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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-05-01-Thursday 春夏冬

と書いて「商い(あきない)」と読ませる。

「秋が無い」→「あきない」ということだ。

もう一つ、昔から言われていることに「商い」は「飽きない」だ。というものがある。客に飽きさせないように常に色々な事(新商品の開発・イベントetc.)をやり続けるということだ。しかし、商売自体の質がここ数年の間に随分と変化したように感じる。

例えば、デジタルカメラで撮影をしたら、すぐに自分の家でプリントすることが出来るようになったことなどである。フィルムのカメラであれば素人は自分で現像など出来なかったからカメラ屋さんに持って行くしかなかった。

デジタルカメラで自宅にコンピュータがあり、プリンターまであったら、全部自分で処理出来るようになったのである。

案内状や年賀状や名刺なども自分で作れるようになったから、印刷屋さんに頼まなくてもよくなった。ホテルの予約や航空券の手配も自分でインターネットで出来るようになったから旅行社に頼む必要がなくなった。商売あがったりである。

でも、これが果たして本当に良いことなのだろうか?

このままの状態が進行していけば、個人が営める商売というものが極端に少なくなってしまうではないか。

今の子供たちが大人になった時に、一体どんな商売が残っているというのだろうか?

完全に自給自足が出来ない限り、商店主も従業員も消費者の一人なのである。

大企業は効率化と称して、機械化したり正社員を減らしたりしてドンドンと人手を省いていっている。このままいけば大企業という「箱」だけは存在するが、肝心の消費者が居なくなってしまうし、消費者が居なくなってしまっては、大企業といえども成立しないのではないのだろうか。

こんなことは多くの人が既に気付いているはずだが、目先の利益確保の為には止むを得ないとばかりに突き進んで行くだけである。

一握りの大金持ちに、大多数の人が施しを受けて暮らす世の中というのはどんな社会なのだろうか?そうなった時に人間の尊厳は保てるのか?

ある程度の発展や成長も必要だとは思うが、社会全体で職業を分かち合い、自分の職業に誇りを持って暮らす世の中の方が健全な社会なのではなかろうか?必要以上にお金を持っていたってお墓には持っていけないのだし、ある程度の収入で我慢する事ってできないのだろうか?

どうも日本の進んでいる方向性が誤っていると強く感じる今日この頃なのである。