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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-08-01-Thursday 根本

日本人っていつからこんなに

目先の利益ばかりに固執するようになってしまったのだろうか?

原子力発電所の問題ひとつを取ってみても、福島第一原発の放射能漏れはまだまったく解決の糸口すら見えていないというのに、政府も電力会社も原発再稼働の方向に走っているようである。

以前にも書いたが、立地が安全とか危険だとかというのは、枝葉末節の問題である。核燃料のゴミ処理の問題が解決されていないのに、ゴミを出し続けてどうしようというのだろうか?

目先の経済を優先して、将来、この日本に人が住めなくなるような状態になってしまったら一体どうするつもりなのか?

根本の大きな原因を解決せずして、目先の細かい問題を解決しようとするから、矛盾が生じるのだ。

どうも、政治家も、電力会社も、JR北海道も、全柔連も、ブラックな大企業も目先の利益にしか目が向いていないから、未来に希望が持てなくて自暴自棄に陥り、犯罪に走る人間が出てくる。

リーダーの理念がしっかりしていないで、フラフラしていたり、リーダー自らが犯罪を冒しているような組織は堕落する。

箱の中に腐ったミカンが1個あるだけで、周りのミカンも腐り始める。腐ったミカンはすぐに除去しなければ全体が腐ってしまうのだ。

仲間内の助け合い精神で犯罪を見逃す行為は、結局は組織全体を破壊する行為にしかならない。

リーダーたるもの、刹那的な幸せよりも、もっと未来に対しての責任を持って仕事をしてもらいたい。

その為には、何の為にその事業を行なっているのか、その意義や理念を、今一度、立ち止まって俯瞰して眺め直す必要があるだろう。


■2013-08-02-Friday ボキャブラリー

麻生副総理が

しばらくおとなしくしていたと思ったら、選挙に勝った途端の先月29日の講演でまたまた失言をやらかしたという。

全文を読んでみると問題になった箇所は「ワイマール憲法もいつの間にか変わっていて、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。」の部分であろう。

ヒトラーが選挙によって選ばれたのは事実だし、ドイツがワイマール憲法という当時では最も進んだと言われていた憲法を持っていたことも事実だ。しかし、ヒトラーはナチス憲法なんてものは作っていない。

ヒトラーは「中央政府が定めた法律に矛盾する憲法の規定は効力を失う」とした「全権委任法」と云われる法律を成立させてワイマール憲法を形骸化させることで権力を得たのであるから歴史認識には誤りがある。

私も講演する時には、頭で考えていることとは別に口が滑るというか、口が回らないというか、言ったつもりが、言葉が少なくて上手く伝わらなかったというような経験も多々ある。

前後の脈略をみれば、好意的にとらえれば、恐らく麻生副総理は「ナチスのような手口もあったのだから、そういうことがないように気をつけるべきだ」くらいのことを言うつもりだったのではないだろうか。

しかし「手口に学ぶ」と云う言い方はいかにもマズイ。「ナチスの真似をしろ」みたいに聞こえてしまうからだ。

聴衆もそう受け取っただろう。しかし、マスコミの書き方は、言葉尻を捉えているようで、なんだかスッキリしない。

確かに、副総理という要職に就いている人間として、ボキャブラリーが圧倒的に不足はしている。

普段から漫画ばっかり見ていて文章を読んでいないからだろう。

重要な位置に居る政治家が「ナチス」なんて言葉を口にしたら海外でどのような扱いを受けるのかぐらいは承知していなければならないだろう。

言うなら、言うで、最大限の注意を払って誤解されないような発言をするべきだし、そうでなければ不用意に「ナチス」なんて口にしてはいけない。

先の選挙で今後3年間は安泰だと安心したから、またぞろ放言、失言が出始めたのだろう。自民党を大勝させた国民にも責任があるぞ。


■2013-08-03-Saturday 東北まつり行脚1

3日から東北の

まつり行脚に出掛けた。

数年前から、青森でまちづくりに尽力されている加藤博さんから、ぜひ「ねぶた祭り」を体験して欲しいとのお誘いを受けていたのだが・・・。

私も帯広では平原まつり(8月14〜16日)の「北の大地de大道芸フェスティバル」に関わっているから、準備もあって、この時期にはなかなか帯広を留守にすることができなかったのだ。

加藤博さんからは「観覧席もホテルも、普通なら取れないけれど、坂本さんの為に全〜部手配してあげるから、ぜひ・・・」とお誘いを受けたので、思い切って妻と二人で訪れることにしたのである。

でも、どうせ行くなら、秋田の「竿灯(かんとう)」や弘前の「ねぷた」も時期が重なっているし、場所的にも近い(北海道から比べれば)だろうと3ヶ所を廻る計画を立てたのであった。

秋田には秋田大学大学院工学資源学研究所で教授をしている妻の従兄弟の水戸部一孝さんが居るから、桟敷席の手配を頼もう。な〜んて勝手なことを考えて連絡したら、こちらもぜひにと云う。

それが、今年3月のことであった。青森の方は加藤さんがすぐにホテルを手配してくれた。

秋田と弘前は、すぐにホテルを調べたが、さすがにどこも満杯である。それでも、片っぱしからホテルに電話をして、ダブルの部屋を何とか確保することが出来たのであった。

旅行の計画を立てるのは、私はプロ並みなのである。飛行機、列車などもすべてスケジュールを自分で立てて、すべて確保することが出来たのであった。

まず3日は、秋田の「竿灯」である。

3日早朝のJRで帯広駅から新千歳空港に向かい、飛行機で秋田空港に入る。空港には妻の従兄弟の水戸部夫妻が車で迎えに来てくれた。

その車で、まずは従兄弟の職場である秋田大学の研究室を見学した。水戸部さんは①悪性腫瘍を体外から誘導加熱することで低襲撃的に治療するハイパーサーミアの研究など、②ハンドモーションキャプチャを使って演奏家や外科医などの指使いを記録解析して無意識下のテクニックを顕在化し技能教育に役立てる研究、③バーチャルリアリティ技術とモーションキャプチャ技術を組み合わせて高齢者の交通事故誘発原因を研究したりしている。その内の③の研究の装置を使って実際に体験させてもらった。

私には現代の高度な工学技術のことはチンプンカンプンだが、すごい研究をしていることだけは理解できた。

その後で千秋公園、エリアなかいち、ねぶり流し館などを見学した。市内を歩くと、竿灯会場近くの駐車場などの空き地にやたらと屋台というか露店というか出店が多いのにびっくりしたが、いわゆる露天商の類は出店できない仕組みのようで、普段から秋田で営業している店が出店するようだ。しかも事前の審査は、味や営業態度などかなり厳しいようである。だからこそ安心して食べられるのだろう。すごく賑わっていた。

会場近くの高級な和食の店を用意してくれていた。4人でとっても美味しい和食をお腹一杯に食べたのだが、思いの外、食事に時間が掛かってしまって開始ギリギリの19時に桟敷席に移動したのであった。会場は竿灯大通りと云う広い道路一本である。その道路の真ん中の中央分離帯に背中合わせで4段に有料の桟敷席(全席指定席)が組まれていて、歩道側には一般客が椅子などに腰掛けて見ている。道路を環状に囲んで約260本もの竿灯が出るのだ。

桟敷席にたどり着くまでに人をかき分け、かき分けながら進まなければならない。実に多くの見物人が出ている。全国各地から集まっているようだ。

竿灯は帯広でも私が幼い頃(たぶん小学2〜3年生の頃)に、帯広青年会議所が招聘したことがあったが、実物の実演はその時に見て以来である。

私は4度ほど秋田でも講演をしていて、ねぶり流し館も見学したことがあるが、竿灯まつり自体は初めてである。

町内会単位での参加が多いようだ。それぞれお囃子の山車に趣向を凝らしているし、小さい子供たちも参加している。

大人の竿灯は竹の竿に提灯を9段46個ぶら下げたもので、提灯の一番上が2個、2段目が4個、3〜8段目が6個、9段目が4個ぶら下がっている。稲穂に見立てているそうだ。

中にろうそくを立てて火を付けてあり、重さは50kg、長さは12mもあるとのこと。これをバランスを取りながら、手で持つのだが、途中で額や肩や腰などにも乗せるのだ。最後には竹を継ぎ足してドンドンと高くしていく。当然ながら重たいから竹が大きくしなる。中にはその重さに耐えきれなくて竹が継ぎ目から折れるなんてこともあるのだ。

観客のすぐ目の前で演じるから、時々観客席の方に倒れそうになるのがスリリングでもある。子供はこども用の小さい竿灯で演じるのだが、中には5歳くらいの男の子もいる。女性は竿灯を担いではいけないそうだからお囃子で参加する。「ドッコイショー、ドッコイショー」と掛け声を掛けながら演技を見る。やはりまつりは見るよりも参加するほうが圧倒的に楽しいものである。

町内会単位の参加が多いが、目の前で30分間ていどの演技を見せ、終わると10〜20mほど移動して、またそこで演技を披露することを3回繰り返して21時に終了であるが、竿灯はそのままその場所に留まって、観客と触れ合いをするのが習わしのようだ。私もこども用の15kg の竿灯を持たせてもらったが結構重たいものだ。

この後、「戻り竿灯」といって地元の町内会に戻ってそこで竿灯を披露するらしい。おまつりはメインストリートで見せるものよりも、横道で披露したり、メイン行事が終わった後の方が盛り上がる場合も多い。

従兄弟とはそこで分かれてホテルに戻った。

部屋はツインが取れずにダブルしか確保できなかった。妻と一つのベッドで寝るのは新婚旅行以来だから27年振りである。まさか床に寝るわけにもいかないので仕方なく一緒のベッドで寝ることにしたが・・・。

コンビニで買ったお酒を十分に飲んで寝たのだが、妻が寝返りを打つ度に気になって目が覚める。結局、グッスリと眠る事は出来なかったのであった。

新婚旅行の時には妻の方が寝れなかったと言っていたのに、27年で立場も神経の図太さもすっかり逆転したようである。


■2013-08-04-Sunday 東北まつり行脚2

4日は弘前の「ねぷた」である。

私は車の運転が嫌いなのでレンタカーなどは使わずに、もっぱら公共交通機関を使う。

昨晩は27年振りにダブルベッドで寝たものだから、私はゆったり寝れなかった。

秋田駅発08:46−10:50弘前駅着のつがる1号という列車で弘前に到着、駅の観光案内所で桟敷席の当日券を若干数販売していたので、まずはそこで良い席を確保してから宿泊先のドーミーインホテルに向かう。

ホテル大浴場も付いていて会場や弘前城にも近くて絶好の場所にある。まずは荷物を預かってもらって近くの洋館巡りに出た。弘前は観光地がお城を中心にしてギュッと凝縮しているから歩いて回れる。

ホテルでもらった地図を見ながら歩いたが、道を一本間違えて曲がってしまったところ、古風な建物の蕎麦屋「高砂」と云う店の前に出た。11:20だというのに既に人が並んでいる。これは美味しいそうだと思い。昼食時にも近いから、まずはここで蕎麦を食べてから回ることに急遽方針転換。夫婦二人だけの旅だから、おもいつくまま行きたい所に行き、食べたいものを食べることが自由に出来るのだ。

ここの蕎麦は白いいわゆる更科系の蕎麦であった。出汁は昆布で取っているようで濃厚な味であった。

食後に洋館巡り、青森銀行記念館、旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館、ミニチュア建造物群、山車展示館、弘前城、津軽藩ねぷた村、カトリック弘前教会、日本キリスト教団弘前教会を見学して一旦ホテルに戻ってチェックイン。

キャンセル待ちでツインへの変更を求めていたのが、幸いにしてOKになった。ア〜ッこれで今日はゆっくり眠れる。

17時半にホテルを出て、会場近くの焼鳥屋に入り焼鳥で一杯。ねぷた終了後に津軽三味線の演奏を聞きながら郷土料理を食べようというつもりである。ガイドブックには演奏時刻は19:30からと21:30からの2回と書いてある。会場からは徒歩3分の距離だから21時にねぷたが終了してすぐに向かっても十分に演奏時間には間に合うと考えて予約に行ったら・・・。

ところが、郷土料理屋がねぷたの日だというのに融通が利かないのだ。ねぷたの終了時刻が21時なのに20時までに店に入って欲しいと言うのである。

今回の旅の目的はねぷたであって津軽三味線ではないし、津軽三味線なら弘前でなくても青森でも聞けると思ったので止めることにした。

さて、弘前のねぷたである。運行コースは日替わりで変わるとのこと。事前には知らなかったのだが、この日はホテルのそばの土手町コースだというからラッキー!であった。駅前のコースだったなら、ホテルからはかなり離れているからだ。

桟敷席の一番前に陣取って見ることができた。ここのまつりの時間帯も19時〜21時までである。

この日は約半分程度の40数台のねぷたが運行した。最初は、な〜んだ、たったの半分だけか!と思ったのだが、意外にも途中で飽きてしまったのである。

竿灯のような動きがなくて、高さ9mほどの扇形のねぷたを引いて、「ヤーヤードー」と声を掛け合いながら歩くだけ、桟敷席の前ではそのねぷたをグルグル回したりはするのだが、描かれている絵も全部似た様な感じだし、曳き手もどこかダラケタ感じがする。

途中に青森のねぶたの様な人形型のねぷたもあるが数は少ない。

面白かったのは、私たちが座っていた桟敷席の7mほど先が交差点で、ここの交差点には電線が横に張られている。高さ9mでは電線に引っ掛かってしまうから、油圧式なのだろう、ねぷたが電動で下にグ〜ンと下がるのである。かと思えば、上部を前方に折りたたんでしまうものもあって、電線対策の差が愉快であった。

しかし、おまつりは、山車を見せるだけよりも、もっと躍動感があった方が盛り上がる。前日の秋田の竿灯は技の競い合いみたいな盛り上がり方であったが、弘前のねぷたは行列と云う感じであった。

21時に終了したので、ホテルに戻って大浴場に入る。足を伸ばして入れるお風呂はありがたい。普段はゴルフ以外はほとんど歩かないから、旅に出るとやたらと歩き回るので足がパンパンである。

このドーミーインホテルは夜食に夜泣きソバの無料サービスがあるのでこれで腹を満たしてから寝ることにした。

どうも旅に出ると、朝、昼、夕の三食以外にも途中で名物のお菓子やアイスクリームなどを食べてしまうし、こうやって夜食まで食べてしまう。おまけに昼からビールを飲むので肥ってしまいそうだ。お風呂場の体重計に乗るのは恐いから止めにした。


■2013-08-05-Monday 東北まつり行脚3

5日は青森市の「ねぶた」である。

青森の新町商店街でまちづくりに尽力している加藤博さんは、いまや全国区でも、まちづくり事業の有名人だ。

私と加藤さんとのお付き合いは、北の屋台を始めた2001年からだから、もう13年にもなる。加藤さんからは、ホテルも観覧席も用意するからぜひ青森のねぶたを見てもらいたいとず〜っと言われ続けていたのだが、なかなか実行できないでいた。今年になって思い切って行くことにした。行ける時には多少無理してでも行っておかないと、後から時間が出来てからノンビリ行こうなんて考えていると、行けなくなってしまうのが常である。

弘前から青森へはJRの便が悪い。昨日、秋田から弘前に行く時に乗ったつがる1号に再び乗って青森に向かうぐらいしかないのだ。

当初、1ヶ月前の切符販売日には、このつがる1号の弘前ー青森間は指定席が取れなかったのである。前日なら始発の秋田駅から弘前なら自由席でもOKだろうが、5日の弘前からは途中駅だから自由席は満杯だろうし、困ったなぁ〜と思っていたら、こちらもキャンセル待ちが上手く取得できたのであった。やはり普段からの心掛けが良いからだろう。

8分遅れで青森駅に到着したら、改札口で加藤さんが出迎えてくれた。超が付くほど忙しいのに有り難いことだ。

新町商店街の中にあって、以前にも青森で講演した時に宿泊したことのあるハイパーホテルパサージュに行く。ここもツインの部屋に変更してくれていたので助かった。

弘前のホテルを出る前に見たテレビの天気予報では、今日の青森は雨の予報で、雷注意報も出ている。しかし、私は「晴れ男」である。私が秋田入りした3日に東北の梅雨が明けたほどなのだ。雨が降る筈がない。

ホテルの横にある加藤さんがプロデュースしているパサージュ広場で青森商工会議所の西秀記副会頭と合流して4人で、駅前の複合施設アウガ地下の「りんご箱」という店に行き、津軽三味線・ねぶたのお囃子の演奏を聞きながら海産物のどんぶりを食べる。超忙しい2人が昼食までお付き合いしてくれて、しかもご馳走までしてもらったので恐縮してしまった。仲間というのは嬉しいものだ。

そこで加藤さん西さんの2人とは分かれて、私たち夫婦は市内観光に向かう。まずは港側にある14階建てで三角形をした建物、青森県観光物産館アスパムである。1階では青森県の特産品が販売されているし、2階では360度のパノラマ映像で観光用の映画が見られるし、13階にはこれまた市内を360度見られる展望台がある。時間もタップリあることだし、これらすべてをジックリと見たのであった。

1階の港側の外にはテントがあって、ねぶたが数台並んでいる。本番でジックリ見れば良いのだが、昼食時に加藤さんから、天気予報が雨だとねぶたにビニールを掛けて回るかもしれないと聞かされていたので、昼間の明かりが点く前のねぶたを見るのも良いかなと思って写真を取った。

弘前の扇形のねぷたとはまた趣向が異なり、人形の形が立体的で横にデカイ青森のねぶたは真近で見ると迫力がある。

ここで写真を撮っていたらカメラの電池の残量がいよいよ気になった。充電器を持って来るのを忘れてしまったのである。

秋田の竿灯も、弘前のねぷたも夜の撮影だからフラッシュを使うので電池の消耗が激しいのだ。

肝心の青森のねぶたを撮れなければお話にもならない。私としては実に抜かったことである。アスパムに来る途中に寄った街の小さな電器屋さんには売っていなかったから、郊外型の大きな電器屋にでも行って探さなければならないと思ってアスパムのガイドさんに「大きな電器屋は近くにありませんか?カメラの充電器が欲しいのですが・・・」と尋ねたら、「電器屋はどこも結構遠いですよ。ここにカメラ屋のテントの出店がありますから、そこに行ってみてはどうですか?」と云う。

でも、まさか臨時の出店に充電器なんぞ置いてあるわきゃぁないと全く期待していなかったのだが・・・。

何とそこには中国製のマルチ充電器という製品が1000円で売られていたのである。私のカメラの電池にも対応可能だと云う。何とラッキーなのでしょう。やはり普段からの行ないが良いせいだろう。

電池の心配が無くなったので、その後は写真も撮り放題である。デジタルカメラはバシャバシャたくさん撮っても、フィルムの残り枚数を気にする必要もないし、現像代も掛からないし、トリミングも出来るしと便利な事この上なしである。

この後は懐かしの青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に行く。青函連絡船は高校2年生の修学旅行の時に乗ったのが最初で最後であった。そこに高校の同級生の妻と一緒に行くのだから当然、話は修学旅行の話になるはずだが、両者とも記憶が曖昧であったのだった。

その後、A-FACTORYに行ってお土産を買い。ねぶたの家ワ・ラッセの前の屋台を抜けて一旦ホテルに戻り、カメラの充電器をセットした。

17時にホテルを出て、加藤さん推薦の超高級喫茶店チャンドラに入る。なんでも調度品から食器まで超一流のものを使っているとのこと、ピアノの弾き語りまである。ここでビール&ピザなど軽めに腹を満たして時間をつぶす。観覧用に用意してくれた席はこの喫茶店の近くの洋食器店の前で最前列に配置してくれたとのことだから始まる時間ギリギリに行けば良い。

桟敷席は有料だが、商店街の店の前は事前に席数を報告すれば無料で確保できるのだそうである。この場所も交差点のすぐ前なので、ねぶたが停まり易くて沿道の観客にねぶたを向けてくれるパフォーマンスが多く行われる絶好の場所である。

雨も何とかもちそうな感じである。

19:10に花火が上がってスタート。最初のねぶたが曲がり角を曲がって登場したが・・・。

残念なことにビニールで覆ってあるではないか。

ねぶたは和紙で作られているから雨が大敵だそうだ。ねぶたは毎年、まつりが終了したら全部壊してしまうそうだから、雨でもそのままやれば良いのにと思ったが、明日6日にもあるし、賞を取ったねぶたは船に乗せて海上運行するそうだから、今日の時点で雨でダメにする訳にはいかないのだと言う。結局、雨は5分間ほどパラついた程度でしかなかったのだが、ビニールを掛けずに運行したのは、自衛隊ともう一基だけであった。

自衛隊はきっとかなり正確な気象情報を持っているから、雨が降らないことを確信していたのではないだろうか。

晴れ男の坂もっちゃんが居るんだから大丈夫なのに・・・。

青森のねぶたは躍動感があって良い。「跳人(ハネト)」と呼ばれる人達が、「ラッセ、ラッセ、ラッセラー・ラッセラー」と掛け声を掛けながら、文字通り跳ね回って踊る。身体に付けた鈴がシャンシャンとリズムよく鳴るが、跳ね回るものだから外れるのだ。それを拾うと幸運が訪れると聞いたものだから、目の前に鈴が飛んできたら慌てて拾い上げ3個取得した。

私達の隣に座った人は地元の人なのだろう。ねぶたを運行している責任者の人達と皆、顔見知りのようで、我々の目の前でねぶたが立ち止まって正面を向けてくれるパフォーマンスをしてくれるのだから、実に良い場所に座ったものだ。目の前に正面が来ると迫力が倍増する。ビニールが余計だったが、これがなかったらもっとスゴイ迫力であったことだろう。

まつりは能動的な方が良い。私は徳島の阿波踊りにも参加して踊った経験があるが、踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損。と云うのはまさしくその通りで、今度は是非ともハネトとして参加してみたいと思った。

21時に終了した後、青森の屋台村さんふり横丁を見に行ったら・・・。何とねぶた期間中だというのに営業している店は3分の一ほど、後の店は入居者募集の張り紙がしてあった。実に寂しい光景である。

ここの屋台村は私が指導したわけではないが、北の屋台を真似て始めた屋台村の内の一ヶ所でもある。立地条件があまりにも悪過ぎるなぁと感じた。

屋台村で飲むのを止めて、歩いてホテルまで戻り、パサージュ広場の焼肉屋さんで飲食することにした。加藤さんにお礼の電話を入れたらなんと目の前に居たので、一緒に焼肉をつまみながらまちづくりの話をして盛り上がったのだった。


■2013-08-06-Tuesday 東北まつり行脚4

6日、旅の最終日である。

帰りの青森ー新千歳間の飛行機の時間の選択肢は、JALの時刻表では青森空港発12:45−13:30新千歳空港着か、その後は20:25−21:10しかない。

昼の便で帰ったら、青森の観光は出来ないし、夜の便で帰ったら帯広の繋がる列車に間に合わないという実に中途半端な時間なのである。

このまま帰ったら「淡泊4日の旅」で終わってしまうところだから、観光がしたいと言うので、新千歳空港でもう一泊することにして夜の便で帰ることにした。こうなると逆に時間はタップリとある。

事前には観光の計画をまるで立てていない。行き当たりバッ旅というやつである。観光案内所に電話して、けっきょく貸し切りタクシーで回るのがベストだろうという結論に達した。値段も交渉した結果、かなり安く対応してくれたのであった。

ホテルをチェックアウトぎりぎりの11時に出てスタート。まずは、五所川原の「立ねぶたの館」に向かう。

五所川原の立ねぶたは高さが23mで重さも17tもあると云う。最初に立てた計画では五所川原は入っていなかったのだが、行く先々で、秋田の竿灯、弘前のねぷた、青森のねぶたの3ヶ所を見て、五所川原の立ねぶたを見ないのか?と言われたのである。でもそれほど気にも留めていなかったのだが、ホテルのテレビのニュースで五所川原の立ねぶたの姿を見たらぜひとも見てみたくなったのである。

高さ23mといえばビルの5〜6階くらいの高さに相当する。そんな巨大な立ねぶたならぜひテレビ画面を通してではなく実物を見たくなったのである。

「立ねぶたの館」はこの立ねぶたを仕舞って置く倉庫でもあり、展示場でもある。五所川原の立ねぶたは青森のねぶたと違って毎年壊してしまうわけではなく保存しておくのだそうだ。

雨風から立ねぶたを守り、次の年にまた使うまでの間、ただ倉庫に仕舞って置くよりも、それを観光客に見せるようにしようという一石二鳥の施設なわけだ。

立ねぶたはビルの5〜6階建の高さがあるのだから、足場を組んで作った仮のテントではとても1年なんてモタナイだろう。しっかりとした建物でも6階くらいの高さのビルでなきゃとても収まらない。でも五所川原にはビルが無い。ビルがあったとしても立ねぶたを収める空間がない。ならビルを建てちゃおう!観光客から金を取れる施設を兼ねたビルを!

で、もって高さ38m地上6階建てのビルを建てちゃった。これを考えた人はあったま良い〜なぁ〜。素晴らしい!

この後、金木に行って太宰治記念館「斜陽館」に行く。太宰治は私が最初に感銘を受けた作家である。高1の時に太宰の「人間失格」を読んで衝撃を受けた時のことは忘れられない。

太宰の実家の津島家はこの辺りの大地主で、1907年に建てられたという和洋折衷の大豪邸は見ごたえがあった。

芦野公園の太宰治の銅像を見に行ったが、車では銅像の前まで行くことができない。桜のトンネル状の並木が続くところを200mほど行った先に太宰の銅像があった。斜陽館には観光客が一杯だったが、ここには私たちしかいない。歩くのが嫌なのかなぁ〜。ここに桜のシーズンに訪れたらきっと素晴らしい景色だろうなぁ〜。

ここから青森市内に戻って、棟方志功記念館に行く。思っていたよりも小さくて展示作品も少なくて一寸ガッカリ。

次は、三内丸山遺跡である。以前に青森を訪れた時にも見たいと思っていたのだが冬で見られずにいたのだった。市民ボランティアによる無料解説のツアーに参加したのだが、とても良かった。時間があったらもっと見ていたかったほどだ。想像力をかきたてられる施設である。古代のことをあれこれ想像してみることが大好きだから私にはピッタリの場所であった。

まだ発掘作業の途中であるから、今後もきっと何かしらの面白い発見が出てくるのではないだろうか。

この後、すぐ隣にある県立美術館に行く。白い近代的な箱型の建物である。入ってすぐにシャガールの超巨大な舞台背景画が3つぶら下がっているが、その展示室は体育館並みの高さと空間の広さである。あまりの広さに圧倒された。その後は青森ゆかりの現代抽象画が続くが、私は抽象画はサッパリ理解できない。絵を見て歩いている内に空間がゆがんでいるような錯覚に襲われた。真っ直ぐに歩けなくなったのである。私の感覚が混乱を起こしてしまったかのようである。な〜んとなく気持ちが悪くなってきた。唯一写真撮影が出来る巨大な「あおもり犬」という犬のオブジェがある。美術館の中からガラス越しに見えるのだが、写真を撮りに行こうとするとそのガラスからは外に出られない。見に行くのには一旦外に出て、階段を昇ったり、降りたりさせられるのだ。きっと作者や美術館にはこだわりがあるのだろうが・・・。

何だか、不思議な感覚になった美術館であった。ちょうど閉館の18時になった。もう他には見るところもないし、あったとしても閉館時間であるから、少々早目だが、青森空港に行くことにした。

青森空港でタクシーを降りた途端に雨がザーザーと降って来た。晴れ男が去ろうとするだけでもう雨になる。

空港のカウンターでは千歳方面が濃霧の為、降りられない場合は引き返すか羽田空港に降りることを了承して欲しいという。

私はこれまでに百数十回飛行機に乗っているが、目的地に遅れて着くことはあっても別の場所に降ろされたことはない。晴れ男の私が乗っていれば飛行機も着陸できるのである。全然、心配することもなく乗っていたら無事に新千歳空港に着陸したのであった。

まだ、晴れ男の御利益は利いているようだ。


■2013-08-07-Wednesday 東北まつり行脚5

6日の21:30に

新千歳空港に到着したが、この時間帯だと帯広に向かう列車には間に合わない。翌日は早い列車で帯広に戻って普段通りに仕事をしなければならないから、新千歳空港内にできた新しい温泉施設の「万葉の湯」に泊ることにした。

ここは、新千歳空港ターミナルビルの4階にあり、向かい側には映画館もある。飛行機接続の待ち時間が長い場合やアクシデントで飛ばなくなったりした時に温泉に入って時間をつぶしたり、マッサージを受けたりすることも出来るし、リラックスルームで漫画を読んだり仮眠したりも出来る施設だ。この中に10部屋宿泊できる部屋があるというので、そこに泊ってみることにした。朝食付きで一人5千円というリーズナブルな値段である。

千歳だから観光する必要もないし、後はノンビリと温泉に入ってユックリと眠るだけである。

帯広で予約を入れた段階では、ここもダブルの部屋しか開いていないとのことだったが、キャンセル待ちでツインに変えましたとのこと。まだラッキーは続いているようだ。

温泉もそんなに混んではいない。きっと宿泊以外の、温泉に入るだけの客もいるだろうから・・・。

温泉は、サウナ、ミストサウナ、水風呂、大浴槽、ジェット風呂、露天風呂と種類も多い。まだ新しい施設だから綺麗でもある。足を伸ばして浴槽に入れるのは疲れが取れるし、第一気分が良い。サウナで汗を流すのも旅の疲れを取るには最高だ。

風呂上がりに食堂に行ってみたら、一般メニューは終了していて夜食メニューしかなかったので、私は焼酎の水割りを2杯、妻は生ビールを飲んで今回の旅の話をしながらユッタリとした時間を過ごした。

翌朝は5時に起きて、またお風呂に入りスッキリしてから、バイキングスタイルの朝食を取る。宿泊代に含まれているから無料とのこと、結構食べるもの美味しくて種類もあったから満足したのであった。

07:27の列車で帯広に向かい09:21に到着し、自宅で着替えてから会社に向かう。

今回の東北まつり巡りは実に面白かった。

それぞのまつりに特徴がある。

ねぷたもねぶたも、お囃子の拍子も違うし、掛け声も異なる。凱旋、豊穣など起源も異なるそうだ。日程が集中してるから、今回の私たち夫婦のように順番に回って見る観光客も大勢いるようだ。

どこも3.11の後は観客も減ったというが、昨年からは増えてきているという。やはり、地元を応援するには義援金や寄付金でというよりも、実際に現地に行ってお金を落とすほうが、現地でお金が回るのだから、よっぽど現地の経済を潤すことにつながるだろうと思う。

本来のお金の使い方は、こういう方向が望ましいのではなかろうか。

いそがしいこの時期に無理に時間を作って行って来たが、無理しただけの価値は十分にあった旅であった。


■2013-08-08-Thursday 高校野球

高校野球の甲子園大会が

今日から始まった。

私は昔は野球がやるのも見るのも大好きであったが、見る方は最初に長嶋茂雄が巨人の監督を辞めさせられた時から、大の巨人ファンがアンチ巨人に180度変わり、テレビのナイター放送も何だか急激に見る気が失せてしまい徐々に野球は見なくなっていった。

プロ野球は堕落した!と感じたのである。

それではと、清々しい(と感じていた)高校野球に切り替えたのだが・・・。

段々と高校野球のオカシサが気になりだしてきた。第一にピッチャーの連投である。一人のピッチャーに150球以上も投げさせて、しかも次の日にもまた150球以上も投げさせるなんて・・・。

アメリカのメジャーでさえ100球を限度としているのにだ。考えられないだろう。

こんな無茶な投球をさせたら肩を壊してしまう。

まだ18歳未満の青年の肩を酷使させて、壊してしまったら、その後の人生を狂わせてしまうかもしれない状況を、主催者の朝日新聞も書かないし、放送しているNHKも言わないし、野球連盟も何も言わない。

大人が儲け仕事でやってるだけだ。偽善である。

そう感じたから近年は高校野球も見なくなったが・・・。

今年は北北海道地区の代表校に帯広大谷高校がなった。

その大谷高校の杉浦キャプテンが選手宣誓をするという。

どんな宣誓をやるのか、見てみたくなったので、今までは退屈なだけの開会式なんぞ見たこともなかったが、テレビの前に座ったのであった。

並んでいる時から緊張している様子が分かったが、立派な選手宣誓であった。

選手宣誓をくじで引きで決まる。一生の思い出になる選手宣誓を引き当てたということは、かなりの強運の持ち主とみた。

北海道勢の試合ぐらいは見てみようと思うが、その他の試合には興味がない。どうせ優勝するのは全国各地から野球の上手い子供を集めた高校だろうからだ。

あまり、高校野球を美化し過ぎるのも考えモノである。


■2013-08-09-Friday 勝毎寄稿

2013年8月8日十勝毎日新聞掲載

「大道芸の見(味)方」

さァてお立ち会い。ご用と急ぎのない人は、しばらく私の話を聞いてもらいたい。ただ今より、北の大地de大道芸フェスティバルの始まり、始まり〜。

すっかり夏の風物詩となった大道芸も今年で12年目(北の大地de大道芸フェスティバルとしては10年目)。2002年にたった一組の芸人(ファニーボーンズ)からスタートした催しだが、芸人がこれはと思う芸人に声を掛けて誘う珍しいスタイルで出演者を決めていくうちに、少人数ながらも超一流のパフォーマーがそろう大道芸フェスティバルにまで成長した。つまり、一流の芸人が一流と認めた芸人だけに声を掛けるため、自然と芸の質が高くなる仕掛けである。

今年の参加者は9組。中国雑技の達人から、コメディ、パントマイム、ジャグリング、音楽、ペインティングなど多彩な芸達者がそろった。初登場が4組いるから新鮮さもたっぷり。

大道芸は芸人と観客が一体となってつくりだす路上のエンターテインメントなので、観客もただ見るだけではなく、一緒に場を盛り上げるノリが楽しく見るためのカギ。  

芸人から「お手伝いを!」と頼まれたり、芸の途中でいじられたりした時は恥ずかしがらずに気持ち良く対応しよう。演技に参加すると別な楽しみ方もできる。芸人と親しくなるチャンスのあるボランティアも募集しているので、お手伝いしたい人は十勝毎日新聞社事業局(0155-22-7555)に連絡を。

大道芸には劇場(ハコ)が無い。いわば路上の空間全てが劇場だから、入場料は掛らないが「投げ銭(なげせん)」という習わしがある。演技が終わってから観客がお金を払うことだが、出すも、出さないも、金額の多寡も観客の自由。すごい芸だと感心したら財布丸ごと出すのもありだし、つまらないと思ったら払わずに立ち去るのもありなのだが、なるべく多く入れてやってほしい。

演技終了後には、芸人が帽子などを持って立っている。その際、「投げ銭」だからと本当に投げるのはとても失礼な行為で、きちんと帽子に入れに行ってほしい。

大道芸人はギャラが存在しないので、「投げ銭」が収入。だから、この投げ銭集めも芸の一つになる。投げ銭集めが下手だと、いくら芸が良くても生活が苦しい。大道芸人というのは音響係から集金係まで何でもかんでも兼務しているパフォーマーなのである。

帯広では路上でのパフォーマンスが、平原まつりの時以外は基本的に禁止されているため、この機会に大道芸を楽しんでもらいたい。

最終日には出演者全員が登場するファイナルステージも用意しているので、そちらもぜひお楽しみに。


■2013-08-10-Saturday 不愉快

9日のブログに掲載したのは

8月8日の勝毎に掲載された私の寄稿文だが、不愉快なことが2点あった。まずは私の名前を間違えて「利昭」としてあることだ。昨日今日の付き合いじゃあるまいし、「論壇」欄の執筆者としても何度も登場してる私の名前を間違えるなんて・・・。

2点目は筆者である私の承諾なしに勝手に文章を変えていることだ。

常用漢字以外の漢字を使用して直されることはよくあることだ。これは新聞には使えない漢字だから仕方がない。どうしてもその漢字を使用したい場合はルビを入れてもらって使う場合もあるが、それも相談の範疇である。

私がわざわざ香具師の口調を真似て書いているのに、それを平易な文章に勝手に直すというのはイタダケナイ。

作者の意図をまるで理解していないからだ。

字数が合わなくて収まらないというなら、私が書き直せば良いことである。連絡も無しに勝手に直してもらっては困る。

以下に私が送った原稿をそのまま載せる。

私が書きたかった意図が分かるはずだ。

「大道芸の見(味)方」

さァてお立ち会い。ご用とお急ぎのない方は、しばらく私の話を聞いてもらいたい。ただいまよりは北の大地de大道芸フェスティバルの始まり、始まり〜。

すっかり夏の風物詩となった大道芸も今年で12年目(実行委員会組織になってからは10年目)になる。2002年にたった一組の芸人(現:ファニーボーンズ)からスタートした帯広の大道芸も、手作りの運営が家族的で楽しいと、核になる芸人が、これはと思う芸人に声を掛けて誘うという珍しいスタイルで出演者を決めているから、少人数ながらも超一流のパフォーマーが揃う大道芸フェスティバルとして知る人ぞ知る(知らない人は知らないが・・・)フェスティバルへと成長した。つまり、一流の芸人が、一流と認めた芸人にだけに声を掛けて招聘しているから、自然と芸の質が高くなる仕掛けである。

今年の参加者は9組。中国雑技の達人から、コメディ、パントマイム、ジャグリングに音楽にペインティングなど多彩な超一流の芸達者が揃った。帯広初登場が4組いるから新鮮さもタップリ。

大道芸は芸人と観客が一体となって作りだす路上のエンターテインメントである。観客もただ見るだけではなく、一緒になって場を盛り上げるノリが楽しく大道芸を見るカギだ。  

芸人から「お手伝いを!」と頼まれたり、芸の途中で「イジラレタリ」した時は恥ずかしがらずに気持ち良く対応しよう。演技に参加すると別な楽しみ方もできる。また、芸人と親しくなるチャンスもあるボランティアも募集しているので、手伝いたいという方は勝毎事業部まで連絡してほしい。

大道芸には劇場(ハコ)が無い。いわば路上の空間すべてが劇場だから入場料は掛らないが「投げ銭(なげせん)」という習わしがある。演技が終わってから、観客がお金を払うことを言うが、出すも、出さないも、金額の多寡も観客の自由である。スゴイ芸だと感心したら財布丸ごと出すのもアリだし、つまらないと思ったら払わずに立ち去るのもアリなのだが・・・、でも、なるべく多く入れてやって欲しいなぁ。

演技終了後に芸人が帽子などを持って立つ。その際、「投げ銭」だからと本当に投げるのはとても失礼な行為、キチンと帽子に入れに行ってほしい。

大道芸人はギャラがないから原則「投げ銭」が収入のすべて、だから、この投げ銭集めも芸の一つ。投げ銭集めが下手だと、いくら芸が素晴らしくても生活が苦しい。大道芸人というのは音響係から集金係まで何でもかんでも兼務しているパフォーマーなのである。

帯広では路上でのパフォーマンスは、「平原まつり」のとき以外には基本的に禁止されているから、ぜひ、この少ない機会に大道芸を楽しんでもらいたい。

最終日には出演者全員が登場するファイナルステージも用意しているので、そちらもぜひお楽しみに。


■2013-08-11-Sunday いろいろ

甲子園で帯広大谷が

善戦虚しく負けてしまった。

7回を終了時点では2対1で勝っていたからひょっとするとと思ったのだが、8回に3点入れられて2対4になってしまった。

最終9回にホームランで1点差に詰め寄ったが残念ながら反撃もここまでであった。

しかし、一時期だけでも勝っていたのだから実に惜しかった良い試合であったと思う。

武蔵大学の高橋徳行教授が10日に来勝した。今回は北海道の実家に寄ったついでに帯広まで足を伸ばし、久し振りに北の屋台を見てみたいとのことで、私のメールに一緒に飲みましょうとのお誘いがあったのである。

高橋教授は経済学部の教授で北の屋台のビジネスモデルを研究していて本まで出版されている。

私が辞めた後の北の屋台を見てみたいのだという。教授からは、私が考案した北の屋台のビジネスモデルは素晴らしいと最高の評価を受けているのだ。私が正式に北の屋台を辞めたのは07年3月末のことだから、もうかれこれ6年以上もの年月が過ぎたわけだが、ビジネスモデルが完璧なら、考案した私が現場に居なくても、運営システムは上手く機能しているはずだというのである。

システムは管理する人間がよっぽどの愚か者でもなければ、運営に支障をきたすようなことはないであろうともいう。

まずは、北の屋台の卒業生の「らくれっと」に行く。屋台を卒業した人の店がどのような営業スタイルでやっているのかを見てみたいとのことである。らくれっとも繁盛していて満足されたようだ。1時間半ほど居て結構お腹も一杯になったが、この後は北の屋台の現状を見たいという。夏の暑い盛りは、屋外で飲む屋台は繁盛している。各屋台が通路にまでテーブルを広げていて、まっすぐは歩けないほどだ。

まずは3期目から入居して仕事を始めた店が見たいとのことなので「綾乃」に入る。40分間ほど居て客の会話を聞いていた。この時期は観光客が多い。初めて北の屋台に来たという若いカップルが3組居た。今年のこの時期の帯広は何故だか観光客が多い。何かの大会でもあるのだろうかと聞いてみたら、どうやらサッカーの試合があるようである。

次に以前にも入ったことのあるという「串のやっさん」に入る。今は25歳の娘さんと二人でやっている。ここにも若いカップルが3組入っている。男同士2人で居る客は私たちくらいだ。やはり、サラリーマンが会社帰りに一杯引っ掛けていくという従前の屋台とは客層が異なる。

教授は、さすが坂本さんが作ったビジネスモデルは素晴らしいと感心してくれたのだった。ただ1点、教授が呆れていたのは、クレジットカードの導入であった。どこの屋台店主も望んではいない様子であるし、日銭商売の屋台で売掛をするなんてバカなことをすると呆れていた。完璧なビジネスモデルも、こういうコンセプトを破壊するようなことをやっていると客が離れていく危険性があるし、店主達のことを考えていないと指摘されていた。私もまったく同感である。

2人で結構な量の酒を飲んだので、さすがに酔っ払ったし時間も23時になったのでホテルに送った。

久し振りの北の屋台であったが、混んでいたし、比較する為に通った十勝乃長屋とはまた雰囲気が異なっている。やはり、長屋形式で1軒ずつ囲ってしまうよりも、屋台形式のオープンの方が隣の店の客も見えるから賑わいが演出し易いと感じた。

北の屋台と云えば、私のところに某雑誌社から電話取材が入った。

どうも北の屋台のスキャンダルを追っているようだ。

私にしてみれば、いまさら驚くほどの内容ではない。以前からこのブログで指摘しているようなことばかりだからだが・・・。

私は自分の名前を冠に付けたこのブログで、堂々と北の屋台の問題点を指摘しているが、雑誌社には匿名の投書が届いたようなのである。

どうせ告発するなら正面から堂々と名乗ってやった方が効果があると思うのだが・・・。第一、匿名の投書なんてものは、普通は取り上げられないものだからだ。

しかし、実際に記者が動いたということは、よっぽど、その雑誌好みの話題だったのだろう。

雑誌にスキャンダルが載ることは決して好ましいことではないが、キッカケがなんであれ、この際、北の屋台は膿を出し切って、正常化することが必要だろう。


■2013-08-12-Monday 貴重な資料が

私のマジックの師匠である

故ジミー忍師の奥さまのマコママから、段ボールが4箱届いた。

どれもやたらと重たい。書籍類は全て送ってもらったはずなのにと思って中を開けて見たら・・・。

「SHOW in JAPAN ショウ イン ジャパン」という芸能人紹介の総合誌であった。

1969年昭和44年の7・8月号からズラ〜ッと揃っている。その一番古い号(第二巻第4号)を見ると、「会報」となっていて「購読会員制非売品」と書いてあるから、芸能関係者が購入していた本なのであろう。私もこれまで古本屋でも見たことがなかった本である。

その本の1ページ目全部に「島田晴夫&ディアナ」さんが載っている。「日本を3年程、留守にした島田晴夫が美しい夫人を連れて帰国しました。マネージメントは新日本芸能までどうぞ!」とのうたい文句である。

島田さんもまだ若々しい姿だ。

師匠のジミー忍師も何故だか「ジミー&シノブ」男女のペアとして載っている。遠山プロダクションという事務所に所属していたようだ。

当時の宣伝用の写真にはマコママも一緒に写っているから、それでどうも「ジミー忍」という名前を「ジミー」と「シノブ」という男女二人のペアの名称と勘違いしたようである。と思って早速マコママに電話して聞いてみたら「あんまり良くは憶えていないけど、芸名の付け方っていい加減なところがあって、当時のプロダクションの社長がジミーとシノブで2人分の名前で良いじゃないか」ということらしい。本人達もいちいち直すのも面倒臭いから、そのままでしばらくはやっていたそうだ。だから最初は先生がジミーでマコママがシノブだったことがあるそうである。ジミー先生の顔にはまだ髭が無いのも面白い。

その他にも大勢のマジシャンが出てくる。

この他に、歌手、落語家、漫才師、ボードビリアン、ストリッパー、アクロバット、ジャグラー、女子&小人プロレス、外人芸能人などが写真付きで出ているから、見ていて飽きない。整理しながらついついじっくり見てしまって作業がはかどらないこと。

きっと、当時は全盛だったキャバレーの関係者がこの本を見て、出演者を決めていったのかもしれない。

最初は370頁ほどの厚めの本であるが、芸能人の人数が増えていったのだろう。厚くなり過ぎて1冊には収まりきらなくなったのか1972年新年号(第21巻)からは「バラエティ」部門と「音楽」部門の2冊のペアになったようだ。

40年前の芸能界を裏側から見ているようで何とも楽しくて貴重な資料が届いたものである。


■2013-08-13-Tuesday 大道芸

明日(14日)から

おびひろ平原まつりが開催されるが、その中で「北の大地de大道芸フェスティバル」も一緒に開催する。

芸人さん達が前日の13日に帯広入りするが、今年は勝毎事業局に依頼して花火大会の招待券を人数分用意してもらった。

芸人さん達は、これまで、坂本ビルの屋上から眺めたことはあったのだが、会場に行って真近で見たことはなかった。

芸人さん達は、それぞれバラバラに帯広入りしてくるから、坂本ビル4階に設置した芸人控室に、チケットやら地図などをプリントして置いておいたのである。

芸人さんの中には、昨日カナダから帰国した人達も居る。

皆、国際的に活躍する芸人達ばかりである。嬉しいことだ。

時差ボケがヒドイからホテルで寝ていたいと言う人も居たが、ほとんどの芸人さんが花火大会を見学に行った。

今年は、雨は降らなかったが、曇っていて、雲が低く、花火が雲の中で開くので、晴れた夜に見るようなシャープさがなかったのが少々残念であったが、それでも、こんなに近くで花火を見た事がないと喜んでくれたのだった。

花火大会が終了した後の21:30から、帯広市内の居酒屋「りょうま」に席を設けて前夜祭を行なった。

例年、芸人さん達を、十勝の美味いものでご接待するのである。

帯広くんだりまで、来てくれるのだから、せめて美味いものでも食べてもらって帯広を好きになってもらおうという作戦である。

今年はカニで接待することにした。

たらば蟹、花咲蟹、毛蟹の北海道三大蟹である。

今年は、帯広初登場の芸人さんも4組いるし、芸人さん同士で初顔合わせの人達もいる。こんな遠くの帯広で、芸人さん達が初顔合わせというのも何だか不思議な感じがする。

それぞれ自己紹介をしながら、大いに食べ、そして飲み、明日からの大道芸に全力を尽くしてもらうことをお願いして楽しい前夜祭が終了した。

明日からの大道芸が楽しみである。


■2013-08-14-Wednesday 月刊誌

今日は平原まつりにつて

書こうかと思っていたら・・・。

道新の朝刊に、月刊誌「クオリティ」の広告が載っていたが、その中に「帯広北の屋台・・・」の文字が目に入ってきた。

早速、出勤前に駅のキオスクに行ってみたが売り切れ、駅の本屋に行っても売り切れ、7・11に行っても売り切れである。

こうなると、何としても見てみたくなるのが人情ってものだ。9時開店の宮脇書店に行って何とか手に入れることができたのであった。

読んでみると、私にとってはさほど驚くほどの内容ではないが・・・。

以前のこのブログに、私のところにも電話取材が入ったことを書いたが、私のブログの愛読者なら、宣告ご承知の事ばかりである。

しかし、北の屋台のスキャンダルが月刊誌に掲載されたことは影響が大きいだろう。私のブログの愛読者数よりは、クオリティの読者数の方が多いであろうから・・・。

クオリティでは、K専務のことをA氏と表記していたが、彼の金銭にまつわる悪評なら、おそらく誌面に書ききれないほどの量が取材で集まったであろうことは想像に難くない。しかし、さほど目新しい事は書いてなかった。昔から知っていることばかりである。

だが、組合の対応の拙さばかりがすごく目についた。

危機管理が十分でない。嘘をついたり誤魔化してしまうと、後から問題がもっと大きくなってしまうからだ。

取材で聞かれたことに対しては、知らないことはハッキリ知らないと言えばよいのだし、実際に見聞したことは消極的であっても正直に話した方がよいのである。ノーコメントというのはあまり優れた対応とは言えないし、ましてや下手に嘘でもついたら今度は、その嘘の上塗りの為の嘘をつかなければならなくなる。そうなると矛盾がドンドン噴き出してしまうことになる。

更には改竄した決算書を出版社に提出したというのだから呆れてしまう。それこそ決算書を出版社に提出する義務なんてないだろうに・・・。

同じ提出するなら本物を提出すればよいのに、改竄したものを提出するなんて最悪の対応だろう。改竄はやってはいけない。

K専務個人の金銭スキャンダルは昔から公然の事実であるのだから北の屋台にとっては何の問題もないであろうに、H理事長は「そんな事実はない」と言ったという。K専務をかばったのだろうが、今度は嘘をついたH理事長が悪者にされてしまう。愚かしい対応である。

むしろ、北の屋台にとって一番大きな問題は、賃料の過払い問題の件であろう。

これは単にK専務だけの問題では終わらないのではないだろうか。私のところに電話をくれた人は「流用もしくは詐欺事件にまで発展するかもしれない」と言っていた。

販促費が一軒から2万円ずつ集めるなら20軒×12ヶ月で500万円になる。3年間なら1千5百万円だ。

ちょっと額がデカ過ぎるから、裁判なんぞになるよりは、明細書を出して、店主に取り過ぎでしたゴメンナサイと謝って、さっさと返金した方が良いと思うけど・・・。


■2013-08-15-Thursday 大道芸

14日から始まった

おびひろ平原まつりの中の一部として「北の大地de大道芸フェスティバル」を運営している。

今年は昨日、今日(14・15日)と気温は高くはないが、湿度が少し高い。その為、芸人さんたちは皆、汗をスゴクかいている!

沿道で見ているとみるみる背中が汗で濡れてくるほどだ。見ている方は、快晴時の30℃超えのような過酷さがない分、楽に見られるが・・・。

例年よりも、観客の反応が良いように感じる。

芸人を取り巻く人の輪が、例年よりも2層から3層は厚くなっているようだ。

ようやく12年目にして大道芸の魅力が伝わってきたのかと思う。

芸人が観客を引っ張り出して、いわゆる客をイジル時も、皆、素直に応じてくれるようになったし、出た人も皆、芸達者というか、物怖じしないというか、堂々としたものである。

少しずつ、大道芸の楽しみ方というのが分かってきたようで、主催者側としては嬉しいことだ。

こう云う状態になると、芸人さん達も気分を良くして、アドリブも利くようになり、相乗効果で益々場が盛り上がってくる。芸人と観客が一体となってまつり全体の雰囲気が良くなる。これが街を明るく楽しくさせるのだ。

妻の親類が来て、この大道芸を初めて見たら、面白くてハマってしまったという。来年も見にきたいというから、こういう人が一人でも増えていけば、まつりの参加人数も増えてくる。

また、珍しく、雨も降っていない。

明日のファイナルまで何とか天候も持って欲しいものである。


■2013-08-16-Friday 大道芸2

16日は3日目の最終日である。

2日間は無事に進行してきたのだが・・・。

3日目になって、やはり音の問題が出始めた。

平原まつりはいろいろな団体が関係しているし、大道芸もその中のひとつとして運営しているから、音に関しては万全の体制というのはとれないことは百も承知しているのだが・・・。

それでも、他のイベントに対しての配慮というものをお互いに持った方が良いのではないかと云う事態が今年も出てきてしまった。あれほど事前の協議をして申し合わせをしていたのに・・・。

音楽関係のイベント出演者は、どうしても音量を上げたくなるものらしい。その音の出るイベントも周囲の観客にさえ聞こえれば良いはずなのに、街区を1丁離れた場所でも、ガンガン音が響くと云うのは如何なものだろうか。スピーカーの音量を下げて欲しいと依頼しても聞き入れてもらえなかった。

大道芸は効果音を使ったパントマイムや、しゃべりながら行うものもある。セリフ等が聞こえなければ芸にならない性質のものも多いのである。

それを大音響で消されてしまえば、芸が成立しないのだ。

その辺を考慮して場所と時間の選定を行ったはずなのに・・・。

まぁ、これはまた来年度の課題である。

演技終了後に、帯広特有のファイナルショーがある。

これは、出演者全員が、帯広の一夜だけの為に考案して練習したものを見せてくれる催しである。

余所の大道芸フェスティバルには無い催しなのである。

出演者たちも皆、これが楽しそうである。

観客も、例年よりも大勢が集まった。

今年始めた新しい試みとして、全出演者が書いたサイン色紙をオークションしたら、9枚で何と17200円もの売上になった。

去年まではパンフレットを1部100円で販売していたが、今年は無料で配布した分収入が減った。しかし、このオークションで取りかえした感がある。パンフレットも無料で配ることで出演者の名前や、タイムスケジュールも覚えてもらえるので、この点は良かった。

ファイナル終了後は恒例の平和園での打ち上げである。

美味しいものが腹一杯食べられる帯広の大道芸、家族的な温かい雰囲気の運営、超一流の芸人さんしか出演しない贅沢さ、それらが一緒になって帯広の大道芸は芸人さん仲間では出演したいフェスティバルナンバーワンだそうだ。お世辞でも嬉しい。

来年は課題を克服して、更に良質の大道芸フェスティバルにしていきたいと思う。


■2013-08-17-Saturday 大道芸3

今朝(17日)は朝6:30に

起きた。大道芸人さんが早朝のバスで新千歳空港に向かうので、控室の鍵を開ける為である。

平原まつりは曜日に関係なく、14・15・16日に行うことに決まっている。今年は平日の水・木・金曜日の開催となり、まつりの翌日の後片付けが土日ということになった。これも致し方の無いところである。

例年なら勝毎事業局の担当者に控室の鍵を預けておくのだが、今年は渡していなかった。しかも土曜日は坂本ビルは休みであるから、エレベータも停めてあるので私が鍵を開けに来るしかない。

前日の打ち上げて平和園で大いに飲み、食べたので、まだ酒が抜けきっていないようである。まつり前日の13日から大道芸の対応をしているのでその疲れも出ているようだ。

年なのか、酒や疲れの抜けが遅くなっているように感じる。

芸人さんの帰京時間はマチマチなので、午前中はビルに残って仕事をしながら芸人さんが来るのを待っていた。

前日まで、私の「マジック図書館」や、まだ仕分け途中の「マジック博物館」を見学したいという芸人さんもいる。

案内するのは、嬉しいことでもある。

午後からは、日本ハムファイターズ対ソフトバンク戦を見に行くことになっている。札幌から日本ハムファンの女性の会のハマナスファイターズの方々が帯広に来ていて妻が誘われているので、私にも一緒に行って欲しいと誘われていたのである。

ところが、どうも雨がパラついているし、疲れているしで気乗りがしない。結局、私はドタキャンして家で寝ていてテレビ観戦になったのであった。

夜は、一組残ったファニーボーンズ等と一緒に反省会と来年に向けての方針を決める食事会をすることにした。

市内の焼鳥屋の「たたら」に席を用意した。

外人2人を交えて6名で楽しく食事を済ませ、今年の大道芸は終わったのであった。


■2013-08-18-Sunday まつりの後の

18日は朝からドッと疲れが出て

午前中はズ〜ッと寝ていたのだが、昼になって急に妻が映画を観に行こうと言い出した。「少年H」が観たいのだという。寝てばかりいてもしょうがないから、行くことにした。

あまりこの手の邦画は好きではないのだが・・・。

でも予想に反して、なかなか良い映画であった。

少年Hを演じた子役の男の子が実に良かった。最近の子役は皆スゴイなぁ〜、でも、何だかあまりに上手過ぎて怖い気もするが・・・。

映画の舞台は第二次世界大戦の前後の神戸での話であるが、妹尾河童氏の小説が原作で実話に基づいているらしい。

その当時の子供(小学生、中学生)の目線でみた。大人達の言動の矛盾や変節がうまく描かれている。

日本人一般大衆の極端な軍への迎合振りと、敗戦後のこれまた極端な変節振りは、現代にも残っている日本人の悪い癖だ。強いモノに従う、長いモノには巻かれろ!のような気質はそうそう変化するものではないのだろう。

的確な情報を持つものが、嘘を発表したら、国は方向性を誤る。情報量が格段に増えた現代では、こんな戦争中のようなことになるまいがと一瞬は思ったが、逆に、現代は情報量が多過ぎて、どれが正しい情報なのかが分かり難い世の中になっているのかもしれない。いつの時代でも、自分の判断力というものを磨いておかなければいけないのだと感じさせられた映画であった。

自宅が所属している町内会「新生町内会」の夏のリクリエーションが西8条南17丁目の「いろはにほへと」で17時から開催された。私は副会長を務めているから出席した。

以前は、リクリエーションといえばパークゴルフや温泉などであったが、ご多分に漏れず、町内会の高齢化が進んで、参加者が減り、ここ最近は近場で飲み食いするだけになっている。

それでも、年に数度はこういった会でも設けないとコミュニケーションが少なくなってしまう。

案の定、顔を知らない人も数人いた。

これからは、町内会の高齢化で治安、ゴミ、空き地対策などという問題があちこちで出てくるだろう。その対策も急務である。


■2013-08-19-Monday 酔っ払い

酔っ払いってのは

本当に困ったものだ。

13日から始まって17日に終わった大道芸関係の疲れがドッと出たのだろうか、それともズ〜ッとこの間飲み続けていたから肝臓機能が低下していたのだろうか?19日夜に宴会で酒を飲んだら、珍しく酔っ払ってしまった。

酒には強いと云う自負があって、めったなことでは酔わないつもりでいたのだが、21時の段階でかなり酔っ払ってしまったようだ。

一緒に飲んでいた先輩が「年寄りは早目に帰って寝る」と言い出したので、それで飲み会はお開きにして、21時半には店を出てタクシーに同乗し自宅に早々に引き揚げてきた。

玄関を自分の持っている鍵で開けて中に入り、いつもの癖でチェーンを掛けてしまったようだ。この日は妻も商工会議所女性会の会合で外出していたのだった。

私は服を着たままベッドに寝ていたようである。

妻が帰って来て玄関を開けようとしたらチェーンが掛かっていて開けられないからピンポン、ピンポンと激しくチャイムを鳴らす。

その音で気が付いて慌てて玄関に行こうとしたら足がもつれて寝室の親子ドアの子ドアの方に激突したのだった。

私は身体の何処にも怪我はまったくしなかったのだが、木製のドアが下の止金の部分からへし折れて激しく損傷してしまったのである。

一体どれくらいの勢いでぶつかったら、こんな風に壊れるのだろうか?

正気の状態でも難しいくらいなのに・・・。

ドアはかなりバラバラになってしまったから素人ではとても修復は無理である。こりゃぁドアを作り直さなければならないだろう。

妻には「何をやっているの?」と怒られるし・・・。

酔っ払いってのは、本当に困ったものである。


■2013-08-20-Tuesday 師匠の道具

マジックの師匠であった

故ジミー忍師の奥さまのマコママから、またまた段ボールやジェラルミン製のスーツケースなど16個が一遍に届いた。

忙しくてまだ開けていないが、マコママにはとりあえず届いた旨の電話を入れたら、「今回送ったのは結構お宝が一杯やでェ〜」とのこと。

この暑い中に頑張って整理をしたようで「暑くて疲れたワ〜、でもまだまだ沢山あるでェ〜」と言う。こちらも事務所に山に積んだままの状態なので「中を調べて分類するのに時間が掛かるから、次に送るのはしばらく間を空けて欲しい」とお願いした。

先日の大道芸フェスティバルの際に、知人が不要になったショーケース2個をプレゼントしてくれたから、展示するケースや棚もかなり揃ってきている。後は私の分類だけなのだが、これが結構時間が掛かるのである。

なにせ身ひとつしかないし、これで雑用が多くて、まとまった時間が取れないのだ。

しかし、先般、大量に送ってもらった「SHOW IN JAPAN」という本も貴重な資料であったし、中身を見ている内に時間がドンドン過ぎていく。

今回送られてきたものはマジック道具以外にも、トランプと書いてある箱が4箱もある。中身が全部トランプだとするとおそらく200個以上はあるのじゃなかろうか。そういえばジミー先生はいろいろなトランプも集めていたなぁ。これを展示するだけでも面白いかもしれない。


■2013-08-21-Wednesday 告発

秋田書店の雑誌の懸賞で

当選者数の水増し不正が行われており、消費者庁は再発防止などを求める措置命令を出した。

秋田書店は消費者庁の調査に対して「企業提供の懸賞品が不景気で減ったが、アンケートに大勢答えてもらおうとして水増しを始めた」と釈明した。

勇気を持って告発したのは、こういう不正は止めるべきだと再三に渡って上司に進言していたが、その進言が受け入れられなかった秋田書店の女性社員だったとのことだ。

今回の「クオリティ」の記事も北の屋台の店主の誰かが勇気を持って告発をしたのだろう。

北の屋台は、商売の素人に機会を与えて、成長してもらい、3年たったら独立してもらう起業家を育てる目的で始めたものだ。

いきなり独立店舗を構えるには資金も足りない人たちが集まっている場所でもある。

それなのに「北の起業広場協同組合」という、店主たちに援助しなければならない組合が、その資金不足の人たちから、毎月2万円以上のお金を搾取するなんて、設立当初の崇高な理念は一体どこに行ってしまったのか。

組合は即刻、現店主たちと第3期で退去した店主たちに過剰に取り過ぎていた分を返還して謝罪するべきだろう。

組合が1年間で1軒の屋台から集めた252,000円の内、返還するべき金額は、私の試算では1軒あたり1年間最低でも20万円になる。3年間では60万円、6年間なら120万円だ。屋台店主にとってはとても大きな金額である。

屋台から卒業して、新しく店を構えるための資金の一部としても有効なお金であろうから、今回の告発はよっぽどのことだったのだろう。

その店主たちの憤りを組合も真摯に受け止めて、誰からも後ろ指をさされない様な真っ当な組合に再生してもらいたいものである。

間違っても犯人探しに血眼になる愚行だけはしてはいけない。


■2013-08-22-Thursday お宝

先日のブログで

マジックの師匠であった故ジミー忍師夫人のマコママから段ボールやトランクが十数個届いたことを書いたが、中を開けてみて驚いた。

トランプは200個どころか、ゆうに700〜800個はある。これならトランプ博物館が出来そうなくらいの量である。

びっくりしたのでマコママに電話して「7〜800個くらいはあるんじゃぁないだろうか?」と言ったら「押し入れからまだまだ出てきたから、また送るでェ〜、全部で1000個くらいにはなると思うよ!」と言う。

こりゃぁ〜スゴイ。

「ママがお宝と言っていたのはどのトランクに入っているの?」と聞いたら「桐の箱に入っている」と言う。開けてみたら中からレザークラフトの装飾を施した革製の鞄が出てきた。鞄には作者のサインが入っていて「木下勝功」と署名がある。

インターネットで検索してみたら「木下勝功(きのした かっこう)、別名が東聖観(ひがし せいがん)」という方で源氏物語絵巻などを着物に染色されたりしている方である。かなり有名な方のようだ。レザークラフトはジミー先生のオリジナルのマークを彫ってある。かなりド派手な鞄である。桐の箱にも作者の裏書きをしているくらいだから、相当な値打ちものであろう。

その鞄の中に、ズッシリと重たいマジックウォンドが入っている棒の真ん中が銀製で端が銅製である。確かにこれだけでもお宝だ。

再び、マコママに電話して聞いたら「会社の社長連中のマジック愛好会に先生が教えに行っていたが、そこの社長さんたちがお金を出し合って先生に記念にとプレゼントしてくれたものだ」とのこと。

また、先生がいつも練習していたオリジナルの大きなコインや、石田天海先生からいただいた先生愛用の眼鏡なども入っている。

トランクの中身を調べるだけでウキウキしてくる。

これは楽しい作業になりそうだ。


■2013-08-23-Friday トランプ700個

マジックの師匠である

故ジミー忍師夫人のマコママから送られてきたトランプを整理した。

マジック関係の道具はジミー先生の遺言で「マジック博物館」を作る為に私の元に届けられているのだ。

しかし、まだ坂本ビルの使用していない一室に道具を並べて、カード・シルク・ロープ・コイン・大道具などの区分整理をしている段階である。

一旦、区分整理をするとなったら2〜3時間は必要になる。

普段は仕事が忙しくてなかなかこの2〜3時間という、まとまった時間がつくれないから、ついつい先送りすることになってしまうが・・・。

一度に13個もの段ボールやらスーツケースやらが送られてきたら、そのままにしておく訳にはさすがにいかない。

少しずつでも整理を始めようと決心して、家からTシャツとタオルを持って来た。何せモノスゴイ汗かきなのに、まだまだ暖かい日が続いているからだ。

午後から床にブルーシートを敷いてその上に送られてきたトランプを、田植えのようなスタイルで並べ始めたのである。

段ボールからトランプを手元に8個ほど取り出しては、ブルーシートまで運んで並べる、後から個数が確認し易いように一列に20個ずつ並べていった。これを何度も何度も何度も繰り返すのだ。

中腰で、並べて行く作業はかなり腰と足に負担が掛かった。Tシャツもタオルも汗でビチャビチャになった。

全部並べ終えるまで150分が掛かった。

個数は約700個であった。

よくもまぁ、これだけ集めたものである。しかもマコママの家にはまだまだあると云うし、すぐにまた送るからとも言う。驚きである。

20個ずつ35列並ぶと壮観で、しかも何だかとても美しい。全部揃ったら写真でも撮っておこうと思う。でもどうやって展示しようか?


■2013-08-24-Saturday 筋肉痛

朝起きたら、

背中や太ももの裏側が痛い。

昨日のマジックの師匠、故ジミー忍師夫人のマコママから送られて来た約700個のトランプの整理を、田植えスタイルで150分間もやったせいだろう。

それでなくても腰が悪いというのに・・・。

筋肉痛を和らげる塗り薬やシップを貼ったが、そう簡単に痛みが消える訳ではない。

太ももの裏側の痛みというのは、トイレの便器に座る時に特に痛みを感じるものだなぁ。

午前中はベッドにうつ伏せに寝て本を読んでいたが、午後からは映画を観に行こうという。

私たち夫婦は帯広の映画館のお得意さんである。月に4本は観に行っている。

だが、どうも支配人のセレクトに不満がある。私たちが本当に観たい映画を上映してくれない傾向がある。

先々週は「風立ちぬ」、先週は「少年H」を観ている。大人の鑑賞に堪えるものは「スタートレック」「ワールドウォーZ」「ローンレンジャー」ぐらいしかない。

予告編を観たら「ワールドウォーZ」は人間がバタバタと死んで崩れていく様子があったので気持ち悪いから夫婦ともに観たくないと意見が一致した。どちらかというと私は「スタートレック」の方を観たかったのだが、SFよりはまだ西部劇の方が良いということで「ローンレンジャー」にすることになったのである。

「ローンレンジャー」は私が幼少の頃にテレビで見たことがある。私の年代の男の子ならマスクを付けてローンレンジャーの真似事をしたことがあるのではなかろうか?パカパッカパッカパッパッパーと馬の蹄の音でウィリアムテル序曲を口で言いながら「ハイヨー、シルバー」と叫んでいたのを記憶しているが、でも内容はほとんど覚えていない。

ディズニー映画でパイレーツカリビアンのスタッフが作った作品だというが・・・、確かにお金は掛かっている映画だなぁ〜とは感じた。

お金を掛け過ぎたわりには興行収入が悪かったとかで、製作にも関わったジョニー・デップが引退すると言ったとか、言わなかったとか・・・。

まぁ、そこそこ楽しめる映画ではあったが、時々、監督の意図が分からなくなる場面があった。

ストーリーテラーを務める、ジョニー・デップ演じる老人のトントは、人形なのか人間なのかがよく分からない。一体どういう意味が込められていたのだろうか?


■2013-08-25-Sunday 日曜日の過ごし方

友人が6月にゴルフで

ホールインワンを達成したが、今日はその記念コンペが帯広国際カントリークラブで開催された。

参加者は32名。全参加者全員に景品が当たるというし、ゴルフ保険も高額な保険金に入っているというので豪華景品が期待できる。

コンペはダブルぺリア方式で行われた。ダブルぺリア方式というのは全18ホールの内の12ホールを隠しホールとして設定しておいて、その隠しホールのスコアでハンディキャップを算定するという方法だ。隠しホールは全員が終了するまでは判らないようにしてある。

だから、優勝するには隠しホールではないホールでバーディとかパーを取り、隠しホールではダブルパーやトリプルパーなどの悪いスコアで上がればハンディが多く付いて成績が良くなるわけだ。

この日の午前中に、国際カントリークラブはクラブチャンピオン戦の予選会があったのでグリーンは早く、しかも難しい場所にカップが切ってあったものだから、私は出だしの西1番ロングホールでいきなり4パットのダボを叩いてしまい、その後3番でも3パットをしてしまった。4番でバーディ、を取ってからようやくタッチも合ってきて42打。ダボ有り、バーディ有りだからまさしくダブルぺリア用のゴルフである。果たして吉と出るか、凶と出るか。

中コースに入ってからもトリプルを2回叩いたし、パーも4つ取ったが47打の89打。上手く隠しホールが合致すればかなり上位にいけるかな?と思ったのだが・・・。

隠しホールは完全に逆になってしまってハンディ9.6でネット89.4の24位、大凶であった。

自宅に戻って、テレビで「八重の桜」と「半沢直樹」を見た。

八重の桜はずっと見ているが、半沢直樹は初めて見る。連続ドラマはなかなか続けて見ることが出来ないから、めったに見ないのだが、半沢直樹は社会現象にまでなっているから、見ておかないと話題についていけなくなるかもしれないと思って1回だけでも見ておこうと思ったのである。

1回見ただけだが、こんなに上司に逆らったら組織の中では上手くやっていけないだろうなぁと感じた。

私もよく「協調性がない」と云われる。

組織の中で、嫌〜な上司と上手くやっていくことが苦手だから、すぐに衝突して組織を飛び出してしまう。

半沢直樹のような気骨のあるサラリーマンが実在するはずはないだろう。もし居たとしてもサッサと独立して起業しているのではなかろうか。世のサラリーマンにこのドラマが受けているのは、自分では決してできないことを半沢直樹がドラマでやってくれるから、それを見て溜飲を下げているのではなかろうか。

まぁ、ドラマなんてそんなものだろうけど・・・。

恥知らずで、こすズルイ奴がのさばっているのが現実の世の中であるが、それをただ許してはいけないだろう。


■2013-08-26-Monday 北の屋台

14日に発売された月刊誌「クオリティ」に

掲載された「北の屋台」の醜聞に関して、私のところにいろいろなことを聞いてくる人がいる。

が、しかし、そのほとんどが本質を外れた話であることが多い。

私が考える一番重要な問題は、理事者たちも店主たちも「北の屋台」が起業を志す場所だということを忘れていることである。

北の屋台を運営する「北の起業広場協同組合」の一番重要な仕事は、屋台を3〜6年で卒業して街中に独立店舗を構えようとする店主たちをサポートすることであろう。

サポートの仕方にもいくつかある。北の屋台で開業している内に、①商売のノウハウを学んでもらう。②顧客をつかんでもらう。③開業資金を貯めてもらう。④独立店舗を紹介する。などである。

今回の醜聞の問題は、この内の③に関しての「開業資金を貯めてもらう」ことの正反対の店主からの搾取であることだ。

組合の運営方法が、北の屋台設立の理念に反した行動で、しかも犯罪的であることは設立者として嘆かわしく、また腹立たしい。

屋台店主は独立開業に向けて少しでも多く自己資金を貯めておきたいはずである。

組合は「販売促進費」という使用目的を限定した徴収をしておきながら、その内の9割以上を別の目的(K専務理事の役員報酬など)に使用していたらしいのだから呆れてものが言えない。

手数料的に販促費の数%程度をもらっていたというなら、まだ解らないでもないが、逆に数%しか販促費に使用せずに、90%以上を懐に入れるなんて大問題だろう。それなら誰だって怒る。

北の屋台はK専務の生活を支えるために作った場所ではない。起業する人をサポートし、帯広の街を活性化するために作った場所である。

腐ったミカンがひとつあると、周りのミカンも腐るのが早くなる。腐ったミカンはすぐに取り除かねばならないのだが、仲間内の論理でかばったら別の問題に発展する可能性もあるだろう。

「販促費」として使用していない総額は、私が辞めた後の6年間で3000万円ほどにもなると推測できる。

1期に20軒の屋台だから2期分なら倍の40軒。そうすると、3000万円÷40軒=75万円になる。

3期と4期の6年間営業していた屋台は150万円、どちらか1期だけの営業なら75万円を、組合は店主に返還しなければならない可能性があるのではなかろうか。

以前にこのブログに書いた時よりも返還金額が増えているのは、最初に想像した以上に流用額が大きそうな気配だからである。

3期で辞めた店主の中には家賃が払えずに退去したケースもあると聞く。店主のなけなしのお金を、しかもこれだけの高額を6年間に渡って搾取していた罪は大きい。即刻3期、4期の店主らに全額の返還をして謝罪するべきだろう。


■2013-08-27-Tuesday またまた

またまたマコママから

荷物が6箱送られて来た。

中身を見てみると、トランプが2箱と小道具が3箱、ポスター類が1箱である。

すぐにマコママに「届きましたよ」と電話したら「明日また6箱ほど届くからね」と云う。どうやら一気に倉庫の整理を始めたようだ。

「まだ衣装が残っているから、まだまだ送るものがあるでぇ〜」と云う。

今回送られてきたトランプと前回送られてきたトランプだけでも合わせると1000個近くにはなるだろう。どうやって展示しようか思案中であるが、トランプの裏模様の面を見せて飾っただけでも美しい模様になるが、1000個全部飾るとなると壁一面では足りないかもしれない。展示するなら盗まれないようにガラスで覆わなければならないだろうし・・・。きっと特注のガラスケースを造らなければならいのではないだろうか?

これから送られてくる衣装もハンガーに吊るして展示する訳にもいかないだろうからマネキンでも購入して、マネキンに着せた状態で飾る方が博物館らしくみえるだろう。

あれやこれやと展示方法を考えながら、分類していく作業は大変だけれど楽しい作業である。

今回、また道具が増えてしまったから、整理に要する時間がまた増えてしまうだろう。一体いつになったら開館できるのやら。


■2013-08-28-Wednesday 贅沢

トランプの整理を

やると、床の上に敷いたブルーシートの上で、ズ〜ッと田植えのような体勢でいるので、背中から腰、太ももの裏側がバンバンに張ってしまった。

こういう時はユッタリと温泉に浸かって、更にマッサージを受けることで直そうと考えたのである。

ちょうど長女が帰宅中だったので、夕食は母と妻の両親と6人で松伊に行った。スキヤキや寿司などを食べたのだが、老人が3人いると食べる量が極端に少ない。娘は「帯広に帰ってくると肥る」とぼやきながらも美味しい美味しいと沢山に食べていた。やはり十勝の食べ物が合っているのだろう。

食後すぐの入浴&マッサージはきついので、老人たち3人をそれぞれの自宅まで送ってから、しばらく自宅でくつろいでから温泉に行く。

住んでいる場所の近くの銭湯が温泉ばかりだなんてウラヤマシイと娘がいう。食べ物が美味しくて、温泉に安く入れるなんて、帯広はとても贅沢な場所である。

私たち夫婦はマッサージ、娘はあかすりとリンパマッサージを受けた。20:30に温泉に行って自宅に戻ってきたのが23:30であるから、実に3時間近くも銭湯に居たことになる。

帰ってからビールを飲んで寝る。極楽である。帯広に住んで居て良かったぁ〜と思う瞬間である。


■2013-08-29-Thursday 解散!?

北の屋台を運営する

北の起業広場協同組合が29日の午前中に北の屋台の事務所で会見を開き、組合を来年3月で解散すると唐突に発表した。

この日、私は早朝から帯広地方法人会のゴルフコンペに参加していた。

プレー中は携帯電話の電源を切っているので、このニュースを知らずにプレーしていたが、終了後に電源を入れた途端に留守電で知ることになったのである。

すぐに会社に向かいラジオのニュースで確認をしたが、何故の???ばかりだ。

前日の28日の夜に臨時の理事会と総会を開いて、来年3月での解散を8人の理事の全員賛成で決めたということである。

解散を決めるは勝手なのかもしれないが、でも、何故あわててすぐ翌日に記者会見まで開いて発表したのだろうか?

来年3月の解散を決めたのなら、補助金をもらってスタートした事業なのだから、発表する前に、まずは市役所や商工会議所や中小企業団体中央会などに相談するべきであろう。

3月に解散するまでは事業は継続していくし、営業権をしかるべき組織に譲渡するというが、そんな重要なことを自分達だけで勝手に決めてしまっても良いのだろうか?

事業を継続するとは言っているが、肝心の土地の契約期間は後4年程で期限が来るし、借りる主体が来年3月で変わるのならば、事前に地主さんの承認も得ておく必要があるのではないだろうか?

何一つハッキリと方向性すら決めずに、相談もせずに、解散することだけをさっさと発表して一体何のメリットがあるというのだろうか?

組合解散のキッカケのひとつが月刊誌「クオリティ」9月号の記事にあるようだが、この情報が氾濫している現代で、たかだか月刊誌に醜聞が載った程度で解散!?

それは、あまりにも無責任ってものではないだろうか。

今の世の中、目立てば、良いことも悪いことも噂されるのは、避けられないのではないか?いちいちそんな情報に振り回されるなんて情けない。

会見の様子をOCTVのニュースで見たら、論点のすり替えがあるように感じた。

久保裕史専務はクオリティに指摘された「販売促進費」の使途が不透明だという問題に「会計担当者や税理士が帳簿を確認し、公認会計士が最後にチェックする。「問題なし」という回答だ。」と疑惑を否定していたが・・・。

会計上の問題というよりは、これから独立をしようとしてお金を貯めている屋台店主の貴重な資金から、疑惑を持たれるような徴収の仕方をしている組合の姿勢自体にこそ問題があるのではないかと思う。問題がないなら決算書を改ざんしたりする必要もないのだし、疑惑を晴らす為に、これを機会に世間に公表したらよいのではないだろうか?

まちづくりに重要なのは「共通善」である。善いと思われる思想や行動を皆が共有するから「まちづくり」が上手くいくのである。後ろめたいことや隠し事を抱えながらでは問題ばかりが出てくる。

北の屋台にとって何が「共通善」なのか再認識する必要があるだろう。

いずれにしろ唐突な解散の発表であったことだけは確かである。


■2013-08-31-Saturday 酉戌会

31日夜に

昭和32年酉年と33年の戌年生まれの会合が市内のランチョ・エルパソで開催され出席してきた。

もともとは、男の前厄である49歳になる年の節分に神社で厄祓いを受けた時から始まった会である。女性の厄年は33歳だから、最初は男性ばかりの会であったが、その後、女性にも声を掛けて今では同年の集まりとなっているのである。

幹事でないから実数は把握していないが、この日も40数名が出席していたと思うが、ほぼ男女半々の参加者であった。

同年代というキーワードだけで集まっているから、小学・中学・高校が全部バラバラであるし、十勝出身である要件もない。ただ32・33年生まれの同学年の集まりなのだ。

普段から同じ高校の同窓生とは会う機会も多いが、同年代といえども高校が異なると付き合いは極端に少なくなる。青年会議所で一緒だったくらいしか、異なる高校出身の同年代の人と交わる機会はないのが実情であるからこういう会合に出席するのは面白いものだ。

19時からの開始ということだったので18:55頃に到着したら、すでに大半の人が来ていた。

会場に入るなり「オ〜ッ、今、新聞を賑わせている話題の人が来たゾ〜」と冷やかし半分で言われた。私は6年半も前に北の屋台を辞めているのだし、私が賑わせている訳ではないだろうに、こんなところでも「北の屋台」の組合解散が話題になっていて私に色々と質問が浴びせられるのだ。

その最たるものは「何故、解散するんだ!」である。やはり、ほとんどの人がたかが月刊誌クオリティに醜聞を書かれた程度で解散するなんて変だと感じているのだろう。私に聞かれても分かるわけがない。

30日の北海道新聞の朝刊にも「指摘されているような事実がないなら、解散の必要はないのではないか」という記者の当然の質問に久保裕史専務理事は「(会計)は公認会計士や税理士を入れてオープンにしている。ただ、疑惑みたいなものが表れたり、怪文書がばらまかれ、組合内での信頼関係がなくなってきた。」と答えている。

また、「一部月刊誌で販売促進費の使途が不明と指摘されている」という記者の質問に、同じく久保専務理事は「(組合内に)会計担当者がいて、税理士が帳簿を確認し、理事の一人である公認会計士が最後にチェックする。『問題なし』という回答で、われわれとしては何ら後ろ指をさされることはない」と答えている。

酉戌会の仲間も「あの説明なら小学生でも納得しないだろう」と言う。私もまったく同感だ。

「後ろ指さされることはない」なら、決算書を改ざんする必要などないだろうし、全部公表して「これこの通り、問題ないでしょう?」と堂々と公開すれば、解散などすることはないだろうに・・・。

無責任極まりない対応をするから、こういう事態になっているのではなかろうか。

創設者としては腹立たしいことである。