「北の大地de大道芸フェスティバル」も同じく最終日である。
朝方はあいにくの雨模様、どうしてもまつり期間中の一日は雨が降る様になっているようだ。
朝から、場所の確保でバタバタとした一日が始まった。
平原まつりは、西2条通り(通称:平原通)の7〜11丁目の5丁と広小路の4区画がメイン会場であるが、平原通りには屋根が掛かっていないから雨が降ったら万事休す、各催しものがアーケードのある広小路に集中することになる。
まつり実行委員会でも事前に雨が降った時の対応は協議されているが、いざ雨が降ったら、我先にと場所の確保に躍起となる。発言権の強い団体が良い場所を取れるのはどこの世界も一緒の事態である。
平原まつりの新参モノである大道芸は一番発言権が低いようで、与えられた場所は会場から一番遠い広小路4区(大通り側)である。
大道芸は人の集まる場所で演じるから大道芸というのであって、人が来ないドン詰まりの場所で演じなさいというのは芸人には酷な話である。
わざわざ東京などから交通費を掛けて招聘しているのに・・・。
私の経営する「坂本ビル」の地階を各種団体の控室に提供しているが、そこに集まる人達から、とてもショックな話をされた。
「平原まつりは地元の人達の芸能発表の場であって、余所から来るプロの芸人の演じるための場所じゃぁないんだ!」と言うのである。
確かに、地元で歌や音楽や踊りに励んでおられる方々が、市民に芸能活動の成果を見てもらう機会として平原まつりが機能していることは、平原通りに暮らして54年の私は昔から見ているから十分に知っているつもりである。
しかし、私が東京の大学から戻って、平原まつりのお手伝いをし始めた昭和55年の頃の平原まつりは実につまらないお祭りだなぁ〜と感じたのであった。若かったし、まがりなりにも芸能の世界に身を置いていた私には、歌や踊りの発表会的な平原まつりには何の魅力も感じなかったのである。
ツマラナイなぁ〜と感じたから、自分なりに、色々なゲームやらイベントやらを考案して独自に展開していたのだが、マンネリ化したまつりに新風を注ぐことはできなかったのである。
あきらめかけていたところに、偶然にも私が昔からやっていたマジックの仲間から「クリス&ケーボー(現:ファニーボーンズ)」を紹介されたのが北の屋台を造った翌年の2002年のことである。
彼等の大道芸は新鮮な驚きを持って帯広市民に受け入れられた。帯広を気に入ってくれた彼等は翌年には仲間達に呼び掛けて数組で来てくれたのだ。これが現在の「北の大地de大道芸フェスティバル」へと発展していったのである。
以来、今日の大道芸があるのだが、上記の「地元の人のためのまつり」発言には大ショックである。少なくとも平原まつりに新風を注いでいると自負していた心が折れてしまった。
まつり実行委員会の人も「これからは音楽を中心にして平原まつりを発信していく」と言っていた。
あぁ、だから大道芸の扱いがヒドイのかと感じた次第である。
余所の街でも大道芸フェスティバルは多く開催されているが、帯広に来てくれている芸人さんの質は最高クラスななのである。最初から超一流の芸人ばかり招聘しているから、余所の街の大道芸フェスティバルを見たことのない人には、比較が出来ないから、これが当たり前だと感覚がマヒしているのかもしれない。
今回、中国雑技で帯広市民を魅了してくれた張海輪さんも帯広を気に入ってくれたし、他の芸人さん達も帯広を気に入ってくれている。お盆時期の本州のクソ暑い場所で演じるよりも、北海道の冷涼な場所で、しかも食べ物は美味い帯広に避暑感覚でも来てくれているのかもしれない。
しかし、平原まつりで邪魔者扱いされるのは心外である。少なくともここ11年間の平原まつりのマンネリ打破には貢献していたと思っていたのに・・・。
非常に残念でショックな対応に正直がっかりした。
2〜3年前から、わざわざ大道芸を見に毎年東京方面から来てくれる観客もいる。
帯広の大道芸のレベルは日本では最高クラスなのになぁ〜・・・。
演じてもらう環境がイマイチなのがとても残念である。
結局、今日の雨は午前中で収まったが、雨でキャンセルになった行事のお陰で大道芸の出来るスペースが出来たことで、なんとか最終日も無事に終えることが出来た。
普段は別々の場所でバラバラに活動している大道芸人さんが、帯広では全員が参加して、即興で「ファイナルステージ」という出し物をやってくれるのも恒例になってきた。芸人さん達にとってもこのコラボレーションは新鮮で面白いと大好評である。
これまた恒例の「焼肉平和園」での打ち上げパーティも肉が美味しいと芸人さん達には大好評だ。
しかし食べ物で釣るだけでは限界である。もっと良好な演技環境を提供してあげたいものだと反省している。