«前の日記(■2020-05-31-Sunday) 最新 次の日記(■2020-06-02-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2020-06-01-Monday かちまい論壇「SD」

2020.06.01十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「ソーシャル・ディスタンス」

新型コロナウィルス禍が世界中をむしばんでいる。感染予防法の一つとして「他人との距離を唾が掛からないように2㍍ほど開けましょう」と奨励しているが、これを「社会的距離(ソーシャル・ディスタンス=以下SDと表記)」といっている。

「北の屋台」を始める前に、哲学者、心理学者から教えてもらったのは「人間は敵か味方かがまだ分からない初対面の他人とは70㌢以上の距離を保つ本能がある。それは隠し持った短剣でいきなり刺されない己が身を守るための距離感である。逆に、人間は見知らぬ他人でも肩触れ合う距離に置かれると互いに仲間であると認識する本能がある」と。これが、私が最初に知ったパーソナル・スペース(エリア)の理論であった。

コロナ禍によって人間の唾が凶器扱いになってしまい、短剣の70㌢よりも唾の2㍍の方がより広い空間が必要になった。武器の所持、不所持は検査ですぐに分かる。飛行機に乗る際にも手荷物検査を済ませれば搭乗はOKになる。スパイ映画などでもボディーチェックを済ませれば敵同士でも対面が可能になる。しかし、ウィルスチェックには時間がかかる。不所持の証明はウィルスが見えないだけに困難だ。無意識下に他人は皆ウィルス保持者だと疑心暗鬼にもなろう。

これはとても厄介なことだ。2㍍のSDを維持することが長期間続けば、「仲間意識」「連帯感」「臨場感」「高揚感」などが失われ、人間らしい活動が阻害されてしまう。経済的にも、収容人数を半分以下にしなければならないならば、採算に合う企画はほとんどなくなるであろう。

何より怖いのは、人間の深層心理に与える影響である。70㌢ですら「敵」とみなす距離感なのに、2㍍以上もの距離を空ければ、それはまるでけんかを売られているとみなすような脳の状態に近いのではなかろうか。おまけに「会話」も自粛しなさいとなれば、周りは全部「敵」であると脳が認識してしまいかねない。直接会わないリモート会話だけではコミュニケーションが失われてしまう危険性をはらんでいる。

今は、格好つけて横文字でSDと言って奨励しているが、これは逆に人間らしい生活を危機に陥れる非常に危険な行為なのではないだろうか?

深層心理への刷り込みは、やがてトラウマ(心的外傷)となって人々の心に長く残ってしまうだろう。

マスク着用や手洗い、換気の奨励などは大いにするべきであるが、SDの継続は取り返しがつかなくなる前に考え直した方がよいと考える。