■2014-10-01-Wednesday 思い込みの怖さ
9月初旬、札幌に
大道芸フェスティバルの「だいどんでん」を観に行った際に、旧知のマジシャンが経営するマジックバーの「マジックパーク」に寄ってきた。店主の芸名はバーディー・コヤマさんと云うプロのマジシャンだ。
私の師匠であった故ジミー忍師の、更に師匠である松旭斎天洋の門下で、ジミー師匠の弟弟子にあたる方になる。
松旭斎天洋は、先般、私が入手した掛け軸を書いた明治のスーパーマジシャン日本近代奇術の父と言われる「松旭斎天一」の親類で、その弟子でもあった。
天一の死後、独立して「テンヨー」と云うマジック用品をデパートなどのおもちゃ売り場で展開し、販売する会社の祖となったマジシャンである。
大きなデパートなどのテンヨーのマジック売り場には「ディーラー」と呼ばれる実演販売の人が居るが、このディーラー出身の有名なプロマジシャンが数人居て、この内、松旭斎天洋の一番弟子が引田天功(初代)であり、二番弟子が世界一のマジシャンと言われてアメリカで活躍した島田晴夫であり、三番弟子がヨーロッパで活躍した八田加寿雄であり、四番弟子が私の師匠のジミー忍(聖忍)であり、五番弟子がバーディ・コヤマである。更にその下にはMr.マリックがいる。
近年のマジック界を牽引してきた錚々たる顔ぶれのマジシャンばかりである。
このバーディ・コヤマさんが経営するマジックバー「マジックパーク」に寄ってマジックの話をしていたところバーディさんが「昔のとても貴重な映像があるからDVDにして送って上げる。博物館の資料に提供してあげるよ」と言ってくれたのだった。
そのDVDが1日夜に自宅に届いたので、すぐにバーディさんに電話を掛けたのだが繋がらなかった。
その後、私が温泉銭湯に行っている間にバーディさんから電話が入ったが留守電になってしまったようで、携帯にメールが届いていたが・・・。
その内容は「先日は美味しいものをお送り頂き、ありがとうございました。連絡を頂いたみたいですが・・・」と云うものであった。
あれっ、私はまだ何も送っていないぞ。誰かと勘違いしているのかな?と思ってメールで「貴重な映像をたくさんにありがとうございます。お礼に何か送りますが、私はまだ何も送っていませんよ。先のものは誰か別の方かと・・・」と送っておいた。何度か微妙に噛み合わない内容のメールのやり取りが続いたのだが・・・。
後からバーディさんから「電話の登録名が間違っていました。どうもメールのやり取りが噛み合わないから変だなぁ、変だなぁと思いながら・・・、何か催促したみたいで・・・」との電話が入って一件落着した。
こちらは電話の登録を「バーディ・コヤマ」としているが、先方の携帯には私の番号が何故だか別のマジシャン名になっていたようなのである。
メールの文章には名前を入れないから、バーディさんが私のメールを読んでも、坂本だとは思わなくて話が噛み合わなくてオカシイなぁと思いながらもメールを打っていたようである。
思い込むとマジシャンでも騙されるのであるから怖いモノである。
■2014-10-02-Thursday 鬼の攪乱
妻が風邪をひいた。
まさに鬼の攪乱である。
このところの親の世話で疲れていたのかもしれない。
妻の両親は、味噌汁の冷めない距離に住んでいるものだから、妻もちょくちょく実家に顔を出す。
先日は真夜中に呼び出された。
私は酔っ払ってグッスリ寝ていたから妻が戻ってきたのを知らなかったのだが・・・。
寝不足気味であるところに、近日の急激な気温の低下で体調を崩したのだろう。
私はと云うと、ここ2〜3年は風邪をひいていない。
バカは風邪をひかないというが・・・。
おそらく、ほぼ毎日の温泉が効いているのかもしれない。少々風邪気味であってもサウナ風呂でタップリと汗をかいて、ビタミンCを大量に摂取すれば、翌朝にはスッキリしている。風邪薬も飲んだことがない。
薬も医者も大嫌いなのだ。
8月のジンマシンで医者から処方された薬も今日でお終い。
医者から処方された薬を飲んで以来、ジンマシンは出ていないから薬が効いているのであろうが、逆に効く薬は怖い。
ようやく今日で終わったから、明日からは痛風の薬だけである。
この薬を飲み出してから、ここ2年間は痛風の発作も出ていないから、そろそろ、この痛風の薬の服用も止めたいのだが、あの痛みの恐怖がそれをさせない。
薬嫌いの私がズ〜ッと毎日飲み続けているのだから、痛風の痛さはそれだけ我慢出来ない痛さということなのである。
■2014-10-03-Friday ジーザス・クライスト
劇団四季のミュージカル
「ジーザス・クライスト=スーパースター」が帯広に公演に来たので観に行ってきた。
私はミュージカルや寄席などの、生の舞台が大好きである。
東京に行った際に、時間が余ったら、すぐに当日券の有無を調べては観に行っている。
東京と云う街は好きな場所ではないから住みたいとも思わないが、こう云う生の舞台が色々な劇場で行われているところだけは羨ましく思う。
帯広に住んでいると普段の生活にはまったく不自由しないのだが、こと演劇や寄席などの生の舞台に関しては年間に数回しかないから、これがとても残念なのである。
やはり映画だけではつまらない。
ジーザス・クライスト=スーパースターは音楽は聞いたことがあったが、ミュージカルを観るのはこれが初めてである。
帯広には私同様に、生の舞台に飢えている人が多いのだろう。会場である帯広市民文化ホールの大ホールには結構な数の観客が入っていた。
顔見知りの方々も大勢居た。
ミュージカルは大好きなのだが、残念に感じたことがいくつかあった。
本当のミュージカルと云うのは舞台前面のオーケストラボックスで生演奏で行なうものであるが、劇団四季のは生演奏ではなく録音した音を使っていた。これでは本当のミュージカルとは言えない。経費削減なのだろうが・・・。
それと、これは帯広の文化ホールの音響装置のせいなのだろうか、音がまるで良くないのだ。
出演者の声をマイクで拾って、スピーカーで流しているのだが、出演者の声量及び力量が不足している為なのか、それともスピーカーが悪いのか、どうも音がスッキリとしていない。ミュージカルで演者の言葉が聞き取れないのは致命的欠陥である。
私達夫婦が座ったのは前から13列目の下手側の席であったが、この列は「親子席」とか云う席で子どもの為に座席を高くすることが出来る席だというが、大人が座るにはクッションが悪過ぎて、お尻が痛くなった。
こう云う席は止めるべきだ。子供の為には座席の上に置けるクッションを貸し出せば良い。
あの座り心地で「S席」料金を取るとは、金を返せと言いたくなる。
私達は、観る前にプログラムを買わなかったので、ストーリーを良く理解していなかった。
「ユダ」や「マグダラのマリア」など従来なら脇役の人物が、主役の設定である。
最近でこそ、ディズニー映画の「マレフィセント」みたいに従来の悪役の側から見た物語りが出るようになったが、おそらく、このミュージカルが初めて上演された頃は、この設定は相当センセーショナルであったろう。
主題はとても興味深くて、且つ面白かったし、全てのセリフが唄というのもなかなか面白いと感じた。
劇団四季のミュージカルはあんまり好きではないが、帯広みたいな地方都市に暮らしているのだからまぁ仕方がないか。
やはり、ミュージカルは帝国劇場で演じられるものの方が素晴らしいと感じた次第である。
■2014-10-04-Saturday 藻谷浩介さん
「とかち創生塾」という勉強会がある。
帯広市出身で筑波大学大学院名誉教授の進藤榮一さんが塾長を務める会である。
柏葉高校の前同窓会長の高田勲さんから、4日16時からのとかちプラザでのとかち創生塾のセミナーに藻谷浩介さんが講師として帯広に来られるという案内を頂いたが、私は会員でないので、一般入場枠で聞きに行ったのであった。
藻谷浩介さんは「デフレの正体」や「里山資本主義」などの著書がある方で「日本総合研究所調査部の主席研究員」という肩書であるが、もう10数年来のお付き合いをさせてもらっている方だ。
国土交通省に対して、私を「観光カリスマ百選」に推挙していただいた方でもある。
藻谷さんの唱える「里山資本主義」は、私が1996〜2006年まで活動していた「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の理念であった「エネルギーと食糧の自給他足(自足を他足に替えた造語で余ったら他にも分けてあげるの意味)」にとても近い考え方であるので共感を覚える。
私達の活動は15年ほど早過ぎたからか、周りからはまったく評価されずにTKLは2006年に解散してしまった。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の福島第一原発事故後からは「エネルギーと食糧の自給自足」という考え方が、ようやく日本人にも評価されるようになってきたようだ。
当時のTKLが標榜していた理念こそ、現在の世界に必要な理念であろうと考える。
しかし、人間と云うのは、ああいった事故や災害がおこらない限り、なかなか考え方を改めようとはしないものだ。
新しい考え方と云うものは、せいぜい3年ほど先を行くのが、世に普及される限度なのかもしれない。さすがに15年も前だと、ほとんどの人間がツイテ来られないのだ。他ならぬ一緒に活動していた仲間達も数名を除いては本当の理念を理解していなかったようである。
だからこそ、実にくだらない事で解散する羽目になってしまったのだが、それが今でも悔やまれてならない。
TKLの理念は今が旬なのかもしれない。
十勝にもう一度TKLの考え方を再導入して欲しいものである。
■2014-10-05-Sunday 超嬉しい〜!
5日日曜日に帯広青年会議所のゴルフクラブ
である「じゃがいもクラブ」の今年度最終例会が十勝カントリークラブで開催された。
5〜10月までの毎月一回(年6回)、開催されるコンペの成績によってポイントを付けて、年間のベスト10位まで表彰されるコンペである。
私は1987(昭和62)年に青年会議所に入会して以来29年も、このコンペに参加していて、いつもベストテンには入賞するものの、年間優勝の経験は一度もない。
とにかく一度は年間優勝をしてみたいと思い続けていたのである。
今年のゴルフの成績はこれまでのゴルフ人生32年間で最低の成績である。このコンペが今年30回目のゴルフであるが、今年は一度もアンダーの成績であがったことがないのだ。パープレーが一度あるだけなのである。
ハーフの内どちらかが30台後半の成績であがれても、もう片方が必ず44〜45を叩いてしまうのである。
この日、会場に到着して、これまで5回の成績表をみると、私は何と25点で7位タイにいた。トップは33点である。
今日の最終戦はポイントが2倍になるから、今日のコンペで優勝すれば逆転の可能性があることが分かった。
俄然やる気が出てきた。「よ〜し、今日は絶対に優勝してやるぞ!」と宣言してスタートした。
私の組の他の3人はわたしよりもポイントが下の人達であるから、まずはこの3人には負けないことが重要である。
前半のアウトコースは長い8mくらいのバーディパットが2つも入って38打であがることができた。
インコースに入って12番のショートホールで左に引っ掛けてOBを打ちトリプルボギーを叩いてしまった。
「あ〜、今日もダメか!」といつもなら、ここで諦めてしまうところだが、ここから驚異的な粘り腰を発揮して何とか後半は41打でまとめることができたのである。
グロス79打、ハンディ11で、ネットが68の4アンダーである。
これは優勝だろうと思ったら・・・。
優勝はハンディ36の人が101で回ってネット65。準優勝はハンディ34,5の人が102で回ってネット67,5。
私はベストグロスで3位であった。
この日の優勝、準優勝者は年間ポイントでは下位にいたので影響なし。
年間ポイントが上位に居た連中は皆成績が悪かったので、私が大逆転、43点で念願の年間優勝をすることが出来たのであった。年間準優勝者のポイントが39点であったから、8点差をひっくり返して、逆に4点差をつけたのであった。
優勝賞金は10万円の商品券と副賞はグリーンジャケット(4万円)。
この日の3位入賞とベスグロ賞、ニアピン賞と合わせて12万円分の商品券をもらったのであった。
1000円の商品券が120枚だとさすがズシリと重たい。
恒例の優勝者、準優勝者の経費負担による2次会を開催するが、そこで8万円も掛かってしまった。
家に帰って妻に報告したら「おめでとう、良かったね。ありがとう」と言って商品券を全部持っていってしまった。
こうしてゴルフが出来るのも妻のおかげであるから、ゴルフの商品券はいつもそのまま妻に渡すことになっている。
さすがに120枚の商品券を渡すと妻も嬉しそうである。
念願叶って年間総合優勝が出来たので、私はもっと嬉しい〜。
■2014-10-06-Monday またまた
天国から地獄とは正にこのことである。
青年会議所のA先輩が「お前はどうせ暇なんだから俺につきあえ」とゴルフの誘いである。
「嫌です」と一度は答えたものの、このA先輩、他に付き合ってくれる人が少ないのだろう。結局は強引に付き合わされることになってしまったのであった。
長沼町にあるマオイカントリークラブと云うハワイにあるような名称のゴルフクラブに行くことになってしまった。
私は前日に、青年会議所のじゃがいもクラブで念願の年間優勝を果たし、気分の良いお酒を夜中まで飲んでいたから、翌日早朝の出発ではほとんど寝ていないのである。2時間ほどもウトウトした程度である。飲み疲れと寝不足で何だか頭がボ〜ッとしている。
「お前が運転して行け」と云うのはさすがに二日酔いで酒酔い運転になるからダメですと断わったものの、車中では寝て行く訳にもいかずにずっと起きていたのであった。
ゴルフ場に着いたら、A先輩が70歳以上の老人用のシルバーティからやると言い出す。
初めてやるゴルフ場だから「白杭からやりましょうよ」と言ったのだが、「俺がルールだ。嫌ならお前だけ白杭からやれ」と言うから仕方がないので全員がシルバーティからやることにになった。
私は結構飛ばす方である。300ヤードのミドルではドライバーでは飛び過ぎになるので打てない。ロングホールが400ヤードちょっとでは2オンを狙わざるを得ないからかえって球が荒れるのだ。
しかもグリーンはエアレーションをしていて穴だらけで目土の砂を撒いているからパットの調子が合わない。
ところがこのA先輩のパットが滅茶苦茶この砂のグリーンに合っていたのだろう。外れれば10mはオーバーするような強いパットがポンポンと入るのである。
私は、まるでパットが合わないからパーオン3パットの連続である。
「3パットをするなんてお前は頭が悪いんじゃぁないか!」と云う毒舌に益々イライラして、昨日のスコアとはまるで別人のスコアで上がった。
A先輩は今年初めて30台の39で回ったと大喜びである。
結局、私は最下位のスコアで終わってしまったのであった。
翌日は札幌ゴルフクラブ由仁コースである。
ゼクシオのオープンコンペに参加するという。
最初はA先輩だけシルバーティでプレイすると云うが、さすがに思い留まって全員が白杭からスタートすることになった。
ようやくティショットにドライバーを打てるようになった。
この日のドライバーショットは完璧である。
とにかく良く飛んだ。
同じ組の先輩達が3人共飛ばない人ばかりだから、50〜100ヤードも先に飛んで行く。
昨日の、ティショットが3・5・7番ウッドで打っていたのとは気分がまるで違う。
ところがだ・・・。
ドライバーも好調でとにかく飛ぶ、セカンドショットも好調でパーオンして行くのだが、パットがまるでダメですぐに3パットをしてしまうのである。昨日の砂まみれのグリーンとは違って、ここのグリーンにはまだ砂が撒いていない綺麗な状態なのであるが・・・。
グリーンの上に着けたら、ものすごく早くてタッチがまるで合わないのだ。
途中で尾崎直道プロが4パットしたというグリーンで私も4パットをやってしまったのであった。
せっかく良くなったゴルフの調子が、なんだか、この遠征で最悪の状態になってしまったような気がする。
にぎりもかなりの金額を支払うはめになってしまった。おまけに帰りの運転手は私である。
やっぱり来るんじゃなかったなぁ。
■2014-10-07-Tuesday 人間万事
私の人生訓は
「人間万事塞翁が馬」である。
その時には良いと思った事が、後から振り返ってみると実は悪かったり、またその逆もあって、悪かったと思った事が、後々良かったりすることもある。
まさにそう云う人生を送ってきている。これは誰にでも当てはまることだから人生訓にもなっているのであろう。
先日、青年会議所のじゃがいもクラブのゴルフコンペで年間優勝をしたことを書いたが・・・、これまでに「俺はゴルフの天才じゃないか!」と思うほど絶好調だった年にも年間優勝は出来なかったのに・・・。
逆に今年ほどゴルフの成績が振るわない年もなかったのに・・・。
今年のじゃがいもクラブの年6回の月例会でも一度も優勝していないのだ。たまたま、私よりも上位に居た連中が崩れたのと、最終戦で4アンダーで回ったことが幸いしただけである。
人生というものは、本当に分からないものである。
そう思っていたら・・・。
今年の春に家を整理していたら書道のお手本になる書籍が出てきた。私が持っていても宝の持ち腐れになるから、知人である書道家の高校教師、八重柏冬雷先生にプレゼントしたのであった。その際に「私の人生訓である、人間万事塞翁が馬と云う文字を揮毫して欲しい」と依頼していたのだが、それが今日自宅に届いたのであった。
実に素晴らしい字である。
早速、「受川」に持って行って裏打ち額装を頼んで来た。
完成したら会社に飾ろうと思っている。
人生はまさに「人間万事塞翁が馬」である。
2006年12月末に「十勝環境ラボラトリー」を解散し、2007年3月末には「北の屋台」を辞めた。終わり方には決して納得はしていないけれども、でもそれによって、それまで忙しくて出来なかったゴルフも再開することが出来るようになったし、長年の懸案事項であった「マジック博物館」にも着手することが出来るようになった。
人生何が幸いするのかは分からないものである。まぁ、結局は死ぬ直前まで事の良非というのは分からないのだろうけれど・・・。
■2014-10-08-Wednesday ヤフオク
ヤフーオークションには
時々すごいお宝が出品される。
先日も江戸時代の手品の本で「放下筌(ほうかせん)」と云う貴重な本が3000円台からスタートしていたので入札に参加したのであった。
この「放下筌」は学生時代に神田の古書店で見つけて、こずかいを叩いて買ったものを所持しているが、虫が喰っていたり、書き込みがあったりと本の状態はイマイチなのである。
今回出品されたものは写真で見る限り、良好な状態のようである。
マジック本の収集家の鑑定眼としては最低でも15万円の価値はあるだろうと思う。
あいにく私は最終日には帯広に居ない。出張にはPCを持って行かないから自分のラッキーナンバーに合わせて129千円と云う値段を付けて出掛けた。
出発直前に見たところ35000円の値が付いていたが、動きが悪いから、そう高くなく落札出来ると考えていた。入札者のハンドルネームを見ても、これまでのマジック本の収集家のライバルのものではない初めての相手である。
逆にそれだけに相手の心理が分からない。
私の想像では、どこかの古書店主ではないだろうかと思ったのだ。それなら他に売る為の仕入れであるから高い値段では買わないだろうと思っていたのだが・・・。
出張から戻ってPCを開いてみたら・・・。
何と133300円で落札されていたではないか。
相手はマジック本の収集家だったのだろうか。私以外に、こんな実用的でもない手品の本にこんな高額の値段を付ける人がいるなんて驚きである。
まぁ、状態は悪いが既に1冊所持しているから、それほど悔しい〜と云う気持ちではないが・・・。でもちょっとは残念である。
■2014-10-09-Thursday 向かうところ
「向かうところ手品師」内閣
それが今年、私が会長を務めている帯広青年会議所OB会の執行部の通称名である。
行なう行事は正月の「新年交礼会」、4月の「現役との合同例会」、7月の「家族野遊会」、11月の「サヨナラパーティ」の4つ行事である。
この最後の行事の「サヨナラパーティ」を開催して、その役目を終えるのだが、9日夜に担当の役員会があったので出席してきた。
このところの連日の飲酒で、酒が大好きな私も、さすがに疲れてきたようで、ジンマシンが再発してしまった。
年を取ると、時間の進行速度が速く感じるようになると云うが、もう1年が過ぎようとしていることに驚く。
内閣名に「手品」とあるから余興に会長の手品を披露してはどうかという提案がされたが、私は去年のサヨナラパーティでマジックを披露しているのだ。
2年続けて同じ人間が余興をするのは如何なものであろうかということになったが、せっかくの「手品師」内閣なんだから、何かマジックに関連した余興を別なマジシャンにしてもらえないかと云うことになった。
以前のこのブログにも書いたが、アマチュアマジシャンであるが、日本の中でも有数のトップアマチュアマジシャンの3人が、偶然にも現在、帯広に転勤してきて居るのだ。
私がOB会長の年に、しかも「向かうところ手品師」内閣と名称を付けた年に、偶然にも日本のトップアマのマジシャンが3人も帯広に居るというのは、何と云う幸運なのであろうか。
この3人に交渉して、余興でマジックを演じてもらえるように手配することになった。
3人共に勤め人であるから、時間の自由は利かない。サヨナラパーティは平日の夜だから、難しいだろうが、何とかお願いして実現したいものである。
例年、サヨナラパーティではくじ引きで豪華景品が当たるのだが・・・。去年は50周年記念の年で、特に豪勢な景品が多かった。韓国旅行ペアご招待や沖縄旅行ペアご招待なんていう景品があったのであるが・・・。
今年は予算が少ないのである。
何とか予算をやりくりして景品に回そうと担当役員が苦労している。
去年までの相談役は「何も相談されなかった相談役の○○です」なんて云う挨拶をしていたから、そこで今年の内閣の相談役である広島さんと塩野谷さんの2人に相談してみたのであった。
お二人は食品関係の会社を経営しておられるから自社の製品を提供して下さるという。
相談役には相談してみるものだなぁ〜。
先輩というのは実にありがたいものである。
■2014-10-10-Friday 果実
今日は朝からものすごく強い風が吹いている。
我が家の庭には梨の樹があって、今年は100個ほども実を付けている。その梨がちょうど食べ頃なのに、この強風で沢山落ちてしまった。天気予報では強風が続きそうであるから、脚立を持ち出して収穫をすることにした。
以前に飼っていた犬のサニー君とバニーちゃんの生前の大好物だったから犬の写真の前にお供えをしてあげた。
果実が成る樹は「実が落ちる」が「身が落ちる」に繋がるからと嫌って自宅の庭には植えないという人が居るが、私はまったく気にしない。
我が家の庭には、この他にもリンゴやこくわ等の樹があって、沢山の実が毎年成る。
何もないところに沢山の実が成って、それがさらに大きく成るのだから、むしろ縁起が良いと思うべきだろう。
なんでも悪い方に取る迷信は正に迷い事である。ポジティヴに考えれば逆の意味になるではないか。
さっそく食してみたら、今年の梨はとても甘い。今日の強風でずいぶんと落ちてしまったのはとてもモッタイなかったなぁ。
朝方、会社に行く時に、隣の会社の浅野さんと顔を合わせた。浅野さんは青年会議所の先輩でもあるし、ゴルフ仲間でもあるし、同じ町内会でもある。
昨晩の青年会議所OB会の役員会の話をして、浅野さんが経営する温泉銭湯やよい乃湯の回数券を何冊か景品として提供もらえないですか?と相談したところ「お前に頼まれたら嫌とは言えんべや〜、10冊でいいか?」と北海道弁丸出しで言ってくれた。「エッ、そんなにたくさん出してくれるんですか!」と驚いたら「多いか、じゃぁ5冊にするわ」と云う。余計な事を言うんじゃなかった。
しかし、有り難いことである。
本来OB会は会員からの会費で運営するのが基本であるが、今回景品を提供してくれるのは相談役と、同じ町内会という立場だから、まぁ良いか。
それにしても、持つべきものは良い先輩である。
■2014-10-11-Saturday 蜩ノ記
映画「蜩ノ記(ひぐらしのき)」を観て来た。
例によって「夫婦50歳割引き制度」を使ってである。2人で2200円で2時間近くも楽しめるのだから映画は実に安い娯楽である。
第146回直木賞を受賞した葉室麟原作の同名小説の映画化で、監督は黒澤明の弟子である小泉堯史だ。出演者は名前が通っている役者が多い。テーマも興味がある。
「蜩(ひぐらし)」とは蝉の一種で秋の気配が近づくと哀しむように鳴くと云う、その蜩と、死を目前にした「その日暮らし」の身であるという意味を掛けたもので、戸田秋谷が付けている日記の題である。
物語は「前藩主の側室との不義密通の罪により10年後の切腹と、その間に藩の歴史である家請の完成を命じられた戸田秋谷(役所広司)を、不始末をした檀野庄三郎(岡田准一)が監視する役目を仰せつかる」ところから始まる。
『自分の「死」を見つめながら生きる』とはどう云うことか。
「事件の真相」は、「夫婦愛」「家族愛」「師弟愛」とは「友情」とは「恋愛」とは等など人間の普遍的なテーマが凝縮された映画であるとの前宣伝に期待して観に行ったのであった。
なかなか面白い映画ではあったが、どうもスッキリしない。
一言で表現すると「中途半端」なのだ。
時代劇というと勧善懲悪物が多いが、そういう映画の場合の悪役は憎々しい役者を揃えるし、ストーリーも、そこまでやるか!「お主も悪よのう〜」という感じなのだが、この映画には完全な「悪」が登場しないのだ。
本来なら、敵役を悪家老にして、もっと憎々しいキャラクターにすれば、もっとスッキリしたのかもしれないが、この家老は悪い奴なんだか、良い奴なんだか最後までよく分からないのである。
石丸謙二郎が演じる悪徳商人も一応出ては来るが、登場場面が短過ぎて憎々しさがどうにも足りないのだ。
ストーリーが従来の勧善懲悪モノではないだけに、表現が少々難しかったのかもしれないなぁ〜。
戸田秋谷の妻役の原田美枝子は昔はあまり好きではない女優であったが、ここ最近は落ち着いた雰囲気の良い女優になった。年を取ってから良くなる女優の典型かもしれない。
それと、ラストに流れるBGMが、私の耳には「あ〜、ビィバ、アメリカ」に聞こえてしまって困ってしまった。同じメロディラインが何度も出てくるのだが、何度聞いても「ア〜、ビィバ、アメリカ〜」に重なってしまうのだ。
妻も「岡田君を活かし切れていない」との不満を口にしていた。
私は死生観というか死に様というか、この主テーマは良かったと思う。私は自分の死に様としては、事故などで死ぬ覚悟をしていないまま死ぬよりも、自分の余命を知って死ぬ覚悟をしてから死にたいと思う。更に願わくば、病気で長く伏せるよりも、まだ健康な状態のままで苦しまずに死にたいものだ。
「理不尽」な出来事に対する登場人物たちの対応の仕方「義をみてせざるは勇なきなり」には共感を覚えたが、点数をつけるなら80点というところかな。
■2014-10-12-Sunday 講演会
評論家宮崎哲弥の講演を聴いてきた。
帯広でロータリークラブの北海道地区の大きな大会があって、ゲストは宮崎哲弥であり、一般人も聴講可と2〜3日前の新聞に載っていた。
開場は帯広市民文化大ホール、10時開場で10:12講演開始とある。
私はロータリークラブやライオンズクラブの様な組織には入っていない。どうもこの手の奉仕活動というものに共感ができないのである。
青年会議所を卒業するときに、多くの方から入会を勧められたが、ずっと断わってきた。
友人のローターリー会員に聞いたら、大ホールだから満席にはならないし、整理券などもいらないし、受付もないから、そのまま入って無料で聴けるというし、3連休の狭間で何も予定が入っていないこともあって暇つぶしに聴きにいくことにした。
宮崎哲弥はビートたけしの「TVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などの政治評論バラエティ番組によく登場する評論家である。週刊文春などにも自身のコラム欄を持っているから、まぁまぁ売れっ子の評論家であろう。
モノの言い方は好きな人物ではないが、言っていることは結構共感できることが多い。
この手の講演会では、普段はテレビや週刊誌などでは言えない書けない話をしてくれることが多いから、それを楽しみにして出掛けたのだが・・・。
講演の前半でテレビ局の裏事情を話していたが、それは既に承知していることだったから・・・、本論は期待に反して、いつも言っている事、書いている事そのままであったのであまり面白くなかった。
帰宅したら、妻が「今日は玄関の風除室のガラス磨きをするよ」と言う。手伝えと云うことか。
昼食を食べてから、買い物に行って拭くだけで汚れが取れるという紙製の使い捨てのガラス磨きの製品を買って来た。
私は若い頃の身軽な体の時は高い処がへっちゃらであったが、太って身体が重くなってからはどうも苦手になった。
中学生の頃は機械体操をやっていたから、たとえ脚立などが倒れても怪我をしないで無事に着地できる自信があったからだ。
現在はきっとそのまま骨折するのだろうなぁと考えると何だか恐ろしくなって足がすくんでしまうのである。
それでも、かなり高い脚立に乗って、不安定な足場の上でガラス拭きをやったのであった。
終わったら、両足の膝のすぐ上から太ももにかけて筋肉が攣ったような状態になった。きっと必要以上に足に力を入れて身体を支えていたのだろう。
痛くて仕方がないので、夜には温泉銭湯に行ってマッサージを受けてきたのであったが、マッサージ師が「首から背中、足までパンパンに張っていますよ、一体何をやったんですか?」と言う。
それほど、全身が緊張しながらの作業であったのだろう。
専門業者に頼んだ方が、よっぽどキレイになるし、結局は安く済んだのではないだろうか?
まぁ、自分の家を自分でキレイにするということの満足感だけが充足したのであった。
■2014-10-13-Monday 掲載忘れ
2014年8月7日(木)十勝毎日新聞掲載
「北の大地de大道芸フェスティバル」
全国で大道芸が盛んだ。静岡市の「大道芸ワールドカップin静岡」、横浜の「野毛大道芸」、東京三軒茶屋の「三茶で大道芸」、名古屋大須の「大須大道町人祭」などが有名であるが、なぜに大道芸が盛んなのかを検証してみたい。
古代ローマの「パンとサーカス」が象徴するように、庶民の娯楽として芸能事が活用されていた。パンで腹を満たし、芸能を供することで平和を保っていたのである。
人間はただ働くだけでは疲れる。息抜きは人生の栄養剤でもあったわけだ。
日本に大道芸が伝わったのは飛鳥時代だといわれている。飛鳥時代といえば(現代では存在が疑問視されているが)聖徳太子の時代であるが、シルクロードを伝って唐から日本に伝えられたようである。学生の頃に習った日本史では大化の改新(乙巳の変)が645年であるからおよそ1370年前である。
奈良の東大寺の正倉院の宝物の中に「漆絵弾弓の図」という散楽曲技を描いたものがある。散楽というのは「曲芸、手品、幻術、戯劇などの芸術を音楽伴奏に合わせておこなうこと」であり、両手を広げてバランスをとりながら踏ん張っている男の頭上に長い竿(さお)を立て、その竿の上に数人の人間が登っている絵が描かれている。
これは現代のサーカスにもある軽業で、その周りには太鼓や笛や竪琴を鳴らす者がおり、それを見ている観客が大勢描かれていて、これはまさに大道芸そのものだ。
この散楽からやがて能や歌舞伎や手品などに枝分かれしていくのが日本の芸能の起源であるとされている。サーカスは明治時代初期に欧米から入ってきたと思っている人が多いが、実は1300年以上も前に別なルート(シルクロード)から入って来て独自の発展を遂げていたのである。
江戸時代には、大衆芸能として発展した歌舞伎や見世物などには常設小屋ができてくるが、天下の往来で芸を見せる者たちの方が多かった。江戸時代の商いは屋台に象徴されるような「簡易店舗」が多く、しかも「ガマの油売り」のように商売だか芸能だか判然としないものが多い。物を売るためには客を集める必要がある。客を集めるためには何か面白いことをやって注目を集めなければならない。この商いのやり方が、やがてフーテンの寅さんに代表される香具師(やし)になっていく。
大道商いは芸を見せて客を集めて物を売るが、客は物を買わない限りお金を払う必要がない。これが日本では大道芸の見方になってしまったようである。
大道芸には小屋が無い。入場料というものがないから芸を見せて「投げ銭」を集めて生活をしている。だから芸に感動したらドンドンと投げ銭を払ってあげて欲しい。
今年の平原まつりは5年に一度の阿波踊りの年で、最終16日は大道芸の会場が少なくなってしまう。そこで今年は試験的に最終日の会場に「とかちプラザ」を使用してみることにした。まつり会場からは若干離れた場所になるが、ぜひ足を運んでもらいたいと思う。
■2014-10-14-Tuesday 掲載忘れ2
2009年3月27日読売新聞北海道版「風向計」掲載
「コンパクトな中心街を」
2005年3月、政府から「観光カリスマ百選」に選ばれた。以後、全国各地で講演の機会が増えた。まだ訪れていない都道府県は長崎と佐賀だけとなった。
講演に招かれると、観光名所や旧跡をガイド付きで案内してもらえる。プライベートで訪れる場合に比べ、その土地の事情に詳しくなれる。旅行好きの私としてはとてもありがたい。
講演のテーマが「中心市街地活性化」の場合には、その街の中心街を案内してもらうことになる。実際は「シャッター通り」化してしまった場所が多い。ほとんどの街が郊外の大型ショッピングセンターに客を奪われて寂れてしまっている。
寂れた街を見るにつけ、「人口は力である」ということを改めて痛感させられる。ある程度のまとまった人口がなければ、学校も病院も、店も成り立たない。
人口が右肩上がりに増えた時代は2005年で終わった。何も対策を講じなければ今後の日本の人口は減り続けていくだけだ。
ベクトルの向きを、人口増加時代の「拡大路線の政策」から「縮小路線の政策」に変えることが必要になっているはずなのに、切り替えはうまく行なわれていない。たとえ、今すぐ実施できる妙案があったとしても、効果を生むには10年以上かかることを覚悟した方がいいだろう。まちづくりに即効性のある劇薬は、副作用も心配されるからだ。
今日の若者たちの閉塞感は、絶望に近い感覚と見受けられる。未来にバラ色の夢を描けなければ、子供を産み、育てようという気にだってならない。
道東地方ではただでさえ人口密度が低いのに、離農地が売られて農業の大型化が進行し、過疎化に拍車がかかっている。道東では隣の家との距離が1キロということだって珍しくないのだ。
この結果、自動車を運転できる親が農地の近くに住み、移動の足を持たない小・中学生を遠くの最寄りの学校まで通わせなければならない。教育を受ける前提条件は都市部と同じではない。
経済合理性だけに任せれば、ますます過疎地には人が住めなくなるのは必定だ。かといって札幌に一極集中させるというのには、北海道はあまりに広すぎる。
地域ごとにコンパクトシティーを実現し、人が集まって暮らす「中心街」と、自然豊かな「郊外」とのメリハリをはっきりさせることが北海道にとって唯一の解決策だと私は考えている。コンパクトシティーは日常の暮らしにも、非日常の観光にも得策となるはずだ。
■2014-10-15-Wednesday 110周年
一昨日、昨日と
二日連続で「掲載忘れ」の文章を載せたのは・・・。
来年2015年は、我が坂本家の十勝に於ける初代の「勝(かつ)」が帯広に店を構えてから110周年を迎える。
母と何か記念に残るモノをと考えていたが、私がこのブログに書いている坂本家の歴史を基にして記念誌を発行しようという運びになった。
改めて読み返してみると、祖父や父のことについて書いてある部分は極少量で、ほとんどが私の人生の「マイヒストリー」でしかない。
これでは「社史」ではなく私の「自分史」になってしまう。
しかも、北の屋台を辞める辺りの件は、まだまだ生々しいので本として出版するのは少々憚られる。
そこで、私が、これまでに新聞社に寄稿した文章を中心にして構成することに変更した。
改めて調べてみると、
①北海道新聞の「朝の食卓」には2003年1月〜2006年12月までに37編を寄稿。
②読売新聞北海道版の「風向計」には2009年2月〜2011年9月までに27編を寄稿。
③十勝毎日新聞の「十勝の場所の意志に学ぶ」には1999年1月〜2006年3月までに32編を寄稿。
④十勝毎日新聞の「論壇」には2008年7月〜現在まで21編を寄稿。
その他、十勝毎日新聞には「カンボジア紀行」を10編と「大道芸」関係で7編、日本経済新聞や地元の雑誌等などにも寄稿しているので、それらの中から原稿を厳選して構成することにした。
寄稿文は一編が700〜1200字程度であるから、ざっと見積もっても10万字以上の原稿は既にあることになる。その内の数点がこのブログに未掲載であったので、今回載せておくことにしたのだ。
このブログからコピーすれば編集が楽かと考えたのである。昔の写真や年表なども入れて構成すれば結構面白いモノができるように思う。
新聞社に電話して著作権の確認を取ったが、私が自分で書いた文章の著作権は私にあるので、本にして出版するのはまったく問題が無いとのこと。むしろ出版したら連絡が欲しい、記事として紹介すると言ってくれた。実に嬉しいことである。
早速、来年の連休前に出版する予定で作業に取り掛かかることにした。
■2014-10-16-Thursday お墓事情
少子化の日本では・・・、
子供の数が減っている日本では、家を継ぐ者も減ることになる。
一人っ子同士が結婚したら、どちらかの親の家の姓は消滅してしまうことになる。女系家族の場合も似た様な状況にある。
私の母の実家の上野家は留萌市にあったが、母は三人姉妹の長女である。家業の大丸洋装店は次女が継いだが、三姉妹とも婿を取らずに、他家に嫁いだ為に上野の姓は消滅した。
母も次女も80歳を超えているが、一昨年、留萌で他家に嫁いでいた三姉妹の三女が亡くなったことで、自分達の両親の骨をどうするか相談を始めたのである。
次女の子供も、三女の子供も留萌には居ない。
色々と考えて、坂本家の菩提寺にも相談したが、上野家の宗派と坂本家の宗派が異なるので難しい。
そんな折に、新聞の広告で宗派に関係なく菩提を弔うというお寺が幕別の糠内にあることを知った。
昨年、母を見学に連れて行ったのだが、帯広市内からはかなり遠い。母と叔母(次女)は随分と相談していたようだが、叔母の娘が帯広に嫁いでいることもあって、ここに両親の骨を移すことを決めたのだった。
留萌の人口は全盛時の4万5千人から半分の2万2千人程度に減っているから、お寺も運営が厳しいらしい。檀家が減ることにはかなりの抵抗があったようであるが、それでも何とか檀家を辞めて十勝に骨を移すことを承諾してくれた云う。
16日の16時に糠内のお寺に来て欲しいと言われたというので、私が道案内をして母と叔母夫婦と従兄弟を車に乗せて連れて行ったのであった。
合同葬と云う形であるから、他人の骨と混ぜて納めることになる。
だから一旦納めてしまえば、後から骨を取り出したいと言っても無理な訳だ。その辺りを詳しく説明し契約書に判を押す。
納める時にお金を払えば、その後の会費や維持費などは一切掛からないと言う。
納骨する人は十勝だけでなく、九州などからも居るし、アメリカやブラジルなどの外国からも居るという。
お墓もついにこういう時代になってきたのだなぁ〜。
お参りも、自分の家の墓のように、勝手に来て、勝手にお参りしても良いと言うが、花はそのまま花瓶に差し放しで構わないが、お菓子や果物などは必ず持って帰るようにと言う。
そのことを聞いていなかったので、妻に藤丸の地下で豪勢な果物籠を造ってもらって持参していた。
合同墓地に骨を納めて、住職にお経をあげてもらったが、その際にも「この花はそのままで良くて、この果物は持って帰れば良いんですね」と住職に確認したら「そうです。果物は持って帰って下さい」とキッパリと言われたのであった。
納骨、読経が終わり、雑談で「この近くにS家と言う家がありませんか?私はそこの三男と高校の同級生なんですが、去年、東京で会った際にここのお寺の話をしたら、住職とは友達だと言っていましたが・・・」と話したら、急に「貴方がT・S君と同級生と云うことは私とも同じ年と云うことですね」となり親しげになったのであった。
その内にこの住職が「この果物はとても美味しそうですね」と言う。母が「よろしければ置いていきますが・・・」と言ったら「そうですか!それは有り難い!」と言うではないか。
アレッ、さっきまでは持って帰れと言っていたのに、読経している内にこの果物がかなり良いものであることを見抜いたな、さてはなかなか目利きであるワイ。と笑いをこらえながら居たのであった。
帰りの車の中でも、この話題で盛り上がった。
帰ってから、この果物を買って来た妻にこのことを話したら「そりゃ〜そうでしょ、だってあの果物は、かなりこだわって品質も良いものばかりを選んだんだから、その住職さんは外から見ただけで見分けたんだね。すごい目利きじゃないの」としきりに感心していたのであった。
■2014-10-17-Friday 小渕優子
小渕優子経産大臣がピンチだ。
週刊新潮のスクープで、デタラメナな会計処理をしていることが判明したという。
何でも、東京の明治座での歌手の公演に、群馬県の後援者1000人程を引き連れてのツアーを毎年行なっているらしいが、収入金額と支出金額に大きな額のズレがあるのだという。
後援者が払う金額よりも、明治座などに払う金額の方が、額が遥かに大きいのだそうだ。
それが事実なら、買収行為で公選法違反の可能性があるという。が、しかし、記載漏れということなら、今度は政治資金規正法の収支報告の違反になるというから万事休すである。
政治家がいちいち後援会の収支にまで目を光らせる暇なんてないだろう。政治家は国家の事に集中してもらいたい。
こんなことは、秘書や後援会幹部のやる仕事である。それがかなり杜撰だったということなのだろう。
おそらく、お父さんの小渕恵三元首相の急死によって担ぎ出されて、右も左も分からない26歳のお嬢さんが、お父さんの時代の古い後援会組織をそのまま継承したのが原因であろう。時代や法律が変わったんだから、周りがもっと気を配ってあげるべきである。
かつての中選挙区時代には、中曽根康弘、福田赳夫との3人が争う上州戦争と言われたこともある選挙区である。その時代の買収やらなんやらの名残があるのだろう。
しかし、小選挙区になってその必要はなくなったし、小渕優子は圧倒的な強さを持った候補者でもある。姑息な手段などいらないのに、昔の幹部達がその悪習をそのまま継続していたのであろう。
しかし、責任者として知らなかったでは済まされないことでもあろう。
辞任必至であろう。
「うちわ」問題の松島法相の方は、態度が悪そうだから、これも今後問題になりそうなので、一緒に辞任させるのではないだろうか?
でも、松島法相は自分から辞めるとは言いそうにないなぁ〜。
誰が首に鈴を付けるのだろうか。
しかし、日本の政治家って程度が低いなぁ〜。
■2014-10-18-Saturday 今年最後の
今日は今年最後のゴルフの予定である。
一応、私のスケジュール上は今日がラストの予定であるが、ゴルフ好きの先輩から「やるぞ!」と言われるとまだ分からない。
ゴルフが好きで、老い先短い人にかかると「いつ死ぬかも分からないんだから、やれる時にやるぞ!」といつも言う。しかし、まだ死んだ試しはない。
私は、寒い時に一杯服を着込んで、頭には耳掛けをして、更に右手にも手袋をして、腰やお腹にカイロまで貼ってプレイするのは、なんだか未練たらしくて格好が悪いと思っている。
そんな状態でプレイしても良いスコアなど出るはずもないし、風邪でもひいたらそれこそ悪化させて死ぬかもしれないではないか。
もともと、私は寒い日は嫌だ、暑過ぎる日も嫌だ、雨の日は嫌だ、風の強い日は嫌だと言う極めてわがままなゴルファーなのである。
オンとオフをしっかり分ける方が、ダラダラとやるよりも好きな性格なのである。
今年は今日のゴルフで34回目のラウンドである。今年のゴルフを振り返ってみると、良かったんだか、悪かったんだかさっぱり分からない年であった。
春からまったくスコアが伸びないのであった。34回の内でアンダーパーで回ったのは、JCのじゃがいもの最終戦の1回のみ、でもそれが幸いして念願だった年間優勝をしたのだから不思議なものである。
パープレイも春先の1回のみ、90以上はめったに叩かないものの後は低め安定の80台後半のスコアばかりであった。
ドライバーで打つボールが上がらないので、8月末に東京のフィッティングスタジオでスイングを調べてもらったらスイングスピードが著しく低下していることが判明した。
9月発売の新ドライバーを購入したがOBばかり出るので、今年は封印して来年から使うことにしたのであった。
ついにハンディもシングルの8.9から11.0まで下がってしまった。
練習場で打つことが単調でつまらないから、ついつい余計な打ち方を試してしまってかえって調子が悪くなるので、もともとほとんど練習をしない。センスと才能だけでゴルフをやっていたのだ。
しかし、頭では若いと思っていても、実際の身体は運動しないと筋肉が落ちるのだろう。身体もかなり固くなっている。
これからのオフシーズンはすこしストレッチでもやって来年のゴルフに備えることにしよう。
■2014-10-19-Sunday スポーツ観戦
とかちプラザで開催中の介護フェアに
妻が参加しているから、私は一人で自宅に居る日曜日である。
朝からゴロゴロとして、ベッドに寝転びながら読書をしていたが、昼過ぎからゴルフの日本オープン最終日を観て楽しんだ。
テレビを見始めた頃は池田勇太がバディーが来なくて苦しんでいたが、2位とは3打差もあったし、タイのマークセンがズルズルと落ちていったので、後半は片山晋呉との一騎打ちの様相であったが・・・。
2位タイになった小平智のショットが素晴らしかった。惚れ惚れするようなショットである。パットでは穴に嫌われたのか、クルッとカップの周りを1回転して外すパットや、ボールが後5mmほど進めば入るようなパットが続いての2位タイであった。
ゴルフに「レバ」や「タラ」は禁物であるが、あれがもしも入っていたら・・・。
池田は3打差で迎えた16番ホールでまさかのダブルボギーを叩いて、片山とは1打差になった。緊迫した状況で17・18番を確実にパーを拾って逃げ切り優勝した。やはりゴルフは最終の16〜18番が大切である。
一方、女子ゴルフの方は・・・。
我が家の長女が通っていた東北高校の後輩で、同じ寮で暮らしていた札幌出身の菊地絵理香ちゃんの初優勝を応援していたのだが・・・。
こちらの、菊地絵理香ちゃんは精神的にちょっと弱いというイメージである。いつも最後の最後でミスをして優勝を逃している。
この日も単独トップに立っていたのに17・18番で連続ボギーを叩いてアン・ソンジュと横峯さくらの2人に並ばれてプレーオフの末、敗退した。
17・18番のどちらかをパーであがれば優勝だったのに・・・。
初優勝の緊張から萎縮してしまったのだろうか?とても残念である。
その後は野球のクライマックスシリーズ(SC)パリーグの日本ハム対ソフトバンク戦を観た。このCSと云うのは、球団の金儲けの為のシステムで、私はまったくつまらないと思っている。米大リーグのワイルドカードに習ったのだろうが、何もアメリカ野球の悪いところまで見習う必要はないのに・・・。
長期戦のレギュラーシーズン優勝の意味がまるで無くなる。しかし、北海道の日本ハムが進出しているから、一応は感心はあるが・・・
6回を終わって4−0で日本ハムが負けている。王手を掛けられているから、こりゃぁ負けたかと思ったら、驚異の粘りで逆転してしまった。
この粘りが菊地絵理香ちゃんにもあったらなぁ〜。
セ・リーグは阪神が巨人を4連勝で破って日本シリーズに出場することになった。
もし、日ハムが勝って、パ3位の日ハムと、セ2位の阪神の日本シリーズということになったら、何だか訳が分からない。
金儲けの為にレギュラーシーズンの意味の本質を見失っているように感じる。こんなバカなことをやっていたら、早晩野球はファンから見放されてしまうのではないだろうか。
■2014-10-20-Monday 辞任
小渕優子経済産業大臣が辞任した。
随分早い決断であったが、結局、調査はしてみても、国民を納得させるだけの説明が出来ないと判断したのだろう。
「人は見ためが大事」とよく言うが、若い小渕優子に対するメディアなどの反応は、本人よりも周りに居る人間が悪い、可哀想だというようなニュアンスが多いように聞こえる。
一方の松島法相の方はというと、お前はサッサと辞めろというような剣のあるような言い方に見えるから不思議だ。でも罪の重さは小渕の方が遥かに重いであろう。松島みどりの方はたかが団扇である。松島みどりにしてみれば小渕優子辞任の巻き添えを喰ったと感じているらしいことが会見の様子からも窺われる。
しかし、それにしてもだ。
小渕優子の周りに居た連中というのは、一体どんな奴らだったのだろう。親分の急死で、政治の世界を何も知らない若いお嬢さまを連れてきて後釜に据えたのなら、ちゃんと教えてあげるべきだし、周りがしっかりガードしなければならないだろうに・・・。
きっと小渕優子のことや群馬の未来、若しくは日本の未来なんて露ほども気にしないで、自分の懐を温かくすることだけに腐心していたのではなかろうか。
小渕優子も部下に恵まれなかったというか、前近代的な政治手法のおっさん達ばかりに仕切られてしまったのであろう。
親父の時代からの付き合いで、切るに切れなかったのかもしれないが・・・。
毎度、同じ様なことばかり繰り返しているように感じる。
もう、いい加減に政治家も金の使い方をキチンとやれよと言いたいね!
小渕優子を将来の首相候補と見ていた向きもあったようだが、温室で育てて、自分でコントロールするのが自民党の老人の考えそうなことだが、身内に対しても非情になれない人物に首相なんてとても無理なことである。
もう少しましな人材はおらんのかねぇ〜。
■2014-10-21-Tuesday 地方創生
安倍内閣は地方創生をうたっているが・・・。
石波茂を担当大臣にして、地方創生に力を入れているように見えるが、具体的な方策はいまだ発表されていない。
新聞などに載っている識者と言われる人の解説では「人口規模が弱小の地方の村まであまねく創生する」かのように言っている人もいるが・・・。
人口が右肩上がりに増えていた時代ならまだしも、こう云う人の言っている説も多少の説得力はあったであろうが、現在の人口減少社会での実行が不可能なことは明らかである。
「まちづくり」に於いて「人口は力」である。
人口の少ない町では何をやっても効果は薄い。
日本全体の人口が減っていくのに、全国の全ての町の人口が減るのを喰い留めようなんてことが出来る訳があるまい。簡単な算数も出来ない奴なのかもしれない。
こう云うバカなことを云う奴は、町が消滅することに言及すると、総すかんを喰うとでも考えているのだろう。
しかし、もう既に人口は減っているのだし、増える要素もないのである。
頭の中のベクトルの向きを変えなければ、不毛な論議を繰り返すだけである。
現実は「日本の人口は減る」のである。
地方の町の人口減少率は、死亡による自然減よりも、大都市への流出の方が大きくなり拍車をかける。
人口が少なければ、学校・病院・商店も存続出来ないのだから当たり前である。
全ての町の人口維持云々よりも、思い切って発想を切り替えて、周辺の人口が少ない町や村を、一ヶ所に集約して人口規模30〜50万人程度の街を造ることである。最低30万人居れば、学校・病院・商店なども成り立つことが十分可能であるからだ。
全国あまねく場所に村や町があるのではなく、交通の便の良い場所やインフラが整備されている場所に集中して生活するしかないと考えている。
こんなことを言うと、今住んでいる場所を捨てるのか、小さな村はいらないのか等と言う人が多いだろう。
その通りである。
このまま人口が減っていけば、どうせ存続は難しいのだ。
頭を切り替えられない地域はいずれ消滅するしかないのだ。
現在は、積極的に生き残りを掛けて集約するのか、自然消滅を選ぶのかの分かれ目であろう。
■2014-10-22-Wednesday マジック博物館
マジック博物館を造る作業がようやく始まった。
知り合いの大工さんが、私の意気に賛同してくれて「暇を見て手弁当で作業をしてあげる」と言ってくれた。
先月10月から作業を開始する予定であったが、店舗内装の本来の仕事が入ったので延期。
その仕事がようやく終わったので、16日から作業が始まったのである。
まずは「トランプの壁」の製作から着手することにした。
マジックの師匠である故ジミー忍師から700個ほどのトランプが送られてきたことは以前のブログに書いた。
私も300個ほどのトランプを所有している。
音更の植田さんからも50個ほどのトランプをもらったから全部で優に1000個以上はトランプがあるのである。
高さ240㎝の壁に、緩やかな勾配を付けた板を360㎝の幅で取り付けた。その壁一面に、トランプを乗せるだけの幅しかない1.5㎝ほどのレール状の棚を12㎝ほどの間隔を空けて横に、天井から床まで18段を取り付け、トランプをビッシリと並べようと云うのである。
まず、ブルーシートを床に敷き、その上にトランプを全部並べた。
中には同じ種類のトランプもある。
一般に販売されたトランプ、航空会社のトランプ、企業の宣伝用に作られたトランプ、アニメのトランプ、観光用のトランプ、カジノのトランプ、そしてマジック用のトランプなど等の分類分けをしている。
最初は種類別に並べてみたが、離れて見ると面白くない。むしろ、トランプのバックの絵柄でキレイに見えるように並べてみようかと思ってやってみたが、これがまた難しいのだ。
結局、最初に戻ってまた種類別に並べることにした。
トランプだけでこれである。この壁を完成させるのにまだ2週間は掛かるだろう。
ポスターを額装したものも数十点出来あがってきたから、これもキレイに並べたい。
展示の方法って意外と難しいものである。
こりゃ〜ちょっとや、そっとでは開館まで漕ぎ着けられない気配である。
でも、作業はとても楽しい〜ゾ!
■2014-10-23-Thursday スゴイなぁ〜
今日はスゴイなぁ〜と感じることが2件あった。
ひとつはドラフト会議の日ハムのクジ運の強さである。
今年のドラフトの目玉、大学野球界ナンバーワン投手の呼び声が高い、早稲田大学の有原航平を、日本ハム、DeNA、広島、阪神の4球団が1位指名した。
当選クジを引き当てたのは日本ハムの津田敏一球団社長である。昨年の栗山監督にはクジ運がなくてまるでダメだったが、この津田社長はクジ運が強いと云う。2011年には獲得は叶わなかったが巨人と競って菅野智之を引き当てたのも津田社長ではなかったか。その今運を頼りに今年の抽選に出てもらったようだが、まさにそれを絵に描いた様に一番クジを引いたのはスゴイことだ。
テレビでもテーブルに着いていた栗山監督が「スゴイねぇ〜」と周りの関係者に言っているのが唇の動きで分かったが本当にスゴイ。
日ハムは話題性のある良い選手を取っているから、ファンはまた楽しみが増えただろう。
もう一つスゴイなぁ〜と感じたのは、元モーニング娘の矢口真理の会見の模様である。
結婚しているのに、イケ面のモデルを自宅に連れ込み、朝方帰宅した夫とこの間男とがバッタリ遭遇してしまい、夫婦は離婚したと云う。
夫がやったんなら、ア〜またか、よくある話で終わるところだが、妻が男を連れ込んだと云うのが、男女逆転と云うのか、何とも今風の不倫模様と云うのかと感じたのを覚えている。
何でも1年半ほど、芸能界から姿を消していたそうな。そりゃ〜そうだろうな。不倫をして「よくやった」と云う人は男でも女でも居ないだろう。
おそらく、男性ファンも、女性ファンも離れていったに違いない。イメージが悪過ぎるのでスポンサーだって敬遠するだろうからCMのオファーだって来ないだろう。
それが今回復帰するという会見である。
チラッとしか見ていないが、何故だか堂々としているし、(評判も)落ちる所まで落ちて底だから、これ以上落ちることはないと、完全に開き直っているところがこれまたスゴイ。
男ではこうはいくまい。
女の開き直りと云うか、クソ度胸というか、感心してしまった。
さすが、男を自宅に連れ込む女である。
スゴイなぁ〜と思う反面、女は怖いなぁ〜と感じたのであった。
それにしても、芸能界と云うところ、麻薬をやっても、不倫をしても、いずれは復帰出来るなんて、ちょっと甘過ぎるんじゃぁないのか。
■2014-10-24-Friday 銭湯で
今日の昼に自宅に大根葉が届いた。
このブログに毎度書いていることだが、私はこの大根葉の漬け物が大好物なのである。
世の中に、これほど美味いものは他にはあるまいと思っているのだ。
しかし、「大根葉の漬け物」というのはスーパーマーケットにも売っていないし、漬け物の専門店にも売っていない。
しかも、漬け物を漬けている各家庭でも、ほとんどの人が大根だけを漬けて葉は捨ててしまうようだ。
JCの後輩の農家に、毎年、売り物にならない大根を葉付きで分けてもらっているのだが、先週この後輩に会った時に「先輩、大根葉って美味しいんですか?どうやって漬けているんですか?」と聞かれたので「あんな美味いものはない。葉だけを塩漬けにするだけで簡単だよ」と答えたのであった。
そうしたら、今年届けられたのは大根が付いていたのは2本だけで、捨てる為に切り落とした葉だけをビニールに入れて5袋も届けてくれた。
去年は、余った大根で沢庵漬けに挑戦したのだが、上手くいかずに美味しく漬けられなかったので、今年は上手く漬けてやろうと、米糠やらグラニュー糖やら黄色の着色料などを事前に購入してあったのだが・・・。
妻は「どうせ沢庵漬けは上手く漬けられなんだから、かえって良かったじゃない」と言う。
沢庵漬けにも挑戦したかったのに・・・。
明日は朝から漬け物作りである。
夕食に新しくオープンした「ステーキ宮」に母と3人で行って来た。一応職業柄、新しく出来た店には視察がてら食べに行くことにしている。
帯広の人間は新しモノ好きな性格なのだろう。結構混んでいた。まぁ、ステーキでこの値段なら値ごろ感があるのだろう。若いファミリー層が好きそうな店であるが、母の様な老人には食べられるメニューが少ない。
まだまだ、オープンしたてだから店員もまだ慣れていないようで、ギクシャクしていたが、店員の礼儀作法にはなかなか頑張っている店のようである。
母を自宅に送った後で、明日の漬け物の為に温泉銭湯に行ったが・・・。
この銭湯で「ウンチ事件」が起きた。ジャグジーバスにウンチが数個浮いているのである。すぐに店員が3人来て、お湯を抜き、清掃を始めたが、私が居る間には、このジャグジーには入る事が出来なかった。ジャグジーに入って身体をほぐしたかったのに・・・。
お風呂でウンチをして、しかも知らん顔するなんて一体どんな奴なんだろう。ジャグジーで気持ち良くなってしまったのだろうか?
少しガッカリして戻ったのであった。
■2014-10-25-Saturday マッサージ
今日は天気が良くて・・・、
朝から快晴で風もなく温かい。JCの先輩から「天気が良いからゴルフに行くぞ!」と誘いがあったが、私にとってはゴルフよりも大根葉の方が重要である。「ちょっと都合が悪いので・・・」と断ったのであった。
漬け物を漬ける為にゴルフの誘いを断ったなんて知れたら・・・。
母も去年までは手伝ってくれたのだが、今年はもう年で身体が云う事を効かない。今年は一人でやるしかないなぁと思って、朝の8時から庭で大根葉を洗っていたらめずらしく妻が手伝ってくれた。
ゴルフを断わってまで、一人で漬け物を漬ける夫を見ていて、さすがの妻も私を不憫に感じたのだろう。
手伝いながらも「こんなに良い天気なんだからゴルフに行けば良かったのに」と気分を逆なでするようなことを言う。
2時間半掛かって1斗樽を3樽分漬けたのであった。途中、水道のホースに足を引っ掛けて転びそうになり頭を水道の蛇口にぶつけそうになった。
運動神経が抜群だから、とっさに身体をひねって頭をカバーしたが、右の脛をブロックの角で擦って出血してしまった。もしも運動神経が鈍かったら結構な大事になっていたかも・・・。
このとっさの身体のひねりと漬け物を漬ける作業で腰から背中に掛けてが痛くなった。
すぐに馴染みのマッサージ師に電話してマッサージをしてもらった。
私の人件費とマッサージ代を考えたら、何と高価な漬け物であることよ。我が家の人間は、昔からこの大根葉を食べ慣れているから子供たちも皆、この大根葉の漬け物が大好きだ。今年もまた食べられるかと思うと嬉しく思う。楽しみである。
■2014-10-26-Sunday 今日も
今日も朝から最高の天気である。
温かくて風もない。
絶好のゴルフ日和だが、今日も漬け物デーである。
昨日、1斗樽に3樽漬けた大根葉の水が上がっている。入れる塩に依って水分が出るのだ。
漬け物の量が3分の1程度に詰まっているので、樽をひとつにまとめる作業をした。
漬けたばかりでまだ葉の緑が美しい。この葉の緑色が段々と濃くなってくるのだ。後2週間くらいで食べられるようになる。
1斗樽がほぼ満杯になったが、これで来年の3月分くらいまでの量でしかない。長女などは宅配便で送ってくれというほど好きなのである。
余った2樽や重しなどを洗って物置に仕舞う。
昨日せっかくマッサージを受けたが、再び中腰の作業を続けたために、またまた腰や背中、更には右腕の筋肉が痛くなってきた。
ゴルフで使う筋肉とはまた違う筋肉を使うのだろう。
夜には温泉銭湯でまたマッサージを受けなければ月曜日からの仕事にさしつかえるだろう。
大根葉は無料で分けてもらうものの、私のマッサージ代の方がはるかに高くつくのだ。
高くはつくのだが、「大根葉の漬け物」は店などで販売していないのだから自分で作るしかないのである。
毎年思う事だが、何故こんなに美味しいものを捨ててしまうのだろうか?
大根葉は不要なものだと、最初から思い込んでいるのだろう。
捨てるモノで商品化出来たら儲かるのに・・・。
こんど真剣に商品開発してみようかな。
■2014-10-27-Monday OB会長の仕事
帯広青年会議所のOB会の会長を
今年務めているが、その仕事のひとつに葬儀への出席というものがある。
出席しなければならない葬儀は、OB会員本人の死亡はもちろんだが、OB会員の親族の死亡も含まれる、具体的に云うと会員の親や妻や子などの葬儀への出席も含まれるということだ。
今年は、OB会員本人の死亡というのは少ない。8月のお盆に一人、そして先日一人の計2人しか亡くなっていない。
去年は10名ほどが亡くなっているから格段に減っているのだ。
先日亡くなられたのは、白木弘遵先輩である。
昭和3年生まれであるから、私の父の1年後輩になる。白木さんは大谷高校で教師をしていた時期があったというが、父も一時期大谷高校で教鞭を取った時期があるから、ひょっとすると二人は同僚であったかもしれない。
お寺の3代目の住職と大谷短期大学の教授という二足の草鞋を履いていた。父である2代目住職が、息子が大学教授になって住職を継がなくなっては困るからと、サッサと引退した為に、若くして住職に就任したと言う。
去年、その在任50年を祝って息子さんに住職を譲ったが、息子さんの幸久さんもJCマンである。
今年1月のOB会の新年総会で、大正15年生まれの会員の方に米寿のお祝いを差し上げたのだが、幸久さんから「米寿の方々へのお祝いが1年ズレている。今年は昭和2年生まれの方々の米寿のお祝いのはずだ」と言うのである。その指摘を受けて訂正したのであった。そうか!私の父も生きていれば米寿であったか!と思ったのであった。
後日、幸久さんから「実は来年の父の誕生日に米寿の祝いをやろうと企画していたんだ。OB会のお祝いが、このまま誤ったままでいくと来年のお祝いができなくなるからね」と言われたのであった。
今回のご逝去でその願いは叶わないことになってしまったが・・・。
弘遵さんはまちづくりにも多大な貢献をされた方であるし、道新の「朝の食卓」などにも文章を書いていた先輩でもある。また一人惜しい方を亡くした。合掌
■2014-10-28-Tuesday ライフスタイル
最近の若者のライフスタイルが、
私達の若かりし頃と大幅に変化をしていると云う。
今日、我が社を訪ねて来た方が嘆いていた。
飲食店チェーンの会社のトップの人物だが、その人が言うには「最近の若者は酒を飲まなくなった。自分達が若い頃も金は無かったが、それでも毎晩、毎晩、飲み歩いていたものだが・・・」と言うのである。
「最近の若者は、お酒も飲まない、車もいらない、ゴルフもしない、マージャンもしない、携帯でゲームしかやらないんじゃぁないだろうか」と言うのである。
その傾向は、私達のすぐ下の世代から徐々に現われていたように思う。私の後輩はほとんどマージャンをやらなかったが、それでも酒は飲んだし、車も欲しがった。
何故だろうかと分析してみた。
私達、昭和30年代生まれの者は、高度経済成長の真っただ中で育った。何となくだが「昨日よりも今日、今日よりも明日の方が明るい未来が待っている」と言う漠然とした期待感があったように思う。
電化製品も、白黒テレビ、冷蔵庫が普及し始め、それを買い揃えると云う楽しみが家庭にもあったのではないか。昭和39年の東京オリンピックの時代を描いた映画「三丁目の夕日」では、テレビが家庭に来るのが待ち遠しいと云う時代であった。
人口も増加していた時代であったし、車も普及してステータスになり、「いつかはクラウン」というように地位や収入によって車の格を上げるような商品であった。
それが、現代はどうであろう。
人口は減り続けている。2040年には北海道の人口は120万人が減るとの予想が発表されている。
経済も右肩下がりで、「昨日よりも今日、今日よりも明日が不安」と言う先に期待が持てない時代になった。漠然とした不安感が世間に漂っている。
景気は正に「気」である。こんな気分の中で消費しろって云う方がオカシイだろう。
おまけに、モノはもう家庭の中に溢れている。1部屋に1台のカラーテレビ、一人1台の車、冷蔵庫、クーラー、無いものはないという程、モノが揃ってしまった。
もはや買い替えくらいしか需要はない。メーカーがモデルチェンジしたところで、この社会の暗〜い雰囲気では消費に金を使うよりも、もしもに備えて貯めて置こうというのもうなずける。
ようは、政治の貧困なのだ。
小泉首相を国民は支持したが、彼が推進した政治は、格差社会の容認でしかない。
彼がモデルにしたアメリカは1%の金持ちが70%以上の収入を得ている滅茶苦茶な国である。
1%の金持ちのおこぼれで生活する社会が正しいのか?
1億総中流社会のどこが悪いのだろう。
私は、これまで何度も人口減少社会への意識改革をしなければいけないと警告してきたが、今頃になってあわてている有様である。
まだ、ギリギリ間に合うかもしれない。
頭の切り替えをしなければならないのだ。
若者たちは敏感に肌で感じて、消費しない生活をしているのかもしれないなぁ〜。
■2014-10-29-Wednesday 私の一冊
北海道新聞朝刊の折り込み紙で
北日本広告社が出している「Fit」と言うフリーペーパーがあるが、その中に「私の一冊」と云うコーナーがある。
その欄に私を載せたいと云う取材依頼があった。
私は乱読で、ジャンルを問わず、月に30〜50冊もの本を読んでいるからどの本を紹介するか迷いに迷ったのであった。
とりあえず取材に来てもらってから考えることにした。何せ、我が社の書庫には3万冊以上の本がある。ちょっとした図書館並みの蔵書なのである。
男性のカメラマンと女性のライターの2人が取材に訪れた。
ライターの女性が「坂本さんの人生を変えた本とか、気に入って何度も読み返すような本はありませんか?」と聞く。
何せ、単純で影響を受け易い性格だから、本を読む度に人生が変わっているので、逆にこれはッと云う本が思い付かない。
迷っていたら「趣味の関係でも・・・」と云うので、マジック関係の本でマジックの素人が読んでも面白い様な本を選ぶことにした。
2年前の2012年3月31日に角川書店から発行された本で、題名は「脳はすすんでだまされたがる」副題は「マジックが解き明かす錯覚の不思議」著者はS・L・マクニック、S・M=コンデ、S・ブレイクスリーと云う3人のアメリカ人である。
この3人は脳神経学の研究者でマジックの素人だったのだが、脳の働きを解き明かすのにマジックが最適であると思い、研究している内にマジックにスッカリとハマってしまったのである。
この本の中には、マジックのタネがかなり解説されているし、脳の錯覚や目の錯視などとマジックとの関係性も解き明かしているのだ。
読み物としても面白いと思う。
早速、この本に紹介されている「読心術」のトランプマジックを実演して見せたら、驚くことしきりである。
本に紹介されているからタネ明かしをしても構わないので、解説してあげたら、この本の面白さが理解できたのだろう。
「この本で行きましょう!」と云うことになったのだった。
所持している全ての本の中身を100%覚えている訳ではない。何せ、沢山の本を読むから内容がゴッチャになっている可能性もある。
本をパラパラと捲りながら、内容を思い出してエピソードを話していく。
「人間の脳みそは、先入観や思い込みが激しくて、しかも集中力の方向を一寸だけズラすことで、実際には見えているのに、脳が見えなくさせてしまうことがある」と云うことが書いてある。
更に、分かり易くする為に、カップ&ボールと云う4000年も続いている世界一古いと言われるマジックを実演して見せたのであった。
本を読むだけでは分かり難いかもしれないが、マジックの素人が読んでも結構楽しめる本ではなかろうかと思う。
■2014-10-30-Thursday 贈呈本
アンコール・ワット研究で著名な上智大学の石澤良昭教授から
著書の「カンボジア密林の五大遺跡」石澤良昭・三輪悟共著、連合出版刊が届けられた。
今回は現在の上智大学アジア人材養成研究センター研究員で現地カンボジアのセンター責任者である三輪悟さんとの共著である。
石澤教授は帯広市の出身で三条高校を卒業されている。
1995年から帯広市の大学設立の委員会で、委員だった私は、副委員長だった石澤先生との知己を得た。
その縁で、2000年7月に、十勝環境ラボラトリー(TKL)の国際環境大学公開講座の講師に、石澤先生を招聘した時に、同じ、三条高校から上智大学へと進んだ石澤先生の後輩にあたるアサノカメラ堂の浅野祐一さんが参加した。
講演を聞いて感動した浅野さんが、尊敬する石澤先輩に、遺跡発掘作業の為に自動車やクレーンなどを寄贈するということになり、会うきっかけを作った私が、そのお手伝いをやったことで、その恩恵に浴しているという次第である。
この自動車などの寄贈式をカンボジアで行なうというので、私も浅野さんに同行してこれまで4度ほどカンボジアに行っている。
その都度、石澤先生のご案内で、普通の旅行者などは入れないような遺跡にまで連れて行ってもらって解説をしていただいた。
遺跡研究の世界的権威の石澤教授にご案内いただけて、おまけに詳しい解説までしていただけるのだから、こんな贅沢な遺跡巡りはそうはないだろう。
浅野さんのお陰でとても良い思いをさせてもらっている。
今回頂いた本の中には、その時に連れて行ってもらった遺跡も含まれているので懐かしく読んだのであった。
去年の年末に浅野さんがまた自動車を寄贈したが、その寄贈式はまだ行なわれていない。カンボジアは暑い国だから、涼しい12月頃に行なうのではないかと推察している。
そろそろまたカンボジアの遺跡を見たくなったなぁ〜。
■2014-10-31-Friday トランプ
マジック博物館の
「トランプの壁」の製作を進めているが・・・、
知り合いの大工さんが手弁当で作業してくれたお陰で、壁そのものは完成した。後は棚にトランプを並べていく作業であるが、これがなかなか大変な作業なのである。
まずは、先週から種類分けをしていたトランプを並べてみた。
マジックに使用するトランプの大きさには、幅の広い「ポーカーサイズ」と幅の狭い「ブリッジサイズ」の2種類があるのであるが、この2サイズ以外にも小さいものや大きいモノもあるのでキレイに並べることができない。
「ブリッジサイズ」はコントラクトブリッジをプレーするのに、手に持ち易くするためにトランプの幅を狭くしている。
手の小さい日本人には、このサイズがちょうど良かったのだろう。私がマジックを始めた1970年代には、マジック用のトリックを施したトランプはほとんどがこのブリッジサイズで作られていたのだ。
その後、日本のマジック界も段々と国際的になってくると、欧米でのマジックで使用されるポーカーサイズへと替わっていったのである。
だから私のように昔からマジックをやっていて、しかも道具を収集するようなタイプの人間は、やたらとトリックを施したトランプの数が多いのだが、それもそのはずで、ポーカーサイズとブリッジサイズの2種類とも所持しているからなのである。
日本では消費税が掛けられる前には、トランプには税金が掛けられていたから、トランプの値段は結構高かかったのである。現在、600円程度で買える「バイシクル」と云うブランドのトランプは当時は倍の1200円もしたのである
マジックに使用するトランプは「紙製」でなければならない。
当時、日本では任天堂などがプラスチック製の安価なトランプを随分製造していたが、プラスチック製のトランプはマジックには向かないのである。
何故なら、プラスチック製トランプは静電気でくっついてしまったり、紙の特性である曲げた状態のまま形を維持することが出来ないなどの点でマジック向きではなかったのである。
当時の日本製の紙のトランプは品質の面ではアメリカ製のトランプに遠く及ばなかった。
アメリカはカジノなどで紙のトランプを大量に消費するから製品の質が良かったのである。
マジシャンにとってトランプは消耗品である。
紙製のトランプは、掌の汗を吸うと端が膨れてくる。カードの厚みが微妙に狂うと指先の感覚で正確な枚数を感じることが出来なくなるので、そうなるともうそのトランプはマジックには使用できないのだ。
私の場合は、特に汗かきなこともあるが、1ヶ月ももたない。
また日本の場合は湿気があるから、トランプの保存には向かない気候でもある。
日本のマジシャンはそんな事情から、トリックカードを作るのに値段が安い「キャラバン」というブランドのブリッジサイズのトランプを使ったのである。
このブリッジサイズのトリックカードは、「FOX LAKE」と云う箱に入れられて売られていた。トランプのバックの色に合わせて赤と青の2種類の箱がある。
外観はまったく一緒なのだが、中身のカードに施されているトリックは異なる。これを並べても一般の人が見たら同じモノにしか見えないだろう。
しかも私の場合は、この「Fox LAKE」の赤箱、青箱以外に、「バイシクル」のトリックカードの赤箱、青箱が大量にあるのである。
壁には、同じ箱のモノを並べたくはないが、中身は異なるので、これをどうやって展示しようかまだ迷っている。
こんなことを繰り返しているから、なかなか作業が進まないのである。
11月中旬には故ジミー忍師の奥さんのマコママがマジック博物館の進捗状況の視察に来る。
何とか、それまでには少しは形にしておきたいと思っている。