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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-02-01-Tuesday 返却

1月1〜31日までの1ヵ月間

イオン帯広に貸出し展示していたマジック・ミュージアムの展示品が戻って来た。

目玉は、2021年10月に「開運!なんでも鑑定団」に私が出演した時に出品したオートマタ(自動人形)のミッシェル・ベルトラン作「美人手品師」である。この時に番組がつけた鑑定額が250万円と高額であったから、扱いも慎重で保険まで掛けての運搬や展示であった。

このオートマタは、ゼンマイを巻いて動くのであるが、お客さんには触らせたくないので、人形自体は透明なケースで囲って可動させたり、触らせたりしないようにして、その前方にモニターを置いて、DVDで常に人形の動きを映像で見せる工夫をしたのである。

その他には、マジックを題材にした絵画や見る角度によって絵が動くトリックアートの額などの壁に掛ける「額モノ」が多かったが、トランプなども数点持って行った。また、顔出しパネルなども制作してくれたので子供たちがそこから顔を出してカメラで撮影する家族連れも多かったという。

初日から数日間は、正月の初売りで賑わったし、1月は学校も冬休み期間中であったから、イオンには家族で買い物に訪れる客も多く、結構な人数の人が見てくれたというから、まずまずの成果が上がったのであろう。

イオンの会場では、宣伝用にとマジック・ミュージアムのパンフレットも置いてあった。貸出期間中は休館にしていたのだが、数組の人が、マジック・ミュージアムを見学に訪れてくれるというおまけもあった。

貸出しは初めての試みであったが、壊れる心配や盗難の心配のない展示物であるならば、またこういう展示をやってみても良いかなと思った。

全国の商業施設廻りも有りだが、出来れば全国各地の美術館などで、巡回展示なんて出来たら面白いかもしれないなぁ〜


■2022-02-06-Sunday うなされる!

悪夢ににウナサレテ目が覚める!

学生時代のマジック大失敗の夢である!

寝汗で寝巻がビチャビチャになるほどの忘れたい悪夢なのであるが・・・

あれは大学3年生の20歳の時のことだから、かれこれもう44年も前のことなのに・・・

未だにウナサレルのは何故なんだろう。まだ心のどこかに悔いや未練が残っているのだろうか?

現在も鮮明な映像が夢の中で毎度毎度繰り返されるのだ。

そのシーンとは、1978(昭和53)年の大学3年生時に、渋谷児童会館ホールで開催した「駒澤大学手品奇術研究会(KMC)」の年一度の発表会の場面である。

当時私は、3年生で幹事長(他のクラブの会長職と同じであるが、我がクラブでは何故だか幹事長と云う名称であった)で、発表会の企画・構成・演出を担当していた。

1年前の2年生の頃から、ず〜っと自分の代の発表会の企画を温めてきた。私の当時の未来予想図では、この発表会でマジック界の評判を取って、卒業後にプロマジシャンになる為の足掛かりにしようと目論んでいたのである。

構想は練りに練ってきたし、準備も怠りなく進めてきた。KMCのメンバーもよく練習してくれたし、各演技者や全体のBGMや効果音もピッタリなものが天から降って来た様に見つかり、本番直前までは自信満々の出来栄えであったのだ。

当日は、他大学のマジッククラブの人達も大勢が観に来てくれたし、プロマジシャンも数人が観に来てくれた。更に某テレビ局のプロデューサーも前評判を聞いて見に来てくれたのであった。

私が組み立てた構想は、オープニングと1〜3部の4部立てであった。

まずはオープニングでは巨大なトランプの幕が舞台に出現して観客の度肝を抜き、第一部は「ストーリー性のあるマジック」、第二部は「お化け(モンスター)にマジックを演じさせる趣向」、第三部は「通常のマジック」と云う、当時の学生のマジックとしては画期的な凝った演出であった。

私は、第三部の大トリでマジックの華である「鳩出し」の演技を行う予定であった。得意の「ステッキ」の演技(長い棒状のステッキが出現・消失・変色したりするマジック)と「鳩出し」を組み合わせたオリジナルマジックである。

マジックの師匠であるプロマジシャンのジミー忍師(1943.06.26〜1995.05.11)の指導も受けて、当日のリハーサルまでは完璧な演技で心の余裕まであったのだ。

発表会の本番では、オープニングのカードマジックを演じたI君のスイッチの上下を逆向きに付けるというミスで、ミリオンカード(手の中からトランプが出てくるマジック)でトランプを箱に捨てた途端にトランプが噴水の様に空中に飛び出るスイッチが入ってしまった(本来は演技の最後に箱の中に手を入れてスイッチを下から上にして入れるのに、上下を逆に付けたから箱に捨てたトランプの重みでスイッチが入ってしまった)チョンボがあったが、第一部の「物語性のあるマジック」はまずまずの出来であったし、第二部の「お化けが演じるマジック」は素晴らしい出来であった。特に「雪女」の演技は大評判であった。ステージ脇で見ていた私も涙が出てくるほどの感動作であった。

第三部も、私の前までの3年生3人の演技は良い出来であった。残すはトリの私の演技だけである。

「鳩出し」と云うマジックは、鳩という生き物を扱うマジックである。生き物だけに、狭い箇所に数時間も閉じ込めておくと呼吸困難になって死んでしまうから、セッティングは本番直前に行う必要がある。

それでも、この日は時間的に余裕を持ってセッティングの時間を早めに設定しておいた。万が一のことを考えてのことである。それだけ私は慎重な性格なのである。ところが・・・。

次年度の幹事長で、翌年の発表会で「鳩出し」を演じる予定であるI君に、私のやることを見せておいて勉強させておくことにしたのである。

鳩のセッティングも手伝わせて指導していた。前日の夜には、ジミー師の自宅にも連れて行って私の演技を見学させたのである。

ジミー師からの最終チェックでは、「演技はよろしい!ただ鳩の羽に糞が付いていて汚いから、今晩、羽をキレイに洗っておくように・・・」との指示があった。それを聞いていたI君は・・・

本番直前の鳩のセッティングをしている時に、なんと鳩の羽をチョキチョキとハサミで切り出したのである。

すぐにハサミの音に気が付いた私が「馬鹿野郎!なんてことをするんだ!」とI君を怒鳴りつけたのだが時既に遅しであった。

彼が羽を切った鳩が、出現させてから助手にただ手渡すだけの鳩だったならばまったく問題が無かったのだが、よりにもよって演技中に私が出現させた後に、私がピッと格好よく空中に手放した鳩が3mほど離れた助手の差し出す棒にピタリと止まる様に調教を施してあった一番重要で代替不能な鳩の羽を切ったのであった。

羽を切ったことで、もしも鳩が上手く飛べなくなってしまったら、私の演技の流れが続かなくなってしまう。仕方なく、彼が羽を切った影響の有無の確認をしなければならなくなってしまったのである。

本番直前と云うのは、平常心でいなければならないから、なるべく普段通りの行動をとるというのが、昨今のアスリートの世界でも常識になっている「ルーティン」だというのに・・・。

それを、本番直前になって、いきなり鳩の羽を切り出すなんて・・・

それも演技者である私に一言の相談も無しにだ・・・

いったいなんてことをやらかしてくれるのだ!

調教通りに飛ぶかの確認作業の為にセッティングに数分の遅れが生じてしまった。

舞台隅では、私の代わりに2年生が舞台監督を務めている。その舞台監督代理が、私がまだステージに立ってもいないのに幕を上げてしまったのであった・・・。

第三部での演技を終えた3年生がすぐに幕を降ろさせた。

私の助手を務めているのは1年生の女性二人である。彼女らの経験はまだ浅いというよりも初めて立つ舞台なのである。

普段は冷静な私であるがこの時ばかりは少々慌てた!

セッティングを終えた私が足早に舞台に板付き(幕の後ろに立った状態)になったのだが、舞台中央に出る時に、球状に丸めてズボンのポケットに入れてあるスカーフを舞台袖に落としてしまったことに気が付かなかったのである。いつもなら舞台上で最終確認をしてから幕が上がる手筈だったのだが・・・、この時は、もう皆がバタバタしている。

再び幕が開いて、気を取り直して演技を開始したのであったが・・・

演技の前半部分で(落としてしまったスカーフが重要な役割りを持っている)そのスカーフが無いことに途中で気が付いた。

すぐに、助手の女の子にヒソヒソ声で「演技の順番を変えるからな・・・」と耳打ちしたのであったが・・・。

それまでに、私は一度もこの鳩出しの演技は練習でも失敗したことが無かったから、助手たちは初めて遭遇する緊急事態に慌てふためいてしまったのである。私の失敗のない同じ演技の助手しか務めたことがない経験が浅い1年生の女の子に、急に本番の舞台上でこれまでとはまったく違うことに即座に対応しろというのが、どだい無理な話であった。

リハーサルまでは完璧で余裕すらあった私の演技は、最悪のバタバタ、ドタバタな演技で終わったのであった。

当然ながら、私の演技の評価は最低なものであった。終演後にはまさに茫然自失であった。

これまでに築き上げてきたモノがガラガラと音を立てて崩れていった瞬間であった。

自信喪失。しばらくは立ち直ることができなかった。

結局この発表会での大失敗が、プロマジシャン断念の引き金になったのであった。

大学卒業後も、しばらくこの発表会の大失敗のことは思い出したくもなかったから口にもしてこなかったのだが、数年前に開催されたKMCの同窓会の時に初めて同僚らにも真相を話したのであった。

ジミー師の奥様のマコさんとI君にも同時に話したのだが・・・、I君いわくは『発表会の前夜にジミー師宅を訪問した際に、ジミー師から「鳩の羽を切れ」と言われたでしょう?』と言う。マコさんいわくは「先生が鳩の羽を切れなんて言う訳がないでしょう。鳩の羽をキレイにしろとは言ったけれど・・・」と言うではないか!

「鳩の羽をキレイに・・・」が、いつの間にやら「鳩の羽を切れ・・・」になって、演技者の承諾もなしに本番直前に羽を切ったのか?

(たとえ「羽を切れ!」と言われたのだと思ったとしても、リハーサルの段階で言えよな!本番直前に断りも無しにきいきなりハサミで羽を切るなんて非常識極まりないだろうに・・・)

改めてI君には呆れてしまう。こんなことで私のプロマジシャンへの道が絶たれてしまったのかと思うと・・・。

きっと、これがいまでも未練となって、悪夢となって時々襲ってくるのであろうなぁ〜。


■2022-02-09-Wednesday まだ続けるの?

コロナ感染者数の報道が続いているが

こんなバカなことを一体いつまで続けるつもりなんだろうか?

もういい加減にしてくれよな!

ウィルスの特性からは、オミクロン株は弱毒化していて感染しても重症化はほとんどしないはずだろうに?

テレビでは、死亡者数も増えているからまだまだ注意しなければならないと言ってマンボウを続けろと言うが、感染者数が増えれば、死亡者数も増えるのは常識だろう?どんな病気だって同じことだろうに?

逆に、分母が増えるのだから、重症者の%は減るはずだから重症化率は下がる。

元々体力に自信のない病弱な人は風邪に罹ることだって恐れているだろうから、コロナ禍以前にだってマスクをしていただろうし、手洗いだってしていただろう。それでも罹る時は罹るのだ。

なにも全国民が、こんなたかが風邪にこれほどの恐怖心を持つ必要なんてないだろうに・・・。メディアの「コロナ怖い」のイメージ戦略が効きすぎたのだ。

早く普段の生活に戻さないと、今年は飲食、観光、運輸などの企業の倒産や廃業が雪崩をうったように広がるぞ!そうなったら、それ以外の業種だって少なからず影響があるのだから、連鎖して大不況が襲ってくるぞ!

2022年2月7日発表の、死亡者の年齢別・男女別棒線グラフを見たら、死亡者のほとんどが60歳以上で、女性に比べて男性が多いというのが一目りょう然である。40歳未満にはほとんど死亡者がいなくて、若年層はゼロである。そうりゃぁそうだろうな。これは自然の摂理だ。

高齢者で体力が無い人は風邪に罹ったって死ぬときゃ死ぬんだよ!

しかも高齢者の死亡者の大半が2回のワクチン接種済み者なのだから、ワクチンを2回以上打ったら重症化しないなんてのはまるでインチキな話である。

それなのに、3回目のワクチン接種を盛んに勧める政府っては、いったい何を根拠に3回目の接種を奨励しているのであろうか?高熱を出したり倦怠感に襲われたり、あげくに死んでしまう危険性もある副反応の方がよっぽど怖いと思うよ!

まさか在庫一掃セールだなんてことはないよな?


■2022-02-17-Thursday 断捨離その一

捨てられない人!

それが私であった!だが・・・

遂に整理を始めたのである。

まずは、帯広百年記念館の学芸員に「寄贈したいものがあるから一度下見に来て欲しい」と電話をしたら、早速に今日の午前中に男女2名の学芸員が会社を訪問した。

何でも集める癖と、捨てられない癖。それ故に通称「坂本コレクション」は膨大な範疇と量に渡っている。

私の父も似た様な性格であった。

十勝の古い文献や資料が大量に書庫に仕舞ってあった。

そこに更に、私が「坂本家の歴史」やら「北の屋台」の本を書く為やらに資料として、地元の古本屋から十勝関係の資料や書籍や古地図などをたくさん購入していたのだ。

父と私との違いは、読書が大好きと云うことと、文献や資料を調べて文章を書くことが趣味と云うことである。父はただ集めるだけであった。

古地図の中には、明治時代に北海道の形をまだ「絵」で表現していた明治20年に政府の内務省地理局が初めて本格的に正確な測量をして制作した「改正北海道全図」などの貴重な地図も含まれている。

地図と云うモノは、普段は小さく折り畳まれていて、見る時には広げるから折り目や折り目の角が痛み易い。

私が入手した古地図は、保存状態がとても良かったから破れなどは全く無かったので、購入してすぐに額装を施して坂本商事の店舗内に展示しておいた。この地図は広げると縦145×横185㎝のとても大きな地図なのであるが、地元の額縁屋さんに依頼して特注で額縁を造ってもらい額装したものである。地図の購入価格もかなり高額であったが、額装の値段は更にその3倍もの費用が掛かったのであった。

その他にも、明治26年の「改正増訂北海道新図」もある。

祖父の勝が山梨からどの様にして十勝入りしたのか、またその掛かった移動費用は一体いくらだったのかを調べる為に購入した明治37年版の「北海道渡航案内図」がある。

祖父の勝が2度目に来道した年代が明治37年であったから、札幌の古書店でちょうどこの同じ年に発行された渡航案内図の地図を見つけた時には歓喜したのを憶えている。これには当時の汽車賃や船賃などの値段や移住者割引料金なども全部載っているとても貴重な資料なのである。

その外には、帯広市中心街の変遷を調べる為に購入した、店舗や住宅などの名前が載っている「帯広市街全図」が年代毎に多数ある。「昭和4年6月7日版」、「昭和6年12月18日版」、「昭和27年版」、「昭和31年版」、「昭和32年版」を購入し全てを額装してある。この「帯広市街全図」の裏面には会社の広告が載っているので、両面が見られる様に特殊な形の額装をしてもらってある。

また、昭和5年版の「帯広を中心とせる十勝景勝大観」という横長の鳥観図も両面が見られるように額装してもらってある。

今日、下見に来た帯広百年記念館の学芸員も「折り畳んだ状態の地図は多いのだが、拡げた状態でこれだけ立派な特注の額装を施した地図は少ない」と驚いていた。

全て、同じ額縁屋さんで額装したから、統一性もあるので、来年度の開拓140年展の展示をするには最高の地図であろうと思う。

果たして、百年記念館で私の寄贈を受け付けてくれるであろうか?


■2022-02-18-Friday 断捨離その二

昨日の午後に「北の屋台」の事務局長と事務員が来社した。

断捨離の第二弾として、私が集めた「屋台」関係の資料や、私が書いた文献や、私が撮影した写真やらを組合に寄贈すると電話したからである。

とにかく、私は捨てられない性分であるし、とにかく集めたい性分なのである。

「北の屋台」の前身として、1995年に開始した「国際環境大学構想」や96年から開始した「十勝環境ラボラトリー(TKL)2006.12.31解散」の資料なども全て保存してあるが、今回は1999年から開始した「北の屋台」関係の資料だけでも段ボールの7〜8個はあるであろうから、まずとりあえずはその「北の屋台」の分だけでも持って行って貰うことにしたのである。

17日の午後から北の屋台の事務局2名の訪問を受けて、運び出してもらった。

私が書いた文献や資料、私が撮影した写真などは、これまで私がずっと所持をしていたのである。

北の屋台の組合事務所(北の起業広場協同組合)は、私の卒業と同時に2007年に坂本ビルから別の場所に移転したのだが、事務所が狭くなるからとの理由でこれらのモノは不要物という扱いであった。

私が「北の屋台」を卒業したのは2007年3月末日であるから、もう15年にもなるのだなぁ〜。1999〜2007年の間の8年分の資料だけでも大量にある。

私も卒業してからはしばらくは、「観光カリスマ」としての講演やら視察やらへの対応があったから、これらの資料は捨てずに保存し活用していたのである。

今回、改めて整理をしてみたら「北の屋台」のことを紹介してくれた新聞の切り抜きや雑誌、政府系の省庁が発行する書籍やら、大学や企業などの発刊する書籍や研究論文などが百数十冊も出て来たのである。こんなにも沢山の文献で紹介されていたのかと驚いたし、よく保存をしていたものだと我ながら呆れてしまった。

この他にも会社の書庫に保存していた「屋台」研究の為に購入した書籍なども事務局員に気前よく差し上げたのであった。

私が卒業してから、北の屋台の事務所に入所した現在の事務局長は、まだ私の話を聞きに来たことがない。「北の屋台」の解説を視察に来た人たちに説明するのには、きっとこれらの資料が役立つことだと思う。

ぜひ活用してもらいたいものであるし、私のところに設立の経緯話を聞きに来てもらいたいと思う。


■2022-02-21-Monday まちの声

21日の十勝毎日新聞の「まちの声」欄に

読者の投稿が掲載されていたが・・・

勝毎を購読していない方の為に、その内容を以下(『 』内)に転載する。

『「募集」だらけの平原通に寂しさ:平原通(帯広駅北の西2条通)のビルが売却を検討しているという記事が出ていました。平原通では既に売却されたビルがあり、売却を検討しているビルも多数あると聞いています。ビルの窓には「テナント募集」の張り紙だらけです。帯広のメインストリートが寂れていくさまは悲惨です。コロナ禍の影響もあると思いますが、原因の一つとして旧北洋銀行帯広ビル跡地(西2南9)にいまだに建物がないことも考えられます。ここが公園や道の駅のような市民や観光客が集う場になれば、少しはにぎわうのではないでしょうか。中心街活性化を期待され、医療法人が取得した場所です。そこが活用できないのであれば、帯広市が本腰を入れて取り組めば平原通は生き返ると思うのですが。(帯広市、飲食店経営・57歳)』

この投稿の初めの箇所の「ビルが売却を検討している記事」と云うのは、1月24日の勝毎1面に「坂本ビル売却検討 コロナ禍影響 テナント誘致は継続」と云う見出しでデカデカと掲載された我が社の記事を指しているのであろうが・・・。

いやはや・・・

今や、デパートの「西武・そごう」が売却されるご時世であるしなぁ〜。

この「コロナ禍」と云う奴がこうも長く(人為的に)続けられては、テナント誘致なんてまるでお話にもならない。政府が商売の邪魔をしながら、一方ではバラマキをやってお茶を濁しているが、我が社のようなテナントさんに入ってもらってなんぼと云う企業には恩恵はまるでないどころか、手の打ち様がない最悪の状況なのだ。

だが、ことは帯広だけの問題ではなく、日本全体が大不況に陥る危険性が大であると感じている。

それにしてもだ。

この投稿者が書いた後半部分の「医療法人が取得した旧北洋銀行帯広ビル跡地」と云うのは我が社の真向かいの空地なのであるが、2012年の4月末の解体終了時から、今日までずっ〜と空地のままの状態なのだ。

解体した当時の、土地購入の入札では、数社が土地利用方法のコンペに応募して、その結果医療法人が安価で落札した。

当時の新聞記事には『帯広市西2南9の旧北洋帯広ビルの跡地売却に関し、道内企業を中心に購入希望者を募っていた北洋銀行は11日までに、医療法人社団博愛会(市内西23南2、細川吉博理事長)を売却先に決定した。同行などによると、博愛会の構想は地上9階、地下1階建ての複合ビルで、総事業費は20億円程度を見込む。・・・』とある。

期待していたのに、10年間も放ったらかしなのだ。駐車場にするでもなく。砂利敷のままで砂埃が舞って・・・。以前は夏に数日間だけのビール園みたいなことをやってお茶を濁していたのだが、それとても近所の飲食業社の客を奪うような行為であった。冬には面する平原通(南北の道)もアッピアロード(東西の道)もまったく除雪もしないから人が歩けない状態だし・・・。

最近は、馬車の置き場になっているだけである。

ここ十数年で西2条南9丁目の土地の評価額は下がる一方だ。それよりなにより、この医療法人の代表は「市街地活性化」の組織の長も務めている人物なのである。少しは責任感ってものを持って活動して欲しいものだなぁ。


■2022-02-22-Tuesday 西郷輝彦死去

歌手で俳優の西郷輝彦(75)が

20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。

「前立腺癌」は私と同じ病名であるから、前立腺癌で死亡という記事やニュースを見るととても気になってしまう。

記事によると

『西郷さんは2011年に前立腺がんが判明。「周囲に迷惑をかけたくない」との意向で事務所関係者にも伝えず、前立腺の全摘出手術を受けた。6年後の2017年11月に背中に激痛が走り、検査をしたところ、医師から告げられたのは非情の宣告。「骨への転移」だった。あまりの進行の速さに、主治医は緩和ケアをすすめたが、西郷さんは完治を諦めず、積極的な治療を選んだ。深刻な体調不良でも単独ライブに立ち続けたが、医師と相談した上で治療を最優先するために活動を一時休止した。ホルモン治療、放射線、抗がん剤治療を14回受けるなど治療を続けたが、コロナ禍に受けた検査で前立腺がんのマーカーであるPSA(前立腺特異抗原)値が上昇。2021年5月、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんと公表し、シドニーの病院で日本では未承認の先端治療を受けるために妻と渡豪した。』とある。

前立腺の全摘出手術を受けたのならば、普通は再発しないものなのに・・・。きっと発見時には既に転移をしていたのであろうなぁ〜。

私は、治療を受けた札幌の北大病院の医師からは、術後10年間の生存率98%を保証すると言われてはいるのだが、このコロナ禍で定期検診が遅れがちて少々心配なのである。私も西郷輝彦と同じように背中に痛みを感じるからだ。

たかが風邪に毛の生えたような症状のコロナの為に、その他の病気の患者が満足な治療やケアを受けられていない。

コロナであろうが癌であろうが、緊急性を要する心筋梗塞であろうが、どれも同じ生命なのに・・・。どこかがオカシイ! なぜにコロナ、コロナと大騒ぎするのかと日本国民は思わないのであろうかなぁ?


■2022-02-23-Wednesday 世の中には・・・

世の中には面白いことを考える人がいるもんだ!

「コロナ禍が陰謀だ!」と云う、所謂「陰謀論」は、これまでにも何度も聞いたことがあるのだが、その中でも今回のは・・・。

コロナ禍は人類抹殺計画の為の細菌兵器であるが、現在流行っている変異種のオミクロン株は、その中でも仕上げに当たるものであると言うのである。

これまでのデルタ株みたいな中途半端な強毒性では、人類抹殺は世界中合わせてでもせいぜいが何十万人規模でしかなかった。

今回のオミクロン株は、デルタ株よりもかなり弱毒化しているが、その分感染力が増しているという。

弱毒化しているならば、死亡者数も減るのではないかと思うのが普通であるが、逆に死亡者数は増えている。これは単純に、感染者数が増えているから、その分、相対的に死亡者数も増えるのだと思っていたのだが、実はさに非ず。

死亡者の年齢を調べたら、70〜90歳以上の人で、しかも2回のワクチン接種を済ませた人ばかりが死んでいるのだと言う。

そう言われれば、確かに、テレビのニュースでクラスターが発生しているのは高齢者施設が多い。高齢者施設の入居者はそれこそ優先的にワクチンの接種を済ませている人ばかりであるよなぁ〜。

2回以上の接種をしていてもコロナには感染はするのだが、重症化はしずらいとは以前から聞いてはいたのだが・・・。

政府は予防策として3回目の接種を勧めているが・・・。

これは、ワクチンを接種すると、弱毒化したコロナウィルスでも感染したら肺炎などの重症化をすることなく、ワクチンが身体の中で悪さをして感染者を死亡させる作用があるのだと言うのである。

自然界のウィルスの特性としては、やがて弱毒化していき宿主と共生するように変異していくものであるのだが、人類抹殺を狙う連中は、それを逆手に取って、弱毒化していっても摂取したワクチンがウィルスと反応をして宿主を殺してしまう作用をするように、あらかじめワクチンをデザインしてあるのだと言うのだ。

つまり、ワクチンを打った人間の方が、打っていない人間よりも死ぬ危険性が高くなると言うのである。

オミクロン株はワクチン接種を3回済ませたら重症化しないとの触れ込みに安心し、規制や自粛続きで、もう疲れたと感じた人達が、オミクロン株を弱毒化したからと軽視して、感染者数が市中に増えると、その分、弱毒化したコロナウィルスでも大勢の人類を抹殺できる計画なのだということのようだ。

既に、地球上の全人類70億人の60%程度はワクチンを1回は接種していると言う。つまり計算上は42億人を殺せる可能性があると言う。それでも、人間にはもともと頑強で丈夫な人も大勢居るから、その丈夫な人達にはワクチンを何度も何度も打たせようとしているのだと言う。

更に、5〜11歳への子どもにまでワクチン接種を勧め出した。

陰謀を企む者たちは、もっと多くの人類を殺さなければならないらしい。

いくらなんでもそんなバカなことはしないだろうし、そんな都合の良いワクチンをこんな短期間で設計できる訳がないと思うよと言ったら・・・。

陰謀論には限りがなくて、これは2019年にウィルスのバラまきが実行されただけであって、計画はかなり以前から周到に練られていたのだそうだ。

フ〜ン。

次から次へと面白いこと考えるねぇ〜。


■2022-02-24-Thursday ウクライナ侵攻

ロシアがウクライナに侵攻した!

なんと愚かな!

プーチンの野郎!一体何を考えているんだ!

あぁそれなのに、所謂西側諸国らは、傍観を決め込んだみたいである。

こんなバカな行為を見て見ぬふりをしたのならば、中国や北朝鮮が同じ様に、台湾や韓国に攻め入る口実を与えるようなものである。

第二次世界大戦の時も、ヒトラーのドイツがポーランドに電撃的に侵攻した際も、同じ様に弱腰の政治家どもは日和見を決め込んだから、その後ヒトラーは味をしめてヨーロッパ各地へと侵攻を拡大したのだ。

イギリスのチャーチルが、断固とした侵攻反対を唱えなければ・・・、世界は一体どうなっていたのか?

国連と云う組織も、まったく無力だ。国連なんてのは、オカシナ誤訳であっていまだに「戦勝国連合」なのである。

常任理事国の内の一国が拒否権を発動したら、何も出来ないなんて・・・

結局、常任理事国のロシアや中国自体が侵略をしたならば、国連は何も出来ないではないか!

これから世界はどんな状況になっていくのであろうか?


■2022-02-27-Sunday 古絵葉書

帯広百年記念館の学芸員が

17日に我が社を訪問したことは書いたが、その時に、我が家の歴史を話している時に「帯広の古い絵葉書に坂本勝玉堂が写っているモノを集めていたのだが、現在地の西2条南9丁目のモノは何点か見つけたけれども、明治38年に最初に池田利別から帯広に移住して来た西2条南4丁目20番地の絵葉書はまだ見たことがない。筋向かいの宮本商産さんのレンガ造りの建物から南側を写したモノは何点も見たことがあるけれども、北側を写した写真ってのはないのかねぇ〜」

と言ったら「私、見たことありますよ!宮本富次郎商店(西2条南5丁目1番地)が建築された大正8年頃に宮本富次郎商店の屋上から北東方向を撮影したと思しき角度の絵葉書が当館の資料に有ったと記憶しています。探してみますね」と言ってくれたのであった。それが、今日、その映像が送られてきたのである。

私が初めて見る絵葉書の写真であった。おそらくは父も見たことがなかったであろう。

さっそくPCでA4版の写真用光沢紙に拡大プリントしてみた。

推定撮影年は、宮本富次郎商店の建築年である大正8(1919)年〜大正14(1925)年に現在地に移転する間に撮影された写真であろうと推察できる。

店舗の東側の住宅部分と思しき軒先には大根が干してあるのが写っているから季節は秋であろう。

店には「坂本勝玉堂印舗」「十勝石細工」「引札 柱暦 ゴム印 彫刻 団扇 扇子」(一部解読不能)などの看板が掲げられてある。

とてもウキウキしてきた。

勝玉堂の後方には白い3階建ての大きな謎の建物が写っていた。

このような大きな特徴的な建物の写真ならば、帯広の街の写真集で見たことがあるはずなのに、まったく記憶にない建物なのである。

こうなると俄然、私の「調査」する癖が疼いてくるのだ。

書庫にある帯広市の古い写真集を7冊ほどくまなく調べて見たのだが、同じ建物の写真がひとつも載っていないのだ。ただとても似た様な建物の写真が1枚あった。

こうなると答えが見つかるまで調べないと気が済まなくなってしまう。

その似た様な建物は、芝居小屋や映画館の「千代田館」という建物であった。ただし、所在地が大通6丁目とあるので写真の角度的には映るはずがないから違う建物である。

次に、写真集ではなく帯広の歴史を書いた本を引っ張り出してきた。これらの書籍は「北の屋台」をやるときと「坂本家の歴史」を書く為に帯広の街の歴史の勉強をしようと思って古本屋を巡って買い集めた本である。

芝居小屋に「朝倉座」や寄席の「帯広亭」というのがあったとはあるが、所在地が載っていない。この朝倉座が焼けて大通6丁目に「陽気館」として誕生し更に「千代田館」と改名して新築されたとある。

大正7年に西1条南4丁目に活動常設館「神田館」が生まれたとある。

あった これだ!

おそらく、千代田館はこの神田館を模して建てられたのではないだろうか?(その逆かも)それなら似ているのもうなずけると推測した。

住所的にも西1条南4丁目ならピッタリ合っている。ようやくこれが正しいと思う結論までに至った。

因みに、この「神田館」は後に「美満寿館(ミマス館)」と名称が変わるのであるが、ミマス館なら私が高校生時代にはストリップをかけていた劇場なのだが、建物の外観はまるでこの写真とは異なっている。

こういう謎解きってのはとても面白いものであるなぁ〜。


■2022-02-28-Monday 誤算?

ロシアのウクライナへの侵攻は

プーチンの誤算に終わるのではないだろうか?

プーチンは電撃的な進攻によって短期間でウクライナが降伏すると踏んでいたのであろうなぁ〜。

それがウクライナの思わぬ抵抗と世界中からは敵視される事態に陥ってしまった。

ロシアの国民にしたって、兵士にしたって、ウクライナは同胞であるのだから、誰も親類の様な人々を殺したいなんて思わないだろう。

兵士にしても、元々、嫌な命令であったのだろう。ただ、上からの命令に従わなければ軍法会議で処分されてしまうから、嫌々従うしかなかったのであろうなぁ。

おそらくロシア軍の兵士達も「ウクライナよ犠牲者が少ない内に早く降伏してくれ」と願っての侵攻だったのではないだろうか?

それなのに、ウクライナ国民は抵抗を続けている。プーチンにしてみれば長期化は望まないところであったのに・・・。

世界中からロシアへの非難が殺到しているが、この世界中からの非難に一番ビビったのは中国であったろう。中国がロシアを過剰に擁護したら中国の立場もまずくなると考えたのであろう。かなり腰が引けてきたように感じるけどなぁ。

ロシア国民からのプーチン批判も増えてきた。「戦争反対」のデモがロシア国内でもかなり増えてきているようだ。政府への抵抗者の人数が圧倒的に増え過ぎたら刑務所への収容もままならなくなる。ロシア国民も頑張れ!

ここに世界中の経済制裁が効果を出し始めた。ロシアの通貨のルーブルが史上最低価格になった。ロシア政府が各国の主要銀行に預けてある外貨準備金も封鎖されようとしている。こうなるとロシアは極端な物不足になるし、貨幣価値が急激に下落するからものすごいインフレが起きるであろう。ルーブルの現金はただの紙屑になるし、カード決済も困難になっていく。世界経済は繋がっているのだから・・・、制裁を科す側の西側諸国も経済的に打撃は受けるであろう。日本だって石油価格の暴騰やら物価の上昇は避けられないであろうなぁ。

しかし、ここは頑張りどころだ!

史上初めて、武器に依る戦いではなくて、経済制裁や世論によって、戦争を止められるかもしれない。

そうなったらロシア国民がプーチンを見放すことになるかもしれない。昔から暴動の原因は食料不足なのだから・・・。

ニュース映像を見ているとプーチンの脳みそになんらかの障害が生じているのかもしれないなぁと感じる。尋常な思考ではないよ!何か脳みそに影響を与える病気に罹っているのではないのだろうか?

そうなると、核のボタンを押してしまう危険性もあるなぁ〜。

ロシア軍の司令官も何やらプーチンの核に対する命令には不服そうな顔付きだったように見えたけどね・・・。

ただ一人プーチンにヘツラッテいるのはベラルーシのルカシェンコ大統領だけみたいに感じるけどなぁ〜。

誰かが早くプーチンを押さえないと・・・・・・・・・・!

思い通りにいかないからと、不機嫌になって暴発する可能性もあるかもしれない。彼は尋常じゃない。