■2011-10-01-Saturday 昨日の続き
昨日のブログの続きを書く。
日本はこれまで第二次大戦後長らく「格差の少ない社会」だと言われてきた。
でも、現在はどうだろうか?
日本人の金融資産の総額は1400兆円だと言われている。これには土地や建物は含まれていないそうだから、貯金や株式などの金融資産の総額ということらしい。
しかも、この1400兆円の90%を50歳以上の人が保有しており、その内の80%が60歳以上の人が占めているのだそうだ。
現在60歳以上の人達の中には、これから年金をもらう人達も若干はいるだろうが、ほとんどの人は既に年金を受給している人達だ。
私は、これまで年金というものに全く興味も関心も無かったから、よくは判らないが、恐らく現在60歳以上の人達は、長生きすれば払った金額に相当する分は給付されるであろう。
だが、今の30歳以下、いやひょっとすると40歳以下の人達は、払った分も戻って来ない可能性があるのではなかろうか?
どうやら制度上の問題があるようだが、詳しく判らない。
あぁそれなのに、60歳以上の人達は1400兆円ものお金を持っていて、50歳以下の人達はお金を持っていないというのだから実にオカシイことになっていないか。
つまり、言葉は悪いが、早い話、若い貧乏人が金持ちの老人に年金を払っている様なものではないのだろうか?
日本はバブル経済が破綻した1990年頃からず〜っと「失われた20年」と言われているから、1990年以降に生まれた人間、つまり21歳以下は好景気というものを全く体験していないことになる。
私が、日本の経済のことを気にするようになったのは、せいぜいが大学を卒業して自分でお金を稼ぐ様になってからであるから、現在の若者達も私と同じような感じだったら、40歳以下の人間は好景気を実質上体感していないのではないだろうか?
好景気の恩恵を受けた60歳以上の人達が資産の80%を持っていて、しかも年金も貰えて・・・。
一方の40歳以下の人達は不況しか知らなくて、資産も持っていなくて、しかも今後も金持ちの年寄りの老後の面倒を見続けるなんて・・・。
こんな不平等なことがあるだろうか?
これを格差社会と言わなくて一体何と表現するのだろうか?
あまりにも世代間の格差が大き過ぎる。
どうせお金なんてものは、あの世には持って行けないのだから、もっと年寄りに生きている内にお金を使わせる算段を考えた方が良いだろう。お金は貯め込んだら世間に回らなくなって不景気になる。
お金がグルグルと世間を回っていれば、貧しくとも希望が持てる社会になる。日本は現在、とても歪な状態にある。
震災の復興財源は、広く浅く若者からも徴収するのではなく、金を持っていて使い道の無い老人からもらうべきだろう。
これ以上、若者の生活を苦しくさせたら、日本の未来は暗いぞ!
■2011-10-02-Sunday ビックリ!
1日正午にG君の妹から
私の携帯に「Gの妹です。電話を替ります」と電話が入った。
エッ???と思っている内に「誰だか判る〜?」と女性が電話に出た。
何と、アメリカのコロラド州ボルダー市に暮らす秋間美江子さん(85歳)から、今、帯広に来たという電話である。
私を驚かせようと、いきなり私の会社に来たが、(土・日は休日にしているので)私が不在だったから携帯に電話を掛けたと言うのである。
秋間さんはいつも突然に訪れる。
3年前に帯広に来た時は、妻と温泉銭湯に行っていて、そこでいきなり出会って「さっき帯広に着いたのよ!明日、坂本さんに電話して驚かせようと思っていたのに・・・、偶然こんな場所で出会うなんて・・・」ということがあったほどなのだ。
秋間さんとは、1995年に帯広青年会議所が「国際環境大学構想」を掲げた際に、私が団長になってボルダー市の「コロラド州立大学視察」で10人ほどの集団で訪れた際に大変お世話になってからのお付き合いである。
G君もこの時に一緒にボルダーに行って以来、秋間さんとは家族同士の付き合いなのである。
以来、ボルダーからは何人も帯広を訪れているし、私も家族連れでボルダーを訪れてもいる。
去年の4月に、ボルダー市の近く(といっても200㎞以上はゆうに離れているが)のコロラドスプリングスで長女のやっている「フィギュア・スケートのシンクロナイズド・スケーティングの世界大会」が開催された際にも、秋間さんはわざわざ自家用車を運転して見学に来てくれたのであった。翌日も秋間さんの運転する車で、Garden of the GodsやAir Force Academyなどをご案内していただいたのだ。
私の父と同じ昭和2年生まれであるから、今年85歳である。私達が最初にボルダーを訪れた時には健在だった夫の浩さんも10年ほど前に亡くされていて、自身も癌で何度も手術をしているのに、今回は東日本大震災のボランティア活動に来て、ついこの前まで気仙沼にいたのだというから、ものすごい体力とバイタリティである。
1日は「1時から会社に出ますから」と約束して、会社の4階で妻がやっている介護の店「シニア・ケアー・ショップ・パーム」でお会いした。コロラドスプリングスの写真アルバム等を見せて2時間ほど話し込んだ。妻は何度かの行き来の間に、いつの間にか私よりも秋間さんと仲良くなっている。
「以前に北の屋台でごちそうになったチーズを溶かしてポテトに乗せる料理が食べたい」と言われたので、北の屋台を卒業した「らくれっと」にお連れしてたっぷり堪能してもらった。
アメリカでは、ラクレットチーズのように電熱器で溶かして食べるような食べ方が無いのだという。
食べていたら、チーズを作っている宮嶋さんが偶然に訪ねて来た、宮嶋さんはウィンスコンシン州の大学を卒業しているが、学生時代にボルダーを訪ねたことがあるというので話が弾んだのだ。
人のつながり「縁」というものは実に不思議なものである。
昨日はとても楽しいひとときを過ごすことができた。
■2011-10-03-Monday 大津・十勝川学会
大津・十勝川学会主催の講演会が
2日14時からとかちプラザの視聴覚室で開催されたので参加してきた。
今回は「維新政府と植民地十勝(アイヌ民族と和人の自治運動)」というテーマで、北海道大学名誉教授井上勝生さんの講演である。
十勝はこれまで、北海道の歴史の中では、あまり重要視されておらず、調査も研究も進んでいなかったが、ここへきて、これまで調べられていなかった資料の中から、結構面白いものが出てきているとのこと。
今回も幕別のふるさと館にあるアイヌのエカシ(酋長)であった吉田菊太郎が保存していた資料の中から、面白い文献が出てきたとのことであった。
アイヌの文献は、ほとんどが散逸してしまっているらしいが、この吉田菊太郎さんは、丁寧に資料を保存してあるので、これからの研究材料としては一級品なのだそうだ。
今回の講演は「十勝アイヌが1877(明治10)年に十勝豊頃の大津でおこなっていた共同漁業組合のお金(現在の価値に直すと数億円に相当する)が、時の北海道の役人によって不当に消えてしまったことの真相を探るものである。
当時のアイヌの莫大なお金を、北海道製麻会社や札幌製糖会社(この製糖会社の建物が現在の札幌ビールのレンガの建物なったということだ)の株式として購入し、その会社はすぐに倒産して、お金が消えた事件だと言う。
当時の国会でも追求されたことがあるとのことだが、日清戦などもあってか、うやむやになってしまったし、これまでの文献では、その追求運動が、アイヌ民族の自発的な行為ではなくて、その財産に対して野心を持っていた和人の扇動によって起きた追求であるかのように歴史の本ではなっているのだとのこと。
ところが今回出てきた資料では、十勝ではアイヌが代議制に近い自治をおこなっていたことや、惣代として交渉にあたった大津蔵之助という和人の人物も立派な人間であったことが分かるという。
いわば歴史のミステリーを解き明かすような楽しさがあった。
今後、資料を見直していくと、和人に都合の良いように書いた歴史の誤まりが出てくることだろう。
しっかりとした研究を続けてもらいたいものだ。
■2011-10-04-Tuesday 秋間さん
1日にアメリカはコロラド州ボルダー市から
突如現れた秋間美江子さん(85歳)が4日午後2時56分の列車に乗ってお帰りになった。
いつも突然に現れるから、当方も仕事などのスケジュール調整がままならず、十分な接待ができないのが心苦しいところだ。
ボルダーでは家(セカンドハウスを丸ごとお借りしたこともある)や自動車(秋間さんの自家用車)を貸してくれたり、いろいろな場所に案内もしていただいたりして、さんざんお世話になっているから、帯広に来られた時には恩返しをしたいと思っているのだが・・・。
4日は10時から妻が、百年記念館や美術館にお連れした。私は午前中はどうしてもはずせない仕事があったので、昼にばんえい競馬場で落ち合った。
あいにく、ばんえい競馬は火曜日はお休みで、とかち村を散策してから、帯広名物の豚丼を食べに「ぱんちょう」に向かったが、ここも休業であった。
帯広駅構内の「豚はげ」に行って豚丼を食べながら、いろいろな話を聞いたら、今回は東日本大震災の赤十字のボランティア活動でアメリカの各州立大学の学生数十人のボランティアを引き連れて来たのだという。
6週間にわたって気仙沼の病院に寝泊まりしながら、ボランティア活動をしてきたのだという。自身が乳癌などを患っていて、しかも85歳という高齢なのに、アメリカから学生を連れてきてボランティア活動をするとは驚き以外のなにものでもない。すごいバイタリティと体力である。
気仙沼では、晴れると虫が沢山湧く様に出てきて難儀したり、魚が腐った様な異臭が酷くてマスク無しでは作業が出来ないが、マスクをすると息が苦しくて困ったとか、シャワーは1日1回5分だけしか使用できないとか、食事はおにぎりばかりが続いたので、さすがにもうおにぎりは当分見たくないとか、自分よりも若い老人の世話をした話などを聞いた。
85歳の老婦人が、アメリカから来て、6週間もそんな状況の場所でボランティアに従事するとは、ものすごいことだ。私には到底できない。
私が始めてボルダー市を訪れたのは16年前の1995年2月のことであるが、直前の1月に起きた阪神淡路大震災の時にも秋間さんはボランティアで神戸を訪れているのだ。16年前とは秋間さん自身の年齢も体力も衰えたはずなのに・・・。
4日は列車で大宮の実家に戻るという。
11月初旬に卒業70周年の同窓会があるのでとても楽しみだという。それに参加してからアメリカに帰国するという。
いつまでもお達者で活躍して欲しい。
■2011-10-05-Wednesday 同期会
9月24日に
昭和51年卒業、柏葉高校26期の35周年の同期会を開催したのだが、昨日になって2件の出来事があった。
コロラド州デンバーから来ている秋間さんを撮影した写真を、アメリカまで郵送(秋間さんはコンピュータや携帯電話を持っていない)で送るのは大変なので、駅近くのコンビニでプリントしてしまって、ここで手渡そうと考えた。
ローソンで写真をプリントして駅に戻る途中の道で、柏葉高校同窓会の会報を印刷している印刷会社の社長にバッタリ出会ったのだ。そこでその社長から「26期の同期会の記事を載せるスペースを空けてありますから、原稿と写真をお待ちしています。」と言われてハタと思い出した。そう云えばかなり以前に、掲載の依頼をしておいたのをすっかり失念していたのだ。まことに良いところで出会ったものだ。
地元の新聞の十勝毎日新聞に掲載してもらったことで、同窓会報の方は忘れてしまっていたようだ。
すぐに原稿を書いて写真のデータと共にメールで送っておいた。
思わぬところで、アナログとデジタルの効用が重なったのであった。
同期会の写真撮影を依頼した写真館から、「1通だけ写真が宛て所不明で戻って来たのですがどうしましょうか?」という電話である。
そういうことが起こらない様にと、各自、受付時に自分で自分の住所氏名を書いてもらっているのだから、まさか自分の住所を間違って書く人間など居ないという想定だったので驚いたのだ。
写真館まで取りに行ったらC組のS君のものであった。帯広市内の住所なのに・・・。
会社に戻って、名簿で調べてみたら、丁目と番地の数字が逆になっていた。このS君の家の所在地の丁目は、帯広市内の丁目の5倍の広さがあるところだし、S君の名字はとても多い名前なので、さすがの郵便局でも判らなかったのだろうなぁ〜。
住所を正しく書き直して、切手を貼り直して出しておいたが、受付の時点で既に酔ぱらってでもいたのだろうか?自分の住所くらい間違えずに書けよな!こんなことで幹事に面倒を掛けるなよなぁ〜。
それともう一点、写真のことで追加があった。
写真には88名の参加者の内、遅刻しなかった84名が写っている。
ところが住所を書いた封筒は81枚しかないと言うのだ。我が夫婦の様に同期生同士で結婚した夫婦も数組あるが、今回の参加者で夫婦で出席したのは我が家も含めて2夫婦だけ、そのもうひと組の夫婦は写真は1枚で結構と言われたので誰かが封筒に名前を書いていないことになる。
封筒を渡して回収した人を受付の名簿でチェックしているのだが、残念ながら、私には全員の顔と名前は一致しないから、誰が書いていないのかは私には判定できないのだ。
仕方がないから、私が余分に預かって来た。
誰か、写真が届かないという人が居たら、坂本が預かっていると言って下さい。
同期会の幹事は終わった後の始末も大変なのであった。
■2011-10-06-Thursday 若者の
アメリカNYのウォール街で
若者たちがデモをしているというニュースを見た。
大学を卒業したが職が無いという若者や、日本でいうリストラでクビにされた人達のデモだという。
これまでは、アメリカンドリームなどと、アメリカの若者の未来には明るい可能性があると喧伝してきたが、ようやく若者達がそのマヤカシに気が付いたということか!
解説では、アメリカの富は1%の人達が40%を握っているそうな。ということは残りの60%を99%の人達が分け合っているということになる。
これは明らかに富の偏在で、かなり歪な構造ということだ。
アメリカン・ドリームの恩恵に浴せるものは、超一流のスポーツ選手やハリウッドスターや歌手、一部の創業者達に限られている。それに大富豪を含めた数字が1%ということなのだろう。それにプラスして、他人のお金(しかもバーチャルな)をコンピュータの画面で右から左に動かすだけで、一瞬で数億円ものお金を動かすトレーダーのような仕事で稼いでいる人間か。何の生産性も無い仕事をしている人間が、人間に取って必要不可欠な食べ物を生産している人間よりも、数段裕福な生活をしていることに矛盾を感じないのだろうか?とずっと思っていた。
しかも、リーマンブラザーズのように、さんざん稼いで裕福な暮らしをしていたくせに、いざ破たんしたら国のお金が導入される。これでは99%の人間が黙っていられるはずが無いと思っていた。
ここにきて、ようやく我が身にしみてきたということなのだろう。
人間、皆に等しく才能があるわけもないから、そこから外れた人間は残りの99%の貧困層になるという仕組みがアメリカンドリームのトリックだ。
日本でも、アメリカに習って、一部の大企業の重役連中が数億円もの報酬を得ているが、これは悪い見習い方だ。
このブログで毎回書いていることだが、あの世にはお金は持っては行けないのだ。
企業に収益をもたらす為に、リストラと称して社員のクビを多く切った人間が多額の報酬を得るなんて、悪い冗談みたいな話だろう。
誰がどう考えたって、人間の職を奪って、世の中が明るくなるわけがない。皆、自分だけは・・・、という考えに陥っているようだ。
いわゆる「合成の誤謬(ごびゅう)」というやつなのだろう。企業ひとつひとつは経費を節減する為に人員を減らすという選択は正しくても、多くの企業がそれをやってしまうと社会全体がオカシクなってしまうという典型なのかもしれない。
しかしだ、職を失った人間も購買者の一人なのだ。1%の人間が金を貯め込んで、世間にお金が回らなければ、景気は良くならない。なにも好景気にしろなんて言っているわけではないだろう。お金が循環すれば、貧しくとも生活は出来るものなのだ。お金が停滞するから、世の中が回らないのだ。職は人間としての尊厳を保つ為にも必要なものだ。巨額の報酬を得るよりも、その分多くの人間に職を提供する方が世の為になる。
今年は同じ様なデモがイギリスでも起こった。
恐らく、このまま行けば世界中で起こるだろう。
アメリカ型資本主義の行き詰まりだ。
日本でも福島第一原発事故の補償問題などで、東電の責任を国民が税金と云う形で負担することになるだろう。日本の若者も少しは怒れよ!
■2011-10-07-Friday スプーン曲げ
5日のかちまいアカデミーの
マジック教室で、この10〜12月(毎月第一・第三水曜日)の計6回の講座から「超能力マジック、スプーン(フォーク)曲げマジック」というのを教え始めた。
スプーン曲げにはこれまで何回かのブームが起きているが、何と言っても1974(昭和49)年にユリ・ゲラーが来日して出演した日本テレビの木曜スペシャルに強烈な印象がある。
この時私は高校1年生であった。小学6年生の時からマジックをやっていたから、ユリ・ゲラーのスプーン曲げはちゃちなマジックだと思っていた。
ユリ・ゲラーのずるいところは、こんな単純なトリックを超能力だといったことにある。
第一、例え、超能力(念力)であったとしても、あれだけの時間を掛けてたかがスプーンを曲げたところで、一体何の役に立つ能力だというのだろうか?
あんなものは何の役にも立たない能力でしかない。
テレビの演出とは、実にいい加減なもので、あれですっかり超能力ブームが起きて、マジックは一段下に見られた時期もあった。
超能力ブームが起きて、S少年やK少年などはテレビや雑誌にも登場したが、トリックがバレて酷い目にあったりもした。
しょせんトリックだし、先述した様に、スプーンを曲げられたとしても何の役にも立たない能力だからあっという間に忘れされたのだった。
第二次のブームはMr.マリック(松尾昭)の登場である。私は大学生時代に彼がマジックショップ(テンヨー)のディーラーをしていた渋谷東急東横店やマジシャン仲間と始めた五反田のマジックショップ「マリック」(彼の芸名はこのマジックとトリックを合成したショップの名前からきている)のお得意さんでもあったのだ。
大学を卒業して数年後に、Mr.マリックが帯広の飲食店にゲストとして来た時にその店の主人が、私がマジックをやっていたことを知っていて券を売りに来た。この時は去年若くして亡くなった藪下(マーカ・テンドー)君が一緒であったが、まだブレークする前であった。
松尾さんも私のことを覚えていてくれた。その翌年も彼は同じ店で超能力マジックを演じて、そしてその翌年にブレークしたのであった。
ユリ・ゲラーのテクニックとマリックのテクニックは雲泥の差があるから、マリックのスプーン曲げは完璧であった。
この時に、マリックは「神か?、悪魔か?、超能力者か?、驚異の超魔術!」とかなんとか言って、これまたマジックなのか超能力なのかを曖昧にして演技したものだから、超能力だと信じる人が多く出たし、暴露本も数冊出たりしたのであった。
第三次ブームは現在で、DAIGOという若い学生風のマジシャンがフォーク曲げをやって受けている。彼はマジックだと明言しているが、テレビ局側は一緒にテレビに映る芸人に「彼は超能力者だと」言わせたりしているのでこれまた混乱をしている人がいるようだ。
スプーン(フォーク)曲げの原理は、人間の思い込みを利用している。
スプーンは金属だ。金属=固い。手では曲げられない。という思い込みである。
スプーン曲げは、マジシャンに言わせれば、超能力マジックというよりも、云わば科学マジックと云う方が正しいかもしれない。
要は、科学の原理を知った上でやれば簡単に出来るマジックなのである。
単純なトリックに超能力という味付けをすることで、驚きが生まれるのだ。演出と云う面ではマジックの本質を現わしているといえるかもしれない。
今回は、これからのクリスマス、忘年会、新年会などで簡単に演じられて、驚かせられるマジックを習いたいという要望にお応えして教えることにした。
■2011-10-08-Saturday 雨のゴルフ
7日は地元の金融機関
帯広信用金庫のゴルフコンペが10時からある予定である。
早朝5時に、ものすごい雨が屋根を叩く音で目が覚めた。ついでにトイレに起きてカーテンを開けたら、まだ外は薄暗いが、雷が光って一瞬明るくなって、外の景色が見えたら、バケツをひっくり返したような豪雨である。あぁこりゃ〜信金のコンペはお年寄りが多いから、たぶんこの雨なら、雷も鳴っているし順延になるだろうなぁと考えたのである。
コンピュータとテレビのコンセントを抜いてから、また床に入った。
一応、7時に起きてゴルフの準備だけはしておいたが、中止の連絡は入ってこない。雨は止みそうには感じなかったが、天気予報では午後から曇りになっている。
私は、雨が降ってる日や風が強い日や暑過ぎる日、寒過ぎる日もプレーはしたくない方なのだが・・・。
今日は最終戦だから順延できないのかもしれないと思って、しぶしぶゴルフ場に向かったら、ゴルフ場では皆がやる気満々で待機しているではないか。最近のお年寄りは元気だなぁ〜。
今日の組み合わせは、1週間前のジュエルコンペで一緒に回った4人と全く同じ組み合わせである。前回は年上チームと若手チームに分かれて戦い、握りで引き分けた因縁があるので、その決着をつけようというのである。
しかも勝ったチームの方が今日の晩飯をオゴルという趣向だ。
天候は結局プレー中は雨が降り続いた。地面も早朝の豪雨でグチャグチャであるから、ボールが全くランをしなくて、ほとんどその場にめり込んでしまう感じである。こんな時には飛距離を稼げる方が圧倒的に有利になる。
この4人の中では一番若い私が、飛距離では他の3人を50ヤードは置いていく。
「お先に!」の20〜30㎝くらいのパットで、パターやボールに着いた砂でボールがあらぬ方向に行って3回も同じミスをやってしまったが、それでも私が活躍して、若手チームが圧勝したのであった。
夜はしゃぶしゃぶを食べたいと、わがままな年上チームが言うので、6時に指定された店に行ったら、予約を入れていなくて、満席で入れなかった。金曜日の夜に、予約無しでは難しいというのである。
近くの店に替えて食事をした。ワインが飲みたいと、わがままなAさんが言う。フルボトルを2本空けたりして、勝ち分はパーになってしまった。
食後は年上チームのMさんの店に行って、ホステスさんにマジックを披露させられたりして、疲れた一日が終わった。
■2011-10-09-Sunday 猿の惑星
9日昼に映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」を
妻と2人で「夫婦50歳割引」で2000円で観て来た。
この映画の元ネタは1968年に、猿が支配する星に辿りついた宇宙飛行士役でチャールトン・ヘストン主演で作られた映画である。
当時の映画は特殊メーキャップの手法が使われ出した頃で、この時も何時間も掛けてメーキャップする模様が、映画雑誌スクリーンなどに載っていて、こんなに面倒なことをしながら映画を作るのかと感心したものだった。
大ヒットした映画だから、例によってその後続編を4編ほども作ったが、第2作目の「続猿の惑星」があまりにもつまらなかったので、それ以後の続編を私は観ていない。
私は、映画大好き人間であった父に連れられてリアルタイムで小学生の時に「猿の惑星」を映画館で観たが、その当時の感想は「そんなバカな!」と思った程度であった。しかし、長じてその後何度もテレビで放映される度に観ては考えさせられている映画でもあるのだ。
今回の映画は、地球が何故に「猿の惑星」になったかの謎を示す映画でもある。
私の興味は、「ロード・オブ・ザ・リングス」のゴラム役をエモーション・キャプチャーという手法で演じたアンディ・サーキスと云う役者が、チンパンジーのシーザー役を演じるというので、果たしてどんなチンパンジーになるのかというところである。
映画は猿がビルの壁を昇る場面など、やたらとCGを使っているので、何となくウソっぽい画面が多かったが、シーザーの表情だけは逆に気持ち悪いくらいにリアルで、その落差が全体的にとても気になった。
アルツハイマー治療薬を実験投与されたチンパンジーの息子(シーザー)が突然変異で、知能が飛躍的に優れるようになっていき、やがて・・・という内容であるが、人間が踏み込んではいけない領域というものをわきまえていないと大変なことになるぞという警告を含んでいる。
人間の「おごり」と云うものを考えさせられる映画である。
■2011-10-10-Monday じゃがいも最終戦
10日体育の日は
帯広青年会議所のOBと現役の親睦を兼ねたゴルフコンペ「じゃがいも」の最終戦が、十勝カントリークラブで開催された。
じゃがいもは年6回のコンペの成績でポイントが加算され、その総合点で年間優勝者を決める習わしである。
私は、今日のゴルフが今年の予定が入っている最後のゴルフで、今年26回目のゴルフ。
今年のプレー回数は少ないが、自分ではゴルフが上手くなっているような気がする(あくまでも自分の感想であるが)のだ。道具の進歩で飛距離は若い時よりも飛んでいるくらいだし、なにより空振りして一回転するような滅茶振りをしなくなったので、OBの数が格段に減っているからだ。パットもバーディーパットはめったに入らないがパーパットは結構長いのも入るようになっている。
今日も、前半のINコースは3ボギー6パーの39回で回っている。それも11番で短い30㎝ほどのパーパットをひっかけて外したのを含めてである。
最終戦はポイントが倍になるから、こりゃ〜後半も頑張れば、いい線いけるかなぁなんて考えて後半のOUTコースに向かった。
天気予報では夕方まで曇りで午後6時頃から雨というものだった。
ところが、後半の3ホール目を上がったところから急に空が真っ暗になって、激しい雨と風が吹いてきた。時刻はまだ3時半くらいなのであるが、暗くて私には飛んで行くボールが見えないし、旗の位置も見えないのだ。どうも私は鳥目なのかもしれない。
ラガーシャツを着てプレーしていたが、雨を吸ってしまって背中はビチャビチャである。傘を差しても風が強くてあまり雨避けにはなっていない。
私は今年、誤球防止の為にオレンジ色のボールを使用しているのだが、この時期は白樺の枯葉の色に混ざってしまって、かえって見つけにくい。おまけに枯葉は結構貯まっている上にこの風で更に貯まってしまったのでラフに入ったボール探しに時間が掛かる。こうなると、もう集中力が切れてくるのが今年の私のゴルフの特徴だ。何故だか、妙にイライラしてしまうのだ。
雨に濡れたくないから素振りもしないで、いい加減に打つものだから、ピンに寄る訳もないし、長い距離が残るからパットもいい加減になる。こうなるとスコアはドンドンドンドンと崩れていくのだ。
OUTの6番で右の林の中に入ったボールは木の真下にあった。このボールを無理して打ったら、木に当たってはねて逆に隣の1番コースに飛んで行ってしまい。トリプルボギーを叩いたところで、今日の私のゴルフは終わった。冷静だったなら真横に出していたものを・・・。
結局これが祟って後半は46打であった。
ゴルフに「れば」「たら」は禁物だが、集中力が切れずにいれば10位以内には入れたものを・・・。
今年、この状態でゴルフを終了するのはとても気分が悪いなぁ〜。誰か、天気の良い日に誘ってちょうだい!
■2011-10-11-Tuesday 京の老舗まつり
帯広の地元百貨店藤丸デパートの
催事で「京の老舗まつり」というのをやっている。今日が最終日なので妻と昼食がてらに見に行ってきた。
私は漬け物が大好物だが、特に京都の「すぐき」というかぶらを漬けたものが大好物なのである。数ある「すぐき漬け」の中でも絶品は上賀茂神社近くの「なり田」と云う店の「すぐき」である。高校の修学旅行で買って以来の大ファンで、いつも京都に行ったらこのなり田のすぐき漬けを上賀茂神社までタクシーを飛ばして買いに行ったものだ。京都駅が新しくなって「なり田」が出店してからは、わざわざ上賀茂神社まで行かなくてもすむようになったが・・・。
すぐきが食べたくなって、この京の老舗まつりを覗いてみたが、「きざみすぐき」しか売っていなかった。「すぐき」はかぶらの形のままのを買って来て、1.5㎝程度の厚みに切って食べる方が美味しいのだ。私はきざみすぐきはあまり好きではない。
他に何かないかと思って探したら、「みたらし団子」があった。これも修学旅行で食べたことがあるから買って食べてみたら、こんな味だったかなぁ〜というほどタレが甘かったので少々期待外れであった。
お茶漬けに最適な昆布を2種類買ったが、そこの店のオヤジさんが、是非これを試食しなさいと「山椒」の実を3粒ほど手に乗せてくれた。コリコリとかじったら、ほのかに良い香りが口の中に広がってきたが、10秒後に舌がピリピリとしてきてモーレツな辛さが襲ってきた。頬と頭のてっぺんから汗がにじみ出てきた。鞍馬山の山椒だというが「山椒は小粒でもピリリと辛い」というのを正に実感した。「冷奴に2〜3粒をスプーンの背で潰して食べたら止められなくなる」とのことだが、ちょっと私には辛過ぎてダメであった。
懐かしいと云えば「生八ツ橋」も修学旅行のお土産に買っていらいの好物である。ここでは「ニッキ」以外に「ゴマ」と「栗」と「抹茶」味の4種類があったので、全部買って来たら、妻が「甘いものばかり買って、また太るよ」と言う。
そう云えば、昔は甘いものが苦手だったはずなのに、いつの間にやら・・・。
お弁当で「とり松」という会社の「ばらすし」というのがとても美味しそうに見えた。鶏肉のそぼろ、金糸卵、かんぴょう、シイタケ、グリーンピース、紅ショウガを酢飯でチラシ寿司の様にしたものである。これを買って食べたら・・・。
会社の名前から、勝手に鶏肉のそぼろと思い込んでしまったのだが、鶏肉に見えたのは、なんと苦手な「鯖(さば)」のそぼろであった。
折角買ったからもったいないのでお茶を飲みながら何とか全部食べた。
こういうデパートの催事は、現地に行けない人には嬉しい催事だろうが、やはり名物は現地の雰囲気の中で食べるから美味しく感じるのだと改めて思った。それに最近はネット販売などもされているから、わざわ買いに行かなくても手元に届く時代になった。
果たして、これが良い商売なのであろうか?
一見すると、全国に販路が広がるから売り上げが大きく伸びるのだろうが・・・、しかし、私はその場所に行かなければ買えないものに魅力を感じるがなぁ〜。
■2011-10-12-Wednesday 年金
11日のニュースを見ていたら
厚生労働省の社会保障審議会年金部門が厚生年金の支給開始年齢の引き上げを検討していて3通りのプランを提示したという。
既に厚生年金の支給は男性は2025年度まで、女性は2030年度 までにそれぞれ60〜65歳まで引き上げ、基礎年金と合わせることが決まっていたが、それだけでは、この急速な少子高齢化社会に対応できないということなのだろう。
私は昭和33年生まれだから、前のプランでは63歳から年金支給が始まる予定であった。弟は昭和37年生まれだから65歳からの支給になるのでサラリーマンで子供もまだ幼い弟は制度とはいえ厳しいなぁ〜なんて話していたのに・・・。
こう、コロコロと制度を変えようとするのは、要は先を見通す目を持っていないということに他ならないのではないのか?その都度に振り回される国民は堪ったものではない。楽な方になるのなら歓迎するが、逆なら余計にシンドク感じるだけだろうに。
私は、年金には全く興味がなかった。父は64歳、祖父は67歳、母方の祖父は63歳、祖母は67歳と皆若死にしている家系だから、私も自分の寿命はせいぜいが65歳ぐらいだろうとしか思っていないし、長生きしたいとも思っていないからだ。
今度の3通りのプランには私の年で68歳からの支給になるというものもあるから、65歳でくたばる予定の身の上としては1銭もアタラナイかもしれないではないか。
しかし、自分の両親が早死にしたから自分も70歳ぐらいまでしか生きられないと日頃から言っていた母は今年80歳になったのだから、人の寿命というものは判らないものだが・・・。
貰える(自分で積み立てたと思うと「貰える」などと考えるはバカらしいが)のがせいぜい2〜3年なら、これまでに掛けた金額をとても回収できるとは、端から考えていないので関心など湧かなかったのだが、それがゼロとなると国家に詐欺にあったような嫌〜な気分になる。
長生きしたい人間に、私が払った分をクレテやるみたいな感覚になるのだ。
だが、日本の年金制度は既に破綻している。いくら小手先でいじったところで、現行の方式なら2〜3年でダメになるだろう。
抜本的に変えなければならないのだろうが、年寄りが多くて、議員年金も貰える議員は、まともに考えてはいないのだろう。
こういうことを書くと批判が来るだろうことは承知の上で書くが、年間3万人もの自殺者を生み出している日本なのだから、死にたい人間には自殺ではなくて、尊厳死で安らかに死なせてあげる制度でも作ったらどうだろうか。逆に将来を悲観した若者ばかりが尊厳死して、かえって少子高齢化を進める結果になる危険性もあるかもしれないが・・・。
自分の老後は自分でみるのか、国家の世話になるのかという選択をさせた瞬間に、ある程度の金を持っている人間は誰も払わなくなってしまって、国家の世話になりたいと願う人の分も用意できない結果になるだろうしなぁ〜。
戦後60年の歪みが一挙に押し寄せているような感じがする。アメリカ型グローバル社会というか、アメリカ型資本主義というかは、完全に行き詰った感がする。ユーロでもスロバキアの議会が金融安定基金の強化案を否決したというニュースが入った。アメリカもユーロもこの先何処へ向かっていくのか?
戦争という解決手段はもはや取れないだろうし、一体、世界はこの行き詰まりをどうやって解決しようというのであろう。
■2011-10-13-Thursday 大根葉
12日に大根葉を漬けた。
私は漬け物が大好きだが、一番大好きな漬け物は何と言っても「大根葉の漬け物」なのである。
我が家は昔、住み込みの従業員さん達が大勢いた頃は、沢庵漬け、南瓜漬け、等を大量に漬けていた。それこそ小型トラック一杯分くらいは漬けていたのではないだろうか?
毎年秋になると、漬け物用に大根を葉っぱが付いた状態で、農家から大量に買うのである。我が家では葉っぱがモッタイナイから、別の樽に大根葉だけを塩漬けにしておくのだ。その葉っぱを水出しして、お味噌汁の具にしたり、炒めたりして食べるのであるが、私は、大根葉を細かく刻んで味の素と醤油を掛けて食べるのが子供の時から大好物であった。この大根葉の漬け物があったら、それだけでご飯が何杯も食べられるほどなのだ。
ところが、この「大根葉の漬け物」というのは店頭では販売しているのをこれまでに見たことが無い。
大根本体の漬け物は種類も数多くあれども、葉っぱの方は邪魔者として捨ててしまうのである。
だから食べたければ自分で漬けるしか方法が無いのである。
去年までは青年会議所の後輩で農場をやっているH君に「大根本体はいらないけれど、葉っぱだけ欲しい」と頼んでいた。
今年も月曜日に「じゃがいも」の懇親会で会った時に頼んだら、「葉っぱだけというのは難しい」と言うので、20本だけ大根付きで分けてもらうことにした。
12日の午前中に電話が入って「今から持って行く」と9時頃に届けてくれたので、午前中だけ会社に行って、2時に帰宅して一人で漬け始めた。
漬けている途中に我が家の庭にエゾリスが出てきた。去年も出てきたが、ここまで出張してくるとはよっぽど食べ物が少ないのだろう。
途中で母が戻って来て、大根本体を南瓜漬けにすると言って合流し、一緒に漬けたが、3時半まで掛かった。この間、天気が良くて温かかったが、終わった直後から空が真っ黒になって突風が吹き、雨も降り始めたので、まことに良い時間帯に漬けたものである。
これで今年も大好物の大根葉の漬け物が食べられる。漬かるのが今からとても楽しみである。
■2011-10-14-Friday 北の屋台10周年
12日の十勝毎日新聞3面の
「祝賀会」と云う欄に「北の屋台誕生10周年記念懇親会」が10日午後6時に帯広市内のガーデンズホテルで開催され、店主や関係者など約60人が集まったという記事が出ていたのを見て、実に悲しく、そして嫌〜な気分になってしまった。
屋台の店主さんからは「このような会を催すなら、北の屋台誕生の最大の功労者(?)である坂本さんを招待しないのですか?」という声が上がっていたという話を漏れ伝え聞いていたからだ。
しかし、北の起業広場協同組合からは、私にはスケジュールの打診すら無かったところをみると、北の屋台の理事者は、坂本和昭という存在そのものを北の屋台の歴史から消し去りたいのであろう。
記事の中では『屋台を運営する北の起業広場協同組合の林隆義理事長が「屋台は多くの人たちの応援があってできた。これを今の店主にも知っておいてほしい」とあいさつ。(勝毎記事から抜粋)』とあるが、どの面下げてこの文言が吐けるというのであろうか?今の北の屋台は店主の努力があって成り立っているのに、現在の組合は組合らしいことは何一つもやっていないくせに、さも組合あっての北の屋台の様な、上から目線でのモノ言いに感じる。
K専務理事は汚い謀略で私を追い出し、北の屋台のまちづくりの尊い精神を、自分の金儲けに変質させてしまった。こんな奴が「地域産業おこしに燃える人」なんだって?
よく恥ずかしくもなく帯広の街を歩けるものだと思う。恥を知るということがない輩なのだろう。
この恥を知らない輩が「北の屋台を発案し造ったのは自分だ」とあちらこちらで吹聴してまわっているそうだから、本物に登場されては困るのだろう。
それとも、この晴れがましい席に私を呼んだら、久保の悪事の数々を知っている私の前ではエラそうなことは言えないなと考えたのだろうか?
それにしても、その他の理事者たちも「坂本を招待しよう」とは言わなかったのか?
何とも情けなく、度量の狭い奴等ばかりだこと。
さもなくばあのウソツキ男なら「坂もッちゃんには連絡したんだけど、都合がつかないって断わられたんだよねぇ〜」とか何とか言っているのかもしれないが・・・。
まぁ、この10周年を機に、北の屋台の利益を自分の懐に収めないで、少しはまちづくり事業に使う方向に変えてもらいたいものである。
それが、北の屋台の誕生を応援してくれた全ての人の恩に報いることになるのだと思うよ。
■2011-10-15-Saturday 高速道路
北海道の道央と十勝を結ぶ
高速道路の道東道の、これまで繋がっていなかった夕張ー占冠区間がこの10月29日に開通して、ようやく十勝と道央が高速道路で繋がることになる。
これを受けて、このところ盛んにシンポジュームや大会などが開催されているが、十勝の側の受け止め方に疑問がある。
その論調は概ね「道東道の開通で札幌方面と繋がることで巨大なマーケットとの距離が近くなり観光などの産業が活性化され恩恵を受けることに期待している。」というものである。
言っている人には、その社会的な立場というものがあるから、せっかく繋がった高速道路に否定的な発言は出来ないのであろうが・・・。
でも、本当にそう思っているのだろうか?
九州に於ける福岡市、東北に於ける仙台市など、交通が便利になったことで一極集中に拍車が掛かった例は数多く見たことがあるが、その逆に人口の少ない地域が、多い地域よりも状況が良くなったという例はまだ寡聞にして聞いたことがない。
近年、物販店は、かつては勢いがあった郊外型ショッピングセンターやカテゴリーキラーの集合体のスーパーセンターもテレビショッピングやインターネットなどの無店舗販売に押され気味である。
中心部の商店街はどこもシャッター通りと化し、デパートも苦戦している。そこに品揃えで圧倒的な優位に立つ、札幌の店舗群に立ち向かえるのだろうか?
列車なら札幌ー帯広の往復で一人13000円程も掛かるが、自動車に5人で相乗りして行けば高速料金、ガソリン代を入れてもかなりな割安になる。ネックだった時間距離も大幅に短くなるとするなら、自動車を運転できる者の多くのショッピングは札幌に流れてしまうだろうことは明白だ。
希望が持てる業種として観光業をあげているが、道央の人間が、道東方面に魅力を感じて遊びに来るだろうか?
最近、ガーデン街道やシーニックバイウェイなどの新しい試みをやって頑張ってはいるが、まだまだ浸透はしていないようだ。
かなり前からの準備と宣伝をしていなければならないのだろうが、どうもその効果のほどはあまりよく見えていないように感じる。
思い付きではなくて、戦略と戦術をしっかりとした事業をやらねばならないだろう。各種の企業が足並みを揃えるにはかなり強力なリーダーシップが必要だろう。
高速道路が繋がったから人が大勢来るなんてことはありえないし、もし、あったとしても、準備もできていない店舗に誰が入ってみようと思うのだろうか?
ノー天気に、エライ人達の立場が言わせている話を、そのまま鵜呑みにして幻想を抱いてはいけない。
十勝の人たちは、言霊(ことだま)に支配されている。
最悪のケースも想定して対処する必要がある。このままでは十勝が良くなる可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いと私は考えている。
あらゆる方向から検討しなければ手遅れになってしまう。
■2011-10-16-Sunday 腰が〜
大根葉の漬け物を
自分で漬けたので腰が痛くなった。
元々腰が悪いのだが、中腰の姿勢は特に辛いのだ。
大きな樽に水を入れて大根を洗ったり、その汚れた水を捨てたり、葉っぱと大根を切り分けたり、漬けたり、重しを持ったり等など、漬け物を漬ける姿勢は最悪の体勢であろう。
翌日の朝から背中から腰に掛けての筋肉がバンバンに張ってしまった。椅子に座っていても痛くなってくるので、馴染みのマッサージ師さんのところに施術してもらいに行った。
2時間タップリと揉んでもらってようやく痛みが薄らいだが、腰に鉄板を入れているみたいだと表現されるほどガチガチだった。
最近はゴルフをしている分には痛くはならないのだが、かがんだりする姿勢を10分もすると、腰を伸ばすのに一苦労するほど痛くなる。曲げたままの姿勢がキツイのだ。
最近は太ってきたから、余計に腰に負担が掛かっているのだろう。今年のゴルフの予定は一応終了したが、今年は冬の間に少し運動をすることにしないと、いよいよ腰が悪くなってゴルフすら出来なくなりそうである。
真剣に痩せる努力をしなければ・・・。
■2011-10-17-Monday 函館
5年振りに函館に行って来た。
15(土)・16(日)日と北海道青年会議所道南エリアのアカデミー研修会の講師として函館に行って来た。
私が青年会議所(JC)の現役だった頃は「ブロック会議」と呼んでいたのだが、最近はエリア会議と名称が変わったようである。
今年度の道南地域(後志・胆振・日高・渡島・桧山)の15地区(函館・小樽・苫小牧など)で構成されているJCの集まりで、今年度の締めくくりの大会が函館市湯の川温泉で開催され、新入会員(アカデミー)の塾の最後の講師として私が呼ばれたのである。
函館JCの方から、北海道地区に出向している帯広JCの現役会員を通じて要請があったのである。
しかも、妻同伴で来て欲しいとのこと、妻に尋ねたら「是非とも行く」と言う。次女が函館白百合高校に行っていたので、妻も何度も函館に行っているが、次女が高校を卒業した後5年間は函館を訪れたことはないので久し振りに行きたい、ついこの前に「中空土偶」の常設展示が始まったというニュースを見たので是非それも見たいと云うのだ。
函館JCの担当者のT女史は「グリーン車」を手配しますと言ってくれる。妻同伴でグリーン車で往復なんて、すごい待遇である。
「15日の14時から90分間の講演を」という依頼なので、帯広からJRで行くには早朝6:48発の列車で行かなければ間に合わないのだが、妻は何だかとても嬉しそうである。
南千歳駅で乗り継ぎの時間が3分と短い。このところ雨や風で占冠辺りで列車が止まることが多いのでやや気掛かりではあるのだが、順調に行けば乗り継ぎ時間は短い方が楽である。今回は天気予報では北海道は暴風雨だというので心配したが列車が順調で助かった。
私は結構強烈な「晴れ男」なのである。旅行で傘を差したことはないほどなのだ。
南千歳で乗り換えてすぐに長万部名物、駅弁の「かにめし」を予約した。函館に行く時にはこれが楽しみのひとつなのである。
函館に着いたら、昼食に塩ラーメンを食べようと思ったので二人で一つを分け合って食べた。
函館駅で、函館JCのT女史と室蘭JCのk君が出迎えてくれた。二人から「昼食はお寿司でも」と言われたのだが、駅弁を半分食べていたので塩ラーメンを希望した。5年前に駅の近くの大門地区の中華料理屋で食べた塩ラーメンが食べたいと希望した。店の名前は失念していたが、だいたいの場所は覚えている。車でグルグル回ってようやく探し当てたが、店の名前は「汪(ワン)」という古い店であった。ここのスープはあっさりしていて私達二人には、絶品であるが若い二人には少々物足りなかったかも・・・。
食べ終わってから会場の湯の川温泉「花びし」に入る。宿泊も同じホテルだ。部屋に着いて一服したら、妻は早速一人で観光に出掛けた。私は一人部屋で講演の構想を練っていたのに・・・。
講演は、まぁいつも通りの感じであった。
16:40に講演を終了し部屋に戻ったら妻もちょうど戻ったところであった。
18:00から懇親会が同じホテルで開催される。ここで手品を披露することになっているのだ。道具を持っていくのは大変だから荷物にならない「ロープマジック」をやることにした。
宴会は200名ほどの道南エリアのJCメンバーが参加している。皆40歳前だから元気だ。同席した道南エリアのS副会長がしきりに妻に「お見苦しいモノをお見せするかも・・・」とさかんに予防線を張っている。
宴会が始まったら、函館駅に出迎えてくれた室蘭JCのK君がふんどし姿で登場したので妻も驚いたようだ。妻は「アッあの人は出迎えてくれたKさんじゃないの?服を着ていた時には・・・」と楽しそうに笑う。女も50歳を越えて久しくなると、こんな程度のことで恥ずかしがるはずもない。私以上に宴会芸を楽しんでいた。
まぁ、どこのJCにもやたら服を脱ぎたがる人間がいるものだ。(つづく)
■2011-10-18-Tuesday 凾館2
函館湯の川温泉「花びし」での宴会は続いた。
私の出番も延びに延びて宴会の最終盤での出番であった。ロープを帯広で購入して行ったのだが、函館で伸ばしてみたら何と3mなければならないのに2.3mほどしかない。何とか上手くごまかしたが冷や汗ものだった。
宴会が終了した後は卒業式である。送辞、答辞とやるのだが、そういえば13年前に自分もやったなぁと懐かしく思い出した。
40歳前の連中は若い。
私もこれくらいの年の時にはいくらでも飲んでいられたが、自分では若いつもりでも50歳を過ぎると途端に酒と夜更かしに弱くなる。
宴会は21時頃に終了した。
函館JCのメンバーが車で駅前の屋台村「大門横丁ひかりの屋台」まで送ってくれるという。
この屋台村は帯広の北の屋台をモデルして作られた屋台村で、発足当時には私も何度も講演に訪れている。
この日は土曜日の21時過ぎだったが、比較的空いていた。どの店に入ろうかさんざん迷ってグルグルと歩き回ったが、5年前にはなかった新しい店「炉ばた大謀」に入ることにした。南茅部の網元がやっている直営店である。イカ刺し、ツブ焼き、生ウニ、焼昆布、イカの一夜干し焼きなど食べた。妻が帰りは電車に乗って帰りたいというので最終電車の時間を聞いたら22時40分頃だというので15分頃に出て駅前停留所から電車で湯の川温泉まで30分掛かって到着、料金は一人240円であった。電車がある街はウラヤマシイ。レトロで風情があるし、これからの高齢者が増える街には電車は最適なツールだと思うからだ。
飲み足りないから、ホテルに着いたらお酒を売店で買おうと思ったら、既に売店は終了していた。コンビニまではホテルから徒歩で7〜8分だというので面倒くさいから、温泉に入ってビールを飲んで寝た。
ホテル内の自販機の酒の種類にビール以外のモノがあったら嬉しかったのだが・・・。
目覚ましを7時半にかけて寝たが熟睡できた。朝風呂に入って部屋に戻り朝食の時間を朝食券で調べたら7:00〜9:00までで終了30分前に入場するように書いてある。あわてて妻を急かして朝食会場に向かったが、宿泊した部屋と朝食会場までは行き方が迷路のようで難しかった。
泊った部屋は末広亭の2階、朝食会場は臥牛亭の4階、この2棟の真ん中2階は宴会場になっているので、一旦一階に降りて臥牛亭に行ってから別なエレベータで行くか、2階ならぐる〜っと回って臥牛亭に行ってから7階の温泉行きのエレベータで4階に行って、また4階でグル〜ッと回ってから行かなければならないのだ。時間がなかったから少々あせってしまった。
朝食会場には結構な宿泊客たちが居た。こんなギリギリの時間なのに・・・。観光客も3.11以来減っていると聞いていたが、ここにきて大分回復しているのだろう。
食べながら、今日のスケジュールを妻と話し合った。
朝食を食べている時には降っていた雨も、食べ終わった頃には上がって太陽が出てきた。さすが私は強力な「晴れ男」である。天気予報ははずれた。むしろ暑いくらいになってきた。
「中空土偶」が見たいというので食後にフロントで尋ねたらタクシーで30分ほども掛かるほど遠いのだと言う。
時間がないので諦めて、5年前にはまだ完成していなかった「五稜郭公園の箱館奉行所」を見に行くことにしたが、ここを見に行って良かった。
なかなか興味深い施設だ。江戸末期の奉行所を忠実に再現した建物である。1985年から発掘調査を始め、2006年から建設開始、2010年に完成したという。費用は16億5375万円掛かったのだそうだ。これだけの建物でこの費用でこれだけ観光客を呼べる建物なら、この費用なら妥当かなと感じた。だが、展示物の機械に要らぬ費用が掛かっていて業者の儲け仕事かなとも感じた。一番気になったのは、入口の入場券の自動発券機である。受付に3〜4人も居るのに何故に、自動発券機を設置する必要があるのだろうか?
わざわざ、観光客とのコミュニケーションを遮断することは無いと思うのだが・・・。自動発券機に慣れない老人や外人が戸惑っていた。
次に、朝市に向かうが、急に温度が上がったからなのか風が強くなってきた。
16日の日曜日まで朝市の凾館駅横の駐車場で「全国朝市サミット」なる催しが行われているというのでそこで時間を潰そうと考えた。
会場に11:30に着いたら、パトカーが数台停まっていて、会場が騒々しい。直前に突風が吹いてテントが飛ばされてけが人が出たからイベントは中止になったというのだ。ガッカリである。
仕方がないので朝市に行ってお土産でも買おうかということになった。
色々な店を冷やかしながら見て歩いていたら、とある店で勢いの良いおばちゃんに妻が捕まった。
妻がここで買おうと言う。生たらこ、ウニの塩漬け瓶詰、松前漬けなどを買った。妻が、妻の両親からキンキを買って来てと頼まれたという。
真空パックのものが1000〜1800円くらいで売っている。このおばちゃんが「もっと大きいのがあるけどまけるから、買って行きなよ!」と言うが、大きいのは真空パックがされていなかった。「帯広まで持ち帰るから真空パックして欲しい」と言ったら「真空パックしてあげるから」と言うので買うことにしたら・・・。
このおばちゃんがみどり色の薄紙でキンキを巻き始めたので「アレッ真空パックは?」と聞いたら「これからする」と言うのだ。見ていたらこれを包装紙で包んでビニール袋に入れて口をすぼめて、そのすぼめた口にこのおばちゃんが自分の口を付けてビニールの中の空気を吸い出したのだ。おばちゃんはドヤ顔で「ほら、空気が抜けたでしょ!」と言う。妻も私も目が点になったが、何も言えなくて苦笑するだけだった。
そこで、美味しい寿司屋を訪ねたら、この朝市の寿司屋は止めた方が良いと言う。車で5分ほどのところに美味しい回転寿司屋「凾太郎」があるとのことだが、タクシーで行くのも面倒なので、「凾館どんぶり横丁」の寿司屋で食べた。まぁ、こんなもんかなぁという寿司屋であったが・・・。
唯一すごかったのは他の客が注文した活イカの刺身をカウンター越しに見た時である。イカの足の部分を生きたまま皿に置いて、そこにゴロや刺身を切って乗せるのだが、この足が色がネオン管のようにクルクル変わって、しかももだえるように動くのである。見ようによっては残酷な食べ方だ。でも美味しそうであった。
この寿司屋のあんちゃんが「お客さん何処から来たの?」と聞くので帯広からと答えたら「朝市では買わない方が良いよ。キンキと称して別な魚を売ったりしているから・・・」と言う。タクシーの運転手も同じことを言っていた。地元の人間は朝市では絶対に買わないと言うのだ。「エッ、さっき隣でキンキを一枚買ったけど・・・」と騙されたかと不安な気持ちになった。
地元の人間にそんなことを言わせるのは如何なものだろうか?
確かに、観光客相手の商売は、一見さんでお得意さん(リピーター)にはならないだろうから安かろう悪かろうという商品を売りつけているという傾向があるという話は良く聞く話だ。しかし、タクシーの運転手や、その場所にある寿司屋の職人にまでそう言わせるとは、街全体の観光に対する考え方が間違っている。
まずは、行政なり観光協会なり、同業者なりが、なによりも朝市での粗悪な商品の販売を止めさせる努力をするべきだし、地元の人間が薦められないようなものを売っている場所を観光の名所にするべきではない。
この辺は既得権との厳しいやり取りがあるだろうが、凾館が観光で生きて行こうとするなら、避けては通れない道でもある。
今回の旅行で、地元の人間があまり知らずに、帯広の私が美味しいと思っている塩ラーメンの店があるということも判った。味覚は主観的なものだが、観光案内書に載らないような(載せられないような)お店を地元の人間が発掘する必要があるだろうことを感じた。
久し振りの凾館で妻は殊の外上機嫌であった。
■2011-10-19-Wednesday 観光について
このブログは観光カリスマのブログと称しているので
今回の凾館観光で感じたことをいくつかまとめてみることにする。
まずは、函館の市民、特に観光業界に携わる人々が函館の観光に関して「自信」と「誇り」を持っていなさそうだということがとても気に掛かる。
タクシーの運転手も、食堂の職人なども、何だか自虐的な発言が目立ったのだ。
ホテルの部屋に、函館の観光案内書が置いてあったのだが、その中の「箱館奉行所」の小さな紹介記事は「(地元市民は見ない)観光客用の施設に大金を掛けやがって、どうせ観光客しか見ない施設だから、観光客は見に行って入場料を収めてくれ・・・、」と云う様なニュアンスがなんとなく感じられたのだ。書き手の個人的な見解というか主観なのだろうが、観光案内書にこの記述はないだろう。
私は実際に見学してみて、この施設が16億5千万円強で出来たのなら、函館市にとっては安いものだと感じたのだ。殺風景な五稜郭公園内に文化的にも価値の高い本物の施設が出来たことで、五稜郭の歴史的価値が高まったと思うからだ。この「箱館奉行所」を低予算の安普請の張りぼてで造ったのなら、それこそ金をどぶに捨てるようなものだろうが、発掘調査から古文書などの調査を経て、当時となるべく同じ手法と材料で忠実に再現した試みは十分に評価できる。
惜しむらくは、展示物の貧弱さと、中途半端さである。ビデオの放映はとても良く出来ているのだが、新しい試みとしてコンピュータを使った展示があったが、こんなものの開発に金を使ったのはいただけないと感じた。
入口での入場券の自動発券機もいただけない。働く人が居ないというならまだ理解もできるが、その場に3〜5人程度の若い女性が居たのだ。しかも発券機の横の受付に、切符の「もぎり」用に2人の女性が座っている。なぜ、ここで切符を売らないのだろうか?
老人や外国人などが機械に慣れていなくて戸惑っていた姿を見掛けた。女性スタッフが機械の操作法を教えていたが、そんな面倒なことをするくらいなら、最初から人間が売れば良いではないか?
その時に「どちらからいらしたのですか?」とかのコミュニケーションを図れば尚の事良いではないか?
何の為に、高価な機械を入れて、人のコミュニケーションを阻害させてしまうのだろうか?
観光とはすなわち「ホスピタリティ」である。
気持ち良くなって帰ってもらうことで、また来ようと感じてもらわなければならないのだ。
それなのに、わざわざ、観光客の気分を悪くさせる様な対応の仕方をさせるとは、観光とは何なのか、根本を理解していない人間が観光業界のトップにいるのかもしれないなぁ。
タクシーの運転手に朝市に行ってくれと言ったら「朝市では買わない方が良いですよ」というようなことを言う。
朝市で「朝市に美味しい寿司屋がないか?」と聞いたら朝市の人は「朝市には美味しい寿司屋はないから、タクシーで○○○に行った方が良いですよ」と言う。時間がないから薦められたところには行けなかったが、朝市に隣接している「凾館朝市どんぶり横丁」の寿司屋に入ったら「朝市ではお土産は買っていけない」と言う。
一体、函館の観光業者は何を考えているのだろう?!
お互いがお互いをけなしている。
観光客にしてみれば、うんざりである。
何故に、ここで買って行きなさい。ここは美味いよ!自信と誇りを持って客に伝えられないのだろうか?
観光客用の施設は、夏の観光シーズンにしか客が入らないから、そして一見の客だから、どうせお得意さんやリピーターには成り得ないと思っていい加減な商売をしがちである。
だが、そんなことを繰り返していたら、こういう様な事態に陥るのだ。
地元民が喜んで足を運ぶ施設、地元民が誇りを持って見に行って下さいと客に対して言える施設、そしてそれに携わる人々のホスピタリティ溢れる対応、この地道な活動しかないのである。
観光業は、地震、災害、事件、事故などに弱い不安定な産業である。ここ最近は、狂牛病、SARS、インフルエンザ、火山噴火、地震、原発事故と立て続けに色々と起きて、体力を消耗しているのも事実だ。
しかし、一発逆転満塁ホームランを打つにも、前の打者が出塁して、満塁にならなければ、いくら頑張っても満塁逆転ホームランは出ない。
まずはコツコツと塁を埋めていくことが必要なのである。
地元民の意識改革も重要だ。地元民が自分達の暮らす街に自信を持てなくてどうする!
リーダーのやるべきことは、目的と戦略を明確にして、それを実行に移すことである。
■2011-10-20-Thursday アナログ
私は根っからのアナログ人間だ。
コンピュータも仕事上仕方なく使ってはいるが・・・。
コンピュータくらいは使いこなせなければいけないのだろうが、必要最低限で良いとも思っている。
どうも人間はコンピュータによって堕落させられているのではないかとさえ思えるのだ。
例えば、なんでも検索すればすぐに調べることが出来るから、最近の若者は知識として頭の中に残しておく必要が無いとでも考えているのであろうか?どうも脳味噌を活用していないように感じるのだ。
人手もそうである。効率化、機械化して人間の仕事を減らすことは、重労働を軽減する様な方向に向かうなら良いことだろうと思うが、人間の仕事(職)そのものを奪ってしまったのでは意味が無くなると思うのである。
コミュニケーションを豊かにする方向に道具としてコンピュータを使用するなら良いと思うが、目の前の人間と携帯電話で、しかもメールでやり取りするようになったら、何のための道具なのか、これまた意味がなくなる。
本来、道具も、制度も、その目的は人間を幸福にする為のものであったはずだが、目的を忘れて、効率化、便利化、省人化に向かって人間を不幸にしている。
その象徴の最たるものが、今世界中で起きている「私は99%のデモ」であると思う。
アメリカ型資本主義は金融商品をもてあそび過ぎたのではないか。本来のリスクの回避という目的が、勝手に増殖してしまい、マネーゲームが実体経済を狂わせてしまっている。
コンピュータの画面上を見ているだけで、実体経済よりも大きなお金が右から左に動く。これは毎日博打を打っているようなものだ。こんなバカなことが続くはずがない。いずれ破綻するだろう。いや既に破綻しているのかもしれない。
アメリカが熱心に推進しようとしているTPPは、この最後のあがきではないかと私は考えている。どうやら民主党や経済界は推進したがっているようだが、この上日本の産業を破壊する方向はヨロシクナイ。
グローバル経済は幻想に過ぎない。
何事もほどほどの生活で良いと考えなければイケナイのだろう。大儲けを考えると大やけどを負うことになる。
破綻しているアメリカ経済の尻拭い、若しくはオバマ大統領再選の為の謀略に乗らないで欲しいと願っている。
ゼロか1かの二者択一のデジタルよりは、いろいろな選択肢があった方がギスギスした世の中にならずにすむのではないだろうか?
これはデジタルに融け込めないアナログ人間の戯言だけではない。
■2011-10-21-Friday 王道と覇道
この世の中には
とにかく権謀術数が大好きで人を出し抜いたり、貶めたりする様な謀りごとをすることがとにかく大好きで、それを人生の生き甲斐にしている様な人間が居るものだ。
己の身を守る為の消極的なものならば、圧倒的な力を持った人間に対抗する手段としての権謀術数は必要なのかもしれないが、他人を出し抜く為や、貶めたりする為の権謀術数はいただけない。ましてやそれが己の嫉妬から来るものなら尚の事とても醜いことに思える。
しかも、それが身体に染み付いてしまっている様な人間が居るのは困ったものだ。
瞬間、瞬間では権謀術数が上手くハマって事態が好転する様なことも数多くの事例の中にはあることだろう。しかし、長い目で見れば、真面目にコツコツと正しい道を愚直に行くことが信頼や信用を得ることに繋がっていくと考える。
人間の信用というものは一朝一夕には作れないものだからだ。
権謀術数で手に入れた地位は、不安定な基盤しか持っていないから、自身の周りにイエスマンばかりを置いたり、金品で相手の気持ちを繋ぎ止めようとするが、心から尊敬していない人間に遣える様な人間はこの世には居ない。
所詮は金の切れ目が縁の切れ目になりかねないのだ。
だから、空威張りしたり、権力を乱用したりして、ますます自滅の方向に向かっていく。
それでも、まだその人間に圧倒的な権力があるなら、独裁的な手法でも数年は持つだろうが、その権力が何の後ろ盾も無い幻想だと判った時に人々は反乱を起こす。
この世の中に、聖人君子など居はしないだろうが、それでも、自らの信念を持って正しいと思える道を進むことが、悔いの無い人生を送れる唯一の方法であると確信している。
ここに書いたことは、ここ最近の独裁国家での話だけではない。全ての事象に当てはまる真実であると感じる。
人間は進む道に迷った時には「覇道」ではなく「王道」を歩むべきであると思う。
■2011-10-22-Saturday 愛犬バニー
我が家の愛犬バニーは
1996年7月生まれの雌の黒ラブラドールレトリバー犬だ。ドッグイヤーは7倍だから、犬は1年で7歳年を取るスピードで老化する。1年で7歳だからおよそ2ヶ月(52日間)で1歳年を取ることになるから、現在は人間でいうところの106歳になる計算だ。
同じ年に買った雄の白っぽいラブラドールレトリバーのサニーは一昨年(2009年)の5月20日に13歳で死んだ。13歳でも人間にしたら91歳だから、かなり長生きした部類であろう。犬も人間も雌の方が長生きのようである。
ここにきてバニーもさすがに足腰が弱ってきて、散歩も家の周りを1周すると約300mしかないが、それすら途中でドタッと転んでしまうのだ。しかし、それでも朝夕の散歩の時間になると外に連れて行けとせがむので、ここ最近は家の前を行ったり来たりして150m位で済ませているのである。
一応、外に連れ出してオシッコとウンチを済ませると満足するようだ。
先日、函館に妻と二人で出掛けた際に、バニーを2日間預かってもらった。
年取ってから、異なる環境でストレスが溜ったのか、風邪でもひいたのか、帰ってきてからバニーがヒドイ下痢便になってしまった。
朝方5時頃に、ヒドイ異臭がして「ウッ臭い!」とベッドから起きてみたら、バニーは自分で我慢できずに家の中でしてしまった下痢便の上に、足腰が弱っているものだからドタッと横転して、身体中ウンチまみれになって、しかもそのウンチまみれの身体のまま家の中を徘徊したようなのだ。
ここ最近は、ボケ症状も出て来たようで、朝方になると排便したり徘徊したりするようにもなっていたのだ。
それでも、これまでは、快食、快便、快眠だから、まだ良かったのだ。たまに足でウンチを踏んづけてしまうこともあるが、固いウンチならまだ処理も楽だからだ。
ところが、今回は水の様な下痢便でそれを身体中に付けたまま歩き回るものだから、家中がものすごいウンチの悪臭で満ちている。
朝方、会社に行く前に、バニーをお風呂に入れて、部屋も綺麗に掃除してから出掛けたのだが、家を空けている間が心配であった。
案の定、悪い予感が的中して、帰宅して玄関を開けた途端に鼻に悪臭が襲ってきて、ウェッと吐き気をもよおしたのだ。
仕方がないから、またバニーをお風呂に入れ、部屋を綺麗に掃除をし、ファブリーズを1本使い切るほど辺り一面に撒いたのたが、ウンチの臭いは完全には消え去らない、どころか、ファブリーズがまるで役に立たないのだ。
こんな状態で、家での食事はとても無理だと判断して、私と母は外食に、留守間にまたウンチをしたら困るから、妻は家に残って待ち、妻には弁当を買って来たのだった。
次の日の朝も、帰宅後もまた同じ状態になった。
私と妻の身体にもウンチの臭いが染み付いたのかと思うほどの悪臭だ。
絨毯にもウンチとその臭いがすっかり染み付いてしまったから、寝室から出た途端に気持ちが悪くなる。
人間でも認知症の老人の中にはウンチを投げつけたり、壁に擦りつけたりしてしまう症例があるらしいが、バニーにもなんだかボケが入っているようだ。
老犬介護をやらされているような感じである。
動物病院からもらった薬も、バニーは巧みに除外してしまうので、なかなか飲ませることが出来ずにいる。
この状態では絨毯などを買い替えても、バニーの下痢便が治まらなければ同じことになるので、治るまでは、この悪臭の中で暮らさなければならない。
お客さんが来られても家には上げられないし、母も食事には来られない。一体いつまでこの状態が続くのだろうか?
これが「運のツキ」になるのか、それともこれから「運がツク」様になるのか、果たしてどちらなのだろう?
■2011-10-23-Sunday 我が妻は
バニーの下痢が続いていて、
我が家の臭いはとても食事が出来る様な状態ではない。
木曜日は私が主宰するマジック教室が18:30から坂本ビルであるので、私は自宅に戻らず会社でそのまま仕事をして、直接マジック教室に入る予定である。妻は「だったら今晩は夕食は別々ね!」と嬉しそうな顔をして言う。
妻の目論見を聞いてみたら、実家(我が家から30m程)に電話して何が食べたいかを聞いて、会社近くの藤丸デパートの地下で買い物をし、実家に行って両親と一緒に食べる予定だそうだ。
妻の両親のリクエストはしゃぶしゃぶだと云うので、最高級の牛肉を買って帰って、肉の代金は両親に払わせるのだと言う。なんともちゃっかりしている。我が家で食べる時にはいつも豚しゃぶなのに・・・。
私は何を食べたら良いのか?と聞いたら「(会社の)向かいのインデアンカレー(安くて美味しい)にでも食べに行ったら?」と冷たい顔をして言う。
自宅がウンチまみれの時なのにカレーを薦めるのか!
会社の周りをグルグル歩き回ったが、いつも行くレストランは木曜定休日だったし、昼に蕎麦を食べたから、麺類はお腹がすくからあまり食べたくないしで、結局、時間が迫ってきてしまい、妻の言う通りのカレー屋になってしまった。
妻は高級牛肉のしゃぶしゃぶで、私は安いカレーライスか。しかもウンチ騒動の真っ最中に・・・。
この日のカレーの味がすこぶる美味しく感じた事は言うまでもない!
■2011-10-24-Monday バニー続き
土曜日に獣医師のアドバイスに
したがってバニーに1日食事を与えなかった。
合わせて、下痢止めや整腸剤を飲ませたお陰か、下痢はようやく止まったようだが、ウンチの材料になる食事を与えていないから、今度はウンチが出ない。
下痢が治って、今度は便秘になったのか?
バニーもお腹がすいているからか、さかんに私の横に来てご飯をねだるが、絶食した後に普段の量を与えるのも、お腹には刺激が強過ぎると思って、量を減らして、ウンチが出易いようにヤクルトやヨーグルトを与えてみたら、日曜日の夕方にようやくウンチが出た。
部屋の臭いは絨毯に染み込んでいる。
最初はお香を焚いて臭いを消そうと思ったのだが、ウンチの臭いとお香の相性があまりヨロシクナイ。かえって変な臭いになってしまう。ファブリーズを1本使い切ったが、効果はあまり持続しないから、結局、絨毯を買い替えにホームセンターに行ってロール巻き状になっているm980円の量り売りの安い絨毯を買って部屋に敷き詰め、そこでお香を焚いて部屋の臭いはようやく収まった。
ところが、廊下の、とある場所が臭いのだ。ウワッ、バニーの奴、買ったばかりの絨毯にやってしまったのか!と思ったのだが違った。どうやら臭いにもホットスポットというものがあるらしい。空気の流れのせいなのか臭いが溜る場所というのが存在するようだ。空気を入れ替えてそれも収まり一段落ついた。バニーを疑ってしまって申し訳なかった。ゴメンな。
これで明日からはようやく正常な生活に戻れそうである。
■2011-10-25-Tuesday 果物
果物が大好きだ!
果物なら、あの「地獄の臭いと天国の味」とも評される、臭いが強烈なドリアンでさえシンガポールに行った時には、とりあえず口にしてみた。食べてみたらカスタードクリームのような味にすっかり惚れてしまったほどだ。
食べ物の好き嫌いが激しくて、特に野菜の中には、ブロッコリーやカリフラワーなど形がどうしても好きになれなくて、これまでまだ一度も口にしたことがないものも多い。
野菜に好き嫌いはあるが、果物には無いのだ。
そんな私が、ニュースの映像で、福島の桃を捨てている場面を見てショックだった。福島第一原発事故の風評被害で売れなくなって、腐ってきたから捨てているのだそうだ。去年は1個500円で売っていた桃だという。
何とモッタイナイ。桃は特に大好きな果物であるから、私のところに送ってくれたら何ぼでも食べてあげるのに・・・。
私は妻しか愛していないし、53歳だから今更、子どもを作る訳でもないし、どうせ64、5で死ぬ予定でいるから放射能の影響は考慮外のことだ。そもそも放射能が検出されていないというのだから、何の問題もない。
捨てるくらいなら私に送って下さい。
果物の話のついでに、私はブドウも大好きだ。
好きなブドウの中で唯一、食べたくなかったのが、いちいち皮を剥いて食べなければならない「巨峰」系の皮の厚い品種であった。
山梨出身の祖父の元には、死後も山梨から木箱で毎年ブドウが大量に届いていた。おが屑を払いながら食べたものだが、甲州ブドウは渋みがあってあまり好きではなかったが、その他のブドウは大好きだった。
甲州人はタネなど出さずにそのまま飲み込むのだと教わって、それを実践していたから、巨峰の様に皮を剥いてタネを出して食べるのはとても面倒くさいのである。だから巨峰系のブドウは敬遠してきたのだった。
昨日、頂いた「長野の巨峰」はこれまでの巨峰よりは少々小粒だったので、試しにこれまでのブドウの食べ方と同じ様に指で口の中に押し出してみたらスルッと中身が口の中に滑り込んだ。
品種改良して皮が剥け易いようにしたのだろうか?
食べ易ければ、もともとブドウは大好きだから一房ペロリと食べてしまった。やはりブドウはこうでなければいけない。
福島県近郊の農家の方々はこれからも放射能の風評被害に会うのだろうが、消費者も幼い子どもやこれから子供を産む世代には食べさせたくはないのは理解できるが、50歳を過ぎた人間なら、例え放射能が掛かっていたところで大した問題ではなかろうと思う。
危険な食べ物を積極的に食べることに抵抗があるのは分かるが、もっと食べてあげようよ。
私は、美味しい果物が食べられるなら、いつでもOKですよ!
50歳でも嫌なら、60歳でもいいじゃないですか?
今の日本で長生きしたってあまり良いことなんかありませんよ!
■2011-10-26-Wednesday 勝毎「論壇」
2011年10月24日十勝毎日新聞「論壇」掲載
「バスカーフェスト」
8月25〜28日、カナダ最大の街オンタリオ州トロントで第12回「Busker Fest(大道芸人まつり)」が開催されると聞いて見学に行って来た。
トロントは人口412万人、その約半数が移民という街で、トロント市内には各国からの移民たちのコミュニティであるチャイナタウン、リトルイタリー、コリアタウン、グリークタウンなどが点在するユニークな街だ。
旧市街にある市民の台所、セント・ローレンス・マーケット(1803年開業)は通りを挟んでサウスとノースに別れている。サウス・マーケットは初代の市庁舎を利用した建物で、肉、野菜、デリカテッセン、レストランも充実。ノース・マーケットでは毎週土曜日に近隣の農家が集まってファーマーズ・マーケット、日曜日にはアンティーク市が開催され、道沿いには屋台が立ち並ぶ。
このセント・ローレンス・マーケットが面するFront 通を中心に、ちょうど道路の長さも形も、帯広の歩行者天国と同様に十字形にして4日間にわたって「大道芸人まつり」が開催される。
このBusker Festに参加している芸人の数は、およそ42人、ヨーロッパやオーストラリアなど世界中から集まっている。日本からも帯広の「北の大地de大道芸フェスティバル」に去年、一昨年と参加してくれた「クラウン・ロト」ことYOSHIさんも出演していた。
初日に演技を終えて会場で後片づけをしているロトさんを見つけて近づいて行ったら「エッ、坂本さんがどうしてここに?」とビックリしていた。翌日の出演スケジュールを聞いてこの日は別れたが、ロトさんは奥さんと1歳の子供を連れての海外遠征、トロントの次はニューヨークに行くとのこと。大道芸に国の壁は無いから頑張ってもらいたい。
このトロントの大道芸人まつりはボランティアの人数がすごい。皆同じ紫色のTシャツを着て若い人も年寄りも一生懸命に働いていてボランティア精神を感じた。
人出も多いが熱気がまたすごい。飲食や物販の屋台が多数出店し、道路沿いのレストランはオープンカフェでにぎわいを演出している。カナダの短い夏をオモイッキリ堪能しているかのようでライフスタイルの豊かさを感じる。
市場、屋台、オープンカフェ、ボランティアなど、帯広の大道芸フェスやまちづくりの参考にできる運営方法もいくつか見つけた。百聞は一見に如かずである。
現在は、平原まつりの中のイベントの一つとして運営しているが、なんとか独立させて単体での運営ができないものかと考え始めているところなのである。
■2011-10-27-Thursday タイの洪水
ここ最近のニュースで
タイの洪水の模様が連日報道されている。
こういうニュースが出たら、大抵はその時が被害のピークで、そのニュースが流れた後には少しずつ回復に向かっていくものだが、どうやら今回の洪水は被害がドンドンと拡大している様子だ。
東南アジアのタイやカンボジアなどに行くと、雨季には巨大な湖が出来たり、その湖が乾季には消えたりする場所があるのを何カ所か見たことがある。
自然の力がそういうところで水量を調節していたのだろうと思う。
ニュースによると、今回のタイの洪水被害は、そういった雨季に出来る湖の様な場所を埋め立てて工場地帯にしたことが原因の一部ではないかというものがあったが、もし、それが真実だとすると、人間は自然を甘く見ている。
人間の力で自然などコントロール出来るのだなどという奢った考え方をすると、自然がしっぺ返しをするのだ。
しかし、それにしてもすごい洪水である。
まるでタイ全土が洪水で浸食されてしまうようにも感じてしまう。
トルコでも大きな地震が起きたし、地球が人類に対しての警告を発しているように感じてしまう。
先日のニュースで、地球の人口が70億人を超えたそうだ。私が青年会議所(JC)の現役だった頃のJCの機関紙の名称は確か地球の人口に合わせた「40億」だったと思うが・・・。
それが1999年には60億人を超えたとか言っていたように思うのだが・・・。
ここ10年位で10億人以上も増えたのか?!
一体、人類はどこへ向かっていくのだろうか?
大企業は効率化、省力化といって日本国内の雇用を減らし、海外の人件費の安い場所に工場を立てて行く。
そういう低賃金の国は、産めよ、増やせよで人口が増えているのだろう。
だが、今回のタイの洪水被害の遠因が、工場誘致にあるとしたら・・・、それでタイは幸福になるのだろうか?
タイに工場が増え、やがて人件費が上がりだしたら、今度はミャンマー辺りに工場を造るのか?
この道の先には何があるのだろう?
今、愚かな政治家や金儲けしか考えていない企業家達はTPP批准に向かってまっしぐらだが・・・。
TPPはアメリカ型の強欲資本主義の断末魔にしか過ぎないと思う。こんなものを批准したら、日本が壊れるだろう。
成長神話に呪縛された奴等の行く先にはペンペン草も生えないぞ。
もっとゆっくりとした生き方って出来ないものかね〜。
■2011-10-28-Friday 未来について
昨日書いたブログに
読者の方から「なぜ積極的に反対運動をしないのですか?」というニュアンスのメールを頂いた。
強欲資本主義の信奉者というのは、新興宗教にハマっている人間と同じで、頭から「経済は発展し続けなければならない」と信じ込んでいる人たちだから、説明しても無駄なのだ。
ただ、幸か不幸か、大衆迎合している日本の政治家は当選の為には票が欲しいから、大衆が支持する方を向く可能性もあるだろうが、学者や企業家の変心は難しいだろうと思っている。
マインド・コントロールされてしまっている人間は、その呪縛から解き放たれない限り、何を言っても聞く耳を持たないのだ。
未来永劫に発展し続ける経済などある訳がない。
そんなものは幻想にしか過ぎない。
緩やかに発展し続けていったところで、いずれは行き詰って、ガラガラポンでで又最初からやり直すということを人類はこれまでに何度もやってきたではないか。
ましてや、いまや、核兵器をこれだけの国が持ってしまったら、第一次世界大戦や第二次世界大戦などのような世界戦争などで経済問題を解決することは出来なくなった。
今回のTPPは、アメリカ型強欲資本主義の最後のあがきだ。この行く着く先には幸福は無いと断言できる。
物々交換が良いとは言わないが、現在の様にお金が実態を離れて独り歩きする現在のシステムには70億人もの人類を幸福にする理念は存在しない。
やれビバレッジだFXだのと、訳の判らない複雑さでは、巨額のお金を動かしているディーラーですら何をやっているのかさえ判らなくなっているだろう。
ましてや、コンピュータがコンマ何秒かで判断して、投機を左右するようになったら、コンピュータに人間が振り回されるだけだ。
バーチャルが実態を破壊するのだ。
まさにSF小説の世界に近づいて来た。
一刻も早くこのシステムは失敗だったと認めて、新しい経済活動を始めるべきだろう。
世界の賢人よ!
金に振り回されるな!
機械に振り回されるな!
コンピュータはただの道具なんだぞ!
■2011-10-29-Saturday ステキな金縛り
29日は本日公開の映画
「ステキな金縛り」を妻と見てきた。
例によって「夫婦50歳割引き」料金で2人で2000円である。
三谷幸喜が監督・脚本をしている作品で、監督として5作目にあたるという。
午前中に読んだ週刊新潮では、映画評論家の北川れい子女史が100点満点中の49点という辛い点数を付け「役者達全員が学芸会ごっこ」と酷評していたが・・・。
私には面白かった。映画の好みが違うのだろう。好みは主観だから。
私はお涙頂戴の映画や、観客を感動させてやろうなどという作品はあまり好きではない。映画はこういうバカバカしいものが一番好きだ。
映画は、どうせフィクションなのだから、思い切り現実離れしたストーリーの方が気分転換になる。芸術作品よりは娯楽作品の方が好きなのだ。
検事役で出ている中井貴一が、超常現象を信じないという科学万能主義者の設定で、劇中でスプーン曲げやマジックを演じてみせる場面もあって笑わせてくれた。ただ、信じていないという設定なのに、本人にも幽霊が見えるのが分かった時の反応が、あり得ないとは感じたが・・・。
豪華な顔ぶれが、チョイ役で出ているのも三谷作品の面白さだろう。
今回の出演者の中では、竹内結子が良い。中村獅童と離婚してからの方が美しくなったように感じる。
三谷作品では戸田恵子もいつも良い味を出している。
法廷画家役の山本亘が最初は誰だか判らなかったほど痩せて人相が変わっていた。
主演の深津絵里も良かったが、父親役の草彅剛だけが下手だったなぁ〜と感じた。
でも、今回も大いに笑わせてくれた。
最近見る邦画は、何だかいつもこんなコメディが多いなぁ〜。予告編で見た「ロボジー」とかいう邦画も面白そうだから見に行こうと思っている。
■2011-10-30-Sunday TPP
日曜日は朝から
TPP問題の番組が多かったが・・・。
私にはどの番組もまるで見当違いの「損だとか、得だとか」の枝葉末節の話ばかりをしている様に感じた。
推進派と云われる人たちの意見も、慎重派と云われる人たちの意見も本質論から外れていると思うのだ。
俯瞰的に見れば、アメリカンスタンダード、若しくはグロバールスタンダードと云われている現在の経済システムは根本的に「人間を幸せにはしないシステム」である。ここに来てそれは明らかになった。リーマンブラザーズ問題もギリシャ問題も根っこはこの強欲資本主義の結果ではないのか?
しかも本家本元のアメリカでさえ、若者達がデモをするような末期的状態になっているではないか。
そんな「人間を幸せにしない」経済システムを永らえさせる最後の断末魔みたいなTPPをアメリカを慮って批准するなんて、アメリカと一緒に心中でもしようというのか?
これからは、アジア・アフリカと一緒に、新しい「人間を幸福にする」経済の構築を日本が中心となって図るべきではないのか?
慎重派の意見も「損だ、得だ」に矮小化されているから国民は理解出来ないのだ。
どうやら野田政権はTPPの交渉のテーブルに乗るようだが、政治力のまったく無い日本の政治家が、アメリカの政治家にいいようにやられて、やがて日本と云う国は壊滅することになるだろう。
未来に対するビジョンを持たない何とも困った奴らであることよ。
■2011-10-31-Monday 思い込み
人間は集中力を欠いた時に
思わぬミスを繰り返すものだということを、先日、身を持って学んだ。
その日は前日、突然、妻が私に対して不機嫌な態度を取る。何か気に喰わない事があったのか、私にはまるで思い当たることがないのに、私に意地悪をするのだ。
イライラしながら自宅で、インターネットのオークションのコーナーを開いて「マジック本」の検索をしていたところ、とある本の「出品者のその他のオークションを見る」というのを開いたら「何冊か欠けているシリーズもの」の一冊の名称が目に入った。「Vol.9」という表示であったのだが、私にはこれが「Vol.19」に見えてしまったのである。相当に目が悪くなっているのだろうか?
冷静に考えれば、ついこの前に「Vol.10」が発行されたばかりなのに「Vol.19」など、まだ出ているわけがないことなど分かりそうなものなのに・・・。
更に、同じ出品者がオークションに出していた別の本と一緒に入札をした。その本は実物は本の名前が「アルファベット」での表記なのだが、このオークションでは「カタカナ」の表記であったので、てっきりまだ持っていない本だと思い込んでしまったのである。だが、どちらもすでに所有していた本であった。
更に、運の悪いことに両方とも「即決」である。
いつもなら、マジック本は会社に陳列しているから、自宅のコンピュータで見つけた時は、締切り時間が足りない時以外は、メモしておいて、会社に置いてあるマジック本の棚を調べてから注文するのだが・・・。
この日は何故だか、直ぐに即決をクリックしてしまった。
この本の出品者は旧知のコレクターの方だったので、一冊はキャンセルしてくれたのだが、両方ともキャンセルとはとても言い出せなくて一冊は購入することにしたのだった。
もう一点は、マジックの書籍とDVDを販売している会社からカタログが届いた中に、まだ持っていないシリーズ物の最新刊2冊と「カップ&ボール」の本とDVDが掲載されていたので、これをメールで注文した。
そうしたら、本2冊と「カップ&ボール」のカップが送られて来たのだ。
すぐにメールで、注文したものとは違うものが届いたと連絡して、返品に応じてくれたのだが・・・。
これも、私と業者との双方の思い込みによる間違いであった。
私は、送られて来たカタログに並んで載っていた本(+DVD)を三冊注文したつもりだったのだが、業者の人は「カップ&ボール」は本ではなく道具の方だと思ったらしいのだ。
私も「カップ&ボール(本+DVD)」とでも書けば良かったのだろうが、道具を扱っているとは思ってもいなかったので、同じカタログの同じページに並んでいるものだから分かるだろうと思ったのである。
更には、コンピュータゲームの「フリーセル」の連勝記録が12029で止まってしまったことだ。初期に負けて以来、ず〜っと勝ち続けて勝率が99.4%まで行っていたのに、イライラして間違ってしまったのだ。
どうも、イライラすると本来の慎重さや、細かい配慮に欠ける傾向があるらしい。気を付けなければイケナイなぁ〜。
結局、私が理由も判らないまま謝って仲直りしたのだけれど、いったい原因は何だったのだろう???