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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-04-01-Monday 4月1日

今日は新年度の始まりであり、

エイプリルフール(以下AFと表記)の日でもある。

ブログの愛読者という方から「TPPを日本政府が批准するようなら北海道は日本から独立してはどうか・・・」というような主旨のメールを頂いた。AFということを意識してのメールだと感じたが・・・(違っていたらゴメンナサイ)。

確かに、世界中を見渡せば、北海道程度の面積の国や人口の国はかなりの数存在する。それだけをみれば独立も出来そうな気もするが・・・。

独立国となると「防衛」「通貨」「税金」などそうそう簡単にはいかない部分もあるだろう。AFだから、そういう難しい話は抜きに「ホラ話」としては面白いが・・・。

しかし、私は別の観点で独立は難しいと考えている。

その最大のネックは「札幌市(周辺含む日本海側の地域)」である。

私は、2011年2月4日付けの読売新聞北海道版の「風向計」欄に私見を書いたことがあるが、問題は、札幌市がある地域は日本海側で豪雪地帯だということだ。札幌市は北海道の道庁所在地であり、北海道民約550万人(5,471,000)の35%、約193万人(1,929,905)が暮らす大都市だ。

日本の中においても日本海側で最大、東京以北最大の都市でもある。ちなみに東京以北で2番目の大都市は仙台であるが、仙台は太平洋側で雪は少ない。日本海側で2番目び人口が多い都市は新潟であるが、新潟は札幌以上の豪雪地帯でもある。

世界中を見渡しても、こんな豪雪地帯にこんなに多くの人口を抱えた都市は存在しないという事実がある。

カナダや北欧の大都市も気温はかなり低いが雪はそう多くはない。

気温の低さは暖房や厚着をすればなんとかなるが、雪だけはどうしようもないからだ。人口の多い都市は雪の少ない場所に造るのが世界の常識なのである。

札幌市の除雪に掛かる費用は、毎年150億円も掛かっている。都市の規模そのものが違うから単純比較は出来ないが、帯広市の除雪費は過去最高額でさえ9億2800万円である。

春になったら融けてなくなる雪に、札幌市では毎年150億円もの税金が使われているが、北海道が独立したとしたら、この除雪費を北海道だけの収入で果たして賄えるのだろうか疑問である。

しかし、北海道では益々、札幌市の人口は増え続けている。周辺の地域を合わせると北海道の半分以上の人口が札幌周辺に一極集中しているのだ。もしも、札幌市の機能や人口が帯広市に在ったなら、もしかすると独立も可能かもしれないが、札幌や岩見沢のような豪雪地帯に、しかもこれから高齢化が急激に進むというのに、こんなに多くの人口を住まわせてはいけないと考えている。


■2013-04-02-Tuesday 国民栄誉賞

何なんだ!国民栄誉賞は。

長嶋茂雄と松井秀喜の2人に与えると菅官房長官が1日に発表した。

最初はエイプリルフールかと思ったが・・・。

どうやら本当らしい。

長嶋茂雄はまだ理解出来るが、なぜ?松井秀喜に??????

そしてなぜこの時期に?????

国民栄誉賞というのも王貞治(1977)は良かったけれども、2回目の古賀政男(1978)からは故人にも出すようになって、意味不明になり、何だか有難味が薄くなってきたなぁ〜と感じていたが、千代の富士(1989)がもらった時点でエ〜ッ何故?千代の富士に?という感じになった。王貞治の受賞理由は理解できるが、それ以後は選考基準も時期も曖昧で有難味は全然感じない。

時の政府の人気取りで適当に誰か受賞者をみつくろっているんじゃぁないだろうな!

先の大鵬が生前に授与されずに死後になったから、長嶋茂雄には生前に授与させたいってなことを考えたのかもしれない。しかし、新聞によると松井秀喜の方が先で、長嶋は後から付け加えてということらしいから益々選考基準が分からん!

大リーグで活躍したというなら松井よりも野茂の方が先だろうに・・・。

私は昔は大の巨人ファン、長嶋ファンであったから、長嶋の受賞は喜ばしいと感じてはいるが・・・。

過去形で書いたのは、長嶋が天中殺がどうしたこうしたとかの和泉宗章というインチキ占い師の言葉が遠因になって巨人軍監督をクビになった時に、私は巨人ファンをやめたからである。

この世の中、自分の思い通りに運ぶ訳はない。禍福はあざなえる縄の如し、人間万事塞翁が馬である。

とかく自分の思い通りの青春時代をおくってきたエリートに、精神的にもろい奴が多いようだが、しかし、日本を代表する良識ある大新聞社の幹部がインチキ占い師の言うことを信じるなんてと頭に来たからだ。

その後、この和泉宗章は「天中殺はインチキだった」と告白して、以後はインチキ占い撲滅まで言っていたのに・・・。

どうも日本人は占いとかスピリチュアルなどに弱いようである。

こんなものを信じる奴は確たる自分を持っていない精神的にも弱い連中ばかりだろう。

だからこそ、新聞社はこういうものを撥ねつけなければならない使命があるはずなのに、それを信じて解任した巨人が大嫌いになったのだ。

まぁ、長嶋が生きてる内に表彰されることで我慢することにしよう。


■2013-04-03-Wednesday いろいろ

ダルビッシュ〜

惜しいなぁ〜。パーフェクトに後一人まで迫っておきながら、最後の27人目の打者に打たれるなんて・・・。

それも、ピッチャー返しの打球だったから、あと数㎝ダルビッシュのグラブがボールに寄っていたらと思うと・・・。

でも、後一人というところで大記録を逃すというところがダルビッシュらしくて面白い!今年の活躍は期待できそうだ。

同じ野球であるが、こちらは問題のある高校野球だ。春の甲子園で埼玉の浦和学院が愛媛の済美に17対1の大勝をした決勝戦であるが、まだ高校2年生の安楽を4試合連続で700球以上も投げさせるなんて狂気の沙汰であろう。

これこそ体罰問題よりも大問題なのではないのか?

肩だけではなく身体を壊してしまう危険な行為であろうに、何故に誰もこんな愚行を止めさせようとしないのだろうか?

現在の大リーグはそれこそ、ダルビッシュのパーフェクトみたいな記録が掛かった時には100球を越えても投げさせるが、基本的には先発投手は100球を目処にして交代させている。

日本のプロ野球だって、先発投手は中4日〜5日は登板間隔を空けているではないか。それをまだ身体が出来ていない高校生に連日連投させるなんて・・・。

結局、主催している新聞社の連中は、金に成りさえすれば、そんなこと(高校生の一人や二人の健康など)お構いなしなのだろう。商業主義、ご都合主義の最たるものである。

ご都合主義といえば「牛のBSEの検査基準が7月から緩和」という記事である。内閣府の食品安全委員会プリオン専門調査会は3日の会合でBSE対策の国産牛に対する検査対象月齢を緩和して「月齢48ヶ月超」とする答申案を了承したという。

これはTPPの露払い行為に他ならないだろう。TPPの批准が決定してからでは批判が集中することを恐れて、現在の段階でアメリカ様に媚びを売っておこうということであろう。

これで、安倍内閣は、日本人の食の安全なんてまるで考えていないし、TPPはどんなことがあっても批准するつもりだろうと云うことが明白になった。

姑息な手段を取って、TPP批准に着々と準備を進めているようである。


■2013-04-04-Thursday 日銀

日銀の黒田東彦新総裁が、

「これまでとは次元が違う金融緩和だ。戦力の逐次投入はせず、現時点で必要な政策をすべて講じた」と豪語する記者会見を4日行った。

どうも経済のことはよく分からないが、黒田総裁の雰囲気だけは意欲を感じさせる。前任の白川方明前総裁は大人しくて淡々としていたから意欲が前面に出てくるタイプではなかった。なんだかみかけだけ見てると頼りない感じがしたものだ。

景気は「気」からとよく言うが、白川前総裁の頼りなさそうなキャラクターがかなり景気に悪影響を与えていたかもしれない。

しかし、かつての世界の金融情勢と現在の世界の金融情勢では、かなりな変化を遂げているから、一国の中央銀行の思惑通りに事が進められる簡単な状況ではないだろう。

ギリシャやキプロスなど世界的には大した金額ではない国の情勢が、世界の金融にこれだけの悪影響を及ぼしたのだから、逆に、世界第三位の経済国である日本の景気が上がれば、ひょっとすると世界経済が連動するかもしれない。それだけ人間の大衆心理というか、群衆心理というか、そう云ったものが、どういう方向に向かうのかは予想は難しい。まさしく「気」の世界であろう。

景気が良くなるのは気分的には良いのだが、現在(いま)が良ければ式で、借金を先送りするだけなら子孫らに申し訳がたたないだろう。

かつては世界の経済が行き詰ったら、戦争で一回チャラにするという方法で乗り切ってきた。しかし、これだけ核兵器が蔓延したら、世界大戦は起こせないだろう。

アフガンやイラクなどの地域限定の戦争も、アメリカを見れば、軍事産業の在庫一掃の為の戦争であって、アメリカ政府自体は戦費の負担で苦しんでいる。軍事産業を儲けさせただけである。しかも、貧しい人達を大勢、軍隊に入れて給料を払うことで経済効果を狙ったのだろうが、戦争で傷ついた精神的なものはアメリカ国民を蝕んでいる。もはや戦争は経済発展には寄与しない。

北朝鮮は瀬戸際外交ならぬ、崖っぷち外交になって、最後のあがきで挑発行為を繰り返しているが、原発を再稼働させるとか、ミサイルを配備するだとか、大金の掛かることばかりで、しかも実際にはやれない事ばかりであろう。おまけに開城工業団地から韓国人従業員の立ち入りを禁止した行為は、貴重な外貨獲得を自ら放棄したような、自分で自分の首を絞める愚行である。

もしも、本当に金正恩がこのまま金の掛かることばかりをやり続けたら、北朝鮮は飢えて自ら崩壊することになるだろう。飢えが体制崩壊を加速させることぐらいは判っているはずだが・・・。

恐ろしいのは、やけのやんぱちになって日本にミサイルを撃ち込むことだ。そこだけ万全の体勢を取れれば、挑発に乗らずに放っておけばよいのである。恐いのは5月11日だ。


■2013-04-05-Friday 首切り

安倍政権は

大企業経営者にとことん甘いというか、操られているというのか・・・。

今度は正社員の首切りも簡単に出来る様にしようとしている。

かつて小泉・竹中改革(改革ではなく改悪だと思っているが)時代にも話題になったが、非正規雇用を拡大させて、正社員の首切りまで簡単にするのは、さすがに性急過ぎるとでも思ったのか、いつの間にか立ち消えになったと記憶している。

どんな物事にもプラス面とマイナス面とがあるものだが、果たして小泉・竹中コンビがやったことは日本にとってプラスだったのだろうか?

グローバリズムを推進したいお金の亡者共にとってはプラスであったろう。大企業の経営者らが、日本で経済活動をする際の一番の問題点として考えているのは高い人件費だからだ。

だが、これらの経営者は考え違いをしている。

経営とは何か?

経営とは経済活動を通じて、人類を幸福にすることである。

大企業の経営者ならば、より多くの人類を幸福にする義務を負っている。その義務があるから、高給を取っても文句を言わないのだ。

しかし、現在の経営者は自分の金儲けの事しか考えていない。

だから、自らの責任(社員及び社員の家族の人生を背負っている責任)を軽減するつもりで、正社員の数を減らして、終身雇用の責任を軽減してきたのだ。その結果として日本はどうなった?

自ら辞職して新たな道で成功している能力の高い人間は極々少数であろう。リストラされた人達の多くはかなり苦労をしている。

結果として日本の経済は落ち込んでいる。

そこに、更に正社員も金を払えば辞めさせることが出来るようにしようという法案を検討しているというから驚く。

アベノミクスとやらが期待感を高め、黒田日銀がいくら金融緩和しようが、日本の経済は上向かないだろう。多数の人々に未来への希望と安心を与えない限り金など使うものか!使いたくても使えないのが現在の日本の状態である。その現実を政治家共や大企業の経営者共はまったく理解していない。

この法案は、大企業の経営者の質を益々落とすことに寄与するだけのものだ。かつて日本の大企業は終身雇用制があるから、経営の失敗は許されなかった。企業も社員も運命共同体で一体だったからだ。それを経営に失敗したら正社員の首を簡単に切れるようにしたら、経営判断が甘くなるだけだろう。益々、頭の悪い経営者は適当な経営をするのを助長させるだけである。

逆に、経営者にはもっと自覚と責任を持たせるようにしなければいけないと思う。

経営者の責任が軽くなれば、お世辞上手で世渡り上手な奴が社長になるような会社が増えてしまうぞ!。


■2013-04-06-Saturday ジャンゴ

妻と映画「ジャンゴ繋がれざる者」を

観て来た。例によって「夫婦50歳割引き」で二人で2000円である。

3時間もの長い映画だから、一人1000円ならたいして面白くない映画でも許せる金額なので観に行くことにしたのである。

クウェンティン・タランティーノ監督作品は理屈を付けて観てはいけないというのは最初から承知しているのだが・・・。

元々、映画はドキュメンタリー作品だとてエンターテインメントであるから完全な真実という訳ではない。ましてやSFや怪獣ものやお化けものなどは最初から設定が現実世界ではないが、それでもストーリーに無理があると自然には溶け込めない。やはりストーリーには必然性が重要な要素であると思っている。

これまた例によって、まだ、観ていない人の為にストーリーなどは書かないが、今回のジャンゴもところどころ

何で○○なの?

何で○○しなきゃいけないの????という箇所がいくつかあった。

まぁ、しかしこの世の中、頭の良い人間ばかりではないし、論理的に考えられる人間ばかりではない。だからこそ、何で!という不条理な事件が起こるのであるから、事実は小説よりも奇なりで、映画が不条理であるのはオカシナことではないのかもしれない。

妻は、普段は人が殺される映画などは好きではないと言ってほとんど観ないのだが、今回は観終わった後で、何だか気分がスッキリしたと言っていたから、よっぽどストレスが貯まっていたのだろう。

話は変わるが、帯広の映画館では私の観たい映画を上映してくれないので悔しい思いをしている。

大のヒッチコックファンとしては、ヒッチコックを観たいのだが・・・。


■2013-04-07-Sunday 十勝出身

十勝出身の音楽関係者が

多いことに驚かされた。

生まれた年齢順に書くと

①万城目正(まんじょうめ ただし)(1905.01.31〜1968.04.25)作曲家

幕別町生まれで、「リンゴの唄(1945)並木路子」「悲しき口笛(1949)美空ひばり」などを作曲している。小説家に同じ漢字で万城目学(まきめ まなぶ)と云うひとがいる「鴨川ホルモー」「鹿男あをによし」ので、私はついこの前まで、ず〜っと「まきめ」と読むものだと思っていた。

②吉川静夫(よしかわ しずお)(1907.08.28〜1999.04.10)作詞家幕別町生まれで、駒澤大学卒業、「青春のパラダイス(1946)岡晴夫」「長崎ブルース(1968)青江美奈」「駒澤大学第二応援歌」などの作品がある。この方のことも去年初めて知った。

③伊福部昭(いふくべ あきら)(1914.05.31〜2006.02.08)作曲家釧路町生まれだが、小学生の時にお父さんが音更町の町長になって音更町に移住した。クラシック音楽の作曲家で交響曲などを作曲したが、有名なのは映画音楽の「ゴジラ(1954)」や「ビルマの竪琴(1956)」などがある。帯広市の市歌も作曲している。

④彩木雅夫(さいき まさお)(1933.08.05〜)(本名:新居一芳あらい かずよし)帯広市生まれ、帯広柏葉高校1952年卒業(柏葉2期)、「長崎は今日も雨だった(1969)内山田ひろしとクールファイブ」「なみだの操(1973)殿様キングス」などの作品がある。

この他に、中島みゆき(柏葉高校1970年卒業柏葉20期)、松山千春(足寄町生まれ・足寄高校卒)、吉田美和(ドリームズカムトゥルー)(柏葉高校1984年卒業柏葉34期)などがいる。

こうしてみると多士済々であるが、あまり十勝出身としては有名ではないのは何故なのだろうか?もっと十勝で顕彰しても良さそうなものであるが・・・。


■2013-04-08-Monday 変な天気

土曜日(6日)から

天候が悪くなってきて雨と風が強くなる模様である。天気予報では十勝にもこれから強風と大雨の注意報が出る様子だ。

本州方面では既に、強風と大雨による被害がかなり出ている様だ。

こんな天気の時は、重要な用件でもない限りは家から出ない方が無難である。

まだゴルフには早いし、映画は観てしまったし、自宅ですることは読書くらいしかないのだが、久し振りに時間と手間がタップリ掛かる料理でもしてみようと思い立った。

何を作ろうかと考えたら妻から「ビーフシチュウ」と云うリクエストである。妻の両親も、年に一度だけクリスマス辺りに作る私のビーフシチュウは大好きなのだ。少量作るよりも多目に作った方が味も良くなるから、ビーフシチュウを作ることにして買い物に出向いた。

肉はいつもの買う肉屋で池田産の十勝和牛を手頃な大きさにカットしてもらう。この十勝和牛肉は適度にサシが入っているから煮込むと柔らかくなるのでシチュウには最適なのだ。

金曜の夜から料理を始めた。土曜日丸一日はジックリとろ火で煮込むつもりである。最初に煮込んだ野菜は途中で全部融けてしまうから、後から足すのである。土曜日の夜に寝る前に火を停める。カレーと同じで一旦冷めた方が味が染みて美味しくなるのである。

日曜日の朝に味見してみたら、これが絶品であった。去年のクリスマスに作ったものよりも美味しい出来栄えである。

外は相変わらずものすごい強風と大雨で、何とリビングの天井から雨漏りがし始めた。どうやら強風で2階の壁に吹きつけられた雨が壁を伝って屋根と壁の隙間から染み込んでいるみたいである。どんな具合なのか外に出て調べる訳にもいかないほどの強風だから、バケツを置いて雨漏りを受けるしかない。

夕方、このシチュウに、ジャガイモとタマネギをバターでソテーしたものを足し、食べる直前に生クリームを垂らすとまろやかになって益々美味しくなる。これとフランスパンに先日買って来た羊のブルーチーズのロックフォールを付けて食べたら最高の晩餐であった。

この日はさすがに銭湯に行くこともせずに自宅のお風呂に入ってサッサと眠った。一日中台所に立っていたから疲れたのかもしれない。


■2013-04-09-Tuesday 鉄の女

イギリスの元首相で

「鉄の女」と言われたマーガレット・サッチャーが8日87歳で亡くなった。

彼女の評価は現在でも二分しているが、私は個人的には好きな人物であった。

政策は市場原理を重視して小さな政府を目指し「ゆりかごから墓場まで」と言われていたイギリスの福祉に大ナタを振るい。国営企業を民営化して労働組合のストライキを抑え込み、「英国病」と揶揄されていた停滞していたイギリスの経済を活性化し、大幅な金融制度の自由化を断行した彼女の政策は「サッチャリズム」とも呼ばれた。アルゼンチンとの間のフォークランド戦争というのも傍で見ているとかなり過激に見えたが、日本が竹島や尖閣諸島問題で動けないのとは、良い悪いは別にして対照的な決断である。

サッチャーの評価が二分するのは、彼女の政策によってイギリス国民が強者と弱者に二分されたからであろう。

今日の日本の状況と重ね合わせてみると実に面白い。

問題は、彼女がここまで徹底した政策を取らざるを得なかった、あの当時のイギリスの切羽詰まった状況にあったと言っていいだろう。

本来、政策は急激な変化よりも緩やかな方が良いに決まっている。国民が知らない内に善政を施してくれるのが理想なのだ。しかし、政治家は先延ばしに先延ばしを続けていくものだから、結局は切羽詰まってしまって、どうしようもない状況に陥ってからはじめて政策の変更をするので、急激な変化になってしまい国民は困惑してしまうのである。つまりは政治家の怠慢が招いた危機なのだ。

サッチャーは男の政治家では変えることの出来なかった状況を変える為に出現した女性であり、さしずめイギリス版のジャンヌ・ダルクであろう。

清廉潔白で、大衆迎合しない信念を持ち、特別扱いを嫌ったサッチャーのような政治家が日本にも現れて欲しいものだ。


■2013-04-10-Wednesday 富士山

このところ連日のように

ワイドショーを騒がせているものに「北朝鮮のミサイル発射」と「富士山の噴火」がある。

富士山に関しては3.11以後、富士山の近くの住宅で地下水が噴出しているとのニュースは何度か聞いていた。最近では、富士五湖の一つである河口湖の水位が下がって湖面が露出しているだとか、富士山の道路に亀裂が入ったり、陥没したりしているという。

気象庁では富士山の噴火とは直接関係ないとか、まだ原因がハッキリしていないとか言っているが・・・。

今朝、カナダに居る次女とスカイプで話したら「カナダでは2週間以内に日本の富士山が噴火すると言っている」というのである。

単に憶測なのか、それとも逆に日本ではパニックなんるから発表していないのか、一体どちらが正解なんだろうか?

江戸時代の宝暦の噴火以来300年も噴火していないのだから、富士山がいつ噴火してもおかしくはないという。

もしも、噴火したら・・・、アイルランドの火山が噴火した時には、ヨーロッパ各国の空港は閉鎖されて使用できなかったことがあった。飛行機は火山灰が飛んでいる場所ではエンジンがやられてしまうから飛べないのだという。そうなったら、富士山の東側に位置している羽田空港や成田空港は偏西風の影響で火山灰が飛んでくるから閉鎖されるだろうし、コンピュータも火山灰には弱いという。もちろん人間の肺にだって悪影響を与えるであろうから、富士山がある静岡県・山梨県はもちろんのこと、神奈川県、埼玉県、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県辺りはかなりなダメージを受けるのではあるまいか。

地震と違って火山の噴火はある程度の予知は出来るそうだが、日本の政府が何も言わないのが、逆に恐いなぁ〜。

天皇陛下が京都に行った時が危ないのかも・・・。


■2013-04-11-Thursday 捨てられない

我が家の家族は

物持ちが良い様である。

先日の強風と大雨で自宅の天井から雨漏りがしたので、馴染みの大工さんに屋根に登って調べてもらった。

「会社に出ていて留守にしているけれど、勝手に屋根に登って修理しておいて」と伝えておいた。

携帯に電話が掛かってきて「集合煙突の周りのコーキングが緩くなっていて、どうやらここから漏っているらしい」と云う。とりあえず応急処置を済ませてもらった。

去年の晩秋に、この大工さんに家の補修をお願いした際に、庭にある使わなくなった犬小屋(大型犬2頭分用の6畳間分はあろうかという広い犬小屋で周りを金網で囲ってある)の中に置いてあったゴミを雪が融けたら捨ててもらうことになっていたのを、大工さんが思い出したらしく。「ついでに捨てるかい?」と云う。

ここのゴミだけではトラック一杯にならないから、裏の物置小屋の中にあるゴミもついでに捨てて欲しいと依頼した。

この物置の中身は、壊れたスコップや昔使っていた椅子などが詰め込んである。どうせ、ここ10年くらいは物置小屋の戸すら開けたことがないくらいなのだから、ほとんど不要なものばかりなのである。

大工さんから、「段ボールの中に貴重品みたいなものもあるけど・・・」と云う電話が途中に入ったが、自宅に戻るのも面倒だし、段ボールの中身は20年以上もホッタラカシ状態であるから、恐らく不要なモノばかりであろうと思い。「全〜部捨てちゃって!」と伝えておいた。

しばらくして母から電話が入り「アンタ、見にも来ないで捨てちゃって良いのかい? 一輪車(通称ねこと言われる砂利などを運ぶ作業の道具)は残しておいた方が良いんじゃないの?」と云うのである。

すでに退社時間になっていたから「じゃぁ、今戻るから」と急ぎ自宅に戻ったのだった。

一輪車は父が庭仕事をする時に土などを運ぶ為に使っていたもので、30年以上も前のモノである。しかもパンクしていて2年ほど前から使い物にならないから物置に入れておいたものである。

段ボールの中身は、私の高校生時代のチビタ鉛筆など筆記用具類や祖母が集めていた貝殻などが入っていたが、これまた使い物になんかならない。

こういったモノは「エイッヤァ〜と捨ててしまわなければ、使いもしないものが残ってしまう」。母はモッタイナイ、モッタイナイと言って何でも残していた祖母のことをモノ持ちが良過ぎると言っていたのだが、なんだかんだと言いながら母もモノが捨てられない性格なのである。

たとえ寄り分けて残しておいたところで使いもしないものばかりである。

結局は捨ててもらうことにしたのであった。

これを機会に少しは不要なモノを整理するきっかけにでもしようと思う。


■2013-04-12-Friday ゴルフ

マスターズも始まったことだし、

今年のゴルフをそろそろ始めようかと思っている。

今年は1月にハワイ、2月にタイのチェンマイにゴルフをやりに行って既に6ラウンドのプレーをしているが、帯広ではまだやっていない。

何故なら、地面がグチャグチャの状態でゴルフを始めると、ローカルルールで6インチリプレースという、球を拾い上げて15㎝ほどずらして芝の状態の良い場所に球を置き直して打つことが認められているのだが、これでシーズン初めにプレーしてしまうと、これにイメージが慣れてしまい、あるがままに打つ時に、どうにもシックリこないからなのである。

球が浮いた状態でないと打てなくなってしまうのだ。

だから、私は例年帯広では5月の連休が明けてからゴルフを開始するのだが、勝毎のスポーツ欄を見ると、ゴルフ好きな人達が結構コンペを開催しているようで、なんだが腕がムズムズとしてきたのである。

まだ、2月のタイから戻ってからは一度もクラブを握っていないから1ヶ月半のブランクがある。

連休前にはコンペもあるようだから、そろそろ練習場に行って打ちっ放しでもしてこようかと考えているところだ。まずはストレッチ運動で身体を柔らかくして、100球ほど打って筋肉痛を起こし、それを直してからでないと身体が思うように動いてくれないからだ。

筋肉痛も若い頃はすぐ翌日には痛くなったのに、年を取ると筋肉の反応まで鈍くなるのか2〜3日後でないと筋肉痛にならない。


■2013-04-13-Saturday 新刊本

12日、私の会社に

「同友館」と云う聞き慣れない出版社から「贈呈」の赤文字の入った郵便物が届いた。

中を開けてみると「著者 謹呈」と書かれた短冊が貼られた黄緑色の表紙の「地域が元気になるために本当に必要なこと(人づくりから始まった地域再生の5つの物語)高橋徳行編集、村上義昭・鈴木正明著(2013年3月30日 第一刷発行)2200円」と云う本が入っていた。

編者及び著者の高橋徳行(たかはし のりゆき)武蔵大学経済学部経営学科教授とは、十勝環境ラボラトリー(TKL)の「国際環境大学公開講座」で講師をしていただいた斎藤聖美(さいとう きよみ)(ジェイ・ボンド東短証券(株))さんの紹介でお会いし、その後、北の屋台の取材を受けたり、私が武蔵大学で数度講演したりと親しくお付き合いをさせていただいている方である。

ざっと目を通してみた。本の主題は、地域、とりわけ地方と呼ばれる地域のアントレプレナーシップ(起業活動)である。

本書の全211頁の内、P52〜P78までが北の屋台及び私の話で占められているのに驚いた。

「はじめに」で筆者が「インフラが良くなるだけで地域が元気になるという構図に疑問を抱いて、普通の起業家や経営者が元気になる仕組みを今こそ考えるべきではないかと沖縄県石垣島の新石垣空港を訪れて思ったところからこの物語りは始まる。

そして、訪問先の第一番目がなんと帯広の北の屋台なのである。

しかし、筆者は「現在の北の屋台には興味が無い」と云う。現在の北の屋台には創業者である坂本和昭の起業の精神がほとんど失われてしまったからだという。訪問の目的は坂本和昭に創業の話をインタビューすることであるというのだから・・・。

帯広以外の訪問先は②「青森県板柳町(板柳町ふるさとセンター)」、③「岩手県花巻市(花巻市起業化センター)」、④「大分県豊後高田市(昭和の町)」、⑤「沖縄県読谷村(読谷ククルリゾート沖縄)」が紹介されている。是非ご一読下さい。


■2013-04-14-Sunday 地震多発

日本列島の

あちらこちらで地震が多発している。それも列島各地に分散して・・・。

13日午前5:33に兵庫県の淡路島で震度6弱の地震が発生した。

マスターズのゴルフ中継を早朝から見ていての速報に驚いた。

何だか、まだ起きていないのは、富士山を中心として東京や静岡や神奈川辺りだけではないのか?

いよいよ、次は富士山噴火なのかという感じがする。

そのうち、少しずつ東京方面に地震が近づいていくのではないのか?

このところ渋谷だ東京駅だ歌舞伎座だ銀座だと、やたらと東京の再開発のニュースが多いが・・・。

これ以上、東京に人を集めてどうするつもりなのだろうか?

人が多いとそれだけ被害者の数も増えてしまうだろう。いくら再開発しても東京には古い木造住宅が多数残っているし、しかもそれらの住宅は密集している。道路も狭く入り組んでいるから、一たび大地震が起きたら大変な事態になるだろうに・・・。

それらの対策を後回しにしての再開発はちょっと恐ろしい感じがする。

東京は、江戸時代に盛んに土木工事をして埋め立てた場所が多い。たとえ300〜400年経ったところで、しょせん人工物は弱いものだ。ましてやその当時の土木事業なんて、土などを運んで来ては谷や川や海を埋め立てただけではないのだろうか?地盤は緩いように思う。

皇居は旧江戸城である。元々江戸城は太田道灌が建てた時には海に面した城であったのだから、東京駅なんぞは元は海であったはずだ。そんな場所に建てるビルは現代工法で地盤まで杭を打ち込んでいるらしいが、周りが液状化したら、建物本体は無事でも人や車が行き来できなくなるのではないだろうかと心配している。それらの対策はどうなのだろうか?

東京への人口の一極集中は危険だ、危険だと言われ続けてきたのに、最近ますます東京へ集中が進んではいないか?

どうにもこの国のグランドデザインが見えない。


■2013-04-15-Monday マスターズ

今年のマスターズが終わった。

オーストラリアのアダム・スコットが優勝したが、かつて同じオーストラリア出身のグレッグ・ノーマンが何度も2位に甘んじていたから、オーガスタにはオーストラリアに勝たせない何かがあるのかもしれないという気にもなろう。

今回も、同じオーストラリア出身で優勝を争い、最終組から2組前でプレーしていて途中まではトップだった若いジェイソン・ディは最終日の16・17番で連続ボギーを叩いて脱落したものだから、あっ、又か!と思ったのだった。最終組の1組前でプレーしていたA。スコットが18番で長〜いバーディパットを決めて1打抜け出し、本人も優勝を確信したのかスゴイガッツポーズを何度もしていたが、最終組の43歳、2009年にマスターズで優勝を経験しているアルゼンチンのカブレラが18番のセカンドショットがピン90㎝に付けるスーパーショットでバーディを取って並び、プレーオフに突入した。

このプレーオフも面白かった。結局、最後は2ホール目でスコットがバーディを決めて、オーストラリア人として最初の優勝者になったのであった。

日本勢は藤田がまるで振るわずに予選落ち、石川もギリギリのギリギリで予選を通過し、最終日は−4打で回って最終スコアは+4であったが、先の3日間は振るわなかった。

欧米人は500ヤード近いパー4の第2打をアイアンで打ってくるのだから、日本人は飛距離ではまったく歯が立たない。

飛ばし屋だと思っている私でさえ、アイアンが4〜5番手違うのだから・・・。

ガラスの上でパットしているようなグリーンの速さにも驚いたが、このグリーンでバーディを取れるのだからやはり世界のトッププロというものはスゴイものである。

タイガー・ウッズは2日目の15番で、旗竿にボールが当たって池に入ったのが不運であった。完璧なショット過ぎたのが仇になったわけである。

その後の処理で、元の場所の最近地から打たずに2ヤード下がって打ったことが問題になって結局2打罰を科されてしまった。レバ、タラはゴルフでは禁物だが、もしもあの1打が旗竿に当たらずに、パットが入ってバーディだったらタイガーが優勝していたかも・・・。

だが、あの処理の仕方は「タイガー裁定」として後々まで残るかもしれない。本来ならスコア誤記で失格のはずなのだから・・・。

マスターズの開催されるオーガスタゴルフ場でプレーしてみたいが、叶わぬ夢であろう。プレーできないまでも一度直に見てみたいものだなぁ〜。


■2013-04-16-Tuesday ニュースいろいろ

アメリカのボストンで

開催されていたボストンマラソンの最中の15日午後2:50(日本時間16日午前3:50)に爆弾が爆発した。当日開催されていたボストンマラソンのゴール手前で2回の爆発があり、観客の8歳の男の子と女性が死亡し120人近くが怪我をしたという。

ホワイトハウスは「テロ行為であるのは明白だ」と述べていたというが、テロにしては爆弾の威力が少し小さいかなと感じる。

誰がやったにせよ、不特定多数の無辜の人間を死傷させる行為は許されるものではない。

早く犯人を捕まえてほしいものだが、安易にテロと決めつけてしまうのも問題があらぬ方向に行く危険性がある。的確な捜査が望まれる。

釧路地裁で、親類の男性から幼少期に性的虐待を受けたという30歳代の女性が原告となって訴えた「PTSD(心的外傷後ストレス障害のこと)損害賠償」裁判で、釧路地裁の河本晶子裁判長は「性的虐待とPTSDの因果関係は認めたものの20年の除斥期間(行使せずにいると権利を失う期間のこと)が過ぎているから、請求権が消滅している」として訴えを棄却した裁判があったが・・・。

女性の裁判長なのに???。というのが正直な感想である。

ニュースでは被告の男性親族は触ったことを認めていたが・・・。

はたして幼い女の子が、親類の男性に嫌なことをされても、それをその当時に訴えられるであろうか?

そして、それがどのような行為であるのかの意味すら理解することは不可能な年齢でもあるはずだ。

不法行為を受けた時期から20年が経過しているから請求権は消滅したと考えるのか、その行為の意味するところを理解した時点から請求権が発生するのかを考えたら、当然、後者であろう。ましてや女性の裁判官なら後者を選択するのが当然だろうと考えるが、この裁判長はまるで男の味方のような判決を言い渡したから???。

原告は控訴するであろうから、この裁判は今後大きな問題になっていくだろう。


■2013-04-17-Wednesday 春なのに・・・

朝、目が覚めると

なんだか肌寒い。窓を開けてみたら薄っすらと庭に雪が積もっていた。せいぜいが2㎝程度の雪であるから、どうせすぐに融けるであろうが、4月の中旬過ぎにまで雪が降るとは今年は変な年である。

この変な天気のせいなのか、4月1日以来、嫌〜な咳が抜けなくて困っている。おまけに右側の肩甲骨の裏側辺りが痛い。咳のせいなのか、それとも先週行ったゴルフの打ちっ放しで準備運動もせずにいきなり打ったせいなのか、はたまた肺癌なのか・・・。

とにかく具合が悪いから4月1日以来17日まで酒を断っていたのだが、17日にJCのじゃがいもクラブの総会が飲み屋であったものだから、会費分くらいは元を取ろうと、ついつい酒を飲んでしまった。貧乏性というのか意地汚いというのか・・・。

妻は病院に行ったら?と言うのだが、私は病院が大嫌いである。なんだか別な病気をもらって来るような気がして行きたくないのだ。

手遅れになっても知らないよ。と妻は言うが・・・、自分で命を縮めるつもりもないが、別段長生きしたいとも思っていないから、どうでも良いことなのだ。それでも父が死んだのが64歳だから、せめてそれを越えるくらいは生きていた方が家族の為にもなるかなぁ〜くらいにしか思っていない。まぁ、人間は誰でもいつかは死ぬのだから、中身の濃い人生を送った分だけ短くなるのは止むを得ないことだろうと思っている。

佳人薄命とも言うしね。

三宅島で地震!、宮城でも地震!、釧路でも地震!

日本列島、地震だらけである。こりゃ〜本当に南海地震や富士山噴火があるかもしれないなぁ〜。

皇太子と雅子さんがオランダ訪問を決めたと云う。周囲の雑音など気にせずに行ってくれば良いのだ。皇室に対してゴチャゴチャ言う輩はよっぽど暇な奴等なんだろう。四六時中監視されてるような生活で、行動まで制約されたら一般人から皇室に入った雅子さんには辛すぎるだろう。もっと自由にさせてあげたら良いのに・・・。


■2013-04-18-Thursday 今朝も

今朝も雪が降った。

2㎝程度の降雪であったが、この時期に2日続けて降るのは珍しい。

相変わらず、日本列島のあちらこちらで地震が起きているし、なんだか嫌〜な雰囲気である。

物事の本質を理解出来ずに、表層に現れていることでしか考えられない奴が多くて困る。

3月25日付けの十勝毎日新聞「論壇」欄に掲載された私の「現在(いま)が良ければ・・・」と云う文章が物議を醸しているとのことだが、私は事の本質を捉えて書いたにしか過ぎない。本質論からするとTPPが損だとか得だとかという類の論議はナンセンスなのだ。

グローバリズムがさも素晴らしいシステムであると信じ込んでいる人に、あれは極々一部の人達の金儲けの手段であって、人類を幸福にするシステムではないと諭したところで無意味だろう。世界を一つにしようなんて云うマヤカシに乗っかっている人は、新興宗教を信じている連中と大差がないからだ。

TPPは日本にとって得だと唱えていた連中も、アメリカが自動車は別にするとか、農業の例外は認めないだとかと言っているのを聞いたら、日本にとって得なことなど何も無いことが分かってきたのではないのか?

所詮、グローバリズムはパックスアメリカーナの最後のあがきに過ぎないクダラナイ理論だ。

世界を一つにする必要なんてまったくない。

日本の政府は、アメリカとの安保条約で守ってもらっているとの認識からアメリカ政府の言いなりになっているが、アメリカは日本なんて守ってはくれないぞ。

自分の国は自分で守る。そして言いたいことはハッキリ言う。そうしなければ日本の未来はない。

日本はまだアメリカに占領されたままの国でしかない。


■2013-04-19-Friday ショック

何故だか今日は妻の機嫌が良いようだ。

「春物のセーターでも買ってあげる」と云うのである。大雪にならなければよいのだが・・・。

昼休みに藤丸デパートの紳士服売場に行ってみてきた。

4月は1日〜17日までお酒を断っていたから、自分では少しは痩せたかなぁぐらいに思っていたのだが・・・。

Lサイズのカーディガンを試着してみたら、なんとボタンのところがハツハツになってしまう。センスの良いカッコイイ服には大きなLLサイズがなくてLサイズまでしか品揃えがないのだ。

キングサイズの売り場に行ってLLサイズを着てみたら、腕が短いものだから袖が長過ぎて、赤塚不二夫の漫画に出てくるハタ坊みたいでこれまた恰好が悪い。腹のサイズに合わせると袖丈が合わないのだ。

こんなにも不格好になってしまっていたとは!

自分で毎日鏡をみているが、腹は出てきたなぁとは感じていたが、そんなに不格好なデブだとは思っていなかったのである。主観と客観の違いというやつであろう。

せっかく妻が洋服を買ってあげるという珍しい事態だったのに、肝心の服が見つからなくて断念することになるとは、ついていない。

ここしばらくは、こんな事はないだろうなぁ〜。残念!


■2013-04-20-Saturday NPO

岩手県山田町に

3.11の東日本大震災でボランティアに入ったNPOが問題となっている。

ざっと経過を見ると、2011年3月11日の東日本大震災で岩手県山田町が大きな被害を受け、旭川のNPO法人「大雪りばぁねっと」が遺体捜索のボランティアとして山田町に入り、数々の活動が認められて、同法人の代表・岡田栄悟氏は復興支援参与に任命された。

活動の場を広げるために多くの人手が必要となり「町民を雇用しよう!」という流れになり、緊急雇用創設事業で4億円の運用を岡田栄悟氏は任され、更に2012年度の同事業の7億9000万円も任される。

2012年11月、岡田栄悟氏は町長に「7億9000万円を全て使ったので不足分を出して欲しい」と要望。同年12月雇用されていた137名の町民が「お給料払えない」という理由で解雇される。山田町が調べると、約5億円の使用不明金があることが判明した。

不明朗な使用には、ベンツのトラックや特注の1700万もする救難ボートの購入、一着十数万円のアルマーニの制服の支給、出張という名の全国旅行巡りや高級食材の食べまくり、ニューハーフを呼んでのショー等などの事実が次々と明らかになった。

しかも借りていたことになっている物件のリース支払い先の会社は同法人の幹部が社長を務めていたし、なんとそこに1億円も支払っていたという。

山田町で活動するにあたり、岡田栄悟氏は履歴書を町長に提出していなかったことも発覚したというが、そんな正体不明の人物に多額の費用を任せてしまっていたらしいのだ。

人を外見で判断してはいけないということは百も承知だが、NPOの代表がこんなにデブではいけないだろう。

復興予算には税金も使われているし、世界中からの浄財も入っているだろう。訳のわからんこんな遊び事に5億円も使われたのでは頭に来る。山田町が請求したところで、使い切ってしまって金は無いというのだから、取り戻すことは難しいだろう。せめて詐欺罪かなにかで刑務所にでも入ってもらわなければ国民の気がすまないだろう。

岡田氏はテレビでインタヴューを受けていたが、恥を知らないタイプの人間なのだろう。

NPOは明朗な会計をしなければならない。まちづくりと称して私腹を肥やすような輩が帯広にもいるが、こう云う奴らはまちづくりをする資格がない。これを機にまちづくり団体の会計報告を一般公開して不正をさせないように市民が目を光らせるべきではないだろうか。

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■2013-04-21-Sunday スタイル

妻が夕方から商店街の会合で

居なくなるので私一人で夕食を食べることになった。

会社から一緒に帰宅して、私はジャージに着替え、温泉銭湯に持って行く道具(シャンプー&リンス、ボディソープ、手拭、バスタオル、着替え等)を準備して、妻を会場まで送って行くつもりになっていたら・・・。

妻が「あなた、まさかその恰好でどこに外食に行くつもりなの?」とキツイ口調で問い詰める。私は「そうだなぁ〜吉野家で牛丼でも食べてから、そのまま真っ直ぐに温泉に行くよ」と答えたら「あなたは顔が知られているから、そんな恰好で一人で牛丼なんか食べていて、誰か知り合いにでも遭ったらどうするの?」と云う。

別にどんな格好で食べに行こうが勝手だろうに・・・。

わざわざ着替える程のこともないと、そのままジャージ姿で妻を送り、吉野家で牛丼を食べて、温泉に行ってから帰宅したのであった。

東京に居た大学生時代は吉野家の牛丼には随分助けられたものだから、たま〜に食べたくなるのだ。

まだあの当時(昭和51〜55年)は吉野家がツブレル前で、ガンガン出店攻勢をかけていた時期だった。都内に新しい吉野家の支店がオープンしたら都内の全店で100円セールをやっていた。

お米と肉が100円で食べられるなんて、しかもそこそこの旨い味でなんて、なかなか無かったから朝昼夜と3食とも牛丼で済ませたことがあったくらいである。

当時の客は男子学生か労働者風の男、サラリーマンぐらい、全部男しかいなかったが、今日入って驚いた。家族連れが4組、男女のカップルが4組もいたのだ。男一人だけの客も6人ほどがいたが、女性の一人客が3人いたのにはビックリした。時代は変わった!

ジャージ姿で食べていたのは私だけで、皆小ざっぱりした格好で食べている。やはり、せめてジーパンぐらいの恰好で来るべきだったか!


■2013-04-22-Monday 東北

20〜23日まで

東北の仙台と会津若松に夫婦で行って来た。

仙台は長女が高校時代に3年間過ごした街で、その長女が去年の暮れに縁あって仙台で就職したので、お世話になった方々や関係者等に挨拶がてら訪ねたのである。

ルートを選ぶのにあたって、帯広空港→東京羽田空港→東北新幹線で仙台駅というルートか、帯広駅→新千歳空港→仙台空港→仙台駅というルートか迷ったのだが、東京から北に戻るよりもまっすぐ行く方を選んだ。どちらのルートを使っても移動の時間は同じ様に結構掛かるのであるが、お土産を一杯持っているので荷物がやたらと重たいから、少しでも荷物を持って歩く距離を短くしたかったのと、東京の人混みの中を歩きたくなかったからである。

帯広駅を早朝の6:48発の列車で行くと南千歳駅着が09:02、南千歳駅09:13発−09:16新千歳空港駅着の電車に乗り換え、たった3分間乗るだけなのに、この南千歳駅での乗り換えがとても面倒なのである。飛行機に乗る前の僅かな時間で朝食にラーメンを食べるが慌ただしい。10:10新千歳空港発の50人乗りの小さな飛行機に乗って仙台空港着が11:20の予定であるが10早く到着した。1時間の搭乗時間は短くて良いが、乗った飛行機はボンバルディア社製の飛行機、ひと頃やたらと故障が続いた飛行機で不安になった。イヤホンも無くて機内のドリンクサービスも緑茶のみであった。

飛行機は松島から一旦海側に出て、それから仙台空港に降りたのだが、空港は海からかなり近い。以前にも数度、仙台空港には降りているが、3.11の津波が襲った後は初めてであるから、こんなに海に近かったのかと認識をあらたにした。

持って行ったスーツケースがどうもまっすぐに進まない、やたらと下の小さなな車輪引かっかってスムーズに進んで行かないのだ。底を覗いてみたら4個の車輪の内の1個が壊れて動かなくなっている。転がして歩くから楽なのに、持って歩くのでは大きくて重たすぎるのだ。仙台の鞄屋に入って安い旅行鞄を買うことにしたが、スーツケースを捨ててもらうのに5千円も費用が必要だというのでモッタイナイからヤメタ。帯広に持って帰って修理して使うことにしたのである。

娘のお世話になった方々のところに挨拶に廻った後に、娘と合流、新しい住居を見た後に中心街に出て、娘の高校生時代の寮監さんご夫婦と一緒に駅前の牛タン屋で食事をした。娘が高校を卒業してからすでに7〜8年ほども経つのだが、いまだに懇意にしてもらっているのは有難いことである。店を出たころからパラパラと雨が降り始めた。天気予報ではこれから雪になるのだという。まさか4月中旬過ぎに雪は積りはしないだろうと思っていたのだが・・・。

朝起きてホテルの部屋から外を見たら雪が降っていた。

21日はこれから会津若松に行く予定である。


■2013-04-23-Tuesday 会津若松

21日は

朝07:50に仙台駅東側バスタッチから高速バスで会津若松に向かう予定であるが、朝から激しく雪が降っている。

4月の中旬過ぎだから、まさか積りはしないだろうし、私は晴れ男だから大丈夫だとタカをくくっていたら・・・。

会津に向かうバスが高速道路に入ったあたりから益々雪が激しくなって来て、途中のサービスエリアでトイレタイムに降りた時には5㎝ほどの積雪になっていた。

バスは20程遅れの10:35には会津若松駅前に到着した。駅のコインロッカーにスーツケースを預けてキオスクで傘を購入。

まずは、先月、妻が商店街の視察でお世話になった「あねっさクラブ」の山口さんのお店に向かうが、妻はどうも方向感覚がイマイチである。21日に会津に行くとは連絡してあったものの、何時に行くとは伝えていないが一応あねっさクラブの事務所を訪ねたところ誰も居ない。帰ろうかと階段を降りようとした時に偶然山口さんにバッタリ遭遇した。

事務所で山口さんの旦那さんと4人で1時間半ほどいろいろと話をしてから、妻が先月来た際にも昼食を取ったという近くの七日町の「田楽」満田屋に行って田楽を食べる。とても美味しかったが、豆腐の上に乗った焼けた味噌が口の中にくっ付いてしまい火傷をしてしまった。

雪は小降りになったり止んだりもしたが、街中を地図を見ながらグルグルグルグルと歩き回る。気に入った建物があったらフラッと入って見学したり、買い物をしたり、目的地をハッキリと決めないものだから、何度も同じ道を行ったり来たりして、靴の中が雪で濡れてしまって気持ちが悪い。

桜はどこに行っても満開であるが、その花の上に雪が積もっている。

行く先々で「北海道から花見に来たが、雪見になった」と話し掛けると地元の人も「こんな風景は今まで見た事が無い。せっかく遠くから来ていただいたのに・・・」と申し訳なさそうに応えていた。

まぁ、確かに満開の桜の花の上に雪が積もるなんて図はまずないだろうから貴重な経験ではあるが・・・。

3時頃には晴れてきたが、歩き疲れたので七日町駅から電車に乗って会津若松駅まで戻り、4時頃にはスーツケースをコインロッカーから出して町中周遊バスで東山温泉まで行く。

早目に温泉に入ってノンビリするつもりであった。この日の宿は庄助の宿というホテルである。妻が先月泊ったホテルとは別の所に泊りたいというのでネットで調べて決めたのだ。

最初、このホテルには夕食の予約を入れていなかった。会津の街中で美味しい店を紹介してもらって、そこで夕食を済ませてからホテルに入るつもりだったのである。

まさか雪が降るとは思ってもいなかったから、春の軽装でしか来ていないので身体がスッカリ冷えてしまったから、予定を変更してホテルに早目に入ることにしたのだ。

このホテル、部屋も綺麗だし、従業員のサービスもまぁまぁなのであるが、どこかが抜けている感じがした。これこそが「サービス」と「ホスピタリティ」の差というものなのだろう。最後の最後になって詰めが甘い!という感じなのだ。

フロントで名前を告げたら、川と滝が見える窓際の席に案内され、暖かいおしぼりと抹茶と水ようかんが出されて、それを食べながら宿帳に記帳するのだが、従業員の説明に質問したり、頼んでいなかった夕食の要望を伝えるとそれに対する対応がやたらと遅い。あげくにお酒の試飲を勧めておきながら、抹茶を飲んだ途端に部屋に案内すると言う。文句を言っても仕方がないし、酒は後からユックリ飲むからと部屋への案内に同行した。

ガイドブックに、昔懐かしいおもちゃのライフル銃でお菓子などを打ち落とす「射的場」があると載っていたので、秘宝館やストリップなど風情のある温泉街があるのかと勝手に想像していた。そんな温泉街を浴衣掛けに下駄履きで見学しようと思っていたのだが、寒くてそれは不可能だった。洋服のまま外に出たら、温泉街らしきものは何もない。そもそも温泉街を造れるほどの土地の幅がないのだ。山間の狭隘な場所に窮屈にホテルが建っているだけだ。30分ほども奥に歩いたが車も行き換えないほど狭い一本道である。バーや小料理屋などの店も一応あるにはあるがとても入る気にもならないので翌日泊る宿を確認してホテルに戻った。

後は風呂に入るしかない。妻が浴衣に着替えて丹前を羽織ろうとしたらその丹前の紐がほつれボロボロになっている。それくらいかがって縫っておけばよいのにと、取り替えてくれるようにフロントに電話して替えの丹前を持って来てもらったら、この丹前の紐もこれまたほつれたまま。自分の持ち物ではないのだけれども、着ている方としてみれば前の部分だから、いささか格好が悪い。面倒臭いからそのまま着ていたけれども・・・。

1時間お風呂に入ってから20分間の足つぼマッサージを受けていたら、妻がお風呂から上がってきて、自分も食後にマッサージを受けたいと予約を入れたのだ、しかも1時間タップリと・・・。

夕食は部屋食ではない。昔の旅館のように部屋食にすると、その分だけ従業員の数が大勢必要になるから現在の宿は、食事はバイキング方式にしたり食事する場所を一ヶ所に集中させる傾向にある。このホテルは一つのフロアに個室を用意して仲居さんが運んでくるシステムであった。これはこれで良いのだが、メニューをまったく選べないという面がつまらない。せめて自分の食べたいものを数点の中から選びたいものである。

食事も終わり頃になって下からズズンと突き上げる様な衝撃が来た。地震である。スゴイ縦揺れだったから、この後、大きな横揺れが来るのかと身構えたが、横揺れは来なかった。10分後くらいに部屋に戻ろうとしたらエレベータがまだ止まっている。1階上のフロントのある階まで階段で昇ったがこの階には従業員が誰も居ないのである。

普通は誰かがフロントに残って対応しなきゃいけないだろうに・・・。

もう1階階段で昇って部屋に入ってテレビを点けたら会津若松を震源とする地震で震度4であったという。直下型だったから縦揺れだけだったのだろう。雪に地震かぁ〜何だかスゴイ旅行になりそうである。


■2013-04-24-Wednesday 会津若松2

22日(月)

朝方は晴れているが風が強い。露天風呂は風が強くて少々寒いので内風呂だけで上がる。朝から温泉に入れるのはなんていう贅沢なのだろう。お風呂には小舟が浮いていて、その上にはお酒と猪口が用意されている。さすがは小原庄助さんの出身地である。朝酒に朝湯という趣向であるが、朝ぱらから飲むのはさすがに止めておいた。

朝食はバイキングスタイルである。

食べ物が並んでいる台には、お盆を置くスペースがないし、従業員が少ないから、ご飯やみそ汁も自分で盛らなければならないので、お盆の置き場所に困ってお客は皆、苦労していたし、やたらと時間が掛かって行列が出来る。

このホテルは、おそらく余所のホテル等に何度も視察に行ったりして、システムとしての研究はかなりやっているようだが・・・。良い所取りをしてはいるのだが「仏造って魂入れず」という感じである。何の為にこう云うシステムを取っているのかという本質を理解していないようだ。だからどこか客の立場に立っていないのだ。

効率化の為に採用し、尚且つお客様にも満足をさせたいということで取りいれたシステムであろうが、台の設計や食べ物の配置、基本の理念、そしてホスピタリティが不足しているから上手く機能していない。

これでは客は満足するどころか逆に中途半端で不満を募らせるだろう。中途半端ならいっそサービスが無い方がかえってスッキリする。

先日から感じていることだが、会津の人はどうも融通が利かない人が多いように思える。空気が読めないというのか、臨機応変な対応が苦手な土地柄というのだろうか?それとも、単に大河ドラマ「八重の桜」を見ての「頑固者」のイメージが私に摺り込まれているのだろうか?

この日宿泊するのは、前泊した「庄助の宿」からは車で3分程度奥に入った「いろりの旅籠芦名」という8部屋しかないこじんまりとした和風旅館である。車で送ってもらい荷物を預かってもうことにした。

妻が全部違う宿に泊りたいというので選んだところである。

小さな旅館だからそれだけ融通が利く、宿帳を書けば、今チェックインしてくれるという。

チェックインを済ませてから、東山温泉観光協会の事務所兼バス停留所に行き「一日周遊券バス券」を500円で購入する。普通は一回の乗車で200円掛かるところを会津若松市内の観光の要所を巡って、何度乗り降りしてもOK、30分毎に走っているというもので内回りと外回りもあって便利で安いのだ。

まずは温泉に一番近い場所にある「武家屋敷」を見学してから、これから一番混むであろう「鶴ヶ城」を午前中に見ておく。どこに行っても桜が満開で素晴らしい。北海道の桜はエゾヤマ桜で花よりも葉が多くて見栄えがしないが、本州の桜は花が多くて見事である。実に美しい。この満開の桜を見ただけで満足である。おまけに昨日はこの満開の桜の上に雪まで被さってくれたのだから普段なら見られない景色である。お城がある町というのは町のへそがあるようで良い。北海道には松前城しかないからウラヤマシイ!

鶴ヶ城の北口から出て、すぐ傍にある県立博物館を見学しようと思ったら月曜休館日という看板が出ていて断念。

昼は蕎麦で有名な「桐屋夢見亭」でそばを食べる。値段はかなり高い。なにせ「かけ蕎麦」で830円である。私は「そば三昧」という変わり蕎麦3種が乗った蕎麦1650円也を食べたのだが、3種類の違いがハッキリとは分からなかった。

この蕎麦屋の近くのバス亭(慶山)に13:40にバスが着く予定になっているので早目に13:30から待っていたのだが、14:15になってもバスが来ない。雨は降ってくるし、風は強いしで頭に来て、バスの時刻表に乗っていた観光協会に「バスが来ないけどどうなってんだ〜。寒くて死にそうだゾ〜」と電話したら「鶴ヶ城」近辺が渋滞でバスが動かないというのだ。それならそれで、バス亭に張り紙をするなど何等かの対応をしてくれなけりゃ〜・・・。結局バスが到着したのは14:35で、1時間以上もただバス亭で立っていただけである。これが分かっていたなら歩いて移動するかタクシーでも呼んだのに、時間は無駄だったし、夫婦喧嘩はするしでこの時間がモッタイナカッタ。

次は白虎隊が自刃した「飯盛山」である。山の上まで石段が続くが、歩いて登る気にはなれないなぁと思ったら隣に斜に上がるゴムのエスカレータ状のモノがあるではないか、一人500円というからかなりな高額だが歩きたくないからこれに乗って上まで行った。

白虎隊は小学生の頃に習っていた日本舞踊で踊ったことがあるので歌詞もうろ覚えだが覚えていた。そういう思い入れがあると感情移入し易くなる。十六、七歳の若者が戦いに敗れて自決した悲しい物語りだと思っていたら・・・。よく説明を聞いてみると、城下が燃えているのを鶴ヶ城が落ちたとと早合点して自決したのだという。それなら単にそそっかしいだけではないのか?自分の命を捨てるのならシッカリ確認してからでも良かったように思うのだが、ここにも会津人の臨機応変さに欠ける点が出ているように感じてしまった。

飯盛山を降りる途中に「さざえ堂」という不思議な建物があった。螺旋状の回廊(階段ではない)を登って降りると三十三観音を拝めて巡礼したのと同じ霊験があるということだったらしい。登りと降りが一度も交わらない二重螺旋構造状の建物は、世界的にも珍しい。

この日は「ゆべし」をお土産に買って帰りたいと妻が言う。先月来た時に買って帰ってとても美味しかったと評判が良かったからというのだ。売っている場所は東山温泉の入口近くの「がぶりガーデン」という会社が作っている「くるみゆべし」だ。営業時間は16:30までだというので、閉店まで時間がないから周遊バスでそこに向かって大量に購入したら随分とおまけしてくれた。「重いから送ったら?」と言ったのだが、「帯広に帰ってからすぐに配りたいから持って帰る」と言うので他の場所の見学は止めて宿に戻ることにしたが、温泉のバス亭から「芦名」まではかなりの距離がある。重たいなぁと思っていたところに運良くタクシーの空車が来たのでそれに乗って旅館に戻った。

時間的には17時前と少々早いがこれまた温泉にゆっくり浸かることにした。ここの温泉は小さくて3人が入れば一杯であるが内風呂の温度は42度はあると感じたはど湯温が高くて気持ちが良いし、露天風呂は39度位の低い温度で長〜く漬かっていられる。食事の時間も18時からに早めてもらった。

ここの食事は7つの囲炉裏があって、それぞれ仲居さんが付いて世話をしてくれる。町中で聞いた評判によると女将も若女将も美人で有名な宿なんだとか。仲居さんも皆、若くて美人が揃っている。やはり美人さんに世話してもらった方が嬉しいにきまっている。食事は串に緒刺して囲炉裏で焼いてくれる岩魚やつくね豆腐など、どれも美味しかったし、水晶盤で焼く鶏肉も美味しくてお酒が進んだことビールで乾杯した後日本酒も3合も飲んでしまった。途中、語り部のおばぁさんが囲炉裏を廻って昔話をしてくれる。思わず声を出して笑ってしまうほど愉快で楽しい話で、これまた食事が楽しくなった。

食後にマッサージ師さんを頼んだ。ここのマッサージさんは一風変わった爺さんでこだわりがあるようだ。私の肝臓が疲れているのと痛風を当てた。お酒じゃなくて水をたくさん飲みなさいよとアドバイスを受けた。あんまり気持ちが良かったので、妻にもマッサージしてほしいと頼んだ。妻は肩こりがきつくて辛そうであるからだ。なんて優しい旦那さんんなのだろう。

二人とも身体が楽になって気持ちが良くなり、朝までグッスリと眠ることが出来たのだった。


■2013-04-25-Thursday 会津若松3

23日(火)

今日はもう帯広に戻らなければならない。

帰りはまた仙台空港から新千歳空港に向かい、列車で帯広に戻る旅程である。

福島空港からは新千歳空港にも飛行機が飛んでいるのだが、どうにも時間が上手く組めないのでこのルートは断念した。

会津若松から仙台まで来た時と同じに高速バスで帰るのもつまらないと思い。帰りは列車で会津若松駅→(普通列車)→郡山駅、郡山駅→(新幹線)→仙台駅、仙台駅→(空港アクセス線)→仙台空港という別ルートで帰ることにした。値段はこの方がバスよりもかなり高くなるが、同じ道を同じ乗り物で帰る方がもっとつまらないからだ。

会津若松駅の出発時間は13:11だから、午前中はかなり観光が可能だ。06:00に起床、朝風呂に入ってスッキリし08::00に囲炉裏の前で朝食、どれもこれもこの旅館の料理は美味しいが、特に塩鮭が絶品であった。塩加減が甘過ぎず辛過ぎず絶妙であった。本場の北海道でもあんなに美味しい鮭はなかなか食べられない。

日新館は9時に開館ということなので「芦名」から9時に車で会津若松駅まで送ってもらい。コインロッカーにスーツケースを預けて、タクシーに乗ることにした。駅のタクシー乗り場に女性ドライバーが運転するロンドンタクシー風の変わった車のタクシーが停まっていたのでそれに乗車。

この日は朝から快晴で気温も温かい。日新館をユッタリ見学して、10:30に迎えのタクシーを電話で呼んだら、また朝と同じロンドンタクシーが来てくれた。昨日休館日で見られなかった県立博物館に行って見学、12時に博物館前の周遊バス乗り場からバスに乗って会津若松駅に向かう。この鶴ヶ城近辺から博物館前までの道が車の大渋滞になっているようだ。目の前にバスが見えているのに100m進むのに15分程も掛かっている。一緒にバスを待っていたおばちゃんも私達と同じ電車に乗るのだろう、1時間以内に駅に到着するのかとても心配していたが、この博物館から先はスムーズに車が進んだので20分程で駅に到着したのであった。

こういう時に自家用車で来る人の気がしれない。なぜにわざわざ渋滞の中をイライラしながら運転しなければならにのだろうか?

皆が郊外の駐車場までは自家用車で来て、あとは循環バスなどを使えば皆がスムーズに移動できるのに・・・。

13:11発の電車まではあまり時間がないので駅の構内の立ち食いのラーメンを食べて昼食を済ませた。隣の喫茶店で会津ソフトと書かれていたソフトクリームをデザートに食べてみたが、みたらし味と田楽味噌味の2種類がある。どんなソフトクリームが出て来るのかドキドキしながら待っていたらなんのことはないソフトクリームに田楽味噌を塗っているだけの代物であった。味もしょっぱくて微妙〜。会津の食べ物はこの味噌味が多いが総じてかなりショッパイ。私も比較的濃い味のものが好きではあるのだが、それでもショッパイと感じるのだから相当なものである。NHKの大河ドラマ「八重の桜」にあるように幕末には会津藩が京都守護職で京都に行っていたのだから、もう少し京風の薄味を覚えて来ても良さそうな感じがするのだが、この辺りの味覚にも会津人の頑固さがあったのであろうか?

時間通りに電車は運行され、会津若松駅→郡山駅→仙台駅→仙台空港→新千歳空港→新千歳空港駅→南千歳駅→帯広駅と乗り継いでようやく22:45に我が家に到着した。

今回は新しい大きなホテルと古い小さな旅館という対照的な宿に泊ったが、この比較がとても勉強になった。たとえ小さな旅館でもおもてなし(ホスピタリティ)とは何なのかを理解した接客をすれば客は満足するものなのだ。逆に、表面上のサービスはたくさんあっても、全ての行動が本質を理解していないで、上っ面だけでやっていると、逆に悪い箇所ばかりがかえって目立ってしまうものだ。この極端な差を目の当たりにしてサービスとホスピタリティの違いを改めて勉強させられたようで面白い旅であった。

「芦名」に泊った時に妻が、「そういえば旅館で思い出したけど・・・」と昔の嫌〜な話をしだした。私のJC(青年会議所)の先輩で旅行会社をやっていた人がいたのだが、この人に妻の両親の旅の手配を頼んだ時の話だ。その人物が手配したのは値段が一人3万円弱もする旅館であるから高級な旅館だと思っていたら、それが普通のビジネス旅館であった。トイレも洗面所も共同、料理も普通の定食。妻の両親も私からの紹介だからと遠慮してそのことを告げられずにいたと言う。しかし、数ヵ月後に、我が家の家族旅行を頼んだ時にそのデタラメさが露見した。

半年前から申し込んでいるのに10日前になってもホテルと飛行機の便が決まってないと言う。「そんな馬鹿な!」とブチ切れた妻がその兄貴が経営する旅行会社に出向いて抗議したら「キャンセルしても結構ですけど今からならキャンセル料は半額頂きますよ!」と言ったもんだから、ますますブチ切れた妻は、直接にツアーの元請け会社に電話して確認してみたのである。すると「そのような予約は入っていません」と信じられない答えがかえってきた。

キャンセル待ちで安く購入して、こちらには通常の値段で売って、その差額を抜くつもりでいたようなのだ。

当然ながら妻はカンカンに激怒、以後は2度とその旅行会社を使わなかったのは言うまでもない。そんなフザケタことをやっているからその旅行会社はその後すぐに倒産したのであった。そのフザケタ奴は今でもツラッとして帯広の街を歩いているが・・・。

ホスピタリティの欠如した人間のやることはどこまでいっても表面上だけのモノマネに過ぎない。一刻も早く本質を理解した運営に戻さないとここもダメになってしまうと危惧している。

今回の旅はいろいろと面白い体験をさせてもらった。


■2013-04-26-Friday 講演会

富良野青年会議所(JC)から

講演の依頼があり、26日の例会で講演をしてきた。

JCの現役(20〜40歳)からの講演依頼は1年振りのことである。富良野では過去に3回ほど講演をしているが、JCからの依頼は初めてだ。私は車の運転があまり好きではないのでバスで行こうかと思っていたのだが、富良野JCのメンバーが車で送迎をしてくれるというからありがたいことだ。

担当の委員長が何度か事前に帯広に打ち合わせに来てくれた。

富良野は倉本聰さんのテレビドラマ「北の国から」で全国的に有名になったが、テレビの放送が終了したので、いつまでも北の国からに頼ってばかりはいられない。まだその余韻で観光客が来てくれている内に新たな町おこしの方策を見つけたいということなのである。

その方策を考えるにあたって、北の屋台を造り上げた手法を学びたいということで私に白羽の矢がたったという訳である。

通常、私の講演は90分間の時間をもらっているが、例会なので70分の時間しかないという。この70分の講演時間では、北の屋台の話だけでも足りないくらいだ。

経験談を話すよりも、むしろ私が考案した「マジック的思考法」の話をした方が今後の街づくりには有効だと考えたので、事前に私の著書「北の屋台繁盛記」を読んでもらっておいて、北の屋台の話は短めにしようと思っていたのだ。

まずはカップ&ボールという世界最古と言われるマジックを7分程演じてから、なぜにこのシンプルなマジックが4千年間も続けて演じられているのかを解析し、現代では最先端のことは流行りも廃りもスピードが早いということから人間の心理や本能といったものを上手く使ったほうが有効だという話を組み立てていたのだが・・・。

始めに私の本を読んでくれたかと訊ねたら、読んだと手を上げたのは3名ほどであった。次に以前に私の講演を聞いたことがあるかと訊ねたら1名しかいない。北の屋台のことを知っているという前提で話始めようと思った目論見が外れてしまったのだ。

急遽、講演の構成を変更して北の屋台の話を中心に話し始めたのであった。ところが、話している内に段々と熱が入ってきて、70分の持ち時間をすっかりオーバーしてしまう熱弁をふるってしまったのだった。

その後、懇親会、2次会と続けて飲みに行ったが、やはり現役世代は若さがあるから酒が強い。

久し振りに若い連中と一緒に飲んで、私の気分も若返った1日であった。


■2013-04-27-Saturday ゴルフ

今シーズン最初の

ゴルフコンペが27日帯広白樺カントリークラブであった。

富良野から戻ったその足で向かったので、スタート10分前にゴルフ場に到着。パットの練習もしないでいきなりスタートしたのであった。

プロゴルフでは66歳のジャンボ尾崎こと尾崎将司が62打でまわってエージシュートを達成した。尾崎将司の活躍で一回り下の私も少しは頑張ろうという気にさせてくれる。

しかし、練習不足はいかんとも為しがたい。おまけに右肩甲骨の下側の痛みが続いていて100%の力で振り回す事が出来ない。

白樺のインコースの1番ロングホールの第一打を安全にスプーンで打ったがラフに入り、二打目を更に安全に9番アイアンで打ったのに、ロストボールになってしまい、いきなりトリプルである。

以後もアイアンショットがクラブフェースの先っぽに当たって満足に飛ばない。100ヤード以内のショットがことごとく距離感が合わなくてインコースは45打。

アウトコースに入って寄せは距離が合ってきたが、100ヤード以内は相変わらず距離が合わない。雨もぱらつき、風も強くなって寒くなって来た。後半もOBを一発打って結果は42打、グロス87打で平凡なスコアで終わった。

まぁシーズン最初で、しかも全くの練習なしでこのスコアなら良しとするか。


■2013-04-28-Sunday 写真アルバム

先日行ってきた

仙台・会津若松で撮ってきた写真が出来あがってきたので写真アルバムを作ることにした。

こういうものは記憶が薄れない前に作っておかないと、暇な時に作ろうなんて考えていると、いつまで経っても作れない。だから、どんなに忙しくても、寸暇を惜しんででも作ってしまわなければならないのだが、幸いなことに今回の旅行は自宅に戻って来てからがゴールデンウィーク(GW)なので時間はタップリとある。

GWに旅行する習慣は我が家にはない。ここ20年は5月2日が父の祥月命日(平成4年5月2日逝去)ということもあるのだが、我が家は商人の家庭であるから、元々GWは休みではなかった。職住分離になっても土日祭日は休みではなかったし、GWのように混んでいて値段も高い時期に出掛けようなんて気は起こらなかったのである。

なにせ、並んでまで、食べたり乗ったりすることが大嫌いなのである。

そんな訳でアルバム作りにはタップリと時間があるが・・・。

妻と一緒に旅行を始めたのは、28年前の新婚旅行からだが、妻は一切アルバム作りを手伝わない。こんな細かい面倒な作業は自分には適していないのだと言う。

私は旅先でいろいろな資料を持って帰ってくる。飛行機や汽車の切符に始まり、美術館・博物館などの入場券、パンフレットの類、観光案内書やホテルの案内書などetc.

アルバムを想定しながら、自分で写せない風景や建物などは、絵ハガキを買って帰るのである。

そうして、帰宅してから、出来あがった写真の横に、それらのものを上手く切り抜いて貼れば、後からアルバムを見ても容易に、現場を思い出せるという仕掛けなのだ。

まだ、行ったことがない人が見ても分かる様に考えて作るのが楽しみなのである。妻は私が作ったアルバムを見て「段々とアルバム作りが上手くなってるじゃないの上等上等」と簡単に云う。

そりゃ〜そうでしょう、作らずに見るだけだもの・・・。


■2013-04-29-Monday リンカーン

旅行写真アルバムも作ってしまったし、

GWに何もすることがないから映画「リンカーン」を観に行った。

毎週の様に、夫婦50歳割引料金制を活用して、二人で2000円と云う値段で2〜3時間も楽しめるのだからこんなに安上がりな娯楽はない。

しかし、帯広の映画館で現在、上映されている映画は子供向けのアニメ以外はほとんど観てしまっている。帯広のシネマコンプレックスは私の観たい映画が掛からないことが多いから、観るモノが少なくて難儀しているのだ。

昼から上映する「リンカーン」を観た。

S・スピルバーグが監督しているし、アカデミー主演男優賞も受賞している映画だから観る前から愚作ではないだろうと思っていた。

案の定、なかなか楽しめる映画であった。

感想は、政治家と云うものは、清廉潔白なだけでは務まらないのだなぁ〜理想を実現させる為には、権謀術数も駆使するのだなぁ〜ということである。

リンカーンの発する言葉は、軽いジョークでも意味深長であるし、説得力がある。演説の内容は後世まで伝わるほど素晴らしい内容である。

近年、こうした腹の据わった大きな人物の政治家の存在が少ないのは何故なんだろうか?

悪妻と評判の夫人の描き方が、まだしも可愛らしかったのは、リンカーンに対する敬意なのであろうか?

奴隷解放にこんな政治的な駆け引きがあったことは、アメリカ国民もあまり知らないんじゃぁないだろうか?

一寸前に観た「ジャンゴ」と奴隷制の描き方、視点が異なるのがとても面白かった。是非、この2本を一緒に観る事をお勧めする。


■2013-04-30-Tuesday 病院

3月末から

身体の具合がオモワシクナイ。

酒が不味く感じるようになったから、しばらく酒を止めていたが、完全な禁酒と云う訳でもなく。会合などでは飲んでいたが・・・。

先週の仙台・会津若松の旅先でまた飲んでしまった。

どうしても旅先だと、美味しい地酒を晩酌に郷土料理を食べたくなるのが人情ってものだろう。さすがに太陽さんが出ている間は飲まないが・・・。

旅行から帰って来てすぐに富良野青年会議所で講演をして、若い連中と夜まで飲んでしまった。

以前から痛かった右の肩甲骨の下から右のわき腹にかけての痛みが治らない。友人からは「痛みを感じないはずの肝臓が痛くなったらもう手遅れだ!」と脅かされる。

妻に「俺はもう十分に満足な人生を送ってきたからいつ死んでもOKだ」なんて悟ったようなことを言ったものだから、さすがの妻も「まだ、この年で未亡人にはなりたくない・・・。お願いだから病院に行って」と云うので、仕方なく大嫌いな病院に掛かることにした。

まぁ、死ぬにしても病状だけは把握しておかないと・・・。

帯広厚生病院に行って、MRI・X線・血液検査などを行なった。

結果は・・・。

医者は肝臓も膵臓も肺も別になんともないと言う。右の腎臓がやや炎症を起こしていたような形跡が若干みられるがほとんど自然に治っている模様だ。右の肩甲骨の下辺りが痛かったのはそのせいではないかと云う。その腎臓も現在は大丈夫だというのだ。

父が肝臓癌で死んでいるから、私も肝臓がイカレタのかと早とちりしたようだ。素人はこれだから困る!

まぁ、とりあえず一安心。

妻に伝えたら「これを機会に酒を控えて、少しそのミットモナイお腹を引っ込めなさいよ!」と言う。GW中にダイエットでもしてみるか!