昨晩(12日)愛知県警の熱田署で事情聴取を受けていた男性が火達磨になって死亡したというニュースを見た。
ニュースでは別れ話で内縁の妻と喧嘩して、灯油をかぶったところを保護された男を取調室で事情を聞いていて、男にタバコをせがまれた署員がタバコを渡したら、その火が引火して火達磨になったという。
バカじゃないのかと思うしかないほどのバカな警察官だ。
その警察官の年齢は出ていなかったが、どうも、最近の日本人は老いも若いも、「自分がする行為がどの様な結果を生み出すか」ということに関しての想像力が著しく欠如しているのではないだろうか?と思う。
事情聴取を受けている男性側も、引火させて自殺しようとしたのか、それとも、本当にホッとして一服するつもりだったのかは判らないが、警察官は灯油をかぶった服をそのままにして、タバコを渡すという行為が、どのような結果を生み出すのか分からなかった、というより、最初から考えることをしていないのだと思う。
馬鹿馬鹿しいと言えば、船場吉兆の「食べ残しの使い回し」も同じ次元だ。基本的に反省が無いから、情報を小出しにしては傷口を広げている。最初から全部、膿を出しておけば昔の話でこんな扱われ方はしなかっただろうに。
危機管理能力の欠如である。これまで、いくつの大会社のお偉方がテレビの前で頭を下げてきたのか。その度に、危機管理のやり方も出ていたではないか?まさか自分の所はそんな事態にはならないと高をくくっていたのだろう。学習した気配がまるで感じられないのである。
船場吉兆の「ささやき女将」は学習能力が欠如している人である。
きっと、この御仁はまったく反省などしていないのだろう。
せっかく造った料理を手付かずで捨てるのが「もったいない」というのはまさしくその通りである。しかし、高額の料金を取って料理を提供している料亭のする行為ではない。プロ意識の著しい欠如である。
料理人のプロを育てようという意識が、この女将にあったなら、若い職人に「まかない食」として食べさせて、味を覚えさせ、舌を鍛えさせれば良かったのである。きっと使用人に食べさせては金は取れないから「もったいない」とでも思っていたのだろう。
職人を育てるより、目の前の金しか目に入らなかったのだろうと思う。
どうも世の中の、政治家から大会社の社長さんまで、皆、深く考えることを止めてしまったかのようである。
世の中のスピードが速くなって、皆から余裕がなくなっているからなのだろうか?
ミヒャエル・エンデの小説「モモ」を読んでみると良い。きっと皆、灰色の男達に時間を盗まれているのかもしれないなぁ。