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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2012-06-01-Friday 今日一日

朝のニュースで

31日夜11時頃に帯広の繁華街で通り魔事件が発生したとの報道に驚いた。現場は北の屋台のすぐ傍の大通南10丁目の路上で23歳の飲食店従業員の女性が、若い男に突然背後からハンマー状のもので殴られ、直後に今度は西1条南10丁目の路地で32歳の男性飲食店従業員が頭部を数回ハンマー状のもので殴られたという。

被害者の男女は面識がなく、犯人にも見覚えがないという。帯広でもこんな事件が起きるとはと驚いた。

今日は、午前中は帯広の隣町の音更町の教育委員会から生涯学習の高齢者学級の講師として90分間の講演を依頼されている。10時からの開始なので早目に自宅を出て、会場の音更コミュニティセンターに向かった。

コンピュータのセット等が終了して講師席に座っていたら、老婦人が私の横に来て「貴方のお父さんに三条高校で習ったことがあるのよ。その後も社交ダンスにハマって毎日のように坂本ダンス会館に通ったんですよ、お父さんもお母さんも早くに亡くされて・・・」と言うから、途中で「母はまだ存命ですよ」と言ったら「申し訳ありません」と謝られてしまい話はそこで終わってしまった。

帰宅してから夕食時に母に話したら「死んだと思われると長生きするって言うからね〜」と笑っていたのだった。

講演の前段で「カップ&ボール」と云うマジックを200名以上の観客の前で披露してから「マジック的思考法というやつで北の屋台を考え出したのだ」と話をし始めたら、ツカミが良かったのか、とても観客の反応が良かったので、私もついつい乗ってしまい時間をオーバーしてしまったのだった。

実は、事前に聴講者数は聞いていなかったので、1年前にやった同じ音更町の生涯学習の時と同じ50名程度の聴講者だと思っていたから「カップ&ボール」が丁度良かろうと思って用意したのだが・・・。

まさか200人以上の観客が居るとは思わなかったので「カップ&ボール」という小さめのマジックでは見えないかなぁと会場に着いてから思ったのだが、このマジックしか用意していなかったので演るだけ演ってみたのだが意外と反応が良かったのである。

やはり、ただ話を聞くよりはマジックを演じた方が受けが良いようだ。

講演終了後に、すぐ近くの私の所有する土地の状況を見に行った。カメラで写真を撮っていたら、近所のおじさんが出て来て「貴方は坂本和昭さんだろう?新聞で良く顔をみるから判ったよ。ここの土地は貴方の所有している土地だよね?松の木の背が高くなって家に陽が当たらなくて困るから木の枝を掃ってくれないか?」と言うのである。顔が売れてしまうとこんな事態にもなるのだなぁ。無視する訳にもいかないから色々と話を聞いて最終的には「善処します」と答えて帰ってきた。

丁度、我が家の庭の手入れに庭師さんが自宅に作業に来ていたので、現地に行って見積もりをしてくれるように頼んでおいたのであった。

自宅でテレビを付けたら、今朝の帯広の殴打事件の犯人が捕まったと云うニュースが流れた。事件現場に自動車の鍵が残されており、近くにその鍵が合う自動車が残されていたのだと云う。犯人は音更町の24歳の男性で鞄にはナタや包丁などが入っており「誰かを殺したかった」と言ったというからまたまた驚いた。おちおち帯広の街も安心して歩けないではないか。突然背後から切りつけられたりしたら防ぎようがない。帯広も物騒になったものである。


■2012-06-02-Saturday ヒドイなぁ

今日は久し振りのゴルフ。

5月16日以来だ。これだけ間が開いてしまうと感覚が狂ってしまうようであわや100叩き寸前の96と云うスコアで、今季最悪である。

元々練習嫌いと云うこともあって、この間はまったくクラブは握っていない。唯一自宅の居間にパターマットを敷きっ放なしにしているから、パットの練習だけは数回やったが、逆にこれが災いしたようなのである。

今日のグリーンはやたら重たくて、短い毛足のパターマットの早さとはまるで感覚が違ったのだ。ことごとくパットがショートしてしまいペースを狂わせてしまった。

今日も球はやたらと飛んだ。ドライバーが250〜270ヤード程も飛んでいるが・・・。100ヤード以内のハーフショットの距離感がまるで合わずに、これまたリズムに乗れない。

ゴルフは1週間以上は間を開けるものではないなぁ〜。

しかし、ダブルぺリア方式で行われたコンペだったので、私のハンディは21.6もついて何と準優勝であった。笑っちゃうね。

ゴルフの途中で、ゴルフ場に救急車が入って来た。40歳代の若い男性がゴルフの最中に倒れて心肺停止状態だと云う。今日は晴れてはいたが、風が冷たくて半袖にはなれなかったから暑さのせいと云う訳ではなさそうだし・・・でも恐いなぁ〜。

夕方に帰宅してバニーの様子を見たら、まだ元気である。六花亭の「めんこい大平原」を与えたら、一口も食べないのだ。もう完全に飽きたのだろうか。シュークリームを与えたら全部食べたから味覚はまだあるようだ。なんと贅沢なことか。風呂上がりにアイスの実を与えたら、グレープは吐き出す。酸っぱい感じのものは気に入らないようで桃やマンゴーは喜んで食べるのである。

昼間、ゴルフに行ったから、夜はゆっくり温泉に浸かりたいと思っていたのだが・・・。

妻が髪を染めて欲しいと言う。最近は私が染めてあげているのだ。髪を染める時は温泉には行けないから自宅のお風呂でするしかない。私は温泉に行きたかったのに・・・。

髪染めも回数を重ねるとだんだん上達する。「今日は上手く染まっているね」と妻からお褒めの言葉を賜ったのだった。

風呂から上がってから焼酎を飲んで寝てしまった。

今日は、何だか思い通りに事が運ばない一日であった。


■2012-06-03-Sunday 休日の過ごし方

3日の日曜日はスケジュールが入っていない。

朝起きたら、妻が「今日はカレーライスを作らせてあげる」と云う、ありがた〜いお言葉である。

たまの休みには、パパカレーとかパパラーメンを作らせていただけるのである。

私の作るカレーは妻の両親にも好評で、久し振りに食べさせてあげようと云うのだ。

最近、凝っているのは「キーマカレー」という挽き肉で作るカレーである。その他の具材として、タマネギ、人参、ジャガイモ、ピーマン、リンゴを小さくさいの目に切って入れるので、老人には食べ易いのかも知れない。多目に作って妻の両親の家に届けるし、余った分は冷凍保存しておくのだ。これで午後からのスケジュールが決まった。

午前中はもうすぐ妻の自動車の7年目の車検の時期なので、自動車会社に車を持って行くことにした。妻が現在乗っているのは仏車ルノーのカングーと云う車種である。7年前に購入した時は、息子が釧路高専に入学したので引っ越しに大活躍したものだった。小さい車なのに荷物が沢山積めるから、妻の介護ショップの仕事でも、ベッドや車いすの運搬に便利な車でとても重宝しているのである。

つい先日の新聞に新型カングーの宣伝が載っていたので、それを見に帯広日産に行ってみたら、帯広日産はルノーの販売権を返上してしまったと云う。新型のカングーを買うなら札幌の日産から買わなければならないと云うのだ。妻はとっても気に入っていたのに残念、じゃぁ、もう一回車検に出すかと云うことになって代車を用意してもらうことにしたら日産のNOTEという車を貸してくれた。妻が運転して帰宅してみたらとても運転し易いと言って気に入った様子である。すぐに日産に、「車検と購入の見積もりの両方を出して欲しい」と電話していた。

私はもともと、仏車は電気系統が弱いと感じていたし、燃費もあまり良くないから国産車を進めていたのだが・・・。

妻は逆に誰もが乗っているような売れている車種に乗るのは好きではないらしい。

午前中は、その車で私の母の運転手をやってから、妻とカレーの食材を買いに行った。やはり、日本車は仏車と違って、細かいところまで配慮が行き届いている。

買い物から戻ってすぐにカレーを作り始め、2時には終了したので男子ゴルフのゴルフツアー選手権大会の模様をテレビで観戦していた。

新人の藤本佳則がトップに立っている。藤本は2週間前の静岡のとおとうみ浜松オープンで最終日残り2ホールまでトップに立っていながら最後に逆転負けした選手だが、その時に見たテレビ中継で初めて見た彼の顔は、一度見たら絶対に忘れられない顔であった。昔の世界史の教科書に載っていた欧米人が描く、風刺漫画に出て来る東洋人の顔にソックリなのである。身長も165㎝と小さいし、首が無くていかつい肩と後ろの裾襟髪をジャンボ尾崎の様に伸ばしている格好は新人とはとても思えなかった。

その彼を同じ東北福祉大学の先輩の池田勇太が11・12・13と3連続バーディで一打差に猛追していてとても面白い場面であった。

池田は14番パーの後、15番で右に引っかけて大トラブル、ここからどうやって脱出するかが面白いところなのに・・・。

妻が「温泉に行くよ」と言う。「今日は夜に平清盛を見るんだから早目に温泉に行く」と言うのだ。せっかく面白い場面なのに・・・。

後ろ髪引かれる思いで温泉に行ったのだった。温泉のサウナでは別な番組が映っていてゴルフは見る事が出来なかったのであった。

優勝したらプロ入り5戦目の最短タイ記録で、しかもメジャー大会で初優勝という面白いゴルフだったのに・・・。


■2012-06-04-Monday ニュースを見て

3日の昼の男子ゴルフ

ツアー選手権大会の最終日の後半の面白いところが見られなかったので夜のニュース番組を見ていたら「オウム真理教」の信者で17年間も逃亡していた菊地直子容疑者が逮捕されたというニュースが流れた。

先日、放送されたNHKスペシャル「未解決事件」の中でも、菊地直子がテレビに出て「ヘリコプターがサティアン上空を飛来している云々」と云う実際の動画が結構な時間長目に流されていたから、その影響もあったのかもしれない。

3日の朝、警視庁に「相模原の民家にオウムの菊地直子に似た女が住んでいる」と云う通報があって、捜査員が張り込んでいたところ、午後8時頃に帰宅した女性に「菊地か?」と尋ねたら「ハイ」と素直に認めたと云う。かなり痩せていて、すれ違ったくらいでは菊地直子とはすぐに判らないほどで、男性と2人で住んで居たと云うが・・・。

それにしても、菊地直子はオウム真理教ではたいして高い地位に居た訳ではなかろうから、それほど重罪には問われないだろうと思うのだが、なぜに逃亡という道を選択したのだろうか?

17年間もビクビクしながら暮らすよりも、さっさと捕まって、裁いてもらっていたなら、今頃はシャバに出ていられただろうに・・・。

それとも、相当な重罪が科せられると思うほどの罪を犯していたのだろうか?

これで、オウムの逃亡半は高橋克也一人となった。今回の菊地直子の逮捕によって高橋の身柄が拘束されるのも近いかもしれない。

オウムの犯罪はシッカリと究明してもらいたいものだ。近頃、また訳の判らないアヤシイ新興宗教がまたぞろ動き始めているようだからだ。

不安な世の中になると、新興宗教に助けを求める、心の弱い人が増えてくるものだ。新興宗教で心が救われることなんかあり得ないのになぁ〜。ただ金をむしり取られるだけなのに・・・。

男子ゴルフは藤本が優勝した。池田勇太は15番で脱出に失敗してダボを叩いたという。この場面をリアルタイムで見たかったなぁ〜。

男子ゴルフ界には、この22歳の藤本佳則や18歳の川村昌弘という面白い連中が出てきた。石川遼も、うかうかしてられないゾ!

それにしてもこの藤本のキャラクターは面白いなぁ〜。


■2012-06-05-Tuesday

妻が自動車を

買い替えることにした。

妻は帯広日産で7年前に購入した、仏ルノー社のカングーと云う車種が気に入っていたようで、買い替えるなら同車種にしたいと言っていた。

ついこの前の新聞にカングーの新しいデザインの広告が載っていたのを見てこれにしたいと日産に出向いたのであったが・・・・。

帯広日産はルノーの販売権を返上しており、カングーを購入するなら札幌の日産から直接買わなければならないと云うので、現在乗っているカングーをとりあえず車検に出すことにしたのだが・・・。

代車で借りた日産のNOTEと云う車種がえらく気に入った様子で、これに替えると言い出したのである。日本車は仏車に較べたら正に至れり尽くせりなのだ。

キーをエンジンスターターに差し込む必要がないというのには驚いた。キーは持っているだけで、施錠、解錠、エンジンスタートが全部OKなのだ。ポケットに入れておけばいちいちキーを出して鍵穴に入れる必要がないのである。何と便利なことだろう。

収納スペースやエアコンなども仏車に較べると格段に使い易くて故障も少ないと云う。確かにカングーのデザインは可愛いらしいし、自動車の大きさの割にはかなりな荷物も積めるので便利な車ではあるが、自動車の作り自体が日本車に較べるとチャチな感じがした。特にドアの開閉時の音が安っぽかった。

NOTEの値段はカングーよりも安いのに作りはしっかりしているのである。しかし、車の好き嫌いは機能性だけではないからなぁ〜。燃費が悪かろうが、性能が悪かろうが、このデザインが気に入ったとなると離れがたいのかもしれない。女性にとっては自動車はファッションと同じなのだろうなぁ〜。

でも結局は、代車に借りたこのNOTEが気に入って、この車に買い替えることになった。

帯広日産の術中にハマったということかな!

買い替えに当たってはローンを組んで、全部自分のお金で払うと云う。私の世話にはなりたくないと云うことか?まぁ、それも良いことだろう。


■2012-06-06-Wednesday 冷暖房工事

会社で冷暖房機器の入れ替え工事が

先月の28日から始まった。

以前の冷暖房機器は「サニーデパート」と云っていた時期の総合冷暖房機器であったから、地下一階、地上6階建てのビル全体の冷暖房を担う大型の機械が設置されていたのである。

20年前の平成4(1992)年5月に社長であった父が他界した翌年に、物販ビルから飲食店ビルに大きく方針転換してリニューアルし、地下から3階までは居酒屋が中心のビルに生まれ変わらせたのであった。

当時の帯広中心街は、ビルがドンドンと新築され、床面積は過剰供給状態にあったので、新しいビルは、古参の我が社をターゲットに、入居しているテナントの引き抜きを頻繁にしていたのであった。

物販テナントと云うのは什器備品を移動させるだけで簡単に引っ越しが可能なのである。だから「家賃を坂本ビルよりも安くするから移ってこないか?」と誘うのである。内装に掛けた費用が数年で元が取れるような安い家賃にして引き抜いていくのだ。そんな程度の低い連中と家賃の価格競争をやっても体力を失って自滅するだけである。

そう云うビルオーナーには商業倫理もヘッタクレもないからだ。その場しのぎに、そういう汚いやり方をやっていたビルは現在ほとんどが倒産して空きビルや空き地になっているから、商売と云うのは正直に長〜くやるのがやはり王道なのである。

居酒屋ビルに変更したことで、事務所系とは営業時間が合致しないから、居酒屋系の各テナントは単独で冷暖房機器を取り付けることになった。

7フロアー分の能力のある機械を事務所系の3フロアーだけでしか使用しないからエネルギー効率が非常に悪くなったが、機械自体は数年前に交換したばかりであるから、その時点で入れ替えるのはモッタイナイ。

そのまま毎年メンテナンスを繰り返したので20年間も機械がもってくれたが、さすがに機械の寿命が来たようだ。

いよいよ昨年から機械の入れ替えを検討することになったのである。

金融機関からの借金の目処もたったから、冷暖房の端境期である6月一ヶ月間で工事をする計画を進めてきたのである。

5月28日から工事が始まり、今日から3日間は事務所の工事に入る。「工事で仕事にならないから社長はゴルフにでも行って下さい」と社員が言うので5日はゴルフに行くことにした。


■2012-06-07-Thursday 飲んべオヤジの会

会社の冷暖房機械の

入れ替え工事で、私の事務所部分の工事が5〜7日まで掛かる予定だ。この間は仕事にならないからゴルフにでも行っていて下さいと社員が言うので、丁度5日に「飲んべオヤジの会」と云う青年会議所の酒が大好きな人間の集まりのゴルフコンペがあったので参加して来た。

帯広国際カントリークラブで昼12:00からのスタートである。午前中に会社に寄ってみたら、事務所内は工事でたしかに仕事にはなりそうにもない。会社に居ても仕方がないし、コンペまでにはまだ時間があるから、札内川河川敷のゴルフ練習場に行って打ち放しをすることにした。

いつもなら、練習なんてせずに、すぐにそのまま本番に突入して少しずつ身体がほぐれてくるのが常なのだが・・・。

この日は練習場で60発も打って来たのである。なにせ土曜日に96打と云う今季ワースト記録を出したばかりであるから、さすがに練習くらいはしておくか、と云う気になったのだ。

やはり事前の練習は重要だ。この日は身体の切れがまるで違うのだ。出だしの東の1番ロングホールのドライバーがいきなり280ヤード以上も飛んだので驚いた。二打目もしっかりと当たって、バーディー逃しの楽々パーである。その後も2番パー、3番バディー、4番パー、5・6番はボギー、7・8・9番はパーで今季最高の37打である。

これはすごいスコアになるぞと思ったのだが・・・。

逆に中コースはアンラッキーが続いていく内に、段々と疲れてきて、またまた身体の切れが悪くなり始めた。後から一緒に回った片手シングルに言わせると、段々と右足体重になってきてフェードがスライスになっていたよと云う。しかし、たったの3日間で、こうも変わるものなのだろうか?普段から練習しておけばいつもこんな良いスコアで上がれるのだろうか。

それなら練習嫌いを返上しようかしらん。


■2012-06-08-Friday オウムの

オウム真理教の

最後の逃亡者、高橋克也(54歳)の消息が判明した。(この文章は7日14時に書いている)

3日の夜に逮捕された菊地直子(40歳)から、居所がバレると思ったのだろう、4日の正午過ぎに勤め先の寮近くの金融機関に行って逃走用の資金として238万円を引きだした場面の映像が公開された。

この金融機関では身分証明書が無い場合には、一度に100万円までしか下ろせないとのことで、職員から「分割して下ろすように」と告げられ、「何んでだ!」と慌てて食い下がったと言う。

でも、この金融機関の対応はオカシクないか?一度に下ろせないのは不正を防ぐためだろうに・・・。同一人物だと判っていながら分割して下ろせばOKなんて云うのはまったく意味をなさない行動だろうに??????

それに、ふつう逃亡している人間が金融機関にお金を預けているというのも、推理小説なんかではあり得ない設定だろう。逃亡者はいつでも逃げられるようにしておかなければならいだろう、そんな場合は急にお金が必要になるのだから、常に現金で持ち歩くのが常識ではないのか?(これも変な常識かな?)

何とも間の抜けた逃亡犯である。

「櫻井信哉」と云う実在の人物に成り済ましていたというからこれも驚きだ。かなり以前に、私の妻に成り済ましていた小太りでメガネを掛けている妻とは似ても似つかない女が居た様だと云うことはこのブログにも書いたことがあったが、簡単に成り済ます事が出来ると云うのも恐ろし話である。

高橋克也が会社に提出していた顔写真は手配写真とは随分雰囲気が変わっていて、直ぐには高橋克也だとは判らないような写真であった。特に濃い眉毛と云う特徴を上手く隠している。きっと写真を写す時にピンセットで抜いたのではないだろうか?

しかし、ニュースではこの金融機関を訪れた際の動画が公開されていたが、これだけハッキリと現在の姿を公開されたら、もう逃げようがないのではないだろうか?

懸賞金も掛かっているから、かなりの人が通報するだろう。

捕まるのは時間の問題だろう。

でも何故に、こうまでして逃亡しなければならないのだろうか?彼の罪ななら死刑にまではならないだろう。こんな状況で日本中から注視されていたら、まず逃げおおせることはできないだろうからサッサと自首した方が罪も軽くなるだろうし、第一、安心して眠ることが出来るだろうに・・・。

高橋克也の場合は、きっと逃亡することが生き甲斐になっているのかもしれないなぁ〜。


■2012-06-09-Saturday バニー

バニーはまだ生きている。

わがままが段々強烈になってきて、お菓子も同じものは受け付けないのだ。まるで、「私はもうすぐ死ぬんだから好きなモノを食べさせなさいよ!」と言っているかのようである。

栄養のあるものを食べさせないと体力が無くなると思い。ロースハムを食べさせたり、魚肉ソーセージを食べさせたり、フライドポテトを食べさせたり、チーズケーキを食べさせたりしているのだ。だが、同じものばかりだと口も開けなくなってしまう。目先を変えながら上手く食べさせなければならない。

脳の方もかなりボケが来ているようである。介護関係に詳しい妻に言わせると人間はボケると食べ方そのものが判らなくなるから犬も一緒ではないのだろうかとのこと。

水も口のところに容器を持って行っても飲まないが、頭を押さえて容器の中の水に鼻先を付けてあげたら飲み始めるのだ。

食べ物も最初の一口を上手く与えないとまったく口も開けない。

ウンチの方も柔らかくなってきた。かなりな軟便であるし、寝たまま垂れ流すので下に敷いているバスタオルがすぐに汚れてしまう。オシッコシーツの上にしてくれたら処理が楽だからありがたいのだが、たまに動き回るので身体中がウンチまみれになってしまうこともある。

そのままにしておく訳にもいかないから、私は人間ウォシュレットとなって、バニーを抱きかかえてお風呂場に連れて行き、バニーの下半身をシャワーで洗い流してあげるのである。

寝たままとはいいながら、食べる量が少ないから下半身も痩せて骨が目立つようになってきた。持ち上げてもかなり軽くなっている。

今日は、昨日まで喜んで食べていた魚肉ソーセージをまったく口にしなくなってしまった。飽きてしまったのだろうか?

柳月のチーズケーキを買ってきて与えたら2個をペロリとたいらげた。さて、明日は一体何を食べてくれるのだろうか?


■2012-06-10-Sunday 通り魔事件

大阪でまた通り魔事件が起きた。

男女2人が犠牲になったと云うニュースが流れた。

犯人はすぐに逮捕されたと云うが、つい先日、帯広の中心街でも同様の事件が起きたばかりである。逮捕された犯人は「自殺しようとして包丁を買ったが死ねなかったので人を殺せば死刑になれると思った。誰でもいいから殺したかった。」というから恐ろしい話だ。たまたま通り掛かった場所に、こんな狂人がこれまたたまたま居て、理由も判らずにいきなり刺されるとしたら防備の仕様がないし、何故に自分が刺されなければならないのかも判らずに死んで行ったことになる。こんな不条理な死ってあるのだろうか?これでは死んでも死に切れない。

恐らく、この犯人は帯広の事件に触発されたのではなかろうかと感じているが・・・。

帯広の犯人は「有名になりたかった」と供述していると新聞に載っていたが、前夜の犯行の後、翌日には自分の出身の幼稚園や小学校に赴いているから、大量殺人を目論んでいたのかもしれない。大量に殺人を犯し犯罪史上に名を残して有名になりたいと云うことなのだろうか?そんなクダラナイ理由で殺されたり、傷付けられた方の被害者はたまったものではない。

犯人の家族等も肩身の狭い思いで暮らしていかなけらばならいだろうに

、そういうことには気が回らないのだろうか?

一体世の中はどういうことになっているのだろうか?

オウム真理教の高橋克也がまだ捕まっていない。逃亡する前に防犯ビデオに写ることは、どうやら計算済みの行動だったようである。逃亡する前の姿を、服装も色々と替えて写っていながら、その後は、逆に一切防犯カメラには写らない様な行動をしている。どうやら、彼は逃亡することに生き甲斐すら感じているのかもしれないなぁ〜。


■2012-06-11-Monday アレ〜

地元金融機関のゴルフコンペに参加した。

このゴルフ親睦会には100名を越える会員が参加している。この日も62名が参加した大きなコンペであった。

このコンペの特徴は何と言っても高齢者の会員が多いことで、この日も私は70歳代の方々との組み合わせである。

高齢者の方はカートの使用が認められているので、私だけ徒歩での参加になる。こうなると、どうにもテンポが合わなくなるようで・・・。

つい先日のゴルフで開眼したと思っていたのに・・・。

今日のゴルフは球が飛び過ぎた。高齢者と一緒だと、ついつい自分は飛距離が出ると錯覚を起こしがちであるが、この日は文字通りに飛んだのである。去年とまったく同じクラブ、同じ球を使用しているのに、全部のクラブで15ヤード近くも飛距離が伸びているのだ。冬にトレーニングした訳でもないし、練習嫌いは相変わらずだし、飛ぶ要因は体重増加しか考えられない。腹周りが3㎝ほど肥えて体重が3㎏増えたが、その分腰の切れは悪くなっているはずなのに・・・。

ドライバーは飛び過ぎてOBまで突き抜けてしまったし、アイアンはすべてグリーンをオーバーしてしまうから、返しの寄せとパットが難しくなる。わざわざゴルフを難しくしているようなゴルフをしている内に「お先に」の4〜50㎝位のパットまで外してしまい気が抜けてしまった。

この日は運が悪くて、珍しく本番前に競馬場のゴルフ練習場に行ったら先輩のAさんとMさんが練習していた。こお二人もこの日のコンペに参加するのである。「坂本!お前の車一台で一緒にゴルフ場まで乗って行って酒を飲むからな!」と云う。AさんMさんの家を廻ってそれぞれの車を置き、バッグを私の車に積んで向かうことになったので、私の練習は20球ほどで切り上げたのであった。

12時スタートであるが、この日のコンペは芽室町の新嵐山カントリークラブというところで、くるまで40分近くも掛かる場所にある。11時前にゴルフ場の近くまで来たら「まだ時間が早いから蕎麦を喰っていくぞ!」と云うので畑の真ん中にある農家の蕎麦屋でミシュランにも載ったという「びばいろ」に行ったが、11:30からの営業だと云う。

「じゃぁ松久にじます園だ!」と云うことで、そこで昼食を取ってゴルフ場に入った。

AさんとMさんは同じ組だが、私は別の組である。やれやれ今日は握らずに済むぞと思ったのだが、・・・・

「ダメだ!もう一人T(さん)を巻き込んで、スコアカード上でラスベガス(と云うギャンブル)をするぞ!」と云う。どうしても賭けの対象にしたいようである。

一番勝った人が夕食代の半分を持ち、2位は30%、3位は20%、4位はタダという取り決めである。

今日は自宅で夕食の予定なのに・・・。

この日のゴルフの調子が悪かったのはこのせいかも。


■2012-06-12-Tuesday 小林英嗣先生

本日の午後6時から

坂本ビル5階で、小林英嗣北海道大学名誉教授のよる「街は必要か?〜メインストリート・プログラムに学ぶ〜」と題した講演をしていただいた。

今年の2月14日に札幌で開催されたシンポジュームで小林先生と一緒にパネリストを務めたのであるが、その際に、帯広での講演の依頼をしていたのが今日実現したのだった。

小林先生とのお付き合いは、忘れもしない2001年9月11日に始まった。あのNYのツインタワーに飛行機が突っ込んだテロのあった日であり、帯広には珍しく猛烈な台風が襲来していた日である。

帯広市の総合計画の会議で小林先生が委員長を務められていたが、私は商工会議所の議員(2006年に辞めた)の代表として出席していたのであった。

商工会議所内の意見と私の持論とでは、180度懸け離れているから、私に会議所の代表をさせたら議員間で問題になる可能性があるから、無理ですよと断ったのだが、時の商工会議所専務から口説かれて引き受けたのであった。

小林先生とはその会議が初対面であった。商工会議所の代表と云えば「まちづくり」とは懸け離れた利益誘導型の意見が多い中で、私が小林先生の持論に近い話をするものだから、「あれは何者だ!」と云うことになり「北の屋台を作った坂本です」と答えたら、先生から「会議終了後にじっくりお話がしたい」と言われたのであった。

北の屋台はこの年の7月29日にオープンしたばかりで、まだ1ヶ月ちょっとが経過したばかりの状態であったのだ。

当日は猛烈な風と雨の台風であったから、「北の屋台で話をするのは無理ですね」と私が言ったら、先生が「イヤ、こう云う日の屋台で話したい」と言われたので北の屋台で話をしたのだが・・・。

こんな日は客が一人も居ないかと思っていたのに、大勢の客で溢れていたので私も先生も驚きながら色々と話込んだのであった。

やがて、NYのツインタワービルに飛行機が衝突した事故のニュースが流れてきたので、ニュースを見なければと解散するまでかなり長時間の話ができたことで、その後お付き合いをさせていただくことになり、先生の退官パーティの発起人代表を私がするような関係になったのであった。

小林先生の持論には、とても共感を覚える。私が考えていることとほとんど一緒だからだ。自分の考えを、学術的な分析でクールに解説してもらっているかのような錯覚を覚えるほどなのである。

この小林先生の話を、十勝のまちづくりに情熱を持てるような若者に聞かせたいと常々考えていたから、2月のシンポジュームで同席したのは絶好の機会であった訳だ。

今日の講演会は少人数でやることを決めていたので、定員30名としたのだが、一番勉強してもらいたかった商店街からの参加者が少なかったは非常に残念なことであった。逆に帯広市以外の商業以外の業種の若者が多かったのは意外であった。

皆、情熱を内に秘めているような元気な若者達だった。やはりまちづくりにはワカ者・バカ者・ヨソ者の3種類の人間が必要だ。だが、残念なことに私のようなタイプの地元の人間を活用はしない傾向にあるようである。

私も自分が50歳を過ぎてから、気力がみなぎってこなくなったことに自分自身も驚いているが、情熱を傾けられるような事業ってなかなかないものなのだなぁ。


■2012-06-13-Wednesday 東京で

毎年6月に

東京で駒澤大学同窓会の全国支部長会議と云うのが開催される。私は3年前から十勝支部長を仰せつかっているので、毎年この時期に上京しているが・・・。

この会議の時期に合わせて、駒澤大学の「手品奇術研究会」と云う私が学生時代に所属していたサークルの同窓会も開催しているのである。

今年も皆がスケジュールを合わせてくれたので駒澤大学近くの喫茶店で開催することになっている。

これとはまったく別件で、関東方面で生活している帯広柏葉高校の卒業生に、幹事の敦賀君が、7月1日に十勝カントリークラブで開催される柏葉高校同窓会のゴルフコンペの案内をメールで発信していたのである。もしかすると関東方面からの参加もあるかもしれないと考えたのだろうと思う。

この連絡メールに対しては「関東ではゴルフはやっているが、この時期には十勝には戻れない」などの返事が数通、私の所にも入って来た。

その中で同じ3年B組の卒業生で平田君からも同様の返事があり、その後に「上京する際には関東に居るクラスメートに連絡するから・・・」と云う文章があったので、私の上京スケジュールをメールで送ったところ、6人のクラスメートが集まってくれることになったのである。

東京で高校の同窓会をやるなんて云う発想がまったく無かった。

中には高校卒業以来一度も会ったことがない金子君、大学卒業以来会ったことのない小林君、山本君などもいる。その他には井上君、島倉君が来てくれると云うから、嬉しいやら驚いたやらである。

帰ってきたら写真付きで報告することにしようと考えている。

また別件で、マジックの師匠の未亡人が東京でスナック「魔法の小箱」と云う店を営業していたが、今月一杯で店を閉めると云う電話が昨日入った。出入りしていた弟子仲間に連絡を入れて、これまた私の上京に合わせて訪ねようと云うことになっている。

今度の上京は充実した忙しいものになりそうだがとても楽しみでもある。


■2012-06-14-Thursday 北の屋台と

13日の十勝毎日新聞に

「まちづくり会社」である「街づくりおびひろ(2001年設立)」の総会の様子が掲載されていた。

その記事には、平成23年度の決算は「北の屋台」で始めた「開業支援事業」のお陰で118万円の黒字になったと云うことが載っていた。

北の屋台を作った本人としては、北の屋台がまちづくりに貢献出来ていることはまことに嬉しい話である。

「開業支援事業」をかいつまんで説明すると、北の屋台に出店したい人間を「街づくりおびひろ」が1年間社員として給料を払って雇い、屋台で営業をさせながら、実戦経験を積ませることで、その社員の独立を支援すると云う事業である。

元々は「起業塾」と云う、北の屋台の第二期で始めた事業の焼き直しではあるが、私が卒業した直後に店主募集をした第3期では実施されることはなく、去年募集した第4期で復活した事業だ(1期は3年間)。

「起業塾」では北の屋台の組合が直接に社員を雇って店主を直接支援、指導、管理をしていたのだが、その指導管理の手間などを街づくりおびひろにやってもらうことで、北の屋台の組合の実入りは少なくなる(家賃のみ)がリスク等は回避できると云う組合にとってはまことに良い仕組みに変更になっている。

十勝毎日新聞の記事によると、この「開業支援事業」をやっている屋台の「すだっち」の去年の1年間の売上額が1155万円になり、この売り上げが「街づくりおびひろ」の利益を生み出したとのことである。

この売上額と、「起業塾」との差が気になったので、少々調べてみることにした。

北の屋台のHPを開いてみたら、北の屋台全体(20軒)の売上額は数字では明示されておらずグラフによるものだけである。以前は数字を開示していたのだが、不開示の理由は個人情報だからと云うことだが、全体の売り上げ額がなぜ個人情報なのかはイマイチ理解ができない。

北の屋台は国・市・商工会議所などから補助金を受けて始めた事業なのだから一般企業とは異なる。情報は全て開示するが当然だと思うのだが、この辺はイタダケナイ。

グラフから大体の数字を拾ってみると全体の売上額は2億7千万円前後と推定される。以前と比較すると随分と数字が落ちている。以前と比べてあまりにも落ちているから公表していないのかもしれない。

それはさておき、全体売上額を2億7千万円とすると20軒で割ったら1軒あたりの平均売上額は1350万円になる。たった3坪の店でこれだけの売り上げがあるのは現在の経済状況を考えたら立派なものだ。

この数字はあくまでも推計の平均値であるが、平均ということは、当然ながらこれ以上の金額を売上げている屋台もあれば、これ以下の屋台もあると云うことだから、中には平均値の倍以上の金額を売上げる屋台だってあるだろう。

4期連続で12年も北の屋台に店を出している人は、もうベテラン中のベテランだろうから屋台での営業方法も熟知しているに違いない(本来なら1期で卒業と云うルールだったはずなのに・・・卒業したがらない理由はここにあるかもしれない)。新人でしかも雇われ店主の「すだっち」が1155万円という売上額を上げて「街づくりおびひろ」を黒字にしたと云うのだからこれは素晴らしいことだ。だが、当初、支援事業は1年間という前提であったから、次年度「すだっち」はどうなるのだろうか?それが少々心配である。

「起業塾」は組合直営事業だから、独立させる、させないはある程度、組合の自由に出来るのだが、「開業支援事業」は「街づくりおびひろ」が北の屋台から屋台を借りて行っている事業だから、北の屋台内でそのまま「すだっち」を独立させてしまえば、空きの屋台が無い限り、せっかく黒字化出来た「街づくりおびひろ」の「開業支援事業」を継続して実施する場所が無くなると云うことになる。

しかし、私は、まちづくり会社がたった1軒の屋台を営業するよりも、北の屋台全体を運営するべきだと考えている。

そうすればまちづくりに必要な経費の全てを北の屋台から生み出すことが可能になるのだ。こんな収益機能を持ったまちづくり会社と云うのはまだ日本には存在していないから、北の屋台をそういうまちづくり会社に変容させたいと考えていたのだが、叶わずに北の屋台を去った。

しかし、今、正に、まちづくり会社が北の屋台を運営すれば、日本のまちづくりの見本となることだって出来るのである。

北の屋台の組合はそろそろ、自分たちへの利益だけではなく、利益をまちに還元することを考えても良い時期に来ているのかもしれないと感じている。

この前日の勝毎に東日本大震災で被災した釜石市に北の屋台の関係者ら5人が出向いて義援金を渡している記事が写真付きで掲載されていた。知人から「この人達の旅費ってどこから出てるの?」と聞かれたが「私が知る訳はないが、まさか、義援金から出すようなことはしていないと思うよ。当然自腹だろう」と答えておいた。これだけの大勢で出向くにはそれなりの理由が必ずあるはずだからだ。きっと被災地で有意義な活動に貢献しているのだろうと思う。


■2012-06-15-Friday 魔法の小箱

私のマジックの師匠である

故ジミー忍(引田忍・聖忍)師と奥様のマコママが副業で営業していた東京世田谷区船橋のスナック「魔法の小箱」。

ジミー師が1995年5月11日に亡くなった後はマコママ一人で営業を続けていたが、この7月一杯で閉めると云う電話が先日入った。

「このまま続けると借金になってしまうから、その前に閉めるの・・・」と云う。

「魔法の小箱」は以前は下北沢駅の近くにあった。ジミー師の自宅が代沢にあったからだが、船橋に越してからは1994年のFISM横浜大会の折に寄って以来毎年顔を出している店である。

特にここ7年くらいは駒澤大学の手品奇術研究会の同窓会が5月か6月に開かれる度に仲間等と顔を出すことが通例になっていた。

店に飾ってあった世界の有名マジシャンの額等の整理を徐々に始めると云う。「全部、坂もっちゃんの所に送るから・・・」と云う。嬉しい話だ。「マジック博物館を造って欲しい」と云うジミー師の遺言で、とりあえず図書館は造ったが、今度は先生の衣装や道具も送ってくれると云う。道具の一部は弟子の何人かが欲しいと云うのでバラバラになってしまうが、衣装は私が造る博物館に飾って欲しいとのこと。

また、高校の同級生でマジックを趣味にしていた父親がなくなった友人が今年の1月に私に父のマジックの道具を引き取って欲しいとの話もある。今月中には連絡が入ることになっている。

これではいよいよ本格的に博物館を造らなけらばならない。

私は多趣味である。これまでに切手・コイン・マリリンモンローグッズ・ディズニーグッズ・レコード・レーザーディスク・等など数々のコレクションをしてきたが、全て、ある程度集めてしまったら急激に飽きてしまった。

しかし、マジックだけは飽きることがない。単に集めるだけではなく練習をしたり、他人に指導したり、講演に生かしたり等と幅が広くて奥が深いからだろう。

もっと多くの人間にマジックの素晴らしさを伝えたいと思っている。まずは他人の前に家族に教える必要があるだろう。せっかくのコレクションが私の死後に散逸しないように・・・。


■2012-06-16-Saturday オウム真理教最後の

オウム真理教の最後の逃亡犯

高橋克也が15日の朝に捕まった。

最後に足取りが途絶えた川崎駅から一つ東京寄りの蒲田駅前の漫画喫茶店に潜伏していたと云う。

捜査員2人がこの漫画喫茶に行った際に、店員から「高橋容疑者に似た男が居る」と聞いて、顔を見に行ったが「似ていない」と見過ごしたと云う。その男がトイレに立って捜査員の居るカウンターの横で代金を精算して外に出たところ、後ろ姿を見て似ているかもしれないと思い直して、店外で「高橋克也の捜査にご協力下さい」と言ったところ「ハイ、私が高橋克也です」と素直に告げたと云う。もしもこのまま逃していたら、この捜査員2人はバカ丸出しになっただろう。まぁ、ギリギリで対応できたからまだ良かったが・・・。

連行される映像をニュースで見たが、確かに手配写真やビデオに写っていた映像とはまた違った印象に見えたから、17年間の逃亡生活で身に付けたものなのか、逃亡術というか変装術と云うかそういうものに長けた人間になったのだろう。

高橋容疑者が捕まる前に発売された週刊誌には、高橋克也は4日に捕まった菊地直子容疑者と同棲していた男性から「逃亡犯なんだろ金を寄こせ!」と脅されていたのではという類の話が載っていた。

確かに、この男性に金を貸したという話には違和感を感じていたから、さもありなんという話に聞こえる。菊地が捕まったのは、この同棲男性の兄の通報に拠るものだということだし、真相はまだこれからだが、菊地も高橋も、この男性に関わったことから捕まったのではないだろうか?

やはり類は友を呼ぶということか?

高橋克也は麻原彰晃の写真や著書などを持っていたと云うから、まだ信仰心があったのだろうか?

いずれにしろ、(学校の成績の良かったと云う意味の)頭が良かった高学歴の人間が、何故に麻原彰晃みたいな人間を崇拝して、大量殺人を犯したのか、オウム事件の全貌というものを解明してもらいたいものである。


■2012-06-17-Sunday 新聞記事から

今朝の新聞に

警視庁はAIJ投資顧問の年金消失問題で詐欺などの疑いで近く強制捜査をすると発表したが・・・・・・・・・・・・。

何を今更。

今頃やったって、既に重要証拠になるようなものは処分が終わっているだろう。こう云うものはスピードが大切なのに・・・。

逆に、これだけ間隔を開けたと云うことは、関連しているであろう「お偉方」に影響が及ばない様に、証拠を処分させた上で、浅川社長だけに全責任を押し付けて、この事件を終わりにしようと云うことではないのかと疑ってしまうくらいだ。

以前に書いたが、北海道の迷惑防止条例違反事件(盗撮)で逮捕されて罰金刑に処され停職処分を受けた浦河町の中学教諭(48)の復帰問題で、道教育委員会は15日に、江別市にある道教育研究所で1ヶ月以上の研修を命じて、研修が終了後には浦河町以外の学校現場に復帰させるという意向を示した。

なんて杓子定規な判断なのだろう。そもそもは、こう云う類の性的な事件を起こした教諭は停職処分を受けたら自ら辞職するのが通例になっていた。そこには仲間に対する温情と云うものがあって、懲戒免職にしたら退職金が支給されなくなるからだ。ところがこの厚顔無恥な教諭は、教師を続けたいと云うのだから呆れる。どうせ誰か悪い奴が入れ知恵したのだろうが、一度下された処分を重く変更し直すことは出来ないと云うことを逆手に取った行為だ。ここが仲間意識と云う奴の問題点である。仲間であっても、まずは辞職願を書かせた後で、停職処分にすれば良かったのに、「たぶん、辞職してくれるであろう」と云う甘えた考え以外の何物でもない。

この世の中は、厚顔無恥な人間が得する様に出来ているのだろうか?そうだとすると実に悲しいことだ。

ズ〜ズ〜しい恥知らずな奴が大手を振ってノサバル世の中にはしたくないものだ。


■2012-06-18-Monday 全米オープン

昨日の日曜日の午前中は

ズ〜ッとテレビでゴルフの「全米オープン」を見ていた。

最終組にタイガー・ウッズが居るから久し振りのメジャー大会制覇かと思って見ていたのだが・・・。テレビ放送が最終組の17番ホールで終わってしまいとても腹立たしかった。

これがもしも石川遼選手だったらきっとテレビ放送も延長しているだろうに・・・。日本人選手では藤田寛之以外は皆予選落ちしてしまったし、その藤田も振るわないし、外人選手同士の優勝争いでしかもまだ3日目だから中継を止めてしまったのだろう。

その後の政治の話なんぞ見たくもない。

雨が降っているからゴルフにも行けない。本屋に出向いて本を購入して来てズッ〜と夜まで読んでいた。本を読みながらフッと以前に購入したお腹に巻いてブルブルと振るわせるバイブレーター付きの腹巻のことを思い出し、押し入れから出して来て腹に巻いてみた。ただ寝っ転がって本を読むだけでは益々太ると思ったのである。

1時間程付けてみたら、お腹が熱くて、痒くなってきた。楽して痩せようと思っても無駄なのか?

夕方早くに食事を済ませて、18時からのBS放送で平清盛を見た。視聴率が悪いと云うが、私は面白く見ている。何故に視聴率が悪いのかが理解できない。私はとても良い番組だと思っている。きっと視聴率が悪いと云う評判が立つとその声に引っ張られて見なくなるのだろう。ちょうど家政婦のミタとは逆の現象の様だ。どうも日本人は主体性が無いなぁ。

日曜の夜には面白い番組がないから早くに温泉に行ってまた本を読むつもりである。白樺湯に行ったら、近くに消防車やパトカーが7〜8台も停まっている。火事でもあったのだろうか?

温泉の帰りの1時間後になってもまだパトカー4台と消防車が1台停まっていたから何かあったのだろう。

月曜日も9時から「全米オープン」の生中継を見た。会社に行ってからもテレビを付けて見ていたが、ズッとトップに立っていたフューリック選手が16番のロングホールの第一打を大きく右に曲げた。それまで曲げていなかったのに・・・。優勝を意識したのだろうか?

結局シンプソンと云う若手選手が+1で優勝した。

それにしても、今回のコースは難しそうである。世界の超一流の選手達がアンダーで回れないのだから。一度こういうコースでプレイしてみたいものだ。


■2012-06-19-Tuesday 不誠実

日本の政治家の不誠実さはヒドイものだ。

特に最近の政治家はあまりにもヒドイ。

野田首相は「ドジョウ宰相」とか云って、さも誠実で実直そうな風を装ってはいるが・・・。

大飯原発の再稼働問題でも「責任は私が取ります」と大見栄を切った随分と恰好の良い発言をしているが、首相の任期だって後どれくらい残っているかも判らないし、そう長くはないことだけは明白である。第一、原発事故の責任ってどうやって取るというのか、どの道、責任の取りようなんてないだろうに。

早速、四国電力から原発再稼働の動きが出てきたから、このままなし崩し的に日本中の原発が再稼働していくのだろう。

安全対策がなされないまま、事故の検証も不完全なままで再稼働させるなんて・・・。

一体、東日本大震災後の1年間、政府は何をやっていたのだろう。何も対策を取らずにここまで来て、夏の電力が不足するから原発を再稼働させるなんてまるで子供の対応ではないか。ナサケナイと云うか政治をやっていないというのか・・・。

政局ばかりをやっているようにしか見えない。

消費税の問題も、社会保障の方は先送りで、まずは何としても消費税増税だけはやるつもりの様である。そのくせ、違憲判決の出た一票の格差問題の方も、野党側から否決されるのが判っていながら、一応は提出しましたよという国民向けのポーズにしか過ぎないあざとさだ。

政治家に対して飽きれているのは私だけではあるまい。恐らく国民の大半が飽きれていることだろうと思う。

こう云う国民に対して失礼極まりない政治家なんて不必要だ。ゼロ増5減どころかゼロ増100減位にしなければならないのじゃぁないだろうか?

こういう奴等に我々の税金を無駄使いされているかと思うと腹が立つ。


■2012-06-20-Wednesday 愛犬バニー

いよいよバニーちゃんが死にそうだ。

ここ2,3日極端に食欲が落ちている。2日前からはロースハムにも口を開けなくなった。唯一口にするのが、六花亭のチーズケーキ(140円)と柳月のチーズスフレ(130円)だけになっている。どちらも同じケーキなのだが、フワフワして食べ易くて甘いモノしか口にしなくなった。

栄養を確保する為に朝と夜に2個ずつ食べさせていたが、昨日は1個ずつしか食べないし、その他のモノには頑として口も開けないのだ。

今朝はそのチーズケーキにも口を開けなくなってしまった。

横になっているが、足がピクピクと痙攣をし始めた。時々首をもたげて辺りを見回すが、もう目はかなり以前から見えていない。身体をさすってあげると落ち着いたようにまた横になる。

このまま何も食べなくなれば今日にも死んでしまうことだろう。

相棒(?)だった3年前に13歳で死んだサニー君が迎えに来ているのかもしれないなぁ〜。

生き物は自分で食べられなくなったら死ぬ運命にあると思う。人間の様に点滴で栄養を送ったり、イロウで栄養を送ったりするのは生物の摂理に反すると思うのだ。

バニーは今月満で16歳になったから、ドッグイヤーを7倍とすると人間なら112歳と云う超高齢犬である。

獣医師が16歳で自立できるラブラドール・レトリバーを始めて見たと云うくらいだから、寿命の短い大型犬としては長生きである。

苦しまずに安らかに逝ってもらいたいと願っている。


■2012-06-21-Thursday 青森の加藤さん

青森市でまちづくりに

全身全霊を掛けているような人、加藤博さんが20日夜に帯広のまちづくり会社からの依頼で講演会を行うと言う連絡が本人から入った。

加藤さんとは、北の屋台をオープンさせた2001年に加藤さん等青森市のまちづくりに励む方々の視察からのお付き合いである。

加藤さんは、当時から、全国でオモシロそうなまちづくりをしているところがあると聞けば、すぐに現地に飛んで行って視察するというとてもエネルギッシュな人である。その後は、何度かまちづくりの講演で一緒に講演したこともあるし、私が青森に講演に呼ばれたりしたこともある。また、青森市の近くに別の用事で行った時にも連絡を入れて一緒に酒を酌み交わすという間柄である。

「残念ながら、20日の夜は私が指導しているマジック教室の開催日であり、講演を聞きには行けないが、妻が聞きたいというので妻を行かせます。マジック教室も講演も8時に終了するから、その後に一緒に飲みましょう」ということになったのだ。

加藤さんは「まちづくり関係の講演だから、おそらく講演終了後に懇親会があるだろうから、そこに坂本さんが来れば話が弾むんじゃないだろうか?関係者に坂本さんを懇親会場に呼んでも良いかどうか聞いて電話するよ」と言う。

ところが・・・・。

「帯広のまちづくり関係者から、坂本はまちづくり会社とは関係ないからこの懇親会には呼べないと断られてしまった。」と言うのである。加藤さんは、「それなら、私は、帯広に来たからには坂本さんと話がしたいので懇親会は1時間で切り上げてもらいたい。と言うから9時から場所を変えて飲みましょうよ」と連絡が入ったのである。

その後は、11時過ぎまで、北の屋台の卒業である「タベルナ・センナリ」と云う店でまちづくり談義をしたのである。

私が、理解出来ないのは、何故に、帯広のまちづくり会社の人が私を懇親会に呼ぶことを拒否したのかということだ。私は別に、まちづくり会社の批判などしたこともないし、敵対しているわけではもちろんない。

まちづくりの話で、共に全国各地を見て回っている加藤さんと私の話を一緒に聞いた方が、よっぽど収穫は多いのではないかと思うのだが・・・。私を呼びたくない理由が何かあるのだろうか?

「まちづくり会社も、別にウシロメタイことをしているのでなければ、広くいろいろな人の意見を聞いた方が良いのに・・・」と加藤さんも言っていた。

誠実にまちづくりにまい進している加藤さんに会えてとても楽しかった夜であった。


■2012-06-22-Friday 東京1

21〜24日まで東京出張である。

今回の出張目的は4つある。①は駒澤大学同窓会全国支部長会議への出席、②は駒澤大学手品奇術研究会同窓会への出席、③は帯広柏葉高校3年B組の関東近郊で生活している同級生との懇談会への出席、④にマジックの師匠の故ジミー忍師の未亡人が経営するスナックのお別れ会への出席である。

まずは①の駒澤大学同窓会全国支部長会議は22日の13:30から東京の浜松町にある東京グランドホテルで開催される。この会に参加するには帯広を当日の10:20−12:00の飛行機で行っても十分に間に合うのだが、2年前は飛行機が遅れてしまいかなり焦ったことがあったので、前の日に入って他の用事を済ませようと考えたのである。

東京に居る長女と姉と姉の娘を誘って、新宿で食事をすることになった。娘には7時に新宿高島屋で待ち合わせと言っておいたのだが、妻が娘にメールで待ち合わせ時間は7時と打つところを誤まって17時と打ってしまったようで、娘から5時ちょっと過ぎに私の携帯に「今、何処に居るの?待っているのに・・・」と電話が入った。

私は宿泊もする浜松町の東京グランドホテルにチェックイン(このホテルは駒澤大学の系統の曹洞宗が運営しているホテルで駒澤大学の支部長会議の出席者は安く泊まれるのだ)、山手線で浜松町→東京、中央線で東京ー新宿と移動中であった。40分程度は移動に掛かったろうか?早目に行って高島屋に隣接している東急ハンズでマジックの道具を見てこようと思っていたのである。

そのお陰で、娘を大して待たせることなく会う事が出来た。姉にもすぐに電話入れて、7時の約束だけど少しでも早目に出て来て欲しいと連絡をしたのである。

姉達も6時過ぎには到着したので、娘の希望に合わせて高島屋の上のレストラン街で「今半」と云う店に入りスキヤキを食べることにした。以前に祖母と一緒に来て美味しかったからだと云う。

値段はかなり高いが、普段食べられないものをご馳走してやると言ったからには仕方がない。

十分にスキヤキを堪能して、姉とも会うのは久し振りだったので積もる話で時間はすぐに過ぎ去った。

娘がこれからのことで話がしたいと云うので、姉達とはここで別れて、喫茶店に入って話をした。娘はフィギュア・スケートの団体競技のシンクロナイズド・スケーティングというものを続けている。その将来の夢に付いて、私にジックリ相談したいと云うのだ。

父親としては娘と二人きりで話す機会などなかなかない。私は自分の夢は途中で諦めたから、子どもらには真剣に取り組むならサポートしてあげるつもりでいる。一度しかない人生だから悔いを残さない様に全力で当たりなさいと伝えた。

話が終わってから、来た時と同じルートで浜松町に戻ったら、ホテルに向かう道の途中に地下鉄大江戸線の大門駅というのが見えて、それには新宿まで15分と大きく書かれてあったのだ。

私が学生の頃は、電車と云えば山手線と中央線での移動がほとんどで、地下鉄はほとんど使わなかったし、大江戸線と云うのはまったく知らない。やたらと地下深くに駅がある地下鉄だくらいしか判らないから、最初から調べてもいなかった。

東京で暮らすにはスマートフォンが必要であると痛感したのであった。(つづく)


■2012-06-23-Saturday 東京2

22日は13:30から

駒澤大学同窓会全国支部長会議が、浜松町の東京グランドホテルで開催される。

前日からこのホテルに泊っていたから、午前中は時間がたっぷりとある。9時にホテルを出てスカイツリーでも観に行こうかと考えた。昨夜見た大江戸線に浜松町(大門)駅から乗ったらスカイツリーのある押上まで直通で行けるのである。昨夜の失敗でちゃんと学習したのだ。

ホテルの側には東京タワーが見えるから新旧のタワーを見較べてやろうかと思ったのだ。

ホテルを出たら雨が降っている。浜松町まで歩いたら結構濡れてしまった。この天気ならスカイツリーのテッペンは雲に隠れて見えないかもしれないし、行っても昇れないだろうから、急に行く気が失せてしまい。浜松町の本屋で本を探している内に12時近くになってしまった。

昼食には蕎麦が食べたい。ちょうど「更科布屋大門」と云う店が近くにあるのと云うで、探して食べに行った。なかなか美味しい蕎麦であった。

ホテルに戻って背広に着替えて会議に出席した。

駒澤大学の同窓生は全国に25万人居て、55か所の支部があり、その内北海道は広いので8つの支部がある。私はおそらく全国で一番若い支部長であろう。

13:30〜16:00の予定であった会議は16:30まで伸びた。途中にピントが外れたクダラナイ意見を滔々と述べる支部長がいるのだ。皆が飽きれているのにも関わらず、このご仁は毎年、懲りずに、しかも何度も手を上げるのだから困ったものである。どこにもこう云う人がいるものだ。16:30からは大学の教授等も合流しての懇親会である。この懇親会のゲストとして駒澤大学出身のマジシャン「なかたかし」さんが出演してマジックを演じた。

先月の十勝支部の総会に同席してくださった越後同窓会長が事前にこのマジシャンに私のことを伝えていてくれたので、演技終了後に色々とマジックの話をすることが出来た。

彼が駒澤大学に入学した時には「手品奇術研究会」は既に消滅していたし、彼は学生時代はボクシング部に入っていたのだと云う。ボクシングでけがをして入院している時にマジックを覚えたという異色の経歴の持ち主である。

駒澤大学の同窓生でプロのマジシャンが3人居るそうだが、一人を除いては「手品奇術研究会」には入っていなかった。もう一人は入部して1年で辞めてしまいその後プロになったと云う。そのマジシャンにも是非とも会ってみたいものだ。

懇親会は18:00に終了。私は帯広柏葉高校時代の同級生が集まってくれる有楽町のガード下まで移動した。

私が居た3年B組の同級生で関東近郊で暮らしている人間が8人ほど居るのだ。私が上京してくるなら皆に声を掛けるから集まろうと企画してくれたのだ。高校卒業以来始めて会う奴もいるし、大学卒業時以来の奴もいる。残念ながら1名が急な用事で来られなくなり、急遽隣のC組の出身者を呼んだと云う。私を含めて7人が集まり旧交を温めた。

2人は1次会で帰ったが、二次会は銀座で足寄町出身のママがやっている店に連れて行くと云う。十勝出身者は安く飲ませてくれるのだと云う。但し、足寄町出身の某元代議士のSさんの悪口は言わないようにと釘を刺されたが・・・。

松山千春の歌を歌いまくって0時まで飲んで歌って騒いだ。一瞬にして高校生時代に戻れるから同級生飲むのは楽しいものである。

(つづく)


■2012-06-24-Sunday 東京3

23日は13:30から

駒澤大学の正門の横で駒澤オリンピック公園入口との間にある喫茶店ロマンで「駒澤大学手品奇術研究会」の同窓会である。

この会は6年前から毎年この時期に開催していて今回が6回目。初回〜3回は新宿、4回目は三軒茶屋、5・6回はこの駒沢のロマンである。

1〜3回は私が、毎年6月初旬に静岡県の天城でIBM主催の会議に参加するついでに開催してもらっていた。一番遠距離である私の都合に合わせてくれていたのである。この会議は50歳定年制なのであるが、平成21年に私が駒澤大学同窓会十勝支部長に就任したので、この全国支部長会議が6月中旬に開催されているから時期的にもピッタリなのである。

支部長会議が金曜日開催なので、翌日の土曜日に日程を合わせてもらっているのだ。

前回の支部長会議だけは、駒澤大学の深沢校舎での開催で、しかも土曜日の開催であったから、私は途中参加ということになったのだが、今回はまた元の東京グランドホテルに会場が戻ったので、私は翌日だからゆったりと参加が出来る。

9:30にホテルを出て山手線で渋谷に向かった。

渋谷に東急の「ヒカリエ」と云うビルが先頃完成し、テレビ等でも盛んに取り上げていたから、是非これを見たいと思ったのである。

テレビで見た時にはかなり面白そうなビルだと期待していたのだが・・・。確かにおしゃれな若い女性には面白いビルだろうが、54歳の中年オヤジにはつまらないビルであった。その後は定番の東急ハンズ渋谷店に行く。ここは私が大学1年生の時にオープンした店で、当時からお気に入りのビルなのである。手品用品も豊富であるし、ワンフロアーずつ商品を眺めて歩くだけでも楽しい店だ。

ここで時間を潰してから地下鉄で駒沢大学駅で降りる。まだ時間的には早いので駒沢公園をグルリと歩いてから大学のキャンパスに入った。キャンパスにはすでに先輩のKさんがいたので学内を少しブラつく、学食が4月から新しくなったと云うので見に行ったら、メニューに「帯広風豚丼」の文字を見つけた。こんなところに帯広という文字と豚丼があるのに驚くやら嬉しいやら。すぐに写真に収めたのだった。

ちょうど13:30頃の良い時間になったのでロマンに行く。早速ビールで乾杯だ。今年は14人が集まった。例年よりも少人数だ。毎年やっているとマンネリ化してしまうのかもしれない。

16:30まで飲んで話をして盛り上がった。ロマンを出たあとで、キャンパスに行き、パオと云う喫茶でお茶を飲んでそこで解散。

私はKさんとSさんと一緒に、マジックの師匠の故ジミー忍師の未亡人マコママが千歳船橋で営業している「魔法の小箱」というスナックに向かう。

駒沢大学駅ー三軒茶屋まで地下鉄半蔵門線、三軒茶屋ー山下まで世田谷線のチンチン電車、豪徳寺ー千歳船橋まで小田急線の移動である。

魔法の小箱はこの場所で20年目になると云う、以前は代田で十数年やっていたと云う。今流行りのマジックバーの先駆けだ。

ジミー師が1995年に亡くなってからはマコママが一人で営業してきたが70歳になってシンドクなってきたからこの7月一杯で閉店すると云う。例年、駒大のマジッククラブの同窓会の後には数人でこの店で飲むのが恒例になっていたのに・・・。

この日は3人だけで向かったが、私が北海道に戻ってからジミー先生に師事した弟子のAさんも合流、偶然にもママの息子でミュージカル俳優の駒田一ちゃんも友人三人を伴って来店して大いに盛り上がったのであった。

マコママは店に飾ってあったマジック関係の絵や先生の肖像画などを全部私のところに送ると言う。私がジミー忍師の遺言で作る「マジック博物館」の展示物にして欲しいと云う。

見せてもらったら、ものすごい貴重な品が沢山あるのである。「とにかくきれいさっぱりと全部送るから、後は坂モッちゃんヨロシク!」と云うのだ。これは大変なことだ。送られてきたら整理するだけでも1年以上は掛かりそうである。でもこの作業はきっと楽しいだろうから、じっくり、ゆっくりやことにしよう。

11:00になったので駒澤大学の3人は引き揚げることにした。ホテルは3人ともバラバラである。私は昨日学習した通りに新宿で大江戸線に乗り換えて大門駅で下車してホテルに戻ったのであった。

ホテルで寝て居たら1時過ぎにメールが入った音で起こされた。妻からのメールである。「自宅の電波時計が1時にグルグル回っているから地震に気を付けて」だと安眠妨害である。このメールで目が覚めてしまって朝まで眠れなかった。迷惑な奴だ。

今回の東京出張は同窓会繋がりで級友たちに会うことが出来てとても楽しかった。この年になると昔に戻って話をすることが何よりも愉快である。


■2012-06-25-Monday バニーちゃんが

東京に出張中に

バニーちゃんは死んでしまっているだろうなと思っていたのだが・・・。

「後、2〜3日で死にそうだ」なんてこのブログに書いたものだから、あちらこちらから、「バニーちゃんは?」と云うメールを頂くのである。

しかし、私が自宅に戻ってみたらまだ健在であった。

さすがに食事はロースハムの薄切りを4枚とチーズケーキ1個程度しか食べないからかなり痩せてはいるが、私が帰宅したら、首をもたげて探すようなそぶりをする。なんて可愛い奴なのだろう。

私が出張中に妻が自宅を整理していたら、サニーとバニーの血統書が出てきたと云う。見てみたら、バニーの誕生日は1996年7月16日と載っていた。私はてっきり6月生まれだと思っていたのだが・・・。

一方、サニーは1996年5月20日が誕生日で、死んだのが2009年5月20日だから、誕生日に生まれて誕生日に死んだと云うことになる。それならまるで坂本龍馬みたいである。

バニーも恐らく、負けじと誕生日の7月16日まで生きているつもりなのだろう。

バニーは、かなりボケているようで、水も容器を口に付けても、すぐには水だと判らないようなのだ。しばらく頭を押さえつけて容器に口を付けているとようやく思い出したように飲み始める。水分の補給は一番大切なことだが、嫌がっている訳ではなく、水の飲み方を忘れてしまうみたいなのだ。辛抱強く、諦めずに対応してやらないと水も食事もしなくなってしまうだろう。

バニー自体はとても辛抱強い犬で鳴き声はめったに聞いたことがない。ここ最近はまるで鳴かないから、痛いかどうかは不明なのだが、どうやら身体などには痛みはなさそうなのだが、はたしてどうなのだろうか?

身体が痛くなくて、食事も出来るなら、バニーの生命力が続く限り世話をしてあげたいと思っている。


■2012-06-26-Tuesday 冷暖房機器

東京に出張している間に

6月初旬から開始した坂本ビルの冷暖房機器の入れ替え工事が無事に終了していた。

以前に使用していた冷暖房機器は父が健在の頃の20数年程前に入れ替えたもので、当時はまだ「サニーデパート」と称していた寄り合い百貨店形式の運営であったから、地下1階、地上6階の全フロアーを1台の重油燃焼式の機械で集中管理していたのである。

父の死後、飲食店ビルに様変わりさせ、飲食店部分(地下1階、地上1〜3階)の4フロアはそれぞれのテナントが独自の冷暖房機器を取り付けて自分で管理し始めたので、7フロアー分の能力のある機械を事務所系(4〜6階)の3フロアーだけで使用していたのだ。

これは、自動車で云えばF1マシンが、市中の道路をノロノロと走っているようなもので、燃料をバラ撒いているようなものであった。

今回は、その無駄を省いて、各部屋毎に機械が作動するシステムに変更し、使用燃料も重油から天然ガスに替えたのである。

今回は、重油・電気・天然ガスの3通りのシステムでそれぞれ見積もりを取って検討した。重油の機械を使えば、現在の配管等を活かせるから一番費用は安くて済むのだが、地球環境問題のCO2の排出の問題などを考慮すると、近い将来に環境税の導入なんて時代が到来するかもしれないと考えた。また石油は値段が高騰する懸念があるし、国際紛争の火種でもあるから、供給の安定性に不安を感じたと云うこともある。

電気は、昨年の東日本大震災の福島第一原発事故の影響で、今後は電気料金の値上げが予想されるし、機器の値段も一番高かった。それらを総合して天然ガスが一番良かろうと判断した訳である。

工事期間は約1ヶ月掛かるが、暖房と冷房の切り替えの端境期におこなう必要がある。古い機械は全て取り払って処分するので使用できないからである。

例年の帯広の気候を調べて、一番寒くもなく、暑くもない時期は5月下旬〜6月一杯までと判断して、この時期に工事をすることで調整を進めてきた。

今年の6月は寒いくらいの日が連続したので、テナントさんからは暑いから冷房を入れて欲しいと云う類の苦情は全く無かった。むしろ寒くて暖房が欲しいくらいであったのだ。

私が東京に行っていた間も、帯広は寒かったと云う。私が帯広に戻って来た日曜日からお天気になって温かくなってきた。

昨日、稼働させてみたが、音も静かでとても快適である。

ちょうど良い時期に工事が完了出来て我が社はとても恵まれていたようである。


■2012-06-27-Wednesday 屋台村の記事

十勝毎日新聞の25・26日に

「地域を結ぶ屋台村」と題した特集の囲み記事、上・下が載っていた。「下」の記事の最初に私の「地域活性化に貢献するという当初のコンセプトを生かした屋台村ではなく、ブームに乗って形だけをまねた施設も多い」と云うコメントが掲載された。

2007年3月末に北の屋台を卒業してから既に5年が経過しているが、未だに北の屋台の創設者として、いろいろな方々が話を聞きに来てくれるのはとても名誉なことである。

しかし、私が自分で書くのとは違って、新聞や雑誌のコメントは字数の制約の関係もあるから思いが充分に伝わらない事が多いので、少し補足しておく。

「北の屋台」はまちづくりの事業として始めたものだ。

シャッター街と化してしまった商店街の活性化策として、商売の原点である屋台と云う道具を使って、リストラされた人、これから商売を始めたいと云う起業を目指す人など、いわゆる商売の素人の方々に、低予算で開業できて、しかも儲かる場所を提供することで、商売のノウハウを身に付け、顧客を獲得し、開業資金を貯めてもらう、のである。

北の屋台での契約年数は3年間として、3年経ったら屋台を卒業してもらい、街中のシャッターの閉まった店舗で開業してもらう。空いた屋台にはまたヤル気のある人が入って頑張ってもらう。

これを繰り返すことで商店街の空店舗が埋まり、街が活性化すると云うのが重要なコンセプトなのだ。

そのまちづくりのコンセプトが評価されて、国(全国中小企業団体中央会)、帯広市、商工会議所から多額の補助金を頂いて始めた事業なのである。

しかし、私が卒業した後の北の屋台は、このコンセプトを忘れてしまったかのようでとても残念に感じている。

北の屋台全体から上がる収益を、自分の生活の為に懐に入れて恥じない人が現れたからだ。現在の北の屋台は「まちづくり」ではなく「不動産賃貸業」と化してしまっている。

家賃収益を上げるには、素人よりも安定した営業力を持つ経験者を入れた方が無難であるから、3年契約で入れ替えると云う方法を取らなくなった。

北の起業広場協同組合に大きな負担と責任が伴う「起業塾」と云う起業支援策も、まちづくり会社に丸投げに変更した。面倒な事業やリスクを避けて金だけ儲けようとの考えであろう。

北の屋台は、「街づくり会社」のような準公的な機関が運営するようにしたら、補助金無しで、屋台から上がる収益だけでまちづくりを行なえる理想的な組織になるだろう。

北の屋台が個人の金儲けの場所であってはいけないと思う。

一刻も早く、体制を改め、本来の意味での中心街活性化に貢献すべきだと考える。


■2012-06-28-Thursday 女性の・・・

しかし女性ってのは思い切りが良いなぁ〜

先週、東京に出張した際に、マジックの師匠である故ジミー忍師の奥様、マコママの経営しているスナック「魔法の小箱」を訪ねた。

マコママは7月一杯で店を閉めると云う。

店に飾ってあるものや先生の道具、果ては手帳や手紙類迄などを「私には全部不要だから、坂モッちゃんのところに全〜部送るので、マジック博物館に展示して欲しい」と言う。

「手紙や手帳や公演先を地図に落としたものなど、坂モッちゃんにとってもゴミにしかならない様なものもあるけど、一応、捨てるのは今回、坂モッちゃんに見てもらってからと思って・・・」と取って置いてくれたのだ。

「勿論、貴重な資料だから、手紙や手帳なんかも欲しいし、ゴミかどうかは僕が判断するから、とりあえず全部送って」と言っては来たのだが・・・。

店には、世界のマジシャンの写真額、トランプ等のマジック関係のモノが描かれている絵画、ジミー師と奥様の肖像画を西陣織で織った額、ジミー師が生前にジョン・ローン、ジャッキー・チェン、石原裕次郎、勝新太郎など各界のスターと一緒に写した写真の額など等、壁一面を飾っていた額が送られて来た。

すぐに、マコママに電話して「店を閉めるのは7月末でしょう? こんなに早くに全部送って来たら、店が殺風景で商売にならないんじゃぁないですか?」と言ったら「良いの!送るとなったら、もうスッパリと全部送ってしまいたいの!」と言うのだ。

女性と云うのは、スッパリと捨て去ることが出来るものなのだなぁ〜と感心した。男ならいつまでも捨てられずにいるだろうと思う。特に私は捨てられない。

これから造ろうと考えている「マジック博物館」も私が死んだら、妻はスッパリと捨ててしまうのだろうか?とても怖くて妻には聞けない。そこだけが心配である


■2012-06-29-Friday 重なる時には

嬉しい事が重なる時には重なるものだ!

今日は何だかとてもハッピーな気分なのだ。

昨日のブログに書いた様に、私のマジックの師匠である故ジミー忍師の奥様であるマコママから、先生の手帳や手紙、写真や絵画などの資料類が東京から次々と到着している。

そこにもってきて、今年1月末に高校の同窓会で一緒になったU君から「坂本がマジック博物館を造るなら、寄贈するから、亡くなった父親のマジックの道具を引き取って欲しい」と言う依頼である。暖かくなってからという約束であったが、6月28日の午後に自宅に来てくれという連絡が上京中に携帯電話に入ったのであった。

28日にイキナリ持って行ってくれと言われても、まずはどれだけの量かを見てからでないと車の手配等が出来ないからと、今日はカメラ片手に下見と云うつもりで出掛けたのであった。

今日の14時に隣町の音更町のU君の自宅に到着。

まずは自宅の2階にあるマジックの部屋を見せてもらった。

壁一面に几帳面に箱に入れてある。ものすごい数である。箱には表書きがしてあって、何が入っているかが一目瞭然に整理されていた。

テーブルの上には山積みになった道具もある。これは片付けてみなければ下側に何が隠れているかは判らない。

映像関係は、SONYのUーmaticと云う大判の当時1巻1万円もしたビデオテープが21本程あったが、残念ながら機械が無いから中身を見ることは出来ない。しかし、そうとう古い映像が写っていそうな予感がする。

本の方は、力書房の奇術研究やJMAの奇術界報がかなりの数揃っている。その他は金沢文庫のマジック本、力書房の本もあるし、TEXTやトップマジックやパスという薄い本も数冊あった。もしもこれらの本がもっと隠れていたら更に嬉しいのだが・・・。

これは、後日、全部を引き取って整理してからのお楽しみである。

来月中には全部を引き取りに行けるだろうと考えている。また楽しみが増えた。ここ最近はマジックの資料整理をしている時間が一番楽しいのだ。後、1年間は十分に楽しめそうな量である。それがこの2〜3日で手に入ったのだから、こりゃぁ〜何だかついているゾ!

私にとってはお宝だが、マジックに興味の無い人にとってはタダのガラクタになってしまうのだろう。捨てるに捨てられないし、マジック博物館に展示してもらえるなら嬉しいとU君の家族の人も言ってくれているから、皆に喜んでもらえて私もコレクションが増えて万々歳である。なんて、嬉しい日なのでしょう! 


■2012-06-30-Saturday 留萌・羽幌

留萌と羽幌に行って来た。

留萌に暮らしていた母の妹(三女)が昨年末に亡くなったが、お葬式に出席して以来訪ねていなかった。

「雪が溶けて暖かくなったらお参りしたいから留萌に連れて行って欲しい」という母の要望に応えて車を運転して出向いたのである。

私は車の運転は好きではない。特に長距離の運転は嫌いであるから、留萌に公共交通機関で行くには、帯広ー札幌をJR、札幌ー留萌を都市間バスと云うルートが私に取って母を介助して連れて行く一番楽な方法であろう思う。

しかし、足の悪い母に取っては、JRとバスの乗り換えの階段の歩きが辛いと云う。仕方がないから自動車を運転して行くしかないが、雪道の長距離運転は特に苦手だから、道路状況が良くなる今まで待ってもらっていたのである。

行くからには日帰りと云う訳にはいかないから、最低でも一泊になる。留萌側の都合もあるから、事前に日程調整して29・30日に決定したという訳なのだ。

2、3年ほど前にも母を留萌まで連れて行ったことがある。この時は私が講演を留萌支庁から依頼された時に母が便乗したのであった。今回もこの時に行った一般道ルートで行くつもりでいたが、留萌の近くまで高速道路(高規格道路)が繋がったと云うので、今回はそちらを使ってみようかと考えたのだ。

29日8時12分に自宅を出発、国道38号線で滝川まで行き、滝川インターから高速道路に乗る。深川ジャンクションで深川留萌高速道に入って幌糠で降りて国道233で留萌市内に入った。

何せ始めて通る道である。ましてや高速道路は苦手だ。留萌の親類から行き方を書いてもらった手紙を見ながらの運転である。

助手席に座っている母に、深川ジャンクションの手前で、深川留萌高速道のどこで降りる様に書いてあるか手紙を読んでくれと言ったら、目が霞んで読めないと言う。「地図には深川西インターという箇所に何やら印が付いている」と言うので、一応ここで降りてみることにした。

高速道から一般道に降りるところで、逆に高速道に昇って来る道と交差している。何て急なカーブなのだろうと思いながら手前の昇って来る道に逆走して入ってしまった。すぐに気が付いたが、道は一車線の狭い道で、バックして戻ることは不可能だから、そのまま前進したが、もしも高速道に入ってくる車があったら正面衝突だったろう。幸いにも入ってくる車がなくて助かった。一般道に出てみて手紙を読んだら、降りるのは幌糠と書いてある。もう一度Uターンして高速道に戻って留萌に向かったのだったが冷や汗もので、ドット疲れたのであった。しかし、この道の設計はオカシイ!高速道に入る道と出る道が、交差しているなんて危険過ぎるだろう。

私の様に、交差するはずなんてあり得ないと考えて手前の高速に入る車線に降りる車が多いのではないだろうか?

途中ノンストップで留萌まで入ったが、時刻は12時である。昼食を済ませて来てくれとの留萌の親類からの要請であるから何処かで軽く蕎麦でも食べようかと母に言ったら、実家の前に2軒蕎麦屋があるからそこまでまず行こうと言うので従ったら・・・。実家の近くに蕎麦屋はおろかラーメン屋や定食屋も見当たらない。グルグル近所を車で回ったが遂に食事をする店が見つからなかった。母が実家の妹(次女)に電話したら、とにかく家に来いと言うので母の実家に入った。

叔母が言うには蕎麦屋なんて20年ほども前に廃業しているというから笑ってしまった。母は一体いつの記憶で蕎麦屋が2軒もあると言ったのだろう。叔母の家で冷麦を作ってもらって、腹を満たして叔父(三女の夫)の家に向かう。叔父と叔母は同級生結婚でとても仲の良い夫婦であったから叔父はかなり傷心状態であろう。二人の娘は他所に嫁いでいるから、今は一人暮らしだ。男やもめにウジが湧くとはよく言うが、叔父はマメで、とても綺麗にしている。

仏壇にお参りした後で、菩提寺に行き焼香してから、叔父の運転する車で羽幌に向かった。

叔父を励ます為に、羽幌まで姉妹の関係者5人(母、私、次女夫婦、三女夫)で出掛けて話をしようと云うのだ。サンセットプラザハボロと云うホテルに泊って美しい夕陽を見ながら食事会をしたのである。

だが、私以外の4人は酒が飲めないのだ。私だけ酒を飲んでいたが・・・。

結局、食後は母と次女が部屋で話をし、私は温泉に入って寝てしまったのだった。