「不思議」とは中国の数の単位の「不可思議」を短縮した言葉である。「不可思議」は二番目に大きな単位(10の64乗)でゼロが64個も付くから、大き過ぎて想像もできないということを表わしている。因みに一番大きな単位は「無量大数」(10の68乗)。
「不思議」がマジックの生命であるから、マジック界にはサーストンの三原則といわれる掟がある。
①種明かしをしてはいけない。
②同じマジックを繰り返し演じてはいけない。
③これから起こる現象をあらかじめ説明してはいけない。
この三つはどれも「不思議さ」を保つ為に必要とされている。『たまに演出上は、さも種明かしをしている様に見せて実は種明かしをしていない演じ方(サッカートリックという)や方法(手法や技法)を変えて同じようなマジックを演じたり、観客の注意をわざと別の方向に注目させる為にあらかじめ(実際とは異なる)現象を述べることもある』
驚きを新鮮にするということが重要なのである。
日本人の特にインテリ層に多いのが、マジックのタネが判らなかったら怒り出したり、不機嫌になったりするタイプの人達である。
タネや仕掛けが判らないと、馬鹿にされた様に感じるのであろう。こういう輩はエンターテインメントとは何ぞやということをまるで理解していない無粋な奴であるといえる。
マジックは演芸であり、また芸術でもある。なのにマジックだけ「タネ」を聞いただけで全てを理解したかのように満足する。
どんな演芸でも「コツ」はある。しかし、「コツ」と「タネ」は違うのである。「タネ」が判ったからといってマジックが即、演じられる訳ではない。
例えばミュージカルの舞台を見て感動し、「どうして踊れるの、どうして歌えるの」と演技者に聞くだろうか?
「練習しているからだ」とか「才能だ」としか答えようがないではないか。
「歌詞」が判っただけで上手く歌えるのだろうか?「振り」が判っただけで上手く踊れるのだろうか?
マジックは不思議なことを見せて観客に喜んでもらう総合エンターテインメント(喜怒哀楽+不思議も表現できるから次元が高い)なのである、ということを日本人の観客にもっと解かってもらいたいと思う。
マジックだってタネが全てなのではない。タネはせいぜい50%程度にしか過ぎないのだ。むしろタネ以外の演出や口上や服装など等が大きく作用するのである。デパートに売っているマジックを買って来て、説明書に書いてあるやり方だけを演じても、技量によって差が出るし、オリジナルの素晴らしい演出方法を考えだせば、まったく違ったマジックにもなりうるのである。
同じ事が「まちづくり」でも行われているのが日本である。「北の屋台」のやり方が判っただけで上手く出来ると思っているのである。表面に現れていることだけを見て、深層にあることをまるで見ていないのだ。
「マジック」も「まちづくり」もそんなに簡単なものではないのだよ。