■2013-12-01-Sunday 結婚式2
30日は姪っこの
結婚式である。
女性陣は着付けやら美容室やらと朝から忙しいが、男性は式まで何もすることがない。
私は知らない場所に行くと、やたらと歩き回って周辺の地理を確認するのが好きだから、一人で散歩に出掛けたのであった。
旅支度をする時に妻から「運動靴を持って行ったら?」と何度も言われたのだが、荷物になるからと、結婚式用の革靴を自宅から履いて行っただけで持って行かなかったのである。しかもこの結婚式用に新しく買ったばかりの靴なので、まだ足に馴染んでいない。
ホテルから出てまずは大塚駅の周りを歩き回って一通り散策した後で、今度は山手線の外側を池袋方面に向かって歩き始めた。東池袋辺りから今度は山手線の内側に入り、大塚方面へと戻る。
途中に昨晩行ったサンシャインビルが見えた。この位置なら池袋駅とサンシャインビルとの距離と、大塚駅とサンシャインビルとの距離はほとんど変わらないくらいである。昼間だったら歩いて帰れる距離であったことに気が付いた。
東京では、駅を起点にして移動する癖がついているから、実際の距離がなかなか把握できないのだ。
でもこうして散歩することで地理が良く理解できる。理解したところでたいして意味はないが・・・。
ホテルに戻ってもまだ女性陣が帰っていない。昼食を取りに一人で再び大塚駅方面に向かった。
午前中に駅前の散歩で見つけた、中国人がやっているカウンターだけの屋台風の小汚ないラーメン屋が気になっていたのである。
その場所に行くと行列を作っている。行列に並ぶのは好きではないが、これは美味そうだなぁと思って、せっかくだから並んで食べた。あまり好きな味ではなかったが、まぁまぁの味ではあった。
食べ終わってホテルに戻ると妻も部屋に戻って来た。
着替えて会場に行くと、まずは控室で親戚の紹介が始まる。新郎には今年の夏に一度会っているが、他の家族とは初対面である。こういう場面は何を話して良いか難しいものだ。
この日は日が良いとみえて、このホテルでは結婚式が12組も行なわれるという。
ホテルの屋上のチャペルに行くと、前の組がちょうどチャペルから出てきてフラワーシャワーを受けているところだった。
その横の道をすり抜けてチャペルに入るのだが、結婚式のトコロ天のような感じである。
私たちの時は和服で神前での挙式であったが、西洋式の教会の結婚式というのもなかな良いものである。
新郎も新婦もすらりとした体型だから洋装がとても良く似合っていた。
私が持って行ったカメラの調子がイマイチである。どうもバッテリーの接触が不良のようでなかなか起動しないのである。バッテリーを出したり入れたりを繰り返している内にようやく動きだしてくれたが、最近のデジタルカメラってやつは5年も使うとダメになってしまうのだろうか?
その後も調子がイマイチであった。
当初、結婚式でマジックをやって欲しいと姉から頼まれていたが、結局、結婚式では余興は一切やらないことにしたというので一安心。結婚式用に演じられる私のマジックのレパートリーが少ないからだ。
今回の結婚式はカラオケなども一切なく、場面に合わせた写真の映像をスクリーンに映す演出でとてもスマートで良かった。最近のカラオケ流行りの披露宴はあまり好きではないからだ。
母も姉も随分と涙を流していた。女性は嬉しくても泣けるから良いが・・・。
新郎の家族の方々も皆さん良い方々ばかりで、姪っこも楽しい親戚付き合いができるだろうこれまた一安心である。
式の後、新郎と新婦は友人等と二次会に出掛けたが、両家の家族はホテルの和食店で一緒に会食をすることになっている。この席でマジックを演じて欲しいとの姉の依頼である。まぁ、少人数だからトランプマジックを演じることにした。こういう場面ではマジックというのは、まだ親しくない人を和ませるには最良の趣味であろう。
すっかり打ち解けて楽しい宴会になったのであった。
■2013-12-02-Monday 名古屋
姪っこの結婚式の
翌日から所用の為、名古屋に向かう、妻も一緒だ。妻は名古屋は初めてだと言うので近場で観光をすることにした。
名古屋駅に隣接した高層のホテルに宿泊するのだがチェックインの時刻まではまだ時間がかなりあるからホテルに荷物だけ預けて、まずは定番の「名古屋城」に行く。
お腹が空いたというので、私はいつも名古屋に来たら食べに行っている「味噌煮込みうどん」を食べに山本屋総本店に連れていこうとすると、妻が「あの煮込みうどんは貴方がお土産に買って来た時に食べたが固くてタレがしょっぱくて嫌いだ」とわがままなことを言う。
仕方がないから、名古屋城内にある「きしめん屋」で食べた。私は逆にこのきしめんというのは平べったくてすすり食いがし難いからあまり好きではないのだが・・・。きしめんも名古屋名物だからまぁ良いか。
妻は名古屋案内の旅行雑誌を事前に買って研究していたようだ。次は科学館に行きたいと言う。
科学館には私もまだ行ったことがない。何でも大きなプラネタリュウムが有名なんだとか。おいおい一昨日サンシャインで見たばかりじゃぁないか?14:30頃に科学館に着いて受付に行ったら、このプラネタリュウムは人気があるらしく最終回の16:30〜の回しか空席がないという。その前の3回はすでに満席で売り切れであった。
そうか、そんなに人気があるならサンシャインのと見比べてやるかと思い直して、上映時間まで科学館で遊ぶことにした。
子供向けの科学館であるが、展示物も面白いし、各種の実験なども体験できるから大人が行っても十分に楽しめる。
暫し童心に帰って楽しんでみた。
さて、プラネタリュウムであるが、はっきり言ってサンシャインの方が面白かった。
恐らく「アイソン彗星」のことを見せるつもりだったのだろうと思うが、肝心の彗星が29日未明に消滅してしまったから、急遽予定を変更したのではないだろうか?
携帯電話などのカメラで星を上手く撮影する方法なんてものを、やるものだから、途中、眠くて眠くて、何度かストンと眠りに落ちては、また気を取り直して見ようとするのだが、また眠ってしまうということを繰り返していたのであった。結局50分間の上映時間の内の半分は寝ていたように思う。
夕食は「鶏の手羽先の唐揚げ」が有名なんだとガイドブック片手に妻が言う。もう行き先は決めているようだ。
科学館の前からタクシーに乗って運転手さんに「栄」近辺の有名店に連れて行ってもらったが、降ろされた場所は閉店していたから、次に有名な店に入った。
他の客も観光客風である。とりあえずビールとその手羽先の唐揚げを注文したが・・・、出てきた唐揚げは胡椒がタップリというか、胡椒で真っ黒というか、見るからに辛らそう。
一口食べたら、頭のテッペンから汗が流れてきた。
かなり甘辛〜い強烈な味である。
名古屋の人って濃〜い味が好きなのだろうか?
北海道もかなり味は濃い方であるが、名古屋の味に比べたら、薄味にしか感じないほど強烈である。
京都の洗練された薄味とは違って、ドギツイ郷土料理って感じかな。
すぐに別の店に移って腹を満たしてホテルに戻ったが・・・。
高級なホテルで部屋も広く快適なのではあるが、最近は年を取ったせいなのか、大浴場付きの安ホテルの方が落ち着くようになったのである。
■2013-12-03-Tuesday 名古屋2
名古屋の2日目
妻に何処に行きたいか?と尋ねたら「水族館に行きたかったけど、月曜日は観光施設はほとんどが休みだ」と文句を言う。
「神社なら休みはないから伊勢神宮に行きたい」と言い出した。が、さすがに伊勢神宮に行って帰ってくるには時間が足りない。
熱田神宮ならこの近くだからとまずは熱田神宮に行くことにした。
コンシェルジュに尋ねたら、名鉄の名古屋駅から2駅目の神宮前で降りたら徒歩3分だと言う。大きな荷物はホテルに預けて出発した。
コンシェルジュに言われた通りに行ったら、どうも由緒ある神社の入口という雰囲気が感じられないのだ。その入り口から入ると結婚式をする会館の前を抜けてすぐに本宮に出た。つまり横からショートカットして入ってしまったらしい。
それでも、まずはお参りをして、お札やお守りをお土産に購入して、宝物殿などを見学してから今度は正門の方から出ることにした。
妻はこんなお参りの仕方では御利益が少ないだろうから、もう一度お参りをし直すと言い出したのだ。
正門の目の前に「ひつまぶし」で有名な「蓬莱軒」という店の看板が目に入った。時間は11時45分である。まだ人は並んではいなさそうだ。
もう一度お参りし直す前に、まずは腹ごしらえということになって入店したら、中は客で一杯であった。やはり人気のある店なのだろう。
ちょうど時間もグッドタイミングである。
私もウナギは好物である。妻はさっさとひつまぶしを注文した。同じものを二つ頼んでも面白くないから私はうな丼の上を注文することにした。
妻の注文したひつまぶしはうな丼のウナギを細かく切ってあるだけで味に違いはなかった。最初の一杯目はそのまま食す。二杯目はお茶漬けにして薬味を入れて食す。ただ、それだけのことである。私も途中からうな丼にひつまぶしの出汁を掛けてお茶漬けにして食べたから同じことであった。
値段はひつまぶしが3100円、うな丼の上が2500円である。値段の差の600円は薬味と出汁代とウナギを細かく切るだけならちょっと高いかも・・・。
腹を満たして再度正門からお参りし直した。今度は御利益があるかな?
神宮から「栄」に戻る。開いている観光施設が少ないから「テレビ塔」に昇るという。名古屋のテレビ塔は日本で一番古い塔だという。シースルーのエレベータに乗って地上90mの高さまで昇ると、高所恐怖症気味の私にはこのエレベータは遊園地の遊具よりも迫力があった。天気は快晴で温かいし風もない。遥か先まで見えるので結構楽しめたのであった。
この塔から名古屋の街を眺めていたら、すぐ下に奇妙な建築物が見える。昨日行った科学館にあった名古屋の街のパノラマ模型でもあの変なものは何かしらねと言っていたものだ。広場に地下までの大きな穴が開いていてその穴の天井には透明屋根状のものが掛かっている。
塔を降りて行ってみたら「水の宇宙船」とか書いてある。
エレベータで4階の屋上まで行ってみた。
屋上の回りは陸上競技場みたいなオーバルに歩けるようになっていて中央部には薄く水が張ってある。
どういう趣旨で作られた建物かは知らないが、これを壮大な無駄と考えるのか、建築芸術としてのチャレンジと考えるのか微妙なところである。
地下に降りてみたら小さなスケートリンクになっていて、その周りには物販店や飲食店があり、その先は地下街や地下鉄やバスターミナルにも繋がっている。
何かイベントやる時には有効な施設なのだろうか?でも良く判らん!
名古屋の建物は変わった建物が多くて面白いが何だかあか抜けないように感じるなぁ。
用事を済ませて、中部国際空港、通称セントレア空港に向かう。
私も初めて利用するが、羽田の国際空港部分にも似たデザインであった。電車とも直結しているし、名古屋駅にも近いから小牧空港よりは便利である。ここから新千歳空港に飛ぶのである。
■2013-12-04-Wednesday 新千歳空港
名古屋中部
通称セントレア空港から18:45発の飛行機で新千歳空港に戻った。
この時間に新千歳空港に到着すると帯広行きの特急列車には間に合わないのでホテルに泊まり、翌朝の列車で帯広に戻って、そのまま出社すれば就業時間には間に合うのである。
千歳のホテルは空港内にある温泉施設に11部屋だけ宿泊できる部屋がある。ここに泊れば、温泉は入り放題だし、旅の疲れを取るマッサージも受けられる。なかなか良い場所を見つけたものだ。
今回の旅行は、結婚式用に新しく買った革靴を履いて行き、替りの運動靴は荷物になるからと持参しなかったので、足の裏、特に踵の辺りが痛い。その痛い踵を庇って歩くものだから腰まで痛くなってきた。
まずは、到着してすぐにマッサージの予約を入れてからタップリ1時間半温泉に浸かって汗を流して身体をほぐす。
湯あがりにビールを一杯飲んでから、60分間のマッサージを受けた。
足裏をゴリゴリ揉まれると、悲鳴が出そうになるくらい痛いが、でも気持ちが良い。腰の辺りや股関節もかなり痛かったがストレッチをしてくれるので身体がほぐれてとても気持ちが良かった。
マッサージの後は、食堂でお酒を飲みながら妻と旅の話や姪の結婚式の話題で談笑した。
よく周りの友達から、貴方達はほとんど毎日職場でも一緒なのに、よくそんなに夫婦間で話す事柄があるねと驚かれるが、飽きないんだから仕方がない。
0時を過ぎたので切りあげて部屋に戻ってグッスリと寝た。
翌朝は、また早起きして温泉に入って昨夜の酒を汗で出してスッキリ、このホテルは朝食は無料なのでバイキングで和食を食べてから出発。
とても便利で安くて、私には最高の宿である。
高級ホテルもたまには良いけれど、私にはこういう温泉ホテルの方が合っているようだ。
■2013-12-05-Thursday お土産
名古屋からのみやげに
セントレア空港の売店で山本屋総本店の「味噌煮込みうどん」3食分を購入して帰って来た。私はいつも名古屋に行った際には必ず食べているのだが、今回は一緒に行った妻が他の物が食べたいというので食べることが出来なかったのである。
しかし、空港の売店を眺めている内に、どうしても食べたくなって自宅で作ってみようと思い立ったのだ。
箱にはレシピが書かれているし、鍋焼きうどんは私の得意な料理でもあるから上手く作れる自信があったのだが・・・。
結果は大失敗、妻からも母からも不評であった。いくらレシピが書かれているとしても、微妙な火加減などが分かるはずもなかったのであった。
自分でもその土地の名物は現地で食べなければダメだと日頃から思っているのに、ついつい買ってしまったのである。
名古屋には名古屋の風土や歴史に合った食べ物があるし、京都には京都の、帯広には帯広の独特の食べ物や食べ方がある。現地の温度、湿度などの気候にも味は大きく影響を受けるであろうから名古屋で美味しいと感じたものを北海道に持って来ても必ずしも合う訳ではない。
ましてや、買って来た「味噌煮込むうどん」のお土産は完成された製品ではなく、半製品で半分は自分で作らねばならないとなると、お店で食す味と同じ味を出すのはほとんど困難であろう。それが分かっているのについつい買ってしまった自分に反省しきりである。
流通が便利になって何処に居ても、地方の名物が食べられる時代になったが、それでも本当の美味しさは現地で味わうに限る。
現地でしか食べられないものを、現地に行って食べる。それが観光の要諦でもあるのだ。
■2013-12-06-Friday マネキン
マジック博物館用に
注文していたマネキン人形が4体とハンガー掛け5台が届いた。
先に私のマジックの師匠である故ジミー忍(聖忍)師の奥さまであるマコママから大量に先生とマコママの衣装が送られて来ていたが、とりあえずハンガー掛けに掛けて吊るしてあっただけであった。
このハンガー掛けは会社の備品である。これから冬になると各種の催し物が開催される際にコートなどを掛けるハンガー掛けが必要になる。それを使わせてもらっていたのだが、本格的な冬になってハンガー掛けを多用する頃になったので、さすがに会社の備品をそのまま使い続けているわけにもいかないから、ハンガー掛け5台とハンガー40本とマネキン4体を注文しておいたのである。
それが先週届いたのであるが、出張などが重なって組み立てる時間が作れなかったのだ。ようやくまとまった時間が取れたので、ハンガー掛けとマネキンを組み立てた。
マネキンはフレキシブルタイプと云うシロモノで、全身の各所が自由に動かせるようになっているから、どんなポーズを作ることも可能である。
マコママに写真を送らなくてならないから、まずはマネキンを組み立てて写真を撮ったら、顔がのっぺらぼうなのでちょっと気味が悪い。東急ハンズのパーティグッズ売り場で仮面を購入して来て被せてみたら、髭の感じがちょっとジミー先生に似た風になった。
試しに1着、黒い燕尾服をマネキンに着せてみたら、何とマネキンのウェストの方が太くて、先生のズボンの前ボタンが閉まらないではないか、ジミー先生は意外とスマートだったんだなぁ〜。
女性用の方もマコママの赤いドレスを着せようと思ったら、背中のファスナーが壊れていて開かないから、紫のドレスを着せてみた。
2体並べてみるとこれがなかなか格好良いではないか。後日シャツやベルト等も着せて本格的に飾ってみようと思う。
マネキンに着せた状態でも写真を撮ったのでマコママに郵送しておいた。
博物館に展示するものはほぼ揃っているのだが、道具類の分類作業がまだまだである。
展示の仕方もまだ構想段階である。これから地方に出掛ける度に博物館などを見学して展示手法も勉強しなければならないだろう。
■2013-12-07-Saturday 秘密保護法
6日深夜
参院本会議で自民党と公明党は特定秘密保護法案を採決を強行して成立させた。
これだけ、国民が問題視している法案を十分な審議もせずに強行採決するのは与党の奢り以外の何物でもない。
これは、小選挙区制の招いた悲劇であると思う。
まだ、日本の民主主義が成熟していない状態で2大政党制なんて幻想を抱いて導入したことに根本の問題がある。
先の民主党政権のだらしなさから、今度は自民党の大勝に揺れたが、そのどちらも日本の為にはまるでなっていない政治であった。
自民党を選んだのは他ならぬ国民であるのだから、国民はもっと選挙時にムードなどに流されずに投票する責任感を持たなければならないだろう。
しかしだ、先の選挙の時には「アベノミクス」によるデノミからの脱却がメインテーマで、この秘密保護法案なんて有るのか無いのか判らないようにしていた。これは騙しのテクニックそのものである。国民は公約の裏側をよくよく検討する必要があるだろう。
それよりも、この小選挙区制を変えた方が良いのかもしれない。メリットよりも弊害の方が大きいように思う。
かのヒトラーも選挙に依って選ばれたことを考えると、何だか安倍首相が重なって見えてしまう。
いったい、この首相は何をしたいのだろうか?日本をどういう国にしたいのだろうか?
とても危うい方向に向かっているように感じる。
特定秘密保護法は成立してしまったが、施行まではまだ1年ある。ここで諦めてしまわずに、この間に粘り強く改正をする必要があるだろう。
■2013-12-08-Sunday 謎解明
先般入手した
明治時代の奇術師で、日本近代奇術の父とも言われる「松旭斎天一」の書がようやく読み解けた。
右上に落款の関防印が押され、大きく4文字が右から左に横書きされてあり、その左側には縦書きで4文字書いた年月が書かれてあり、その横に「天一」の署名と落款の白文印と朱分印が押されている。
あまりにも達筆なのと篆刻の文字が読めなかったのだ。
右上の落款の関防印は『松旭斎』と読める。
大きな漢字の四文字を当初、私は右から「唯 花 酔 月」と読んだのだが意味が通じない。最初の「唯」がどうやら違う字の様だが達筆過ぎて分からなかった。
縦書きの年月のところも『甲 午 春 分』と読んだのだが最後の「分」の字に自信がない。
『天一』と云う署名は判り易いが、落款の文字は独特で判読が難しかったので、色々な文献を調べてみたら白文印は姓名を表わすとあるので「松旭斎天一」の本名である『服部松旭』と読むことができた。
その下の雅号を表わすという朱文印は「天一」という文字はすぐに判明したのだが、その左側の2文字が読めない。「山 鹿」みたいに読めるがそれでは意味が繋がらない。
色々な落款印の印影を調べている内に、この左側の2文字が各種の落款印に共通していることを発見した。「山」と「鹿」に見えたのは、どうやら「之」と「印」という字のようだ。それで『天一之印』と読めるようになった。
7日に高校の同窓会の役員会が開催されたが、事務局長を務めている教師の方が書道と篆刻の先生なので、これは良い機会だと考えて、額装した写真を持参してこの先生に尋ねたのである。
その場で四文字の最初の字は「唯」ではなく「座」ではないかと読み解いて下さったが「一応最終的に確認するので一日預からせて欲しい」とありがたいことを言って下さった。
今朝ほど電話を下さって最終的に判明したのであった。
四文字の最初の字はやはり「唯」ではなくて『座』という文字で『座 花 酔 月』となる。「花のあるところに座って月を眺めたら気持ち良くなった」というような意味であるという。
年月の文字も『甲午 春分』であるという。来年は奇しくも60年に一度の「甲午(きのえうま)」の年である。書かれた甲午は天一の年齢からすると120年前の明治27(1894)年3月ということになる。
そこで別な文献で明治27年の松旭斎天一の興行年表を調べると3月3〜20日までが東京市の厚生館、3月23日〜4月5日までが東京市・錦輝座で興行を行なっているから、どちらかで客に書いて渡したものではないかと推測できる。
このようにひとつひとつ調べながら想像を膨らませると面白い、この謎解きはとても楽しいひとときであった。
■2013-12-09-Monday 掛け持ち
7日は会合の掛け持ちがあった。
18:30からは日航ノースランドホテルで青年会議所の活動報告例会、19:00からはワシントンホテルで柏葉高校の役員会である。
青年会議所の方は現役の例会であるから出欠を問う案内が来た時に、何で私に案内が来たのかまるでピンとこなかった。柏葉高校の役員会の案内が先に来ていたのでこちらに出席の連絡をしてあったので、青年会議所の方は欠席で連絡してあったのだが・・・。
現役の例会担当委員長がわざわざ会社に訪ねてきて、是非出席して次年度OB会長として挨拶して欲しいのだと言う。てっきりOB会長としての仕事は来年1月からだと思っていたので、年末から出番があるとは思わなかった。
柏葉高校の役員会の会場のホテルはすぐ隣であるから、30分ほど遅刻するという連絡を入れて掛け持ちをすることにしたのである。
来年はこういう事態が増えるかもしれない。
昔は挨拶が苦手で胃が痛くなったものだが、年と共にズ〜ズ〜しくなったのか、それとも講演などをしている内に慣れてきたのか、このところ胃が痛くなるようなことはなかったが・・・。
私は、今回の青年会議所の例会は「卒業会員卓話例会」と云う、40歳で卒業する会員が3分間の卓話をする例会だと思い込んで挨拶の内容を考えていたのだが、会場に行ってみたら私が現役の頃にはなかった活動報告例会だという。急遽、挨拶の内容を変えねばならなくなって妙な緊張をしてしまった。
珍しくドキドキしてしまったのであった。
もっと臨機応変に挨拶できるようにしておかなければならない。
■2013-12-10-Tuesday 恐怖政治
北朝鮮ナンバー2の
張成沢(チャン ソンテク)氏が失脚したと伝えられていたが、朝鮮中央通信が9日「全ての職務から解任して一切の称号も剥奪し、党から除名する決定書が採択された」と報道し、議場から連行される張氏の写真を公開した。
解説では金正恩(キム ジョンウン)が独裁体制を強める為に「自分に逆らったら、たとえ叔父であっても粛清する」という固い決意をみせて、恐怖による統治をしたのではないかと推測していたが・・・。
恐怖による統治ほどもろいものはない。
自分以外はたとえ身内でも信頼や信用が出来なくなってしまう。
こうなると安心して眠ることも出来ずに、いつクーデターが起きるかビクビクしながら暮らさなければならなくなる。これはそうとうのストレスを心身に与えるであろう。
疑心暗鬼を生むという状態になって、他人の言動を疑い出し、ちょっとでも疑念が生じたら粛清をしていく。
最初こそその恐怖による支配が活きるかもしれないが、周りの人間はいつ自分が粛清されるかも判らない状態では、逆に反撃の準備もしておかないと命が危なくなるから、かえってクーデターのタネを蒔いているようなものである。
こうなったら、もはや体制の維持は難しい。北朝鮮の崩壊は意外と近いのかもしれない。
■2013-12-11-Wednesday 新理事
先月20日以来とんとご無沙汰だったが
今月8日からまた連続して北の屋台に関する新聞記事が続いた。10日の北海道新聞朝刊に依ると、商工会議所の曽我彰夫副会頭を中心にして、年内にも北の屋台の新しい理事者を決めるとのことだから、この際しっかりと調べて、膿を出し切って再出発をしてもらいたいと願う。
その北の屋台について、先日、友人と話している内に、ひょんなことから、これまで頭の片隅に引っ掛かっていた疑問がフッと解けたのであった。
その疑問とは10月1日の北海道新聞朝刊の「転機 北の屋台 運営団体解散へ 上 変質」と題された特集記事の中の『(販売促進費に関して)第三者のある公認会計士は「販促費の使途範囲をどこまで認めるかは理事間で合意すれば良い」として会計上は問題ないと指摘する』という部分だ。
この指摘に依ってほとんどの人たちが「そうなのか、販促費のことは問題が無かったんだ」と認識したことと思う。
しかしだ。この第三者の公認会計士は北の屋台の組合の実態を知らないのではないかとフッと思ったのである。
おそらく新聞記者も北の屋台の組合の実態を知らずに一般的な組合に於ける事例としての見解をそのまま載せたのではないかと思うのである。
北の屋台の「北の起業広場協同組合」の実態は「協働組合」とは程遠いということだ。
1999年に全国中小企業団体中央会からの補助金を受けて北の屋台の活動は始まった。2年目にも同じく補助金を貰ったが、私は「北の屋台」を「株式会社」として運営するつもりでいた。しかし、中央会からは「全国的な成功事例になりそうだから、協働組合として運営して欲しい」との要請があったのである。中央会は協働組合を束ねる組織であったからだろう。
そこで2000年に「北の起業広場協同組合」を設立して運営することにしたのだが、この時点では、もちろんまだ屋台の店主は誰一人として決まっていないから理事者は全員「十勝環境ラボラトリー」のメンバーだけで構成されたのである。
翌2001年に屋台の店主らが決定した後も、理事者には屋台店主は入っていないままであった。ここが、通常の協働組合とは大きく異なる点なのである。
通常の協働組合は同業種などの会社が集まって作るものだが、理事者は一部の員外理事を除いて組合を構成する会社から選ぶ。即ち、理事者は会社の利益の代表者となる訳だ。
だから、理事者は自分達で使うお金を、自分達で集めるわけである。だからその使途範囲は理事者が決めることがOKなわけだ。
しかし、北の起業広場協同組合の理事者は全くの異業種の人たちであって屋台の店主ではない。つまり、理事者は屋台店主の利益を代表していない存在なのである。
「理事者と屋台店主」は、いわば「大家と店子」という関係でしかない。だから、大家が店子と結んだ契約書で「販促費は目的外使用しない」としてあるのなら、販促費を理事者が勝手に他のことに使用したら契約違反になるであろう。
第三者の公認会計士が言うのだから「問題ない」と思い込むのは早計であると考える。
権威に惑わされて無条件で信じ込んでしまっては本質を見誤ってしまうのではないだろうか。
■2013-12-12-Thursday 性転換
女性から男性に性転換して
普通の女性と結婚した夫婦の妻(普通の女性)が、第三者から精子の提供を受けて人工授精して男子を生んだが、この子供を実子(嫡出子)として認定するように求めた裁判で、最高裁は「性別変更した夫でも、妻が婚姻中に妊娠すれば夫の実子と推定される」という判断を下した。
エ〜ッ、この最高裁の判断って???
どうやら嫡出子と非嫡出子との差別をしてはいけないという判決ともまたケースが異なるようだ。
「妻が婚姻中に妊娠したら夫の実子と推定される」というのは、一昔前ならまだしも理解は出来るが、しかし、DNA鑑定などが進んだ現代では、疑わしければ調査して判定することだって可能であろう。
女性はお腹を痛めて生んだ子どもは、タネが誰であれ実子であることには間違いはないが、男性の方は自分のタネなのかという疑問が付いてまわる人がいることは十分に考えられる。
民法772条の「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という規定自体が時代遅れのようにも感じる。
だから、夫が本当に自分の子供なのか疑問に感じたら、DNA鑑定でもしなさいよとでも言うのが裁判所の見解なのではないかと思っていたが・・・。
この裁判長は、どうやらそういったケースでも「ひたすら妻を信じなさい」とでも言うつもりなのかなぁ〜。
女性から男性に性転換した夫に精子をつくる能力がないことは明らかであろう。
その妻が妊娠したのは、生殖能力のある第三者の男性の精子の提供を受けたからだということも明らかだろうし・・・。
新聞に依ると2004年7月に施行された「性同一性障害特例法」により性転換手術を受けた人はこの9年間で約3600人もいるという。1年間に400人ということは、毎日一人以上の人間が性転換手術を受けている計算になるではないか。
本屋の新刊文庫本のコーナーに「トロピカル性転換ツアー(能町みね子)文春文庫」という本があったので買って読んでみたが、性転換手術と云うと深刻な問題なのかと思っていたが、意外と軽い気持ちで性転換手術を受ける人もいるようである。
性同一性障害の人が幸せな人生を送りたいと云う気持ちも十分に理解できるが・・・。
結婚って何なのか、性別って何なのか、子どもって何なのか、何だかこんがらがってきてよく判らなくなってきた。
いずれにしろ、今後このような事が増えることは予想できるから、国会で法の整備を早目にする必要があるだろう。
ウ〜ン、世の中ますます複雑になってきたなぁ〜。
■2013-12-13-Friday 大根葉
10月の末に
自分で漬けた大根葉がとても美味しく漬かった。
やはり大根葉の漬け物は最高である。微塵切りにして、納豆に混ぜても美味いし、粕汁の具にしても美味しいが、何と言っても味の素をパラパラと振り掛けて醤油を垂らすと、これが実に美味なのである。
私はこの大根葉の漬け物だけでご飯が食べられるほどだ。
こんな美味しい大根葉なのに、スーパーマーケットで売られている大根はほとんど葉を切り落として売っている。流通の邪魔だということだろう。食べずに捨ててしまうなんて実にモッタイナイことをしている。
誰か、この捨てている大根葉を集めて漬け物として売るビジネスをする人がいないだろうか?
どうせ、捨ててしまうものなのだから、安く買うというか、逆にお金を貰って引き取るというか、そういうことも出来るのではないだろうか。何せ今日日モノを捨てるのにお金が掛かる時代なのだから・・・。
漬けるのもこれまた簡単である。水で洗って塩で漬けるだけなのである。
他には何も必要ないのだから、注意するのは塩の分量くらいだ。ただし、塩の量が多くても水出しすればOKだから素人でも簡単に漬けられる。
こんなに美味しくて、しかも栄養分もタップリだというのだから・・・。
きっと、皆、大根葉を食べたことが無いのであろう。
温かいご飯に、微塵切りして軽く味の素と醤油を垂らしたものを混ぜて食べさせるデモンストレーションでもやれば、大根葉の美味しさを教えることが出来るのではないだろうか。
真剣に商業化を考えてみようかな。
■2013-12-14-Saturday 往生際
往生際が悪い!
地位に恋恋としているようで恰好が悪いことこの上ない。
普段から「俺様が一番偉いのだ!」みたいな不遜な態度をとっているから落ち目になったら手を差し伸べてくれる友人もいない。
友人と思っていたのは、権力にオモネル連中だけだったということなのだろう。
最初は庇っていた人たちも、周りが皆、助けようとしない姿を見て、見放し、櫛の歯が抜けるように段々と去っていく。
かつての親分も素知らぬ振りを決め込んだようで、助け舟を出す気配もない。
いつまでも醜くポストにしがみつく様は、日本人の心情には合致しないから、無関係の人たちからも早く辞めろの大合唱になる。
嘘の上に、嘘を上塗りするから、コロコロと云うことが変わるし、またその変わった言質に対して、更に嘘の弁明をするから矛盾がドンドン大きくなっていく。
他人の所為(せい)にしようにも、自ら招いたタネであるから、いまさらどうすることもできまい。
誰がどう見たって、もはや死に体になっているのに、本人だけにはまだその自覚が生じていないのだろう。
奥さんもいないから家族すらそんな姿勢を諫めてくれる人もいないのだろう。本当は寂しい人なのかもしれない。
潔く引き際を美しくすれば、手を差し伸べて引き上げてくれる人が現れるかもしれないが、こうまで地位にしがみつく姿を見せられると、ただの権力亡者かと思われてしまうだろう。
本人の未来の為にも良くない。
ここは潔く身を引いて後進に道を譲るべきだろう。
東京オリンピックはキレイな新体制の元で行なわれるべきである。
■2013-12-15-Sunday ご老人
困ったご老人が増えている。
土曜日の夕方17:30頃に自宅に、知人のご老人から「今から自宅にお訪ねしたい」との電話が入った。
「19時からの予定が入っているので18:30分には自宅を出たいのだが・・・」と丁寧にお断りしたら「10分で構わないので・・・」と言われるので「では、何分で来られますか?」と尋ねたら「20分で行けます」と言う。「では、お待ちしていますが18:30までしか時間はありませんよ」と念を押しておいたのだが・・・。
待てど暮らせど来られない。
年齢は80歳の方であるが、ご自分でまだ自動車の運転をされている。この日は雪が降ったばかりだから路面がツルツルに滑る状態だ。私にとって次の予定に遅れないギリギリの18:40になっても来られないから、事故でも起こしたのかと心配になって自宅に電話してみたら、娘さんが「父は出掛けています」と言う。「実は、これこれしかじかで・・・」」と事情を説明して「とても心配していますが、申し訳ないけれど次の予定があるので出掛けます。携帯をお持ちでしたらこの事情をご説明下さい」と電話を切って、玄関から出ようとしたところに、私の携帯に本人から電話が入って「道に迷ってしまってお宅が判らなくなったので、今自宅に戻ってきたところだ。携帯を持って出なかったので連絡できなかった」と言う。
とにかく事故でなくてホッとしたが、こちらの気持ちは次の予定があるし、もしも時間が無いからと急がせたことが原因で事故でも起こしていたならと焦ってしまう。
用事はと言うと別段この日のこの時間でなければならないと云う急用でもなかったようなのである。
思い立ったら、相手の都合はお構いなしで、すぐにでもやらないと気が済まないようになっているようだ。
ウ〜ム、ご老人とのお付き合いがこれからは増えるであろうから、こちらも、もっとユッタリとした対応を心掛けねばならないのかもしれない。
■2013-12-16-Monday ご老人2
ご老人の中には
困った人がいるものだの続きである。
月曜の早朝、雪が降ったばかりで路面が凍っている状態の道路で、しかも場所は交通量が多い国道の交差点でのことである。
帯広の西2条通りと国道30号線の交差点で、私が運転する車が音更方面から帯広駅(西2条南12丁目)方向に入ろうとしていた時である。
国道38号線の南東の角から北西の角に向かって斜め横断をしてくる老女がいた。
駅方向から音更方面に向かうバスに乗りたいらしい。
そのバスは信号で私の車の向かい側(駅側)に止まっていたが、青に変わってお互いに直進を始めたのであるが、その老女はバスの運転手に「停留所で待っていて」と言いたいのであろう、手を振りながら交差点を斜めに渡って来るのである。この老女は周りの車がまるで見えていないというかまったく見ていない。バスの運転手に自分の存在を見てもらいためだけに神経が集中しているようだ。
路面はツルツルである。私の車は発進したてだからまだスピードも出ておらずに何とか停車することができたが・・・。
もしも信号で停車していないで、交差点に進入していたとしたら、とても止まれなかったであろう。
こんな状況でも轢いてしまえば運転手の過失になるのだろうなぁ。恐ろしい。
何事もなくこの老女はこの交差点を渡り切っていった。
この交差点の先に泌尿器科があるが、駅方面から来た軽自動車が道路の真ん中でウィンカーも出さずにいきなり右折してこの泌尿器科の駐車場に車を入れようとした。しかし、駐車場は満杯で入れないから、道路を塞ぐ形で停まってしまった。
直進していた私は急ブレーキを踏んでギリギリで止まることが出来たが、この軽自動車の運転手も老人であった。この老人はまったく前も周りも見ないで自分の都合だけで運転しているようだ。
ヒヤヒヤが連続して心臓によろしくない。
そしてそのすぐ先で、今度は道路の真ん中でまた老女が横断している。凍った道で車はすぐには止まれない。
実にアブナイ。
たった5分位の間に3度もヒヤヒヤさせられた。
老人と言ったって70歳前後くらいであったろう。この年代の人たちが交通法規を知らないわけはあるまい。年を取ると自分中心になるのは仕方がないが、こんな状況で人を轢いてしまったら、轢いた方が可哀想だ。
もう少し周りを見て行動してもらいたいものである。
■2013-12-17-Tuesday 疑心暗鬼
「疑心暗鬼を生ず」
新聞によると16日に開かれた理事会で「北の屋台」の8人の現役員が全員退任し、新理事が選出されたとのこと。8月末の解散会見から始まった一連の騒動にようやく一応の決着がつくことになろうが、この3ヶ月間の騒動は一体何だったのだろうか。
この「北の屋台」の一連の騒動の根本原因は理事者が『情報を閉じた』ことにあるのではないかと考える。
当初の「北の屋台」のパンフレットや通信などにも記載されているが『常に情報をオープンにして活動を続けた』結果として市民からの支持を得たのではないかと思うし、屋台店主の人たちとの信頼関係も生まれたのだと思う。
『情報をオープンにする』ということは、運営者にとっては「都合の悪いこと」も「良いこと」も両方の情報がオープンになるということだ。
為政者や運営者は、とかく情報を秘匿したがるのは、先の秘密情報保護法をみても明らかであるが、特に都合の悪い情報は隠したくなるのが実力のない運営者の常であろう。
「悪いこと」が起こらないように運営者は細心の注意を払って運営をするからこそ健全な運営が保たれるのだ。
しかし、都合の良い情報のみを流して、都合の悪い情報は秘匿するようなことをしていれば、これまた組織の常であるが、やがて組織が腐敗することは歴史が証明している。
モラルが崩壊して何でも有りになってしまうからだ。
そこから、あらぬ誤解や疑惑を生んでしまい、更には疑心暗鬼を生ずで、最初は小さな疑心でも、やがてそこから誤解や思い込みや妄想を逞しくすることによって疑心が大きく成長してしまい、勝手に一人歩きを始めてしまう。
そして一番大切な信頼関係をも破壊してしまうのである。
そもそも、北の屋台は補助金を受けてスタートした事業であるから、それはすなわち税金を投入していることになる。
だから、組合はお客さんではない人に対してもしっかり情報を開示する義務があると思うのである。
ましてや、屋台店主が汗水流して支払ったお金の使い道を、店主にキチンと開示しないから、信頼関係がズタズタになってしまったのではないだろうか。
新理事に就任した方々は、屋台店主との信頼関係を取り戻すことはもちろんのことだが、市民との信頼関係も取り戻さねばならない。その為には「情報の開示」は重要なことだと考える。
「良いこと」も「悪いこと」も情報は全て開示しなければ信頼は得られないだろう。
一日も早い正常化を望みたい。
■2013-12-18-Wednesday 辞任
東京都の猪瀬知事が
辞任会見をおこなったが、疑惑が発覚してからおよそ1ヶ月、これでは遅きに失したという感じである。
新聞に依ると石原慎太郎前知事宅を訪ねた際に「辞職する以外にないんじゃないか」と引導を渡されたという。
もっと早くに自分で決断できなかったのだろうか。
これでは、偽証をしたら罪に問われる百条委員会が怖くて辞職したように思われてしまうだろう。
辞職会見を見ると、何だかオリンピックの開催準備を遅らせる訳にはいかないなどと言っているが、この人にとってはオリンピックがそんなに大切なのだろうか。
日本人は辞職したら、それで疑惑の解明もお終いにしてしまう傾向があるが、ここはやはり徳州会の問題を無しにしてしまうのはよろしくないだろう。徹底的に解明して、再度、同じ様なことが起こらないように検証するべきであろう。
新聞やテレビでは次の東京都知事の人選をしていたが、エ〜ッ、と言うような人達ばかりである。
日本の首都の顔を選ぶのに、この中から選べというのは・・・・。
私は東京都民ではないから外から眺めるだけだが、都民はバカにされていると思わないのだろうか。
■2013-12-19-Thursday イオマンテ
偶然というか、
何と云うか。不思議なことが重なるものである。
「十勝場所と環境ラボラトリー(2006年12月末解散)」の9つのプロジェクトのひとつである「環境童話製作プロジェクト」が、アイヌの「イオマンテ(熊の霊送り)」の儀式を題材にして、命とは何か?食べるとは何か?を子ども達に伝えたいと考えて創った2冊目の絵本「イオマンテ めぐるいのちの贈り物(文:寮美千子、画:小林敏也)パロル舎2005年2月15日発行」を是非とも欲しいとのメールが旭川の方から入った。
出版社のパロル舎が倒産してしまい廃版になってしまって本屋にも売っていないのだという。
すぐに「在庫がありますよ」と返信メールを送ったのだが何度やっても戻ってきてしまう。メールを送ってくれた方の名前は書かれているが、住所も電話番号を書かれていないのだ。文面からすると旭川で絵本の読み聞かせをしているグループの方らしい。
これだけの情報を元に、この読み聞かせのグループ名を割り出して電話を入れたのであった。
私の手元にあるのは、一般書店で販売するものではなく、「十勝場所と環境ラボラトリー用のバージョン」で頒布価格なども載っていないタイプなのである。何冊か倉庫に仕舞ったままだったので、寄贈することにして送ってあげたのであった。
別件で、作者の寮美千子さんとメールのやりとりをしているので、このことを報告したら、作者である自分の手元にも1冊しか残っていなかったのだと言う。
作者の寮さんが、15日に奈良で民映研の映画「イヨマンテ」の上演があった際に、上映主がどうしても欲しいというので、この最後の一冊をプレゼントしてしまって自分の手元には遂に一冊も残っていないのだというではないか。
出版社のパロル舎は倒産してしまっているから増刷も出来ないので困っていたのだそう。
たまたま、私のこの報告メールを見て、まだ私のところに在庫があったら分けて欲しいと言う。
倉庫を調べてみたらまだ数十冊は残っていたから、寮さんのところに送ってあげたのであった。
何と云う偶然であろう。
この「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」は素晴らしい絵本である。何度読んでも感動する内容だ。
倉庫に眠らせておくのは、それこそモッタイナイ。
きっと、本も活躍させて欲しいと思ったのであろう。
どこかの出版社が再販して欲しいと思う。
■2013-12-20-Friday OB会長
JCのOB会長を
来年1月1日から務めることになっているのだが、12月になってから関連の会合がたくさんあって連日連夜酒を飲んでいる。
こんなに忙しい職だとは思わなかった。
年4回の例会での挨拶くらいしか仕事がないのだと聞いていたのだが・・・。
引き受けた後でOB会員に不幸があった場合には葬儀への出席があると言われたり、打ち合わせの会議への出席やら、OB会のゴールド会員(70歳以上)の例会への出席の義務などもあったりするのだという。
年の瀬も押し迫ったこの12月にも今週だけで2回、来週も1回の会合があるので、結構忙しいのである。
今日は、今年度の担当の昭和32年会の渡辺会長らのスタッフと来年度の昭和32年会のスタッフとの引き継ぎの会議ということである。
ホテルで会食した後に32年会の連中と居酒屋へ二次会に行った。私は33年の早生まれであるから、今年度のスタッフと同学年なのである。
何だか、現役時代に毎晩飲み歩いていた時代を思い出した。
結構な量を飲んでしまって珍しく二日酔いになってしまった。
■2013-12-21-Saturday 年賀状
連休中に年賀状を
書いてしまおうと考えて自宅にPCを持って帰ったが・・・。
どうも自宅のプリンターとの接続が上手くいかない。
もともとPCには弱いのであるが・・・。
何度トライしてもハガキに住所を打ち出せないのだ。かれこれ5時間くらいも挑戦したが、上手くできなかったのであった。
一旦休憩してから再挑戦したが依然として上手く接続ができていない。
別な無料の宛名書きのソフトをインストールしようとしても上手くいかない。誰か何とかしてくれ〜。こんなことなら手書きで書いた方がよっぽど早かったと悔やまれる。
やっぱり連休明けに会社に行ってやるしかないか。
結局無駄なあがきであった。どうもPCの扱いは判らない。
年賀状くらいは手書きで書けということかな?
筆ペンでも買ってくるとするか!
■2013-12-22-Sunday 三連休
今年はやたらと
3連休が多い年であった。
その3連休の今年最後の3連休が21・22・23日である。その翌日がクリスマスイブであるから、キリスト教の異教徒ではあるが、なんだか長い休みの気分である。
しかし、何故だか、この師走の忙しい時期にやたらと会議が入っている。会議に出席する人達は家族サービスでクリスマスパーティをやらないのだろうか?
我が家は、母も妻の両親も食べに出歩くのは億劫だと言うし、かと言って自分でクリスマス料理を作るのも面倒だし、プレゼントを配るような年齢の子どもも居ないから、ごく普通の夕食ということになる。
まぁ、それも良いであろう。
でも何だかクリスマス気分が出ないなぁ〜。
夕食の後に温泉に行ったら、今日は冬至だということで、南瓜団子のぜんざいの無料サービスと、ゆず湯のサービスがあるという。
温泉に入ってもゆずが浮いていない。あれっ、ゆず湯のサービスは女湯だけかな?と思っていたら、ネットに入って湯船に沈んでいたので、引き上げたらゆずの良い香りが漂ってきた。
ゆずの香りはこころを安らげてくれる。ゆずの油分で肌もすべすべになったのであった。
温泉でゆったりした気分になって帰宅したのであった。
■2013-12-23-Monday フィギュアスケート
娘がフィギュアスケートを
やっていた関係でフィギュアスケートには関心がある。
今回、さいたまスーパーアリーナで行われた全日本選手権大会は、男女とも実に見ごたえのある面白い大会であった。
来年2月に行なわれるソチ冬季オリンピックの代表選考も兼ねていて、この大会の成績によって男女とも3人ずつの代表選手が選ばれるから、選手は皆必死である。
男子の方の一人目は、羽生結弦が圧倒的な強さを見せて優勝し、文句なく代表を決めた。二人目は今大会で2位に入った町田樹が順当に代表に決まったが、問題は三人目の代表である。
今大会で3位に入った小塚崇彦か、今大会ではケガで振るわず5位に終わったが実績のある高橋大輔かで選考は難しいかったであろう。結局は実績を取って高橋大輔に決まったが、小塚君には悪いが、まぁ順当なところではないだろうか。織田信成は今一歩であった。
女子の方は、SPでトップに立った浅田真央が、男子の羽生同様にフリーでも勝ってすんなり決めるかと思ったのだが・・・。
ここで圧倒的に勝てないところが浅田の精神面の弱さであろう。オリンピックでも韓国のキムヨナとの戦いに不安を感じさせる内容であった。
逆に鈴木明子が逆転で優勝して代表を決めたところは精神面の強さを感じた。
以前の大会で自分の演技の曲と違う曲が掛かって動揺して散々な成績に終わった村上佳菜子であったが、今回は精神面でも成長したのか、2位に入って代表入りを決めた。
残念であったのは、今年娘を出産して復帰してきた安藤美姫である。やはり出産後の状況から身体を万全に戻してくるには時間が足りなかったようである。
日本は男女ともフィギュアスケートのシングルのレベルは世界一である。この中から3人ずつを選ぶことは過酷なことであろうが、レベルが高いがゆえに切磋琢磨するからこそ益々技術面や精神面でも鍛えられるのだ。
オリンピックで男女とも金銀銅独占なんてことになって欲しいものである。ソチオリンピックが楽しみである。
■2013-12-24-Tuesday 松旭斎天一の掛け軸
ヤフーオークションで
18日の20時に、またまたお宝を発見した。
11月に漢字4字の書を落札したばかりの、明治の奇術師で日本近代マジックの父といわれる松旭斎天一の掛け軸を見つけたのだ。
「奇術師一代 松旭斎天一の生涯(品川書店)青園謙三郎著 昭和51年刊」という本に天一自作の漢詩の書の写真が載っているが、その漢詩とまったく同じ文章である。
「誰将螳(虫良)試逆車 当軍之事勝嘆嗟 山河百戦只枯骨 功罪千秋空白沙」と云う漢詩である。(虫偏に良と云う字は「螳螂(とうろう:かまきり)」の意であろうが邑部が抜けている)
写真で二つの同じ漢詩を並べて見ると、字がやや違う気がするが、落款印は同じに見える。
署名の行には「庚子秋季松○妙(砂?)福良鳴海舘○旭天一」と読める。
18日の20時の段階で付いている値段は1000円である。この程度の値段ならニセモノでも構わないなと考えていた。
ところが、「天一一代 明治のスーパーマジシャン(NTT出版)藤山新太郎著」と云う本で調べると、「庚子(かのえね)」は1900年明治33年であるが、この年の9月に天一は淡路島の福良町の鳴海館というところで興行していることが分かったのだ。
そこで、今度は「明治の演芸(七)明治三十三年〜明治三十七年(演芸資料選書・1)国立劇場芸能調査室:倉田喜弘編」という資料を調べてみるとその318頁に、明治三十三年九月十九日付の「神戸又新日報」に「淡路の興行便り 洲本町にて喝采を博したる松旭斎天一は、其後、和歌山、徳島各地を打廻り居たるが、二三日後より三原郡福良町・鳴海館にて開場せり。」と掲載されている。
天一は舞台上で漢詩を読んで、その場で揮毫して客に渡していたというからその時のものではないかと推察される。
出品者は「ストア」だから会社なのであるが、この会社はマジックには詳しくないのだろう、ヤフオクの表示で「奇術師」とか「手品師」と云う文字を使用していないのだ。もしも、このどちらかの文字を使用していたらマジック愛好家は皆が入札に参加してくるであろうが、「松旭斎天一の掛け軸」だけではマジック愛好家にはヒットしないのである。
私も、たまたま先月の「松旭斎天一」の書を落札したことから偶然にヒットしたのであった。
締切り日時は24日22時02分である。
21時に会合から帰宅してPCを開いて見たら、まだ2310円という値段。それからズ〜ッと画面とにらめっこをしていたが上がる気配がない。シメシメ、この値段で天一の掛け軸が手に入るなら、これはすごいクリスマスプレゼントだぞと思った矢先の締切り間近の21:57になって急に値段が動き始めた。
誰も参加して来ないから、やっぱりニセモノかなぁ〜という考えもよぎったりもしたが、いやいやマジック愛好家は誰も気が付いていないのだとも考えていたのだが・・・。
この時点で入札に参加してきたのは、先月に同じ天一の書で競い合った奇術研究家で大学教授のKさんである。
Kさんが参加してきたということは本物であろう。
またまた私とKさんの二人の競い合いになってしまった。今回も私が落札できたが、届いたらまた解読をする楽しみが増えた。
ヤフオクには宝が埋まっている。
■2013-12-25-Wednesday クリスマス
今年のクリスマスイブは
寂しいクリスマスイブであった。
JCOB会の会長として現役の3役と一緒に会食をすることになっている。
現役の三役も忙しいのだろうが、何もクリスマスイブの夜に家族サービスもしないで私と酒を飲んだってつまらないだろうに・・・。
私も自宅を出る時に妻から「貴方も現役の頃は、JC、JCで毎晩飲んで歩いて、家に居たことがなかった。家族サービスなんてなかった」と言われてしまった。
そうだったかなぁ〜。自分ではあまり覚えていないけれど・・・。
クリスマスイブの夜くらい家族と過ごす方が確かに賢明ではあるけれどもなかなか師走の押し迫ったこの時期に日程を調整するのが難しいのだろう。まぁ、仕方があるまい。
私は24日のブログに書いた「松旭斎天一」の掛け軸のヤフーオークションのことが気掛かりで、締切り時間の22時までには自宅に戻りたかったし、現役の連中も、この会合の後で家族サービスをするのだろう。
会場の店を出ると、人通りが少ない。さすがにクリスマスイブは家族団欒の人が多いのではないだろうか?
イブは男ばかりの会合で寂しかったが、ヤフオクで天一の掛け軸も手に入ったから、まぁ、クリスマスプレゼントとしてはまずまずの展開であった。来年も何か良いことがあるといいのだが。
■2013-12-26-Thursday 靖国神社参拝
首相就任から1年にあたる
26日午前に安倍首相が靖国神社を参拝したというニュースが流れた。
現職首相の参拝としては小泉首相以来7年4ヶ月ぶりだという。
安倍首相は前回の首相就任時に参拝出来なかったことを悔やんでいたというから、今回は1年目ということで参拝したのだろうが・・・。
私は、中国や韓国が、日本の政治家の靖国神社参拝をとやかく批判することは好ましく思っていないが・・・。
しかし、政治の外交というのは相手国があることだから、おもねるわけではないけれども、中国や韓国との間がギクシャクしているこの時期に、いたずらに相手国を刺激する今回の参拝は如何なものだろうかと思う。
相手が暴走しているときには、こちらには非が無くても一旦停まって周りの状況や様子を眺めなくては、いらぬ被害がこちらに及んでしまうケースだってあるからだ。
同じ26日には沖縄県の仲井真知事が辺野古の埋め立てを承認する方向だとのニュースも流れたが・・・。
与党自民党や政府の中には、この問題がハッキリしてから参拝すればよいのにと考えている人も居るだろう。
安倍首相という人は、一旦、思い込んだらすぐにでも実行に移さなければ心が落ち着かない性格なのだろう。
何だか、こういうアブナッカシィー人を首相に頂いている日本人って、鈍感なのか諦めているのか・・・。
来年の政治がとても怖いなぁ〜。
■2013-12-27-Friday 大掃除
今日は会社の
大掃除であるが・・・。
今年2月の地震で崩れた書類の山を、とりあえず段ボールに入れておいたのだが、結局、今年中に整理が出来ずにそのままにすることになってしまった。
何せ、棚の書類が全部崩れ落ちたものだから、重要な書類も、保存しなければならない書類も、捨てても構わない書類も、どれがどれだか判別して分類しなければならないからだ。
さっさとやってしまえば良いものを、面倒臭くてズルズルと引き延ばしている内に年末になってしまった。
もう、こうなったらエイヤッ〜と中を調べずに全部捨ててしまおうかとも考えたが、中には重要な書類も混じっているから、やはりそれは出来ない。
別に今年中に片付けなくたって正月が来ないわけじゃないと開き直って、来年に整理することにした。
すると、社員が床にワックス掛けをするから社長は邪魔だという。3時間ほど会社を留守にして欲しいというので床屋に行くことにしたが・・・。
同じような人が多いのだろう。床屋さんも一杯の人である。
私が贔屓にしている床屋さんは予約が利かないので、出直すことにした。
会社に戻っても仕方がないので本屋に行って正月に読む本を物色してから再度、床屋さんに行くとちょうどタイミング良く待たずに散髪してもらえたのであった。やはり正月は頭をサッパリとして迎えたいのである。
■2013-12-28-Saturday 永遠の0
映画「永遠の0」を観に行った。
妻が主演の岡田准一のファンなのである。
私は別段観たかったわけではなかったが、妻がどうしても観たいと言ってきかないのである。
映画館は結構混んでいたが、いつもよりも年齢層はかなり高目である。だからその分、長い映画なので途中でトイレに立つ人が多いのは仕方のないことである。
観た感想は、まぁまぁ良い映画であった。ところどころホロッとさせる場面もある。
最初は戦争映画かと思ったが、戦闘シーンは少なくて、若い世代の人間のアイデンティティ探しの話とでもいう感じであったが・・・。
昔はよく父に東宝映画の「山本五十六」だとか「トラトラトラ」とかの戦争物を観に連れて行かれたから、意外と戦争物の映画には詳しいのだが・・・。
戦闘シーンは重要な場面ではないという判断だったのだろうか、それともこの映画はFVXの予算が少なかったからなのか、軍艦の描写がイマイチであった。
普通なら空母の護衛艦がもっと多くなければならないと感じたのだが・・・。
まぁ、人間の描写が重要な映画だからこれでも良いのかもしれないが、何だか少し物足りない気もしたなぁ〜。
妻は岡田准一が見れたらそれで良いのだろう。岡田君は良い役者になったとしきりに褒めていた。アナタごときにこの映画のことを論評して欲しくないとも言う。どうやら私とはずいぶん観点が異なるようである。
■2013-12-29-Sunday 年末年始
明日30日の
午前中で今年の仕事収めである。
27日の金曜日で終業にしようかとも考えたのだが、始業が1月6日なのでそうなると9日間もの長期の休みになってしまう。
さすがに長過ぎるので30日の午前中だけ最後の締めくくりをすることにしたのだ。
年末年始に何をしようかと考えるだけで頭が痛くなる。
昔のように挨拶周りなんてしなくなったし、スキーだってここ20年ほどもやったことがない。
どこかに旅行するにしても、どこも混んでいるだろうし、値段も高くてサービスも悪いだろうから、あまり行きたくもないし、今から予約できるはずもない。
映画も、映画館で上映する正月映画はもう既にほとんど観てしまったから新たに観たい映画もない。
マージャンや百人一首なんて遊びも近年はさっぱりやらなくなった。
テレビもつまらないし、後は、酒でも飲むか、本でも読むしかないだろう。
明日は午前中で会社が終わるから、その後で本屋にでも行って大量に本でも買ってくるとしよう。
年末年始にあまりに長く休みになるのも辛いものである。
■2013-12-30-Monday 今年を振り返って
2013年を振り返ってみると
今年はゴルフ三昧だったような気がする。例年、ゴルフは5月の連休明けからしかやらないのに、今年は1月、2月と海外でゴルフをやれたことで始動が早くて、身体がすっかりゴルフを求めていたようである。
結局11月中旬までに38回もプレイすることができた。
しかし、スコアの方はさっぱりダメで、飛距離は落ちるし、目が悪くなって芝目が読めなくなるしで、一度も80打を切ることが出来なかった。来年はハンディを下げてもらうしかないかもしれないなぁ。
2月2日の大地震で、会社の6階の大きな窓ガラスが割れた。通行人が居なくて怪我人を出すこともなく、その点では不幸中の幸であったが、特注のガラスが出来てきたのが28日で、その間の26日間は真冬に事務所の窓ガラスがない状態で寒いの何の。
3月初旬には大道芸人のファニーボーンズが帯広に来て、今年度の大道芸フェスティバルの会議を持った。ここ数年の平原まつりでの運営が上手く行っておらず、今年も開催の危機であったのだ。
今年は早目に打開策を検討し、何とか明るい兆しが見えてきたところである。
3月末には十数年乗った愛車を買い換えた。私はとても気に入っているのだが妻が気に入らないらしく乗る度に文句を言うのが困りものだ。
旅行は4月に会津若松に8月初旬には東北のまつりを連続して見て廻り、12月には名古屋に行った。
夫婦二人旅だが、旅行中は喧嘩ばかりしているが、こうしていろいろな場所を見て廻れるのは幸せなことである。
来年も健康で過ごしたいものである。
今日、30日に妻の実家に帰省している子どもを連れて挨拶に行く。そこに妻の双子の姪っ子夫婦家族が挨拶に来て、更に叔父家族も合流して年末に大賑わいになった。上は90歳から下は3歳までの親類が15人も集まって団欒するのは楽しいことである。
明日には我が家も、1年振りに子ども達3人も全員戻って来て、家族5人が揃う。元旦には恒例の家族写真を写真館に写しに行くことにしている。
来年も今年同様に家族全員が一堂に会せるようにしたいものである。
■2013-12-31-Tuesday 大晦日
旧暦では毎月の最終日を
晦日(みそか)と云うが、最後の晦日である12月の晦日を大晦日と云った。
元々「みそ」は「三十」で、「みそか」とは30日の意味である。
晦日の別名を「つごもり」と云った。これは「月隠り(つきごもり)」が転じたものであるが、そこから大晦日を「大つごもり」ともいったそうである。
今日、大晦日に長女が帰郷して来て5人の家族が全員揃った。そこに母を交えて6人で夕食を一緒に食べた。一年振りの勢揃いである。
今年は、母の9人の孫の内、初めて姉の子(私の姪)が結婚したが、来年は、妹の子(私の姪)が結婚する。
メデタイことだが、そういう年齢に達したということだ。食事をしながら私が以前に撮影したビデオを映した。
私はマジックをやっていたからビデオカメラの購入も早かった。肩に担ぐ重たいビデオカメラの時代から撮り貯めていたのである。
その中に、昨日義父の家に遊びに来ていた妻の姉の子達が映っているビデオが出て来た。
昨日、来ている時に見せてあげれば面白かったのに・・・。
義父の家には、マスターテープが何本か置いたままになっていた。きっと以前に見せに行ってそのまま置いて来て忘れていたのだろう。
持って帰ってDVDに焼き直しをして保存することにした。
編集して来年の姪の結婚式にサプライズで上映してあげようかしら・・・。
家族が集まって昔のビデオを見ながら談笑するのは、もう大晦日や正月くらいしかないのかもしれない。明日、遊びに来る姪や甥達にも見せてあげよう。