そして1月5日に亡くなった母の遺骨を墓地の墓に納骨する日である。
北海道ではGW辺りまで雪があったり、また雪が融けてはいても地面がぬかるんでいたりすることが多いので、父の祥月命日の日に納骨することにしたのである。
お墓の掃除は先日に済ませてある。
墓石をズラしてみたら、遺骨を入れた木製の箱がようやく入るぐらいの大きさしか間口が空いていない。
父の遺骨を入れたのが32年前であるから、もうすっかり忘れていた。
準備をしている内に兄弟姉妹が集まってきた。すぐにお坊さんも来たのだが永祥寺の住職様が来て読経をしてくれた。
父と母が苦労して建てたビルと、祖父が購入した土地を手放した三代目としてはまことに申し訳なくてホロリと涙が出て来た。しかし、ビルを手放したのが母の死後であったことには正直ホッとしている自分が居た。
他人様には迷惑を掛けずに家業を終えることが出来たのはご先祖様のお陰であると感じたが、北海道での120年の坂本家の商売の歴史に幕を下すのは辛いものがある。
坂本家は昔からお墓で写真を撮る変な家族なのである。昔のアルバムにはお墓で撮影した写真が多いのだ。読経を終えた住職にも撮影に加わってもらい記念写真を撮ったのであった。
これで母の葬儀には一応の区切りがついた。
納骨の後で兄弟姉妹で食事をしに行ったが、なんだか急に肩の荷を下ろしたような気持ちになったのだった。