曜日の感覚が無くなってきた。今日が何曜日なのかカレンダーを見なければ分からない。私の年齢ですらそうなのだから、高齢者の中には認知症が進む人が増えてしまうのではないだろうか?
毎晩の自宅での、居酒屋「ともちゃん」にも飽きてきたなぁ〜。
「引き籠り」ってのは結構大変なことである。
2年ほど前に、前立腺癌の陽子線治療の為に札幌の北大病院に約2ヶ月間入院していたのだが、その時よりも退屈である。
あの時は、2日毎に外出が出来たから、映画、美術館、コンサート、デパートなどに出掛けることが出来たのだ。
今は、外出してはいけない!人が集まってはいけない!と云うのだから、人間としての営みを否定しているかのようである。
テレビも、リモートなんとやらとかで、タレントも自宅から出演している。音も画像も悪いし、面白くない。
ドラマも、撮影が出来ないから、旧作の再放送が増えてきた。
それに気になるのは、最近やたらと地震が多くはないだろうか?この時期に大きな地震が起きたら・・・。想像もしたくないなぁ〜。
今回の新型コロナウィルスは、人類の生き方を劇的に変えてしまうかもしれないなぁ〜。
人が集まってはイケナイ!のならば、これまでの人類が創ってきた文化が根本から否定されてしまう。
劇場、体育館、集会場、商業施設など等、人を集めることで成り立っていたことが、抑制されてしまうのである。
エンターテインメントもスポーツもショッピングも会議もやってはいけないのだから・・・。
スマホが普及しているからといって、皆が自宅に居たままで、映像を見ながら何でもかんでも可能になる訳ではないだろう。それこそ、リストラ(正しい意味での「リストラクチャリング(Restructuning)」「再構築」が始まるのだろうなぁ〜。
でもなぁ〜。
行き過ぎた、個人主義、拝金主義、効率主義が、このグローバル社会を作ってきた。
無駄を省き、最大の効率化を目指して、賃金の安い(安かった)中国に工場を移し、生産を依存してきた結果がこのコロナウィルス禍である。過去に何度も指摘されてきた「チャイナリスク」が現実化した。
やはり、人類には無駄が必要だと思う。無駄が無いと云うのは余裕が無いのと一緒である。
何度も、このブログに書いているが、作家ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでみるが良い。
原始時代に戻れと言っているのではない。行き過ぎた「効率化」は人類を「幸せ」にはしないと云いたいのだ。
この機会に、世界中の人が自宅に引き籠って、哲学者になってみたらどうだろう?