「世界一のマジシャン島田晴夫物語」を書いてみて分かったことは、書く対象人物が存命で、当人からも直接インタヴューが出来るのならば、まだしも書き易いのだが、対象人物が亡くなってしまっていて、家族等からインタヴューして書くというのはかなり難しいだろうなと感じたことだ。
島田晴夫さんは、明け透けに自分の恥部や失敗談なども全てを曝け出して話してくれたし「私が話したことは全て書いてもらっても結構ですよ」と言ってくれたのだ。
それでも、書きながら、本当にこんなこと書いてしまっても良いのだろうか?と何度か躊躇することもあったのだが、本人に原稿をチェックしてもらっても、苦情などは一切無かったし、「面白いですね〜」と喜んでくれたから、気が楽になって、筆が進みとても書き易かったし、それだからこそ、島田さんの人柄が表出したのであろう。
忖度しながら書いたのでは、面白いものは書けない。
何せ、本人が良いと云うのだから、それでOKなのである。
しかし、対象人物本人が亡くなっていて、家族からインタヴューしたのでは、その家族も本人の名誉や名声を傷つけたくないと思ったら、失敗談や恥部は明け透けには話してくれないであろう。家族といえども遠慮が働いてしまうのではなかろうか。
そうなると、対象人物の人柄に、家族のフィルターが掛ってしまうし、それを聞いて他人の私が書くとなると、更に忖度が働いてしまって、良いことばかりや恰好をつけた話だけになってしまう可能性が高くなる。
それでは、面白いモノは書けないし、肝心の人柄を表現することは出来なくなってしまうであろう。
やはり、本人が生きている内にインタヴューだけはしておかないといけないのだろうなぁ〜。