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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-11-01-Saturday 連休初日

三日連休の初日である。

ゴルフクラブはもう仕舞ってしまったし、旅行に行く気にもならない。

家でブラブラしていても仕方がないので、妻と二人で美術館に行くことにした。「マジック博物館」の展示方法の参考にしようと考えたのだ。

会社の掲示板に美術館のポスターを貼ってあげているので、そのお礼と云うことで招待券をもらったのだ。

現在の展示物は、高校生の時に隣のA組の担任で美術担当だった中谷有逸先生の作品である。

私は絵画も好きで、中谷先生の作品は4点所持しているが、いずれも具象の風景画である。

今回の展示物は版画であり、しかも抽象画である。

私は、コンテンポラリーアートの抽象画は苦手なのである。どうも作者の意図が良く理解出来ないのだ。

それでも私はジックリ見てなんとか作者の意図を感じようと努力しながら色々な角度から作品を眺めていたのだが、妻はサッサと歩いて行く。

妻もこう云う作品は苦手のようだ。しかし、それでも早過ぎるぞ!

入口のところに中谷先生が座っておられた。あまりにも早いスピードで出てきてしまったから、顔を合わせるのは気まずい感じだったので、気が付かない振りして避けたかったのであるが、先生の方が私を見つけてしまったので挨拶せざるをえなくなってしまった。

本来なら見た後の感想などを言わなければならないのだろうが「良い天気ですね〜」と気が利かないセリフしか出てこない。困ったものだ。

挨拶もそこそこに出てきたのであった。


■2014-11-02-Sunday マラソン

帯広のフードバレーマラソン大会が開催された。

今年で3回目の開催になる。

私はマラソンにはまったく関心がないが、この大会の創設にはかなり深く関わったのであった。

話は5年前に遡る。

ことは航空会社のエアードゥが帯広ー東京便を就航させる時のことだ。以前に帯広支社にいたことのある北海道新聞の記者から、私のところにメールが入った。

宣伝の為に何かイベントを行ないたいと云う希望がエアードゥにある。ついては観光カリスマの坂本さんにご協力をお願いしたいとの内容であった。

その記者がエアードゥの役員を伴って我が社を訪問してきた。

「就航記念にマラソン大会をやりたい」と言う。

私は、マラソンというか長距離の陸上競技が苦手である。瞬発力には自信があるが持久力にはまったく自信がないからだ。

中学、高校と学校行事でマラソン大会が催されていたが、真面目に完走したのは中学生の時だけ、高校生の時はズルして半分も走っていない。

そんな私にマラソンのことなど分かるはずもないから、一旦は断わったのだが、頼る人が貴方しか居ないと言われて、妙に男気を発揮してしまったのであった。

すぐに市役所や商工会議所、観光関係の企業などに勤めている高校時代の同期生、JCの現役メンバーなどを呼び集めた。

記者の話によれば「マラソン大会は金が掛からない、300万円もあれば運営できる。問題は警察だ」とのことである。

マラソンのことなどまったく分からないから、それを100%信じて行動を開始したのだが・・・。

本格的に調べれば調べるほど、予算額がドンドンと膨らんでいく。警察署に出向いて意向を聞くとあまり歓迎されない様子である。どうやら余計な仕事を増やして欲しくないようなのである。

それでも持ち前の粘り強さを発揮して警察にも数度出向き交渉をしながらコースの設計作業にも入っていったし、マラソン大会の運営を手掛ける企業にも相談しながら準備を進めたのであった。

こう云う大会を成功させるには、事前に関係があると思われる組織に話を通しておく必要がある。全部が決まって、後から話をすると「俺は聞いていない」とムクレて反対するひねくれ者が出てくるからだ。

およそ考えられる組織全てに案内状を出して何度も会議を開催した。十勝支庁にも足を運び打ち合わせを何度も行なって、いよいよマラソン大会を開催しようかという段階になって、予算が1千数百万円も掛かると云う話が運営会社側から出てきた。

これでは話が違う。

スポンサーを今から見つける作業はとても出来ない。

結局、その年の開催は見送らざるを得なくなったのだった。

市役所の友人が奔走してくれて、翌年、市長が乗り気になってくれたことで予算がなんとかなる見通しが立ち、今度は市役所主導で会議が立ちあがり、私もその準備員会のメンバーに入って作業を続け3年前に無事開催することが出来たのであった。

3年前の実際に開催する時に、準備委員会から実行委員会へと組織を改編する際に、私は実行委員会には入らなかった。一緒にやっていたメンバーから「何故、坂本さんが実行委員に入っていないんだ」と文句を言われたが、市役所側から「坂本さんは組織を背負っていないから実行委員会のメンバーにはできない」と言われたので実行委員にはならなかったのである。○○会とか△△協会の会長などと云うポストに居なければ、観光カリスマというだけで、個人ではダメだということらしい。いかにも役所的な対応であるが・・・。

今日の第三回目の大会の参加者は4500名にもなったと云う。天候も時折小雨がパラついたが、風も無く、気温も涼しくてマラソン向きだったのではなかろうか。

実行委員会から外れたとはいえ、当日は我が社の地階を選手控室として無料で開放する協力をしている。

自分が関わった大会が成功裏に終わってくれるのは嬉しいことである。


■2014-11-03-Monday 尊厳死

尊厳死を認めているアメリカの

オレゴン州で、脳腫瘍の為に余命わずかと宣告された29歳の女性が1日に尊厳死すると予告していて話題になっていたが、その通りに1日に死んだというニュースが流れた。

日本でも随分と話題になったが、それはとりもなおさず、これからの老齢化社会に対して、多くの日本人が問題意識を持っているからに他ならないだろう。

「死」というものは、この世に生を受けた全ての生物に訪れる宿命である。天寿を全うして老衰で死ぬ人もいれば、事故や事件に巻き込まれて若くして死ぬ人もいる。「死に方」はともかくとして「死」に関しては遅いか早いかだけのことである。

今回の議論は、この「死に方」と「死」を混ぜこぜにした議論のように思える。

「死に方」に関しては、今回の尊厳死を「自殺」と捉える人も多くいるようだし、医師による「自殺ほう助」ではないかという人もいる。

たしかに、医師が処方した薬を自ら服用して死ぬのだから自殺と言えなくもない。

今回はまだ29歳と若い女性であったことが話題になった理由のひとつであろう。意識もまだしっかりしている状態で、いわば服毒自殺みたいな方法で死ぬのだから・・・。

もしも、尊厳死希望者が医者から処方された薬を飲まずに所持していて、その薬を誰かが犯罪に悪用するなんて云う事態は、あらかじめ想定されているのだろうか?

私は「尊厳死」を認めるべきだと考えているが、日本で尊厳死を認めるようなことになっても、今回の方法は是にはならないだろう。

医師が投薬して、その場で死を確認するべきであると考える。

私が考えていた「尊厳死」は、70歳以上の老人を想定していた。

たとえば私が70歳過ぎの老人になって、もしも末期癌が発見されて、手術しても快癒する見込みがなく、逆に手術することで体力を奪うようなことになるなら手術はしないだろう。チューブに繋がれた機械に生かされるような延命治療は絶対にしたくない。

余命を告げてもらい、残された人生をいかに過ごすかという選択が欲しい。

末期癌はかなり痛いらしい。痛いのは相当につらいだろう。

やることを済ませて、「死」の覚悟を決めたら家族にみとられながら安らかに死にたいと思う。

家族に取っても、看病はしたという実績と、臨終に立ち会ったという実績が残れば、一応の満足は得られるだろう。

ダラダラと看病が長引けば、「死んで行く人間」が「これからも生きていかなければならない人間」に対して、精神的にも金銭的にも迷惑を掛けることになる。

人間はどうせいつかは「死」ぬのである。残る者たちに負担は掛けたくない。

私はそう考えている。

私も「自殺」はするべきではないと思う。

日本も早く「尊厳死」の法律を作って安心して老後を暮らせる社会にして欲しいものだ。


■2014-11-04-Tuesday 喧嘩!?

先ごろノーベル物理学賞を受賞し、

3日の文化の日に、今度は文化勲章を授与された中村修二氏が、受賞後に記者会見を開いた。

元勤務先で青色発光ダイオード(LED)の特許を巡って裁判で争った日亜化学工業(徳島県)に対して「過去のことは忘れましょう。将来だけを見て仲良くしましょう」「ノーベル賞も文化勲章も日亜の貢献が大きい。人生短いから、喧嘩したまま死にたくない」などと述べて関係改善を図る姿勢を示した。

日亜化学工業の小川英治社長に対し「お互い誤解があった。本音で話せば仲直りできる」と面会を呼び掛けたが・・・。

確か、ノーベル賞を受賞した時のコメントでは「怒りが原動力」「日本の研究体制には怒りしか感じない」と言っていたではないか。

まったく真逆なことを、なぜ今頃、しかも記者会見なんぞで発表したのだろうか。

ノーベル賞を受賞した際に、日亜への感謝の気持ちを言っていれば、まだしもだが、世界に発信される状況で悪口を言っておいて、日本での発言で仲直りしましょうよなんて、ちょっと他人の感情を慮る姿勢に欠けているんじゃないのかと感じた。

それに、こう云うことは、直接、日亜側に働き掛けるべきことであろう。報道機関を使って間接的に働き掛ける姿勢は、好ましいとは言えないであろう。

そう思っていたら・・・。

4日に日亜側からコメントが発表されたが・・・。

案の定、「歴代社長や会社への感謝を公の場で述べておられ、それで十分」「貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、賞・章に恥じないよう研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生み出されるようお祈りしております」と面会を断ったことが報道された。

そりゃ〜そうだろうなぁ〜。

私には日亜側の心情が十分に理解できる。

確かに日亜在職中に於ける中村氏の研究は素晴らしかったのだろう。しかし、LEDの開発が成功したからと言っても、日亜の資金と施設を使って研究したのだろうから、全部が全部、中村氏一人だけの研究成果と云うわけでもあるまい。

中村氏が成功を確信していたのなら、中村氏がベンチャーで企業を起こせば良かったのである。

それをやらずに、報酬だけ寄こせと云うのは、会社にしてみれば、失敗するかもしれない事業に、投資した費用などを考えれば無茶でズルイ要求に感じられたことと推察する。

しかし、日亜が中村氏に払った成功報酬が、たったの2万円と云うのは、これはあまりにも安過ぎた。会社もLEDで儲かったのなら、ボーナスなどでもっと報いるべきであったろう。

結局、争い事はどっちもどっちと云うことなのだろうなぁ〜。


■2014-11-05-Wednesday トランプの壁

マジック博物館の展示物を

並べ始めたが・・・。

来週の日曜日に、マジックの師匠である故ジミー忍師の奥さん、マコママが帯広に来る。「のんびりやっとったら、私が生きてる内に完成せ〜へんぞ!ハッパ掛けに帯広に博物館の進捗状況を見に行くで〜」との連絡が入ったのである。

きっかけは何にせよ、博物館の仕事を急がなければならなくなるのは良いことである。こう云うことでもない限り仕事が捗らないからだ。

まずは、「トランプの壁」だけでも完成させようと頑張ったのである。

1000個以上もあるトランプを、大工さんに作ってもらった棚に並べてみたのだが・・・。

棚には傾斜をつけてあるのだが、トランプのバランスが悪くて不安定なものは、ちょっとした振動で落ちてしまう。地震が起きたら全部崩れてしまうかもしれない。

落下防止に、釣り糸で留めることにしたが、1個1個、間をビスで留めないと緩んで落ちてしまう事が分かった。

DIYからネジ釘を買って来て、ネジまわしで留め始めたが、1個ずつ手で締めたら腕が痛くなる。1000個以上のネジ釘を手で絞めることは大変だ。もう一度DIYに行き、小さな電動ドライバーが3980円で売っていたのでそれを買うことにした。

電動ドライバーはこれまで使ったことがなかったから、最初はなかなか難しい。直接、壁にネジ釘を入れようとすると、ドライバーの先が遊んでしまって上手く回らない。

結構、大変な作業である。その内に慣れて来て段々上手くなってはきたが、それでもネジ釘を壁に入れるのに釘が暴れてしまう。

ネジ釘が足りなくなったので、買い足しにDIYに三度行く。「目打ち」が売っていたので、そうか!これで最初に壁に穴を空けておけば簡単に出来るぞ!と思い付いたのであった。

何事も経験しながら工夫すれば、少しずつ賢くなってくるものだ。

作業のスピードが格段に速くなってきた。

棚を下から並べ始めたが、上の方は脚立に昇っての作業である。私は軽度の高所恐怖症なので冷や汗をかきながらの作業になった。

棚が一杯になった。壁一面がトランプで埋まった景観はなかなか見事なものである。

1000個のトランプの中には、まったく同じものが150個以上もあったからそれらを省いて並べたのだが、並べきれていないトランプがまだ50個ほど余っている。

最初に計算した時には間に合う筈だったのだが、釣り糸をビスに巻き付ける作業では、手が入る隙間が必要なので、トランプとトランプの間隔が当初の予定よりも広くなってしまったのだ。

しかし、どうせなら全部並べたくなった。

急遽、大工さんを呼んで、棚をつけ足してもらうことにしたのである。

何とかマコママが来る前に、トランプの壁だけは完成させたいと考えているが、何とか間に合いそうで一安心した。


■2014-11-06-Thursday 北海道総合計画

5日の北海道新聞に

国土交通省は「第7期北海道総合開発計画(2008〜2017年度)」の終了時期を2年前倒しして15年度とし、16年度を初年度した10ヶ年の第8期計画を策定する方針を固めたとの記事が載った。

計画期間途中で終了させるのは極めて異例のことだ。

この第7期計画には、私も参事として参加していたのだが・・・。

第7期の計画期間中には、まず、2008年9月には100年に一度と言われた「リーマンショック」が起こり世界的に経済がガタガタになった。また2011年3月11日には1000年に一度と言われた「東日本大震災」が起こった。

私は、今年の3月末まで、第7期道総合開発計画の進捗状況を判断する委員会に所属していた。

その委員会では、これだけ大きな外的要因があったのだから計画の見直しをするべきだと言う意見も多数出たのだが、結局は見直しはされなかったのである。

一旦動き出した10年計画を途中で変えるのは、役人的には相当嫌な作業であるらしい。

しかし、100年に一度、1000年に一度というような不測の事態が起きたのだから、経済的な環境やその他の社会情勢が計画を策定した時とは大きく異なってしまっている。

そのまま計画を推進し続けても、現実と計画の間の歪が益々大きくなっていくだけだろう。ようやく役人がそのことに気が付いたのかもしれない。

道新の記事には、高齢化や人口減少などに対処する為なんて書いてあったが、そんなことは、元々分かっていたことだし、委員も皆が考えていたことである。

委員会では委員が発言しても、実際の計画は役人が作るから、役人特有のよく理解できない文言になってしまう。

第8期計画を誰が中心になって策定するのか知らないが、見識と先見性のある人物がリーダーとなって、実効性と将来に希望の持てる、大胆な計画を作ってもらいたい。役人任せではまた同じことの繰り返しになってしまうだろう。


■2014-11-07-Friday 冤罪?

韓国の仁川で行なわれたアジア大会で

カメラを盗んだとして韓国警察の事情聴取を受け、略式起訴された水泳の冨田尚弥(25)選手が6日記者会見を開いて冤罪を主張した。

当初の報道では、防犯カメラに冨田選手がカメラを盗む場面が映っており、冨田選手も窃盗を認めたとあったから、窃盗の癖のある奴なんだろうなぁ〜、それでもアジア大会の最中に、衆人環視の中で選手が窃盗するなんてバカな奴だなぁ〜、何しに行っていたんだろう。としか思わなかった。

事件が起きたのは9月25日のことだから、かれこれ1ヶ月以上も過ぎての冤罪発言は???

冨田選手は所属するデサントから懲戒解雇され、日本水泳連盟からは2016年3月末日まで選手登録停止という処分を受けた。

これは事実上2016年のリオデジャネイロオリンピックの選手選考会に出られない厳しい処分だということだ。

このことが、冤罪会見に臨んだ理由なのだろうが・・・。

しかし、冨田選手の会見では「腕をつかまれ鞄に入れられた」と主張したようだが、それこそ、そんなことがあるだろうか?という荒唐無稽な主張であるように思える。

日本が嫌いだとされる韓国が、日本チームに動揺を与える為に、陰謀でカメラを盗んだようにみせかけたとでも言うのだろうか?

いくらスポーツのルールに対してフェアではない行ないをする国でも、選手を犯罪者にして、罪を押し付けをするようなことはしないであろうと思うのである。

まぁ、韓国警察は盗んだ場面の映像があるというから、それが公開されたらそれでもう終わりだろうが・・・。

何だか訳の分からないおかしな事件であることよ。


■2014-11-08-Saturday お客さん

東京から知人が遊びに来た。

十勝環境ラボラトリー(TKL)の講師として1999年5月に招いた時から、十勝のファンになり、以来、何度も仲間を数人引き連れては十勝を訪れてくれている。

今回はご主人と二人での来勝である。

最初の来勝でのアスパラガス狩りに始まって、熱気球、カヌー、ゴルフ、温泉などなど春夏秋冬の4シーズン全てを堪能している。

今回のこの時期は、紅葉も終わっているし、ゴルフには少々寒くて適していないし、雪もまだ降っていないからスキーも出来ない等、観光の端境期ではあるが、ただ十勝に来るだけで落ち着くのだそうである。

十勝に来て美味しいものを食べ、広い平野をドライブして、温泉に入ることで心が安らぐと言う。

十勝に暮らす人間としてこれほど嬉しいことはない。

夕方にレンタカー会社で車を返却した場所に迎えに行き、まずは我が社で製作途中のマジック博物館を見てもらう。

事前のメールでのやり取りで「マジック博物館を作っている途中であり、先日、トランプの壁が完成したばかりだ」と報告していたのだ。

お土産として、ご自身が所有していた珍しいトランプを4組頂いた。早速飾ることにした。

6階の「マジック図書館」も見てもらった。図書館を作り始めた2007年にゴルフをやりに夫婦で来た際に、まだ書棚が2つだった頃に見てもらったことがある。その時にも「ハリー・ポッター」の洋書をプレゼントしてもらったのだ。その図書館も3倍以上に蔵書が増えているので、驚いていたが・・・。

夕食には私の妻が合流して、北の屋台出身の「らくれっと」に入る。

北の屋台が出来る前のTKLの時代から親交があるから、北の屋台の出来る過程は研究の段階から全て見ておられるし、これまでに何度も屋台で飲食を楽しんでいるのであるが、何だか通りの雰囲気がガラッと変わってしまって入り難くなってしまったという。

帯広にズッと居ると変化が分かり難いのかもしれないが、ほぼ2年毎に来勝している夫婦には、微妙な変化が敏感に感じられるのだろう。

「らくれっと」のラクレットチーズが北の屋台時代からのお気に入りなのである。

ワインを飲んで、ラクレットチーズが掛かったじゃがいもやパン、豚モモ肉の塩漬けを茹でたアイスバイン、ソーセージなどを食べながら、会話を楽しんだのだった。


■2014-11-09-Sunday お客さん2

さて、日曜日である。

午後13:55発の飛行機で東京に戻ると言う。午前中しか観光の時間が無いが、近場の観光は全て経験済みである。ホテルでゆっくり寝ていたいと言う。

唯一のリクエストは日曜日にしか営業していない「百姓(笑)庵」という蕎麦屋に行きたいということと、大正町にあるお菓子屋の「あくつ」に寄ることの2件だけだと言う。

蕎麦好きの私ではあるが、日曜日だけの営業ということや、帯広市内からはかなり離れた辺鄙な場所にあるということで未だ行ったことがなかったのである。

地元の人間がなかなか行けないでいる場所を、観光客が行きたいからと言うので促されて、その場所を探して連れて行くと云う機会が増えている。

「百姓(笑)庵」をネットで検索して大体の場所は把握したのだが、道路がイマイチ分からない。カーナビがあって良かった。

カーナビがなければ辿りつけなかったかもしれない。

百姓庵には11:30に到着したが、すでに駐車場は満車である。向かいの公民館の駐車場に停めて中に入った。ちょうど食べ終わって出る人が居たので待たずに座ることが出来たが、なかなかの繁盛振りである。

百姓庵は、その名前が示す通りに、蕎麦好きの農家の人がやっている蕎麦屋で、普段は農作業がある為に日曜日のみの営業ということである。

席に着いたら、店主が「坂本さんじゃありませんか?」と厨房から出てきて挨拶された。

私はこの店に来るのは初めてだったが、挨拶された店主の方は長崎さんと云う方で、以前にスローフードの全国大会を帯広で開催した際に、中札内の会場で、長崎さんの打った蕎麦を食べたことがあったのを思い出した。

長崎さんは「この蕎麦屋を始めたのが2000年で、同じ頃に頻繁に新聞に載っていた北の屋台のことに関心があったから、坂本さんの講演も聞きに行ったのだ」と言うのである。実に嬉しい話だ。

長崎さんの弟子が十勝管内で数軒、蕎麦屋をやっているという。趣味の蕎麦打ちがここまでくるのはスゴイことである。

田舎蕎麦風の色であるが、打ち立て、茹でたてで、麵も腰が強く、味も良い。もり蕎麦に、自分で山わさびをすって入れる。山わさびの香りが蕎麦に合う。単品で取ったごぼう天がこれまた美味い。かけ蕎麦も頼んでいたから、そこに入れてごぼう天蕎麦にして食べたが絶品であった。

こんな辺鄙な場所に、これだけのお客さんが来て、商売になっているのが素晴らしいことだ。

これで場所を覚えたから、今度は蕎麦好きの客人を連れてくることにしよう。


■2014-11-10-Monday 解散だって?

衆院を年内に解散するという噂が拡がっていると云う。

国会では与党の自民・公明が圧倒的多数を持っていて、しかも任期はまだ2年も残っている。かつての衆院と参院のねじれもない。

一体、何を理由に解散するんだと思っていたら、何でも、今解散したら、野党の選挙準備が整っていないから、与党側の負けを最小限に食い止めることが出来るからだと云う。それがもしも本当ならフザケルナと言いたい。

選挙に一体いくらの税金が掛かると思っているんだ。700億円以上が掛かると言われているんだぞ。一体何を考えているんだ。

自民党のバカたれ議員共の中では「消費税を10%に上げるのを先延ばしして、その是非を国民に問う解散だ」」と言っているらしいが、元々3党合意で決めた消費税のアップには、経済情勢を鑑がみて決めるという条項があるのだから、現在のこの不景気時にわざわざ消費税を上げなくても良いだろうとほとんどの国民は思っているはずだ。

むしろ、そんなことのために700億円の税金を無駄遣いする必要なんてないだろう。

700億円を国民に還元した方がよっぽどましである。

解散の大義名分なんてまったく無いではないか。

これは単なる与党側の身勝手な党利党略に過ぎないではないか。

国民と国会議員の間に、まったく相容れない深〜い溝があるようだ。

日本国民もこれ以上国会議員共にバカにされたままで良いと云うのか?

自民党は、前々回の選挙で民主党に大敗し、国政を失ってから、少しは謙虚になったかと思っていたが、むしろ逆に傲慢になったのではないか?

野党がしっかりしていないからだ!野党ももっとちゃんとやれよ。

与党も野党も、こんなバカげたことをやっていたら国会議員は国民から見放されるぞ!


■2014-11-11-Tuesday 床屋さんで

小学生の時から通っている

馴染みの床屋「理容のセイノ」に行った。

もちろん代は替わっているが、床屋を替えることはなかなかできない。

私は癖毛で長くなってくると髪の毛がクルクルと丸まってくる。そうなると鏡をみても気分が悪くなるので、月に一度は床屋に行って散髪することになる。

東京での大学生生活の時は仕方なくアパート近くの床屋に行っていたが、帰省した際には相変わらずセイノさんに通っていたのである。

この店は予約を取らないので、行ってみないと待ち時間が分からない。空いている時はよいが、混んでいる時は帰ることもある。

これだけ長く通っていると、こちらの要望が分かっているから、何も聞かずに髪を切ってくれるのが楽なのである。初めての床屋だと、ここをこうして欲しいとか、ああして欲しいとか注文するのが面倒臭いから嫌なのである。

床屋と云えば、江戸の昔から噂話をするところであると相場が決まっている。いつも色々な世間話をするのだが、この日はテレビ番組の話になった。

13日に放送される日本テレビ系列の「秘密のケンミンショー」という日本の地方の変わった食べ物や名物を紹介する番組があるが、13日は2時間のスペシャル番組だが、帯広の「豚丼」が特集されるのだという。

一般家庭で「豚丼」を作って食べている場面が撮りたいとの要望があったが、最初は断ったそうな。再度の要請に、セイノさんの弟の家庭が出演することになったという。その弟の家に母親や兄貴であるセイノさん一家も一緒に行って出演したから見てちょうだいねというのだ。

セイノさんの弟は中学生の時からの友人だし、高校も一緒だったから「それは楽しみにして見ますよ」と答えたのであった。

北の屋台の専務時代には、何度かテレビ局の収録に協力して、私も何度か出演したことがあるが、かなり長い時間の収録をしても実際の放映はほんの一瞬だったということもある。

さて、13日の放送が楽しみだ。


■2014-11-12-Wednesday 出版

来年2015年は

私の祖父が帯広で開業してから110年になる。

その前年に、池田利別で開業してからは111年の1並びの年になる。

それを記念して、本を出版しようと計画していることは以前のブログに書いた。

出版社の担当者と2回目の打ち合わせを行なった。

本の内容は、私がこれまで、北海道新聞、読売新聞、十勝毎日新聞などに寄稿した文章を中心にして、そこに新たに坂本家の創業時の話を加えようと考えている。

新聞に載ったモノの原稿は全て渡してあるから90%は既に渡してあることになるが、それを基にして、本の大きさや文字の大きさなどを決める打ち合わせである。

発行部数は当初は300部程度という希望であったのだが・・・。

一般書店でも販売できるおもしろい内容だということで1000部作ることにしたのだ。

まぁ、売れっこないとは思うけど、余ったら自分で引き取って知人に配布でもするつもりである。

出版するにあたっては著作権の問題がある。

新聞に寄稿した文章の著作権というのも、新聞社に依って対応が異なっているのだ。

北海道新聞社は「朝の食卓」の著作権は著者にあるから、新聞社に許可を取る必要もないし自由に本にして構いません。出版されるときには連絡くれれば記事にして紹介しますよと云う。

十勝毎日新聞社は著作権は著者にあるが、どの文章を使うかを報告しなくてはならないという。使用する文章の新聞掲載日と題名を一覧表にしたものと申請書に署名捺印したものを提出したのであったが使用料は無料でよいとのことだった。

読売新聞社は、著作権は新聞社にあると云う。東京本社の知的財産管理の部門に、使用する文章が載った新聞のコピーを全部送り、申請書に署名捺印して許可を取り、しかも使用料を支払うのだ。

出版する本の文章には新聞社名と掲載日を明記しなければならないし、新聞に載った文章を1字たりとも変えてはならないと云うのである。出版した本も本社に送らなくてはならない。

新聞社に依ってこれだけの差があるのだ。

まぁ、なんにせよ出版したら新聞社が記事で扱ってくれるというから宣伝効果はあるかもしれない。

大勢の人に読んでもらいたいなぁ。

出版予定は来年4月中旬である。


■2014-11-13-Thursday マジック

13日の夜はマジック教室である。

帯広のマジック愛好会の有志4人が、上手くなりたいということで私の個人レッスンを月2回受講しているのだ。

この日の午前中に、マジック博物館のトランプの壁の修正を行なった。トランプの壁は昨日一旦完成させたのだが、今朝方、マジックの師匠であった故ジミー忍師の未亡人であるマコママから新たにトランプが10個ほど送られて来たのである。

先週末に帯広に遊びに来た知人からも4組のトランプを頂いたので加えたばかりだったのだが・・・。

16日の日曜日にそのマコママが帯広に来る。

マジック博物館の進捗状況を確認する為だと云うのである。

トランプの壁は1個ずつネジと釣糸で留めてあるから、トランプの入れ替えは簡単には出来ない、結構大変な作業なのである。

しかし、せっかく見に来てくれるのに、自分が新たに送ったトランプが並んでいないと云うのも気分が悪いのでないかと思い。急遽追加することにしたのである。

その完成したトランプの壁を、マジック愛好家に見てもらって感想が聞きたかったのでマジック教室を始める前に案内して見せたのだ。

さすがに930個ものトランプを並べて壁を作ると迫力があるようだ。部屋に入るなり「これはすごい!」と感動してくれた。

この4人は床に並べている時にも見てはいるが、床に並べているのと壁を作ったのでは迫力が違う。

すごい!すごい!の連発であった。

私もすっかり気分が良くなってマジック教室も30分も時間を延長して教えたのであった。

これならマコママも満足してくれるのではないだろうか。

後は、もう少し他の壁にポスターや額を並べて見栄えをよくしよう。


■2014-11-14-Friday ビル協

私が会長を務めている

帯広ビルディング協会の総会を市内のはげ天で開催した。

今年は恒例の勉強会も開催しなかったし、春の総会も開催しなかった。

会員であるビル会社も減り、役員も皆がかなり年を取ってきた。

私が最年少なのであるが、他にやる人がいないから会長をやっているようなものなのである。

何せ事務局を担当している役員が昭和5年生まれの84歳であるから、総会の時期になっても誰も総会をやろうと言い出さないのだ。

何もやらずに終わる訳にはいかないから、総会と懇親会だけでも企画したのであった。

会員12社の内8社が出席して、総会は20分でシャンシャンで終了、部屋を移して宴会が始まった。

話題は市内のビルの話と選挙の話である。

今年の9月に着工が予定されていた西2条南9丁目の博愛会のビルも着工が遅れてしばらくは建たないらしい。

旧イトーヨーカドービルも落札者が決まったが、その後の利用方法については依然として明らかにされていない。

そこにもってきて、このクリスマス商戦で書入れ時に安倍内閣は選挙をやるようだ。

この選挙を歓迎している国民って居るのだろうか?

会員の口から出るのは暗い話ばかりである。

終了後に隣のビルのオーナーと2人で別の場所に飲みに行った。美味しいウイスキーを飲ませる男のバーテンダー一人がやっているバーがあると云う。

行ってみたらバーテンダーはJCの後輩であった。カウンターに座って、飲んだことのないバーボンを1杯、スコッチを2杯飲んだら酔ってしまった。

このところ焼酎ばかりで、ウィスキーは飲んでいない。NHKの朝のテレビ小説の「まっさん」のお陰か、ウィスキーが見直されているらしい。

久し振りのウィスキーであったが、やっぱりウィスキーは美味しい。

私もまたウィスキーに変えようかな?


■2014-11-15-Saturday いよいよ

いよいよ明日、

マジックの師匠であった故ジミー忍師の奥様、マコママが帯広に来る。

マジック博物館のトランプの壁はほぼ完成させたものの、ポスター類や絵画などの額類の展示がまだ終わっていない。

今日中になんとか形をつくるしかないが・・・。

会社が休日の土曜日に一人会社に行って作業を行なう。

額類を壁に掛けずに、床に立てかけても見栄えがしない。仮留めであっても壁に掛ける展示の方が雰囲気が出る。

しかし、壁は石膏ボードなのでネジが効かない。

大工さんに頼んで、真ん中の柱部分に厚めの木板を貼ってもらい釘が効くようにしてもらった。ただ柱に木板をそのまま貼ったのでは面白くないから、柱よりも幅の広い板を使って卍状にはみ出させて作ってみた。

普通の展示の仕方ではつまらない。

まぁ、何とか格好がついた。

以前に購入しておいたマネキン人形に衣装を着せて、壁に飾った額の前に並べてみた。

購入したマネキンの方が、師匠の身体よりも太くて、衣装のボタンが閉まらない。固いマネキンではないので、手でギュゥッと締め付けると若干細くなるから、それをやりながらボタンを留めていった。

のっぺらぼうのマネキンの顔では不気味なので、透明な顔のマスクを購入して被せると遠目には顔に見える。マスクには口髭が付いているので、師匠のジミー師に似ていなくもない。

このマネキンは腕や手などの中に針金が入っていてポーズが取れる様になっているから、マジックを演じているようにポーズを取らせてみた。

当然ながら博物館としては、まだまだ不完全ではあるが、こうして徐々に形を整えていけば2年後くらいには完成させられるのではないだろうか?

マコママに見てもらうのが楽しみである。


■2014-11-16-Sunday マコママ登場

昼に到着する飛行機でマコママが帯広入りした。

ツアーに乗っかっての帯広入りであるので、帯広空港からホテルまでは、ホテルのバスで向かうというから、私は、ホテルに迎えに行くことになった。

そのツアーのスケジュール詳細は10日にマコママの自宅に届いたと云う。

私のところには16〜19日の3泊4日で帯広に行くとだけしか連絡が来ていなかったのだ。

ホテルも帯広市内のホテルなのかと思っていたら、マコママが言うにはパンフレットには十勝川温泉のホテルと書いてあると云う。

十勝川温泉は隣町の音更町にある。私の会社からは自動車で20分ほどの距離だ。

ホテルの名前を聞いたら筒井温泉ホテルだと云う。筒井ホテルは確かに十勝川温泉郷と同じ音更町にはあるが、十勝川温泉郷のホテル群とはかなり離れた別の場所にポツンと一軒だけ建っているホテルなのだ。

私が子供頃は、スキー場があったり、温水プールがあったり、ボウリング場があったりして、父の会社の慰安旅行などで何度か泊ったことがある。いつも行くゴルフ場の近くであるから、外から建物を見ることはあるが、ここ30年ほどは行ったことがないホテルだ。

マコママはホテルの前で待っていた。

今回来たツアーは行き帰りの飛行機とホテルの宿泊だけで、あとは全部終日自由行動であるという。

今の時期の十勝は観光の端境期で、紅葉も終わっているし、雪もないし、マコママは肉がまったく食べられない人だから、十勝名物のジンギスカンや豚丼などを振舞うことも出来ない。どうやって時間を潰そうかと考えていたら・・・。

とにかく、すぐにマジック博物館を見たいというので、まずは博物館に直行して見てもらったのであった。

入るなり目に入った「トランプの壁」に「ウォ〜すごい!」と感動してくれた。

私の労力を理解してくれたのだろう。「よくぞ、ここまでやってくれた」と褒めてもらったのであった。

そう言ってもらえると、こちらとしてもやりがいがあったってもんである。

トランプをひとつひとつ見ながら、このトランプは誰からもらった、このトランプにはこういうエピソードがあると、次から次へと話が尽きない。

私としても喜んでもらえて嬉しい。

マコママが帯広に来ると言わなかったら、きっとまだ「トランプの壁」すら完成していなかったろう。

作業を進めるちょうど良いキッカケになった。

ただ道具を見ただけでは分からない、送られてきた道具類の使い方やエピソードなどを聞いていく。

使っていた本人に聞くのが一番である。

私も知らなかった色々なことが分かり、またひとつ楽しいことが増えた。

マコママは全国各地にちらばっているジミー師の弟子たちをここに集めて見学会と座談会をやり、マジック界のエピソードをまとめて本にしたいという。

また宿題が増えてしまったようだ。


■2014-11-17-Monday 新聞の取材

マコママが来ることを

何度かこのブログに書いておいたら地元の新聞社から取材の依頼があった。

マジック博物館関係の取材では、今年の元旦号では松旭斎天一の書を入手した旨を載せてくれたし、その後に同じ松旭斎天一の掛け軸を入手した際にも取材を受けた。

その時にも、マジック博物館の開設準備を進めていると言っていたので、かなり作業が進んでいると思っているのだろう。

まぁ今回は「トランプの壁」を完成させたから、一応は進んでいることになるが・・・。

取材には記者とカメラマンの2人で来てくれた。きっと良いアングルで写真を撮ろうというのであろう。記者がカメラマンを兼ねるよりは専門のカメラマンに撮ってもらった方が見栄えも良いだろうから大歓迎である。

博物館の部屋に入るなり記者もカメラマンも「ウワァ〜すごい!」と感嘆の声を上げた。

やはりこの「トランプの壁」はインパクトがあるようである。

マコママは「トランプ」と云うのがどうも気に入らないと言う。マジシャンは「プレイングカード」もしくは単に「カード」と呼ぶからだ。

しかし「プレイングカード」と言ったら一般の日本人には馴染みが薄いし、単に「カード」と言ったら「キャッシュカード」と混同する可能性が高いだろう。日本人には「トランプ」と言った方が理解が早いからと言って説得したのである。

地方新聞とは云っても新聞記事に載るということは客観的に評価してもらうことになる。それを全国各地に散らばっているジミー忍師の弟子たちに送ることで、師の遺言であるマジック博物館が少しずつ現実化されていることが伝わり易くなるのではないかと思う。

今回の取材は、そう云う意味では実に有り難い。

結局、1時間半もの長い取材を受けたのであった。

明日は安倍首相の解散宣言があるかもしれないから、記事がいつ掲載されるかは分からないがマコママが帯広に居る間に掲載されれば尚の事嬉しい。


■2014-11-18-Tuesday マジック博物館

マコママもマジック博物館の

展示物の飾り付けをやりたいと言う。

ただ見学に来るだけでは物足りないのだろうし、観ている内に身体がうずいてきたのだろう。

以前に購入した男性3体と女性1体のマネキンに、事前に私が衣装を着せていたのだが・・・。

マコママは「燕尾服にブラックタイはまずいやろ〜!燕尾にはホワイトタイやで〜」とか「燕尾にフリルのシャツはないやろ〜!燕尾にはイカ胸のシャツと相場が決まっとるんやで〜!」、「間違ったまま展示されたら恥ずかしいから着替えさせたいんや〜」と言うのである。

着せてある衣装を脱がせて、衣装を選び直し、着せ替えたたのであった。

燕尾服ばかりでは面白くないからボレロやフロックコートやタキシードなども着せたいというが付属の小物が足りない。

結局、マネキンに完璧に衣装を着せるには燕尾服しかない。燕尾服は黒・青・エンジ色の3種類があるからこれを着せることにした。

着せ替えをやっている内に、マネキンの腕を抜いて背中側に回した際にマコママが「ウワァ〜先生の腕が折れたぁ〜」とビックリして大きな声を出した。服に腕を通している内に普通の人間にはありえない方向に腕が曲がったので驚いたのだろう。

マコママは人形であることを一瞬忘れて生身の先生に衣装を着せていると錯覚したのだと言う。それほど入れ込んでいたのだろう。夢中になって作業に没頭していた。結局、3時間近くも掛かって4体のマネキンに衣装を着せたのであった。

着せ終わってから、記念に写真を撮ろうかということになったのだが、そのままの形では面白くないと言う。

せっかくポーズを取れるマネキンなのだから、マジックを演じている場面のようにポーズをさせて撮ろうよということになったのであった。

ステッキを持たせたり、大きなカードを持たせたり、シルクや毛花やパラソルや帽子を持たせてポーズを決めていった。

まるで大きな着せ替え人形でままごと遊びをやっているような感覚である。時間の経つのも忘れて2人で楽しんでいたのであった。

ちょうど新聞が届けられる時間になったので、作業を一旦中断して新聞を見てみたら高倉健が亡くなったと云う記事が大きく載っていてビックリした。

高倉健の特集記事で紙面が埋め尽くされている。高倉健は北海道で撮影した映画が多いから地元紙の扱いも大きいのだろう。

マジック博物館のことも、いわゆる3面記事と言われる四コマ漫画の載っている一番読まれるページの21面に、しかも漫画の横の一番目立つ場所に写真付きで大きく載っていたのであった。

マコママもとても喜んでくれた。

近くのコンビニに行って新聞を4部購入してきた。3部はそのまま持って帰ると言う、1部は切り抜いてラミネート加工を施した。

新聞の効果は大きいもので、さっそく新聞を読んだ知人から「博物館に協力したい」との申し出の電話をもらった。嬉しいことである。

マコママが帯広に居る間に掲載してくれたのでとても良いタイミングであった。


■2014-11-19-Wednesday 帰京

今日は3泊4日で帯広に来ていた

マコママが東京に戻る日である。

ツアーの帰京までのスケジュールを聞いたら、11:00にホテルを出発して、途中、市内観光をする人を降ろす為に帯広駅で一旦停まってからは、後はそのまま帯広空港までホテルのバスが送るという。

飛行機の出発時間は16:10である。

多くの客は、帯広駅で下車して、市内をブラブラして、飛行機の時間に合わせて帯広駅前から出発する帯広空港行きのバスに乗って行くのだというが、これにはバス代の別料金が掛かる。

中にはそのままホテルのバスで帯広空港まで行って、空港で時間つぶしをする客もいるという。

ホテルから空港までは40分もあれば着いてしまうから、そうなるとおよそ5時間半も帯広空港で時間つぶしをしなければならない。

そんな不親切なツアーがあるの?と驚いた。

いくら安価なツアーで行き帰りの飛行機賃とホテルの宿泊だけのツアーで後はオール自由行動とは言えども、空港で5時間半は、いくらなんでもヒドイだろう。

駅ではなくて、空港まで送るというのがホテル側の親切なのだということらしいが・・・。

羽田空港のように色々な施設があれば時間つぶしもできようが、帯広空港では食堂と売店しかない。マッサージや仮眠をとる場所もない。

まさか、最後の最後にマコママを空港で5時間半も一人にしたのでは、マジック博物館でせっかく喜んでもらったのが全てパーになってしまう。

ここは私が十勝の観光に連れていくしかないと思い、ホテルに11:00に迎えに行く約束をしたのであった。

まずはホテルから池田のワイン城に向かった。

ワイン城は、私がまだ結婚する前だからたぶん1983年頃のことだが、ジミー忍師とマコママたちが、いずみたくさんと組んで「マジックミュージカル ザ・マジック」の全国公演をしていた時に連れて行ったことがあるのだ。

あの時は、釧路の公演に私が車で駆け付けて観劇し、終了後に夫妻と一緒に食事をした。翌日、私が運転する車で師匠夫妻を載せて帯広に向かう途中に池田のワイン城に寄ったのである。

30年以上も経っているがマコママも覚えていてくれた。ここで昼食を取る予定でいたが、しかし、見晴らしの良いレストランは10月で終了していたのだった。

マコママは肉は牛・豚・鶏すべてダメであるから、ここのレストランでは食べるものもないからと町内の有名レストランの前を車で通ったが、池田はやはり肉料理がメインであるから食べられるものがない。

マコママはラーメンも苦手だと言う。

帯広に到着してから毎日昼食は蕎麦ばかりである。初日は「丸福」のカニ天ぷら蕎麦、二日目は「小川」のもり蕎麦である。

帯広は蕎麦が美味しいとはいえ3日間とも蕎麦とは・・・。

まだまだ時間はたっぷりあるから、今度は中札内村の「花畑牧場」に連れて行った。

普段通ることのない田舎の道を通って十勝の風景を楽しみながら花畑牧場に着いた。カーナビがなければとても行けなかった道であった。

到着したが、駐車場には車が一台も停まっていない。

生キャラメルやチーズの工場は稼働はしているものの見学は10月で終了しているとのこと、建物の外から中の様子を窺うことはできるが・・・。売店もすべて終了している。

今度は、1994年に夫妻が十勝に遊びに来た折に案内した六花亭の美術村に行ったがここもも同じように先月で閉館していたのであった。

これでは時間つぶしがまるで出来ない。

そろそろお腹も減ってきたことだし、中札内村にミシュランの北海道版に載った「四季」という蕎麦屋がある。以前に数度食べに行っているから、ここに連れて行った。

マコママも蕎麦が大好きだというし、私も蕎麦が大好きだから、蕎麦が3日続きでもまったく問題がない。

ママを連れて行った三軒の蕎麦屋はどこも美味しかったと喜んでくれたのであった。

まだまだ時間はたっぷりあるが、遠回りしているとはいえ車は段々と空港に近付いている。

何処かないかと考えて「幸福駅」に連れて行った。ここも94年に夫妻を連れて来ている場所だ。何だか、昔、夫妻を案内した場所をなぞっているかのような観光になってしまったが、幸福駅も時間を潰すような施設ではない。

次に、方角的には帯広市内に近くなる大正町に戻って「あくつ」と云う洋菓子店に連れて行った。

先週、帯広に遊びに来た夫婦もここの生チョコレートが美味しいと買って帰ったくらいだから、ママにお土産に持たせたのであった。

時計はまだ14:40である。

ここから空港までは10分もあれば着いてしまう距離だ。近くに観光施設もないし、あっても営業していない。

見かねたのであろう、ママが空港でのんびりするからと言ってくれたので、空港に送っていくことにしたのであった。

この時期、観光の端境期とはいえ、観光客に見せるものが何もないというのも考えモノであろう。

十勝の観光関係者は11月の観光を何か考えた方が良い。

空港に送ってマコママと分かれる。「また来年もハッパかけに来るから、マジック博物館宜しく頼むデ〜」とのこと。

少しずつでも前進させるしかないなぁ〜。


■2014-11-20-Thursday 妻と毒

似ている漢字である。

新聞の見出しで「夫毒殺・・・」とあった。一瞬『「夫妻」を「殺した」事件』の見出しかと錯覚してしまった。

『「妻」の字の下は「女」』で『「毒」の字の下は「母」』である。

「妻」の語源を辞典で調べてみると「婚礼の髪飾りを着けた女性」を表わすとか「箒を手に持って仕事をする女」の意とあった。

一方の「毒」は「くさ」の象形とか出ているがよく意味が分からない。

まるで異なる文字なのだが、形が少しだけ似ているだけなのだろう。

でも、「毒」と言う文字のイメージからは「母」という字よりも「女」という字の方が合っているだろうと思う。

そんな事件が発覚した。

今回殺人容疑で逮捕された京都の67歳の女性の周りで亡くなった夫とか交際者の男性が4人以上もいるらしいというから驚いた。

自分では単に薄幸の女だと言っているようだが・・・。

今回の捜査で押収した証拠品の中から青酸化合物の成分が検出されていたというから恐ろしい。

かなり前に妻をトリカブトの毒で殺したとして男性が捕まった事件があったが、今回は女性が夫を毒殺する真逆の事件である。

この女性は犯行を否認しているというから、本当に幸の薄い女性で、夫が次々に亡くなってしまったのかもしれないので、まだ決めつける訳にはいかないが、状況をみるとかなりアヤシイ感じがするなぁ〜。

前の夫が生存中にも、次の獲物を探して「婚活」をしていたらしいというから、それが本当なら、チャップリンの映画「殺人狂時代」の女性版みたいなものだなぁ〜。

最近は、ツレアイに先立たれた老人や熟年離婚した人が、再婚相手を探す婚活が流行っているとワイドショーでもやっていた。

独り暮らしなら寂しさを感じるのだろうなぁ〜。

私と妻は、夫婦というよりも友達というか同士というか、そういう関係だから仲良く、楽しく暮らしていられるのかもしれない。

金、金、金で他人の生命を奪おうなんて、卑しい気持ちにだけはなりたくないものである。


■2014-11-21-Friday マジックレッスン

マジック教室を月に2回開催しているが、

教えている生徒は全員が70歳以上の老人である。

ここ3ヶ月間は「カップ&ボール」と云う3つのコップと玉を使った世界最古の4000年の歴史のあるマジックと言われているモノである。

以前に私が実演したのを見て、是非、そのマジックを習得したいと言うので教えているのであるが・・・、

4000年も続いていて、現在でも盛んに演じられているのは、人間の錯覚や思い込みを利用した単純な現象のマジックであるからだ。

科学を使ったマジックは、その科学現象が世に広まってしまうとマジックとしては成立しなくなってしまう。例えば、昭和30年代にソ連のボリショイサーカスのマジシャンのキオは、カメラで観客を撮影し、数分後にその観客にプリントした写真を手渡すと云うマジックを行ない、一世を風靡したことがある。

何のことはない、ただのインスタントカメラだったのだが、まだその当時は写真は暗室でフィルムを現像し、印画紙に焼き付けてプリントしていたから、撮影からプリントまではかなり時間が掛かるのが常識であった訳だ。

しかし、ポラロイド社がインスタントカメラを発売して、その原理が世界に拡がると、キオのカメラのマジックは不思議でも何でもなくなってしまったのである。

しかし、一方で人間心理を巧みに使った「カップ&ボール」のようなマジックは4000年も続いていて、まだ現在でも新作が生まれるほどの人気のあるマジックなのである。

私が小学生の時に、テンヨーと云うマジック用品をデパートなどで販売する会社が「悟空の玉」という名称でこの「カップ&ボール」を子供向けに販売していたのを買って来た。たしか当時は300円程度の値段であった。解説書にはカップの底を玉が貫通するという手順しか載っていないものであった。

小学生の手にしても、カップが小さ過ぎてその他の手順には向いていない商品であったが、原理の面白さは伝わってきた。

高校生の時に大枚5000円もはたいて金属製のカップ&ボールを買ったが、カップにも玉にも仕掛けは無かった。

現在なら100円ショップで500円出せば揃えられる品物であった。

だが、単純なマジックにはテクニックが必要になってくる。当時の帯広にはこのマジックを教えられる人は居なかった。

金沢文庫と云う会社から「クロースアップマジック(松田道弘著」と云うやや玄人向けのマジック解説本が出た。この中にカップ&ボールの手順が載っていたのでそれを必死で覚えたのだった。

壁に向かって座り、壁には鏡を立て懸ける。足で本を押さえて読みながら、鏡に映った自分の手を見ながら練習したのである。

高校生当時はそんなことをやって覚えたものだった。

10代の若い時に自分で苦労して覚えたマジックはなかなか忘れないものだ。演習していなくても今でも身体が覚えていて勝手に動いてくれるのだ。ただ、昔の様に上手くは演じられないが、若い頃よりもズーズ—しくなっている分、ゴマかすのは上手くなっている。

老人の生徒に教えていて、70歳過ぎの人には、結構難しいマジックであるかもしれないと思えるようになった。

単純なだけに、逆に手順が混乱してしまうのだろう。手順にストーリーを作って分かり易いように工夫したのだが、どうも途中でこんがらがってしまうようだ。

その「カップ&ボール」も12月の2回で完成させようと思っているのだが、生徒の一人が、今度12月にマジックの出演を頼まれたので個人レッスンを付けて欲しいと言う。

まだ途中のカップ&ボールの演技ではなく、以前から持っているマジックで15分間の演技を構成したいという。

中途半端にやるのは性に合わないが、生徒さんからの頼みであるので引き受けたのであった。

自分の持っているマジック道具を一杯抱えて教室にやってきたのであるが・・・、

構成を考えるだけで結局1日が終わってしまった。その構成したマジックを家で練習して来て下さい。次は2週間後ですよ。と念を押して帰したのだが・・・。

今日、レッスンをしてみると、忙しくて練習が出来なかったと言う。「・・・」

家でまったく練習もしないで、教室でだけ教わって、そのまま本番に掛けるなんてマジックを冒涜しているし、練習して来なければ先に進まないのだから、自分の時間を割いて教えている私に対しても失礼だろう。

教えるのが嫌になってしまった一日であった。


■2014-11-22-Saturday ゴルフ

A先輩から電話が入った。

「明日の土曜日は、予報によると天気が良くて、最高気温も12℃と温かいらしいからゴルフをやるぞ!」と言う。

「私は10月18日で今年最後のゴルフにしました。クラブも既に物置に仕舞ってしまいましたからダメです」と断った。のだが・・・。

再度、「お前しか居ない。どうせ暇なんだろう?やるぞ!」と強引に言う。どうやら他に一緒に遊んでくれる後輩が居ないらしい。仕方がないので付き合ってあげることにしたのであった。

クラブを洗って物置に仕舞った時点で、今年のゴルフは気持ちから離れてしまっている。1ヶ月以上もクラブを振っていないから、とりあえず柔軟体操をして筋肉を柔らかくすることにした。

土曜日は天気予報が当たって、帯広は温かく風もない、最高気温は12℃以上はあったろう。11月にしては最高のゴルフ日和である。

いつものM先輩とT先輩の4人のメンバーで夕食を賭けてゴルフをすることになった。

食事代金を成績のビリの人が4割、以下3割、2割、1割と払うことにしたのだ。夕食の場所は「すき焼きの松伊」と決めた。最初に決めておかないとA先輩が負けたら安い店にしようと言い出すからだ。

ゴルフ場は混んでいた。天気が良いとやり惜しみするゴルファーが必ず湧いて出てくるものである。我々の前に大きなコンペがあり、そのコンペの後ろに数組が入る。私達は更にその最後であった。きっとA先輩が強引に入れさせたのであろうなぁ。

十勝CCのアウトの1番、私はリキミが全くないスイングが続き、いきなり1mのバーディチャンスに付いた。ところが・・・。

A先輩の口撃にやられてそのバーディを外し、返しのパーパットまで外してボギースタートである。

そこから、悪夢が始まったのであった。ショットはビタビタとピンに絡んでくるものの、パットが狂ってしまってまるで入らなくなってしまったのである。

そうこうしている内に元クラブチャンピオンの経験もあるM先輩が、チップインバーディを繰り返して3バーディを取ったのであった。グリーンの外から寄せるショットが直接穴に入ってしまうのだから嫌になる。

こうなると、近くのバーディチャンスにある私は、ますます萎縮してバーディパットを外してしまうのであった。

しかし、ショットが良かったから私が2位。1位はM先輩、A先輩は最下位であった。

案の定、場所を最初に決めていたのに、A先輩は場所を変えようと言い出す。本当にワガママな人である。他の2人も最初に決めた松伊にすると言ったので最後は予定通りの場所になったのであった。

私の負担額は2割だから、十勝牛で良いというA先輩の声を無視して、松坂牛の高級肉を頼み、腹一杯になって帰ったのであった。


■2014-11-23-Sunday 松山優勝

男子ゴルフのダンロップ・フェニックス

トーナメントで松山英樹が優勝した。

このコースは今年2月に帯広信用金庫の信友会というゴルフの会で宮崎県に冬季の遠征に行った際にプレーしたコースである。そのコースを思い出しながら楽しくテレビ観覧した。

前日まで2位に2打差の単独首位でスタートした松山は15番のミドルホールでボギーを叩いたが、このプレーは何だか昨日の自分のプレーを見ているような気になった。

15番では同スコアで首位に並んでいたB・ジョーンズも松山もドライバーショットを左のラフに打ち込んだ。そこからジョーンズはグリーン左に大きく曲げて球は樹の根元に止まった。一方の松山はセカンドショットをグリーンの右ラフに外した。ボールの状況としては松山の方が遥かに良い。ジョーンズは樹の根元から第三打を無理して打ってチョロ、続く第4打も何と珍しくチョロをした。まるでアマチュアの私がプレーしているような連続ミスである。カップまではまだ10m以上もあるから、ここから寄せてワンパットで入れても6打になるからダボが必至の状況である。

ジョーンズはカップまで確認に行くことなくヤケで簡単に打ってしまったように見えたが、何とそれが直接カップインしてボギーで済んだのだ。

この状況でダボなら完全に優勝争いから脱落だし、集中力も切れてしまうところだが、ここでのボギーは大きい。精神的にはパー以上に価値があったろう。

ゴルフは自分との戦いだから、本質的には相手を気にしなければ良いのだが、ダボは必至でライバルが脱落したなぁと思ってホッ気を許しているところに相手にグリーンの外から直接入れられたのだから精神的なショックを受ける。

冷静にプレーしようと思ってもなかなか難しいものなのだ。

プロの松山にもそれが出てしまったようだ。寄せのショットをミスして7m程もパットを残してしまいパーパットも外してボギーを打ってしまった。ライバルが落ちたと思ったのに、逆に自分も一緒に落としてしまったのだから相当に悔やんだだろうと思う。

私ならここからガタガタになるところだ。

松山にも精神的ショックがあったのだろう続く16番でも連続ボギーを打って2位に落ちた。しかし、ここからが松山のスゴイところだ。

17・18番と連続バーディで、先に−15打で上がっていた岩田寛とのプレーオフに持ち込んだのだった。

大学の先輩の岩田とのプレーでは、岩田が崩れてしまったので面白くなかったが、あっさりと松山が優勝した。

つくづくゴルフは精神力のスポーツであると感じた。

私も松山を見習って、諦めない精神力を養おうと思ったのであった。


■2014-11-24-Monday くるみ割り人形

12月21日に帯広市民文化大ホールで、

帯広市文化スポーツ振興財団設立30周年記念の第3回帯広市民バレエ公演「くるみ割り人形」が開催される。

この「くるみ割り人形」の音楽はチャイコフスキーが作曲したもので、音楽もストーリーも私でも知っている有名なバレエである。

私の娘2人が小学・中学とバレエを習っていたアンジュバレエ教室の前塚典子先生が関係しており、その前塚先生から妻に「11月24日に文化ホールでマジックを教えて欲しい」との依頼があった。

私に何の相談もなく勝手に承諾してしまうところが妻らしいが、少しは私の都合も聞いてから承諾して欲しいものである。まぁ、空いていたから良かったようなものの・・・。

「くるみ割り人形」にはクリスマスのパーティの場面がある。

そのパーティでドロッセルマイヤーと云う男性の登場人物が、マジックを演じるのだが、そのマジックを教えて欲しいというのだ。

以前にも帯広の別のバレエ教室の先生からの依頼で「くるみ割り人形」のドロッセルマイヤーの演じるマジックを指導したことがある。

その時にはシルクのハンカチをただ出すだけの極々簡単なマジックであったが、今回は、簡単で尚且つ派手目なマジックを教えて欲しいと言う難しい要望なのだ。

準備中のマジック博物館に来てもらったら、その場で数ある道具の中から選べるのだが、24日はリハーサル日で、ドロッセルマイヤー役の踊り手が東京から飛行機で来るので時間が無いと言う。

いくつか簡単で派手目なマジック道具をみつくろって文化ホールに出向いたのであった。

30分ほど指導したら出来るようになる簡単なマジックであるが、観客が驚くようなマジックをやりたいという希望にはなんとか答えることは出来たと思う。

前塚先生からは本番の入場券を頂いたので、楽しみして観にいくことにしよう。


■2014-11-25-Tuesday JCOB会

今年度、私が会長を務めている

帯広青年会議所OB会のサヨナラパーティが、市内の北海道ホテルで開催された。

OB会は親睦を旨とする会で、年に4つの行事がある。

1月28日の「新年総会」、4月25日の現役との合同例会「JC・OBデー」、7月27日の「野遊会」、そして今回の「サヨナラパーティ」の4つである。

私と同年の33年会からは、それぞれ責任者として担当の副会長が付くし、実際の運営の方は、部会長として37年会のメンバーが仕切ってくれる。こまかい仕事は、これまた担当の幹事連中がやってくれるから、会長はお飾りで挨拶だけすればOKという会である。

今晩の私の会長挨拶でも言ったが、今年はOB会員の逝去が8月中旬まで0人、このまま誰も亡くなる事なく任期が終わってくれればと思っていたが、残念ながら8月と10月に先輩が逝去された。

OB会長の仕事のひとつとして、OB会員の葬式への列席という大役があるが、これが少なかったのは良かったことである。

在任期間は年末まであるから、このまま亡くなることなく終わって欲しいと願っている。

今年度の内閣名は、私の趣味から「向かうところ手品師」内閣と命名した。サヨナラパーティで何かマジックの余興をと考えていたが、会長は挨拶やらくじ引き役やらの仕事があるから、余興までやるのは難しい。

そこで、知人のマジシャンであるMr.セリックさんに依頼してマジックを演じてもらうことにした。

素晴らしいマジックを演じてくれたので、何とか内閣名に相応しいパーティになったのではないかと思う。

終了後に、幹事役など30名以上が中心街にある店シャレードに行って、二次会を兼ねた恒例の「お疲れさん会」を開いた。

この店のオーナーはJCOB会の会員であるし、ホステスさんをパーティのコンパニオンとして会場のホテルに派遣もしてもらっているのだ。

三次会には6人でカラオケスナックに行って、唄を歌いすっかり上機嫌になって帰宅した。

多くの同僚や後輩の幹事に支えられて1年間無事に務めを果たすことが出来、感謝、感謝であった。


■2014-11-26-Wednesday 気が抜けた?

今月は東京からの客人が来たり、

マジックの師匠夫人が訪ねて来たりなど立て続けに接待があったし、昨晩は会長として最後の行事であるJCOB会のサヨナラパーティが終わったことで、張っていた気が緩んだのかもしれない。

昨晩は午前様であったから、風呂に入らずに、下着のまま寝てしまったので身体が冷えていたのかもしれない。そこに今朝は今年一番の寒さである。寒さで目が覚めたが、起きたときから咳き込んで鼻水も止まらない。熱こそ出ていないもののどうやら風邪をひいてしまったようだ。

一仕事が終わったという安堵感からか、気の緩みというか、張っていた緊張感がほぐれたというのか、いずれにしろホッと一息ついたので風邪のウィルスに負けたのかもしれない。

この季節は暖房をつけるから、会社や家の中も乾燥している。昨晩の三次会のカラオケで歌い過ぎて喉に負担を掛けたのかなぁ。

こう云うことではいけない。

病気は「気」からである。ここは気合で風邪を直さなければならない。

もう一度、気合を入れて生活に張りを持たせなくては・・・。


■2014-11-27-Thursday 意外に

今回の風邪は意外に重くて

今日は会社を休んでしまった。

熱はないのだが、咳と鼻水が止まらず、身体が妙にダルイ。

妻は「サボっているだけだ、しゃっきとしなさい」というが・・・。

会社は休んだのだが、18:30〜のマジック教室は、変更の連絡が間に合わないのでやるしかない。

生徒さんは老人ばかりなので風邪をうつしては大変だからマスクをして生徒さんには近づかないようにして教えたのであった。

教えている時には咳も出なかったから、多分うつことはなかったろうと思う。

家に戻ってから温泉銭湯に行った。こう云う時は、ビタミンCと水を大量に飲んで、サウナ風呂でタップリと汗を流せば直る。

いつもよりもたっぷりと汗をかいた。

昼間あれだけ寝ていたから眠れないかと思ったのだが、サウナで疲れたのかぐっすりと眠ることができた。

枕元には加湿器も用意して、喉を労わる様にして寝たのであった。

寝る前に焼酎のお湯割りを1杯飲んで寝たから、身体がポカポカと温かい。寝ている間にもタップリと汗をかいた。これだけ汗をかけば身体中の毒素も全て体外に出たことだろう。

次の日からはまたシャキッとできることであろう。


■2014-11-28-Friday 直ったゾ!

ビタミンCと水を大量に摂取して、

温泉銭湯のサウナでタップリと汗をかいたら風邪はすっかりどこかへ行ってしまったようで体調もすこぶる良好である。

私は出来る限り病院や薬の世話にはなりたくないのだ。

この治療法は知人の医者から教えてもらった方法で、その医者自身がいつも風邪をこうやって直しているというからたぶん注射や薬よりも良い方法なのだろうと思っている。

まぁ、とにかく直ったのだからこれで良しとしよう。

昼食を食べに行った蕎麦屋で、マジック博物館を見学させて欲しいという人が居た。つい先日も同様の申し出があったばかりだ。

18日に十勝毎日新聞に載った記事を見て言っているのだろうが・・・。

今回の記事は、デカデカと、それも一番目立つ四コマ漫画の隣の場所に載ったから、勝毎を取っている人ならほとんどの人が見たことであろうと思う。しかし、内容まではキチンと読んでいないようだ。

記事の最後に「博物館は1,2年後のオープンを目指す」と書いてあるのに、もう完成したと思い込んでいるようである。

まぁ、他人の事に関する記事など、詳しい内容までは覚えてはいないのだろうが・・・。

仕事の合間に作業をするしかないし、私にしか出来ない仕事であるから、ボチボチとやるしかないのだ。

冬の間のゴルフをやらない時期なら時間もあるだろうから、この冬に作業を進めることにしようと思っている。

展示物を選びながら飾るのだが、それには、ショーケースが必要だ。

以前に会社で使っていたガラスのショーケースが4台、背の高い木製のショーケースが2台、空港で使っていたショーケースが1台あるが、これだけでは到底足りなさそうである。

ショーケースを新たに購入すれば、また金が掛かるし、一度に多くの金は掛けられないしで、やはり時間が掛かるのは必至である。

ゆっくりライフワークとして進めるしかないだろうなぁ。

楽しいけれど気の重い作業でもある。


■2014-11-29-Saturday 義父の誕生日

妻の父親が

今日の誕生日で満91歳に成った。

1923(大正12)年の生まれである。第二次大戦の終戦時にはソ連軍によってシベリアに抑留された経験がある。

今年の1月に体調を崩し入院したが、現在は自宅で療養するまでに回復した。元々細身の人であったが、入院時は口からモノが食べられずにかなり痩せてしまったのだった。

冗談で「シベリアから戻った時と現在では、どちらが痩せていますか?」と聞いたことがあったが、「シベリアから戻った時の方がもっと痩せていた」と真顔で言うので、シベリアではさぞや過酷な状況で生死の間を彷徨ったのであろうと思った。

今では、入れ歯も直して口からモノが食べられるようになったことで、かなり体力も戻ってきた。やはり口からモノが食べられるということは重要なことである。

皆で誕生パーティをしようと企画したが、まだ、外食に出て歩くのは大変であるから、関係者が義父の自宅に集まって祝おうということになった。

帯広在住の親戚が集まり祝ったのであった。

義父は肉が好きで、この年齢の人にしてはよく肉を食べる。

テレビなどで見ると、高齢でも健康でシャキンとしている人は肉が好物だと云う人が多いように感じる。やはり魚よりも肉の方がパワーが出るのだろう。

しかし、この日は寿司が良いと云うので寿司を出前してもらうことにしたのだった。バースデーケーキも買って来たが、ロウソクは91本も立てられないだろうなと思っていたら、ちゃんと「9」と「1」と云う数字のロウソクが付いている。店側もそう云う準備はキチンとしているのだなぁ。

食後に私のマジックを披露して散会したのだった。

義父はシベリア抑留から戻って来た後に義母と結婚し、妻の姉や妻が生まれたのであるから、もしも、義父が戦争で死んでいたら妻はこの世に生まれていなかったことになる。

それを考えると、この世に生まれると云うことは、すごい偶然の重なりなのであるなぁ〜と云うことを痛感する。感慨深い誕生パーティであった。


■2014-11-30-Sunday フューリー

映画「フューリー」を観て来た。

日曜日なのに他にすることがないから仕方なく映画に行くことにした。妻がネットで映画の評判を調べて「フューリー」にしようと言う。

映画は安い娯楽であるが、いかんせん私は戦争映画が大嫌いなのだ。

戦争映画に限らず、気持ちの悪いゾンビモノや人を簡単に殺す場面ばかりが出て来る暴力モノは好きではない。カンフーモノは好きだけど・・・。

しかし、日曜日の昼間に帯広のシネマコンプレックスで上映している映画で他に面白そうなものがない。どうも帯広での上映作品を決めている人間と私の映画の嗜好は合わないようである。

例によって「夫婦50歳割引き制度」を使って2人で2200円である。

まぁ、これくらいの値段で2時間遊べる娯楽は他にないから仕方なく妻に付き合うことにした。

主演はブラッド・ピット。

第二次世界大戦末期のドイツが降伏する直前のドイツでの戦いを描いた映画である。

観終わってから、妻は「今年観た映画の中で一番良かった。感動した」と絶賛するが・・・。

私は大して感動もしなかった。

これまた例によって、細部の話はまだ観ていない人の為にあえて書かないが、そもそも観客に考えさせるような映画が好きではない。私が好きな映画は、ストーリーが単純で分かり易く、テーマも単純でなければならない。観終わった後に、登場人物の心理状態だのテーマの深さなどというのは、あくまでも付録でなければならないのだ。

映画を観終わってスッキリしたいのに、あれこれ悩むのでは映画を観る意味がない。

私にとって映画はストレス発散の場であって、ストレスを与えられる場ではない。

戦争においての宗教、神とは何かとか、極限状態における人間心理などという深いテーマのものは本で読むのに限ると思っている。

まぁ、この映画は、戦争の非条理さや虚しさを良く表現出来ているとは思うけど、それでも、監督の感性を映像にした主観的な映画を観るのは嫌なのだ。

普段から読書をしない妻と私では映画の観方が異なるのだなぁと感じた作品であった。