■2021-03-01-Monday 十勝毎日新聞「論壇」
2021.03.01十勝毎日新聞掲載「論壇」掲載記事「的中率100%の予言」
「あなたは必ず死ぬ!」と面と向かって言われたら怒り出す人が大半であろう。だが、これは「絶対的真実」である。この世にオギャーと生まれた者はいつか必ず死ぬ運命にある。つまり早いか遅いかの違いがあっても人間の致死率は100%なのだ。ノストラダムスのような予言者でなくても的中率100%なのである。だが死因にはいろいろある。
長生きできるとは思っていないが、どのような死にざまを迎えるかはがんを患っている身には重要なことなのだ。医者でも学者でもないが、「自分の身は自分で」という意識が働いて、自分なりにデータを基に「死」を客観視するよう努めている。
ここ数年の日本の年間死亡者数は137万人前後で推移している。厚生労働省発表の「2018年人口動態統計」によると、この年の死亡者数は136万2470人、死因の第1位は「がん」で約37万人、以下2位「心疾患」約21万人、3位「老衰」約12万人、4位「脳血管疾患」約11万人、5位「肺炎」約9.5万人、6位「不慮の事故」約4.1万人、7位「誤嚥(ごえん)性肺炎」約3.9万人、8位「自殺」約2万人と続く。
新型コロナで亡くなった方が2月中旬に7000人を超えた。日本で新型コロナによる死亡者が出たのが昨年の2月13日であったから、この数字はほぼ1年間の死亡者数と考えても良いであろう。
一方、2018年にインフルエンザが直接の原因で亡くなった方は3325人、インフルエンザに罹患(りかん)して持病を悪化させて亡くなった関連死を含めると約1万人と言われている。7000人の死亡者数が直接死であるのかはまだ統計が出ていないので不明であるが、単純にインフルエンザの直接死と比較するとおよそ2倍であり、関連死と比較すると7割である。インフルエンザにはワクチンもあるし治療薬もあるので、これを多いと考えるか、少ないと考えるかは、おのおのの主観であろうが、言えることはコロナ禍での人生は味気ないということだ。
一日も早い終息を願っているが、コロナウィルスはインフルエンザと同様に変異種がドンドン現れるであろうから人類との長い付き合いになるであろう。
人間どうせいつかは死ぬのだから「楽しい人生を送りたい」と思うのは人情だ。演劇やコンサートを見に行きたい、旅行に行きたい、おいしいものをおいしく食べたい、他人と交わって楽しく学びたい。コロナ禍でそれらが奪われてもう1年。ワクチン接種も始まったのだし、そろそろ政府もコロナウィルスへの対処法を変えてもよい時期ではないだろうか?
■2021-03-02-Tuesday 大雪の顛末
このブログは1日17:30に書いている。
明日は北大病院に検診に行く予定になっていたのである。
検診は6ヶ月毎に行くことになっているが、コロナ禍で延期、延期、延期になって3回パスしたので約1年間検診に行っていない。
コロナ禍も治まり掛けているからと、明日(2日)久し振りに札幌へJRの列車で日帰りで行って来る予定でいたのである。
行きは帯広発06:45-09:34札幌着の始発で行って、10:00からの検診を午前中に終えてから、帰りは札幌発14:15-17:02帯広着の列車で戻る予定であった。
それが・・・。
明日の天気予報は北海道は低気圧で大荒れになるとのこと、帯広も30㎝の大雪警報である。
妻はさすがに1年間も検診を受けていないと心配だから行った方が良いのではと言う。
明日朝の始発列車は雪で遅れる可能性も有りそうだから、今日中に札幌に行ってホテルに泊まった方が安心かもと思い。急いで1泊分の着替えを用意して札幌駅前のホテルを予約してから急遽帯広駅に向かったのであった。
みどりの窓口で列車の予約変更をしようとしたら、明日は全便運休だと言う。つまり今日札幌に行ったら、明日は帯広に戻れないから札幌に2泊しなければいけないことになる。
このコロナ禍で札幌に泊まっても、ススキノに飲みに行ける訳もないし、ただホテルに2泊しても仕方がないよなぁ〜。
病院の予約変更は明日の朝に連絡することにして、とりあえず列車とホテルをキャンセルしたのであった。
「北の屋台」を運営していた2001〜2007年頃には、国から「観光カリスマ」百選に選ばれて、全国各地からの講演の依頼が来て毎日の様に講演に出掛けていた。
なにせ日本の47都道府県の内、長崎・佐賀の2県を除く45都道府県から、しかもほとんどが複数回の講演依頼があったほどの超売れっ子講師であったのだ。
年度末の予算消化の為なのだろう、講演依頼は1〜3月末に集中することが多いのである。北海道のこの時期は天候が荒れる日が多くて、何度も列車が止まったり、飛行機が欠航したりしたものだった。
「明日、飛行機が飛ばなくて講演の時間に遅れたら困りますから、列車で前日に来て下さい」と青森県の十和田市から連絡が入り16〜7時間掛けて列車を乗り継ぎ、青函トンネルを通って行ったこともあった。
まだ若かったから出来たことだが、今、それをやれと言われても体力も気力もついていかないだろうなぁ〜。
そんなことを思い出して懐かしくなったのであった。
■2021-03-03-Wednesday 春の大嵐
例年十勝は3月に大雪が降る。
12〜2月までは少雪で、今年は春が早いかな?なんて思っていても、お彼岸の頃には一日で70〜90㎝も降るなんてことはザラであった。
3月は北海道でも春が近いから気温も高くなっているので、雪が降っても凍らずにすぐに溶けるのであるが、逆に湿った重たい雪になるから、その分除雪作業は重労働になる。
昨日の帯広市内は一日で43㎝も降った。全国ニュースで帯広が映ったくらいであるから相当なもんである。
2日は札幌の北大病院に検診で行く予定になっていたが、JRが全線運休になった。
1年ほどもコロナ禍の影響で移動を控えていて検診を受けていないから、私の身体を心配した妻が、1日の内に札幌に行ってホテルから北大病院に行った方が良いのじゃないかと言うので、その気になってホテルを予約して帯広駅に出掛けた顛末は昨日のブログに書いた。
しかし、2日は全面運休だと云うから、もしも札幌に行っていたならば、帯広には戻れないであろうから、札幌に2連泊しなければならないことになっていたことになる。
2日は札幌も大雪であるし、ましてやコロナ禍ではススキノに飲みに行く訳にもいかない。帯広の自宅の除雪も妻と息子だけでは大変だろうからと急遽中止にしたのであった。
止めて良かった!
JRは3日も運休している。もしも行っていたならば3連泊する羽目になっていたかもしれないなぁ〜。この時期に札幌に3連泊しても何もすることがないからなぁ〜。
まだ帯広で除雪作業をしている方が気が紛れるってもんだ。
■2021-03-08-Monday 十勝ダルマ
2月28日のブログに「十勝達磨」のことを書いたが・・・
テレビの影響力って物凄いものだなぁ〜、その後もひっきりなしに問い合わせの電話やら、直接訪ねて来るお客さまもいて驚いている。
あまりにも欲しいと云う人が多いものだから、妻や息子は「全部売ってしまいなさいよ!」と言うのだが、私としては保存展示用に3人の職人の作品をそれぞれ3個ぐらいずつは残しておきたいのである。
あまりにうるさく言われるものだから、どこかに在庫が隠れているかもしれないと思い、倉庫の中をくまなく探してみたら、十勝達磨の置物は無かったのだが、2代目職人の末木虎正の作品の「風鎮」が10組ほど出てきたのであった。
「風鎮(ふうちん)」とは、床の間に飾る掛け軸の軸先に、読んで字の如く風を鎮める目的で着ける錘(おもり)である。
装飾の意味も強いモノなのだが、メノウや水晶や十勝石、陶器などの重たいモノに穴を穿ち、その穴に房を通して掛け軸の軸先にぶら下げて錘として使用する。
今回見つけた十勝達磨は風鎮用に作ったモノであるから、十勝達磨の頭から尻まで穴が空けられているので置物用としては不向きである。
しかもだ!
もはや床の間のある和室がある家など少なくなった。ましてや更に掛け軸を持っている家も少ないだろう。たとえ掛け軸を持っていたとしても、昨今の家は風が吹き抜ける様な構造の家は少ないだろうから「風鎮」など必要としないかもしれない。
おそらく先代社長の父が、これはもう売れないなと思って倉庫の奥に仕舞い込んだままになっていたのであろう。
せっかく出てきた十勝達磨なのにモッタイナイ!
ここはマジック愛好家としての手先の器用さの出番であろう。
風鎮を改良して「十勝達磨マスコット」に作り変えてみたのである。そうしたら、結構面白いモノになった。早速ホームページに商品として掲載してみたのである。
さてさて、はたして評判はどうなるであろうか?
楽しみである。
■2021-03-10-Wednesday 十勝達磨追記
いや〜ビックリ!
テレビで我が社の「十勝達磨」が紹介され、問い合わせが殺到して十勝達磨の「置物」は「保存展示用」を除いて完売したのであったが、その後も問い合わせや来社者が多いので倉庫の奥の方を調べてみたのであった。すると、2代目職人の末木虎正制作の「十勝達磨」の風鎮が倉庫の奥から10組ほど出てきたのであった。
風鎮のままならば、現代の気風などには合わないであろうから売れないだろうなぁと思って、モッタイナイから「マスコット」に改造して販売を開始したのであったが・・・。
なんとホームページに表示した初日に「マスコット」が3個、「風鎮」が4組も売れたのである。ビックリしたなぁ〜。
「マスコット」はお客様が直接来社して購入されたし、「風鎮」は電話での注文である。でも、なんで?!
これでいきなり風鎮の在庫は3組、マスコットの在庫も3個となっってしまった。
でも何故に「十勝達磨」なのだろうか?
テレビにチョットだけ「十勝達磨」のことが出ただけなのに、こんなことになるなんて・・・。
嬉しい驚きである。
■2021-03-11-Thursday 3.11
東日本大震災から10年!
朝から何度もこのブログに書き込んでいるが・・・、
何故だか佳境に入ったところで、突然に文章画面が消えてしまうのである。
気を取り直して新たに書き直したところで、これは「あまり立ち入ったことを書くな!」と言うことなのかと思い至った。
しかし、今日は朝からズッ〜と震災の映像が放映されている。
震災の当日に、会社のテレビでNHKのニュースを見ていたが、ヘリコプターからの生中継で、津波が海岸沿いの道路を走る自動車にまさに襲い掛かる直前に突如画面が切り替わった。
報道本部の意向なのか、津波に襲われるリアルな映像を視聴者には見せない方針であったのであろう。
それが今日は、津波で亡くなった方が直接映っている場面こそ放送されないものの、寸前のところで助かった方々の映像は放送していた。
やはり津波への関心を視聴者にも持ってもらう方針に代えたのであろう。
そんなニュースを多々見ていて、夜になったら思い直して、やはり3.11の事は書いておかねばならないと考えたのである。
東日本大震災の起こる少し前に「北の屋台」の講演で仙台市を訪れていた。すると聴取者であった石巻市の方から急遽の講演依頼を受けたのである。まさに突然であったが滞在を伸ばして受諾することにした。
石巻市にはまだ訪れたことがなかったからである。
それは石巻青年会議所(JC)からの要請であった。
旅行好きの私は、初めて訪れる町からの要請には極力応じることにしていたからだ。
予定を変更して急遽石巻市を訪れた。
講演は夜であるから、昼間に市内の名所を案内してもらった。
石巻港、石ノ森章太郎の記念館、川の中洲に建つ小さな古い教会や映画館、市内の仮面ライダー像、丘の上の神社など数ヵ所を見学させてもらった。
この丘の上に建つ神社から港を一望して、まさか津波被害に襲われるとは思わなかったのだが、水害にはとても弱い立地であるなぁ〜との感想をご案内いただいた方に述べてしまったのであった。
まさか、あんな大きな地震や津波が襲うとは想像出来なかった。
石巻市では3千人以上が犠牲になった。
書きたいことは沢山あるが、これ以上書くのはやはり止めておこう。まだまだ復興の途中であるからだ。
娘も福島に嫁いでいるから、もしも私でお役に立てることがあるならば微力ながらお手伝いをしたいと考えている。
あらためて、お亡くなりになった方々のご冥福を祈る。合掌
■2021-03-14-Sunday 義母三回忌
今日は義母の三回忌法要
月日が経つのは早いものである。
コロナ禍のこの状況では親類縁者を招いての法要は難しいから、極々内輪の5人だけでお坊さんに読経をしてもらっったのであった。
去年の今頃の一周忌法要の際も、北海道ではコロナ禍での自粛要請が同様の状態であったから、ほとんど同じにお坊さんの読経だけあった。
もう自粛が1年以上にもなるのである。政府はいったい、いつまでこんなバカなことを続けるつもりなんだろうか?
テレビのワイドショーでは、専門家と称する連中が「変異株の脅威」を盛んに喧伝して「緊急事態宣言の延長を」と騒いでいるが、イギリスのデータを「感染率が1.7倍だとか死亡率が2倍だとかと」そのまま発表して国民の恐怖心だけを煽っている。
そもそも、イギリスと日本とを比較したら、感染者数も死亡者数も圧倒的に日本が少ないではないか。
因みにイギリスの2021.03.12現在の感染者数は4,248,286名で死亡者数は125,343名である。
日本の03,14現在の感染者数は448,002名で死亡者数は8,594名である。
感染者数が約10倍で、死亡者数は約15倍である。
これほどまでに大きな差異があるのに、何故にイギリスのデータをそのまま日本に当てはめようとするのだろうか?
15倍もの死亡者がいるのに、変異ウィルスの致死率が最大2倍だと言うイギリスのデータに何の意味があると云うのだろうか?たんに恐怖心を煽りたいだけなのであろう。
とても科学的な思考とは思えない。
ウィルスに変異が起こるのは当たり前の話であって別段驚くことではない。
感染率が上がるのは、ウィルスも宿主である人間に感染し易く変異していかなければやがては消滅してしまうのであるから、ごく自然な営みなのであろう。
ウィルス側にしても、人間に駆逐されないように共存共栄を図っていかねばならないはずであろうから、宿主を殺してしまう強毒性は段々減っていき、死亡率は下がっていくはずである。
イギリス型の変異ウィルスの致死率アップのデータがもしも正しいのだとしたら、この変異ウィルスはやがて駆逐されてしまう運命であろう。
何故に、こんな風邪に毛の生えた程度のウィルスごときで、人間の生活を停止する必要があるのであろうか?
私は病気を蔓延させろと言っているのではない。
進んで病気に罹りたいなどと言う人間は居ない。
インフルエンザ対策と同様に、罹りたくない人は、マスクを着用し、手洗い、換気を励行すれば良いのである。
人間生活を破壊するのは過剰反応である。
まさか専門家と称する連中は、このままコロナ禍が続いた方がテレビ出演の収入が増えるから、その方が良いとでも思っているのじゃないだろうな?
国民に自粛しろ!自粛しろ!と言うだけで、この1年間に、それ以外のどんな対策をやってきたというのだろうか?
もういい加減にしてほしい。
■2021-03-16-Tuesday 検診
今日は札幌の北大病院での検診だ。
去年の7月7日以来8ヵ月振りの検診である。
2017年9月に北大病院の最新施設である陽子線の治療を受けるにあたって、私のデータを提供する契約を結び、治療後も6ヵ月毎の検診を義務付けられているのだが、昨年からのコロナ禍によって札幌への移動制限などがあったり、検診当日に大雪などの天候不順が起きてJRが運休したり等などが重なって、日程が大幅にズレてしまったのである。
別段、私は体調には不安が無いので、私的には日程が遅れてもたいして心配はしていないのだが、周りの人が心配してくれる。
検診といっても、血液検査と問診だけなのだが、その血液検査の項目数がなんと39項目もあるのだ。
私は、もともとデータの収集や分析は好きな質であるから、自分でも時系列表を見て楽しんではいるのだが・・・。
外来を診るのは月・火曜日だけであるから日程を調整して予約日を決めるのだが、採血が10:00からで、問診が11:00からである。
これに間に合う様に札幌に到着するには、帯広発06:45発ー09:33札幌着の特急列車の始発に乗らなくてはならないのだ(16日の私が乗った車両には乗客は私1人切りで貸し切り状態であった。客は私一人だけあるからマスクも必要なくて呼吸は楽で良かったが・・・、JRもコロナ禍で大赤字であろうなぁ〜)。帯広ー札幌間の移動はJRの特急列車で往復6時間以上も掛かるのである。因みに帰りの列車の乗客は私を含めて4人であった。
札幌駅の北側は新幹線の工事が始まっており、タクシー乗り場に近い出入口が簡易壁で封鎖されていたので、ずいぶんと遠回りしてタクシー乗り場まで行ったのであった。北大病院は札幌駅の北側にあり、徒歩でも15分程度の距離なのであるが歩いていったら10:00の受付には間に合わない。
北大病院はいつも混んでいる。採血を待つだけで最低30分以上は待たされる。しかし、採血する看護師さんは、一日に数百人ほども採血をしているから手慣れたもので採血自体は1分間ほどで終わる。これが有難い。帯広の病院で採血すると、私の血管が見つけ難いのだろうか、いつも看護師さんが失敗して、右腕、次は左腕、また右腕と何度も何度も針を刺されては、しまいには腕が紫色に変色したりするのである。
採血した血液の分析が終了するまでは問診は受けられないから、いつも問診は11:30頃まで待つことになる。いつ呼び出しが来るか分からないから席を離れる訳にもいかないので、いつも文庫本が1冊読めてしまう。
だが、散々待たされるその問診の時間はわずか10分程度で終わるのだ。
問診が終わった後の支払いに、これまた時間が掛かる。
受付に伝票提出を済ませると、支払いは自動支払機で行うのであるが、自分の番号の順番が来るまでに40分ほども時間が掛かるのである。
いつもは、伝票を提出したら食堂に行って昼食をゆっくり済ませると時間に無駄なく丁度良いのである。
わずか10分ほどの問診の為に、3時間ほども病院に居なくてはならないのだ。往復の移動時間に6時間半、病院滞在に3時間、しかし採血・問診に必要な実時間は10分間。検診に札幌に行くには丸1日が掛かるし、JRの料金も掛かるし、コロナ禍でなければ、新しく建ったビルなどの見学やら美術館にも行けるのだが、それも出来ない。なんだかアホらしいのだが・・・。
問診では過去のデータが時系列になった表を渡されて、医者から生活態度を質問されたり、データの説明を受けたり、逆に私が質問したりをする。
私がダイエットを始めたのが、昨年の8月初旬であるから、昨年7月7日の検診時の体重が80㌔近くであった。それが今日の体重が68㌔と12㌔ほども痩せたので医者が驚いていた。
数値は、どれも良好で、肝臓のγ-GTP値(基準値13-64)は基準値内に収まり過去最低の数値になった。以前に寝酒をやっていた頃には200を超えていたのだから、これはコロナ禍の外出自粛のお陰かも・・・。
痛風の原因となる尿酸値(基準値3.7-7.8)は基準値内に収まっているから、先の左膝痛は痛風ではなかったようだ。
前立腺癌の再発を調べるPSA値(基準値0.00-3.99)は0.03と低いままである。因みに治療前のPSA値は18.89であった。男性ホルモンのテストステロン値(基準値131-871)が男性としては低過ぎなのが気になるところだが、男性ホルモンは前立腺癌の餌になるというので、男性機能をとるのか再発を防ぐのか・・・。
施術後3年経って数値が良くなっている、もしくは維持しているので、治療は上手くいったのであろう。心配ないとのことで安心した。
まぁ、精神的な安心料としては半年毎の検診は仕方がないのかなぁ〜。
■2021-03-18-Thursday 嫌な風潮
オリンピックの開会式の演出を
担当する責任者の佐々木宏氏が辞任を表明したと云うニュースに、エッまたかよ!と思ったのだが・・・
良く見たら今年の3月5日じゃなくて、去年「2020年3月5日」の事だと云う。1年前のグループLINEでのアイデア出しの披露の段階でのことで「タレントの渡辺直美を起用して、オリンピックの〈ピック〉を豚の〈ピッグ〉にして渡辺直美に豚の恰好をさせる云々」という様なアイデアを披露したならば、LINEの相手達から即座に否定されて撤回したと云うのである。
なんで、こんな1年前の話の、しかも内輪の会議のアイデア出しの段階の意見が公開されて、それで辞任しなければならないのだろうか?
まぁ確かに、オリンピックの開会式の演出としては、体型を揶揄する表現はまったくマズイし、このダジャレにはセンスのセの字も感じられないダサいアイデアではあるけれども・・・。
しかし、これは「魔女狩り」である。
そもそも会議のやり方には色々な方法がある。
私がやっていた会議では「他人の意見は否定しないから、どんなにバカバカしい意見だと例え自分で思っても皆に披露することで、そこから新しいアイデアが生まれる可能性が高まる」と云うルールで行っていた。
「北の屋台」も部外者からは「北海道みたいな寒い場所で屋台なんか出来る訳がない」とか「法律上禁止されているのだから出来っこない」とかの意見が寄せられたのである。もしも、既成概念に従って、最初の段階で諦めていたら「北の屋台」はこの世に存在してもいないのだ。
他人がバカバカしいと思っても、別な角度から見たら違って感じることだってあるし、別な感性で見られるかもしれない。むしろ最初のアイデア出しは、それこそバカバカしいと思われる様な多様なアイデアがたくさん出てきた方が発想の幅が広がるのである。
今回の「魔女狩り」みたいな愚かな事をやっていたら、それこそクリエイティブな発想を必要とする会議は成り立たない。
仲間内に披露しただけで辞任しなければならないならば、出席者が委縮してしまって、面白いアイデアを出せなくなってしまう。
実に馬鹿げた行為である。
マジックの発想法では「現実には起こりえない不思議な幻想や妄想を、科学的、心理的な方法で実現、又は実現したように他人に錯覚させる」のであるから、マジックを知らない人達からみたら、その発想やアイデアはバカバカしいと感じることであろう。
内輪の非公開の会議でのアイデア出し時点での発言を問題視するのはあってはならない行為である。アイデア出しにタブーを設けてしまっては画期的なアイデアなんて生まれてこない。ましてやこのアイデアが採用されたわけじゃぁないのに・・・。
こんなバカな「魔女狩り」は即刻止めるべきである。
■2021-03-21-Sunday ジンクス?
帯広では彼岸の中日頃に大雪が降ると云うジンクス?
それが今年も的中してしまった!
最近、朝5時になると目が覚めてしまう。昔から年取ると早起きになると言われていたが・・・。
カーテンを開けてみたら4〜5センチほども雪が積もっていた。
前日までに積雪が0㎝になっていたし、コロナ禍で暇であったから、自宅の庭の氷は既に割ってしまって、路面を露出させていた。
このところのプラス気温で路面が温まっていたから、積もった雪がすぐに融けていて、かなり重たくなっていたが、他にやることもないので、6時から除雪作業をやって、完璧に除雪したのであった。
天気予報では降雪は15時くらいまでであったのだが、16時になっても降っていて、気温が下がってきたから路面が凍り始めたのであった。
結局は降雪量は10㎝以上にはなっただろう。
もう一度除雪作業を開始したが、かなりツルツルになっている。
どうせ、明日になったら融けるのであるが、どうしても今日中に綺麗にしておきたいのである。
近所の他所の家よりも早く雪を無くしたいのだ。
性分なのだから仕方がない。
どうせコロナ禍で暇であるから、適度な運動であった。
■2021-03-22-Monday New1・2・3
(公社)日本奇術協会の会報誌「New ワン・ツー・スリー」
の創刊号が届いた。
1993年12月3日の「奇術の日」に社団法人になったことをキッカケにして季刊誌として発刊され、第67号まで発行されたが、諸般の事情から薄いニュース紙「マジックわくわく通り」になっていた。
以来15年間ほどこの状態が続いていたが、先頃、新会長に就任されたケン正木さんが協会誌「ニューワンツースリー」として新たに発刊をしたのである。
当時、マジック関連の書籍を蒐集していた私は、「季刊誌ワンツースリー」を入手するべく、高い会費を支払って日本奇術協会の賛助会員になったのであった。
それが「会報誌の発刊を止める!」との発表に、薄いニュース紙に高い会費を支払う価値はないなと思って脱会したのであった。
それが、2016年にマジック・ミュージアムを造ったことで、日本奇術協会から表彰されたことによって再入会することになったのであった。
今回、会報誌を発行することに戻ったのは大変喜ばしいことである。
その創刊号はA4版サイズ 36ページ 総カラーの立派なモノである。その最後の36頁には「注目の話題3」との題でページの全部を使って、我が「マジック・ミュージアム」の写真10枚と私がテレビ「開運!なんでも鑑定団」に出演して『マジックの「カップ&ボール」を演じる自動人形(オートマタ)を出品し、250万円の高額が付いた』旨を紹介してくれたのであった。嬉しいことである。
ただ残念ながらせっかくご紹介いただいた「e-maillアドレス]に誤りがあったのである。「kazchan@axel.ocn.ne.jp」が正しいアドレスなのだが、「OCN」が「ONC」と誤表記されていた。
この様な冊子が作られたことは嬉しい。
新会長のケン正木さんは、私の1学年上の年齢で専修大学の出身である。同じ時代に大学のクラブで活動しており、専修大学マジッククラブの薩、岡嶋の両名と私を加えた3名でSOSトリオとして、関東大学奇術連盟に対抗して「マークル」と云う団体を組織したのが思い出である。
■2021-03-23-Tuesday 十勝達磨ループタイ
十勝達磨が売れてビックリ!
テレビの影響ってホントにすごいものだなぁ〜!
あまりに問い合わせや購入者が多いものだから、倉庫を探して「十勝達磨風鎮」の在庫を10組ほど見つけたことをこのブログに書き、それを改造して「十勝達磨マスコット」を制作したことをホームページにも掲載したら、風鎮もマスコットもすぐに売れてしまって、風鎮は完売し、マスコットの在庫が3個だけになってしまったのである。
気を良くした常務が「もっと何か十勝達磨関係の在庫がないのか調べてみたら?」と言うので、再度調べ直してみたら・・・
3代目職人の「初鹿富蔵」が、新しい達磨製品開発用に試しに彫ってみた薄い形状の達磨が数個出て来たのである。
当時の流行りの「ループタイ」と云うネクタイ代わりに男性が着けるモノで、我が社では十勝石やメノーなどの貴石で数種類を製品化したのだが、当時の社長であった父は、その試験的に造った「平べったい達磨」に純銀で台を拵え、組紐作家に手組で紐を作らせたりしたのであった。
ところが値段が高くなり過ぎてしまったし、やはり達磨の形は置物の「自然石」状態の方が良いということで、数個だけお得意様に販売したのみで「没」にした経緯があったのである。
今回倉庫から発見した「十勝達磨ループタイ」は、さすがに、その高い値段のままでは売れないだろうし、ループタイの流行も既に廃れて久しいしなぁ〜。
でも十勝達磨に勢いがある今の内なら、誰かが買ってくれるかもしれないとの、わずかばかりの希望を持って、ホームページに載せてみたのである。
さてさて、どうなるやら・・・。
■2021-03-24-Wednesday 服のサイズ
去年の8月からダイエットをしているが、
ダイエットをする前の太った体型の時に急逝した義母の葬儀の際には、太り過ぎてしまって着られる喪服が無くて急遽貸衣装屋からレンタルをしたのであった。
やはり自分の喪服が無くては何かと不便なので、義母の四十九日法要の際に新調したのであったが・・・。
それまで太る一方だったので、その際に購入した喪服のズボンはアジャスター付でサイズは10㎝以上太っても大丈夫なモノを買ったのに・・・。
昨年8月に一念発起してダイエットを敢行して12㌔も体重を落としたものだから、服のサイズがまったく合わなくなってしまったのである。
なにせ腹囲が108㎝から88㎝にまで20㎝も細くなったのだ。残念ながらアジャスターは細くなる方向には対応出来ないのだ。
ズボンはブカブカであるし、上着もダブダブでかなり恰好が悪い。
今週は知人の葬儀が続くので、昔着ていた喪服をタンスから引っ張り出して着てみたのだが・・・。
それでも、ウェストサイズが98㎝とか94㎝のモノで、かなりブカブカなのである。
ここ十数年間は少しずつ、少しずつ太っていったから結構長い期間90㎝台のウェストサイズを保っていたのだ。
今回はもう間に合わないから、我慢してダボダボの喪服で参列することにしたのだが・・・。
葬儀は急に来るものだから、やはり喪服は持っている必要があるだろうなぁ〜。また買わなければ・・・。
体形が急に変わるのは、経済的にも問題があるなぁ〜。
■2021-03-25-Thursday 酔筆奇術偏狂記
金沢天耕著「酔筆奇術偏狂記」と云う書籍を
先般、転勤の挨拶にわざわざ札幌から来てくれたマジック仲間のNHK札幌放送局の古谷敏郎アナウンサーに差し上げた。
彼は、私と同じに、マジックを小学生の時から続けており、NHKで古典芸能を担当していたこともあってマジックの歴史も研究している。
いずれはマジック本を出版したいと思っているとのことだったので、ちょうど同じ本を2冊所持していたから餞別として差し上げたのであった。
この本は、大学生時代に師匠であったジミー忍師から借りて読んでいるが、金沢孝(天耕)さんの自伝的なものである。
和歌山の呉服屋の若旦那がマジックにのめり込んで、プロマジシャン石田天海師に師事してプロマジシャンを目指したり、アマチュアマジシャンの会を作ったり、マジック本を出版したりなど等、私の人生とも共通点が多くてすごく関心があったのである。
偶然とは面白いもので、本を差しあげたことで久し振りにこの事を思い出していたところに、ひょんなことから同じ題名の演劇があることを知ったのである。
ネットで検索してみたら大阪の「劇団レトルト内閣」と云う劇団が「酔筆奇術偏狂記」と云う題名の演劇を公演しておりDVDも販売しているとのことである。すぐに劇団に連絡を入れて購入したのであった。
今日、届いたので早速観たのだ。
金沢孝さん夫婦の人生を軸に、松旭斎天一、天二、天勝らが登場してくる史実に沿った115分の演劇であった。
もともと演劇やミュージカルが大好きであるし、マジックが趣味なのであるから面白くないわけがない。
マジックの歴史を知らない人には新鮮であろうし、熟知している私も楽しく拝見した。
まだ売り切れにはなっていないから、興味のある方は是非注文をしてください。DVDは2000円でした。
■2021-03-28-Sunday 強靭な精神力
大相撲で照ノ富士が優勝した。
元は大関の地位にあった者が、膝の故障や内臓疾患などで序二段にまで陥落したのに・・・。
普通の力士のメンタリティーならば十両に落ちた時点で引退しているところであろうが・・・。
まさに不屈の闘志と強靭な精神力である。スゴイとしか言い様がない。
一方で対照的に見えたのは高安であった。上位陣との対戦を終えて2位に2差の単独トップに立ち、残すは下位力士との対戦で初優勝を意識してしまったのであろう、3大関との対戦を残す照ノ富士より、圧倒的優位に立った途端に急にバタバタとしてきて、後半戦に入ってからは4敗、特に13日目から千秋楽までは3連敗して、最終的には10勝5敗、三賞も逃してしまいなんでもない成績に終わってしまった。
初優勝の絶好のチャンスだったのになぁ〜。緊張で身体が思う様に動かなかったのであろうなぁ〜。高安は蚤の心臓なのかなぁ〜。前半戦とのあまりの変わり様に驚いた!
今場所の照ノ富士と高安は実に対照的であった。
だが、このスゴイ復活劇に対して、どうも世間の盛り上がり方がイマイチの様にも感じる。
照ノ富士がモンゴル出身力士だからなのであろうか?
昔から日本人には「桜」を愛でる国民性が言われている。
パッと散る「桜」の花の散り際を「潔い(いさぎよい)、見事だ!」と感じることに慣れさせられているのであろう。
おそらく、日本人の心の底に流れるその心情と、大関から序二段にまで堕ちて、そこから復活した精神力の粘り強さとがしっくりとは合わないのかもしれないなぁ〜。
でも、照ノ富士の復帰は掛け値なしにスゴイことである。
「諦めが肝心」とは言うけれど「粘り強さ」も必要だ。
最近の大相撲は、3大関の成績が不甲斐なくてパッとしないし、横綱の鶴竜が引退したし、白鵬も休場続きで引退が近いであろう。
照ノ富士がこのまま怪我をしなければ3大関を抜き返して横綱になるのではないだろうか。そんな気がした。
もう一点、最近行司の質の低下が顕著だ。
今場所も千秋楽結びの一番で、土俵際で朝乃山に転がされた正代に行司の式守伊之助の脚が絡まって土俵下へ逆さに転落した。すぐに立ち上がれずに、控えにいた木村玉治郎が代わりに土俵に上がり軍配を朝乃山の方へかざして勝ち名乗りを上げたのだが・・・、どうも最近の行司はよろしくないなぁ〜。
正代戦に多い様に思うのだが、土俵際で力士をかわし切れずにぶつかって勝負の邪魔をする場面がまま見えるのだ。
差し違えも多いしなぁ〜。
行司が勝負の邪魔をしてどうする!先場所の正代は露骨に嫌な顔をしていたぞ!
行司こそ動きや目が悪くなったら、サッサと引退しなけりゃならない。以前に男へのセクハラで行司が辞めたことがあったし、行司には成り手が少なくて下の者が育っていないのかなぁ〜。
■2021-03-29-Monday 母の誕生日
昨日は母の満九十歳の誕生日
坂本家のご先祖様を見渡してみても母が最高齢者になった。
これまでの最高齢者は祖母のハナ婆さんで、亡くなったのは満89歳であった。私の感覚的には、祖母のハナ婆さんの方が母よりも遥かに高齢者だった様に感じるのだが、これは私自身との年齢差のせいなのであろうなぁ〜。
同じことを何度もこのブログに書いているが、母は昔から「(ハナ婆さんの長命を見て)お父さんは身体は頑丈だし、長生きの家系だけど、私の両親は二人とも60歳台で亡くなっていて、私は身体が細いから、お父さんよりも先に死ぬだろう・・・」と言っていた。
それが実際には、亡くなるまでは病気一つしたことがないのは父の方で、子供心に父が寝込んだのを見たのは、寒い日にゴルフに行って冷えたのか神経痛でしばらく寝込んだことがあったが・・・、それが肝臓癌が見つかって半年後にはアッサリと満64歳で亡くなってしまった。一方細身で弱そうに見えた母が満90歳を迎えたのであるから人間の寿命なんてものは分からないものである。
父と母は4歳違いであったから、母は60歳で未亡人になり、以来30年間も独り身であったわけだ。
父も旅行好きであったから、父が存命だったら夫婦であちらこちらに旅行に行っていたろうに・・・。
去年からのコロナ禍で、去年は家族で卒寿を祝ってあげられなかったし、今年もまだコロナ禍が続いているから誕生日のお祝いの会も催せない。
父に代わって母を旅行にでも連れて行ってあげたいのだが、それも叶わない。
なんとも困ったウィルスである。
冠婚葬祭や卒業式、入学式などの儀式が通常のやり方で催せないのは、この時期にそれらがあたってしまった当事者たちが可哀想でならない。
人間の生活にはセレモニーが必要なのだとつくづく思う。
早く終息してほしいものである。
■2021-03-30-Tuesday 散り際
今、日本は桜の季節であるからか・・・
先日の私のブログに書いた「桜の散り際の潔さ云々」に関してなのか質問メールが愛読者の方々から複数いただいた。
何故だか大相撲のことではなくて、私の去就に関しての質問であった。
その返答をそれぞれに返すと面倒なのと、その他の方々にも伝えたくなったのでこのブログに返答を書くことにした。
その質問内容を要約すると「(前略)坂本さんが地球環境問題に関心が深くて、国際環境大学構想や十勝環境ラボラトリーの創設などの活動をしていたことはブログを読んで少しは知っています。(中略)現在はSDGsが盛んに言われていますが坂本さんのご意見を伺いたい(後略)」とか「(前略)現在は地球環境問題の重要性を多くの人が認識するに至っているのに何故に坂本さんはその活動を辞めてしまったのですか?(後略)」等の質問が寄せれらたのである。
まずは、質問には専門用語もあったので、まずはその解説からはじめよう「SDGs(エス ディー ジーズ)」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)サスティナブル ディベロップメント ゴールズ」の略称。
2015年9月に国連で開かれたサミットで決められた国際社会共通の目標で、2015〜30年までの長期的な開発指針として「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」で構成されている・・・・。
これ以上の説明は長くなってしまうので用語解説に留めて後は自分で調べて・・・。
私が地球環境問題に初めて関心を抱いたのは、1991年に帯広青年会議所(JC)の「都市環境問題委員会」の委員長に就任したのがキッカケであった。委員会名に「環境」の文字が初めて入った委員会であった。
委員会メンバー中最年少の33歳で就任した委員長としては、地球環境問題を詳しく知らなければ、年長者達をリード出来なくて委員会運営がお話にならなくなると猛勉強したのである。
翌92年には「大学問題委員会」に配属になり、地球環境問題を扱う世界唯一の「国際環境大学」を十勝に創ることを提案したのであった。
95年には、この「国際環境大学構想」を発展させるべくプロジェクトチームを編成することになり、その担当副理事長に就任した。
96年には「国際環境大学構想」の実現に向けて「十勝環境ラボラトリー(TKL)」を創設し専務に就任し9つのプロジェクトを推進した。またこのプロジェクトから「北の屋台」が派生し専務理事に就任した。
TKLは2006年12月31日までの10年間、精力的に活動したが解散した。
連動して2007年3月末日には「北の屋台」の専務理事も辞任した。
質問は、この「TKL解散」と「北の屋台専務理事辞任」に関してのものであろうと思う。
端的に言えば意識が20年早過ぎた!ということかな?
それと地球環境問題というのは、深く研究すればするほど、多様な意見があって混乱してくるのである。
特に「地球温暖化」と言われる現象に関してはその疑問は大きい。二酸化炭素原因説などでは特にそれが顕著である。
「二酸化炭素排出権」なるものに大きな疑問を感じた。少々乱暴に解説すると「二酸化炭素を多く排出する権利を金で買えばOK」ということなのである。地球環境が危機的な状態であるとするならば、二酸化炭素の排出量自体を減らさなければまったく意味がないであろうに・・・。それを金で解決しましょうというのである。
金(経済)の問題では無いだろう。これは欺瞞である。偽善であると憤慨したのが端緒であった。
しかし、一番の原因は「北の屋台」の運営方法で、他の幹部連中との意見が合わなかったことである。
当時私は、自ら運営費を稼いで活動する「まちづくり組織」を作ることを理想としていた。当時(2006.3.18)の十勝毎日新聞の文化欄にこの私の意見を寄稿したが「北の屋台」ならばそれが実現可能であったし、私は初めからそのように設計をしていたのであった。
が、しかし・・・、北の屋台から得られる利益を、まちづくり活動の運営費に使うよりも、自分の生活費に充てたいという幹部が出てきたのである。
他の幹部連中も「まちづくりよりも仲間の生活が大事だ」と言い出したのである。大ショックであった。ボランティアで始めた事業ではなかったのか!しかし、多勢に無勢。結局、私は去らざるをえなかったのであった。
自分が作った「北の屋台」は我が子の様に可愛いから、存続させるには、一人だけ意見が異なる私が去るしかなかったのだ。
でも、結局はその時の幹部連中は、その後に発覚した不明朗な会計処理の責任を取って、後に全員が辞任することになってしまった。だから現在の北の屋台には発足当時の人間は誰一人も残って居ない。
人間の散り際、去り際と言うのは難しいものだとつくづく思う。その人の「生き様」が反映されているからだと思う。
人生には「粘り強さ」も「潔さ」も両方が必要なのだが、まさにケースバイケース、時と場合によってどちらを選ぶのかの判断が難しい。