3月5日のこのブログで論評した「エブリシング エブリウェア オール アット ワンス」(以下エブエブと略)が主要8部門の内の6部門(作品・監督・主演女優・助演男優・助演女優・脚本)を獲得した。獲得出来なかったのは脚色賞(ウーマン トーキング)と主演男優賞では「ザ・ホエール」のブレンダン・フレイザー(ハムナムトラに出ていた男優)(帯広では上映されていないがテレビで見たら体重200㎏超の肥満男性を特殊メイクで演じたらしい)(表彰式を見たらブレンダンはかなり太っていたが・・・)。
その私のブログでは「エブエブ」には「私にはついていけない」と書いたが、アカデミー賞をこれだけ獲得したと聞いても、その感想は少しも変わっていない。
ここ最近のアメリカの映画界は、人種差別、男女差別、LGBTQなどに過剰に反応し過ぎていやしないか?
映画の中に、黒人やアジア系の俳優を何%か使わなくてはならないとか、登場人物の設定にLGBTQの人を入れるとかの配慮をすることで、ストーリーにかなり無理が出ているように感じる。何だか批判を避ける為に無理矢理に詰め込んだ感がするのだ。
まぁ、どのみち映画は虚構の世界であるのだから荒唐無稽でも一向に構わないのであろうとは思うが、ノンフィクション系の映画にまで、それを求めてしまったら映画が成り立たなくなってしまう懸念があるのではないだろうか?
その傾向は何も新しい映画だけではないようである。
ディズニーの「南部の唄」という作品は、奴隷制があった頃を描いた作品でルイ・アームストロング(サッチモ)が奴隷の老人役を演じ、アニメーションと実写を融合させた作品であるが、これにもクレームがついたのか、つかなかったのかは知らないが、ディズニーランドのアトラクション「スプラッシュ マウンテン」の設定変更をするらしいではないか。自主規制ってやつなのかなぁ~。
時代に合わないからと過去の作品にまで、オカシナ影響を与えるのだとしたら、タリバン(だったかな?)が貴重な仏像を破壊した行為を責めることなど出来ないだろう。五十歩百歩の行為であろう。
他人を慮るあまりに、作品に規制を掛けてしまうのは芸術を破壊する行為である。芸術作品を見て不快感を感じる人が一人でも居たら、その作品の公開はダメなのか?
芸術の幅を自ら狭める愚行であると思う。
私は「エブエブ」は理解出来ないが、それを評価する人たちを否定しはしない。そういう考え方、見方もあるのだなぁと思うだけである。
私も差別反対であるが、区別はあって然りであろう。
世界中で寛容性が失われている。