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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2016-08-01-Monday 石原裕次郎記念館

小樽にある石原裕次郎記念館が来年8月末で閉館すると云う。

マジック・ミュージアムを開館したての身とすれば、かなりショッキングなニュースである。

施設の老朽化や使用している映像機器やボイラー部品の製造中止などのため、半年前から検討を重ねてきた結果、閉館を決定したのだそうだ。

裕次郎の衣装やレコード、映画やドラマで使用した小道具や主演映画のフィルム、撮影現場を再現したセット、ドラマ「西部警察」で使った車両や私生活での愛車や愛用品など約2万点が展示されていると云うが、その多くは東京・成城の自宅に戻すのだと云う。

記念館は1991年のオープンというから26年間四半世紀で閉館ということになる。

小樽は裕次郎が9歳まで6年間過ごした思い出の地。開館以来、観光スポットとしてにぎわい、旅行ツアーでも高い人気を誇り、記念館によると来場者数は、のべ1800万人に達したと云う。

しかし風雪や塩害などの影響による老朽化が進み、小樽市からも1年ごとに特殊建物として営業許可を得てきたが、維持が困難と判断したのだと云う。

ファンが別れを惜しんでもらえる時間も必要として閉館を1年前に発表したのだそうである。

展示品の一部は同市にも寄贈されるが、展示品を集めて催事のような形で全国を巡回するなど、新たな事業形態も検討していると云う。

石原裕次郎のようなビッグスターの記念館であっても26年も経つと、石原裕次郎自体を知っている人間の数が少なくなってしまうのだろう。それはつまりはファンの数も減っていくことになる。

歴史上の人物ならまだしも、ビッグスターといえども特定人物の記念館にはそこに限界があるのではないだろうか?

翻って、我が「マジック・ミュージアム」はどうなのだろうか?

マジックは4千年以上も続いていて、人類史上2番目に古い職業と言われているほどだから、特定のマジシャンに特化した施設でなければ普遍性は十分にあるだろう。

見て楽しむ他に、やって楽しむ様な工夫をしていけば・・・。

閉館原因が、ビッグスターの名前に頼ったからなのか、それとも他に他に何か要因があるのかを探ってみる必要があるであろう。


■2016-08-02-Tuesday 変な・・・

天気も人も何か変だぞ!

今日は久し振りの青空である。気温も31℃と急に暑くなって身体がついていかないから妙にダルイ。

帯広の7月は真夏日が一日も無かったと云う新聞記事が載った。13年振りのことらしい。

梅雨のような天気が続いて日照時間が少なかったし、気温も低かったから農作物は成長が悪いらしい。

十勝は農業で持っている地域であるから、不作だと景気が悪くなってしまう。

ここ最近、十勝から発信されるニュースが変だし何だか可笑しい。

60歳代の夫婦が高速道路上で運転中に喧嘩、妻が夫に車から降りろと命令し、車から降ろされた夫がトボトボと高速道路を歩いているところを通報されて保護され、妻は道路交通法違反で捕まったと云うニュース。

イイ歳をした老人が、まったくアホなことをと云うニュースだが、降ろされたのが夫というところが笑える。

やっぱり北海道の女性は強いんだなぁ〜!我が家だけではなかった!

流行りのポケモンGOで、女性が暴漢されそうになったというニュース。何が面白いのか、スマホも持っていない身としてはまったく理解不能だが、元々他人と同じことをやるのが好きではないから、ゲームはやらないしスマホも持たない。

ただでさえ歩きスマホで迷惑しているところに持って来て、今度は歩きポケモンGOだと、生命の危険を冒してまでやるほどのゲームなのかね〜。

先月16日に一般公開を始めたマジック・ミュージアムであるが、先日、私が出張で不在の時に訪ねてくれた人がライトノベル作家の早矢塚かつやさんであったようだ。

マコママから「留守間に来館した人が、法政大学の金原さんのゼミの学生さんで、帯広に行くならマジック・ミュージアムに行くと良いと金原さんから紹介された」との報告であった。

翻訳家の金原瑞人さんは、オープン前の今年3月6日に、帯広図書館での講演の際にマジック・ミュージアムを訪れてくれたのである。

芳名帳に書かれた名前を見ても分からなかったが、早矢塚さんのツイッターにマジック・ミュージアム来訪の件が載っているとのメールを帯広図書館の司書の方からいただいて初めて分かった次第である。

遠く東京方面からの客が多いのは、いまだに驚きである。嬉しいねぇ〜。


■2016-08-03-Wednesday 著作権

先日アンケートの回答を送付した

日本音楽著作権協会北海道支部から「著作権手続きについて」と云う文書が送られて来た。つまりは著作権料を払いなさいと云うことであるようだ。

アンケート用紙の回答には『「音楽使用有り」に○印を付け、但し封切りより50年以上経過した古い映画のDVDを映写している』と付記しておいたのであるが・・・。

私は、公開してから50年以上経過した映画作品は著作権フリーになっていると思っていたのである。

すぐに協会支部に電話を入れて確認をしたら・・・。

『マジック・ミュージアムで上映している映画は「オズの魔法使い(1939年公開)」・「魔術師の恋(1954年公開)」・「ヨーロッパの夜(1960年公開)」などで公開から50年以上経過した作品だけである。その他整備の経過を写真に撮ったものをDVD化して映してはいるが音楽は無しである』と説明した。

すると『音楽の著作権は、権利者の死後50年が経過するまで権利は継続する。映画「オズの魔法使い」の作中の「オーバーザレインボー」という曲は、まだ著作権協会の管理する楽曲であるから著作権料が発生する』と云うのである。

「エ〜ッ、公開から50年経過した映画は著作権が掛からないのに、その作中の1曲が該当していたら著作権が掛かるのぉ〜?」と聞いたら「そうです」と云う。

「じゃぁ〜音無しで映像だけ映したらどうなるの?」と聞いたら、それなら音楽の著作権は掛からないと云う。

何とも奇妙な話であるが・・・。

まぁ、これからは音無しで映像を放映するだけにしていこう。著作権のことはよく分からんなぁ〜!


■2016-08-04-Thursday テレビ局

6階の事務所で仕事をしていたら

3階のマジック・ミュージアムで受付をしているマコママから「今、テレビ局が取材をしたいって受付に来ているけど・・・」と電話が入った。

事前のアポもなかったが・・・。

降りて行くと『HBCの「今日ドキッ」ですけど・・・』と云う。「今日ドキッ」なら7月11日から4日間も密着取材を受けて19日に放送された番組であるが・・・。

どうやら面白そうな場所に、アポ無しで突然に訪れるという別の企画の様である。女性が3人とスタッフ3人の計6人が待っていて、最初からカメラが回っているのだ。

3人の女性が自己紹介をしたが、レポーター役の小橋亜樹さん、アナウンサーの金城茉里奈さん、案内して来てくれた帯広のホテルの女性の方である。

最近よくテレビ番組では「アポ無し」とか「突撃!取材」とかの冠を付けた番組があるが当然、事前に相手側の了承を得ているものだと思っていたが、「アポ無し取材」ってのが本当にあるんだなぁ〜。

良く趣旨も理解しないまま、打ち合わせも何も無しに、いきなりマジックミュージアムの説明を求められたので案内しながら説明をしていくと、途中でマジックの実演が見たいと言い出した。

今日は34℃と気温が急に暑くなったので、上着を事務所に置いたままである。

仕方がないから上着無しで演じることにした。

汗だくになりながらいくつかマジックの実演をやったのであった。撮影が一段落してから、「HBCの今日ドキッさんですか、19日にマジック・ミュージアムの特集を放送してくれた・・・」と言ったら、怪訝そうな顔をするので???。

同じテレビ局の同じ番組なのに・・・。

「今日ドキッ」は平日の帯番組で15:44〜19:00までの3時間以上も放送枠のある番組である。

おそらくディレクターが数人居て、それぞれのディレクターが独自に番組を撮っているのだろう。どうやらディレクター間は横の連絡が薄いようで、19日の「マジック・ミュージアム特集」は見ていないと云う。

面白いものである。

放送日を聞いたら来週金曜日12日の放送予定だとのことである。先月19日の放送とダブる場面も多々あるから、ボツにならなけりゃぁ良いのだがなぁ〜。


■2016-08-05-Friday Magic Museum

先月16日に一般公開を開始した

Magic Museum(マジック・ミュージアム)であるが、4日の閉館後の17時に帯広商工会議所のWさんから、シーニックバイウェイの観光ボランティア十数名にマジック・ミュージアムの説明をして欲しいとの依頼があった。

十勝に観光で訪れた観光客に、ボランティアで観光案内をしている人達だと云う。

そう云う観光ボランティアの人達に、マジック・ミュージアムの内容や意義を理解してもらい。観光客に説明をしてくれれば、その内の何人かはマジック・ミュージアムを見学する気になってくれるかもしれない。

むしろ、こちらからお願いしたいくらいの申し出であるから、喜んで引き受けた。

5日の14:00〜15:45に、学校の先生方の所属する「十勝教育研修センター」というところから、マジック・ミュージアム見学と、私の講演依頼があった。

十勝管内の小中学校の教員が総勢43名での来館である。

一度に43名の来館というのは、15日の内覧会以来の大人数である。このところの高気温であるし、空調設備はまだ付けていないから、かなりの室温になる。

40数名も一度に入場したら、それぞれの体温で室温も湿度も高くなってしまうだろうと思い。急遽、昼休みに電器屋に行って、据え置き型の除湿機を購入して来て設置した。

扇風機も3台設置して、空気を回すことを考えたが、やっぱり暑かった。後半にマジックの実演を行なったが、元々、汗かきなのに、更に緊張の汗も加わってタオルハンカチで汗を拭きながらの演技であった。

講演は他のお客さんが居る中では出来ないので、5階の別室で行なったが「マジック的思考法とまちづくり」に関しての40分間の講演であった。ミュージアムで汗をかいたのと、この会場はクーラーが効いているので乾燥しており喉が渇いて大変であった。飲物を用意しておくべきであった。

教員の人達が、マジック・ミュージアムの設立趣旨を理解してくれれば、子どもたちに伝わるかもしれない。

こういう地道な活動が明日につながるように思う。疲れたが意義のある日であった。


■2016-08-06-Saturday 新千歳空港

5日に新千歳空港で実に奇妙な事件が起きた。

午後12時20分頃に金属探知機のあるゲートのところで、金属探知機を通過しないで中に入った女性客が居るとのことで、中に居た客全員を一旦外に出して再検査をやり直した結果、遅延や欠航が続出したと云うニュースであるが、何度ニュースで聞いても、何度新聞を読み返してもよく分からない事件である。

結局、この女性客は搭乗カウンターでも「切符を失くした」と言って飛行機に搭乗してしまい。再検査の網には引っ掛からずに飛んで行ったと云うオマケまで付いていると云うから???

このところ新千歳空港から頻繁に飛行機に搭乗しているので、他人事ではない。

でも、何故に金属探知機を通過せずにゲートを通り抜けることが出来たのであろうか?

新聞には、警備員が確認の為に離れた隙に小走りで中に入ったと云うが・・・。

警備員は一人だけではあるまいに・・・。

あのゲートには係員が必要以上の人数居るではないか?他の連中は一体何をしていたんだ?

人数が居ても、何の役にも立っていないということであろう。オマケに搭乗ゲートでチケットを紛失したと云う言い訳で簡単に飛行機に乗せるか?

今や、世界中でテロが頻発しているこのご時世に、安全管理が杜撰過ぎないか?

すり抜けた本人が、サッサと飛行機に乗ってその場を去っていて、無関係な客だけが足止めを喰ったのだから、呆れてものが言えない。

これは、北海道の玄関口としてはあるまじき行為である。夏休み中の金曜日なのだから観光にも大打撃であろう。

まずは警備員の教育を徹底することが急務であるし、この女性客を見つけ出してキツ〜イお灸をすえるべきであろう。おそらく監視カメラにハッキリと顔が写っているであろうから・・・。

こう云う非常識な客が、他の客に対して迷惑を掛けるというのはトンデモナイことである。

もしも、私がその場に居たら「空港の責任者出て来〜い」と言っていたかも・・・。居なくて良かった〜。


■2016-08-07-Sunday まちづくり

まちづくりに関わっておよそ四半世紀。

腹立たしいことが、あまりにも多過ぎる。

原因の第一は「まちの活性化」とは何ぞやと云う本質を理解しないで、ただ闇雲に人が集まりさえすれば良いと云う安易な考えで行なうイベントが多いことである。

こう云う事を書くと、益々帯広では孤立していくのだろうが、誰かが言わなければ分からないのだろうから、言わざるを得ないであろう。

帯広市の中心街活性化事業と称して、街中の空地で、飲食を伴うイベントを行なっているが・・・。

確かあれは、ビル建築前の「今年限りのイベント」なのではなかったのか?

その「今年限り」が、もう4〜5年も続いていることに誰も疑問を持たないのだろうか?

「まちづくり」とか「活性化」の為と称してのイベントと云うのは、現在の寂れた中心街に不足している業態などを補完して活性化させることに意味があるのではないだろうか?

帯広の中心街は、今や「飲食店街」の様相である。全国的にみてもかなりの激戦地であろう。

そこに、飲食のイベントをやったら、どうなる!?

空地であるから上下水道などの常設の設備投資は少なくて済む。

まちづくりと称するからボランティアも手伝うので人件費がこれまた安く済む。

まちづくりと称するから飲料メーカー等も協賛し易くなって安価で飲料を仕入れられる。

まちづくりと称するから、音楽イベントの出演者も安いギャラで出演させることが出来るので、生演奏をして客を集めている。

このイベントの期間中、既存の飲食店はガラガラの状態になるだろう。

中心街で頑張っている飲食店の、稼ぎ時の客を奪って一体どうするというのだろうか!?

中心街の活性化どころか、衰退化させるイベントなんじゃぁないのか?

何の為に行なうイベントなのかと云う考えが足りないだろう!

こんなイベントをやるよりもサッサとビルを建てろよ!

これまでに「観光カリスマ」としての講演時に全国各地の商店街を視察させてもらった。47都道府県の内、まだ呼ばれて行ったことがないのは長崎・佐賀県だけである。長崎県は自費で2回行っているから、まだ訪れた事がないのは佐賀一県だけになった。

色々な商店街を見て思うことは、同じ条件の場所はただの一ヶ所もないと云うことである。

気象条件、地理的条件、産業、特産物、住民気質 etc.どれを取っても同じ条件の場所などアリエナイ!

あぁ、それなのに、余所の街の成功事例を良く検討もしないで、すぐに表面だけを猿真似をする「エセまちづくり」が多過ぎる。

もっと、場所のことを考えた事業をやったらどうなんだろう。


■2016-08-08-Monday お言葉

天皇陛下が「お言葉」を述べられた。

自らのお考えを、こう云う形で公表するのは極めて異例のことであろう。

何より驚いたのは、古来より公家が嫌う「言霊」の支配からの脱却である。

それは、自らの死に関して触れられたことだ。

古来、日本では、言葉には力があるから、言葉に発すれば現実化する。だから不吉なことは口にしてはいけないという風潮がある。

先の昭和天皇のご病状が悪化した際には、それこそ国をあげて、不吉なことを避けてきた。

また、天皇陛下が病気で臥せっている時に、国民が浮かれてはいけないと楽しいことの自粛も多かった。

現天皇がこう云う事態をを避けたいという意思が感じられたお言葉であった。

自らが自身の死に触れることで、他の者が「もしも天皇陛下が崩御された場合に・・・」という未来に起こりえる事態の論議することを、これまでは「何を不吉なことを・・・」と云ってしてこなかった日本の悪弊を是正されようとしているのではなかろうか?

福島第一原発事故も、この悪弊が生み出した事であるのだから・・・。

ここ最近は天皇皇后両陛下のお姿をテレビで拝見する度に、お年を召されたなぁ〜と思っていた。

ごく普通に考えてみれば、60歳で定年を迎える我々と違って、定年も無く、80歳を過ぎて尚、死ぬまで片時も休むことなく行事に追われる天皇皇后両陛下はあまりにも働き過ぎである。

いや、働かせ過ぎである。

好きで皇室に生まれた訳ではあるまいに・・・。

お言葉にあったように、象徴天皇としての責務をまっとうすることに全身全霊を掛けておられる。

比較するのもおこがましいが、私も、7月11日から土日祭日無しに働いているが、最近少し疲れて来た。

生まれた時から、休み無しで働き通しでは、心身ともに疲れるだろうなぁ〜と感じる。

日本は法治国家であるから、法律上は、色々と難しいことがあるのだろうが、ここらでゆっくりとご静養させてあげたら良いのではないだろうか?

天皇家は日本一(世界一)長い歴史があるだけに、逆に難しいのかもしれないが・・・。


■2016-08-09-Tuesday 五輪

リオデジャネイロオリンピックが始まった。

さほど関心がある訳ではないのだが・・・。

それでも日本人選手が活躍すると嬉しいのだから、私も日本人なのであるなぁ〜。

特に、中学生の時に「体操部」に入っていたので、体操には思い入れがある。

東京・メキシコオリンピックでの男子体操の大活躍を見て「体操日本」に憧れたのである。

小学生の時には、小柄であったし、空中回転や鉄棒などが得意であったから、迷うことなく体操部に入部したのであった。

当時は「ひねり技」などは無かったから、現在の体操の技は、まるで曲芸の様であるが・・・。

男子の体操団体で金メダルを獲るのは、かつては当たり前であったが、近年は中国に押されて銀メダル止まりであった。

中国雑技団の技に、美しい体操が勝ったと云うことであろう。

何だか、これから日本人選手が活躍しそうな気配を感じる。この金メダルによって、日本選手団に勢いが付いたようである。

スポーツは、乗ってくると実力以上の力を発揮するからなぁ〜。


■2016-08-10-Wednesday 大道芸フェス

今年も大道芸の季節がやって来た!

2002年に「北の屋台」の客寄せの行事として始めたのだが・・・。

今回で15回目を迎えることになった。

最初の出演者は、「クリスピークリス&キャプテンけーぼー(現:ファニーボーンズ)」の一組(+金丸雪菜社長の3人)だけであった。

マンネリ化して、つまらなくなっていた「平原まつり」に新風を注ぎ込もうと、坂本ビルの前で彼等に演技をしてもらったら、これが帯広市民にバカ受けしたのである。

帯広市民にとっては初めて見る本格的な大道芸であったのだろう。プロマジシャンを目指したことのある私とは芸能談義で大いに盛り上がった。

翌年からは、ファニーボーンズと金丸雪菜社長が、これはと思うリスペクトする芸人さんに声を掛けていき、芸人さんの組数も増えてきたが、最初から、一流どころの芸人さんばかりが集まる稀有な「大道芸」になっていたのである。

今年の出演者は3年振りに「ファニーボーンズ」、13回連続出演の「ダメじゃん小出」、中国雑技のスーパースター「張海輪」、ジャグリング&ダンスの「LAUGH&ROUGH」、スポーツタッキングの「SEOPPI」、マジック&ジャグリングの「Idio2」、空中エアリアルとジャグリングの「うつしおみ」、スプレーで絵を描くアートパフォーマーの「ファイター」の8組である。

いずれも一流の芸人さんが揃った。

今年は、例年とは異なり、13日から15日(一部16日)の3日間である。平原通りと広小路以外にも、ばんえい競馬場や駅前広場でもパフォーマンスを行なう。

今年も楽しみである。


■2016-08-11-Thursday リオオリンピック

ブラジルのリオデジャネイロで

オリンピックが開催されているが・・・。

治安の悪さが問題視されていたが、治安は一体どうなんだろうか?

工事も全部、完了したのだろうか?

身内に選手がいる訳でもないし、最初から行く気にもなっていないが、それでも、上手く運営出来るのか心配していたのである。

これまでのところ、大きな事件は起きていないようだが・・・。

男子体操個人総合で、内村航平が2連覇を成し遂げた。これはすごいことだ!

団体6種目全部に出て、そしてすぐに個人総合で6種目全部に出るなんて超人的な体力と精神力である。

最後の最後で、鉄棒で大逆転劇を演じたが、実に見事な着地であった。それまで内村を押さえて0.901点の差でトップに立っていた22歳のウクライナのオレグ・ベルニャエフの鉄棒は、安全策を取ったのか地味で堅実な演技であったが、消極的に見えた。最後の着地では1歩足がズレてしまったことで、逆に0.099点の逆転を許してしまった。

日本は、他に、オールラウンダーの加藤凌平が出たが、結果は11位。

まだまだ内村の領域までは到達していない。

加藤は、4年後の東京オリンピックまでに、相当頑張らなければ、団体も個人総合も金メダルは難しいだろうなぁ〜。

今回のオリンピックは日本は金は少ないものの銅メダルは結構取っている。頂点に立つのは厳しく難しいことであるが、銅メダルだってたいしたもんだ。

まだまだ続くオリンピック。結構面白くなってきたじゃぁないか!


■2016-08-12-Friday 大道芸前夜

明日13日から大道芸フェスが始まるが、

その前日の今日中に芸人8組が帯広入りして来る。

例年は、13日の花火大会の日に帯広入りしているのだが、今年は13日にも、ばんえい競馬場での大道芸の日程が組まれている為に、12日に入って来ることになった。

いつもなら、数組の芸人が花火大会を楽しんだ後に、21時過ぎに集合して前夜祭フェアウェルパーティを開催しているから、今年は12日20時にパーティを催すことに変更した。

車で入ってくる一組が集合時間内には到着出来なくて、かなり遅れたが21時半には全組が無事に揃ったのであった。

芸人さんは、全国各地で活躍しているから、芸人同士が全員顔見知りと云う訳でもない。今回、帯広に来てくれた縁を大切にして、今後も仲良くしてもらいたいものである。

今回の顔ぶれも、一流どころが集まった。

毎回、どんな芸人が集まってくれるのか、とても楽しみである。

パーティの終了後に「マジック・ミュージアム」を見学したいと云うので案内した。

ここ数年連続で帯広に来ている芸人さんは、完成するまでのプロセスを見ているので「ヘェ〜、去年はまだまだ雑然としていたのに・・・」と驚いたし、初めて見る芸人は、ただ呆気にとられていた。

大道芸人は、アクトにマジックを取り入れている人も多いので、マジックには関心が深い。

展示品を眺めながら、自分の芸に取り入れたいと真剣に眺めていた。

このマジック・ミュージアムを見た芸人が、他の芸人に広めてくれれば嬉しいことである。


■2016-08-13-Saturday 平原まつり1

例年なら曜日に関係なく14・15・16日の

3日間と日程が決まっている「平原まつり」であるが・・・。

今年は、勝毎花火大会のある13日に「プレ」と云うことで、駅前広場とばんえい競馬場でイベントを開催することになっている。

14〜16日は平原通りを通行止めにして歩行者天国にするのだが、13日の通行止めは、警察の許可が下りなかったと云う。

花火大会終了後の帰る人達の混雑を懸念してのことの様だ。

更に、16日は「盆おどりの予備日」と云う扱いである。予備日とは、15日の盆踊りが雨天で実行出来なくなった場合の開催日と云うことらしいが・・・。

これまで、盆おどりは2日間踊っていたのだが、今年から1日に縮小することになった為の措置であると云う。

前にもこのブログに書いたが、中途半端である。

雨が降らなかったら、逆に16日は「祭の後」になって死んだようになるだろう。

おまけに、今年から「山の日」が始まった。

この山の日が11日(木)であるから、手前に休みが入って、間延び感が出てしまう。

まつりは長過ぎるのも疲れるものだ。3日間ガッチリ楽しんで翌日からは気分一新で仕事をする。このメリハリが欲しい。

ダラダラはヨロシクナイ!

まぁ、いろいろ試してみるのも良いが、悪かった点は来年に修正するようにしてもらいたいものである。


■2016-08-14-Sunday 平原まつり2

13日にプレ平原まつりが開催された。

「北の大地de大道芸フェスティバル」も、ばんえい競馬場と駅北広場に数名の大道芸人が赴き芸を披露することになっている。

13日夜の勝毎花火大会は2万発もの花火を打ち上げるので、全国各地からの集客があるイベントである。

昼間に帯広入りした観光客が、ばんえい競馬に流れることを期待してのイベントである。

私も、競馬場に同伴したが・・・。

競馬と大道芸は、かなり難しそうである。

ばんえい競馬も、かつてのギャンブルと云う、暗いイメージから脱却して、家族連れで楽しめる明るいイメージに移行させたいのだろう。

しかし・・・。

以前から較べると、確かにコアな競馬ファンが赤鉛筆を耳に引っ掛けて、競馬新聞を眺めながら賭けるという暗い感じは少なくなってきている感じだ。

だが、他のイベントを行なう場所の整備が、まだまだ足りない。特に電源が無いのは決定的な欠陥である。

どんなイベントであろうが、電気が必要なのである。

その電源が競馬場本体から取れないと云うのは・・・。

また、「大道芸」の生命線である「投げ銭」が集まらないと云うこともある。

集客イベントとして「大道芸」を使うのは、この点をクリアしないと難しくなる。

まったくのイベントとして、主催者側が芸人に「ギャランティ」を支払ってくれるような体制でなければ、芸人はただ客を喜ばせるだけで、自らの収益には貢献しない行事になってしまう。

会場が中心街と離れていることも、荷物の搬出入やら、芸人の移動などの面でも難しくしている。

競馬のレースとレースの間に、客がイベントを楽しめるような工夫が必要であろう。

駅前広場も大道芸向きの場所とは云えない。ステージ上での大道芸は、これまた投げ銭集めが難しいのである。

大道芸とは、道行く人に関心を持ってもうように芸を仕掛けて、自分で観客を集め、その観客から投げ銭を集めて、それを生活の糧にしている芸である。

最初から、別の目的で、その場所に居る人を相手に行なうことは、芸の面でも、収入(投げ銭)の面でも難しいのだ。

今後の課題であろう。

夜に、坂本ビルの駐車場を使って「ナイトパフォーマンス」をしてみることにした。投光機を用意してある程度の明るさは確保したのだが・・・。

裏通りと云うこともあるのか、人の通行量が少ない。21時に花火大会が終了したら見物客が大勢流れてくると思ったのだが、これが意外に難しかった。

私が、栄通りとの角に立って、道行く人に呼び掛けて、何とかかんとか観客を集めて、結構盛り上がったのだが・・・。

終わった途端に、客は投げ銭を払わずに立ち去ってしまった。

客席が道路側に面していることもあって、すぐにサァ〜ッと立ち去れる構造が禍いしたようだ。

これも来年の課題であるなぁ〜。


■2016-08-15-Monday 平原まつり3

平原まつりは16日まであるのだが・・・、

今回は芸人のスケジュール調整のギリギリまで、日程の問題で確定が遅れたので、15日の演技が終了後に、恒例のファイナルショーをやることになった。

ファイナルショーは、13年前に、大道芸が「北の屋台主催」から「実行委員会組織主催」に変更になった時から続いている名物イベントで、一夜限りの出演者全員参加のコラボレーションショーなのである。

いつも、単独で演技をしている大道芸人が、帯広でだけは、協力し合ってコラボレーションをするのである。

まさに、帯広でしか見る事の出来ないショーなのだ。

この演出、構成を、芸人のダメじゃん小出さんが13年連続で担当してくれている。

このファイナルショーを見たさに東京から毎年、毎年来てくれる熱心な大道芸ファンの観客が居るほどなのである。私達スタッフもすっかり彼等と顔見知りになってしまった。

今回のフェスティバルは、若手の芸人さんが多くて、新鮮な感じである。ベテランの域に達したファニーボーンズやダメじゃん小出、中国雑技王の張海輪の演技は安心して見ていられる素晴らしい芸である。

彼等も、帯広にズ〜ッと出演してくれているから、帯広で芸域を広げている様な風にもみえる。

若手の芸人も、楽屋が一緒だし、スタッフとも家族的な親近感で接することができる帯広のフェスティバルは、他の芸人との友好を温めるチャンスでもあるし、いわゆる芸を盗むチャンスでもある。

身近に自分と異なる芸風や技を持っている芸人と接することで、吸収することが出来るのだ。

おそらく、帯広のフェスティバルに参加することは芸人側に取っても、他のフェスティバルとは異なるプラスの要素があるのではなかろうか?

今回のファイナルショーには、私もマジシャンとして参加せよとのダメじゃん小出さんの要請である。

舞台出演はしばらくやっていないから、盛り上げることは、私には出来ないので、前座として30秒だけ演技時間をもらって、マジック・ミュージアムの館長としてマジックを演じたのであるが・・・。久し振りに緊張したが楽しい一時であった。

最後の投げ銭タイムに驚くことが起きた。何と1万円札を入れてくれた客が居たのである。これまでに5千円札を入れてくれた客は居たが、1万円は初めてだ。きっと大満足してくれたに違いない。

このファイナルショーの収益は、この後に行なわれる出演者とスタッフ合同の恒例の焼き肉パーティの資金になるのだが、過去最高額の10万7千円超の収益であった。

今年も美味しい焼肉とお酒が楽しめそうである。


■2016-08-16-Tuesday 平原まつり4

平原まつりには不思議なジンクスが存在する。

それは、太鼓をたたき出すと雨が降り始めると云うジンクスだ。

15日の天気予報を朝見たら、台風が逸れて十勝には雨が降らない模様であったのだが・・・。

ところが、太鼓をたたき出した瞬間にポツリと、私の薄い頭頂部に雨が落ちて来たのが分かった。誰よりも早く敏感に感じるようにわざと薄くしてあるのである。

直後に激しい雨がザ〜ッと降ってきた。

まさにジンクス通りである。

太鼓の皮も雨には弱いから、すぐに中断して太鼓にビニール等を被せ始めたら、今度は雨がピタリと止んだのであった。

雨が止んだので、再び太鼓を鳴らし始めたら、またまた雨が降ってきたのであるから不思議と云うよりも、太鼓と雨には何か相関関係でもあるのじゃぁないかしらん。

毎年、毎年、同じ様な事態になるのだから、雨が欲しくないなら、太鼓は鳴らさない方が・・・。

15日夜に、ファイナルショーを終えて、打ち上げパーティをやってしまったら、もう完全に「祭の後」という感じである。

「祭の後」の寂しさがあるのに、行事の上では、16日の朝にも集合しなければならないのだ。

16日の予備日ってのは、まったくの蛇足でしかない。

気持ちの切り替えも出来ない。

16日は、雨がパラついていたから、他の行事は中止。大道芸だけアーケードの架かっている広小路に移動して、若手の芸人さんには数組残ってもらって大道芸をやってもらったが、盛り上がらないことおびただしい。

集まった200名ほどの観客が大道芸を楽しんでくれたから良かったようなものの、もしも大道芸が無かったら、16日の平原まつりは一体どうなっていたのだろうか?

始めから、こうなることは十分に予測出来ていたのに・・・。

さて、来年の日程はどうなることやら・・・。

中途半端は止めて欲しいものである。


■2016-08-17-Wednesday 台風直撃

台風が北海道を直撃した。

珍しいことである。

いつもなら上陸しても温帯低気圧に変わっているか、東に逸れて行くのに、今回は本州にも上陸しないで、いきなり北海道に上陸したのである。20数年振りの珍事である。

しかも、台風の中心が十勝の帯広を通過すると云う。

各テレビ局のニュースでも、「台風が北海道の帯広を通過中です。」と云う今まで聞いたことのないニュースを伝えていた。

確かに、物凄い暴風雨であった。

これまでにも数度の台風を経験しているが、こんな事は初めてである。

記憶に新しいのは、2001年9月11日の台風である。ニューヨークの貿易センターツインビルに飛行機が突っ込んだテロ事件のあった日だからとても印象に残っているのだ。

「北の屋台」を同年7月29日にオープンさせたばかりであった。

当日の昼間は、帯広市役所で帯広市の総合計画の会議の初会合があった日でもある。

私も委員として出席したのだが、会長に就任した北海道大学の小林英嗣教授が、「北の屋台」を見学したいと言うのである。

私が「会議はまだ何度もあるでしょうから、何もこんな台風の日に見なくても・・・」と言ったのだが「こう云う日だからこそ見たい!」と言うのである。

仕方がないからご案内したのだが、天井から雨が落ちてくるわ、足元は川の様に水が流れるわと云う状態であった。それでも、屋台を楽しまれていたが、テレのニュースが流れて、こりゃぁ〜大変だ、すぐにホテルに戻ってニュースを見なけりゃ・・・と解散になったのであった。

この台風は北海道大学のポプラ並木も根こそぎ倒した強烈な風台風であったので特に印象に残っている。

久し振りに強烈な台風が襲来した。

自宅に戻ってみたら、居間が水浸し。

1階の屋根に2階の壁が立ち上がっている場所の僅かな隙間から、強烈な風で吹きつけられた雨が入り込んでいる様である。

雨漏りなんて・・・。

今回の台風もいろんな意味で、私に強烈な印象を残して行った台風であったが、平原まつりを直撃しないでくれて助かった。

大道芸人さん達も一応は皆無事に次の目的地に到着出来たようで一安心である。


■2016-08-21-Sunday 初孫

生者必滅!

この世の生けとし生けるものは必ず死ぬ。何人たりとも免れることの出来ない真実である。

そんなことは百も承知、早いか遅いかだけだと分かっちゃいるけど・・・。

でも順番が逆になることほど悲しく空しいことはない。

人は、どんなに重大な事件でも事故でも天変地異であっても、それが己のが身に降り懸からない状況であれば、さほど気にすることもなくやりすごすものであるが・・・。

去年、東北に嫁いだ娘に、この春、子どもが生れた。東京以北では隋一の設備が整った病院で出産したが・・・。

私にとっては初孫の誕生である。しかし、出産予定日よりもかなり早い、いわゆる切迫早産というものであった。

生まれた子どもは、医者からは「もっても1ヶ月の命です」との宣告を受けた。

大ショックである。せっかく爺ちゃんになったというのに、何で・・・。との思いが頭から離れない。

娘達夫婦のショックはそれ以上であっただろう。

1ヶ月の命ならば、生きている1日を1年に感じられるくらいの愛情を注ごうと娘達夫婦は、毎日、毎日病院に行き、看病をした。

私達夫婦も時間を作っては、毎週のように週末には北海道から通った。妻は私がどうしても行けない時には一人でも出掛けて行った。

誕生した孫は、私に似たのか端正な顔立ちで、成長したらきっと女性にもてるハンサムボーイになっていただろう。私に似ていないところは足が長いところくらいであるが・・・。

このまま成長すれば、私は爺バカになっていたであろう。おそらく、やれ幼稚園の入園式だ、やれ運動会だ、お遊戯会だ、小学校の入学式だと、しょっちゅう出掛けて行ったことであろう。その分をこの子の生命ある1ヶ月間にギュッと凝縮して、愛情を注ぎ込んであげたかった。

その甲斐あってか、孫は8月17日まで88日間生きてくれた。しかも、まるで、私の一番忙しい時期を外すかのようにして・・・。

18日にマジック・ミュージアムに一羽の雀が迷い込んで来た。窓には網格子が掛かっているから窓からは入っては来られない。いったいどこから入って来たのだろうか?

捕まえて外に出してあげようと追ったのだが、上手く捕まえられない。その内にフ〜ッと消えるように居なくなったのであった。

きっと爺ッちゃんが作ったマジック・ミュージアムを、雀に姿を変えて見に来てくれたのだろう。

19日の葬儀には、台風7号の襲来で交通機関がマヒしている中、何とか辿り着いた。

娘達夫婦のアパートで、冷たくなってしまった小さな孫の身体を抱っこした。涙が止まらない。

横では、娘達が88日間撮影し続けたビデオを流している。6時間近くもそれを見てずっと涙を流していた。

亡くなる1日前が一番元気であったと言う。

綿アメを綿棒に付けて与えたらチュパチュパと美味しそうにナメているビデオの姿が可愛いくて仕方がない。

亡くなる直前には、3回も満面の笑みを浮かべて笑ったのだと言う。まるで看病してくれた人達に「ありがとう」と言っているかの様であったと言う。その笑っている写真を見たらますます涙が止まらなくなった。

病院から出る時に、祈りの部屋に病院の医師や看護師らスタッフが20数名も集まって、孫にお別れをしてくれたと云う。病院のスタッフにも愛された愛くるしい存在であった。

病院で生まれ、病院で亡くなった。病院の外に初めて出たのが・・・。

斎場には大勢の東北の親類が集まってくれて、代わる代わる冷たくなった孫を抱いてはお別れをしてくれた。たったの88日間ではあったが、多くの愛嬌を振り撒き、多くの思い出を残してくれた子であった。

小さな棺桶に入れて斎場で焼いた。骨壷も子ども用のちっちゃなものを用意したのであるが、それでも大き過ぎるくらいであった。

お寺に行ってお経をあげてもらい戒名を付けてもらう。

和尚は「風」と云う字を入れて戒名を付けてくれたが、まさに「風」の様にやって来て、「風」の様に去って行った子であった。

おまけに台風まで一緒に付いて来て・・・。

どうか安らかに成仏してくれ。合掌


■2016-08-22-Monday 台風

19日に妻と二人で東北に行き、

21日に戻ってくる予定が・・・。

行きの19日は、前日の台風7号が、23年振りに北海道に上陸して交通機関も大混乱。

JRがまったく当てにならないので、都市間バスで新千歳空港に向かった。飛行機は定刻通りに飛び立ち無事に目的地に到着したが・・・。

帰りは21日。

今度は台風9号が迫って来ている。

搭乗予定の便を1便早めて、13:25発の飛行機に変更した。

新千歳空港には10分程遅れただけで14:40頃に無事に到着したが、JRは帯広方面行きは全列車が運行停止、やっぱりあてにならない。

都市間バスは満席で、増便の予定は無いと言う。

千歳市内のホテルはどこも満室で泊まれない。

札幌まで出てホテルに泊まって翌朝、帯広に向かうか、それとも、帯広に今日中に帰るには、レンタカーを借りて自分で運転するか、タクシーで帰るしか方法がない。案内カウンターで確認したらタクシーなら千歳空港から帯広までなら3万5千円程度の費用が掛かると言う。

一見すると、タクシー?料金が高いんじゃないの?贅沢じゃない?と感じるが・・・、

ホテル代も二人なら2万4〜5千円以上は掛かるだろう。JR代も札幌まで行って、翌朝帯広まで乗ったら1万4〜5千円ほどは掛かる。バスなら8千円程度ではあるが・・・。

明日になっても台風9号が近づいて来ているから、JRが動く可能性は薄い。

ここは、タクシーで帰るしかないと判断した。

最初にタクシー乗り場に来たタクシーの運転手には「帯広まで行くにはガスが足りない」と断わられた。

2台目の運転手さんが、引き受けてくれた。

17:30頃のまだ明るい内に到着出来た。費用は我が家までは高速道路の料金を含めて3万7500円であった。

夜のニュースを見たら、22日もJRの帯広行きは全便運休である。

総合的に考えれば、良い判断であった。


■2016-08-23-Tuesday 不思議なつながり

7月16日に一般公開を始めたマジック・ミュージアムであるが、

今日は、不思議な縁を感じる来客があった。

以前にも、このブログにも書いたと思う(最近記憶力が落ちて書いたことを忘れる)が・・・、その拙い記憶を辿ると、

1996年に、十勝環境ラボラトリー(TKL)と云う「まちづくり」の組織を作り、十勝を地球環境のモデル地域にしようと考えて、同時に9つのプロジェクトを展開していた。

そのプロジェクトのひとつに、アイヌの口承民話を絵本にして出版する「童話プロジェクト」があり、協力してもらったのは作家の寮美千子さんであったが、彼女の夫が、数年前に、沖縄で札幌出身のカメラマンと一緒に仕事をした際に、そのカメラマンの父親が昭和の初期に北海道で活躍したプロマジシャンの勇崎天暁であることを知ったと云う。

私は、2007年4月からマジック・ミュージアムの準備を始めたが、「マジックなら坂本だ!」と思ったのか、私にその顛末をメールで知らせて来たのであった。

ちょうど折りしも、東京堂出版と云うマジックの本を多数出版している会社が「マジックグッズ・コレクション(土屋理義著)(2009年12月5日発行)」と云う本を発行したが、その中(26〜27ページ)に「北都の奇術師ー勇崎天暁の魔奇術研究」なる項目があるが、私はこの本を出版と同時に購入し、読んでいた。

この文章の中に「十勝毎日新聞」やら「帯広(藤丸)」などの文字を見つけ、帯広にも縁がある人だったんだなぁ〜くらいは思っていたが・・・。

思わぬ朗報に、そのカメラマンのメールアドレスを教えてもらい。何度かやり取りをしていたが「自分はあまり詳しくない。札幌に兄が居て、その兄は父親と一緒にステージに立って助手もやったことがあるから、そちらに聞いて欲しい」とお兄さんの勇崎建夫さんのメールアドレスを教えてもらった。

何度かやり取りしながら、札幌出張の際に、そのカメラマンのお兄さんである勇崎建夫さんに会いに行って天暁さんの話を聞かせてもらったのであった。

ほぼ同時期に、マジック・ミュージアムの展示物を充実させる作業をしている内に、横浜のマジック愛好家の植木將一さんと文通をするようになったが、その植木さんから「北海道に勇崎天暁と云うマジシャンがいたらしいが、同じ北海道なら知りませんか?」との問い掛けがあった。

何と云う偶然であろうか!

勇崎建夫さんから伺ったばかりの話を、植木さんにもお伝えしたのであった。

その勇崎建夫さんが、マジック・ミュージアムの一般公開に際して、天暁師の事績をA全版8枚のパネルにして寄贈してくれたのだが、その中の一枚に面白い内容があって驚いたのである。

それは何と「ゴジラ」の曲で有名な作曲家の伊福部昭氏と天暁師との繋がりであった。

伊福部昭は、日本クラッシック界の巨匠としても有名であるが、釧路の生まれで、帯広市の隣町の音更町にも暮らしたことがあり、今年の夏に公開される映画「シンゴジラ」で再度脚光を浴びている。

音更町も地元出身の有名人と云うことで顕彰会を作ったりしているという記事が新聞に載っていたが・・・。

勇崎天暁の実妹で舞踏家の勇崎愛子(本名アイ)さんが、伊福部昭の妻なのであった。

贈られたパネルのその記事を読んで「へえ〜そうだったのか!」と驚いたのであった。

その伊福部昭の長女の玲さんと勇崎建夫さんらが8月中旬頃にマジック・ミュージアムを訪れたいという連絡が入ったのだ。一瞬、伊福部?と思ったのだが、そうか!勇崎さんとは従兄弟同士と云うことになる訳だな納得した。

勇崎建夫さん夫婦と伊福部玲さんと恵庭在住のいとこの4人で、伊福部昭の足跡を辿る旅を8月中旬にすると云う。

釧路から音更に入るついでにマジック・ミュージアムの見学をしたいとのことである。

23日の午前中に帯広入りすると云う。

ちょうど台風が道東方面に襲来しているから来られるかと心配していたが、無事に到着された。

伊福部玲さんは、陶芸家である。きれいな銀髪で芸術家と云うオーラを醸し出している。

マジック・ミュージアムを見ながら、自分の結婚式で天暁師が鳩出しのマジックを演じてくれたという思い出話もしてくれた。

一緒に昼食を取りながら、楽しく有意義な一時を過ごせた。

勇崎建夫さんも、今回のパネル制作を機に、天暁師の事績をもっと調べたい、そしてパネルを追加で寄贈すると言ってくれた。

ますますマジック・ミュージアムの展示物が充実していく。嬉しいことである。


■2016-08-24-Wednesday 北の屋台

22・23日と連続で

「北の屋台」に関して話しを聞かせて欲しいとの依頼があった。

辞めてから既に9年にもなると云うのに???と思っていたが・・・。

北の屋台は、2001年7月29日が開業であるから15周年と云うことで再検証をするということらしい。

一件は東京大学教養学部の学生さんから依頼で、もう1件は十勝毎日新聞社からの依頼である。

「北の屋台」は「十勝環境ラボラトリー(TKL)(活動期間は1996〜2006年の10年間)」の9つのプロジェクトの一つ「中心市街地活性化プロジェクト」が発展したものを、独立させたものである。

1999年の4月頃から「まちづくり・ひとづくり交流会」と云う組織を立ち上げて「自分たちの資金と行動力で出来るまちづくり」を標榜して始めた事業である。

メンバーの一人であった点字図書館の後藤健市君が「屋台でまちづくりって面白いんじゃないだろうか?との提案を受けて「屋台」の調査研究を開始したが、私は最初は乗り気ではなかったのである。

帯広市の中心街で生まれ育った私が幼少の頃には、まだ帯広の中心街には「屋台」が存在していた。非衛生的で汚ないイメージがあったので「屋台なんかでまちづくり???」と疑問に思っていたのである。

転機になったのは99年6月末に、私が帯広商工会議所の議員としてアメリカの視察旅行に参加した時のことだ。屋台の資料が集まらない中で、屋台は世界共通のものであろうから、訪問する都市に屋台があったら写真をバシャバシャと撮ってこようと思ったのである。

シアトル、ポートランド、ロサンゼルスなどの街を視察したが、どこの街にも屋台があって賑わっていた様子と、洒落たデザインの屋台を見て、私もこれならイケル!と思い直したのであった。結局100枚近くの屋台の写真を撮影して来て、帰国後にメンバー皆に披露したことから、一気に屋台が盛り上がったのであった。

講演を盛んにやっていた頃には、こう云った話がスラスラと出て来たのだが、ここ最近は、屋台の講演が少ないから、どうも云い忘れてしまうこと多い。

講演では90分間にまとめる話を1時間でと言われても難しい。北の屋台にはエピソードが多過ぎるくらいにあるからだ。

現在の「北の屋台」の事務局には、この当時に一緒に活動していたメンバーは一人も居ないから、それがシッカリと継承されているのかは不明である。

屋台は、世界共通の商売の原点であるから、これまでに数百年間に渡って先人の経験と知恵が凝縮されている。屋台の大きさ然り、カウンターの形然り、暖簾しかりである。

その意味を正しく理解した上で、新しいことにチャレンジするのは良いのだが、その意味を正しく理解しないで、新しくすることは改悪に繋がり易い。

必ずしも開設当時の理念を引き継ぐ必要はないかもしれないが、「飲食店街」を作る為に始めたわけではない。「まちづくり」としての意義は残して欲しいと思う。


■2016-08-25-Thursday 寛容さ

最近の世の中は「寛容」の精神が薄れているようだ。

自分には極端に甘く、他人には異常とも云えるほどに厳しい。

身近な例では、ネットオークションである。

孫の葬儀で東北に行っていた3日間は、PCを開いてみる精神的余裕も無かった。この間に落札した商品があった。数百円の値段で落札した商品である。

この取引相手が「24時間以内に連絡をして来ない人とは商行為を遮断する・・・」云々とのことで、今後は、私からのメールは一切拒否するとの宣告であった。

折りしも台風が襲来していた時期でもある。中には自宅から避難している人も居たであろう。そう云ったところに思い当たらないのだろうか?

確かに、入札の際の但し書きには「24時間以内に連絡可能な人に限る」とは書かれてある。しかし、不測の事態は生じるものである。24時間でバツッと連絡を遮断して、事情説明すら受け付けない態度って何なのだろうか?

きっと、以前に落札されたものの、ず〜っと放って置かれた苦い経験でもあるのかもしれない。しかし、24時間と云うのは・・・。

まぁ、どうでも良い瑣末なことだけど・・・。

民進党の蓮舫議員が、岡田代表を「本当につまらない男」と評した発言が話題になった。

おそらく本当にその通りなのであろう。

岡田代表は堅物過ぎて、人間的な幅と云うか、奥行きの無いと云うか、懐が狭いと云うか・・・、そんな人間のように感じる。私は、まだ岡田氏に会って話をしたこともないから単なるイメージだけであるが・・・。

それが、長らく一緒に仕事をしてきた同僚議員で、新しく代表選挙に立候補しようと云う人間から言われたのであるから、おそらく実体がそうなのであろうなぁ〜。

自分は人間味のある人物だと表現したかったのであろうなぁ〜。

私は蓮舫の様な女性は好きではないから、かばうつもりは全くないが、ついつい本音が出てしまったということであろう、別段、問題にする言葉でもあるまい。

親しいからこそ、出来る表現であろう。

最近は、あまりにも「言葉狩り」が多過ぎる。

これでは、面白い表現が出来なくなってしまう。

昔の政治家には、チャーチルのようなブラックユーモアの達人も居た。

言論の自由があっても、他人を傷つける様な発言はなるべくならしない方が良いとは思う。しかし、こうまで、言葉の隅っこまで取りあげられるのは如何なものだろうか?

この「言葉狩り」が、世の中から「寛容さ」を奪っているような感じがするのである。


■2016-08-26-Friday 何だ、それっ!

俳優の高畑裕太が逮捕された!

と云うニュース。容疑は強姦致傷罪とか何とかであるという。

エ〜ッ!強姦・・・?

強姦って、女性を無理に性交してしまうことか!?

何だ、それっ!アリエナイだろう。

彼の母親は女優の高畑淳子である。

かなり以前に、明石家さんまの番組で、彼女と祐太容疑者が一緒に出演している場面を見掛けたことがあったが、その時には、まだ祐太容疑者は俳優にはなっていなかった素人の時期であった。

何ともバカな息子に育てたもんだなぁ〜と思ったが、その後、NHKの朝の連続テレビ小説の「まれ」に出演して、俳優としてデビューしたことは知っていた。

世間の一般常識というものを全く知らず、経験もしないままで、芸能界に入って、一応の成功を収める・・・。これは、おそろしい怪物を造ることに等しいのだと感じる。

もはや、祐太容疑者の行動は、一般常識がどうのこうのとかの領域を遥かに越えている。

22歳にもなって、自分が、こんな行動をしたら、一体どう云うことになるのか、母親の淳子の仕事にもどれだけの影響を与えるのか、等などに全く考えが及んでいない。

SEXしたいと云うオスの衝動そのままに行動した、まさに野獣そのままである。

母親の育て方云々と云うよりも、芸能界が、世間一般では使いものにならない人間でも、親の七光りで押し込めば何とかなると云った、安易な気持があったのではないか?

周りもおそらくチヤホヤして天狗になったのかも・・・。

それでも、一応の成功を収めつつあったのだから、まさかこんな破滅的なバカな行動は取るまいぐらいに安心していたのだろうなぁ〜。

誰がどう考えてもアリエナイ犯罪である。バカを通り越している。

バカは死ななきゃ直らないと云うが・・・。

ここまで底が抜けたバカは、見たことがない。

呆れてしまった。


■2016-08-27-Saturday 床屋さん

このところ土日祝日も無しに・・・。

忙しくて床屋に行く暇もない。

床屋には、7月の初旬に行ったきりである。

私の髪の毛はクセ毛で、長くなってくると、クルンクルンと丸まってくる。常に短めにしておかないと洗髪の度にボワボワ、グルグルと云う髪型になってしまう。だから、これまでは、月に一度の散髪を欠かしたことがなかったのである。

それが、ここ2ヶ月間は散髪をしていなかった。

ここ2〜3日は、朝起きて鏡を見たら、ヒドイ状況になっている。何とか床屋に行って、散髪をしたかったのだが・・・。

行く床屋は小学生の時から通っている馴染みの店である。

予約が利かないし、散髪には最低でも60分は掛かる。待ち時間を入れたら2時間待つことはザラなのである。

今日は、土曜日。マジック・ミュージアムの留守をマコママに任せて、昼食後に床屋さんに行って来た。

事前に電話で混み具合を確認してから行って来たが、それでも先客が居て30分は待ち時間があった。

馴染みの床屋は、イチイチ、こう云う髪型にしてくれだとかの説明が不必要なところが良い。ただ、座れば「いつも通りね」で済む。後は世間話をしながら髪を切ってもらえば良いのであるから、寝ていても終われば起こしてくれる。

洗髪、耳掃除もしてくれるし、マッサージまでしてくれるから、最近流行りの安いチェーン店の床屋には行く気にならないのである。

久し振りに髪が短くなってサッパリとした気分になったのであった。


■2016-08-28-Sunday 新しい発見

マジック・ミュージアムに初めてのタイプのお客さまが来場された。

先般、観光ボランティアの方たち数十名にマジック・ミュージアムを案内して、展示物などを知ってもらっていたが・・・。

そのボランティアの方から「日曜日に目の不自由な方をお連れする」との報告があった。

マジック・ミュージアムは体験型のミュージアムではないし、マジックは視覚の錯覚を利用したものがほとんどであるから、その様なお客様にご来場いただいても、果たしてご満足いただけるものだろうかと心配していたのであるが・・・。

午前中に帯広の男女2人のボランティアの方が、2名の女性を連れてご来場下さった。

1名は盲目の女性で年齢は70歳代であろうか、付き添いの女性は60歳代くらいの方で、東京と千葉からはるばるこのマジック・ミュージアムを訪れたいと思い、わざわざこの為だけにやって来たのだと言う。

千葉県でラジオ番組を聞いていて、このマジック・ミュージアムのことを知り、是非とも訪れてみたいと思ったそうである。

驚くことは、まず、関東方面でのラジオ?

取材を受けたことはないので、何らかの情報でマジック・ミュージアムのことを知ったパーソナリティの方が、番組で取りあげてくれたのだろうと思う。

その放送を聞いた全盲の方が、訪れたいと思ったと言うのだから、きっと好意的な、わくわくさせるような内容の番組であったのだろうなぁ〜。

嬉しい話である。

しかし、全盲の女性にどうやってご案内したら良いのだろうか?

とにかく、ショーケースの前に誘導し、何がどのように展示してあるのかを説明して歩いた。

最初に「魔女&魔法使いコーナー」のフィギュアを300体もゴチャゴチャと飾ってあるショーケースの前で『3段のガラスケースで一番上の段は「オズの魔法使い」のキャラクターが飾ってあります・・・、2段目は「奥さまは魔女」のサマンサ、「かわいい魔女ジニー」のフィギュアや「魔法使いサリー」や「ハリーポッター」などのキャラクター・・・、3段目は「ロードオブザリング」「はくしょん大魔王」「マーリン」などのキャラクター・・・』などと説明をし始めると、「あぁ、奥さまは魔女のサマンサは鼻をピクピクと動かす人ね・・・」とか「サリーちゃん、マハリクマハリタ・・・懐かしいわぁ〜」と言う。

全盲になったのは数年前で、それまでは弱視であっても見えていたから想像が付くと言う。どうやら頭の中で昔見たイメージを再構築しているようだ。

「トランプの壁」の場所では、鎖を外して、展示してある929個のトランプに実際に手で触れてもらって実感してもらった。

展示物の全てに関心を持ってくれて、どれも素晴らしいわぁ〜と感嘆してくれる。こんなに喜んでもらえるとは思ってもいなかったので、こちらの方が驚いてしまった。

「現在はセミ・オープンで、期間中に見に来てくれた方々のご意見を参考にして、10〜4月までお休みして展示をやり直す・・・」と言ったら、「今度は、1個しかない貴重品は別として、数個あるものなら、ケースの外に出して展示して私の様な者が触って楽しめる工夫もして欲しい・・・」と要望された。

まさに、そのことを検討している最中でもあったので「はい、ぜひそうしたいと思います」と答えたら、「それなら来年もまた来ます」と言って下さった。

目の見えない方が、楽しんでくれる、体験出来るマジック・ミュージアム。

ウーム、難しいテーマだが素晴らしい試みであろう。

今日は、新しい発見が多い日であった。


■2016-08-29-Monday 珍客万来

マジック・ミュージアムをオープンさせてから

これまでの交友関係とはまったく異質の来客があって、毎日、毎日がとても新鮮である。

先日は、福祉関係の仕事をしている若い女性の客が来て「老人や子どもたちを喜ばせたいので、マジックやジャグリングを1年ほど前から始めた・・・」と云う。

「誰か教えてくれる人を紹介して欲しい・・・」と云うので「マジックは、何人かでサークルでも作ったら、私が教えてあげても良いが、ジャグリングは私には教えられないから・・・」と返事した。

「ジャグリングに興味を持ったのは、平原まつりの大道芸フェスティバルを見たからかい?」と聞いたら「大道芸フェスティバル?何ですかそれ?まだ見たことが無いです」と云うのである。

「エ〜ッ、15年間も平原まつりの時に3日間、一流の大道芸人を招いて演技をしてもらっているのに・・・」と言ったら「平原まつりには行ったことがない」と云う。??????

驚いたなぁ〜。返事があまりにも意外だったのでとてもビックリしてしまった。

てっきり、大道芸フェスティバルで一流の芸人のジャグリングの技を見て、関心を持ったものだとばかり思い込んでいたのだ。

まったく予期せぬ発言にしばらく声が出なかったほどである。

「じゃぁ〜一体何でジャグリングをやろうと思ったの?」と聞いたら「サーカスか何かのピエロがやっているのを見て・・・」と云う。

「そうだったのかい! 今年の平原まつりは終わったばかりだから残念だったねぇ〜、じゃぁ、来年はぜひとも見て頂戴。一流の芸人しか招いていないから、目の当たりに見たら、きっと驚くと思うよ・・・」と伝えた。

「平原まつり」に関心が無いと言うのは分かる気もするが・・・、でも、ジャグリングに興味を持っている人が「北の大地de大道芸フェスティバル」のことをまったく知らなかったと云うのは大ショックであるなぁ〜。

自分ではかなりな情報発信をしているつもりでいたのに・・・。

更に、今日来た客は「先日の平原まつりで、坂本さんが大道芸の会長として挨拶されてましたけど、今年から大道芸のスタッフにでも参加されたんですか?」とこれまた訳の分からないトンチンカンな発言をする。

「大道芸フェスティバルは15年前に私が始めたもので、最初から、ず〜っと関わっているんですよ・・・」と答えたのであった。

私が大道芸に関わっていることなど知らなくたって一向に構まやぁしないが・・・。

ウ〜ム、こりゃぁ〜来年からの大道芸は、広報も含めて少し方針を変えなけりゃならないかもね!


■2016-08-30-Tuesday 変な台風

台風が変だ!

台風11号が過ぎ去ったと云うのに、10号がまだウロチョロと迷走している。これまでの経験とはまったく異なる進路を取っている。

台風は北東方向に進んで行くものだと思っていたが・・・。

10号は、関東から西側の四国九州方面に向かい、一旦南下してから、今度は東に進路を取って、再び関東から、東北に向かっている。この間、海上でエネルギーを吸収して勢力を強めたと云う。

気象庁によると、これまでの台風の進路とは逆方向の、東北地方を北西方向に横断するという予想だ。

今年は、これまでに既に3つも大型の台風が北海道に上陸している。この10号も北海道方面にかなりの影響を与える予想がされているようだ。

北海道には、これまであまり台風が来たことがなかったし、来ても、ほとんどが勢力を弱めて温帯低気圧に変わっていた。

今年は、それが台風のまま、しかも、帯広市の真上を通過したと云うのだから、被害は大きい。

東京で学生時代に3回の引っ越しをしたが、どこのアパートにも雨戸が付いていた。

しかし、そもそも、十勝には台風襲撃の準備などしている家も会社もないだろう。

窓に雨戸が付いている家などほとんど皆無であろう。それほど、台風などたいしたことないと思い込んでいるのである。

強風を伴う大雨が一番やっかいである。通風口から風に巻き上げられた雨が侵入し、雨漏りがする。

会社のトイレも換気扇から雨が入って来て水浸しになった。天井に付いている火災報知機の中に雨水が入って通電されてしまい警報が鳴ってしまい消防が出動する騒ぎになってしまった。

昼休みに、自宅の状態が心配になり寄ってみたら、やっぱり居間の天井から雨漏りがしていた。どうやら横殴りの強風で換気口から雨が入って来ているようだ。

このところ、経験したことの無い様な、短時間での豪雨や、やたらと強い風が吹くから、我が社も自宅も、そう云った災害に備えておく必要があるだろう。

ミャンマーやイタリアなど世界中でも地震も増えているし、地球はいったいどうなっているんだ!

何だかとても嫌〜な雰囲気を感じるなぁ〜


■2016-08-31-Wednesday 被害甚大

今回の台風の被害は甚大である。

気象条件の悪い時には、外を出歩かないのが鉄則であるから、ほとんど会社と自宅に籠っていた。

帯広市の中心街には、冠水などが無かったから、会社や自宅の雨漏りの被害程度にしか思っていなかった。

電話やメールなどで「大丈夫ですか?」との多数のご心配を頂き、そんなに心配されるほどヒドイ状況なのかと感じて、テレビのニュース映像を見るまでは、十勝の被害がこれほど大きかったことを知らずにいたのであった。

JR石勝線(札幌ー帯広間)の新得町付近の線路が橋ごと崩落した。これは痛い。橋を架け替えるには最低でも一カ月は掛かるであろうから、その間の人の移動や物流に大きな影響を与えるであろう。

高速道路も寸断されたと云うし、道路もあちらこちらで冠水や橋が崩落したりしていると云う。

十勝は陸の孤島になってしまった。

畑の被害も甚大だ。収穫真近であった作物が水に浸かって台無しになっている。今年の不作は確定的であろう。

先の7号や11号などが北見地方を襲った時に、タマネギ畑が大被害を受けたが、今回の10号で十勝の畑の被害も大きい。

小麦、ビート(甜菜:砂糖大根)、じゃがいも、長いも、小豆、、大豆、タマネギなどは品不足で価格が高騰するであろう。

帯広での、洪水と云えば記憶にあるのは、50年程前の私が小学4年生の時に、大雨で帯広川が氾濫し、帯広小学校の北グランドまで水に浸かったことがあったが、この時代のトイレは汲み取り式のいわゆるボットントイレで、この貯めてある人の糞尿が溢れ出て臭かったのなんの、現在は水洗トイレになったから、この糞尿が溢れるということはないであろうが・・・。

また、私が朝野球をやっていた頃であるから35〜6年前であろうか?大雨で水が十勝川の堤防を越えて、河川敷のグランドが水で流されたことがあった。

現在では、河川敷には、ゴルフ場、パークゴルフ場、野球場、公園などが整備されているから、今回の台風で、これらも使用不能になるであろう。

北海道の東部には、これまで、こんな台風が来たことがなかったから、備えが、行政も個人も充分ではなかった。

今後は、この様な異常気象が当たり前になるのであろうから、そちらの備えも考えなければならないだろう。

人口増加時代には、本来なら、人が住むには適していない場所にも、無理して住宅や設備を建てていたが、これからの人口減少時代には、災害に会いそうな場所には住まないようにすることも必要であろうなぁ〜。