沿革
大正14年頃の帯広(帯広町西2条南9丁目16〜20番地)の町並み。
左端の店舗が坂本勝玉堂。(現在の藤丸側から坂本ビルの方角(南南東)を写した写真)
1886 : 明治19年
09月01日 |
坂本勝(初代)(山梨県北巨摩郡安都玉村四十六番戸の坂本繁八・かめのの長男)が誕生する |
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1901 : 34年 | 勝14歳の時に下見の為に単身渡道し十勝を視察(大津より十勝川を遡り利別へ入る)する |
1903 : 36年 | 勝16歳の時に利別に居た同郷の「カネヨ佐藤喜与丸商店」(金物屋)に寄寓する |
1904 : 37年 |
北海道中川郡凋寒村大字凋寒村字利別太大通六丁目十九番地にて印判店坂本勝玉堂を開業する |
1905 : 38年 |
鉄道の開通にともない帯広町西2条南4丁目20番地に移転する(印判・十勝石細工・団扇・カレンダー等の製造販売) |
1925 : 大正14年 | 帯広町西2条南9丁目16番地(諏訪鹿三河西支庁長の本宅跡を三戸分購入)に移転する |
1927 : 昭和02年
07月25日 |
坂本圭司(二代目)が誕生する |
昭和3年頃の坂本勝玉堂
(写真中央で自動車のおもちゃに乗っているのが二代目社長の圭司一歳)
1950 : 25年 | 帯広市西2条南9丁目18番地にてダンスホール坂本会館を開業する |
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1951 : 26年 | 坂本勝玉堂併営で坂本洋装店を開業 |
1953 : 28年 |
坂本勝(初代)が死去する(享年68歳) |
1954 : 29年 |
圭司が勝玉堂・洋装店・会館を法人化して坂本商事株式会社(資本金300万円)を設立する |
1958 : 33年 |
坂本和昭(三代目)が誕生する |
1959 : 34年 | 圭司が勝玉堂・洋装店・会館を法人化して坂本商事株式会社(資本金300万円)を設立する |
1962 : 37年 |
喫茶ビーナスを廃業し、アサヒビアホールを開業する |
1967 : 42年 |
夜間にダンスホールから火災が発生し全焼する。仮設店舗(16番地)で土産品の販売と駐車場(18番地)の営業をする |
1968 : 43年 |
坂本ビル株式会社(資本金2000万円)を設立し、ビルの工事を開始、坂本商事の仮営業地を西2条南9丁目4番地に移転する |
1969 : 44年 |
寄合百貨店「サニーデパート」(地下1階、地上7階建)として開業する。商事部門は同ビル地階に本店・帯広駅と帯広空港に支店を置く |
1970 : 45年 |
ビル会社の資本金を3000万円に増資する |
1971 : 46年 |
ビル会社の資本金を4000万円に増資する |
1973 : 48年 |
商事会社の資本金を600万円に増資し、店舗を4階に移転する |
1977 : 52年 | 商事の店舗を1階に移転する |
1980 : 55年 |
和昭が坂本ビル梶E坂本商事鰍ノ入社し専務取締役に就任する |
10月 | 商事会社の資本金を1200万円に増資する |
1992 : 平成04年 |
圭司(二代目)が死去する(享年66歳) |
05月09日 | 和昭(三代目)が坂本ビル梶E坂本商事鰍フ代表取締役社長に就任する |
2001 : 13年 |
北の屋台(帯広市西1条南10丁目7)の開業に和昭が専務理事として関わる。 |
2005 : 17年 |
和昭が「観光カリスマ百選」に選定される |
07月29日 | 和昭が「北の屋台繁盛記」(メタブレーン社刊)を出版する |
2006 : 18年 |
坂本ビル4階に「シニア ケア ショップ パーム」を開業する |