今年、北海道は松浦武四郎の命名百五十年と云うことで、アイヌ文化の再検証が盛んに行われている。
アイヌは文字を持たなかったから、明治になって和人がアイヌの古老に話を聞いて書き留めた話が資料になっている。
現在、存命のアイヌの人は、大正生まれまでがせいぜいで、明治生まれの人はほとんど生きていないから、昔の記憶を辿るとしても、昭和の初期くらいの記憶がせいぜいであろうと思われる。
今回の百五十年を期に、しっかりと調査して後世に残しておくべきであろう。
そんな中で、アイヌの葬式の事を調べていたら・・・。
アイヌの信仰として、「あの世とこの世はあまり違わないが全てが逆転、あべこべである」と云う。
例えば、この世が夏なら、あの世は冬。この世が昼なら、あの世は夜。と云う具合である。
全てがあべこべだから『この世で完全なものは、あの世では不完全なものになる』と云うことなのだ。
だから、死者を埋葬する際に、あの世でも使ってもらう為に生前使用していたモノを一緒に埋葬するが、必ず一部を欠損させて、不完全な形にして埋葬する。そうすればあの世では完全な形になって死者が使えると云う信仰である。
弥生時代の古墳でも、埴輪や鏡などの副葬品は、一部を壊してから埋めたと云うし、現在の日本でも、死者に着せる着物は「左前」にして着せる。
生きて居る人間と死者とはあべこべなのだ。
だから、昔から日本人とアイヌには共通の「あの世観」の信仰があったのではなかろうか?
フッと閃いた!
帯広市出身の上智大学の石澤良昭先生が指導するグループが、2001年にカンボジアのバンテアイ・クデイ遺跡から274体の廃仏を発見したが、その仏像はことごとく破壊されていたのである。
私も何度か、この仏像を拝見しているが、ほとんどの仏像が首を切断されていた。何とヒドイことをするなぁ〜と思った。
カンボジアのアンコール王朝は、もともとヒンズー教であるが、途中で仏教になり、またヒンズー教に戻る。このヒンズー教に戻る際に、廃仏毀釈が行われ、仏像が破壊されて埋められたと云う。
確かに、世界の宗教では、他の宗教を信じる者に対しては、殺すこともするほど残酷な行為が行われる。
私も、カンボジアの廃仏毀釈も、この激しい宗教間の争いの結果であろうと素直にそう思った。完全な形で残せば、後から掘り出してまた拝むことも出来るから、破壊して埋めたのだと思ったのだが・・・。
だが、ヒンズー教も仏教も多神教である。
激しい宗教戦争は、一神教の宗教間の話である。
このアイヌの「あの世観」の事を知って、ひょっとしたら、当時のカンボジア人にもアイヌと同じ様な「あの世観」があって、仏像を埋める際に一部を欠損させることで、あの世で完全な形で再生してもらいたいという気持ちがあったのではないかと思ったのだ。
さて、さて、どうであろうか?
歴史考察って面白いねぇ〜。