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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-01-07-Tuesday 松旭斎天一

年末のヤフーオークションで

手に入れた、明治の奇術師で近代マジックの祖と言われる「松旭斎天一」の掛け軸の文字が全て判読できた。

年末に、帯広柏葉高校の書道教師である八重柏冬雷先生に判読の依頼をしておいたのだが、6日に会社に行ったら八重柏先生からお手紙が届いていたのである。

『 誰 将 螳 蜋 試 逆 車 当 軍 之 事 勝 嘆 磋 山 河 百 戦 只 枯 骨 功 罪 千 秋 空 白 沙 

 庚子秋季於淡洲福良鳴海舘書 旭天一 』

と書いてあるそうな。

この漢詩は天一自作の漢詩であると伝記本に写真付きで載っている。漢詩自体はその伝記本に上記の様に活字でも書かれていたので意味は判らないが文字だけは判っていたのだ。しかし、「庚子(かのえね)」の次の文字からの判読が難しかったのだ。

達筆な人のくずした文字は玄人でもなかなか読むのが難しいのであるから、普段から書に慣れ親しんでいない私にはさっぱり判らない。

それでも、江戸時代に書かれた「和妻(わづま)」(奇術の昔の言い方)の本を判読する為に購入した「くずし解読字典」で調べることを、これまでにも何度もやっているから50%くらいは当たっている。

特に、今回はヒントが沢山あったので、まるでクイズを解くような面白さがあった。

何せ私の所には、マジック関係書籍や資料が1万5千冊ほどもある。その膨大な資料の中から「奇術師一代 松旭斎天一の生涯(品川書店刊)青園謙三郎著」・「明治のスーパーマジシャン 天一一代(NTT出版刊)藤山新太郎著」・「明治の演芸・演芸資料選書1(国立劇場芸能調査室刊)倉田喜弘編」などを選び出して調べてみると面白いことが判明したのだ。

「庚子(かのえね)」は明治33(1900)年とある。

資料では天一一座はその明治33年の9月末に淡路島の福良町にあった鳴海館という劇場で興行をしていたという記録が見つかったのである。

そのヒントから、ミミズがのったくったようなくずし文字が、「秋季」や「福良」や「鳴海舘」と読めたのである。

最初、私は「庚子秋季(松)(飛)(砂)福良鳴海舘(為)旭天一」と読み解いたのであったが( )の中の文字が違っていた。

これらの情報を一緒に八重柏先生に送っておいたのであったが、先生は「庚子秋季(於)(淡)(洲)福良鳴海舘(書)旭天一」と読み解いて下さった。淡路島を昔「淡洲(たんしゅう)」とも云ったそうである。ここでも資料が活きたようだ。

私が最初に「松」だと思った字は「於」という文字であった。私が最初に「飛砂」と読んだのは福良は飛砂防止の工事をしているという情報からだったが、これは間違いであった。「飛」が「淡」で、「砂」と読んだのが「洲」であったとは・・・。

しかし、これで意味が全て繋がった。

資料にある天一の興行スケジュールとも合致している。天一は舞台上で揮毫して客に渡していたと云うから、明治33(1900)年に淡路島の福良町の鳴海舘で書かれたものであろう。

鑑定に出すまでもなく、天一の真筆に間違いなかろうと思う。すなわちこの掛け軸は天一47歳時の作品である。