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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2021-11-01-Monday なんだよ!

なんだよ!

メディアの選挙予想はまるで外れじゃないか!

私の自民党圧勝と云う予想もハズレと言えばハズレかもしれないが、それでもメディアの予想ほどは大きく外れてはいなかったぞ!

結局、自民党は15議席減らしたものの261議席の「絶対安定多数」を獲得したのだから、「圧勝」と言っても大きなハズレではなかったことになるだろう。(普通の感覚ならば絶対安定多数なら圧勝と言うと思うけどね)

野党共闘で大躍進するとメディアが予想していた立憲民主党は逆に15議席も減らしたのであるから、こちらはまるで期待外れ、予想外れであったことになる。

私の地元十勝の「北海道11区」の選挙区では、立憲民主党の現職の石川香織が勝ったが、自民党の中川侑子は比例復活で当選した。

十勝からは立候補した二人の女性候補者が共に当選したのであるから、まずはメデタイと言えるのであろう。

取り敢えず十勝は、与党と野党がいがみ合うことなく両者が共に当選したのであるから、分断は避けられたということであろう。まずはメデタイ!

今回の投票率も戦後3番目だかの低投票率だったと言うから、こちらもメディアの予想は大きく外れた!

メディアの予想はなぜにこんなに大きく外れたのであろうか?

もうメディアの記者らの分析力がかなり落ちているということなのであろうか?それとも自らの希望(野党躍進)を予想として発表していたのであろうか?

与党も勝ったような感じに見えるが、大物議員の選挙区での落選が多かったのも今回の特徴である。

甘利明幹事長の落選は、スゴイことである。甘利氏本人が落選運動云々とボヤイている場面がニュースに映ったが、落選運動と云うのが本当にあったのか、それとも、説明責任を放棄したままの国民を無視した行動が嫌われたのだろうか・・・、いずれにしろ、幹事長辞任は避けられそうもないから、この点では国民を甘くみたらしっぺ返しが来るということを身をもって示してくれたのかもしれない。

与党だけではなく、野党側でも、小沢一郎や辻元清美が落選したのは、そろそろ世代交代が必要とか、批判しているだけでは駄目だという国民の声なのかもしれない。

投票率は低かったが、これまでの選挙とは一味違った結果になったようにも感じている。

ようやく国民も少しずつではあるが、行動を起こし始めている兆しなのかもしれないなぁ〜。

もう少し、今回の選挙結果をしっかりと分析してみたいなぁ。


■2021-11-02-Tuesday 活動開始

総選挙も終わったことだし

そろそろ活動を開始しなければ・・・

1日は、早速忙しく動き回った。

東京から上智大学の石澤良昭先生の秘書的な仕事をしている職員が来帯したので、帯広空港まで出迎えて車中で打ち合わせをしながら、まずは帯広市役所に向かう。

石澤良昭先生は、帯広市のご出身で、ご両親は帯広市中心街の西2条南10丁目で履物屋さんを営んでおられたと云う。帯広三条高校を卒業して上智大学に進学し、学生時代からカンボジアのアンコールワットの研究と修復に携わり、世界が認める第一人者になられた方だ。

私は、来年1月27・28日に帯広で予定している石澤先生関連のイベントのお手伝いをすることになっている。

まずは市役所で田中敬二副市長と面会した。田中副市長と私は帯広柏葉高校の同級生である。田中副市長が帯広東京事務所所長だった時代にちょうど石澤先生が上智大学の学長を務められていた時期に重なり、何度も上智大学に訪ねて行ったとのことで話が弾んだ。イベントへの協力を依頼してから、次はメディア関係である。NHK帯広放送局と帯広ケーブルテレビ局を訪問して取材依頼や番組制作依頼などをした。

午後からは会場になる北海道ホテルの下見と打ち合わせをおこない。それが終わったら関係者宅訪問などにも同行し、帯広空港まで送って行った。

十勝環境ラボラトリー(TKL)の専務をやっていた当時(1996〜2006年)は、毎日の様にこんなことをやっていた。

TKLが解散した後は、少しはこういう活動は減ったのだが、それでもTKLで招聘した講師の方々がプライベートで十勝を訪れる際には、私が案内役をしていたのである。

また全国各地を「観光カリスマ」として講演して歩いたりもしていたので、まだまだ忙しかったのだが、このコロナ禍で、ここ2年間はほとんど帯広から出る機会も無くなっていた。だから今日は、久し振りに「動いたなぁ」という気持ちになったのだった。

やはり人間は暇でダラダラしているとダメなものだ。思考がドンドンとネガティブな方向に落ち込んでしまう。「忙中閑あり」と云うけれど、忙しい時の方が自分の時間も作れたし充実していたのであった。

コロナ禍は人間の「ヤル気」を奪ってしまう。

東京の感染者数も急激に減っているようだから、この機会に指定感染症の2類相当から5類に早く下げて普通の生活に戻してもらいたいものである。


■2021-11-03-Wednesday 甘利幹事長辞任

先の総選挙で比例で復活当選した

甘利明自民党幹事長が辞任した。

現職の幹事長が選挙区で落選したのは初めてのことらしい。

テレビの選挙特番ではお笑い芸人の爆笑問題の太田光にもイジラレまくっていたが・・・。

昨日の夜に、テレビで「開運!なんでも鑑定団」を見ていて、そういえば昔、甘利氏が鑑定団に出演したことがったなぁ〜、確か、その時も「わいろ」云々が問題になっていた様な記憶があるなぁ〜と思い出して、過去のブログを探してみたら、あった、あった!

やっぱり脇の甘い人はいつまで経っても脇が甘いままのようで、国民がどう考えるかなんてことは、これっぽっちも考えていないようである。

以下の『』内は、その時の私の2014.08.28のブログ「 新聞から」を転載したものである。

『新聞の「読者の声」欄に12日に放送されたTV東京系の人気番組「開運!なんでも鑑定団」に出た政治家の甘利明氏に対する非難が載っていた。

私もこの番組は大好きな番組でこの日も見ていたが、やはり見た直後に同様の感想を持ったのだった。

甘利氏は、楽天球団の田中将大投手が7年前に初完封した際に着ていたユニフォームを楽天の三木谷オーナーからプレゼントされたと言って出品したものだ。自身の評価額は50万円であったが、鑑定人が付けた評価額は200万円であった。

プレゼントされた際の甘利氏の立場は経済産業大臣である。経済人である三木谷氏が、政治家で、しかも一番関係がある経済産業大臣の甘利氏に200万円もの価値のあるものをポンとプレゼントするというのは贈賄に当たる可能性があるし、受け取った甘利氏は収賄に当たる可能性があるかもしれないなぁ〜と思ったのである。

当日はこんな「ヤバイ」話をテレビ番組で堂々と披露するなんて甘利氏の政治家としての脇の甘さに驚いたものだったが、やはり世間ではこれを問題視する人が多かったようである。

この番組は2回ほど再放送をするから、12日に見逃した人も改めて見ることが可能である。

これだけハッキリした証拠を自らの口でしゃべってしまった甘利氏には政治家としてのセンスを疑う。

9月の内閣改造では、甘利氏は早々に留任するとされていたが、この問題が影響を与える可能性も出て来た。

野党がしっかりしていないから、自民党はやりたい放題で奢っているように感じる。そんな気の緩みからポロッとマズイ問題が出てきたのだろう。

しかし、これは甘利氏がこの番組の大ファンで何度も応募したと言っていたのだから自ら望んで出演した番組である。このことは番組内でも言っていたのだから本人の責任以外の何物でもないだろう。

果たしてこの結末やいかに・・・。』


■2021-11-04-Thursday マジック・ナポレオンズ

二人組のマジシャン「ナポレオンズ」の

おしゃべり担当で背の低い方、頭が360度回転する「あったまグルグル」で首が回る方の役のパルト小石さんが亡くなった。69歳であった。

小石さんは2019年10月に急性リンパ性白血病を発症して入院、臍帯血移植などの治療を受けたが、その後も入退院を繰り返した。今年9月9日に肺炎で緊急入院し、10月26日に亡くなった。

奥さんの下田結花さんは、小石さんとは、同じ専修大学マジック同好会の先輩後輩の仲、しかし、7歳違いであるから学生時期に一緒に活動していたわけではなかったが1983年に結婚した。

私と奥さんの下田結花さんとは、学生時代に駒澤大学、専修大学、千葉大学、東京大学、東京女子大学、工学院大学などで結成した「マークル」と云う団体で合同のマジックショーを開催したことがある。

学生時代の結花さんの妖艶なチャイナドレス姿で演じる銀のボールが空中を動き回るマジック「ゾンビボール」の演技が印象に残っている。

結花さんはブログで「自然昏睡で眠ったまま静かに逝きました。生前、ナポレオンズのパルト小石こと、小石至誠に頂きました皆様の思い、皆様の祈り、そしてご厚情に心から深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました」と結んでいた。

小石さんは、専修大学のマジック同好会で出会ったボナ植木さんとナポレオンズを結成し1977年にデビュー。ギャグをとりいれた軽妙なマジック&トークで人気を集め、テレビでも活躍。『笑点』の演芸コーナーでも親しまれ、お茶の間からも愛されたコンビだった。ネタばらしをしながら行う「空中浮遊」も定番。「師匠である初代引田天功が教えてくれた唯一の手品」という小石さんの口上がお約束ゴトだった。

演芸評論家の高山和久氏は「正統派マジックからトークを交えたマジックに転身。コミックマジックは伊藤一葉、マギー司郎らが挙げられるが、コミックマジックコンビはナポレオンズが最初で元祖だといわれている。腕があるからマジックが面白い。クオリティーが高いから、仕掛けがあるのに不思議さを感じる。小石さんのトークなくしてナポレオンズはありえなかっただろう」と話している。

まだ69歳と云う若さ。世界のマジック界でも活躍していただけに、日本のマジック界としても惜しい人を失ってしまった。

相方のボナ植木さんは、コロナ禍でここ2年間は小石さんと会っていなかったと言うが、今後はどうするのであろうかなぁ〜?


■2021-11-07-Sunday コンサート

久し振りにコンサートを観に行った。

「ぐっさんのハッピーオンステージinまくべつ」7日(日)15:30開演を観に行った。

「ぐっさん」と言うのは、吉本興業所属のお笑い芸人の山口智充(やまぐち ともみつ)(52歳)の愛称である。

ここ2年間ほどのコロナ禍でコンサートなどを観に行く機会が極端に減ってしまったから、普段だったら関心を持たない部類のお笑い芸人の単独コンサートという出し物なのであるが、妻がチケットを購入したのであった。

期待はあまりしていなかったのだが、結論から言うととても面白かった。

MCで、「50歳になった記念に全国50カ所でのコンサートを企画したのだが、コロナ禍によって中止やら延期やらになって、自分の年齢も52歳になってしまったが、今日の幕別がまだ22カ所目である・・・」と言っていた。

このコロナ禍と言うのは、日本のエンターテインメントにとっては、ほんとうに疫病神であるなぁ〜。

ぐっさんはお笑い芸人だけあって、話芸や物真似も面白いし、唄もとても上手い。自ら作詞・作曲もしてぐっさん個人としてのアルバムを4枚も出しているというから大変な才能だ。でも、残念ながら途中で披露した歌は聞いたことが無かった曲ばかりであったが、最後にアンコールで唄った「全てが僕の力になる」と言う曲は17年ほど前にはテレビの番組の企画で、雨上がり決死隊の宮迫博之とのコンビで「くず」というユニットを組んでヒット曲を連発していた時代の歌だと言う。

そういえばこの歌は記憶にあった。

最初に上演時間は90分間だと聞いていたのだが、熱演で125分間もやってくれたのであった。

今回は、たった1人だけで来勝したようだ。昨日6日に帯広入りして今日このコンサートが終了したらすぐに飛行機で帰るというが、衣装も靴(白いスニーカー)も普段着のようなカジュアルな装いであるから着替えも楽だろうし、楽器もギターが1本だけ、BGMはおそらくCDだろうし荷物は少ないであろうから、荷物持ちのお付きも居ないのかも・・・

私のマジックの師匠であった故ジミー忍師は生前に「歌手は衣装と楽譜、落語家は着物と扇子だけあれば営業が出来る、その点マジシャンはそれ以外に嵩張る道具が必要だし、演技前にはその道具のセッティングと、演技の終了後には後片づけもあるからコストパフォーマンスが悪い職業だよなぁ〜・・・」といつも愚痴っていたのを思い出した。

ステージ上でマイクの移動まで全部自分でやるのだから、これならコスパが抜群であろうなぁ〜。マネージャーも付いてこなかったのかなぁ〜。

下世話な話であるが、ぐっさんのギャラっていったいどれくらいなんだろうなぁ? 吉本興業の取り分がいくらで、本人にはどれくらい入るのだろうかなぁ?

宮迫の闇営業問題は、きっと吉本の取り分が多いからなんだろうなぁなどと考えてしまったのであった。

楽しい時間を過ごせたが、座席が子供席(半分に折り曲げて座席が高くなる)だったのでクッションが悪くて、お尻が痛くなったのが難点であった。

あっ、そういえば、昼に全日本大学駅伝大会で母校の駒澤大学が優勝した。最初にテレビを点けた時点では3区で11位と低迷していたから、こりゃ〜今年はダメかなぁ?去年は最後の8区で大逆転で優勝したのになぁと思って半分諦めて他の番組にチャンネルを変えたのだが・・・。

途中でチャンネルをザッピングしていたら、なんとなんと7区の田澤廉(3年)が快走してトップに踊り出ようとしている場面ではないか。そこからはテレビの前にずっと釘付けであった。ついに2位に18秒差を付けてトップでラストの8区でアンカーの花尾(2年)にたすきを渡した。

しかし、アンカーの花尾は青山学院大学の飯田(4年)に追いつかれてしまい、その後はずっとトップを並走していたから、ハラハラドキドキしながらテレビの前から離れられなくなりずっと応援していた。

解説者たちは皆、青学の選手の方に余裕が感じられる、青学に分があるなんて言っていたけれど・・・

ラスト2㌔で駒大の花尾がスパートを掛けたら青学の飯田は付いて来れなくなった、しかし、青学の飯田選手も追いつこうと頑張って、最後は僅か8秒差での辛勝であった。

何だよ〜、この前の衆院選挙と同じでメディアの言うことは出鱈目ばっかりじゃないか・・・。

駒大2連覇達成!おめでとう! V14である。

さぁ次は正月の箱根駅伝だ!


■2021-11-08-Monday 北の屋台物故者

北の屋台の元店主の人たちと

メールのやり取りを続けているが、今日の話題は物故者についてであった。

先日の私のブログにも書いたが、9月19日に「こころ」の木村武博さん、10月29日に「らくれっと」の宇佐美明男さんが続けて亡くなられた。

そのことを書いて感傷に浸っていたら・・・

他にも亡くなっている方がいると云う話になった。

「福里ふるさと」の角尾洋一さん、「順香」の商成順さん、「やっさん」の安田由美子さん、そして元理事長の真井康博さんである。

北の屋台がオープンしたのが2001年7月29日であるから、丸20年が過ぎたのであるが6人もの方が逝去された。

私が北の屋台に直接関わったのは、1999年2月に「まちづくりひとづくり委員会」を創った時からである。そして北の屋台を卒業したのが2007年3月末であるから丸8年間であった。店主の方々とのお付き合いは、第1期と第2期の6年間である。

北の屋台は現在でこそ、帯広の名物として市民から愛される場所になっているが、創成期の屋台は、「こんな寒い場所で屋台なんか出来るもんか」とか「飲食業の素人を集めたところで上手くいくもんか」などと世間では否定的な意見が大半であった。

そんな中で、私の理論を支持してくれて、一緒に実現の為に尽力してくれた店主の方々には感謝の気持ちと、苦労を共にした仲間という感情がある。

亡くなられた店主5人は、いずれも北の屋台を卒業して独立された方々ばかりである。まさに北の屋台の精神と目的を体現してくれた方々である。

冬を迎えて、落ち葉が風に舞うとメランコリックな気分になる。近い内に北の屋台の元店主の方々に声掛けし、同窓会でも開いて冥福を祈りたいと思っている。


■2021-11-09-Tuesday 大道芸

コロナ禍で2年連続中止になった大道芸フェスティバル

2002年に北の屋台の宣伝の為に、大道芸人を招聘して北の屋台の広場や平原まつりの会場などで演技を披露してもらったのが市民に大好評となり、屋台のお客さんからの要望も多かったので、翌2003年からは規模を拡大して「平原まつり」の行事として開催することになった。

2004年からは実行委員会を組織して、招聘する芸人の人数も大幅に増やして大々的に開催するようになった。

2007年に私が北の屋台を卒業した後も、引き続き実行委員としてず〜っと関わってきた。

以来2019年まで18年連続で開催してきたが、コロナ禍によって本体の「平原まつり」が2020,2021年と2年連続で中止になり、大道芸フェスティバルも中止になってしまったのである。

現在、コロナ禍でエンタメ業界は大打撃を負っている。特に大道芸人はもろにその大波を被ってしまった。何せ、ソーシャルディスタンスとやらで他人との距離を1m以上開けろと言うのであるから、道路上で隣の観客と肩触れ合う距離でギュッとくっ付いて見てもらう大道芸は商売が上がったりなのである。

多くの大道芸人たちがこの2年間というもの仕事が出来なくて大変に苦労をしている。

何とか帯広で大道芸をやって、少しでも芸人さんの収入を助けたい、コロナで鬱々とした市民にも元気な笑いを提供したいとの思いからずっと企画を立てていた。

ここ最近は、急にコロナ感染者数も激減して来たが、今年はもう冬が間近に迫り気温が低くなって屋外での開催は難しくなってしまった。

そこでどこか会場を探して屋内でやれないかと模索した結果!

クリスマス・イブの12月24日(金)に帯広市民文化小ホールを確保することが出来たのである。と言うか、実は、その日しか空いていなかったのであった。

帯広でもクリスマス・イブは家庭で祝う家族が多いであろう。平日の金曜日であるし、学校は2学期の終業式でもある。条件はかなり厳しいことが分かっている。

観客の動員はかなり難しいことが予想される。それでも何とか開催をしたい!

芸人さんたちと打ち合わせをしたら、それなら「クリスマス・イブの特別な公演をやろう! サーカス芸と大道芸と音楽をミックスした帯広だけの特別な一夜を帯広市民にプレゼントしよう!」題して「DAY DREAM〜サーカス小屋のクリスマス〜」をやろうと言うことになったのである。今、東京では芸人さんたちが楽しい企画を練ってくれている。

詳細はまだ未定であるが、出演者は、ダメじゃん小出・ファニーボーンズ・りずむらいす・長すみ絵・吉川健斗の5組が決まった。

帯広ではもうお馴染みのダメじゃん小出とファニーボンズ以外には、2019年に来てくれたリズムに乗っての楽しいパフォーマンスを見せてくれた「りずむらいす」の2人組とサーカス学校出身の吉川健斗。

さらにサンリオピューロランドにも出演しているエアリアルの長すみ絵さんは帯広初登場である。

エアリアルと云うのは天井から垂らした布やロープに絡まって華麗な演技を魅せる芸術的な出し物である。舞台ならではの演技であろう。

開演時間は、クリスマス・イブということもあって、家族連れが終演後に街中の飲食店に行って食事を楽しめる少し早めの時間帯に設定しようと考えているところだ。

まだまだ規制の多いコロナ禍の中で、クリスマスを楽しめる特別な企画にしたいと思っている。

乞うご期待である!

皆さん、チケット買って観に来てね!


■2021-11-10-Wednesday 落ち葉

落ち葉が凄いことに・・・

雨と風の日が続いて、街路樹の枯葉が落ち葉となって歩道に溜まっているが、その量たるや半端ではない。

地面が赤茶けた絨毯みたいにフカフカになっているほど溜まってしまう。すぐに我が社の坂本ビルの前と裏駐車場の落ち葉拾いを指示したのだが・・・。

西2条側の街路樹は「柏系」の樹木である。裏通りの街路樹は「エゾ紅葉」である。

風に乗って飛んでくるから、集めたと思ったらまたすぐに飛んで来るので際限が無い。雨で湿った落ち葉は道路にペッタリとくっ付て採りにくい。

向かいの空地や隣の空家は、落ち葉拾いをする人が誰もいないから、落ち葉が道路に溜りに溜まっている。ビル風が吹くから我が社の駐車場には各種の落ち葉が集まって来る。

落ち葉も少しづつ毎日ならばまだ日課にもなろうが、こうも一遍に落ちてしまうと大変なことになる。

まだ雪みたいに重くないのが救いであろうが、それでも湿った落ち葉は結構重くなるものである。

我が社だけでも大きなビニール袋に20袋ほども集まったのだが、これを捨てるのにどうしたら良いのかが分からなかったので社員が市役所に電話したら、帯広中から同様の電話があったらしい。

そりゃぁそうだろうなぁ〜。駅前通りの商店街だけでも数百袋のビニール袋分の落ち葉になるであろう。これをゴミとして収集してもらわなければならない。さすがに街路樹は行政が植えたものであるから、その落ち葉は無料でゴミ収集してくれるという。

落ち葉集めの労力にプラスしてゴミ収集代金まで払うならば街路樹を撤去してくれなんて言う苦情が周りから出るかもしれない。

それにしてもだ。空地や空家の前の落ち葉拾いを一体誰がやるのかと云う問題が残っている。

そのままにしておいたら見た目も悪いから商売人ならば隣の空家も落ち葉の掃除をしなければならない。

これから冬を迎えるが、これが雪ならば・・・。

表側の西2条通りと裏側の東銀座通りは、ロードヒーティングが施設されているから、電気代やガス代が商店街から徴収されているので、お金の問題になるのだが・・・。

商店街に未加入の店舗の分を、加入している店が分担して負担することになるのであろうが、空家数が少なければまだしもだが、空家が増えてきたら負担額が増すことになるだろう。

石油代やガス代が上がっているから、今冬は負担額も増えそうな気配である。コロナ禍で収入が減っている中でダブルパンチである。

さて、会社が終わったら、今度は自宅の前だ・・・


■2021-11-13-Saturday 懐かしい集まり

先日のブログで北の屋台の物故者のことを書いたが・・・

北の屋台1期生の「こころ」の木村武博さん、「らくれっと」の宇佐美明男さんが9月、10月に続けてお亡くなりになった。

私が関わった北の屋台の1・2期生の連絡先が分かっている方々に連絡をしたところ、今度の土曜日の13日に物故者を偲んで一緒に酒でも飲もうやと言うことになった。コロナ感染者数も減ってきて、せっかく稼ぎ時になってきた土曜日に店を休ませて参加してもらうのは酷だし、貸し切りにならない店だと・・・。

北の屋台から独立して「いなり横丁」で店を構えている「オブリガータ」の村上さんの店ならば大きさ的にも最適かもね云うことになり、そこに集まろうと云うことになった。

十勝ではここ数日間はコロナ感染者が一人も出ていないのだが、まだ大勢で集まるのは、少しまずいかもねと言うので、いなり横丁には「やっさん」の安田さんも店を構えているから集まるには都合が良さそうだ。「農屋(みのりや)」の妹尾・片岡・梶山・村上の4人も全員が集合した。

オブリガータはカウンター席だけであるから横並びに座るので唾も掛からないだろうから形状としても最適であろう。

北の屋台の元関係者の貸し切りである。

久し振りに会ってお酒を飲み、1・2期生で物故者となった故人6人を偲んでいたら、20年前の北の屋台創業時の昔話に花が咲いた。

皆が自身の病気の話から始まったが、私も知らなかった当時の店主らのかなり衝撃的な裏話が次々と披露された。貸し切りだから北の屋台の元関係者以外にお客さんは居ないから、遠慮なしでかなりキワドイ裏話を聞かされたのであった。

「へぇ〜そんなことがあったんだ!なぁ〜るほどねぇ〜、今考えると話が繋がるなぁ〜、どうりで・・・」と納得することばかり。

もう過去の話ではあるが興味深くて面白い話であった。

20年前だと、当時の私は若干43歳、皆さんもまだ50歳台であった。「まだまだ若かったから屋台なんてやれたんだよね〜。大変だったけど楽しい思い出だよ」と言う。そう言ってもらえたら企画した本人としてはまことに嬉しい限りである。

ただ、最近亡くなられた2人の葬儀の日程などが、北の屋台の組合から事前に知らされなかったのが残念だったね。新聞で「葬儀終了」の広告で知って葬儀に参列出来なかったのは心残りだったねとの話になった。

北の屋台の卒業生の葬儀の案内を関係者に伝えるシステムが必要だよね。連絡をもらって出席する欠席するの判断は個人個人の判断でも一向に構わないと思うけど、その連絡だけは組合にやってもらいたいよね。との話になった。

そうだよね、北の屋台は人情を売りにしていたのだから・・・。

最後のお別れが出来なかったのはやっぱり寂しいよなぁ〜。


■2021-11-15-Monday どうしても

どうしても朝の5時には目が覚めてしまう。

それも正確にピッタリと5時に目が覚めるのである。

横で寝ている妻を起こしてはイケナイと気を遣って30分間ほどはベッドの中に居るのだが、やがて便意をもよおしてくるのでトイレに起きると気配を察した妻が起きてしまう。最近の朝はずっとそんな感じの繰り返しなのである。

必然的に夜は21時を過ぎると途端に眠たくなって22時には就寝してしまうが、妻は私が寝た後も起きているようだ。健康的な生活と言えばその通りなのであろうが・・・。

これまでは、6時前に犬の散歩に行っていたのだが、ここ数日は急激に日の出の時間が遅くなってしまって、6時だとまだ外が暗いのである。気温も急激に低くなった。散歩道の途中に外気温を表示する掲示盤があるのだが、今朝は0.3℃を表示していた、昨日よりもいきなり5℃も寒くなったと思ったら、帯広でも初雪が降ったと云うから、道理で寒いはずである。

そろそろ自動車のタイヤも、冬用のスタッドレスタイヤに交換しなくてはならない時期である。

もうすっかり冬の気配がしている。

石油価格が高騰しているから、今冬は寒くならないでほしいなぁ〜、それと降雪量も少なくなってほしいなぁ〜。

年を取ってくると寒さや除雪作業が身体に堪えるからなぁ〜。


■2021-11-20-Saturday ホルモンのせい?

2017年に前立腺癌の治療でホルモン療法を受けたが・・・

当初は、同時に治療を受けた最新治療の「陽子線治療」の方が後遺症というのか副反応というのか、そういったものの影響が大きいのではないかと思っていたのだが・・・。

実際に治療を受けてみたら、陽子線治療の方の後遺症はほとんど感じられなかったのであるが、「ホルモン療法(内分泌療法)」の方は後遺症が大きかったのであった。

何度もこのブログに書いているが、ホルモン療法の目的は、前立腺癌のエサになる男性ホルモンのテストステロンをシャットアウトすることである。

結果として身体がかなり女性化してしまったように感じる。筋肉量が減り、脂肪がつきやすくなって太り、オッパイが膨らみ、男性機能は失われてしまった。身体の変化というのもあるが、精神的な部分もかなりの影響を受けているようである。

この2年にもならんとするコロナ禍での政府の過剰な対応の影響もあるのであろうが、大好きな旅行やコンサートや外食、カラオケなどにも行けないから、ストレスが溜まってしまって、気分が鬱鬱としてファイトが湧いてこないのである。

まるで「なにくそ!」という気概が湧いてこないのだ。

ものの本によると、男性ホルモンのテストステロンが減少すると、人間は闘争本能が減退するとのこと。

諦観というのか達観というのだろうか。

性格もおとなしくなってしまったようである。


■2021-11-21-Sunday 美術館・児童会館

帯広の緑ヶ丘公園内にある児童会館で

帯広市中心街の昭和40年代くらいの街並みのジオラマ模型が展示されていると新聞に載っていた。

見に行きたいなぁ〜と思っていたのだったが、先週だったか弟が見に行って、写真をLINEで送ってくれたのをみたら、我が社の昔のサニーデパート時代の模型の姿があった。だが、どうもしっくり来ない、何だか違和感があるのである。よくよく見ると本来の姿とは微妙に異なっているのだ。

写真だけではよく判らないので実際に見に行って確かめてこようと思ったら、今日21日(日)が最終日だと言う。

児童会館の向かい側にある帯広美術館では「水木しげる 魂の漫画展」が開催されている。こちらも見てみたい。

2018年に夫婦旅行で島根県の出雲大社詣でに行った時に、隣県の鳥取県境港市にある「水木しげるロード」や「水木しげる記念館」などを見学したいと足を延ばしたのであった。

私は、昔から「不思議」なモノに興味があって、妖怪とかモンスターとかにも興味があったので水木しげるの「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品はよく読んでいたのである。島根と鳥取は隣の県とは言っても、北海道のスケールからみたらごく近所という感じなのだ。

今回の帯広美術館と境港市の記念館とどんな違いがあるのか見てみたいと思ったのだが、水木しげる展は人気が高いようで、コロナ禍で入場制限が掛かっているようでかなり並ばないと入場出来ないと聞いていたのだ。

並ぶのは嫌いだから、一番空いている時間は昼食時の12:00〜13:00の間であろうと考えて、11:30に家族で出かけて、まずはラーメン屋さんで昼食を取り、13:00に美術館に行くことにした。

この作戦は良かった。おそらく一番空いている時間帯に当たったと思う。それでも10分ほどは並んだが、スムーズに見学することが出来た。

「水木しげる 魂の漫画展」の展示は、境港市の「水木しげる記念館」とは趣も、展示品も異なっており、十分に楽しめる内容であった。

見終わってから、向かいの児童会館に入った。

ここに入るのは何十年振りであろうか?

私は小学生の時に、児童会館の科学クラブに入っていて、フナの解剖だとか天体観測だとかに通っていたし、小学5年生の時には学校行事で一泊の宿泊学習で泊まって、ナイフとフォークのテーブルマナーの講習を受けた記憶がある。そういえば確か、高校1年生の時にも宿泊学習ってのがあって、夜中に窓から抜け出して、緑ヶ丘公園内の野草園と墓地で肝試しをやった記憶もあるなぁ〜。子供が小さい頃に何度か連れて来たことがあるが、もうかれこれ30年ほどは来ていないかも・・・。

久し振りに来てみたら、ジオラマ展のおかげもあるのか、結構な人数の家族連れが来場していたので驚いたのであった。

2階の廊下に展示されていたジオラマを見たが・・・。

帯広市の駅前の中心街や、市役所・厚生病院・市民会館・ヤングセンターなどが、精巧に作られている。だが、どうもシックリ来ないのである。

私は、ここで生まれ育ち、現在もここで仕事をしているから、街並みの記憶はしっかりと残っている。

そのシックリ来ない理由がなんとなく分かった。

どうやらジオラマ模型の建物の時代がある年代に統一されていないのである。ある建物は昭和30年代で、ある建物は昭和40年代,そしてある建物は昭和50年代とバラバラなのである。私の頭の中にある街並みの記憶との微妙な違和感はそこにあったのであった。

我が社の昔の「サニーデパート」の模型も、とても精巧に出来てはいたのだが、ビルの塔屋部分がまったく造られて無い。また看板の大きさも位置もまるで違っている。どうやら街並みを写した昔の写真などを基にしてジオラマを制作したようなのだが、写真に写っていない部分は省いたのか、それとも想像して制作をしたのであろう。

また、街並みの写真の写した角度によっては、路地が写っていないものもあったのだろう。我が社のあった西2条南9丁目東側街区のジオラマ模型には銭湯の伊香保湯に入っていくかなり広めの路地がまったく作られて無かったのだ。

それでも、これだけのジオラマを制作したのは素晴らしい!相当な時間と労力とお金と精神力を必要としたことであろう。感服した!

水木しげる展とジオラマを見て、少年時代の思い出が鮮明に蘇ってきてとても懐かしくなった。

見た後で、雪が積もる前にとお墓参りに行ってきたのであった。


■2021-11-22-Monday やるぞ〜!大道芸を!

2021年11月22日 十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「やるぞ〜!大道芸を!」                      

コロナ禍によって去年と今年の「平原まつり」が2年連続で中止になり、平原まつりのイベントのひとつとして同時に開催していた「大道芸フェスティバル」も中止となった。

「大道芸」の前身はオープン2年目(2002年)の北の屋台の宣伝をするためにチンドン屋、大道芸人、マジシャンなどを招聘(しょうへい)して始めたものであったが、市民からの大好評を得て招聘芸人数が増加、04年からは実行委員会組織にして、以来19年まで18年連続で開催をしてきた。この間、北海道の地方都市では接する機会が少ないトップレベルのパフォーマーたちが集結して、多くの市民に「笑い」と「驚き」と「感動」を届けてきたことで「大道芸」は十勝の夏の風物詩、無くてはならないイベントに成長したと自負している。

平原まつり期間中には、まつりに来場できない高齢者福祉施設などへの慰問や、会場を訪れた来場者向けに体験会やワークショップなども続けたことで、地元にジャグリングクラブが結成されるほど大道芸ファンも増えてきた。

今、エンタメ業界はコロナ禍で大打撃を負っている。特に大道芸はもろにその大波を被ってしまった。ソーシャルディスタンスで他人との距離を1㍍以上開けろとの指導であるから、道路上で隣の観客と肩触れ合う距離でギュッとくっ付いて見てもらうことで盛り上がる大道芸には酷な話である。多くの大道芸人たちがこの2年間演技ができなくて大変に苦労をしている。帯広でイベントをやって、少しでも芸人さんを助けたい、コロナで鬱々(うつうつ)とした市民に元気な笑いと感動を提供したいとの思いからずっと企画を立てていた。

ここ最近、コロナ感染者数は減って来たが、今年はもう気温が低くなって屋外での開催は難しい。あれこれ模索した結果!クリスマスイブの12月24日(金)に帯広市民文化小ホールを確保することができた。と言うか、実は、その日しか空いていなかった。

帯広でもクリスマスイブは家庭で祝う家族が多いであろう。平日の金曜日であるし、学校は2学期の終業式でもある。条件は厳しく観客動員はかなり難しいことが予想される。それでも何とか開催をしたい!と頑張った。

芸人たちとは「クリスマスイブの特別な公演をやろう! サーカス芸と大道芸と音楽をミックスした帯広だけの特別な一夜を市民にプレゼントしよう!」題して「DAY DREAM〜サーカス小屋のクリスマス〜」をやろうじゃないかとなったのである。出演者には5組が決まった。乞うご期待!


■2021-11-24-Wednesday 何だか変だなぁ〜

どうにも調子がよろしくない。

何となく身体も神経も参っているみたいだ。

昨日は勤労感謝の日で休日であるから、会社も休みであったが、火曜日なのに土曜日みたいな感じがしたのである。曜日の感覚もオカシクなっているのかもしれない。

一日中家の中でダラダラと過ごしてしまった。

21時には眠たくなってしまうと前にブログに書いたが、昨晩は北海道ではTVH(7ch)で火曜20:55〜22:00に放送されている「開運!なんでも鑑定団」を見ていて、最後の大皿の値段が分からない内に番組が終了してしまった! みたいに感じたのである。

どうやらプライス発表直前のCM放送中に寝落ちしてしまったみたいなのだ。ハッと気が付いたら番組が終了していたのであった。

早くに寝てしまうから、朝も目覚める時間が早い。5時には目が覚めてしまうが、外はまだ真っ暗だから犬の散歩にも行けない。5時半頃に届く新聞の朝刊を読んで明るくなるまで待っているが、犬は早く出せとワンワン吠える。

カーテンを開けたら、今朝は路面に薄っすらと雪が積もっていた。

6時過ぎには少しずつ空も明るくなってきたので、犬の散歩に出たのだが、犬も足の肉球が冷たいようで、歩き方がなんだかオカシイ。

30分間ほど散歩して家に戻ってくると、雀と鳩と鴉が我が家の屋根に集まっている。鴉や鳩は、私の頭のすぐ上を滑空して自らの存在をアピールする。

妻の実家を整理していて、米びつの中に残っていた3〜4年前の古いお米の処理に困って、庭に巻いてみたら鳥たちが集まってきたのである。

鳥たちも冬になって餌が少なくなっているのであろうなぁ〜。鳥たちは冬眠しないから、これから雪が積もったら餌に困るのであろうなぁ〜。

でも、もう古米も品切れだよ・・・。


■2021-11-27-Saturday 参ったなぁ〜

参ったなぁ〜

90歳の母が入居している施設で夜中に転倒して骨折し、病院に入院することになってしまった。

医者の説明では、股関節にヒビが入っているとのこと。年齢が90歳だから手術をした方が負担が大きいと思われるので、自然にくっつくのを待つ方が良いだろうと言う。高齢者だと骨がくっつくのも遅いから3〜4ヵ月間は掛かると思われる。完治した後にリハビリをやっても車椅子生活になってしまう可能性が高いとのこと。

入院となると生活環境がガラッと変わってしまうし、たった一人で入院させるなんて酷なことである。

しかもコロナ禍であるから、入院しても面会はとても困難になると言う。面会には事前に予約が必要で、更に他の面会希望者との日程調整も必要で、しかもガラス越しでの面会になるとのこと、面会出来る部屋が少ないからなのだそうだ。直接に母の身体に手を触れたりすることは叶わないと言う。

なんということだろう。

十勝では、もう50日近くもコロナ感染者0人が続いているのであるから、もういい加減に通常の体制に戻したらどうなのだろうか?

イライラが募る毎日である。