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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-01-01-Thursday 謹賀新年

明けましておめでとうございます。

2015年の幕開けだぁ〜。

去年の元旦は母の家で祝ったのだが、今年から我が家ですることにした。母も高齢になったためにお雑煮も作るのが大変なので年越も年始も我が家ですることにしたのだ。

母の家なら和室で座布団に座っての年始なのだが、我が家には和室が無いからイス席での年始になる。何だか雰囲気が出ないが、座布団に座るのも段々辛くなってきているからかえってイス席の方が楽で良いかもしれない。子供たち3人が全員大人になって職業を持っているからお年玉を上げる必要がない。正月早々に出費がないのは久し振りである。

5人の家族が全員揃ったので、恒例の大和写真館での家族写真を撮影に行く。ここ4年間は毎年1月1日に写真館で家族写真を撮影しているのだ。

妻と結婚した1985年から毎年撮影していたが、子供達が3人共、高校から帯広を離れて学生生活を送っていたから、その間は、妻が「誰かが欠けている家族写真は撮りたくない」と言うので、数年間の空白期間がある。

ここ4年間は正月に5人全員が揃ったので、その度に撮影に行ったのである。今年も一番乗りである。大和写真館も1年の最初の仕事が坂本家の撮影というのが、ここ数年続いていることになる。

撮影が終わった後に、そのまま帯広神社に参拝した。

今年の天気は快晴で風も無いから寒くは感じないのに、何故だか参拝客の人数が極端に少ない。

例年、同じ様な時間帯(11時半頃)に参拝しているのに、これはどうしたことだろう。まったく並ぶことなく門のところまで来れた。我々家族の前には10列ほどの人(100人程度)しか居ない。

例年は、神社で数人の知人と顔を合わせて新年の挨拶をするのだが、今年は弟の家族と顔を合わせただけであった。

参拝を終えた後は、これまた恒例になっている「高橋饅頭屋」でオヤキを買って妻の実家に挨拶に行く。

義父が子供たち3人にお年玉をくれるという。もう自分で給料を取っている年齢だから、逆におじいちゃん、おばあちゃんにお年玉をあげるようでなければいけないのにと言ったのだが・・・。

いつまで経っても孫はカワイイのだろう。3人共遠慮なくもらっていたのであった。

昼食にラーメンでも食べようかということになったが、ラーメン屋は元旦には営業などしていない。

近くのイオングループのポスフールが営業しているというので、そこにある「餃子の王将」で食べようということになった。

考えることは皆同じ様で、餃子の王将には長い列が出来ていた。並んでまで待ちたくないというので、その前にあったフードコートの店でラーメン、うどん、牛丼などを注文したのだが・・・。

ウ〜ン、最初から期待はしていなかったが、まるで学食みたいな感じである。私が頼んだ牛丼は、肉は固いし、ご飯は汁がダクダクでビチャビチャである。タレが甘ったるくてご飯も食べられないのであった。

夜には弟の家族が来て、一緒に正月を祝うから、その食材の買い物をした。

元旦からの営業なのにものすごく混んでいる。自分が買い物に来て言うのも何だが、何も元旦から買い物に出なくても・・・。

夜には久し振りに楽しい語らいの時間を持ったのであった。


■2015-01-02-Friday 正月2日

家族5人が揃っても何もすることがない。

私は朝からテレビで「箱根駅伝」を観ていた。今年の駒澤大学は優勝候補ナンバーワンで、1区からトップに立った。4区までは順当に走ってきたが・・・。五区の馬場が大誤算。2位だった青山学院大の神野が、あの「新・山の神」であった東洋大の柏原の記録を抜く(コースが一部変更で記録は参考になったが)快走でトップに立った。

1位でタスキを受け取ったが為に、神野に抜かれたことで焦ったのだろう。ガクンとペースが落ちて苦しい走りになってしまった。あれが逆に2位でタスキを受け取っていたら、例え離されても普通の走りが出来て2位は楽に確保できただろうに・・・。精神的にダメージを受けて、ペースを乱し、明治大、東洋大にも抜かれて、フラフラになって、あやうくタスキが途絶えるところであった。

何とか走り切ってゴールしたが、トップの青学大に7分以上の差を付けられてしまった。復路の駒大と言われているから、何とか明日の復路は挽回して欲しいものだが・・・。

夕方に5人で映画「ベイマックス」を観に行った。日本語吹き替え版だったので子供連れの観客が多かった。舞台となる「サンフラントウキョウ」なる架空の街がサンフランシスコと東京を足して2で割ったような街で、街の広告や看板が日本語である。登場人物の名前も日本人のようである。アメリカ人にはロボット工学やおたく文化は「日本」のモノというイメージがあるのだろうか?

「ブレードランナー」の街並みを思い出した。

なかなか面白い映画であった。

夕食は肉が食べたいというので馴染みの「焼肉五条園」に予約を入れたが、とても混んでいるようだ。腹一杯に美味しい肉を堪能したようだ。やはり焼肉は十勝の方が安くて美味しいようである。

食後は全員で温泉銭湯に行く。いつも通りに20:45に入ったので1時間半後の22:15に休憩室集合と言って男女に分かれたのだが・・・。

のんびりと入っていたら、21:30になって館内放送がかかり、今日の閉店時間は22時丁度だという。

あわてて出たのであった。入店時に言えよ!

明日は娘2人が帰るので、自宅に戻ってからビールを飲みながら家族団欒で過ごしたのであった。


■2015-01-03-Saturday 正月3日

子供が今日から職場などに戻っていく。

まずは次女がカナダに戻る。9:15発の飛行機に間に合う様に妻と一緒にとかち帯広空港まで送っていく。

今回の次女の帰省はインフルエンザの発症で寝てばかりの散々なものであったが、見方を変えればカナダで一人で居る時に発症するよりも自宅で母親に看病してもらったことで、症状も重くならずに良かったと考えるべきであろう。

妻と長女は、次女が化粧っけもなく、服装のおしゃれもしないので、自宅に居る間に、何かと指導しようとしていたが、本人にその気が少ないので効果が上がらないと嘆いていた。カナダではいまだに未成年者にみられるようである。

帰りの荷物は大きなトランク2個と手荷物である。「一人でカナダまでその荷物で大丈夫かい?」と聞くと「カナダでは女性が一人でトランクを2個も押していたら、すぐに男性が助けてくれるから大丈夫だ」「むしろ日本では誰も助けてくれないから日本での移動の方が大変なんだ」と云う。「今回は成田空港発ではなく羽田発だから、ずっと楽だよ、私はもう海外旅行のベテランだよ」と言う。あんなにおとなしい子だったのに、随分たくましくなったものである。

可愛い子には旅をさせろということか!

帯広空港に送っていく間に、箱根駅伝の様子を聞きながら運転していたが、今年の青学は強い。駒澤は今年は勝てそうにないなぁ。

次女を送り出して自宅に戻る。今度は長女が昼の列車で新千歳空港へ向かう。長女がラーメンを食べたいと云うので、妻と娘と一緒に3人でラーメン屋に行って昼食をとってから駅まで送る。

明日戻る息子はインデアンカレーが食べたいと云うので、鍋を持参してカレールーを買って帰る。

娘2人が戻ってしまうと、急に家の中が静かになった。何だか寂しい。

午後はテレビで箱根駅伝を見る。今年の青学の強さは断トツである。駒大も意地があるのか、頑張って4位から2位に順位を上げたが、逆にトップの青学との差は拡がるばかりであった。結局10分50秒もの大差がついた。長距離走はメンタルが大きく作用するスポーツである。復路のスタートで、よっぽどのことでもない限り逆転される可能性が少ない7分以上の差があったから、青学のランナーは全員が余裕を持って走っていた。精神的に余裕があるとリラックスして実力を十分に発揮できる。そんな相乗効果が出たのであろう。次元の違う走りであった。

駒大はやはり往路5区の17位という成績が響いたなぁ〜。せめて4分差くらいなら、下馬評で優位にあった駒大が追い上げることで青学ランナーの焦りを誘うことも出来たかもしれないが・・・。まぁ、来年は5区山登りの得意な選手を育てることが必要かもしれない。

一人残った息子に「今日は何が食べたい?」と聞くと「ジンギスカン」と言う。昨日の晩も焼肉を食べたのに・・・。

いつも食べに行くジンギスカン専門店は明日4日からの営業であるから。焼肉店の「平和園」に行くことにした。電話をしたら「すでに予約は満杯で、直接店に来て名前を登録すれば1時間ほどの待ち時間で食べられるかも・・・」と言う。

早目に行けば大丈夫かと思って17:10に緑ヶ丘店に行ったら1時間以上の待ち時間だと云う。今度は、緑ヶ丘店よりも大きい、大通りの本店に行ったら30分以上の待ち時間だと云う。待つのは嫌だが、息子は待ってでもジンギスカンが食べたいというので仕方なく待つことにした。

結局、1時間10分待つことになった。

坂本家は食べるスピードが速い。食べ終わってからグダグダするのも嫌いである。いつも食べ終わるとすぐに退店するから、坂本家は回転が速いのである。いつも最後に入店するのに、最初に退店すると言われているほどだ。商売をやっていると、待っている人が居るのにノンビリと食べていられないという性格になるようだ。ノンビリすると、店の人にも、待って居る人にも悪いと思ってしまうためだ。

今日のジンギスカンは肉がとても固かった。平和園のジンギスカンは脂の多い「並」を頼むのが王道なのだが・・・。どうも肉のカットの仕方が悪いようである。歯の悪い母は噛み切れないと野菜ばかり食べていた。

今日も、18:20に入店して19:10には退店したのであった。

母を家に送り、次は温泉銭湯に行く。帯広に居る間は、インデアンカレー・平和園・温泉銭湯といつもお決まりのパターンである。その方が帯広に帰って来たという感じがするのだろうなぁ〜。


■2015-01-04-Sunday インフルエンザ?

今日は息子が帰る日だ。

帯広駅6:48発の列車で新千歳空港に向かう予定が・・・。

朝、息子が起きてきたら発熱と嘔吐と下痢で眠れなかったと言う。熱を測ってみたら38.4度もある。下痢も酷くて頻繁にトイレに駆け込む状態だ。

アッ、これは次女のインフルエンザがうつったかと思った。息子の会社ではインフルエンザに罹ったと医者に診断されたら1週間会社に出勤してはいけないという規定があると云う。しかし、今日は日曜日でしかもまだ午前6時前であるから病院はやっていない。

インフルエンザかどうかは素人では判断できないが、この酷い下痢の状態で混み合う正月の列車に乗ったら、通路やトイレの前にも人が立っているだろうから、便意を催した際にスムーズに移動できるかが心配だと云う。

息子は乗り物酔いが酷いから、嘔吐したり下痢便を洩らしでもしたら乗客に迷惑を掛けて大変なことになるだろう。一人で戻っても看病してくれる人も居ないし、アパートで一人でウンウン唸っていても・・・。そう判断してまずは列車と飛行機をキャンセルした。キャンセルすれば、キャンセル待ちで待っている人が一人でも席を確保できるし、多少でも料金が戻ってくる。

駅ではみどりの窓口しか営業していないから、とりあえず列車のキャンセルだけをしてきた。列車が発車する前にキャンセルをしなければならないからだ。

飛行機の方はチケットを購入した店でなければならないそうだ。10時の開店を待ってキャンセルをしてきた。

妻が、とりあえず受付をしておこうと、急病センターに行ってみたら、インフルエンザらしき患者が大勢待っていて、診察までは1時間待ち、しかもインフルエンザの検査結果判明には更に3時間待ちになると言われたとのことで、これではかえって病状が悪化してしまうから、明日、すいている病院に連れていこうと判断して自宅に戻ってきたのであった。

息子は上下から水分が出て脱水状態になりそうだ。ビタミンCを多く含んだ水分を沢山取りなさいと言ったが、炭酸飲料は嘔吐を促すから嫌だと言う。ポカリスエットで水分を補給するが熱がなかなか下がらない。

こりゃぁ〜インフルエンザなのかもしれないなぁ〜。

私は、18:30から帯広青年会議所の新年交礼会に出席の予定である。例年、担当の年が終わった途端に出席しなくなるのが通例だというが、私は去年、OB会長を務めたのだから、最初の会合くらいは顔を出しておいた方が良いと思ったのだ。

案の定、33年会で出席したのは、私と、去年まで札幌勤務だったメンバーのたった2人だけであった。

18:30から式が始まったが、皆の挨拶の長いこと長いこと、宴会が始まるまで1時間10分も掛かったのであった。挨拶したのが6人でこの時間が掛かったのだから1人10分近くも話していたことになる。もう少し簡潔にしゃべる練習をしておけよ。話が長いのは嫌われるぞ!

そのせいで、宴会の時間は40分程度しか残っておらず、妙に慌ただしい交礼会になってしまったのであった。

同じ年齢のメンバーが少ないので二次会にも行かずに自宅に戻った。家に帰ったら、妻から「貴方は2階で寝てね。私は横で看病するから・・・」と言う。

娘がインフルエンザの時も、私は子供部屋を枕を持って、あっちこっちと行ったり来たりの連続であった。

女親の母性とはこういうものなのかもしれないなぁ〜。

男親と云うのは自分で産むわけじゃぁないから実感ができないもんなぁ〜。


■2015-01-05-Monday インフルエンザ?2

インフルエンザに罹ったかのような容体の息子を

妻が比較的空いている病院に連れて行って検査をしてもらったら、インフルエンザには罹っていなかった。

風邪であるようだが、あいかわらず高熱と下痢が続いている。息子は会社の上司に電話して「インフルエンザではなかったが、北海道の自宅に居て出社できない」旨を伝えたところ「来週までゆっくり養生してから戻って来い」と言われたとのこと。

息子は症状が軽くなったら直ぐに戻りたいとの意向だが、飛行機の切符がなかなか取れないようである。まだ交通機関が混雑しているのだなぁ〜。

まぁ、なにはともあれインフルエンザでなくて良かった。

私は、タマに二日酔いで具合が悪いことはあっても、このところ数年間は重い風邪などの病気に罹ったことはない。

これは、ほとんど毎日温泉銭湯に通っているからだろう。水分を取りながら、サウナ風呂でタップリと汗を流し、温泉に浸かって身体を温めて寝るからだろう。風邪気味だなと感じたら、ビタミンCを摂取して汗をかけばすぐに治る。新陳代謝が良いから病原菌も汗で流しているような感じだ。

今日は会社の仕事始めの日である。

12月30日の午後から1月4日まで6日間ほど年末年始の休日であったが、3人の子供達の帰郷の送迎、次女のインフルエンザなどで、これまでのルーティンとは異なる年末年始であったから、なんだか忙しなくて正月と云う気分がしなかった。年末から年始にかけて毎日天気が良かったから雪も降らずに除雪作業が無かった分だけゆっくり出来たのであったが・・・。

息子も職場に戻るはずが、風邪でまだ自宅に居るから、仕事始めという感じがしない。

我が社も年末で一人社員が減り、少ない人員で回さなければならないから、今後は社長の仕事が増えるのかもしれないなぁ〜。


■2015-01-06-Tuesday

年末年始と穏やかな日が続いていたが、

今日は天気予報通りに雪が降った。午前中はさほどでもなかったが、午後からはかなり激しく降ってきて、退社時には10㎝程度は積もっただろうか。

12月に降った雪が凍って路面が氷になっている場所に、サラサラの雪がサラ〜ッと軽く積もった状態が一番滑る。靴底のギザギザに雪が入ってしまって靴底が平らになり、靴がスキーよりも滑るようになるからだ。

会社に居ると時折救急車のサイレンの音が聞こえるが、きっとあちらこちらで転倒して骨折する人が多いのではないだろうか?

自宅に息子は居るものの風邪でダウンしているから除雪をやっておけとも言えず、帰宅後の夕食までの間に除雪をやった。

この日の雪は途中で雨混じりのようだったようで、ちょうどグラニュー糖の様な感じの雪になっている。

ラッセル状の雪を押して除雪するタイプの器具で除雪をしたが軽いからまだ楽である。しかし、12月に一日で60㎝も降った雪が、寒いから融けることもなく自宅の敷地内に溜まっている。

除雪した雪が固まって高さが1m程度になっているので、この上に雪を放り上げなければならない。他には雪を捨てる場所がもう無いのだ。軽い雪だから放る途中でバラバラになってしまい、風で飛ばされて顔に掛かる。非常に効率の悪い除雪作業である。

湿った重たい雪も困りものだが、むしろ軽過ぎる雪も困りものなのだ。ある程度の湿り気があった方が雪が固まるので作業がし易い。

除雪作業は1時間程度で終えたが、何だか今年は雪が多そうな感じがする。1月の時点ですでに排雪する場所が無いから、ドンドンと雪を積み上げていくしかないが、これ以上降ったら積み上げる作業がこれまた大変な重労働になる。融雪機でも買おうかしらん。


■2015-01-07-Wednesday 暴風雪

去年の暮れに北海道を襲った爆弾低気圧と

同じくらいに強烈な爆弾低気圧が今日も北海道を襲っている。

北海道の中では十勝だけが晴れているようだが、他の地域はものすごい暴風雪の模様がニュースで流れていて、飛行機から列車、果ては高速道路も閉鎖されて交通機関は完全に麻痺状態である。

息子は職場に帰りたくても交通機関がマヒしているから帰れない。こんな時は下手にジタバタしてもしょうがないものだ。諦めるしかない。

ニュース画面に映った新千歳空港の模様では、飛行機が飛ばないから乗客が毛布を渡され、ロビーで寝ている姿が映っていた。こんな状態で新千歳空港に行っていたら風邪がぶりかえしてしまうだろう。いや、新千歳空港まで辿り着けていないかもしれない。

十勝は晴れてはいるものの、風は強烈で、昨日降った雪が吹き飛ばされて、あちらこちらに吹き溜まりが出来ている。

えりも岬では風速35mだという。これくらいの強風なら人間は飛ばされてしまって歩くことはできない。

帯広はまだ風速20m以下だろうとは思うけど、それでも相当な強風であることに変わりはない。

顔に細かい雪がぶつかり、目を開けていられないし、ほっぺたが痛い。路面は地吹雪が吹き荒れ、郊外に出ると、どこが道路で、どこが畑なのかも分からない。

路面が凍ったところでは、横風を受けると自動車が横に滑っていく。緩いカーブでも速度をかなり落とさないと横滑りして反対車線に飛び出してしまいそうになる。

こんな日は、よっぽどの用事でもない限り室内に籠っているべきである。下手に外出すると地吹雪で方角が分からなくなる、いわゆるホワイトアウト現象が起きて方向感覚が奪われる。

自動車を道路上に停車しておくと強風で吹き溜まりが出来て、見る間に車が雪で埋まっていく。吹き溜まりの雪は固く締まっているのでスコップでも積んでいないかぎり除雪もままならないだろう。

十勝の広い農道などで、車がストップしてしまったら命の危険があるのだから、風はあなどれないのだ。

家の前にも、昨日除雪した場所に吹き溜まりが出来ている。この風はやっかいである。


■2015-01-08-Thursday パリの銃撃事件

フランスの首都パリのど真ん中で

7日昼に複数の男が新聞社を襲撃して銃を乱射し、12名が死亡したという事件がニュースで流れた。

ニュース映像を見ると、犯人と思しき奴が、道に倒れている人間に銃を撃ち込みトドメを刺して車で逃走する場面が映し出されていた。

解説では、犯人はイスラム教徒らしいとのこと、襲われた新聞社は「シャルリー・エブド」という政治週刊誌を発行していて、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載し、偶像崇拝を禁止するイスラム世界から反感を買っていたという。

犯人は本社社屋に侵入、まずは管理人1人を殺害した後、上の階の編集会議会場に乗り込み銃を乱射、編集長や漫画家、更に警護にあたっていた警察官も殺害して逃走したという。

犯人像としてはイスラム系の移民らしいとのことだが、それにしてもだ。偶像崇拝を禁止しているイスラム教では、ムハンマド(私が学生の頃はマホメットと習ったが・・・)を絵などにも描がいてはいけないという。この新聞社は、そのムハンマドを揶揄する風刺画を掲載していたというが、風刺画程度で殺されるというのは・・・。

フランスは移民を奨励している国家だ。人口減少を移民政策で補っているし、フランス人が嫌がる仕事を移民に担わせてもいる。

恐らく、移民は最下層の仕事にしか就けないから収入も少なく、不満がくすぶっているのだろう。その生活の不満が爆発したのか、それともイスラム国の宣伝に乗せられたのか、その辺は犯人が捕まらなければ判らないが・・・。

しかしだ。移民を受け入れるには、言語、宗教、生活習慣などの違いをどうするのかという問題を解決しなければならない。移民政策を取っているどこの国にも存在する大問題だろう。

ドイツでも下層のドイツ国民が、仕事を移民に奪われ、移民排斥運動なども起きている。

移民の側も、受け入れてもらう為には、入る国の宗教や生活習慣などに慣れなければいけないだろうし、もっと寛容が必要であろう。そうでなければ生活が窮屈過ぎてうまく生きていけないであろう。そんなことは当然の事であろうに、今回の事件は一体どういうことなのか?

多神教の世界観は何でもありだが、どうも一神教の宗教は無寛容の世界であるようだ。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は呼び名こそ違えども、全て同じ神であると云う。根っこは一緒の宗教らしい。それなのに教義の違いで、人を殺し合う。

この辺りが、宗教的には何でもありの日本人には理解ができないところである。

お互いにもっと寛容の精神が必要であろう。

日本も人口減少社会の解決策として移民受け入れを唱えている人がいるが、果たしてどうなんだろう。受け入れ体制をしっかりと作っておかないと軋轢が生じるのではないだろうか?それは簡単なことではないと思う。

どうも最近、洋の東西を問わずに、世界中の人間がイライラしているように感じる。

ミヒャエル・エンデが書いた「モモ」と云う小説の中で「灰色の男」たちが人の時間を増やしますよと騙しては奪っていく、そんなことが現実世界でも起きているのではないだろうか?

皆が忙しなく、セカセカと余裕の無い暮らしをしている。

やはり「行き過ぎた効率化は人を幸せにはしない」のだろうと思う。


■2015-01-09-Friday 冬の移動

強烈な暴風雪は去ったものの、

十勝以外の北海道各地は依然として強風と降雪に悩まされている。朝方のニュースでは、新千歳空港は滑走路の除雪が間に合わずに数便が欠航していると云う。どの便が欠航しているかまでは言わなかったが・・・。

風邪の治った息子が職場に戻ろうとしているが、新千歳空港経由だと上記の様な状況なので欠航の可能性も考えられるから、帯広空港ー羽田空港ー品川駅から新幹線と云うルートで戻る事にした。

東京まで行ってしまえば、そこから先はどのような機関をつかっても帰り着く事が出来るからだ。

北海道の空港も、危機管理上は新千歳空港ばかりに集中させずに、晴れの多い帯広空港にもいくつかのルートを作っておくべきだろう。

帯広駅までなら徒歩で行けるが、帯広空港ならバスで行くことになる。もしも欠航になったらまた戻って来なければならなくなるから、空港まで車で送って行き、飛行機が飛び立つところまで見てから自宅に戻ることにした。

帯広空港は快晴で、飛行機は無事に飛んで行ったのであった。

冬に雪国で移動するには、飛行機や列車、高速道路の封鎖などの心配が付きものである。

私も、「北の屋台」の講演で全国各地を巡っている時には、何度か欠航の心配やら、遅滞などの経験をしている。

各種の選択肢をアレコレと考えて、イライラしても、しょうがないことを経験則として覚えた。天気は自分ではどうすることも出来ないし、別の選択肢を選んでも、ほとんどの場合は意味がなかったからだ。

こう云う場合はじっとして事態の改善をただ待つだけである。ジタバタしても体力を消耗するだけだ。

泊る場所も無くて空港のロビーで寝るなどという事態には、これまで遭遇したことがないのは幸いであった。

帯広空港の駐車場には、車の屋根に相当の量の雪が乗っかったままのものが十数台も見受けられた。

あの雪の量から推察すると、12月16日に帯広空港で1日で70㎝の雪が降った時のものではなかろうか?

そうなるとおよそ1ヶ月間も車を放置していることになる。帯広空港では駐車料金を徴収していないから、こういうことが起こるのだ。

短期の出張で数日間置いておくには無料というのは有り難いが、1ヶ月以上も放置しておくのは、他の客に迷惑である。

帯広空港側も、無料のままにしておくなら、長期駐車する場所を別個に設けた方が良かろう。あれでは駐車場の除雪も難しくなってしまう。

利用者一人一人が、もっと他人のことを考えるようにしたいものである。


■2015-01-10-Saturday 連休初日

息子が職場に戻ってしまい妻は寂しいと言う。

娘達が帰っても何とも感じないと言うのに・・・。

妻曰く「娘たちは私に似て性格がキツイからどんな状況でもマイペースで生きていけるけど、息子は娘達と違って心根が優しいから・・・」と。

そりゃ〜そうだろう。息子は私に似て性格が優しいからなぁ。

そういえば、年末の大掃除の時も、息子に頼んだ仕事は業者に頼んだ如くにキチンとしていたが、娘に頼んだ方は・・・。

今回帰郷して、息子は自分が得た給料で、「かあさんに洗濯機を買って上げる」と言ったという。嬉しくて涙が出たと云うが「気持ちは有り難く受取っておくから、自分でちゃんと貯金しておきなさい」と優しく断わったのだそうだ。「娘からはそんな優しい言葉は一度も掛けられたことがないのに」とも言っていた。

どうも我が家を取り巻く「気」は、女はキツク、男はヤサシクさせるようである。

30年前に俳優の津川雅彦さんと一緒に仕事をしたことがあるが、その時に津川さんが「女の本性というのは本来がキツイものだ、だから小さい時から『女らしく』しなさいという教育をされる。一方、男は本来がヤサシイから『男らしく』しなさいと教育されるのだ。それで丁度よい塩梅に育つのだ・・・」と言っていたことを思い出した。

案外当たっているのかも・・・。

寂しいから映画でも見て気分を紛らわせようと云う。新聞の映画館の上映リストを調べたら、冬休み中だからなのだろう子供向けの映画が多い。

大人向けの映画はほとんど観てしまっている。

仕方ないので「美女と野獣」を観ることにしたが午前中の上映である。休日はノンビリ寝ていたいのに・・・。私も優しいから、ついつい妻に付き合ってしまうのである。

フランス語の映画で実写版であった。以前に観たディズニーアニメの「美女と野獣」とは内容もかなり異なる。

映像はキレイであったし、こんな物語りだったのかと思いながら、まぁまぁある程度は満足をした。

ただ、王子様はもう少し若くてイケ面の男優の方が良かったのではないだろうか?妻もそう言っていたから、ここでは意見が一致したのであった。

昼に、以前に良く行っていたラーメン屋の近くを車で通ったので、久し振りにここで食べようということになった。以前は親父さんがやっていたのだが、現在は娘さんがやっている。

何だか以前の味とは異なるように感じた。特に麵の違いが気になった。しばらく振りに食べたからだろうか。でも流行っていたようで客は絶え間なく来ていたから、この味も人気があるのだろう。

ラーメンほど「美味い」という人の好みが違う食べ物ってないのではないだろうか?

そのまま夕食の買い物に行くと云う。息子に送る荷物の中に色々なものを同封して送るのだと云う。その中にバスタオルを入れて上げたいが、タオルは買ってそのままだと水分を吸わないから、一度洗濯をしてノリを取って、すぐに使える状態にして送るのだそうだ。息子に対しては随分と優しいじゃないか。優しさに対しては優しさで応えるということか。

買い物をしている内に「休日で暇だろうからアナタ何を作る?」と言う。私には夕食を作らせようというのか・・・。

まぁ、私も料理は好きだから喜んで作ることにしたのであった。

妻の実家の分も作るとなると、おのずとメニューは決まってくる。今日はキーマカレー(挽き肉で作るカレー)でいくことにした。私は挽き肉同様に、具材の人参、タマネギ、ジャガイモも小さくカットして、年寄りに食べ易く作るのである。

私は決まったルーティンで仕事をすることが苦手である。いつも新しいことをやってみたくなるのだ。今日のカレーはカットした具材以外にも色々なものをすり潰して入れることにした。タマネギ、人参、リンゴ、バナナをすり潰して入れてみたら妻と母にはフルーティで美味しいと評判が良かったのであった。

食べ終わった後には温泉銭湯に行く、妻は年末年始で身体が疲れているからマッサージを受けたいという。私も腰がバンバンに張っているので同意した。

結構、充実した休日であった。


■2015-01-11-Sunday カラオケ

義父の家でカラオケの機械を購入した。

テレビで小林旭が宣伝しているマイク状の機械で1万円弱の値段のモノである。

義理の両親は、最近ずっと家の中に居ることが多いから、ストレス解消に歌でも唄うのは良いことであろう。

注文して欲しいと頼まれたので、私が注文をした。年末に孫が来たら一緒に歌うつもりでいたのかもしれない。

この機械にはあらかじめ300曲が挿入されているという。届いた機械はマイクとテレビに接続するコードの簡単なものである。説明書の中に入っていた300曲のリストを見ると・・・。

民謡、軍歌、昔の一校などの校歌、英語の歌が多く入っている。現在の流行りの歌は入っていない。

かろうじて演歌の中で知っている曲が十数曲ある程度である。説明書と一緒に「追加曲リスト」という冊子が入っていて、自分で好きな曲を新たに選曲して1個3000円のカートリッジに入れる仕組みになっている。

カートリッジには70曲が入れられるが1曲につき200円の入力料金が掛かるのである。

今回は注文時のサービスとしてカートリッジ1個が無料で、30曲以上を新たに入力したら5曲分を無料にするという。

義母に、どんな曲を入れるかリストから選びだしてもらったら10曲ほどしか選ばなかった。70曲入るというカートリッジに10曲だけしか入れないのもモッタイナイと思い、妻と相談して私達夫婦が歌える歌を50曲ほど選んで70曲分を注文をしておいたのであった。

年末には全て機材が揃ったので、すべてセットをしておいたのだが、、孫は皆、インフルエンザや風邪に罹ってしまったので、うつしてはいけないと、短時間の挨拶だけで、直ぐに退去し、ついにカラオケをすることはなかったのであった。

このカラオケの機械は年末年始に使われることはなかったのである。孫が全員帰ってしまった後で、義母が試してみたところ・・・。

このカラオケ機械は、歌い終わった後に採点が出るのだが、思ったように高得点が出ないと不満を漏らす。

また、テレビへのセッティング方法や、機械の操作方法が分かり難いから、簡単に出来るように分かり易く解説書を作って欲しいと言うので、自宅に持ち込んで試してみることにした。

夕食の後に、酒を飲みながら、このカラオケで妻と2時間近くも唄いまくったのであった。

妻の両親の家はテレビに繋ぐだけだから、テレビのスピーカーからしか音が出ないが、我が家のテレビはステレオに繋がっていて、スピーカーは種類の異なるモノが6つも付いている。ちょっとしたカラオケスナックなどよりも、はるかに音響設備が整っているから音は素晴らしいのだ。

このスピーカーから出る音は、テレビのスピーカーとは比較にならないくらいに良いのである。

やはり音楽はスピーカーがものを云う。

私が唄うと95点の高得点が出た。

妻が対抗意識を出して唄うがそこまでの得点は出ない。すると、この機械はオカシイ!採点基準が解らないと言い出す。どこまでも負けず嫌いな性格である。

この機械は本格的なカラオケとは雰囲気が違うから、練習用としては良いが何とな〜く面白くないのである。

やはりカラオケは家庭で唄うものではないなぁ〜。


■2015-01-12-Monday 成人式

今日は成人式であると云う。

アレッ成人式って15日じゃぁなかったっけ、と思っていたが、数年前から変わったようである。

そもそも今年最初の3連休が何の休日であるのかが分からないというのだから・・・。

子供達3人も、末っ子が成人してから既に5年程が経っているから、成人式にはまったく関心がなかったのである。無関心というのは恐ろしいことであるなぁ〜。

でも何で変えたんだっけ?

私は学生時代に住民票の移動をしなかったから大学生の時も帯広市の住人であった。1月15日には既に大学の授業が始まっていたから東京に戻っていたし、東京に住民票を移していないから、東京の成人式にも参加出来なかったのである。

そのせいでもないが、成人式には思い入れもないし、思い出もない。大学の同期の友人と一緒に酒を飲んだことくらいであるが、酒なら成人前からほとんど毎日飲んでいたから成人式の日の酒が初めてという訳でもなく、晴れ着で着飾って成人式に参加するということもないから感慨もまったく湧かなかった。

他人と異なることをやりたがる性格だから、成人式の日に友人に禁煙の宣言をして、タバコを吸わなくなったことくらいだろうか。

二十歳でタバコを止めるって・・・。

だから成人式がどのようなものであったか体験していないので、成人式って昔からこんなにバカ騒ぎをしていたのだろうかと疑問に思っている。

今年成人になった連中は1994〜5年の生まれであろうと思う(アレッ満年齢だったっけ?)。

ちょうどバブルが完全に終了した年である。

バブル自体は91年には終わっていたが、92年にはまだその余韻が残っていて固定資産税が前年よりも上がったし、相続税率も前年よりも高かったのを覚えている。

父が亡くなったのが92年であったので、相続では一番損をしたからよく覚えているのだ。

その後の日本経済は「失われた20年」と言われているから、今年の成人は好景気をまったく知らない世代である。

最近の若者は、車もいらない、酒も飲まない等々と云う。もっぱらテレビゲームで育った世代で、現在はスマホがあれば良いらしい。中には恋人も面倒臭いからいらないという連中までいるらしいから・・・。

こんな状況で、政府が少子化対策云々といくら言ったところで効果は望めまい。

何せ、未来に対して明るい希望がまったく持てないのだから、そんな世の中に子孫を残せなんて云う方が無理である。

彼等は可哀想な時代に生まれてしまったものである。

私ら昭和33年生まれは、幸いにも面白い時代を生きてきた。高度経済成長のド真ん中であったから、家に、テレビが入り、それがカラーテレビになり、自家用車を持つ、その車のグレードも「いつかはクラウン」と云うトヨタの宣伝文句そのままに、年齢に合わせて車種を変える楽しみがあった。昨日よりも今日、今日よりも明日の方が幸せになれるという実感が伴っていた。

まぁ、私の寿命はせいぜい後20年もないだろうから、戦争も無かったし、一番幸せな時代を生きたのかもしれない。

現在は、終身雇用制が崩れ、いつ首になるか分からない時代、給料が上がらないだけならまだしも、いつ給料が下げられるかもしれないという状況では住宅ローンだって組めないだろう。

多数の人が年金だってあたらないかもしれないと考えている世代である。自分の身を自分で守らなければ、国が何もしてくれないどころか、逆に金をむしり取ろうとしていると感じているのではないだろうか。だから消費に回すよりも貯金に回す。無駄なものは買わなくなるのだ。

こういう政策を取っている日本で、経済再生?、景気拡大?、地方創生?、ちゃんちゃらオカシイだけだろうなぁ。

若者のマインドを変えられない限り、景気など上向くはずがない。


■2015-01-13-Tuesday 帯広の中心街

新年の挨拶に来社した取引先の客から

「帯広の中心街は寂しいですなぁ。昨晩は3連休の最終日だというのに駅前が暗くて、人もほとんど歩いていなかった。メインストリートの駅前通りが、両サイドとも空き地や駐車場ばかり、坂本社長が頑張って何とかして下さいよ」「社長が20年位前に言っていた中心街の活性化策は一体どうなったんですか?」と言う。

「20年位前」というのは、正確には1996年に「十勝環境ラボラトリー」で発表した「中心街活性化策」のことである。

あの当時の私は、ずいぶんと色々な人達に、夢を熱く語っていたのであろうなぁ。

前年の1995年に、帯広市内中心部の空き地や駐車場を調べて、それを白地図に落としたものを現在も会社の壁に貼ってあるが、それを見ると、空き地と駐車場は減るどころか、倍くらいに増えているのだ。

客人曰く「帯広は恵まれているから危機感がないのでしょう。でも、これからの時代、帯広とて安閑としてはいられませんよ。これだけ街を拡げてしまったら、これからが大変でしょうなぁ」」と言う。

確かに言われる通りである。愚痴を言っても始まらないが・・・。

帯広の政治家も経済人も10年、20年先を見越してのまちづくりには消極的であった。変革を嫌い、現状維持を選択したのである。

私らは、何もいますぐに変革をしようと言ったのではない。10年、20年掛けて徐々に変えていこうとしたのだが、まったく聞く耳を持ってくれなかったのだ。あの時に着手していれば今頃は・・・。

そして、私らが研究した成果を活かすどころか、潰しにかかったのだ。先見の明がまるでないのであろう。現在が良ければそれで良いという考え方なのかもしれない。

そのお陰と言うか何と云うか、その経緯があったから、他人を頼ってはいけないと、自分たちで出来ることから始めようと行動に移したことで「北の屋台」が誕生したのだが、その「北の屋台」も当初のコンセプトは失われ、ただの飲食店街になってしまっているようで残念である。

これからの少子高齢化時代のまちづくりは、これまでの人口が増えていた時代のまちづくりとはベクトルの向きが逆になる。過去の発想を転換しなければならないのに、未だに「国土の均衡ある発展」などとネボケたことを言う政治家ばかりだ。

日本海側に較べて雪が少ない帯広だとは言っても、帯広にも雪が降る。ましてや気温が低いから降った雪が凍ってしまう。

そうなったら、老人は怖くて外を歩けなくなるだろう。

雪の降らない地域の街づくりを参考にしても、帯広の冬には合致しない場合が多いのだ。独自に考える必要がある。

私は19年前に発表したプランが現在でもまだ機能すると思っている。あれから約20年、未だにアンケートだなんだと同じことばかり繰り返して一歩も先に進んでいかない帯広のまちづくり。

そうこうしている内に私も年を取ってしまい、かつての情熱もエネルギーも失くしている。誰か若手を早急に育てねばならないだろう。


■2015-01-14-Wednesday 食事代

デパ地下に行って昼食を物色してきた。

このところの昼食は専ら蕎麦ばかり、たまには米の飯でも食べようと思い。郵便局に寄った帰りに藤丸デパートの地下食品売り場に行ってみた。

妻の分と合わせて、二人分の昼食を買って会社に持って帰り、会社で食べることにしたのであるが、色々なモノが売っているので目移りしてしまった。

最初に五目御飯が目に付いた。昔から五目飯が好きなのである。値段は232円と安いが、これだけではオカズがない。インスタントのカップ味噌汁110円があったので2個購入し、他の店を見る。天丼が目に入った。天麩羅は胸やけするのだが、タマ〜に食べたくなる。値段は720円である。天麩羅を揚げるのに5分掛かると云うので、待っている間に隣の惣菜屋でトンカツ130円1枚とクリームコロッケ130円1個を購入、これで2人分全部で合計は1432円。いつもの蕎麦代と同程度の金額になった。

会社に持って帰ってテーブルに並べたら、妻が不服そうな顔をする。どうやら食事のバランスが悪いと言いたそうな気配だ。たしかに野菜類が無い。

蕎麦を食べたって野菜は付いていないのだが・・・。

会社の終業後18:30〜20:00までは今年最初のマジック教室である。妻も仕事が残っていると云うので、夕食も外食にすることになった。昼食の天丼で胸やけしているので、軽い食事がしたい。いつも昼食を食べに行く蕎麦屋に行ったのだが休みだったので、仕方なくめったに行かない蕎麦屋に入った。私はタマ〜にここの甘いタレの蕎麦も食べたくなるが、妻はここの蕎麦は歯ごたえが嫌いだという。会計は1600円。

帰りにセブンイレブンでコーヒー100円×2杯を買って会社に戻り、私はマジック教室、妻は残業をした。

20時に終わって、さて自宅に戻ろうかと言うと、妻が久し振りにカラオケをやりたいという。我が社の3階にカラオケ店がテナントとして入居しているので、そこに入って1時間だけ唄うことにしたが・・・。

私は、マジック教室では1時間半の間、ほとんど指導の為に話し続けている。部屋も乾燥しているから今日は喉の調子がイマイチである。

妻は私が好んで唄う持ち歌をいつも横取りして自分の持ち歌にしてしまう。私の唄が上手いから、きっと良い歌に聞こえるのだろうが・・・。

妻はこの日も私の持ち歌を取っては唄っていた。今日は練習するのだと言ってその後1時間も延長して結局2時間も歌っていたのであった。

夕食に蕎麦だけではさすがにお腹が減るから、私はいろいろな食べ物を注文し、喉を潤す為にビールや焼酎も飲んだので料金は4500円になった。

結局、この日の食事で一番高かったのはこのカラオケ代であった。


■2015-01-15-Thursday 諸事雑感

帯広神社にどんど焼きに行って来た。

近年、神社の宮司さんの考えなのか、氏子さんの考えなのか分からないがどんど焼きの中身を燃やせるモノと燃やせないモノに分別している。

プラスチック類を燃やせば有毒ガスが出るから地球環境を考えれば良いことなのだが、一点だけ疑問に思うことがある。それは正月飾りを入れて行った「紙袋を持って帰れ」ということだ。

何故、紙袋は燃やしてはいけないのだろうか? それとも、まだ使える紙袋はモッタイナイから、持って帰って再利用しなさいということなのだろうか?

では、破れてしまって、もう使えない紙袋はどうなんだろうか?

どんど焼きのお手伝いをしている氏子の方々も、紙袋を持ち帰へさせる意味を理解していないで作業をしているように見えるのだが・・・。

紙袋から中身だけを出して炎の中に投げ入れるのは難しい。紙袋ごと炎の中に投げ入れた方が簡単だし、ゴミが散らからないと思うのだが・・・。

どんど焼きを終えて神社の駐車場から一般道に出る時のことだ。私の直前の車が東3条通を北に右折しようとした。ここからの右折は道路が混雑していてかなり難しい。右折するよりも一旦左折して、信号のある交差点から戻れば良いのに、このドライバーはどうしても最短距離で行きたいのだろう。右折するにしても雪で狭くなっている駐車場の出口のど真ん中に車を停めてウインカーを出して待っているから、後ろに居て左折しようとする私の車は横をすり抜けることも出来ないのだ。見る間に私の後ろは大渋滞になった。

東3条通を北進する車のドライバーも酷いものだ。神社の前の国道38号線は混んでいるし、その手前の駐車場の入口も混んでいて渋滞しているから、車がスムーズに流れていないのだ。3mほどずつしか進んでいかないのだから、私の前の車を入れてあげれば良いのに、入れずにその3mを進む。

だから、駐車場の出口は大渋滞になる。

右折しようとするドライバーにも問題があるが、譲って入れてやるドライバーが居ないことも問題だろう。どうして他人を思いやる運転が出来ないのだろうか?十勝のドライバーのマナーは最低である。

今朝の新聞各社は、政府の2015年度予算案のことを伝えているが・・・。このブログではあえて細かいことは解説しないが、いつも感じるのは、相変わらずのその場しのぎの予算案ということだ。

いつも小手先でちょこちょこと変えることが、いかに日本国民の富を奪っているのか政治家も官僚も考えてはいないようである。

「富」というのは何も直接的な利益のことを差しているのではない。

日本国民は、自分の将来に不安があるのだ。

将来、年金は受け取れるのか?

税金が上がってしまうのか?

病気になったら病院にかかれるのか?等など不安なことばかりであろう。

北欧のように税金が高くても、将来の心配がない社会の方が、むしろ安心して生活がおくれるのではないだろうか?

日本の税制も政策も、中途半端過ぎる。

一本の太い方針が無いから、あっちにフラフラ、こっちにフラフラして、毎年のようにブレていく。国民は、その都度、自分の生活設計を変更しなければならないから消費に回そうなんて考えない。将来を考えたら、国の世話になどなれないから貯金をしておこうとするだろう。

「将来への漠然とした不安」それこそが、この失われた20年の根本原因だったのではないだろうか?

景気は「気」である。将来に対しての不安がなくなれば、安い給料でも生活できるとなるだろう。

不安があるから、自分でお金を囲いこもうとするのだ。それはお金を循環させないから景気は悪くなる。

「金は天下の回りもの」である。政府のやることは、その場しのぎのバラマキではなく、将来の不安を取り除くことだ。本当の骨太の政策をする政治家が現われて欲しいと切に願うものである。


■2015-01-16-Friday 平原通新年会

暮れに買っておいた靴下が見当たらない。

年末にユニクロで、新年用として温かいヒートテックという下着類を買った際に4足で1000円以下という靴下も買っておいたのだが・・・。

妻が息子が職場に戻る際に持たせたと云う。

息子は私の若かりし頃と同様にガリガリに痩せていて体重は53㎏である。私の大学卒業時とまったく同じ体重だ。

私はと云うと、以来、順調に右肩上がりに腹囲と体重が増え続け、現在の体重は75㎏で腹囲は93㎝にも成長した。

私の現在の服のサイズはLLサイズで、息子はMサイズであるから、私が買っておいた下着を息子は着る事ができないが、靴下のサイズだけは同じなのである。

私が一度でも履いた靴下を息子には履かせたくないが、新品ならOKということか・・・。

妻は息子の着る服を、我が社のテナントでもある「メンズセレクション」という店で高い服を買ってやっていたが、私には・・・。この扱いの差は一体何なのだろう。

夜に、平原通り商店街の新年会がふじもり食堂で開催され、我が社からは私と妻の2人で出席してきた。

私は久し振りの出席になる。

出席者の顔ぶれも昔とは随分異なっていて、女性と若い人が増えている。かつては友信町内会(西2条南9丁目町内会)などの会合では、家族単位で十勝川温泉でやるなどして、とても盛んであったのだが・・・。

段々とこじんまりしてきたものである。これも時代の趨勢なのだろう。平原通り商店街もかつては「街に行く」と表現されたほどの十勝の中心地であったのだが、現在は空き地だらけで観る影もない。

その空き地をそのままにしている人が多いのだから、商店街としても気合が入らないのであろうなぁ。活性化しようという気概は、この新年会でもまるで感じられない。

何だか、なぁなぁのぬるま湯で諦めの空気が漂っているようだ。今年は地方創生などと政府が言ってはいるが、この商店街にはおそらく無縁なことであろうなぁ。


■2015-01-17-Saturday 小野寺勇氏死去

弟の嫁さんの父親である小野寺勇さんが亡くなった

という連絡が入った。16日の22時50分のことだという。

正月からインフルエンザに罹り入院していたというが、そのインフルエンザから肺炎を起こしたのだそうだ。

こうなるとインフルエンザも重い風邪というよりは、生命の危険がある怖い病気である。

昭和9年の生まれであるから80歳だ。東京生まれで防衛大学の第一期の卒業生である。帯広の自衛隊第5師団(当時)に配属になり、以来、帯広で暮らすようになった。自衛隊を退官後に帯広市議会議員、その後北海道議会議員になり自民党の重鎮として活躍した。道議引退後は長男の秀(まさる)さんが後継で道議になった。

家庭では寡黙な方で、いつも最小限のことしか話さないから会話が弾んだということはなかったが、奥様が話されている横でいつも微笑んでおられた印象が深い。

引退後に目を悪くされたり、軽くあたったりされたが、さすが防衛大卒の元自衛官だけあって、リハビリに励まれ、家の近所をスタスタと歩いておられる姿を何度か見かけた。最近は耳も悪くなっていたというがお元気そうだったので突然の訃報に驚いている。

小野寺家はカトリックなので葬儀も教会で行なうという。弟が結婚後に祖母(勇さんの奥様の母)の葬儀がやはりカトリックの教会で行なわれたのがカトリックの葬儀に出席した初めてのことであった。

神式の葬儀は十勝毎日新聞社の林家の葬儀で2回経験したが、カトリックの葬儀はそれ以来出席したことがない。

仏式の葬儀は宗派に依って多少の違いはあるが、それほど大きな差ではないのだが・・・、カトリックの葬儀作法が分からないから一応ネットで作法を確認しておいた。

小野寺勇さんと同年生まれで、小野寺さんとも仲の良かった川上哲平さんが同日に亡くなった。哲平さんとは、去年、ゴルフのコンペでご一緒もしたし、そのゴルフでは50回目のエイジシュート(年齢以下のスコアで回ること)を達成され、この分なら生涯に100回はエイジシュートを達成しそうですねと言っていたのに、12月の宴会にも出席されてお元気そうだったから、こちらも突然の訃報に驚いている。

お二人のご冥福をお祈りする。合掌。


■2015-01-18-Sunday 柏葉同窓会新年会

帯広柏葉高校の同窓会新年交礼会が

17日土曜日18:30から北海道ホテルで開催された。

幹事の当番は順送りになっていて、今年は柏葉13期と36期の担当である。私たちは柏葉26期の卒業であるから、私たちが幹事役を担当してから、もう10年も経ったことになる。何だかついこの間のことのように感じるが・・・。

最近、26期の集まりが悪い。かくいう私も去年は出張と重なり欠席であった。今年は8名の参加で、内女性は一人だけ、私の妻も同級生だが今年は欠席である。

他の期(主に先輩の期)は年々参加者が増えており、今年は700名を軽く越えたというから、会場のキャパシティがもう間に合わない状態である。

普通は8人掛け、多くても10人掛けで使用している丸テーブルに12席を用意するのだから、隣とはギチギチである。テーブルとテーブルの間隔もビッチリに詰めているから、通路が狭くてホテルの従業員が食事等を運ぶのも大変そうである。

私たちのテーブル担当のホテル従業員は坊主頭の初々しい男の子であった。聞くと高校生のバイトであるという。ビール瓶の持ち方もギコチナクて危なっかしい。

私は痛風なのでビールは乾杯だけにして「芋焼酎の水割り6対4でお願い」と頼んだら、隣に座った同級生が「いきなり高校生に対してハードルを上げるなよ。家人に酒飲みが居なければ今の言い方じゃ分からないぞ!高校時代から酒を飲んでいたお前とは違うんだぞ!」と云う。たしかに運ばれてきた水割は薄かったので、水6割、焼酎4割であったのだろう。説明するのも面倒なので、次回からは自分で取りに行ったのであった。

抽選会は、私はこれまで参加すれば9割以上の確率で何等かの景品が当たっていたから今年も期待したのだが、残念ながら26期は誰も当たらなかった。しかし、何と24期が8〜9名位当選していた。当選者のおよそ3分の1くらいが24期で占められたのであるから異常な偏り方であった。こういうこともあるんだなぁ〜。

2次会に行こうということになったが、最近、飲み疲れているから帰るという奴と子ども(孫ではない)をお風呂に入れるという奴の2名が欠けて6名で繁華街に向かったのであった。

この子どもを風呂に入れるから帰ると言った同級生の子どもはまだ幼くてしかも双子である。2次会に残った連中の話が当然、子どもの養育費、教育費の話になっていった。

2次会に来た6名の内の1名の子どもがまだ若いのである。サラリーマンであるから60歳で定年になって収入が無くなってからも大学生になっているであろう子どもに仕送りをすることになるという。60歳は後2年後のことである。

他のサラリーマン2名は、既に子どもが大学を卒業したから仕送りが無くなって、このところは懐が温かいのだと云う。それだけ子どもへの仕送りは大変な負担であったと脅すものだからかなりビビっていたのであった。

同じ同級生でも、孫が居る者も居れば、子どもがまだ幼稚園というのも居るし、未婚という者もいる。人生というのは様々であることよ。


■2015-01-19-Monday 情熱!

NHK大河ドラマの「花燃ゆ」を観ていて感じた。

吉田松陰という男は思い込んだら、ただまっしぐらのイノシシみたいな男だなぁ〜。家族の迷惑も考えずに困った奴だと・・・。

しかし、明治維新をやり遂げた長州藩士のほとんどが、この吉田松陰の弟子たちであることに、それは何故なんだろうという疑問が湧いてきたのであった。

人間は感情の動物であるから、理屈だけでは動かない。おそらく激しい「情熱」が他人を動かすのであろうと思う。

この吉田松陰という男の、周りがまるで目に入らないかの様な無茶苦茶に激しい情熱が世の中を変える原動力、エネルギーになったのかもしれないなぁ〜。

私も今考えれば「北の屋台」を実現させた時には、激しい「情熱」というものがほとばしっていたように思う。しかし、辞める時には「坂本は協調性がない」とさんざんに言われた。自分を吉田松陰になぞらえるほどの大袈裟なことではないが、物事は成し遂げる時には激しい情熱が必要で、一旦、事が為されてしまえば今度はその情熱が邪魔になるのかもしれないと考えるようになった。きっと「変革」に「協調性」は不要なのだが、「安定」には「協調性」が必要なのだ。

まだ、たった2回しか観ていないから、今後の展開がどうなるのか分からないが、主人公が男の松陰ではなく、松陰の妹という女性というところが面白い視点で観られると思っている。

だが・・・、大河ドラマを女性の視点で描いた作品はこれまであまりヒットしたことが少ないようだ。これまで日本の歴史を記した文献には女性があまり描かれてこなかったから、エピソードが少ないし、男性中心の歴史観であったからである。

逆に、これまで後世に伝えられているエピソードが少ないだけに、勝手に想像して作ることも可能であるかもしれない。

ドラマと現実は違うであろうから、色々な脚色があるであろう。小説なんだから異なる解釈があっても良いと思う。1回目の放送を観て、朝ドラみたいな恋愛もののイメージが付いてしまったようだが、目くじら立てずに楽しもうと思っている。

昨日の放送で出てきた久坂玄瑞もこれまでイノシシ武士の典型だと思っていた。久坂玄瑞は今回の主人公である杉文の最初の旦那であるから、おそらくこれからの展開では、これまでの久坂玄瑞とは異なる描写がされるのであろうなぁ〜。

登場人物たちは一体どんな人物像に描かれるのであろうか・・・。


■2015-01-20-Tuesday 小野寺葬儀

弟の嫁の父親である小野寺勇さんが亡くなった

ことは先日のブログに書いたが、一部死因に誤りがあったので訂正しておく。

インフルエンザをこじらせて肺炎になったと書いたのだが、本人も家族も知らなかったそうだが、医者が言うには「間質性肺炎」という難病にもともと罹っていたのだそうな。今回のインフルエンザの入院で検査して、それが初めて判明したとのこと、肺が固くなって機能せずに呼吸が出来なくなる難病だとのことだ。だから厳密にはインフルエンザをこじらせたということではないようである。

葬儀に親類として出席してきたが・・・。

小野寺勇さんは政治家であったから、知人や関係者などの取り巻きの方々は皆、仏教系の葬儀なら、葬儀慣れをしている人ばかりである。しかも、皆、仕切れる方々ばかりでもあるのだが、何せ、カトリックの葬儀のやり方を知っている人が居ないものだから、勝手が分からずに上手く仕切れないでいたようである。

葬儀を取り扱う会社の公益社の人も、いつもと勝手が違うようであった。会場も、1000人も入れるような、いつもの大きな葬祭場ではなく、たった200人しか入れない小さな教会であるから、駐車場もないので、従前の葬儀の方式では運営できないのは明らかだった。

まず15時から身内だけでミサを行ない。一般のお参りの方は17時から19時までの間に順繰りに献花をしてもらう方式にした。お参りに来た方も、仏式の葬式とは異なり、坊さんのお経や説教もないから1時間会場に留まる必要はない。一人の所要時間は、香典(御花料)を1階の受付で納めてから2階の教会に上がり献花をして終わり、およそ15分程度で帰っていくという簡素な葬儀であった。

総勢900人くらいのお参りがあったそうだから、この方式でなければとうてい運営できなかったであろう。

私も初めてのことばかりで戸惑った葬儀であった。


■2015-01-21-Wednesday 死去

平原通商店街と青年会議所から

「お悔やみのご案内」が送られてきた。

今度は我が社の隣の丁目である西2条南10丁目、かじのビル社長の梶野宗則さんである。

梶野さんは昭和6年生まれで青年会議所(JC)の第12代目の理事長でOB会員でもあったので両方の組織から「お悔やみのご案内」が送られてきたのだ。

JCとしては先日の小野寺勇さんが、OB会員の小野寺秀さんの父親、川上哲平さんがOB会員、そして梶野宗則さんもOB会員であるから、ここ1週間の内に関係者が立て続けに亡くなった。

3名の死因はいずれも「肺炎」である。新聞の死亡欄を見ても、ここ最近の死因は圧倒的に肺炎が多い。冬の寒いこの時期にインフルエンザなどから肺炎を起こして亡くなるケースが多いようである。

去年、私がOB会長をしていたときのOB会員の死去は8月、10月、12月にそれぞれ1件ずつの計3名であった。

1月に就任以来、8月中旬までは死亡0名であったから、このまま誰も亡くならないでいて欲しいと思ったのだが・・・。

それでも最終的に年間3名の死去は、ここ最近では特に少なかったのであった。

今年は、1月で早くも2名である。OB会長の主な仕事の一つは葬儀への参列である。しかも、OB会員本人の葬儀以外にも、OB会員の一親等以内の葬儀への出席義務があるから葬儀が続くと大変である。


■2015-01-22-Thursday 市振連新年会

帯広市商店街振興組合連合会の

新年会が22日18:30から市内のガーデンズホテルで開催された。

「ガーデンズホテル」というと、さる英会話の先生から言われた『「ガーデンズ」の「ズ」って、一体何の「ズ」なんでしょうかね? ガーデンに複数形は無いし、アポストロフィーのSでもないし・・・』というのをいつも思い出す。

後藤健二社長は同い年の友人だから会ったら聞いてみようと思っているのだが、いつも忘れてしまう。この日も、この新年会に社長が同席していたのだがまた聞くのを忘れてしまった。

この後藤健二という名前は、イスラム国に拉致されたジャーナリストと同姓同名で漢字までまったく一緒である。こういう同姓同名も困るだろうなぁ〜。

さて、新年会である。市振連は帯広市内の商店会の集まりであるから、いくつかの商店会から会員が出席しているし、市役所、商工会議所、中央会などからも出席しているので総勢は50名であった。

22日は雪が降っていたので、話は「除雪」のことになった。

市内中心部の商店会は、ロードヒーティングの設備を整えている商店会と、ロードヒーティングの設備がない商店会とがある。

ロードヒーティングがあるのは、平原通商店街、東銀座通商店街、西1条通商店街、名門通商店街の4商店街で、いずれも南北の通りである。

その商店街を東西に横切る栄通商店街(9丁目線)にはロードヒーティングが設備されていない。

設備されていなくても、人力で除雪すれば何の問題もないのだが、空き地であったり、空き家であったり、果ては駐車場の前も除雪がされていないのだ。コンビニの前も敷地内の駐車場は除雪してあるが、歩道は除雪をしていない。

これでは、老人が歩けない。老人どころか私でさえ時々転びそうになる。

特に、道路を挟んだ我が社の向かい側の空き地と、NC(連鎖店)の駐車場の横がヒドイ。NCの駐車場の出入口は自動車が一旦停止して、駐車券を受け取り、ゲートが開いたら進入するから、歩道のところが、タイヤで磨かれてしまいツルツルになる。しかも歩道が若干斜めになっているから余計に滑り易いのだ。この出入口のすぐ斜め前にバスの停留所があるが、ここは老人が良く使用する停留所であるが、この除雪もしていない。

バス会社が除雪しなければいけないのか、駐車場の持ち主であるNCが除雪しなければいけないかは知らないが、いずれにしろ誰かが除雪をしなければならないだろう。

それを放置しておくから、歩く人の重みで、踏み固まってしまうと固いスコップでもなければ除雪は更に難しくなる。

空き地や空き家でなくても、土地の所有者やテナントが、ロードヒーティングの電気代、ガス代を支払わないケースも多いという。そんな場合はその前だけ電気等を止めるのだそうだ。そうなると融雪状態がマバラになって歩行者は歩きにくくなってしまう。

少なくとも中心部に店を構える人は、この様な公共の経費が掛かることを承知して出店しなくてはならないだろう。

「俺は払わん!」という勝手は許されない。

怒りながら酒を飲んだら、ついつい飲み過ぎてしまったのだった。


■2015-01-23-Friday ヤフオク

マジック本の収集家仲間から電話が入った。

先週のヤフーオークションでマジック本の珍しいモノが3点同時に出品された。出品したのは同じ「ストア」で、私にはリサイクルショップのように思えた。恐らく、マジックを趣味にしている老人が亡くなり、処分に困った遺族が、このリサイクルショップに持ち込んだのだろう。

遺族も、この店も、このマジック本の価値をまったく分かっていないようであった。

出品されていたのは、薄〜い8ページほどのカードマジックの本や、定期的に送られてくるマジックの講習本などで、私も一部は持っているが、全部を所持している訳ではないから、安いなら入手しようと思って、この内の2点の入札に参加した。最初は、物凄く安い価格で出品されていたからだ。

カードマジックの方は出品された22冊の内の2冊だけが欲しい、残りの20冊はすでに所持している。講習本の方は所持していない数の方が多いのでこちらの落札を目指したのであった。

カードマジックは欲しい冊数の2冊に対して2万円を越える値段が付いたので早々に諦めた。たかだか8ページの薄〜い本2冊にこんな値段では割が合わないから購入は止めたのだ。

もう一方の講習本の方は30冊以上のまとめての出品であるし、ほとんど持っていない本だったから1冊1000円として3万円なら買おうと思っていたのである。

途中で、いつも競り合うマジック本収集の知人が入札に参加して来て値段が高騰してきた。この人も欲しいとなると値段ではなく徹底的に入札してくる方だ。

メールアドレスを知っているので、今回は私に譲ってもらえないだろうか?とメールしたらOKとの返事である。

その後は私の付けた金額の3万円以上にはならなかった。

入札締切り時間に迫ってきたが、私は新年会に出席しなければならない。締切り時間ギリギリに参加してくる人もいる、ライバルに降りてもらった以上は私が落札しなければ面目が立たないから、一応、念の為に55555円という金額で入れておいて新年会に出掛けたのであった。

新年会から戻ってPCを開いたら、何と56000円で落札されていたではないか。

エ〜ッあの本を56000円!

イャ〜まさか・・・信じられなかった。

今日、その降りてもらったライバルから「貴方の身体の具合でも悪くて入院でもしていて落札できなかったのかと思って・・・」と心配する電話が入った。事情を説明して謝ったが・・・。

このライバルと「お互いに、いまや誰も読まないマジックの本にこんなに高額の値段を付ける人が居るなんて・・・」と苦笑し合ったのであった。


■2015-01-24-Saturday 穏やかな日

今日は温かい一日である。

温かいと言っても、真冬である。最高気温は+1℃くらいであろうか。路面の雪が融けている。

十勝では、普通、冬の気温を言う時にいちいち「マイナス何℃」と「マイナス」を付けずに言うのが慣習になっている。マイナスの気温であるのが当たり前だからだ。逆にプラスになった時に「プラス何℃」と「プラス」を付けて言うのである。

昔、北海道の真冬の寒い外で長い会話をしたら、口の中が凍ってしまうから、当たり前のことは省略して会話時間を短くするのだと言っていたことを思い出した。

気温の感じ方は相対的なもので、例えば真冬にマイナス15℃以下の日が続いていて急にマイナス8℃くらいの気温にでもなったら、外で交わす挨拶は「今日は温かいね〜」ということになる。

東京辺りの人が聞いたら「マイナス8℃で温かい? あんたら少し頭がオカシインじゃない?」と言われそうであるが・・・。

人間の感じ方なんてそんなもんである。

天気が穏やかで温かいから、我が家と母の家を繋ぐ通路に、屋根の雪が落ちてきた。

温かかくて雪が融けているとは言ってもそれは太陽が当たっている箇所だけで、日陰の場所は凍ったままである。通路にも雪が氷になった箇所があったので、それを取り除くことにした。母に転ばれて骨折でもされたら私の方が面倒みるのが大変になるからだ。

表面は、プラスの気温で若干は融けていたが、下の方はガチガチに凍っている。スコップでは歯が立たないので、ツルハシを持って来て割り始めた。

通路の路面にはインターロッキングというレンガ状のブロックを敷き詰めてあるが、あんまり思いっきりツルハシを打ち込むとこの路面をも割ってしまうことになるから力加減が結構難しいのだ。ただ力任せにやれば良いってもんではないのである。

30分以上もツルハシを使って、路面を傷付けない様に慎重に作業をしたら背中と左腕の筋肉が攣ってしまった。

かなり変なところに力を入れながらやっていたようで、身体にとって不自然な筋肉の使い方であったのだろう。

あんまり背中が痛いものだから、夕食を終えた後に、温泉銭湯に行ってマッサージを受けてきたのであった。

結局、高い氷割り代になったのであった。


■2015-01-25-Sunday 町内会新年会

自宅が所属する町内会の新年会が開催された。

以前はこの種の催しにはまったく出席していなかったのだが、副会長を仰せつかってからは責任上からずっと出席している。

新年会の会場は、最近は町内会の近所の飲食店から選んでいるが、近ければ良いってもんでもなく。私が副会長に就任する以前に開催していた場所はかなり不評であったらしい。

今年は、去年と同じ店で開催することに役員会で決まった。去年の料理が美味しかったという評価があったからである。

町内会とこの飲食店との距離はおよそ600m程であるが、参加者は老人がほとんであるし、路面が凍っていて危険なので、この短い距離だがタクシーを使って参加してもらっている。近所の方と乗り合わせてタクシーに乗ってもらい領収証分を支払うというやり方である。

酒を飲まない人は自家用車で来る人もいるし、タクシー代の領収証をもらわずに降りてしまった人もいる。タクシーもこの距離だから、たかだが1区間550円程度の乗車料金でしかないのだが・・・。

この種の会合は公平を原則としているので、この段階で既に運営が難しくなる。

新年会は総会を兼ねているので、最初に事業報告やら決算報告やらを型通りに行なわなくてはならない。議長は副会長の役目である。町内会の会計はかなり大雑把であるが、誰も細かいことを言う人もいない。

行事と云っても、新年会と夏のリクリエーションの2つだけであるから、経費はあまり使うこともないし、この2回の行事に参加出来ない家はご祝儀を包んで寄こすので、逆に、年々お金が貯っていく一方なのである。

会計監査役の人からも、貯めずに還元せよと言われるのだが、どうも役員達が「貧乏性」なのであろうか、景品をケチる傾向にあってお金が少しずつ貯まっていくのである。

この日のアトラクションとしてビンゴゲームがあるのだが、この景品を用意して欲しいと、妻のところに会長夫人から3日前に依頼が来たのであった。

妻は最初、時間がないからと断ったと言うが、翌日、普段お世話になっている町内会の為なら用意させていただきますと返事したという。しかもわざわざ大幅に値引きして・・・。

「町内会はお金が余っているのだから、そんなに大幅に値引きしなくっても・・・」と云う私に「そんなモンじゃ〜ない。町内会にはいつもお世話になっているんだから・・・」と妻が言う。まったくもう商売が下手なんだから・・・。

会長からは、私に、余興でマジックをやって欲しいという依頼もあったと云う。狭い会場だしなぁ〜、困ったなぁ〜。

マジック道具が何種類か詰まっているアタッシュケースを持って行って、その場で決めて適当にやろうと考えた・・・。

結局、スペースも無いし、テーブルもない。イスの上にアタッシュケースを乗せてテーブルの代わりにして「カップ&ボール」というマジックを演じることにしたのであった。

演じる前に、そう云えば、去年も頼まれて「ロープ切り」のマジックを演じた時のことが頭をよぎったのであった。

皆、左手がアヤシイとか、ハサミに仕掛けがあるとか、口うるさく言うものだから、とてもやり難いのであった。

今年は最初に「マジックを観るには、タネを見破ってやろうと考えずに、不思議な現象を楽しんでみて下さい。アッ見えた!とか、タネが分かった!とか云うのは下品な見方ですので、どうか上品に見て下さいね」と言っておいたのが奏功したようであった。皆、上品に見てくれたのであった。

私は、お酒が好きでほぼ毎日お酒を飲んでいるが、太陽が出ている間に酒を飲むことは滅多にしないのだ。この日は、総会終了後に議長をご苦労さんでしたとビールを勧められたので2〜3口は飲んだのだが、マジックを演じなければならないので、酒で手元が狂うと困るからと断り、後はジュースにしておいたのだが、マジックが終了した途端に、皆が酒をツギにくる。今度は断わる理由が見当たらないので仕方なく飲んだのであった。昼間の酒は効く。

食事も終わり、余興のマジック、ビンゴゲームが終わると、皆の落ち着きが急になくなる。12時丁度に始まって、まだ13時半になろうかという時間なのに、もう帰り仕度を始める人が出てきた。

こうなると、皆がツラレテ帰り支度を始める。結局、1時間半でお開きになったのであった。慌ただしい新年会であった。


■2015-01-26-Monday 取材

北海道新聞社の記者から

午前中に電話が入り、午後4時頃に取材をお願いしたいと云う。

現在、北海道新聞の十勝帯広版では「道東100年の老舗」と云う連載のコーナーを展開しており、帯広、釧路、北見の老舗で100年以上の歴史のある店を紹介していて、24日が第8回目であった。25、26日はこのコーナーが休載であったが・・・、

帯広では、藤丸デパート、藤森食堂、久富時計店などが紹介されていた。

ようやく我が社にも取材に来たか!

我が社は今年、祖父の勝(かつ)が明治37年に池田利別で創業してから111年目、鉄道の開通に合わせて帯広に移転してから創業110年目を迎える。

資料をいろいろと準備して取材に備えたのであったが・・・。

午後4時に来社した記者に、挨拶もそこそこに会社の歴史を話始めたら困惑した表情を浮かべて「朝刊で連載中の、道東100年の老舗は10回で終了の予定ですし、私は担当ではありません」と言う。

「今回の取材は、以前に十勝毎日新聞に載った『トランプの壁』のマジック博物館のことを聞きたくて・・・」と言う。

私はタイミング的にピッタリだったので「道東100年の老舗」の取材だと、勝手に思い込んでいたのであった。

「10回で終わりですか、それは残念」と最初は思ったのだが、気を取り直して、そこからマジックの話を1時間したのであった。

最初は6階の「マジック図書館」で話をしていたが、トランプの壁の実物を見たいというので、3階に降りて準備中の「マジック博物館」を見せながら取材を受け、トランプの壁の前で写真も撮ってもらった。

「(博物館は)まだ完成していないから記事にはしずらいです、いつの掲載になるかわかりませんが、でも必ず紹介します」と言う。

ついでに4月中旬に出版する予定の本の宣伝もしておいた。

この本には、北海道新聞社の「朝の食卓」と言うエッセーのコーナーに4年間37編掲載された私の文章を全部載せる予定だと説明したら、出版が近づいたら記事にしますからと言ってくれたのであった。

今日の取材は、事前に想像していたものとは異なったので、何だか、嬉しいやら、少々、残念やら複雑な心境であった。

しかし、思い込みというは恐ろしいものだなぁ〜。


■2015-01-27-Tuesday 妙な天気

朝起きて窓の外を見ると

薄っすらと雪が積もっている。2mm程度の降雪であろうか。

気温も徐々に上がってきてプラスになり掛けているのだろう。雪からみぞれ混じりに変わり始めた。

会社に行く頃には雨になっていて、路面は融けた雪の水でグチャグチャになっている。1月下旬の、本来なら一番寒いはずのこの時期に雨か、雨はすぐに止んだが・・・。

近年は、冬に雨が降ることが増えてきているようだ。このところ毎年のように真冬に雨が降る。

しかし、そのまま春になる訳ではないから、すぐ翌日には、また気温が氷点下に下がり、融けた雪がガチガチに凍ってしまう。

こうなると始末が悪い。路面がスケートリンクさながらに平らになってツルツルになる。私でも歩くのが恐いくらいである。更に、この平らでツルツルの氷の上に、サラサラの粉雪でも降ろうものなら、危険この上ない。

摩擦がなくなるから、自動車でさえも横滑りしていく。

交差点で車がカーブを曲がり切れずに電柱に衝突したり、反対車線に飛び出したりしてしまう事が多い。

停車もブレーキは効かない。最近の車にはアンチロッキングブレーキシステム(ABS)という装置が装着されており、ポンピングブレーキを自動車が勝手にやってくれるのだが、これも、路面がこの状態ならまるで効き目がないのだ。スゥ〜ッと止まらずに滑っていくので信号が変わったからといってすぐに交差点に入ると、止まれなかった車が進入してきて衝突という事態がよく起こるのである。

爆弾低気圧で猛吹雪になったり、地吹雪で吹き溜まりができたりするのも危険であるが、注意するから事故は少ないように思う。逆に、こう云う状況の方が、ナメテかかるから余計にアブナイのである。

車と云えば、先週のことであったが、会社の帰りに8丁目線を広小路から郵便局方面に抜けて、西3条通り(片側3車線)で左折したら、中央分離帯の向こう側で私の車と並走している古いジープ型の車があったのだ。「エッ、あの車は何!」と妻が声を上げるまで、私は気が付かなかったのだが、旧ヨーカドーの前を北から南に反対車線を逆走しているのである。

恐らく、8丁目線を西から東に向かって走行していて、西3条通りを右折しようとした時に、道路幅が3車線もあって広いものだから勘違いを起こして手前で曲がってしまったのであろう。

運転手は道銀の前の交差点でようやく気が付いたらしく本来の車線に無理矢理に戻っていったが、運転手は80歳台と思しき老人男性で、助手席には奥さんと思しき80歳台の女性が乗っていてかなり慌てていた様子であった。まだ道路が混んでいなかったから正面衝突はしなかったものの、逆走を目の前で見て驚いたのであった。

これからは、路面凍結以外にも、逆走の危険も考えながら運転しなければならないのかもしれない。


■2015-01-28-Wednesday JCOB新年総会

28日の18:30から

市内の北海道ホテルで、帯広青年会議所OB会の新年総会が開催された。

今日の総会で、2014年度の事業報告・決算報告が承認されれば、これにて私の2014年度OB会長としての全仕事が完了し、はれてお役御免になれるというわけだ。

会場に行ってみると、会長輩出年である昭和33年生まれは、いつもよりも多い8名の参加者であった。やはり有終の美を飾らなけらばならないとの責任感があるのだろう。

総会では、37年生まれの幹事長が全部報告をやってくれるので、会長の私の出番はないが、会計監査役の2名は、監査報告をしないと役目が終了しないから、最後のお勤めで出席しなければならないのである。

2名いる監査役も1名は監査報告を読み上げるのだが、もう1名は自分の名前を言うだけである。たった一言それだけのために出席しなければならないのだが、お役目だからまぁ仕方がない。

後は酒を飲むだけであると思っていたら・・・。

いつもは、シャンシャンと3分程度で終了するはずの総会が・・・。

この後の「規約改正」でかなり長引いたのであった。

議長を務めている新会長も、まさか、あんな質問というか意見というか(私からみれば、本論とは異なる、かなり余計な質問であったが・・・)が出されるとは想像していなかったのだろう。

議長が慌てて答弁したが為に却って混乱をきたしてしまったようだ。

議長が「今の質問は今回提出の議案とは無関係だから、今の質問内容は後日、別の機会に考える」とでも言って流しておけば良かったのに・・・。それも、議長が答えずに、幹事長に振って答えさせれば良かったのに・・・。

新役員がやりたかった規約改正とは無縁の70歳以上の会員の扱いで混乱をおこしてしまったのだった。

会議の進行が滞って、総会が長引いてしまい宴会が短くなった。

去年、規約改正をやらずに良かったなぁ〜と33年会のテーブルでひそひそと話したのであった。規約は1箇所直すと、他の箇所に矛盾が生じたり、疑問が出てくる場合もあるから慎重にシミュレーションしなければならないのだが、OB会は親睦団体なのだから、目くじらたてるほどのことでもないと思うのだが・・・。

新年会では、米寿、喜寿、還暦の会員に記念品が贈られる。今年の米寿のお祝いには、父と同期だった昭和2年生まれの会員が2名が出席していたのでテーブルに行って「父が生きていたら、今年が米寿だったんですね。お二人ともお元気そうでなによりです・・・」と挨拶してきた。

父の同期は7名居たのだが、既に4名は鬼籍に入っている。

宴会終了後に、新幹事の連中に混じって33年会も一緒に、繁華街に飲みに出た。現役時代は毎晩の様に飲み歩いていたが、JCを卒業してから17年も経つと、さすがに酒を飲む機会が減る。会長職が終わったから今年は更に減るだろうなぁ〜。


■2015-01-29-Thursday 誕生日

今日は私の57回目の誕生日である。

妻が何も言わないので、「今日は俺の誕生日だ」と言ったら「フ〜ン、それで? 祝って欲しいの? アナタが私の誕生日に何か祝ってくれた?」と返された。

結婚してから今年で30年目にもなるというのに・・・。逆に30年も経ったからなのだろうか・・・。

昼食に、いつもの蕎麦屋に行って、いつもの蕎麦を頼んだら「そうだ!この蕎麦代をアナタへの誕生祝いにしてあげる」と唐突に言う。ずいぶんと安上がりな誕生祝いであることよ。

蕎麦屋に居る時に、次女と息子からお祝いのLINEが妻の携帯に入った。「何故に直接、私の携帯メールに入れないのだろう?」と言ったら、妻が冷たく「貴方のメールアドレス知らないんじゃないの?」と言う。そんなものかなぁ〜。そういえば子どもとメールでやり取りしたことはないなぁ〜。

長女からはメールすら来ない。きっと忘れているのだろう。父親の存在ってこんなもんなのか。

前日に、印刷会社から、4月中旬に出版する予定の本の第一稿が上がってきた。これまで私が新聞に寄稿した部分である。

校正をやっていると、面白いことに気が付いた。

新聞社によって、アラビア数字と漢数字の使い方が異なるのである。

出版にあたって、事前に、新聞各社とは著作権の事で確認を取ってあるが、これまた新聞社によって対応が異なるのだ。一番、厳しい読売新聞社は、新聞に掲載された文章をそのまま一字一句変更してはいけないし、必ず何月何日に掲載した文章であるか明記しなければならないのである。

読売新聞の年の表示はアラビア数字であるが、北海道新聞は漢数字である。だが、印刷会社ではアラビア数字に統一して校正してきた。

これを、新聞に掲載された通りに戻さなければならないのである。

また、漢字のルビも横にふってある場合と、下に( )で書く場合との2種類がある。

私は「十勝環境ラボラトリー(TKL)」が、十勝毎日新聞に連載していた「十勝の場所の意志に学ぶ」というコーナーで、「国際環境大学公開講座」に来ていただいた講師の方の文章の校正をやっていたから、かなり校正には慣れているのだが、それやこれやで、結構、校正には時間が掛かったのであった。

自分が過去に書いた文章を、もう一度読み直す作業は結構面白いものだった。めったに改めて読むことなどないからだ。ア〜ッあの頃はこんなことを考えていたんだなぁ〜とか、そういえば、こんな事があったんだなぁ〜と思い出す。

字が小さくて、読んでいる内に目が段々とつらくなってきた。特に、掲載日を表示する字のポイントが小さ過ぎて、老眼が始まった目にはツライのだ。

今回出版する本は、私よりも年代が上の人が読む方が多いであろうから、字のポイントを上げて、大きくしてもらわなければならないだろう。

そんな作業をしている私を見て妻が「本当に出版するの?モッタイナイ、そんなお金があったら他のことに使えば良いのに・・・」と言う。

普段からほとんど本を読まない妻は、本の有難味を理解していないのだろうなぁ〜。

夜は「マジック教室」である。

夕食を食べに妻と回転寿司屋に行った「これもアナタの誕生日祝いにしてあげる」と言う。値段は二人で3千円弱であった。

「マジック教室」では生徒は皆が老人である。今日は2名しか来ていない。つい先日、生徒さんの1名が78歳で亡くなったという。私は新聞のお悔やみ欄を見落としていたようである。

ウ〜ン、今年は随分と知人が相次いで亡くなる年だなぁ〜。

何だか、あまり嬉しくない57回目の誕生日であった。


■2015-01-30-Friday ブログ

昨日の私のブログを読んだ妻が

「何!あのブログ!あれじゃまるで私の性格が悪いみたいじゃないの」と言うから「じゃぁ自分の性格が良いとでも思っているのか?」と聞いたら「ウ〜ン良いとは思っていないけど・・・」と納得したような、しないような。

どうやら、妻は他人から、自分は良い人に思われていると思い込んでいるようだ。

心理学では、人間は、自分への評価を高目に見積もる傾向があり、逆に他人への評価は低目に見積もるのだそうだ。いわゆる「自惚れ(うぬぼれ)」というやつである。

それと、私もよくやる「思い込み」というものだ。

人間は一旦思い込んでしまうと、それを修正することが難しいのである。

私が母にぞんざいな言葉を使って話すと、妻は「お母さんに何て口の利き方をするのよ!」とたしなめるが、妻だって自分の親には結構ぞんざいな口調で話している。人の振り見て我が振り直せで、他人の欠点は見え易いが自分の欠点にはなかなか気が付かないし、人間は「不都合な真実」からは目を背ける傾向があるようである。

土曜日、日曜日とスケジュールが入っていないので、じっくり本を読もうと本屋に行って物色してきた。

文庫本を3冊買い込んだ。私は読むスピードが速いので、2日間なら文庫本3〜4冊は楽勝である。

買ったのは歴史モノの小説である。古代の歴史の謎を小説仕立てにして解き明かすというジャンルであるが、これが好きなのである。

以前は高田崇史氏の小説を夢中になって読んだが、ほとんど読みつくしてしまったので、最近は小説ではないが関裕二氏の本を読むことが多かったのである。でも、タマに異なる作家のモノも読んで新説に触れたいなぁと思って探したら、加治将一氏の「舞い降りた天皇(すめらぎ)」が目に止まった。

パラパラとめくってみると・・・。加治氏の本はまだ読んだことがなかったし、なかなか面白そうである。この上・下2巻と「失われたミカドの秘紋」の3冊を買った。土日にじっくり読んでみよう。


■2015-01-31-Saturday 検閲

昨日に引き続き、妻が私のブログを読んで文句を言う。

「ほとんど本を読まないじゃぁないでしょ! 本を読む暇がないの!」と。「寝る前に読む時間くらいあるだろう?」と言うと「アナタみたいに暇じゃぁないの!昼間の仕事で疲れてベッドに入ったらバタンキューなのっ!」と・・・。

「それから、私のことをブログに書くときはアップする前に検閲するからね!ちゃんと見せなさいよ!・・・」

これ以上の会話を続けると、逆襲されるので、後は沈黙。

我が家には特高が居て文書検閲があるようだ。

今日一日で3冊の本を読んだ。昨日のブログに書いた加治将一の「舞い降りた天皇(すめろぎ)」(上)(下)と「失われたミカドの秘紋」の3冊である。

先の2冊は古代日本の初代天皇の正体を考察する小説である。「魏志倭人伝」の行程の解釈の仕方には「ほ〜う、なるほどねぇ〜」と感心したし、全体的には面白かったのだが、結論への導き方はやや強引なように感じた。まぁ、学術書ではなく小説という体裁をとっているから、どんな突飛な事を書いてもOKなのだろうが・・・。

ただ、「怨霊の祟り」に対する考え方には賛成だ。日本人の歴史学者は「怨霊の祟り」をバカバカしいと軽視して考えているようだが、昔の人間は、疫病の原因がウィルスのせいだなんてことは分からないのだから、「怨霊の祟り」であると心底信じていただろうことは確実である。

何故に「怨霊が祟る」のかと云えば、それは陰謀に依って殺した罪なき人間に対する恐怖心以外の何物でもない。

飛鳥時代からは、豪族以外にも、皇族も、果ては天皇までもが暗殺された形跡がある。

冤罪で殺した人間の祟りが怖くて都を捨てたことだってあるだろう。それほどの恐怖心があったということだ。

「祟りが怖い」ということは、自分が悪い事をしたという自覚があるからであって、悪い事をしていなければ怖がる必要もないはずだ。

藤原氏が何を考えて、何を行なってきたのか、特に藤原不比等がキーマンであることは同感であるが、

しかし、結論はかなり私の考えとは異なっていたのであった。

後の一冊は、ちょっと結論が強引過ぎるのではないかと思う。

昔から「日ユ同祖論」(日本人の先祖は古代ユダヤ人という説)があるのは知っているが、私はこの説には大きな誤りがあると思っている。

それは宗教の問題だ。

一神教で、唯一神ヤハウェとの契約を絶対視するユダヤ人が、多神教で何でもありの宗教観の日本人と同根のはずは絶対にアリエナイ。