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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2013-10-28-Monday 北の屋台 初心忘るべからず

十勝毎日新聞10月28日「論壇」掲載

「北の屋台 初心忘るべからず」 

8月29日の勝毎1面に「北の屋台 運営組合、年度末に解散」の大見出し。6年半前に辞めた身なれど、北の屋台の前身「まちづくり・ひとづくり交流会」の設立(99年2月)から関わった者として、ボランティアで集まった創設時の仲間と共に奮闘した日々が走馬灯のようによみがえった。

99年9月からは全国中小企業団体中央会からの補助金を受けて本格的な調査研究を開始、何度も何度も保健所に通いながら法律を順守した画期的な屋台の手法を編み出した。寒い帯広では屋台は無理と笑われたが、2年半という研究期間でコンセプトを確立、綿密な宣伝戦略を実施して、2001年7月29日には市、商工会議所からも補助金を受けて遂にオープンに漕ぎ着けたのである。

商売の原点である「屋台」。1軒だけなら弱い存在だが20軒の相乗効果で客を集め、商売の素人である店主には、仕事のコツを覚え、顧客を獲得し、開業資金をためたら、原則1期3年で街中のシャッターの閉まった店に独立してもらう。空いた屋台には意欲のある人がまた入居する。これを繰り返すことで街を活性化させようという狙いであった。

観光客用の施設では客が少ない冬場の営業が難しい。地元客に一年通して愛される施設にする必要があった。「地産地消」をテーマに、十勝で作られていながら十勝の人が知らない産品の発掘、宣伝を心掛け、生産者とも一体となって現在も行っている「○○フェア」と銘打つ事業を多数展開してきた。

屋台には「飲食」「物販」「パフォーマンス」の3部門が必要であると考え、中央広場ではグッズや野菜などの物販屋台を展開、それが「夕やけ市」へとつながった。大道芸人、チンドン屋、マジシャンなどを招いてパフォーマンスを披露、3年目からは北の屋台を離れ、実行委員会を組織して「北の大地de大道芸フェスティバル」へと発展。

「商い」だから客を飽きさせてはいけないと、販売促進費を使って年中、イベントを開催して常に賑わいを演出していた。

一方では「不便さが生み出すコミュニケーション」という概念を掲げ、組合、店主、客が互いを気遣い、助け合う家族的な雰囲気をも醸し出していたのであった。

補助金を受けて始まった事業であるから、数字についても公開を原則とした。ホームページでは全体の売上金額、来客数、客単価、気温などを日別総計表にして公開していたほどである。

運営者が一新される後継団体には、この創業の精神を忘れないでもらいたいと切に願っている。