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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2021-02-22-Monday 悼む

さない産婦人科病院の

真井康博さんが21日20:08大動脈解離の為に亡くなった。まだ70歳と云う若さである。

真井さんの父親も、私の父親も青年会議所のOBで親交があったから、我が家の子供達はさない産婦人科で生まれている。

また、青年会議所の創成期に同期で活躍した川上直平さんと杉田長男さんが医者と歯医者で親族が多いと云うこともあって「川上・杉田家」の親睦会と云うものがあったが、真井家は川上家の親族、我が家は杉田家の親類と云うことでその会にも参加していた。

康博さんとは8歳の年齢差があるが、帯広青年会議所(JC)に昭和62(1987)年に同期入会してからの付き合いである。

最年長の真井康博さんはその同期入会の会「無二の会(むにのかい)」の会長であり、最年少の私は幹事として活動してきた。

ちなみに「無二の会」の名称は昭和62年の入会なので「62」を「むに」に掛けて私が発案した。

会員家族の親睦を深めるのと、普段は家族をホッタラカシにして青年会議所活動をしている罪滅ぼしの為に、毎年、夏休みには1泊の家族会を開催し、キャンプやバンガローや船のホテル、トマムなどに泊まり掛けで家族サービスを行ってきたのであった。

私は幹事として家族を喜ばせる為に花火やゲームやマジックなどをして盛り上げていた。

また、私が船舶免許を取得したのは康博さんから強引に勧められたからで無二会のメンバー3名が一緒に取得したのであった。

康博さんは青年会議所の現役時代は職業を生かして「性教育」のプログラムを作ったり「エイズキャンペーン」などにも活躍した。

無二の会メンバーには医者や歯医者が複数いたので、10周年記念には、3年前から計画・準備をして日程調整をし、積み立て預金までしてハワイへの家族旅行を開催したが良い思い出である。

1996年には、その前年に青年会議所で私が担当副理事長として推進していた「国際環境大学構想」を実現するための新しい組織である「十勝環境ラボラトリー(TKL)」を設立するのだが、その会長には既にOBになっていた真井康博さんにお願いして就いていただいたのであった。

その後、TKLから派生した「北の屋台」の2代目理事長にも就任していただいた。

2006年12月末でTKLが解散し、北の屋台も2007年3月末に私が卒業してからはすっかり疎遠になってしまったが・・・。

無二の会は毎年6月2日に開催することになっているが、ここ数年は私のスケジュールが合わずにずっと欠席続き、去年は久し振りに出席可能になったのにコロナ禍で中止になってしまった。

突然の訃報に驚いている。

ご冥福をお祈りいたします。合掌