当時、私は中学2年生であった。
小学2年生の時から、たった一人で列車に乗って、夏、冬、春の休み毎に札幌の伯父の家に遊びに行っていたから、当然ながら、札幌オリンピックにも一人で見学に行くつもりであった。
前年のプレオリンピックには、伯父がホッケーの試合のチケットを3枚くれたので、同級生を二人誘って中学1年生3人だけで観に行ったのである。それが当たり前だと思っていた。
いよいよオリンピック本番になって、同級生を見学に誘ったら、私を含めて総勢8人で日帰りで観に行こうと云うことになった。
当時は帯広の西2条南11丁目の角に交通公社があった。現在はローソンになっている場所である。
夜中の4時から並んでチケットを購入した。
当時の私は切手収集が趣味で毎週の様に発売される記念切手の、先着数名にしかあたらない初日カバーが欲しくて、郵便局の本局に朝の5時から並んで買っていたから、夜中に並ぶのは平気であったのだが・・・、郵便局は建物内に並べたのだったが、交通公社は外であったから、とっても寒かったのであった。
購入したのはBクラスのホッケーの試合のチケットであった。ちょうどオリンピックの開催時期が中学の期末試験日の直前であったし、まさか授業をサボってまで行くことは出来なかったのである。
本当に観たかったホッケーの目玉競技であった「ソ連VSチェコ」戦は日程的に無理があったのだった。
我々が札幌入りした当日は、日の丸飛行隊の笠谷、金野、青地が金銀銅を独占した70m級ジャンプの開催日でもあったのだが、ジャンプは外で観るから、寒いので嫌だと、軟弱で我儘な連中が言うので仕方なくBクラスのホッケーの試合になったのである。
当初、私は、生徒だけで行くつもりでいたのだが・・・。
誰かの親が心配して教師に相談したらしい。
発案者である私が担任の教師に呼び出されて「生徒だけで札幌オリンピックに行くのはダメだ!」と云う。どうしても行きたいのなら大人の付き添い人が必要だと云うのである。まぁ、学校にしてみれば、何かあったらと考えたのであろう。
私の親にも教師から連絡が入った。
私の父は、私が旅慣れていることを知っているし、場所が年に3回も一人で通っている札幌であるから、全然心配なんぞしていなかったのであるが、学校から言われてしまったら、さすがに無視をするわけにはいかなくなったのである。
そこで私の従弟に小遣いをやるからと頼んで付き添いをしてもらうことにしたのだ。
当時の帯広ー札幌間の列車は一番早い特急列車でも4時間半も掛かっていた。まだ千歳経由の石勝線が出来る前で、富良野経由の根室本線でず〜っと遠回りして行くのである。現在と比較すると2時間も余計に掛かったのであった。
夜行列車で帯広を出発して早朝に札幌に到着した。従弟が改札口で待っていてくれた。駅の喫茶店に入って朝食を取り、会場の月寒スケートリンクまでバスで移動。
全員、列車内ではほとんど寝ていないから、ホッケーの試合中は皆が寝ていた。いったい何の為に行ったんだか・・・。
夕方の列車に乗って再び帯広に戻った。日帰りでのオリンピック見学であった。
せっかく北海道でオリンピックが開催されるのに、生徒は、ほとんど誰も観に行こうとはしなかった。モッタイナイ話である。
一応は、オリンピックに参加した気分が味わえただけでも良かったと思っている。