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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-03-01-Tuesday バンコク4

29日最終日である。

ホテルのテレビではNHK放送が見られるが、ニュースでは北海道は大嵐で大雪が降っているとのこと。

私の携帯電話はガラケーで、海外では通じないので、同行のメンバーから携帯を借りて自宅と会社に電話したが、どちらも出ない。きっと総出で除雪作業をやっているのだろう。

9時にホテルをチェックアウトして、バスに乗って空港近くのゴルフ場のナワタニゴルフコースに向かう。バンコク市内から自動車で40分程度の距離である。

ここも立派な門番付きの門をくぐると、超高級住宅が建ち並んでいる。ガイドに聞いたら2千万〜7千万バーツだと云う。日本円にして7千6百万〜2億7千万円ほどだそうだ。タイの平均月収は2万バーツ、日本円にして8万円弱であるから、その超高級ぶりが分かろうというものだ。

ここでも、私に付いたキャディさんは若くて美人であった。

ここでは最初は良かったものの、スコアが良くない同伴プレーヤーが途中からまたまた怒りだして、キャディなどに八つ当たりをはじめて険悪なムードになってしまった。せっかく海外に来てまでゴルフをやるんだから、少しは楽しくプレーしたいと思うのだが・・・。

楽しくプレーするのと、気分悪くプレーするのとではスコアも大きく変わるものである。前半は45打であった。

後半はプレーに集中して、同伴プレーヤーの存在を頭から消してキャディさんと楽しくプレーしていたら上がり4ホールの15・16・17・18番と連続パーを取って41打で回った。

初めて後半の方のスコアが勝ったのである。結局、4日間のプレーで一番良いスコアの86打であった。

そうか、ゴルフは相手に引きずられてはいけないのであったなぁ〜。

飛行機の出発時刻は22:25である。まだタップリと時間があるので、ガイドさんに空港近くのショッピングセンターに連れて行ってもらった。

ここで3時間時間をつぶす予定である。

駐車場近くの入口から入ったら、店内がとても狭く見えたので、帯広のスーパーマーケット程度の大きさだと思ったから、まず、まっすぐに、マッサージの店に入り足裏マッサージを2時間受けた。

昨日までの店よりも若干高くて500バーツであった。チップを100バーツ払ってから店内を見学することにした。

最初に入った場所はテナントの電気店の店内で、そこを抜けたらとても広いのに驚いた。

帯広の郊外にある巨大なイトーヨーカドー店の2倍以上もの面積がありそうな広さなのである。

店内には、自動車から食品まであらゆるモノが売られていた。逆に残された1時間ではジックリと見学することは出来ない。失敗したなぁと思いながらも全体像を把握したいので、一応全部を早足で見て回ったのだった。

1階の飲食店が並んでいるコーナーには、月曜日の夕方ではあるのだが家族連れの客が並んで待っている。

ガイドさんによると熱い南方の家では炊事をするとその熱が室内に籠って、部屋が暑くなってしまうから炊事をしないで外食をするのだと云う。

日本の昭和40年代前半の様な「今日よりも明日の方が良くなる」と云うような気分が充満している感じだ。

バスで空港に向かう。メンバーの一人が、昨日のバス内にサングラスを忘れたと云う。ガイドが電話したら、昨日の運転手さんが空港までバイクで届けてくれたのであった。日本ならいざ知らず、タイ以外の外国では、ほとんどアリエナイ話である。タイ人は日本人に気質が似ているかもしれないなぁ。

空港で手続きを終えて、出国審査場に行くが・・・。

私とN君以外はビジネスクラスであるから、プライオリティラインで並ばずに早くに入れる。

入国の時と同様に一緒のグループだから私達2人も入れて欲しいと係官に頼んだのだが、入国時とは違って、ここの係官は融通がまったく利かなかった。

エコノミーのラインに並べと云う。中のラウンジで落ち合うことにして、私達2人はエコノミーラインで出国審査に並んだのだが、この並んだラインの係官がまた意地悪な奴であった。

パスポートの写真と実際の写真を見比べる作業をするのだが、イタリア人の女性は髪型が違うとアップの髪を降ろさせたり、上げさせたり何度も繰り返させる。

私はスムーズにスッと通してくれたが、N君は上を見ろだの、アンケートの記入漏れだのをしつこく直させる。タイ人の中にもこう云う嫌〜な奴がいるのだなぁ。

サクララウンジで落ち合って食事をして、酒もたっぷり飲んで、飛行機の中は機内食を断わってグッスリと寝て行くことにした。

帰りは非常口前の座席をリクエストしたので脚が伸ばせて楽である。この席の良いところは隣に気兼ねせずに立ったり座ったりできることだ。

羽田には早朝の7時頃に到着した。

11:25発のJAL便で帯広に戻る予定であるが、帯広は50㎝の大雪で強風だと云う。飛行機が飛ばないかもしれないと云う。

ラウンジで寝て待つことにしたが、日本のラウンジには飲物はあるが食物はない。

お腹もあまり空いていないので食べずにひたすら寝た。

飛行機はかなり遅れたが、無事に帯広に到着した。晴れてはいるが、外はものすごい積雪と強風である。粉雪が風で飛ばされて、あちらこちらが吹き溜まりになっている。

空港にはAさんの娘が迎えに来てくれているので、自宅まで送ってもらった。会社に行ってる妻に電話したら、家の除雪をやっておいて欲しいと云うので、早速、玄関と母の家との通路を除雪してからシャワーを浴びて、インスタントラーメンを作って食べた。

フッと窓の外を見たら、さっき除雪した通路がもう吹き溜まりになっている。除雪をする気も失せて、ベッドに横になり2時間ほど寝た。

眠りから覚めて再び窓の外を見たら、吹き溜まりは最初に除雪をした時の量よりも増えているではないか。ガッカリした。

もう、春になって自然に融けるまで除雪は止めた!

夕方、妻が会社から戻って来たので、母を連れて焼肉を食べに行き、戻ってから荷物の整理をしてから寝たのであった。

明日の朝は、母の家のライフラインだけは除雪しなければならないなぁ。


■2016-03-02-Wednesday タイ

今回のタイへの旅行で感じたこと、

それはタイの景気の良さである。

「景気」とはすなわち「気」である。人々の気分によって大きく左右されるものだ。だから、必ずしも実態を表わしているとは限らないが・・・。

タイの景気は「今日よりも明日の方が良くなる」という「気」によって醸成されているように感じた。今日よりも明日の方が発展しているという気分である。だから先行投資で国民も金を使う。

その「気」がどこから来ているのだろうか?

9年前の2007年に上海を訪れた時にも、今回のバンコクのような「気」を感じたが・・・。

タイの好景気の原因は、恐らくは、その中国経済の衰退ではなかろうか?

9年前の中国は安い労働力によって「世界の工場」として、世界中の企業が進出し発展をしていた最中であった。

この時の中国は、まさに「今日よりも明日の方が良くなる」と云う気分に満たされていたように思う。

今回のバンコクと似た様な雰囲気であった。

この9年間で中国が急激に発展し、労働者の賃金が高騰してくると、採算が合わなくなった海外企業は、より安い賃金で働いてくれる国に工場を移動していく。その国のひとつがタイなのであろう。

生き残りをかけて、中国に見切りをつけて、他の国に工場を移動する企業は、まだ体力のある企業である。

経済発展を見越して、先行投資して工場を建てた中国人の企業家は、移動したくても、なかなか移動することが出来ないのであろう。

最近の中国の倒産事情をみると、バラ色の未来を夢見過ぎての、無謀であったり、無茶であったりな先行投資や過剰投資が多かったように感じる。

ここに来て中国政府は、国民への人気取り政策なのか、更なる労働者の賃金アップを求めている。

恐らく、この政策は、海外企業の中国離れを加速させてしまうであろうと思われる。

その中国離れの受け皿のひとつがタイなのであろう。タイは仏教国で、相手に対する感謝の気持ちを持った真面目な国民性を持っていると思われる。

おそらく、真面目に働き、手先も器用なのではなかろうかと思う。

しかし、タイとて安泰ではないだろう。

このグローバル化と云う経済体勢は、より安い賃金を求めて移動して歩く宿命だからだ。タイの次には、ミャンマーやカンボジアなどが待っているだろう。

安い労働賃金故に、世界の工場が集まり、国が発展する。

発展すれば、労働賃金が上がり、国民が豊かになる。

労働賃金が上がり過ぎると、工場が他の国に移動してしまう。

発展が終わり景気が悪くなる。

何とも罪作りなジレンマである。

この成長する期間がゆったりとしたものなら、まだ国民全体にまで恩恵があるかもしれないが、急激な発展は、一部の金持ちを作り出すだけで、国民全部が豊かになる前に終息してしまう。つまり格差を生み出すだけだ。

しかも、この成り金連中は、バブルの様なお金の使い方をして、結局は破綻してしまうことが多いのではないだろうか。

どうも、今の中国を見ていると、バブルがはじける前の日本の狂騒に似ているように感じてしまう。

タイの発展が、いったいどのくらいの期間をかけておこなわれるのだろうか?

急がずにゆっくりとやった方が良いとは思うけれど・・・。


■2016-03-03-Thursday また書店が

2月末に「芳林堂書店」が自己破産の申請をした。

芳林堂書店は、東京の高田馬場や池袋西口などで9店舗を運営していた大手書店で、私も大学生時代に池袋に住んでいた頃はよく通っていた書店である。

1976(昭和51)年から2年間、池袋に姉と二人でアパートで暮らしていたが、元来、読書が大好きであるから、駅の乗降口であった池袋駅西口前にあった芳林堂書店には足繁く通っていたものだった。

西口には立教大学があり、当時は、古本屋もたくさんあったので、新古の本屋巡りを楽しんでいたのである。

この池袋の芳林堂には、単なる書店とは別の思い出もある。

私が、マジックの師匠であるジミー(聖)忍師と出会うキッカケを作ってくれた人物の店が、この芳林堂池袋西口店にあったからだ。

その人物とは「堤芳郎」さんである。

当時は、文房具屋の社長さんで、自宅兼店舗は江古田にあったが、支店がこの芳林堂池袋西口店内にあったのである。

1976年2月に大学受験の為に数週間東京のホテルに滞在していた。

この間、毎日のように水道橋駅近くのマジックショップ「トリックス神田神保町店」に通ったのだった。

高校生時代に「トリックス」と云うマジックメーカーの「あなたのアイデアがマジックの製品になる云々」と云う広告を見て、応募を繰り返していた。ただ残念ながら、ひとつも採用はされなかったが・・・。

北海道の片田舎のマジックの情報が乏しい中で、自分で考えたつもりでいても、既に似た様な製品が世に出ていたのを知らなかったと云うだけなのであるが・・・。

この「トリックス」の神田神保町店には「布目貫一」さんと云う浪曲奇術で有名な先生が居て、私の送ったアイデアに対して、毎回丁寧に講評をしてくれて「東京に出て来る機会があったら顔を出しなさい」と手紙に書いてくれていたのである。

高2の修学旅行の、東京での小グループでの自由時間の際に、嫌がる仲間を強引に連れて、訪ねていったのであった。

このマジックショップにはプロマジシャンの人達も大勢来ていた。壁にはビニール袋に入れられた「奇術研究(力書房)」という薄い奇術専門雑誌がズラ〜ッと飾ってあって、それが良い装飾になっており、狭いけれども、いわゆる「プロショップ」的な雰囲気のある店であった。

この店で「堤芳郎」さんに偶然お会いしたのだが「今度、引田天功さんがマジック道場という名称でショーをやり、私も出演する。その時に貴方に助手をやってもらいたい」と依頼されたのである。

「引田天功」と云う名前は、北海道の片田舎のマジック情報に疎い私にとっては一番のビッグネームである。

「ハイ、喜んで!」と即座に引き受けたのであったが、実はこの時点ではまだ、どこの大学にも合格していなかったのであった。

遅くに駒澤大学に入学が決まったから、下宿はどこも既に埋まっていて、まったくみつからない、ようやく世田谷の下馬に見つけたが3畳一間の狭〜い下宿であった。

大学も下宿も決まり、もらっていた名刺で、堤さんに連絡を入れると『4・5・6月と3回やる「引田天功のマジック道場」の打ち合わせの為に、舞台監督をするジミー忍さんの家に挨拶に行くから一緒に行こう』と誘われた。

当時、ジミー忍師のマンションは下北沢駅の近くの代沢と云う場所にあった。

まだ、この時点では地下鉄は完成していないから、下馬 → 三軒茶屋 → 渋谷 までバスを乗り換えて行く。渋谷から下北沢まで京王井の頭線に乗って行くというルートで出掛けた。

初めて会ったジミー忍師から「何処に住んでいる?」と聞かれ「下馬です」と答えると「どうやって此処まで来た?」と聞くので、先のルートの説明をしたら、大笑いされたのだった。

「大学はどこだ?」と聞かれ「駒大です」と答えると「そうか!俺もコマダだ!」と云う。「エッそうなんですか?」と聞くと本名が「駒田」だと笑う。それが初めてのやりとりであった。

三軒茶屋から代沢通りをバスに乗れば10分で来る距離だ。歩いても20分程度の距離だと教えられた。公共交通機関の特に鉄道を基にして移動を考えるからこう云うことになったが、実は歩いた方が早くて安いということが分かったのであった。

そんなやり取りから打ち合わせが始まったが、「引田天功のマジック道場」はプロマジシャン、アマチュアマジシャン、学生マジシャンも出演するから、君も演技者として出てみないか?」と言われたのである。

帯広でもステージの経験が無いと云うと、「せっかくのチャンスなんだから、私が指導してあげるからやりなさい」と言われたのである。

師の自宅と私の下宿は自転車だと10分程度でしかない。

それから、毎日の様に通うことになるのである。

そんな弟子入りのキッカケを与えてくれた堤さんとは、私がその年の秋に池袋に引っ越したこともあり、その後も頻繁に行き来するようになった。

後年、堤さんは文房具屋を止めて「魔法陣」と云うマジックショップをこの芳林堂池袋西口店に作ることになる。

そんな思い出深い芳林堂がつぶれたというのも、なんだかショックな話しであるなぁ。


■2016-03-04-Friday オリンピック

新国立競技場でまたまた

問題が発生したと云うニュース。

オリンピックの象徴である「聖火台」の設置場所を考慮に入れていなかったというお粗末である。

新しいデザイン案では、屋根を木製にするので、消防法上は火が使えないとか何とか・・・。

それにしても、ちょっとヒド過ぎないか?

何だか、バタバタし過ぎだろう。

「責任者出て来い!」

いったい税金をどれだけ無駄にしたら気が済むんだろう。

委員会メンバーの誰一人も「聖火台」の事に気が回らなかったと言うが、バッカじゃないの!

オリンピックだよ、オリンピック。

聖火はその象徴だろう?!

何の為に委員がいるんだ!

テレビでは3.11が近づいてきたから、5年前の東日本大震災の映像が映し出されている。

福島の原発の事故の話も、久し振りに見たが、汚染水のタンクは増え続けているし、地下水の汚染水の流れも止められていない。

廃炉にするにしても、炉心の状況が未だにハッキリとは分からないと云うではないか。

未だにこんな状態なのに、オリンピック誘致の演説で、安倍首相は福島第一原発は「アンダーコントロール」だと言い切ったんだぞ。

世界中に嘘をついて、騙してオリンピックを誘致したことになりはしないのか?

嘘つきだけじゃぁなくて、準備段階でこれだけお粗末な対応をしていて、こんなんで、本当にオリンピックができるんだろうか?

ブラジルのリオデジャネイロを笑えないなぁ〜。

早目に返上した方が良いのでは・・・?


■2016-03-05-Saturday なでしこ

女子サッカーのなでしこジャパンの

リオデジャネイロオリンピックへの出場が絶望的になった。

澤穂希が引退したことが効いているのだろうか?

対韓国戦をテレビで見たが、選手の集中力が続いていないようにみえた。

凡ミスというかポカが多い。

GKがフリーキックを止めたところは良かった。得点はヘディングと云うよりは、ゴール前に居たら偶然ボールが当たったような感じであったが、まぁ結果は良しである。

だが、その直後の失点は、声を掛け合う基本がおろそかになった、やらなくても良い失点であっただけに非常に残念である。

前回オリンピックの準優勝国が、出場さえ出来ないとは・・・。

果たして新国立競技場の問題と今回の女子サッカーの敗退はまったくの無関係なのだろうか?

スポーツは「気」の充実が結果を左右するから、どうもどこかで繋がっているような感じがする。

オリンピック全体に盛り上がりが欠けているような感じなのだ。

お偉方の凡ミスが、スポーツ界全体に悪影響を与えてやしないだろうか?

日本のスポーツ界全体の士気にかかわることである。

森喜朗は責任を取ってサッサと辞めろ。お前が居る限り士気が上がらんぞ!


■2016-03-06-Sunday 金原瑞人さん

翻訳家の金原瑞人さんが

帯広図書館の新設10周年記念の講演で帯広に来ると云うニュースを「広報おびひろ」で見て、応募はがきを送ったら当選した。

金原さんが多趣味な人でマジックも趣味のひとつだと聞いていたので、PCで検索して『私は現在、日本唯一の「マジック・ミュージアム」を作っている最中である・・・』旨のメールを送信してみたら「図書館の人とスケジュールを相談してみる」と本人から返信が来たのだ。

寄ってもらえたらこんな嬉しいことはない。

マジックが好きで、本が好きな人ならきっと喜んでもらえると確信しているからだ。

「マジック図書館」の方は2007年に一足早くに完成している。

このマジック図書館の蔵書数はおよそ1万5千冊で、手品・奇術関係だけではなく、魔術・魔女・魔法使い・超能力・UFO・妖怪・おばけ・霊・予言など「不思議」というテーマで集めている。

本屋に行くのが好きであるから、古書店も普通の本屋も暇さえあれば覗いている。長年の鍛錬で、背表紙を素早く見ていき背表紙に「手」「奇」「術」「魔」「マジック」などの文字を見つけると、ピタッとそこで目が止まる様になっている。

また、気になった本(本が読んで欲しいと私に訴えてくる)を手に取り、パラパラとめくっていくと、その文章の中の文字にも同様の反応をするようになっているのだ。

だから、大抵の「不思議」関係の本は所有している。

金原瑞人さんの「翻訳のさじかげん(ポプラ社)2009年3月2日刊」はどこかの雑誌の書評で「手品」と云う文字を見ていたが、そうして見つけた本のひとつで発刊時に購入していた。

サインをもらいたいと思って昨日本棚から取り出し、改めて読んでみたら「マジック」に関しての共通項をみつけてビックリした。

偶然にも、3日のこのブログに2月末に倒産した芳林堂書店のことを書いたが、その中で触れた「トリックスの水道橋店の布目貫一さん」「芳林堂池袋西口店の堤芳郎さん」など共通の接点があったので驚いたのである。

年齢も4歳違いであるから、ひょっとするとどこかで会っているかもしれないなぁと、妙に身近に感じたのである。

講演が始まる前の16時に図書館員が案内して連れてきてくれた。ほぼ1時間見てもらったが、おそらく時間が足りなかったと思う。

マジックマニアがじっくり見るには2〜3時間はタップリ必要な展示量なのだ。

色紙にサインをしてもらったのでさっそくミュージアム内に飾ろうと思う。

今度はジックリとマジック談義でもしたいものである。再訪を期待したい。


■2016-03-07-Monday ナンシー・レーガン

故ロナルド・レーガン元アメリカ大統領の夫人

であったナンシーさんが6日、94歳で死去したというニュース。

ナンシーさんと云えば、レーガン大統領のスケジュールを占星術師に相談して決めていたことでも有名であった。

レーガン大統領は俳優出身で、ナンシー夫人も女優であった。

映画バックトゥザフューチャーでは、主人公のマーティ少年が、タイムマシンで30年前の1955年に行き、若い頃のドク(あまり代わり映えしないが)に出会って、1985年のアメリカ合衆国大統領はロナルド・レーガンだよと言うと、ドクが「俳優のか? じゃあ副大統領はジェリー・ルイスで、ファーストレディはジェーン・ワイマンなのか?」などと馬鹿にして信じない場面があった。

当のレーガン大統領はこの場面をとても気に入っていたというから、あんがい度量が広いのかもしれない。

レーガン大統領と云うと1981年3月30日のワシントンD.Cでの狙撃事件が思い出される。

映画「タクシードライバー(1976年公開)」の影響を受けた犯人が、レーガン大統領を銃撃したのだ。

銃弾は専用車に当たって跳ね返りレーガンの左胸部に命中した。犯人はその場でシークレットサービスや警官に取り押さえられ、身柄を拘束されたが、この場面は複数のテレビカメラによってその一部始終が生中継されており世界中に放送された。

ナンシー夫人が占星術師を信じるようになったのは、この銃撃事件のせいだということになっているが、アメリカの大統領の国事を占星術で決めると云うのは問題が大アリである。

占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦とは云うが、当たる方の八卦というのは、言葉巧みに当たったように思わせるだけで、思い込みによるものが多いのだ。

例をあげたら、占い師の「貴方のお父さんは死んでいないですね?」と云うケース。「もう死んでこの世に居ないのか」「まだ死んでいないのか(生きている)」が受けて側の判断で当たった、外れたのどちらにも変わるのである。

こんな適当なことで政治をやられたら国民はたまったものではない。

このナンシーさん、対立した主席補佐官を辞任させたというエピソードから「女帝」とも言われたが、恐ろしいことである。スピリチャル的なことで、政治をやっては大変なことになるのだ。

しかし、昔から政治家は占いが好きな人が多いと云うから・・・。

ファーストレディは政治家ではないのだから、政治に口を出してはいけないはずだが・・・。

そのアメリカでは、ファーストレディをやった人が、今度は大統領を目指している。いったいどんなことになるのやら。


■2016-03-08-Tuesday 展示物

整備中のマジック・ミュージアムの展示物として

飾りたいなぁと思い、マジック用品・道具の製作会社で、マニアの間ではとても有名な会社から木工品の「チェンジングカードケースDX」と云うのを購入した。

名称の通り、破ったトランプ等を元に復元したりする為の箱である。

この会社は、私が大学生の時から、マジック用品の木工品を素敵なデザインで作って販売している。

値段は高価であるが、それだけの価値は十分にある製品である。

出来れば、展示物としてこの会社の製品を揃えたいなぁと考えている。

まずは、手始めに比較的安価な製品を購入してみたのである。

製品が届いてすぐに展示したが、昨日、見てみたら箱の蓋の木が反ってしまっている。北海道の冬は特に乾燥しているので、木製品の狂いが生じ易いのだ。

すぐに写真を撮って、メールで交換を依頼した。

返事が来て、交換には応じるが、どの商品でもどうしても反りなどが若干は出てしまうと云う。

私の会社である「坂本商事株式会社」は熊の木彫り等の木彫品を扱っているから、北海道の乾燥が木製品に与える影響は良く理解している。

今回の商品は単純な構造なので、自分の会社でも直せるから、交換はしなくても良いと返事しておいた。

さっそく、反りの修正をやっている。

おそらく、元に戻るであろうと思う。

しかし、複雑な構造の商品で狂いが出てしまうと、チョット直すのは不可能であろう。

ジミー忍師のコレクションであった、箱根のカラクリ箱も乾燥で反ってしまってダメになってしまった。

北海道の乾燥状態では、本州の気候で作った木彫品をそのまま展示するのは、むずかしいかもしれないなぁ。何か対策を講じなければ・・・。


■2016-03-09-Wednesday 観光

馴染みの蕎麦屋に

昼食を食べに行ったら、隣の席に「帯広観光コンベンションセンター」の専務理事さんが座っていた。

旧知の間柄であるから、色々な話をしたが、マジック・ミュージアムの話になったので「日本唯一の施設なんだから、オープンしたら全国的にも話題になると思うよ、帯広市内には観光施設が無いのだから、上手く観光に活用してよ。その為には事前に一度見ておいて欲しいなぁ〜」と言った。

これまでに、新聞にも8回ほど、テレビでもNHKの全国放送で2回、道内版で1回、地元のケーブルテレビでは2週間に渡って数十回も繰り返し放送されたから、知ってはいるはずなのに・・・。

どうも、観光というのはもっとデカイものだと思い込んでいるらしい。

雄大な景色やばんえい競馬などだけが観光だと思っているのだろう。食べ物では豚丼が有名だが、それに安住していては観光としてはまだまだ弱い。

帯広市は、もともと通過する街で留まるような施設も少ないし、そう云う場所ではなかった。

だから、私たちは「北の屋台」という事業を民間で起こしたのである。行政は、もっと、もっと積極的に宝物の掘り起こしをやらなければならないだろうに・・・。

安定した農業を基盤にしている街だからか、あくせく観光なんぞやらなくても・・・と云う気質が昔からあるように感じるのだ。

でも、農業だって、ただ作って、消費地に送るだけでは、生産地というだけで利益が少ない。加工するなり、新しいメニューを考えて名物を作り出すなり、いろいろな方法があるはずだ。でも、それが単独では、まだまだ弱い。融合させる必要があると考える。

本来なら、観光コンベンションセンターが、そう云う観光のタネを見つけ出して、それをサポートしたり、広報したりして応援しなければいけないだろうに・・・。

お役所気分で、ノンビリと構えているばかりのように見えてしまう。

「食後に見に来ないかい?」と誘ったら「じゃぁ、見せてもらうか」とようやく乗ってきた。

見た途端に「想像していたモノとは随分違って、広いし、展示物も充実しているね」と云う。

そうじゃぁないだろう!

そう云うタネを新聞などで見つけたら、積極的に自分から見せて欲しいだとか、観光に役立てたいとか云っていくのが役目であろうに・・・。

まぁ、それでも一応は事前に見せることが出来た。果たして、今後、どんな反応をするのやら・・・。


■2016-03-10-Thursday プレゼント

6日に来帯した翻訳家の金原瑞人さんから

素敵な絵本が3冊送られて来た。

「終わらない夜」「真昼の夢」「どこでもない場所」(ほるぷ出版)の3冊である。

一番先に出版された「終わらない夜」の巻末には、ロブ・ゴンサルヴェスさんの絵に想像力を刺激されたセーラ・L・トムソンさんが詩をそえたものだと書かれてあって、それを金原瑞人さんが翻訳した絵本である。

ゴンサルヴェスさんの絵は、幻想的で不思議な絵で一目見て気に入った。

さっそくマジック・ミュージアムの図書コーナーの蔵書に加えさせてもらった。

昨年10月22日の全道版と、24日の早朝に2回放送されたNHKのニュースでマジック・ミュージアムのことを知った方などから、このところ毎日のように、トランプやらマジック道具など、いろいろな品物が送られてくる。

金原瑞人さんは6日に帯広図書館の招きで、講演の為に帯広に来られた際に、マジック・ミュージアムをご案内したところ、関心を持ってくださったようである。

マジックが金原さんの多彩な趣味のひとつであることは、以前にエッセーを読んで知っていたから、事前にメールで情報発信をしておいたのである。

戻られた後で、ブログにもマジック・ミュージアムのことを紹介してくれていたから、とても嬉しい。

明日、11日から、マジックの師匠であった故ジミー忍師の夫人、マコママがまたまた帯広に来る。

7月中旬の本格オープンを前に、いてもたってもいられないのだろう。今後の運営方針などについて話をしようと思っている。

少しずつだが、前進しているのが実感できる。毎日が楽しくて楽しくてしょうがない。


■2016-03-11-Friday マコママ

マジックの師匠であった故ジミー(聖)忍師夫人

マコママこと「こまだまこ」(上から読んでも下から読んでもこまだまこ)さんんが11日にまたまた帯広に来た。

ジミー師の遺言で、2007年4月から作り始めた「マジック・ミュージアム」も、昨年12月3日の「奇術の日」(ジミー師の提唱で、1・2・3の並びでワン・ツー・スリーのマジックの掛け声にちなんで制定された)に、ようやく身内らを招いてプレ・オープン式を開催するところまで漕ぎ着けたが、その時以来の約3ヶ月振りの来訪である。

一般公開のグランド・オープンは2016年7月中旬頃としていたが、その詳しいスケジュール等を決定する為の来訪である。

遊びではあったのだが、2月後半からスケジュールが立て込んでいたので、久し振りの休日に身体を休めようかなぁ〜と思って、電話での打ち合わせで済ませようかなぁ〜と考えていたのだが・・・。

「プレ・オープンの時からは、あまり変わり映えしていないよ〜」と言ったのだが・・・、「とにかく帯広に行きたい!」と云うのである。

もう、頭の中は「マジック・ミュージアム」のことで一杯なのだろう。東京でジ〜ッとは、してはいられないということなのだ。

昔の徒弟制度の様な、師匠と弟子の関係であるから夫人と云えども絶対である。

マコママも、帯広にはここ最近は半年置きに来訪しているから「空港への迎えもいらない、勝手に行くから」と、慣れたもんである。

我が社には夕方16時頃に到着した。

12月3日のプレ・オープン式以後は「監視カメラの設置」「ハイケース2台の増設」「読書テーブルの改造」「クロースアップマジック用のテーブルの改造」等をやっている。

展示物もかなり並べ替えをしているから、ミュージアムに入るなり「変わり映えしないどころか、随分と進化してるじゃん。スゴイ!スゴイ!」と喜んでくれた。

こちらは、毎日1時間ずつの作業をしているから、あまり変わっている感覚がないのだが、3ヶ月振りだと大きく変わっているように感じるのだろうなぁ〜。

まぁ、とにかく喜んでくれているのが何よりである。


■2016-03-12-Saturday まじまじしゃん

アマチュアマジシャンのまじまじしゃんさんが

3月末に転勤で帯広を離れると云う。

2年前に帯広への転勤で知り合ったのだが、当時の帯広には、日本でも有数のアマチュアマジシャンで転勤族の方が3人も集結するという奇跡が起こったのである。

自衛官のセリックさん、銀行員のスペンサー・トリックスさん、そして保険マンのまじまじしゃんさんの3人である。

人口の多い街ならいざ知らず、17万人の人口しかない帯広に、偶然にも同時期に3人もの有名なアマチュア・マジシャンが集結するなんて、スゴイことである。

私を含めて4人で、マジックを披露し合ったり、語らったりして楽しんでいたが、昨年の3月にセリックさんは名古屋に転勤し、スペンサーさんは銀行を退職して札幌でプロマジシャンになった。

そして今度はまじまじしゃんさんが松山に転勤すると云う。

転勤は宿命とは云いながらも、私にとっては、残念なことである。

まじまじしゃんさんとは、夫婦同士で語らう仲であっただけに余計に寂しい感じがする。

今月末には、帯広を離れてしまうと云うので、マコママも帯広に来ていることだし、5人でお別れ会の食事をしましょうと誘ったのであった。

帯広を離れる前に、マジック・ミュージアムもじっくり見学してもらいたいので、会社の近くの、北の屋台の卒業生でイタリアンレストラン「タベルナ・センナリ」を予約した。

センナリは、以前にまじまじしゃんさん夫婦を誘って一緒に食事をしており、その後もご夫妻で訪れている店だからちょうど良いセレクトであった。

美味しい食事とお酒とマジックの昔話でおおいに盛り上がり楽しい一時であった。

7月中旬のマジック・ミュージアムのグランド・オープンには駆け付けると言ってくれた。マジックの仲間が帯広を離れるのは寂しいことだが、逆に全国に仲間が散らばるということでもある。

今後は人的拡がりを期待していこう。


■2016-03-13-Sunday 人のつながり

柏葉高校の同級生で

現在は、帯広の広小路商店街で「結(ゆい)」と云う立喰い蕎麦屋を営業している本間辰郎さんに、とあるお願いをした。

帯広を来訪中のマジックの師匠の故ジミー忍師夫人のマコママが、7月中旬のグランド・オープンの後、しばらくは帯広に留まりたいと云うので、その宿泊先を探すことにしたのであるが・・・、

しばらくと言っても、7月中旬〜9月末日までのおよそ2ヶ月半である。

3月に改装オープンした「ヌプカ」(旧ホテルやまこ)と云うホテルが、長期滞在者を受け入れるような新聞記事があったことを思い出したからだ。

私は社長の柏尾さんという方とはまだ面識がなかったのだが、新聞記事ではその活躍ぶりを知っていた。

その新聞記事の中で、本間さんらと一緒に活動していたという記事を思い出し、彼なら社長を知っているのではないかと思って尋ねてみたのである。

柏尾社長は東京で活躍されている方であるが、昨日今日とイベントの為にちょうど帯広に滞在していると云う。

まずは、本間さんのエスコートでマジック・ミュージアムに来てもらい見てもらった後で、ホテルの中を見せてもらうためにマコママとホテルに同行したのである。

帯広に暮らしていると、ビジネス系のホテルを訪ねる機会はないから、以前のホテルみのやの中はまったく知らないが、2階には外人客やバックパッキングなどの客を泊めるように合宿所みたいな2段ベッドのドミトリーというスタイルの部屋も作っている。

3階以上は個室であるが、新しいだけに綺麗で使い易そうである。

外からの人材を受け入れて帯広のまちづくりの新しい拠点になる可能性を秘めた場所であろう。

我々よりも若い世代の人達が、新しいまちづくり活動を始めているようで頼もしい限りだ。

まだ、オープンしたばかりであるし、稼ぎ時の2ヶ月半の長期滞在はビジネスとしては厳しいだろう。

お互いに長く付き合っていくには、無理は禁物であるから、お互いに出来る事は出来るし、出来ない事は出来ないとハッキリして付き合いましょうということでホテルを後にした。

後日、料金などのプランを提示してもらうことになっている。

まぁ、マコママが泊る、泊らないは別にしても、まちづくりとしては面白い人と知り合うことが出来た。

本間さんい感謝である。


■2016-03-14-Monday 福島第一原発事故

13日21時から放送のNHKスペシャル

「原発メルトダウン」を見た。

取材に基づいて再現ドラマ化したもので、これまで言われて来た事故後の対応などについて、とても分かり易かったが・・・。

NHKはCMが無いから好きなのだが、この日はトイレを我慢するのが辛かった。それほど目の離せない番組であった。

見ていて恐ろしくなったのは、この原発事故によって「関東を含む東日本に人が住めなくなる恐れがあった」ことと「その可能性の回避が紙一重の偶然で救われた」ことであった。

そもそもの事故原因は、2011年3月11日に起こった東日本大震災で発生した大津波が福島第一原発を襲い、地下に置いてあった非常用電源が水没してその機能を喪失し、原発を冷やせなくなってメルトダウンを引き起こしたことにあった。

原発事故の原因は、ひとえに東京電力の怠慢と無責任にある。

東京電力は福島第1原発を襲った津波の大きさを「想定外だった」と説明してきたが、これは大嘘だった。

1142年前の869年に起きた貞観地震の際に発生した17mもの大津波が、福島第一原発の建っている場所を襲ったという見解もあったと云うので、東京電力でも、それらの見解などを基に、2008年には福島第1原発に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルにもなる可能性があることを既に社内で試算していたことを後に明らかにしたが、東日本大震災後の五ヶ月半もこの事実を公表してこなかったのである。

実際の大震災による福島第1原発の遡上高は14〜15メートルだったと言われているから、この試算を踏まえて、電源やポンプなどの重要施設の防水対策をきちんととっていれば、全電源喪失から原子炉を冷却できなくなる事態を防げた可能性がある。少なくても、原子炉がメルトダウンするという最悪の事態を回避できた可能性があった。

今回のテレビを見ても、津波が襲うかもしれないと云うのに地下に非常用電源設備を置いてあると云うのが理解に苦しむ。

素人考えだが、この非常電源だけでも、上階にあればまた事態は違っていたかもしれないなぁと考える。

1000年以上も前に発生したような規模の地震が起きるとは想定していなかったということであろう。

菅総理を始めとする官邸の対応もヒドイし、東電の本社の対応もヒドイ。

再現ドラマの中で違和感を覚えたのは、吉田所長が、所員の安全を守る為に作業を中断させて一旦避難させたことだった。

東日本が壊滅するかもしれないという重大事態が発生すれば、100人や200人の命では済まないだろうに・・・。

原発がメルトダウンして大爆発でも起こしたら、原発の敷地内に居る人間だって全員死ぬだろうに・・・。

それこそ、目の前のことに心を奪われて全体を俯瞰出来ていない。

ノーブリス・オブリュージュが足りないと感じた。

菅直人首相、東電本社のお偉方、吉田所長など大局観に立てるリーダーの欠如が引き起こしたヒューマンエラーの惨事である。

酷なようだが、それなりの立場にいる人間は、日本を守る為に命掛けでやってもらわないと・・・。

それこそ、一番危険で、日本が壊滅する寸前だった2号機の大爆発が避けられたのは偶然の産物だったと云うのも驚きであった。まさに神風が吹いたようなものである。

これを見て、心底背筋が凍りついた。

あぁ、それなのに、日本の政府はまだ原発を稼働させると云う。

まさか北朝鮮の「若者」が暴走して、日本の原発目掛けてミサイルを撃ち込んだりはしないだろうなぁ〜。


■2016-03-15-Tuesday 多湖輝さん

多湖輝さんの訃報が入った。

23集の累計で1200万部も売れた「頭の体操」シリーズと云うパズル集などの著者で千葉大名誉教授の多湖輝(たご あきら)さんが6日に間質性肺炎で死去していたことが15日に分かった。享年90歳であった。

多湖さんは、テレビのマジック番組にも度々出演していたほどのマジック好きで、趣味の範囲を越えていた。

元々は、心理学者で、催眠術の本なども書かれているし、ゴマ書房の心理学シリーズなど、素人にも分かり易い心理学の本や子育ての本なども多数執筆している。

1966(昭和41)年にひねりのきいたパズルやクイズを集めた「頭の体操」を出版し、200万部を超える大ベストセラーとなった。その後、同書はシリーズ化され、2001年の第23集まで累計で約1200万部が売れた。

もともと、マジック愛好家には、パズルやクイズなどが好きな人が多いが、多湖さんは、さすが心理学者らしい本の作り方で、大ヒット作を作り出したのであった。

問題と解答を別のページに載せると云う単純なことであるのだが、昔のパズル・クイズ本は問題の掲載されているページの隅っこに逆向きに答えを掲載しているものが多かった。

これだと、ついつい回答に目が行ってしまうのである。それが人間の心理である。

それを、回答をページをメクらないと見られない様に工夫したのである。これは画期的なクイズ本の作り方であった。

ジックリと回答を導き出したい人はページをメクらなければ良いのだから・・・。

また、イラストを使って視覚的効果も取り入れた。文章だけのものよりもとっつきやすい本になった。また、新書サイズと云うのも良かった。通勤通学のついでに電車の中で読むのに最適なサイズであったのだ。

設問の斬新さやヒネリもあったが、こういった数々の工夫によって「頭の体操」シリーズは日本国民に受け入れられたのである。

まさにコロンブスの卵であった。誰かが始めると、次に続く人には道が拡がるものである。最初に考えた人は素晴らしい!

私が、マジックを始める前にこの「頭の体操」は出版されていたが、もともとクイズやパズルが大好きであったから、小学生であった私もこのシリーズが大好きであった。

また、一人マジック好きな偉人が亡くなってしまった。

ご冥福をお祈りする。合掌


■2016-03-16-Wednesday 詐称

テレビのコメンテーターとして

報道ステーションなどに出演していた低音の魅力の経営コンサルタントのショーンKことショーン・マクアードル川上氏(47)が学歴を詐称していたと16日発売の週刊文春に記事が載ったと云う。

帯広では文春の発売日が土曜日だからまだ見ていないが・・・。

ショーンK氏が出演予定だった報道ステーションで古舘伊知郎キャスターが謝罪したことで分かったが・・・。

「テンプル大で学位」「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得」「パリ第一大に留学」というスゴイ学歴について、「学位もMBAも取っていない」と打ち明けた上で「そもそも学歴を公表していない。(学歴は)知らないところでネットなどに掲載されていたもので、自分発信ではない」と説明。事実とは違う学歴が独り歩きしたと主張していると云うが・・・。

この学歴詐称が発覚したために、4月からスタートするフジテレビ系の「ユアタイム〜あなたの時間〜」(月〜木曜後11・30、金曜後11・58)の司会を降板したのだと云う。

週刊文春によると高校時代のあだ名はホラッチョで、これは川上氏の故郷・熊本ではホラ吹きという意味だと云うが・・・。

同級生によると、顔も高校時代の顔とは随分と変化しているとのことで整形疑惑も云われているという。どうも、ハーフ顔にするべく整形したのではないかと云うのだが、そもそも彼は本当にハーフなのだろうか?

今のネット社会では、経歴詐称なんてモノはすぐにバレルだろうに・・・。バッカだなぁ〜。

映画にもなった一昔前の「クヒオ大佐」とか云う、整形した詐欺師に何だか重なるなぁ〜。ものすごく滑稽でもある。

どうせなら、MBAを(まるでバカな頭)の略です。ぐらいに云えば良いのに・・・。


■2016-03-17-Thursday 虚言癖

昨日のショーン・K氏もそうだが・・・、

世の中に「虚言癖」のある人というのは結構な人数存在するものだ。

その虚言癖の原因というのは、どうもコンプレックスの裏返しである様である。

こう在りたいと云う自分の理想像を、ついつい他人に語ってしまうのだろうなぁ〜。

そのチョットした嘘を、取り繕う為に、更なる嘘を重ねていくが、その内にその嘘が誰が聞いても辻褄が合わなくなってしまい、自分でも訳が分からなくなって、ニッチもサッチもいかなくなってしまうのであろう。

本人は、自分の描く理想像を語っているつもりだろうから、嘘をついているという自覚がないのかもしれない。

もしくは、これが真実だと思い込もうとしているうちに、本当に脳がそう思ってしまい、記憶が修正されてしまうのかもしれないなぁ〜。

本人が嘘をついている自覚のない「嘘」というのは見抜き難いものである。

かつて一緒に仕事をした人間の中にも、そう云う人がいた。

コンプレックスは、良い方に作用すれば、成長のバネにもなるが、悪い方に作用してしまうと人格を破壊してしまうことになる可能性もある。

嘘をついているという罪悪感がある内はまだましだが、罪悪感が薄れてくると「詐欺師」みたいな行動を取るようになる。

一時しのぎの嘘で、その場、その場を取り繕っていくが、他人からの信用は失墜していくから、何事も上手くいかなくなる。

そうなると犯罪に走る傾向が多いようだ。

今回の件も、コメンテーターくらいで留めておけば良いのに、帯番組の司会をやるとなると、身体検査から嘘がバレてしまう。

まさに、雉も鳴かずば撃たれまいである。

自ら招いた事ではあるが、引っ込みがつかなくなったのであろう。

まだ、司会を始める前であったから、テレビ局も本人も被害は少なかったのかもしれないなぁ〜。


■2016-03-18-Friday ビル協会

帯広ビルディング協会の

事務局を43年間、4代の会長に渡って務めてくれたKさんが退任するので慰労会を開いた。

Kさんは昭和5年生まれであるから、今年86歳である。趣味で歌唱をしているから、お腹から声を出して姿勢も良いから若々しい。実年齢よりも10歳以上は若く見える。

昭和29年に帯広税務署に勤務して、我が家の向かいの下宿屋に寄宿していた。

我が家は当時、ダンスホールを運営しており、帯広中の若者が集まる場所であったから、独身だったKさんは毎日の様に通って来ていた。

しかも、下宿の食事が口に合わないと言っては、いつも我が家で夕食を食べていたのだ。

小さかった私は、随分と可愛がってもらい、リモコンで動くゴジラのおもちゃをもらったこともある。

妻の父親も当時は帯広税務署勤務であったから、このKさんとは同僚でもあった。だから、現在の我が家は夫婦ともに関係が深いことになる。

しかも、趣味としている歌唱教室は、我が社を会場にしているから、毎週我が社に通っている。

何かと、因縁があるのである。

ビルディング協会もかつては20社以上の加盟ビルがあったが、現在は3分の1以下に減ってしまった。

私は現在4代目の会長を務めているが、一番年少でもあるので、事務局も兼任せよということになった。

満45年周年で解散する方向で進んでいるから致し方ないなぁ〜。

まぁ、終息に向けて整理をしていこう。


■2016-03-19-Saturday 春の日差し

春の日差しが温かい。

3月1日の大雪と強風に依る吹き溜まりとで、すっかり雪に埋もれてしまった自宅の通路の除雪を断念したというか、諦めたというか、開き直ったというか・・・。

どうせすぐに融けるだろうと、放っておいたものが、今日の天気で見る間に融けていく。春の日差しは結構強烈である。

陽の当たる場所の路面が出てきて、その路面が更に陽で温められて、ドンドンと雪が融けていく。

こうなってくると、妙に身体がうずいてくる。

陽の当たらない場所に積み上がっている雪を崩して、陽の当たる場所に移動させて、雪解けのスピードを早めたくなってくるのである。

日陰に積み上がった雪は積雪60㎝ほどの高さである。

スコップで四角にカットして、日当たりの良い場所に捨てる。積雪箇所の一番下は厚さ5㎝ほどの氷になっていて、地面のインターロッキングタイルにへばりついている。

この氷をそのままにしておくのは、何となく気分が悪い。

しかし、この氷を割るにはツルハシが必要だが、ツルハシを使うと路面のタイルを割ってしまう危険性がある。

だが、午前中に、上部を除雪しておくと、午後にはこの氷の端が少し融けてくるので、この隙間にスコップの先を突っ込み、梃子の要領で持ち上げると、氷の板が持ち上がるのだ。路面を傷付けずに、氷をガバッと剥がすのは快感なのである。

割れた氷の板を、スコップでまた日当たりの良い場所まで運ぶ。

今日一日この作業をやっていた。

腰が痛くなるが、雪解けを早める快感の方が勝るのである。

雪解けがかなり進んだので満足して、家の中に入り寛いでいたところに妻が買い物から帰ってきた。

「今日一日、外にも出ないでダラダラして・・・」と云うから「除雪をしていた」と云ったのだが・・・。

景観の変化に気が付かないのだろうなぁ〜。

春の喜び方がまだ分かっていないなぁ〜。


■2016-03-20-Sunday マネー・ショート

映画「マネー・ショート」を観た。

例に依って「夫婦50歳割引き」で2200円である。

映画の舞台は、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻による、いわゆるリーマン・ショックの前段の話である。

金の亡者どもの、おぞましい話だ。

最初に言っておくが、私は「株式」というものを否定している訳ではない。

初期の「株式」はお金に余裕が無い人が、起業するのには実に有効な手段であったし、社会(個人)が、企業を支える仕組みとしては有益な方法であると今でも思っているが・・・。

やれ、リバレッジだなんだとめったやたらと複雑化して、素人にはまるで理解できない様にして(ほとんどの玄人と言われる人もおそらく分かっていないだろうが・・・)お金がお金を生み出し、個人の欲望が社会を破壊するまでの凶器にしてしまった連中が居ることだ。

実際のお金の何倍ものバーチャルなお金が動き、毎日、毎日、巨額のギャンブルをしているようなもんである。

複雑化させることで、個人の責任感は薄れて、関係者全員が無責任状態に陥る。これは悪魔の所業である。

私には、実態経済とはかけ離れたところで、一般庶民がギャンブラーの欲望の渦に巻き込まれているかのようにしか見えない。

もはや、世界のお金は健全性を完全に失っている。

だが、いつもこのバカバカしいギャンブルの影響を受けるのは、このギャンブルとは無関係の庶民なのである。

大損失を出した銀行や証券会社は、結局は何等かの形で生き残っていく。ギャンブルによって出された巨額の損失は、社会的影響とやら何やらで、結局は国民の税金で処理されるからだ。

実にフザケタ話である。

散々儲けた金で豪遊していた人間のケツを、何の贅沢もしていない一般庶民が払った税金で拭くのである。

小説や映画によくある話であるが、詐欺師が捕まるのが分かっていても、捕まるまでの間に、豪遊して(資産を隠して置いて)、捕まったら、何年か刑務所で刑に服し、出所してきたら、隠して置いたお金で豪勢な生活を送る。さしずめそんなところであろうか。

お金は天下の回りものである。大勢の間を回ってこそ価値があるのだ。一所に集めてもトリクルダウンンなんて決して起こりはしない。

現在のシステムは間違っている。

この映画を観ていて、胸クソが悪くなった。誰も幸せにしない金融システムなんて無意味でしかない。

本来の意味に立ち戻るべきである。もはや手遅れであろうけど・・・。


■2016-03-21-Monday 送別会

母校の高校の

同窓会・PTA合同の送別会が市内のホテルで開催された。

校長先生以下数名の教員、事務員、PTAの役員らが退任、転任、子どもの卒業などで役を離れる。

この時期は、送別会真っ盛りである。

昨日まで、温かかった気温も今日はかなり寒い。妻にホテルまで車で送ってくれと頼んだら・・・。

「あなたは少し太り過ぎだから、歩いて行きなさい」と冷蔵庫からビールを取り出しながら冷たく云う。さも、私の健康を気遣ってくれているかの様であるが・・・。

寒い中、徒歩でホテルまで向かったのであった。

PTAの役員の退任は、子どもの卒業が理由であるが、例年、大学に受かった子の親と、まだ受かっていない子の親では、表情が異なる。

校長の挨拶も例年は、今年は○○大学に何人、△○大学には何人と誇らしげに発表するのだが、今年はそれが無かった。

自身が定年まで1年残して辞めて、私立高校に転じる話で終わった。

PTA会長の挨拶も、何だか意味深な語り口で、事情をよく知らない私達のテーブルは皆チンプンカンプンである。

含んだような話し方をしないで、ハッキリと言ってくれた方がよっぽどスッキリするのに・・・。

結局、最後まで事情が分からないままであった。

何だか、変な送別会であったなぁ〜。


■2016-03-22-Tuesday 面倒な・・・

母のところに金融機関から電話が入った。

定期のマル優の自動更新手続きをしたが、マイナンバーが必要だから今月中にその他の本人確認の為に必要な写真付きの証明書などの書類も持って銀行の窓口まで来て欲しいと云う。

写真付きの証明書?

母は運転免許証はとうの昔に返上しているし、顔写真付きの証明書なんて・・・何か持っているのかと聞いたら、身障者手帳があると云う。

母には、まだこの身障者手帳があるから良いようなものの、これも持っていない老人だってたくさんいるだろうに、写真付きの証明証と言われても困る人結構は多いのじゃぁないだろうか。

母は足が悪いから「銀行には行きたくない。代わりにお前が行って来て」と云うのだが、私だけが行ってもダメなのだと云う。

母が行って、本人確認をしなければならないらしい。

今時、定期預金の金利なんて鼻クソみたいな額しか付かない。たとえそれがマル優であったとしても目クソ分が足されるだけだ。

だから、マル優なんてモノにしなければ、マイナンバーなんて必要ないだろうから、ただの定期預金で良いと銀行に云ったらどう?とアドバイスしたが、すでに自動的にマル優になっているから、今回は銀行に来てもらわなければならないのだと云う。

タクシーで往復したら、利息以上の金額を払わなければならないではないか。バカバカしい。こんな変な事ってあるのだろうか?

普通の定期よりもわずかばかり金利の良いマル優にするのに、利息以上の交通費を掛けて銀行まで出向けってのか!

仕方がないから、母を車に乗せて銀行まで一緒に付いて行ったのであるが、3連休明けで混んで居たから、手続きが終わるまでに1時間も掛かってしまった。

オレオレ詐欺も流行っているし、親が死んでいるのに届けずに年金を騙し取る悪い奴も居るから、本人確認が必要なのは分かるが・・・。

足腰が弱っている老人や、病院に入院している老人だって居るだろうに、そういう人の場合でも本人が銀行まで出向かなければならないのだろうか?

何とも面倒なことであることよ。


■2016-03-23-Wednesday 流行り

不倫流行りなのか?

このところ、政界、芸能界での不倫報道がモノスゴイ!

週刊新潮もライバル誌の文春に負けないように記者にハッパが掛かっているのだろうなぁ。

もう、ちょっとやそっとでは驚かなくなっているが、今度の五体不満足の著者の乙武洋匡さんの不倫報道には、イメージと現実とのギャップが激しくて、ちょっと驚いたなぁ〜。

他人の事にはあまり関心がないから、彼が結婚していて子どもが3人もいるということも知らなかったが・・・。

一緒に不倫旅行する相手も数人いたと云うし、一夜のSEXだけの関係の相手も数人いたというから、なかなかに性欲が深い人のようである。

彼が不倫する場合は、介添えは必要なんだろうか、その場合の介添え人って男なのか女なのかなどと別な事に気が向いてしまう。

乙武さんは、今年夏の参議院選挙に出馬するとかしないとか、野党から出るとか自民党から出るとか言われていたが・・・。

まぁ、目玉候補というか話題の候補の一人であることは確かであろう。

ひと昔前までは、政治家の実力は、上半身と下半身と分けて考えるという傾向にあったが、最近は政治家にも潔癖さが求められている。

つい先ごろも、育児休暇を取るなんて騒いでいながら、妻が出産する時に不倫したイクメン議員が辞めたが、彼も自民党だから、今回の不倫報道の中で、自民党は乙武さんを公認するのだろうか?

彼の、ポジティブで清廉そうなイメージは、今回の不倫で崩れてしまうのではなかろうか。

まぁ、不倫なんてモンは所詮は家族の問題でしかない。奥さんと相手が許せば、赤の他人がどうこう云う問題ではないが・・・。

現代の日本で、政治家になろうなんて考えてる人間に、倫理観を求めるのは、もはや無理な時代なのかもしれないなぁ〜。


■2016-03-24-Thursday 雲行き

何だか、このところの世界情勢の雲行きがかなりアヤシイ!

22日ベルギーの空港と地下鉄で自爆テロがあって30人以上が死亡したとのニュース。

ベルギーはテロの温床になっているという指摘が、パリ事件の時からあったが・・・。

昨年11月のパリでの連続自爆テロ事件の容疑者がベルギーの首都ブリュッセルで捕まったから、少しはベルギーも落ち着くのかと思っていたが、逆に、テロを誘発したようだ。

テロは国際条約に違反している犯罪である。とキリスト教系の欧米白人は云うが、相手側から見れば、空爆だって無差別殺人と感じているだろう。

兵器力で圧倒的な差がある戦いでは、ゲリラ戦しか勝ち目がないのは昔からの常識だ。イスラム国側が、空爆に対して自爆テロで対抗するのはそれしか方法がないからだろう。

宗教的な対立にプラスして民族間の対立というのもあるのだろうから、やたらと複雑である。そうなると、理屈ではなく感情であろうから、収拾が難しい。

完全なる和解というのは出来ないのだろうなぁとは思うが、何とか不完全であっても事態の収拾ってのは無理なのかなぁ。

今回のイスラム国の犯行声明に十字軍うんぬんと云う文句が入っていたが、何百年も前の事を忘れない執念深さはスゴイ!

日本人みたいに恨みはサッサと水に流して忘れてしまうなんてことは、彼等には出来ない相談なんだろうなぁ〜。

アメリカ大統領選挙では、当初は泡沫候補とみられていたドナルド・トランプ氏が共和党の指名獲得をしそうな勢いがまだ続いている。

指名獲得がみえてきたからなのか、過激な発言はやや薄れたようにみえるが、トンデモ発言であることには変わりがない。共和党員は本当にこのままトランプ氏を指名するのだろうか?

北朝鮮の若者の暴走振りも止まらない。誰がどうみたところで、北朝鮮がアメリカがバックにいる韓国に勝てるわけがないのに・・・。

ミサイルを一発撃つごとに何億円と云う大金をドブ(ミサイルを撃ち込んでいる海にか)に捨てているようなものなのに・・・。

そんな金があったら、飢えている国民に少しでも食料を与えたらどうなんだろう。北朝鮮に対する食料援助も、ヨーロッパの難民用に比重がかかっていて、北朝鮮への支給量が減っているというから、北朝鮮の国民の飢え方はかなりヒドイ状態らしい。人間は飢えたら何をするかは分からない。北朝鮮の国民だって、このまま餓死するよりも、クーデターを起こそうとするかもしれない。

金第一書記も、どうせクーデターで殺されるなら、全員道連れだ〜とばかりにミサイルを撃ちまくる危険性もある。

何を考えているのか分からないばかりに、余計に恐ろしい。

何だか、嫌〜な雲行きであることよ。


■2016-03-25-Friday 同期生が

この季節の新聞には

公務員、教員、銀行員などの人事異動が載るが、同期生の名前を見つけて嬉しくなる。

部長や校長や支店長など、皆偉くなって昇進しているからだ。

母校、帯広柏葉高校の校長に、同期生柏葉26期生の島芳一さんが就任したのは特に嬉しかった。

以前に同窓生で校長に就任したのは柏葉22期の佐藤博明さんであったから、母校の校長に同窓生が就任するのは彼で2人目である。

その他にも小学校の校長に就任した同期生も多い。

皆、偉くなったんだなぁ〜と思っていたが・・・。

よくよく考えてみると、それもそのはずで、私達の学年は来年が還暦であるから、皆、定年を迎えることになるわけだ。

私は自営業であるから「定年」というものがないので、これまで「定年」というものを意識したことがなかったが・・・。

仕事の面では双六での「あがり」に近づいたということである。

一昔前の「人生50年」時代なら60歳での定年というのは適齢期であったろう。

しかし、男女共に平均年齢が80歳を越えた現代では、60歳の定年は早過ぎる。

校長に就任した同窓生におめでとうと電話したら、就任したことよりも定年後のことを心配していたのだ。

年金が当たるまでの数年間の生活が心配だという。

また別の同窓生は、子どもがまだ学生であるから、定年で再就職して給料が減ったら、とても大学にはやれないと云う。

ウ〜ン、現代の政治で、果たして長生きすることが幸せなのかは分からないなぁ〜。

私には定年はないが、父は64歳で亡くなっているから、どうしてもこの64歳という年齢を意識してしまう。

後6年。

悔いのない人生を送りたいが、いつまで生きるか分からない。いっそ何歳で死ぬと事前にハッキリ教えてくれれば、充実した人生が送れるかもしれないと考えるようになってきた。

そんな年齢になったということにも感慨が深い。

ここ最近の人事異動をみてそう思ったのだった。


■2016-03-26-Saturday

24日の夕方から雪が降るという天気予報に

温かかったから雨になるだろうと思っていたのだが・・・。

24日、会社の終業後にチラチラと雪が舞い始めた。

へぇ〜天気予報が当たったなぁと思っていた。

食後に温泉銭湯に行く時には少し雪の粒が大きくなっていた。銭湯から自宅に戻る頃には駐車場に置いてあった自動車の屋根に雪が薄っすらと積もっていたが雪の粒は小さくなっていた。

例年のことだが、帯広は彼岸の頃に降雪がある。

しかし、路面に雪はない。

このところの気温の上昇で、路面の温度が上がっており、降った雪もすぐに融けるし、自動車が行き交うので雪を溶かすからだ。

たいして積もらないだろうと思っていた。

朝起きて、窓の外を見たら、春から冬に逆戻りしている。雪が残っている上に降った雪は融けずに積もったし、ベタ雪だから樹木にもビッシリと雪が付いている。帯広市内の降雪量は7㎝程度であった。

それでも、3月末の気温であるから、路面が出ている場所に降った雪はすでに融けている。

ラッセルで雪を日当たりの良い場所に集めておけばすぐに融けるであろう。つい先日に氷を割って、路面を出しておいて良かった。

氷の上に降った雪は融けないからだ。

今年は、義父のお墓への納骨を、子ども達が戻って来ているGW中に行ないたいと考えているので、どうかこのまま雪が降らないで欲しいものである。


■2016-03-27-Sunday 母の誕生祝い

母が今年3月末で85歳になる。

帯広在住の兄弟姉妹が集まって、誕生会をやろうと企画した。

市内のレストラン「ホーム」に、妹夫婦と弟家族と私達夫婦、そして母の8人が集合した。

それぞれの家族の子ども達がまだ小さい頃は、やれ、誕生だ入学だ卒業だと何かにつけてよく集まって会食をしていたが、子ども達が大学に行ったり、帯広を離れて就職したり、または結婚したりと、帯広に居る人間が段々少なくなってくると、集まる機会も少なくなる。

今年は、正月も集まらなかったから、久し振りに坂本ファミリーが集まっての会食である。

最初は和食にしようと店をあたったのだが、送別会真っ盛りのこの時期に、和食の店はどこも一杯であった。

急に思い立ったものだから、前日に電話しても空いているわけがない。昔馴染みの「ホーム」なら洋食でも良いと云うので、この店に決めたのであった。

呼び掛けたのは私だが、費用は3家族で割ろうと思っていたが・・・。

集まったら、妹の夫と、弟の妻が3月生まれだと云う。

しまった!兄弟姉妹の誕生日は覚えていたが、そのツレアイの誕生日までは覚えていなかったのだ。

3月生まれの誕生会をやると言った手前、3月生まれの居ない我が家が払うことになってしまった。

久し振りに兄弟姉妹が集まって楽しく飲食をしたのであった。

食後に、開設準備中の「マジック・ミュージアム」を見てもらう。

まだ何人かが見ていないのだ。

7月中旬のオープン予定であるから、かなり整ってはきているのだが、まだまだ雑然としている。

4人の兄弟姉妹の中で、収集癖があるのは私だけである。

「お兄ちゃん、よくもまぁ、こんなに集めたもんだねぇ〜」と呆れていた。まぁ、これは、兄弟が呆れるほどスゴイということである。


■2016-03-28-Monday 取材申し込み

北海道のテレビ局から

マジック・ミュージアムへの取材申し込みがあった。

日本テレビ系列のSTV札幌放送局で、毎週土曜日の23:30から放送している「熱烈!ホットサンド!」と云う番組である。

「取材協力のお願い」なる文章を読むと、『お笑いコンビのサンドウィッチマンが、道内各地の熱いスポットや、人、文化にふれ、北海道の魅力を発見する番組です。』と書いてある。

電話では、7月中旬にオープンする予定なので、現在は未完成である旨を伝えたのだが・・・、それでも、一応お伺いさせて欲しいと言う。

帯広の新しい話題スポットを紹介するのには、ネタが少ないのだろうなぁ〜、まだ完成していないのにマジック・ミュージアムを取材したいとは・・・。

番組のディレクターが説明の為に我が社を訪れた。

整備中のマジック・ミュージアムを見せたら・・・。

随分と驚いた様子である。おそらく事前に想像していたものとは、かなり良い意味で違ったのだろう。「こんなにスゴイとは思わなかった」と云う。

嬉しい反応だが・・・。

「他にも飲食店など4〜5ヶ所の取材をする。30分番組だから、4分ほどの尺(しゃく)にしかならない。」と云う。

食べ物の紹介なら、それでも十分な時間であろうが、このマジック・ミュージアムを4分間で紹介して、更に、マジックも演じて欲しいというのでは尺が短すぎる。

この取材日には、たまたま去年の3月末まで帯広の銀行に勤務していて、4月から札幌でプロマジシャンになり、現在はテレビなどでも大活躍しているスペンサー・トリックスさんが訪ねてくることになっている。

彼に、マジックを演じてもらえばテレビの絵的にもグッと良くなると思うのだが・・・。

果たして、実物を見たことで、気持ちが変わって、演出方法も変わるのであろうか?


■2016-03-30-Wednesday 松旭斎天勝

大正〜昭和の初期に

かけて一世を風靡した美人女性マジシャン「松旭斎天勝」の絵葉書が、先週のヤフーオークションに大量に出品された。

およそ15〜20種類ほどもあったろうか。しかもほとんど全部が綺麗な状態である。

既に持っているモノも数枚あったが、ほとんどが初見の絵葉書である。

天勝は、今で言うならアイドル時代の山口百恵か松田聖子のような超人気者であったから、絵葉書がブロマイドみたいに買われていた。

出品者名は「えはがき屋」とあるから、絵葉書を専門に扱っている業者なのであろう。

誰か、高齢のマジック愛好家が亡くなって、その遺品から出てきたのかもしれないなぁ〜。それを遺族が不要だからと業者に売り払ったのだろうなぁと想像をたくましくする。一度にこれだけ大量に出るのは珍しいことだ。

ぜひとも、落札して、現在整備中の「マジック・ミュージアム」に額装して飾りたいなぁと考えて、持っていない絵葉書にかなりの高額な値段を付けて入札をしたのだが・・・。

十数枚もの絵葉書を全部、落札するのには金銭的にもかなり厳しい金額まで高騰してきた。

落札時間に会合があってPCの前に座って居られない。私の携帯電話はガラケーだからオークションの状況を見ることができないので、どうしても落札したいと思った数枚に、この金額なら大丈夫だろうとかなりな金額の値段を付けて出掛けたのだが・・・。

帰宅してすぐにPCを開いたら、何と、全部、他の人が落札してしまっていた。

エ〜ッ、たかが絵葉書に、私以外に、こんな金額で落札する人が居たなんて・・・。驚いたなぁ〜。

落札した人はマジックのマニアなのであろうなぁ。それも天勝の絵葉書が欲しいなんてのはかなりの高齢者とみた。

個人のアルバムにでも貼って楽しむのだろうけど、きっと天勝は、私に落札してもらって、額装してマジック・ミュージアムに展示してもらう方を望んだことだろうと思う。

誰が、落札したか知らないが、仕舞いこんでタンスの肥やしにはしてくれるなよ。

天勝の絵葉書に陽の目をみさせてやって欲しいと願う。


■2016-03-31-Thursday ヤフオク

最近のヤフオクが何か変だ!

10年程前から、「マジック」「奇術」「手品」と云う項目で検索をして、気に入った商品が出品されたら入札をしているが・・・。

以前は、この項目で私が欲しくなるような古いモノに入札してくるライバルなんて4人程しか居なかったのに・・・。

このライバル達には、マジック愛好家もしくは収集家としてリスペクトしている。

競いあって負けても、彼等に負けたのなら仕方がないと諦めもつく。

しかし、このところの入札に、急に不審な連中が乱入してきた。

もちろん一般公開のオークションであるから、誰が参加しても良いのだが、どうもコレクションの為に入札している様子ではないのである。

どうも転売目的で利ザヤ稼ぎの為に入札をしている様な感じなのだ。

オークションに参加するには、独自のネームと云うか番号を付けるのだが、「0000●」と云う様な数字だけの人が最近やたらと増えている。

こちらは、普段のライバル達が参入して来ないからと安心していると、この番号の人達が、締切り時間直近に、サッと高額の入札をしてサラって行くのである。

コレクションしてくれているなら許せもするが、転売目的で買われると、貴重なモノがバラバラに分散してしまう可能性が高くなる。

マジック文化を後世に残す為にはなるべく少ない箇所に集中させたいと願っているのだが・・・。

かと言って、転売目的はダメだという規制も出来ないであろうしなぁ。

だが、こういう転売して利ザヤを稼ごうと云う輩が増えると、ヤフーオークションが荒れてしまいかねないなぁと危惧している。

どうも、この連中はマジック関係だけではなく。あらゆる分野で利ザヤが稼げるモノを物色しているようだ。

そろそろ、主催者は健全なオークションにする為の対策を講じる時期に来ているのではないだろうか?