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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-09-01-Thursday トロント⑤

28日は最終日だ。

14時発の飛行機で日本に戻る予定だ。

今回の旅行の移動は妻と私の二人きりだから、全部、スケジュールも自分たちでやらなければならない。だから慌てないように早目、早目に行動することにした。

朝食も高いけれども、ヒルトンホテルのバッフェスタイルの朝食でガッチリ食べておかないと他の場所や機内食では食べるものがないと思ったのでヒルトンホテルで食べることにした。

今回は前回の2日目の朝食とは違って3人分とも大人料金であった。

部屋のドアにはホテルのチェックアウトの精算書が入っている。初日に頼んだ部屋替えの料金がいくら取られるかと心配していたが、何と無料でアップグレードしてくれたのだった。私が今回泊った部屋は妻と娘が泊ったツインの部屋の隣のシングル部屋だが、ベッドは2m四方もあるキングサイズのベッドでクッションも最高の広い部屋だった。日本から予約した部屋は一番安いタイプのシングルルームだったのに・・・。

ただ一つの難点は部屋に冷蔵庫が付いていないことだった。レストランなどでも食べられるものが少ないので、スーパーマーケットでサクランボを買って来て食べたのだが、余った分は翌日にはカビが生えてしまって食べられなくなってしまったからだ。牛乳なども買えなくて困ってしまった点が不満であった。

でも、逆に日本がサービス過剰なのかもしれない。

東側の日付変更線を越える国に来ると行きは1日得をした気分になるが、帰りは逆に丸1日分損した気分になる。日曜日1日が帰国の為に消費する勘定になるからだ。

10:30にホテルで娘と分かれて、妻と二人で空港にタクシーで向かう。11:00過ぎには到着してしまったが、空港のカウンターは上海便の中国人観光客の団体さんが並んでいたので早目に行っていて良かった。

帰りの便の席も替えてもらって、真ん中部分の3席並びの席の通路側を真ん中の席を空けてもらって確保できたので快適であった。

カナダの空港では出国審査がないので心配したが、カナダには無いのだと言う。何だか不思議な感覚だ。

空港で時間がかなり余ったので免税品店で買い物でもしようかと思ったのだが、店がまるで少ない。いわゆるブランドショップというのは一軒もないのだ。結局買う物も見当たらなかったので余ったカナダドルでお菓子を買って終わりにした。

飛行機に乗ってすぐに、時計を日本時間(夜中の3時)に合わせてメラトニン(睡眠導入剤)を飲んで3時間半ほど寝った。日本時間の午前7時頃に起きて、その後は眠くても我慢するようにする。日本のホテルに着いてから午後10時半頃にまたメラトニンを飲んで寝ればジェットラグ(時差ボケ)はほとんど起こさない。

今回の旅行で感じたのは、日本人観光客が激減していて、代わりに中国人・韓国人の旅行客が激増しているということだ。かつての日本のJALパックに代表されるような海外団体旅行が、現在の中国でブームとして起きているということだろう。

日本の若者達が海外旅行に魅力をあまり感じていないという風潮も気になるところだ。日本を離れてみることで日本の良さが判ろうというものだからだ。

カナダのテレビはかなり多数のチャンネルがあったがNHKが映らない。フィンランドでさえNHKの放送があったというのに・・・。だから日本のニュースが5日間ほど皆無であった。

原発問題の行方や民主党代表選の行方なども気にはなってはいたが、別に知らなくてもカナダでの生活には不便はないからあえて知る努力もしなかった。29日の夜に日本に到着してテレビを点けたら、野田佳彦が代表選に勝利したというニュースを見て驚いたのだ。カナダに行く前には野田は泡沫候補扱いだったのに、日本を離れている間に情勢がどう変化したのだろうか?渦中にいるよりも離れてしばらく振りに見た方が何だか新鮮な感覚になった。

カナダのトロントは今回の夏の部分ではとても快適な街であった。冬には気温がマイナス30℃にもなるというが、中心部は地下で繋がっているし、雪も少ないと言うから帯広みたいな気候なのではないかと思う。札幌のような豪雪地帯に170万人もの人間が暮らすのは、世界的にも稀な現象だろう。除雪費に毎年150億円も掛けるなんて考えられない。北海道は、道都を帯広に移すべきだと改めて感じた次第であった。

カナダは物価が高い。消費税が13%も掛かるからショッピングには適さない。しかし、社会保障が行き届いているから、老人が安心して暮らせるという。世界で2番目に広いカナダ全土に3300万人の人口しかいない国だというのに、何故だか生活レベルは日本よりも豊かに感じる。

やはり、日本の政治の貧困が原因なのかもしれない。日本も将来に対する不安が減れば、経済ももう少し回る様になるのではなかろうか?

今の政治では不安で、不安で、自分の身は自分で守るしかないと、現代の若者は知らず知らずのうちに考えているのかもしれない。(おわり)


■2011-09-02-Friday カナダ旅行感想

今回のカナダの旅で感じたことは

表現が大袈裟過ぎるかもしれないが、一言で言えば日本の凋落である。

かつて、東洋系の顔をした観光客といえば日本人が多かったように思う。しかし、今回のトロントの旅ではほとんど日本人を見掛けなかったからだ。

海外の雑誌などで揶揄されていたのは「メガネをかけて首からカメラをぶら下げていて、旗を持った引率者の後をゾロゾロと団体で歩く日本人観光客」というものであった。

逆に言えば、それはそれだけ目立ったからだということが言えよう。

しかし、それは中国人や韓国人にとって代わられたように感じる。果たしてそれが良い事なのか、悪い事なのか?

それとも、既に日本人は団体旅行から卒業して、個人旅行に代わったからなのか?

個人旅行に代わったのなら、旅のスタイルが成熟したということだろうし、ただ単純に旅行客が減っているというなら国力が落ちているということだろうし・・・。

日本の若者、特に若い男性が外国に行きたがらないという話を聞いた。

内側に籠らずに、もう少し積極的に見聞を広める姿勢を持ってもらいたいと思う。

今回の旅のメインはナイアガラ瀑布の見学であった。

世界三大瀑布とはアフリカの「ヴィクトリア瀑布(ジンバブエ・ザンビア国境にまたがる)」と南米の「イグアス瀑布(ブラジル・アルゼンチン国境にまたがる)」とこの「ナイアガラ瀑布(アメリカ・カナダ国境にまたがる)」の三つを言うが、カナダ最大の都市トロント市からは自動車で90分程度しか離れていないという交通の便や宿泊施設の充実から、もっとも気軽に行ける大瀑布はこのナイアガラ瀑布が一番であろう。

このナイアガラ瀑布には、アメリカ滝(幅260m、落差32m)とカナダ滝(幅670m、落差52m)の二つがあるが、アメリカ滝は真っ直ぐなのに対して、カナダ滝の方は馬蹄型にえぐれていて規模も大きくて雄大である。

現在の滝の有る場所は、元々、滝が出来た「発祥の地」から上流に11㎞も浸食しているのだという。

この最初に滝が出来たのが氷河期末期の今から1万2千年前だそうだから1年間に1mほどずつ浸食されていたことになる。それほど凄まじい水の勢いということだ。

現在はこの浸食スピードを抑える為と水力発電の為に、上流にダムを造って、水量を調節しているが、それでも年間4㎝は浸食されているという。

ナイアガラ瀑布の見学で一番エキサイティングだったのは、何といっても遊覧船「霧の乙女号」乗船である。乗船時間は30分程度ととても短いのだが、滝のほぼ真下まで行って、滝を見上げる事が出来るのは圧巻である。

轟音と共に落ちて来る台風の豪雨の様な、水しぶきは目も開けていられないほどだが、滝の巨大な水の壁に近づいて行くと、まさに怒涛の様に叩きつけられていく大量の水の迫力は満点の素晴らしさだ。

ガイドさんいよると、なんと昔はこの滝から樽の中に入って落下する「デアデビル(命知らずな人)」という人が居たという。1901年に63歳の女性教師が挑戦して成功して以来15人が挑戦して、その内の10人が成功したという。あまりに危険なので法律で禁止されたそうだが、1995年に樽下りを強行したアメリカ人男性は成功したものの2週間投獄され罰金5千カナダドル(日本円にして約45万円)を課せられたそうだ。

確か、マジシャンの「脱出王ハリー・フーディニ(1874-1926)」も挑戦したかったが止められたのでなかっただろうか?

今回のツアーには入っていなかったが、ナイアガラの楽しみ方として「ジャーニー・ビハインド・ザ・フォール」という滝の補強工事の為に掘ったトンネルにエレベータで降りてカナダ滝を裏側から眺めるものや、滝のすぐ側を歩く「ホワイト・ウォーター・ウォーク」というのもあるし、ヘリコプターで滝の真上を遊覧するものもある。

ナイアガラの滝観光の目的でこの街を訪れる人は、年間1千5百万人もいるというから、滝の近くには立派なホテルが林立しているし、カジノもある。街は歩いてみても面白そうなゲーム場やお土産店や映画館などもあったから、この街に一泊してみても良かったと思った。

こういった経験は、テレビや映画で見るのとは根本的に異なる。まさに百聞は一見に如かずなのである。旅の良さはこういう経験が出来ることなのだ。

お金を貯めて、暇が出来てから旅行しようというのが本来の姿勢なのだろうが、年を取ってからだと身体がいうことを聞かなくなってしまう可能性がある。また、旅で得た知識や経験をその後の人生に生かす機会も少なくなる。旅は若い内にやっておく方がベターだと考える。


■2011-09-04-Sunday 旅行感想記

日本は贅沢

というか、過剰というのか。今回のカナダ旅行で改めて感じた。

まずは日本の街は、夜が明る過ぎる。夜間の照明が多過ぎると感じた。

関東地方は福島第一原発事故で節電しているというが、きっとそれぐらいの節電している明るさが世界の先進国の標準なのではあるまいか?

確かに明るい方が犯罪の発生は少なくなるだろうが・・・。

次に感じたのは、日本のサービス過剰である。

ホテルは、立派な部屋なのに冷蔵庫が付いていない。またトイレにはウォシュレットが付いていない。部屋の照明も暗い。マッサージがない。

この4点は日本のホテルのサービスに慣れてしまうと、とても不便に感じてしまうものだ。

ウォシュレットは外国のホテルには装着されていないのが普通だから、海外旅行に出掛ける時には、旅行用の携帯ウォシュレットを持ち歩くことにしている。何せ、我が家は痔主であった父が、日本でもウォシュレットが販売された直後に装着していたから、紙で拭くことがすっかり苦手な体質になってしまったのだ。

少し前(15年くらい前)までの日本のホテルにもウォシュレットが付いていないホテルが多かったから出張には必ず持って行ったものだったが、近年は日本ではウォシュレットが付いていないホテルは少なくなったので、荷物になるから日本では持ち歩くことはなくなったのだが・・・。

冷蔵庫の方は、最近の日本のホテルでは冷蔵庫の中身を入れておいて、きた使った分だけ清算するという方法が少なくなってきた。中身の補充や清算の手間を省くホテルが増えてきたということだろう。その分、ホテル内に自動販売機やコンビニ店を置くところが増えてきた。人手を省いて料金を安くし、その分は自分で買って勝手に使って下さいということになっている。

もうひとつは、タクシーの自動ドアである。今回のトロント旅行では数回タクシーを使用したのだが、降りた時にドアを閉め忘れて車から離れ、運転手にクラクションを鳴らされてから気が付いて、慌てて戻ってドアを閉めるということがほとんどだった。ホテルから乗る時にはホテルの従業員がドアの開閉をしてくれるので自動ドアのように錯覚してしまう。だから乗る前には気を付けているのに、いざ降りる時には忘れてしまうのである。

いずれも、身体に染み付いた習慣になってしまっているのだろう。

日本でのサービスが当然だと思っていると、世界ではまったく通用しない。果たして日本がサービス過剰なのか、それとも世界が遅れているのか?

便利さというものは、不可逆性があって、一旦便利に慣れてしまうと、これまでは普通に感じていたものさえが不便に感じてしまうものなのだ。

日本を離れてみるとそういうことが良く判るのである。


■2011-09-05-Monday 地震予知?

しばらく封印すると書いたが・・・

5日の午前01:00にまたまた我が家の電波時計が狂いだした。

トロント旅行でしばらく不在であったから、この旅行間の事は分からないが、しばらく振りに狂ったのではないかと気になった。

それと、旅行に行く前の24日に購入した週刊誌に、電磁波の乱れでかなり正確な地震予知をしている会社があることが載っていて、どうも我が家の電波時計の乱れも、その理屈に合っているように感じてしまい、更に気になったからだ。

台風12号が日本列島をゆっくりと襲った後だし、低気圧は地震を誘発しやすいとかの理論もあったように思うからますます気になって寝られなくなってしまい。夜中の2時20分に起きてこのブログを書き始めたのである。

我が家の電波時計に依る地震予知では、時計が狂ってから3日以内に日本列島のどこかで震度4以上の地震が起きるというものだ。

台風の大雨で地盤が緩んでいるから、今回の大雨の被害に合ったところは用心しておいた方がよいと思う。


■2011-09-06-Tuesday 新内閣

このブログの愛読者の方から

「野田新内閣誕生のことについてコメントがありませんね。」というメールをいただいた。

確か、トロント旅行の感想の中に、行く前は前原氏がなるのかと思っていたが、帰国した時に見たニュースでは野田新内閣誕生となっていたので一体この旅行間に何があったのだろうか?と考えていた事は書いた。それ以降は野田新内閣については書く気が起こらなくてこれまで筆を取ることはなかった。それよりも旅行の感想を忘れない内に書いておこうと考えたからでもあるが・・・。

旅行の感想も一段落ついたことだし、そろそろかなと思うのだが、コメントがまったく浮かんでこない。

カナダで、国会の現役の党首が61歳の若さで癌で亡くなったニュースとトロントでの葬儀の模様を直に見るにつけ、なんだが彼の国の政治家と日本の国の政治家の国民からの敬愛の度合いの差を見せつけられたような感じがしてしまい。それがどこかで影響しているのかとも考えたが、よくは分からない。

野党の党首だから、日本に置き換えたら自民党の谷垣氏に相当するのだろうが、もし谷垣氏が亡くなったら、国民はこんなに悲しむだろうか?と考えたのである。

カナダは国土は世界で2番目に広いが、人口は3300万人程度の少ない国である。だから極めて人口密度が低いということだが、その少ない中で、政治家は少なくとも国民から信頼されているように感じたのだ。

消費税は13%とかなり高いし、物価も高い。本来ならとても住みにくい国だろうと思うのだが、国民は皆ノンビリと豊かに暮らしているように感じた。恐らく、医療体制や社会保障がしっかりしているから将来に対しての不安が少ないからではなかろうかと考えた。

逆に日本は、年金も医療費も先が見えない。将来に対して、国が個人を救えないと感じて、自分の身は自分で守ろうと、せっせと老後の為に貯蓄をしようとしている。

マスコミも日本の良さは報道しないで、悪口ばかり書いたり言ったりしているから、国民は日本に対しての誇りを持てないでいるのではないだろうか?

日本は良い国だと、海外旅行に出てみると実感する。第一に食べ物が抜群に美味しい国だ。四季もメリハリがあって環境的にも素晴らしい国だ。卑下することは何もないように感じる。

ただ、確かに政治家の質がかなり低劣ではないかとも感じる。

国民の所有する資産額が世界一なのに、何故だか未来に対しての不安からか、お金を使わないで貯め込む。その貯め込んだ資産は、バカな議員や官僚に無駄使いされてドブに捨てているような感じだ。

お金は貯めても世間は潤わない。お金は天下の回りものなのだから、回って始めて国が活気をもつのだ。だから政治家の責任は、国民の将来に対する不安を解消してあげることだ。そうすればお金が回る様になる。ごくごく単純な話なのに、バラマキ政策などの小手先に終始するから、未来の不安は増幅こそすれ解消される気配が全く無い。未来に不安があるから、子どもには苦労させたくないと少子化に拍車をかける結果になるのだ。少子化の根本原因は、未来への不安である。

お金をばらまくよりも、未来の制度をしっかりと不安のないものにしてあげることだ。

野田新内閣にそれができるだろうか?

東日本大震災の復興で、国の金はますます足りない。このままでは、国の制度はますます悪化するだろう。そこに財務省主導で消費税を上げたら、国民の財布の紐はますます狭まってしまうだろう。

景気を良くするには、未来の不安を解消して国民に貯め込んだ資産を気持ちよく使ってもらうことだが、あまり期待はできないだろうと思っている。


■2011-09-07-Wednesday 取材

日本経済新聞社の取材を受けた。

東京の日本経済新聞社本社の文化部の記者からの要請で、5日の午後2時に取材を受ける約束をしていた。

私の「マジック関係本収集」を取材したいという申し出である。

当初は8月17日に取材を受けることになっていたが、都合が悪くなって延び延びになっていた。

全国の各種のコレクターのことを取材して歩いているとのこと。

私のマジック関係本が7500冊ほどもあるということを、どこからか聞きつけて是非とも取材したいという。

わざわざ東京から取材に訪れるというのだが、天気はあいにくの雨である。ひょっとして飛行機が飛ばないかもと心配していたら、正午に、その記者から電話が入ったので・・・。

記者も雨で来られなくなったら困ると判断して前日の4日に札幌入りし、5日に列車で帯広に向かう方が確実だと判断して、スケジュールを組んだら、東京ー帯広間の飛行機は通常運行したが、逆に列車の方が大雨のせいで占冠駅でストップしてしまったと言う。

約束の時間には到着できそうにないという連絡であった。その後ノロノロ運転で動き出したという連絡が入り、1時間遅れの3時過ぎから取材が始まった。

私がマジックの話を始めたら、ちょっとやそっとでは終わらない。なにせ42年間の、しかも濃〜い話が一杯なのである。6時半まで3時間しゃべり続けたら、さすがにのども渇いたし、お腹が空いてしまったので、北の屋台で食べながら飲みながら話を続けることにした。

9時半まで北の屋台で話していたから、通算で6時間も話し続けたことになる。

来週あたりに、日本経済新聞の最終頁(その他の新聞だとテレビ欄の頁にあたる)のど真ん中の「文化」というコーナーに掲載になる予定だ。

久し振りに「全国版」に登場する予定である。

果たして、6時間分の取材内容がどれだけ凝縮した記事になるのかとても楽しみである。


■2011-09-08-Thursday 諸事雑感

7日午前7時33分に

ひだかで震度4の地震が発生した。またまた我が家の電波時計による地震予知が的中したことになる(この文章は7日午前8時半に書いている)。

ノロノロとした台風12号の影響で大雨に見舞われて地盤が緩んでいる場所で発生しなくて良かった。それが心配だったのだ。

この台風の影響で北海道でも大雨が降った。十勝も上士幌町糠平で440ミリも降ったというから大変な被害であろう。

被害がどれくらいなのかはこれからの調査によるが、十勝川も増水して河川敷の野球グランドやゴルフ場が冠水してしまったというから今年はもう使用は難しいのではなかろうか?今後被害が拡大することは必至であろう。こんな大雨は、確か昭和56年だったと記憶しているが、当時毎日興じていた朝野球が河川敷グランドが冠水して使用できなくなって以来ではなかろうかと思う。

和歌山県や奈良県の被害は甚大で、死者、行方不明者が100名を超えたという。

先の東日本大震災といい今回の台風の被害といい、大規模な被害の天災がたて続けに起きている。

これは地球が、人間に対して生き方を変えろとでも言っているかのように感じている。人間は自然に対してもっと謙虚にならなければいけないということだろう。

津波、洪水、土砂崩れなどの危険性が高い場所には人間は住むべきではないのだろう。人間の力で自然災害を防げるなどと、自然を侮ってはいけないのだ。自然の中には人が住むべきではない「忌み地」というものが存在するのではなかろうか?古代の人間は「水」を恐れ、そして「水」に感謝して暮らしていたと思うのである。

東日本大震災で東北がやられ、台風12号で和歌山や奈良や北海道が被害を受けた。今年は農作物が足りなくなるのは必至ではないのか?

そんな中で野田政権は、TPPにも積極姿勢のようだが・・・。

製造業がグローバル化しなければ生き残っていけないのは世界のすう勢だろう。どの道、大企業は、会社が生き残ることしか考えていないから製造拠点を人件費が安い国に移行させるのは防ぎ様がないことではないのか?

たとえTPPを批准したとしても、やがて製造業は日本国外に逃げ出すことになるだろう。その時に日本の農業が壊滅していたら日本は一体どうなってしまうのだろうか?

民主党は、あいかわらず小宮山洋子新厚生労働大臣の700円のタバコ増税発言のような思い付き発言で早速に閣内不一致を露呈した。担当所管でもない省庁のことを就任時の会見で言うのは勉強不足でタバコは厚生労働だと思ったのか、それとも大臣になれて舞い上がったのか?

いずれにしろ、政治家にはもっと長期的で抜本的な国造りを考えて貰いたいと思う。


■2011-09-09-Friday 諸事雑感

新ひだか町の地震は

7日午後10時29分頃にも震度5を記録したから、やっぱり我が家の電波時計は確実に地震予知を当てている。

まぁ今回の地震の被害はたいしたことがなかったようだからひとまず安心であるが・・・。

さて、このブログの読者からメールを頂いた。昨日のブログに書いた「忌み地」とは何かという質問である。

私もはっきり誰から聞いたかまでは覚えていないのであるが、かなり以前に、「古代人の感覚というか、本能というかは実に素晴らしいものだ。例えば住居を造る時に、水はけの良い高台に住居を造り、そこは「癒しの地」と呼んでいた。水はけの悪い湿地は「忌み地」と呼んで墓などにした」という講演を聞いた記憶があって、そのことを書いたのである。

ただし、私が昨日のブログで書いた「忌み地」というのは、それを更に拡大解釈して、本来は人間が住むべきではないような、低地や山を削って造ったような土地は、堤防を造ったり、土壌改良したりしても、災害には弱いから「忌み地」として使用しない位のことが必要だという意味で使ったのである。

これからは日本の人口が減るのだから、無理矢理に開発するのは止めてはどうかということでもある。

もっと自然に敬意と恐れを持って生活しようということでもある。

次に、TPPのことであるが、どの道、製造業の大企業はいずれ海外に拠点を移さざるを得ない状況になるのは必至だということだ。「日本から製造業の流出を止めろ!」と空洞化阻止を声高に叫んでも無駄だということだ。

大企業がグローバルな競争に勝つために(若しくは生き残る為に)、賃金の安い国に工場を造る流れは止められないだろうと考えているからである。

企業が海外に出るのが必至なら、そうなった時に日本はいかにして生活するのかを考えておかなければ、製造業は日本から居なくなりました。農業も壊滅しています。では日本人の生活は成り立たないだろう。

今のままの政策でTPPを批准したらそうなると思うのである。

産業構造・エネルギー問題、食料問題など、戦後のこれまでの日本の生き方を考え直す時が来ていると思っている。


■2011-09-10-Saturday 風向計

読売新聞の北海道版の

「風向計」欄に1000字のコラムを書き始めたのは2009年2月からであるから、かれこれ2年7ヶ月になる。

読売新聞の前北海道支局長の早川正さんとは、「北の屋台」がまちづくりで内閣総理大臣賞を受賞した時からの縁であった。早川さんはその時に審査員をされておられたのだ。

早川さんが北海道支局長に就任されて、帯広にも足を運ばれた2008年秋に一緒に会食した際に「風向計」というコラム欄に書いてみないか?とお誘いを受け、「ハイ!喜んで!」と二つ返事で引き受けたのがキッカケであった。

風向計は毎月1回担当が回って来るが、日々何を書こうかとアンテナを張っているから、ものの見方が随分と変わってきたように思う。

日々の出来事をだいたい1000字くらいにまとめる癖もついた。

このブログのように毎日、毎日、自分の意見をズ〜ッと書いてはいるが、新聞紙上に掲載されるのと、HPのブログに書くのとでは緊張感がまるで異なる。

新聞では使ってはいけない言葉もあるし、あまり過激なことも書けない。ただ、なるべく北海道の東側の人間を代表した気分で書くように努めてきた。他の書き手が皆、札幌在住の方ばかりだったからだ。

新聞のコラムに書き始めたのは、1999年1月から十勝毎日新聞の「場所の意志に学ぶ」の33回に始まり、北海道新聞の「朝の食卓」は2003年1月〜2006年12月まで37編を書き、この読売新聞の「風向計」は2009年2月から次回までの27回の掲載になる。

結構、私のコラムの愛読者も大勢いて、時々感想をいただいたりもした。そんな時はとても嬉しくなる。

新聞のコラムの連載は十勝毎日新聞の「論壇」だけになってしまうので、どこかの新聞社や雑誌社の方で、私に書かせてみようと思った方がいたら是非ご一報を。喜んで書かせてもらいますよ。

この他にも、新聞に寄稿した「カンボジア旅行記」や「大道芸の見方(味方)」などを含めると、一冊の本に出来るほどの量になっている。

どこかの出版社さん。私のコラム集でも出版しませんか?


■2011-09-11-Sunday 失言?

鉢呂新経産相の辞任が取りざたされている。

(この文章は10日午前中に書いている。)

新聞によると8日夜に、福島第一原発の視察を終えた後に、報道陣の一人に「放射能をうつしてやる!」と言って防護服をすりつける動作をしたという。

また9日午前の記者会見で「残念ながら周辺町村の市街地は人っ子一人いない死の町だった」と発言したことが問題だとされている。

この2つのことは一緒くたにしてはいけないと思う。

最初の「放射能をうつしてやる!」は、小学生のガキじゃあるまいし、何をおだっているのか。配慮の足りない児戯に等しい行為である。

おそらく旧知の記者にでもフザケテやったのだろうが、はっきり言ってバカ丸出しで、子供っぽい。弁解のしようのない行為で、こんな程度の人間にエネルギー問題や経済の問題を担当してもらいたくないという感情は理解できる。

ただし、二つ目の「死の町」発言は、「言葉狩り」ではないのか?

表現の稚拙さはあるにしても、表現の仕方に難癖を付ける現代の風潮には疑問を感じる。

ましてや、それが即辞任につながるのでは、怖くて記者会見など出来はしないだろう。

表現というのは文化である。

その表現の仕方に制限を加えるのは、文化の自殺行為に他ならない。

人っ子一人居ない町を見て「死の町」と表現することが、どこが悪いというのか?

確かに、避難している住民にとってみれば著しく配慮に欠けた表現だろう。

しかし、他人に状況を伝達する手段としての言葉の表現の仕方に、穏当な表現だけを使用しなさい。と言うのは、逆に問題があると思うのである。それこそ的確な表現が難しくなるだけだ。

「死の町」と過激に表現することで、これではいけない。早く福島をなんとかしなくてはならない。ということに国民がなる可能性だってあるだろうと思う。

児戯に等しい行為と表現の仕方の問題を同列に扱って辞任を迫るというのも、文化度が低いと言わざるをえない。

ところが、鉢呂大臣は「死の町」発言を撤回、陳謝し、「放射能をうつす」は覚えていないというから、私の考え方とはまるで逆である。

野田首相も藤村官房長官も「死の町」発言は問題だ。と言っている。

国民におもねっているのか、マスコミに問題だと指摘されたら、とりあえず謝っておけば良いとでも考えているのだろうか?

マスコミも言葉の端々に、愚にもつかないチェックを入れるよりも、事の本質を追究してもらいたいものだ。


■2011-09-12-Monday 大臣

鉢呂新経産相が辞表を提出したという。

またかよ〜!(この文章は11日0:40に書いている)

もう、いい加減にやめてくれ!

この程度の失言や児戯などで大臣の首をすげ替えていたら、もう国会には大臣に相応しい人物など一人も居ない。

何となくマスコミの悪意を感じてしまうのである。

小泉純一郎が首相だった時の方が、もっと不穏当な発言を連発していたように思うのだが、当時の小泉首相は国民に人気があったから叩かなかったのではないのか?国民の人気が高い首相を叩けば、国民から逆に叩かれるとの姑息な判断があったように感じる。

逆に今の民主党は、水に落ちた犬の状態だから、徹底的に些細なことでも叩こうというのだろうか?マスコミも国民におもね過ぎているように感じる。

アッ、これも失言の類に当たるかな?でも真実だしなぁ〜、真実を伝えても受け取る側(国会議員やマスコミ)が気分を害すれば失言になるのかなぁ〜。

そんな程度のことである。

そんな程度のことで大臣をコロコロ替えて国会を停滞させる方がよっぽど、被災地に対して失礼だろうに・・・。

アホな国会議員にアホなマスコミ、国民はウンザリしているぞ!

それにしても、民主党の新大臣達は皆、大臣になれて、はしゃぎ過ぎなのではないのか?

小宮山厚労相のタバコ700円増税発言だって、玄葉外相の東電の値上げへの言及にしたって、所管ではない省庁の話をしたり、フランスのマルセイユでのちびっこギャングと言われている安住財務相の記者会見は世界からまったく無視されている。これほど閣僚の発言がとんちんかんで軽〜い内閣は珍しい。

大臣ではないが、前原政調会長のアメリカでの踏み込み過ぎの防衛関係発言は、総理よりも防衛大臣よりも先に渡米して、そして何故、今、この時期に・・・という唐突な感じだ。

週刊誌では早速に新大臣達の醜聞がこれでもかと掲載されていた。

通常なら就任直後には、マスコミも温かい目で見守ろうとしてくれていたのではないのだろうか?

もはや民主党は人材が枯渇しているし、国民も見離しているのではないだろうか?

かといって、自民党にも大した人物は居ない様だし・・・。

日本の政治家の程度の低さにも困ったものである。

私は要職には就いていないから、このブログの文章で辞任の心配はない。


■2011-09-13-Tuesday 菅直人

11日日曜日の午前中の

フジテレビ系の番組「報道2001」で3・11の半年と、9・11の10年を振り返るものがあった。

その中で菅直人前首相のインタヴューが放送されたが、聞いていて腹がたってきた。

この男は、1年前の小沢一郎と民主党代表選を争った時に、菅に決まる前に私がこのブログで看破したように、やはり最低の奴だった。

政治は「結果が全て」である。

あの時はこうだった。ああだった。だから出来なかった。なんていう言い訳は、辞めた後、数年経ってからの回想録で言うならともかくとしても、首相を辞めて2週間も経っていない人間が言うべきことではないだろう。

その内容を聞いていても、自分は間違ってはいなかった。全ては東電と保安院が、的確な情報を上げてこなかったからだ。と言う様な他人のせいに転嫁している。

リーダーは部下が無能であっても、何等かの手段をとって、的確な政策をしなければならないのだ。部下や東電をコントロールも出来ないで、逆に振り回されてました。なんて言うのは首相として恥以外の何物でもないだろうに。

それを、さも自分は悪くない。史上最低の首相という汚名は晴らしたいとの一念での発言なのだろうが見苦しいことこの上ない。

潔ぎよさの片鱗も無い男だというのは、さんざんに延命策を弄したことからも容易にうかがえるが、卑怯極まりない、そして誠に情けない男である。

こんな程度の男を首相にした民主党は万死に値する。

少なくとも、国民は菅直人や野田佳彦を首相として選んだわけではない・・・。でも、それよりヒドイ鳩山由紀夫を選んだけどなぁ〜。

9・11の時のブッシュ、3・11の時の菅直人、両国は、非常時のトップリーダーにとんでもない奴を選んだことで、両国の衰退を象徴する事件として、歴史に刻まれることになるのだろう。(この文章は11日午後に書いている)


■2011-09-14-Wednesday 日本経済新聞他

5日に日経新聞の取材を受けたことは

以前のブログに書いたが、16日の朝刊の最終頁(他の主な新聞社ならテレビ番組欄にあたる)の「文化」欄に掲載する予定だとの連絡があった。

一応、私が書いた体裁を取るとのことだが、実際の文章は6時間に及ぶインタヴューの中から記者が書くことになる。

私はいろいろな新聞にコラムも書いているから、書くことは簡単なのだが、この欄に登場する方の中には自分では書けない方もいるのだろうと推察する。

しかし、他人が私のインタヴューを聞いて文章を起こすというのも、自分の観点とはまた違った面が出てくるだろうから面白いと思う。

16日が楽しみだ。

JR北海道のN社長が書置きを残して失踪しているというニュースが流れた。東電のS社長といい、このN社長といい、いわゆるエリートといわれる方々の精神力の弱さが目につく。

結局、こういう超が付く一流企業のトップになるには、トラブルがなく経歴に傷なくスムーズに出世して来たいわゆる「温室育ち」の人が多いのだろうか?

どうもトラブルにはうまく対応できていないように感じる。

14日の午前1時にまたまた我が家の電波時計が狂った。また1〜3日以内に日本のどこかで震度4以上の地震が起きると予想する。これまでほぼ100%の確率で当たっているのだ。大雨で緩んでいる場所で起きなければよいのだが。

帯広の天気がオカシイ!

十勝は乾燥した場所で雨が少ないはずなのに、今年のお盆以降は、やたらと雨が続いている。

水はけの悪い所は池のようになっているところもあるという。果たして今年の農作物の出来具合はどうなのだろうか?東日本大震災や福島第一原発事故、台風12号の影響で日本中の農作物が不作の予想である。

農作物の値段が高騰しないことを祈ろう。


■2011-09-15-Thursday スズメ蜂

自宅前の街路樹に

スズメ蜂が多数出入りしている。

朝の犬の散歩の折に、犬がその街路樹の下でオシッコしようとしゃがんだ時に蜂が、私の頭の上をブンブンと飛んでいたので気が付いたのだ。

同じ町内の民家にスズメ蜂が巣を作ったのを、この前撤去してもらったという話を聞いたばかりだったから、その時の蜂がこちらに巣を移動させたのかと思ったのである。

散歩の際に隣家のMさんに「ずいぶんとスズメ蜂が多いですね」と言ったら、Mさんは「2ヶ月前ほどから蜂が多いなぁと気が付いていた」と言う。

早速、市役所に電話した。

市役所の電話受け付けの娘に「街路樹のスズメ蜂の撤去の依頼はどの窓口に相談したら良いのだろうか?」と聞いたら「ハチの巣の撤去は自費になりますから業者の紹介になります」と言うので、「街路樹なんだから市役所の管轄ではないのかい?その辺を聞きたいのだから、まずはその担当の窓口に繋いでちょうだい」と伝えた。

受付の娘がこういう受け答えをするのはあまり宜しくはないなと感じた次第である。

「蜂の巣は確認してますか?」と聞かれたので「スズメ蜂が恐いからジックリ見てはいないが、やたらとスズメ蜂が多数出入りしているところを見ると多分巣があるのではないかと思う」と言っておいた。

判ったことは自宅の敷地内に蜂の巣がある場合は、市役所があっせんする業者に自分の費用で撤去を依頼するのだという。

今回は市道にある並木の街路樹なので市役所が対応するということになった。

名前と住所と電話番号を伝えたら、早速に対応してくれたが、街路樹には結局巣は無かったという電話が入った。

自宅前の街路樹の樹種は甘い樹液が出るのでアブラ虫などが出易いのだそうだ。蜂は肉食なのでそのアブラ虫を捕食する為にたくさんこの街路樹に群がっているのだそうだ。最近この手の苦情が多いのだが・・・と言う。

一応、枝を少し掃って「ハチに注意」の看板を付けて帰ったようである。

でも、スズメ蜂に刺されたくはないし、車で近づいて見ても葉っぱが多いから巣があるのか、ないのかまでは確認できなかったのだから仕方ない。市役所の担当者には無駄足を運ばせてしまったようだ。

でも、スズメ蜂がたくさん寄ってくることは未だ解消されていないから刺される危険性が消えた訳ではない。

これだけたくさんのスズメ蜂が群がるということは、どこかこの街路樹の近くに巣があるということなのかもしれない。

ひょっとすると我が家の敷地内に巣があるのかもね。そうなると、これも困ったものである。

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■2011-09-16-Friday 読売風向計(最終回)

2011年9月15日読売新聞北海道版「風向計」掲載

「若者よ、海外へ行こう」

東日本大震災のあった3月11日以降、フィンランドとカナダを訪れ、考えさせられることがあった。

フィンランドの消費税率は22%程度、カナダでは13%程度。物価も高く、旅行者にとっては決して過ごしやすくはない。でも、両国民とも外食に出かけたり、観劇などを楽しんだりと、人生を豊かに送っているように映った。

医療や年金などの社会保障制度が充実し、未来に対する不安が少ないからなのだろう。過剰な貯蓄をすることなく、社会の中をお金が円滑に循環しているように感じた。

9・11米同時テロが起きた2001年や、新型肺炎(SARS)の流行で海外旅行客が激減した03年のように、今年は大震災の発生で海外渡航者の減少が見込まれる。また、福島第一原子力発電所の事故による放射能の影響を危惧して、来日する外国人観光客数も低水準で推移することが避けられそうにない。

1980年代は欧米の主な観光地で東洋人の団体を見かけたらほとんどが日本人だった。今は中国人や韓国人を目にする機会が増えている。日本人は観光スタイルの軸足を個人旅行へと移していることもあってか、海外で目にする機会が減り、一抹の寂しさを覚える。

とはいえ、1ドル=70円台という史上空前の円高傾向が続いている今は、海外旅行に出掛ける絶好のチャンスでもある。

私達の親の世代は「年齢を重ね、お金と暇ができてから海外旅行に出かける」ことが夢だった。しかし、「年齢を重ねて」から海外旅行に出かけるのでは色々な意味でモッタイナイ。海外旅行は体力があり、時間の自由がきく若い時に行くべきだ。若い時分であれば気軽に行けたであろう場所も、年を取って体力が衰えると躊躇する場合が出てくるし、海外旅行で得た経験をいかす機会だって少なくなる。

近年、若者、とりわけ若い男性が海外旅行に対する意欲を減退させているという。本当であれば実に残念なことだ。家の中でテレビゲームに興じるのでなく、海外に出かけて日本の長所、短所を認識してもらいたいと思う。

インターネットの普及によって情報が気軽に手に入る時代になり、画像を見ただけで海外に行ったかのように錯覚し、満足しているのかもしれない。でも、百聞は一見に如かず。タクシーの自動ドア、シャワートイレなど日本の過剰なまでのサービスが世界標準ではないことだってよく分かるだろう。

未来を担う若者へのはなむけの言葉で2年半にわたったコラムの筆を置きたい。


■2011-09-17-Saturday 日本経済新聞

2011年9月16日日本経済新聞「文化」掲載

「手品本入手あの手この手」ライバルと競争、書店に出回らないお宝も

マジシャンの歴史は長い。約3800年前の古代エジプトで「3人の魔術師がおもちゃのワニを本物に変え、ガチョウの首を切って元に戻した」という記録がある。魔術や呪術が医療や政治の代わりとして機能していたのだろう。

「40年で5千冊集める」

そんな手品に関連する書籍を集めておよそ40年。自らプロのマジシャンを目指した時期もあり、収集した手品本は5千冊。関連する大道芸や催眠術、超能力、手品師を主役にした小説なども含めると8千冊にのぼる。北海道帯広市で商業ビルを経営するかたわら、部屋の一角を解放して最近、収集本の公開を始めた。

手品に興味を持ったのは小学生のとき。札幌に住む8歳上のいとこから、指の間で転がすボールが増えたり減ったりする「シカゴの4つ玉」という手品のタネをもらったのがきっかけだ。すっかり夢中になり、長い休みには札幌に通って百貨店の手品コーナーで様々な手品道具を物色した。

手品本を初めて買ったのもそのころ。最初は子供向けしか入手できず、飽き足らなくなった。専門書をそろえるようになったのは高校生のころから。小遣いが月3000円の当時、出始めた一般向けの手品本は1冊2500円ほどしたが、手品の先生がいない帯広では本で学ぶしかなかった。

「プロを目指すが断念」

その後、東京の大学に進学し、手品サークルでマジック三昧の日々を送る。個人的にジミー忍というマジシャンに弟子入り。まじめにプロを目指したが、師匠やマスコミ関係者を呼んだ年に一度の大舞台で大失敗し、断念した。

帯広に戻って家業のビル経営を継ぎ、趣味で手品本の収集を続けた。仕事や旅行で出かけると必ず古書店に立ち寄った。

集めた中で最も古いのは東京・神田の古書店で入手した「放下筌(せん)」。江戸時代の1746年刊。その中には、4千年も前からあるカップ&ボールが「志な玉の術」、2千年前に中国で生み出されたリンキングリングが「金輪乃曲」という名で出ていて驚いた。

手品の中にはその時の最先端科学を使ったものもあるが、技術が普及すると消えてしまう。江戸本に出ていた2つのマジックはいずれも単純だが、人間の心理を巧みに利用し、現在に至るまで様々なバリエーションを生み出している。シンプルな方が奥深く、長く愛されるのだ。

マジシャンは新しい手品を開発するとタネを解説した本を限定で刊行する。そのため手品本は薄い冊子が多く、昔は粗末な紙でガリ版刷りで出されたものも少なくなかった。

また手品を世に広める大きな力となった力書房の「奇術研究」や東京堂出版の「ザ・マジック」などの雑誌も、一冊一冊は薄いが、それらが思わぬ高値で取引されることもある。

私の知る限り、日本での手品本の本格的な収集家は私を含めて5人。古書店収集では意識しなかったが、近年のネットオークションで相まみえる機会が増えた。互いに持っていない雑誌のバックナンバーが出ると激しい争いになる。カードマジックの「パス」という雑誌がまとめて出たときは、高値になることを予想した相手が察して折れてくれたので、私が入手することができた。

有名なマジシャンが高齢になったり亡くなったりすると、その記録本が限定出版され関係者に配られることもある。これは一般の書店には出回らず、人的ネットワークを通じてしか入手できない。

「師の1千冊譲り受ける」

その中では、松旭斎小天勝こと大喜タマ子が90歳で出した「花の群像」という記録本が思い出深い。日本の奇術は明治期に日米で活躍した松旭斎天一の弟子筋が今に至るまで本流をなしている。天一の愛人で、妖艶なマジックで一世を風靡したのが松旭斎天勝。彼女の関連本や絵はがきなどはたくさん残っているが、小天勝のその記録本には、既存の本にはない舞台裏の話や写真が多数出ていた。

私の師匠だったジミー忍もこの本流の松旭斎天洋門下の一人。後々までお付き合いが続いたが、1996年にがんで亡くなった時、遺品として1千冊の貴重な手品本を譲り受けた。師が晩年に体調を崩したとき、帯広の温泉に招待したことがあり、その折に私のコレクションを見せたことがあったのだ。

師がそのとき、「自分はマジックの博物館をつくるのが夢なんだ。一緒につくろう」とうれしそうに話してくれたのが忘れられない。師の夢みた博物館にはまだ遠いが、本の公開が手品の普及に役立つことを願っている。(さかもと・かずあき=ビル管理会社経営)


■2011-09-18-Sunday シンクロ・フィギュア

長女がキャプテンを務めている

フィギュア・スケートのシンクロナイズド・スケーティングの「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース」というチームが帯広で合宿をすことになった。9月16日(金)〜19日(月)までの4日間、総勢16名ほどの参加予定者数で、帯広の森アイスアリーナで1日6時間ずつのスケーティングをするという。

本州のスケートリンクは3・11の東日本大震災で東北地方のリンクがダメになり、東京の神宮スケート場も天井が落下してしばらく使用不能になっていた(現在は復旧している)から、玉突き現象で、日本のスケート場は需要過多の状態が続いている。

なかなかまとまった練習時間が取れないということで、どこか十分な練習が出来る場所を探していたのだ。

そこに、帯広市が、東日本大震災対応で合宿誘致の政策を取るとの新聞記事が出たので、娘のチームもその対象になるのか市役所に確認したところ、その対象になるとの返事だったので、娘のチームは旅費を掛けてもまとめて滑られる帯広を合宿地に選んだのだった。

帯広を選んだのは良いのだが、娘から「スウェーデンから世界的なフィギュアスケートのコーチのアンドレアさんを招致してレッスンを受けることになったから、お父さんは送り迎えやカメラマンをやってね!」と言われたのだ。

何でもアンドレアさんはスウェーデンでは知らない人が居ないというほどの世界的なスケーターなのだそうだ。日本プロ野球で言えば長嶋茂雄さんか王貞治さんクラスの人らしい。

そんなスゴイ人を接待しろと言われても・・・。

妻からも、「東京では選手のご両親が、いつも選手の送迎や音出しや カメラマンなどを交代でやってくれているのよ。私達は北海道という遠隔地にいるからそれらが出来ずにいるので、今回の合宿で一気にその役目を果たすつもりなんだから16〜19日は完全にスケジュールを空けておいてね」と言われたので18・19日に入っていたゴルフはキャンセルしたのである。

すると2日前の14日夜にコーチから、全員は行けなくなったという電話が妻のところに入った。

飛行機のチケットから宿の手配まで妻が全てを取り仕切ってやっている。前日の急なことだから妻もパニックになって15日はキャンセルの手配やら、なにやらでしっちゃかめっちゃかになっていた。

何だか難しいトラブルが発生したようなのである。

結局、16日に帯広入りしたのは、アンドレアさんと星野コーチと選手が5名の総勢7人であった。

それでも、彼女らは帯広での合宿を無駄にするまいと、アンドレアさんが驚いて感心するほど熱心に滑っていた。すごい情熱である。

私も、運転手兼カメラマンとしてフルに働いた。何せ、07:30にアンドレアさんを北海道ホテルに迎えに行って、8:00〜10:00の練習をビデオ撮影し10:10にまたホテルに送る。12:30にまた北海道ホテルに迎えに行って13:00〜15:00までビデオ撮影、15:10にはホテルに送る。17:30から全員と一緒に食事をして18:30にはリンクに送り、19:00〜21:00までビデオ撮影、21:10にホテルにアンドレアを送って終了。彼女らが滑っていない時間帯の私の自由時間は実質的には1時間ほどずつしかない。ビデオの撮影も、私が写した映像で演技内容やフォームなどの確認をするからキチッと撮影しなきゃならないから緊張して落ち着かないこと甚だしい。これをほぼ4日間もやったのだから、とにかく疲れた〜!。

19日に無事に帯広を離れてくれたので、一息ホッとしているところである。(この文章は20日に書いている)


■2011-09-19-Monday 敬老の日

19日の敬老の日は

ちょうど普段は東京に居て顔が見られないし、孫でもある、私の長女の惠梨が、スケートの合宿で帯広の森研修センターに泊っているから、練習風景を見学してもらうことにした。

私はカメラマンで現場を離れられないから、妻が私の母と自分の両親を車に乗せて帯広の森スケート場まで連れて来たのである。

19日は彼女らが帰京する最終日である。最後の練習は12:00〜14:00までメインリンクで滑る予定になっている。

それまでは全て、サブリンクでの練習であった。

サブリンクの会場の温度は13度で、少し寒いが、それほどキツイ寒さだとは感じなかったが、メインリンクの寒さは半端ではない。温度計は見なかったが、おそらく10℃ほどしかないのではないだろうか。

東京などのリンクから比べるとかなりな寒さで氷も固い。

老人が秋口に、いきなり10℃ほどの温度しかない場所で見学するのは体力的に少々酷だったかもしれない。

妻の父は、娘がフィギュアを始めた頃は、毎日娘をリンクに送迎していたから、とても懐かしいようだ。会場では、昔、娘が習っていた先生や同僚などから声を掛けられたし、娘の練習する姿を見ることができて嬉しかったようでもある。

娘達一行を帯広空港から見送った後に、妻の両親と私の母を招いて、敬老の日の食事会を「もみじ乃」でおこなった。

椅子席が満杯で座敷しか空いていなかったので、老人にはきつかったかもしれない。年を取ると座る席は大変ある。

今回の娘の合宿は、来た人数は少なかったけれども充実した内容であったと思う。親達にも喜んでもらえたので、まずはなによりであった。


■2011-09-20-Tuesday 世の中オカシイ

どうも現代が

向かっている方向は悪い方向であるように感じる。

何度もこのブログに書いていることだが・・・。

企業は効率性や収益性を求めて、益々機械化を推し進めている。

工場が機械化してある程度の効率化を図るのは良しとしよう。その目的が働く人の労働を軽くする為であるなら。しかし、儲けの為だけに機械化して省力化するのは明らかに間違いだ。

何故なら工場で働く人間も購買者の一人であるからだ。

人手を省くのは、企業が儲かるだけで、働いていた人間をクビにしたり正社員を減らしたりするのは、人間を不幸にするだけである。

行き過ぎた効率化は人間を不幸にするだけだ。

クビになった人間は購買力が落ちるから、当然買い物は控えるだろう。

企業は社員をクビにして機械化し儲かった気分になっているかもしれないが、それは自分で自分の首を絞めるような行為に他ならない。

企業の身の周りで購買力が落ちたら、誰が出来あがった製品を買うのだろうか?

しかも、効率化した経営社は評価されて高額な給料を取る。一人で何億円もの給料を取って、社員をクビにして、一体どこが名経営者なのか?

何億円も給料をもらったって使い切れないないだろうに・・・。

それよりも、多くの社員を雇って、その分の給料を払ってあげた方が、世間の金は回るだろう。

お金が回れば景気も良くなるのだ。今の仕組みの中で政府がいくらお金を出しても企業がますます省力化の為に機械化して雇用を減らすだけだ。一時的に雇用が良くなったとしても派遣やパートの社員が増えるだけで、根本的に景気が良くなるはずがない。

お金に対する考え方を変えなければ世界はオカシクなってしまうだろう。なにせ、世界には60億人からの人間がいるのだ。ホンの数%の超お金持ちがいて残り90数%は貧乏人という形にでもするつもりなのだろうか?

小泉や竹中がやろうとしていた政策は明らかに誤りだった。

民主党はそれを変えるのかと思っていたが、TPPだのを批准して、アメリカンスタンダードのグローバル社会を造ろうとしている。

北海道は日本から独立して鎖国政策でもやったらどうだ!

グローバル社会なんて始めから幻想だし、一部の超お金持ちにますます金を集めることを助長するだけだと思うのだが・・・。


■2011-09-21-Wednesday 人間の奢り

台風15号が猛威をふるっている。

名古屋では100万人が避難したという。市内が洪水で溢れている場面がテレビのニュースで何度も流れた。

上からの大雨と、下からはその雨を処理しきれなくなった下水から水が溢れ返っているようだ。

これは人間の奢りが生んだ災害だ。

昔は川だったところや池だったところを埋め立てた場所や、もともと低い場所が被害にあっている。

古代の人間は、湿地は「忌み地」として墓場にした。湿っているから埋葬した死体が早く腐るからだろう。

一方、人間が住む所は「癒しの地」として高台にある水はけの良い場所を選んだという。

これは人間の知恵である。

それを、自然は人間の手で変えられると思いあがった人間が、湿地や川を埋め立てて住み始めた。

山から流れて来る川が直撃するようなT字型の場所にまで家を建てている光景がテレビに映し出されている。

川が水で溢れたらひとたまりもない場所だというのはテレビ画面からも分かる。

人が住むには適さない場所を開発して、無理矢理住むようになったのではないかと推測する。

まぁ、日本は山が多い国だから、やむをえないこともあったのだろうが・・・。

水は人間に無くてはならない重要なものだが、また脅威でもある。水に対して謙虚な考え方を持ち直す必要を感じる。

また大都市も、場所の許容範囲を越える人口を抱え込んでしまうと、治水も下水も容量をオーバーして今回のような災害を引き起こす。

人間が暮らすに最適な場所に、適度な人口が固まって暮らすようにしなければならないだろう。

もうひとつ気になるニュースは「サイバーテロ」のニュースだ。ソニーが標的にされたサイバーテロは、コンピュータの知識が乏しくても行えるようなソフトが出回っているそうな。このソニーのサイバーテロに実際に参加したインド人のコメントは「ソニーのプレイステイションは値段が高過ぎるから懲らしめてやった」と新聞に載っていた。

これまた何という思い上がりなのだろう。

こんあ勘違い人間が大量発生し、それを助長するようなソフトが出回ったら、それこそ制御不能に陥るだろう。

どこかの映画のように、軍隊のコンピュータに侵入して、核ミサイルを発射させるようなバカが現れるかもしれない。

案外、人類の最期はそんな事態になりそうな気がしてきた。

おそろしい世の中になったものだ。

やはり、ここらで、世の中の在り方を考え直す時期なのではなかろうか?

今回の東日本大震災や台風は、それを促している地球からの警告なのかもしれない。


■2011-09-22-Thursday 諸事雑感

またまた

22日の午前1時に我が家の電波時計が狂って回り始めた。これまでの「時計が狂って回れば、1〜3日以内に日本の何処かで震度4以上の地震が発生するという予想は100%当たっている」から心配だ。台風15号の被害と重なり合わなければ良いのだが。

先日の外食をした時のことだが、店員の信じられない対応に驚いた。従業員教育がまるでなっていないのだ。

私の母が生寿司を注文したのだが、母が「噛み切れないからイカやタコは省いて欲しい。ヒカリモノも苦手だから別のモノに替えて欲しい」と注文したら、それを聞いた和服姿の仲居さん風の店員が、「何を面倒な事を言っているのよ」とばかりに露骨にシカメ面をしたのだ。

寿司を握って出している和食専門店なのだから、寿司の中身の変更を依頼されることは結構あるはずだ。

ましてや、この日は敬老の日であるから、当然ながら老人の客が多いことは事前に予想がつくことだろう。

イカやタコが噛み切れないから別なモノに替えて欲しいという要望だって予測の範囲内ではないのか?

それを、客に対して露骨にシカメ面を見せるのは、いくら料理が美味しくても、客にしてみれば「何だこの野郎!」という感情にしかならない。普通は心の中で「面倒な注文をする客だなぁ」ぐらいのことは思っても顔には出さないものだが・・・。

別な従業員がお茶を持ってきた態度も非常に悪かった。せっかく美味しいものを出している店なのだから、アルバイトかパートかしらないがこんな人間を使ったら客が減ってしまうだろうと老婆心ながら感じた。

今日から、東京の姉が子どもと一緒に帯広に遊びに来る予定だ。子どもといってももうすぐ2人とも四捨五入すれば30歳になろうかという社会人である。姉が帰郷するのも数年振りのことだ。

急な話だったので、私の方は別のスケジュールが入っているから会えるのはほんの僅かのことになる。

子どもがまだ幼なかった頃は、毎年の様に子どもを連れて帰郷して、家族全員で交流したものだったが・・・、子どもが高校生ぐらいになると親と一緒には行動したがらなくなる。ましてや務めを持った子どもと一緒に行動することはもっと難しい。

そろそろ甥や姪たちも結婚適齢期だが、誰が最初に結婚するのだろうか?

私は子どもが好きだから、早くおじいちゃんになって孫を抱きたいのだが、妻は子ども達にはまだ恋人も居ないようだからまだまだだね!と言う。当分その夢は望めそうにない。


■2011-09-23-Friday ボーリング

疲労感が抜けない。

何だか、先週の猛烈な忙しさの後もこまごまとした所用が続き、ゆったりした気分にはなれないでいる。

今週末も、姉一家の帰郷やら、柏葉高校の同期会など行事が目白押しなのである。

今日は、焼肉屋「五条園」に4兄弟の家族が集合して食事をした。我が家は3人の子ども達が皆、帯広には居ないので夫婦だけであるが、妹のところは姪が一人札幌から参加して3人、弟の家族は姪がまだ小学生なので3人、姉のところも甥と姪とで3人、それに母を入れて総勢12人である。

若い甥や姪は、おいしくて安い焼肉がたらふく食べられるから満足した様子だ。

食後に、ディノスにボーリングに行った。

家族対抗のボーリング大会をするという。

ボーリングは最近はさっぱりやらなくなった。もうかれこれ5〜6年はやっていないと思う。

久し振りにやったが、私は母とチームを組むことになった。

私は1ゲーム目が154点、母も107点と健闘して1ゲーム目ではトップに立った。

チーム戦は2ゲームのトータルで競うことになっている。

2ゲームは私は170点だったが、80歳になる母が、さすがに2ゲーム目は疲れたのか53点と振るわず、姉と姉の息子チームに逆転されてしまい2位に終わった。

父が健在だった頃は家族で良くボーリングをやりにいったものだったが、弟の投げる姿が父そっくりだと妹が言い出し、それで思い出したのだが大いに笑った。久し振りの家族ボーリングというのもなかなか楽しいものであった。


■2011-09-24-Saturday 同期会

高校の同期会を

24日に開催した。

昭和51年、帯広柏葉高等学校を卒業した柏葉26期の卒業35周年の同期会である。

私は代表幹事をさせられているので主催者ということになる。

5年毎に全8クラス(1クラス45名で総勢360名)合同の同期会を15周年の時から開催しているから5回目ということになる。

前回30周年の時は、十勝川温泉で一泊で開催し100名を越える参加者がいた。

この時辺りから「個人情報保護法」なんてものが世に出てきたから、幹事が名簿を作成することがとても面倒なことになってきた。名簿に名前などを載せないで欲しいと言う者や、必要以上の情報を載せないで欲しいというようになってきたのだ。

以前は親元の住所まで掲載していたから、たとえ本人の行方が判明しなくても親に連絡すれば教えてくれたものだが・・・。

親も、私がクラス会の幹事だと言っても、警戒するのかなかなか子どもの連絡先を教えてくれないケースも出てきた。だが、一旦名簿から外れてしまったら、再補足は極端に難しいのが現状なのだ。よっぽど親しい友人から連絡でももらわない限り、その人間は消息不明者になってしまう。

そんなことがあったので、前回30周年の時に「全クラス合同の同期会は今回を最後にしよう。次回からは各クラス単位での集まりにしよう」ということになったのだが、去年から、多くの同期生から、また合同で開催して欲しいとの要望が寄せられるようになり、各クラスの幹事も「じゃぁ、やろう!」ということになって、今回の開催になったのである。

一旦休止することにしていたから名簿の作成も担当幹事は大変な作業であったことだろう。それでも今回は恩師2人を含めて総勢88名の参加者があった。360名中の88名だからおよそ4分の一の人間が参加したことになる。

午前中は8:30から帯広国際カントリークラブでゴルフコンペ。当初14名の参加予定であったが、ドタキャンが相次ぎ、結局9名の参加者に終わった。

18:30からは帯広東急インホテルで懇親会である。

最初に、校歌を歌い、次に物故者に黙とうを捧げたが、判明しているだけでも12名の物故者がいる。この内、この時点で判明していた11名の高校時代の顔写真をDVDで流したところ、どよめきが起こった。

代表幹事の私の挨拶の後、直ぐにホテル内の写真スタジオで記念撮影をした。80名以上を入れるにはさすが少々狭いスペースであったが、何とか押し込んで撮影をした。でもこの時点で遅刻して来た数名は写ることができなかったようだ。

D組の石邑幹事が作成してくれたDVDはとても良い出来で、同期会という雰囲気をしっかり演出してくれた。

今回出席してくれたH組担任の上山先生は今年68歳だというが、どうみても50代後半位にしか見えない程若々しい。我々同期生の方が老けて見える人間がいる。

総じて、皆、太ったし、髪の毛が薄くなった。

18:30〜20:30の2時間、ホテルでの1次会を楽しみ、終了間際に、2次会に行くかと尋ねたら、ほとんど全員が行くと言う。E組は別行動を取るというので、70名程が入れる店を急遽借り切って20:45から2次会に入った。

この店は3階にあるのだが、エレベータに6名乗ったら重量オーバーのブザーが鳴った。一人降りて動き出したが、ゆするとブザーが鳴る。エレベータの表示では定員9名700㎏なのであるが、5名でオーバーしていると大笑いになった。デブばかりが乗り込んだのだ。

2次会でも22:30まで2時間程の会話を楽しみ、各人分かれて3次会に行った。

私は1:30まで飲んで帰宅したが、午前様で飲んだのは久し振りのことである。

若かりし頃の話をしながら飲む酒は美味いし、また話は尽きないものである。


■2011-09-25-Sunday 同期会②

朝から頭が痛い。

実に久し振りの二日酔いである。

18:30〜01:30まで7時間近くも飲み続けたのだから当たり前か?高校時代から肝臓を酷使しているから毒解能力が落ちているんだろう。さすがにもう若くはないようだ。

昨日の同期会を振りかえってみると、事務局を担当してくれた帯広市役所の敦賀くんには感謝である。

名簿の作成、連絡、ホテルの折衝などほとんどの仕事をこなしてくれた。

各クラスの幹事の人もそれぞれのクラスの人達に最終確認の連絡をしてくれたので、大体のクラスが10名前後の人数的にもバランスの良い集まりになった。

B組だけは唯一女性の参加者がゼロで、我々の前年には消滅したはずの「男クラ(男子クラス)」になってしまったが・・・。

高校時代からまったく変わっていない(成長していない)ような奴もいるし、妙に落ち着いて別人のようになってしまった人もいる。

教師になった連中は、PTAの時などに昔の級友にあったら、すぐに寄って来て「昔の話は絶対にしてくれるな!」というそうな。きっと昔話をされたら教師としての威厳がなくなるからだろう。

私のこのブログをいつも読んでいるという人間も何人かいた。「最近内容が固いぞ!」とお叱りを受けた。

何だか皆に読まれていると思うと悪口は書けないしなぁ〜。

次回の卒業40周年の同期会は皆の年齢が58・9歳になる。還暦前の同期会として全員ちゃんちゃんこ姿ででもやろうかという話も出てきた。おじいちゃん、おばぁちゃんになったという人間も何人かいた。そんな歳なんだなぁ〜。


■2011-09-26-Monday ニュースから

今日のニュースを見ての感想。

国会関係では、小沢一郎の秘書3人に有罪判決が出た。その秘書の一人である十勝出身の衆院議員石川知裕にも禁固2年、執行猶予3年の判決だ。

私の予想では証拠不十分で無罪判決が出るものと考えていたのだが・・・。

一応、法学部法律学科を卒業した人間としては、法律の基本的な考え方は理解をしているつもりだ。

日本の法律はどんなに限りなく黒に近い灰色であっても、「推定無罪」で被告人に有利にというのが原則だ。

私も、この陸山会事件の5億円の金の流れは限りなく不自然な流れであり、何かを画策したであろうことは容易に推量はできる。が、しかしだ、この裁判では状況証拠だけで、決定的な証拠というものが不足していると思うのだ。

民間の適当な当て推量とはちがって、司法の場の裁判なのだから、決定的証拠というものは必要不可欠だと思うのである。

推論に推論を重ねての判決は、冤罪の危険が大きい。

裁判所も、政治家のこの種の不透明な金の流れに何とかメスを入れたいという気持ちも判らないではないが、私は推論を積み重ねての有罪判決は、冤罪を生みやすいから止めるべきだと考える。

政治資金規正法はザル法のようだから、こちらを大至急変えるべきだろう。

テレビのコメンテーターは、石川議員はこの有罪判決を受けて、一旦議員辞職をして、裁判に専念するべきだ。中途半端な立場で地域の代表を続けるべきではないとコメントしていたが、これもオカシイ。

私は民主党が嫌いだし、石川議員を特段応援するつもりもないが、ニュートラルな立場で考えたら、最高裁での判決が出るまでは、裁判とて決定ではなく途中経過でしかないのだ。本人が自ら辞するのならまだしも、一審で有罪だったから辞職せよとテレビのコメンテーターが迫るのは僭越ではなかろうか?

この他の国会の模様のニュースを見ていて、段々と腹が立ってきた。

復興の為の予算として、タバコの2円の増税だとか、所得税の4%増税だとか、相続税は止めたとかと出ていたが・・・。

東電の社長などの幹部を国会に呼んで、請求書のことなどを追及していたが・・・。

こんなに重要なことが一杯あるのに、会期を4日間で済ませようと考えていたなんて・・・。

野田政権にもまるで困ったものだ。


■2011-09-27-Tuesday 破滅型人間

折角超一流の技術を持ちながら、

それを活かせていない人物というのがいる。

傍で見ているととてもモッタイナイなぁと感じる。

技術は素晴らしいのだが、どうやら戦略や戦術というものを立てることが苦手なのだろうと思う。

一人の人間が全ての能力を兼ね備えているということは、まずないであろうから、自分に不足している能力を補ってサポートしてくれる人間を見つけることが人生には重要なのだ。

戦略や戦術がなく、その場、その場の思い付きで行動するから、周りの人間には一貫性に欠けた行動に見えてしまう。

最初の内は、カリスマ性があれば、盲信的に部下は付いてくるだろうが、理不尽なことがあまりに重なると「アレッ」と疑問を抱かれてしまうことになる。そうなるとカリスマ性というのは霧消してしまうのだ。

カリスマ性というベールが剥がれてしまうと、今度は逆に欠陥が浮き彫りになってしまう。その落差はあまりにも大きいのだ。

一旦、その体制が崩れてしまうと自暴自棄というのか、メチャクチャというのか、言っていることもやっていることもその場しのぎになるから、支離滅裂になってしまう。

誇大妄想というのか被害妄想というのか、カリスマ性のベールに隠れて見えていなかった、そういう面が表に出て来る。そうなると、やることなすこと裏目、裏目になりやすいから、ますます自爆行為というのか、結果的に自ら折角築き上げたものを破壊する方向に動いてしまうように見える。

傍から見ていると、何故?その時期にそんなバカな行為をしなければならないのか?と全く理解に苦しむ行動を取ってしまうのだ。

戦略や戦術がそもそも無いから、我慢すべきところを我慢できずに、感情に走った行動を取って自爆してしまうのである。ところが、そういう人間は、えてしてその場の凌ぎ方だけは異常に上手いから、スパッと決断できない部下はズルズルと引きずられてしまうことになる。

なんだか、新興宗教などのマインドコントロールの手法を見ているような感じである。

やはり、上に立とうという人間は、俯瞰的、客観的に己の思考や行動を取れるよう、普段から訓練しておく必要があるのだろう。


■2011-09-28-Wednesday ゴルフコンペ

とある企業が主宰するゴルフコンペが

28日(水)に帯広白樺カントリークラブで開催され、私も参加してきた。

私は今年になってから24回目のゴルフのプレイである。

とにかく今日のゴルフは一緒に回った1人が、なにせモノ凄かった。

こんなスコアはいままでお目に掛かったことがない。

ラウンド前に名のり合った時に「私は今日初めてですので宜しくお願いします」と挨拶されたから少々不安に感じていたのだが・・・。

60歳位の風貌の方だったから「今年初めて」なのかなぁ〜なんて思ったのだが・・・。

まぁ130打台くらいの人と一緒に回らされるのはしょっちゅうだから何とかなるだろうと軽く考えていたのだが・・・。

私がハンディ頭だからマーカー役になったのだが、これが今日の不幸の始まりだった。

白樺のOUTコース1番ティーグランドで、このKさんのボールは第一打が右のOB方向にスライスして飛んだが木にぶつかってセーフになったところまでは、まだ良かった。そこから第2打でフェアウェイに戻して、第3打は右に出てOB、打ち直しもまたOB、その後なんとかチョロッ、チョロッと進んで行って、11打目でグリーンオン、パットも行ったり来たりで4打打って計15打であった。

これは大変なことになったゾ!私はマーカーとして、この人の打数をカウントするだけで疲れ果ててしまうのでないかと恐怖したのであった。でもまだ1番ホールが終わったばかりだし、これはまだほんの朝の準備運動すぎないだろうと思いたいと切に願ったのであったが・・・。

2番のティーグランドで聞いたら、何と本当にコースに出るのは今日が初めてだととの事だ。「練習はして来たのですか?」と聞いたら「今年の8月からゴルフを始めて、コースは河川敷で数回はプレイした経験がある」と言うのである。

でもまだこの時点では、まぁ、何とかなるだろうと軽く考えていた。

2番のグリーンで私は上1mにパーオンしてバディーチャンスである。Kさんはグリーンの下方のエッジからサンドウェッジで打って大オーバーして上に付け、またサンドでチョロした後はまたグリーンをはみ出るショットである。行ったり来たりでパットも入らず12打であった。

私は、この1mのバーディーパットがカップになめられて入らずにパーで終わった。

3番はこれまた私はパーオンしてバーディチャンスだが、Kさんはまたまたグリーン周りを行ったり来たり、前の組ともかなり空いてしまったので、「先に打ちます」と言って打ったら、私もカップをオーバーして3パットのボギー。Kさんは11打であった。

4番ショートホールは右横下1.5mのバディーチャンスに付けた。今日はショットの調子がすこぶる良い。

Kさんは相変わらず行ったり来たりで8打で上がった。

さぁ、私のバディートライである。カップをナメテ外れたボールがコロコロコロコロコロコロとグリーンを降りて行く。上から打ったのでなくて、やや下から打ったパットが止まらないのだ。4mほども下がったところでようやく止まったが、返しは入らずボギー。こうなると私もイライラし始めた。

その後の私は集中力を欠いてショットもパットもいい加減な打ち方になってスコアを崩してしまった。

一方のKさんは相変わらず、OBとチョロとグリーンを行ったり来たりして結局Kさんのハーフのスコアは96打である。私も良くぞ数えたものである。

一緒に回った人が「坂本さん、Kさんもここまで叩いたら、圧倒的な最下位は決定したようなものだから、1打や2打くらい違っていても大勢には影響しないと思うから、Kさんの自己申告に任せて自分のゴルフに集中した方がいいよ。」と言うので、私もホトホト疲れたからKさんの打数を数えるのは半分で止めにしたが、もう時既に遅しで、私の集中力は完全に切れてしまっていたのであった。

後半のハーフ、Kさんは83打(自己申告)で合計179打という物凄いスコアであった。

私は前半43打、後半44打の87打であった。

JCのじゃがいもクラブというゴルフコンペでも、初心者が150打叩いたというのに良く数えたなぁと驚いたことがあるが、Kさんの179打には心底恐れ入ってしまった。こんな破壊的なスコアはこれまで見たことがない。

Kさんはキャディーのおばちゃんからも、コースに出るのは10年早いよと言われていたが・・・。

ちなみに、この日のハンディはWぺリア方式(各ホールの算定の上限はトリプルまで)であるが、Kさんに付いたハンディキャップは43.2でネットスコアは135.8であった。

BB賞の人のネットスコアが88.0であるからその差なんと47.8点も差があるのだ。優勝のネットスコアが72.6だったから、優勝とBB賞との差は15.4点しかないのに・・・。圧倒的な最下位であった。

やはり、同伴プレイヤーへの迷惑も少しは考えて、もう一寸練習して来てから参加して欲しかったなぁ〜。


■2011-09-29-Thursday 回答・その他

9月8日と9日のブログに

書いた「癒しの地」と「忌み地」について、また質問のメールが来たのでお答えする。

メールの内容を要約すると『「イヤシロチ」と「ケガレチ」というのは聞いたことがあるが・・・、貴方の言う「癒しの地」は「イヤシロチ」で「忌み地」は「ケガレチ」の間違いなのではないのか?』というものである。

私も、どなたか(誰かは覚えていない)の講演で聞いた話なので、「癒しの地」「忌み地」が正しいのか間違いなのかは判らないというのが正直な回答です。

講演で耳から聞いた話だったので、文字では表現されていなかったようにも思うので、「イヤシロチ」を「イヤシノチ」と聞きちがえて「癒しの地」と字を当ててしまったのかもしれない。「ケガレチ」の方も「穢れ地」と字を当てて「穢れ」→「忌む」と私の頭の中で作ってしまったのかもしれないとも思う。正直自信がありません。

ただ、意味するところはほとんど同じ内容だと思うので、調べ直してみます。少々お時間を下さい。

今日、郵便局の本局に行った午前11時頃のことである。六花亭本店の前で帯広ナンバーの自動車がパトカーに停められた。そのパトカーの前を通過した際に警察官と運転手のやり取りが聞こえてきたが、警察官曰くは、横断歩道を渡っている人間がいる前方を車は通過してはいけないという風に交通ルールが改正されたのだとのこと、自動車の運転手が藤丸百貨店方向から六花亭方面に信号を右折する際に、横断歩道を歩いて東進する人の前をすり抜けて右折したことが、交通違反だと言うことらしい。運転手は何やら抵抗しているようだ。

郵便局での用事を済ませて、会社に戻る時には、パトカーに運転手が乗せられて違反切符を切られているような様子だった。

私にはこの模様が奇異に映った。

確かに横断している人間の前を車がすり抜けるのは、危険な行為であろう、でもなぜ、警察官はその車が違反してすり抜ける前に注意をして車を停車させないのだろうか?

本当に危険なら、危険な行為をする前に注意して、その行為そのものをさせない方が、より安全になるのではないのか?

危険な行為をするのをじっと黙って見ていて、違反したから反則切符を切るというのは、市民の安全を守らなければならない警察官の仕事としてもオカシイだろう。

もしも横断歩道を渡っている人がそれで怪我でもしたら、警察官は何をやっていたことになるのか?しなければならない順番が間違っている。この警察官の行為は横断者の危険を見過ごして、違反者を造り出しているだけのように見える。

まことに理不尽な行為である。

スピード違反の通称「ネズミ捕り」もズルイやり方だ。捕まえるのではなく、「危険だからスピードを落としなさい」と注意すれば良いことだろうに・・・。

警察官の上から目線での、注意の仕方は腹が立つ。警察の仕事の在り方を考え直すべきではないのだろうか?


■2011-09-30-Friday これからの日本は

これからの日本は一体どんな方向に

向かっていくのだろうか?

少子高齢化の傾向はますます進んでいる。

大都会への人口の一極集中も進んでいる。

東日本大震災の復興財源で税金は上がりそうだ。

日本国の借金もますます増えそうだ。

福島の放射能はまだハッキリしたことが発表されないから詳細は不明だが、聞くところによると福島第一原発の30㎞(放射能の流れた方向によってはそれ以上)圏は今後数十年間は人が住めないくらいの放射能があるとのこと。

暗〜い話ばかりである。

不況で仕事が無い、仕事が無いというが、十勝ならいざ知らず、東京や大阪などの大都会なら、掃除等、人が嫌がる3Kの職業等ならまだまだ需要はあると聞く。

若い連中は、自分に合った職業を探したいといって、せっかく勤めた会社を簡単に辞めてしまうらしい。彼等若者は辛い仕事や汚れる仕事はやりたくないという。

税金も上がる様だし、年金も、このままでは本当にもらえるかどうかは判らない。医療費の自己負担額も上がるようだ。

生活を守る為に、自給自足に近い生活をするには、作物を作る土地が必要だが、東京では無理な話だろう。

このまま行ったら、東京に大多数のホームレスが集まることになるのではないのか?

都会のホームレスは生産的な活動はほとんど出来ないだろうから、少なからず他人に頼ることになる。

東京都もそれだけの数の非生産者を支えることは出来ないだろう。

犯罪も増えるかもしれない。ホームレスでいるよりも、刑務所の方が少なくとも食住は確保できるし、病気になっても診察してもらえるからだ。だから、わざと犯罪を犯して、刑務所に入って安定した生活をしようと考える輩が増える可能性が高い。

しかも、しょっちゅう出たり入ったりするのは面倒だ。複数殺せば死刑の可能性があるが、一人殺しただけなら、悪くても20年くらいの刑期だろうと、誰でも良いから殺したなんていう通り魔的な、刹那的な殺人事件が多発するのではないか?

日本の政治家や官僚は、いざとなれば、この国の借金は、「徳政令」でも発布してチャラにするつもりでいるのではないかとさえ思い始めている。

これからは田舎に引っ込んで、農業をやりながら、最低限自分が食べるものは自分で生産するという暮らし方が一番なのかも知れない。

そこに、エネルギーを自前で生産して、そのエネルギーで住宅や自動車や農耕器具も動かせれば鬼に金棒である。

アレッ、これは1994年に十勝環境ラボラトリーで発表したライフスタイルに似ているなぁ〜。

17年も前に構想して否定されたことだが、それが現代にマッチしそうになってきたなんて、なんだか不思議な気持ちだ。

もう一度深く考え直してみるか。