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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-09-05-Monday 映画館の話

今日は地元のケーブルテレビ局OCTVの特番の

収録の為に、シネマコンプレックス太陽7階の映画館3番シアターに行ってきた。

映画の上映が終わった後の20:00から準備を始めたが、劇場内にはテレビ局のスタッフだけ。座席に座ってテレビの照明を当てられ、2台のテレビカメラが目の前にあって自分の方に向いていると、何だか自分が映画解説者にでもなった様な気分である。

帯広の映画館関連の昔話を、同じ勝毎系列のラジオ局のパーソナリティの梶山憲章さんとOCTV局アナウンサーの武内奈々さんとの3人の掛け合いで話すのである。

昔から映画が大好きであったが、現在でも月に3~4本は映画館で観ている。昨日も同じ映画館で「エルビス」を見たばかりである。

物心ついた幼少時から、映画大好き人間であった父親に連れられては、良く映画館に観に行っていたものである。

私が生れた当時(昭和33年)の我が家は、十勝帯広の中心地で、「まち」とも言われていた西2条南9丁目に店と住宅があった。

近所には映画館が8軒ほどもあった。ザッと書き出すとキネマ館、日本劇場、オリオン座、大映、銀映、帯広劇場、スバル座、東映などで、少し離れた場所にも映画館があった。

一番通ったのは、帯広劇場である。父がこの劇場の株主だったので株主優待券があって、無料で映画を観られるのである。当時の帯劇では東宝系の映画が掛かっていたから、私は森繁久彌の社長シリーズやクレージーキャッツの植木等の無責任シリーズ、加山雄三の若大将シリーズ、ゴジラなどの怪獣映画はほとんど全部観ているのだ。

社交ダンス教師をやっていた父親が好きだったのは、ミュージカル映画でフレッド・アステアやジーン・ケリーの大ファンであった。その影響で字幕の漢字も読めないのに洋画に良く連れられて行かれたものであった。

逆に、任侠映画やギャング映画や戦争映画は好きではなかった様で、東映のヤクザ映画は1本も観たことがない。

小林旭の渡り鳥シリーズは、昭和38年頃にこの渡り鳥シリーズの撮影の為に帯広入りした小林旭が我が社を訪ねて来た時に、ファンの女性達が大挙して押しかけて来て店のウィンドウガラスが割れてしまったことがあったのだが、それ以来観に行かなくなったのであった。

父はしょっちゅう会社をサボっては映画館に行っていたのだが、急な来客があった時に、映画館を巡って父を探しに行く役目が幼い私の仕事であった。

会社をサボって行っているから、どこの映画館に行っているかは誰にも言っていないので誰にも分からない。

映画の上映中に呼び出し放送を掛けることも出来ないから、私が近所の映画館を巡って歩き、切符もぎりのおばちゃんに「父が来てませんか?」と尋ねて回るのである。「来ているよ」という映画館があったならば、私が中に入って、最前列まで観客をかき分けかき分け進み、観客の中から父を探し出して連れ戻すのである。当時の映画館は大盛況で立見客が多かった。映画館の中はタバコの煙がモウモウとしていて、床にはゴミが散らかっていた。入れ替え時に清掃なんてしていなかったから、かなり汚かったのだ。また、当時の映画館は2階席がある劇場も多くて父を探し出すのはかなり大変な仕事なのであった。

夕方に家族皆で映画を観に行った帰りに寿司屋に行くのも楽しみであった。当時の映画は娯楽の殿堂なのであった。

この様な類の話をしたのだが、脱線に次ぐ脱線で大幅に収録時間が伸びてしまった。編集作業は大変であろうなぁ~。だが、まだまだ話し足りないことばかりであった。

放送日がまだ決まっていないとの事なのだが、好評だったならば続編を作りたいとも言っていたから、ぜひ続きをやってみたいなぁ~。

ただ、帯広の映画館で観たのか、大学生時代に東京の映画館で観たのか、テレビのロードショーなどで観たのか、はたまたレーザーディスクで観たのかの記憶がかなりゴッチャになっている。たくさん観過ぎているようだ。

でも、映画について語るのは楽しいひとときであった。