林真須美被告に死刑の判決が下されたのだが、これは難しい裁判である。もうすぐ始まる裁判員制度でこんな事件を担当させられたらその人は相当判断に苦しむだろう。ノイローゼになる人だって出るかもしれない。何故、素人にこんなややこやしい判断をさせようといううのだろうか?まったくもって理解できない。
それにしても自白もなく、動機も不明で直接的な証拠はなしで、状況証拠だけで死刑判決である。はたして冤罪の可能性はないのだろうか?
裁判の原則は「推定無罪」である。限りなく黒に近い灰色でも無罪にしなければならない筈なのに、日本の裁判は、検察が立件したら90何%かの確率で有罪になるのだ。これの方が問題が大きいだろう。
しかし、同じ朝刊の記事に1990年の栃木県足利市の女児殺害事件の犯人とされ無期懲役で服役中の受刑者の、再審請求の即時抗告審でのDNA鑑定で、女児の下着に付着していた体液と受刑者のDNAの型が一致していない可能性が濃厚だとの記事が出ていた。
これが事実なら冤罪である。
これ以外にもここ最近のニュースでは、検察の横暴というか面子重視というか、そんな冤罪の可能性がある事件が報道されている。
冤罪は絶対にあってはならない!
テレビでは和歌山の毒カレー事件では動機が判らない殺人事件だと言っていたが、その言い方にも疑問がある。最近の殺人事件の犯人は「殺すのは誰でも良かった」などと発言しているではないか。これなんかもたまたま犯人の側にいただけで殺されてしまっているのだから、動機のない殺人事件というのがかなり増えているのではないのか?
被告になった人間が、自白しないのは、本当に犯人ではないから自白しないのかもしれないし、単独犯の場合は逆に自分が自白さえしなければ永遠に闇の中という可能性もあるのではないのか?
こんなに複雑な事例を、しかも死刑という他人の命の問題を、素人に判断させるのは止めた方が良いと思う。
裁判員制度による裁判員になることで、精神的な負担は計り知れないと思う。始める前に止めた方が良いと思うぞ!