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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-02-01-Monday ヒッチコック

NHKBSプレミアムで映画「ヒッチコック」を観た。

ヒッチコック監督の映画の大ファンであり、彼の伝記から映画術の本、彼の主だった監督作品はLDやVHDやDVDで全て持っている身としては、2012年の公開時に観たかった映画であったが、残念ながら帯広の映画館では上映がされなくて観ることが出来なかったのである。

幼少の頃に、映画好きの親父に連れられて、字幕の漢字も読めずに、内容も良く分からないのに観た映画が多い。

後年、テレビの映画番組で見て、あれっ、この映画はどこかで観た記憶があるぞと感じたことが多々あった。

ヒッチコックの映画もそうであった。

子供の頃には、テレビで「ヒッチコック劇場」と云う番組があって、冒頭にヒッチコックが出て来て導入の話をするのだが、熊倉一雄の声と風体が妙にマッチしていて面白かった。

私のスリルとサスペンスへの愛着はヒッチコックによって醸成されたといっても過言ではない。

朝、新聞を見ていてテレビ欄に、この「ヒッチコック」の紹介記事が載っていたのを見て、何としても観たいと思ったのである。

局がNHKと云うのも良い。映画の途中でCMが入るのは興醒めであるからだ。

主演のヒッチコック役は名優の誉れ高いアンソニー・ホプキンスである。奥さまのアロマ役は、これまた実力派のヘレン・ミレン。ジャネット・リー役はスカーレット・ヨハンソンと云う魅力的な配役で、映画「サイコ」の裏話を軸に展開する映画である。

実に面白かった。

ヒッチコック役のアンソニー・ホプキンスは名優と云うよりも、怪優である。あの独特の体躯をしたヒッチコックに、体型まで実に良く似せていて違和感がまったくなかった。

CMの無いNHKにこそ、こう云う良い映画をもっともっと観せてもらいたいものだ。

私も、天才ヒッチコックに段々と近づいていると自負している、その体型だけだけどね・・・。


■2016-02-02-Tuesday オカルト

私のブログの愛読者の方から

先日の「フィギュア」に関連して「オカルトにも興味があるのか?その方面の資料は持っているのか?」と云う質問をもらったので答える。

まずは私の「オカルト」に対するスタンスから答えねば、誤解をされてしまう危険性があるだろう。

一口に「オカルト」と云っても幅がある。神秘主義から心霊、魔法、超能力などのことを言うだけなのかと思っていたら、予言、宇宙人、UMA(未確認生物)から古代文明まで、現在では範疇がやたらと拡がっているようだ。

私の興味は、もちろん小学6年生の時から始めた「マジック」から入っている。

この「MAGIC(マジック)」には手品・奇術・魔術・魔法などの訳語があるので、魔法使いや魔女などに関心が向かうのはごく自然のことである。

高校1年生だった1973年に五島勉が書いた「ノストラダムスの大予言」が驚異的な大ベストセラーになり、日本中が「1999年7の月に世界が滅亡する」というノストラダムスの予言の話題で持ち切りになり一大ブームが起こった。

まぁ、ノストラダムスの予言と云うのは解釈する人によって、てんでバラバラの異なった解釈があって、この1999年に世界が滅亡すると云うのは五島勉の解釈の仕方であり、とんだ間違いであったが、これに影響された人は多く、かのオウム真理教もそのひとつであるが・・・。

その翌年の1974年に、かの自称超能力者ユリ・ゲラーが来日する。

超能力でスプーンを曲げたり、壊れた時計を直すなどのパフォーマンスをテレビでやって、すごい視聴率を稼いだ。

この番組のプロデューサーは、後に、UFO研究家として名を馳せる矢追純一である。

この当時のテレビ局は、現在の様な規制がない時代だったのだろうなぁ〜、フィクションとノンフィクションの境目が無い時代でもあったから視聴者の方でもどこまでが真実でどこまでがヤラセなのかは判別がつかなかったと思う。

後に、マジック界では、ユリ・ゲラーはイスラエルで売れないマジシャンだったことが判明するし、Mr.マリックがユリ・ゲラーよりも上手く完璧にスプーンを曲げて見せて、ユリ・ゲラーが方法を教えて欲しいと言ったとかいう話まで伝わってきた。

マリックも当初は「超魔術」などと云って、マジックなのか超能力なのか判然としない状況で演じた為に、マジック界からスポイルされることになり、後に「あれは、マジックでした」とカミングアウトすることで、現在の地位に戻ってきたが・・・。

この「ノストラダムスの大予言」と「ユリ・ゲラーのスプーン曲げ」は私にとっても大きなショックであり、「世の中には現代科学ではまだまだ解き明かせない事がある」と云う考えになっていく。

しかし、かといって無条件で超能力や霊能力を肯定したわけではない。

マジックのトリックを使えば、能力者と称する人間よりも上手く、また簡単に同様のことが出来るからだ。

まだ、私は目の前で、超常現象を見たことがないから、信じているわけではないのだ。常識的に現代科学では解明出来ていないこともあるだろうと思っているだけである。

しかし、「モンスター」だの「お化け」だの「妖怪」だのというのは、とても魅力的な存在である。

人間の精神的な弱さが造りだしたモノだと考えている。

人間の「脳」に関する研究というのも、まだまだ途上であろう。

だから「オカルト」に関心があるかと聞かれると、オカルトと云う言葉の範疇よりも「不思議」に関心があるのだと答えたい。

関心があるから、「不思議」に関する書籍はあらゆるジャンルで集めている。

2007年4月から「マジック図書館」を造ったが、これを見に来た人から『「月刊ムー(学研)」が少ないね!』と言われたことが癪に触って、古本屋で創刊号から全部(厳密には№8だけが欠号しているが)揃えて、いわゆる大人買いもやったほどだが・・・。

この1979年に創刊された「月刊ムー」は、いわゆる「オカルト肯定派」の雑誌で、私はあまり好きではなかったので、ユリ・ゲラー特集などの超能力モノを数冊所持していただけであったのだ。

まぁ、以来、好き嫌いなくこの方面の書籍に関しては購入しているので、現在の蔵書量はかなりのモンであろうと自負している。


■2016-02-03-Wednesday フィギュア2

先日の「フィギュア」のブログの続き。

ネット・オークションのヤフーで、商品説明を熟読せずに、載っている絵面を見ただけで入札し、落札してしまった。

今年7月中旬にグランド・オープン一般公開する予定の「マジック・ミュージアム」の展示物にしようと、マジック絡みのフィギュアを購入しているが・・・。

今回購入したのは、初音ミクと云う北海道発信のキャラクターがマジシャンの扮装をしているプラモデル2種類と、うる星やつらのラムちゃんがマジシャンの扮装をしているプラモデル1体である。

オークションの画面には、組み立て彩色した完成品の写真が載っていたから、早合点してその完成品が届くと思っていたのであるが・・・。

届いた品物は、未組立て、未彩色のキットであった。

商品説明をよく読まずに早合点した私が悪いのだから、返品などは出来ないし、かと言って、私には、プラモデルの趣味はまったく無いので、誰か、組み立て彩色をやってくれるマニアを探すしかなかった。

友人の伝手で、その道の達人が十勝に居ることを知った、プラモデルにも「城」専門だとか「船」専門だとか「飛行機」専門だとか「フィギュア」専門だとかのジャンルの好き嫌いや得手不得手があるそうである。その人物とは面識もあったので、早速、その商品を預けて、見積もりを出してもらったが・・・。

出て来た見積額は私が想像していた金額のおよそ10倍の価格であった。

私には、プラモデルの世界の知識はまったく無いが、想像するに、この達人のレベルは相当のものなのだろう。その分、プライドも高いから、自分の技術を安売りしないということではないだろうか?

プロの世界では当然のことで、むしろ矜持を感じて清々しい。

でも、私は、誤って購入してしまったモノなので、このフィギュアの完成にそれほどの金額を掛けるつもりはないから、残念ながらこの達人に依頼することは諦めたのだった。

誰か、近所で、安価で組み立て彩色を請け負ってくれる趣味人は居ないだろうかなぁ〜?


■2016-02-04-Thursday 愛読者からの

このブログの愛読者が全国各地に居る。

最近、その愛読者の方々から、トランプ、マジックのパンフレットや本、資料、マジックの小道具類等などが次々と送られて来るようになった。

とても嬉しいことである。

今年7月中旬にグランド・オープンさせる「マジック・ミュージアム」の展示に役立ててほしいという方々からの寄贈である。

マジシャンと云う人種には、道具は沢山持っていたいと云う人が多い。だから、たとえ自分に向いていない道具や使わない道具であっても、なかなか他人に分け与えるということはしないものなのだ。

自分の部屋に棚でも作って、並べて置いたり、眺めて楽しむ人が多いのである。

何度もこのブログに書いているが、そう云ったマジックの愛好家が高齢で亡くなられて、しかも、遺族にマジックを趣味とする家族が居ない場合には、愛用の道具類などは場所をとるガラクタにしかならない。

ほとんどのマジックの道具類の値段は、「種」の値段が高いのであり、道具の材料自体はチャチなモノが多いのである。

花瓶だと思ったら、底が抜けていたり、横に穴が空いていたりするから他のモノに転用することも難しい。

中には「仕掛け」に凝った道具や材料に凝ったモノもあるが、こう云う道具類は逆に素人には使いコナセナイものが多い。

マジシャンにとっては貴重品でも、マジックに興味の無い人にとっては邪魔なガラクタでしかない。

リサイクルショップでも、説明書が無かったらマジックの演じ方が分からないだろうから売ることも出来ないだろう。

だから、マジック道具はほとんど引き取らないのではないか。

結局、遺族も処分方法に困って遺品整理の時にゴミとして捨ててしまったりする。

こうして貴重なモノがドンドンと失われていく。

私や師匠の故ジミー(聖)忍師が、「マジック・ミュージアム」を造ろうと考えたのは、そうした失われてしまう「マジックの文化」を後世に残したいと思ったからだ。

その趣旨に賛同してくれたマジシャンやマジシャンの遺族の方々が寄贈を申し出てくれるようになってきた。

捨ててしまったり、押し入れに眠らせているだけなら、この「マジック・ミュージアム」に展示して、活躍させてあげたいと願っている。

マジック関係の品物の寄贈はいつでも引き受けるので、いつでも送って欲しい。


■2016-02-05-Friday 酉戌会

十勝酉戌会の懇親会が市内のホテルで開催された。

昭和32年の酉年生まれと昭和33年の戌年生まれの会である。

男の本厄(40歳)の厄払いを機会に始まった会であるから、2月3日の節分を境にして分けるのが古くからの習いである。

昭和32(1957)年2月4日〜昭和33(1958)年2月3日生まれまでの男性が本来の会員資格であろうが、そうなると4月1日を境に分けている学年とは違いが出て来る。

また、厄払いには、1学年先輩でも2月4日以降生まれの人も居る。

男性ばかりでは華がないから、女性も入れようということで、現在では会員の幅が性別を問わず、昭和32年2月4日生まれからの酉年か昭和33年4月1日生まれまでの戌年に広がっている。

同じ年齢とは云っても、十勝の面積は東京都+千葉県+神奈川県よりも広いのである。出身市町村も違うし、出身学校も違うから、いまだに顔と名前が一致しない人も多い。

私は、昔から人と顔と名前を覚えるのが苦手であるが、それでも十数年も出席していると、さすがに段々と分かってきた。

来年はいよいよ「還暦」の厄払いを神社でやるという。

もうそんな年齢になったと云うことか。

一次会でビール2杯と芋焼酎を自分で作って5杯飲んだらかなり酔ってしまったようだ。50mほど離れた二次会の会場に徒歩で向かう途中で、頭が痛くなってきた。きっと暖かい開場から急に寒い外に出たから血管が収縮したのかもしれない。

これで、二次会で騒いだりしたら醜態を見せることになるかもしれないので、タクシーに乗って帰宅したのであった。

すっかり酒にも弱くなってしまったようである。


■2016-02-06-Saturday カジノテーブル

会社の倉庫に眠っているテーブルがあった。

一方がアール(曲線)になっていて、その反対側が直線の形をした天盤のテーブル、分かり易く書くと板付かまぼこを薄く切って水平に置いた形の天盤である。

使っていないテーブルであるから、このまま倉庫に眠らせて置くのはモッタイナイ。

カジノ(西洋賭博場)のブラックジャックというゲームに使うテーブルの形に似ている。家具屋さんに、このテーブルをベースにして「テーブルマジック」専用に改良出来ないかを相談してみたら・・・。

天盤に緑色の毛氈を貼り、テーブルの淵にレザーで肘掛けを付けるとソックリになる。

ネットでカジノテーブルの画像を探し出してプリントし、家具屋さんとイメージを打ち合わせて一致したので、改良をお願いしたのだ。「マジック・ミュージアム」用だと説明したら、材料費分だけで作ってあげると嬉しいことを云ってくれる。

5日に出来あがってきたが、実に恰好が良い。普段は文句ばかり言っている妻も、このテーブルを見て「カッコイイじゃない!」と言ったから素人目にも良く映るのだろう。

これで、カードマジックを演じたら、本格的なマジックに見えるだろう。マジックには見栄えが大切なのである。

マジック・ミュージアムは7月中旬のグランド・オープンに向けて着々と進行している。


■2016-02-07-Sunday 想像力と創造力

出来あがってきたばかりのマジックテーブルに

マジック用の仕掛けを付け加えようと考えた。

何か良い品物がないかを、稲田にあるパワーセンターに行って探して来た。

パワーセンターとは、複数のカテゴリーキラー(CK)のショップが集合したショッピンセンターのことで、カテゴリーキラーというのは、電化製品、スポーツ用品など特定の分野に特化して大量に安く商品を売るロードサイド店のことである。

帯広の郊外の稲田にあるパワーセンターには、それぞれ巨大な売り場を持ったDIYのホーマック、家具のニトリ、百円ショップのダイソーの3軒が並んでいる。その他に、ユニクロ、靴、電器屋、薬屋が並んでいる。

私が大学生の時、マジックのタネを考える時には、良く渋谷にオープンしたばかりの「東急ハンズ」に通ったものだった。

オープンしたての頃は、あまり流行っていない店であった。地下の木製品売り場には、木材加工をする職人みたいな役割の定年退職をした様な年齢のおじさんが暇そうにしていた。このおじさんは口で説明しただけでマジックの道具をパッパと作ってくれたものだった。

この東急ハンズに並んでいる商品を上から下の階までジックリと眺めて歩くのが好きだった。見て歩くだけで、マジックのアイデアがよく閃いたものである。この東急ハンズという店は創造力と想像力を増進させる店であった。

現在、北海道では札幌にはあるのだが、この店の品揃えは少な過ぎてサッパリ面白くない。そして残念ながら、帯広には東急ハンズは無い。

稲田のホーマックに行くと、材料は多いのだが、心が全然トキメカナイ。想像力も湧いてこないのだ。

3時間ほどホーマックの店内を一人でうろついたが、イマイチ、イメージが出て来なかった。

翌7日に、再び、買い物のついでに、今度は妻と二人でダイソーとニトリの店内を回ったが、同じ様にイメージが湧いてこない。1時間半ほどウロウロしたが、飽きた妻が早く帰ろうと云うので、仕方なく戻ったのだった。

やはり、材料が大量に並んでいるだけでは不足である。

帯広にも創造力と想像力を高めてくれるような店が欲しいなぁ〜。


■2016-02-08-Monday 収集癖

私の収集癖は・・・、

どうやらDNAの為せる技であるようだ。

夕食時に母と、祖母ハナの話になった。祖母のは収集癖と云うよりも「捨てられない」性格であった。

明治生まれの人の特徴のひとつでもあろうが、モッタイナイと云う意識が強烈であったと思う。

我が家は昭和42年の火事で、会社兼住宅を全焼するまで、大正14年から帯広の街のド真ん中である西2条南9丁目で生活をしていた。

駅に近いこともあったし、商売をやっていたから、問屋などの出入りが多い家でもあった。

東京方面からの来客が土産に持ってくるのは、日持ちのするコロンバンの缶入りクッキーが多かったが・・・。

祖母は、缶は勿論のこと保存して小物入れなどに活用していたし、紐はハサミで切らずに結び目をほどいてから保存し、包装紙も破れないように丁寧にはがして畳んで保存し、切ってメモ書きにしたりしていた。缶の口の周りにビニールテープで封をしているが、そのビニールテープすら保存していた(糊が劣化してベタベタになって使用できないが・・・)。

家中が倉庫のようで、モノで溢れていた。

ハナの兄である有田重太郎は「紙」類の収集で有名であった。有田紙店という店をやっていたから「紙」に思い入れがあったのだろう。「紙」であれば「切手」「ハガキ」「箸袋」「タバコの包装紙」に至るまでありとあらゆる紙を集めていたから、有田家には収集癖の血があるのかもしれない。

祖父の勝は、母が父と結婚する前に亡くなっていたから面識はなかったが、かつて聞いた父の話では、モッタイナイ病 + 新しモノ好きと云う側面があったという。

その祖父と祖母から生まれた父は、双方のDNAが凝縮されて、捨てられない人であったし、祖父に輪をかけた新しモノ好きであった。

テレビは私が生まれた直後(昭和33年)からあったと云うし、ダンスホールをやっていたから、テープレコーダーやらステレオ等もあった。

もし火事にならなければ我が家にあった品物だけで「百年記念館」が作れたくらいではなかろうか。

その父の血を引く私は、そのDNAが更に凝縮されているようだ。私は4人兄弟であるが、他の3人には収集癖と云えるようなものはほとんどない。極普通の所有欲程度のものである。他の3人の兄弟の分まで私に凝縮されてしまったようである。

小学2年生から始めた「切手」「コイン」収集に始まり、「レコード」「レーザーディスク」「洋酒」「ディズニーキャラクター」「マリリン・モンローグッズ」等など・・・。

「女性」を集めないだけまだマシだ。と言われるくらい何でも集める癖がある。

「切手」は中学3年生の時に、これ以上集めるのは努力ではなく金しかないと思って止めた。

「コイン」は海外旅行する度に現地のコインを一通り集めていたし、マジックに使用する為に大きめの銀貨を集めていたが、これも今ではほとんど止めてしまった。

「レコード」と「レーザーディスク」は時代遅れになったし、「洋酒」も昔は海外旅行の度に税金の掛からない3本ずつを購入していたが、日本で安く買えるようになったのでこれも止めてしまった。

「ディズニーキャラクター」は子供が小さかった頃にはかなり集めたが、子供らが大人になったので止めた。

いまだに続いているのは「マリリン・モンロー・グッズ」の収集くらいである。

集める時には、ガァ〜ッと集中してやるが、飽きるとキッパリと止めてしまうのである。

7月中旬のオープンを目指して、現在「マジック・ミュージアム」を整備中であるが、これは私のコレクションだけで構成しているものではない。

「マジック・ミュージアム」が一段落したら、今度は「坂本コレクション」と云う博物館でも作ろうかなぁ〜。


■2016-02-09-Tuesday 連鎖

同じ様な事故が続くなぁ〜。

大型バスの事故もまだ続いているようで、先日も道東道のトマム付近で大型バスから煙が出た。大きな事故にはならなかったようだが・・・。

JR北海道は新幹線の訓練走行で青函トンネル内で停電した。訓練とは言いながらも、本当に本番でも大丈夫なんだろうか?と心配である。

原因は、手動の電気の切り替えを忘れた為だと云う。

ドイツでも列車の正面衝突事故が起きた。こちらも人為的ミスだと云う。洋の東西を問わず、普段から、あまりにもコンピュータの自動制御に頼り過ぎているから、いざという時の手動での対応が稚拙化しているのではないだろうか?

JR北海道の人為的ミスは「わざとやっているんじゃないのか?」、昔の国鉄時代から、相容れない組織が複数あって、民営化の際から現在までまだ続いていると云う。JR北海道のお偉方が複数人自殺しているが、その遠因に、対立する組織の調整が出来ずに、JR北海道をひとつにまとめる事が困難であると云うことがずっと言われてきた。

今回の人為的ミスも、どうせ訓練だからとワザとミスして、JR北海道への信頼を揺るがすことを目論んだように感じてしまう。うがちすぎかな?

最近のニュースを見ていると、不倫だのDVだの覚醒剤だのが同じ様に連鎖して起きている。

こう云った事件は、要は自制心の無さが原因であろう。己の欲望に忠実なだけのワガママ人間である。

別段、芸能人が不倫したところでどうってこともないが、育休を取るとか言って騒がせている議員が、嫁さん議員の出産時に不倫するのは、ハッキリ言ってアホであろう。選挙で選ばれた国会議員が議員の仕事よりも、個人の育休を優先するのは無いと思うがなぁ〜。更に税金使って不倫ってか・・・。

国会議員の不倫も続くなぁ〜。特に二階派は。

スタースポーツ選手が覚醒剤で捕まるのも、自制心の無さであるが、清原の場合はさもありなんで別段驚きもしなかったが、これから芋蔓方式でスポーツ選手やら芸能人が大勢検挙されるであろうなぁ。

友達は選ばなければ・・・。

それにツラレテ地震や火山噴火も連鎖しないことを祈ろう。


■2016-02-10-Wednesday 逮捕

7日夜に札幌市の住宅街で起こった殺人事件の

犯人(容疑者)が美幌町で逮捕された。

離婚した元妻の母親をバットで撲殺し、元妻にも怪我を負わせて、1歳の息子を連れ出し、自身の実家のある美幌町に戻り、実の母親に息子を預けて行方をくらました。

「警察に捕まるくらいなら死ぬ」と言い残しての逃走である。自暴自棄になって何をするか分からない。

札幌から美幌まで、自分の車を運転して移動したと云うから、十勝に逃げ込んでいる可能性も考えられた。

美幌の山中に隠れているところを、今日の13時半頃に通報があって16時に身柄を確保したと云う。

まぁ、一安心というところであるが・・・。

殺意は否定していて、話し合いをする為に行った。記憶がないとも言っているらしい。

「記憶がない」が、犯罪者の流行り文句のようになっているらしい。話し合いに行ったと云うが、話し合いにバットは不必要だろうに・・・。

テレビのニュースでは清原の覚醒剤での逮捕が連日のように流れている。巨人時代から覚醒剤を打っていたらしいというから、もう完全な重度の中毒患者であろう。

坊主頭にしたのは、髪の毛から覚醒剤反応を抽出されない配慮であったとも言うから、そういうことには気を遣っていたのだろう。

そもそも、そんなことをする前に止めれば良いのに・・・。

だが、専門家の解説によると、一度やったら止められないのだそうだ。

巨人時代にだって医者の健診は受けていただろうに、医者が止められなかったのかねぇ〜。

医者の守秘義務とかで、患者のプライバシー云々だとか解説していたが、覚醒剤は犯罪だろう。それをプライバシーと呼ぶのかねぇ〜。

結局、そのプライバシーとやらで告発しないから、廃人同様になるまで逮捕もされない。もしも清原が、幻覚から殺人でも犯していたら、逆にもっと問題が大きくなるだろうに・・・。

医者の方針も、警察の方針もよく理解できない行為であるなぁ。


■2016-02-11-Thursday 経済

日銀がマイナス金利を導入したが・・・。

思惑が見事に外れて逆の方向に行っているようで、株価は下がり、円高に振れている。

事ほど左様に、お上の金融政策通りには、経済は動かない。

100年前の理論が、これだけ複雑化した現代社会にそう簡単に通用する時代ではなくなったということだろう。

世界の10%の人数が富の70%を占めるという時代である。日本の日銀の思惑なんて、逆手に利用して儲けるだけであろう。

これだけ富の偏在が激し過ぎると、世の中は上手く回らない。富む者の滴が垂れて経済が潤うなんて云うトリクルダウンは真っ赤な大嘘である。

日本の昭和40年代の頃の「一億総中流」社会で、皆が「今日よりも明日の方が良くなる」と云う明るい未来を信じられる時代が一番経済が回るのだ。

今日の様に「今日よりも明日はもっと悪くなるかもしれない」と云う不安感に溢れた雰囲気の中で、お金を使おうなんていうのは、能天気かチャレンジャーしかいないだろう。

日本の政府は、これだけ円安にして輸出関連企業を潤わせてあげても、一向に社員の給料は上げようとはしない。ごく普通の経営者ならば「不安」なのだから内部留保に回すのが当然であろう。

それを理解していない安倍や麻生は企業の姿勢を怒ってみせるが・・・。いくら金融政策をやっても徒労に終わるだけである。世界の10%のお金持ちに益々お金を集めさせてやっているだけだということに気が付いていないようだ。

経済用語に「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」と云うのがある。度々このブログでも取り上げているが、ミクロの単位で正しいと思われる行為が集合してマクロの単位になると誤った結果になるとでも言うような意味である。

個々の普通の経営者が内部留保を積み上げる行為はごくまともな感覚で、さらに日本国内に投資をしない状態が集合すれば、日本の景気はいつまで経っても良くはならない。

政府がやらなければならないことは、金融政策ではなく。日本人の不安を払しょくすることである。

年金しかり、老後の生活しかりである。

もういい加減に気が付けよな!

本質が誤っているアベノミクスは無駄に終わるだけだろうなぁ〜。


■2016-02-12-Friday 議員辞職

身重の妻が出産という時に

浮気をして週刊文春にアバカレタ宮崎謙介衆院議員が会見を開いて議員辞職をすると発表した。

国会議員の不倫といえば、私の地元選出の女性議員も居るが、こちらは辞職どころか、蛙の面に何とやらで、そのまま人の噂も七十五日と素知らぬ顔で済まそうとしているが・・・。

この女性議員も二階派、不倫相手も二階派の議員であった。そして今回の宮崎議員も二階派だというのだから笑っちゃうねぇ〜。

二階派の研修会って云うのは一体何を勉強しているのかしらん・・・。

一方の議員は残り、もう一方は辞職する。この差は?

宮崎議員の妻は、同じ自民党の新潟選出の女性議員で、いわば職場結婚である。朝のワイドショーでは、この妻から「恥をかいて来なさい」と送り出されたと云う。つまりは妻は許したということであろう。

本当に心の底から許したのか、それとも政治家としての度量の広さを演出する為に許すことにしたのか、子供が生まれてすぐに離婚と云う事態は避けたかったのか・・・?

不倫の相手の芸能人女性は、宮崎議員が妻帯者であることは、「育休宣言」で世間を騒がせたばかりなのだから百も承知であったろう。もはや、こんな未来のないチャラ男に結婚を迫るということもないだろう。

不倫相手も、妻も、両方とも(表面上は)この情けない男を許したということなのなら、裁判云々ではなく家庭内の問題になったはずなのに・・・。

何故に、この宮崎議員は辞職をしなければならなかったのか。

これは、ひとえに「育休宣言」のせいであろう。

選挙に依って選ばれた国会議員が、自分の子供の世話をする為に「育休」を取るという。しかも育休の期間内にも税金である議員報酬は支払われることになる。

だから国会議員の育休と自分で稼ぐ普通のサラリーマンの育休とは別問題であろう。

その議論はこれからであった。

そこに、今回の不倫報道である。「雉(キジ)も鳴かずば撃たれまい」を地でいった訳だ。

育休だけですら意見が分かれるのに、育休と称して休暇を取って、税金使って浮気することは国民の誰一人として許す人は居ない。

つまり、この男は全ての国民を敵に回したのだ。

元々「育休」というのも信念があるわけではなくて、ただの目立ちたいだけの思い付きでしかなかったということがバレたわけだ。

こうなってしまうと家庭内だけの問題というわけにもいかないだろう。

自分で蒔いた種であるから自分で刈らねばならぬ。結局は「育休」ならぬ「全休」になってしまった。

自分が、今どういう立場にあるのかということすら、俯瞰的に見ることの出来ない、自制も出来ない連中が政治家になっていると云うことである。

こんな政治家しか居ない日本と云う国は実に不幸な国であることよなぁ〜。


■2016-02-13-Saturday 仙台1

去年の8月のお盆に

長女と付き合っていた青年が、一緒に我が家を訪ねて「結婚させて欲しい」と言いに来た。

長女は仙台の東北高校にフィギュア・スケートをする為に入学したが、その青年は同級生で、高1の頃から付き合い始めたと云うから、かれこれ14年間も交際していることになる。

爽やかな気持ちの良いスポーツマンの好青年であった。

すでに成人なのだから親の承諾がなくても結婚は出来るのだし、親元を離れたのとほぼ同年数の14年間も交際しているというのだからお互いの事は良く分かっているであろうから反対する理由はない。

相手の両親は隣県の福島県に暮らしており、高校生の時代から実家を訪ねたりしてずっと可愛がってもらい、親との相性も合うと云うし、親類からも可愛がられて居ると云うのだから、こんなに幸せなことはないであろう。

長女は仙台でフィギュア・スケートのコーチとして活動しているが、福島の自宅とは自動車で1時間程度の距離であると云う。

本州というのは他県に行くと言っても、北海道内の都市間よりも距離がずっと近いのだなぁ〜。

北海道人には、その距離感がなかなか実感できないのだが、十勝管内で隣町に行くらいしか距離が離れていないのだなぁ〜。

まぁ、そりゃ〜そうだろうなぁ〜、なんせ十勝だけで東京都+千葉県+神奈川県よりも面積が広いんだものなぁ〜。

昨年中に先方のご両親が帯広の我が家を訪ねて来る予定であったが、義父が亡くなったこともあって延期したのだが、「マジック・ミュージアム」のプレ・オープン式と同じ日の、昨年の12月3日に入籍をした。

妻は、長女が高校生の時代に仙台を訪れた際に、先方の両親とは面識があるが、私はまだ会ったことがない。

明日14日に婚礼衣装の写真の前撮りをするので、その際に両家の顔合わせの会をやりたいという。

我が家からは、次女と長男が、先方も兄一家が集合して初顔合わせである。

どんなご家族か会うのが楽しみである。


■2016-02-14-Sunday 仙台2

仙台に次女と長男が来て

家族が合流した。

長男は岐阜から、次女は東京からであるが、新幹線に乗って、長男は東京で乗り換え1回、次女は乗り換え無しで、陸路で来られるのは楽である。

長女が高校生時代には、帯広空港ー仙台空港の直行便が飛んでいたから仙台駅前まで2時間程度で行けたのに・・・。

現在は、帯広駅 → 南千歳駅 → 新千歳駅 → 新千歳空港 → 仙台空港 → 仙台駅と云うルートで乗り換え、乗り換えで5時間も掛かる。

長女は夕方までフィギュア・スケートのコーチの仕事があると云うので、家族全員の集合は18:30に市内の飲食店にした。

それまで若干の時間があるので、4人で青葉城址を見学に行ったが、仙台は意外と観光施設が少ないところだ。15:40に仙台駅からタクシーに乗って向かったが資料館や売店は17時で終了すると云う。

慌ただしく見学して市内に戻り、駅前を散策してから待ち合わせ場所に。

長女夫婦が合流して仙台名物の牛タン、笹かまぼこ、セリ等を堪能した。特に気に入ったのは、自分で焼いて食べる笹かまぼこ。これは実に美味いし、特に自分で焼きながら食べるのが楽しかった。

やはり、これからは食事に客側のパフォーマンス(実技)を加えるのは必須であろうなぁ。

お腹も一杯になり、二次会にカラオケに行こうと云う。

歌を歌うのは皆が好きだから異論はない。

翌日の写真撮影に支障のない範囲で止めておいたが順番に3曲ずつ唄ったのであったが、新郎の歌の上手さに驚いた。

ハイトーンで声量もある・・・。

だが、まだまだカラオケ歴40年の私には敵わないが・・・。

長女は14日も早朝からスケートのレッスンがあると云う。スケートシーズン真っ盛りであるから休めないと云う。

私達夫婦も、娘がお世話になっているリンク関係者にお土産を持って挨拶に行くことにしたが、婿さんが送迎してくれるという。嬉しいものであるなぁ〜。

このスケートリンクは、荒川静香と羽生結弦というオリンピックの男女の金メダリストが育ったリンクだ。この2人は共に東北高校の出身でもある。

娘の仕事振りを30分程見学し、他のコーチの先生方に挨拶する。娘はここでも可愛がってもらっているようで一安心した。

一旦ホテルに戻るが、写真撮影は14時からなので、準備の必要な女性陣を残して2時間ほど街中をぶらつく。私は街中を散歩するのが大好きなのである。

仙台には長女関係では3回ほど来ているが「北の屋台」関係の視察やら講演などでは7回ほども来ているから結構、仙台の街中は知っているのだ。

それでも、以前に来たのは東日本大震災前である。

かなり知らないビルが建っていた。


■2016-02-15-Monday 仙台3

宿泊しているホテルから歩いて5分ほどの

距離に写真の前撮りをするスタジオがある。

14日の仙台市内は、曇り時々晴れであるが気温が高い。5月中旬頃の15℃以上もある。歩くと生温かい空気が顔に当たり汗が出てくる。

北海道のマイナス気温からは25℃もの気温差で身体が付いていかない。

前撮りをしているスタジオに顔を出したら、娘夫婦が和装で写真撮影をしているところであった。

廊下で先方の母親に会った。妻はすでに顔見知りであるが私は初対面だ。父親も出て来て挨拶をする。顔を見てすぐに新郎の父親だと分かった。父親も180㎝超の長身で、顔も姿形も声も新郎に瓜二つなのである。DNAと云うのはすごいものである。

家族の集合写真撮影までは、まだ時間がある。新郎の兄家族には5歳と3歳の息子がいるというので、急遽、幼い子供でも理解出来るマジックとしてスプーン曲げでもみせてあげようと考えて、近くの100円ショップに買いに行く。朝の散歩で場所を覚えていたのである。

和装から洋装に着替えての写真撮影をしている時に、新郎の兄家族が合流した。お兄さんも背が高いしそのお嫁さんも落ち着いた感じの素敵な人である。先方の家族は長身揃いだ。背が高くない我が家と先方の家族が並ぶと圧倒される。

新郎も新婦も、写真撮影される機会が多いからか、カメラマンも「写されることに慣れてますねぇ〜」と驚きながらシャッターを切っていた。

両人共スタイルが良いから見栄えもなかなか良い。

写真撮影も無事に済ませ、近くの飲食店に移動して、両家顔合わせの食事会である。

お父さん、お兄さん、新郎の3人は共にバレーボールをやっていたという。どうりで背が高いはずである。

兄夫婦の2人の子供は活発で利発な子たちである。これまたDNAなのか子供達も背が大きいから実際の年齢よりも年上に見える。私のマジックを見て、すぐに真似を始めるがポイントを捉えるのが上手くて驚いた。

和気あいあいと話がはずむ。まるで初顔合わせとは思えない。気さくな家族で、良い親類が増えた。美味しい料理もたくさん出てきてお腹が一杯になったところで散会。

幼い子供が居る兄家族は戻り、近くの店に二次会に行く。ここでも飲食をするがお腹は満腹状態だ。

ご両親からの話を聞くと、娘は高校生の時代から、この家族のお世話になって親類からも可愛がられていたようで、もうすっかり打ち解けている様子である。新婚と云うよそよそしい感じはまるでない。

バレーボールをやっている体育会系の家族であるし、娘もスケートで体育会系であるから気が合うのであろうなぁ。

23時になって、店の人から閉店するので・・・と言われるまで、楽しい会話が続いた。

次は皆でカラオケに行くと云う。前日にもカラオケに行って唄っているが・・・。

駅前に戻りカラオケ店に入る。さすが体育会系の体力はスゴイ!

私達夫婦は文科系でしかも同好会系でしかないから体力では敵わない。順番に唄っていくが、先方の家族も皆、歌を唄うのが大好きだという。さすがに12時を回ったので2曲ずつ唄い終わったところでお開きにした。

今後も楽しい親類関係を築けそうである。

ホテルに戻ったが、ずっと酒を飲み続けていたし気疲れもあったのかドッと疲れが出て爆睡したのであった。


■2016-02-16-Tuesday 仙台4

長女の嫁ぎ先の家族との顔合わせも無事に終了

3人の子供の内の一人が嫁いだというのに、高校から管外の学校に出したからなのか、まだ実感が湧かない。

長女にしてみたら、我が家よりも、先方の家族との付き合いの方が長いくらいであろうから、全然心配もしていない。

結婚してもフィギュア・スケートのコーチは続けると言っているが、もう嫁に出したのだから、私は一切口出しはしないことにした。まぁ、夫婦仲良くやって欲しいと願うだけである。

娘が高校時代に大変お世話になった寮監さん夫婦に妻と挨拶に行くことにした。娘夫婦も一緒に挨拶に行くと云うので、ホテルまで迎えに来てもらって新郎の運転する車で一緒に出掛けた。次女と長男はまだ寝ている。

ホテルのチェックアウトの時間もあるから、玄関先で短めにと思ったのだが、積もる話がたくさんあって・・・。

寮には他県から来ている東北高校スポーツ部の女子生徒が暮らしていたが、我が娘がこれまでに居た生徒の中で一番面倒を掛けたという。遅刻をしそうになって寮監さんが自動車で学校まで送った回数では断トツだったという。ちなみに二番目は娘の1年後輩のゴルフ部のAであったという。面倒や心配をたくさん掛けたから、逆に印象に残っているのかもしれない。

卒業後もなにかと気に掛けてくれているのは親としてもたいへん嬉しいことである。そんな娘が高校時代から交際を続けている相手と遂に結婚したのだから「そうか!純愛を貫いたんだなぁ〜」と言って喜んでくれたが・・・。

色々な人達に面倒掛けて、お世話になって、結婚まで出来たのだから感謝しなければならないのだが、本人たちにはどこまでその自覚があるのかなぁ。話は尽きないのだが、ホテルは11時がチェックアウトタイムである。途中で切り上げてホテルに戻りチェックアウトした。

帰りの飛行機の時間まで2〜3時間ほど市内観光をしようと考えた。

妻は、長女の高校生時代に数度、仙台を訪れているが、学校と寮に行っただけで観光はしたことがないと云う。博物館も美術館も月曜は定休日で閉館している。次女と長男も誘って一緒にタクシーで伊達正宗ゆかりの瑞鳳殿を見学に行く。

昨日の生温かい空気と違って、今日はかなり寒い。瑞鳳殿は高台にあるから寒さは尚更に感じた。急な石段を昇って見学するが身体が冷えてしまったので駅に戻って昼食にすることにした。せっかく仙台に来たのだから名物の「牛タン」を食べようと地元の人に聞いた評判の良い店に入った。

確かに美味しいのだが、少し肉が硬い。十勝で食べる牛タンの方が柔らかくて美味しいと感じた。

食べ終わった頃に、朝方別れた娘から電話が入り、近くに新郎の両親と来ているからお別れの挨拶をしたいと云う。

ご両親から笹かまぼこをお土産に頂戴した。

次女と長男を新幹線改札口で見送り、私達も仙台空港まで電車で向かう。

ニュースでは、昨日は霧が発生して仙台ー新千歳間の飛行機が欠航したというから心配したが、この日は遅れもなく飛ぶと云う。一日違いで良かった。

帯広ー札幌間は特急列車が1時間に一本しかないので、飛行機との乗り継ぎがいつも上手く噛み合わないで苦労する。

鉄道と航空会社は別会社だから、片方の遅れがあっても待ってはくれない。最近はJRも時間通りには運行しないことがあるし、飛行機も冬期間は遅れや欠航もあるから、余裕を持った待ち時間にして切符を買ってあるのだ。

新千歳空港に定刻に到着したので、一本早い列車に十分に間に合うから、みどりの窓口で予定を変更して早目に帯広に戻ることにした。

家に予定よりも1時間以上も早目に帰れたのでゆっくりと休むことが出来て良かった。

実に濃厚な3日間であった。


■2016-02-17-Wednesday 働かない蟻

働き者の代名詞である蟻の中にも

2割の働かない蟻が居るという研究成果が発表された。

北海道大学の長谷川英祐准教授らのチームが16日、英科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表したと云うニュース。

確か以前にも聞いたことがあったが・・・。

蟻の集団には常に2〜3割の働かない蟻が存在することは分かっていた。この集団からその働かない蟻を取り除き。10割の働く蟻だけの集団を作っても、やがてその中の2割ほどが働かなくなると云う。その理由は謎であったそうな。

今回は、その理由を解明したと云う。どうやら、いざという時の為に温存させているらしい。10割が常に働く集団よりも、2割の働かない集団が居る方が長持ちするのだと云う。

こう云う研究成果が発表されると、すぐに人間社会に当て嵌めようとするのがマスコミであるが・・・。

社会性のある動物という括りで蟻や蜂を捉えているが、そもそも、昆虫の蟻と哺乳類の人間を同列に並べて比較してどうするというのだろう。

テレビのワイドショーでは早速、会社の中に働かない人間が居るか?そう云う人間はいざと云う時に活躍したか?なんて類のインタビューを行なっていた。面白いことは面白いが、あまり意味は無いように感じる。

人間には「智恵」がある。旧約聖書の時代からすでに7日間を1週間と定め6日は働き、1日は休息日とすると定めている。

完全週休2日制で祭日も休み、有給休暇もあるというような会社に勤めている人間が「蟻の世界でも2割が働かないのはいざと云う時の為だから、俺もいざと云う時に備えて働かないのだ。」などと言ってサボるような人がいたら、経営者にしてみればそれは給料泥棒と同じである。

蟻には「休息日」という概念がないのだから、働き通しで倒れた時の交代要員を置くというのは、ごくごく自然な摂理なのであろう。

むしろ問題は、休む暇無く働かせる「ブラック企業」の勤務状態は蟻よりも酷いと云うことの方であろう。

自然界の摂理よりも酷い労働条件で、従業員を休み無く働かせるブラック企業というのは、一時は正規労働賃金の搾取によって会社の収益が良かったとしても、決して長続きはしないということを表わしている。

今回の研究成果はそういう方向に使われるべきであろう。


■2016-02-18-Thursday 妄言

17日の参院憲法審査会で

自民党の丸山和也参院議員が「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引く。これは奴隷ですよ・・・」云々の妄言を吐いたが・・・。

メディアは、長い発言内容の中から、失言部分だけを抽出して、過大に問題発言だと報道する傾向があるから、今回の丸山発言を長めに聞いてみたが・・・、この「奴隷」云々もヒドイ発言だが、「日本をアメリカの州にする」というのは、以前に評論家の誰かが言っていたと記憶しているが、たしかに、日本はアメリカの属国の様に尻尾を振ってばかりいるが、これは、アメリカの飼い犬ポチとして属国みたいに従っていると云う表現であり、現実的な発言ではないだろう。問題提起のつもりなら、もっとまともな発言にすればよい。

そもそも、オバマの父親はケニヤ出身でアメリカに連れて来られた奴隷の子孫ではない。調べれば簡単に分かることもやらないで、聞きかじった話を、さも自分の考えであるかの様に得意気に話すから、底の浅さが露見したのであろう。

たしか、この丸山議員は、テレビの弁護士4人が解説する番組に出ていて顔と名前を売って参議員になった人である。

弁護士と云う職業は、黒を白と言いくるめるのが日常であるし、裁判では「謝る」ということは自分の非を認めることになるから、例え自分が間違っていると思っても絶対に謝らないと云うが・・・。

弁護士出身の国会議員が多いが、こう云う性格の人達が政治家になるのは如何なものであろうか?

そういえば橋下元大阪市長も弁護士であったなぁ〜。

このところの政治家の問題行動や問題発言の多さは一体何なんだろうか?

政治家と云う職業に不適切な人がなってしまっているのではないか。

でも、私は「言葉狩り」というのは好きではない。政治家は表現に気を使わなければならない職業ではあるが、度が過ぎると、本音が見えなくなってしまう。

失言の中に、彼らの「本音」が隠れているのだから、それが分かる方がまだましだ。注意するくらいならまだしも、失言をあげつらって辞職を迫ることが状態化すると、政治家が本音を話さなくなる方が恐いと思うのだが・・・。


■2016-02-19-Friday Magic Museum

以前のこのブログに

『7月中旬にグランド・オープンする「マジック・ミュージアム」は日本唯一で、世界でもフランスのパリとブロワにしかない・・・』云々と書いたが・・・。

このブログの愛読者の方、数人から「こんな博物館があるよ」とPDFの画像付きで紹介してくれたり、「Wikipedia の List of Magic Museamus と云うのを開いてご覧」と云うメールを頂いた。

メールに添付されていたPDFには、アメリカのマジック関係雑誌に「Mini Magic Museum」という個人がやっているマジック博物館の紹介記事が掲載されているものを転載して送ってくれた。

英文だから拙い英語力で読んでみると、どうやら元マジックショップの経営者で引退後に博物館を開いたようだ。でも一般公開ではなくて予約制で拝観料を取って見せているようである。

文中には 500square-foot roomとあるが、大きさの単位がmではないので正確なことは分からないが、写真を見ると、せいぜい12畳位の部屋に展示してあるように見える。確かに「ミニ」であるが、展示品はやたらに多いからゴチャゴチャッとした感じであった。

ウィキペディアのリスト オブ マジック ミュージアムを開いてみたら、こちらも英文なのでYahooの翻訳ソフトで和訳してみたら・・・。

これが、何ともヒドイ日本語に変換されるので思わず笑ってしまったが・・・。

それでも「アメリカン ミュージアム オブ マジック」という博物館があったり、その他にも数館の博物館があることが分かった。

だから、世界で3番目の施設だと書いたは誤りであった。ここで訂正しておく。

それでも、愛知のマジック研究家で「日本奇術博物館」の商標登録をされておられる河合勝さんから「日本で唯一の施設である」とのお墨付きを頂いた。

どうやら、日本唯一というのは正しかったようである。

この、完成したら日本唯一で、一般公開をして「マジックの文化を広めたい」という趣旨に賛同してくれたマジック関係者やら、素人の方でもマジックをやっていた方の遺族等から、ドンドンと資料やら道具やらが送られてくるようになった。実に嬉しいことである。

使わなくなったり、死蔵させてしまうくらいなら「マジック・ミュージアム」に展示して陽の目をみさせてあげて欲しい。

大歓迎致します。


■2016-02-20-Saturday 変な天気

朝からポカポカと温かい、

4月の雪解け頃の様な陽気である。

天気予報では今晩から明日の午前中にかけて大雪警報が出ているが、こんな陽気であるから、雪ではなく雨になると思ったのだ。雨なら雪解けも早くなる。

それ以上に雪解けを早める為に、自宅の通路に積んである雪の塊をスコップで壊していくが・・・。

夕食を終えて、温泉銭湯に行く頃から雪が降り始めた。

細かい雪であるし、激しく降ってもいないので、たいして積もるとは思っていなかった。

日曜の朝6時に起きて、カーテンを開けてみたら30㎝程も積もっていた。

天気予報では午前中で雪が収まり、午後からは気温がプラス4℃になると云う。気温が高くなると雪が重たくなってしまうから、すぐに除雪作業をやった。

まだ軽い雪の状態であった。妻は昨夜の内から「腰が痛いなぁ〜」と予防線を張っている。

私一人で、自宅と母の家の除雪を全部やったのだ。

温かいということもあって全身汗だらけである。

ニュースをみたら帯広の降雪量は27㎝だという。どうも今季の降雪は回数が少ないが、一度に30㎝近くも降る傾向にある。

せいぜい10㎝程度なら楽なのであるが、20㎝を越えるとつらい。

帯広は、例年3月にドカ雪が降るが、今年はどうなるんだろう。もう降らないで欲しいなぁ〜。


■2016-02-21-Sunday 好きになれない

好きになれないと云うよりも

嫌いな番組がある。それはマジックのタネ明かしをする番組だ。

21日の20時から日本テレビ系の「世界の果てにイッテQ!」という番組でお笑いタレントの出川哲郎にマジックをやらせるコーナーがあった。

日本では、というよりも世界共通で、マジックのタネ明かしはご法度である。

マジシャンがタネ明かしをやったら、マジック界からスポイルされる。

過去に日本でも、プロマジシャンがテレビ番組でタネ明かしをやって、プロマジシャンが所属する組織である「日本奇術協会」から除名された人が居た。

今回は一応、アメリカに行って、アメリカ人のマジシャンに習うというスタイルを取ってはいるものの・・・。

ここでタネ明かしをやっていたマジック道具は、現在もマジックショップで販売されているものだった。

まだ現役の商品のタネ明かしはマズイだろう!

視聴率が取れるからと云って、タネ明かしをやってはイケナイ!

販売の妨害行為である。

もっとヒドかったのは、出川と云うタレントを使ったことである。こう云うイメージのあまりヨロシクナイタレントにマジックをやらせるのは、マジックのイメージを落しめる悪意ある演出であるとしか感じられない。

マジックの生命は「神秘性」である。

こう云う演出方法は、私のタレントに対する好き嫌いの範疇であろうから訴えることなど出来ないであろうが、マジックを愛する者としては非常に不愉快であった。

だが、どうしても許せない愚行があった。

世界中の有名イリュージョニストが、今も舞台で現役で演じている「折り紙イリュージョン」という傑作マジックを、素人の出川に演じさせたことだ。

これは許し難い愚行である。

出川の様な(不器用そうな)タレントと助手の女の子でも簡単に出来てしまうマジックだと云うことになってしまったら、このマジックの商品価値は格段に下がってしまう。

この「折り紙イリュージョン」を考案開発した人は、このテレビ番組を訴えても良いくらいだ。

おそらく、この「折り紙イリュージョン」を貸し出した日本のマジシャンが居るはずだが、そいつは許せないアホである。

素人に演じさせてもよいマジックとそうでないマジックがある。

金で転んで貸し出した愚かなマジシャンであろう。

マジシャンの一人として、実に恥ずかしい思いがした一日であった。

またこれで酒の量が増えてしまうではないか!俺の健康を阻害するなよ!


■2016-02-22-Monday 不倫会見

何だか最近やたらと不倫の会見が多いなぁ〜。

今日は、落語家の桂文枝(元:三枝)の不倫会見である。

落語家の不倫会見?!

時代は変わったなぁ〜。

先代の桂春団治なんぞは、飲む、打つ、買うの3拍子であったが・・・。

都はるみと岡千秋が唄った演歌「浪花恋しぐれ」の歌詞にもなっているが「それがどうした文句があるか!」の世界である。

落語の題材は、どうしようもないダメ男の話が多いし、廓噺(くるわばなし)なんぞの艶っぽい話を観客に納得させる様に演じるには、男女の機微くらい体感していなければ無理であろう。

落語家や役者にとっては、色恋事は芸の肥やしと言われていたのに・・・。

遂に落語家にまで・・・。

不倫がダメだとなると、これからの落語家は笑点に出ている春風亭昇太みたいに独身でいなければならなくなってしまう。

そうでなければ名人芸は聞けなくなるだろうなぁ〜。

芸人や役者は家庭を持っちゃぁいけないってか。

どだい芸人に貞節を求めるのは無理ってもんだと思うがなぁ〜。

他人を責めるほど、日本国民って皆が真面目なんだろうかなぁ〜。

私は真面目だけど。


■2016-02-23-Tuesday テレビとマジック

私がマジックを始めたのは、

小学6年生になる時の春休み(1969年昭和44年4月)に、札幌の8歳上の従兄弟からマジック道具をもらったのがキッカケであった。

テレビ番組でマジックと云うと「初代:引田天功」の「大脱出シリーズ」を思い出す。

木曜日の19:30からの90分枠でやっていた「木曜スペシャル(日本テレビ系)(北海道ではSTV)」で時々放送されていた。

この「木曜スペシャル」は後に「ユリ・ゲラー」のスプーン曲げなんぞも放送するから、私にとっては忘れられない番組である。

この「引田天功大脱出シリーズ」の第1回目は(昭和43)1968年10月の放送で、第2回目は(昭和44)1969年3月の放送と云うことであるから、私がまだマジックを始める前であったので見たと云う記憶がない。

調べてみたら、

①「海中大脱出」が(昭和43)1968年10月、

②「無人カー炎上大脱出」が(昭和44)1969年3月、

③「ジェットコースター大脱出」が(昭和48)1973年3月、

④「死の水道管大脱出」が(昭和48)1973年10月、

⑤「地獄の岩石落とし大脱出」が(昭和49)1974年3月、

⑥「死の火煙塔大脱出」が(昭和50)1975年4月、

⑦「油地獄・水面大炎上」が(昭和50)1975年10月、

の7回の放送であった。

私は、マジックを初めてすぐの時期であったし、中央のマジックの情報がまったく入ってこない北海道の片田舎の高校生であったから、マジシャンって命懸けでスゴイことをやるんだなぁと思っていたが・・・。

8回目の大脱出「死のケーブルカー大脱出(空中ケーブル大脱出)」は(昭和52)1977年2月に企画されていたが、心臓病で入院した引田天功の代役に、当時助手を務めていた朝風まり(2代目:引田天功)が急遽務めて放送された。

私のマジックの師匠はジミー(聖)忍師で、私は(昭和51)1976年3月〜(昭和55)1980年3月までお世話になった。

当時ジミー師は初代引田天功師と一緒に活動をしていたこともあり、私は何度も天功師と一緒の舞台に立っている。

因みに、朝風まりちゃんは、私がジミー忍師に弟子入りした同じ1976年に高校を中退して、親類(母親の従兄弟)である森康明氏(2003年9月10日逝去享年69歳)を頼って引田天功事務所に入っているから、同期ではあるが年齢は私よりも1歳年下である。

最初、彼女はマジシャンになるつもりはなく、芸能界に入りたかっただけだと云う。たまたま親類が引田天功事務所に居たと云う理由で初代との関わりが生まれたのだ。

初代天功師は、彼女を鳩出しの鳩を受け取ったり、ライオンとの入れ替りなどの助手として扱ってはいたが・・・。

一応、歌手としてもデビューはしていたが・・・。

当時、テレビ東京で、天功師、ジミー師、朝風まりちゃんの3人がキャストになって「天功ドッキリ60分」と云うイタズラを仕掛ける番組があったが、ここでも彼女は助手的な扱いでしかなかった。

心臓病で入院した初代天功の代役に若い女性をあてたら、視聴率が稼げると判断したテレビ局側の意向とは云え、そんなマジックの素人を・・・。

そもそも、代役が決まってから本番までに時間が無さ過ぎた。

放送では、まりちゃんが一所懸命に特訓をしている姿を放送していたが・・・。

素人がたかだか数週間の特訓だけで、出来ちゃう大脱出って・・・。

これで、多くの視聴者は大脱出モノにはすっかり興醒めしてしまっただろうなぁ〜。

まだまだ、テレビ局の大掛かりな演出やインチキが良しとされていた時代であったが・・・。

懐かしくも感じる今日この頃である。


■2016-02-24-Wednesday 不義密通

最近の不倫報道の過熱振りには呆れる。

中川郁子、ベッキーとゲスの乙女、宮崎謙介衆院議員、桂文枝の4つはそれぞれ事情が異なるが、そもそも「不倫」ってのは犯罪なのか?

現代の日本には「不義密通罪」も「姦通罪」もない。

韓国には「姦通罪」があったが、たしか去年の今頃のニュースで廃止されたと聞いた記憶がある。

日本において、不倫は犯罪(法律違反)ではない以上、妻もしくは夫に対する倫理感の問題で、いわば家庭問題であろう。世間がとやかく言う筋合いではないだろうに・・・。

不倫の謝罪会見って、一体誰に対して謝っているんだろう?

誤解しないでもらいたいが、私は決して不倫を奨励している訳でも、認めている訳でもない。

不倫は、ツレアイに対する不誠実であるし、裏切り行為であると思っている。

だが、それを世間がどうこう言ったり、世間に対して謝るっていうのは如何なものかと言いたいのだ。

先に挙げた4つの不倫で、世間が許せないのは、税金から給料をもらっている国会議員が、産休を取って育児を頑張るなどと言っておきながら、チャッカリテメエは不倫していた宮崎謙介衆院議員のものであろうと思う。

世間には、さも出産を控えた妻をいたわるような素振りを見せておいて、しかも、更に男性の育休を世に問うみたいなエエ恰好シィ〜をやって、その裏で、他の女性と浮気していたなんてのは、女性だけではなく男性からもフザケルナよこの税金泥棒と言われる所業である。

彼のケースは、単なる不倫とは異なり、社会問題にまでなるから、国会議員を辞めたのは当たり前であろう。

中川郁子の場合も、選挙区と世間とでは事情も別であろうなぁ。世間では、すっかり話題にもならなくなっていたが、同じ国会議員の不倫ということで宮崎のお陰で、また再発してしまったようだ。

しかし、ベッキーの場合は少し可哀想な気もする。いくら健康的で明るい健全なキャラクターで売っていたとはいえ、番組を降板し、CMもストップして違約金が云々とまで言われている。

社会的制裁も十分以上に受けただろうに・・・。

相手のゲスの乙女野郎はヘッチャラな顔して、時間が経てば忘れるさ、次から次へと不倫事件が出てくるから・・・みたいな感じだろうか。

でも、家庭問題なんだから、これが普通の反応なんだろうなぁ。

文枝の場合はブログにも書いたばかりだから割愛する。

家庭内の事を、公共の電波を使って、報道したり謝罪したり、やっぱり、日本って何だかオカシイなぁ〜。


■2016-02-25-Thursday 不思議な来客

会社に不思議な来客があった。

新聞を見て、私にマジックの趣味があると云うことを知り、是非とも相談に乗ってほしいことがあると云う。品の良い高齢の女性である。

内容を尋ねると「帯広に80年も暮らしているから、坂本さんがダンスホールをやっていた頃から知っている」「私の自宅の隣の住人が、3〜4年前から自分に対して念力を掛けてくるので困っている」のだと云う。

「念力って、どう云うことですか?もう少し具体的に言っていただかないと解りませんが・・・」と言うと、「念力だけではない。盗聴も監視もされている」と云う。尋ねても自分の住所も名前も一切言わない。

アッこれはちょっとマズイ人かなぁ〜と思ったが・・・。

「私を念力で操っている。この間は、冷蔵庫の中に入れたモノがいつの間にか無くなっていたり、入れた覚えのないモノが入っていたりする」「いつも監視されていて、盗聴もされている。私に嫌がらせをして、ここから追い出そうとしている」と云う。

「申し訳ありませんが、私は、こういう件では、お役に立てないと思います。お子さんか親類の方は近くに居られないのでしょうか?」と聞いたら「兄弟も皆死んで、子供も居ない。私一人だ」と云う。

「盗聴されていると云うなら警察に相談するか、市役所に相談されてみたらどうでしょう?」と云うと「警察も隣の人に丸め込まれているし、市役所も同じで丸め込まれていて相手にしてくれない」と云う。

この間、何度か他の来客があったりしたので中座したのだが、帰る気配がまったくないのだ。

「念力で私を自由に操ることが出来るんでしょうか?」と聞くから「私は、そう云う超能力的なものはマジックのトリックを使っても出来るものなので、在るとは思っていませんが・・・」と言ったのだが・・・。

「でも、その人は私に毎日念力を送って来て嫌がらせをして、私を眠らせてくれないし、ここに来る間にも何人も私の後を着けて来る。いつも私を監視している」のだと言って譲らないのである。

あぁ〜、これは認知症にプラスして被害妄想に陥っているなぁ〜と感じたが・・・。

困ったなぁ〜。本当に弱ってしまった。かと言って追い返すわけにもいかないし・・・。

その後、数十分間に渡って同じ様な話の繰り返しが続いた。

いよいよ困って4階の介護ショップの従業員にSOSを出して6階に来てもらい、相手をしてもらったら、ようやく「また今度・・・」と云うことで退室してもらった。

昔の事や、最近の新聞の事などは解るのだろう。会話がまったく通じないと云うことではないのだが、自分の思い込んだことは絶対に譲ろうとしないのだ。

ところどころマダラ状に忘れるから、自分がやった行為を忘れている間と、自分がやったのを覚えている行為とのギャップが、頭の中で連続しないから不思議に思えてしまうのだろう。それで、隣人の念力の仕業だと思い込んだのだろうなぁ〜。

独居老人で、近くに親族も居なく、身体が健康で足腰が丈夫、自分で何処へでも歩いて行けて・・・、その人が認知症になって、更に被害妄想に陥ってしまったら・・・。

少子高齢化でこう云う方が増えるのだろうなぁ。これからの日本は、どうするのだろうか?

実際に体験してみると、改めて日本の将来が恐い!と感じたのであった。


■2016-02-26-Friday 十勝っ子の心

「十勝っ子の心」私の好きな「サイロ」の一遍

と題する北海道新聞朝刊のコーナーがある。

「サイロ」と云うのは、帯広の菓子店「六花亭」のメセナ活動で、その前身であった帯広千秋庵時代の1960年から発行を始めた月刊児童詩誌である。

六花亭は、「サイロ」に載った詩を「リッチランド」という名称のサイロ型をしたクッキー菓子の包みに印刷している。

この「サイロ」の表紙を描いていた縁から1961年には山岳画家で坂本龍馬の甥でもある坂本直行に包装紙のデザインを依頼し、5色印刷の花柄包装紙が現在まで続いている。

この「サイロ」に載った詩の中から、好きな一遍を選び出して講評をすると云う新聞のコーナーへの執筆の依頼を受けたのだが、それが平成28年2月25日の北海道新聞朝刊に掲載された。

まずは私が選んだ一遍は

『スケート』音更・緑陽台小1年 いとうひろき

スケートぐつをぬいで

くつしたをとって

あしを見たら

しわしわになっていて

わらっちゃった

だって

ひもでぎゅっとしばって

いたかったんだ

しめつけられたから

しわができたんだね

私の講評は、「級友と楽しむ姿表現」

十勝のほとんどの小学校のグランドには、昔から先生や親たちが協力して造る「陸(おか)リンク」と呼ばれるスケートリンクがあって、冬の体育の授業はスケートでした。

この詩を読んで、私は自分の小学生時代の寒くて、痛くて、つらかった記憶がよみがえってきましたが、いとう君は、しわしわになった足を見て笑っていますね。

きっと小学校に入学して初めてのスケートの授業だったのではないでしょうか?

クラスメートらと一緒に楽しく滑っている情景が目の前に浮かんできます。

十勝っ子なら、親子3世代以上で経験していますから、家族のみんなで思いを共有できる詩でもありますね。素直な気持ちが表れていてとても良い詩ですね!

である。


■2016-02-27-Saturday バンコク

タイのバンコクに行く。

ゴルフ仲間で作っているゴルフ愛好の会「ジュエルクラブ」で、冬の遠征にタイのバンコクに行くことになった。

私は「マジック・ミュージアム」の整備で忙しいからと不参加の表明をしたのだが・・・。

A先輩から「前年の年間優勝者・準優勝者が幹事役をすることになっているのに、準優勝をした幹事役のお前が行かないのは許さん!」と電話が入り、しぶしぶ同行することになったのである。

私は最初不参加の予定であったから、スケジュールから手配まで、全て優勝者のN君にやってもらっていた。

総勢10名での遠征の予定であったが、インフルエンザと骨折によって急遽2名のドタキャンが入り8名での遠征になった。

25日のJAL最終便で羽田空港に入り、そのまま0時5分発のJAL便でバンコクに向かう。JAL便同士の連絡なので、受付も荷物出しも全て帯広空港で行なうことが出来るのでとても便利である。

メンバー8名の内エコノミークラスで行くのは、私と幹事のN君の2人であるが・・・。

ビジネスクラスと云うのは、羽田空港のサクララウンジを無料で使用出来る権利がある。しかも、同行者1名を無料でラウンジに入れられると云うので私とN君の2人も入れてもらった。

このラウンジには食事から飲料までいろいろと揃っているから、ここで、たくさん食べて飲んで、飛行機に乗ったら機内食を断わってひたすら寝ることにした。

なにせ、バンコクに早朝5時頃に到着してから、そのままゴルフ場に向かい7時42分にスタートする予定になっている。

飛行機に乗ってすぐに睡眠導入剤を飲んだのだが、あまり効かなかったようである。アイマスクと口のマスクを着け、首にクッションを着けて眠る体勢をとったのだが、目をつぶっていただけで熟睡は出来なかった。

バンコクの空港はやたらとデカイ空港だ。トランジットで何度か来ているのだが・・・、タイにはこれまで数度訪れているが、バンコク市内は初めてである。

ビジネスクラスの乗客の特典として「プライオリティ・ライン」なるものがある。入国審査などの時にエコノミー客とは別のラインで早くに通してもらえるのである。

私とN君はエコノミーだから普通の入国審査の列に並ばなければならないのだが、係官が「グループ旅行だから一緒に通してあげる」と言ってくれたので助かったのだった。融通性のある係官で良かった。

出国用の出口がやたらと多いので、出迎えのガイドがなかなか見つからない。携帯電話で連絡しながら、かなり探してようやく見つけたが、携帯電話が通じなければ一苦労であった。

2台のボンゴタイプの車に4人ずつ別れて乗り、アルパインゴルフクラブに向かう。

とても手入れがいき届いた綺麗なコースである。

キャディさんとカート車はプレーヤー1人毎に付く。私には若くてとても美人のキャディさんが付いたので、それだけで気分が良い。

私は機内食を食べていないので、とてもお腹がすいたが、スタート前に売店でバナナを1本だけ食べて我慢したのであった。

最初に不参加の予定であったから、帯広ではボールを1発も打っていない。ここでもスタート前にパットの練習を数回やっただけでプレー開始。

いきなりダボ、ダボのスタートである。その後もOBを出して前半は45打。後半もやたらと池に入れて44打の89打。

まぁ、今年初めてで、しかも練習無しにしては上々の成績であろう。

キャディへのチップはガイドから「最低300バーツを上げてください」と云われていた。若くて美人で献身的だったから500バーツを渡した。為替レートは100バーツ380円位であるから1900円位である。

ゴルフ場で軽い昼食を取ってからバンコク市内へ、宿泊先のホテルであるデュシタニバンコクに入る。

繁華街にある良いホテルである。

3人のメンバーで、タイ古式マッサージ店に行って90分間揉んでもらう。午前中にゴルフ、午後からマッサージなんて天国である。

しかも値段が安い。料金は90分間で380バーツだから1500円弱である。チップとして100バーツを払ったが、マッサージ好きの身としてはこの値段は有り難い。滞在中毎日通うことにした。

夕食は、ホテル近くの韓国焼肉店である。帯広と同じ様な感覚で注文したら・・・。

肉は厚めでパサパサしていて、タレもあまり美味しくない。皆、肉に対する舌が肥えているから、ほとんど残ってしまった。

全員、さすがに睡眠不足で疲れているから、この日はすぐにホテルに戻って寝たのであった。


■2016-02-28-Sunday バンコク2

27日(土)のバンコク

今日のゴルフは11:22のスタートなので、ホテルでゆったりとした朝食を取り9:30にホテルを出発してタイカントリークラブに向かう。

名称からして「タイ」と国名が付いているのだから、由緒あるクラブなのだろう。「注意:襟無しのゴルフウェアは禁止」と渡されたスケジュール表にも書いてある。

バスに乗る時にメンバーの一人が襟無しのTシャツ姿であるが、当然ロッカーで着替えるのかと思っていたら・・・。

Tシャツ姿のままスタート地点に来たので「襟無しの服は禁止と書いてありましたよ」と言っても「持って来てないからこのままでプレーする」と言う。

キャディも「その服装ではダメ」と云う。

「売店で買って来たら?」と言っても「嫌だ、このままでプレーする」と言って聞かない。

マネージャーがやって来て「襟無しでは絶対にプレーさせない」と強い口調で言ったので、ようやく売店で購入して来てプレーすることが出来たのであった。コースの格式と気位は高そうである。

今日も私に付いたキャディさんは若くて美人である。

キャディさんをプレーヤーが選ぶ訳ではないが、何故だか私には一番綺麗な子が付いてくれる。

このコースはたしかに綺麗なコースであるが、昨日プレーしたアルパインの方がコース整備の手間と費用が掛かっているなぁと感じた。

しかも、やたらと池の多いコースで、なんと何等かの形で18ホール全てのホールに池があるのだ。

私も4発も池に入れてボールが少なくなってしまった。池の水はとても濁っているから池に入れたらボールが何処にあるのか分からなくなるので採り上げることが出来ないのだ。キャディも最初から採ろうという気配すらない。

初めてプレーするコースで、キャディさんは片言しか日本語が出来ないし、英語もまたほとんど出来ない。タイ語のコースの説明だけでは良くコースの形状が分からないのだ。

ブラインドの池でもあったらお手上げである。1ホールに池が2〜3個もあるようなところでは落とし所がまったく分からずに、自信満々で打ったボールをキャディが「アブナイ」と言う。

複雑に池が入り組んでいて、しかも池の端が見えないから打ち込んでしまうのだ。

ただキャディのグリーンの読みは実に正確だった。上下左右の曲がり具合をジェスチャーで示してくれる。ただし、ちゃんと言われた通りに打てないと怒るのだが・・・。

インからのスタートで前半は41打、2日目にしてこれだから、我ながらたいしたもんだと思っていたら、後半は熱射病の様に頭が痛くなってきてアウトは48打の89打で結局は昨日と同スコアであった。

まぁ、90打以内に収めているだけでもまだ気分的には良い。

ここでも、若くて美人のキャディさんに500バーツのチップをはずんだのであった。

ホテルに戻り、シャワーを浴びてからまた3人でタイ古式マッサージに行く。昨日と同じ店である。バンコク市内にはやたらとマッサージ店が並んでいるが、中には値段をフッ掛けたり、卑猥な店もあると云うから何処でも良いというわけでもないようだ。

昨日と同じマッサージ師が居て私のことを覚えていてくれたが、ただし、この人は体重が95㎏もある超巨漢なので、一緒に行った一番大柄なOさんに回し、私は細めのおばさんに揉んでもらった。

この95㎏の人が腰や太股の上に乗っかって足で踏むのである。私の華奢な身体では骨折するかもしれないと思い。頑丈そうなOさんに回したのであるが、さすがのOさんも終了後に「骨が折れるかと思った」と云ったのであった。

昨日と同じ90分間揉んでもらったが、終了後に受付で90分間の料金の380バーツで500バーツを払い、おつりに120バーツを受け取り、そのおつりの内の100バーツを揉んでくれたおばさんにチップとして渡したら手元の20バーツも欲しいと持っていった。若くないし美人でもなかったから100バーツだけと思ったのに、おばさんはやっぱりガメツイなぁ。

この日の夕食はタイ料理のバーンカニータ&ギャラリーと云う店である。一緒に行った美食家のHさんが事前に調べていた一流の店である。

同行のメンバーの別のHさんがこの日70歳古希の誕生日だと云う。サプライズでバースデイケーキを用意しておけ、ローソクは7本、ローソクが無ければお寺が一杯あるから線香を7本調達しておけと言われたので、幹事としてケーキ店を探して用意しておいた。ローソクがビニール袋に9本入っていたので2本を取り7本にしておいた。

店に着くなりマネージャーに状況を説明し、最初にキャンドルを7本立てて持って来て欲しいと依頼したら・・・。

店中の従業員が総出して「ハッピーバースディ」の歌を唄いながらHさんの前にケーキを持って来たのだが、何故だかキャンドルが8本立っているではないか。こちらは70歳だから7本だと説明し、間違えないように7本しかキャンドルを渡さなかったのに・・・。

シャンペンを開けて誕生日を祝ったのであった。

これまでに何度かタイ料理は食べてはいるが、どうもタイ料理は苦手である。しかし、さすが、高級タイ料理店である。出て来た料理はどれも美味しくて全員が満足したが、値段の方もかなりのものであった。

Hさんの誕生祝いに全員で「カラオケ」店に行くと云う。「私はそう云う場所は遠慮します」と言ったのだが「ダメだ!誕生祝いなんだから幹事が行かなくてどうする」と強引に同行させられた。メンバーの中に「カラオケ」の常連さんが居るからまかせておけと言うのだ。

いわゆる日本の「カラオケ店」とはシステムが異なる。店に入ると、ズラ〜ッと若い女性が並んでいる。自分の気に入った女性を指名して隣に座らせてお酒を飲みながら唄うのである。まぁ、ここまでは日本のクラブでホステスを指名するのと似た様なものかなぁ〜。

カラオケは日本語で歌えるのである。一通り皆が唄った後で一次会は解散、私はホテルに戻って寝たが・・・。

ホテルまでの道すがらには屋台がズラリと並んでいた。焼鳥みたいなものやフルーツ、おもちゃや衣類など、実に様々なものが売っていた。

バンコクの人口は900万人だと云う。外人も多くて、活気のある国際都市だ。

道路を走っている車も皆新しくて良い自動車が増えた。やはり「今日よりも明日の方が良くなる」と云う気分が消費を拡大させて、活気に満ち溢れているようである。明日は朝が早い。


■2016-02-29-Monday バンコク3

28日3日目である。

この日は6:20にホテルを出発するのだが、ホテルの朝食は6時からしか開かない。

早目に食べさせてくれるかもしれないと思い5:50にレストランに行ったが、まだ準備中である。

同行の先輩方4人が既に待っていた。Aさんが「ハリーアップ」と従業員に声を掛けるが、開けてはくれない。年を取るとせっかちになるらしい。

6:01になっても開けないで、まだ準備をしているので、遂にAさんが怒り出して、今度は日本語で「時間が過ぎてるぞ!」と大声を出したら、あわてて開けに来た。こう云う時は言葉が分からない日本語でも大声の方が通じる様だ。

15分間で食べて、集合場所のロビーに行く。

今日のコースは「ザ・ロイヤルジェムズ・ゴルフ&スポーツクラブ」という場所で8時のスタートだ。

バンコクは急激に発展している街である。高速道路網もドンドン拡大している。街中には変わった面白いデザインの高層ビルが立ち並んでいる。タイの人は普通の四角い箱型のビルは好きではないみたいだ。

高速道路の近くには建設中のマンションがやたらと目に付く。10階位までの低層階が駐車場でその上の高層階がマンションと云う形式の建物が多いが、地震の多い日本では許可にならない建築方であろうと思う。

今日のゴルフ場はリゾートの様である。立派な門番付きの門をくぐると、高級別荘が建築中で、その奥には高層のコンドミアムがあり、テニスコートやグランドまである。

ここも格式の高いゴルフ場の様だ。

昨日までのキャディさんと違って、ここのキャディさんは日本語も英語もまったくダメである。

だが、私に付いたキャディさんは、今日も若くて美人である。言葉は通じないが、自分の掌に絵を描いて説明してくれるのでとても良く理解できた。

メンバーの一人が「こいつらの説明はまったく分からん」と怒りだしたが、それはコミュニケーションの取り方が悪いだけである。怒らずに優しく接したら、相手も一所懸命に伝えようと努力してくれるのに・・・。

私は楽しくプレー出来て、前半のアウトは42打、後半は集中力が続かなくて池に3発も入れてしまい46打の88打、一昨日、昨日よりも1打縮まった。

私は気持ち良く500バーツのチップを払ったが、怒ったAさんは「チップは払わん!」と言い出したが、「まさかそう云う訳にはいかんでしょう」と説得し300バーツを出したが、自分では渡したくないからお前から渡せと言って私に寄こす。

どうせ払うなら気持ち良くやれば良いのに・・・。

ゴルフ場のレストランで軽〜くランチをしてからホテルに戻る。今日はメンバーが一人増えて4人で同じタイ古式マッサージ店に向かう。

この日は時間があるので2時間タップリ揉んでもらった。料金は430バーツだから1600円位である。マッサージが大好きな私としては毎日でもOKである。

私は揉んでもらいながら、寝てしまったからか、私のマッサージ師はとても無愛想な娘だった。500バーツのおつりでもらった70バーツをチップとして払ったのみである。

あれで、帰りがけにニコッとでもしていたら30バーツ足してあげたのに、無愛想というのは結局損をするものである。

ホテルに戻る道では、自動車をシャットアウトして、屋台がたくさん出て歩行者天国の日曜マーケットになっていた。どんなモノが売られているのか見学しながらユックリと帰ってきた。

タイと言う国には、ニューハーフと言われる女装若しくは性転換した人が多いとは聞いていたが、このマーケットにもたくさん居たので驚いた。

ごく普通の仕事に就いているようである。

中には女性以上に綺麗な人も居たが、ほとんどは、むしろ男でいたままの方が良いのではないかと思える人も居る。仕草が女性らしさを強調し過ぎるものだから、日本の新宿2丁目界隈に居る女装した男性らの仕草ととても似ているのに笑ってしまった。仕草って案外万国共通なのかもしれないなぁ〜。

6時にホテルのロビーに集合して、夕食は「ラ・スカラ」と云う高級イタリアンレストランである。短パン・サンダル不可のドレスコードがある店である。とても上品な味で美味しかった。

明日は9時にホテルをチェックアウトして、バスに荷物を置いた状態でゴルフをプレーするので、今晩中に荷物を造らなければならないからまっすぐホテルに戻って荷造りをした。

10時にベッドに入ってテレビを見ている内にテレビを点けっ放しのままで寝てしまった。1時頃にNHK大河ドラマの真田丸の音楽が聞こえてきて目が覚めた。

そうだ今日は日曜日だから大河ドラマのある日である。そういえば日本で録画準備して来なかったから見ておこうと思い起きて番組を見たら、今度は眼が冴えて眠れなくなってしまったので、睡眠導入剤を飲んで再度寝たのであった。