世界選手権大会で、羽生結弦(22)がフリーで自身が持つ世界歴代最高得点の223.20点をマークして、SP(ショートプログラム)の5位から大逆転で優勝した。
演技に入る前の顔つきからして、鬼気迫る気迫を感じたが、この精神力はスゴイ!としか言いようがない。
この年齢で、この精神力は素晴らしい。
精神力の鍛錬というものは、どん底の苦しみから立ち上がるしか作り出せないのだと感じた。彼も、この精神力を獲得するには、相当な地獄も味わっているのではなかろうか。
楽をしていては、鍛えることが出来ないのだと思う。
先の雪崩事故で7人の学生と1人の教師が亡くなる不幸な事故が起こったが、あの事故の検証では、メディアが一様に「事後」に「安全の確保」云々と言っているのが気になった。
勿論、訓練であるのだから、「安全性の確保」は重要な要件であろうが、「絶対安全の確保」とはまた別であろう。
この世の中に「絶対の安全」などありはしない。
家の中に居たって、隣家の火災に巻き込まれたり、竜巻で屋根が飛ばされるかもしれない。自動車が飛び込んで来るかもしれないし、飛行機が落ちてくるかもしれない。
冬登山の訓練なんだから、多少の危険性は付き物であろう。
ただし、教師と生徒と云う上下の関係性から、教師の言うことには従わなければならない状況であるのだから、上に立つ者の判断には重大な責任が伴うことは当然である。
今回の事故は、その上に立つ者の判断が甘かったと云うことである。
人間は誰しも超能力者ではないのだから「予言」は出来ないが「予測」は出来る。各種のデータや情報から、ある程度の将来を予測することは可能だ。しかし、それとて決して完璧ではない。
起こってしまった事故について、事後にあれこれ言うことは誰にでも出来ることだが、事前に予測して最悪の結果を回避するにはある種の才能が必要だ。
平和ボケして、その種の神経を尖らせていない日本人全般に言えることだが、日常の危険性についての考え方が甘い傾向にあることは否めないであろう。
今回も、雪崩の危険性を甘くみた結果に起こった事故であろう。
亡くなった若い人達や遺族には、気の毒なことだが、同じ様な事故が起こらない様に原因を究明することが重要だ。
しかし、今回の報道を見ていたら、それこそ悪い意味での「忖度」が生じるのではないだろうか?
恐らく今後、責任を追及されるのは敵わんと、この種の行事が減っていくであろうなぁ。
しかし、鍛錬と云うものは、楽をしていては意味がない。
己の限界を知ることも必要なのだ。
羽生結弦のように世界一を目指すわけではないから、生命までも懸ける必要はないが、訓練なら、ある程度の肉体的、精神的な苦しみも必要であろう。それを乗り越えてこその訓練であると思う。
今後、この種の訓練のリーダーには、他人の生命を預かっていると云う自覚を十分に持って担当してもらいたい。