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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2017-10-01-Sunday 整形外科

陽子線治療終了後に、

右肩のレントゲン撮影をしてから整形外科の診察を受けた。

骨には異常は認められなく、肩関節周りの筋肉が炎症を起こしているようだ。湿布薬だけでは効果が少ないので、右肩に注射を打って1週間様子を見ようとのこと。痛みが薄らいだら頑張ってストレッチをするように言われた。このまま固まってしまうとリハビリも大変になると云う。

まぁ、とりあえずは様子見である。

整形外科の診察を待つ間に、待合室のテレビでNHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の昼の放送を見ていた。今朝の7時半のBS放送で見たものと同じであるが、待合室に設置してあるテレビでは文字放送が映っている。

この「ひよっこ」は明日が最終回である。ほとんど毎日見ていたから、桑田佳祐が歌う主題歌も毎日のように聞いていたのに歌詞が良く聞き取れなかった。彼の発音が悪いせいである。

それが最終回の直前になった今日になって初めて歌詞が分かったのであるから可笑しなものである。

歌詞の途中の「酒場で・・・」の「・・・」が何と歌っているのか何度聞いても聞き取れなかったのである。

今日、初めて見た文字放送では、主題歌の歌詞も文字で出てくるのだ。その文字を見たら「・・・」は「ロンリー」であった。文字放送でないと分からない、聞き取れない歌詞というのも・・・。

それでも、最終回を前にして分かったから、何となく納得出来た気分になって、少しはスッキリしたのであった。

今日の札幌は、急に寒くなった。

病院では空調が効いているはずなのに、陽子線治療センターに向かう渡り廊下に来た途端に寒くて、ブルブルと身体が震えた。この渡り廊下では空調がよく効かないようである。

陽子線治療センターは新しい建物であるから、中に入ったら快適な温度であった。これから気温はドンドンと下がっていくであろうから、上着が必要になるかもしれないなぁ〜。


■2017-10-02-Monday ドリーム

ドリーム

30日(土)今日は治療が休みなので映画を観に行くことにした。

札幌駅直結のステラプラザにある札幌シネマフロンティアに行くことにしたが、ステラプラザの開店時間は午前10時であるから、映画館も同じだと思い9時55分に到着するように行ったのだが・・・。

別段、これと云って観たい目当ての映画があるわけじゃぁなかったので、映画館に着いてから選ぼうと思っていたのだが・・・、映画館は10時のかなり前から上映していたのだった。

受付で調べたら、上映している邦画はどれも若者向けで面白くなさそうだし、面白そうな洋画は時間帯が合わない。

仕方がないので、上映時間が1時間10分後の11時10分に始まる洋画の「ドリーム」を選んでチケットを購入した。今日もチケット代は1800円である。

5階の本屋で時間をつぶしてから10分前に映画館に入る。隣に座った親父の加齢臭が酷くて席をひとつ横に移動したが同じであった。

映画「ドリーム」は良い映画であった。予備知識もゼロで、まったく期待していなかった分、余計に感動した。

最初に「実話に基づく映画である」とのキャプションが出る。

1960年代のアメリカのNASAが舞台である。ソ連との宇宙開発競争に後れを取っていた当時のNASAで働く3人の理系黒人女性の実話である。

半世紀前のアメリカの黒人蔑視、差別がこんなに酷かったとは・・・。そこに更に女性差別が加わる。

理系女子3人の天才女性が、そのダブルの差別をものともせずに頑張る話であるが、この女性たちの吐くセリフが実に小気味良い。ウルウルしてくる。久し振りに映画を観て感動した作品であった。

映画を観た後で、足裏マッサージに行く。ベッドのマットレスが固くて背中が痛いが、背中や肩を直接マッサージしてはいけないので、足裏をマッサージして治そうと思ったのである。とても気持ちが良くてグッスリと寝てしまった。

DVD販売店に寄って「メンタリスト」の「7thシーズン」「ファイナル・シーズン」を探したら売っていたので購入してきた。これで全巻が揃う。やっぱり、ここまで続けて見たら最後まで見たいからなぁ〜。明日はこれを見て暇をつぶそう。

私のブログを読んでいる知人から「随分と楽しそうにやってるじゃないか」とメールが入ったが・・・。治療が楽しいって人がいるわけないだろうに!でも気分の問題である。嫌だ嫌だと思いながら治療を受けるのと、楽しそうに希望を持ちながら受けるのとでは術後の経過も変わると思って、努めて楽しそうにしているだけなのであるよ。


■2017-10-03-Tuesday 謎の円盤UFO

陽子線治療中は、毎日暇を持て余しているが・・・。

自宅から持参してきた「謎の円盤UFO(全26枚)」も昨日で全て見終えてしまった。このDVDはディアゴスティーニが毎月販売したモノであるが、その全巻がまとめてヤフオクに出品されていたのを2年前に購入してあったのである。

「謎の円盤UFO」は私が中学生時代の1970〜71年に掛けて日本放送系列で放送されたイギリス製のSF特撮テレビドラマである。

年代設定が放送当時の10年未来である1980年と云う設定であった。人形劇の「サンダーバード」を作ったジュリー・アンダーソンが監督した作品であるが「スーパーマリオネーション」と呼ばれた人形劇ではなく実写版である。

ただし、迎撃宇宙船インターセプターだとか潜水艦スカイダイバーなどの機械類は模型を使っており、その部分はサンダーバード風な映像になっていた。

コンピュータがオープンリール式であったり、パンチカード式であったりして、現代となってはコンピュータなどの機械は古いなぁ〜と思う部分も多いが、当時としては、このコンピュータでも斬新だったのだろうなぁ〜。現代のオスプレイと同じ様なヘリコプターも登場するから、結構、先進的な兵器のアイデアであったのだろう。

監督夫人のシルヴィア・アンダーソンのデザインした斬新なファッションや、家具インテリアや飾ってある絵画等の未来的なデザインには魅了されていたのである。

当時の私の年齢としては、テレビを見る時間からは外れた夜の時間帯の放送であったので、最初の導入部しか見させてもらえなかったのである。

まとめて全巻が販売されたので、見たくなって、いわゆる大人買いと云うやつで購入したのだが、帯広では忙しくてなかなか見る暇がなかったから、今回の治療中に見ようと思って持って来たのだ。

このドラマも1話完結ものであるが、26巻を最初から最後まで連続して見ると、ところどころ???の場面が出てくる。おそらく、イギリスでの放送順番と日本での放送順番が一部入れ替わっていて、話が前後する場面が出てきたのだろう。

47年も前の作品であるが、今見ると、いろいろな面で面白かった。

札幌で購入したDVD「メンタリスト」は6シーズン×2巻ずつ12巻を既に全て見終えてしまい、7thとファイナルシーズンを昨日購入して来たのでこれからはこれを見て暇をつぶすことにする。


■2017-10-04-Wednesday コレクション考

あまりに暇過ぎて「マジック・ミュージアム」

のことをいろいろと考えている内に「コレクション」について考えてみた。「コレクション」とはいったい何ぞやと?!

コレクターの始まりは「ノアの箱舟」のノアであると云う説を聞いたことがある。ノアが実在の人物かどうかは別問題として、確かに地球上のあらゆる生物を集めて箱舟に乗せたのであるから、その行為はコレクターと云うに充分であろう。

コレクションとは何の為にするものなのだろうか?ノアの場合は、その目的は「種の保存」であったろう。そこから考えるとモノを保存したいと云う欲求からコレクションは始まるのであろう。

コレクターの中には、ただ単にひたすら集めるだけの人も居れば、集めたモノを展示して他人に見せる人も居る。

展示するには、場所が必要になる。その場所が博物館や美術館や資料館や図書館などになる。

展示するには、集める以上にお金が掛かる。場所に掛かる経費やらショーケースに掛かる経費やら果ては人件費などの運営費まで・・・。

コレクター心理をトコトン追求したら、展示して他人に見せることにお金を使うよりも、ひとつでも多くコレクションを増やしたいと思うはずだ。ではなぜ、他人に見せたいのだろうか?集めるモノはどう云った基準で集めるのだろうか?

これはコレクターの感性の問題で、好き嫌いの問題でもある。例えば、私の1万5千冊に及ぶマジック書籍のコレクションは、私や一部のマジック書籍愛好家に取っては価値がある。だが、マジックに無関心の私の妻にとっては場所を取る邪魔なゴミでしかないし、マジックの愛好家であっても、演じるだけの人、道具にしか関心がない人など書籍に愛着がない人に取っては価値は少ない。だが、マジック愛好家でなくても、古書(書籍)に関心がある人に取っては価値が出て来る場合だってある。価値と云うのはコレクター本人の好き嫌いなのである。

では、モノの価値と云うのは、どうやって決まるのか?

人間としての生活を考えるなら有用性のあるモノに価値があるはずであるが、コレクションだと、希少性のあるモノを集めたいと思うであろう。この世に1品しかないと云う希少なモノは価値が高くなるのだ。

不思議なことにコレクションの世界では有用性が無いモノの方が価値が高い。

そのモノが実生活では、無くたって生活には支障がない、何の役にも立たないモノほど価値が高いのである。

絵画と自動車を比べてみよう、絵画の材料代はキャンバスと絵具代ならどんなに高くても数万円位でしかないものが、有名作家の描いた絵だとそれが何百億円にもなる。絵は額縁に入れて飾ることが出来るが、用途はただそれだけでしかない。そんな絵が1枚数百億円にもなるのだ。

一般的な自動車は新車の売値が300万円位の車なら材料費は半分程度かな。その自動車は移動に使える有用性があるが価値は毎年下がっていく。希少性が高いクラッシックカーや超高級車でも値段が上がっていく車は極々少ない。絵画よりも自動車のほうが実生活では遥かに有用性が高いのに・・・。

コレクションを投機と考えるなら、広い場所(駐車場)を必要とする自動車を集めるよりも、絵画の方が断然効率的であるが・・・。絵画が好きではなく、自動車が好きな人に取っては・・・。

「なんでも鑑定団」では陶器に高い値段が付くが、私はまったく関心がない。

戦国時代が終わった時に、天下を統一した豊臣秀吉は恩賞として武将に与える土地が無くなってしまったから、土地に替えて千利休が新しく価値を創造した茶器を与えて誤魔化したのだ。これは織田信長が始めたことであるが・・・。この利休の価値観は私には理解出来ない。

しかし、世の多くの人達は、この千利休の定めた価値に従っている。これは千利休が権威として世に認められたと云うことであろう。

世の多くのコレクターも自身の価値観を広めたい。そしてそれを権威化して自分の集めたコレクションの価値を高めたい。

その為にコレクションを展示して権威付けをしようと企むのではないだろうか?そんな結論に達したのであった。

マジック・ミュージアムの設立を願った師匠の故ジミー忍師も、そして私も自分が一生懸けてやってきた「マジック」の価値を世に認めてもらいたいと云う願望が根底にあるのである。


■2017-10-05-Thursday 帰宅

4日(水)は治療が無い日なので帯広に日帰りで戻った。

当初は札幌発07:00−09:26帯広着(スーパーおおぞら1号)と云う列車で帰ろうと予定していたのだが、タクシーの到着が遅れてわずかに間に合わなかった。

次の列車は、およそ1時間後の07:54札幌駅発JRの特急列車スーパーとかち1号で、帯広駅には10:36に到着する。

北海道のJRの列車の運行間隔は特急でさえ1時間に1本程度なのである。

本州に出張に行って、東京から大阪方面にJRで向かう際には、時刻表など調べたことがない。東京駅に行けば新幹線は10分間隔ほどで始終出ているからだ。列車によっては、途中の停車駅が少なくてスピードが速い新幹線もあるが、それに乗るにも30分も待てば乗ることが出来るから時刻表を調べる必要がない。あの感覚に慣れるとJR北海道の特急ダイヤは「ほんとに特急列車なの?」と云う感じである。1本乗り過ごしてしまうと、次の列車に乗るまでに、やたらと時間が掛かる。

札幌駅構内に入ってしまったので、開店している食事が出来る店がまだ少ない。朝からハンバーガーは食べたくないし、「おにぎりとコーヒー」と云う変な取り合わせのモーニングセットの店にも入る気がしなかった。まだこの2店しか営業していないのだ。

ホームに上がって行ったら「立喰いそば」が営業していた。私は蕎麦が大好きであるから、帯広でも私の会社近くにあった立喰い蕎麦屋に立ち寄ってよく食べていたのだが、その店が閉店してしまってからは、久しく立喰い蕎麦は食べていない。懐かしく感じたので天ぷら玉子そばを注文して食べた。駅のホームで食べる立喰い蕎麦と云うのは何年振りであろうか?

列車の中の温度調整がよろしくない。2〜3日前から急に気温が下がったから、車内温度も上げているのだろうが私には暑過ぎるのだ。治療の為にホルモン注射を打っているからホットフラッシュで汗が突然に噴き出る。

帯広駅には妻が迎えに来てくれていた。まっすぐ会社に向かって、まずは溜まった郵便物や書類に目を通す。先週の27日にも帯広に戻っているから前回ほどの量はないのですぐに終了した。

次はマジック・ミュージアムに行って片づけ作業をやっていたら、銀行や保険会社などの来客があって中断。なかなかまとめて時間が作れない。

昼食には馴染みの蕎麦屋に行く。朝、立喰い蕎麦を食べたのに・・・。私は朝昼晩の3食とも蕎麦でもOKなくらい蕎麦好きなのである。

昼食後に近所の菓子屋「柳月」の本店に行っておみやげを買い、その店で食後のコーヒーとケーキを食べる。

会社に戻ってから午後は、私が支部会長を務める駒大同窓会十勝支部の10月21日に開催される総会と落語会の打ち合わせをしてから、その宣伝の為に地元の新聞社まで赴く。記事にしてもらって関心を高め来場者を増やす算段である。取材を終えた後、徒歩で会社に戻るが、その前に藤丸デパートに立ち寄って買い物をする。少しでも地元にお金を落とすようにと考えているのだ。

そこに母から電話が入った。母には私の病気のことは伝えていないのだ。先週帯広に戻った際にも顔を出してきたが、今回も顔を出して、心配を掛けないようにしておく。

自宅に戻って、洗濯物と着替えと映画のDVDを交換する。前に札幌に持って行ったDVDは全て見てしまったので、まだ見ていないモノと交換した。私はアルフレッド・ヒッチコック監督の大ファンで、彼がアメリカに行く前の、イギリス時代の監督作品〜アメリカに渡ってからの初期の作品のDVDを買って持っていたのだが、これもまだ忙しく見ていなかった、ビニールの封すら切っていなかったのである。このDVDを12枚用意した。これでまたしばらく暇が潰せる。

帰りの列車が17:47帯広発。妻と一緒に夕食を食べてから乗ることにしたが、レストランはどこも17時開店である。弁当でも買って列車内で食べようかと思ったが、せっかく戻って来たのに一人車中で駅弁を食べると云うのもせつないが、しかし開いているのはファストフードの店ばかり。結局、駅の近くのモスバーガーに入ってハンバーガーを食べることになったのであった。

帰りの列車は混んでいたが、2つ前の席の男性客がゲホッゲホッと変な咳を盛んにする。列車の狭い空間で変な咳をされるのは実に嫌〜な感じである。息を止めている訳にもいかないしなぁ〜、効果が無くたっていいからせめてエチケットとしてマスクくらいしろよ!

気温が急に下がったから、これから風邪が流行り出すのだろうなぁ〜。風邪をひくと治療が受けられなくなる可能性もあると医師から忠告されているから気を付けなくちゃいけないなぁ〜。


■2017-10-06-Friday 5日

北大病院勤務の知人

(去年、マジック・ミュージアムにマジック道具を寄贈してくれた吉野さんのお孫さん)が、暇を持て余しているようだからと映画のDVD10本を貸してくれた。ありがたいことである。元来は、私は読書の方が好きなのであるが、何故だかこの治療を始めてからは本を読んでいるとすぐに眠たくなって来て、1時間と続けて読んでいられないのだ。治療中の時間潰しにはDVDが一番なのである。

5日の治療終了後に、看護師さんと今度の衆院選挙の話になったが「北大病院では不在者投票が出来るんですよ」と云う。「私は帯広在住だけど、それでも北大病院で投票が可能なんですか?」と聞いたら「申し込めば可能ですよ」と云う。でも・・・。

どうしようかなぁ〜。今回の選挙は不在者投票をするまでの意義を感じないから投票しないでおこうかなぁと思っていたのだが・・・、こう云う経験も滅多に出来ないしなぁ〜。話のタネに丁度良いから、もう一度考え直してみるとしよう。

今朝の札幌は初冠雪を記録するほどの寒さである。北大病院の中は全体的に温かく保たれているのだが、陽子線治療センターの入口(2階)と病院の建物とをつないでいる渡り廊下の30m位の部分だけはものすごく寒いのである。渡り廊下だけの細長い箱を横にした様な天井・床・壁の上下左右が直接外気に触れているこの渡り廊下は、壁にガラス面も多くて外気温の影響をモロに受け易い構造になっている。ユックリ歩いても20〜30秒程度でしかないのだが・・・。

治療するには、腹部や下半身の着衣を脱なければならないので、これまでは薄着で治療センターに通っていたのだが、風邪をひかないように細心の注意を払うことにして、昨日、帯広から持参した上着を、渡り廊下の手前で羽織ってから通過したのであった。この渡り廊下はそれほど寒いのである。

治療終了後に、床屋に行った。前回9月14日に北大病院内の床屋で、マジシャンの故アダチ竜光師にソックリの人に散髪してもらったのだが、今回はもう一人の別の床屋さんである。とても丁寧で、サービスで髭も整えてくれたのであった。

ネットニュースで「手品用にコインを改造して販売した人が逮捕された」と出ていた。日本ではコインの改造は法律違反である。だから、ほとんどのマジシャンは大きくて見栄えの良いアメリカの1ドルか50セント(ハーフダラー)コインを使用するのだが、しかし、自国の見慣れたコインじゃないと、客には馴染みがないから、マジック用のコインを使用しているようで、どうしてもインチキ臭く見えてしまうと云うデメリットもある。だから私はほとんどコインマジックを演じないことにしているのだ。

日本硬貨の改造に関しては、何年か前にもマジックショップが摘発されたことがあった。

日本の現行コインは、1番大きな500円硬貨でも、マジック用には大きさが不足しているから使わないマジシャンが多いが、それでも、マジシャンの中には不思議さを演出するために、あえて日本の硬貨を使う人が居るのも事実である。仕掛けを必要としないテクニックだけのコインマジックの演技でも、トリックコインをちょっとだけ混ぜて使うと、より不思議な演出が可能になるからだ。

以前の摘発の時も、ニュース番組などで仕掛けを詳しく報道する番組もあったのだが、それは避けて欲しいなぁ〜。マジックのタネを公開することになってしまうからだ。

タネ明かしになるような野暮な報道はしないで欲しいと願っている。


■2017-10-07-Saturday 6日の治療

6日は受診が満載である。

今日は、整形外科、放射線科、泌尿器科の3科を受診することになっている。

まずは午前中に、採血と検尿をした。

昼食後の12時半に整形外科を受診した。

五十肩の治療で、先週と同様に右肩に注射を打ったが、この注射の効果はあんまり感じない。

相変わらず右肩が痛いままである。結局は、注射を打って、痛い箇所には湿布薬を貼るだけ、また1週間様子を見ましょうと云うことであった。

陽子線の治療は今日の治療で30回中の20回目で、3分の2を終了することになる。

目下のところ副作用もなく、順調に進んでいるが、今日の治療はいつもよりも少し時間が多く掛かった。

いつもの治療時間は午前10時半から施術しているのだが、今日だけ午後の15時開始であった。新しい患者さんとの時間調整であったらしいが、いつもと治療開始時間が異なったが為に、治療直前の私の普段の生活パターンとも異なることになってしまった。

それが為に、私のお腹の中のおならの量がいつもの状態とは若干違ったのだと云う。

前立腺の位置が直腸内のガスの動きによって、微妙にズレが生じたようで、その位置の補正作業に手間取ったのだと云う。それほど繊細な治療法だと云うことの証なので患者としては逆に安心であるが。

金曜日の陽子線治療終了後には、放射線医師の定例の診察がある。

午前中に採血したデータで、前立腺癌の進行具合を確認する「PSA値」の数値が0.2に下がっていた。順調に治療が進んでいると云う。副作用も全く無いし、腰の辺りが、やや日焼けしたように薄っすらと赤くなっている程度で痒みなどもない。残りはあと10回で陽子線の治療は終了の予定である。

最後に、泌尿器科の受診である。

ここでも午前中におこなった血液データ、検尿データからみて、ホルモン療法の注射が陽子線治療と相乗効果をあげているとのこと、順調に治療が進んでいるとのことである。

泌尿器科は、後は3ヶ月に1回のホルモン療法を3年間続けましょうとのことである。

私は、治療を開始するまでは、副作用は陽子線治療の方が強いのかと思っていたのだが、ここまでの治療では、むしろホルモン療法の副作用の方が強く表れている。全く逆であった。

これが、後3年も続くのかと思うと少し憂鬱になるなぁ〜。


■2017-10-08-Sunday 7日休日

7日(土)は治療が休みなので、

まずは足裏マッサージを受けに行く。ベッドのマットレスの固さに、まだ身体が慣れていないのか、依然として背中や肩などが痛いのだが、腹部に力を入れてはいけないと云われているので、帯広で受けているような全身のマッサージは受けられないから、代わりに足裏マッサージで済まそうと思っているのだ。会員証も作り、回数券も買って、ほとんど3日おき程度に通っているので、店のスタッフとはすっかり顔馴染みになってしまったが、やっぱりマッサージを受けると身体が楽になる気がするのである。

マッサージの後は、これまたパターンになっている映画であるが、今日は「エイリアン・コヴェント」を観た。

暇だから週刊誌も隅から隅まで読んでいるが、週刊文春の10月12日号にコラムニストの小石輝が「動員1位新エイリアン79歳巨匠に曲者コラムニストも感嘆」との記事を読んで観てみようと思ったのである。前作のエイリアンも映画館で観て「神」「クリエーター」「宇宙人」「AI」などについてのリドリー・スコット監督の考え方が面白いなぁと感じていたのだ。

内容に関しては、マジックのタネ明かしと同じになるから、例に依ってまだ観ていない人の為に、あえて書かないが・・・、映画が始まる前の「近日公開映画紹介」で同じリドリー・スコット監督の「ブレードランナー2049」が紹介されていた。老いてますます盛んな監督に感嘆したのであった。

妻が、昨日から札幌に来ている。商工会議所女性会の全国大会が札幌で開催されており、帯広商工会議所女性会のメンバーとして来ているのだ。7日の14時頃には行事が終了すると云うので16時からニトリ文化ホールで始まる「徳永英明コンサート」を見に行った。ニトリ文化ホールは前の厚生年金会館ホールである。かなり前に、何かの催しで一度だけ入館した覚えがあるが、その時は1階席であった。

今回は、チケットが2階席である。帯広文化大ホールの2階席程度の感覚でいたら・・・。入口には「2階席の方は階段で5階まで上がって入場下さい」との貼紙がある。エッ5階?

行ってみて驚いた。まさにビルの5階の高さである。空中に浮かんで見下ろす様な感じで、少し高所恐怖症気味の私としては落ち着く場所ではなかった。会場内も霞がかかっているみたいに白く煙っている。

徳永英明は好きな歌手でCDも女性歌手のカヴァー曲集「ボーカリスト」を6枚も持っていて、カラオケではいつも徳永英明ばかり歌っている。私の歌声はかなり高音なので、徳永英明の音程は原音でちょうど良い塩梅だから歌い易いのである。

コンサートが始まってからは、まったく喋り無しで50分間くらい6〜7曲ほどを連続で歌ったろうか。この後の喋りが「コンニチワ徳永英明です」だけで、また連続で歌う。歌を聞きに来たんだからこれでも良いが・・・、この後には若干の客とのやり取りもあったが、まぁ、松山千春のコンサートみたいに曲よりも喋りが多いのよりはよっぽど良いのであるが・・・。

途中で1階席を見下ろすと、客が皆立ち上がって声援を送りながら見ている。いったいいつ頃から立って声援していたんだろうか?

コンサート終了後にレストランに寄って妻と一緒に夕食を食べながら、1階席でなくて良かったね、この年齢で2時間立っては見ていられないしね、2階席から全体を見ながら聞くのも良いもんだねと話したのであった。

ただ、レストランでのディナーなのにワインもビールも飲めないのは、酒好きの私としてはつらいもんであるなぁ〜。


■2017-10-09-Monday 3連休

札幌には遊びに来ているわけではなく

あくまでも前立腺癌の治療の為に、滞在しているのであるが、土日祝日は病院が休みで、当然治療も休みであるから、7・8・9日の3連休は、身の置き所が無くて困る。妻も日曜日には帯広に戻ってしまったし・・・。

治療は1日1回で所要時間は30分程度でしかないが、それでも、その治療を中心にして一日のスケジュールが決まるから、治療のある日はまだ気持ちが落ち着くのである。

大好きなアルコールも5月19日からは4ヶ月以上も一滴も口にしていない。酒を飲み始めてから約40年にもなるのだが、これほどの期間禁酒するのは初めての経験であるから、夜の過ごし方に戸惑っている。口寂しいものだから、ついついチョコレートを口にしてしまう。暇なものだから、毎日、コンビニに顔を出しては水や雑誌を買うついでにチョコレートも籠に入れてしまうのである。

いつもは寝酒をやってから寝ていたのに、禁酒にプラスして、固いベッドマットレスにはなかなか身体が慣れなくて、熟睡が出来ずに夜中に数度、目が覚めてしまう。

陽子線治療の副作用もないから、身体はいたって健康なのであるが、腹部への圧迫が禁じられているから、ゴルフなどのスポーツは控えている。腹筋運動も禁止されているから、運動といえば歩くだけである。

毎日、毎日が暇であるから、起床してすぐの体重を毎日計るようにしているが、増減はあるものの少しずつだが太ってきているように感じる。一時は凹んだお腹も、ここ最近は再びポコッと出てきたような気がするのである。

ホルモン療法の副作用には、女性ホルモンが増えることによって脂肪が付き易くなるとあるから、治療が終わったら、腹筋を鍛え直さなければ・・・。この女性ホルモンの影響である胸の乳首が下着に擦れての痛痒さは収まったのだが、思春期の女の子ように少し膨らんだオッパイが元には戻っていない。このままでは、夏にTシャツが着られなくなるかもしれない、でも、見ようによっては相撲取りみたいと言えなくもないかも・・・。

髭の濃さには変わりがないようだが、頭髪は少し濃くなったような気がする。目下のところ一番困っているのは、突然の発汗のホットフラッシュである。何の予兆もなく突然に汗がドッと噴き出て来る。タオル生地のハンカチは必需品である。

さぁ、治療も後10回!早く終わって欲しいなぁ〜。


■2017-10-10-Tuesday 体育の日

声が出しにくい。

治療中の日々は医師や看護師らと一言二言話すだけで、その他はほとんど声を発することがないものだからなのか、声が出しにくくなっているようだ。声を発してもカスレタ小さな声しか出ないのだ。喉も普段から使っていないと退化するのかしらん。たまには一人カラオケにでも行って歌ってこようかなぁ〜。徳永英明のコンサートにも行ったことだし、徳永の曲を歌って喉を鍛え直してまた美声を取り戻さなくちゃ〜。

9日(月)の「体育の日」は朝から天気が良い。秋のこういう日を「小春日和(こはるびより)」というのである。

札幌で歯医者をやっている従弟が「美味しい蕎麦屋に連れて行ってやる」と云うので、北大正門で待ち合わせることにした。その待ち合わせ時間前に1時間ほど掛けて北大キャンパス内を散歩してみた。キャンパス内を歩くのはほとんど初めてみたいなもので、クラーク像も初めて見たほどである。

キャンパス内をジョギングしている人や、観光している人も多くて、途中で中国人観光客に「イチョウ並木はどこですか?」と質問された。知的で威厳がある私を大学教授と勘違いしたのかもしれない。私は地図を見たらすぐに位置が把握出来るので、北大キャンパス内は良く知らないのに、彼らの持っていた地図で教えてあげたが、ちゃんと正しい道を教えられたので感謝されたのであった。

従弟は車で迎えに来てくれていて、西区西野の「やま賀」と云う蕎麦屋に連れて行ってくれた。天ぷらが美味しいと云うので、数量限定の冷たい田舎蕎麦に天ぷらを別にあげてもらって食べたのだが、蕎麦屋の天ぷらにありがちなベタッとした天ぷらではなく、サクッとしていて確かに美味しい天ぷらであったし、蕎麦も腰のある手打ちの太麺でとても美味しく大満足であった。

食後にドライブをして、中央区の伏見の丘に移築した「旧小熊邸」を使用しているロイズの喫茶店まで行ってコーヒーを飲みながら昔話をひとしきりしてから、札幌駅前まで送ってもらい別れた。

その後は一人で足裏マッサージをしてから映画館に行く。息子や妻が観て面白かったと云っていた「僕のワンダフルライフ」と云う映画を観た。我が家も昔、ラブラドールレトリバーの雄雌をつがいで2匹、家の中で飼っていた。オスは13年間、メスは16年間生きたから、まさに家族の一員という感じであった。映画は途中で何度かホロッとさせる場面があって、昔の犬が居た時の生活を思い出させてくれた。

映画が終わった後に夕食を食べようと、ステラプラザのレストラン街に行ったが混んでいたので、大丸デパートのレストラン街に行ったが、こちらも混んでいる。一人で食べるのに、こういう場所に並んで待つというのも嫌なので、帰り道の途中にあるレストランで食べようと思い歩いて行ったのだが、何とそのレストランは休みなのであった。

街中に戻るのも面倒なので、隣の喫茶店に入り、パスタを食べて部屋に戻ったのであった。今日は充実した休日であった。


■2017-10-11-Wednesday 陽子線治療

陽子線治療( Proton Beam Therapy )について

私への治療30回照射の内の3分の2、21回の治療を終了しての検証をしてみる。

治療開始の第一回目は9月5日(火)であった。

私の治療曜日は平日の月・火・木・金曜日の週4回で、水曜日は休みが基本なのであるが、月曜日が祝日(9月18日の敬老の日、10月9日の体育の日)の週は、火〜金の4日連続の治療になる。土曜、日曜、祝日は病院が休みであるから当然ながら治療もない。

治療開始時刻はほとんどが10:30からの予定が組まれているが、時々、他の患者の都合や新患者の最初の治療は時間が掛かることなどによって多少の変更があった。

陽子線治療センターには30分前に受付を済ませて待機していなければならない。治療時間が患者によって多少の前後が生じるからだ。

私は「前立腺癌」の治療であるが、患者に依って癌の種類も違うし、当然ながら照射する箇所も異なる。

陽子線の治療所は全国に17ヵ所あるが、北大病院の陽子線治療の方法は、その他の16ヵ所とは異なる独自の方法で行っている。私の場合は、事前(8月9日)に患部の前立腺内に1.5㎜の純金の小球を3個埋める手術を行っていて、その3個の金マーカーを使って毎回照射直前に三角測量法みたいな測定をして、毎日変化する前立腺の位置を正確に確認しながら陽子線照射をするのである。

前立腺は膀胱と直腸に隣接する臓器であるから、尿や便やおならの量によって上下前後に位置がズレるので、なるべくその位置を一定にする為に治療開始1時間前までに排便、排尿を済ませておき、1時間以内には排便、排尿はしないようにと言われている。実際に、膀胱に溜まった尿の量が多かったり、直腸のおならの量が多かったりして、前立腺の位置が微妙にズレて、その位置の確認作業に手間取り照射開始が遅れたことがあった。

北大病院陽子線治療センターは出来たばかりの真新しい建物で、体育館並みの大きさがあり、その大きな建物内の装置で水素イオンを高速の70%までのスピードに加速させてから患部に照射する装置である。そうして作り出した強力な放射線である陽子線を癌細胞に照準を合わせてピンポイントで照射をし、他の健康な臓器への影響を極力抑える治療方法なので副作用が少ないのである。

私が北大病院での治療を選択した理由の第一が、この金マーカーを使用した照射方法の正確性に納得出来たからだ。

金マーカーを埋める手術をしてから、金マーカーが前立腺内で安定をした1週間後に、MRIとCTを掛けて、私の身体の形と臓器などの位置、前立腺内の金マーカーの位置などを確認し、それをコンピュータに入れて私の数値データを算出する。

その他に私の身体の型取りをウレタンで作り、その型と私の身体に直接マジックペンで線を描いてある。

毎回、治療用ベッドの私専用の型の中に仰向けに寝て、身体に描かれたマジック線と型との線を合わせて、ベルトで上半身を固定して、大まかな位置決めをするのだが、その為の目印なのである。この作業が終了したら治療用ベッドが装置内に移動する。照射前に更に金マーカーの位置を測定して微調整を行う。この微調整時に尿、便、おならの量が微妙に関わってくるのである。

装置は直径3m位の円筒状のトンネルの中に8角形の機械が収まっている。この円筒の中央部に治療用ベッドが滑り込んで行き、周りの8角形の装置が時計回りに数度ずつ回転して照射していくのだ。

照射開始前の金マーカーによる位置決めが3〜4分で終わることもあれば10分ほども掛かることがあるが、位置決めに時間が掛かると云うことは、それだけ慎重に位置を確認しながら治療していると云うことでもあるので、逆に信頼が置けるのである。

照射は1日に4本、左の臀部、左の腰骨、右の腰骨、右の臀部の順番に4ヵ所である。お腹の正面からは照射しない。聞こえて来る音で判断すると、1本の照射は0.数秒ずつ20回ほどに分けて細かに照射する、これを1回に4本(箇所)行う。1本ごとに照射装置の角度が30〜60度ほど回転して位置を変えるが、1本ごと照射前に金マーカーの位置確認を行うのである。治療時間はこれらを合計して20〜30分間で終了する。

陽子線自体は、熱くもないし、痛くもないし、痒くも無い。

前立腺癌の治療法には、手術、放射線、内分泌、薬物(抗癌剤)など選択肢が多いが、治療であるからには、それぞれメリット、デメリットがある。メリットだけの治療方法と云うのはあり得ない。

陽子線治療のメリットは、副作用が少ないと云うこと、デメリットは保険が利かずに高額(最低300万円)であること、治療日数(30回、約2ヶ月間)が掛かることである。

目下のところ副作用はまったく出ていないから、陽子線治療を選んで正解であったと思っている。


■2017-10-12-Thursday 選挙

10日に衆院選挙の告示が行われた。

ここ最近の政治に関しては興味すら湧かないが、このブログの読者から「最近は治療の事ばかり書いていて政治に関しての記述がないですね」とのメールが複数入っているので、告示を期に少し書くことにする。

テレビを見ていたら、日本人はどうも「リベラル」と云う言葉の使い方を間違っているように感じるのだ。

本来の「リベラル」の意味とは「自由主義」であって「法律に反しない限りは、自由にやりたい事が出来る」または「やりたくないことを強制されない社会」つまり人生の決定権を自らが持つと云う考え方であろうと思うのだが、日本では「左派」「左翼」のことをリベラルと誤って呼んでいるのではないだろうか。

日本共産党の様に、自由にやりたいことが出来ない政党をリベラルと云うのは完全に誤っている使い方だと思うのである。

リベラルとは「自由主義」であるのだから、風習や伝統等にも束縛されない筈であり、それならば変革が付き物になるであろうが、日本共産党が言っていることは結党以来まったく変わっていない。変わっていないと云うことは日本語ならば「保守的」以外の何物でもないだろうに・・・。

むしろ、今回の選挙公約で自民党は「働き方改革」を掲げていて「改革」と云う言葉を使っている。改革を謳う政党が「保守」で、変えてはいけないと謳う政党が「リベラル」なんて完全にオカシイだろう。この認識の誤りが混乱の基なのではないだろうか。

既得権を守りたいのが「保守」で、既得権を破壊したいのが「リベラル」なら分かるが・・・。

世界は、良い悪いは別の議論にしても、大きく変化をしているのは事実である。更に今後の変化はこれまで以上に急激で、特にコンピュータ、AIによって人間を不必要とする職業が増える社会が到来すると予想される。

定年を間近に控えた50歳代の人間なら、せめて定年まではこのまま変革なしでやってもらいたいだろうし、20歳代の若者なら自分が対応出来る若さの内にサッサと変革してもらいたいと考えるのではないだろうか?この中間の年齢層は自分の能力の自覚程度で差が出てくるだろう。

そうなると、変革(自由)を求めるのは若者、変革を望まないのは年寄りと云う構図になる。

選挙に行く年齢層は、年寄りの方が圧倒的に多いのだが、投票する政党はその構図のままではない。

自民党も希望の党も維新も公明党も変革する方であるし、変革は絶対にダメだと言っているのは共産党と社民党ぐらい。何となく立憲民主党も本音では改革しなければいけないと云うニュアンスに感じるんだがなぁ・・・。ただ今回の小池都知事の「排除」発言で共産党側に行かざるを得なかっただけのような感じがするのである。

こうなると、日本の政党のほとんどが変革をしなければならないと思っているのでないだろうか。コアな共産党支持者はそう簡単に共産党からは離れないであろうから、共産党などは旧民進党のいわゆる「左派系」の立憲民主党と合わせてある程度の議員数は確保できるだろうが自民党を上回ることはあり得ない。日本人には共産主義アレルギーがあるからだ。

歴史上、この地球に現れた「共産主義国家」は全てが「独裁国家」であった。マルクスが唱えた共産主義国家成立までに至る過程は、現実には彼の理論通りには運ばなかった。独裁者が強引に共産主義国家を名乗ったが、実態は理想とは異なる結果に終わっている。ソ連の崩壊によって、それが世界の常識になった。依然として「共産主義国家」を名乗る独裁国家もまだあるが・・・。

日本は「法によって定められた民主主義を標榜する国家」を目指しているはずだ。その「法」の中でも一番重要なものは「憲法」であるはずだ。その憲法が、現実には合わなくなってきているのは日本人の多くが実感しているだろう。

だが、井沢元彦が言うところの「言霊(ことだま)」に支配されている日本人は「平和」を謳っている憲法を改正すれば「戦争」になると思い込んでいる人がいるのも事実だ。

しかし、「法」に拠って「民主主義」を維持する為には、「法」が「現実的」なものでなければそもそも「法」の意味をなさない。だから「憲法改正絶対反対」を唱える人達は矛盾していると私は思う。

一言一句の改定も許さない。論議することすらも許さないなんてのは、逆に「法」と「現実」との矛盾を拡大させて歪みを増幅させる愚かな行為でしかないと考えている。

「憲法改正反対」を唱える政党の限界はこの点にあると考える。

私が考える「リベラル」と云うのは「寛容」でもある。自分とは異なる意見を持った人間の存在を認める人のことである。どんな思想でも「法律」を侵さない限りは自由であるが、「存在を認める」ことと「思想を認める」こととは別問題である。思想には同調できなくても、思想すること自体は自由であると認めることなのだ。つまりリベラルは「寛容」な(はず)なのである。余談だが、最近のアメリカのリベラルと称する人達には寛容性が薄れていると感じるが・・・。

「希望の党」の「憲法改正」に関する政策は自民党とは大差はないし、方向性は同じである。小池都知事の「さらさら」&「排除」発言から一時の勢いを失ってしまったから、この失速状態のままでは自民党を上回る票数を獲得するのは難しいだろうなぁ〜。

後は選挙戦の最中にでも、都議会議員選挙の時みたいに、与党側のスキャンダルが連発でもしない限りは安倍首相は代わらないであろう。

騒いだ割には全然面白くない選挙になるのではなかろうかと予測している。


■2017-10-13-Friday 陽子線治療補足

一昨日、細か過ぎるほど丁寧に

陽子線の治療方法を詳述したのだが、こんなに詳しく書く方も書く方だと思ったのだが、とある読者の方から「臀部」の表現の辺りが良く分からないとのメールをもらったのである。

「臀部(でんぶ)」だからお尻なのだが・・・。

そんなに詳しく知りたいと云うのは、本人も陽子線の治療を受けたいと思っているのかもしれないなぁと考えて個人的に返答しようと考えたのだが、PCからの返信メールが送れない状態なので、このブログ上で返答することにした。

まず、私がこのブログに書いているのは、あくまでも私の「前立腺癌」の陽子線治療の詳述であって、癌全般の陽子線治療法を描いているのではないことは理解してもらいたい。

陽子線を癌患部にピンポイントで照射する治療法なのだから、「肺癌」「肝臓癌」など「癌」に罹っている場所が変われば、当然ながら照射する場所も変わるのである。

そのことを理解してもらった上で、分かり難いと指摘のあった一昨日の「照射は1日に4本、左の臀部、左の腰骨、右の腰骨、右の臀部の順番に4ヵ所である。」の部分を分かり易く表現してみる

私のお腹の下腹部(腰骨の辺り、へその下側)を輪切り状態にして、その輪切りを時計に見立てれば分かり易いかもしれない。

正面のへそ側を時計の12時に、背中側を6時に、左手側を9時に、右手側を3時に見立てて欲しい。

1本目の照射の「左の臀部(でんぶ)」と云うのは時計の8時方向から中央方向にある前立腺に向けての照射。

2本目の「左の腰骨」と云うのは時計の10時方向から中央方向の前立腺に向けての照射。

3本目の「右の腰骨」と云うのは時計の2時方向から中央方向の前立腺に向けての照射。

4本目の「右の臀部」と云うのは時計の4時方向から中央方向の前立腺に向けての照射である。

2本目と3本目の間の10〜2時に当たるお腹正面側からは照射はしない。

と云う意味である。これでご理解いただけただろうか?参考になれば嬉しいが・・・。


■2017-10-14-Saturday オートマタ(自動人形)

治療中は毎日暇で時間を持て余しているものだから

ついつい Yahoo オークションを開いてしまう。見るのは「手品」「奇術」「マジック」「マジシャン」「魔術」などの項目である。

気に入ったモノを見つけると入札に参加するのだが・・・。

先日、「手品」の項目で出品されているモノを調べていたら、以前から欲しくて欲しくて仕方がなかったオートマタ(自動人形)が出品されているのを発見して嬉しくなった。

ミッシェル・ベルトラン作の「美人手品師」と云うオートマタ(自動人形)である。

日本にも「茶運び人形」のような「からくり人形」と云われる自動人形があるが、オートマタは西洋のからくり人形である。

日本の江戸時代の「からくり人形」は鯨のヒゲを動力にしており、音無しで動くのに対して、西洋のオートマタはゼンマイ仕掛けで、大概はオルゴール付きである。

「西洋骨董」と云う本で、道化師が「カップ&ボール」と云う世界最古と云われるマジックを演じるオートマタを見掛けてから、マジック・ミュージアムには是非ともこのオートマタを展示したいものだと考えていたのだ。

オートマタ自体が希少なモノであるから、そうそう出品されるものではないし、ましてやマジシャンがマジックを演じると云うジャンルは、更に希少である。

日本での入手は難しいだろうなぁ〜と、なかば諦めかけていたところであったが、今回の治療中に発見したのは、私に買ってもらいたいと云う自動人形の気持ちと、縁であろうと勝手に思い込んだのである。

YouTubeに、まったく同じミッシェル・ベルトラン作「美人手品師」の動画がアップされているので、これを見たら絶対に入手したいと思ったのである。

以前に見たピエロのよりも数段上品で動作が美しい。

西洋美人の人形がテーブルの後ろにドレスを着て立っていて、そのテーブル上には「カップ&ボール」と同じ様に3個のコップが下向きに並んでいる。オルゴールの音に合わせて、美人手品師が右手でマジックウォンドを、左手でハンカチを振ると、コップが持ち上がり、コップの中から、それぞれ猿、女の子、ピエロの頭が出てきてトリッキーな動きをすると云う仕掛けである。すっかりこの動画に魅了されてしまった。

私と同じ様な物好きが他にも居るらしく、値段はドンドンと跳ね上がっていったが、これだけは何としてでも入手したいと最後まで頑張って手に入れたのである。

妻からは「アンタねぇ〜・・・」と呆れられたが・・・。

綺麗に整備してマジック・ミュージアムに飾ってあげたいと思う。読者の方は、是非YouTubeで『オートマタの巨匠 ミッシェル・ベルトラン作 「美人手品師」』をご覧になって下さいな。私が魅了された理由が分かると思います。


■2017-10-15-Sunday 13日(金)

13日(金)の治療

陽子線治療は30回中の24回目が終了、残り後6回の予定である。

昨日、担当の看護師さんが産休で交代すると云うので治療機械の前で記念写真を撮ってもらったのであるが撮影は自由なのである。

治療中に医師からインターフォンで「坂本さん、お腹に力を入れてみて下さい・・・。はい、今度は楽にして・・・」との声が云わってきた。位置合わせで微妙に前立腺にズレが生じたらしい。

治療中にホットフラッシュの発汗が突然起きたので、緊張して呼吸が若干乱れた為だったのかと思い、治療終了後に聞いてみたら、ガス(おなら)の量がいつもより多くてズレたのではないかとのこと、普段の呼吸による上下動は織り込み済みだから、深呼吸で大きく動かさない限りは大丈夫。肺癌への照射は呼吸による上下動に合わせるのが一苦労だが、前立腺への照射は楽な方なのだとのことであった。

金曜日は治療後に医師の診察がある。最近の医師はカルテをコンピュータで打ち込んでいる。昔はペンで、しかもドイツ語で何が書いてあるか分からなかったものだが・・・。

DVDの米テレビドラマ「メンタリスト」の中で、死体の状況検分で死者の残したノートの文字がミミズの這い回った様で読めないからこの死者は医者だと断定する場面があった。どうやらアメリカの医師は字が下手くそで何を書いているか読めないと云いたいらしく、このエピソードには笑ったのだが、カルテを他の医師とも共有しなければならない今の状況では、コンピュータで作る必要性があるのだろうなぁ。

PCの画面は患者である私にもハッキリ見えるのだが、その中に、7月18日に初めて北大病院を受診した時のPSA値(前立腺癌の進行度を測る血液データ)の数値が「18.89」と表示されていたので驚いた。

今年5月末に帯広厚生病院の人間ドックで検査した数値は「17.89」と表示されている。わずか1ヶ月ほどで「1」ポイントも数値が上昇していた訳である。

去年5月末の人間ドックの数値は「12.8」であったから、1年間で「5ポイント」の上昇、それが、この1ヶ月間で「1」ポイントの上昇であるから、進行スピードが上がっていたのではないだろうか?

北大病院での本格的治療の開始が9月1日からであるから、6月末に癌宣告を受けてからこの間、随分とノンビリしているなぁ〜、癌が進行しない内に早く治療をしてもらいたいなぁ〜。と思っていたのだが、医師は「前立腺癌は進行が遅いから1ヶ月や2ヶ月放っておいても問題ないですよ」と言われていたのだ。

10月6日の採血でのPSA値が「0.2」にまで下がっていたから、治療の効果は良好であるので心配はしていないが・・・。


■2017-10-16-Monday 14日帯広

14日は土曜日で治療がない。

東京で暮らす姉が帯広に帰郷しているので日帰りで帯広に戻った。

久し振りに兄弟姉妹4人が顔を揃えるので、昔から贔屓のレストラン「ホーム」で一緒にランチを食べることにした。

前日に撮影した陽子線治療装置の写真をプリントして持参し、病気治療のことなどを詳しく説明することにしたのだが・・・。

会社の隣のカメラ屋でプリントしたが、ちょうど知人でゴルフ仲間のAさんが店番をしていた、「オゥ、坂本! 何だ、お前元気そうじゃないか? もう退院したのか? 来週火曜日のゴルフの最終戦には出るんだろう?」と云うから「退院は今月の末ですので・・・」と答えたら「今、見たから、お前が元気なのは分かったが、今年はゴルフにも飲み会にもさっぱり顔を出さないし、今どき長期入院だなんて、よっぽどアブナイんじゃないかと思っていたぞ、ゴルフの後の懇親会でみんなに坂本はチャンと生きてるぞと伝えておくからな!」と云う。

確かに、最近は入院するといっても短い期間の病気が多い様だし、ここ数ヶ月は帯広の仲間らに顔を見せていないから、坂本重病説が出回っているようだが、果たして、今日、Aさんに会ったのが吉となるのか、はたまた・・・。

兄弟姉妹の会話も、私の病気が話題の中心である。まぁ、不幸中の幸いとでも言おうか、早期発見だったし、治療は身体への負担も少ないし、良しと考えるしかないであろう。

食事の後は、21日の土曜日の、私が支部会長を務める駒澤大学同窓会十勝支部総会の打ち合わせがある。今年もアトラクションに落語会を企画して、駒大同窓の落語家である三遊亭王楽師匠を招いているのだ。私は当日にも帯広に駆け付けて参加する予定になっているが、準備には参加出来ないから、帯広に戻った際には、状況把握をしておく必要がある。

もう十数年間もやっていることだからスタッフに任せても問題はないであろう。後は当日。

その後で、地元新聞社の記者が、私にインタヴューしたいことがあると、札幌に電話してきた「帯広フードバレーマラソン大会」の件で会うことになっている。マラソン大会が始まったいきさつを尋ねたいとのことである。確かに、最初に関わったのだが・・・。結構長く45分間ほどもインタヴューを受けたのであった。

次に母のところに顔を出す。心配したら困るので、私の病気のことは母には一切伝えていないから、帯広に戻る度に、顔を出さないと・・・。

自宅に戻って、着替えを持ち、駅に向かう。時間が無いので、夕食は駅で「豚丼弁当」を買って列車内で食べることにした。何とも慌ただしい帰郷だことよ・・・。


■2017-10-17-Tuesday 15日日曜日

15日日曜日、今日も治療は休みである。

午前中に電気系統の検査の為と云うことで10:30〜14:30まで白コンセント系統が停電になると云う。問題は、そうなると、この間、電気が使用出来ないと云うことである。テレビ、PC、DVDなどの電気製品が使用できないのだ。この間、部屋の照明も消えるので読書も難しい。

別段、見たいテレビ番組があるわけじゃぁないから、テレビが見られないのは良いとしてもPCもDVDも使えず本も読めないのでは・・・、しかも館内は、この電気系統の検査の為に、今日一日はコンビニ店、喫茶店、レストランなども全店臨時休業しているのである。やれることは部屋に籠ってふて寝するだけ、電気が使えない生活と云うのは、現代人にとっては何も出来ないに等しい。

よく、映画には、未来の核戦争でインフラが破壊されて電気が使えない生活が描かれている作品があるが、この状況はそれに近い状態である。

時間の潰しようがまったくなくて、これでは「暇地獄」である。

規則では2日連続の外出は不可になっている。昨日、帯広に日帰りで戻ったから、今日は外出が不可の日である。

看護師に、このせつない状況を訴えた。担当の医師も「今日の状況では館内に居なさいと云うのは、坂本さんにとってはさすがに酷ですね。特別に許可をしましょう。」と外出許可を出してくれたのであった。

まずはマジシャン仲間にメールして会う手配をしたが、急な連絡なので午後3時にしか会えないと云う。それまで、時間を潰す為に、運動不足解消の為に、まずは北大キャンパスを散歩して駅に向かう。歩きながら、さっきの電気が使えない未来の映画の事を思い出し、そうだ!今日は「猿の惑星」を観ようと決めたのであった。

ステラプラザ7階のシネコンに行ってチケットを購入してから、昼食はラーメン共和国に行って梅光軒の醤油ラーメンを食べて、再度、映画館に戻り鑑賞。

「猿の惑星」はチャールトン・ヘストン主演の作品から観ているが・・・、まるで本物のチンパンジーにしか見えない特殊メーキャップ技術の進歩には驚くが、感動もショックも最初の作品の方が大きかった。今作品はスティーブ・マックイーン主演の「大脱走」を観ているようで、まるで「猿の大脱走」と云う感じであった。ストーリーを構成するネタがもう無いのかもしれないなぁ〜。

映画終了後に、札幌在住のプロマジシャンのスペンサー・トリックスと喫茶店で会う。11月2日から岐阜で始まるFISMと云う国際的なマジックコンベンションのチケットを譲渡する為だ。私は癌宣告を受ける前の4月末に先行予約で特等席を申し込んでいたのだが・・・。

捨てるにはモッタイナイ。誰か代わりに行ける人を探していたのである。彼が行ってくれると云うので無駄にすることがなくて良かった。

今朝、次女からメールで「一眼レフのカメラを持っていないか?」と尋ねられた。趣味として一眼レフカメラをやりたいと云う。次女は子供3人の中では、一番私の趣味感覚に近い性格をしている。私は若い時にカメラに凝ったことがあって、オリンパスom-1、om-2の本体2台と交換レンズもズイコーの通常、広角、望遠、ズームと4本も揃えて持っている。しかし、フィルムカメラはもう流行らない。第一、フィルムを売っている店が極端に減った。昔は観光地のタバコ屋にさえ置いてあったのに・・・。

フィルムカメラは、上手く撮れたかどうかはプリントしてみなければ判らなかった。ピンボケだったり、何を撮影したか分からない不要なネガもプリントしてしまう無駄が多かったが・・・。もはや、そのDPEの現像プリントをしてくれる店すらも無くなってしまったからフィルムカメラはよっぽどの趣味人しか使わないだろう。

長らく押し入れに眠ったままのカメラを娘が使うと云うなら嬉しいことだ。だが、やっぱりデジタルカメラが良いらしい。フィルムカメラの交換レンズがそのままデジタルに使えれば良いと思い、調べようと思ったが今日はPCが使えない。帰りにヨドバシカメラに寄って店員に聞いてみたら、アダプターを付ければデジタルカメラにもフィルムカメラの交換レンズが付けられると云う。だが、本体は買わなければならないが・・・、カタログを貰って帰ったが、さて・・・。


■2017-10-18-Wednesday カメラ

次女から欲しいと要望のあった一眼レフカメラであるが・・・。

オリンパスカメラのカスタマーセンターに直接電話して確認してみたら、フィルムカメラのレンズをデジタルカメラに装着するには「MF-2」と云うアダプターが必要だが、レンズの倍率が2倍になってしまうのだと云う。更に、既に数年前に生産を中止しているので、入手するには中古市場で探すしかないと云う。ネットで調べてみたら定価の2〜4倍の値段で出品されていた。希少価値と云うことなのだろう。これでは、昔の交換レンズを使う意味があまり無い。

私が初めて手にした一眼レフカメラ、オリンパスOM-1は大学1年生(18歳)1976(昭和51)年の夏休み期間中に、ライオンズクラブの交換留学生として35日間ニュージーランドに派遣される時に購入したものであるから41年前のカメラである。

留学の記録用にと持って行ったカメラであるが、当時はコンパクトカメラなんてもんは、同じオリンパスのPenくらいしか無かったし、一眼レフカメラが主流であったのだ。OM-1は一眼レフにしては小型軽量で旅行にはちょうど良い大きさだったのである。

何にでもすぐに凝ってしまう私は、帰国後にカメラにも凝って、交換レンズを買い足したり、新機種のOM-2が発売されたら、それも購入してカメラ小僧になっていったのである。

1985(昭和60)年の新婚旅行にもこのオリンパスOM-2に40-150mmのズームレンズを装着して持って行ったのだが、レンズが重くて長くて邪魔で持て余したのであった。

それでも、その後もこのカメラを大事に使用してきたが、世はフィルム一体型の「写るんですよ」や小型のカメラが主流になっていったがフィルムはまだ35mmのものであった。

「北の屋台」の研究で1999(平成11)年に海外に取材に出掛ける際にも、35mmフィルムカメラのコンパクトカメラを購入して持って行った。スナップ写真程度ならこれで十分に用を足せる。当時のデジタルカメラはまだサイズが35mmフィルムのコンパクトカメラよりもかなり大きかったし、解像ドット数が低くて映像がまだまだ荒かったのである。

その内に、デジタルカメラの性能が飛躍的に伸びてきて、大きさも段々と小さくなっていった。

しかし、フィルムの大きさと云う制約があるから、フィルムカメラ自体の大きさは35mmフィルムよりは小さく出来ない。標準の35mmフィルムは、観光地の土産品屋でもタバコ屋でも、どこでも売っていたから、簡単に入手出来たものだったのだが・・・。1996年にフィルムの型を小さくした規格のAPSフィルムのカメラも登場したが、このAPSフィルムはカメラ店でなければ購入出来なかったから一般には普及しなかった。

やがてデジタルカメラの大きさが手の平サイズになり、ズームやフラッシュ機能まで付いて1万円台で買える様な時代になった。フィルム会社最大手の米コダック社が倒産するなどフィルムの需要がガクンと落ちた。もはやフィルムカメラは一部のマニアのモノになってしまったようである。

結局、カメラも電化製品化し、旧来の光学系の製品との互換性もなくなった。何となく悲しいなぁ〜。


■2017-10-19-Thursday 18日

昨晩の22時過ぎ頃に、物凄い稲光が数度ブラインド越しに光って見えた。札幌はずいぶんと雷が多いなぁ〜。

家から持って来たDVDを全て見終えてしまったので、暇潰しに何か「不思議な」シリーズ物を購入してマジック・ミュージアムに置こうかと考えた。CDショップで古いDVDが安売りしていて、その中に「Xファイル」があったので1〜4巻までを購入してきた。

この「Xファイル」であるが、宇宙人・UMA・幽霊・超能力・モンスター・怪奇物語などの「超常現象」をテーマにしたFBI捜査ものである。でも、よせば良かったなぁ〜。このDVDは病院で見る類のものではなかったなぁ〜。ハッキリ言って気味悪い。しかも謎を解決してくれないからモヤモヤが残るのである。夜中に目が覚めるのはこの「Xファイル」のせいなのかもしれない。

朝8時30分からシャワーを浴びていたら、グラッとよろけた感じがした。めまいを起こしたのかと思ったが・・・。部屋に戻ってテレビを点けたら、40分頃に札幌で震度2の地震があったと云うテロップが流れた。そうか〜地震だったんだぁ〜、良かったぁ〜。治療の副作用で貧血でも起こしたかと心配してしまったではないか。

もしも治療中に大きな地震が起きたらどうなるんだろうか? 今日、水曜日は治療が休みであるから、明日の治療の時に聞いてみることにしよう。

今日は09:30〜14:30まで、北大病院内のアメニティホールを会場にして衆議院選挙の不在者投票が行われた。

今回の選挙期間中は帯広には居ないし、11区の女性2人の一騎打ちはメディアでは「夫が共に11区で当選した政治家」だの「共に聖心女学院卒業」だのと共通点などをあげて囃し立てているが、私的にはサッパリ盛り上がらない。どちらも政治を家業にしているようで積極的に応援する気になれないから投票には行かないつもりでいたのだが、北大病院で不在者投票が出来ると云うのである。治療と選挙が重なるなんてことは滅多にないことであるし、何事も経験であるから、このブログの話のタネにもちょうど良いと思い直し、申し込んでおいたのである。

今日、投票できるのは事前に申し込んでいた人だけであるが、北大病院には北海道中から患者が来ているので、受付の係の人は大変である。受付は1ヵ所だけで、氏名のアイウエオ順でしか一覧表がないから、確認作業に時間が掛かる。今朝は寒かったし、会場が広いので行列を待つ間に結構身体が冷えたのであった。

まずは、①の番号の受付で、腕に付けた認識票で名前を確認してからピンク色の封筒を渡される。二重になっていて、外側の封筒には私の氏名、住所等を書いた紙が貼られている。その横に自筆で自分の氏名を書く。中のピンクの封筒には投票用紙が入っていて、②の場所にある衝立のところに行って、この投票用紙に立候補者の名前を書く。

北海道には12の選挙区があるがB4判の紙12枚の中から自分の選挙区の候補者名が書かれた紙を探しだして書かねばならない。衝立は3つあるのにこの紙は1セットだけしかないからこれも調べるのに時間が掛かる。

③の番号の場所に行くとテーブルには3人の係官が座って居て、1人目が中の封筒と外側の封筒の2つそれぞれに糊を付けて封をする、2人目が外側の封筒に日付印と投票場所(北大病院)のゴム印を押す。3人目が糊付けとゴム印を確認してから私に戻され、私が封筒を受け取って投票箱に入れる。

④〜⑥は水色の封筒になって「比例代表の党名」を書く用紙。党名の一覧表が貼ってないから分かり難い。⑦〜⑨は黄緑色の封筒で「最高裁裁判官」の×印を書く用紙になる。この3つを同じ手順で繰り返して終わりである。

病院ではこんな風にやるのかと経験しただけである。誰に投票したのか、はたまたしなかったのかは個人情報と云うことでヒ・ミ・ツ・にしておく。

投票を終えたが、水曜日は私の治療が休みなので散歩に行くことにした。映画は、もう見たい映画が上映していないから止めた。今朝は気温が低く曇天であるが、雨は降っていないので北大キャンパスを2時間掛けて歩いた。ざ〜っと15㎞は歩いたのではないだろうか?

実に広いキャンパスである。このところは運動不足気味であるのに急に長距離を歩いたものだから足腰が痛くなってきたので駅前方向に向かい足裏マッサージを受けてきた。今日はグッスリと眠れそうだ。


■2017-10-20-Friday 禁酒

5月19日(金)から禁酒を続けている。今日10月19日で丸5ヶ月間154日連続で1滴もアルコール類を口にしていないのである。アメージング!

高校生の頃に酒の味を覚えて以来、人並み以上の量を、ほぼ毎日の様に飲んでいた。

若い頃は、酔う為に酒を飲むから、費用対効果が良いアルコール度数の高いウィスキーが主流であった。

私の酒は基本的には「寝酒」である。つまみも無しに酒だけをグイグイと飲んで酔っ払ったところで寝るのだ。

イギリス人がナイトキャップと称して、ウィスキーをストレートでキュッと一杯やる映画を観て憧れたものである。しかし、1杯では終わらない・・・。

普段の家庭生活では晩酌はしないが、飲み会では酒を飲みながら食事もする。その際にウィスキーは飲まない。料理にウィスキーは合わないからだ。

食事しながら飲むのに一番好きな酒は日本酒である。料理には日本酒が一番合っていると思うし、また美味いとも思っているが・・・、逆に美味いと感じるものだから、ついつい限度を忘れて飲み過ぎてしまい二日酔いに悩まされることも多かった。

まだ飲み会だけで止めておけばよいものを、帰宅してから寝る前に更に寝酒としてアルコールを追加する。「これじゃ身体に良い訳ゃないよ!分かっちゃいるけど止められねぇ〜!」のである。

40歳になった頃から、年末年始の飲み会などが続くと、肝臓がダメージを受けてさすがに酒を美味しいとは感じなくなってくる。そうなると肝臓を休める為に2月の1ヶ月間だけ禁酒をするのである。

酒を不味く感じるとしばらく禁酒する、このパターンで、ここ20年くらい過ごしてきた。しかし、2ヶ月以上も禁酒することはなかったのである。

醸造酒の日本酒の二日酔いは辛いから、美味い日本酒を止めて、不味い蒸留酒の芋焼酎に替えたりもしたが、アルコールの無い生活は考えられない。

それを、治療中は医者から止められたとはいえ、5ヶ月間も1滴も飲まないなんて・・・。

治療が終わったら、まず一番やりたいことはビールをグイッと飲むことである。


■2017-10-21-Saturday シール集め

とにかく暇であるから、思索に浸る時間もタップリある。

一人ベッドに寝転んで、あれこれと色々なことを考えるが、自分の蒐集癖について考えてみた。以前にもコレクションについてはこのブログにも書いたが・・・。

私は、いったいいつ頃、何歳くらいから「蒐集」を始めたのだろうか?とズ~ッと考えていたのである。

思い出したキッカケになったのは、北大病院のコンビニで買い物をしている時に、丸美屋のふりかけ「のりたま」を手にした瞬間であった。

元々、食べ物に好き嫌いが激しく、野菜が苦手である。形がダメなのはブロッコリーとカリフラワー、どちらも似た様な形の野菜だが、生理的にどうしてもこの形が受け入れられない。

また、同じ食材でも調理方法によっては食べられないことがある。例えば大根。シャキシャキした食感なら大好きであるが、グチュッとした食感はダメなのだ。だから、タクアンならOKでオデンならNGなのである。これは感性だからしようがない。病院食のおかずは野菜が多い。なるべく我慢して食べてはいるが、この好き嫌いの為に残してしまうことがある。おかずの品数が少なめだから補助として「海苔の佃煮」「梅漬け」「なめ茸の瓶詰」「ふりかけ」等をコンビニで買ったのである。

この時に「ふりかけ」は丸美屋の「のりたま」を手にした。幼少の頃から「のりたま」が好きなのである。その瞬間に、そうだ!「のりたま」だ!「8マン」だ!と思い当たったのだった。テレビで「エイトマン」の放送が始まったのが昭和38(1963)年11月、「光る海、光る大空、光る大地〜♪」克美しげるが歌ったテーマソングは今でも歌える。このエイトマンのスポンサーが丸美屋で「のりたま」の袋の中には8マンのシールが入っていたのである。ちなみに、桑田次郎の漫画のタイトルは「8マン」なのだが、テレビアニメのタイトルは「エイトマン」なのである。

当時は、上原ゆかりが出ていたCMの明治のマーブルチョコの円筒形の紙容器に入っていた鉄腕アトムのシールと共に、子供が集めたくなるモノであったのだ。

このシールの「おまけ」戦略はかなり当たったと思う。商品を買えば、その中にシールが入っているのだから、メーカー側にしてみれば、手間が掛からないし、シールなんて安価であるし、当時は作者に払う著作権料なんて安かったろうから金も掛からない。

このシールを集めては家中にベタベタ貼っては親に怒られていた。

モノを集め出したのは、このシール集めがキッカケだったように思う。

ちなみに、この昭和38年はテレビアニメの3大ロボット「鉄腕アトム(1月)」「鉄人28号(10月)」「エイトマン(11月)」の放送が始まった年なのである。

「鉄人28号」のスポンサーは「おまけ」で有名なグリコであるが、グリコのおまけには色々なモノが入っているので、夢中になることはなかったのであった。

「収集」と「蒐集」とは違う。「収集」は単にモノを集めることで、私の「しゅうしゅう」はこれではない(と思っている)。音は同じ「しゅうしゅう」だが、私の場合は「蒐集」と書きたい。「蒐集」とは、趣味や研究の為に特定の品物等を体系立てて集めることである。

まさしく、系統立ててモノを集めた始まりはこのシール集めであったように思う。


■2017-10-22-Sunday 20日の治療

20日(金)は陽子線治療の28回目、

陽子線治療は残すところ後2回の照射で終了である。毎金曜日は照射治療後に定例の放射線医師の問診がある。これまでのところ陽子線治療では副作用も出ることなく順調に治療は進んでいるとのこと。来週の月・火の2回の照射で当初予定の30回の照射が全て終了する予定で、このまま何事もなければ水曜日には退院の運びにするとのことである。

退院すれば次回の受診日は、泌尿器科のホルモン療法の(LH-RHアゴニストの3ヶ月製剤)注射日に合わせて12月1日の予定を組みましょうとのこと。

放射線科の外来受診は火曜日で、金曜日には外来受診が無いのだが、坂本さんは帯広と云う遠隔地からの来院であるので、問診だけの為に札幌まで来てもらうのも何だから同じ日に合わせるようにします。とのことである。そうしてもらわなければ、たった数分間の問診の為だけに2万円の汽車賃と往復6時間もの費用と時間を掛けて札幌まで来るのは大変であるから・・・。

陽子線治療終了の足で、そのまま整形外科に行く。右肩の五十肩の治療の為である。こちらは毎週金曜日に肩に注射を打ってもらっている。25日には退院の予定になっていますが、肩の治療は継続しますか?と医師が聞くので、肩は帯広の病院に行きます。と答えた。これも注射の為だけに札幌に通うことは考えていない。

今日は、今までより少し強い痛み止めを打ちましょう。と云って、痛い右肩の患部に直接注射を打つ。この注射はあんまり効かないが、それでも痛みが薄らいでいる間にストレッチをして筋を伸ばすようにしよう。

明日21日(土)は、私が支部会長を務める駒澤大学同窓会十勝支部の総会&落語会が開催されるし、翌22日(日)は義父の西雪公啓の三回忌法要があるので帯広に戻る。

外泊が許されるのは月に一度の一泊だけでしかないのだが、今回は法要と云うことで特別許可をもらった。

退院がもう間近かであるが、逆にバタバタと忙しい方が気がまぎれるし、今回の帰郷時に不要な荷物を持って帰ることで退院時の荷物を軽減することが出来るし、親類が大勢集まるから、心配を吹き飛ばすには、私の元気な姿を直接見せるのが一番なので、かえって好都合である。


■2017-10-23-Monday 駒大同窓会

21日(土)今日は、私が会長を務める駒澤大学同窓会十勝支部の

総会&落語会が14:00から開催されるので、外出・外泊許可を取り、JRの07:54(札幌駅発)−10:36(帯広駅着)のスーパーとかち1号に乗車して帯広に戻った。

会場は帯広駅隣接のノースランドホテルである。

ゲストである同窓の落語家、三遊亭王楽師匠は空路、東京から09:15着の飛行機で帯広入りするので出迎えはスタッフに任せたが、私よりも早くに会場入りして準備をしてくれていた。

私は、帯広駅から一旦自宅に戻り、着替えてから11:30に会場入りして合流。

駒澤大学同窓会十勝支部は2000年に発足し、毎回、ゲストに駒大同窓の有名人を招待して会員増強に努めている。ちなみに第一回のゲストは元プロ野球選手の中畑清氏であった。駒澤大学同窓会では、全国各地の同窓会支部の総会に合わせて、同窓生の有名人を派遣してくれる制度があるのだ。十勝支部では毎回、この制度を利用して駒大同窓の歌手、手品師、落語家などを招聘している。

2009年の10周年の総会を期に、観客を大学同窓生に限らずに一般にも開放することにして、三遊亭貴楽と王楽と云う、五代目三遊亭円楽の同窓の兄弟弟子2人を招聘して「駒大寄席」とし、以来毎年200〜300名ほどの一般客を集めて開催し、駒澤大学の宣伝にも寄与する方針にしている。

三遊亭王楽師匠は、この10周年の総会直前に二つ目から真打に昇進したばかりで、それから9年連続で招聘しているから、十勝の観客は王楽の成長をずっと見続けていることになる。十勝でのファンが増えているのが実感できるのだろう、来ることを毎年楽しみにしてくれているのだ。

王楽師匠とは家族同然の付き合いになり。2014年の15周年には、王楽師匠の父親の三遊亭好楽師匠(笑点のピンク色の着物)にもお願いして来てもらい「親子共演落語会」を開催して大勢の観客を集めたのであった。

全国各地57ヵ所に同窓会支部があるが、この様に一般公開をして大勢の人を集め始めたのは十勝支部が最初なのである。そのやり方を見たいと、今回は本部から萩野同窓会会長が出席をしてくれたのであった。

総会に先立つ落語会は一般客にも200席ほど無料開放しているが、入場整理券が必要な形にしている。13時半開場、14時開演であるが、12時半頃から客が並び始めた。当初に用意した席数は260席であったが、あっという間に満席になり。急遽、40席を追加して300席の大盛況になった。王楽師匠も気持ち良く1時間たっぷり3席の落語を披露してくれたのであった。

16時からは同ホテルの別会場で同窓会の総会と懇親会を開催、19時半に終了したが、皆がマジック・ミュージアムを見学したいと云うので移動して案内をしたのであった。2次会は5ヶ月間もの禁酒を続けている身なのでパスして帰宅。

翌日は、恒例の駒大同窓会ゴルフコンペであるが、私はまだ治療中の身であるし、また、昼には義父の3回忌法要を行うので欠席である。対応をスタッフに依頼した。

帰宅したら、妻と子供らが、市内の温泉銭湯に行くと云う。私は、治療中は温泉への入浴が禁じられているので一人寂しく自宅で読書をしていたのであった。


■2017-10-24-Tuesday 義父三回忌

22日(日)は

義父(西雪公啓)の3回忌法要を市内の北海道ホテルで11:00から行う。昨日の内に、次女と息子が本州から帰宅している。

去年の一周忌法要の直前には妻が入院していたし、今回は私が入院している。私達夫婦も還暦であるから、身体にガタが来ているという証なのであろうか、それでも、2人とも大事には至らなかったので、不幸中の幸いと云うものであろう。義父が「身体に気をつけろよ!」と警告を発してくれているのかもしれない。

三回忌だから、ごく少数の親類縁者だけ30名弱での法要である。それでも、帯広在住者よりも東京など地方から来る人が多いから、接近している季節外れの大型台風21号の行方が気になるところである。

札幌からこの日の早朝にJRで来た義母の妹さんが、札幌駅で転倒して右腕を骨折するなどのアクシデントがあった。

今回の法要は、事前のホテルの打ち合わせから、手配、法要での挨拶も私の出番は不要とのことで、全て妻が一人で仕切って、一人でおこなった。

挨拶も、堂々たるもので、感動的な内容の話をしては参列者をホロリとさせるなど、なかなか立派なものである。もう、私なんぞは、会社でも自宅でも不要かも・・・。

法要は13時半頃に終了したが、15:30発の飛行機で娘と息子が東京に戻る。台風21号が接近しているので、天気予報と航空会社の情報を見ながらハラハラする。空港では天候次第で引き返すか他の空港に着陸する場合があると云う条件を了承してから機乗した。飛行機は激しく揺れたとのことだが無事に到着をした。

次は、妻の姉夫婦とその双子の娘2家族の合計3家族8人が、19:10の飛行機で東京に戻る予定になっているが、まだ出発までは時間があるから、マジック・ミュージアムの見学をしたいと云うので案内をし、マジックも演じてみせる。

17時に分かれて、私達夫婦は自宅に戻り、テレビのニュースを見たら、台風21号が北海道に接近して明日は悪天候が予想される。

明日23日は10:30から陽子線治療の予定である。事前に購入しておいたJRのチケットは、明日の朝に帯広を06:45発のJRの特急で札幌に向かい09:33に到着する予定のスーパーとかち2号であったが・・・。

もともと50分間しか時間的余裕がないところへ、台風の影響でもしも列車が遅れたりしたら治療が受けられなくなる可能性が高い。治療スケジュールは前後の患者の分もビッチリと決まっているし、今日は日曜日で病院は休みだから、連絡は出来ないし、たとえ連絡出来たとしても突然の変更は難しい。

明日の朝になってから慌てるよりも、今ならまだ間に合うから、今から札幌に向かおうと考えたのである。

これまで何度か外出許可をもらって日帰りで帯広に帰った際に、札幌への戻りは病院の門限20:30にギリギリに間に合う(17:47帯広駅発−20:15札幌駅着スーパーおおぞら10号)列車にしていたのだが・・・、せめて妻とゆっくり食事がしたいなぁと思い直して、札幌の病院近くのホテルを予約することにしてから、列車を1本後の19:22帯広駅発—22:15札幌駅着の(スーパーとかち10号)に変更して妻と夕食を食べに行ったのである。

列車は予定通りに19:22に出発したが・・・。

20:50に占冠駅で停車したらドドドッと客が入って来る。いつもは1〜2人くらいしか客の乗らない小さな駅なのに・・・。

何と、列車が鹿と衝突して故障し占冠駅で2時間も停車していて、後続である私の乗車している列車に乗り込んで来たのだ。占冠駅はとても小さい駅だし、列車の指定席の番号が重なっているものだから、空席案内などの混乱が生じてしまい、ここで30分の遅延である。

いつもの列車に乗らなくて良かった〜。いつもの列車に乗っていたなら2時間半もの遅れであった。今は、車内販売も無いから2時間半も遅れたら、イライラと空腹で腹が立ったかも・・・。

22:45に札幌駅に到着、ホテルは駅の近くの徒歩7分の距離なのでタクシーで行く距離ではないがかなり寒かった。途中のコンビニで軽食を買ってからホテルに入る。日曜日の夕方当日に取ったホテルであるから、料金は素泊まり5600円とかなり安いが、新しいホテルでしかも広い部屋で快適であった。

部屋で選挙速報を見ながら就寝したが、なんだかとても疲れた2日間であったなぁ〜。


■2017-10-25-Wednesday 23,24日

23・24日

22日(日)は台風21号の影響で、札幌駅北のアパホテルに宿泊した。ホテルを9時に出て、北大病院までの500mほどの距離をミゾレ混じりの冷たい雨の中徒歩で向かう。病室に入って窓の外を見たら大粒の雪に変わっていた。全道的に大荒れの様相であるから、昨晩の内に札幌入りしておいて正解であった。

陽子線治療は23日(月)と24日(火)の後2回で、当初予定の30回の照射を全て終了する。9月5日に入院して以来、明日の10月25日で入院51日目と云うことになる。長い様で短く、短い様で長かった。

陽子線治療は、週に4回で、一回の治療時間は30分程度でしかない。副作用が全く無いから、身体はいたって健康そのもので、身体と暇を常に持て余していた。

朝6時に起床、7時にシャワー、8時に朝食、10時半〜11時まで治療、12時に昼食、18時に夕食、21時に消灯と云うスケジュールである。

基本的に水(月曜が祝日の場合は治療日)・土・日・祝日は治療は休みであるが、外出は事前に医師の許可が必要で、門限は20時、2日連続の外出は不可、外泊は月に一度と決められている。

入院期間51日間中の治療日は30日であるから、残りの21日間は何もない日なのである。

札幌と帯広間はJRで往復約6時間であるし、列車のダイヤはとても不便であるから、日帰りで帰るのは大変だ。

規則には病院を出るのは7時過ぎから、門限が20時迄であるから、このタイムスケジュールに合わせるなら、札幌発07:45−10:36帯広着(Sとかち1号)で帯広に行くしかない。

帰りは、門限の20時に間に合う列車ならば、帯広を15:20(Sおおぞら8号)で札幌着は17:56に乗らなければならないのだ。これだと帯広には5時間ほどしか居られない。移動時間の方が長いなら何の為に帰るのか意味がなくなる。

だが、後発列車は出発時刻が2時間半も後の17:47帯広発(Sおおぞら10号)で札幌着が20:15着なのである。この列車だと札幌駅に到着した時点で既に門限を過ぎているのだ。

この辺りの交通事情の不便さを説明して、門限を20:30にしてもらい2回帯広に戻ったのであった。

入院期間中は入院患者とは、ほとんど会話をしなかった。重篤な患者の身の上話を聞いてしまうと気分が重くなると思ったからだ。一人で部屋に籠ってDVDを見て過ごしたのであった。

札幌での外出許可の際には、従弟やマジシャン仲間と食事をしたり、一人で映画を観たり、足裏マッサージを受けたり、北大キャンパスを散歩したりして楽しんだ。それも今日でお終いである。

退院したら何がしたいか?と聞かれたので「お寿司を食べて、温泉に入って、風呂上りにビールを飲んで・・・」と言ったら、「温泉はまだ1ヶ月くらいはダメですよ、入浴剤入りのお風呂もダメです。肌が荒れる可能性がありますから・・・、お酒はあまり飲み過ぎないように・・・、お寿司は問題ありません」とのこと。

すぐにやりたい事が全部出来るわけではないようだ。残念!


■2017-10-26-Thursday 退院

ようやく退院した!

9月5日に入院してから10月25日の退院までに、実に51日間も入院していたのである。

看護師からは9:30までに病室を明け渡して欲しいと言われている。いつも通リに6:00に起床して、6:30からシャワーも浴びて、荷造りを始めた。

21日に帯広に外泊許可をもらって帰った際に、かなりの荷物を持ち帰っているから、鞄一つしか荷物がないので簡単に片付いたが、およそ2ヶ月間の入院生活になるからと、最初の日に1階のローソンでポンプ式ボトルのシャンプーとボディソープを購入して使用していたのだが、どちらも3分の1ほどが残っている。

これを持ち帰るのは面倒だなと思い、看護師に置いていきたいのだがと聞いたら「入院患者の中にはシャンプーなどを用意しないで入院する人が居るから使わせてもらいます」とのことで有難い。持ち運びには不都合な形状であるからなぁ〜。

退院するには、入院費用を全額清算しなければならない。9時過ぎになってようやく請求書が届いたが・・・。

入院費と治療費の合計が25万円弱、これは10月分だけの費用だ。

2週間程前に、陽子線治療費が300万円超、9月分入院費と治療費の合計が40万円弱の請求書が2枚病室に届けられた。

入院前に、生命保険会社の担当者と陽子線治療費の高額請求に対する支払いの方法を確認した際には、事前に保険会社から病院に連絡しておいて、直接病院側に支払う手続きをしますから患者さんは病院には直接払わなくて結構ですよと言われていたのだが・・・。

エッ〜ツ、どうなってるの!

すぐに生命保険会社の担当者の携帯電話番号を調べて、状況の説明をして保険金の支払いはどうなっているのかを尋ねたら・・・。「大至急本社に確認してみます」との返事、しばらく後からの電話では「すみません!手続きに不備がありまして、今回は保険会社から病院への直接の支払いは出来ません。」と云う。

「おいおいおい!何を言ってるんだ。貴方が高額医療分の支払いは、患者の持ち出しは無いと云うから安心して入院したのに・・・」と非難したら、ひたすら「申し訳ございません。とりあえず立て替えてお支払い下さい。医師の診断書が届いたらすぐに坂本さんにお支払いしますから・・・」と謝るばかりである。

全額支払わなくては退院させてもらえない。

病院の窓口に出向いて医師の診断書はいつ頃発行されるのか質問したら、「退院しなければ書くことが出来ないので、お手元に届くのは退院後2〜3週間たってからですね」とのこと。

そうなると、立て替え払いのタイムラグが1ヶ月ほどは掛かることになる。

何とか、お金を工面したりして支払ったのではあるが・・・。まだ何とかなったから良かったものの・・・。

冷や汗物の一幕であった。

支払いの清算も全部終わり、JRの列車で帯広に戻る。

つい2,3日前にも戻っているから「帰って来たゾ〜」と云う感じはないが、それでも一時帰宅と退院とでは感覚が異なる。

ようやく治療が終わったと云う一安堵でなにより心が安らぐ。


■2017-10-27-Friday 自宅

ようやく自宅で・・・

ようやく戻って来たのだが、どうも妻が嬉しそうな感じではない。

「最愛の旦那が帰って来たのに嬉しくないのか?」と聞いたら、「昨晩、女子会のメンバーと食事会とカラオケ等ではしゃいだものだから疲れと二日酔いで気分が悪い」のだと云う。

まったくもう、亭主が居ぬ間の・・・。

退院後に一番やりたい事は「酒」「温泉」「マッサージ」「寿し」て云う順番かな。

医師からは「酒」はほどほどに、飲み過ぎは絶対にダメ。「温泉」はダメ、お風呂も入浴剤を入れないように。「マッサージ」は腹部に極度の力を入れないように言われているので全身は難しいから足裏で。「寿し」は食べ物制限は無し。と言われている。

夕食は寿司屋に行きたいと思ったが・・・。妻が今日は二日酔いだから寿しよりも焼肉が良いと云う。「貴方も焼肉の方が好きでしょ?」と半場強引に平和園に行って焼肉を食べた。

焼肉ならビールを飲みたいなぁと思ったが、妻が「せっかく5ヶ月間も禁酒したんだからこのまま続けたら・・・」とつれないことを言う。

本当は自分が二日酔いで飲みたくないだけなんだろうけど・・・。

焼肉だけを食べて食後は自宅に戻って風呂に入る。

入院期間中はシャワーだけで湯舟には入れなかったから、身体を湯に浸すのは久し振りである。

身体に書いてあるマジック線の印も、線の上に貼ったシールを剥がして洗い流そうと思ったが、患部をゴシゴシ洗わないようにと言われているのでシールを剥がして軽く洗い流すだけにした。もうしばらくこの線は残りそうである。

五十肩で右腕が背中に回らないものだから背中が痒いので妻に背中を流してもらった。やっぱり自宅のお風呂は良いなぁ〜。

鏡に映った自分の姿をしばらくぶりに見て愕然とする。体重は入院期間中は、ほとんど73㎏を維持していたから体型もほとんど変わっていないと思っていたのに・・・。

お腹だけポッコリと以前よりも膨らんでいるのだ。

運動不足からか筋肉が減ったようだし、ホルモン注射の副作用で脂肪が付き易くなっているからなのか、お腹に脂肪が集中したようだ。その分、体重はプラスマイナスゼロで体型だけが格好悪くなったみたいである。

そう云えば、今朝、ズボンをはいた時にウェストが少しきつかったように感じたのであった。

少し、腹筋運動を軽めに始めたい。

風呂上がりには、やっぱり我慢出来ないので、退院祝いだからと缶ビールをコップに1杯注いでグイッと飲んだ。ウ〜ン、159日振りの酒である。待望のビールなのに何故だかあまり美味く感じない。「さて、もう一杯飲んで味をしっかり確認しなきゃ〜なぁ〜」と云ったら「止めなさい!」の一言。残りは妻が飲んでしまったのであった。

何だか疲れたし、寝酒はダメだと云うので早めに睡眠導入剤を飲んでベッドに入ったが・・・。身体が病院の固いマットに慣れてしまったのだろうなぁ、逆にベッドがフワフワし過ぎて落ち着かないのである。なかなか寝付けないのであった。

23時頃にようやくウトウトし始めたが、その後は1時間置きにトイレに立つ。尿意を催したら、我慢することが出来なくなっているから、あわててトイレに駆け込む。

陽子線治療は治療終了後1ヶ月ぐらいしてからようやく効果が表に出て来るのだと言う、早く完治したいものである。


■2017-10-28-Saturday 大根葉

自宅に戻って・・・、

以前にもこのブログに書いているが、私の大好物は「大根葉の漬物」である。

この大根葉の漬物で炊きたてのご飯を食べたいなぁ〜と入院中もズ〜ッと考えていた。

しかし、大根葉の漬物は店頭では販売していない。食べたければ自分で漬けるしかないのである。

去年は漬物を漬けるシーズンに、いろいろな出来事があったのと、いつも大根葉を頼んでいた農家が台風の影響で大変な時期でもあったので、大根葉を漬けるタイミングを逃してしまい。漬けることも食べることも出来なかったのである。

去年、食べることが出来なかったものだから、今年は尚更、食べたくて食べたくて仕方がない。人間は食べられないとなると余計に食べたさが増幅するようである。

退院翌日の26日に、後輩の農家のH君に電話したら、すぐに大根を届けてくれたのであった。

病み上がりではあるが、身体にはダメージが無いと思っている。がしかし、屋外での作業は寒いし、身体にも悪いだろうと思い、風呂場に持ち込んで、大根葉を洗い、漬けたのである。

中腰での作業は、やっぱり身体、特に腰に応えた。腰と股関節が作業中に痛くなり始めたのである。

もらった大根を全部処理したら、明日は起き上がれなくなるかもしれないと思い。残念ながら半分だけで作業を終えたのであった。

それでも20本分は大根葉を漬け終えたので、1ヶ月分位は漬けられたと思う。

妻は「そうまでして食べたいの?」と呆れていたが「私は食べないもん」と言って手伝ってはくれない。

だが、私が大根葉を美味しそうに食べていたら、妻も箸を伸ばして納豆に混ぜて食べたりはするくせに・・・。

翌日には、腰と太股の筋肉が悲鳴をあげた。

五十肩用に処方してもらったシップ剤を腰にベタベタ貼って凌いだのだが・・・。

こうまでしても食べたいのが大根葉なのである。

必要なのは葉であって大根の本体は不要だから余った大根の本体は皆に配って喜ばれた。

全部上げてしまうのもモッタイナイから、今年は大根の本体も2本だけは、自分なりの工夫をして漬けてみることにした。

後は、美味しく漬かってくれたら嬉しいんだがなぁ〜。

退院してから今日初めて母に、私が癌であったことを伝えた。これまでは母が心配すると思ったから癌と云うことは伝えていなかったのだ。毎週顔を出しているのに、2ヶ月間も帯広を留守にするから、ただ旅行に行くとだけ言っておいたのである。

母も気弱になっているから、私が癌であったことを伝えたら、涙を流して「あんたが、わたしよりも先に死んでしまったら、私はいったいどうしたら良いの・・・」とワンワンと泣き出してしまったのである。

「先進医療の治療を受けたからもう大丈夫、完全に治ったよ」と言ったら、安心してくれたが、「あんたが大変な治療をしているのにお見舞いにも行かなくて・・・」と言いだす。「最先端の治療法を札幌の北大病院で受けたから、金は掛かったけど、身体への負担も無かったし、もう大丈夫だから・・・」と云うがなかなか納得してくれない。これが母親の愛情ってもんなんだろうなぁ〜。私も嬉しくてもらい泣きをしてしまったのだった。


■2017-10-29-Sunday ブレードランナー

土曜日に妻と映画を観に行くことにした。

新聞欄で調べると、帯広のシネコンで上映中なのは、もう既に私が札幌で観てしまった映画ばかりである。

新しい映画は「ブレードランナー2049」だけだ。

妻に「前作のブレードランナーは観たのかい?」と聞いたら「観ていない」と言う。

週刊誌などの映画評論では「前作を観ていない人が、いきなりこの新作を観ても理解が出来ないかもしれない・・・」と出ていたから、金曜日の夜に我が家のレーザーディスク(LD)で前作を観てから行くことにしたのである。

私も細かい部分を忘れているから、見直しておいた方が新作を楽しめるとも考えた。

何でもコレクションするのが癖である私は、レーザーディスクも蒐集していたのである。映画だけでもザッと800枚位は所有しているが・・・。この中から探し出すのが一苦労であった。20分位掛ってようやく探し出し、二人で楽しんだのであった。レイチェル役のショーン・ヤングの美しさを再認識したが・・・。

入院期間中には、毎日4〜5枚のDVDを観て暮らしていたが、久し振りに見たLDの映像の粗さがとても気になったのである。

LDの発売当時は、ビデオテープと比較して、その映像の美しさに惚れて購入したのに、今となってはLDの映像を粗く感じるのだから・・・。

35年前(1982年公開)の作品であるが、舞台設定は2019年のロサンゼルスであるから、ほとんど現在が舞台である。

35年前に考えた2019年というのが、こんな世界観だったんだなぁ〜と改めて思った。

リドリー・スコット監督特有のジメジメッとした暗〜い世界観、日本語の看板や食べ物など改めて見ると面白い発見があった。

この手の映画をあまり積極的には見ない妻が、主演が大好きな男優のライアン・ゴズリング(ラ・ラ・ランドの主演男優)だから観に行くと言う。でも結構面白がって観ていたのであった。

前日の予習復習が効いたのだろう。映画はとても面白っかったし、考えさせられる事も多かった。結構、予言的な内容もあるかもね・・・。

終了後に、隣で観ていた若い女性2人が「ヤッバ〜イ、さっぱり意味分かんな〜い・・・」と言っていたが、そうだろうなぁ〜。前作を観ていないと、ストーリーに唐突感があって繋がっていかないだろうなぁ〜。内容も結構高尚だったしね・・・。

我が家は事前に前作を観ておいて良かったなぁ〜。


■2017-10-30-Monday 日曜日

29日(日)

今日は、帯広で「フードバレーとかちマラソン」が行われる日だ。

治療中の10月14日(土)に日帰りで帯広に戻った時に、十勝毎日新聞社の I記者から「マラソン大会開催のとっかかりを作ったのが坂本さんだと聞いたのでインタビューをしたい」と取材されたのである。

その時のインタビュー記事が28日の新聞に私の顔写真付きで「あの時の記憶2012年11月4日第1回フードバレーとかちマラソン」と題してデカデカと掲載されたのだ。

記事を読んだ方からは「マラソン大会も仕掛け人は坂本さんだったの?」とビックリされたが、私は準備委員会までで、実行委員会には加わっていないから、私が関わっていたことを知らない人がほとんどなのである。

私は「マラソンと登山をする人の気持ちが分からない」といつも公言しているくらいだから、マラソンには全く興味が無いのである。

たとえお金をくれると言われたって走ろうとは思わないのに、まさか自分でお金(参加費)を支払ってまで走る人が居るなんて・・・。

好きなことはトコトンやる性質(たち)であるが、好きじゃないことは全くやらない主義でもあるので、ずっとマラソン大会に関わろうとは思っていなかった。

ただ単に「頼めるのは坂本さんしか居ないから何とかお願いします」と頼まれて断り切れなかっただけなのである。

一旦引き受けた以上は形にしなければならないなぁと責任を感じたから動いただけの話である。

記事によると第一回大会の参加者数は3266人であったと記載されていた。それが第6回目の今回は5072人が参加したのだというから、お膳立てした人間としては大盛況で嬉しいのだが、別段マラソンに思い入れがあるわけではないから、ワクワクするのでもない。ただ淡々とした心境でしかないのである。

それでも、前日の映画「ロードランナー2049」が終わった後に、街中に食事に出たら、ランナーと云うか観光客と云うか、そういった雰囲気の人達で飲食店が客で溢れていたし、前日に帯広に入っているということはホテルに宿泊するのだろうから、少しは観光の役には立っているのかもしれないが・・・。

15時から、妻がまた映画に行きたいと言う。妻が観たいのは「ミックス」という卓球を題材にした新垣結衣主演の邦画だと云う。

札幌の映画館で予告編は見ている。明るい映画のようであるし、昨日は妻が付きあってくれたから、今日は私が付き合わねばならないだろう。

映画は、まぁまぁ面白かった。

夕食は、弟家族が退院祝いに焼肉屋に招待してくれるという。弟から奢ってもらうというのは初めてかもしれないなぁ〜。退院を祝ってくれるというのだから嬉しいことである。

ビールを飲みながらの焼き肉はやっぱり旨いなぁ!

でもビールは中ジョッキ1杯で止めておいた。が、肉は結構な量を食べてしまったのである。

退院してからは、食欲が旺盛になって困っている。何だか太りそうで怖いなぁ〜。


■2017-10-31-Tuesday 新聞

入院中はなるべく新聞を読まないようにしていた。

よっぽど読みたい事柄などがあった時には、朝方に病室まで「朝刊ですよ〜」と販売に来る人から購入していたが、51日間の入院で3回しか購入しなかったほどだ。

新聞は宅配でしか購入したことがないし、その支払いすらもしたことがないから新聞の値段を知らなかったが・・・。朝刊が一部140円だと聞いて一瞬高いなぁ〜と感じたのである。しかし、よくよく考えてみたら別段そう高いと云うことはないなぁとも思った。それくらい情報が満載だし、取材の経費も相当に掛かっているはずだからだ。だが・・・。

惰性で新聞購読をしていたが、今回の入院で、新聞を読まなくなってから、その必要性が極端に薄れたように感じるのである。

ニュースのスピードはネットの方が遥かに早いし、自分の必要なモノだけ見れば良いし、無料であるし、読み終わった後の処理もいらない。私のような活字中毒患者であっても、新聞を必要としていないことが分かったのである。私にとって無用な情報が多過ぎるのだ。

入院中は暇だから、新聞は暇つぶしに良いのかと思ったのだが、逆だった。新聞を読まなくなったら不要な情報は邪魔でしかなかったのである。自分が対処出来ない状態で情報を目にすると、もどかしさでイライラするのだ。入院生活にニュースは不必要だった。

今回のクダラナイ選挙の事は見たくなかったしね・・・。

今は時代の変わり目であろうが、今後、新聞は社会が必要とはしなくなるのだろうなぁと実感したのだが・・・。

帯広に戻る列車に乗る前に新聞を購入して、久し振りにジックリと新聞を眺めた。

私は現在は「株」をやらないが、父が平成4年に亡くなった際に、父が生前にやっていた20社ほどの株式を相続した。

父は平成2年くらいから身体の具合が悪くて入退院を繰り返していたから株式の売買もストップしていたが、時はバブルが破裂した頃である。

つまり父はバブル時代の高値で株を購入していたのだ。

それでも、父の購入時よりも1円でも高く売れる株はすぐに処分をしたが、数社の株は3分の1や4分の1にまで値が下がっていたから、売るに売れなくて塩漬け状態のまま現在も所有している。

しかし、ここ20年間は何らの売買も行なわず証券会社に預けたまま放置してあるのだ。

列車の中は、病院よりも暇なので株式欄にも目を通してみたら・・・。

何と、株式価格が200円未満でずっと低迷していた某社の株式が2000円以上の値を付けているのを発見したのである。エッ、入院していたこの2ヶ月間で10倍に! きっとスゴイ新製品でも開発したのに違いない。最低取引数のたった1000株しか所有していないが、それでも売れば2百万円にはなると思ったのだ。

さっそく証券会社に連絡して売って欲しいと言ったら「〇〇社の株を100株、売りですね?」と云う。「イヤイヤ百株じゃなくて千株だよ」と言ったら・・・。

「〇〇社は9月末で株式の最低取り扱い数を100株に変更していますから・・・」と云う。

何〜んだ!ぬかよろこびであった。株は再度塩漬けにした。

新聞を読み続けていないとこう云うことが起こるのであるなぁ〜。ガッカリ!