お亡くなりになった。満82歳であった。
長沼先生の元のご自宅は、昔の我が家のすぐ側の西1条南9丁目で銭湯「帯広湯」をやっていた。先生はその銭湯の3代目であった。
私と先生とのお付き合いは、かれこれ52年にもなるのである。不肖の弟子というか、それ以前の段階ではあるが、私は破門になった生徒なのである。
父の学校の後輩でもあった長沼先生に、私がまだ幼稚園児で5歳の時に父が「家の息子に書道を教えてくれんか」と頼んだのである。
長沼先生は「小さい子どもには教えた経験がないので・・・」と最初は断わったのだが、父に強引に押し切られて仕方なく承諾したと云う。
しかし、当時は手の付けられないやんちゃ坊主で有名であった私が、大人しく書道などするはずがなかった。
手に墨を塗ったくっては、銭湯の壁にベタベタと手形を付けて遊んでいたのだ。さすがの長沼先生も父に「先輩、私には無理です。勘弁して下さい」と申し入れ、私はたった3日で破門になったという次第である。
先生の自宅のあった「帯広湯」は石造りの建物であったが、六花亭が解体して中札内村に運んで再建し、現在は美術館になっている。
その美術館のお披露目の席で、長沼先生に挨拶したら「お前の手形が、この建物の中の石に残っているんだぞ!」と笑われたのだった。
長沼先生には、色々な機会に揮毫していただいた。
父の世代の帯広中学(現帯広柏葉高校)18期の還暦同期会の記念品に十勝石で置物を造ることになったのだが、それを請け負ったのは私であった。
長沼先生は、父らの後輩でもあるから、先輩から「長沼!ちょと字を書いてくれ」と頼まれると断れないので「オベリ魂」と揮毫してもらい、それを十勝石に彫り込んだのであった。
また、北の屋台をやる時には、先生に「北の屋台」のロゴの揮毫もしていただいた。
事有る毎に先生には大変お世話になった。まだまだ書き足りないが・・・。
どうか安らかにお眠り下さい(合掌)。