、「土地持ち店持ち」・「土地借り店持ち」・「土地借り店借り」の意識の差も大きい。

だから、商店街をまとめているリーダーの苦労は並大抵ではない。

私の知っている商店街のリーダーの多くは身体(特に心労から胃を悪くする)を悪くしている人が多い。

日本は不況が20年以上も続いている。そこにデフレ基調が影響して利益の幅が極端に少なくなっている。更に、テレビショッピングやネットショッピングが隆盛になり、地元商店街は1975年あたりからズ〜ッとじり貧状態が続いている。

明確な将来ビジョンを持たなかった、若しくは持てなかった商店街はその場しのぎの小手先のイベントや改装を繰り返し、体力も金力も人力も失っているというのが現状だ。

未来を見通すことは難しい。明日、地震が起こるとか事故が起こるとかの予言は、超能力者でもない限り出来る訳はない。しかし、統計を見る(読む)ことが出来れば「予想」は可能なのだ。その最たるものが「少子高齢化」である。

統計上、少子高齢化が起こることは分かっていた筈なのに、誰も手を打とうとして来なかったのだ。現実化して初めてウロタエテいる。

しかし、私は「少子高齢化」は逆に中心市街にとってはチャンスだと考えている。

人口の塊である「団塊世代」は現在62歳以上になった。彼等は昔の老人と比べると見た目は10歳以上も若々しいから年寄りという感じがしないが、それでも、さすがに後10年もしたら彼等とて老ける。そうなると日本は見た目も急激に老人が増えることになる。

問題は「足」だ。足とは自動車や公共交通機関のことを言っている。

昨今、老人が運転する車の事故が多発している。高速道路を逆走したり、駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えて店舗に突っ込む事故のニュースが絶えない。これは極近い将来、大きな社会問題になるだろう。

テレビの自動車のコマーシャルで、自動車が勝手に判断して車にブレーキを掛けたり、渋滞で前の車に続いていく車を宣伝しているが、果たして老人が新しくそういう車を購入するだろうか?

もう一点、北海道は雪国である。今冬の日本海側の大雪を見たら、冬の除雪の問題も大きい。

また「無縁社会」も問題だ。独居老人が増えることが予測されている。

これらの事を考えたら、除雪の心配が少なく、歩いて買い物や病院に行くことができる中心市街地が有利になる。

私は十勝環境ラボラトリーの都市構想プロジェクトで13年前の1998年4月に、これらの予測をまとめて「帯広中心市街地活性化事業TMO提言書」というものを作成して、市役所や商工会議所や商店街で説明した。

しかし、まだ早過ぎたのか、誰も乗ってこなくて、この構想はお蔵入りし、その代りに出てきたのが「北の屋台」だったのである。

私は、この「提言書」を再度、帯広市民に問いたいと思う。


■2011-03-11-Friday ノーブレス・オブリージュ

3月6日に放送された

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を見て感じたことを書く。

一言で言えば、当時の日本の中枢には、ノーブレス・オブリージュ(社会的高位の位置に居るものには重大な責任がありそれを果たす義務がる)という先頭に立つ人間としての気概を持ったリーダーが存在しなかったということだろう。

お公家さんの近衛文麿首相をはじめとして、日本という国よりも自分の命を優先したということだ。

背景には、当時の日本は、軍部に逆らったらと云うか、大勢(雰囲気)に逆らったらと云うか、少数意見を述べるものは暗殺されてしまう世の中だったということもあるだろう。

しかし、当時のリーダー達は、御身可愛さから、政治家や軍人まで、その全てが日本と云う国の行く末と、大勢の尊い国民の命を、優柔不断な、無責任なすすめかたで行い、日本をあわや地球上から消滅させかねない危機に追い込んだのだ。

終戦後に政治家・官僚・軍人などのインタヴューを放送していたが、責任のなすり合いばかりである。

当時の政治家も軍人もアメリカと戦って勝てるとは誰も考えていなかったというではないか。それなのに、誰もそれを言い出せなくて、誰かにそれを言わせようとして、ただズルズルと時間を浪費して、益々状況を悪化させて、結局は太平洋戦争に突入してしまったのだ。

当時のマスコミ(特に新聞)が国民を煽ったからではないのか?

国力(アメリカのも日本のも)の実情を知らない日本国民は、アメリカと戦争しても勝てると思い込まされていたのではないか?

日清・日露・第一次大戦の勝利で、日本国民は日本は戦争に強いと思い込まされていたのだろう。

大衆のパワーがまとまると恐ろしいことになる。誰もアメリカには勝てないと言い出せなくなっていたのだろう。もし、そんなことを言ったら「非国民」と言われて殺されてしまうような雰囲気が日本中に醸成されていたのだろう。

何だか、現代の日本も同じ様な状況になっていることに暗澹たる気持ちである。政治家しかり、日本相撲協会しかり、検察しかりである。

大衆に迎合すると道を誤る可能性だってある。だが、現代の日本の政治家は、自ら大衆の方に擦り寄ろうとして、安易な政策をやっているようにしか見えない。

それなりの地位に居る人間には、果たさなければならない義務が存在する。倫理観を持って、その地位に居ることの意味を考えねばならない。何も義務を果しもせずに、責任も負わないような輩はリーダーとは言えない。

出でよ! ノーブレス・オブリージュを持ったリーダーよ!


■2011-03-12-Saturday 失敗

世の中に数多くの

失敗例や成功例があるが、その多くの事例の内、人間の気質によるものは大昔からあまり変化が少ない。

それとは別に、時代背景によって成功することもあれば、失敗することもある。

分かり易く言えば、右肩上がりの成長時代の成功事例と、右肩下がりの停滞時代の成功事例とでは、違いがあるように思うのである。

第二次世界大戦後から2007年頃までの人口が増え続けていた成長時代には、多少の失敗はカバーできるし、二番煎じでも十分に恩恵に有りつける時代であった。

今の人口減少社会では、一度の失敗が命取りになりかねないし、二番煎じの恩恵はほとんどなくなった。

つまり、成長時代というのは、他人のマネをして二番煎じでやった方が、独自の手法をして失敗してしまうよりもリスクは小さかったのだ。

ところが、低成長、若しくは停滞、減少時代になると、二番煎じは旨味が減った(むしろマイナスかも)から、他人のマネは逆にリスクが大きくなった。

他人のマネはダメだということになると、独自の方法を考え出さねばならない。しかも、失敗が許されないとなると、着手は慎重にやらなければならない。

以前の様に、思い付きで事業をやって、失敗を繰り返す余裕がなくなっているのだ。

一昔前のビジネス書には「考える前に行動しろ!」とか「行動しながら考えろ!」なんていうものが流行ったことがある。

しかし、これは今の時代にはリスクが高過ぎる。

学者や官僚は実際に、会社を経営したことがないから、理想論だけで論文を書く傾向にあるが、それなら、その学者が社長になって行う事業は全部成功するのだろうか? そして、その学者は億万長者に成れるのだろうか?

そんな事はないだろう。

机上の理論と実際の社会とは違うのだ。

いまだに、「まちづくり」では過去の遺物になっている考え方が主流を占めているようだ。自分の会社と違って責任感が欠如しているから、エイ、ヤーでやってしまいがちだ。

右肩上がりと右肩下がりでは、ベクトルの向きは逆方向だ。時代背景が大きく異なるのに、成長時代の方法で行うまちづくりは成功の見込みは少ない。

過去の成功事例を追っかけてばかりいると、そういう事態に陥り易いのだ。

危機に瀕した場所の再生には、時間が無いのも事実だ。だから、のんびりと検証している暇は無いと言う人間も多いが、失敗させる金銭的・時間的余裕も既に無いのだから、思い付きでやる事業に命運を託す人間がどれだけ居るのか。

先に書いた、ビジョンを示し、共有できる人間たちで取り組むしか、残された道はないように思う次第である。


■2011-03-13-Sunday 大地震

11日14:47に東北地方で

マグニチュード8.8の超巨大地震が起きた。

明治以降最大の地震だという。翌日の新聞では世界で5番目の大きさの地震だと書いてあった。

帯広は震度4で、大した被害ではなかったが、実に長い時間揺れが続き、その後に立て続けに起きた余震で1時間余りの中で4回ほど大きな揺れを感じた。ユッタリとした大きな揺れで、船酔いの様な感じになり気持ちが悪くなったが、ビル内の警報が鳴ったので点検作業に追われた。

しばらくしてテレビを点けたら、仙台の津波の映像が映った。こんなものすごい津波の映像は、初めて見た。

テレビ画面を見て茫然としてしまった。

車やコンテナがまるでおもちゃの様に流されて行く。大きな家がそのままの形で流されていく様を見て、津波の威力の恐ろしさが初めて分かった。

地震が起きる度に津波警報が出されていたが、これまでの津波は数十センチ程度の軽微なものが多かったから、津波警報が「狼少年」みたいな感じになって、軽視していたのかもしれない。

また、地震が起きたのが近くだったから、津波とのタイムラグが20分程度と短かったこともあって、避難が間に合わなかったということもあったろう。

それにしても、東北地方の被害はものすごい。町が丸ごと壊滅的な被害を受けているところもかなりの数になるだろう。

その後に、この地震に誘発されたのか、茨城沖やフォッサマグナといわれる断層の近くの新潟県や長野県を震源とする地震も起きているから、地震の拡大や火山の爆発が心配だ。

東京も震度5〜6程度の地震が襲ったようであるが、電車が停まったり高速道路が封鎖されて、交通渋滞が起こり、自宅に戻れない帰宅難民という事態が起きた。ニュースで見たら、一般道路で車の大渋滞が起きていたが、こんな危険な光景はあってはならないと感じた。もしも、こんな状態で余震でもあって、火災が起きたら、この車は導火線と化してしまうだろうに・・・。

こんな時に自動車で移動するのは控えた方が良いだろう。

妻の叔父さんが、津波に襲われた仙台の亘理町に住んでいる。連絡が着かなくて心配したが、2日前に栃木に嫁いだ娘の孫を見に行っていて無事だったという連絡が翌日に着いてホッとした。

叔父さんは、近所の人には連絡が着かないから自宅が今どんな状況なのかは分からないが、テレビの映像を見る限り、恐らく自宅は津波で流されたろう、でも命あっての物種だと言っていたという。

今回の地震では携帯電話による通信が完全に麻痺して、携帯電話が使い物にならなかった。私も東京に居る娘と連絡が取れずに心配した。

これだけ携帯電話が普及しているのだから、むしろ、こういう災害時に携帯が使えないのでは意味がない。もっと携帯電話の機能を見直すべきときだろう。

時間が経過して少しずつ被害の状況が判明してきたが、これは未曾有の大惨事だ。阪神淡路大地震は被害場所がまだ限定された狭い範囲だったが、今回は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県とかなり広い範囲が大被害にあっている。

被害額の総額は、おそらく数十兆円に及ぶかもしれない。

いま、一番恐ろしいのは福島原発の事故である。炉心溶融が起きているというから恐ろしいことだ。アメリカのスリーマイル島の原発事故を題材にした映画「チャイナ・シンドローム」ではアメリカの原発が溶けて地球の反対側の中国まで届いてしまうというのが名前の由来であったように記憶しているが、このように地球の反対側にまでこの溶融が続くなんてことはないのだろうか?

地震頻発国である、日本で原発を造るには、想定の何倍もの対策を取っておく必要があるだろう。

この地震からの復興にはかなりの時間と費用が掛かるだろうが、国や自治体はしっかりとした対策を取ってもらいたい。


■2011-03-14-Monday 東日本巨大地震

11日に東北地方で起こった

巨大地震の詳細が分かるにつれて、その被害の大きさに唖然としてしまった。

マグニチュードが8.8から9.0に引き上げられ、犠牲者数も数万人に及ぶかもしれないという。

今回、津波の被害が大きかった東北地方の三陸海岸付近は、かねてから津波の被害があり、防災意識も高く、津波除けの10メートルの高さの防潮堤が造られていた町もあったのに、その防潮堤を越えて津波が襲ってきたという。

いかに、今回の地震が、人間の考えを越えた巨大なものだったかが分かる。震源も点ではなく数十キロに及ぶ線でプレートが跳ね上がったという解説がなされていた。それだけに、予測もしない巨大な津波が襲ってきたということだろう。

震度の7というのも確かにすごいが、揺れでの被害よりも、圧倒的に津波の被害の方が大きかったということだ。

これだけの被害がありながら、略奪や暴動が起こらない日本という国はすごいことだ。

関東では電力が不足して、輪番制で計画停電を行なうとのことだが、関西(60Hz)と関東(50Hz)では周波数が異なるから、融通が難しいのだという。なぜ、そんなことになっているのかというと、明治に発電機を輸入した際に、関東はイギリスから、関西はアメリカから輸入した為にそうなっているのだという。

この狭い日本で、そんなバカな!と感じる。日本は地震頻発国なのだから、今後のことを考えてもこれを機会に統一するべきだろう。

計画停電は初めての試みということだが、疑問に思う。今や電気は社会生活の必需品だ。電気無しでの生活などあり得ないだろう。色々な面で支障が起こる。例えば、私の娘の居るマンションはオートロックだ。

電気が停まれば、鍵が開かなくて家の中に入れないところだって出てくる。冷蔵庫や冷凍庫が3時間も電気が止まったら中身は使い物にならなくなる。

ここは政府が大きな企業や工場などの操業をしばらく停止させて、一般家庭への混乱を避けるべきだろう。そうしなければ益々社会全体が混乱してしまう。

第一、一番電気を使用するであろう、テレビ局がこんなに同じ様な報道なのに、こんな数が必要なのだろうか?

NHK+民放1局で十分なのではないか?民放各社が話し合って、それこそ輪番制で放送するくらいのことをやるべきだろう。

各家庭でコンセントを抜けだの節電しろとアナウンサーが言っているのはチャンチャラオカシイだろう。

数万人に及ぶと言われている犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、一刻も早い復旧が望まれる。


■2011-03-15-Tuesday 東日本巨大地震③

11日に東北地方で起きた

巨大地震の被害状況が、日を追う毎に大きくなっている。

なかでも、福島の原発事故は一体どうなっているのだろうか?

このまま東京電力に任せっ切りで良いのか?

政府の対応に疑問を感じる。

政府はただちに非常事態宣言を発令して、東京電力から指揮を奪って、行動するべきだ。

第3号機が14日午前11時頃に水素爆発をしたし、

第2号機の冷却水が無くなった事故は人的な事故である。

確かに、放射能汚染の可能性が高い場所での作業だから大変なのは理解できるが、かと言って、今回のウッカリ事故はウッカリで済ませられる様な事故ではない。身回りとメンテナンスを同じ人間にやらせること自体、危機管理がまるでなっていない。

計画停電も然りだ。

政府は東京電力に任せないで、自ら指揮を取れば良いではないか。

昨日のニュースを見たら、東京の混乱はヒドイ状況だ。大勢の人間が出勤の為に自家用車を使うから、東京に向かう道はすごい渋滞であった。この状態で巨大地震が起きたら一体どうするつもりなんだ?

火災が起きたら、自動車が導火線になって一面火の海になるし、消防車が現場に行けなくなるだろうに・・・。

非常事態宣言を発令して、しばらくの間、大企業や大工場の操業を停止させたり、パチンコ屋、家電販売屋などの電気を大量に使う職種は営業を休止させれば良いのだ。こんな時に国民生活を混乱させてどうする!

バカな政府は、東京電力の発表に振り回されて、まるで機能していないではないか!

混乱させればパニックが起き易い。日常生活を安定させなければ、デマに振り回され、買いだめなどが起きて益々状況を悪化させる。

こんな時こそ、政府が動かなくてどうする!


■2011-03-16-Wednesday 福島第一原発

11日に東北地方で起きた

巨大地震の津波の影響から、福島第一原発で大きなトラブルが発生しているが、5日経った今日の時点で、事態は益々悪化している様にしか見えない。

政府の発表も、枝野官房長官は弁護士出身らしく、このままの事態が改善されなかったらどうなるのかに関しては、言質を取られないように巧みに記者の質問をかわし続けているが・・・。

どうにも、東京電力や政府の発表が信用置けない。

何せ、放射能があるから、誰も現場の本当の状況を把握出来ていないというのだから、今やっている対策が有効に機能しているのか、どうかすら分からないのだという。これは実に深刻な事態だ。

文系の、それも程度の低い頭脳しか持ち合わせていないので、科学、ましてや原子力のことなど分かるわけもないのだが、素人なりにも、なにやら危険な臭いが漂って来ていることは分かる。

世界の報道が、地震そのものよりも原発に関心を寄せていることを考えると、日本で発表されている事態と、海外で考えられている事態とでは差があるのではないのか?どちらがより正しいのかは分からないが・・・。

チェルノブイリ原発事故の時には、たしか、決死隊を組織して石棺を造りに行かせたのではなかったか?

現代の日本で、決死隊に志願する人間など居ないだろう。

今朝の新聞を見たら、原発はアメリカ辺りでは近くに2基程度しか造らないのだそうだ。日本は土地が狭く、しかも受け入れてくれる自治体が少ないから、今回の福島第一原発のように6基もの原発をこんな近くに造ったのだという。これまた危機管理が甘い。

もしも、原発が爆発したらどうなるのか?

1基が爆発したら、隣の原発を誘発して爆発が連鎖しないのだろうか?

そうなったら、どれくらいの被害が考えられるのか?

これを、政府が発表したら、パニックを引き起こすから、発表なんてできないのだろうが、でも、その危険性はどれくらいあるのか?

日本地図から福島県が消滅するくらいの破壊力なのではないか?

放射能の被害も大きいだろうし・・・。

早く、何とかして欲しい!


■2011-03-17-Thursday 福島第一原発②

11日に東北地方で発生した

超巨大地震の津波によって福島第一原発で事故が起きた。

発生時に政府が、すぐに主導権を持って行動をしなかったのは何故なんだ。一体何を悠長なことをやっていたのか?

東京電力任せにするからこんな非常事態になったのだ。これは明らかに人災だ。

企業が自分の会社を守るために、情報を隠蔽したりすることは、これまでにも沢山あったことだ。

危機管理として、これだけの巨大地震が起きたのだから、直ちに政府が東京電力から指揮権を奪って、海水を注入させる行動をしていれば、少なくとも第一号機の事故だけで済んだのではないのか?

東京電力も海水を注入すれば、1号機以外も廃炉になってしまうから、躊躇ったのだろう。

このままでは、この人災によって、日本自体がまさしく沈没してしまう危機に直面している。

日本在住の外国人の避難が始まった。

これはいよいよ危険な状態になってきたということだろう。

政府はパニックになるからなのか、情報を正しく発表していないのではないのか?

東京電力には、何としても責任を取ってもらい、鎮火させてもらわねばならないし、政府にも何としても沈静化させてもらわねばならない。

決断力の無いリーダーを選んでしまったことが、こんな問題になるとは日本人の誰も想像もしていなかっただろう。

今更遅いかもしれないが・・・。


■2011-03-18-Friday 福島第一原発③

地震による福島第一原発事故で

17日に(この文章は17日15:30に書いている)自衛隊がヘリコプターで4回、水を投下した場面がニュースで流れたが・・・。

これって何の意味があるの?

山火事の消化じゃあるまいし、空中であれだけ拡散してしまってはほとんど効果なんてあるわけがないことは、どんな素人が見たって分かるだろうに。

北沢防衛大臣も、4回だけで止めてしまい、もうやらないと言ったという。

それはそうだろう。原子力の場合は、燃料棒の熱が2700度もあるというのだから、1年間くらい常に冷水を流し続けなければ、温度が下がらないということが言われている。ただ空中からシャワーみたいな水を掛けたって、すぐに蒸発するだけで、それこそ「焼け石に水」状態だろう。

海外メディアの方が、かなり危険な状態にあることを示唆しているようだが、真実は一体どうなんだろうか・・・。

テレビでやっている放射線量のニュースも、人体に影響が無いなんて言って、レントゲン写真などを例にして比較しているが、レントゲンは50ミリシーベルトで、現在の放射線量は近くで半分くらいだという比較に意味があるのか?

どだいレントゲンは1秒間も浴びていないだろう一瞬のことだが、原発から漏れる放射能はこれからズーッと出続けるのだから、比較の仕方が違うだろうに・・・。

原子力には全くの素人である私にだって、その差ぐらいは分かるぞ!

これは極めて危険なことだろう。

このままの状態が続くか、若しくは政府や東電が処理を諦めた場合はどのような事態になるのか、本当のことを教えて欲しい。

このままでは、デマが飛び交って、東北や関東は大パニックに陥ってしまいかねない。

誰か早く何とかしてくれ〜!


■2011-03-19-Saturday 群集心理

東北関東大震災

(11日14:46発生)による津波で、東北関東の太平洋岸近くの広範囲に及ぶ地域の被害が大きい。

すでに、発生から1週間以上が経過したが、それにしても政府の対応のまずさはヒドイものだ。

おそらく福島第一原発事故への対応でそれどころではない、と云うことなのだろう。

なにも総理大臣が全ての指揮を取る必要もないだろう。菅直人は何でも自分でやらなければ満足しない性格なのだろうか?

復興地支援と原発対応とを分ければ良いだけだろうに・・・。

対応が遅過ぎる。

今朝のニュースで、11日の福島第一原発1号機の事故直後に、アメリカ政府から菅直人首相に、福島第一原発への海水注入への援助が申し入れられたが、時期早尚として断わったとのことだが、危機意識の無さが露呈した。

昨晩、映画「チャイナ・シンドローム」をレーザーディスクで見直した。

地震によって原発の炉心溶融が起こりそうになった事故を扱った映画で、1979年3月16日の公開12日後の3月28日にスリーマイル島の原発事故が実際に起こったから大ヒットした映画である。ジェーン・フォンダ、マイケル・ダグラス、ジャック・レモン等が出演した映画だ。題名の由来は炉心溶融が起きると地球の反対側の中国にまで穴が開くというものだ。

映画と現実は違うだろうが、この映画の中の電力会社と今回の東京電力の対応は似ているということだ。

会社の利益を最優先させて、近隣住民の安全は二の次という体質である。第1号機に海水を注入すれば廃炉になってしまうから躊躇っている間に第2号機・3号機・4号機へと被害が広がった。

損失額は巨大だろうが、原発なのだから、まずは国民の安全第一でなければならない。

菅総理が東電の対応の遅さにイラ立って乗りこんだが遅過ぎた。

地震発生直後、第1号機の事故が起きた瞬間から、政府が対応するべきであった。

保身を考えてこれだけの重大な事故に拡大させた東電は許されない!

電気を通電させて、冷却装置を復活させる対応をするそうだが、何とか成功して鎮静化させてもらいたい。

そうでなければ、復興が遅々として進まない。

政府は、避難者にも国民にも、一刻も早く希望を見せる対応をしてもらいたい。

それにしても、買占め、買い溜めしている人間はなんともあさましい限りだ。西日本が無事なのだから、買い溜めなんてしなくても大丈夫だろうに、誰かが買い溜めすると、群集心理で我も我もとなるのだろう。

まずは、被災地最優先で物資を回してあげる心遣いを一人一人が心掛けてもらいたい。

これも、政府の対応がマズイからだ。

計画停電だのという政策や、放射能に対する報道は、イタズラに国民をパニックに向かわせているだけだ。

非常事態宣言を発令して、関東のパチンコ屋や電気屋や緊急性の無い工場は操業停止させるなり、大企業も休業させるべきだろう。

一般国民を安心させることがまず政府がやらなければならない第一の仕事である。


■2011-03-20-Sunday 震災後

東日本大震災が起こってから9日が経った。

ようやく一部の被災地では、復興が始まったようであるが・・・。

今回は何せ広範囲であるから、依然として手付かずのままの被災地もかなりの箇所になっている。

19日に妻の両親から、停電になって蝋燭を使うのは火災の心配があるので、非常用に懐中電灯を一つ買って欲しいと頼まれたから、ホームセンターに行ってランタン形式の懐中電灯を購入した。単一電池を4本使うタイプのものである。そのランタンに入れる単一電池も買おうと思ったのだが、売り切れになっていて一本も売っていない。単二と単三はあるのだが、単一電池が売っていない。これでは、ランタンを購入しても役に立たないではないか。隣のスーパーマーケットに行っても、100円ショップに行っても、薬屋に行っても、単一電池だけが売り切れなのだ。ヘエ〜帯広でも売り切れ?驚いたなぁ〜、昨日までは売っていたのに・・・。

恐らく、関東地方で電池が買い占められた為に、関東地方には無いので、北海道から送ってくれという親戚や知人からの要望で買って、送っているらしいのだ。

テレビでは、関西の会社が電池を大量に生産していると言っていたから、慌てることもあるまい。もうすぐ販売されるだろう。買占めに走る奴がいるから品薄になるのだ。

19日の北海道新聞の夕刊に「人は自分が多数派に入るように行動したがる。みんなと一緒なら安心と、そうやって知らぬ間に混乱に落ち込む。やっかいな動物なのだ。」という一文が載っていた。自分の意志や考え方に自信が無い人間は付和雷同してしまうものだ。多数派が正しいなんてことは今の世の中にはそう多くはない。こんな時こそ、シッカリとした意志をもって冷静に行動してもらいたいものだ。

震災以後は福島第一電発事故の経過が心配で、朝からズ〜ッとテレビを付けっぱなしなのだが、民放は全てCMが、やたらと同じ「AC」の広告ばかりでもう飽きた。もういい加減、耳障りになってきたから止めて欲しい。

街を歩くと、義援金の募金活動が目立つ様になってきた。この募金活動をする人の気持ちも理解はできるが、お金を入れずに立ち去ると「人でなし」みたいな目を向ける輩が居るのは気になることだ。街を歩く人の中には、既に大金を寄付している人だっているだろうに・・・。

東京の立川で、この義援金を装った詐欺で若者が逮捕されたという新聞記事も出ていたのだから、この手の募金が本当の募金なのかを見分けなければならない。

正式に、赤十字なりの信頼おける団体からの依頼とかで集めるのならまだしも、個人や会社が勝手に不特定多数から善意のお金を集める行為というのは如何なものだろうか?考え方としては正しくても行為としては今一歩考えてみる必要がある。

帯広にも善意の募金を装って、集まった義援金をポケットに入れるトンデモナイ卑劣な奴が居ることも聞いている。募金活動はキチンとした方法でやってもらいたいものである。

東京電力の常務が会見をしたが、涙を流しながらの会見はいかにもマズイだろう。国民が不安になるではないか、こういう会見に精神的に弱い人間を出してはいけない。

原発は放水車による地上からの放水で小康状態を保っているかのように見える。しかし、燃料棒の温度を下げるにはかなりの期間が必要だとのことだから、このままの放水作業をズッ〜と続ける訳にもいくまい。

一刻も早く、通電させて冷却装置を作動させる必要があるだろうが、果たして津波や爆発の影響を受けていないかが心配だ。

茨城産のホウレン草や福島産の原乳から基準以上の放射能が検出されたとのニュースも流れた。放射能は目に見えないだけに厄介だ。風評被害で被災地が二次被害に合わないようにしなければならないだろう。

政府は正確な情報を出してデマゴーグの流失を防がねばならないだろうに、いまだに谷垣自民党総裁を閣僚に入れるとか入らないとか馬鹿なことばかりやっている。

政治家は未曾有の事態なのだから、国会議員は全員でしっかり対応してもらいたいものだ。


■2011-03-21-Monday 我が家の

今回の東北関東大震災の被害状況を見て

我が家でも家族で対策を話し合ってみた。

内陸の帯広までは津波は来ないだろうから、建物の崩壊が問題だろう。

我が家の場合は、昭和42年の建築であるし、平成6年に改築した時に何本か柱を抜いて部屋を広く作り変えているから、きっと地震には弱い建物だろうと思う。

私は、高校1年生時に流行った「ノストラダムスの大予言」を半分信じていたので1999年7月には何か世界的な災害が起きるのではないかと思っていたのだ。

当時、ホームセンターに行って懐中電灯やら固形燃料やら非常食やらを買い込んで準備していたのだが、ノストラダムスの大予言は空振りに終わり、準備した非常用の道具は物置の置く深くに収まってしまった。

その後は十勝で大きな地震がある度に、この非常用の道具を引っ張りだすのだが、結局使うことなく、また元の物置に収まるのがこれまでのパターンであった。

今回の巨大地震で、人間の想定なんてものがあてにならないことがよく分かったし、所詮、人間の知恵なんてものは大自然には敵わないものであることも身に沁みた。

現代の人間社会は「電気」というものに著しく依存しているから、電気が止まったらたちまち生活に困る。

寒い冬に電気が止まった時の事を考えてみた。我が家の暖房は灯油のセントラルヒーティングのボイラーで、電気で着火したりコントロールしたりするものだから、電気が来なかったら全く動かない。

薪ストーブも石油ストーブも処分してしまったから、暖を取る器具が無いのだ。わずかに、夏に庭で焼肉を焼くコンロと炭が少々あるだけだ。

真冬にマイナス10度以下にでもなったら、果たしてこれだけで何日持つのだろうか?

自動車でどこかに避難することを考えても、車庫のシャッターが電動式だから、電気が止まったらそれこそシャッターを開けることすらもできない。

我が家のある町内会の避難場所は「花園小学校」に指定されているが、妻も子どもたちも花園小学校のある場所を知らなかったのだ。これでは家族がバラバラになった時の安否確認が出来ないではないか。携帯電話は今回の地震でも、繋がらなくて大して使い物にならなかったし、私の携帯電話には子どもたちの番号が登録されていないことも判明した。

日頃からこういう確認もしておく必要性を感じた次第である。

家族が居なくて、たった一人で暮らしている人は、誰か緊急時に連絡を取り合うような人を作っておくべきだろう。そうでないと、消息不明になっても分からなくなってしまう可能性もある。

老人の一人暮らしを無縁社会と云うが、それこそ無縁仏になりかねない。

やはり、人間は謙虚に、そしてシンプルに、支え合って生きることも必要だ。


■2011-03-22-Tuesday 情報の出し方

11日に起こった東北関東大震災関連の

情報の出し方について考えることがある。

特に福島第一原発関連の情報に関してはかなり問題が出てきたように思う。

まずは情報の発信元が、政府、東京電力、防衛省と別々だったことだ。別々に会見して、しかも言うことがバラバラ。政府発表の見解を東電が否定したりとかがあると、聞いている方としては、誰の言っていることが正しいのか混乱してしまう。

やはり、こういう危機的な状況にあっては、情報発信は一元化するべきだろう。国民に対して一丸となって対応している姿勢を見せることは重要な政策である。

テレビ各局が言っている内容もバラバラだということが気になる。日本は中国の様に情報統制が出来る国ではないが、こういう状況では、バラバラなことを発信して、国民を混乱させることは控えるべきではないのだろうか?

情報発信の仕方によって国民の受け取り方も変化するだろう。特に、福島産の原乳と茨城産のホウレン草から食品衛生法に基づく暫定規制値を上回る放射性物質が検出されたとの枝野官房長官の発表の仕方はまずかったと思う。

一般国民は、普段の生活に於いても、スーパーマーケットなどで牛乳を買う時には、賞味期限の長いものを選んで購入する傾向にあると思う。

私はこの賞味期限自体に大いに疑問を感じている。(生産日のみを表示して、消費者に食べる食べないの判断をさせれば良いと思っている)

どだい、この購入の仕方で、エコな人達は、賞味期限の短いものから買うようにしましょうと訴えているが、これとて、購入者の事情によって状況は大きく異なる。

例えば、一人暮らしの老人で買い物も毎日できない人が牛乳を買う場合は、1週間で1リットルパック1本を飲むペースだと、賞味期限が長いものを選んで買いたくなるだろうことは想像に難くない。

一方、毎日1リットル以上を飲む家庭なら、賞味期限ギリギリで安売りしている牛乳を買った方が得だろう。

それぞれの家庭の事情が異なる買い物も、全部一緒くたにしてしまうのが日本人の気質なのではないだろうか?これが一番危険なことだ。

官房長官が「タダチに人体に影響はない」と言っても、この「タダチに」の解釈が曲者だ。「今は影響ないが、いずれ出て来る」とも解釈できるからだ。人によって取り方は様々だろう。その様々な受け取り方があるなかで、自分の考え方をチェーンメールなどで別な人間に発信する行為は、果たして善意からなのか、それとも悪意からなのか?

ブログは読みたい人間だけがアクセスしてくれば良い媒体だが、勝手に送られてくる類のものは、問題が多いと思う。

この時期に、こんな微量の放射性物質の検出を、細かい数字を出して発表することが果たして良いことなのだろうか?

国民は、情報を正しく、隠し事なく発表して欲しいというが・・・。

でもやはり過剰反応した消費者団体が出てきた。

放射能のことなんて私も含めて、素人の一般人になんて分かるわけがない。地球上には少なからず放射性物質が、何等かの形で降り注いでいるというから、今回の放射性物質がそれらとどれだけの違いがあるかなんて分かるはずもない。いたずらに国民を混乱させるだけではないのだろうか?

微量でも放射性物質が検出されたとなると、スーパーマーケットで、茨城産のホウレン草と他県産のホウレン草が並んでいたら、他県産のを買ってしまうのが人間の心理というものだろう。

進んで茨城産のホウレン草を買いなさいとは誰も言えないだろうし、進んで買う人間もいないだろうと思う。

事実を事実として発表することは最大の前提であるが、風評被害というのは、正しい知識が不足している状況で起こるものだ。

だが、人間心理を考えて発表しなければ、風評被害に拍車を掛けてしまう。情報発信のやり方は、ただ発表するのではなく。慎重に考慮して、心理学者などの意見も聞いてから発表する必要があるのではないだろうか?


■2011-03-23-Wednesday 復興

東北関東大震災の復興が

これから始まるだろう。

阪神淡路大震災の時よりも、被害を受けた場所が広範囲だから、復興にもかなりの時間が掛かろう。

こんな時には、レジャー遊行関係の自粛が始まるのが常である。確かに、被災者の方々のことを考えると、とても遊んでなどいられないという気持ちになるのだろう。

しかし、日本中が自粛ムードに浸ってしまうと、日本の経済が回らなくなって益々、復興が遅れてしまうだろう。

例えば、ゴルフ。

十勝もそろそろゴルフシーズンの開幕だが、ここ最近の十勝のゴルフ場は経営が思わしくない状況だ。不景気から客数の大幅な減少が起こっている。

今回の大震災によって、ゴルフの自粛が始まると、ますます来客者数が減少してしまい、2,3のゴルフ場が倒産するかもしれない。

そうなると、これはこれで、失業者が増えてしまうことになる。

被災者の事を思えば、消費を促すことも廻り回って、復興の手助けになるのではないだろうか?

無駄なお金を使えと言っている訳ではない。変に日本国民皆が、自粛して経済活動を停滞させてしまうと、潰れなくてもよい会社が、潰れてしまうことになりかねない。

こういう時にこそ、実体経済での活動をスムーズに行うことだ。

ゴルフ場も入場料の何%かを復興資金として募金するとか、それぞれの会社も利益の何%かを拠出するとかの工夫をして、経済活動を活発化させてもらいたいものである。


■2011-03-24-Thursday 大地震その後

11日に起こった東北関東大震災の

復興が少しずつだが始まっている中、福島第一原発は依然として予断を許さない状況の様である。

東京都のハイパーレスキュー隊の命懸けの活動によって小康状態になったのかと思っていたが・・・。

隊長らが会見で、涙を見せたり、石原都知事の訓示の場面でも、あの石原都知事が涙を見せていた。都知事選が近いから、先の「我欲発言」のマイナスを取り戻すパフォーマンスかとも思ったが、裏返せば、どうやら福島原発事故はそれほど逼迫していた状態だったということか。

福島第一原発には6機の原発があり、その内の4機がトラブルになり、5・6号機にも電源が入っていなかった。

1979年のアメリカのスリーマイル島は炉心溶融(格納機内に留まった)が起きたが、放射性物質が外部にも漏れた事故であった。原因は人的操作ミスによるもので、しかもトラブルは1機だけだった。

1986年のソ連のチェルノブイリ4号炉のトラブルはそのスリーマイル島事故よりも遥かに酷くて放射能除去作業にあたった25万人の内の10%にあたる2万5千人が死亡し、240万人が被爆者として治療を受けているという。4号炉は25年たった今も石棺と呼ばれるコンクリートにに覆われたままだ。

放射能による被害の大きさは炉の電気出力に比例するそうだが、このチェルノブイリ原発4号炉の発電能力が100万kwだったそうだが、福島第一原発は4機合わせるとこの2倍を軽く超えるそうだ。

チェルノブイリ事故の放射能汚染された距離が300㎞以上もあったそうだから、福島原発が4機が全て爆発したら倍の600㎞もの被害が起こるという。福島第一原発のある場所から半径600㎞の同心円を描いたら、北は函館がすっぽり入って襟裳岬が掛かるか掛からないかぐらい、南は京都、大阪あたりまで入ってしまう。

そんなことになったら日本はオシマイだ。

そういう危機情報が流れているからだろうか、東京では依然として買占めが横行しているようだ。放射能漏れが起きたら、自宅に引き籠もって外に出ないつもりなのかもしれない。だから、数週間分の食料や水や電池やトイレットペーパーなどを籠城用に買っているのだろう。

昨日、東京の知人から、レストラン経営者が牛乳とヨーグルトが無くて困っているので、十勝の牧場を紹介して欲しいとの依頼があった。

関東では福島の原乳が使えないだけで、そんな状況に陥っているのだろうか?牛乳もヨーグルトも日持ちしないものだから、買占めたってあまり意味がないと思うのだけど・・・。

東京の浄水場で放射性物質がみつかったというニュースが流れた。これでこんどは水の買占めが始まるだろう。

東京電力には一刻も早く、福島第一原発を沈静化させてもらいたい。

東北の被災の地気仙沼で倒壊した信金から4000万円が盗まれたという。火事場泥棒みたいな行為をする人間が居ることに嫌〜な気分になった。

私も1967年11月26日の深夜、小学4年生時に自宅の火事で焼け出された経験があるが、翌朝、父が火事の現場で焼け残ったもの調べていたら、トラックで乗り付けて「ここの主人から依頼されて焼け残った荷物を運ぶ」と言ったという。父が「この家の主人は私だが・・・」と言ったら慌てて逃げて行ったという。

自宅は全焼で、私は翌日の授業用の教科書を入れたランドセルと、翌朝の着替えを入れた袋の2つだけを持って避難しただけだった。翌日は学校は休んで親戚の家に避難していたが、クラスメートらが、その親戚の家に漫画本の週刊誌を持って来てくれたのがとても嬉しかった記憶がある。

おそらく、今後日本全国から、被災した方々に色々な物資が届けられるのだろうが、私は経験上言うが「千羽鶴」だけは止めた方が良いと思う。貰っても困るだけなのだ。心が籠もっていると思うと簡単に捨てられないし、かといって役に立つわけでもない邪魔で有難迷惑なモノなのだ。これこそ施す側の自己満足の品物なのである。


■2011-03-25-Friday 地震の影響

選抜高校野球大会が

23日に甲子園球場で始まった。(この文章は23日20時に書いている)

11日の東北関東大震災以来、連日テレビで地震・津波の被害、避難している方々の生活や福島第一原発事故の映像などを見続けていると気分が滅入ってしょうがない。

私も21日からなんだか体の調子がオカシクなり、以来極度の下痢が続いている。

こんな時だからこそ、高校野球のような爽やかなスポーツを放送して気分を一新したいものだ。しかし、プロ野球のセ・リーグの対応には疑問がある。

国民が節電を強いられている状態なのだから、節電ナイターなど小手先の対応ではなく、デーゲームで行うべきだろう。

近頃、プロ野球からのファン離れが多い。今回のセ・リーグの対応はそれに拍車を掛けかねない。

きっと、セ・リーグの頭の固い首脳陣は、いまだに日本全国のスポーツ好きは野球のファンばかりで、しかも某G球団のファンだと思い込んでいるのではないか?

このまま強行したら、益々ファンが離れてしまうだろう。パ・リーグの対応の方が遥かに大人の対応に感じる。

今回の地震の被害は、東北地方の津波がものすごい状況だったから、これまではそちらに注目が行っていたが、今朝のニュースでディズニーランドのある浦安市の液状化現象の被害のすごさが浮き彫りになっていた。

ディズニーランド本体はそんなに被害は大きくなかったようだが、周りの土地がほとんど液状化していた。やはり埋立地は地盤が弱いようだ。

堅牢な建物を建てても、地面が液状化して建物が傾いている場面を見た。ジャッキアップして土台に杭を何本も埋めてやり直すにしても数百万のお金が掛かるとのこと。これまた困った事態だ。

地震保険のことも話題になっているが、どれ位の金額が保証されるのだろうか?

私も以前に旧タイプの地震保険に入っていたが、10数年前の十勝沖地震の際には1円も出なかったので、頭に来て、以来地震保険には加入していない。

仕組みが変わったというのだが、どうもよく理解できない。

私は、北海道の様な寒冷地で土台をシッカリ造っている住宅には地震保険は不必要だと思っているし、帯広なら津波も来ないから、地震保険というのも自分が住んでいる場所を考えて加入するべきではないだろうか?

福島第一原発に電気が通電して少しは状況が良くなっているのかと思ったら、何だか状況はすこしも改善されていないどころか、ますます悪化しているように感じる。

政府は何か隠していないのだろうか?


■2011-03-26-Saturday 震災その後

テレビで連日

被災地の様子を映し出しているが、見ていると気分が滅入ってきて体調が思わしくない。

まだ、極度の下痢が続いていて、おかゆしか食べられないのだ。

もしも、自分が被災したらと考えると、知らない内に身体が反応してしまっているのかもしれない。

先に書いたが、小学4年生の時に自宅の火事で焼け出された経験があるが、父が素早く、借家として貸していた物件の空いている家を修繕して2日後にはそこに入ることが出来たから、家族全員で一緒に生活出来たので、ボロっちい家だったが、不自由は感じなかった。

ただ、通っていた小学校からの距離がかなり遠く(4㎞ほど)離れてしまったので徒歩での通学が難しく、子供も姉(小5)、私(小4)、妹(小1)の3人が通わなければならないので、ペーパードライバーの母が運転して学校まで送ることになったのだが、新車を買ったその日に、早速門にぶつけて壊したものだから、かえって危険だと、見かねた近くに住んでいた父の友人が、送ってくれることになったのだった。

家は全焼であったし、子供の持ち物はランドセルと翌日の着替えだけしか持ち出せなかった。

母は未だに、位牌とアルバムを持ち出せなかったことを悔やんでいる。それでも、親戚に「アンタは我が子がかわいいかもしれないけれど、私らはそんなに親類の子の写真を送り付けられても困る」とボヤかれながらも大量に親戚中に送り付けていた私達の写真が何枚かあったから、それを戻してもらって後年アルバムらしきものは作れた。

母がすぐに布団や着替えを買って来たから、一応すぐに普通の生活が出来たが、それまで住んで居た場所は、帯広市の中心街のド真ん中でしかも我が家はダンスホールを営業していたから、寝室の隣から、ベンチャーズやらビートルズやらの音楽がガンガン鳴っている部屋で、その音楽を生まれた時から子守唄代わりに聞いて寝ていたので、新しい家が静か過ぎて寝られないのだ。

ラジオを買ってもらい、かけっぱなしにすることで、翌日から眠ることが出来るようになった。

生まれ育った環境が違えば、ウルサクなければ寝られない人間も居るし、静かでなければ寝られない人間も居る。明りがなければ不安で寝られないという人や真っ暗でなければ寝られない人も居る。

ましてや、布団も無く、体育館のようなダダッ広い場所では、他人のいびきや歯ぎしりや寝言の音が気にもなるだろう。

特に、困るのはトイレだ。私は大便の時には時間が長い。大勢の人が待っていると思うとユックリ出来ないから、昔から自宅以外の場所では大便が出来なかった。

お風呂も毎日入りたい。帯広では毎日の様に温泉に入っているから2週間もお風呂に入れないなんて想像もできない。

2、3日ならまだしも我慢も出来るが、今回の地震の被災者らはもうすでに2週間が過ぎたから、疲れが取れずに、心身ともに疲労困憊していることだろうと思う。

とりあえずの仮設住宅も建設にはまだまだ時間が掛かるだろうし、自宅を建て直すにしても、資金が無い人は大変だ。

しかし、元の場所に建てても、津波が怖いだろうと思う。ここは夫々が勝手に建て直すのではなく。今回、被害に合った町の人たちは、専門家も交えてシッカリと協議して、津波に強いまちづくりをするしかないだろう。防潮堤では防ぎきれないのだから、たとえ今回並みの津波が来ても、流されない家づくり、町づくりの工夫が必要だと思う。


■2011-03-27-Sunday 脆弱な

11日に起きた

東北関東大震災の影響というよりも、福島第一原発事故によって首都圏の東京の生活がオカシクなっているようだ。便利過ぎる世の中というものは、かえって不便なことが出てくるものだ。

その一つが買占めであるが、買占めしている人は、一体何の為に買占めをしているのであろうか?

放射能というモノは、目に見えないから、逆に危険に対する意識が必要以上に増幅されている様だ。

だから、政府や医者が「安全だ」と言っても、必要以上に警戒してしまうのだろう。でも、政府もテレビも新聞も、知識の無い人間に数字を挙げて説明しても、ほとんど意味を成さないことを、もっと理解するべきだろう。人間心理というものは、こういう場合(発信元に信頼感が薄い)には逆に捉えてしまいがちなものなのだということを知るべきだ。

皆、政府を信頼していないから、自分の身は自分で守ろうとしているのだろう。その結果の集合体が買占めによる品不足に他ならない。

都会の生活は、電気が無ければ成り立たない脆弱なものなのだということも、身に染みたことだろう。

東京電力が推進していた「(快適な)オール電化住宅」に暮らしている人達は、東電を詐欺で訴えたくなるのではなかろうか?

高層マンションの上層階に暮らしている人達も気が気ではあるまい。

私でも階段で上り下りできるのは、せいぜいが6階程度だ。水や荷物を持って上り下りするのはかなりの重労働に感じるだろう。ましてや足の悪い老人なら、3階でも苦しいだろうと思う。

かねてから、これだけの地震頻発国の日本では20階建て以上の高層ビルは不要だと思っていた。

超高層ビルというのは、地震の揺れには柳の様にシナヤカに揺れて折れないそうだが、建物本体は強くても、中に入っている家具がその揺れの分、大きく移動するだろうに・・・。

水だってポンプアップして屋上のタンクに貯蔵しているのだろうから、停電してポンプが作動しなかったら、タンクの水を使い切ったら、水は無くなる。そうなったらトイレも流せないではないか。

30階に足の悪い老人が入居していたら、階段で降りることも難しいし、一旦降りてしまったら、エレベータが動かない限り、部屋に戻ることも出来ない。実際に今回の地震で、外に避難した老人が、自分の部屋に戻れなくなって、外で一晩過ごしたというニュースも見た。

地震のあった11日には、電車が動かずに帰宅難民が大量に出て、道路が大渋滞を起こした。あの自動車の渋滞の列が出来ている時に、大きな地震が起きて火災が発生したら、自動車が導火線になって火災が広がる懸念があるだろう。

人口が集まり過ぎると、こういう問題も起きるし、また少な過ぎても問題がある。

これから被災地を復興させるには、この辺の問題を考えて都市を構築していく必要があるだろう。

便利さには付加逆性があるから、一旦手に入れた便利さが、不便になることには耐えられないものだ。

ちょっとの便利さで満足するのが、一番暮らし易いのではなかろうか。


■2011-03-28-Monday 自覚

26日の地元紙

十勝毎日新聞の1面トップが「酒酔い運転、神谷議員辞職へ 市議選、定数割れか」と云う記事であった。(この文章は26日20時に書いている)

このところ連日、東北関東大震災や福島第一原発事故がトップであったのに・・・。地方新聞とはいいながら、この時期の1面トップ記事が市議の酒酔い運転、逮捕の記事とは情けない。

この時期に、何という自覚の無さなのだろう。いや、そもそも時期に関係なく酒酔い運転をする奴が居ること自体が無自覚の成せる業だ。それが、この大震災で日本中が苦悩している中で、更には、もうすぐ市議会議員選挙があるというのに、なんたることだろう。神谷議員は、かの中川昭一議員の秘書だった男だ。師弟ともに酒でしくじるとは・・・。

何とも情けなくなる事件である。

帯広市の市議会議員選挙は立候補者数が、昨日の時点で定員丁度の32名しか居なかったから、これで定員割れ必至だという。

今年、「市民絆の会」というグループが帯広市議会の定員を32名から20名に削減する提案を行い、市民の署名を集めたが、市議会は拒絶して今選挙での定員を32名とした。

市議会議員がこの様に無自覚でこの体たらくなら、しかも、立候補する人間が定員にも満たないなら、質を保つ為には20名でも十分なのではないかと思わせる。

定員に満たない場合、若しくは定員丁度の人数ならば選挙無しで当選出来るからと、よこしまな考えを持った人間が立候補するかも知れない。もしも、そうなったら、帯広市議会は、10万人以上の都市で市議会議員の成り手が居ない街帯広として、世間の笑いものになるだろうし、市議会議員は市民から尊敬されない職種になるだろう。

だって、そりゃ〜そうだろう。立候補した全員が当選する市議会なんて魅力も意味も感じられないからだ。

本当に情けない。


■2011-03-29-Tuesday 風評被害

福島第一原発事故

の影響によって、放射線が撒き散らされ、福島、茨城など東北関東の各県では風評被害に悩まされている。(この文章は27日11時に書いている)

先ほどテレビ番組では、チェルノブイリ原発事故の救援にあたった医者が、現在の日本の放射能汚染の規制はこのチェルノブイリ事故の後に、世界中の学者が集まって基準を作り、日本はそれに倣っているのだという。

特に「子どもの甲状腺癌が異常に増えた」例を挙げ、子どもにとってはこの基準で良いと発言していたが、大人の方は、放射線による発病は認められなかったとも発言していた。

一方、別な人間が、日本の基準は厳し過ぎて、風評被害を生み易いからもっと基準を引き下げるべきだとの発言もあった。

???この発言ていうのは「外国産のモノの基準は高くしておいて輸入しなければ(日本に入って来ないから)良いが、国産モノは(既に日本に有るのだから)国民に食べさせる為に基準を引き下げろ!」と言っているようにしか聞こえなかった。

日本国民の大多数は、科学オンチの人間が多いだろう(私だけかも?)と思う。「シーベルト」だの「ベクレル」だのという単語は今回初めて聞いたし、「放射性物質」と「放射能」と「放射線」の違いもよく解らない、ましてや原子物理学のことなど説明されても全く解らない。

水道水から放射線が検出され、乳幼児に飲ませるのは控えなさいと政府が発表したら、人間心理から言っても、大人だって飲みたくはないだろう。農産物だって同様だと思う。

今後、福島近県の農家や酪農家は、地震の被害以上に「風評被害」に悩まされることになるだろう。一刻も早く、この福島第一原発を沈静化させなければ、地震の被害以上に被害が大きくなってしまうだろう。

東電の計画停電という名の無計画停電が、地震の被害を受けていない企業にも悪影響を与えているようだ。

大手の企業の中には、自家発電でかなりな量の発電が出来る設備を持っているところが多くあるそうだが、電力会社以外が一般に電気の供給をしてはいけないという法律によって供給が出来ないのだそうな。

政府は早急に、法律を改正するなりして、こういう電力を供給してもらって計画停電を回避するべきだろう。

なぜだか政府は、こういう非常事態になっても、一向に有効な手段が取れないでアタフタしているように見える。手を打てない状況が続けば、復興にも障害になるだろう。こういう時にこそ政治のリーダーシップが必要なのに・・・。


■2011-03-30-Wednesday 原発不要論

福島第一原発の

状況は全く良くなる兆候を見せずに、日々悪化の一途をたどっている様に感じる。

気になるのは、大震災直後は聞かれなかった「原発必要論」がここ2〜3日、識者と云われている人たちから出始めてることだ。

曰く、「地球環境論から言っても、CO2の排出量が少ない原発は必要だ」とか「日本の電力需要を考えたら原発無しでは日本国が成り立たない」とかの発言である。

東電の「計画停電」騒動を言ってのことだろう。このままでは企業が日本からドンドン脱出してしまうと言う。

でも、この計画停電って何かおかしくないか?

原発が無くなると、これだけ一般生活も不便になるんだゾ、だから原発は必要なんだゾとアピールでもしているのだろうか?

どうして、政府は非常事態宣言を発令しないのだろうか?

石油の備蓄もサッサと出せば、自家発電装置を所有している企業や病院に、こんなに混乱は起こさせないのではないだろうか?

なぜだか、未だに東京電力任せにしていることに大いに疑問を感じる。

それに、この狭い日本なのに東日本と西日本で電気の周波数が異なることにも疑問がある。原発がどうのこうの言う前に、周波数の統一でもやった方が良いのではないか?

それとも、政府は福島第一原発の状況がもっともっと酷くなることを想定していて、それに備えて、まだ非常事態宣言を出さずにいるのかと勘ぐってしまう。

識者は「原発は絶対安全だ!」と言っていたのではなかったか?

その原発が、現に東日本を壊滅させるかもしれない事故を引き起こした。1000年に一度の、想定外の大地震だったと云い訳しているが、一度、事故が起きたら人間の手でコントロールすることが難しい原子力を、しかも放射能を漏出させたら、近隣(半径100㌔程)までが風評被害も含めて何等かの被害を長期間受けるものを、絶対安全とは絶対に言えないだろう。現実に起きているのだから。

福島第一原発では、地震の震度の想定も震度5と低かった様だし、津波の高さの想定も低かった様だ。二重三重に対策を取っていたと云うが、結局は何の役にも立たなかったではないか。電気を作り出す場所で自家発電出来ずに原子炉を冷却できなかったなんて、笑い話以前の問題だ。

政府や学者や東電による人災という側面も見逃せない、万が一の事態が起こったというが、1000年に一度なら「万が一」ではなく10分の一の「千が一」ではないか。

想定を高めにすれば問題ないと言うが、それなら何故、これまでの想定が低かったのだ?

何か問題が起きてから、それに合わせて想定基準を高めても、原発事故は起きてからでは遅いのだ。

日本人は未だに「言霊(ことだま)」に支配されている。最悪の事態を口にしたら、それが現実化したらどうするのだと心配している。これはオカルトだ。この考え方はまったく逆だろう。最悪の事態を想定して、それが起こったらどうするかを考えなければ意味がない。最悪の事態を想定しておいたなら、それよりも軽微な事態が起きても対処できるが、軽微な事態しか想定していなくて、今回の様にそれを越えた事態が起きたらアタフタする。これの繰り返しではないか。

何度もこのブログに「便利さは不可逆性があるから、一旦享受した便利さを人間は手放せない」と書いているが、まさに、現代は電気無しでの生活は考えられない。

しかし、だからと言って、原発の事故が起きたら、今回の様に原発の近隣地域は壊滅的な状況になることが実際に起こった以上、原発不要論が出て来ることは必然だろう。

代替のエネルギーが無いのは分かる。風力だとか太陽光だとかは発電量が僅かしかないからだ。

しかし、原発は危険だ!

放射能よりもCO2の方が危険な訳は無いではないか。

絶対安全なんて言う輩は、どの面下げて、絶対安全だとほざくのか?

この世の中に「絶対」なんて無い。そういうことを言う奴等を、全員、原発の敷地に住まわせればよいのだ。自分の身は安全な場所に置いておいて、他人に危険を背負わせるなんて人間として最低だ。

東京電力も企業である以上、利益を追求する組織だ。安全性に金を掛け過ぎたら利益が出ないということなのだろう。そのような組織に原子力という危険なものを任せるなら、国がしっかりと管理しなければならないのに、今回の事故で分かったことは、国と東電と御用学者のナァナァ体質だ。

日本人は、「便利さ」というものを考え直すべきだろう。

過剰な便利さは人間を不幸にする。

そもそも便利さは人間を幸福にする為に考えだされてきたものだ。それが、便利さの過剰な追求は人間を不幸にすることが現実になったのだから、ここらで考え方を改める時だろうと思う。


■2011-03-31-Thursday 原発不要論2

昨日書いた原発不要論に

対する批判のメールが数点入って来た。私のブログをこんなにいろいろな方々に読んで頂けているとは驚きとともに光栄に感じる次第である。

さて、批判頂いた方々の論点を整理すると①「現在の日本では原発は必要不可欠な発電方法である」、②「福島第一原発は地震と津波への対策が不十分であったが、もっと安全な施設を造れば問題ない」とのことに集約されれるのではないかと、勝手にマトメテみた。

それぞれについて私も反論してみる。

まず①についてであるが、現在の中東やアフリカなどの産油国の政治情勢の不安定さから、石油供給量の安定的確保や原油価格の高騰などを例に挙げられて、原発は安定した効率の良い発電方法であるとの指摘であるが、果たして本当にそうだろうか?

コスト面から考えてみても、今回の様な事故が起きたら、その被害総額は石油の値段の高騰どころの騒ぎではないと思う。おそらく福島県の原発近くの場所は今後何年にも亘って、人間が住めなくなる可能性があるし、更にその周辺の地域も風評被害によって農業は壊滅的な打撃を受けるであろうことは明らかだと思うのである。その補償額たるや兆を軽く超えるのではないのか。

風力発電や太陽光発電では場所の問題や発電量の問題など未解決の問題が多いことも理解はしているが、スマートグリッドなどを活用していくなど方法はありそうに思えるのである。

コストだけを総合的に考えたら、最終的には火力発電の方が何倍もコストが安いことになるだろう。

火力発電の場合には、地球環境問題のCO2の排出量のことを言われるが、放射能よりはCO2の方がまだ、ましではないのだろうか?

問題は、これまで安全だと言い続けてきたことが、全てウソっぱちだったことだ。地震頻発国の日本で震度5しか想定していなかったとか、海岸沿いにあるのに大きな津波を想定していなかったなんてフザケルナとしか言いようがないではないか・・・。

1000年に一度の大地震というが、その大地震は今回実際に起こったのだし、放射能が漏れて大変な事態になってもいるではないか。想定内だとか想定外だとかを言うのは言い訳にもならないと思うのである。

もうすでに②にも言及しているが、より安全な原発を建設すれば良いという意見には賛成しかねる。

私は、今回の事故は天災というよりも人災だと考えている。

いくらハード面を強化しても、運営するのは所詮人間なのだ。人間側に問題があったらハードは上手く機能しないだろう。

今日の日本の政府、電力会社、御用学者の連中がやっている方法をそのままにして、いくらハード面を強化しても、やはり問題は起きる。

一度問題が生じたら、原子力は人間の手ではコントロールができない。今回の事故でもそれは立証された。地球の科学技術では、人間がコントロール出来ないものをコントロール出来るとして活用するのはまだ時期早尚だし、それは人間の驕りなのかもしれない。

アメリカのスリーマイルズ島の事故も、旧ソ連のチェルノブイリの事故も人的ミスで起こったのである。

日本では人的ミスが絶対に起こらないということはあり得ない。この世の中に「絶対」は絶対に無い。地震や津波以上に、人的癒着体質が大事故を引き起こす可能性を否定できないと思う。

私は今すぐ原発を全て停めろなんて非現実的な、ヒステリーな対応をしろと言っているわけではない。

とりあえず、心配のある原発は、地震や津波に備えることを早急に行ってもらいたい。

第二に、西日本と東日本の周波数を統一することを政治主導で法律で決めてしまって早急に行ってもらいたい。

第三に、電気は送電ロスが大きいとも聞いているから、なるべく使用するすぐ側で発電する方が良いとも聞いている。

巨大な発電所よりは、各家庭もしくは地域(ゴミの焼却熱を使う等)で行える発電設備を造ることだ。それをコンピュータのスマートグリッドで効率良く使用できるシステムにすることを早急にやってもらいたい。

以上、またご意見を頂戴したいと思う。