この世の生けとし生けるものは必ず死ぬ。何人たりとも免れることの出来ない真実である。
そんなことは百も承知、早いか遅いかだけだと分かっちゃいるけど・・・。
でも順番が逆になることほど悲しく空しいことはない。
人は、どんなに重大な事件でも事故でも天変地異であっても、それが己のが身に降り懸からない状況であれば、さほど気にすることもなくやりすごすものであるが・・・。
去年、東北に嫁いだ娘に、この春、子どもが生れた。東京以北では隋一の設備が整った病院で出産したが・・・。
私にとっては初孫の誕生である。しかし、出産予定日よりもかなり早い、いわゆる切迫早産というものであった。
生まれた子どもは、医者からは「もっても1ヶ月の命です」との宣告を受けた。
大ショックである。せっかく爺ちゃんになったというのに、何で・・・。との思いが頭から離れない。
娘達夫婦のショックはそれ以上であっただろう。
1ヶ月の命ならば、生きている1日を1年に感じられるくらいの愛情を注ごうと娘達夫婦は、毎日、毎日病院に行き、看病をした。
私達夫婦も時間を作っては、毎週のように週末には北海道から通った。妻は私がどうしても行けない時には一人でも出掛けて行った。
誕生した孫は、私に似たのか端正な顔立ちで、成長したらきっと女性にもてるハンサムボーイになっていただろう。私に似ていないところは足が長いところくらいであるが・・・。
このまま成長すれば、私は爺バカになっていたであろう。おそらく、やれ幼稚園の入園式だ、やれ運動会だ、お遊戯会だ、小学校の入学式だと、しょっちゅう出掛けて行ったことであろう。その分をこの子の生命ある1ヶ月間にギュッと凝縮して、愛情を注ぎ込んであげたかった。
その甲斐あってか、孫は8月17日まで88日間生きてくれた。しかも、まるで、私の一番忙しい時期を外すかのようにして・・・。
18日にマジック・ミュージアムに一羽の雀が迷い込んで来た。窓には網格子が掛かっているから窓からは入っては来られない。いったいどこから入って来たのだろうか?
捕まえて外に出してあげようと追ったのだが、上手く捕まえられない。その内にフ〜ッと消えるように居なくなったのであった。
きっと爺ッちゃんが作ったマジック・ミュージアムを、雀に姿を変えて見に来てくれたのだろう。
19日の葬儀には、台風7号の襲来で交通機関がマヒしている中、何とか辿り着いた。
娘達夫婦のアパートで、冷たくなってしまった小さな孫の身体を抱っこした。涙が止まらない。
横では、娘達が88日間撮影し続けたビデオを流している。6時間近くもそれを見てずっと涙を流していた。
亡くなる1日前が一番元気であったと言う。
綿アメを綿棒に付けて与えたらチュパチュパと美味しそうにナメているビデオの姿が可愛いくて仕方がない。
亡くなる直前には、3回も満面の笑みを浮かべて笑ったのだと言う。まるで看病してくれた人達に「ありがとう」と言っているかの様であったと言う。その笑っている写真を見たらますます涙が止まらなくなった。
病院から出る時に、祈りの部屋に病院の医師や看護師らスタッフが20数名も集まって、孫にお別れをしてくれたと云う。病院のスタッフにも愛された愛くるしい存在であった。
病院で生まれ、病院で亡くなった。病院の外に初めて出たのが・・・。
斎場には大勢の東北の親類が集まってくれて、代わる代わる冷たくなった孫を抱いてはお別れをしてくれた。たったの88日間ではあったが、多くの愛嬌を振り撒き、多くの思い出を残してくれた子であった。
小さな棺桶に入れて斎場で焼いた。骨壷も子ども用のちっちゃなものを用意したのであるが、それでも大き過ぎるくらいであった。
お寺に行ってお経をあげてもらい戒名を付けてもらう。
和尚は「風」と云う字を入れて戒名を付けてくれたが、まさに「風」の様にやって来て、「風」の様に去って行った子であった。
おまけに台風まで一緒に付いて来て・・・。
どうか安らかに成仏してくれ。合掌