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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-01-01-Sunday 新年明けまして

新年が明けました。

大晦日に我が家で、妻の両親と母と息子の6人で年越しをした。2人の娘はカナダのトロントに居る。次女はトロントに留学中で、長女はたまたまフィギュアスケートのシンクロナイズドスケーティングの国際大会がカナダのロンドンで28・29日に開催されており、ロンドンはトロントの近くなので大会終了後に次女と会っていたのだった。我が家も国際的になったものである。孫の顔を見せてあげようと思ってスカイプを用意していたのだが、なかなか双方の時間が合わなくてスカイプで繋がることは残念ながらできなかった。

ホテルのおせち料理を購入していたのだが、あまり食べたくなるような料理が少ない。昔のように1週間程度も料理をしない為に作り置きしておくおせち料理は、元旦から店が開いている現代ではあまり意味がないように感じる。むしろ、オードブルみたいな感じのものの方が適しているようだ。

8月にトロントに行った際に購入してきた「アイスワイン」を飲んだのだがとても甘〜いワインで、昔の「赤玉ポートワイン」のような感じがした。食前酒として一口飲むには良いが、普通のワインのようには甘ったるくて飲めないワインであった。

ひとしきり今年の話をしながら、食べて飲んだが、2時間もしたら、「もう、年寄りなので、疲れたから」と8時半には早々に自宅に戻って行った。

残った妻と息子の3人ではテレビの好みも合わないから、風呂に入ったり、別々のテレビを見たりとバラバラに過ごした。まぁ、男の家族なんてこんなものなのだろうなぁ〜。

1時には就寝した。

元旦の朝は快晴で気持ちが良かった。

同じ敷地内にある母の家で、お雑煮を食べる。年賀状を見て、年末ジャンボ宝くじの番号を調べるが、今年も当たらなかった。買わなければ絶対に当たらない訳だから、一応買ってはみるのだが・・・、これまで一度も当たったことがない。外れたら、宝くじが当たったら運を使い果たしてしまうから当たらない方が良いのだと自分に言い聞かせて一人納得する。

10:30にトロントの娘とスカイプが繋がった。カナダはこれから大晦日の夜を迎えると言う。地球の反対側の様子が見られるのだから便利なものである。

これから神社に参拝に行ってこようと思う。段々曇って来たので寒そうだ。

今年の1月末に、私は54歳になる。今年が結婚27年目だから、ちょうど人生の半分を妻と一緒に居ることになる。今年が良い年になるように祈って来ようと思う。

神社が空いていて驚いた。いつも昼頃に行くのだが、例年鳥居のところくらいまで並ぶのに、今年はまったく並ばずにそのままお参りすることが出来た。去年よりも賽銭を入れる場所を拡張していたから参拝の流れがスムーズになったのかもしれないが・・・。

これまた恒例の高橋まんじゅう屋によっておやきを買って妻の実家に挨拶に行くのだが、これまた空いていた。何だか不思議な感じがするなぁ。

2時半頃に地震があったし、元旦だと言うのに親類が亡くなったという電話が入って明日が通夜だと言う。

なんだか妙な感じのする元旦である。


■2012-01-02-Monday 新年二日目

朝7時に起きた。

昨夜、雪が降っていたから雪かきをしなければならないからだ。10㎝程度の積雪である。まずは朝飯前に除雪を済ませてからテレビを点けた。

今日と明日は「箱根駅伝」があるからだ。

今年は母校の駒澤大学が、東洋大学と早稲田大学とともに3強として優勝候補にあげられているから期待しているのだ。

2区まではまぁまぁの展開であったが3区で遅れてしまった。5区の山登りには東洋大学の柏原という怪物がいるから、何とかそれまでに東洋大学には勝っておきたいところなのだが・・・。

何と逆に東洋大学がトップで5区の柏原にタスキを渡すという最悪の展開になってしまった。柏原は自己記録を塗り替える快走で何と2位に5分以上の圧倒的な差を付けてトップでゴールし往路優勝を果たした。駒澤は4位で6分44秒差であった。これではよっぽどのアクシデントでも無い限り、東洋大学の優勝だろう。明日の復路がつまらなくなってしまった。

元旦の早朝に親類が亡くなったが、私の死んだ父のいとこの夫という間柄だから、近いと云えば近いし、遠いといえば遠いという微妙な関係である。帯広での葬儀だし、足の悪い母が出席するので、当然私も付き添いで行かなければならない。

年末の留萌の叔母の葬儀の時に来た白いワイシャツをクリーニングに出してまだ戻ってきていないので、午後2時から白いワイシャツを買いに出掛けた。最近太ってしまって買い置きの白いワイシャツで首が締まるものが無いのだ。この時間帯なら空いているかと思ったのだがデパートも混んでいる。何もこんな年初に買い物なんぞに出なくても・・・。

福袋なら午前中で無くなるのかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。我が家は福袋というのは昔から買わない家庭なのだ。我が家が火事になった(昭和42年11月27日未明)の次の昭和43年の正月に一度だけ買ったことがあったのだが、色もデザインも好みに合わないものばかりだし、サイズも合わなかったので、着られるようなモノが何一つ入っていなかったから以来買ったことがない。

最近は予約制で自分の気に入った洋服を選べる福袋というのもあるらしいが、いくら安くても不要なモノは欲しくはない。

通夜に出る為に夕食を早目にしなければならないし、おせちにも飽きたのでカレーライスを作った。最近キーマカレーというひき肉で作るカレーに凝っている。私はタマネギ・じゃがいも・人参・リンゴをみじん切りにして作るのである。妻の両親も気に入っているので大目に作り置きしておくのだ。食パンに挟んで食べても美味しいから、お餅にも合うかもしれないので正月にはちょうど良い料理かもしれない。

6時からの通夜に出掛けた。

亡くなった親類は足立純朗さん(78歳)という方で、その奥さんの淑子さんが有田重太郎(私の祖母ハナの兄)さんの末娘で父のいとこに当たるという関係である。いつも控え目であるが、裏方では完璧な仕事をされる方で青年会議所関係でも薬剤師関係でも信頼の厚い方であった。

正月の二日ということもあって、新聞に死亡広告は載せられないし、会社はまだ休みだし、青年会議所やら薬剤師関係の連絡網だけでの告知であるから、参列者は足立さんの人柄から考えたらかなり少な目であった。明日の朝刊に死亡広告が載るとのことなので、それを見た方々が明日の告別式には大勢参列されることだろう。

親戚関係の席に座っている人も少な目である。皆、他界していたり入院中であったり、正月で飛行機やら列車やらの切符が取れないという人たちばかりである。

私の祖母のハナも昭和59年12月31日の大晦日に亡くなっているから、その時の葬儀と似た様な感じがする。宗派は我が家と同じ曹洞宗でお寺も同じ永祥寺である。葬儀委員長は、元帯広市長の田本憲吾さんだ。

青年会議所OBで田本さんの選挙をやった時の関係である。葬儀委員長の挨拶は、相変わらずの脱線気味の挨拶で、葬儀委員長の挨拶なのか弔辞なのかが判らないような感じであった。

通夜が終了して母を連れて帰ろうかと思ったら、喪主が親類が少なくて寂しいから一緒に写真に収まって欲しいと言うので、残って8時40分まで通夜の場に居た。私は田本さんの隣に座って、昔話を面白く聞かせてもらった。田本さんは昭和4年生まれだというからとてもお元気である。

明日の告別式は異例の正午からだという。焼場が混雑していてこの時間にしか出来ないのだと言う。

喪主から骨を拾って上げてと頼まれたので、明日も母と一緒に列席することにした。


■2012-01-03-Tuesday 正月三日

今朝の風は物凄い!

朝方、その強い風の音で目が覚めた。

窓の外を見たら、昨日降った雪が飛ばされて吹き溜まりになっている。こういう日は厄介なのだ。吹き溜まりの雪は固く締まっているので除雪するのが大変なのだ。

どの道、この強風なら朝方に除雪してもすぐにまた吹き溜ってしまうから、とりあえず通路だけを確保しておくことにした。

親類である足立家の葬儀は正午からという変則な時間だし、この嵐では外に出る気にもならないので、箱根駅伝の復路を見た。

東洋大学が往路で2位に5分以上の大差を付けているから優勝は東洋大学にほぼ決まりである。母校の駒澤大学がいくら頑張ったところで、この大差をひっくり返すことは不可能だ。しょせん2〜10位はどの順位でも同じことだから見るのもつまらないが、他に面白い番組がないから仕方がない。

少しは1位の東洋大学との差が詰まっていけば、東洋の選手が焦る場面が見られるかもしれないから、まだ面白く見られるのだが東洋大学の選手は次々と区間賞や区間新を出していくから差が開く一方である。2位に9分以上の差がつきそうだから余裕しゃくしゃくでの展開だ。これは圧倒的な記録が出そうである。

首位のチームから20分以上離れてしまうと、繰り上げスタートになってタスキが繋げなくなるが、これはかなりのチームがタスキを繋げなくなりそうだなぁ〜と見ていたら、案の定、家を出る11時30分の時点で3校が繰り上げスタートになってしまっていた。

かなり可哀想な状況になっている。

葬儀は正月三日でしかも風速15m以上はあろうかという大嵐であるから参拝者も少な目であったように感じた。普通の日だったなら足立さんの人柄ならもっと多くの方々が参拝されたのではなかろうか。

親類が少ないのでお骨を拾って欲しいとのことなので、母と一緒に焼場まで行く。年末、年始といえども死人は出るから、焼場も大変な混雑である。少ない親類で昔話をしながら時間を過ごしたが、親との容姿の話になって「アンタの家は良いところばかり引き継いで良いねぇ〜」などと言われたのだが、本人にとってみれば、親から引き継ぎたくはなかった遺伝もあるだが・・・。

葬儀でもなければ親類が集まる機会も少なくなっている。これからは葬儀の機会が増えるのだろうなぁ〜。

お骨を拾って箱に入れるのは、ついさっきまで形があったものが・・・と思うと自然と涙が出て来る。世の無常を感じる瞬間だ。

故人の青年会議所時代の友人の方々もつらそうな感じであった。

忌中引での施主の挨拶は、最初と最後はメモを読んでいたが、中間はメモから離れて、アドリブで父親との思い出話を交えてなかなかしっかりとした挨拶であったが、焼場での容姿の話まで交え出したので少し驚いた。

帰りの路面はつるつるで、前を走る車がスピンして急停止したので、あやうくぶつかりそうになり恐ろしかった。

自宅に戻り、吹き溜まりの除雪をしたが、腰が痛くなった。

去年の暮から年初にかけて、クリスマスと正月が親類の葬儀で無くなり、なんだか不思議な感じがする。今年は一体どんな年になることやら。


■2012-01-04-Wednesday おかしいなぁ〜

何だかオカシナ気分である。

昨年末は23日に留萌の叔母が亡くなりクリスマスが消えたし、年初は1日に親類が亡くなり正月が消えた。

例年、クリスマスや年末年始にこれと云った行事をすることもないのだから、葬儀が入ったところで予定が変わったと云う訳ではないのだが、どうにも何だかスッキリしないのだ。

落ち着かないというのか、心の中の区切りが上手く付けられなったというのか、よく原因が判らないが新年早々ヤル気が起きない。

朝、起きたら玄関先や通路に吹き溜まりの雪が固まっている。除雪しなければならないのだが、息子が朝一番の飛行機で東京に戻るので送って行かなければならない。何だか除雪をする気にならなくて、それを口実に放っておいた。でもどの道、帰宅後には自分でやらなければならないのだが・・・。

息子を見送った後、会社の仕事始めである。

社員の前で新年の挨拶をしてから、テナントさんを一軒ずつ廻って挨拶を済ませるが、どうも新年を迎えたという感じがしてこないのだ。

年末に、ネットオークションで大量のマジック&不可思議現象関係の本を落札していたものが会社に届いているのでまずはこれを整理する事から始めた。

妻からは、もうこれ以上、本を買わないでと懇願されているのだが・・・。

3日の焼場で親類の有田政治さん(父の従兄弟の有田宏さんの長男)が宏さんの蔵書の処分に困っているという話をされていた。

宏さんは学者肌の方で、俳句や日本文学の研究をされていたから蔵書もものすごい数があるようだ。政治さんは東京在住だから、実家の蔵書を整理するのにとても大変な様子なのだ。

その話を妻にしたら、「私はあなたの本は全部捨てるか、売っ掃らっちゃうからね」と言う。何だかそう聞かされると、収集しているのも何だか虚しくなってくるなぁ〜。

夜は、青年会議所の新年交礼会が北海道ホテルで開かれたので出席してきた。昼間に開催された市役所主催の交礼会は欠席しているので、新年の挨拶を一度に済ませるためにはこれに出席する方が楽である。

帯広青年会議所の今年の新入会員は10名で、総勢78名とか言っていた。私が現役だった頃は187名も居たのに、少子高齢化の影響なのか?それとも不景気の影響なのだろうか?随分と減少したものだ。

現役メンバーに挨拶されるが、顔と名前がなかなか覚えられない。私の脳味噌が年を取って機能が悪くなっているのか?それとも現役メンバーに特徴がないのかは判らないが・・・。

OBに北の屋台の理事者がいるが、私の席に酒をツギに来たので「北の屋台の10周年式典に私を招待しないのは悲しく且つとてもナサケナイ行為ですね〜」と一言言ったら「自分はそんな細かいところは関知していない」と弁解していたが・・・。

同年の昭和32、33年生まれのメンバーが私以外はもう一人しか出席していなかったので、二次会には行かずに自宅に戻った。

カラオケにでもいってパ〜ッと元気になりたかったのだが・・・。また後日にでもとっておこう。


■2012-01-05-Thursday コダックが

アメリカのフィルムメーカーの

コダックが破産しそうというニュースが入って来た。

時代の流れとはいえビックリしたなぁ〜。映画のエンドロールには、コダックやフジのどちらかの会社名が必ず出てくるほどのフィルムのメーカーである。解説ではデジタルへの対応が遅れたからだという。

世界のコダックですら破産するのだから、今年は、時代の潮流についていけなくなった大きな企業がかなりの数、倒産するのではなかろうか?

時代の変化のスピードがドッグイヤーと言われる様になってから既に久しい。一昔前の6〜7倍のスピードになっているということである。

つまりは、過去の経営の定石はもはや定石ではなくなっているということだろう。

コダックの破産で思い出したのだが、マジックの世界でも、昭和30年代に来日した、ソ連(当時)のボリショイサーカスのキオというマジシャンの十八番は、その場で出来あがる写真であった。何のことはない現在の「ポラロイドカメラ」や「インスタントカメラ」と言われるモノであるが、当時はまだ科学の最先端発明で、まだ世の中に普及する前だからマジックとして不思議がられたものなのだ。

ポラロイド社が「ポラロイドカメラ」を発売した途端にこのマジックは誰も見向きもしなくなった。

しかし、人間の本質というものは大きくは変わらないものである。なにせ4000年も続いていて、現在でも盛んに演じられている「カップ&ボール」というマジックもあるくらいなのだ。

このマジックを演じている壁画がエジプトにあるが、4000年前の壁画というのが定説になっている。

3個のコップと3個のボールが消えたり、出たり、入れ替わったりする至極単純なマジックなのであるが、人間の先入観や心理を巧みに誘導することで4000年経っても色褪せないマジックなのだ。

日本でも江戸時代の手妻(日本では江戸時代に手品のことを手妻と呼んだ)本にも、日本版カップ&ボールが「お椀と玉」とか「品玉の曲」とかいう題で解説されている。

つまり、最先端の発明はドンドンと変化していくが、人間の心理という根本のものは4000年前と大して変わっていないということなのだ。

フィルムの発明も写真が出来てからだから、まだせいぜいが200年位の歴史であろうから、人類の歴史から見たらまだまだ若い部類である。

私は根っからのアナログ人間だから、デジタルのモノには最初から手を出すつもりは無いというよりもチンプンカンプンなのだが・・・。

新しい発明に飛び付くと寿命が短い、人間の変わらない心理を活用したシンプルな商売を長く続けていきたいと思っている。


■2012-01-06-Friday ニュースから

食に関しての話題から2題、

グルメサイトの「食べログ」での順位を上げる為にいわゆる「やらせ投稿」を店に持ち掛ける業者が複数出て来たというのだが・・・。

こんなものは最初から予想されたことだろうに・・・。

想定外なんてことではないだろう。

さしずめ暴力団なら逆に「順位を下げる悪い情報を流されたくなかったら金を寄こせ」とでもなるのだろうが、これは立派な恐喝だからすぐに警察沙汰になってアウトであろう。

「順位を上げる為に、偽の投稿をしますよ」なんていう程度の低い奴らが出ることや、それに乗っかる店が居るのは、この情報化社会ではバレることが多いだろうから自滅行為になるのだがなぁ〜。そんなことも判らずに、双方とも目先の利益を追求したのだろうなぁ〜。バカな奴らである。

信用というものはコツコツと積み上げていくことしか方法がないのだ。そしてその信用を崩壊させるのは一瞬でも足りるのであるから怖いのである。

それにしてもだ、ミシュランにしてもこの食べログにしても、自分の舌に自信の無い人間がいかに多いのかということだなぁ〜。食べ物の美味い、不味いは主観なのだから、他人に取って美味いものが、必ずしも自分に取って美味いものとは限らないのになぁ〜。

他人の評価を気にするところが日本人らしいと云えば日本人らしいところなのかもしれないが・・・。

東京築地の中央卸売市場の初競りで大間産の本マグロ(269㎏)が史上最高額の5649万円を付けたという。1㎏当たり21万円に相当するという。

初競りは「縁起物」ということでご祝儀相場になるのが通例だが、それにしてもアホな話である。

競り落としたのは、某回転寿司チェーン店だとのことだが、テレビなどで報道されることを見越しての宣伝費のつもりでの高額落札なのだろうが、常軌を逸している。

相場よりも極端に高く買って何の意味があるのだろうか、ただの売名行為だろう。

競り落とした当人は喜んでハシャイデいるのだろうが、これで、本マグロの値段が上がったりしたら庶民の口からますます遠のくだけだろうから、庶民にとっては正月早々何てバカなことをやってくれたのだと、逆にその回転寿司屋は非難されることになるかもしれない。

どうも目先の利益に振り回される連中の多い世の中になってしまったようで悲しい限りだ。新年早々不愉快なニュースであった。


■2012-01-07-Saturday 6日金曜日

6日金曜日の正午から

北海道ホテルで十勝毎日新聞社グループの新年交礼会が開催されたので出席してきた。

一昨日に開催された帯広青年会議所(JC)の新年交例会は、参加者がJCメンバーとJCOBと各種団体の長だけの招待客だけだから、極、内輪の会という感じなのだが、勝毎の方は、公官庁関係者から企業人、芸術家まで、実に幅広い職種の方々が集まるので、これに出席して一通りの方々に挨拶しておけば、帯広在住のおおよその方々への挨拶が一度に済ませられるのでとても便利なのである。

新年会は帯広市などでも開催されるが、この勝毎の新年会が一番豪勢で参加者も多い。立食式ではあるが、食べるものがとても豊富で美味しいから、食べる為だけに参加するという人も居るくらいなのだ。

おまけに帰りにはお土産(勝毎グループの菓子店とてっぽ工房の菓子)まで手渡されるのだから参加者が多くなるのは当たり前かもしれない。

しかし、これだけの新年会を毎年開催するのは経費的にも人員的にも大変なことであろうと思うが、十勝の元気さのアピールという側面があることも見逃せない効果かもしれない。

明日から3連休だと言う。

アレッ、1月のこんな早い時期に祝日なんてあったっけ?と不思議に思っていたら、「成人の日」だと言う。

成人の日は15日だとズ〜ッと思っていたのだが、2000年にハッピーマンデー制度の制定で1月の第二月曜日になったのだそうだ。12年も前から変わっていたとは・・・。

国会議員が法律をいじくって祝日を変更するのは如何なものだろうか?と考える。

国民の祝日には元々の意味があるのであろう。成人の日も「元服」が由来であるとのことだ。

休みが増えるのも今となっては良いことなのか悪いことなのか判然としない。

年末のニュースで報道されていたが、今年2012年は「このハッピーマンデー制度」の休みの日数が、去年よりも4日減るのだそうだ。

ハッピーマンデー制度では日曜日と祝日が重なった場合に限り翌日の月曜日を休日にするという法律なのだが、土曜日と祝日が重なった場合は適用されないのだそうな。

2012年は「2月11日(土)の建国記念日」「5月5日(土)こどもの日」「9月22日(土)秋分の日」「11月3日(土)文化の日」の4日間の祝日が土曜日だから振替休日が行われないので3日連休が減るとのことである。

野田内閣が国民の人気取りの為に、法律を改正してハッピーマンデー制度を改正したりして・・・。


■2012-01-08-Sunday ホリディ

去年のクリスマスと今年の正月が

親類の葬儀でなくなってしまったので、7日土曜日に妻と二人で食事とカラオケに行って憂さ晴らしをすることにした。

昼間は、この3連休中に、これまた年末に出来なかった大掃除をすることにしてその道具を購入しにジョイフルAKに行く。

愛犬のバニー(黒ラブラドールレトリバー♀)は今年で16歳という老犬になったためか、ボケが始まったようでトイレの場所を間違えるようになってきた。しかも足腰が弱っているので、トイレの中腰スタイルからスッと立ち上がれなくなっており、時々自分のしたウンチやオシッコの上にドタッと転ぶことがある。そのウンチやオシッコが付いたままで家の中を歩き回るので、家中の絨毯にウンチとオシッコのシミが付いていて、その臭いが物凄いのだ。絨毯をキレイにするクリーナーを買って来てそのシミを取ろうというのである。

トイレカバーやらお風呂マットやらも新しく購入して、遅ればせながらの大掃除をするつもりだ。

買い物を済ませた後に、ジョイフルAKには別棟でペット関係の売り場もあるから、妻と見ていこうかということになった。

可愛い子犬たちがたくさん居て、思わず欲しくなったが、妻が「見て楽しむだけで、バニーが死んでも新しく犬は買わないから」と言う。

これからは夫婦二人で旅行に行きたいのだそうだ。犬を飼うと旅行などの時に預けなければならないのが困りものだというのだ。

可哀想だから、バニーにお年玉としておやつをいくつか買って来た。

午後7時にイタリアンレストランの「タベルナ・センナリ(帯広市西1条南9丁目、六花亭本店東側)」に行く。

ここの東シェフは北の屋台の卒業生でもある。元々、東京のイタリアンレストランで修業していた本格派の調理人で、母親が居る帯広で開業する為に、とりあえず北の屋台で約2期間の5年半だけ屋台をやって、帯広市民の嗜好を調べた後で、独立したから味は本格的だし、研究熱心だからメニューも豊富である。いつ食べに行っても期待を裏切らない店だ。北の屋台はこうあって欲しいものである。

妻もここの料理が大好物なのだ。美味しい料理と会話を楽しんで9時半にセンナリを出て、我が坂本ビルに入居しているカラオケ店に入った。私はカラオケをするのは久し振りだが、妻は最近カラオケに凝っているようで、女性会などでよく歌いに行くらしく、今日も練習するのだと言う。最初は1時間の予定で入室したのだが、歌い出したら乗ってきて、結局30分ずつ2回も延長して11時半まで歌っていた。

酒を飲みながら大声を出して歌うのは気分もスッキリして爽快な気分である。カラオケは日本発の世界に誇れる良いレジャーであると思う。


■2012-01-09-Monday 大河ドラマ

NHKの大河ドラマ

「平清盛」の第一回放送を見た。

前作の「江」は第一回を見て、あまりにも荒唐無稽な内容と、出演者のオーバー過ぎる演技に嫌気が差して3回目ぐらいで見るのを止めてしまった。

今年は期待していたのだが・・・。

まぁ、俳優の布陣は前作よりはましであろうが、時代考証は滅茶苦茶だと感じた。

しょせんドラマだからフィクションなのだし、登場人物に多少の過大・過小評価があってもそう目くじら立てるほどのことはないと思って見ているのだが・・・。

だが、根本の筋立てで、この作者は一体何を意図しているのか、訳が判らなくなってしまったのだ。

私は、恐らく、作者は殿上人(でんじょうびと)にはお目通りも適わないような下級の位にある武士が、やがて貴族らに取って替って政治を動かすようになる過程を描きたいのではなかろうかと考えていたのだ。

ところが、下級の位にあるはずの武士が、藤原摂関家の人間と路上で気安く話をし、しかもあろうことか時の最高権力者の法皇の前に直に出られるというような身分に描いてしまっては、その下級の位という部分が曖昧になってしまうのではないだろうか?と危惧する。

そもそも殿上人と云うのは五位以上の位にある人の中でも特に許された人しか昇殿できない人のことを言うのだから・・・、このドラマを見ていて、そんなバカな!と感じた部分だ。

確かに「北面武士」には四位の者もいたらしいし、上皇の警護をする役目だし、白河上皇は直接に武士に指示を出してもいたらしいが、それにしても、今回の設定は???

いくらドラマとはいえ、時代考証があまりにも杜撰過ぎるのではなかろうか?

もっと身分の格差を明確に表現した方が、その成り上がっていく過程が鮮明に描けるのではなかろうかと感じた次第である。まだ一回目だから判らないが・・・。

この時代のメチャクチャ且つドロドロに乱れた性をNHKがどのように描くのだろうかが楽しみだ。

何せ、白河法皇は孫である鳥羽天皇に自分の愛人だった璋子を嫁がせ、嫁がせた後も度々浮気していたという(鳥羽天皇は璋子の性技の虜になって沢山の子を産ませるが、後には若い得子にのりかえる)。

一応、鳥羽と璋子との間の子となっている崇徳天皇は実は白河法皇の子どもではなかったのかと、当の鳥羽が疑い、叔父子と嫌って讃岐に追放する。

都に戻りたいと願う崇徳は自らの血で写経をして後鳥羽天皇(崇徳の弟)に送るが、後鳥羽は呪詛が込められているのではないかと疑って崇徳の元に送り返す。崇徳は嘆き怒って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」と髪も爪も伸ばし放題にして生きたまま天狗になって皇室を呪ったという。これが言霊となって現実化し、武士に取って代わられるというのが、長らく皇室が信じてきたことであった。だから明治になって再び武士から天皇に政治が戻ったおりに明治天皇が崇徳上皇を奉じることになるという話は余談であった。

なにせ、皇族方の乱れた性で、争いが起こり、武士に取って代わられることになるのだから・・・。


■2012-01-10-Tuesday 日本の警察って

日本の警察って

優秀なのか無能なのかよく判らない組織だなぁ〜。

オウム真理教の平田信が大晦日に出頭したのに、対応した警察官がイタズラだと思って門前払いしたのは、まるでいただけなかったが、その後は平田容疑者が黙秘を続けているのに、ビデオカメラに映った映像から割り出して、関西方面から東京に出て来たことをすぐにつきとめた当たりは優秀なんだなぁと思う。

ただ、こんなにあちらこちらに監視カメラがあって、常に監視されているのかと思うとゾ〜ッとするが・・・。

台湾留学生殺人事件で、容疑者の出入りしそうな場所に張っていたら、すぐにそこに容疑者が現れたから、確保したところまではなかなかやるなぁ〜と感じていたら、任意同行をして連れてきた警察署の前でナイフで首を刺して自殺させてしまったところは何とも間が抜けているし・・・。

一体、どっちなんだろう?

台湾留学生殺人事件の犯人と思しき人物は同じ台湾からの留学生で30歳の男性であったという。

この男性がSNE48(AKB48とは違う名古屋の団体らしい?)だったかのファンだというので、名古屋のコンサート会場で張っていたら、そこにのこのこと現れたというから、この男性の精神構造は一体どんな風になっているのだろうか?

2人も人を殺しておいて、コンサートを見に名古屋まで来るか?

自殺するくらいなら、なぜ2人も殺したのかをキチンと調査してもらいたかったのに・・・。

警察署前まで連れて来ていて、両脇に2人も警官がいたのに、所持していたナイフで自分の首を刺したのだというからこの警官達は何をしていたのか?任意同行の場合って所持品を調べたりしないのか?殺人容疑ならナイフの所持くらい疑ってかかるべきではなかったのか?

犯人が死んでしまった今となっては動機などの解明が出来なくなってしまったが、30歳の男性の行動にしては精神が幼すぎるように感じる。

犯行時も、犯行後も、逮捕時も、その行動があまりにも刹那的である。

こういう結末を迎えさせてしまった警察の失態は大きいと感じる。


■2012-01-11-Wednesday 狭小住宅

9日の夜にテレビを見た。

日本テレビ系の「欽ちゃん&香取慎吾の第87回全日本仮装大賞」に帯広の大道芸フェスティバルにも出演してくれている「ガベジ」と云うコンビが、同じ事務所所属の「がぁまるちょば」のサポートとして出演するから見て欲しいとの連絡を受けたので見ていたのだ。

この仮装大賞のアイデアは面白くて、中にはマジックのネタになった作品もあるから時間があったら時々見る番組である。最近の出演者の作品はかなり洗練されておりセンスが良くなっていると感じた。

9時に番組が終了した後にリモコンをザッピングしていたらTVHの番組で「完成!ドリームハウス」という番組にいきあたった。

8時からの番組だから途中から見たのであるが、東京新宿区の崖の上の、たった9坪の土地に家を建てるというのである。独身者や一世帯くらいなら9坪でも暮らせる家ができるかなとも思ったが、ナレーションでは3世帯が住む家だというので、興味が出てきて最後まで見てしまった。

9坪で、しかも崖の上である。崖を押さえている石垣を壊して土地を削って建てているのだが・・・。

9坪といえば18畳であるから、我が家の寝室よりも狭い。ここに施主の49歳の独身女性とその両親と妹夫婦の5人が暮らすのだと言う。

骨組みは鉄骨で造るのだが、四角い鉄骨だと場所を取るから半分のL字型の鉄骨で造り、外壁は3.2mmの厚さしかない鉄板が壁だと言う。その壁に発泡ウレタンの断熱材を吹き付けて断熱するというが、東京でもこれでは冬は寒くて、夏は暑いだろうに・・・。北海道ならこの断熱では暮らせない。

9つの鉄の箱を重ねる設計であるが、モノに溢れている私の生活スタイルではこの住宅で暮らすことはできないだろう。

車庫にギリギリ小さな軽自動車を入れると玄関スペースが無くなる。螺旋階段で車庫の奥から玄関に昇る構造であるが、年寄りも居るのにこれでは毎日の生活が大変だ。

ただ、施主が職場に通う時間が3時間ほど短縮されるのが利点だそうだ。最後に総経費が約6300万円と言っていたが、9坪で6300万円なら坪当たり700万円と云う金額になる。

これならマンションを買った方が安くて広い物件が買えるのではなかろうか?

どうしても自分の家が持ちたかったのだろうが・・・。

私が大学1年生の時に、親が東京に家を買って兄弟全員が卒業したら売って帯広に帰るということを考えたことがある。私が調べて、当時昭和51年に世田谷の三軒茶屋で15坪で約1300万円(だったと記憶している)の小さな家を見つけて報告したことがあったことを思い出した。私に信用が無かったこともあるが、親は「たった15坪に1300万円!」と言って断わったが、あの時買っておけばバブルの前だったし、地下鉄が開通するまえだったから、きっと兄弟全員が帯広に戻って来た

昭和59年なら2倍以上になっていたと思うのだが・・・。

それでも15坪でも狭いと言っていたのに9坪とは・・・。

東京と北海道では感覚がまるで違うのだなぁ〜。


■2012-01-12-Thursday バックギャモン

日曜日の夜にNHKで

放送された大河ドラマ「平清盛」の中で、松田聖子が演じる祇園女御が盤双六に興じる場面が出て来たのを見て、昔、私も夢中になって興じていたバックギャモンのことを思い出した。

バックギャモン(日本では盤双六)は4世紀頃にほぼ現在の形(15個ずつの駒をサイコロの目に従って上手く移動させながら早く全駒を上げた方が勝つという単純だが、サイコロの目の偶然性に左右される為に、将棋や囲碁と違ってビギナーズラックもある)に完成されたというゲームで、世界4大ゲーム(トランプ・チェス・ドミノ)の一つに数えられているものだ。日本にも飛鳥時代にシルクロードを経由して伝わったとされており、賭博に用いられることが多くて、国民がこれに興じて働かなくなってしまうので、たびたび禁止令が出されるが、日本書紀には689年(大化の改新が645年)に持統天皇が最初の禁止令を出したことが載っている。

つまり、日本には大化の改新の頃には既に伝わっていたということである。因みに現在も正月に遊ぶ「すごろく」は江戸時代は「絵双六」と言われ、盤双六が江戸幕府によって禁止されたことで考え出された遊びである。

私が大学2年生の昭和52〜3年頃に、当時、デパートなどでマジック用品の販売をしていた「テンヨー」という会社のマジックを考案する部門の方々が、このバックギャモンにハマって、テンヨーはバックギャモンを製造販売するようにまでなるのだが、マジックとともにゲームも大好きな私もすっかりバックギャモンにハマってしまったのである。

ちょうど、札幌の18歳年上の歯医者の従兄弟もハマっていて、札幌に行ったら徹夜で興じたものであった。

昭和55年位から全国大会が開催され出し、私も出場したこともあるし、全国地区対抗戦と称して、京都や東京のホテルで1泊で全国各地のチームと競い合ったこともあった。

私は「日本バックギャモン協会」のインストラクターでもある。

NHKの「平清盛」でこのバックギャモンの原型である盤双六が登場したのは、白河法皇の「天下三如意」から来ているのだろう。この三不如意とは「加茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞ我が心にかなわぬもの」と自分の意のままにならないものを3つ挙げた中に「双六の賽(サイコロのこと)」があるからだろう。白河法皇も盤双六が好きだったとみえる。

何でも収集するのが癖である私は、大学を卒業した後も世界中のバックギャモンボードを買い集めたりしたが、果ては、我が社の石の製品を作る職人に依頼して、黒瑪瑙と白瑪瑙という石で駒を、水晶でダブリングキューブを製作してもらったこともあったほどだった。

バックギャモンというゲームは、1920年代にアメリカでダブリングキューブが発明されたことによって全く新しく心理的な駆け引きを伴ったゲームになったことによって再びブームになっていく。

携帯用のボードを持って歩けるゲームだし、1ゲーム当たりの所要時間も短いから、気軽に出来るゲームでもある。

サイコロの出目に従わなければならないから、多少は偶然性にも左右されるが、いわゆる確率的な定石というのもあるのだ。

2000円位の安いボードから、ルイヴィトン製やダンヒル製の数十万円のボードまであるが、1万円位のボードを1台買えば、それ以後はお金がまったく掛からないゲームでもある。

不景気な時代にピッタリのおしゃれなゲームだと思うので、この大河ドラマをキッカケにして再び流行ることを願う。


■2012-01-13-Friday 古本市

12日から帯広の百貨店の

藤丸デパート7階催事場で古本市が始まった。

私は読書が大好きだし、特に古本を見て回るのが大好きなのである。

2〜3日前に地元の新聞に予告記事が掲載されていたが、それ以前に馴染みの古書店主からも案内状を頂いていたので、とても楽しみにしていたのだ。

古本は背表紙を眺めているだけで面白い。

12日は午前中の仕事を早目に終えて、11時に藤丸デパートに向かった。昼休みを含めて2時間たっぷり眺めようというつもりなのだ。

買い物籠の中に、気に入った本をドンドンと入れていくが、すぐに重たくなって持ち歩けなくなるから、レジのところに持って行って保管してもらい、新しい籠を持ってまた物色する。これを三回繰り返して30数冊の本を購入した。

12時過ぎに妻が、会場に現れて遠くから私を呆れたような表情で見ているので、仕方なく途中で中断して、デパートの蕎麦屋で一緒に昼食を取った。

本に興味の無い妻にしてみたら、こんなカビ臭い古本を買ってどうするの?ということなのであろう。

私は、昔から本が大好きだが、図書館にはめったに行かない。借りて読むことは少なくて、本はなるべく所有して、時々見返したいのだ。

だから、自宅も会社も本で溢れ返っている。

デパートも古本市を開くと、普段の客層とはまた別の客層が集まるようだ。世の中には本好きがまだまだ大勢いるようである。

一度見ただけでは、見落としがあるかもしれないし、午前中は妻の邪魔が入ったので、午後の仕事が一段落してから再度出掛けてまた購入した。

私は古本を、見ているだけでウキウキ、ドキドキしてしまう。この趣味は、妻には永遠に理解してもらえそうにない。


■2012-01-14-Saturday 脱獄

広島刑務所から

中国人受刑者の李国林(40)が脱獄したというニュースが12日の夜にあった。(この文章は13日午前中に書いている)

いまだに脱獄なんてする人間がいるんだなぁと驚いた。

刑務所からの脱出となれば、1900年頃に大活躍したアメリカの奇術師で脱出王の異名を持つハリー・フーディーニ(1874-1926)が有名である。

フーディーニは色々な国の刑務所や留置場に手錠をかけられて入れられても、そこから軽々と脱出してみせるパフォーマンスで名を馳せた。

トニー・カーチス、ジャネット・リーの主演で1953年に公開された映画「HOUDINI(邦題)魔術の恋」や2007年にガイ・ピアースとキャサリン・ゼダ・ジョーンズの主演で公開された映画「Death Defying Acts (邦題)奇術師フーディーニ妖しき幻想」など映画で何度も描かれている世界一有名なマジシャンである。

しかし、フーディーニが活躍したのは今から100年以上も前のことである。たとえ全盛期のフーディーニであっても現在の監視カメラだらけの刑務所から脱出出来るとは到底思えない。

ニュースではここ24年間で24人(?)だったかの脱獄者がいたというから年に一人は脱獄を試みている計算になるが、これまでは全員捕まっているとのことだから、脱獄して更に罪が重くなる分、割に合わない脱出劇である。

それが、今回は上手く脱出されてしまい。まだ捕まっていないという。かなりの凶悪犯のようだから一般住民に被害が及ばなければ良いのだが・・・。

それにしても、先の台湾人の自殺にしてもそうだが、最近の警察は気が緩んでいやしないか?

監視カメラが付いているだけで安心しているのではなかろうか?

過度に機械に頼り過ぎるのは問題があると思う。

オウム真理教の平田信容疑者を匿っていた女性信者の斎藤明美容疑者が出頭したというニュースも流れた。まだ800万円の所持金があったというから、逃亡資金に困ったというわけではなさそうだ。

捜査が進んでいずれ逮捕されるよりは、自首した方が罪が軽くなると考えたのだろうか?

今回の平田容疑者の出頭には北朝鮮の金正日が死んだことが影響しているのではないかという人もいるようだ。オウム真理教のバックに金正日が関係していたが、金正日が死んだことでそのバックアップが受けられなくなったから出頭したというのだが・・・。果たして真実は・・・。


■2012-01-15-Sunday ロボジー

映画「ロボジー」を観て来た。

14日土曜日に今日公開の映画「ロボジー」を妻と一緒に観て来た。かなり以前に予告編でチラッと観た時から面白そうだなぁと思っていたのである。

例によって「夫婦50歳割引料金」で2人で2000円である。何度も同じことを書くが、2時間楽しんで一人1000円なら安いものである。

映画館に置いてあったチラシを見たら、200人のオーディションで受かった73歳の新人、五十嵐信次郎と書いてあるが、予告編を観たらミッキー・カーチスに似ている人だなぁと思っていたのだ。そうしたら本当にミッキー・カーチスだったので、話題づくりの手法だったのかな?

監督の矢口史靖の作品は「ウォーターボーイズ」と「ハッピーフライト」を観ているが、なかなかにコメディの上手い監督で、ワッハッハと大笑いさせるわけではないが、ところどころでクスッと笑わせてくれる監督である。

例によってまだ観ていない人の為に、筋立てや内容については詳しいことは書かないが、まぁ、今回のシチュエーションやストーリーには少々無理があったように思う。がしかし、映画はフィクションなのだから、まぁ目くじら立てるほどのこともない程度だろう。

シチュエーションに無理があって、そんな馬鹿なと感じても、映画は楽しければ、それで良いのである。

主な舞台になったのは北九州の門司市であったが、映画の中ではハッキリと都市名が分かるような場面は出てこなかった。

2006年に私が下関市に講演に行った際に船で門司に渡って門司駅前でバナナの叩き売りを見た場所や人力車で市内観光をした場所が出てきたので判ったのであるが、見たことのある風景が出てきてとても嬉しくなったし、北の屋台を始める前の1999年に何度も視察に行った博多のキャナルシティも出てきたので懐かしくなった。

自分が行ったことのある場所が映画の舞台になるのは意外に楽しいことである。


■2012-01-16-Monday 15日

15日の日曜日

朝、起きたら妻から今日一日のスケジュールを言い渡された。

まずは帯広神社に「どんど焼き」に行って、その後、妻が美容院に行っている間に、私は一人で買い物を済ませて自宅に戻り、今日の晩御飯を作りながら、妻の帰りを待っている、美容院から戻って来た妻と一緒に昼食を食べてから犬の餌などの買い物、買い物から戻った午後からは、妻はお勉強で、私は読書、夕方には私が作った晩御飯を早目に食べて、温泉に行き、NHKの大河ドラマ「平清盛」の第二回目を見て寝るというスケジュールである。

会社が休みで、私が自宅に居る時は、いつも私が夕食を作らされる。こう書くと何だか私が嫌々やらされている様に感じるかもしれないが、実は料理は得意だし好きであるから全然苦にはならないのだ。いや、むしろ楽しみでやっている方なのである。

去年の暮れに、お歳暮に大量に頂いたジャガイモと玉ねぎが残っているので、最近ハマっているキーマカレーを作ることにした。キーマカレーというのは、ひき肉と玉ねぎのみじん切りで作るカレーであるが、私はこれに、ジャガイモ・にんじん・リンゴなどもみじん切りにして入れるのである。今日は色取りに緑色のピーマンを追加してみた。

妻が美容院から戻って来て、一緒に近くの蕎麦屋に行った時に、今日は色取りに更に黄色いコーンを入れようと思うんだがと言ったら、「止めてよね!私はカレーにコーンが入っていたら絶対に食べないから!」とキツイ口調で言うのである。

「エッ〜、だって、貴女が作るシチューなんかにはいつもコーンが入っていて美味しいじゃないか?」と言ったら、妻が「カレーにコーンが入っていたら、消化不良の○○○を連想してとても食べられない」と言う。

ウ〜ン、そうか!なるほどね〜!私は、今までそんなこと、考えたこともなかったがなぁ〜・・・。

まぁ、妻が嫌だと言うなら無理にコーンを入れる必要もないが。

今日も、キーマカレーは美味しく作ることが出来た。妻の両親も私が作るカレーのファンである。

早目に晩御飯を済ませて、久し振りに温泉に行った。

やはり温泉で汗をかくのは気持ちが良い。20時までに戻って。平清盛を見た。先週の第一回は史上ワースト3位の視聴率だっと言うが、それは「江」のせいだろう。神戸市長がクレームを付けたというが、「江」よりは良かったと思ったが・・・。

第2回目も歴史上、そんな馬鹿なと思う場面があった。「殺生禁止令」を出して「血」の穢れ(ケガレ)を極端に嫌う白河法皇が、血で穢れた武士を目の前に置くだろうか?

この平安時代末期は、ケガレを嫌う貴族に、そのケガレを背負った武士に取って変わられる変わり目の時代である。血のケガレを嫌うから武士に取って変わられたのに、今後の展開にその辺の説得力が欠けてしまうのではなかろうかと危惧している。

それにしても、キャストの中で松田聖子だけが極端に浮いているなぁ〜。


■2012-01-17-Tuesday 16日

16日月曜日のニュースから

イタリアで全長290m、高さは17階建てのビルに相当する大きさがある豪華客船が座礁転覆して6名の死者も出ているとのこと、何でもイタリア人の船長はサッサと一人で逃げ出したというから驚きだ。

この船長は、同船の給仕係にサービスする為に、給仕係の出身地の島に近づいてみせて座礁したのではないかという報道もあるが、本当だったら呆れてしまうニュースである。この豪華客船の損失は一体いくらになるのだろうか?

まだ船内には客が残されているというのに、この船長は救助に戻ることを拒否したという、一人でサッサと逃げ出して、避難の為の船内放送もしなかったらしいから、どこまで責任感の欠如した人間なのだろう。

どこの国でもリーダーの資質に欠けた人間がリーダーをやるとトンデモナイ事態が起こる。これは明らかに人災である。

入学式や卒業式での国歌斉唱の際に起立しなかった教職員に対する懲戒処分などを巡る裁判で、最高裁は処分が重すぎるという判決を出したというニュースであるが、これには最高裁の考え方がオカシイのではないかと感じた。

私は国旗や国歌に対して敬意を払うのは、人間として当たり前であり、例えどこの国の国旗や国歌であっても敬意を払うのは、信条が右傾向でも左傾向でも関係なく、人間として最低限のマナーであると思っている。

日本の国旗や国歌に敬意を払わない人達というのは、たとえばスポーツの国際試合などで、相手国の国旗掲揚や国歌斉唱の際にも立ちあがらないのだろうか?

少なくとも日本と云う国は法治国家であるのだから、例え「悪法であっても法律は法律である(私は悪法だとは思ってないが)」。

もしも悪法だと思っている人が大勢居るのなら、選挙で政治家の多数を取って、法律を変えれば良いではないか?

自分の考え方には合わないから、自分は好きなようにするというのはダダッ子と同じである。極端なことを云えば、法律ではゴミを捨ててはいけないと書いてあるが、自分はゴミを捨てたいから捨てるのだというのでは世の中は機能していかない。

今の日本の国旗の日の丸が戦争の旗印だったとか、君が代は天皇を称える歌だから嫌だというのなら、日本人をやめれば良いではないか。

以前にもこのブログに同じことを書いて、教職員と思しき方々数名からクレームが入ったが、私はそう思っているのだからこの信条を変えるつもりは全くない。

帯広北高校の教頭でチアリーディング部の監督をしている男性教師が、女子部員に不適切な行為をして、同部の2年生10人全員が今月5日に退部したことが分かったというニュースが入った。

不適切な行為って何だ?と思っていたら、特定の女子部員を呼び出してネックレスを贈ったり「結婚しよう」と迫ったり、身体に触ったりしたというのであるから驚いた。

この教師の年齢や名前は新聞には出ていなかったが、新聞には、学校関係者は「それに近いことがあったのは事実だが、いずれも生徒を励ます為のコミュニケーションの一環で受け止め方の違いである」との説明をしているというが・・・。

今の時代、異性のコーチや監督というのは仕事がやりづらい世の中になっているようだが、今回のケースはアブナイ奴が教師をやっている類の事例ではないのか?

大学入試センター試験でトラブルが続出している。

なぜ、毎年、毎年こんなに混乱が生じるのだろうか?

そもそもこの制度自体が不適切なのではないだろうか?何だか全国一律という試験制度自体が時代に合わなくなっているようにも感じる。大学はもっと各々の大学で入試方法から特徴を出しても良いのではないだろうか?


■2012-01-18-Wednesday 妻が・・・

16日の夜は

妻が商工会議所の議員新年会に出席するために北海道ホテルに出掛けた。婦人部と青年部も合同で開催するとのことである。

18時からの開始ということで私は運転手として北海道ホテルまで送って行かされた。

私は一人寂しく自宅で、昨晩の残りの、自分で作ったキーマカレーを温めて食べた。

昨晩、夕食にキーマカレーを食べ終わった時に、具のジャガイモとニンジンがほとんど溶けてしまって形がなくなっていたので、ジャガイモとニンジンをみじん切りにしてフライパンで炒めてからカレーの鍋に足して入れておいたのだが、火の通し方が不足していてジャガイモがまだ固かったのだ。

私は十分に火を通し直して柔らかくしてから食べたのだが、妻の両親の家には、今朝ほど妻が、私が作ったカレーを持って行っている。十分に火を通し直さずに温める程度で食べてはジャガイモがまだ、シャキシャキしていて固いだろう、せっかく作ったのに、ジャガイモが固くて不味く感じたのではなかろうかと心配になったのだった。

妻は9時から見たいテレビがあるから、今晩は1次会だけで直ぐに帰宅するからと言って出て行ったのだが・・・。

9時頃に「これから皆と一緒にカラオケに行くから遅くなる」と電話が入った(まだ電話してくるだけましか)。

お陰で私はベッドに入りながら本を3冊読み終えることが出来たのだった。

11時過ぎに妻はゴキゲンで戻って来た。きっとカラオケで憂さ晴らしが出来たのだろう。

カレーの事を妻に告げたら、明日の朝、両親に確認してみると言う。

朝方、妻の両親の家(我が家から徒歩1分の所にある)のゴミ出しから戻った妻に聞いてみたら、「カレー、美味しかったって、ジャガイモのシャキシャキは、みじん切りだから、レンコンでも入っていたのかと思って美味しく全部いただいた」とのことだった。具材をみじん切りするキーマカレーだからジャガイモをレンコンと勘違いしてくれて良かった〜。ホッと一安心したのだった。


■2012-01-19-Thursday 蔵書

私の蔵書に関して

たびたびこのブログにも書いているが、先日も、どう云った種類の本なのか詳しく教えて欲しいという希望があったのでここらで一度紹介しておくことにする。

2007年3月末日で「北の屋台」から卒業したことで、自分の時間が取れる様になったのをキッカケに、私のマジックの師匠である故ジミー忍(1943.06.26-1996.05.11 53歳で逝去)師の「マジック博物館を作って欲しい」という遺言を実行することにした。

それまで、師の死後に送られて来た約1000冊ほどの「忍コレクション」と、私の4500冊ほどの「和昭コレクション」は我が家の一室に山積みにしてあったのだが、地震で崩れたままになっていたのである。

4月に会社の一室に、指物師に特注で本棚を作製してもらい、自宅から少しずつ運び込んでは整理を始めたのであるが、師のコレクションと私のコレクションは500冊ほどはダブっていたのであった。

マジックの後輩が8月中旬に全冊の表紙などをデジタルカメラに収めてくれて整理をし出してくれたのだが、私の本だけではなく他の方のマジックの本も一緒に整理されているので、私のコレクションがこの時点で何冊なのかは判らなかった。現在に至るも、この写真に写した部分の整理はまだ出来ていないから、およそ5000冊と言っているだけである。

この写真に写し終えた2007年8月19日以降に購入した本は、購入した日付、書籍名、出版社名、著者名、発行年月日を全てコンピュータにワードで記録を続けているが、2007年8月19日〜2012年1月16日の4年5ヶ月間で購入した書籍は3380冊になった。だから以前の約5000冊+3380冊で約8000冊所有していることになる。

そのジャンルであるが、詳しく分類すると①は「手品」「奇術」「マジック」「和妻」などの市販本。これは江戸時代からの一般の書店で販売されたマジックのやり方を書いた本である。マジックの種類も「カードマジック」「シルクマジック」「コインマジック」などや「科学マジック」「数学マジック」「視覚マジック」などがある。

②は「レクチャーノート」「私家本」などの一般書店では販売されていないマジックのタネ明かし本で、マジシャンが自分で作ったマジックを教える為に作成した本で、発行部数も100冊程度の少ないもので薄い本が多い。③は「マジックの歴史」「マジシャンの自伝」などの分野。④は「マジシャンが作家となって書いた小説」若しくは「マジックを題材にした小説等」「絵本」「童話」。⑤は「マジックショーのプログラム」。⑥は「会員向けのマジック冊子」。これらが直接のマジック関係の本である。

これ以外に、「不思議」というキーワードで、「超能力(念力・透視・テレパシー)」「霊能力」「心霊術」「オカルト関係」「スピリチュアル関係」「予言」「UFO」「未確認生物」「妖怪」「お化け」「こっくりさん」「陰謀」「錬金術」「占星術」「占い」「魔術」「魔女」「悪魔」「神話」「宗教」「新興宗教」「古代文明」「忍術」「錯視」「錯覚」「迷信」「勘」「ツキ」「大道芸」「サーカス」「香具師」「見世物」「寄席」「屋台」「伝統芸能」「パントマイム」「催眠術」「心理学」「コールドリーディング」「詐欺」「だまし」「カジノ」「ゲーム」「パズル」「確率」「暗号」「回文」「映画・写真トリック」「折り紙」「あやとり」「ジャグリング」「かくし芸」「パラドックス」などの関係書籍を収集しているのである。

この「不思議図書館」には、おおよそのこの世の中の不思議なことに関しては網羅していると思う。

今後は、まだマジックの私家本やレクチャーノートなど出版数の少ないモノや、昔の本を購入することに執念を向けたいと考えている。

ただ、問題は、私の死後に、このコレクションをどうするかという問題である。妻はモノを集めることにまったく関心がない人だから、せっかく収集したコレクションを散逸させてしまうのは日本のマジック界に於いても大損失になってしまう。妻はマジックには全く興味がないし、子どもらも同様だ。早く孫を産んでもらって、その孫にマジックを仕込みたいのだが・・・。でも、まずはその前に子どもが結婚してくれなくてはならないなぁ〜。


■2012-01-20-Friday 粗忽者

17日夜に

温泉銭湯へ行った。最近は自分でブレンド(ポカリスウェット+CITRIC ACIDクエン酸Cコンク)したスポーツドリンクをペットボトルに詰めて持参しているのだ。

エチケットに反するから、もちろん浴場では飲まないが、風呂上りに脱衣場で服を着る前に飲んで水分を補給している。

この日は、自宅の冷蔵庫に作り置きしてあるドリンクを、妻がペットボトルに詰めてくれた。

風呂に入る前には満タンに入っていたのに、風呂上り時には半分に減っている。まさか、私がサウナ風呂に入っている間に、どこかの親父が黙って飲んだのだろうか、だとしたら誰が口を付けたのか、とてもじゃないが気持ち悪くて飲めないよなぁ〜と訝ったが、どうもそんなことをするような客は見当たらない。

よくよくペットボトルのキャップを見てみたら、SUNTORYのC.C.Lemonの黄色いキャップのはずなのに、白いキャップが付いている。

どうやら妻が作り置きしてあるポカリスウェットの1リットルボトル用のキャップとC.C.Lemonのキャップと付け間違えたようで、シャンプー等を入れてあるかごの中でボトルを横向きにしてあったから、キャップが合わなくて、口から中身が漏れていたようなのである。

何と粗忽な!

せっかく、ボトルに入れてくれるなら、キチンとした仕事をしてもらいたいものだ。

風呂から出たとたんに、そのことを妻に言ったら、「私のせい?」と言う。「貴女以外に一体誰がせいなんだ?」と聞いたら「だったら最初から全部自分で用意したら?」と逆切れされた。

自宅に戻り、テレビのリモコンをザッピングしていたら、OCTVで「北の屋台」の「長いも&ユリ根フェア」のコマーシャルが入ったので一通り見てみた。スタンプラリーまで私が北の屋台を卒業する前からやっている、全く同じことを未だに続けているようだ。

スポンサーには某Kビール会社が着いているが、これだとて前支社長が私と同じ大学の出身者ということで着いたものが惰性で続いているようである。

「商い(あきない)」は江戸時代に「春夏冬」と書いて「あきない(秋が無い)」と読ませた。商いは飽きないにも通じる。十年間も同じことばかりやっていないで少しは新しい事でも考えたらどうなんだろうか。

北の屋台では、毎月、各屋台から2万円ずつ「広告宣伝費」という名目でお金を徴収している。家賃なら組合の収入だから、その収入をどのように使おうが勝手だろうが、広告宣伝費という名目で集めている以上は広告宣伝以外に使用は出来ない性質のお金であるはずだ。

私が在籍していた時分には、毎年、大道芸人やマジシャンやチンドン屋を招いたりしていたが、それも私が辞めてからは一度も行っていない。

パンフレットも何度も作り変えてはホテルや観光地に配布したりしていたが、それすら滞っているようである。一体、広告宣伝費って現在は何に使っているのだろうか?

楽しみにしていた「北の屋台10周年記念パーティ」は組合にお金が無いからと規模を極端に縮小したというし、私は招待すらされなかった。

北の屋台の店主の方々は、かなり実入りがヨロシイのであろう、月々2万円なんておそらく端金なのだろうが、私が北の屋台を辞めてから、かれこれもう5年も経つから、総額で月2万円×20軒×12ヶ月×5年で24,000,000円にもなるのだ。金が無い、金が無いと言って何も新しい事業をしないで、しかも、これだけの大きな金額の使途が一切明らかにされていないのはあまりにもオカシイだろう。

かのオリンパスだって不正を見過ごしたとして監査役の責任が追求されるようである。

公的資金が入っている北の屋台の経理は、公明正大に公開するべきだろうと思うのだが・・・。

どうやら北の屋台にも粗忽者が大勢居るようである。


■2012-01-21-Saturday マナー&エチケット

先日のブログで国歌と国旗について書いたが、

どうも教職者(と思しき)方々の中には、私の主張に違和感を持っておられる方が多いようである。

誤解しないでいただきたいのは、私は、国旗や国歌に対して敬意を払うのはマナーやエチケットの類と同じだと考えていることだ。

マナー&エチケットというのは国によってかなり異なりがある。

たとえば、蕎麦やラーメンなどの麺類を食べる時に日本ではズズッ〜という啜り音を発して食べる。これは外国人にはとても嫌な音で、マナーに反する音に聞こえるらしい。しかし、日本に於いては啜った方が美味しく感じるし、逆に外国人は啜って食べたくても生理的に啜れない体質のようなのだ。

だから、私は蕎麦屋やラーメン屋では啜って食べるが、イタリアンレストランでスパゲッティを食べる時には啜っては食べない。スープを飲む時も同様だ。

世界中には、その国(地方)、その国(地方)のマナーやエチケットがあるのだから、その場所に行ったら、その場所のマナーやエチケットに合わせることは知識として、最低限必要なことだろうと思う。その国の慣行に対して敬意を払うことは訪れる際の、それこそマナーでありエチケットであろう。

このマナーやエチケットは事前に学ばなければ身に付かないものであろう。

数年前の冬季オリンピック(だったと記憶しているが)のジャンプ競技で日本人選手が飛び終わった後に、右手の中指を突き立てて肘を曲げて、その肘の内側に左腕を乗せるしぐさをした場面がテレビに映ったことがある。本人はガッツポーズのつもりでやったのだろうが、これは実に恥ずかしい行為だった。

外国ではこのポーズは「ファッ○・ユー」という汚いスラングを言う際に行うしぐさである。「この○○○野郎!」とかの罵り言葉を言う時のしぐさなのである。エディ・マーフィーの映画などに出てくるから、その意味を知らずに、この選手はこのポーズをしてしまったのだろうが、これを見た外人選手は一体どう感じたのだろうか?「こいつ挑発してやがるのか?」と感じた人もいるだろう。

本人にはその気はなくても、相手には失礼極まりない行為に見えたはずだ。

学校教育で、国歌や国旗に対しては敬意を払う必要はない。なんて教えることは、今後の外国との繋がりの中では非常に危険なことではないだろうか?

少なくとも国旗掲揚や国家斉唱の際には起立したり、軽く頭を下げることは国際的なマナー&エチケットとして教えておく必要があるのではないだろうかと考える。

自律した人間を育てる為には、自分の信条に従って行動すれば良いという考え方は、マナー&エチケットには相容れないものだ。

外国の国歌や国旗は別だなんてことは意味が不明だ。

私は最低限のマナー&エチケットとして必要なことは教えなければならないし、率先して範を示すのが教師ではないかと思うのだが・・・。

どうやら、根本的なモノの考え方に齟齬を来しているようである。


■2012-01-22-Sunday インターネットって

インターネットってすごいなぁ〜

18日の午前中に、私の会社に、福井県庁から電話が入ったと社員が取り継ぐので、また「まちづくり」の講演の依頼かと思って電話を取ったら、用件は私のマジックの蔵書に関してであった。

去年11月に福井県で日本近代マジックの父とも云える「松旭斎天一(1853-1912)」の写真が多数見つかったというニュースがネット上で流れたことがあった。確か根室市に講演に行っている(2011年12月12〜15日)頃だったと記憶している。

松旭斎天一は1901〜05年にアメリカに巡業に行って、彼の地でも非常に受けたという記録が残っている。天一の弟子で愛人でもあった天勝は、天一没後に天勝一座を起こして、日本中に偽物が大勢現れるほど一世を風靡したし、天一の親類であった天洋は、今日のデパートなどでマジック用品を実演販売している会社「テンヨー」の創始者でもある。

この天洋の一番弟子が引田天功(初代)師であり、二番弟子が日本ではあまり有名ではなかったが、世界ではナンバーワンマジシャンとして名高い島田晴夫師、三番弟子にフランスで活躍した八田加寿雄師、四番弟子が私の師匠のジミー忍師である。

ミスター・マリックこと松尾昭さんもこのテンヨーのディーラー(マジックの実演販売員)出身で、私がまだ大学生だった昭和51年当時は渋谷の東急東横店のマジック売場でディーラーをしていた。

今年2012年は天一没後100年ということで、天一の子孫宅を調べていたらアルバムに整理された写真40枚ほどが新たに見つかったというのだ。初めて世に出る写真も数点あって非常に貴重な写真のようである。ネットのニュースでは日本最古の手品を演じている写真であるとのことも書かれてあった。

今回の電話の内容は、私のブログを見て、「マジック関係の蔵書を沢山お持ちになっていることが分かった。ブログには自分が死んだらこの蔵書はどうなってしまうのかとの心配する文章もあったから、福井県ではいつでも受け入れる用意があることを伝えたかった。今後も何かとお見知りおきになっておきたい」という電話である。

私はまだここ当分は死ぬ予定が入ってはいないので「心に留めておきます」とだけ返事しておいたが、福井県の方が私のブログ読んでいて反応してくれるとは驚いたし、また嬉しかった。

おそらく、「松旭斎天一」とか「手品」とかで検索していたら私のブログにヒットしたのだろうと思う。

今月29日(奇しくも私の誕生日)から、「福井県立こども歴史博物館」でこの新たに発見された天一の写真などを公開する予定だという。

機会があったら是非訪れてみたいものである。


■2012-01-23-Monday 21日

21日の土曜日は

昼から、この日公開の映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」を見に行った。このシリーズの3作目で、今回の設定は1964(昭和39)年の東京オリンピックが開催された年である。

第一作の設定が、私が誕生した1958(昭和33)で、東京タワーが完成した年だから、この映画には、何だか他の映画とは違う思い入れを感じてしまう。

東京オリンピックの時の記憶は6歳だから正直あまり残っていないし、我が家にカラーテレビが来た時の感動というのも、私は全く経験していない。それというのも我が家では、超がつくほどの新し物好きの父は、私が生まれる前の姉が誕生した1956(昭和31)年にはすでに白黒テレビを購入していたから、私は生まれる前から自宅にテレビがあったのだ。

こう書くと何だか自慢しているように感じるかもしれないが、帯広市のど真ん中で商売をしていて自宅も一緒だったから、テレビは客集めの重要な道具の一つでもあったのだ。普通の家庭が買うのとは事情が異なる。

カラーテレビも1959(昭和34)年の「皇太子ご成婚」の放送時に買っていたので、物心ついた時にはすでにカラーテレビが家にあったから、この映画のように「テレビが来たぞ〜!」とか「カラーテレビを買ったぞ〜!」というような感動的な場面を経験してはいないのだ。テレビがあるのは当たり前のことだと思っていたのである。

私が覚えているのは、東京オリンピック時は茶の間にカラーテレビと白黒テレビの2台が並べてあって、カラーテレビには布が掛かっていたことだ。

カラーテレビはカラー放送の時だけ布を開けて見ていたように記憶している。なぜ、父はそんなことをしたのだろうか?カラーテレビ1台だけで白黒放送もそのまま見られるというのに・・・。母に聞いても理由は判らないというし、カラー放送と白黒放送を同時に映して見比べていたのだろうか?父が他界した今となっては謎が残ってしまった。

この映画は、「今日よりも、明日の方が豊になっている」という昭和30年代の熱気ある高度経済成長時の暮らしぶりに対するノスタルジーと、その行き着く先の現代の物質文明の危うさとを上手く表現できていて、ところどころで笑わせてくれるし、ホロリともさせてくれる。

映画館で私と妻の真後ろの席に40歳代と思しき両親と20歳前後の息子と娘の4人が坐ったのだが、この4人が実にうるさいのだ。自宅の茶の間で見ているような気分で、映画の解説をやったり、ぺチャぺチャとおしゃべりをする。妻が舌打ちをしながら後ろを振り返ることを数度繰り返したら、さすがに恐怖心からか大人しくなったが・・・。マナーをわきまえない連中がいるものだ。

18時からは北海道ホテルで、柏葉高校同窓会の新年交礼会である。妻と私は柏葉26期(昭和51年卒業)の同期生であるから一緒に参加した。26期の同期生は9名しか参加しなかったが、全体では600名以上が参加して会場は溢れんばかりである。特に60〜80歳代の方々が大勢参加されていた。

今年の担当期は柏葉10期と33期である。途中で同窓の「ドリカムの吉田美和」のビデオレターが流れた。吉田美和は来年担当の34期である。来年は吉田美和が参加するのだろうか?

恒例の抽選会で、私に「ヤマシタ家具店の1万円分の商品券」が当たった。すると続けて次々と26期の他の2人にも商品券などが当たり、26期は参加9名中の3名が当たるという高確率で、帰りに他の期の人達から「26期ばかり当たりやがって・・・」とうらやましがられたのだった。

9名の内の一人が帰って、二次会に8名が繁華街に出た。23時過ぎまで飲んで、もう一軒行くか!となったが、さすがに疲れたので自由解散にした。最近は午前様まで飲んでいられないのだ。

同窓会というのは、高校生の時代にまで返って話せるからとても懐かしくまた楽しいものである。


■2012-01-24-Tuesday ニュースから

23日に入ったニュースから

札幌市内のマンションの一室で姉妹二人の死体が発見された。

姉は病死で、知的障害があったという妹は凍死していたという。テレビのニュースを聞いた時には、てっきり老姉妹だと早合点してしまったが、新聞で見たら姉は42歳で妹は40歳だという。

姉は何度か札幌市白石区役所に生活保護の相談には行っていたが、申請はしなかったというのだが・・・。本当のところはどうなのだろう?

札幌では、健康で自分で歩けるのに、歩けないとウソの申告をして補償を受けている元道職員が裁判にかけられているというニュースを前に見たが、一方ではこういう不真面目な輩が居て、また一方では、本当に生活保護が必要な人にはあたっていないケースが見受けられる。

生活保護を受けている人間の中には、毎日パチンコに通っている輩もいるというから、審査の基準や、民生委員の質の問題があるのだろう。

民生委員もボランティアの様な活動らしいし、この辺で抜本的な改正が必要な時期だろう。

昨夜(23日)福島・浜通りで震度5弱の地震があったが、同じ23日に、東京大学地震研究所が「M(マグニチュード)7クラスの首都直下型地震が4年以内に70%の確率で起る可能性がある」という予測を発表した。これまでは「30年以内に」であったが・・・。

東日本大震災から昨年12月までに首都圏で起きたM3以上の地震の発生状況から計算したものだという。震災前は5年間で500回だったが、震災後は1日あたり1・48回 と5・5倍に増えたのだそうだ。

マグニチュードが1大きくなると発生頻度は10分 の1になるという経験則があるが、これをもとにM7クラスの発生確率を計算したところ、4年以内に70%、30年以内だと98%になった。M7クラスの地震が過去どれくらい日本で起きているかというと、1855年 安政江戸地震(死者7000人) 、1894年(震源地東京、M7)1895年(茨城、M7・2)、1921年(茨城、M7)、1922年(三浦半島、M6.8)、そして1923年の関東大震災は震源地が三浦半島沖でM7・9、 最大震度6、死者不明約14万人。火災による被害が大きかった。

阪神淡路(95年)がM7・3、最大震度7、死者不明約5500人、新潟中越(04年)がM6・8、最大震度7、死者不明68人だった。

4年以内に70%というのも実に微妙な数字である。30%は起こらないということだからだ。しかし、30年以内に98%となると、ほぼ確実だろう。

関東で地震が起きたら、連動して富士山が爆発を起こす可能性が高いだろう。もし、富士山が爆発したら、静岡県、山梨県、神奈川県、東京都は、壊滅的な被害を受けるだろう。長野県や群馬県や埼玉県だってかなりヤバイだろう。

溶岩で鉄道や道路が不通になり、噴煙で飛行機も飛ばないとなると交通網はズタズタだ。

関東には人間が集まり過ぎている。今回の東日本大震災を教訓にして、もう少し、リスクを分散して生活するようにしなければならないだろう。

ところで、教訓といえば、3月11日以後の政府の議事録が無いというニュースが流れた。一体どういうことだ!

この政府は本当に危機管理がなっていない。緊急時にどういうことが話し合われたのか、誰がどういう発言をしたのか明確にするのが政府の大切な仕事であろう。どんな時だって、重要な会議の際にはテープレコーダーぐらい動かしているはずだ。

責任を取るのが嫌だから議事録を作らせなかったのだろうか?だとしたら関わった人間、全員に何等かの責めを負わせるべきであろう。

責任感の無い奴ばかりが政府にいたというのだろうか?情けなくなってくるねぇ〜。


■2012-01-25-Wednesday マジック

25日は地元の新聞社

十勝毎日新聞社のアカデミー教室でのマジック講座「クロースアップマジック教室」の日であった。

月2回ずつ3ヶ月で6回の講座で1クールである。1月から始まった今回の講座は11日が第一回目、今日の25日が第二回目だ。

今回のテーマは世界最古のマジックのひとつといわれている「カップ&ボール」で、4000年以上も続いている古〜いマジックである。3個のコップを使って3個のボールが消えたり、移動したりする単純なものだが、現代でも多くのマジシャンが演じている息の長〜いマジックだ。

今、講座の受講生は6人で、少な目であるが、教えるには丁度良い人数でもある。

どんなものでも、そうなのであろうが、他人に指導をすると、コツや見せ方が、教える方にも良く分かるので自分の勉強にもなるのだ。

教えながら「ア〜なるほど、そこはこうやって演じた方が面白いなぁ〜」とかが良く分かるのだ、他人に振り見て我が振り直せを地でいく感じである。

自分一人だけで練習するよりも、はるかに自分の為にもなるのである。

1月はマジック関係本の収集に再度火が付いたようでもある。最近は外に飲みに行く機会が極端に減ったし、冬はゴルフも無いから、あまり他の事にお金を使わないからかもしれない。

それに、暇だからインターネットを見る時間が多いせいもあるかもしれない。

そろそろ収集には一段落を付けて、整理の方に時間を掛けたいと考えているのだが・・・。


■2012-01-26-Thursday 雪について

23日に関東で降雪があり、

翌24日の朝は路面が凍ってツルツルになり、ニュースでは足を滑らせて転ぶ人達や坂道で立ち往生する車、接触事故を起こした車などをたくさん映し出していた。

東京方面の人達は普段、雪が積もらないから、雪道の歩き方を知らないということもあるだろうが、第一に靴の底にギザギザがついていない革底の靴はとても滑るのだ。

私も経験がある。30歳代前半頃に「リーガル製」の靴に凝ったことがある。私は足がやたらと汗ばむので、毎日靴を履き替えなければ靴がすぐダメになってしまうのだ。だから、同じデザインの黒と茶の色違いで夏用と冬用の底の形状が異なる靴を2足ずつ合計4足持っていた。

路面がスッカリ凍っていた1月初旬に、自分では冬用の底がゴムでギザギザがついた靴だと思い込んで、夏用の底が革でまったくギザギザが付いていない靴を履いて歩いて会社に行った時のことだ。たった1200m位の距離なのに2回も交差点でスッテンコロリと見事に転んだのだ。これまで長く帯広で暮らしているが、こんな転び方をしたことはない。転んだ直後は恥ずかしいからそそくさとその場を離れたが、会社に着いて靴の底を見てみたら夏用の靴だったので、ああ〜そうだったのかと納得した。

いくら冬の凍った道を歩き慣れていても、夏用の靴では滑ってしまうのだなぁ〜と初めて気が付いた次第であった。

帯広に暮らしていると、夏と冬で、靴やタイヤを交換するのは当たり前だが、東京方面では、めったに積雪にはならないからいちいちそんな面倒なことはしないのだろう。

しかし、凍った道をナメテかかると、ニュースの様に転んだり、事故を起こしたりしてしまうのだ。ここでも各々の危機管理が必要である。

日本海側で大雪の被害がすごい。

たしか去年も同じようなことを書いたように記憶しているが、1月で2mもの積雪は異常だ。

世界中を見渡してみても、これだけの積雪のある場所に、人口100万人規模の札幌や新潟などの大都市があるのは稀である。

世界の常識では、寒いが雪が降らない場所に都市を造るものだからだ。

札幌市の除雪費用は年間約150億円も掛かっている。都市の規模が違うから単純比較はできないが帯広市の除雪費用の過去最高額は9億2800万円である。

それもそのはずで、札幌市の年間降雪量の平均値は630㎝、帯広市は214㎝で約3分の1でしかないのだ。

寒いのは、たくさん着込んだり、温めればなんとかなるが、雪は除雪しなければならない。

少子高齢化で年寄りが増えて、若者が減り、体力的に除雪作業がままならなくなって来始めている。行政も借金が増えて除雪費用の増大はズッシリと堪える。

もしも、北海道が夕張市のように破綻したら、ゴミの収集や除雪などの行政サービスは著しく低下するだろう。もしも、そうなって除雪が出来なくなったら命の危険が出てくる可能性もある。

北海道は、新幹線の延伸など、ますます札幌に機能を集中させようと考えているだろうが、札幌には豪雪という問題がある。

これまで右肩上がりの時には、厄介物の雪を「雪まつり」として観光に変えてきたが、雪まつりの観光効果はせいぜいが10日間である。約半年間も雪に埋もれる札幌で10日間の観光効果では、雪に対するコストパフォーマンスとしては低いものだろう。

危機管理としては、寒いけれども雪が少ない帯広市にもっと北海道の機能を移転させる必要があると考えているのだが・・・。


■2012-01-27-Friday マー君が

楽天のマー君こと

田中将大(23)とタレントの里田まい(26)が婚約したというニュースが入ってきた。

田中将大投手は、北海道の駒大苫小牧高校のエースで、甲子園で2.9連覇(3連覇目の決勝で斎藤佑樹の早稲田実業に敗れて準優勝)を果たしているから北海道に縁があるし、駒澤大学関係ということもあって気になっている選手である。

里田まいは北海道札幌市の出身で、田中義剛が十勝の中札内村(帯広市の隣村)でやっている花畑牧場で彼がプロデュースする「カントリー娘」の一人として働きながら芸能活動をしていたということでこれまた十勝にも縁がある。

昨年だったか、この二人が交際しているという記事を見て、「おバカタレント」としてブレークした里田まいが嫁さんになったとして、もしもマー君が大リーグに行く時には英語をまるで理解していない彼女が奥さんで大丈夫なのかいな、と感じたのだが・・・。

まぁ、マー君は里田まいと交際宣言した後の、去年の大活躍は目を見張るものがあった。何せ去年の投手部門の賞を総ざらいしたのだから、里田はいわゆる「あげまん」というやつなのかもしれないなぁ〜。

里田は3歳上の姉さん女房になるのだけれども、きっと年上女房というよりは、逆に、自分がシッカリと支えなければならないと思わせて亭主を頑張らせるタイプなのかもしれないなぁ〜。

結婚というのは最後は相性なのだ。タレントの陣内某みたいに、分不相応にも世間が羨む藤原紀香みたいな美人をもらったって、続かない時は続かないものなのだ。1年も経たずに離婚するはめになったではないか。

里田まいは「おバカ」キャラで売り出したが、あのおバカ振りはほとんどは演技なのかも知れないなぁ〜。ダルビッシュ有が大リーグに行って日本球界から居なくなった現在、日本野球界最高の投手をしっかりゲットしたのだから、きっと頭は良いのだろう。

ダルビッシュと紗栄子のようにはなってほしくはない。

北海道に縁の深い二人には幸せになってもらいたいものだ。


■2012-01-28-Saturday 地震が

28日の朝に

富士山の近くで地震が多発しているというニュースだ。

山梨県の富士五湖近くを震源とする震度5弱の地震が数回起きている。気象庁は富士山の爆発や東海地震との関連性は無いと会見したが・・・。でも本当にそうなのだろうか?28日には東北や茨城でも地震が発生している。

昨年3月11日の東日本大震災で日本の断層がかなり歪んでしまったのかもしれない。それが、また元に戻ろうとしているのだろうか。

私は、地震の専門家ではないから、地震の事は良く判らないし、軽率な事は云えないが、富士山はかなり危険な状況にあるのではないかと思っている。

気象庁が地震の予知に成功したという話は聞かないし、最近の専門家という人達の発表や会見はどうもイマイチ信用が低いように思う。今朝の地震が起きて直ちに、富士山爆発との関連性がないと発表したことの方が逆に何だかアヤシイ感じがするのだ。

富士山が爆発するかもしれないなんて気象庁が発表でもしたら、富士山近県の住民は大パニックになってしまうから、その方が危険かもしれないからだ。

しかし、先の福島第一原発の事故でも、放射能の危険性に対する政府の発表は地域住民のことはまるで意にも介していないかのような振る舞いであったばかりではないか。

政府の会議録も残さないような無責任極まる政府の云うことは、素直に信じられないという人も大勢いるのではないだろうか?

昨晩の帯広青年会議所OB会の新年総会で数人から「坂本さんのブログをいつも読んでいますよ」と言われたが、「最近は地震予知の時計の事は書いていませんね」とも言われた。

そういえば、ここ最近はこの電波時計の狂いは起こっていないと思うのだ(実は最近は1時過ぎまで起きていないし、枕元に加湿器を置いているので時計の音が聞こえないから判らないのだ)。だが、今朝は大きな地震が起こった。

何か、1時過ぎまで起きていなくても時計の狂いが分かる方法でも考えようかなぁ〜。

新年総会の会場である北海道ホテルから、極寒の中、徒歩で帰宅したのだが、我が家の2丁南側の16丁目のお寺の前に来た時のことだ。

そのお寺の前の電線と街路樹にカラスが数十羽も留まっていた。私がその下を歩いた時に数羽が飛び立ったのに連られてほとんどのカラスが飛び立ったのだが、何と15丁目のラブホテルの前の電線にも数百羽が留まっていて、そちらも一斉に飛び立ったのだ。数百羽のカラスがすぐ頭の上にいるのはあまり気持ちが良いものではない。飛び立ってすぐにまた電線にその数百羽が留まり直したのだが、数百羽のカラスが夜の9時頃に街中の電線に留まっている姿は何とも不気味な感じであった。


■2012-01-29-Sunday 誕生日

今日は私の54回目の誕生日だが、

それにしても、近来稀にみる寂しい誕生日である。

妻が札幌に出張中で不在なので、一人で昼食を作り、一人だけで食べたのである。

54歳にもなると、別段、誕生日なんて祝いたくもないが、それしても一人だけと云うのは寂しいものである。

昼からはベッドに寝転んで読書三昧に耽っていた。

17時から自宅が所属する新生町内会の新年総会である。副会長を仰せつかっているので欠席する訳にはいかない。

会場は同じ町内にある「うさぎ」という店である。40名弱の方が来られて盛況であった。

妻の実家も同じ町内会であるが、妻の両親は妻が札幌に行っていて居ないから出ないというので私一人で出席して来た。

どこの町内会もおそらく同様なのであろうが、最近の町内会は老人が多くなって「限界集落(人口の半分が65歳以上の人間の集落のこと)」ならぬ限界町内会と化しているようだ。なにせ私が若手と言われるくらいなのだから・・・。組長など、市の広報や回覧板を配る役員のなり手がいなくなっている。

リクレーションも参加者が少ないから規模が段々と小さくなっている。その為に会費の使い道が減っているところに、参加出来なくて申し訳ないという老人が町内会に寄付をするものだから、お金が段々と貯まってしまって現在200万円位のお金が残っているのだ。

このご時世に毎年預金残高が増えるというのだから、オカシナ町内会である。

でも、ご近所の方々と話をする機会もめっきり減っているから、こういう会に顔を出すこともコミュニケーションをはかるには重要なことである。

先日、書いたカラスのことを話したら「それは氷まつりの為に騒がしくて行き場のなくなった緑が丘公園に住むカラス達が、氷まつりの期間だけ避難して来ているのだそうな」なんでも聞いてみるものだ。また一つ勉強になった。

3.11の震災後は、全国でも町内会の活動が見直されているようである。ご近所との関係を良好に保っておくことは社会生活の上でも必要不可欠なことになっていると思う。


■2012-01-30-Monday 29日

29日の日曜日は

私の誕生日であったが一人だけだったので、ベッドに横になりながら読書をしていた。そのベッドの横のテレビを漫然とつけていたのだが、やたらと年金問題を扱う番組が多かった。

やれ、世代間で不公平感があるだとか、昭和35年生まれ以降の人からは損をするとか、消費税を上げなければ破綻するだとか、政治家や学者らがいろいろと言っていたが・・・。

私には虚しい空論にしか聞こえなかった。

そもそも、年金は、人口が右肩上がりに増えている時代に設計された制度で人口が増え続けることを前提とした制度なのだから、この人口減少社会になっている日本では、いくら小手先でいじくってみても、やがて破綻するに決まっているではないか。

年金制度を始めた当初の年金のお金がまだ潤沢にあった頃に、やれ年金会館だのなんだのと年金以外のことに使ってしまったからお金が足りなくなってきたのだから、政治家や官僚が悪いのだ。

いまさら言ってもしょうがないのかもしれないが・・・。

根本的に制度設計をやり直さなければ、消費税をいくら上げたって焼け石に水であることは明白だから、若い世代の人達は、やがて払わなくなるぞ!

どうも、問題を先送りしているだけにしかみえない。

原発問題も、東電は値上げをしたいと言っている。

火力発電の石油代が掛かるせいだというが、これは言葉のトリックだ。いかにも火力発電のコストが、原発のコストよりも高いということをアピールしたいのだろうが、そもそも、原発の放射能ゴミをどう処理するのかという問題を先送りしているし、廃炉にするコストまでは原発の総コストとして見込んでいないではないか。

これとて、未来に科学技術が発達したら、そこで処理してもらうというまことに無責任な考え方である。

年金にしても原発にしても、現代の人間が便利に、豊かに生きる為に、未来の人間達にツケを回しているだけである。

こんな豊かさが本当の豊かさなのか?

未来の人間の顔をまともに見られない様な生活スタイルは改めるべきだろう。

原発事故はそれを教えているではないだろうか?

それを、まだ政治家や金に目のくらんだ強欲な連中は、再びやろうとしている。アメリカ式のグローバル社会は、アメリカが得するだけのクダラナイ代物だ。TPPも同じだ。

日本人は、これからの世界の在り様を示すことをしなければならないのだと思う。

愚かな政治家なんてもういらない!


■2012-01-31-Tuesday 坂本商事

私はビル賃貸管理業の

坂本ビル㈱と、北海道民芸品や十勝石細工製品を扱う坂本商事㈱の2社の社長を務めている。

この坂本商事㈱は創業が1905(明治38)年で、現存する北海道のお土産品店ではおそらく一番の老舗であろう。

この商事は、近年の土産品不況などもあって、坂本ビルの1階に9坪ばかりの小さな店舗を構えてはいるが、常駐の社員はおいておらず、開店休業状態なのである。

土産品不況にはいくつかの要因があるが、①旅行が人生の一大事からごく普通の事になってしまい餞別という風習が消えた。かつては新婚旅行などで北海道に来たら、餞別を貰った人にはお土産を買って帰ったものだったが・・・。②住宅事情が変化して床の間がなくなったり、家が狭くなって嵩張る熊の木彫りなどはおいて置く場所がなくなった。③おまけにテレビが薄型になってテレビの上にも置けなくなった。④嵩張る土産品は貰った方も困るので嵩張らずにお腹に入って消えてしまうお菓子が土産の主流になった。などの理由がある。

この傾向は我が社だけではなく、北海道中の土産品店に云えることである。

昨日、我が社に「熊の木彫りを海外の土産に持って行きたいが、スーツケースに収まる小さめの熊の木彫りというのはあるか?」」という電話が入った。「当社に今は在庫はないが問屋に確認してみてあったら2日で到着するが・・・」と言ったら「FAXで大体の形を見てみたい。気に入ったら注文する」と言う。

昔のカタログを引っ張り出してきて、コピーしてFAXしたら、「鮭を喰えた熊の木彫りが欲しい」と言うので、問屋に在庫を確認してみたところ、札幌にある北海道で一番大きな問屋でも在庫が無いと言う。

旭川の自社で製作もしている問屋にも確認したが、もう自社では熊は作っていないし、在庫もひとつも無いと言うのである。

お客さんにはその旨伝えて「お役に立てなくて申し訳ない」と謝ったが・・・。

かつては、我が社でも熊彫りの職人を抱えて製造し、熊の木彫りを1日に十数個も売ったことがあるほど売れていたものが、現在は1年に1個売れるか売れないかである。

我が社だけでも、日本の世帯数の何分の一かにあたる大量の熊を売ってきたのだが・・・。

大勢いた木彫りの職人も高齢になって廃業したり、鬼籍に入ってしまった方も多い。

一時期、台湾辺りで作らせようかと考えたことがあったが、法律で製造場所を明記しなけらばならないから、メイドインチャイナの熊を帯広で売る訳にはいかないから断念したことがあるのだ。

もはや、阿寒湖あたりで、個人で彫っている人ぐらいからしか熊の木彫りが手に入らなくなったようだ。隔世の感がする。