吉野家の牛丼を食べてしまう。
一人だけで出張すると、名前の通った良い店には入れないものである。連れがいないと一人では格式の高い店には入りにくいのだ(中には一人客お断りの店もある)。正しい食事というのはやはり複数でするものなのである。
朝食はホテルでとるが、昼食は外食になることが多い。そんな時に一人で入っても苦にならないのは、蕎麦屋かラーメン屋か牛丼屋ということになる。地方に行って名前を聞いたことの無い蕎麦屋やラーメン屋で食事をするのは勇気(?)のいることだ。普段から食べ慣れていない味のものはとても不味く(味覚は主観である)感じてしまうからである。時にはインスタント麺よりも不味く感じる店にあたることだってあるからである。そんな時に「とても喰えねえ〜!」と残して店を出るのは店主に悪いと思っているのだ。だが、不味い(不味く感じる)のを我慢して食べるのはもっと辛いことである。
そんな時には吉野家の牛丼を重宝している。何処にでも在るし、値段も味も一緒だからある意味では安心だからだ。だが、一人で食べているととても侘しくなってくる。なんで俺はこんなところで一人で喰っているのだろう。なんで新しい店にチャレンジしてみないのだろうかといつも食べながら思うのである。
昨日も有楽町で吉野家の牛丼を一人寂しく食べたのだ。牛丼の並と生卵とお新香で520円であった。今時、この値段でお腹が一杯になるものはそう多くはない。カウンターで注文したら「ご注文を繰り返します」という店員の発音がなんだかおかしい。名札をみたら働いている人たちは皆、中国人であった。東京の飲食店では外国人のバイトが多いようである。外国人の給料は日本人よりも安いのだろうか?それとも最近の日本人の若者はこの種のバイトもやらないのであろうか?
色々な店を覗いて見るのも社会を見るうえでは重要だと自分に言い聞かせては、また吉野家に入る。でも、今度出張する時には「奢ってあげるから一緒に食事しようよ」と道行く女性に声でも掛けてみようか。でも「この人変なんです!」と警察に訴えられたりしたら困るから止めておこう。そうだ!出張先の上手い蕎麦屋やラーメン屋を予めネットで調べておけば良いのだ。
一昨日の夜も「観光庁発足記念」のパーティが終わったのは20:00であった。一人で居酒屋に飲みに行くのも、ホテルの部屋で一人寂しく飲むのも嫌だし、まだ時間も早いから、大学時代の同級生に電話して呼び出し、一緒に飲んでもらった。
人間は楽しく飲食をするのがなによりも嬉しいものなのである。