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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-11-14-Saturday 中心街

十勝毎日新聞社の記者から

帯広の中心街の歴史を、帯広小学校の6年生3人に教えて欲しいという依頼があった。

14日の午前9時に坂本ビルの6階の会議室に集合することになっている。

勝毎の記者2人とカメラマン、小学生3人とそれぞれの親が3人(父親1人・母親2人)と小学生の妹が一人が来た。

勝毎の来年1月新年元旦号の特集記事ということだ。

明治時代の帯広小学校、昭和の帯広小学校、移転後の帯広小学校の写真をプロジェクターに映したり、上空からの街の写真を映したりしながら、記者が小学生に説明していく。

私の役目は説明の補足である。

私は、昭和33年に西2条南9丁目の現:坂本ビルの建っている場所でお産婆さんにとり上げられ、昭和42年に火事で住宅を移転するまで、ここに住んでいたからまさに街ッ子である。

1学年上の姉の友達や、私の同級生、2歳年下の妹の友達など、大勢が近所に住んでいたから、毎日、毎日、街の中で遊び回っていたものだ。藤丸デパートはほとんど毎日通っていたから、よく覚えている。

その藤丸デパートと我が家の前の交差点に初めて信号機が出来たときの話やら、藤友ストアのエレベータの話、サニーデパートの話などは、小学生たちよりも、父親や母親の方が懐かしいと話に乗ってきたのであった。

親達の年齢は、私よりも10〜15歳ほど年下であるから、彼らの小学生時代の話で盛り上がったということである。

プロジェクターを見終わった後は、歩いて広小路や駅前まで行く。

そこで、昔の写真パネルを見ながら、昔はこうだった、あぁだったと説明するのである。

写真の中には、私が生まれる遥か前の写真もあるが、私は「北の屋台」を始めるために、帯広の街の歴史を調べているし、それで本まで出版したものだから、並みの年寄りよりも詳しいのである。

しかし、大通りの跨線橋や西5条のアンダーパスは、彼らが生まれる前に無くなっているので、彼らは鉄道の高架しか知らないから「エ〜ッ何これ!昔はこんなになってたんだぁ〜」と云うのを聞いて世代の違いを実感したのであった。

子供達も、面白かったというから、一応はちゃんと伝わったのだと思う。

11時頃に、再び坂本ビル6階会議室に戻って終了した。

最後の挨拶の時に「マジック・ミュージアムという手品の博物館を3階に造っている最中で、まだ途中だけど、見たかったら見せてあげるよ」と言ったら、「見たい!見たい!」と子供たちが言う。

案内したら、親も子も、皆が興味深そうに眺めていた。手品をやってみせて欲しいとのリクエストであるが、道具はもうほとんど展示してしまっている。スプーンが数本あったので、スプーン曲げをやってみせたら親子に受けた。

マジックの実演も受けたが、展示物もジックリと眺めては喜んでいたからけっこうな手応えを感じている。

マジック・ミュージアムは中心街の新しい名物、ちょっと面白い場所になりそうな予感である。