私の父の圭司とは帯広小学校の同級生であった。
夫の勲さんが健在の頃は、仲人さんとして超有名なご夫婦で、私の妹夫婦もお世話になった。
父は私の結婚相手も探してくれと依頼をしていて、私も紫竹さんの帯広競馬場のすぐ東側に在ったご自宅に、見合い相手候補の写真を見に何度か伺ったこともあるが、私は遂に見合いを一度もすることなく、妻と結婚することになったのであった。
妻の方は、紫竹さんからのお誘いで数度のお見合いをしたのであったが、面喰いの妻は結局私と結婚したのであった。
勲さんが亡くなられた後の1992年に、昭葉さんは63歳から庭園造りを始められたのである。父が我が家の畑に生えていたエゾ紫ツツジを百本ほど贈呈し、観光協会の会長としてアドバイスをしたことを、父の死後に何度も紫竹さんから聞かされた。
私は今年63歳になった。ちょうど紫竹さんが庭園造りを始められた年齢である。それなのに私はもう引退することしか考えていないというのに・・・。何ともすごいバイタリティであるなぁ〜
帽子と花柄の洋服がトレードマークで、チャーミングな紫竹さんは「紫竹ガーデン遊華」の「マスコットガール」(おばあちゃんだからグランマかな?)として全国的に有名になった。
私も「観光カリスマ百選」に選ばれたことで、何度か一緒に講演や会議に参加したことがある。そんな講演の時には、いつも昔の童謡などの歌を唄っていらしたことが印象深い。
4日午前10:19分に自宅で庭の手入れをしている時に、大動脈瘤破裂で亡くなられたという。亡くなる直前まで大好きな花の世話をしながら、現役のままでお亡くなりになったのは幸せな最後だったと思う。これからは天国で花畑の世話をしてください。ご冥福をお祈り致します。(合掌)