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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-04-01-Sunday 馬鹿もん

「馬鹿もん」と書いて「うまかもん」と読ませる。

2年前の4月1日のエイプリルフール(四月馬鹿)の日にスタートさせるべく、その1年前からいろいろと準備をした事業であったが・・・。

「馬肉」と「鹿肉」の需要が伸びなくて困っている業界がある。

「馬肉」の方は、世界で唯一、帯広市だけで開催されている農耕馬が重たいソリを引っ張って競う「ばんえい競馬」である。

以前「ばんえい競馬」は、北海道で帯広・旭川・北見・岩見沢の4市で開催されていたが、地方競馬と同じく収支が合わなくて帯広以外の3市は2006年度で撤退をしてしまった。唯一、帯広市だけが残ったのだが、かなり苦戦をしている。いろいろな策を講じているが、目立った効果は上がっていない。観光カリスマとして相談を受けた私は、ばんえい競馬の根本は何なのかを調べてみたのだ。すると、ばんえい競馬の出走馬はサラブレッドとは異なり、1トンはあろうかという大型の農耕馬であった。また、この農耕馬は今時、馬で農地を耕す農家も居ないから、食肉用として生産飼育されていることも判った。北海道で生産される食肉用の馬のほとんどは熊本県に生きたまま輸送し、熊本県で屠殺解体され食肉として販売されている。

私が考えた理屈は「競馬は力強い馬が競うから面白い」→「競馬馬は食肉用に生産された馬の中から特に力強い馬が選ばれる」→「馬肉の消費が少ないと食肉用の馬の生産を止めて、牛に転換してしまう農家が増えてしまい、相対的に力強い馬の数が少なくなる」→「馬肉の消費を増やして、良い馬が多数生産されるようにする」→「力強いレースが多くなって競馬が面白くなり競馬ファンが増える」という風に考えたのである。

つまり、ばんえい競馬を面白くするには、馬肉の消費を増やすことが重要だと考えたのだ。

ところが、馬肉と云うのは、県によっては全く食べない県があると云うことも判った。食文化が異なるのだ。恐らく、牛耕か馬耕かで別れたのではないかと推測している。

北海道は、ご先祖様がどこの県から来たのかに依って、馬肉を食べる家と食べない家とが分かれるようだ。

我が家は、父方が山梨県出身、母方が秋田県出身で共に馬肉を食べる文化があるから、私は幼い頃から馬肉を食べていたので全く抵抗がないが、馬肉を食べない人の中には、あんなに可愛い動物の肉は食べられないとノタマウご仁も多い。ベジタリアンが馬肉は食べないと云うならまだ話は判るが、牛や豚や鶏は可愛くないから食べられるとでも云うのだろうか?理屈に合わない理由である。

もう一方の「鹿肉」は北海道ではエゾ鹿が増え過ぎて被害が深刻化している。ただ鹿を殺して駆除するよりは、欧米では鹿肉はジビエの最高峰として珍重されているのだから供養の為にも人間が食べてあげるべきだと考えている。

どちらの肉も食べてみたら、抜群に美味しい肉なのである。ただ、以前に「鹿肉」の場合は、ハンターが狩猟で獲った鹿肉は、血抜きが不完全だったり、解体の際に膀胱を破ってしまってオシッコが掛かってしまったりして嫌〜な臭いや血の臭いがしたりしたことがあり、それがいつしか鹿肉は臭いというイメージが定着してしまったようなのである。

このイメージを打破する為に、正攻法で著名なシェフが鹿肉料理のレシピを紹介したり、レストランで提供したりしてきたが、なかなか上手くいっていないのが現状である。

そこで「馬」と「鹿」で「ばか」と云う文字面で目からのショックで印象を深くし、それを「ばか」ではなく「うまか(もん)」と読ませることで、「うまいもの」という音でのイメージを作ろうという戦術であったのだが・・・。(実はもっと深い意味があるので、興味のある人は私の以前に書いたブログを読んでください)

一緒にやりたいと言って来た北海道青年会議所の連中は、始まる前から動きが鈍くて、結局とん挫することになってしまったのだ。

どうも青年会議所は2年目以降の活動がダメな組織である。私もそれが判っているから「十勝環境ラボラトリー」を始める時には青年会議所と別組織を造って対応したのだが・・・。懸念が現実のものになってしまった。

「馬鹿(うまか)もん」はこのまま眠らせてしまうことになるのだろうか?実にモッタイナイ話である。


■2012-04-02-Monday フィギュア・スケート

31日に夜にLive映像で

フランスのニースで開催されているフィギュア・スケートの世界選手権の男子シングルの模様を見た。(この文章は1日の午前中に書いている)

娘達にフィギュア・スケートをやらせていたから我が家はフィギュア・スケートに関しては少々ウルサイのである。

結果はカナダのP・チャンが優勝、日本の高橋大輔は2位、羽生結弦が3位となり、日本人2人が表彰台に上ったことは素晴らしかった。

中でも羽生くんは、SPで7位から、フリーでは高橋大輔よりも高得点をマークして2位と大健闘した。彼は娘の東北高校の後輩であり、コーチの阿部奈々美さんにも習っていたからとくに嬉しい活躍である。

ただ、優勝のP・チャンのフリーの演技は転倒もあって少々物足りなく、優勝のコールがあった時には会場からブーイングも起きたように感じたが、私は最初ショートプログラムの得点が利いていたのだろうと思っていた・・・。

ところがチャンはフリーの演技でも羽生結弦や高橋大輔を3点近くも離しているのであった。この得点には疑問が多い。確かに4回転を複数飛んではいるが、転倒した選手が、完璧に演じた羽生や高橋よりも上なんて、まぁフィギュアは採点者の主観が多い種目だからしょうがないといえばしょうがないか。

帯広の天候は29日は16.4℃と云う4月下旬並みに暖かくなり、河川敷のゴルフ場2ヶ所がオープン。30日も晴れ、31日は朝からの雨で雪解けが一気に進んだのだが・・・。31日の夜から雪に変わり、朝方には3〜4㎝の積雪になっていた。まぁ、この時期の雪はすぐに融けるが、それでも雪が残っていると、気分は春という感じにはなかなかならないものだ。

4月からいろいろなものの制度が変わる。消費税増税問題やら北朝鮮のミサイル問題などで、ニュースなどがあんまりこちらの制度改変を報じないものだから、何だか、よく判らない内にやられているような感じだ。政治家や官僚にごまかされているようで気分が悪い。

南海地震の際の津波の予想が20m超の大津波になるとの予測が報じられた。これも何だか、東日本大震災以降は過剰な数字が飛び交っている様に感じる。20mといえば8階建てのビルに相当する高さである。これを防ぐような堤防なんて造れる訳がないのだから、津波で死にたくない人たちは高台に引っ越すしかないだろう。

マグニチュード9以上震度7以上を想定していると云うから、東日本大震災よりもデカイ地震が東南海を襲うということだ。こんな地震が起きたらまず助からないだろう。

地震がいつ来るかと怯えながら暮らすよりも、一応の避難準備と心の準備をしておいて普段通りに暮らすしかないと思っている。


■2012-04-03-Tuesday オリエンテーリング

4月6日(金)に

札幌学院大学の新入生オリエンテーリングで講演することになっている。

一昨年、昨年も同様の依頼を受けていたのだが、スケジュールが合わなくてお断りしていたのだが、今年はスケジュールの都合がついたのでお引き受けしたのだが・・・。

札幌学院大学では数度、授業と云うか講演と云うのか判らないが90分間「まちづくり」特に「十勝環境ラボラトリー」や「北の屋台」に関しての講演は行っているので、軽い気持ちで受諾したのだが・・・。

今回は新入生のオリエンテーリングの冒頭で40分間の講演と云うことである。

これから大学生になる18歳の人達に、キャンパスライフを充実したものにしてもらう為の出発点での講演なのである。

よくよく考えたら「北の屋台」は11年前の2001年7月29日のオープンだから、大学の新入生はまだ7歳程度で、小学生2年生か3年生あたりであろう。当然、お酒のことに関心があろう筈がないし、まちづくりにだって関心が無かったろう。せいぜい「地球環境問題」に薄っすらと感心を持っている人が数人でもいれば良いくらいの年代である。

講演の日程が近づくにつれて、普段と同じ講演内容では、チンプンカンプンかもしれないと思い始めたのだ。

普段の講演は90分間しゃべり続けても時間が足りないくらいに、これまでの経験のエピソードが沢山あるが、そもそも時間が半分以下の40分しかないのだ。話し始めるとサービス精神でついつい余計な話に脱線してしまいがちだからそこにも気を付けなくてはならないだろう。

「マジック的思考法」と云う、いわゆる逆転の発想というやつをメインにしようか?やっぱり実体験を伝えた方がリアリティがあるだろうか?といまだに悩んでいる。

これからを担う若者の、キャンパスライフの最初がつまらない話では先行きが暗くなってしまうだろうからだ。責任が重大である。


■2012-04-04-Wednesday 厚顔無恥

厚顔無恥とは

「厚かましくて恥知らず」と云う意味だが、さしずめAIJ投資顧問の浅川某などもこの類であろう。

3月27日に行われた国会の参考人として招致された浅川和彦社長は「客を騙すつもりはなかった」とシレッとして言ってのけた。年収7000万円という高額な給与で弁済してはと言われても、返還するつもりは無いとも言い切った。

「騙すつもりがなかった」といえば詐欺罪が成立しないとでも、悪徳弁護士から入れ知恵されたのかもしれない。いや、最初から将来は捕まって裁判になることを想定していて、会社はいずれ破綻することは判っているから、それまでに高額な給与をもらっておいて、運用の失敗と云うことで軽い罪で2〜3年は臭い飯を喰うことは覚悟して、刑期を終えたら、その高額報酬で得た金で左団扇で暮らすつもりだったのかもしれない。

ちょっとウガチ過ぎかもしれないが、こう云う厚顔無恥な悪い輩が結構、私の身近にも居るものだから、ついついそういう風に考えてしまうのかもしれない。

所属する組織が赤字であろうが、一緒に働いている人間の給料は安かろうが、当の本人は、蛙の面にションベンで、どこ吹く風ってなもんなのだろう。へっちゃらな顔して、新しい企画はその安月給の他人任せ、本人は昼間からパチンコに通い、夜はタダ酒を飲むだけで、超高額な給与を取る。帯広のどこかの団体にも居るのだなぁ〜こう云う奴が・・・。

後から、犯罪行為が発覚しても、知らなかった。騙すつもりはなかった。一生懸命やっていたとでも云うのだろう。他の役員や監査役にも、その役割機能をさせないように、おべんちゃらすることに全神経を使って、想像的な仕事にはまったく頭を使えない。しかもそういう悪いことだけは天才的に上手いときているから、なかなか発覚もしないのだ。

いざ、発覚した時には組織や関係者に多大な損失を与えるというのに、周りは無関心のままなのだ。

もうじき、この組織も総会を迎えるが、例によって、数字の公表はしないだろうし、公表を求めたら「後日に」とか言ってごまかして、うやむやにするだろう、うまく他の役員に手を回してシャンシャンで形式だけは整えて終わらせるつもりでいるのだろうが、もしも今年の総会でも、広告費として徴収している年間480万円の使途を明確するように求めなければ、他の役員も、特に監査役は同罪だということになるではないだろうか?

こう云う厚顔無恥な自分の利益しか考えない奴が、大きな顔して暮らしていることに憤りを感じてしまう今日この頃である。


■2012-04-05-Thursday 危険?!

大阪で立体駐車場の昇降機に

挟まれて3歳の男の子が死亡する事故があった。(この文章は3日午前に書いている)

40歳の母親が操作中の事故だと云う。例によってメディアは機械の危険性云々というコメントを発しているが・・・。

自分の子どもを死亡させて悲嘆にくれているであろうこの母親にはむごいかもしれないが、この事故は100%この母親が悪い。

立体駐車場が危険だと言い出したら、世の中は機能しなくなる。自動車事故は毎年5千人近くの人が死んでいるが、自動車の販売を止めろと云うことにはならない。ただし、かつては1万人以上が死んでいた交通事故が、メーカー側の安全対策などで半減したことを考えれば、安全装置の開発に余地はあるのであろうが、立体駐車場の死亡事故は2008年と2011年に一件ずつでしかないのだから、使用する人が十分な安全確認をすれば防げる程度の事故であったろう。今回の事故は保育園の入園式に出る前の事故と云うことで感傷的な扱いになっているのであろうが、逆に、保育園に入ると云うことでオダッテいる幼児が目の前に見えていない状態で機械を操作するほうが不注意である。

カッターだって手を切る危険性はあるし、人殺しの凶器にだって使おうと思えば使用できる。しかし、カッターは危険だからといって販売を禁止することにはならないだろう。

便利なモノには、危険性が含まれているものだってあるのだと云う認識を日本人は持つべきだろう。

長らく安全は、お上が管理するモノ、タダであると信じて来た日本人の悪い癖がある。

誰かが守ってくれるという幻想を捨てるべきだ。かと言って「危険だらけだ」からと、四六時中ピリピリと神経を尖らせていろと言っている訳ではない。

危険な場所であるか、危険な作業であるか、自分で考えて対処しろと言っているのだ。

今回の事故の場合は、この母親が3歳の子どもから目を離したことが問題なのだ。

これとは逆に危険とは何か?を考えさせられる発表があった。厚生労働省が今年6月から生の牛レバーの販売提供を禁止するということだ。販売したら食品衛生法違反で罰金や懲役まであると云うではないか。

これも大きなお世話である。私はもともと生肉は食べないから、規制されたからと云って苦にもならないが、中には生レバーが大好きな人間だって居るだろうに、店が出しているから無条件で安全だと云うのは大いなる間違いだ。この店は安全かと云うのもキチンと自分で判断しなければならない。値段が安ければ安全性は低いとか、店の清潔度が低いとかを消費者が自分で判断して選ぶべきで、何でもかんでも判断をお上に任せていたら、その内、何も食べられなくなるゾ!

こんなバカなことを政府が規制するから、自分で危険を判断出来ない日本人が増えるのだ。危険なことはお上が規制してくれるから、規制されていないことは安全だと考えるバカな日本人が増えるのである。

この国はどこかオカシイ!


■2012-04-06-Friday 春の大嵐

3日は日本国中が春の大嵐に見舞われたようだ。

(この文章は4日午前中に書いている)

昨日3日の十勝帯広は午前10時半頃から雪がパラツキ始めた。14時半に銀行に行った時にはまだ5㎝程度の積雪量であったのが、17時の帰宅時には20㎝ぐらいにまで積雪量が増えていて、降雪量も急激に増大の傾向にあった。この季節の雪は時間を置くと湿って重たくなり、除雪が大変になるから、ひとまず19時まで掛かって自宅周辺の除雪作業を行った。妻は19時から会議で出掛けると言うので、私一人で除雪をしなければならなかった。汗だくになったのでシャワーを浴びて、NHKのニュースを見ていたら、全国各地で暴風雨の被害が物凄い、「爆弾低気圧」と云うらしいが、この時期にこれほど強烈な大嵐は経験したことが無い。傘が強風で壊れて使い物にならない光景が写っていたが、壊れた傘をそのまま路上に捨て置いていく輩が多い事に憤りをおぼえた。傘を路上に捨て置いた連中は、捨てた傘が、この強風でまた飛ばされたら、どう云う事態になるのか想像が出来ないのだろうか?マナーというか倫理観と言うか、まるでなっていない。

21時に外を見てみたら、先ほど除雪した箇所に更に15㎝程度の積雪がある。朝まで、そのままにしておくと、重たくなって朝の除雪作業が大変なので、もう一度キレイに除雪作業を行った。

私が小学生の時に3月下旬に一日に90㎝降ったという記憶があるが、4月にこれだけの量が降ったという記憶はない。

21時半頃から雪が雨に変わってきたので作業を中断して、朝に除雪をすることにした。

朝方に外を見たら雨が降っていて、昨日除雪した箇所の雪はキレイに融けて路面が出ているが、除雪していない場所は固く雪が締まっているようである。昨晩の内に除雪をやっておいて良かった。

9時過ぎには太陽が顔を出した。天気予報では道東はこれから荒れるとの事だが・・・。

この時期の雪はすぐに融けるが、4日の朝に会社に行く途中の道に除雪車が通った様子が見えない。もう除雪費を使い切ってしまって予算が無いのだろうか?それとも放っておいてもすぐに融けるからとそのまま放置してあるのだろうか?

車道は車が通過する度に融けていくが、歩道はそういう訳にはいかないから、歩道は歩きにくい事この上ない。行政は歩行者のことを考えていないのだろうか?

全国各地、時ならぬ大嵐に奔走された日本列島であったが、福島第一原発はこの嵐の影響はなかったのだろうか?心配である。


■2012-04-07-Saturday 除雪

3日春の大嵐による37㎝の降雪で

帯広市内は真冬の景色に逆戻りしてしまった。(この文章は5日午前中に書いている)

4日は天気予報では前日よりもヒドイ大嵐とのことだった。午前中は風が強かったが晴れていたのだが、昼食を会社近くの定食屋で食べている内に雪がパラツキ始め、食事を終えて戻る時には猛吹雪になっていて雪が目の中や耳の中にまで入ってくるので、目を開けていられないから前も見えないような状態になった。予報が正しければ、これからもっともっとヒドイ天候状況になると考えて、猛吹雪の中を会社に直接戻らずにそのまま銀行まで行ってから戻ったのである。

そうしたら、夕方からは雪も収まったので、何の事はない一番ヒドイ状態の時に外に出ていたということになった。

道路は除雪車が稼働していないからグチャグチャの状況である。歩道が特にヒドイ状態になっている。客商売の店舗なら、自分らで除雪くらいやれよ!と言いたくなるが、帯広の中心街もシャッターが降りている店が増えて、その店の前は全く除雪がされていないから歩きにくいことこの上ない。

会社とマジック教室が終わってから自宅に戻って、新聞を見たら、市役所に苦情が殺到したと書いてある。市役所では「3月末で民間の除雪をする建設業者などとの契約が切れているし、すぐに融けるだろうと判断して出動依頼をしなかった」とのコメントが載っていた。

市役所はやはり文字通り「お役所」仕事だ。もう少し、臨機応変の対応をしても良かったのではないか。

5日になっても車道の真ん中は車が通らないから、雪が溶けておらずに中央分離帯の様に壁が出来ている。こんな光景は見たことない。

歩道はグチャグチャだったものが、凍ってしまい歩きにくい。中心街の旧イトーヨーカドー(閉店中)の前は除雪が全くされていないし、車道の真ん中にある中央分離帯の横断歩道部分は雪が固まって歩けない状態だ。これでは足の悪い人は横断歩道を渡ることも出来ない。

お役所仕事もここに極まれりか!

母に頼まれて母の預金を降ろしに銀行に行ったが、窓口では、やれ息子さんですか?だの、本人確認だのと面倒なこと。ATMでやろうと思っても一度に降ろせる金額が限られていて不便である。詐欺や不正行為を防ぐ目的なのだろうが、老人で足が悪くて出歩けない人間がいちいち銀行まで出てくることは大変である。ましてやこの足元の悪い中なら尚更である。

銀行ももう少し良い方法を考えないと、これだけ金利も安くなって、スズメの涙程度しか利息も付かないし、出し入れがこんなに不便なら、それこそ皆、箪笥預金にしてしまうのではないのだろうか?

庶民の微々たる預金なんぞ相手にしていないのかもしれないが。


■2012-04-08-Sunday 講演

4月6日(金)13:30から

札幌学院大学で「合宿オリエンテーション」の最初に私が「まちづくりマジックのタネ明かし」という題で、新入生に向けて40分間の講演をおこなう為に札幌近郊の江別市文京台にある札幌学院大学に出向いた。

私は自動車の運転は嫌いだからいつもJRで移動する。去年もこの大学で一般人も交えた講演を授業の一環としておこなっているし、その時にもJRで移動している。事務局の方との事前のやり取りでは13:20までに会場入りしてくれれば良いとのことだった。大学の近くには時間を潰せる場所もないから、13:00までに大学に入れればOKだと思って列車の時刻表を調べてみた。札幌学院大学の最寄り駅は大麻(タイマではなくオオアサと読む、最初は私も字面を見て驚いた)である。

帯広駅発10:04−12:06新札幌着(乗り換え)新札幌発12:11ー12:18白石着(乗り換え)白石発12:21−12:28大麻着、大麻駅から大学までは徒歩で15分も掛からずに行ける。万全を期して一本早い帯広発09:07発の列車だと1時間半ほども現地で時間が余ってしまうので、これでも十分に間に合うと思っていたのだが・・・。

現在、帯広ー札幌間の石勝線はトンネル内の走行スピードを落として走らせているので10〜15分程の遅れが出ている。6日も新札幌に到着した時点で11分ほどの遅れであった為に、乗り継ぎが上手く繋がらなかったのである。

次の乗り換え駅である白石駅行きの列車が12:35なのである。新札幌で17分間もの時間を浪費することになったのだ。この時間がモッタイナイから立ち喰い蕎麦でも食べようかと思って探したのだが見つからなかったので、ただ駅の周辺をうろついただけで終わってしまった。

結局、大麻駅には12:52に到着、駆け足で大学に向かったが到着したのは13:07であった。心配した事務局の方が妻に電話し、妻から私の携帯に電話が入った時に、大学には到着していたのだが、構内が広くて会場に到着したのはギリギリの13:15であった。

講演前に焦るのは良くないことだ。この時期の北海道の移動は、時間にもっとゆとりを持つべきだった。

講演は、いつもの90分間を半分以下の40分間にしなければならない。映画の予告編の様に面白そうなところだけを繋げて話そうと思ったのだが、予告編の様にブチブチと切って繋げる訳にはいかなかった。それでも「北の屋台」のエキスである「コロンブスの卵」的なことや「思い込みや先入観が思考を阻害する」話、「マジック的思考法で達成する方法は無限にあるから諦めない姿勢」や「何かをやろうとすると、必ず壁が出来るが、乗り越えられない壁はない」話等、後もう10分あったらほぼ完ぺきに出来たのではないかとも思ったが、大学の新入生にはピッタリの話ができたのではないかと自負している。

講演終了後に新入生らは定山渓温泉に行って一泊でコミュニケーションをとる研修があるのでバスに乗り込むので、私はすぐに大学を後にして札幌に向かった。札幌の街中を歩いて見て回りたいと思ったのである。歩き過ぎて足のスネの筋肉がつってしまったほどであった。

帯広に戻って温泉に浸かって足の疲れを取って寝たが充実した一日であった。


■2012-04-09-Monday 巨人、大鵬、玉子焼き

私は昭和33年の早生まれである。

当時の子どもの大好きなモノとして、巨人・大鵬・玉子焼きの3つが挙げられるが、最初の2つは強いモノの代名詞であった。プロ野球に関しては、当時の北海道で放送されるナイター中継は巨人戦だけであったし、昭和33(1958)年に巨人軍に入団した長嶋茂雄と翌34(1959)年に入団した王貞治のいわゆるON砲の活躍で巨人軍が昭和40(1965)年から昭和48(1973)年まで9年連続日本一になった頃、私の中では巨人以外は球団ではないという状態であった。私は生真面目な王貞治よりも、陽気でチャンスには滅法強かった長嶋の方が好きであった。

その長嶋は10連覇が成らなかった昭和49(1974)年に現役を引退し、すぐに巨人軍の監督に就任した。昭和40(1965)年に導入されたドラフト会議以降は、巨人も金で有力選手をかっさらうことが出来なくなり、プロ野球チームの戦力が拮抗してきたことが一番大きな原因であろう。V9選手たち自身も、そもそも長嶋本人が引退しているし、皆、歳を取ったから戦力の低下は当たり前の話である。だから長嶋巨人はなかなか勝てなかった。今でも覚えているがインチキ占い師の和泉宗章が「天中殺」だとか何だとか訳のわからないことを言ったのが少なからず読売の幹部に影響を与えたのかもしれない、長嶋茂雄は昭和55(1980)年に監督を解任されてしまった。占いや新興宗教などを信じる奴らは、確たる自分と云うものを持っていないから、長嶋が監督だとこの後もずっとジャイアンツが優勝出来ないと不安になってしまうのだろう。この瞬間から私はアンチジャイアンツになった。長嶋監督の野球は勝てなかったが、それは川上哲治前監督が選手の育成をしてこなかったからだ。それなのに川上は長嶋をこき下ろした。私は長嶋はあの戦力で面白い野球をやっていたと思っている。

長嶋を解任した後、人気が低下した巨人は平成4(1992)に再び長嶋を監督に戻すが、私のアンチジャイアンツは元には戻らなかったのだ。

そのジャイアンツが、今年は開幕戦から負け続けて、8日午前の段階で何とあの中畑DeNAよりも弱い最下位に低迷している。朝日新聞が書いて週刊誌をにぎわせているドラフトで取った選手に裏金を出していた問題も、あいかわらず金権体質丸出しでみっともないし、FAの選手らを金で集める姿勢もいただけない。そこまで金を使って、スゴイ選手を集めているのに・・・、原の方が監督としても長嶋より無能だろう。これだけの戦力を与えられて勝てないのだから、事前の予想では全ての野球評論家は巨人が優勝だとしていたのに・・・。まぁこの戦力だからいつまでも最下位ということはないだろうが・・・。


■2012-04-10-Tuesday マスターズ

今年のマスターズは面白かった。

(この文章は9日午前中に書いている)

お情けで特別招待を受けた石川遼は案の定予選落ちした。ゴルフは特にメンタル面が大切なスポーツだから、いかに平常心で臨むかなのに、力み過ぎなのは傍で見ていてもわかる。

一方のアマチュア松山英樹は予選を突破、2年連続ローアマも確実と思われるような3日目までのプレーであったが、最終日は信じられない様な崩れ方でローアマを逃してしまった。モッタイナイ。2年連続ローアマは、ジャック・ニクラウスとタイガー・ウッズの2人しか居ないから、それに日本人選手が並んだら、スゴイことになると期待していたのだが残念である。

2日目まで52歳のフレッド・カプルスが頑張っていたが、3日目に息切れしてしまった。このオーガスタと云うコースは天国と地獄が紙一重のコースである。わずか10㎝程度の落ちどころの差で結果がまるで異なって来るとても難しいコースだ。気を抜けないコースだから精神的にもかなり疲れるのであろう。距離的にはそれほど長いと云う訳でもないのに世界の名選手らがこれだけ苦労するのだからグリーンもかなり難しいのだろう。

最終日は優勝争いが混とんとして面白かった。最終組の一組前のバッバ・ワトソン(米)とL・ウェストへーゼン(南ア)はともに10アンダーで終了。ウェストへーゼンは最終日2番ロングホールでアルバトロスをやった。アルバトロスをやって優勝したら1935年のジーン・サラゼンの15番ホール以来だと云う。このアルバトロスで史上4人目、この2番のロングだけがアルバトロスがこれまで無かったから、これで全ロングホールでアルバトロスが達成されたと云うことになる。この2人のプレーオフを2ホール目でワトソンが制した。この2人が使用しているクラブが私と同じメーカーのPINEである。8アンダーで上位にいたL・ウェストウッド(英)も同じPINEであるから、共通項を見つけると自然と応援したくなる。今回のマスターズはPINEの良い宣伝になったろう。これでPINEの製品が売れるようになるだろう。

それにしてもB・ワトソンの飛距離はものすごい。ピンク色のドライバーで300ヤード以上を飛ばしてくる。ちなみに300ヤードを超える度にチャリティ募金がされるそうだ。

B・ワトソンはP・ミケルソンに次いで3人目のレフティ優勝者になった。そのP・ミケルソンは最終日前半に果敢に攻め過ぎてトリプルボギーを叩いてしまい。8アンダーに終わった。

私も是非、このコースでプレーがしてみたいものだ。


■2012-04-11-Wednesday マジックの本

最近、マジック関係の書籍で

脳とマジックに関する本が多数出版されている。

数冊例を挙げてみると①「脳はすすんでだまされたがる(マジックが解き明かす錯覚の不思議)S・L・マクニック他共著、鍛原多恵子訳、角川書店2012.03.31発行、2100円」

②「マジックにだまされるのはなぜか(認知機能のタネ明かし)熊田孝恒著、化学同人2012.01.31発行」

③超常現象の科学(なぜ人は幽霊が見えるのか)R・ワイズマン著、文藝春秋2012.02.10発行」などである。

いずれもマジシャンか若しくはマジックに興味のある学者らが、マジック(超常現象)と脳との関係性を研究した本で、いわゆるマジックのタネ明かし本ではないが、これまでにない研究分野の本なので興味が湧いてくる。

②と③は既に読んだので、今回は①の「脳はすすんでだまされたがる」を購入して6日の札幌往復の列車の中で読んだ。

人間の脳みそや目と云ったものは極めて不確かなもので、記憶も自らでっち上げた錯覚に過ぎないと看破している。

マジックに関してもなかなかに面白い内容であったが、気になったのは「訳」である。

訳者の女性はあまりマジックには詳しくはなさそうだ。「近代マジックの父」と云われるフランスのマジシャン、ジャン・ウジューヌ・ロベール・ウーダン(1805-1871)(Jean Eugene Robert Houdin)のことをロベール・フーディンと表記しているのである。確かにアメリカのマジシャン、ハリー・フーディニ(1874-1926)(Harry・Houdini)はウーダンの名前から芸名を付けているが、アメリカ式の発音で表記するなら「ロバート・フーディン」であろう。ロベールはそのままでウーダンをフーディンと表記するのはヘンだ。

大学で第二外国語のフランス語の初歩ばかりを何故だか4年間もやっていた私には、フランス語でHの後に母音が来る時にHは発音しないという、いわゆる無音のアッシュぐらいは知っている。

日本で出版するならウーダンと表記してほしかった。その方が日本のマジシャンの間では通用しているからだ。「マイザーズドリーム」というコインが空のバケツにドンドンと入っていくマジックもそのままカタカナ表記の方が日本では通用している、それをわざわざ「欲張りの夢」と表記しているのにも違和感を覚えた。訳者にはマジックにも造詣が深い金原端人さんあたりに依頼した方がもっと面白い読み物になったように感じる。ちょっとモッタイナイかったなぁと思った。


■2012-04-12-Thursday 痛風記念日

去年の4月12日に痛風の発作を始めて起こした。

4月6〜11日の旅行でやたらと歩き回り、自宅に戻った途端に左足の膝に激痛が走った。

冬の運動不足のまま旅行先で歩き回ったから膝に負担が掛ったのだろうと思ったのだが、シップを貼っても、風呂に入ってマッサージしても一向に回復しないので、大嫌いな病院にいくことにしたのだった。整形外科に行ってレントゲンを掛けて診てもらったら、膝には何等支障はないと言う、血液を取って調べたら、翌日には尿酸値が異常に高いことが判明して、医者も「ア〜ッこりゃ〜痛風だ!」と言うのである。膝でも痛風があるとは思いもよらなかった。痛風は足の親指だと思っていたからだ。

痛み止めの注射と薬、尿酸値を下げる薬をもらって帰ったら、翌14日には痛みがウソのように消えたのだった。

医者も薬も大嫌いなので、痛みが消えたら病院に行く必要はないし、痛くないから尿酸値を下げる薬も飲まなかった。

以後5月7日までズ〜ッと痛風の発作は出なかった。7日(土)ゴルフ終了後に温泉に入って、ビールを飲んだら翌日の日曜日に今度は左足の親指に激痛が走った。今度は痛い場所が場所だけにすぐに「痛風だ」と素人でも分かる。日曜日は医者が休みだから、以前にもらった飲んでいなかった痛み止めの薬を飲んでなんとか過ごし、月曜日に整形外科に行ったら「薬はズ〜ッと飲み続けなきゃダメだよ」と言われたが・・・。注射で痛みは消えたし、薬と云うのはどうしても好きになれないから今度も飲まなかった。

6月3日にゴルフに行ったら、ハーフを終えた時点で左足の親指が痛くなってきた。途中棄権はしたくないので我慢しながら回ったが後半のスコアはメチャクチャであった。そのゴルフの懇親会が焼鳥屋で開催された。自宅で余っていた痛み止めを飲んで参加したのだ。

私はビールを飲みながらレバーの焼鳥を食べるのが大好物なのである。激痛に耐えながら飲食したが、痛くて夜も眠れない。翌早朝には整形外科に飛びこんだ。医者から「坂本さん、薬は飲み続けなきゃ〜ダメだよ」と言われ、さしもの私も3度の激痛で懲りたのだった。以後は毎日、尿酸値を下げる薬を飲んでいるし、ビールは最初の乾杯だけにして後は焼酎にしている。その後は今日まで発作は起きていない。


■2012-04-13-Friday あざとい

妻が使っているコンピュータのプリンターが壊れた。

私が去年、買い替えた同じメーカーで同機種にすればインクの無駄も無くなると考えて電気屋に赴き探したところ、同じ機種は既に製造がされていないと言う。では、私のプリンターの機種とインクカートリッジが同じ製品はないか?と尋ねたらそれも「無い」と言う。

エッ、私が買ったのは去年だぞ!店員から勧められたのは同じメーカーの似た様な機種なのにインクカートリッジは共通ではないというのだ?????

プリンターの値段は約7000円と安い。しかし、インクカートリッジは白黒とカラーの2種類が必要で、最初は購入時には機械にも付いているが、インクが切れたら別売りで買うと2種類で3500円以上もするのだ。なんのことはない。機械を安く売って、インクで儲けようという魂胆だろう。しかも、たった1年前に購入した同社の似た様な機械とも互換性がないから、もしもインクを買い替えたすぐ後にでも故障して、機械を買い替えたら新しく買ったインクは全て無駄になってしまう。

このメーカーは、さも地球環境問題を考えていますよというようなポーズだけを取ってはいるが、地球環境になぞ考慮はしていないことがハッキリした。実にあざといやり方だ。

メーカーは機械を売るだけではよっぽど儲からないのだろう。背に腹は代えられないということなのかもしれないが、はなはだ疑問が残る商法だ。

こういうフザケタことをしていると、その内消費者にそっぽを向かれてしまうぞ!


■2012-04-14-Saturday 恥知らず

知り合いの大学教授から雑誌の切り抜きが送られて来た。

「地域開発 2012.3」57頁とあるから、一般財団法人地域開発センターが発行している月刊誌の先月号であろう。問題なのは、『調査報告「北海道帯広市/街の「へそ」の屋台を展開—地域振興、起業支援、地産地消を目指す「北の屋台」』と題して、明星大学経済学部の関満博教授が執筆している文章だ。関教授と云えばテレビにも良く出演される有名な大学教授の人である。

最初の北の屋台の説明は、私が書いている北の屋台の文章とほぼ同内容をナゾッテいるから何の問題もないが、59ページの『人びとの「思い」の結集』の段落のところはヒドイ内容である。さも、現専務理事のKが中心になって作ったかのように記述してあるのだ。おそらくKが関教授に「自分が作った」とでも言ったのを、関教授もそのまま信じて記載したものだろう。

私も新聞にコラムを書いている身であるから、他人にインタヴューしたものや組織の歴史的な事を書く場合には一応文献を調べたり、別な人間にも確認してから書くように心掛けている。それが責任ある文章につながると考えているからだ。ちょっと調べればすぐに分かるKのウソを見抜けずに称賛しているところみると、それだけKの話術が巧みだったと言うことなのかもしれない。

Kは私と云う存在を一切出さずに、全部自分がやったとでも言うつもりなのだろう。

もしも、このKが話した内容が事実だとでも言うのなら、何故にKは「観光カリスマ」に推挙されていないのか?そして何故に私が「観光カリスマ」に推挙されているのか?是非ともKにその理由を聞いてみたいものである。答えられないだろうけど。

切り抜きを送ってくれた大学教授によると、2月に東京で行われた経産省の「中心市街地商業等活性化事業」の午後1時からの委員会にKが明らかに酒を飲んだ赤ら顔で出席し、周りの出席者からヒンシュクをかったという逸話も書いてあったが、帯広の北の屋台という名前を背負っていることを自覚してもらいたいものだ。どこまでも恥知らずで恥さらしな奴である。


■2012-04-15-Sunday ラーメン

ラーメンほど好みが分かれる食べ物は他にはない。

およそ他人から「○○のラーメンが美味しいよ」と言われて食べに行き、ガッカリしたことが数知れない食べ物は少ない。

ラーメンには大雑把に醤油、塩、味噌と3種類あるが、私は断然醤油党である。味噌や塩も食べることは食べるのだが、やはりラーメンは醤油に始まり、醤油に終わるのである。

たまに食べる味噌ラーメンは、動物系のスープよりも魚介系のスープの方が好きだ。ニンニクとトウガラシを効かせて食べるのが好きである。

最近、太ったせいなのか、それとも毎日のように温泉に入って大量に汗をかくのが日課になっているからなのか、辛いキムチや天婦羅蕎麦のような温かいものを食べると、ある瞬間に発汗のスイッチが入ってしまい、頭のてっぺんから汗が噴き出て止まらなくなる。

カレーライスの甘口でも同様だ。だからタオル生地のハンカチが必需品なのである。たまにハンカチを入れ忘れて、一緒に食べに行っている妻にハンカチを借りて汗を拭き、ビチャビチャになったハンカチを返そうとすると、まるで汚いものを見る目つきで「貴方が持って帰りなさいよ!」と冷たく言い放つ。まだハンカチを貸してくれるだけましか。さすがにまだ、汚いから捨てろとまでは言わない。

味噌ラーメンはこってりしたものが好きで、それを食べてる間は、醤油ラーメンよりも美味しいと思っているのだが、食べ終わった後にやたらと喉が渇くのと、ニンニクで胸やけがしてしまうのが難点だ。

塩ラーメンは魚介スープのあっさりしたものが好きである。醤油は旭川ラーメンのタイプが好きなのであるが、たまに昔風の鶏ガラスープの中華そば系も食べたくなる。ようはほとんどのタイプがそれなりに好きなのであるが、それでもその中にも好きなラーメンと不味いと思うラーメンとがある。

店で出しているラーメンでインスタントラーメンよりも不味いものを出している専門店もある。

インスタントラーメンの好みは「東洋水産のマルちゃんの屋台十八番しょうゆ味」でこれは北海道でしか売っていない商品だ。我が家の子どもたちも大好きで、帰省するたびに大量に買って帰っている。親子でラーメンの好みも伝染するようである。


■2012-04-16-Monday スウェーデン

11〜16日までスウェーデンに行ってきた。

長女がやっているフィギュア・スケートの16名で滑る団体競技「シンクロナイズド・スケーティング」の「2012年世界選手権大会」がスウェーデンの第2の都市「ヨーテボリ」で、13・14日の2日間開催されたのを妻と二人で観戦応援に行ったのだ。

娘が現在入っているチームは「神宮アイスメッセンジャーズ・グレース」という4年前に出来たばかりのチームで、今回でチーム結成以来3年連続の日本代表チームとしての出場になる。

私が観戦するのは、一昨年のアメリカ・コロラドスプリングスでの世界選手権大会と、去年のフィンランド・ヘルシンキでの世界選手権大会と今回の世界選手権大会で3回目である。

娘は学生時代に入っていた東京女子体育大学チームの時にも世界選手権大会に出場しているが、いつも妻一人だけが観戦に行って、私は留守番役であったのだが、一昨年のコロラドスプリングスで初めて生の大会を観戦してから、すっかりシンクロナイズド・スケーティングの魅力にハマってしまったのである。それからはこの世界選手権大会を観戦することがとても楽しみになってしまった。

16名の人数で演技をするこの競技は、はっきり言ってフィギュアのシングル競技等よりも遥かに面白く美しい。なぜにこの競技がオリンピック種目にならないのか不思議でしょうがない。

この後、観戦記、旅行記を書いていく。(つづく)


■2012-04-17-Tuesday スウェーデン2

現在、スウェーデンへの直行便が

飛んでいないので途中で乗り換えが必要になる。

飛行機は世界一安全な航空会社と言われているドイツの航空会社ルフトハンザを使ったので、ドイツのフランクフルト空港で乗り換えである。

成田空港を09:30に出発で、集合時間は07:30であるから当日の朝に帯広を発ったのではとうてい間に合わないので成田に前泊することにした。

去年のフィンランド大会の時と同じ成田東横インに泊った。なにせこのホテルは安いのだ。2人でツインの部屋に泊って7980円だから一人4000円以下なのである。去年は東日本大震災直後ということもあって、ガラガラだったからなのか、夕食にカレーライスが無料で提供されると云うサービスもあったが、今年は500円掛かると云うことなので、成田空港で食事をしてから無料送迎バスでホテルに入った。朝食はおにぎり程度の簡単なものだが無料である。

娘の所属する「神宮アイスメッセンジャーズ・グレース」チームの親達10名程が一緒の飛行機で出発する。この飛行機とはまた別の便でも数名の親達がスウェーデン入りするから、全員で20名程が応援に行くことになる。

スウェーデンはユーロに加盟していないので通貨は単独のスウェーデンクローネ(1クローネ=約15円)である。前回大会のフィンランドはユーロ圏だったので前回の残金のユーロがあるが、これは使えない。途中乗り換えでユーロを使う可能性もあるから残金のユーロはそのまま持参して、成田空港で約5万(日本)円をスウェーデンクローネに換金したら3400SKになった。電車賃や食事代程度だからこれ位の金額で足りるだろうと思ったのだが・・・。

ルフトハンザは安心して乗れるから気分的に楽だ。私は安いけれども安全は保障しないという様な飛行機には絶対に乗らない。命は数万円では買えないからだ。この飛行機チケットを手配してくれたのは、娘のチームメイトの旦那さんで、新婚ホヤホヤのチェコ人のIさんである。Iさんはとても優しい人で日本語もペラペラなのだ。気を利かせて、機内食も特別なメニューのシーフードものを用意してくれていたのだが、私と妻はどうも機内食というのが苦手なのである。せっかく特別に用意してくれた機内食もほとんど食べることができなかったのであった。

機内サービスの映画ビデオは日本語放送の種類が少なかった。帯広では上映しなかったが見たかった「ヒューゴの不思議な発明」があったので英語版で見たのだが、やはり字幕無しでは細かいところが判らない。

先頃アカデミー賞を受賞した無声映画の「アーティスト」なら声も出ないのだから判るだろうと思って見たのだが・・・。途中で出てくるセリフの文字の画面が消えるのが早過ぎて最後まで読み切れずに理解ができなくて悔しい思いをした。

フランクフルト空港に降りるのは初めてであったが、なんと広い空港であることか、歩けども歩けども乗り換えの場所まで辿り着けない。おそらく空港内を4㎞程も歩いたのではなかろうかと思う。

飛行機の中で飛行ルートを映すサービスがあるが、それを見ていたら、成田出発09:45から札幌上空に北上し、シベリアの北極寄りを飛んでフィンランドのヘルシンキの横を通過してフランクフルトに入るルートである。フランクフルトには現地時間14:30に到着、全部で11時間半ほどの行程だが、ヘルシンキからフランクフルトまでは2時間近く掛かった。自分でチケットを手配した訳ではないから、時間スケジュール、料金などの細かいことは判らないからどこで乗り換えたら便利なのかは把握していないが、しかし、まだ行った事のない空港に降りるのも良い経験である。

フランクフルトを17:15に出発、スウェーデンのヨーテボリに到着したのは19時頃であった。空港から空港バスでホテル前近くまで移動、ホテルにチェックインしてから皆で夕食を食べに出るが、外はまだ薄明るい。ロビーに丁度娘達が居た。同じホテルに宿泊だそうだ。

一緒に行った親達でイタリアンレストランを探して入り、安着祝いをした。パスタ3種類とサラダを2種類を頼んで皆で分けようと云うことにしたのだが、パスタがバケツの様な大きな容器に出てきたのには驚いた。10名ではとても食べ切れない量である。もったいないが食べ切れずに半分位を残してしまった。次回からは注文の仕方を考えなければならない。

11時にホテルに戻ってまずは寝た。(つづく)


■2012-04-18-Wednesday スウェーデン3

北欧には落ち着いた雰囲気が感じられる。

アメリカの様な騒々しさや、近年の日本の様な軽さが感じられない。シックで落ち着いた雰囲気と家具のイケアや衣装のH&Mのようにスウェーデン発祥の企業はデザインが洗練されている感じだ。社会保障が行き届いているからなのだろうか人びとにアクセクした感じがしないのだ。しかし、去年のフィンランドとは違って、街中にやたらに物乞いが居たのが気になったが・・・。

今回のフィギュア・スケートの「シンクロナイズド・スケーティング世界選手権大会2012」はスウェーデンのヨーテボリ市で開催された。ヨーテボリは人口52万人でスウェーデンではストックホルムに次いで大きな都市である。

シンクロナイズド・スケーティングは16名の団体で滑るフィギュア・スケートの競技で水泳のシンクロナイズド・スイミングとフィギュア・スケートのアイスダンスを合わせたような競技だ。シングルのように3回転、4回転などのジャンプはないが、16名が織りなす型や技が素晴らしいのだ。型では4人ずつの列の箱型になるボックス、丸い輪になるサークル、一直線になるライン、それが回転やステップをしながら16人全員や、8人ずつや4人ずつ2人ずつ等に分かれたり、またくっ付いたりする。人と人との狭い間をすれ違うインターセクション、人を持ち上げるリフト、イナバウアー、スパイラルなどの技を次から次へと音楽に合わせて、繰り出していく。同じ様に美しく表現するものにバレエがあるが、移動する為には足を動かさなければならない。しかし、フィギュア・スケートは氷上で態勢を崩さずにそのまま滑って行ける競技なので、スゥ〜ッとした流れや余韻を感じさせる競技なのであるが、それを16名が一糸乱れぬ演技で滑っていくのを観ていると鳥肌が立つほど感動する。

3年前のコロラドスプリングスの世界選手権大会までは私もビデオで日本チームの演技しか観たことがなかったが、世界の上位チームの演技を目の当たりにしてから認識が変わったのである。これほど面白くて美しい競技は他には見当たらない。

今回の世界選手権大会には16ヶ国21チームが参加した。前年度の大会の上位5位までの国は2チームの出場権が与えられるのだ。だからフィンランド・スウェーデン・カナダ・ロシア・アメリカの5ヶ国は2チームずつ出場し、その他は、フランス・ドイツ・イタリア・チェコ・ハンガリー・クロアチア、オーストラリア・ベルギー・スイス・ラトビア・日本が1チームずつ出場している。

シンクロナイズド・スケーティングはフィギュアのシングル競技と同じに、ショート・プログラム(SP)とフリー・スケーティング(FS)の2種目がある。SPの演技時間は2分50秒以内、FSの演技時間は4分30秒±10秒という規定だ。

チームジャパンは3年前のコロラドスプリングス大会ではSP10位、FS9位、総合10位であった。前回のフィンランドのヘルシンキ大会では東日本大震災の影響でスケートリンクが被災し練習不足でSP12位、FS12位、総合12位に終わっている。(つづく)


■2012-04-19-Thursday スウェーデン4

12日(木)は公式練習とオープンセレモニーが開催される。

会場である「SCANDINAVIUM」は宿泊しているホテル「Gothia Towers」と隣接しており徒歩3分という近さでとても便利だ。

ホテルで朝食を摂っているとスウェーデンの「チーム・サプライズ」のコーチの「アンドレア・ドハニー Andrea Dohany」さんを見掛けたので、妻と二人で挨拶に行った。

アンドレアさんは世界一のコーチと云っても過言ではない、彼女が指導する「チーム・サプライズ」は2000、2001、2003、2005、2007年と世界選手権で優勝しており、今大会の優勝候補筆頭である。

昨年の9月16〜19日まで「神宮アイスメッセンジャーズ・グレース」が帯広のリンクで合宿を行った際に、コーチとしてアンドレアさんを招聘しており、妻は会場やら航空チケットやらの手配を担当し、私は運転手とカメラマンを担当したのである。今回、帯広を発つ前日にアンドレアさんに「スウェーデンに応援に行くので再会を楽しみにしている、云々」と云うメールを送っていたので、彼女もすぐに分かってくれて私たち夫婦をハグしてくれた。アンドレアさんがハグしてくれるのはとても珍しいことだと娘が言っていた。

この帯広合宿には選手が5名しか参加しなかった。何と前日にHコーチと選手の親等とが衝突したと云うのだ。せっかく世界一のコーチを招聘して合宿するというのに何とモッタイことだろう。その後Hコーチは日本チームの指導から離れてしまったのである。メンバーも数人離れ、日本チームは新たな体制で今大会に臨んだのであった。

親たち応援団は午前中は市内観光をすることにした。トラムと云う電車に乗って、まずは観光案内所があるショッピングセンターの「ヨードスタン」に向かう。そこから港の方に出てオペラハウスから軍艦や潜水艦などの船の中を見学できる「海洋センター マリティマン」を見た。潜水艦の中に入るという経験はなかなか出来ないから結構な面白さであった。昼になったので再びヨードスタンに戻るが、コンビニみたいにやたらと「マクドナルド」の店がある。せっかくスウェーデンに来たのだからさすがにマックで昼食はないだろうということで、ショッピングセンターを抜けて市街地のレストラン街に行き昼食を摂る。どこの店もバッフェスタイルであったがイタリアンの店が多いように感じた。

昼食の後は、私たち夫婦は日本チームの公式練習を見にいく人たちと別行動を取り、娘に頼まれた服を探して歩いたのだが、娘の服よりも妻の服を探しているような感じであった。地図を見ながら歩き回り、旧市街地を抜けて「東インド会社」の博物館に行く事にした。私は地図を見ながら歩くのは得意である。地図上では目の前にあるはずなので、私が「この入口がそうだ」と云うのに妻が「これはアパートの入口だ」と云って聞かないでドンドンと先に歩いて行ってしまう。仕方なく付いて行くと、元のショッピングセンターの前に出てしまったから「やっぱり、あれが博物館だよ」と云っても信用しない。「賭けるか?」と云ったら「どうして賭けなきゃいけないの?」と云う。結局戻ってみたら私の言った通り博物館の入口であった。妻は「あんなに小さな入口だから分からなかった」と自分の非は一切認めずに云うのだが・・・。こちらでは古い建物をそのまま使うから博物館なのかアパートなのか外観だけでは分り難い。しかし、狭く小さな入り口を抜けると広いロビーがあったのであった。

スウェーデンは街並みはシックで美しいが道路にはタバコの吸殻やゴミが散乱していた。ゴミ箱も設置されているのに道路に捨てる人が多いようである。個人主義なのだろうか、どうもこちらの人間の感性がいまいち理解不能である。

歩き回って疲れたのでホテルに戻って小休止してから19:30から始まるオープンセレモニーに行った。

会場の「SCANDINAVIUM」は去年並みの大きな会場であるが、観客数が去年の半分程度しか居ない。フィンランドのヘルシンキ大会では8200人が収容できる巨大なリンクが満席状態であったので、フィンランドに於けるシンクロナイズド・スケーティングの盛んな様子が感じられたが、ここスウェーデンでもシンクロナイズド・スケーティングはスゴク人気があると思っていた。何度もスウェーデンの「チーム・サプライズ」が優勝をしているからだ。ライバルであるフィンランドのチーム「ロケッツ」と「マリーゴールド・アイスユニティ」の3チームがいつも優勝を争っている状況なのである。スウェーデンとフィンランドは近親憎悪とでも云うのか隣国なのに仲が良くないそうだから、敵地スウェーデンへ大人数の応援団を送りこんでいる。対するスウェーデンの応援団が地元にしては人数が少ないように感じた。フィンランドは「ロケッツ」と「マリーゴールド・アイスユニティ」の2チームがシノギを削っているが、スウェーデンでは「サプライズ」がダントツに強くてライバルらしいライバルがいないからではないかと言っていた。(つづく)


■2012-04-20-Friday スウェーデン5

オープンセレモニーでは

4〜5歳くらいの小さな女の子たちがフィギュア・スケートを履いて出て来た。頭には安全対策でヘルメットを被っているが、ヘルメットぽく見えない様に装飾的なデザインがされている。コスチュームも可愛らしいが、登場しただけで会場が和らいだ雰囲気になるのは洋の東西を問わない子どもの特権である。お尻を可愛くフリフリしただけで会場から拍手喝さいである。

スウェーデンのシングルの選手も女性3人と男性1人が登場してエキジビジョンを披露した。男性はリンクの中央付近に棒状のモノをセッティングしたので最初はマイクで歌でも歌うのかなと思ったが、途中の演技を見て、「ダンシングケーン」と云う1mくらいの長さのステッキが空中を飛びまわるマジックではないかと考えた。この男性のコーチがアンドレアさんだと云うからだ。チーム名に「サプライズ」と云う名前を付けるくらいだから人を驚かせて楽しませることが好きな方のようだ。妻に事前に「あの手の動きはマジックのダンシングケーンをやるしぐさだ」と言ったら「さすが良く分かったね」と感心していた。伊達に趣味のマジックを43年もやっていない。

スケーティングの間に、スウェーデンのアイドル歌手の歌が入ったり、スポーツ大賞の表彰式が入ったりと、セレモニーとしての演出は間延びしてイマイチ盛り上がりに欠けたように感じる。やはりこの手の演出はアメリカが一番派手で面白い。

セレモニーでは翌13日(金)のショート・プログラム(SP)の滑走順を決めるくじ引きもある。SPは規定の技を織り込んで2分50秒以内に演技をまとめる種目だ。滑走順は前年の成績で上位10位までのチームは後半滑走のくじを引き、11位から下位のチームが前半滑走のくじを引くのである。4〜5チームが滑る毎にリンクの製氷作業を行うから、最終組4チーム、その前の組4チーム、真ん中の3組目も4チームで、2組目は5チーム、最初の組が4チームという割り振りになっていた。21チームが参加しているから上手く10番、11番のくじを引けば3組目で滑ることが可能である。3組目に入った方が得点が高目に出る可能性が高いからなるべく後半に滑った方が有利なのである。前年度、日本チームよりも下位だったイタリアが1番滑走になり、チーム・ジャパンは9番目滑走で2組目と云うことになった。惜しいくじ運である。

夕食は会場のマクドナルドで済ませた。昼間歩き回って疲れたからレストランには行きたくないと妻が言うからだ。なんともわがままな奴である。さすがにそれだけではお腹がすくからセブンイレブンに寄ってバナナやスコーン、水などを買って、日本から持参したカップうどんをホテルの部屋で食べて寝た。

13日午前中は応援団の親たちと市内観光である。まずはトラムに乗って前日とは別方向のヨーテボリの発祥の地の古い港に向かった。港周辺を散策してからトラムに乗り、今度は海洋博物館に向かう。ここには水族館もあると云う。

ホテルの部屋に置いてあった観光案内書には大きなサメの写真が映っていたから、てっきりここがその場所だと思ったのだが・・・。

ここは幼児の為の科学館みたいな場所で、水族館ではなく小さな水槽に若干の魚、カニ、クラゲなどがいる程度であった。上層階は船の模型の展示がしてあっただけである。

ここで40SK(約600円)を払って入場券を買ったのだが、受付の男性が「このチケットでヨーテボリの市営の博物館や美術館を観ることが出来る」と言っているように聞こえた。確認したらその通りだと言う。昨日入館した東インド会社の博物館の切符をホテルに置いてさえこなければタダで見られたのに残念! 昨日の博物館の受付ではそんなことは言っていなかったのに・・・。

海洋博物館を見終わると丁度昼食の時間帯であったが、日本の公式練習は13:40からである。昼食を摂っている暇がない。会場に戻ろうかと思ったら途中にある「水産物市場」を見たいという人がいるので、トラムを途中で降りて市場を見に行く。サッと2〜3分間で市場をすり抜けて再びトラムに乗って会場入りしたが着いたのは13:30、ギリギリの時間である。公式練習を見逃して観光していたら、それこそ何の為にスウェーデンまで来ているのかが分からない。

公式練習は13:40から10分間であるから、日本チームの練習だけを見て、私たち夫婦2人は美術館に向かう。タダで見られるなら見ておこうという訳である。遅い昼食は美術館内のカフェでパイとコーヒーで済ませて見て歩いた。タダで見られるのは常設展だけで企画展のアンディ・ウォーホール展は別料金だと云う、スウェーデンでアンディ・ウォーホールを見てもしょうがないからこちらはパスした。

ここの美術館にはピカソ、ムンク、ゴッホ、モネなどの絵も展示されていた。期待していなかっただけに逆に驚いてしまったほどだった。

SPの開始時間は17:30である。日本チームは9番滑走であるから18時前に会場に着いていなければならない。美術館を速足で見て歩くなんて云う場違いな者は私たち夫婦だけであった。(つづく)


■2012-04-21-Saturday スウェーデン6

13日17:30から始まったシンクロナイズド・スケーティング

のショート・プログラム(SP)は、一番滑走のイタリアチームは去年のヘルシンキ大会では日本よりも下位であったが、今回の得点は46.19とかなりな高得点である。

イタリアの後から滑った②番滑走のスイスは34.44(SP最終成績17位)、③ラトビア23.33(21位)、④ハンガリー25.02(20位)、⑤フランス37.27(14位)、⑥オーストラリア34.56(16位)、⑦チェコ37.27(15位)、⑧クロアチア30.49(18位)とここまで一番滑走のイタリアを超えるチームが出ていない中でチーム・ジャパンの登場である。ここは何としてもイタリアを超える成績を出してもらいたい。

前回ヘルシンキ大会から日本チームのメンバーはかなり入れ替わっていて世界選手権大会で滑るのは初めての選手も数人いる。日本の直前に滑ったクロアチアチームの成績が発表される直前には全員がリンクに出て待機していなければならないのに、かなり緊張したのだろうか、何故だか選手たちがリンクに出てこないのである。

シンクロナイズド・スケーティングではチーム名をコールされた後に1分間だけ会場にデモンストレーション滑走してアピールする時間が与えられている。この1分間を大きくタイムオーバーすると減点の対象にもなるらしい。日本チームはリンクに待機していなかったからこの制限時間を大きくオーバーしてスタートしてしまった。選手たちはここでもかなり焦ってしまったことだろう。最初につまずいてしまうと全体的に良い結果は残せないものだ。途中に選手の転倒もあって日本チームは−2点の減点をされてしまい得点は43.18であった。イタリアとは3.01点の差である。出だしで焦らず、転倒も無ければイタリアを抜いていただろうに惜しかった。50点以上の得点をしておきたかった。この時点で日本は第二位であるが、この後は強豪チームの登場だから段々と順位が下がっていく。⑩番滑走のベルギーは25.03点で日本よりも低かったから13位は確保したことになるが・・・。

この後の⑪番滑走のロシア1が65.07と云うスゴイ高得点を叩き出した。ロシアは国を挙げてシンクロナイズド・スケーティングの強化に乗り出しているらしい。恐らく将来のオリンピック競技になることを見越しての強化であろう。どうせならソチ冬季オリンピックから正式種目にすれば良いのに・・・。ソチ冬季オリンピックからフィギュア・スケートでは「国別対抗団体戦」なる種目が増えるそうだが、これはシングルの演技をもう一回見せるだけで、選手の負担が増えるだけだし、同じ演技を見る観客もつまらないだろうと思うのだが・・・。

⑫ドイツ51.47(10位)、⑬USA2 51.19(11位)、⑭スウェーデン2 57.65(8位)、⑮ロシア2 51.57(9位)、⑯カナダ2 58.51(7位)、⑰カナダ1 63.76(3位)、⑱スウェーデン1 64.63(2位)、⑲USA1 62.14(4位)、⑳フィンランド2 61.02(6位)、最後のフィンランド1 61.66(5位)と云う成績で遂に⑪番滑走のロシア1を抜くチームが現れなかった。昨年の優勝チームのフィンランド1、準優勝チームのフィンランド2は5位と6位と共に振るわなかった。しかし、得点は僅差である。フリー・スケーティング(FS)の方が得点は大きく動くので順位は大きく変わるだろう。

それにしてもさすが上位10チームのスケーティングは圧巻である。私は感動のあまり鳥肌が立ってしまったほどだ。3年前から世界選手権大会を観戦しているが、各国チームの技術も演出も格段に進歩している。特に上位5位のチームの演技は素晴らしいエンターティンメントである。こんなに感動するスポーツは他に見たことがない。なぜにこのシンクロナイズド・スケーティングがオリンピック種目にならないのか不思議でしょうがない。

日本チームのSPの順位は昨年よりも悪い13位であった、明日のFSで少しでも上位に食い込んでもらいたいが、抜けたとしてもイタリアまでだろう。イタリアを抜いて12位にはなってもらいたいものだ。

会場からまっすぐホテルに帰らずにO夫婦とIさんと私たち夫婦の5人で中華料理店に入って夕食を食べてから戻って寝た。(つづく)


■2012-04-22-Sunday スウェーデン7

14日(土)はシンクロナイズド・スケーティング

世界選手権大会2012の最終日で、フリー・スケーティング(FS)が15:00から始まる。

私たち夫婦は他の応援団の人たちとは別行動で観光をすることにした。ホテルの部屋にあった観光案内雑誌には大きな水槽で大きなサメが泳いでいる写真が掲載されている。どうやら昨日行った海洋博物館とは別の水族館があるらしい。日本で「地球の歩き方A29北欧2011~2012年版」と云う本を購入して持っていったのだが、この本には水族館のことは載っていない。ちなみに私たちが宿泊したホテルのGothia Towersも出ていないからヨーテボリの情報が古いのだろうと思う。調べてみたら何とホテルの目の前に「Universeum」と云う施設があることが判った。どうやらここに水族館があるらしい。9:00からの開館であるから時間的にも丁度良い。小雨の降る中、晴れ男だから雨には降られないと傘も持たずに行って見たら子ども向けの科学館のような施設らしい。

一番のりをして、まずは斜行エレベータで最上階まで行ってそこから少しずつ下っていく。初めは川などの魚や蛙や蛇がガラスの水槽で飼育されている。もっと下がると大きな水槽が現れ海の魚が飼育されている施設に出た。ここが写真に出ていたサメが泳いでいた水槽である。その水族館部分を出ると、熱帯雨林の様な蒸し暑い施設に出た。熱帯の植物や鳥や蛙などが展示されている。やたらと蒸し暑いので早々にその場所から引き揚げた。次に通路を隔てた別棟の屋上階に行ってみたら、動く恐竜の模型や化石採集のアトラクションがある場所に出る。ここから私たちが宿泊しているホテルが真正面に見えるのだ。最終日まで気が付かなかったから私たち以外の応援団の人たちは知らないかもしれない。

恐竜展の入口で4〜5歳くらいの女の子と父親が立ち止まっている。女の子は恐竜を怖がって中に入れないようだ。スウェーデンの父親は子どもがその気になるまでジッと辛抱強く待っている。さしずめ日本なら「お金を払ったんだから、サッサと入りなさい」と怒って強引に子どもの手を引いて中に入れてしまう場面ではないかと思った。さすがにスウェーデンは子育ての仕方が違うなぁと感心した次第である。

次はトラムに乗ってルスカ美術工芸博物館に行く。ここも先日購入した共通入場券で見られるのだ。地図を見ながら博物館の角まで来たのに、そこが博物館だとは分からずに通りがかりの地元の人に聞いたら、ここがそうだよと教えてくれた。どうも入口がそれらしくないから私たちには分かり難い。展示物はインテリアデザインが主なもので4階には何故だか中国と日本美術の展示物もあった。

まだ時間があるからと、妻が一緒に来た日本人応援団の人が昨日行ったというお土産屋に行きたいと言う。場所は先日行った「東インド会社の市立博物館」の裏手だと言うので地理感を掴んだ私が連れて行ったのだが、どうも例によってそれらしきものが見当たらない。雨が段々と酷くなって来たので市立博物館に入って、そこの受付の人に尋ねてみたら、普通の民家みたいな建物だよと教えてくれたので、雨が降る中を走ってその場所に行ったが、小さな平屋の建物で、皮細工の店やら刺繍の店やらお菓子の店が軒を並べているだけであった。早々に引き揚げることにしたが、300mほど離れているショッピングセンターまで激しく雨が降る中を走って行ったので全身ビチャビチャになってしまった。洋服が乾くまで居ることにしてここで昼食を摂ることにした。2階に上がるとファストフードの店が何軒か並んでいるがどこも昼食時はバッフェスタイルのようである。「京都」と漢字で書いてあるのにアルファベットでは「Bejin」と表記してある。「Beijing」なら「北京」だしなぁと思うと何だかアヤシゲな店に思えてきて入る気にならなかった。仕方なくマクドナルドで済ませることにした。

ほぼヨーテボリの観光スポットは見終わったし、妻が今夜の打ち上げ会で私にマジックを披露しろと言う。私のマネジャーにでもなったつもりなのか、どうも最近はやたらと仕切りたがるのである。一昨年のコロラドスプリングス、去年のヘルシンキ共に同じトランプマジックを見せているから、また同じトランプマジックでは私のプライドが許さない。現在帯広で指導しているカップ&ボールを見せることにして、急遽、ホテルに戻って道具をあつらえることにした。ボールはニットのボールを日本から持参していたし、コップはホテルにあった2種類の大きさの異なる紙コップに手を加えてカップ&ボールに適した形に造り変えた。クライマックス用にはコンビニで玉子型のチョコレートを買ってバッグに入れて会場に向かったのである。(つづく)


■2012-04-23-Monday スウェーデン8

シンクロナイズド・スケーティング世界選手権大会も

14日(土)が最終日で、2種目目のフリー・スケーティング(FS)(演技時間4分30秒±10秒)は15:00から始まる。日本の滑走順はくじ引きで6番滑走ということになった。日本チームの前の、①番滑走のハンガリーは58.38(FS18位)、②ベルギー 41.48(21位)、③クロアチア 55.22(19位)、④ラトビア 48.14(20位)、⑤スイス 69.57(15位)と云う成績である。いよいよ日本チームの登場だ。ここで高得点を挙げておきたいところである。スローな曲で滑り自体は悪くはないが、上位のチームと比べるとスピードが足りないし、選手同士の間隔が広い。もっと早く滑って、選手間の間隔も詰めなければ高得点にはならない。日本は選手の転倒もあって−1点の減点があり94.39点であったが、100点超えをしておきたかったところであるが、この時点では総合第一位である。これから強豪チームが出てくるから順位が段々と後退していくことになる。

続く⑦番滑走はフランス 81.45(14位)、⑧チェコ 63.48(17位)、⑨オーストラリア 66.06(16位)、ここまでは日本がまだトップを維持していたが、続く⑩ドイツ 109.01(9位)が日本を抜いてトップに立った。さて⑪番滑走は今大会の当面のライバルであるイタリアである。イタリアは転倒などの大きなミスがなくて得点は92.79点、日本がFSでは1.6ポイント上回ったが総合得点では、前日のSPの差の3.01点が効いて1.41点及ばず総合順位ではイタリアを抜くことが出来なかった。

この後の⑫番滑走からはレベルがグ〜ンと上がる。⑫USA2 103.42(11位)、⑬ロシア2 104.98(10位)、⑭スウェーデン2 115.79(8位)、⑮番滑走のフィンランド2は昨年のヘルシンキでの世界選手権大会の優勝チームの「ロケッツ」である。昨年の優勝チームがフィンランド2と云うことはフィンランドの国内大会で、昨年の世界選手権大会の準優勝チーム「マリーゴールド・アイスユニティ」に負けたということなのだろう。フィンランドの2強チームは素晴らしいライバル関係にあって常に切磋琢磨している。さすがにノーミス、鳥肌が立つほど素晴らしい演技で、得点は 131.73点でフリーの第1位になったが前日のSPでの6位と云う出遅れを挽回する事は出来ず総合でも第4位で残念ながらメダルの獲得はならずという結果になった。

⑯番滑走のフィンランド1は昨年の世界選手権準優勝チーム「マリーゴールド・アイスユニティ」である。フリー・スケーティングの得点は119.30点でFSは第6位、総合でも第6位という結果に終わった。⑰カナダ2 118.99(7位)、⑱番滑走はスウェーデン1の「チーム・サプライズ」である。2009年の世界選手権大会で銅メダルを取って以来2000年2001年とメダルを取っていないから、今年は地元開催と云うこともあって雪辱に燃えている。チーム・サプライズはその名前の通り、アンドレアコーチがいつも観客を驚かせ、そして楽しませてくれる。まさにエンターティンメントの極致であると言えるだろう。 まずは選手の衣裳の色が皆バラバラで驚かせてくれた。他のチームは全員同じ衣裳を着ているからだ。同じコスチュームでなければならないという規定はないそうだからコロンブスの卵である。

人を持ち上げるリフトと云う技も他のチームとは一味違った手法を使っている。あらゆる部分に驚きを配置しており、見ていてとても楽しくなる演出であるが得点は130.24でFSでは第3位であるが、前日のSPと合わせての総合得点では194.87点となりトップに立った。

残りは3チームである。⑲番滑走はカナダ1 129.88(4位)、⑳USA1 130.64(2位)、

最後は前日のSPでトップに立っているロシア1である。ロシア1が優勝するには「129.81」点を取れば良い。途中までの演技は良かったのだが後半で選手が一人転倒してしまい、更にその選手が上手く戻ることが出来なくて−2点の減点となりFSの得点は127.18点(5位)となってしまった。

総合成績は、大逆転でスウェーデン1が194.87点で優勝、準優勝はカナダ1で193.64点、第3位はUSA1で192.78点、第4位はフィンランド2で192.75点、第5位がロシア1で192.25点、優勝と第5位までの差が2.62点と云う稀に見る大接戦、ハラハラドキドキさせる展開で見ていてとても楽しい大会であった。

上位の5チームの演技は突出していたし、ベスト10までのチームの演技もとても素晴らしかった。世界のレベルは年々向上しており、日本は昨年3.11の東日本大震災でリンクの天井が落下すると云うアクシデントに見舞われた中でヘルシンキの世界選手権大会に臨んだが、極端な練習不足と云うこともあって、一昨年のコロラドスプリングスでの総合10位(SP10位・FS9位)から12位へと順位を下げてしまった。

今大会は昨年9月頃にコーチが代わり、選手数名の入れ代わりと云う事態もあって新生チームでのトライであったが、そう云う事情を差し引いても上位5ヶ国との差が大きく開いてしまったと感じた。チームとしてのストックがなく、毎年16名のメンバー集めから始めなければならないハンディを克服しなければBクラスからの脱出は難しいだろう。北欧と比べると選手の数が圧倒的に少ないからだ。日本はフィギュア・スケートのシングルでは選手層が厚いのだから、今後はもっとシンクロナイズド・スケーティングの面白さをアピールして選手の数を増やさなければならないだろう。(つづく)


■2012-04-24-Tuesday スウェーデン9

スウェーデン、ヨーテボリで

4月12〜14日まで開催された「シンクロナイズド・スケーティング世界選手権大会2012」が終了した。

日本の最終成績はショート・プログラム13位、フリー・スケーティング12位、総合成績13位と云う少々残念な結果に終わった。

しかし、新生チームで世界選手権大会出場経験者が少ない中では良く健闘した方だと思う。この経験を生かせるようなチーム作りが出来れば来年につながるのだが・・・。

各国の選手たちはホテルを会場にして一同に集まり、全選手でパーティを開催するのが慣例の様であるが、監督やコーチらと応援団26名ほどは、会場近くのイタリアンレストランで打ち上げ会を開催した。とても一つのテーブルには座り切れないので3つのテーブルに別れて座った。初日の失敗を繰り返さない様に注意してピザやパスタなどを適量注文して皆で分け合って食べたのだが、私がピザを2片食べたところで妻がマジックを披露しろと云う。皆が楽しみにしてるから3つ全部のテーブルを回って披露しろとのご命令なので、カップ&ボールを順番に披露していたら、2つ目のテーブルで演技している時にこの店の従業員数名が私の背後に並んで食い入る様に見ている。急ごしらえの道具にしては上手く演じることが出来たから不思議に感じてくれたのだろう。

カップ&ボールの後もトランプマジックをやれと妻に言われて、結局、私が口に出来たのは最初のピザ2片だけであった。

15日(日)朝9時にホテルを出発、ヨーテボリ空港を11:55発のルフトハンザ機でミュンヘンに13:50に到着、ここで乗り換えである。ミュンヘンを15:50にルフトハンザ機で出発し、翌16日(月)10:15に成田空港に到着した。

ミュンヘンから成田までの飛行機内で最後の機内食を食べ終わり、後1時間ほどで成田空港に到着するという時のことである。まだ周りの人たちが食事中なのに妻がトイレに行くと言い出した。妻の席は4人掛けの真ん中で私が通路側に座っているから、私が立たなくてはならない。まだ私たちの食べ終わった食器も片付けに来ていないから妻のテーブルに一旦移動させてから、私が立ちあがったら、私の首に巻いていたマクラが外れて隣の席の男性の食器の上に落としてしまったのだ。コーヒーがこぼれて男性の白い綿パンの上に掛ってしまった。私は恐縮して何度も、何度も申し訳ありません、申し訳ありませんと謝っている横を、妻は何をやっているのよと云うような冷たい視線を投げ掛けてすり抜け、一人でゆったりとトイレに立っていったのだった。キャビンアテンダントが食器を片づけてからにすれば良いものを・・・。

先に別の便で成田空港に到着していた娘と合流し、羽田空港第二ターミナルに隣接する羽田エクセル東急ホテルにチェックインした。帰ろうと思えばこの日発の帯広便にも充分に間に合うのであるが、娘のお疲れさん会と今後の事も含めてたっぷりと話をしたかったので羽田に宿を取ったのである。

娘は今シーズンからは仕事と選手も続けるが、神宮の小学校低学年のチーム「ジュべナイルコース」のコーチも任されたと云う。10年後にはジュべちゃん達を世界選手権大会やオリンピックに連れて行って世界一のチームに育てるのが夢だと話していた。人生は一度切りだから悔いが残らない様に全力で取り組んで欲しいと思う。

娘と別れた後に、羽田の国際線を見に行った。プラネタリュームがあったので見ることにしたが途中でストンと寝てしまった。時差ボケが始まったのだろう。ホテルに戻ってマッサージを頼んで疲れをほぐしてから、睡眠導入剤を飲んでたっぷり寝て、翌朝の8:15発の帯広便に乗って9:45に到着後すぐに出社した。

娘らのお陰で海外旅行の口実が出来るから、ここ近年は海外旅行づいている。海外旅行に行くとやたらと歩くから、身体が満足に動く内しか行けないだろうと思っているので、丁度良い機会なのである。娘には、是非、来年も日本選手権で優勝してアメリカのボストンで開催される世界選手権大会2013を見に行きたいものだと願っているが、果たして妻が連れて行ってくれるかそれが問題である。(おわり)


■2012-04-25-Wednesday 愛犬バニー

スウェーデンから自宅に戻ったら、

家に入った瞬間に物スゴ〜イ悪臭がした。

帰省している次女に、留守間のバニーの世話を頼んでいったのだが・・・。

バニーは今年もうすぐ16歳になる黒いラブラドール・レトリバーのメス犬である。連れ合いとして同じ年に買った白ラブのオス犬のサニー君は3年前の2009年5月20日に13歳で死んでいる。ドッグイヤーは7倍と云うから、バニーは人間で云えば100歳を超えていることになる。口の周りやお腹の辺りの毛は白髪だらけになっているのに、メスは人間でも動物でも長生きだ。

病院やペットショップにはとても預けられる様な状況ではないので、娘が帰省していなければ私はスウェーデンには行けないところであった。

サニーは後足が悪くなり、自力で立てなくなってから1ヶ月程であっさり死んでしまった。立てなくなってしまって気落ちしたようで、急激に食欲も無くなりみるみる痩せ細っていったのだが、バニーは同じく後足が悪くなった状態から既に1年以上が経過しているが「何クソ!これくらい」というような感じで食欲も衰えずに快食、快便で生きている。ただ、ここ最近は目も鼻も耳も悪くなっているようで、大好きなおやつを目の前に出してもすぐには判らないような状態になっている。

後足の自由がないので立ちあがってもヨロヨロしてまともに歩くことは出来ないから、半年以上も散歩には連れ出していない。家の中を歩くというのか、這いずるというのかしているのだ。

家の中にバニーの排せつする場所を躾してあったのだが、最近は所構わず垂れ流してしまう。我慢できないのか、それともボケて場所が判らなくなっているのか?

オシッコやウンチをした上に座り込んでしまったりしたら最悪である。家中がウンチの足跡と臭いだらけになってしまう。毎日、毎日、絨毯の掃除をしてもシミも臭いも消すことは出来ない。

スウェーデンに行く前にも、娘に「もしも、旅行中にバニーが死んだら葬儀は云々・・・」と全て死んだ時のことを想定して準備していったのだが・・・。帰ってみたらまだ死にそうには見えない。留守間に食卓テーブルの下に潜り込んでウンチをしていたのを娘が見逃していたのか、カピカピに固まっている。霧吹きで水を掛けながら取り除いたが臭いこと、臭いこと。

さすがにその食卓では食事が出来なくなって、隣の部屋で食事を取っている。この状態では来客を家の中に入れることは出来ないだろう。

ボケの症状は進んでいるようだが、依然として快食、快便なのである。

あまりに身体中が臭いので、お風呂に入れたのだが、身体はだいぶん細くなって骨ばっている。

風呂に入れた翌日にはもうウンチの上に座り込んでしまってまた臭くなるから、また風呂に入れると云う作業をこのところ毎日繰り返している。

犬用のおむつを着けてみたが、嫌がって外してしまう。人間だっておむつの中に用を足すのは嫌なのだから、犬だって同様に感じるのだろう。介護の難しさは人間も犬も同じである。

家の壁紙、絨毯、カーテンなどにも臭いが染み込んでいる。さすがに後1年はバニーの命も持ちそうにないから、今買い替えるのはモッタイナイなぁと我慢しているのだが・・・。


■2012-04-26-Thursday 駒大同窓会

駒澤大学同窓会十勝支部の役員会を

25日夜に坂本ビルで開催した。来月12日(土)の総会に向けての会議である。

私は3年前から十勝支部の2代目支部長を仰せつかっている。

駒澤大学も少子化の影響で近年、受験生が減っているので、生き残りを掛けて2002年の開学120周年を期に全国各地に同窓会支部の設立を推進してきたのである。

卒業生の結束を固め、その人脈を駆使して大学の宣伝をし、受験生及び入学生を確保しようと云うことだ。

同窓会本部では駒澤大学出身の著名人や芸能人27名を同窓会の派遣講師として、支部の総会などの行事の際に派遣する助成をしている。登録されている講師には有名どころでは「石毛宏典」「大矢明彦」などの元プロ野球選手、「香田誉士史」元駒大苫小牧高校野球部監督、落語家では「桂文雀」「桂竹丸」「三遊亭貴楽」「三遊亭王楽」「三遊亭遊馬」等がいて、派遣にあたっては1名分は同窓会本部が全額負担してくれるのだ。

十勝支部では、これまでに、野球の中畑清、森本葵前陸上部監督などの著名人や落語家の三遊亭貴楽、歌手の黒木悦子、マジシャンの和田奈月などを招聘している。

4年前に十勝支部設立10周年記念で、三遊亭貴楽、三遊亭王楽の2名の落語家を招聘して「駒大とかち寄席」として同窓生以外にも開放してから、三遊亭王楽を3年連続で招聘している。王楽は4年前に初めて帯広に来てもらった時にはまだ二ッ目であったが、すぐに真打ちに昇進しているから、有名になる前に目を掛けてくれたと云うことで帯広を特別な場所だと思ってくれているそうだ。

また、日曜17:30からの日本テレビ系の人気番組「笑点」のレギュラーである三遊亭好楽(ピンク色の着物)は王楽の父であり、五代目三遊亭円楽(顔の長い)の兄弟子と云う不思議な関係になる。

父の好楽は以前にサザエ食品の「十勝おはぎ」のCMに出ていたことがあり、その時にはまだ幼かった息子の王楽を連れて十勝に何度も来ていたという縁もある。

王楽を招くのは今年で4年連続になるから、十勝のファンも増えているようだ。今年も2〜3席は演じてくれるというから楽しみである。

今年は5月12日(土)の14:00(開場)から、総会に先立つ催しとして北海道ホテルで一般に開放して「駒大チャリティ落語会」として開催することになった。入場料は無料だが、3.11の東日本大震災で被災した東北地方の駒大生現役に寄付するチャリティを行なうので、観客からの浄財を期待している。

250名締切りで入場整理券が必要だが、北海道ホテル、坂本ビル事務所等で配布している。是非、大勢の方に聞いてもらいたいと願っている。(文中敬称略)


■2012-04-27-Friday 誕生日

今日は帰省している次女の誕生日

である。普段は誕生日には帯広に居ないから、ここ6〜7年は誕生会などやったことがない。久し振りに私の母や妻の両親を招いて誕生会をやろうかと云うことになったが、自宅はバニーちゃんの糞尿の臭いでとても招待するような環境にないので、外食をすることにしたのである。

娘のリクエストはステーキが食べたいと云うことなので、六花亭本店の2階にある「ホーム」に行くことにして予約を入れておいた。

今日の昼間は私はゴルフである。例年なら連休が終わってから始めるのだが、今日のコンペは地元の帯広信用金庫が主催する「信友会」と云うゴルフコンペの参加者が今年3月初旬に四国にゴルフツアーに出掛けた際に奥道後カントリークラブでホールインワンを達成した方の記念コンペを会として開催するので参加して欲しいとの要請があったからだ。

私はこの四国のゴルフツアーには参加していないのだが、信友会の役員をしている関係での招待ということである。ホールインワン記念コンペだから景品も豪華だと云うし今年最初のゴルフとしては面白いかもと思って参加することにしたのだ。

私は3月初旬の沖縄でのゴルフ以来クラブを握っていないから、いきなり本番で迷惑を掛けてはいけないと、打放しにでも行っておこうと思ったのだが何かと雑用が重なり行けないでいたのである。前日の26日の終業後の17:30〜18:10までむりやりに時間を作って行って来た。

18:30からは会社に戻ってマジック教室の講師をしなければならないからだ。会社近くの帯広競馬場の練習場に行ったら、球拾い作業が丁度終わったところで、何と私が一番乗り。誰も居ない広い練習場で、しかも球が落ちていないところに打つのだ、こんなことは初めての経験であったから何と気分の良かったことか。50球ほど打ったらアッと云う間に時間が来てしまったので、そそくさと会社に戻ってマジック教室で教えてきたのであった。

27日のコンペは嵐山カントリークラブである。帯広では一番古いゴルフ場で隣町の芽室町のスキー場に隣接している山岳コースである。平らな場所が一ヶ所も無いという昇り降りの激しいコースである。カートを使わずにプレーしたがハーフで足腰に疲労が蓄積されて足がつりそうになった。

天気は予報では雨であったが、何と快晴である。最近にしては珍しい良い天気だ。やはり私は晴れ男か。スコアはイン45、アウト41の86であった。OBも2発打ってまだまだ球筋が安定していない。まぁ、シーズンの始めにしては良い方かな。

自宅に戻ってからシャワーを浴びて、皆でタクシーでレストランに向かう。私の母は肉があまり好きではないが、その他は皆、肉が大好きだスパークリングワインで乾杯してから、母だけ魚介類のフライを食べて、その他はステーキを食べた。老人になっても肉が食べられると云うのは胃腸が丈夫な証拠である。食べ終わった後で老人3人をタクシーに乗せて帰し、親子3人で我が社に入居しているカラオケ店に入った。一人1000円で5時間まで飲み放題、歌い放題だと云う。良くこんな安い値段でやれるものだなぁと感心する。2時間タップリと歌って帰った。


■2012-04-28-Saturday 晴れの休日

28日土曜日は久し振りに

晴天の休日である。

昨夜のカラオケで歌い過ぎて喉が少々痛い。講演などで喉は鍛えている方だと自負しているし、お腹から声を出すようにしているが、さすがに酒を飲みながら10曲ほども連続して歌うと喉に負担が掛かるようである。

天気は晴れであるし、庭の雪もすっかり融けたので、雑草取りをやったのだが、昨日のゴルフの疲れからか腰痛が激しくなったので途中で止めた。

愛犬のバニーちゃんは1年以上も前から後足の自由が利かなくなっているので、かれこれ1年は散歩に連れて行っていない。家の外にも連れ出していなかったから、日光浴をさせようと、庭に敷物を敷いてそこにバニーを乗せたのであった。

バニーは1年振りの屋外に何だか戸惑っている様子だ。やけにハァハァと息が激しい。ヨロヨロと立ちあがって、辺りをグルグル回り始めたのだ。これはウンチの前兆である。久し振りに外でウンチが出来て気持ちが良かったのではないだろうか?

あまり長時間外に出していても疲れるだろうと家の中に入れたが、興奮状態が続いていて、ハァハァと云う息遣いが激しいままだ。

今日はズ〜ッと立ったまま家の中をウロウロしている。急に外に出したのが悪かったのだろうか少々心配である。


■2012-04-29-Sunday GW

GWは暇だ。

まるで予定が入っていない。することがないから書店に行ってGW中に読む本を購入することにした。

講談社ノベルズの高田崇史著「カンナ天満の葬列」と云うシリーズものの本を3月に沖縄の那覇空港で購入して飛行機の中で読んだのだが、私の好きな高田崇史の歴史の謎解きモノである。

彼の「QEDシリーズ」は文庫本では既に全巻読んでいるので、何か新しいモノを読みたくなったのだが、しかし、私がこの時買った「天満の葬列」はこの「カンナ」シリーズの最新刊であった。那覇空港の小さな書店では最新刊しか売っていなかったのだ。

そこで、「カンナシリーズ」をこのGW中に全巻読んでしまおうと考えたのである。「飛鳥の光臨」「天草の神兵」「吉野の暗闘」「奥州の覇者」「戸隠の殺皆」「鎌倉の血陣」の6冊を購入してきた。

ストーリーの柱は、伊賀忍者の末裔が宮司を務める神社に伝わる「蘇我大臣馬子傳暦」と云う社伝に書かれてある内容は、敗者側が書いた歴史書で、現在日本に残っている勝者側が書いた歴史書とは異なるモノだと云う。それが公になったら日本の体勢をもゆるがすことになるとのことで、他流派の忍者の末裔やら修験道者やらが、その本を持って日本中を逃げ回っている男を追い掛けながら、歴史の闇や謎を明かしていくというものだ。

結局は、こういう考え方も出来ると云う程度でしかないのだが、それでも歴史の解釈の仕方が面白くて、ついつい読み進んでしまうのだ。

今日現在で「戸隠の殺皆」まで5冊を読んだから後は「鎌倉の血陣」だけだが、最初に最新刊を読んでしまっているから、このシリーズがまだまだ続くことは判っている。

この本にも何度も出て来るセリフだが「歴史は覚えるものではなく、考えるものだ」というのは好きなセリフである。色々と想像しながらこういう本を読むのは楽しいことである。


■2012-04-30-Monday 墓参り

今年は雪が深かったので

お彼岸に墓掃除や墓参りに行くことが出来なかった。

5月2日は父の20回目の祥月命日なので、その前には墓掃除くらいはしておかなければならない。

30日午前中に、母と私達夫婦と帰省している次女、それに弟夫婦の6人で、今年初めての墓掃除&墓参りに出掛けたのであった。

坂本家の墓を母と私と弟夫婦で掃除している間に、妻と娘は妻の実家の墓掃除をする。妻の実家の墓も自宅同様に、我が家の墓から50m程離れた場所に結婚後に造ったのである。妻の実家は娘2人だけで男が居ないから後継ぎが居ない。将来の墓守りを私の息子に託そうというわけである。息子も墓参りは嫌いではなさそうだし、両家のご先祖様に感謝する気持ちを持つには丁度良い事である。

中腰で墓の周りの雑草を抜いていたら腰が痛くなった。やはり中腰の姿勢は堪える。

1時間ほどで作業を終え、皆で近くの蕎麦屋「江戸東そば」に昼食を取りに行った。初めて入る店だが、なにやら名前が何処かで見た記憶がある。出て来た蕎麦の緑色を見て「釧路高専の隣の蕎麦屋だ!」と思い出した。

帰りがけに店主に聞いたら、そうだと言う。息子が釧路高専に通っていた時期に学校を訪れる度に、この蕎麦屋で食べていたからとても懐かしく感じた次第。

墓参りに行く前に、妻が「今日は午後から映画テルマエ・ロマエを見たい」と言うので、墓参りに行く前に映画館に寄って良い場所の指定券を買ってから出向いたのである。おそらく混むのではないかと予想したのである。この予想は当たって、ほぼ満席状態であった。

この映画は邦画であるが、古代ローマ時代のお風呂の設計技師が現代日本にタイムスリップして、日本の銭湯などの長所を取り入れる云々という物語りである。古代ローマ人を日本人の顔の濃い俳優達の、阿部寛、北村一輝、市村正親、宍戸開らが演じているところが妙にピッタリハマっていて笑わせてくれる。

何でも漫画が原作だと云うが、原作を見た事がないので先入観無しに見ることが出来た。まぁ、ところどころ声を出して笑う箇所もあったから、1000円で見られるのならお手頃な娯楽というところか。可も無く不可も無くというところであった。

この映画を見たからと云う訳ではないが、夕食後に温泉に入りに行った。やはり日本の温泉、特に十勝のモール温泉は気持ちが良いお風呂である。