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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-08-01-Wednesday マジシャン島田晴夫

マジック界のレジェンド、島田晴夫さんから

直接、私の携帯にお電話を頂いた。気温が暑いことも多少はあるのだが、感激の余りにドッと汗が噴き出てきたのであった。

現在は、アメリカのロサンゼルスに在住の島田晴夫さんは、秋に来日されるのだが、その際に「マジック・ミュージアム」を訪問して下さるのである。島田さんからは「マジック・ミュージアムの見学を楽しみにしていますよ」と言われて感激してしまった。

私の世代のマジシャンにとっては、プロ、アマ関係なく島田晴夫さんと云ったら「神様」なのである。

私も大学生の時代には、島田さんの演技スタイルを一生懸命に真似していたものだった。

2004年には、「北の屋台」の3周年記念事業として大勢のマジシャンを招聘しての「マジックショー」を帯広市民文化小ホールで開催したのだが、その際に島田晴夫さんが出演して下さったのである。終演後には出演者全員が北の屋台に集まって、屋台の客にマジックを披露する催しを行い、大変な評判を得たのであった。

帯広に来ていただくのはそれ以来、14年振りと云うことになる。

島田さんは御年78歳である。7月にNHKBS放送で3時間もの長さでアメリカ、ロサンゼルスにあるマジックの殿堂「マジック・キャッスル」の歴代出演者の演技を放送していたが、その中から№1の出演回数を誇るマジシャンとして島田さんの演技が放送されていた。さすがに78歳と云う年齢では、かつてのシャープさは減少していたが、老練な技は実に見事であった。

島田さんは1965年、24歳の頃に日本を離れて、オーストラリア、イギリス、メキシコなどの海外で活躍されたから、日本の一般人の間ではあまり有名ではないのだ。

同じ、テンヨー(デパートの玩具売場でマジック用品を実演付で販売する松旭斎天洋が起こした会社)のディーラー(実演販売員)出身のプロマジシャンとして第一号であった故引田天功(初代)(島田さんの6歳年長)がテレビ界を席巻していたからである。

しかし、島田さんは日本人らしさを前面に出して袴着物姿で演じた「番傘」や「ドラゴン・イリュージョン」が海外で受けたのである。

その後、拠点をアメリカに移し、現在はロサンゼルス在住である。

マジック・キャッスルの Academy of Magical Arts が世界一のマジシャンを表彰する1973年度(1974年受賞)の「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を日本人マジシャンとして初めて受賞したのであった。

マジック界では、まさにレジェンドであり、神様なのである。

私が、2015年に出版した「人間万事塞翁が馬」の中に、島田晴夫さんについて言及した文章があったので、当時、札幌在住のマジシャンで島田さんとも親しいバーディ・コヤマさんを通して島田さんに贈呈したのだが、「今回、帯広に行くので改めて拝読しました」とわざわざ、アメリカから私の携帯にお電話くださったのである。嬉しいなんてもんではない。嬉し過ぎて仕事が手に付かなくて困ったほどだ。

マジック・ミュージアム訪問には、まだ期間があるから歓待の準備をしなくっちゃ〜。


■2018-08-02-Thursday キャッシュレス時代

中国の、特に上海では現金を持ち歩く人が少ない

のだと云う。

中国電子マネーと言えば「WeChat Pay」「Alipay」の二種類が有名なのだが、これ以外にも「WeChat」系列の「QQ钱包」という電子マネー等もあるそうだ。

この二種類はスマホを使った決済機能で、「銀聯(ぎんれん)カード」と呼ばれる銀行カードを使えば「デビット機能」が搭載されその場で決済が可能だそうだ。また「銀聯」はAPPをスマホに入れるとスマホ決済も対応だと云う。

「WeChat Pay」「Alipay」「銀聯」の三種類を使えば、基本的に現金不要で決済の対応が可能になるのだそうだ。

地下鉄・バスやタクシーでも、基本的に現金での決済以外にも「交通カード」と呼ばれる、日本でいう「Suica」や「ICOCA」と同じような交通カードがあり、公共交通機関で使われている。

交通カードへのチャージは窓口での現金以外に、銀行カードや「Alipay」を通じてチャージが可能だと云う。

上海ではチケットや交通カード不要のサービスも開始。スマホにアプリをインストールして行き先を指定すると、料金が表示されてチャージした電子マネーや直接「銀聯」や「Alipay」で決済が完了する。

タクシーにはQRコードが取り付けられていて、「WeChat Pay」「Alipay」の二種類の決済の対応が可能なのだと云う。

スマホすら持っていない私には、何が何だかチンプンカンプンでさっぱり分からないが・・・。

日本でも、先月、東京に行った際に、レストランやコンビニや電車の改札口で、若者がスマホを機械にかざしてピッ、ピッとやっている姿を見掛けたが・・・。

日本では、中国みたいになるには、まだ5〜10年は掛かるであろうと思うがなぁ〜。

完全にキャッシュレス化の社会になったら、大道芸人は一体どうするのだろうか?とフッと思ったのである。

「投げ銭」を貰うのに、端末機を目の前に置いて、お客さんにスマホをかざしてピッ、ピッとやってもらうのだろうかなぁ〜。


■2018-08-03-Friday 特殊詐欺?

自宅の住所で妻宛てに不審なハガキが届いた。

「消費料金に関する 訴訟最終告知のお知らせ」との表記である。

文面は「この度、ご通知致しましたのは、貴方の利用されていた契約会社、もしくは運営会社側から契約不履行による民事訴訟として、訴状が提出されました事をご通知致します。管理番号(わ)293裁判取り下げ最終期日を経て訴訟を開始させていただきます。尚、このままご連絡なき場合は、原告側の主張が全面的に受理され、執行官立会いの下、給与差し押さえ及び動産、不動産の差し押さえを強制的に執行させていただきますので、裁判所執行官による執行証書の交付をご承諾いただきます様お願い致します。裁判取り下げなどのご相談に関しましては、当局にて承っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。尚、書面での通達となりますので、プライバシー保護の為、ご本人様からご連絡いただきます様、お願い申し上げます。」とある。

8月2日に届いたのに「取り下げ最終期日が平成30年8月3日」とわざわざ太字で強調してある。相手に与える時間を少なくして焦らせる作戦であろう。

送付してきたのは「法務局管轄支局 訴訟最終告知通達センター」で住所は「東京都千代田区霞が関2丁目6番1号」「取り下げ等のお問い合わせ窓口 03-6732-05△△ 受付時間9:00〜20:00(日、祝日を除く)」とあるが、おそらく架空のモノであろう。

妻にはまったく身に覚えがないと云うから放っておいたが・・・。

もしも電話を掛けてしまったら、その番号は「詐欺に引っ掛かり易い人リスト」に登録されて、次から次へと新たな詐欺で攻めるのだろうなぁ〜。

特殊詐欺の連中も次から次へと、いろんな手を考え付いて実行するもんだなぁ〜。こんなモノに引っ掛かる人が未だに居るんだから・・・。

でも、何で妻宛てに届いたのだろうか?

そう云えば、最近、妻はネットでモノを買ったことがあったが、その住所、氏名などが犯罪者に渡ったのだろうかなぁ〜。


■2018-08-04-Saturday toRmansion

大道芸人のグループ toRmansion(トゥ—アールマンション)が

公演で十勝を訪れた。

5年前の2013年に「北の大地de大道芸フェスティバル」に招聘した大道芸人のグループである。

ストーリー性のあるパントマイムを中心にした洒落た芸風のコントを演じるグループであることから、海外にファンが多くて、ヨーロッパやエジプトなどを歴訪していたと云う。

5年前の北の大地de大道芸フェスティバルで彼らのショーを見た、東京から来た姪っ子家族は、すっかり彼らの芸に魅せられてしまい、帰京後に彼らのスケジュールを調べて横浜にまで見に行ったほどである。

今回は「ぷれいおんとかち」の招聘で来勝し、帯広、芽室、幕別などで子供向けのショーやワークショップなどをしている。

事前にフリーペーパーの情報で来勝することを知ったので、連絡を取ろうと思った。

5年前の大道芸フェスティバル時には、マジック・ミュージアムは、まだ整理を始めたばかりの頃で、床に敷いたブルーシートの上に、マジック用品を並べて、分類作業をやっていたのである。

芸人さんらにも、その時からマジック・ミュージアムの途上の姿を見せていたから、完成したミュージアムを是非とも見てもらいたかったのである。

大道芸人は、芸の中にマジックの要素を取り入れている人が多いから、マジックに興味を持っている人が多いのである。

以前の雑然(今でも雑然としているが・・・)とした様子から、一応はショーケースを並べて展示してあるから「凄い〜!ビックリした!」と喜んでくれたのであった。

十勝に来てくれたからには、美味しい食事でおもてなしをしなければならない。「何が食べたい?」と聞いたら「海鮮!」と云うので、刺身の美味しい店に連れていった。

「美味しい!美味しい!」と喜んで全部食べてくれたので、招いた方としても嬉しい。

十勝を好きになって、また訪れてくれることを願っている。


■2018-08-05-Sunday 久し振りのゴルフ

7月10日以来およそ1ヶ月振りのゴルフ

去年も入院などで、7月からは、ほとんどやっていないから、ゴルフ勘がまだ戻っていないようだ。

今日は、帯広青年会議所の「じゃがいもゴルフコンペ」会場は芽室町の新嵐山カントリークラブである。

ここのコースは山岳コースで、登り下りが激しくて、足腰に負担が掛かる。運動不足気味の身体にはかなり辛い。

おまけに最高気温が、朝の天気予報では曇りで25℃程度と云っていたのに、晴れて27℃近くもあって蒸し暑い。

泣き言と言い訳が先行しているから、スコアが悪いのはだいたい察しが着くであろうが・・・。

帯広は、このところの晴天続きで、地面がかなり固くなっていた。コース上の地面も乾カラ干(かんからかん)である。

インコースからスタートしたのだが、1発目から今日はやけに飛ぶなぁ〜飛距離が戻って来たのかなぁ〜と喜んだのであるが・・・、2打目は随分とショートして、グリーンの手前20mくらいのところに落ちたのであるが、そのボールがトントンコロコロと転がってグリーンをオーバーしてしまったのだ。

この時にようやく芝面も固くなっていることに気が付いたのである。

直接グリーンに乗せたら止まらないばかりか、かなり手前から攻めなければならないのである。

それでなくても、この新嵐山コースはグリーンのホール(穴)の上側に球を付けたら、下りのパットが早くて難しくなるコースなのである。下から下から攻めなければならないコースなのだ。

そこへもってきて砲台型のグリーンが多いから攻め方が難しいコースなのである。

スコアが思わしくないから無謀な攻めをやって、結局、OBも2発打ってしまい。3パットも6回やって惨憺たる成績であった。ストレスが溜まるゴルフであった。


■2018-08-06-Monday to R mansion2

大道芸人のグループ to R mansion が

十勝での公演を終えて東京に戻る前に、再びマジック・ミュージアムを訪問してくれた。to R mannsion(トゥ— アール マンション)と云う名称は色々な人が集う「とあるマンション」と云う事だと云う。

土曜日の午前中に芽室町での公演を拝見しに行ったのだが、彼らの演技の中に「首の無い男」が出てくる演目がある。5年前の「北の大地de大道芸フェスティバル」で見た時にマジックの要素を持った演技だなぁ〜面白いなぁ〜と思って見ていたのを思い出した。

マジック・ミュージアムには、かなり同じ道具が重複して寄贈されている。その中に「ヘッドレス・クイーン」や「ヘッドオフ・レディ」「首の落ちるマジック」などがある。

いずれも「首」「頭」がキーワードのマジックで、頭に剣を刺したり、頭が消えたり、移動したり、現れたり、首がストンと下に落ちたりするマジックである。

彼らの演目にこれらのマジックを組み込んだら、よりシュールさや不気味さが増すのではないかと思い付いたので、メールをしてみたら、すぐに電話で返事が来て、是非とも教えて欲しいと云う。

空港に行く前に寄ると云うので、倉庫から道具を引っ張り出して、プロマジシャンが演じているDVDも探し出しておいた。

あまり時間が無いと云うので、実際に道具を使って、一通りのやり方を教え、バリエーションも教え、DVDプレイヤーでプロマジシャンの演技も見せた。彼らもプロのパフォーマーであるから、だいたいのことはすぐに理解できる。何か分からないことがあったら電話なりメールなりで教えて上げるから、パントマイムとマジックを組み合わせた演目が完成したらDVDに撮影して送ってと依頼した。

彼らの演技の幅が広がり、大道芸もマジックも双方にプラスなってくれたら嬉しいなぁと思う。


■2018-08-07-Tuesday 寒い!

昨日も最高気温が25℃ほどで涼しかったから

暑さに弱い私としてはとても有難いのだが・・・。

息子の居る岐阜では41℃で日本記録の2番目の暑さだと云う。

自宅のクーラーは2日前から停めているが、北海道の家は、高断熱・高気密設計の住宅であるので、一旦温まると、今度はなかなか冷えない。

外よりも家の中の方が暑いので、夕方に窓を全開にして風を入れたら、少しは涼しくなった。

夜は最低気温が12℃ほどしかない。

私にとっては、快適であるから、久し振りにアルコール類を一切口にしないで寝たのであるが・・・。

それでも、足と腕を掛布団から出して寝たのであった。朝方5時くらいになって、あまりの寒さで眼が覚めてしまった。夏掛け布団では寒過ぎたのだ。

朝の報道番組をみたら、本州ではまだ38℃以上の気温が続いていると云うが・・・。

しかし、これでは寒過ぎる。箪笥から長袖シャツを出して着たのであった。

どうして、丁度良い気温に平準化されないのだろうか?極端過ぎる。

いくら私が暑いのが嫌いだと云っても、暑い時期には暑く、寒い時期には寒く、雨が降る時には適度に降って、晴れる時には晴れてくれないと、農家も商家も困ってしまう。生活には季節感が必要なのだが、ここ最近はそれが滅茶苦茶になっているようだ。

私の体験としては、お盆の8月15日が過ぎた途端に秋になると云う記憶が多いのだが、果たして、十勝の夏はもう終わったのだろうか?


■2018-08-08-Wednesday 旅藝人始末書

寄席や芝居などの書籍15冊が届いた。

その中に、とても興味深い1冊が入っていた。「異國遍路 旅藝人始末書(宮岡謙二著)修道社刊 昭和34年9月20日再版」と云う本である。

まだ、サラッとしか目を通していないのだが、第1章の「旅芸人の先駆者たち」と云う章には慶應2(1866)に西洋に興行に行った手品師のことが書かれている。

日本人で初めてパスポートを取得したのは手品師の隅田川浪五郎であると云うのは、以前から知っていたが、具体的な記述を目にするのは初めてである。同行した柳川蝶十郎朝吉の「バタフライ・トリック(和妻で、胡蝶の舞とも浮かれの蝶とも云う)」などの描写もあり、後に柳川一蝶斎を継いだ後のことにも言及している。

第2章「慶応三年のパリ万博」、第3章「柳橋芸者の仏京行状記」、第4章「明治はじめの足跡」、第5章「太神楽海を渡る」、第8章「英京に巣喰う芸人群像」にも海外興行をした手品師の記述がある。

第3章、第4章では、明治になってからの初年頃の記述として帰天斉正一のことに触れている。

第5章では、明治11(1878)年頃のこととして、服部松旭(後の松旭斎天一)の最初の海外興行のことや、第8章では天一と名乗ってからの海外興行、弟子の天勝の海外興行などの記述もある。

マジック関係の専門書籍ではないものに、これだけ昔の手品師のことが書かれているのは珍しいことだ。

マジックの歴史の資料としてもたいへん貴重なモノである。

著者の宮岡謙二氏は明治31(1898)年の生まれとあり、慶應義塾大学政治科を卒業後、大阪商船に入社して、長く海外に勤務したとある。良く調べたものだ。

本の状態はとても綺麗で、カバーもあるし、折れ目や書き込みもまったく無い、読まれた形跡が見えないし、本の中には出版社である「修道社」の刊行案内の栞も入っていたことから、デッドストックだった可能性がある。なかなかに面白い本を入手したものだ。

ジックリ読んでみることにする。


■2018-08-09-Thursday 当たり前?

人間と云うものは・・・

最初は、好意でしてあげたことに対して、少しは感謝する気持ちもあるのだろうが、年月が経っていくと感謝の気持ちが段々と薄れて、その行為を当たり前のことだと思う様になっていくのだろうか?

「親切心が仇になる」

我が社は、不動産賃貸業である。場所を貸して賃料を頂くのが商売である。

社交ダンスをやっていた父が昭和44(1969)年に建てたこのビルには、6階にダンスが出来る100坪ほどの面積の大ホールを設けた。

大ホールは催事用のスペースであるから常時使用している訳ではない。

当時、十勝観光協会と帯広観光協会の会長を兼務していた父は、まつりの際には踊りの参加者が浴衣に着替えをする場所や出演者の控室として、この大ホールを無償で提供していた。

父が協会の会長を退いた後も、同様に無償で貸していた。

平成4(1992)年に父が亡くなった後も、途中で場所は6階から地階に替えたが、今日まで無償で貸してきた。今年で50年にもなる。

が、近年、その使用法が酷いので、去年からまつりの実行委員会に「もう貸さない。他の場所を探して欲しい」と言っていたのに・・・。

今年も、当たり前の様に「貸して欲しい」と言ってきた。

それも、実行委員会の人間ではなく、その下請けの業者が、貸すのが当然のことの様にしてである。

例年、快適に使ってもらおうとして、我が社の社員が、事前、事後の準備やら掃除やらをしている。だが、借り手側の出演者らには、その辺の事情が伝わってはいないから、トイレも汚く使用するし、床にこぼした水も拭かずにそのままにしてあったのだ。あまりのマナーの悪さに堪忍袋の緒が切れて今年は貸さないことにしたのだった。

まつり実行委員会の人には「他所を当たってくれ」と言ったのだが・・・。

無償とは云いながらも、貸す以上は綺麗な状態にしておかなければ「坂本ビルの地階は汚い」なんて云う様な評判が立ったりしたら、ビル賃貸業としては逆効果である。本来は、貸して家賃を払ってもらう為の商品なのだから、空いているから良いだろうでは貸すことなぞ出来やしないのだ。

「他には無償で貸してくれる所が無いので何とか・・・」何度も来社するので、仕方なく、「今年だけ」と云うことで貸すことにしたが、半世紀にも亘って無償で貸したのだからもう良いだろう。


■2018-08-10-Friday 16mmフィルム

16㎜の映画のフィルムが届いた。

直径が30㎝位の平たいブリキの缶に入っている。缶の蓋には「FUJI FINE GRAIN」と印刷した紙が貼られていた。

開けてみたら、映画フィルムのリールが入っている。かなりカビ臭い。

フィルムの最初の部分を、手で伸ばして光を通して見てみたが、どうやら人間がテーブルの前で、なにやらマジックの様なことをやっている様にも見える。

送ってくれた人も何が映っているのかを実際に確かめた訳ではないが「世界のマジック」が映っているとの情報である。

早速、会社の隣にあるカメラ屋に持ち込んで、何が映っているのか確かめることにしたのだが・・・。

このカメラ屋にも16㎜の映写機が無いから、映像としての確認は不能であった。

カメラ屋のネットワークには、16㎜フィルムをDVDにしてくれるサービスをする会社があると云う。

最初の10分間は7000円で、その後は3分間毎に3000円の追加料金だと云う。

リールの大きさから判断すると、フィルムの上映時間は30〜40分間くらいはあるであろうと推察される。

もしも、世界的に著名なマジシャンの貴重な演技でも映っているのならば、それだけの費用を掛けても十分な価値があるであろうが、そこらのアマチュアマジシャンの下手くそな演技だったら・・・。

だが、一般家庭用の8㎜ではなくて、16㎜の映画にするくらいなのだから・・・。

一応、カメラ屋にフィルムを預けて、何が映っているか、費用はどれくらい掛かるかの見積もりを出してもらうことにした。

私の期待はかなり高いのであるが・・・。さて、何が映っているのやら・・・。


■2018-08-11-Saturday 津川雅彦

俳優の津川雅彦さんが8月4日に心不全のため

亡くなっていたと云う報道、78歳であった。入院中だったが、退院も間近の予定で、当日の朝も元気で朝食もしっかり食べたと云う。スポーツ紙によると突然死みたいな死に方だったそうだ。

妻の朝丘雪路(82歳)さんが4月27日に亡くなったばかりであった。

津川さんは、十勝とも繋がりが多い。

十勝の帯広と十勝南端の町の広尾間を走る広尾線が昭和62(1982)年2月に廃線になった。

この路線には「愛国」と「幸福」と云う名称の駅があり、昭和48(1973)年には、この「愛国ー幸福」間の切符が「愛の国から幸福行き」の切符として大ブームを巻き起こした。

丁度、この頃は私の父が十勝観光協会、帯広観光協会の会長を兼務していた時期で、「愛国」も「幸福」も帯広市の一部なのである。

愛国駅には駅員が居たが、幸福駅は駅舎だけの無人駅、何せブームになる前年の1972年の切符の売り上げは枚数はたったの7枚でしかなかった。

北海道を自転車で回る「カニ族」などのバックパッカー達の口伝えで徐々に広がっていき1973年に突如「幸福行き切符」として大ブームになり、この年はいきなり300万枚が売れたのである。以降の4年間でも1000万枚の切符が売れ、テレビドラマにもなったし、レコードも出されたのであった。

この路線が1982年に廃止になると云うことになり、当時、「グランパパ」と云うおもちゃ屋をやっていた津川さんがサンタクロースに関心があって、日本のサンタランドとして認定を受けていた十勝の広尾町を訪れていた。

広尾ー帯広間を走り、「愛国」「幸福」などの魅力的な名称の駅名を持つ路線を「サンタクロス鉄道」として復活させたいと思う様になったのである。

当時、父がやっていた「サニーデパート」を子供向けビルにしたいと云う構想を持っていた私は、津川さんとの接触を持ったのであった。

津川さんは、東京の自由が丘で子供の専門店の集合体「チルドレン・ミュージアム」を「BATSU」の松本瑠樹さん、「キャプレンサンタ」の下山好誼さんの3人で起こしていた。

津川さんは、サンタクロースの人形を蒐集していると云う情報を得た私は、我が社の民芸品部門の「さかもと民芸店」に熊やアイヌの木彫人形等を製作して納品していた木彫り職人3人にサンタクロースの人形を彫ってもらって、帯広空港に到着した津川さんに手渡したのである。

その木彫り人形を気に入ってくれた津川さんとの交流が生れ、サニーデパートを第3のチルドレンミュージアムに改造する計画へと進んでいったのだった。

木彫り職人も、サンタクロース人形の製作に没頭して、大小30点ほども納品をしたが・・・。

津川さんは募金を集め、イギリスからロックハート城と云うお城を購入してシベリア鉄道を通って広尾に運び込んだ。

私は、このサンタクロス鉄道の十勝の事務局長をやっていたのだが・・・、その後、「サンタクロス鉄道」の計画はとん挫してしまい、この城も群馬県に運ばれた。

必然的に我が社の子供のビル計画もとん挫し、飲食店ビルへと計画を変更していくことになる。

人生に於いて無駄なことなど何も無い。津川さんとの活動も今では良い思い出である。ご冥福を祈る(合掌)


■2018-08-13-Monday 大道芸フェス1

平原まつりは帯広の三大まつりの一つで

お盆の期間の8月14〜16日まで、曜日に関係なく開催される。

その前日の13日には、十勝毎日新聞社主催の花火大会が開催されるが、この花火大会は2万発もの花火を打ち上げるので、全国的に有名で、北海道内はもとより、道外からの観客も多く訪れる。

今日は、明日からの「北の大地de大道芸フェスティバル」に出演してくれる大道芸人さん達が続々と帯広入りをして来る日だ。

今年の出演者は、去年の「大道芸ワールドカップin静岡」で世界チャンピオンになった「張海輪」さん。

シルクドソレイユ公認のジャグラー「桔梗ブラザーズ」さん。

コップを重ねたり元に戻したりのタイムを競う「スポーツスタッキング」の世界チャンピオンの「SEOPPI」さん。

「けん玉」のギネス記録を持つ「伊藤佑介」さん。

「バナナの叩き売り」など香具師の口上を得意とする「石原耕」さん。「アクロバットユニット」の「SUKE3&SYU」さん。

そしてお馴染みのコメディ「ダメじゃん小出」さんの7組に、

2年前に、この大道芸フェスを刺激にして発足した「帯広ジャグリングクラブ」の面々を合わせた総勢8組の出演者である。

今年も世界の一流芸人が揃ったから、きっと帯広市民を楽しませてくれるであろう。

ただひとつ心配なのは、長期の天気予報が3日間とも雨模様であることだ。「大道芸人殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降れば良い」と云う戯れ唄があるが、どうか予報が外れて欲しいものだ。


■2018-08-14-Tuesday 大道芸フェス2

雨だぁ〜!

平原まつり初日。12:30〜の開会式から16:00くらいまでは何とか曇りの天気であったが、この後は雨が降り始めた。

荒天時用のプログラムを予めから組んではいたが・・・。

10丁目街区では、16:00〜ダメじゃん小出さんの演技途中から降り始めた。16:30〜はSEOPPIの出番であるが、この後の中国雑技の張海輪、桔梗ブラザーズの演技は中止にした。

張海輪の演技は、150㎝位の台の上にビール瓶を4本置いて、その瓶の口の上に、ほとんど瓶の口と同じ大きさの椅子の脚をそれぞれに乗せる。

その椅子の上に椅子を5段重ねて、その上で倒立をするのである。

椅子の高さは、70㎝ほどであるから、全部合わせると地上5m以上もの高さになる。雨で手が滑ったりしたら、演者の生命に関わる事故の危険があるから、小雨でも中止にせざるを得ないのだ。その後の桔梗ブラザーズの演技もジャグリングでバトンを使うから、水滴がバトンに着くと滑ってしまう。彼らの演技はハイスピードであるから、滑ったバトンが観客席まで飛んで行く危険性があるのだ。

本当に、大道芸の天敵は雨なのである。

14日のスケジュールには16:00〜広小路2区のアーケードの下で雨の心配がないプログラムになっているので、そちらで、アクロバットのSUKE3&SYU、バナナの叩き売りの石原耕、けん玉の伊藤佑介、帯広ジャグリングクラブ、コメディのダメじゃん小出、最後にもう一度SUKE3&SYUで19:00頃に終了した。

いかな晴れ男の私でも、晴れなかったので、こればっかりは仕方がないと諦めるしかないか・・・。

19:30からは、恒例になった歓迎会である。芸人さんを招待して北海道の御馳走を飲み食いしてもらう。札幌から別件のテレビ取材で訪れたマジック仲間であるアナウンサーのFさんも合流して芸談義に花を咲かせて明日からの好天を祈ったのであった。


■2018-08-15-Wednesday 大道芸フェス3

今日は朝から雨だ〜!

平原まつり2日目、朝から激しく雨が降っている。

この雨ならば、屋根の掛かっていない平原通りでの行事は、全部中止である。

警察が午前中に道路の通行止めの解除をして、車を通し始めたから必然的に、夜の盆踊りも中止である。

大道芸では、好天用の15日のプログラムでは、8・9丁目交差点で2つ、10丁目街区北側では5つ、南側では9つ、広小路3区では5つのプログラムを組んでいたが全部中止にして、雨天用のプログラムに変更した。

すぐに、新しいスケジュール表を作成して印刷し、観客に配ったが、この日開催予定のほとんどの行事が、屋根の掛かった広小路に集中するから、どうしても混乱は避けられない。

大道芸は一番端っこの4区を割り当てられた。手前の3区では、高校のブラスバンド等の行事をやっているが、楽器の出し入れの際に、4区の前にトラックを停めて運搬している。音が出るのは広小路に行事が集中するのだから仕方がないが、このトラックが車体が壁になって、4区で何をやっているのか客からは全く見えなくなってしまっている。もっと他の行事に対する配慮もしてもらいたいものだ。

まつり本部も広小路を見回って、こういった緊急時の対応をしなければならないのに・・・。電話の対応が大変だったとのこと・・・。

この辺りの対応がまだまだ不十分で不満である。

それでも、大道芸は何とか20:00まで頑張ったのだ。

大道芸人の主な収入は観客からの「投げ銭」である。雨で中止になると、それだけ実入りが少なくなってしまう。

演じる回数が少なくなると、これまたその分の収入が無くなってしまうのである。

まさに戯れ唄の通りに「大道芸殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降れば良い」なのである。

明日が晴れないと、本当に3日間の雨になってしまう。


■2018-08-16-Thursday 大道芸フェス4

ウヮァ〜今日も雨だ!

いったい誰の精進が悪いのだろうか?ついに3日連続の雨である。それも土砂振りである。

朝から、盆踊りの中止宣言が出た。

今年が60回目の記念大会であったはずが・・・。60年の歴史で初めての開催不能である。

日本中が変な天気の連続だ。今後もこんな異常気象が続くのだろうか?

盆おどりやその他の行事が中止になってしまうと、観客は、家に引き籠もってしまい街中には出て来ないから、客数は例年の半分どころか、10分の一、イヤイヤ、30分の一以下と云ったところであろうか。パラパラとしか街中そのものに客が居ないのである。

いかに大道芸が観客を喜ばせる行事であっても、肝心の観客が少ないのでは集めようがない。

この日も雨用のシフトを組んだのだが、8組それぞれ1回ずつの演技しか組むことが出来ない。

今日はまつりの最終日であるから、16時からファイナルショーの予定を組んでいるが・・・。

去年は一番人が集まり易く、大勢が見られる広さの「8・9丁目交差点」で開催したが、今年の場所は広小路2区である。「十勝小唄」のコンテスト会場であるが、そこで使用したステージをそのまま継続して使かわせてもらうことにした。

ステージ上で演じるのは初めてのことである。

今年は、私もマジックで前座を務めることにした。衣装は太ってしまって着られないから、錯視を使ったタキシードに見えるTシャツ姿で舞台に立ったのである。演目は椅子を使った人間浮揚術のイリュージョンマジックである。

急遽、助手を頼んだ子と何度か練習をして本番に臨んだのであったが・・・。

まぁ、何とかかんとか様にはなったのかなぁ〜。

このファイナルショーは、帯広独自のもので、出演芸人さん全員が、趣向を凝らして、まったく新たな演目を創り、コラボレーションをする。このファイナルショー見たさに、毎年本州から観に来てくれる常連さんが居るほど面白いのである。

この日も、私のマジック以外は素晴らしいコラボレーションであった。

終了後の集合写真では、私を中央にして映してくれたので嬉しかったぁ〜。

後片付けを済ませた後に、これまた恒例になっている平和園での打ち上げ焼肉パーティである。出演者とボランティアスタッフ総勢40名以上が楽しい時間を過ごした。

芸人さんや元気なボランティアの人達は2次会に行ったようだが、私はヘトヘトであったから、帰宅してすぐに寝た。

3日間のこの仕事は、60歳の身にはかなり辛い。

2002年から17回もやっていると、それだけの分、年を取ったと云うことである。来年を花道にして現役引退を考えようかなぁ〜。


■2018-08-17-Friday 大道芸フェス5

平原まつりが終わった途端に・・・。

快晴とはいかないが、曇天で雨は午前中に時々パラパラと傘が不要な程度である。天気を恨んでも仕方がないが、この天気なら十分にまつりを開催出来るのに・・・。

しかも明日からは快晴になると云うのだから・・・。

大道芸人さんらは、午前中に荷物を宅配便で送る荷造り作業である。洗濯物も乾いていないから、荷造りは大変だ。

芸人さんを見送る時に、毎年、本州からこの帯広の「北の大地de大道芸フェスティバル」を観に来る方々が来て、この方が撮影した今年の「ファイナルショー」のDVDを複数枚ダビングしてプレゼントしてくれたのである。

私もイリュージョンで出演したから、自分の演技を映像で見られるのは嬉しいことだ。

早速、ステージ上の自分の立ち姿を客観的な視点で見たら、やっぱりお腹の出具合が実に格好悪い。来年もステージに立つなら、少しは痩せないとなぁ〜・・・。

芸人さんの見送りを終えたら、大道芸フェスの仕事はようやく完了である。

2002年に始めた頃は、打ち上げ会の後の2次会、3次会で夜中の3時まで一緒に飲んでいてもへっちゃらだったのに・・・。店を出たら空が明るかったので驚いた記憶が生々しい。

あれから16年! 体力の衰えは隠せない。

前後を含めると5日間の行事のサポートはかなり辛いものがある。

ましてや、今回の様に悪天候でイレギュラーな対応を迫られると、精神的にも重圧が掛る。

来年は8月11〜16日まで6日間もの日程でやりたいとの主催者のひとつである十勝毎日新聞社が言っている。

誰か私の代わりを務めてくれる、若い元気な、大道芸が大好きな人間が居ないだろうか?


■2018-08-18-Saturday 大相撲

大相撲の巡業が帯広市で開催された。

帯広市での開催は21年振りだと云う。

十勝出身力士には、広尾町出身の第61代横綱の北勝海(保志信芳)と芽室町出身の第62代横綱の大乃国(青木康)が居る。

現役引退後、北勝海は八角親方になり、現在は相撲協会の理事長であるし、大乃国は芝田山親方となり理事になっている。

私は、若貴ブームで盛り上がっていた平成6(1994)年9月の本場所を、砂かぶり席で観たことがある。

この時は、平原通商店街の青年部の「蓬莱会(当時の会長は六花亭の小田豊副社長)」の親睦旅行会で大相撲見学に行ったのだが、会長の顔で音更町出身の伊勢ノ海親方が確保している場所である向こう正面の、東側力士が入場して来る最前列のチケットを手配してもらったのである。

この席は、力士が入場する度にテレビに映る場所なのである。当時の相撲人気はすごかったからテレビ視聴率も高かったので、後日、随分と知人から「相撲観に行っていたでしょう」と言われたものであった。

若ノ花、貴乃花、曙、武蔵丸などが全盛時代であったから迫力満点で楽しかった。

間近で観る力士の身体の大きさや、立ち合いでの頭と頭がぶつかるゴツンと云う音が聞こえてくる迫力に圧倒された。大相撲観戦の後には伊勢ノ海部屋に行って、力士と一緒にちゃんこを食べたのも鮮明に覚えている。良い経験であった。

妻が「私も大相撲を観たい」と云うので、夫婦で観ようと帯広巡業のチケットを2枚購入してあったのだが、帰省中の娘が「観たい!」と云う。「お父さんは本場所を観ているんだから、もう良いでしょう」と云う。娘に言われると譲らざるを得ない。私は、会場への送り迎えになってしまった。

妻も娘も満足して帰って来た。夕方に弟の家に行って、外焼肉パーティをした。大勢での外焼肉は美味しく感じる。おそらく今年の外焼肉はこれが最後になるだろう。


■2018-08-19-Sunday 町内会

自宅で所属している新生町内会の

夏のリクリエーションを「マジック・ミュージアム」で開催した。

ここ近年は、構成員の高齢化により、かつては実施していたパークゴルフとかバーベキューだとかは出来なくなっているので、もっぱら近所の居酒屋での食事会だけとなっていた。

先立つ役員会で、副会長の私が「マジック・ミュージアムを見学してもらった後で、坂本ビル1階の居酒屋のいろはにほへとで食事会と云うのは如何でしょう?」と提案したら即決で決定したのであった。

19日、日曜日の17時から1時間マジック・ミュージアム見学の後で、18時からの食事会と云うスケジュールを組んだ。

事前の参加希望者がミュージアム見学は24名、食事会は29名と云うことであったが、当日になって両方とも若干の増員があった。

私は早目に15時半から準備を始めたが、案の定、年寄りは気が早い。16:30には6名程が来場して来たのであった。

40分間ほどの見学をしてもらってから、20分間私のマジックの実演を行った。

皆さん、展示物の多さに驚いてくれたし、私のマジックにも驚いてくれた。脳への刺激には「驚き」と云う要素はとても有効なのである。

いろはにほへとでの食事会も大いに食べて飲んで2時間以上楽しい時間を過ごしたのであった。

幹事役からは「ここ最近では最高の参加者数でした」と喜ばれた。マジック・ミュージアムの宣伝にもなり、我が社のテナントさんの集客にもなり、町内会の人にも喜んでもらえる。すべてがウィン、ウィンのとてもハッピーな一日であった。


■2018-08-20-Monday 懐かしい

懐かしい人が訪ねて来てくれた。

会わなくなってからもうかれこれ、23年ほどにもなろうか?

帯広出身の藍染作家の角敏憲さんである。

平成5年に父の一周忌のお返しの品物として小さな「藍染の額」を百五十個ほど製作してもらった。全部1点物の作品である。

1周忌法要を行う前に、坂本ビルの6階でこの「藍染額」の展覧会を開催し、1周忌にお呼びする方々に案内状を出して、全作品を観てもらい自分の気に入った額を指定してもらって、1周忌法要の際に、その指定された額をお渡しすると云う趣向であった。

とても好評であった。

地元帯広市出身の藍染作家の応援をしたいと考えたのだが、父の一周忌の後、しばらくは会社にも顔を出していたのだが、その内に帯広を離れてしまい、以来ずっと音信不通であった。

突然の訪問であったが、実兄が亡くなったので・・・と、千葉から久し振りに帯広に戻って来たのだと云う。

私の癌のことを同級生から聞き、顔を出して不義理を詫びたかったのだと云う。

角さんも数年前に不整脈で死にかけたと云う。お互いに年を取ったねと昔話に花を咲かせて、マジック・ミュージアムも見学してもらったのであった。


■2018-08-21-Tuesday 美化するな!

高校野球を美化し過ぎだ!

甲子園大会で大阪桐蔭と秋田の金足農業の決勝戦になったが・・・。

金足農業の吉田投手の肩が心配である。

こんな連日の連投を10代の少年にさせるのが果たしてスポーツなのだろうか?

会社でテレビを点けてはいたが・・・、どう判官贔屓をしてみても、金足の吉田投手の身体や肩はもう限界であろうから、金足農業が負けるのはほぼ間違いがないと思われた。

テレビを見るのは忍びないし、悲しくなるだけなので、応援しても仕方がないから耳だけで聞いていた。

大阪桐蔭に6点目が入った時点でテレビの側からも離れてしまった。

これだけ連投したら肩の筋肉はもはやボロボロで、きっとバッティング投手程度の球速しか出せないであろう。頑張れ!とか言って応援するのも憚られる。これはハッキリ言ってヒドイ虐待である。

夜のニュースで吉田投手の健闘を讃えていたが、偽善だ!

こんな日程で一人の投手に投げさせるのは、今回の100回大会を機に止めるべきである。

もう一回書く、こんなものスポーツではない。


■2018-08-22-Wednesday イライラ

ここ最近はイライラすることばかり・・・

感情の行き違いと云うのは、ままあることであるが・・・。

立場が変われば、見方も変わる。

江戸時代の笑い話に「富士山に登った人が、頂上に立って辺りをキョロキョロ見渡して、アレッおっかしい〜なぁ〜俺の家が見えねぇ〜ぞと言ったら、一緒に登った人が当ったり前じゃぁないかと笑った。でも、俺の家からは富士山がハッキリ見えるのになぁ〜・・・」

まぁ、こんな様なモンであろうか?

私が18歳の時からの付き合いであるから、もうかれこれ42年もの付き合いになるのであるが・・・。

私は十二分に気遣いをしてきたつもりであったのだが・・・。あらぬ誤解から、先方は怒っていると云うが、私もその誤解の仕方にそれ以上に不快であるし、私に対する感情がこんなモンだったのかと思うと情けなくなってくる。

私の人生訓は「人間万事塞翁が馬」である。何が良くて、何が悪いかなんてことは死ぬまで分からないもんだ。

これも人生、もうイライラするのは止めよう。楽しく生きなきゃ〜。


■2018-08-23-Thursday 雑誌の取材

札幌の雑誌社の取材を受けた。

「昭和ノスタルジー」の帯広版の取材である。

道内の主だった都市の昭和時代の写真をふんだんに使用して、昭和40〜50年代頃の懐かしい街並みを紹介する本である。

取材に来た記者から「小樽版」を見せてもらったが、A4判240頁で定価2500円の立派な本である。

帯広で何軒かの取材を続けている内に、何人かから「歴史なら坂本和昭が詳しいよ」と聞いたのだと云う。

北の屋台をやる際に、帯広の歴史を詳しく調べたし、父から昔話はよく聞かされていたから同年代の人間の中では詳しいほうであろう。

私は昭和33年1月に、帯広市中心街のド真ん中のド真ん中、西2条9丁目の生まれであるし、昭和43年まではここで生活をしていたから、確かに「街っ子」である。

昭和39年に我が家の向かい側に「藤丸デパート」が開業しているので、デパートで毎日遊んでいたのだから、まさに中心街の隆盛時代を肌で知っている世代である。

昭和42年の11月に火事に遭ってからも、父の会社はそのまま街中にあったが、住宅は駅の南側に移っている。学校の行き帰りには会社に顔を出していたから、街の様子は分かっている。

帯広を離れたのは、昭和51〜55年の大学生時代だけであるし、毎休みには帰省もしていたから、60年間の記憶の蓄積はある。

ただし、昭和42年以降の写真ならば沢山あるのだが、古い写真は火事でアルバムが全部焼けてしまっているから、親類などに送ってあった写真が火事の後で我が家に戻してくれたモノぐらいしか残っていないのである。

まずは、取材の内容を聞いてからと思って、それほど準備もしていなかった。

私が、このブログに書き溜めた「人間万事塞翁が馬」という我が家の歴史や私の自叙伝のコピーファイルを貸したのである。この中には明治時代の祖父の話から載せている。

取材では、祖父の山梨から出て来た話、父のダンスホールの話、私の時代の子供たちの遊び、サニーデパートの話など等、かなり豊富に話したのであった。

ビルの屋上や塔屋から街中を撮影したいと云うので、高所恐怖症を我慢しながら案内をした。

昔のダンスホール坂本会館内の写真が無いですか?というので、自宅に戻って探してみたら数枚が見つかったのだが、昔の写真は人物が中心で室内風景だけを写した写真などはない。

それでも、カメラマンは撮影して行ったのであった。果たしてどんな本になるのやら、今から楽しみである。


■2018-08-24-Friday マジックの公演

道内在住のプロマジシャンのAさんが来訪、

来年春に帯広で、世界のマジシャンによるマジックショーを開催したいので相談に乗って欲しいと云う。

日本唯一のマジック・ミュージアムを主宰する身としては、マジック文化の発展の為には手助けはしてあげたいが・・・。

2003、2004年に、北の屋台のオープン記念の周年事業としてマジックショーを2回開催している。会場は2回とも帯広市民文化小ホールを使用した。

この時は、世界のビッグネームや日本の有名マジシャンも参加しているかなり大掛かりなマジックショーであった。

だが・・・。

550名入場できる箱にも関わらず、200名ほどの観客しか入らなかったのである。

チケットは、北の屋台で飲食してくれたお客さんに400枚は配布してあったし、100枚ほどは販売もしていたから、7割方は埋まると思っていたのだ。

だが、いざ開場したらパラパラとしかお客さんが来ないのである。

主催者としては、残念な気持ちと、出演者に対しての申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。演技者としては、観客が少ない箱で演じるのは気持ちが乗らないからである。

当時は、帯広市の17万人の人口の内、知っているマジック愛好家は10名ほどしか居なかった。だが、そのマジック愛好家すら数名しか来場しなかったのである。

私がビッグネームだと思っていたマジシャンの事を、帯広のアマチュアマジシャンの人達は誰も知らなかったのである。

はたして宣伝不足であったのか、それとも貰ったチケットは捨てても構わないと思ったのか、生でマジックを観ると云う習慣がないのか・・・。

550名の箱と云うのは大き過ぎる。

とかちプラザのレインボーホールは350名だから客数としてはちょうど良い大きさなのだが、ここのステージには「幕」が無いのが難点である。

マジックは演技者が入れ替わる時に、幕を必要とする演目がかなり多いのだ。

ステージ上に座布団を置いておくだけの駒大の落語会を演るのとは事情が異なるのである。帯広にはマジックに適した箱が無いのである。

以来、どんなに頼まれてもマジックショーの主催はおろか後援すらもしていない。

マジック・ミュージアムに来場してくれるお客さんは、観光客が多いからチケットの販売には結びつかないしなぁ〜。

頼って来られてもなぁ〜・・・。


■2018-08-25-Saturday 酉戌会

酉戌会(ゆうじゅかい)の夏の懇親会が行われた。

昭和32年の酉年生まれと33年の戌年生まれの親睦の会である。

20年ほど前の前・本・後厄の時に帯広神社でお祓いを受けて、その後で直会をしたのがキッカケで毎年集まって飲んだり、ゴルフをやったりする様になったのである。

同じ年齢の男女が集まるのは、面白い。中学や高校が異なるから、顔や名前を知らない人も多かったが、20年もやっているとだいだい分かる様になってきた。ただし、私は他人の顔と名前を覚えるのが大の苦手であるし、年齢のせいなのか、名前が出て来ないことも多いから・・・。

この日は、同じ酉戌会のメンバーが経営する「すきやきの松伊」が会場で、参加者は30名ほどであった。

全員が還暦を過ぎ、退職をした人、再就職をした人、変わらない人と様々である。

今度は、昔流行ったボーリング大会でも企画したらと幹事に言ったら、お前が企画しろと言われてしまった。

私もいくつかの会の幹事をやっているから、幹事の大変さはよく知っているつもりだ。言うのは簡単だから・・・。

同じ時代を生きて来た仲間と云うのは、話題が合うから話がはずむ。愉快なひとときであった。

約半数が二次会に行くと云うが、私は参加をしなかった。最近は外で酒を飲むとやたらと疲れるのである。

昔は深夜まで飲んでもへっちゃらだったのに・・・。


■2018-08-26-Sunday ミッション・インポッシブル

映画「ミッション・インポッシブル」を観て来た。

例によって、夫婦50歳割引制度を使っての一人1100円での鑑賞であるが、私達夫婦は既に二人とも60歳を過ぎたから、一人で観に行ってもシニア割引で1100円で鑑賞することが可能なのである。

妻は「私は、こう云う映画はあまり好きではない」と云うから、私一人で観に行くと言ったら、何だかんだとブツブツ言いながらもくっ付いて来たのであった。ひと時も私から離れたくないらしい。

日曜日の午後14時半からという時間帯であったが、映画館は混んでいた。テレビ映画の「スパイ大作戦」は好きな番組で良く見ていたが、アクションはほとんどなくて「騙し」が主題のモノが多かった。

「ミッション・インポッシブル」は「スパイ大作戦」を下敷きにしてはいるが、まったく別物の激しいアクション映画になっている。

観終わって時計を見たら17時を過ぎていたからかなり長目の映画であった。

夕食を食べようと中心街を歩いたのだが、昨日の雨で、北海道新聞社の花火大会が今夜に順延されたので、街中にはけっこうな数の人が出ているが、飲食店はほとんどの店が休みであった。

何だか疲れてしまったので、長崎屋で買い物をして帰宅したのであった。


■2018-08-27-Monday とかち財団

とかち財団からの依頼で

今日は、朝9:30〜16:30頃まで、財団の建物内に缶詰になって、とある仕事をやった。

仕事の内容は、機密事項であるから、このブログに書くことは出来ないが、久し振りに長時間の集中力を必要とする仕事であった。

還暦過ぎた人間に、こう云う仕事を与えてもらえるのは、刺激になるし、とても勉強にもなった。たまにはこう云う仕事も良いものである。

終了後に会社に戻ったら、マジック・ミュージアム宛てに荷物が大量に届いていた。

中身を確認し礼状を書く。この調子でモノが増え続けたら、いよいよ箱が足りなくなる。

博物館としては、説明書きも一緒に展示したいし、部門別に、例えば「書籍類」「絵画」「マジック道具」など等と分けて展示もしたくなってきた。

マジック・ミュージアムは趣味の延長線上みたいな事業で、収益はほとんど見込めないモノであるから、これ以上の投資を妻は許してくれないであろうなぁ〜。


■2018-08-29-Wednesday 来訪

十勝環境ラボラトリー(TKL)を開始したのが1996年1月、

解散したのが、2006年12月末。10年間の活動期間であった。

当時お世話になったY先生が、十勝を訪れたいとの連絡が入った。もうかれこれ13年振りくらいになるだろうか?

TKLは、「十勝に21世紀型の大学を創りたい」と云う青年会議所(JC)の活動から派生した組織である。

私が地球環境問題を考える大学「国際環境大学」を創ろうと1993年に提案したことが、キッカケとなって段々と大きな活動になって行き、95年には150名程のJCメンバーの内のおよそ3分の一を占める2室4員会の「国際環境大学構想プロジェクト」を担当する副理事長としてこの問題に取り組んだ。翌96年に大学教授や日本の一流企業のバックアップをもらってJCとは別組織の「十勝環境ラボラトリー」を設立。同時に9つのプロジェクトを同時進行で行っていたのだ。一言ずつで簡単に説明すると、いずれも「十勝」の場所に合った「こと」を行い、地球環境問題に貢献することを目的としていた。

①場所カーP(電気自動車の開発)

②場所環境住宅P(パッシヴ住宅の開発)

③国際環境大学公開講座(著名な学者などを招いて月一の講座開設)

④十勝の場所の意志に学ぶP(週一の十勝毎日新聞紙上でのセミナー開設)

⑤都市構想P(後に北の屋台につながる)

⑥場所環境童話製作P(アイヌの口承を絵本として出版)

⑦田園ライフスタイルP(農家と都市生活者との接点開発)

⑧十勝川水系調査P(十勝川をカヌー・熱気球などで探査)

⑨食文化P(十勝の産品を使った新しい料理の開発)

などを行っていたのだ。

私は事務局長として、全てのプロジェクトの事務を担当したのであったが、当時、毎月招聘する学者の送迎も担当していたから、皆さん、私の顔を憶えてくれた様だ。

未だに、私を指名して訪ねて来てくれるのは嬉しいことである。

開始した頃の私の年齢は37歳。若かったなぁ〜。元気だったなぁ〜。

それが今は還暦の60歳。年取ったなぁ〜、もう元気が無いなぁ〜。

当時は、恐いモノ知らずで、バリバリやっていたのだが・・・。


■2018-08-30-Thursday いったいどうなってるのか?

帯広の金融機関で横領事件!

今月7日に上司が金庫に表示される金額と実際の現金とに差があるのを見つけて、休暇中の被疑者に電話、「すぐに行く」と云ったが現れず、翌8日に20歳代の被疑者が自殺体となって発見されたと云うニュース。

金額は1億6185万円だと云うから驚く。20歳代の若者に出納係をやらせると云うのもそうだが、帳簿上の数字と金庫の中の現金とがキチンと合っているかという日々の管理を上司がまるでやっていなかったと云うのにも驚いた。数字合わせは金融機関の本業であろう。

窓口での帳簿と現金の収支が1円でも合わなければ、閉店後も確認作業をすると云うのが金融機関ではなかったのか。

数年間も無確認であったと云うのは、上司の怠慢以外の何物でもないだろう。

他人様のお金を預かっていると云う緊張感が欠如しているとしか言いようがない。この上司らは日々、いったい何の仕事をして給料を貰っていたのだろうか?

さすがに一度に1億6千万円もの金額を盗んだら、直後に発覚するであろうから、相当な長期間に亘って少しずつ、少しずつ横領を繰り返したのであろう。

自殺した被疑者も、上司がまったくチェックをしないことから、感覚が段々と麻痺をしてきて横領金額が少しずつ膨らんでしまったのではないだろうか?

勿論、盗んだ被疑者が悪いのだが、この犯罪を作ったのは上司らであると云えるのかもしれない。

もっと早い段階で分かれば、せいぜいが懲戒免職で済んだことであろう。

1億6千万円をいったい何に使ったかは、現段階では不明であるが、20歳代の若者が帯広みたいな地方都市ではそう簡単に使える金額ではないゾ!

日本は、政治家も官僚も銀行員も皆、倫理観が欠如している。いったいどうなってしまったんだろう。