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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-02-01-Wednesday ゴルフ

30日に

妻が札幌の出張から22時11分着の列車で帰って来るので、駅まで迎えに行かなければならない。

それまで、風呂にも入れないし、することがないので、BSテレビでアメリカの男子ゴルフツアーの「ファーマーズインシュアランス・オープン」を見ていた。この時期、北海道ではゴルフがプレーできないから、やたらとゴルフが恋しいのだ。

石川遼が予選突破をした試合であるが、テレビをつけた時点で、すでに石川遼のプレーは終了しており9アンダーで13位タイという成績であったが・・・。

最終組のプレーが実に面白かったのだ。

最終組でトップに立っていたのは、この試合に初優勝がかかっているK・スタンリーという髭面の若いゴルファーで飛距離が出るプレイヤーである。17番を終了した時点で2位のB・スネデカーとは3打差があるから最終18番のロングホールはダブルボギーの7打を叩いても優勝である。

スタンリーは、ティショットは上手くフェアウェイに置いた。18番はロングホールだからスタンリーの飛距離なら十分2オンが狙えるが、グリーン手前には池があるから、ここは勿論安全策で、池の手前に手堅く打っていった。ピンまで残り85ヤードくらいが残った。スタンリー本人も余裕シャクシャクで笑顔まで見える。

ここからグリーンの真ん中辺りに乗せさえすれば4パットでも初優勝だからだ。

スタンリーはきっとカッコをつけて勝ちたいとでも考えたのだろう。ピンをデッドに狙っていった。

ところが、キレイに打ち過ぎてしまいボールにバックスピンが掛かり過ぎてボールがシュルシュルと戻って池にポチャンと入ってしまったのだ。今度は池ポチャの1打罰を払って、ボールが池に入った箇所の後方線上から第5打目を打つが、まだ2打も余裕があるのだからプロなら何でもないはずなのだが、この5打目がグリーンをオーバーしてしまう。そこから1.5mくらいまで寄せたが下りのラインが残った。そしてナナントこのパットを外してしまってプレーオフになってしまったのである。

ゴルフは上がってみるまで何が起きるか判らないものだ。

こうなると、3打差もあるから完全に諦めていた2位のスネデカーにとっては棚ぼたである。スタンリーは悔いているだろうから気落ちしている。プレーオフの1ホール目の18番は共にバーディで引き分け、2ホール目のショートホールでも運の女神はイタズラをした。スタンリーピンまで20mくらいのところにワンオンしたが、スネデカーはグリーンをオーバーして観客席の側に行った。この時点ではスタンリーが有利かと思えたが・・・。

スネデカーは観客席は動かせない障害物だから無罰で救済を受けてそこからピンまで2mくらいのところに2オンしてパーセーブした。

スタンリーは20mのバーディパットを2m残すショート、このパーパットをはずしてボギーを叩いて案の定負けてしまった。

スタンリーにとっては悔やんでも悔やみきれない18番の第3打目であろう。

人間、余裕を持ち過ぎて、カッコつけてやろうなどと考えるとロクなことにならない。

見ていてそんな感じがしたゴルフであった。


■2012-02-02-Thursday 諸事雑感

今日は夫婦の日だそうな。

あれっ11月22日に「いい夫婦の日」ってのがあったんじゃぁなかったかな?

会社の近くのラーメン屋さんが、今日2月2日の夫婦の日からランチを始めるとのことで、それに因んで、夫婦で来店した客は一人ラーメン一杯220円(夫婦二人で440円)だということを書いてあるチラシを寒い中配っていたので食べに行って来た。

妻は塩、私は醤油を頼んだが、味もまぁまぁだったし、これで220円とは原価にもならないんじゃないだろうか?

まぁ、今日一日限りだというからこれでもOKか。

連日、日本海側の大雪のニュースが流れているが、積雪量が1月末の時点で3m以上もあるというのはスゴイものだ。

平屋の屋根より高くなっている。限界集落(人口の50%が65歳以上)なら除雪の人手もないだろう。しかし、屋根の雪下ろしをしなければ雪の重みで家がつぶれてしまうから、おちおち寝てもいられないし・・・。

寒いのは服を着込んだり、暖房でなんとかなるが、雪はどうにもならない。捨てる場所がないから上に積み上げるしかないが、もうすでに壁になっている。職にあぶれている若い人達を集めて、除雪隊を編成してはどうだろうか?と思ったが、あの上に人力で雪を積むことは若い人間でも出来ないだろう。あれは機械力で解決するしかない。

でもあれだけ降ったら、川にだって捨て場はもうないのではないか?

高齢者が増えたら、降雪量の少ない場所にまとまって暮らさないと、雪で死ぬ人がこれからは増えるように思う。

人口が右肩上がりに増えていた時代には、山を削ってまで土地を作りだしていたが、これから人口が減る時代になったら、ある程度の人数で固まって暮らす必要が生じるだろうから、町や村を計画的に縮小させる政策が必要になる。毎年、こんなに雪が降っていたら、除雪費用だけでも大変な額になってしまうだろう。

ただでさえ税収が減っているのだから、数人だけしかいない山間部まで除雪することは難しくなるのではないだろうか?

日本は、人口減少社会の在り様を真剣に考えなければならない時に来ている。


■2012-02-03-Friday 札幌オリンピック

40年前の今日、

1972(昭和47)年2月3日に札幌オリンピックの開会式があったとの記事が新聞に出ていたので当時のことを書く。

札幌オリンピックの当時は、私は中学2年生であった。

小学2年生の時から1学年上の姉と2人だけで列車に乗って札幌の伯父の家まで遊びに行っていた。姉は翌年からは行かなくなったので、私は小学3年生の時からは春・夏・冬の休みには、たった1人だけで札幌まで遊びに行っていたからいつもの調子でオリンピックを観に行くつもりをしていたのだ。

前年の1971年にはプレオリンピックを2人の同級生を引き連れて観に行ってもいたから、オリンピックも同様にへっちゃらだと考えていたのであるが・・・。

当時の大人気種目は何と言ってもスキーのジャンプである。笠谷に金メダルの期待が掛かっていたからだ。この他の種目で日本にメダルが期待できるような種目はなかったのである。だから次の人気種目は何と言ってもアイスホッケーで、その中でも一番人気のカードは因縁のソ連対チェコスロバキア戦であった(現在は、両国とも国名が変わったが・・・)。

クラスメートに声を掛けて、観に行かないかと誘ったら7人が乗ってきた。ところが、それが担任の教諭の知れるところとなり、生徒だけで一泊で観に行くのは学校として許可はできないというのだ。

何とか先生と交渉して日帰りなら許可するが、それでも現地で引率者が必要だとの事で条件が収まった。引率者は札幌在住の8歳上の従姉妹に頼んだが、しかし、大事なテストの日程が2月中旬頃にあるのである。

ソ連対チェコ戦はテストの前日辺りの日程だった為に諦めざるを得なかった。

日帰りという条件だから、学校を休んで行く訳にはいかないから、土曜日に学校が終わってから夜行列車で札幌に向かい、日曜日の早朝に札幌到着、午前中の試合を観て午後3時頃には列車に乗って帯広に戻らなければならない強行スケジュールなのだ。

なにせ当時は帯広ー札幌間は富良野経由で一番早い特急列車で4時間半も掛かったのだから・・・。

チケットの販売は西2条11丁目の角(現:ローソン)にあった交通公社である。真夜中に並んで一番乗りをしたのだったが、この条件に合う試合はアイスホッケーのBグループの試合しかなかった(どこの国と国との戦いだったかも忘れた)。私たちの後に並んだオジサン達が「お前らソ連対チェコ戦のチケットを買うのか?」と聞いてきたほどだったのだが、この切符なら別に一番乗りをして買うほどのこともなかったのに・・・。

同じ日に一番人気のスキーのジャンプの70m級があったが、これは午後まで掛かるので、これを観たら日曜日中には帯広に戻ってこられないからだ。でも、学校を休んでもこの70m級ジャンプを観ておくべきだった。なにせ日本人3選手(笠谷・金野・青地)が金銀銅のメダルを独占したのだから・・・。私一人なら学校をサボってでも観に行くところだったが友達を巻き込む訳にはいかなかった。

一生に一度、地元であるかないかというオリンピックぐらい、学校側としても教育上見せてやるべきだろうと思う。

学校で机の前でやる授業よりはよっぽど勉強になると思うのだが・・・。

その後、篠田正浩監督で映画になったのを皆で観に行ったが、友人達と同じ経験をすることは人生の財産になるなぁと思ったものだった。

そんな札幌オリンピックの思い出である。


■2012-02-04-Saturday とってもハッピーな

趣味のマジックで、

手品・奇術若しくは超常現象など不思議なことに関係する書籍の収集をかれこれ43年間もやっているが、今週はそのコレクションのことでとってもハッピーな事が続いた1週間であった。

まずは、先週、とあるマジッククラブの会報を手に入れたのだが、このマジッククラブは何年間にも渡って会報を発行している。しかもその内容がまた素晴らしいので、是非、全ての号を読んでみたいと思ったのである。最後のページに掲載されていた事務局宛てに、思い切って手紙を出したら、事務局担当の方からお電話を頂戴し「全部は揃わないが、手元にあるものは譲渡します。お時間をいただければ会員にも声を掛けて足りない号を探してみましょう」と言って下さったのだ。感謝感激で飛び上がらんばかりに驚喜したのであった。

次はこれまた先週、ヤフオクで入手した本に、その作者の過去の著作のリストが掲載されていたが、所持していない本がほとんどだった。販売目的ではなく、知人に配布することを目的とした私家本を作製されている方なのである。作者の住所も掲載されていたので、当たって砕けろで、思い切って失礼を顧みずに、昨年9月に日経新聞に掲載された私のマジック本収集の切り抜きを添えて手紙を出したところ、住所不明で戻って来たのだった。

諦めきれなかったので、再度、住所を調べ直して再送したところ、昨日お返事と一緒に著作を送って下さったのだった。

この方は、プロマジシャンの事もいろいろ調べておられるので、師のジミー忍のことも教えて欲しいとのこと。以前に夫人のマコママから聞いていたことのメモを基にして師のことを書いたが、間違いがあってはいけないのでマコママに電話をして確認しながら書いたのだった。(この内容は後でこのブログで掲載することにする)

次に、同じくヤフオクで何度も購入しているマジック本のコレクターの方からプライベートでのやりとりを始めましょうという話を頂いたことだ。実は、毎日ヤフオクに新しいマジック本が出品されていないかを確認する作業は大変なのだ。

マジック本の収集も8千冊を越えたから、そろそろ購入は止めて、整理と分類などに時間を割きたいと考えていたのだが、マジック関係書籍というのは、一般書店で販売されていない薄いレクチャーノートや私家本などが多いから、完全なるリストというものが存在していない。昔の本は先達がリストを作成しているが、近年に出版された本に関しては、おそらく誰も把握していないだろう。まぁ次から次へと知らない本がヤフオクにも出品されるので目が離せないのだ。

その一部が軽減されるのは有難いし、この方も相当な数の本を所有されておられるようなので情報交換ができたらこれまた嬉しいことだ。

更に、地元の有名なアマチュアマジシャンがお亡くなりになったのだが、この方のコレクションを遺族の方が処分に困っているという。大概マジックを趣味にしている人の家族はマジックに全く関心がないという家族が多いのが実情だ。かく言う私の家族もその口だが・・・。

このアマチュアマジシャンの息子が、私と高校の同級生という縁も重なって、春に雪が融けたら相談に乗って欲しいと言う。何と嬉しい事が重なるのだろう。こいつぁ〜春から縁起が良い〜わぇ〜!


■2012-02-05-Sunday 麒麟の翼

4日に映画「麒麟の翼

〜劇場版・新参者〜」を観て来た。東野圭吾原作の映画化である。

例によって「夫婦50歳割引き料金」で二人で2000円である。何度も書くが、新作の映画が映画館で観られて一人1000円と云うのは実に安価な娯楽である。この制度のお陰で毎月のように夫婦で映画を楽しんでいるのだ。

この映画は先週の1月28日に公開された映画であるから、観る前に映画評論家の評価が気になっていた。とある週刊誌に載っていた映画評では「TVの刑事ドラマのSP版みたいな感じ、場面も回想シーンが多用されてストーリーが判りにくく・・・」と結構辛辣な評価であったから、妻が観たいと言い出した時には「こう云う評価だったよ」と告げたのだが、どうしても観たいというので、まぁ1000円なら良いかと観に行ったのだが・・・。

観た感想は、実に良い映画であった。どうやら私とこの映画評論家の嗜好は大きく異なるのだろうなぁ〜。

どこが、TVの刑事ドラマのスペシャル版だ。近来稀にみる感動作であった。

原作がミステリー小説だし、筋書きを教えるような野暮なことはしたくないから、これまた例によってまだ観ていない人の為にストーリーには触れないが、人生の機微が良く描かれていて、人生とは、父親と息子とは、指導者とは、等を深く考えさせられる映画になっている。

人生を生きていく上で、壁や問題は必ず出現する。それを避けながら生きていくのか、その場しのぎで逃げるのか、それとも正面から突破しようとするのか、それによって、その問題を解決した瞬間だけではなく、後の人生にまで大きな影響を及ぼすのだということを教えてくれる。

私の子ども達にも観ることを薦めたいと思った。

私も、人生というものに誠実に生きていきたいと考えながら日々の生活を送っているつもりだ。死ぬ直前に悔いなく死んでいく死に様が願いでもある。

子ども達がこの映画を観てどんな感想を持つのか聞いてみたいものである。


■2012-02-06-Monday 限界町内会

4日土曜日に

映画を観に行く前に、妻がおこなう町内会費の徴収と市の広報誌の配布を手伝った。

私の自宅と妻の実家は同じ町内会に属しているが組は異なる。

29日に開催された町内会の総会で、妻の実家が順番で所属する組の組長(組長は町内会費の徴収や回覧板の配布などをする役目)になることになったのだが・・・。

妻の両親は二人とも80歳過ぎの高齢で足が悪いから、一軒ずつ広報誌を配って歩くことは出来ないし、ましてや今のスケートリンクの様に凍った路面なら尚更である。

誰か別の方に組長をお願いしたいと申し出たのだが、町内会のほとんどの方が高齢者で限界集落(人口の半分が65歳以上の集落のこと)ならぬ、限界町内会と化しているから、来年までには対策を考えるが今年はこのまま担当して欲しいというので、娘である妻が代わりに配って歩けば良いやということで引き受けたのであった。

早速、町内会費の徴収と広報誌の配布の仕事が回ってきたという訳である。

ほとんどの家庭がまとめて1年分を払ってくれるから毎月徴収する必要はないのだが・・・。中には留守の家もあるので一回では終わらない。2回目で町内会費は何とか全部集めたが、広報誌が大量に余ってしまった。理由を聞きに前組長さんの家に行ったら、町内会費を払っていないアパートやマンションの住人、3軒あるラブホテルにも配るのだと言う。

妻はアパートには配って歩いたものの、ラブホテルに配る為に中に入るのはとても嫌だと言う。私だって嫌だ。誰もこんな中年のおばさんのデリヘル嬢なんていないし昼日中だから大丈夫と諭して、妻が配って歩く横をゆっくりと車で移動しながら待っていたのだが・・・。

3軒並んでいるラブホテルの中に、昼日中から、次々に入っては出て来る中年女性の姿、そしてそれをゆっくり追う中年男が運転する車の姿は確かに異様に見えるかもしれないなぁ。

この界隈には、昼間からデリヘル嬢を迎えに来た車が待機しているのはショッチュウだからだ・・・。

今度から妻一人だけで配った方がましかもしれない。

まぁ、でもラブホテルのフロントなんて見る機会もないだろうから、妻にはいい社会勉強になったのかもしれないが。


■2012-02-07-Tuesday 国会

国会は一体なにをやっているのだ!

田中防衛大臣が先月31日の参議院で審議中に15分間ほど無断中座して、国会内の食堂でコーヒーを飲んでいたという問題が出て来た。

この人は奥さんの真紀子さんに、いつもいじめられているから、いじめられることに慣れているのかもしれないなぁ。

確かに、問題だが、しかし国会の審議で時間を取って追及するようなことなのか?これに国会ではコーヒーを飲まない様にすると答える方も答える方だが・・・。

他にも、どうでもいいような瑣末な事を知っているかと追求して答えられない田中防衛大臣をイジメて喜んでいる野党議員も、国民から見たら、バッカじゃないの!としか見えないということが判らないのだろうか。どっちもどっちだ。国会議員の程度の低さに呆れてしまう。

もう一点、毎年3月におこなう年間3万人もいる自殺防止の為の対策強化月間の標語を、流行りのAKB48にかけて「GKB47(ゲート・キーパー・ベーシック、47都道府県)」にしたことに、6日の参院予算委員会で与党民主党の松浦大悟議員が質問したが、担当大臣の岡田克也副首相は「与党の議員が国会で質問する前に民主党内で質問しろ」的な不快である旨の答弁をした。

私には岡田副大臣の答弁はもっともなものだと感じた。これでは野党議員の質問だからだ。ところが、野田首相も「率直に言って、違和感を感じた」と発言したから岡田副首相の立場が無くなった。おまけに当時の担当大臣の蓮舫女史も柔軟に対応した方が良いなんて言うもんだから、岡田副首相も会見して、この標語は取り止めると言う。

結局、300万円も掛けて作成した25万枚のポスターは破棄するという。なんという税金の無駄使いなのだろう。

そもそも、こんな程度の案は、プランの段階で没になっていなければならないだろうに・・・、自殺の問題をこんな、パロディみたいな標語で防ごうなんて役人や政治家の気がしれない。

政治家も国会でイジメや遊びをやっていないで真剣に討論してもらいたいものである。


■2012-02-08-Wednesday 師匠 ジミー忍

先日、とあるマジック研究家で

マジシャンの経歴を調べておられる方から、師のジミー忍のことに関して「3回名前を変えたいきさつ」などの質問があったので答えた。私が未亡人の駒田昌子ママから聞いていてメモを残していた内容を基に一部加筆してある。

師のジミー忍は本名を駒田忍(1943.06.26生〜1995.05.11没)といい、享年は満52歳。(先般、このブログに没年を1996年と誤まって書いてしまったが、今回書くにあたって私の手帳を調べたら1995年が正しかった)

1961(昭和36)年頃に高校を卒業して名古屋の名鉄デパートの乗り物売り場(自転車など)に親戚のコネで就職。この売り場の1階下のフロアーに天洋奇術研究所のマジック用品売場があり、そこのディーラーをやっていたのがジミー松浦(本名:松浦康長、後の松浦天海)。

松浦さんのマジックを見ている内にマジックに興味を持つようになり、仕事そっちのけで売場に通うようになった。松浦さんからマジックの宿題を出され、そのタネを自分で考案して松浦さんに見せたところ「方法は異なるが、現象は同じになった。面白い考え方をする奴だ」と認められる。

それが縁で1年後にはデパートを退職して、天洋奇術研究所のディーラーになる。ディーラーは最初が名古屋名鉄デパート、その後大阪近鉄デパートに移る。

1963(昭和39)年頃には東京のテンヨー本社に入社「まじっくすくーる」の執筆にも参加する。1965(昭和41)年頃にテンヨーを退社してプロデビューしジミー忍を名乗る。「ジミー」の芸名は最初にお世話になった松浦さんからもらったそう。

テンヨーの先輩である初代引田天功とは1971年頃から一緒に仕事をするようになっていた。

1979年12月31日に初代引田天功が亡くなった際には、二代目の襲名を朝風まり(現二代目引田天功)と競うが、この時点では引田天功事務所を離れていた朝風まりと森さん(朝風まりの親戚、彼女は芸能人になりたくて森さんを頼って事務所に入った)にはテレビ朝日がバックについて朝風まりに負けることになるが、引田天功の実の父親からマジック界の為に「引田」姓を名乗って欲しいと頼まれ10年間だけお預かりするということで1991年頃から「引田忍」を名乗る。

約束の10年後1991年頃に西城秀樹の所属事務所の天下井(あまがい)社長が、当時流行っていた超常現象を見せることが出来るからと「セイント」姓を日本名で「聖(ひじり)」とすることを提案、天下井社長は高野山に行って「聖」姓を使うことの許可を求めたそうである。

私は1976〜80(昭和51〜55)年の4年間の大学生の時だけジミー師のもとに通った。

4年の秋に帰郷し、父に「プロマジシャンになりたい」と言ったら「バカ野郎」の一言で終わり、以後、東京へは戻してもらえず、プロになるつもりだったから就職活動もしてなかったので、卒業後はそのまま父(平成4年に64歳で死去)の会社に入社し現在に至る。

大学生時代は、ジミー師はあまり仕事をされておらず、マコママと弟子の美地学(みち まなぶ、本名:佐喜真 学)さんが、「ザ・スティング」というチーム名でキャバレーなどを廻って生活費を稼いでいました。私も何度か助手を務めました。

当時の師はいつも自宅でマジックの研究をされていました。私は師が持っていた当時としてはかなり早い時期のビデオ「ソニー製のU−MATIC」という機械でスライディーニやバーノンなどの映像を何度も見ながら研究をしたものだ。

私は大学卒業後(1980年)は帯広に引っ込んでおりましたが、師が「いずみたく」さんらとマジックミュージカル「ザ・マジック」を1980年頃に製作して全国各地の「こども劇場」などを通して公演していて、北海道に公演に来た1981年頃には釧路、帯広、札幌の三か所に同行した。帯広では私の自宅にも寄ってもらって、私のマジック書籍のコレクションを見てもらい、この際に「将来は一緒にマジック博物館を作ろうな」と言われた。

その後、1994年7月の横浜のFISMの際に訪ねたところが体調がすぐれないとのことで、ご夫婦を8月22〜28日まで十勝に招待し療養してもらった。そのお礼にと私の自宅に医者らの友人らを招いて、師のマジックショーを開いている時に「坂モッチャン、左手にパームしている感覚が無いんだ、なんかオカシイよ」と言われましたので、同席していた医者が東京に戻ったら病院に行った方が良いとアドバイス。

帰京後すぐにマコママから「先生に、肺癌と脳腫瘍が見つかった」と泣きながら私に電話してきた。脳腫瘍は手術出来たが、肺癌の方はすでに手遅れの状態。

1994年12月3日に上京し、駒澤大学時代に世話になったメンバーを集めて見舞ったが、本人には告知をしていなかった。

1995年4月28日に危篤を知らせる電話が入り、5月11日に満52歳と云う若さでお亡くなりになった。

文章中「年代」に「頃」を付けているのは、私がマコママにインタヴューした時にもハッキリとした年月が判らず、だいたいこの頃と聞かされたから・・・。

マコママは現在も健在で、去年、お店の「魔法の小箱」にお邪魔した際には、偶然にも八田加寿雄さんからの電話も入りました。一応ママの店の住所を書いておく。「東京都世田谷区船橋1−1−16 鈴木ビル2階 魔法の小箱」

八田さんは私が大学1年生の時にフランスから帰国され世田谷の三軒茶屋近くで飲食店を始められ、そこにジミー師と2人で訪ねたことがありるが、その後、離婚されて現在はタクシー運転手をされておられるとか。


■2012-02-09-Thursday 風邪?

ここ最近は風邪らしい風邪を患ったことがない。

2007年3月末日に「北の屋台」を辞めるまでは、結構な重さの風邪を毎年患っていたものだが・・・。

北の屋台に居た当時は、視察客を案内して毎晩のように屋台で酒を飲んでいたからだろう。きっと肝臓を休める暇が無かったことが原因のひとつだったのではなかろうかと思っている。

北の屋台を辞めてからは、夜に自分の時間が作れるようになったから、今度は毎晩のように、帯広近郊の温泉浴場を巡って歩くようになった。

酒を飲むのと、温泉では、どちらが身体に良いのかは言うまでもないだろう。

以前にもこのブログに書いたが、帯広市内の銭湯は、ほとんどがモール温泉(植物性由来の温泉)である(中にはモール温泉ではなく塩泉浴場もあるが)。

またほとんどの浴場にサウナ風呂も付いているから、たったの420円でたっぷりと汗をかくことが出来るのだ。温泉で汗を流すと、寝酒を飲まなくてもすんなりと眠ることが出来るから、酒の量も減って、健康にも良いのである。

ところが、最近また寝酒の量が増えてきたのだ。

温泉から戻って、PCの前に座り、ブログを書く時についつい一杯の焼酎を飲んでしまうと、とことん酔うまで飲みたくなってしまう悪い癖がある。飲まなきゃ、一口も飲まなくても全然へっちゃらなのだのが、一口飲んでしまうと酔わずに途中で止められないのだ。

このところやたらと外気温が低いから、銭湯から帰るまでに湯冷めした身体を再度温めるという口実で飲んでいるのが原因であることはハッキリしているのだが・・・。

温泉に入る様になってから、新陳代謝が良くなったのか、風邪をひかなくなったようなのだ。

鼻水や軽い咳が出る程度の風邪ならば、ビタミンCと水分を沢山摂取して大量に汗を流せば、この程度の症状で収まっているのだ。ところが最近・・・。

自宅に居る間は喉の調子が悪くはないのだが、会社に居るとなんだかイガラッポイ感じがするのだ。おそらく原因は向かいのビルの取り壊し工事のせいではなかろうかと思っている。コンクリートを機械で破壊して捨てるのだから、その埃が向かいの我が社に飛んで来るのではないだろうかと思うのだ。

まぁ、もうすぐ工事も終わるだろうから、もう少しの我慢であろう。

昨晩は銭湯の脱衣所でかかっていた懐かしい音楽を聞いて、おもわず笑ってしまった。日吉ミミが歌っている曲で題名は知らないが最後に「世の中バカなのよ〜」と歌う曲である。「ヨノナカバカナノヨ」は上から読んでも下から読んでも同じという回文なのだが、これは良く出来た回文であると感心し直した次第。

銭湯が温泉と云う街に暮らせることに感謝しよう。


■2012-02-10-Friday いろいろ

昨年12月23日に亡くなった

留萌の叔母(母の妹)の四十九日法要が昨日、留萌で行われた。母は出席したいと言ったのだが、足の悪い母を一人で行かせる訳にはいかないし、ましてや今冬の日本海側は記録的な大雪である。

自動車の運転が嫌いだから、夏でも長距離の移動は公共交通機関を使用して移動するのに、この大雪の中を留萌まで運転して行く勇気はない。

10日の午後にはどうしてもはずせない仕事が帯広であるから、出席するとなれば、日帰り若しくは10日の午前中までに帯広に戻らなければならない。この時期の北海道内の移動は公共交通機関であっても時間通りに動ける保証はないから、まことに申し訳ないが暖かくなって雪が溶けてからお参りさせてもらうことにして、今回は欠席することにした。

案の定、昨日も日本海側は大雪で、岩見沢(札幌と留萌の間にある街)では列車が立ち往生して8時間も身動きできなくなったという。岩見沢では積雪が3m以上にもなっているそうだ。

昨日、集まった親族らも大変な思いをしたことだろう。

今年の大雪はちょっと酷過ぎるなぁ〜。

8日午後9時頃にに新潟県の佐渡島で震度5強の地震があった。太平洋側だけでなく、日本海側でも大きな地震があったことに驚く。

やはり、日本中どこも地震からは逃れられない国ということなのだろう。

昨晩のニュースで、政府の地震調査委員会は9日、首都直下 地震の発生確率は従来通りの「今後30年以内に70%程度」と発表したが、先月23日に東大地震研究所は「4年以内に70%」と発表している。

一体、どちらが正しいのだ。闇雲に危機感だけを煽るのはヨロシクナイが、この政府の地震調査委員会の発表の裏には一体何があるのだろうか?

素人には30年以内と4年以内の差がよく判らないのが実情だろう。

30年以内と言ったって、明日だって30年以内なのだから・・・。

4年以内と言う方が、より逼迫している感じがするということか?

学者のプライドなのだろうか? それとも所詮地震予知は最初から不可能ということなのだろうか?

確かに、4年以内に70%と言われてしまうと、何だか東京には出張に行きたくなくなるしなぁ〜。

まぁ、用心するに越したことはないが、心配のあまり普段の生活に支障をきたしても困るということなのかなぁ〜。

土地勘のない場所で災害に合ったら、私でも冷静でいられるかはちょっと心配なところでもある。


■2012-02-11-Saturday 幻のマジック本

マジックの本や超常現象などの

不思議というテーマで本を収集していることは何度もこのブログに書いているが、この12月から2月初旬にかけては、当たり月と言うのか何と言うのか急激に蔵書が増えてしまったのである。

冬の間はゴルフが出来ないから暇を持て余しているということも原因のひとつであろう。ネットオークションを開いて見たり、ネットの古書店の組織網である「日本の古本屋」や「スーパー源氏」や「アマゾン」などを頻繁に検索しているから、探していた本がかなり見つかった。

それと、ネット上で取引をさせてもらった方との個人的な繋がりが構築出来たことや、新しく見つかった古書籍に出ている著者の方などの連絡先に思い切って直接手紙を差し上げたら返事が来て著作を頂いたりしたことが重なったためである。

だから、最近の私は、嬉しくて、嬉しくて、いつもニコニコしているのだ。

そんな中、先週、大学生時代から20数年間も探し求めていて、見つけられなかった本、力書房の「すぐ役立つ奇術 精神感応術(寺川雅元著)昭和42(1967)年発行800円A5版39P」がネットオークションに出品されたのを見つけた。

同じ様なライバルが居たのだろう、かなりな金額まで競り合ったが、最後には私がなんとか落札することが出来た(いくらで落札したのかは妻が恐ろしいからとても口にはできないが・・・)。

ここで逃したりしてしまったらまた20数年間も手にすることが出来ないかと思ったら、何がなんでも競り落としてやるというのがコレクター心理なのだ。なにせ、妻と交際する前から探し求めていた本なのだから・・・。

出品された方もマジシャンの方で、段々と高齢になってきたから後輩の為に蔵書を出品し始めているとのこと。何度かメールで親しくやりとりをさせていただいた。

そして昨日届いた本を見て驚いた。45年も前の本なのに、まるで昨日出来あがった本の様に美しい状態だったのである。感激したのはいうまでもない。早速お礼のメールを送ったら、サービスで力書房の本を一冊プレゼントしましょうと言ってくれた。なんという幸運なのでしょう!

これで力書房関係の本もほぼ集まった。後は「トップマジックの32〜46号」・「ホーカスポーカスの⑩スポンジボール」といったところである。JCC(ジャパン カジュラーズ クラブ)というところが発行した「パス」という薄いA5版の冊子でスペードのA(エース)〜KとハートのA〜Kの24冊も探している。どなたかお持ちの方で不要になった方は譲って下さい。

ところで、この力書房の本の収集には随分とてこずった。北海道の片田舎でマジックを本で覚えようなんていう仲間が皆無の場所だから、マジック本の情報が極端に少ないのだ。ようやく最近になってから、コンピュータのネットのおかげで、コレクターの仲間が出来て情報をやり取りすることが出来るようになった。

なにせ、力書房には何冊もの幻の本があるからだ。

力書房の本は、本の裏に、既刊本の広告や近刊本の紹介が載っているのだが、どうも発行されていない本を既刊本として掲載しているようなのである。

例えば「あなたは奇術師(高木重朗著)昭和31(1956)年発行)」という本には「あぶらかたぶらシリーズ」全16冊の本の紹介が掲載され①ハンケチの奇術(高木重朗著)300頁、②ロープの奇術(フィッキー著高木重朗訳)150頁、③シガレットの奇術200頁、と既刊本のように頁数まで載っているのだ。④以下⑭までは本の名称と著者名も載っているが頁数は載っていない。別冊の2冊も本の名称は載っている。

この本は私が生まれる前の発行だし、この広告が掲載されてから既に56年も経っているのだから、誰が考えても、全部発売されているとしか思えないだろう。

私も大学生の頃からズ〜ッと探しているのだが②の「ロープ奇術」しか入手していないのだ。普通は②があるなら当然①が存在するはずだろうに・・・。

ネットのコレクター仲間から②しか存在していない旨を教えられたのは去年の今頃であった。

また「現代カード奇術1(ルイス・ギャンソン高木重朗訳)昭和38(1961)年第3版」の裏の広告には「カードファン入門(高木重朗訳)A5・26頁300円」が載っているのだが、これもいつまで経っても見つからない。昨日、ネット仲間に尋ねたら「実在しないと思う」との返事である。

つまり、私はズ〜ッと幻の本を探し続けていたという訳だ。どうりで見つからない訳である。とんだ無駄骨であった。

これらも含めてコレクションというのは面白いものである。


■2012-02-12-Sunday 山本五十六

映画「山本五十六」を

11日(土)昼に観て来た。正式には「聯合艦隊司令長官 山本五十六」という題名で11日が全国公開である。山本五十六を演じる主演は役所広司だ。

これまでの戦争映画とは違って、戦闘場面は極端に少なく、アメリカとの開戦に反対しながら、時代の趨勢によって戦争をしなければならなくなってしまった軍人の生き方を描いているヒューマンドラマである。

随分と山本五十六を高く評価し(過ぎ)ている映画で、悪役は、世論を誤まった方向に誘導した新聞社であり、戦況を見誤まった軍の官僚であり、指揮官ある。

この映画を作ったスタッフは、明確な国の指針や目的も持たずに、国を動かす軍人や政治家たちに、現在の日本の状況を憂えて、重ね合わせているのだろう。

私は全国各地で「まちづくり」の講演活動をしているが、必ず使うフレーズに「目的を共有していない組織は必ず空中分解する」があるが、この当時の日本は、政府も軍も何の為に戦争をするのかのという意識がまるでなかったのだろう。

個人としては戦争には反対でも、軍人としては上からの命令に従わざるを得なかった苦悩は理解できる。私のように辞めて解決する問題でもないから・・・。

冷静に考えれば、国力に圧倒的な差があるアメリカと戦争して勝てるなんて考える方がオカシイと思うのだが、当時の情報が少ない状況では、国民は大本営発表や新聞に誘導されるのは致し方がなかったのかもしれない。

しかし、翻って現在のこの情報過多の日本の状況でも、自分の意思を明確に持っている人間がいったいどれだけいるのかは甚だ疑問である。

新聞に限らず、テレビなどのマスコミ媒体は、どうもいまいち信用が置けない。先の原発事故時の政府の発表は、誰も信用していないからだ。

それにしても、最近の映画は、同じ役者ばかりが出ているなぁ〜。

この映画も、役所広司・阿部寛・香川照之など同じ顔ぶればかりだ。

阿部寛が演じた司令官は、どこぞの国の豪華客船の船長さんと違って、船と共に海に沈んだが・・・。

エンドロールと共に流れる小椋佳の「眦」という歌はとても良かったが、この「眦」という字が読めなかったので帰ってすぐに調べたら「まなじり」と読むのだそうだ。

映画館は高齢者が多くて驚いた。この映画館は、夫婦50歳割引き料金以外にも60歳以上割引料金制度もあって、60歳以上は一人でも1000円なのだ。だが、それにしても高齢者のマナーは最悪だなぁ〜。私の隣に座ったおじいさんは昼間だというのに酒の臭いがプンプンだし、股を隣の私の前にまでおっぴろげて座るし肘も私の方にはみ出している、斜め後ろのオヤジは携帯電話で話しをするし、左の前のオバサンは始まってすぐにイビキをかいて寝始めた。途中でトイレに立つ人が数人いたのは、生理現象だから、オシッコが近いのはやむを得ないとしてもだ・・・。

老人たちよ!もう少し公衆マナーを守らないと若者達に苦言なんて呈せないぞ!


■2012-02-13-Monday マジック番組

最近、このブログで妻のことを

かなり悪し様に書くものだから、妻も私のブログをチェックするようになってきた。

11日の「幻のマジック本」も読んでいて「マジックの本を一体いくらで買ったの?、怒らないから正直に言いなさい!」と、まるで小学生を詰問するかの様な口調で私に迫ってきたのである。

後から本当のことがバレるともっと酷いことになるから正直に告白したら「バッカみたい、元が800円の本にそんなお金を払って買うなんて・・・」と呆れられてしまった。

その同じ11日19:00からBS日テレで「マジック4000年の歴史 日本が生んだ奇跡の技 仰天!江戸奇術の世界」という2時間番組が放送された。

江戸時代の手妻はかなり高度なことをやっていたのだという検証番組でもある。なかなか面白い内容であった。

案内役は、Mr.マリックとグッさんこと山口智充の2人である。この放送があることは、私のブログの読者からも教えてもらったし、出演者のひとりのマジシャンからも「出るので見て欲しい」とのメールが入った。

当然、録画もして、同時に食後にテレビでも見て楽しんだのだが、妻も食器洗いをしながら見ていて・・・。

この番組の中で、私と同じ様に「マジック関係書籍の収集」をしている方が登場して、馴染みの神田神保町の古本屋で薄い江戸時代の手妻の本を3冊買う場面が写ったのである。

この方が払った金額が8万円だったのを見て、妻がまた声を発した。「バッカみたい、アナタと同じように、こんな薄っぺらい読めもしない様な本に8万円も支払うなんて・・・、アナタみたいなバカな人間が他にも居るなんて信じられない!」と言う。

妻よ!ロマンの無い女には所詮理解の出来ない世界なのだよ!

この番組の後半で、若手のマジシャンでコインの上手い人とカードの上手い人が出て来たが、どちらも風采の上がらないオタクッぽい感じの青年であった。我々が若い頃よりは、ビデオやDVDというものすごい強力な映像器があるから、技術は格段に進んでいるが、マジシャンの持つ独特の雰囲気というものが感じられなくなった。これは良いことなのか悪いことなのか判断がつかない。

いかにもマジシャンと云う人が不思議なことを見せるのと、どこにでもいる青年が不思議なことを見せるのとでは、一般の観客の感じ方はどう変化するのだろうか?

11日の朝日新聞朝刊で『マジックにだまされるのはなぜか「注意」の認知心理学(熊田孝恒)化学同人1700円』という本の広告を見つけたので本屋に在庫確認をしたら一冊在庫があるというので買いに行って読んだ。いわゆるマジシャンが書いた「タネ明かし」や「伝授本」の類ではなく。心理学の本であるが、なかなか面白かった。私が講演で言っているマジック的思考法とほぼ同じ内容でもある。

私は、今後「マジック」は心理学的にも、経済学的にも重宝されるのではないかと考えているので、こういう類の本が出版されることは歓迎したい。

マジックに興味が無い人が読んでも面白い本であると思う。紹介まで。


■2012-02-14-Tuesday 収集家

コレクターというものは

コレクションしているのもが異なっていても、心理的には合い通じるところがあるもので・・・。

13日に我が社の北海道民芸品部門である坂本商事に来客があった。かねてより、木彫芸術品を何度かお買い上げ頂いていて、木彫品に興味があり、コレクションされている方だ。

私のブログを読んでくださってもいる方で、私同様に自身のコレクションには奥様の理解は少ないそうである。同病相哀れむといったところか。

この方には、以前に、津川雅彦さんが十勝にサンタランド(サンタクロースの里)を建設しようとして何度も来勝している時に、我が社と取引のある木彫作家を、津川さんに紹介し、津川さんが経営している玩具店「グランパパ」にサンタクロースの木彫を十数点納入していた時の作品の写真などもお見せしたことがある。

この方が、東京に戻られる前に、我が社に飾ってあった中尾龍童氏の「アイヌ達が阿寒湖のマリモを捧げる儀式を行っている様子を彫った」作品がとても気に入ったので購入したいというのである。

何とも嬉しい話である。我が社の木彫品は、半分私の趣味で集めたようなものばかりで、父が存命中は、「博物館じゃぁ〜あるまいし、こんなに高級品ばかり購入して来て売れるのか?」と言われていた作品の一つでもある。だが、それこそバブルの頃には、他のみやげ品店が我が社に購入しに来るほど、我が社には北海道中の良い木彫作家の作品が集まったものだったのだ。

この作品も、いまでは、来客すら少ない店のショーケースに寂しく埃をかぶっているような状態で置いてあるだったので、作品の質が分かるコレクターに買って頂いて、より多くの方々に鑑賞してもらった方が、作品自体にとっても嬉しいことだろう。

ただ、とても細かな作品で、しかも箱というものが無いから、箱や包装や配送等も一切無し、自身で直接お持ち帰り頂くのが条件でもある。

とりあえず道内の自宅までは車に積んで持ち帰れるだろうが、東京に持って変えるのは一苦労されることだろうと思う。

どうか大切に末永く愛でて頂きたい。


■2012-02-15-Wednesday 「九丁目の夕日」

2012年2月13日十勝毎日新聞「論壇」欄掲載

「九丁目の夕日」

現在公開中の映画「ALWAYS三丁目の夕日‘64」は小学館の「ビッグコミックオリジナル」誌上で西岸良平さんが描く昭和30年代を舞台にした漫画が原作だが、題名の元になったのは「当時の東京にはまだ高い建物が少なかったので、どんな場所からでも夕日が見えた」からではないだろうか。高度経済成長で高層ビルが建って空が狭くなっていき、夕日が見える場所が少なくなっていったことへのノスタルジーが含まれているのではないかと勝手に想像している。

私は昭和33年に現在の坂本ビルが建っている場所でお産婆さんに取り上げられ、昭和42年の火事で住宅が移転するまではここに住んでいたから、文字通り「町っ子」であったわけだが、昭和36年に藤丸百貨店が西側に建ったために、物心ついたときにはわが家から夕日は見えなくなっていた。

かつて「まちにいく」と表現された西2条南9丁目界隈は、全盛期の昭和40年代には藤丸デパート、サニーデパート、長崎屋、金市館などの大型店が、ファッション関係ではとくら、シノカワ、ワシントン靴店、お菓子では帯広千秋庵(現六花亭)があったりして、普段着からちょっと「おしゃれ」な服に着替えて来るハレの場所であり、東京でいうところの「銀座」のような存在であったわけだ。

当時の商家には住み込みの従業員が居るのは当たり前のことであったし、新しモノ好きの父が早くにカラーテレビを購入したことや、駅に近かったこともあって、汽車に乗る前後にわが家を待合所みたいに使う人たちが大勢出入りしたものだった。幼心にもわが家の食卓には毎日のように他人が同席していたという記憶があるが、いつも他人がゴチャゴチャと居た家だった。つまり、当時の「まち」は、買い物をする人間だけが集まる場所ではなかったということだ。

最近、帯広ではビルが次々と取り壊されて、逆に視界がドンドンと開けている。向かいにあった旧藤丸百貨店(旧北洋銀行ビル)も先ごろ解体されて半世紀ぶりに景色が一変してしまった。かつての「まち」9丁目西街区の約7割が空き地になってしまった。

西2条南9丁目は帯広市で一番、固定資産税が高い場所でもある。高度利用をせずに更地にしておくのは何ともモッタイナイ。

昔のように、用事がなくても「まち」に来ておしゃべりを楽しむ、他人が同じ食卓でご飯を食べる。そんな濃密なコミュニケーションを復活させることにヒントが隠されているのではないかと考えている。


■2012-02-16-Thursday シンポジュウム

14日札幌で「まちなか活性化シンポジュウム」が

(財)北海道建設技術センター主催、北海道庁が共催で開催され、シンポジストとして出席してきた。

基調講演及びアドバイザーとして北海道大学の小林英嗣名誉教授、シンポジストとして、私と其田勝則砂川商工会議所副会頭、成田長英ナックプランニング社長、コーディネーターは松村博文北方建築総合研究所主査が務めた。

例年、2月3月の年度末が近くなると、予算消化の為なのか、講演依頼やシンポジュウムへの参加要請が増える傾向にある。

さすがに去年は3月11日以降は、予定がキャンセルされ例年よりも少なかったが、今年は既に元に戻っているような感じがする。

小林英嗣さんとはもう11年の付き合いになるし、ナックプランニングは北の屋台をやった当時の帯広市のTMO(タウン マネージメント オーガナイゼーション)を担当したコンサルタント会社で何度かTMOの会議で一緒になったことがあるからこれまた11年前からである。

小林先生の講演は「今時、まだまちなか活性化なの?」から始まったとても興味深く勉強になった内容であった。

私の持論とも重なる所が多々あって共鳴したのだ。曰く「まちづくりには三つの悪霊が居る。①便利、安全、効率の追求、②時代の最先端が正・善であるという思い込み、③科学的な定量化、モデル化をすれば良いと考えていることの三つである」と、また「行政は、さも一般市民の声を聞きましたよと云うアリバイ作りの為に、やたらと○○委員会という様な組織を作りたがるが、その委員になる市民の側にも、責任感がまったく感じられない。まちづくりに責任を持って真剣に取り組む覚悟を持った市民が委員にならなければならない。」などは正にその通りである。委員になっても意見を言わない人、まちづくりの勉強もしていない人が多過ぎる。

「貴方が(他の地域から来た)他人に自分の住む町を紹介する時に見せたいと思う場所はどこですか?」というのは、私がいつも講演で言って

いる「自慢できる街、誇りにできる街」に通じるものを感じた。

民間でおこなう「まちづくり」のネックは、自前の事務所を持てない、専属の事務局員を雇えないことだと成田さんが発言されていたが、まさにこれもその通り。

私は以前に何度もこのブログにも書いているが「十勝環境ラボラトリー(TKL)」とそこから派生した「北の屋台」で生み出される利益で、諸団体の共用の事務所を作り、共用の事務局員を雇って、一ヶ所に集まることで交流が生まれ、その内に組織の合従連衡がおこって、新しい活動をする組織が出来たり、新しい人材の育成にあてられたらと考えていたのだ。

帯広はほとんどの団体が後継者が育たず、その活動が10年程度で終了してしまうというオカシナ特性があるからだ。TKLも北の屋台の利益をそういう事に使わないからちょうど10年間(1996-2006)で終了してしまった。

当初、TKLのメンバーだって私以外は誰一人として「北の屋台」の成功は考えていなかったはずなのに、北の屋台が思わぬ成功をしてしまったが為に、その成功だけで満足して、次のステップに行くことを止めてしまい、北の屋台で得た利益は専務の生活費(3人分の給与に相当するような高額)をにすることにしてしまったのが現在の北の屋台なのである。彼等にとっては北の屋台だけで満足なのだ。

せっかくの全国的なまちづくりの模範になるものを、自らの手でその成長を止めてしまったというわけだ。返す返すもモッタイナイ話である。

今回のシンポジュウムに参加してまた強くそのことを感じた。


■2012-02-17-Friday マインドコントロール

オセロの中島知子が

怪しげな女占い師に傾倒して、マンションの家賃などを滞納し、大家である本木雅弘から立ち退き訴訟を起こされたというニュースを見た。

中島知子は、この女占い師の言うことしか聞かないらしく、どうやらマインドコントロールをされている様子だという。

占い師が使う「コールドリーディング」と云うのは「トリックや話術を駆使して、相手の現在・過去・未来を見透した様に錯覚させる技法」で元来はマジシャンの技法の一つである。

マジックでは100年ほど前に「心霊術」が流行った時に発達した技法である。

言葉のマジックでは「絶対に外れない予言」というのが可能なのだ。「当たった時には当たったということが判るが、外れたときには外れたということが判らないように言えば良い」のである。この反対の「絶対に当たる予言」というのは超能力者でもない限り不可能なのである。

例をあげて説明しよう。占い師から「貴女には近い将来、事故に巻き込まれる卦が出ています。しかし、不安になることはありませんよ。しっかりと気を付けて生活していれば事故から免れることが出来ますから」と告げられたとしよう。

ミソは「いつ」「どこで」「どんな」タイプの事故なのかという具体的な事は一切言わないことだ。もし、この女性が事故に合ったとしたならば、この占いは見事に当たったことになるし、もし、この女性が事故に合わなかったとしても、「しっかり気を付けて生活していた」から事故に合わなかったのだという言い逃れができるのだ。

例え事故に合わなくて外れてもまったく占い師側には問題は生じないのだが、もし、この女性が本当に事故に合った場合には「あの占い師の言うことはスゴイ!私が事故に合う事を予見した」ということになるという仕組みなのである。

人間の脳というのは、自分に都合の良いように解釈するという性質があるのである。

人間は強い意志を持って生きていたり、人生が順調な時なら占いなどに頼るような事はしないのだが、恋人に振られたとか、仕事で失敗したとかの精神状態が多少不安定な時に、ちょっと占ってもらおうかな?などと云う気持ちになるものだ。

まっとうな占い師なら、カウンセラーの様に相手の話を聞いてあげて、相手の気持ちを落ち着かせるという効果も期待できるのだろうが、この占い師のように相手の弱みにとことん喰いついて、しゃぶりつくすという悪質な輩がいるのかもしれない。

この占い師はこういったコールドリーディングの技法を使って中島知子の絶対的信用と忠誠心を獲得しマインドコントロールをしたのであろう。自分の全てを見透されていると錯覚してしまったら占い師の言う事しか恐ろしくて聞けないような心理状態になっているのだろうと思われる。

辻占いで、相手を引き込む程度に使うならまだしも、相手の家に入り込み金銭を搾取するとなったらこれはもう完全な犯罪行為である。

こういったコールドリーディングの技法は現在はマジシャンよりも、新興宗教の勧誘などに使われる事が多いという、新興宗教の中には辻占いにかこつけて勧誘する手口もあるようだし、もっと高度な隠れ蓑として経済セミナーや勉強会と称してマインドコントロールするところもあるらしいから気を付けなくてはいけない。


■2012-02-18-Saturday グアム島ゴルフ

16〜20日までグアム島に

ゴルフ仲間7人と行って来た(この文章は20日帰国後に書いている)。

5年前から毎年2月に、このゴルフの仲間等はグアム島に行ってゴルフを楽しんでいるが、私も今年で3回目の参加である。

例年2・3月は、年度末を控えて予算が余っている公官庁や行政などが予算消化の為に講演会などを開催するので、それに呼ばれて講演する私はこの時期はいつも忙しくて日程が合わない事が多く、ここ2年連続で不参加であった。今年も直前に札幌でシンポジュウムがあったし、本業の予定も入っていたので、不参加で返答していたのだが・・・。

「人数が足りないからどうしても参加しろ!」という先輩からの電話で、どうにも断わり切れなくて急遽、参加しなければならなくなってしまったのである。

だからゴルフクラブは物置に入れたままで、遂に一度も練習場にも行かずに直接グアム島に行くことになってしまったのだった。

全員参加で「にぎる」と言う。5年前に初めて参加した時には、私が圧倒的な最下位だった苦い記憶がよぎった。

幹事役の人が既に全員のオフィシャルハンディを調べているが、それを聞いて愕然とした。皆、今回の旅行の為に、シーズンの最後に悪いスコアカードを提出して、ハンディを下げていたのである。たしか去年の夏にはシングルだった人が二桁ハンディになっているのだ。

私は見得もあるから、悪いスコアは提出しないで良いスコアだけを出しているというのに・・・。

まぁ、勝った人間はどうせ晩飯を奢ることになっているから、同じことだけどね・・・。


■2012-02-19-Sunday グアム島ゴルフ2

新しくなった新千歳空港で

ユナイテッド航空のグアム島行き直行便に乗るが、以前はゴルフバックの貨物料金は掛からなかったのに、今回はスーツケースの他に2個目の荷物からは別料金40ドルが掛かるというのだ。

我々は3人掛けの座席にびっしり3人ずつ座らされた。太いのが多いから窮屈だと、一人が空いている後ろの座席に勝手に移ったら、席の移動は150ドルだとCAが言う。

何とも世知辛くなったものである。

CA(キャビンアテンダント)とはどうもしっくりこない呼び方だ。スチュワーデスの方がしっくりくる。

海外のCAはおばぁちゃんじゃないかと思うくらいの皺しわの女性がいたり、通路を歩いたらすれ違えないくらい太った女性がいるが、今回も年の頃なら60歳代に見える様なおばぁちゃんCAがいた。何だかサービスを受けるよりも介護してあげなきゃならないのじゃぁないかと思える程である。

グアム島に着いたらすごい雨である。天気予報では17・18日と雨マークが付いているが、私は「晴れ男」だから大丈夫だと言っておいたら、全く3日間ともゴルフ中は雨には当たらなかった。

初日のゴルフはオンワードのマンギラオである。昼の1時という遅いスタート。

私の今年の第一打は270ヤードの会心のショットであった。

333ヤードのコースだからセカンドは60ヤード程しか残っていないが、ここからザックリ、ザックリ、ザックリと3回もやってダボスタートである。フルショットは良いが加減するショットはまるで練習していないからヒドイものである。そこで攻め方を変えて、100ヤード以上を残すようなクラブで打っていったら最初のハーフが40打で上がれた。

後半は名物の海沿いのコースである。海越えのショートコースで海に入れてからショットがオカシクなってきた。ショットがオカシクなるとパットも入らない。後半は50打も打ってしまったのだった。

我々の前の組は、あまりゴルフもやったことがないかなぁという新婚さんで、時間の掛かること掛かること結局上がったのは日没ギリギリの6時半である。上がって来て、自分の分解写真を買おうかと思ってもクラブハウスの受付の従業員は帰ってしまっていたのだった。


■2012-02-20-Monday グアム島ゴルフ3

グアム島でのゴルフは

2日目はオンワードのタロフォフォ、3日目は再びマンギラオでプレーした。でも、このコースは日本人しかプレーしないのだろうか?韓国語や中国語は聞こえなかったなぁ。

我々は16日早朝に帯広から新千歳空港までJRの列車で行ったのだが快晴でJRも順調だった。16日の夜にJRの貨物列車が新千歳空港近くの東追分駅で脱線事故を起こして不通になったというニュースが入ってきた。

前日の15日は大雪でJRが遅れたし、出発が前後に一日ずれていたら大変なことになっていた訳だ。戻って来た20日から平常ダイヤに戻ったというから、丁度、我々がグアム島に行っている間だけJRが動かなかったということになる。

それにしても北海道JRは事故が続いているなぁ〜。

行きの列車で我々の前の席に座った若い女性2人が、我々のメンバーの中の一人と知り合いであった。この2人も同じ飛行機でグアム島に遊びに行くと言う。娘の同級生で家族ぐるみの付き合いのある娘だとのこと。それを聞いたスケベ〜(そう)なメンバーの一人が「オジサンがご馳走してあげるから今夜一緒に食事をしないかい?」と誘ったのである。

携帯電話番号を聞いて、グアム島に着いてから誘ったら本当に食べに来た。結局3日間ともご馳走することになったのだが、オジサン達は皆、ご機嫌である。

確かにむさくるしい男だけで食べるよりも、若い女性が居た方が楽しい食事会ではあった。

グアムの免税店などにも見に行ったが、客は居るには居るが、あまり買っている人は少ない様に見受けられた。私も海外旅行でショッピングをすることはこの10年位まったくなくなっている。ここも不況のようである。日本人がかつてのようにバンバンとブランド品を買い漁る雰囲気ではない。

ホテルの建物も施設なども古くなって、かなりボロくなっているがあまりメンテナンスもしていない様子だった。

観光業で生きていくのは難しいものである。


■2012-02-21-Tuesday 貸し借り

私はモノの貸し借りが嫌いだ!

特に本の貸し借りは、高校1年生の時に大流行した「ノストラダムスの大予言」が本屋にも売っていなくて、どうしても読みたかったので持っていた友人に借りて読んだのを最後に借りた事はない。だから現在はまったく貸し借りはやっていない。

それと云うのも、どんなに気を使って読んでも、相手の大切な本を傷めてしまうおそれがあるし、逆に、貴重な本を貸して汚されたり、破られたり、最低なのは無くされた(戻って来なかった)ことがあるからだ。

私はマジック関係書籍以外にも、とにかく本が大好きで、更には歴史も好きなものだから、地元の研究をする為に、帯広もしくは十勝関係の歴史的な文献を好んで読んでいた時期がある。

父は本を全くと言っていいほど読まなかった人だったが、立場上(十勝観光協会会長)十勝関連の書籍の贈呈をかなり受けていた様なのである。平成4(1992)年に父が64歳で死去した際に、遺品の整理をしていたら、モノ持ちが良い人だったから、会社の書庫にかなりの数の本があった。しかも自身が本を読まないから、開いた形跡も見られないような良好な保存状態で、発行部数の少ない地元の書籍が沢山残っていたのである。

本好きの私は、嬉々として読み漁ったものだった。平成8(1996)年に私のビルの一室に「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の事務所を開設した際に、何だか殺風景だったので、この貴重な地元関係の本を書庫から移動して本棚に並べていたのである。勿論、「持ち出し厳禁」にしていたのだが、TKLには多くの人達が出入りしており、その中の誰かが、黙って貴重な本数冊を持ちだしたきり戻さないのだ。

地元の本は、元々発行部数が少ない上に、地元にしか配られるない性格のものがほとんどである。しかも地元の本屋でも販売されることは稀で、地元の一軒しかない古本屋にもめったに入らない代物であるし、勿論ネットオークションなどに出品されることはまずないのだ。

一度、手を離れてしまうとなかなか再度入手することが難しい類の本なのである。

本を持って行った人間もそれを承知の上で持って行ったのだろう。戻って来る筈もなかった。それから貴重な本は会社の書庫に戻したが、その本は未だに再入手出来ていないのである。

決して貸した訳ではなかったが、それからは本の貸し借りは一切止めた。

現在はマジックの本も鍵が掛かる状態のガラスの戸を付けて展示している。その本棚が先ごろ本で満杯になってしまったので今日、新たに製作してもらって運び込んだのだ。本棚はひとつが幅212㎝、高さ240㎝、奥行き35㎝の特注のものだが、これが今日現在で6つ半になった。全て、マジック・手品・奇術・大道芸・寄席・魔術・魔法・超能力・催眠術・心霊現象・超常現象・忍術・予言・UFO・UMA・映画・折り紙・あやとり・暗号・パズル・心理学など、謎や不思議といったテーマで統一してあるのだ。

まだ全部を整理しきれていないので、正確な冊数は不明だが、恐らく8500〜9000冊はあるのではなかろうか?

早いところ収集には区切りを付けて、整理、研究に入りたいのだが、純粋なマジック関係の書籍も、次から次へと出現してくるので、なかなか収集作業も終わることが出来ないでいる。しかし、物理的に、もうこの部屋には本棚を置けるスペースが無くなったから、そろそろ収束に近づいているような気がしている。


■2012-02-22-Wednesday 本の並べ替え

昨日、新しい本棚が

入ったのでマジック関係書籍の入れ替え作業を行った。

項目別に分類して、余裕を持たせながら並べていたのだが、すぐに一杯になってしまうものだから、隙間なく並べ直していく内に、段々と分類がアヤシクなってきてしまう。しまいには横積みにしてある場所も出て来たので、仕方なく本棚を追加した訳である。

本棚ひとつでおよそ1000冊分くらいのスペースがあるから、再び項目別に並べ替える作業をしたのだ。これは他人には任せられないから自分で全てやるのだが、並べ直している内に、配列が気に入らなくなって配置を変えたり、棚の高さを変えたりするのであるが、結構疲れる作業でもある。

しかし、この作業をすることで、自分のコレクションを再確認出来るメリットも出て来る。本棚に仕舞いっ放しだと、どの本を持っていて、どの本は持っていないのかが、判らなくなってしまうからである。

さすがに9000冊近くも所有していると全部を覚えていられる訳ではないからだ。

だから時々、既に所有している本を再度、注文してしまうケースも出て来るのだ。こんな時は自分に対して「ア〜ァ、またやったか!」と嫌悪感を抱いてしまう。

並べ替えるだけではなく、今度はジックリ目を通し直してみることにしようと思う。

昼休みに会社近くの「百円ショップのキャンドゥ」に行って「ブックスタンド」を購入して来ようと思ったが、プラスティック製のモノしか置いていないという。プラスティック製だと本が倒れると割れてしまって用をなさないから金属製のモノを探しに、もう一件の「ダイソー」に行ったらここにも置いていないという。随分と置いてある商品が替るものである。以前は色々な種類の金属製のブックスタンドが置いてあったのに・・・。

本棚を新しく入れたら、会議室が狭くなってしまった。

今までは内開き扉だったからドアを開けると中の人にぶつかってしまう危険性が出てきた。また、この会議室でマジック教室も開いているのだが内開きにすると空間が狭くなってしまう。

本棚を作ってくれた建具屋さんに頼んで、左右を入れ替えて、外開き扉に直してもらった。ドアの色が壁の色と異なってしまったが、違和感は感じない。むしろ以前のドアの色よりもシックリとした感じになった。

妻が見て、飽きれていたが、さすがにこのレベルまで到達すると、もはや何を言っても無駄だと諦めた感じである。

これから暇な時間にゆっくりと並べ変える楽しみが出てきた。実に楽しい日々である。


■2012-02-23-Thursday 注意力?

22日(水)に

地元の新聞社、十勝毎日新聞が主宰している「かちまいアカデミー」という趣味の会で、私が講師を務めるマジック教室があった。

会場は我が社の会議室で、この会議室は「マジック図書館」を兼ねている場所である。

今回の講座は1月〜3月の3ヶ月間で月2回ずつ計9回の講座で「クロースアップマジック教室」と銘打ってある。教えているのは「カップ&ボール」という世界最古の奇術のひとつと言われているもので、3個のコップと3個のボールを使用した単純だが歴史が長い(4000年以上とも言われている)分だけ手順も、ものすごい数が考案されている奇術だ。

私が大好きなクロースアップのマジシャンは、第一にトニー・スライディーニで学生時代は師のジミー忍宅で毎日の様に、スライディーニの紙玉のマジックをソニーのU−MATICという現在のVHSの1.5倍はあろうかという大きさのビデオ(当時、ビデオはまだ普及していなかったから非常に貴重であった)を見ながら研究して、このマジックをモノにしたものである。

二番目がダイ・ヴァーノンで、三番目がアルバート・ゴッシュマンである。おそらく、私と同年代かそれ以上のアマチュアマジシャンなら、この3人に憧れた経験があるのではなかろうか?

私が今回、指導しているのは日本では最もポピュラーな手順である「ダイ・ヴァーノン氏の手順」だ。

この手順が日本で流行ったのには、力書房が昭和47(1972)年1月25日に出版した「ホーカス ポーカス シリーズ Ⅵ ダイ・ヴァーノン カップと玉(R・ギャンソン著・高木重朗訳)」が影響していると思う。私も学生時代に好んで演じた手順で、思い出しながら楽しく教えている。

サービスのつもりで、ルーティン以外の事を教えると、逆に生徒の人達は混乱してしまうから、余計なことは一切教えないことにした。

サービスが仇となってしまうことがあるのである。

昨夜の教室に集まった6人の生徒さんに、教室が終了して帰りがけに、「この教室に前回の時とは2ヶ所の変化がありますが判りますか?」と質問したのだが、誰一人として本棚が増えた事とドアが逆付けになったことが判らなかったのである。人間の注意力なんてこんな程度のものなのかもしれないなぁ〜。


■2012-02-24-Friday

昨日23日は久し振りに雪が降った。

おそらく1月22日以来の1ヶ月振りくらいのまとまった降雪ではないだろうか?

降雪量は帯広市内で20〜25㎝程度であった。程度と書いたのは、このブログを書いている時点でまだ何センチの降雪と発表になっていないからだ。

昨晩、会社から自宅に戻った17:30頃から、数度に分けて除雪をした。貯まってから一度にやると重たくて腰や腕の負担が重くなるからラッセル(雪を押して除雪する道具)で押していける量の時に除雪をして、数度に分けた方が楽なのである。それでも除雪しなければならない面積が広いから結構大変な作業である。

我が家の前と、我が家の裏に住んでいる母の家の前も開けなければならないからかなりの量になるのだ。

会社は東側の駐車場の脇に、融雪機を取り付けてあるから、そこまでラッセルで運んで放り込めば、溶かして下水道に流せるからまだ楽であるが、自宅は積み上げなければならないから、最後の跳ね上げ作業が辛い。腕と腰が悲鳴を上げているようだ。普段の運動不足が祟っている。

それでも、豪雪地帯である岩見沢市なら、毎日、毎日、こんな量の雪が降っているというのだから大変だ。帯広は気温は低いが、雪が少ない場所という太平洋側の気候で助かっている。寒さは暖房器具もあるし、服を重ね着すれば何とか過ごせるが、日本海側の豪雪地帯はそうはいかない。昨日も夕張で美術館の屋根が、雪の重みで崩落したとか、旭川の市場の屋根が落ちたとかのニュースもあった。

我が家では久しく屋根の雪下ろしはやったことがない。

人口が減る時代には、除雪作業のことも考えた街づくりが必要になるだろう。豪雪は命に関わる問題でもある。


■2012-02-25-Saturday 博打経済

企業の年金資金を預かって運用する会社

AIJ投資顧問が2000億円を失ったというニュースである。

AIJ投資顧問が一昨年1年間に実施した先物取引とオプション取引を合わせたデリバティブ取引高は約57兆円だという。損失リスクが高い取引を積極的に行った結果として多額の損失が発生し、企業から預かった年金資金を2000億円も失った疑いが出た。

また、AIJ投資顧問は、高い利回りをうたって実態と異なる虚偽の説明をしていた可能性があり、証券取引等監視委員会と金融庁は、年金資金が運用以外の目的に流用するような悪質な行為がなかったか、刑事告発も視野に調べているという。また、年金資金を運用するほかの投資顧問会社約260社についても、問題がないかどうか週明けから本格的に調査を始めるとのことだが・・・。

年金資金をリスクの高い取引に使用すること自体が大問題だろう。

これは民間の会社のことだが、一般人にとってはまた「年金問題」かと一括りに考えられる可能性も低くはないだろう。

かつて厚生省は年金を厚生年金会館や○○ピアだかの施設に投入してかなりな金額を無駄にした。今日の年金問題の大本は、永遠に右肩上がりに人口が増えると考えた官僚や政治家が、ジャブジャブと無駄使いをした結果である。

国がダメなら民間で運用しようかと思ったら、今度は危険な取引で2000億円もパーにしたという。一体、年金は誰に預けたら良いのか判らなくなるだろう。

今日の世界経済は異常だ!

まるで毎日、毎日、高額な博打をしているようではないか。

先物取引だとかデリバティブだとか、誰もが理解出来ない様に仕組んだ金融商品で、実体経済を脅かしている。それがエスカレートして国の経済どころかヨーロッパの経済までオカシクさせている。もがやトレーダーとかいう人種は、博打中毒患者になっていて、世界がどうなろうと自分が勝つことだけを考えているようだ。こんな無茶苦茶な連中に左右される世界の経済で良いのか?

早急に、国連でも何でも構わないが、制裁を考えるか、経済取引の仕組み自体を根本から変えなければ人類は、博打金融に、実体経済を殺されてしまうことになるぞ!


■2012-02-26-Sunday 土曜日の過ごし方

今日は妻が出張で不在である。

朝は妻を空港まで送りに行き、帰りに「百円ショップ」に寄ってブックスタンドを購入し、本屋に寄って今日明日に読む本を物色した。

早目の昼食を馴染みの「みどり蕎麦屋」で済ませて、自宅に戻り12:00〜18:30までズ〜ッとベッドの中で読書をしていた。

数冊の本を読破したが「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか(R・ワイズマン著)文藝春秋」という本も買って来た。この本は以前にも目にしていたのだが、似た様な題名の本が多くて、所持しているつもりになっていて、これまで購入していなかったのだが、先ごろの本棚の追加による並べ替えによって本の表紙を見直した折に、まだ所持していないことに気が付いたという次第である。

読んでみると面白い本であった。著者はマジックが趣味(プロマジシャンでもあった)の大学教授である。超能力や占いや幽霊や予言などは、人間の脳みそや目に、無いものを補正して見えた様に錯覚させてしまうという機能があるためなのだが、それらの原理を知っているマジシャンは、そういったいわゆる超常現象に対して懐疑的な目でみる人が多いという指摘が面白い。マインドコントロールの項では日本の新興宗教の手口と似ているところが万国共通なのだなぁと考えさせられる。人間は洋の東西を問わずに、教祖が超能力的な力を見せることで、信者に思い込ませて、そして信じ込ませる手段が共通している。

数冊読み終わって、夕食を食べに出ようと思ったら、愛犬が寄って来て「腹が減った〜」と訴えてくるので、食事を与えて、ウンチをするまで待っていた。最近は食べるとすぐにウンチをするのだが、認知症が出てきたのか、何処でもところ構わずにする様になってしまったのだ。そのウンチを踏み付けて歩き回られでもしたら掃除が大変なのだ。だからウンチをするまでテレビを点けてリモコンをザッピングしていたら、NHKBS放送で19:00から帯広のばんえい競馬を題材にしたドラマ「大地のファンファーレ」を放送するという。観光カリスマとしては帯広を題材にしたドラマなら見ておかずばなるまい。ましてや「北の屋台」も劇中に登場するというから尚更である。

ドラマはたった一点「北の屋台」で客の一人として映っていた人相の悪い薄らハゲの男が気に入らなかったが、その他はまぁ、こんなもんだろう。終わったら20:30になっていたので、すっかりお腹が空いてしまった。だが、この時間にやっている食堂は無い。銭湯の準備をして銭湯の近くの白樺ショッピングタウンに向かう。ここには24時間営業の牛丼屋やラーメン屋があったはずだ。牛丼屋で食事を済ませて20時54分に銭湯に向かおうとして白樺ショッピングタウン内の駐車場をショートカットしようと思ったら、駐車場の中に安全コーンとロープで入れない様になっている。西側の出口から出ようと思ったら、警備員がちょうど施錠しようとしていたところだったので通してもらって銭湯に向かった。同じ敷地内に夜遅くまで営業しているボウリング場や24時間営業の食事する店もあるのにと思ったが、暴走族が駐車場内で暴れたりしたら困るということなのだろうか?

ユックリ銭湯に浸かってブログを書いて寝た。


■2012-02-27-Monday シンクロ・フィギュア

2月26日(日)に

京都の京都アクアリーナで日本スケート連盟主催による「第18回全日本シンクロナイズド・スケーティング選手権大会」が開催され、長女が参加している「神宮アイスメッセンジャーズ・グレース」が優勝した。

シンクロナイズド・スケーティングは16名の団体で滑るフィギュア・スケートの競技である。

妻は応援と称して京都まで出掛けたという訳だ。

神宮アイスメッセンジャーズグレースは去年の9月の中旬に帯広で合宿することになっていて、準備には妻が随分と骨を折っていたのだが・・・。

なんと合宿に来る前日に、コーチと選手等との軋轢から、突如分裂してしまい。帯広にはたった7人しか来なかった。

その後、コーチはチームから抜けてしまい、チームは10月から再出発を余儀なくされたのであった。

コーチが抜けたことで、娘もかなり苦悩したようであったが、何とかかんとかチームもまとまり、今回の全日本選手権にもようやく出場することが出来たというような状態であったから、今年は優勝は無理かなぁ〜と思っていたのだが・・・。

大会が終了直後に妻から「優勝したよ!」というメールが入ったのでホッとした次第。やはり私も親である。

今選手権大会は4月にスウェーデンで開催される世界選手権への選考会も兼ねているので、去年のフィンランド大会に続いて、私も応援に行けたら良いなぁ〜と思っているところだ。

まずはメデタイ。


■2012-02-28-Tuesday フィギュア・シンクロ2

妻が京都から戻って来た。

フィギュア・スケートの16名の団体で滑る競技「シンクロナイズド・スケーティング」の第18回全日本選手権大会に長女が参加している「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース」というチームが出場するのでそれの応援に行っていたのだ。

娘のチームは見事優勝して3連覇を成し遂げたが、今回の優勝は前2回の優勝とは一味も二味も違った様である。

去年9月中旬の帯広合宿の前日に、コーチと選手及び選手の親との考え方の相違から、コーチが抜けてしまい。10月から新しくプログラムを構成し直して臨んだ大会だからだ。

前2回の優勝は、世界一のチームに所属していたスウェーデン帰りのコーチの手腕に頼り切っていたところがあったが、そのコーチが抜けたことで、残された選手と親達と監督や新コーチ陣が、全員必死になって一から組み立て直した結果であるからだ。

コーチの言う通りにただ練習していれば良いのと、プログラム作りから自分達で考えて試行錯誤しながらやるのとでは達成感が自ずと違うだろう。

優勝が決定した瞬間に、選手達はもちろんのこと、応援に来ていた親達も号泣したという。

いつもはクールな娘も今回は感動したというから、かなりキツくて辛い5ヶ月間だったのだろうと推察する。

しかも2位に20点以上の大差をつけての優勝だったというから、今回は優勝は無理だろうなぁと考えていた私が恥ずかしい。

選手達は、毎晩のように仕事や学校が終わってから各地のアイスアリーナで練習するのだが、練習が終了するのは電車の終電が発車した後だという。東京近郊に住まいする親達が、手分けして車で選手等の住まいに送り届けたのだという。

遠く帯広に暮らしている当方はそんな親達の献身的な苦労は知らないでいたから頭が下がる思いである。

カリスマ的なコーチの元でチームが強くなることもあるだろう。また今回のように、そのカリスマが抜けて、選手と親が一体となってチームを再建したというのも、また別な強さが生まれるだろう。

技術的には以前には勝らなくても、団体競技であるから、選手の一体感がある方が美しく見える。

スウェーデンでの世界選手権には私も見に行きたいが、16歳になる愛犬のバニーちゃんが心配だ。なにせ、かなりヨボヨボしているから、預けたりしたら死んでしまうかもしれないからだ。世界大会までに方策を考えないと、私は連れて行ってもらえないかもしれないのだ。

でも、よくよく考えたらバニーちゃんは妻の犬なんだがなぁ〜。


■2012-02-29-Wednesday すぐき

京都に行って来た妻に

頼んで、お土産に「すぐき漬け」を買ってきてもらった。

私は、京都の「すぐき漬け」を高校生の時の修学旅行で食べてからというもの大好物なのだが・・・。

帯広のデパートでもたまに「京の老舗まつり」とか「京都うまいもの展」とか云う催しをやって、京都の漬物屋さんが何店か出店するのだが、北海道では「すぐき漬け」は売れないからと、「キザミすぐき漬け(細かく切ったすぐき漬け)」しか持って来ないのだ。カブのままの状態では帯広では手に入らないのだ。

どうも、すぐき漬けの乳酸菌発酵による酸っぱさが、北海道では漬物が古くなって悪くなったと勘違いする人が多いようなのだ。

以前、知人に、京都土産にすぐきを買って来たら、「一口食べたら酸っぱくなっていて、もう悪くなっていたから捨てたよ」と言われて愕然としたことがあった。高価な漬物なのに・・・。知らないということは恐ろしいことである。

以来、帯広の人にお土産で買ってくることはなくなった。いつも私だけの楽しみにしている。

京都の大学に行った友人に頼んで、買って来てもらったこともある。すぐきに白ゴマをまぶして醤油を少々かけたものをおつまみにして、日本酒を呑むのがことのほか好きであった。

私のお勧めは「なり田」のすぐきだ。以前は京都に行ったら、タクシーを飛ばして上賀茂神社近くの本店まで買いに行ったものだ。

京都駅が新しくなってから支店が出たので、それからはわざわざ本店まで行くことはなくなったが・・・。今回、妻に京都駅の地下にあるはずだと伝えておいたのだが、分からなかったらしく、妻はわざわざ高島屋の地下まで行って買って来たと恩着せがましく言うのである。それでも買ってくるだけ良しとしよう。今晩の夕食が楽しみである。