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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2008-05-14-Wednesday 後付の理論

事後にあれこれ理由を付ける事は誰にでも出来る。

事前にこうなると思うから、こうしようと言って実行することは難しい。

何にでも当てはまる事だが、先日、「まちづくり」の会議で「『職住一致』が望ましい。街中に商人が住まないのは間違っている。」という御仁がおられた。確かにその通りである。私もそう思う。しかし、「商人は今すぐ、皆、1〜2階を店舗にして、3階以上に暮らせ!」と言うのは如何なものかとも思う。今すぐというのは理想と現実を考慮していない極端な考え方ではないだろうかと思うのである。

昔(昭和42年まで)のわが家は職住一致であった。わが家の場合は火災によって職住不一致になったのだが、当時の風潮は、商人は郊外に自宅を建てて店に通うという生活を選んだ人が多かったのである。

いわゆる「時代の流れ」というやつである。

昔のわが家は、住み込みの従業員の人たちも大勢いた家だから、プライバシーなんて無かったし、ゆっくりできる時間も無かった。土産店を20時頃に閉店してシャッターを下ろしていても、夜中や早朝にドンドンとシャッターを叩いて「これから出張に行くのでお土産を買いたい」などと言う客がかなりの数いたのである。土産店の隣でダンスホールやビヤホールなどの夜間の営業もしていたから、昼夜の関係がなかったという事情もあったが、商人だって人の子である。いくらサラリーマンとは違うとは言っても、ゆっくりと自宅でくつろぎたいと思う時だってあるだろう。

時代は高度成長期、人口も収入も右肩上がり、皆が裕福になり、人々の考え方も変わっていった。商人に生まれた宿命だから自宅を諦めるという時代ではなかったのである。

郊外にドンドンと住宅地が広がっていったし、当時の考え方は、「住宅は金を生まないから固定資産税が一番高い場所に住むのはもったいない。土地の高度利用を図るべきだ。」というものだった。中心街は商業ビル化され、そこに住む人は少なくなった。

人の嗜好というのもあるだろうが、足が地面から遠いビルの上で暮らすのはどうにも落ち着かないという私のような高所恐怖症の人間も居るのである。

特に地震などの災害が怖い。電気や水道などのライフラインが止まった時のことを考えると、人間はエレベータなどに頼らずに自分の足で上り下りの可能な階数に暮らすべきだとも思っているのだ。

だが、人口が減少する時代の考え方は増えていく時代とは根本的に変えなければならないと思う。

私が理想とするのは、1階が店舗やコミュニティ施設、2階は老人用の住宅、3階には中年の住宅、4階には若者用の単身住宅、共用の中庭があって、エレベータは不要、その分広い階段をつければ良いのである。年齢と共に住む階数を下げていくことでコミュニティを維持するのである。人々が集まって暮らす必要があると思うのである。老人だけの街では活気がなくなるから、若者用の住宅は家賃を極端に安くして、その分を掃除や介護などのボランティアをしてカバーするようにしたら良いと思う。

街中は、車を排除して、広場を造り、人々がその広場に自然と集まってくるような街が理想だ。今から12年前に公表した理論で、10年掛けて徐々にそうしていこうと呼び掛けたのである。あの時に着手していたら今ごろは実現していたかもしれない。

だが一人で思っているだけでは実現はしない。街の将来像と今後の生活に対する危機意識を共有した人が大勢いなければ実現は不可能なのだ。

後からこうしておけば良かったという後付け理論では駄目なのである。