作家の町田康が「責任のへらへら」という題名で面白いコラムを書いていた。
私も町田氏とまったく同感だったので、同じ様なことを思っている人がいるのだなぁと嬉しくなったので紹介する。
曰く「説明責任」というのは「説明」とは別物である。『「説明」は事実を述べれば済むが、「説明責任」となると、世間の興味・関心に沿い、その上で世間が納得し、気に入って満足する説明が出てくるまでずっと責任を取り続けなければならないというところが恐ろしい。この場合何が恐ろしいかと言うと、説明をしていない、といって怒られるのではなく、説明する責任を果たしていないといって怒られるのが恐ろしい。』と書いている。まさしく最近のテレビ局などの政治家に対する追及はこの説明責任という奴で、たとえ正直に説明しても、それでは世間が納得しないという風潮に感じられるのだ。
私もなんだかとても嫌〜な感じを持っていたのでフムフムと同調した。
最近は他人に対してやたらと厳しい人が増えているのではないだろうか?逆にその分、自分(若しくは身内)に対しては優しい人が増えているように感じる。
パチンコ屋の放火殺人事件もそうだが、死にたければ勝手に自分一人で誰にも迷惑掛けずにひっそりと死ねばよいのだ。自分では死ぬことも出来ずに、誰でも良いから他人を殺したかったなどとフザケタこと言う。
一体世の中はどんなになっているのだ。道を歩いていても刺されるかもしれない。電車を待っていたら突き落とされるかもしれない。ネットカフェで休んでいたり、パチンコしてたら焼け死ぬかもしれない。これでは恐ろしくて出歩けないではないか。
こんな世の中にした政治家ドモに説明責任を果たしてもらわなければなるまい。